終 「うんにゃ、なんでもない」 戦いを終えて、遼司は自宅近くの公園まで戻ってきていた。コーマを締め上げ、追撃しないことを約束させて。 その上で、遼司は武人の生死を確認した。どうにか、息はあった。香奈が召喚の力を使い、治療能力を持ったビジターと、空間転移のできるビジターを呼び出して今に至る。 治療を施した武人はユニコーンのユニに頼んで背中に乗せて運んでもらっている。 香奈は遼司の背中で眠っていた。 力を使える限界を超えたのだ。公園に戻り、呼び出したビジターたちを送り返したところで、昏倒してしまった。遼司は倒れそうになった香奈を支え、背中に乗せた。 残っているビジターは、ミアとユニだけだ。 「まぁ、一番疲れたのは香奈だよな……」 遼司は小さく息をついて、歩き出した。 攫われ、操られて力を使い、使役の能力も発動し続けて、助け出された後も遼司と共に戦っていた。ビジターに襲われて泣いていた少女が随分と逞しくなったものだ。 寄り添うようにユニが遼司の横を歩いている。 ユニの視線が遼司、香奈、遼司と移動する。 「悪いな、さすがに二人は背負えないからさ」 じっと見つめてくるユニに、遼司は苦笑して告げた。 ユニは、僅かに目を細め、優しげな視線を遼司に向ける。本音は解っているとでも言いたげに。 遼司だって相当な疲労が溜まっている。香奈を助けるために立ち回り、ベヒモスの攻撃を何度も受け止めて、最後はあの場にいる全てのキャリアを拘束してみせた。 正直、立っているのも辛い。 全身の筋肉は悲鳴を上げているし、疲労で瞼も重い。気を抜けば直ぐに眠ってしまいそうだ。意識も中々集中できなくなりつつある。 早く帰って眠りたい。 けれど、ようやく思い出せたこともある。今は香奈を背負って帰りたい気分だった。 ミアが遼司の肩で小さく息を吐いた。 大きな瞳を遼司に向けてから、僅かに細める。笑っているのだろう。 周りへの注意はミアとユニに任せて、香奈の重さと暖かさを感じながら、遼司は家までゆっくりと歩いた。 家に辿り着いて、玄関のドアを開けた。 その瞬間、明かりが目に飛び込んでくる。電気を消し忘れて家を出てきたのかと思ったが、声も聞こえる。 遼司がリビングまで行くと、そこには匠、恵子、鏡子、大智の四人がいた。しかも、テーブルには軽食と酒が並び、軽い打ち上げのような形になっている。 「お、意外と早かったな」 匠の言葉に気が抜けて、遼司は危うく香奈を落としそうになった。 「あ……私、寝ちゃった……?」 その軽い振動に香奈が目を覚ます。 「一応、聞いとくけど、エノシスは……?」 遼司は顔が引き攣るのを自覚しながら、問いを投げた。 「あそこまでやれば、少なくとも二、三年は再起不能でしょうね」 スライスされたカマンベールチーズの乗った薄切りのフランスパンを口に放り込んで、恵子が意地の悪そうな笑みを浮かべる。 二年も再起不能になってしまえば、事実上壊滅にも等しい。エノシスがまともに活動を再開する頃には、世界情勢が変わっている可能性すらある。エノシスが望まない方向や、その存在意義の無い世界になっているかもしれない。 「もうちょいやっても良かったかもしんねぇな」 笑い、大智は缶ビールを煽った。 遼司はゆっくりと香奈を床に下ろして、大きく息を吐き出した。 「やっぱり、遼ちゃんたちに任せて正解だったわね〜」 にこにこ笑いながら、鏡子が安堵の息を漏らす。始めからあまり心配していないのではないかと思えるが。 「あいつ、案外強かっただろ?」 遼司の態度や状態を察してか、匠は口の端を吊り上げて呟いた。 「知っててやらせやがったな?」 遼司は半眼になって溜め息をついた。 やはり、匠はコーマが遼司たちを狙うことも見抜いていたのだ。その上で、遼司たちが切り抜けられるとも確信していたに違いない。 「お前は俺の息子だからな」 心底嬉しそうな笑みを浮かべる匠に、遼司は呆れた。 もう立っている気力もなくなった。壁に背中を預けるようにずるずるとへたり込んで、溜め息をつく。 「あ、朝になってないんだから明日も学校行きなさいよ?」 「ふざけんな」 笑みを含んだ恵子の言葉へ、反射的に言い返し、遼司は眠りに落ちた。 * 御守家と珠樹家へ無断で手を出すことは禁じられている。 それは、彼らと戦うことのリスクが大き過ぎるからであり、同時に彼らがアプリオリの中核でもあるからに他ならない。中立を保ち、タイオスにもエノシスにも加担しない、未知の第三勢力がアプリオリだった。 彼らはそのアプリオリの中核メンバーに名を連ねているだけではなく、かつてはタイオスの幹部にまで上り詰めた者たちだった。故に、彼ら四人はタイオスの内情に詳しい。もし、敵に回ったとすればエノシスよりも厄介な相手かもしれなかった。 そんな彼らに、コーマは手を出してしまった。 あれは最初の任務には入っていない。最初の任務は、単に召喚系キャリアを攫ったエノシスの部隊を殲滅するというものに過ぎなかった。エノシスが攫ったキャリアが香奈であることは知らされていた。同時に、香奈には極力手を出さず、アプリオリに帰すように指示されていた。もちろん、止むを得ない場合には香奈を排除するという手も許可されてはいたが。 「くそっ……!」 部屋の中で一人、コーマは報告書にペンを走らせながら毒づいた。 香奈に手を出したことなど、報告書には記せない。もしも記してしまったなら、下手をすればコーマの立場が危うい。 タイオスの総意として排除が決定されでもしない限り、彼らと戦うことは許されない。 一応、彼らは中立を保っているのだ。アプリオリから仕掛けられた戦いは無い。全てが反撃や抵抗だけだ。 勝つことができればコーマの手柄になっていたのは間違いない。匠たち四人がいなければ、香奈をタイオスまで連れてくることができると思っていた。子供たちだけなら、自分の力でどうにかできる、と。 香奈をタイオスに連れ帰れば、匠たちをタイオスに呼び戻す交渉もできると考えていたのに。 「何で出て行ったんだよ、匠……」 まだ、匠がタイオスにいた頃は、彼ら四人はコーマにとっては良い先輩だった。 「そりゃあ、考えが違うからに決まってんだろ」 唐突に隣に現れた匠に、コーマは心臓が止まるかと思うほど驚いた。 「変わるもんなんだよ、世界は。いい加減、現実見ろよ」 執務机に腰掛けるように寄りかかりながら、匠はコーマを見下ろす。 「な、な、何しに来たんだ!」 「何って……息子世話になったしな」 椅子を派手に倒して飛び退くコーマに、匠は微笑んで見せた。 「ま、命までは取んねぇよ。ただ、一発殴らせてくれりゃいいんだ」 歯を見せて笑う匠には、有無を言わせぬ気迫があった。顔は笑っているが、とてもそんな風には感じられない。コーマの背中を冷たいものが走り、頬は引き攣る。 執務机に寄りかかったままの匠の右腕が消えたかと思った瞬間には、筆舌に尽くし難い痛みが脳天を直撃し、コーマは昏倒していた。 * 「ねーよ」 遼司は重たい身体をどうにか動かしながら呟いた。 疲労感から眠りに落ちた遼司は、恵子に叩き起こされて登校させられていた。当然、疲労は抜け切っていない。中途半端に休息を取ったせいで、むしろ全身筋肉痛などで思うように身体が動かない。 「大丈夫?」 隣で香奈が苦笑する。 ベヒモスの攻撃を受け止めたりするなど、肉体的に反動の大きい行動を取った遼司の方が疲労を後に引き摺っている。というよりも、香奈は肉体的な疲労が少なかっただけだ。 「ちょっと大丈夫じゃないな」 駅から高校までの道程が遠く感じる。 「……でも、ありがとう」 香奈は前を向いて歩きながら、小さく囁いた。その横顔は優しい笑みに満ちている。 向けられたのは、遼司だ。 「約束したもんな」 遼司も前を向いたまま、呟いた。口元には小さい笑みを浮かべて。 「え? 何が?」 香奈が遼司を見て、遼司も彼女に目を向ける。目を丸くして首を傾げる香奈に、遼司は笑みのまま小さく息を吐き出した。 「うんにゃ、なんでもない」 遠い昔に交わしたのは、ほんの小さな約束だ。 私を怖いものから守って。 まだ、香奈が覚醒する前に交わした約束だ。けれど、最初は約束を果たせなかった。あの時は香奈が覚醒したことで、結果的に助かった。その時から、遼司は香奈を守れるだけの力を欲したのだ。 匠の特訓が厳し過ぎたのか、ずっと忘れていた。けれど、思い出せた。 香奈が覚えてなくてもいい。彼女よりも、遼司にとって大切だった約束なのだから。 「さーて、頑張って寝るぞー」 校門が見えてきたところで、遼司は大きく背伸びをしながら言った。 ―完― |
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