第五章 「喪失の空」


 ゆっくりと、瞼が開く。暗くて、周囲の様子が良く見えない。何をしていたのか、記憶がぼやけている。
 確か、敵と戦っていたはずだ。大勢の、新型生命兵器と戦っていた。少年たちを指揮していたのは弘人だった。葵は朱莉や辰己、翔子の側に着いた。三年前に流出した新型生命兵器のプロトタイプであり、翔夜が逃がした子供たち。
「そうだ! 翔夜っ!」
 跳ね起きた葵の右腕に激痛が走る。
 声を殺して、痛みに耐える。右腕は指先から肩の付け根まで丁寧に包帯が巻かれていた。他に傷を負っていた場所も全て手当てされている。葵の手当てをしたのは朱莉だろうか。
 髪が解けていた。髪留めに使っていた紐がない。寝かせるのに邪魔だったのかもしれない。
 洞窟の中のようだった。部屋の隅に電気スタンドが一つ立っている。コードが見当たらないことから、電池式のものだろう。部屋の灯りになるものはスタンド一つだけだった。ビニールシートの敷かれた地面の上に、いくつか寝袋などが転がっている。葵が寝ていたのも寝袋の上のようだ。ただ、寝袋の中ではなく、毛布を乗せた上に寝かされていたようだ。
「……気が付いたみたいですね」
 洞窟の入り口は葵の背後にあった。
 首を回して背後を見ようとしたが、先に朱莉が葵の横に座った。
「翔夜は、どうなった?」
 朱莉から視線を外し、自分の右手に目を落として、葵は尋ねた。
「翔夜さんは、死にました」
 沈んだ声が返ってくる。
 予想はついていた。あれだけの雷撃をまともに浴びて生きていられるとは思えない。むしろ、葬った敵の数が驚異的なくらいだ。戦える状態ではなかったというのに。
 最初から、死ぬつもりだったのだろうか。いや、翔夜は死を望んだりはしない。どこまでも生に執着するタイプだった。ならば、何故、あれほど傷付いてまで戦い抜く必要があったというのだろうか。
「……お前は、何故、戦わなかった?」
「すみません」
 葵の言葉に、朱莉はただ一言謝っただけだった。感情の抜け落ちた、今までの朱莉らしくない口調で。
「すみませんじゃ解らない」
 責めるような口調になるのを、葵は止められなかった。
 生命兵器であるのなら、戦う力はあるはずだ。新型の生命兵器だというならなおさらだ。翔夜を慕っておきながら、死に物狂いで戦う翔夜に加勢しないとはどういうつもりなのだろう。朱莉たちが戦っていれば、翔夜は死なずに済んだかもしれないというのに。
「……戦わないのではなく、戦えないんですよ」
 背後から辰己の声が聞こえた。
 翔子と共に洞窟内の小部屋へと入ってくる。二人の手にはビニール袋が提げられていた。
「私たちはプロトタイプなんです。本当に、試作品だった」
 言いながら、辰己はビニール袋の中からおにぎりを取り出して葵に差し出した。
「翔夜さんにも戦うことを禁じられていました」
 受け取る気配のない葵の左手におにぎりを無理やり持たせ、辰己は続けた。葵を気遣ってか、包装は外されている。
「どういうことだ?」
「私たちは多分、五年以内に死にます」
 辰己の言葉に葵は眉根を寄せた。朱莉を睨み、翔子にも視線を向ける。
「僕らは、寿命が少ないんです。生命兵器としての力を使うために、寿命を消費するようなものなんです」
 諦めたように、朱莉は呟いた。
 新型の生命兵器は、葵や翔夜のような生命兵器とは違う、別格の存在を目指して開発されたのだ。
「それまでの生命兵器と違って、私たちの生命モデルは架空の存在ですから」
 辰己が言った。
 単に動物の身体能力や特性を得るだけでは、力不足になりつつあるのだ。同じ生命兵器同士の戦いとなってしまった場合、モデルとなった動物の愛称や蓄積された戦闘経験、当人の勘により勝敗が決まる。決定打に欠けるのだ。
 つまり、決定打を求めた結果、考案されたのが朱莉たち新型の生命兵器だった。神話や空想の中の存在をモデルとし、いわゆる神獣や幻獣といった動物の力を持った生命兵器を創り出す。
「あの時の生命兵器は麒麟、でしょうね」
 辰己が呟く。
 弘人が率いていた少年たちは、雷撃を操っていた。確かに、麒麟とは雷を司るとされる存在だ。もしも麒麟の力を生命兵器に付加することができたなら、雷撃を操ってもおかしくはない。
 つまり、遺伝子を組み替えるのではなく、創造したのだ。恐らく、朱莉たちは創造された遺伝子から生み出された初の生命兵器ということなのだろう。
「私たちは、体組織の改変が他の生命兵器とは違うんです。だから、寿命を大きく削ってしまう」
 どこか辛そうに、辰己が告げる。
 体内に隠していた爪を必要な時に飛び出させるのとは訳が違う。体組織のモデルは初めから存在しないものなのだ。だとしたら、体組織の改変は、構造の変化ではなく新たに創り出さなければならないことになる。特殊な力を持たせられたが故に、人間としての形態には存在しない体組織が必要になるのだ。
「あの麒麟タイプは改善されているのかもしれませんが、少なくとも私たちは身体を変化させ、力を使う度に寿命を削ってしまうんです」
 プロトタイプとして生み出された朱莉たちの力は、研究者たちの狙い通りのものだった。だが、ゼロから創り出さなければならなかった遺伝子は反動も大きくなっていたのだ。身体を変化させ、力を使う度に、体組織の一部が破損する。連続で力を使うためには何度も体組織を再構築し続けなければならなかったのだ。
 細胞分裂は無限ではない。体組織の変化が細胞分裂を伴う場合、テロメアを消費することになってしまう。
 葵や翔夜は自分の身体の一部を変化させることで細胞分裂を極力抑えていた。だが、現存する生命体の身体構造で再現できない体組織は新しく創り出すしかない。
 プロトタイプである朱莉たちの存在によって判ったことだった。
「それだけじゃない」
 朱莉がぽつりと漏らした。
 恐らく、朱莉たちは翔夜が流出させるまでに何度も実験データを計測したはずだ。生活の大半がデータ収集にあてられていたに違いない。既に寿命を消費し過ぎているということだ。
「僕らの遺伝子は、不安定なんです」
 朱莉は部屋の隅へと視線を向けた。電気スタンドとは対角となる部屋の端に、いくつもの紙袋が置かれている。倒れた袋の口元から、空になった小瓶が転がり出ていた。
「定期的に薬で抑えないと、自然に崩壊してしまう」
 強引に創り出された遺伝子は不安定なものだった。身体構造を書き換えなかったとしても、単体での存在すら保てるかどうか判らない。今の、人間の形を保つためには投薬が必要不可欠なのだ。
「力を使った日は、必ず薬を飲まないといけないんです」
 朱莉は溜め息をついた。
 ただでさえ不安定な遺伝子を、力を使うために働かせたとしたら、更に不安定になるのは明白だ。組織から抜け出した朱莉たちは薬を得ることができない。恐らく、翔夜は組織をはっきりと裏切るまでは朱莉たちに薬を届けていたのだろう。
 何故、裏切ったのか、少し予想がついた。翔夜が薬を持ち出していることがバレたのか、新型の完成形の目処が立ち薬自体が生産されなくなったのか、どちらかの原因が大きいのではないだろうか。群雲の内部にいる必要があったから、流出事故の時に姿を消さずに組織に残っていたのだろうから。
 翔夜と辰己の会話の意味が解った。
 あと五分は動けない。辰己が口にした言葉だ。恐らく、翔夜を連れてきたのは辰己なのだ。葵と行動を共にしていた朱莉や、由梨に追われていた翔子以外を除くとすれば、辰己以外に考えられない。
 辰己が新型の生命兵器としての力を使い、翔夜を連れてきたとすれば辻褄が合う。あと五分というのは、辰己が落ち着いて力を使うために必要な時間の間隔に違いない。
「ここは、どこだ?」
 葵は問う。だいぶ、気分は落ち着いていた。
「僕らの隠れ場所です」
 朱莉が答えた。
 今までいた街の外にある山の中腹にある洞窟らしい。主に翔夜が隠れ家として使っていたようだ。
「見張りに立ってます」
「私も……」
 腰を上げる辰己を見て、翔子が口を開いた。
 洞窟の外へと出て行く二人を、葵は目で追うことさえしなかった。
「俺はどれくらい寝ていた?」
 傷の具合からすると一週間は経っていないはずだ。
「今日で四日目ですね」
 朱莉の答えに、葵は左手を見た。辰己に渡されたおにぎりが乗せられている。
「お前たちは、どうするつもりだ?」
 葵は尋ねた。
「三人で考えているところです」
 少し沈んだような表情で、朱莉が答えた。
 どうやら、翔夜によって群雲から解放された朱莉たちは民間人に紛れ込んでいたようだ。
「翔夜さんの手配で、僕らは学校に行っていました。けれど、それももう無理でしょうから」
 戸籍や住居などは全て翔夜が手配していたらしい。群雲から持ち出した情報網や資金を使ったのだろう。
「仲間も、もう僕らだけになってしまいました」
 朱莉が溜め息を漏らした。
 三年前の一件で流出した生命兵器は朱莉たち三人のほかにも結構な数がいたようだ。この三年間で朱莉たちだけになってしまったようだが、生き延びていることだけでも奇跡だ。翔夜が裏で動いていたとしても、群雲の追っ手をかわしてきたということなのだから。
「葵さんは、これからどうするんですか?」
 翔夜の死がショックだったのだろう、朱莉はかなり落ち込んでいるように見えた。葵も確かにショックではあったが、翔夜が死ぬ可能性は十分に考えていたことだ。群雲を裏切る前から、葵も翔夜も、戦場で命を落とす可能性があったのだ。仲間の死に対して、戦えなくなるほど精神的に落ち込まないよう訓練されている。
 葵にとって、翔夜は大きな存在だった。だが、葵は翔夜の最後の言葉を確かに聞いた。後を頼む、と。
「……群雲を潰そうかと思っている」
 少し考えて、葵は結論を口にした。
 もう、葵にとって群雲は意味のない存在になっている。朱莉や翔子、辰己を守るとしたら、群雲の存在を消す以外に手はない。弘人が死んでいなければ、葵の反逆も群雲に知られてしまっただろう。同時に、朱莉と辰己の存在もばれてしまったはずだ。
 三人に安全な場所というのは存在しない。海外へ逃げるとしても、空港などの交通機関は群雲の手が直ぐに回っているだろう。仮に国外へ出られたとしても、他国の軍事関係に掴まる可能性が高い。群雲の追っ手が海外まで追跡してくる可能性もある。
「国を一つ潰すようなものですよ?」
「構うものか」
 朱莉の言葉に、葵は言い放った。
 帰る場所も、翔夜も失った。これ以上、葵に失うものはない。あるとすれば、葵自身の命ぐらいだろう。
 群雲を潰したとしても、また同じような組織が作られるかもしれない。朱莉たちが安全に生きられるようにするなら、群雲のような組織はあってはならない。
「……一人で、戦うつもりですか?」
 静かな、朱莉の言葉がやけに通って聞こえた。
 葵は何も答えなかった。朱莉や辰己が戦えないのなら、葵一人が戦うしかないだろう。解り切っていることだ。新型の生命兵器を相手にしなければならないのは厳しいが、司令系統さえ破壊すれば一時的にでも目的は達成できる。
 葵は左手に乗せられていたおにぎりを口に運んだ。
 一番大きな怪我をしているのは右腕だろう。これが完治するまでは隠れているしかない。
「少し、外の空気を吸ってくる」
 言って、葵は立ち上がった。
 朱莉が心配そうな視線を向けてくるが、葵は何も言わずに靴を履いて小部屋から出た。少し狭く、暗い通路を一人で歩いて行く。
 出口には、辰己と翔子がいた。辰己は洞窟の壁に背中を預けるようにして立っており、翔子は座り込んでいる。辰己はともかく、翔子の方はかなり気落ちしているようだ。
 当然かもしれない。翔子を助けるために葵と朱莉はあの場へと向かったのだ。恐らく、翔夜も同じだろう。だとしたら、翔子は翔夜が死ぬ原因を作ってしまったことになる。
「街が、見えるんだな……」
 葵は呟いた。
 洞窟の周囲は木々が茂っており、森というほどでもないが視界がかなり遮られている。だが、木々の間から一直線に街を見ることができる部分もあった。
「腕の具合はどうですか?」
「だいぶ良い」
 辰己の問いに、葵は答えた。生命兵器の治癒能力なら、一週間もすれば完治と言える状態になるはずだ。
「食事をとれ。暫く交替する」
 洞窟の壁に背中を預けるように、葵は腰を下ろした。
「私たちのことなら気にしないで下さい。葵さんは休んでいた方が……」
「朱莉にかける言葉がない。……少し、風に当たっていたいんだ」
 辰己の言葉を遮って、葵は言った。
 あのまま、小部屋の中で朱莉と無言のまま過ごすのも息苦しい。少し一人になりたい気分だった。できれば、明るい場所で。
「解りました」
 葵の気持ちを察してくれたのか、辰己は何も言わずに洞窟の中へと歩いて行った。
「お前も行け。食事、まだなんだろ?」
 動く気配のない翔子に、葵は声をかける。
 食料は辰己と街まで行って買ってきたのだろう。だとしたら、翔子もまだ食事を取っていないはずだ。
「私も、朱莉にかける言葉がないから……」
 細く消えてしまいそうな声で、翔子は呟いた。
 葵は返す言葉がなかった。葵が冷静でいられるのは、誰かの前にいるからだ。一人になりたいと思ったのも、冷静でいられる自分がいつ崩れるか判らないからでもある。
「私さえ、逃げずに掴まっていれば、こんなことにはならなかったのかな……」
 翔子の言葉から、やはり自責の念が強いのだと再認識した。
「お前が死を望むことを、翔夜が望むと思うのか?」
 自分が助けた者が自ら命を捨てる道を選ぼうとしていることを知ったら、翔夜はどう思うだろうか。いや、翔夜なら最初から生きることを最優先に考えろと言うはずだ。葵の知る翔夜なら、朱莉たちを助けた時に、伝えている。
「それを言うなら、俺が曖昧な態度を取っていたことの方がよっぽどタチが悪い」
 葵は吐き捨てるように言った。
 曖昧な態度で翔夜を追わなければ良かった。あの場で、葵が翔子を助けるために由梨と戦っていれば未来は違っていたかもしれない。翔夜と争うこともなく、互いに深手を追うこともなく、初めから新型の生命兵器を相手に共闘していた未来もあったかもしれない。
 翔夜は何の理由もなしに裏切るような人物ではなかった。彼にとって正しいと信じられる道だったからこそ、群雲を捨てたのだから。だが、葵は翔夜を信じることができなかった。翔夜と群雲の間で揺れた結果が今の状況ではないか。初めから翔夜を追いかけて、自分も群雲を捨てると覚悟を伝え、理由を聞こうとすれば良かったはずだ。
「……どうして、俺に相談してくれなかったんだ!」
 悔しさを堪え切れず、葵は左腕で壁を叩いていた。
 葵と翔夜は恋人同士ではなかったのか。生命兵器同士の恋などと言えば、群雲にいるほぼ全ての人間は馬鹿にするか、笑うかのどちらかだろう。
 だが、葵は確かに翔夜に好意を抱いていたし、翔夜も応じてくれた。
 なのに、翔夜はどうして葵に相談してくれなかったのだろうか。一番、翔夜の傍にいたのが葵ではなかったのだろうか。翔夜にとって、葵は相談するに足る存在ではなかったのだろうか。
「俺は、その程度の存在だったのか……!」
 涙が頬を伝う。
 身近にいたはずなのに、翔夜が遠くに行ってしまったことに葵の心は大きく乱されていた。精神不安定になった葵を群雲は戦線に投入することを避け、葵は一人で翔夜を探すことになったのだ。最初から相談してくれていれば、力になれたかもしれないというのに。
「それは、違います」
 翔子の言葉に、葵は彼女へと視線を向けた。
 先ほどまでとはまるで別人のように、はっきりとした口調と視線で、葵を見つめている。
「翔夜さんは、いつも悩んでいました」
 静かな声で、翔子は告げた。
「大切な人を残してきたこと、その人に全てを伝えるべきか、いつも、考え込んでいました」
 葵は目を見開いた。
 翔夜が葵のことで悩んでいた。気にかけていたという言葉だけでも、救われた気がした。自分だけが取り残されていたのではないのだ、と。
「だったら、何で言ってくれなかったんだ……」
 呟いて、葵は空を見上げた。木の葉の隙間に、青と白が点在している。曖昧な、空が見えた。
 悩んでいたのなら、伝えてくれれば良かったのだ。葵が追いついた翔夜はいつも、迷っている素振りなど見せなかった。一人で抱え込んでいた翔夜に腹が立つ。薄々気付いていたのだ。翔夜は一人で背負い込むタイプだと、いつも傍にいた葵の方が良く知っている。だからこそ、葵は悩んでいたはずだ。
「あなたが、世界で一番大切だったから」
 背後からかけられた言葉に、葵は驚いて振り返った。
「朱莉……」
 気まずそうに、翔子が視線を逸らした。
「大切過ぎて、自分の身勝手に巻き込みたくないと言っていました」
 葵は言葉を失っていた。
 翔夜も、葵の性格を良く知っていた。だから、悩んでいたのだろう。葵は、生命兵器はあるべき場所に存在すべきだと考えていた。つまり、群雲などの組織でなければ生命兵器は存在してはならないと考えていたのだ。
 だから、翔夜は葵に相談することを躊躇った。
 葵に相談することで裏切りを暴露することにもなる。同時に、葵が翔夜の考えを否定した場合、助け出した朱莉たちを危険に晒す可能性があった。
「何より、葵さんの生き方を変えてしまうことを恐れていました」
 朱莉の言葉に、葵は視線を右手に落とした。
 翔夜との戦いで受けた痛みと、彼と共に戦って負った傷が右腕にある。翔夜は、葵を巻き込みたくなかったのではない。自分の選択に、生き方を変えることができるかと問い続けていたのだ。
「……やっぱり、馬鹿だお前は!」
 叫ぶように呟いて、葵はもう一度拳を岩壁に叩き付けた。力の限りをぶつけた岩壁は僅かに砕け、破片がいくつか飛び散った。
 涙が止まらなかった。泣きたくもないのに、目の奥から涙が溢れ出してくる。哀しいのか、嬉しいのか、解らない。ただ、翔夜を殴りつけることができないのが悔しかった。
「辰己とも話しましたが、葵さんが戦うなら僕も戦います」
 朱莉の言葉に、葵は目を見張った。思わず、朱莉の顔を凝視してしまう。
「翔子は、無理しなくてもいいよ。嫌なら嫌で構わない」
「朱莉?」
 優しく微笑む朱莉に、翔子は怯えたような声を出した。
「翔夜さんが死んでしまったのはショックだったけれど、翔子のせいだとは思ってないし、僕の一番は翔子だから」
 朱莉はそっと翔子の肩に手を置いた。とても穏やかな表情だった。
「翔子が落ち込んだままの方が、僕には辛いよ」
 言って、朱莉は翔子を抱き締めた。朱莉はどこか哀しそうな表情をしていた。翔子は、涙を流して朱莉に抱きついていた。声を殺して泣く翔子を、葵と辰己は見守っていた。
「私も行く。もう、足手纏いにはなりたくない」
 暫くして、翔子は告げた。
 きっと、朱莉は翔子が足手纏いだとは思っていない。彼女自身も知っているだろう。だが、翔子はあえて口にしたのだ。恐らく、自分に言い聞かせるために。気にしなくてもいいと朱莉は言ったが、完全には無理だから。
「解った」
 朱莉も彼女の真意を汲み取ったのだろう。何も言わずに翔子の言葉を受け入れていた。
「でも、翔子さんの力があるのは嬉しいですね」
 辰己が言った。気を利かせたのだろうか。
「戦力を確認したい。三人とも、使える力を教えてくれ」
 戦う意思を固めた三人に、葵は問う。
 群雲に乗り込んで、組織の本拠地を壊滅させるためにはある程度の作戦が必要だ。まずはどれだけのことが可能なのか確認しておく必要がある。
 新世代型生命兵器として、朱莉たちが持つ力を把握しておかなければならない。
「私は空間を歪曲させることができます。生命モデルは、悪魔」
 辰己は自ら進んで自分の力を説明した。
 空間を捻じ曲げ、移動時間を短縮したり、敵の攻撃を逸らしたり、というのが辰己の力のようだ。翔夜の足になる、というのは間違いではなかったのだ。空間を曲げて遠方から翔夜を転送したと考えれば、直前まで気配が無かったのも頷ける。移動や細工などに有利な力だ。
「私は、炎なら自在に操れます。朱雀が生命モデルだから」
 翔子から寂しげな面影は既に消えていた。
 朱雀。鳳凰やフェニックスとも取れる、火の鳥が翔子の生命モデルのようだ。確かに、強力な力だ。殲滅力はトップクラスだろう。他にも、様々な局面で力となってくれそうだ。
「僕は光を操ることができます。生命モデルは、天使です」
 最後に朱莉が告げた。
 可視光線を操るのが朱莉の力らしい。あたかも物体が目の前にあるかのように錯覚させたり、逆に見えているはずのものを不可視にするなど、敵を欺く力は高いだろう。
「そうか、あの時はお前が……」
 葵は思い出した。気を失う前に見た、天使のようなシルエットは朱莉だったのだ。
 可視光を操るなどで敵を撹乱し、朱莉が作り出した隙をついて辰己が皆を脱出させたのだろう。
 三人とも、かなりのポテンシャルを秘めていそうだ。代償は決して小さなものではないが、戦うと決めた今は些細なことだ。まずは、目的を達成して生きて帰る。
 でなければ、三人が安心して暮らせる時間は訪れない。一時でも平穏な時を生み出すために、寿命を削ったとしても、三人に後悔はないだろう。
 どんな生物も、いずれは死ぬのだ。ならば、怯えなくて済む時間を得るために命を削ったとしても間違いとは思えない。
「翔夜の死は、無駄にしない……」
 葵は小さく呟いた。
 まずは怪我を治そう。完治するまでに作戦を考え、皆の状態を万全にする。言葉に出さなくとも、三人とも理解しているようだった。
 翔夜が守ったものを、今度は葵が守るのだ。
 もう、迷いは無かった。
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