序章 「アイツのコトバ」


 ぼやけた視界の中で、人影が一つ遠ざかっていく。
 口の中はからからに乾いていた。鉄の味も混じっている。
 右脇腹が熱い。左肩が痛む。もう、足にも力が入らない。辛うじて無傷な右腕に力を込める。だが、数センチしか動かない。
 苦しい。
 視界が少しずつ、暗くなっていくのが判る。
 身体の感覚もぼやけてきていた。全ての感覚に靄がかかったように、反応が鈍い。
 傷は深いが、致命傷ではない。行動ができない、気を失うまでの力の加減がなされている。最初から殺すつもりではなかったということだ。
 無力化だけを狙い、気絶するだけのダメージを与えた。
 ただ、去って行く影からは視線を逸らさない。
 瞼が重く、目を開けているのが辛くなってきた。
 声を出そうとして、細い息しか吐き出せなかった。
 引き止められない。
 何故。
 疑問だけが頭の中で反響する。
 悔しい。
 どうして、あいつは何も語らずに去ろうとするのだろうか。
 今までの全てを無に帰すようなことをして、何がしたいのだろう。何が、あいつにそこまでさせるのだろうか。あいつを理解してやれないことが悔しく、腹立だしい。自ら理解してもらおうとしないあいつに、怒りすら覚えていた。
「お前は、まだ何も知らないだけだ」
 あいつが投げた言葉。
 霞んでゆく意識の中で、あいつの声は鈍く反響して聞こえた。
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