第六章 「陽炎の翼」


 洞窟の入り口から吹き込んでくる風、木々のざわめきに、葵は目を覚ました。長年の戦闘経験からくる勘が葵に危険を告げている。風の音、木々の揺れる音に混じって、微かに異なる振動を感じた。
 眠っている朱莉たちを起こすべきか、躊躇う。
「辰己、起きてくれ」
 考えた挙句、葵は辰己を揺り起こした。
「……どう、しました?」
 少し判然としない口調で葵に答え、辰己は身を起こした。
「敵だ」
 葵の言葉に、辰己は直ぐに理解したようだった。
 眠そうに細められていた目をこすり、強引に覚醒させる。
「俺は様子を見に行く」
 場合によっては、交戦も在り得る。言外に含ませて、葵は立ち上がった。
 辰己には朱莉と翔子を任せた。戦うかどうかの判断はまだせずに、まずは朱莉と翔子に状況を伝える。戦うことがリスクを伴う三人は、様子を見てから動くことになっている。戦闘に参加するか、逃走を優先するかは状況を知らなければ選べない。
 葵一人で対処できるなら、三人には退路の確保をしてもらう。敵を凌げたとしても、この場所は知られてしまったと見て間違いない。たとえ敵を全滅させたとしても、派遣した部隊との連絡が途絶えた場所の近辺に葵が潜伏していると教えるようなものだ。
 相手を確認し、敵であった場合はこの場所を捨てなければならない。
 足音を忍ばせて、葵は洞窟の入り口まで辿り着いた。岩陰から外の様子を窺うが、まだ敵は視界で捉えられる範囲にはいないようだ。
 葵は右手を確認する。外傷は完全に治っている。内側に多少の痛みは感じるが、この程度なら問題はなさそうだ。注意しておけばいざという時にヘマをすることもないだろう。
 これから群雲に襲撃をかけることを考えたら、今大きな怪我をするのはまずい。できるなら、無傷でこの場をやり過ごしたい。
 葵はゆっくりと洞窟から出ると、警戒したまま気配のする方へと歩き出した。木々の間を隠れながら、可能な限りの音と気配を消して。
 洞窟から離れるべきか、考える。葵が囮となって朱莉たちを逃がしたり、隠したりと考えるなら洞窟から離れるべきだ。しかし、洞窟という隠れ家を放棄することが決定している今は逆だ。朱莉たちからあまり離れるべきではない。葵は囮ではないのだ。葵自身も朱莉たちと共に逃げ延びねばならないのだ。葵は朱莉たちの動きを察知できる距離にいなければならない。朱莉たちの援護が必要になる可能性だってある。
 葵は木の間から気配のする方へ視線を向ける。感覚を研ぎ澄まし、敵の発見に意識を集中させて行った。
 相手が葵を見つけるか、葵が敵に見つかるか。どちらが先に戦闘のアドバンテージを掴むのか、既に戦いは始まっている。
「いるわね、葵」
 放たれた声に、葵は舌打ちしていた。
「由梨……!」
 既にアドバンテージは相手にある。
 可能性として考えなかったわけではないが、組み合わせとしては最悪だった。音による索敵において、由梨に勝る生命兵器は群雲には存在しない。もちろん、新型の能力を加味しないとすれば、の話ではあるが。
 葵が気付いて動き出した時点で、由梨には筒抜けだったと考えるべきだ。葵の勘や、生命モデルとしての索敵能力は決して低くない。だが、由梨が葵以上の索敵能力を持っているだけだ。いや、由梨の生命兵器としての基本概念が高い索敵能力を持つ生命兵器なのだ。
 アドバンテージどころの話ではない。既に葵たちは包囲されている可能性すらある。
 由梨は葵に話しかけてきたのだ。葵の位置は既に把握されている。
 だが、逆を言えばチャンスでもある。高い索敵能力を誇る由梨をここで仕留めることができるなら、群雲本部への襲撃も容易になるはずだ。
「やっぱり、翔夜を追って裏切ったのね」
 由梨の言葉を聞きながら、葵は考える。
 ここで由梨を仕留めるか、仲間にできれば襲撃し易くなる。問題は由梨が連れて来ている仲間がどれだけの戦力であるか、だ。弘人が麒麟モデルを複数連れてきていたことを考えると、既に新型の生命兵器が実戦投入段階に入っている可能性もある。
「あなたなら優秀なリーダーになれそうなのに」
「何が言いたい?」
 由梨の言葉に、葵は問いを返していた。
「あなたの判断力や思考力を失うのは惜しいと言っているのよ」
 声の方角から、葵は由梨の居場所を推測していた。大体の見当は付いたが、以前として視認できない。
 部下や新型生命兵器を連れて来ているなら、由梨自身が戦う可能性は少ない。
「翔夜と葵は群雲のツートップだったものね」
 挑発しているのだろうか。翔夜という名前を出して、葵が逆上するのを待っている可能性はある。
「仲間になる気が無いのなら、お前にはここで死んでもらう」
 葵は言い放った。
 両腕を虎に変え、同時に脚力を強化、葵は駆け出した。
 深読みをし過ぎても後手に回るだけだ。動きがバレてしまったのなら、由梨と戦うしかない。接近戦に持ち込めば、由梨の索敵能力も遠距離ほどには活かせない。
「翔夜のことは好きだったけど、私は群雲を裏切るつもりはないわ」
 草木の陰から、由梨が姿を現す。
「私は弘人のように無計画には戦わないわよ。攻撃開始!」
 由梨が叫び、右手を葵へと向ける。
 葵は咄嗟に大きく跳躍した。周囲八方向に表れた気配に対処するには、上空へ逃れるしかない。両腕に翼を生やし、葵は空中から周囲を見回した。
 今まで葵がいた場所を、いくつもの高圧水流が貫いている。
 木々の上からでは敵を見つけ難い。かと言って、葵の生命モデルの一つである隼は翼の構造上、障害物の多い森林での行動に向いていない。長所であるスピードが活かせないのだ。
 由梨の声から攻撃到達までの時間を逆算し、大体の位置に見当をつけ、葵は急降下した。木の枝を両腕で薙ぎ払い、着地、気配を探って身体の位置を入れ替える。
 身体に水流を纏った少年が見えた。年齢は以前見た、麒麟モデルの新型生命兵器と同等ぐらいだ。表情もなく、ただ指示されたことをこなす機械のように見えた。
 水を操る能力を持っているのだと、直ぐに解った。
 葵は少年が手を伸ばすよりも早く駆け出していた。翼をはためかせて加速し、少年の放った高圧水流を屈んでかわす。少年の背後から無数の水滴が空中に飛び散り、葵へ向けて動き始める。水滴が勢いに乗るよりも早く、葵の爪が新型生命兵器の胸を貫いていた。貫通した腕を振り上げて身体を裂き、確実に息の根を止める。
 絶命したことを確認すると、葵は跳躍した。背中が木々にぶつかり、押さえつけられる。足元を高圧水流が飛び交い、攻撃が止んだのを見て着地する。
「第二陣形!」
 由梨の声に周囲の気配が動いた。木々が音を立て、由梨のいた方向に固まっていく。
 一方向から大量の高圧水流が雨のように降り注ぎ、葵はぎりぎりで上空へと逃れた。だが、高圧水流は向きを変え、分裂して数を増やして葵を追ってくる。
 葵は翼をはためかせて加速する。高圧水流から逃れつつ、勢いに乗った速度を落とさぬように大きく弧を描くように旋回しながら、由梨のいる場所へと滑空する。
「追撃!」
 由梨の言葉と同時に、彼女の傍に展開した新型生命兵器たちが高圧水流を放つ。
 葵は止むを得ず身体を傾けて着地場所を変えた。背後から迫る水流と、前方から向かってくる水流をかわすためには一直線の軌道ではまずい。とはいえ、障害物の多い森林の中では思うように接近できない。自在に形を変えることもでき、高い圧力をかければ金属すら切断するほどの破壊力を持つ水を凌ぐのは難しい。
 敵の数も正確に判別できてはいないのだ。葵一人では長期戦になるのは間違いない。だが、長期戦となって確実に勝てるかと言えば五分五分だ。由梨と一対一で戦えたなら、葵には勝つ自信がある。しかし、新型の生命兵器が複数という状況では結果が判らない。
 増援が来る可能性もある。
 逃げるべきか、とも考えた。この場は撤退し、別の場所に潜伏してやり過ごすという手もある。由梨が群雲に戻る前なら、彼女を倒した場合と同じように、組織の戦力は低下しているはずだ。だが、もしも葵たちが襲撃している最中に由梨が戻って来たとしたら、背中を見せることにもなる。
 逃げるとしても、辰己の力に頼らねばならない。彼の力で逃げることに成功したとしても、辰己が消耗してしまうのは極力避けたい。群雲への攻撃の際、辰己の力は重要な位置を占める。
 万全を期すならば、逃げないで戦うべきだ。
「三人とも、まだ逃げてないみたいね」
 着地した葵は、由梨の声を耳に入れつつも地面を転がるようにして空から降り注ぐ水流をかわした。
 由梨の力なら朱莉たちの存在にも最初から気付いていたはずだ。今、葵に聞こえるように口に出すということは、注意を逸らすことを目的とした引っ掛けだ。
 朱莉たちの周囲に敵がいる可能性も十分にある。三人の行動は決まっただろうか。
「第四陣形!」
 由梨の号令に新型生命兵器たちが動き出す。半数が葵へと突撃し、もう半数が朱莉たちの方へと向かって行く。
「くっ……」
 葵は呻いた。
 やはり、由梨は朱莉たちが無闇に力を使えないという弱点を知っている。でなければ、葵と朱莉たちに対して半分ずつの戦力を向けるとは思えない。
 朱莉たちの方へ向かった新型生命兵器は彼らが戦うしかない。現状、葵は相手の攻撃よりも早く攻撃を繰り出さなければ新型生命兵器を倒すことはできない。事実として、由梨が指示を最初の攻撃指示を出した直後の、攻撃の甘い時に倒した一人しか新型を仕留められていないのだ。
 葵一人で全員と戦うことは難しかった。かわし続けることができたとしても、攻撃へ繋げることができなければ、この戦いには勝てないのだから。
「翔子っ!」
 朱莉の声が聞こえた。
 刹那、熱風が吹き荒れた。木々が激しく揺れ、植物が燃える臭いが風に乗って広がっていく。背後に揺れ動く赤い光源が現れたかのように、葵の視界にも明かりが届いた。
 翔子が力を解放したのだ。
 葵は振り返らなかった。翔子が戦うことを決めたのなら、葵は目の前の敵を葬ることを考えるべきだ。単純な戦闘能力は翔子の方が葵よりも上だろう。最悪でも、彼女が葵の下へ辿り着くまで時間を稼げればいい。
 水を操る敵に対して、翔子は相性が良いかもしれない。熱量を操る翔子には水は効かないからだ。
 葵は駆け出した。
 翔子が戦うと決めたのなら、少しでも戦闘時間を減らした方がいい。可能な限りの負担を軽減するために。
「あくまで、逆らうのね……」
 どこか寂しげな由梨の声を聞き流す。
 凄まじい速度で放たれる水滴の雨の中を、葵は木々を盾にして駆け抜ける。木の枝や葉が水滴に貫かれて舞い散る。木の幹には穴が空き、一時的に減速はするものの、貫通していた。
 葵は両腕の翼で上半身を庇いながら、木々の間を走った。水滴ひとつひとつのダメージは小さいが、何発も浴び続けるのはまずい。作り出した翼で防ぐことで、葵本体へのダメージを軽減するしかない。
 高圧水流の気配を感じて、葵は大きく跳躍した。翼を開き、羽ばたいて上空へと逃れる。敵の攻撃と同時に、翔子の戦闘も見えた。
 翔子は炎に包まれていた。燃え盛る炎が鳥を形作り、大きく広げた翼が高圧水流を阻んでいる。一瞬で水蒸気へと変えられた水は翔子の操る熱量を奪うこともできずに霧散していた。
 翔子は大きく翼を羽ばたかせる。熱気を振り撒き、周囲の木々が一瞬で炭化する。燃え広がった炎はまるで意思があるかのように円形に伸びて、新型生命兵器を囲んでいた。翔子が再び翼を大きく動かした。翼から放たれた密度の高い陽炎は途中で燃え上がり、紅蓮の炎を新型生命兵器に叩き込む。
 炎は一瞬で肉体を焼き、物体のように身体に風穴を開けて突き抜けた。一瞬遅れて、傷口の縁から発火し、敵を燃え上がらせる。肉体は原形を留めずに崩れ落ち、ただの炎へと変わる。
 凄まじい熱量だった。試作型だからなのか、翔子の力は凄まじい。量産されていたらと思うと恐ろしかった。
 葵は上空を右へ左へ旋回して水流をかわしながら、翔子が敵をほぼ一撃で仕留めていく様を目に焼き付ける。翔子の敵が半分になったあたりで、葵は滑空を始めた。加速しながら、敵のいる位置へと見当をつけて突撃、着地するとすぐさま視界に入った少年に肩からぶつかる。同時に衣服の裾を掴み、倒れそうになる前に両脚を踏ん張って耐える。背後から迫るいくつもの高圧水流に捕まえた敵を叩き付けるようにして盾にした。だが、水流は少年だけを避けて迂回し、葵へと向かってくる。
 葵は捕らえた敵が水流を放つ前に首を爪で貫いた。死体を手放して後方へ飛び退くと、葵は横へ跳んだ。足元に命中して跳ねた水滴が向きを変えて追って来る。葵は木々の間を駆け抜け、直ぐ近くにいた新型生命兵器の首筋に蹴りを叩き込んだ。鋭い一撃は敵の首をへし折り、息の根を止める。
 着地と同時に横へ転がり、水滴をかわす。姿勢を低くした葵の真上を、真紅の炎が突き抜けて行った。
「葵さん!」
 熱風と共に翔子の声が葵に届いた。
 残りの敵を、翔子が薙ぎ払う。肌が焼けるのではないかと思うほど近くに翔子が舞い降りたというのに、葵は暑さをほとんど感じなかった。熱量を完璧にコントロールしているのだ。葵の周囲だけ、加熱しないように制御しているのである。
「作戦変更、対火炎陣形っ!」
 由梨が叫んだ。
「えっ……?」
 翔子の驚いた声が、葵の耳にも届いた。
 水を操る新型生命兵器が急速に離脱していく。恐らくは、彼ら自身の力を利用しているのだろう。対応が一瞬遅れた翔子には追いつけない。いや、追いつけたとしても葵や朱莉たちから離れ過ぎてしまう。追いかけることはできなかった。
 だが、気配の数は減少したものの、無くなってはいない。由梨以外の気配をまだ感じる。
「まさか……!」
 葵は舌打ちした。
 遠方からの高圧水流を翔子が翼で蒸発させる。同時に、葵の隣まで後退していた。やはり、翔子も気付いたのだろう。
「きゃっ!」
 雷鳴と共に、朱雀の頬を閃光が掠めた。
 麒麟をモデルとした新型の生命兵器だと直ぐに判った。翔子が戦う可能性を想定して、麒麟タイプを部隊に組み込んでいたのだ。雷鳴と閃光はこの森林のような場所では目立ちすぎる。直ぐに場所を見破られてしまうと踏んで、最初は水を操るタイプの生命兵器に攻撃させていたのだ。
 由梨自身には脚力と聴力以外に大きく秀でた能力はない。だからこそ、あらかじめ策を練ってきたのだ。もしかしたら、朱莉や辰己が戦闘に参加した場合にも対応できる新型を連れてきているかもしれない。
「気をつけろ翔子!」
 言って、葵は駆け出した。
 まずは由梨を倒さなければならない。由梨を指揮官として新型が動いているなら、彼女を倒すことで一時的にでも部隊は混乱するはずだ。逃げる隙ができる可能性はある。
「ウンディーネ部隊は遠くの試作型を攻撃しなさい!」
 由梨の指示が飛ぶ。
 水の精霊ウンディーネ、先ほどまで葵が戦っていた相手のモデルだろう。水を操る力は、脅威だ。攻撃手段の応用性や戦局への適応性が高く、特殊な力を持たない一般の生命兵器にはかなり厄介な相手だ。もちろん、麒麟型もだが。
 葵は木の陰に隠れていた由梨へと跳びかかった。彼女が出した指示の影響なのか、葵と由梨の戦いを邪魔する者はいないようだ。麒麟タイプは翔子を狙い、残りのウンディーネタイプは辰己の方へと向かっているのだろう。
「いいことを教えてあげるわ、葵」
 葵の爪を寸前でかわした由梨が呟いた。
 脚力を活かした素早く強力な回し蹴りを、葵は屈んでかわす。
「今の新型には、個別の意思がないの」
「なに……?」
 葵は眉根を寄せた。軸足を狙って振るった爪を、由梨は片足で跳んでかわしてみせる。
 新型、つまりこの場では麒麟タイプとウンディーネタイプのことだろう。新型に意思が無い、ということは指示に従うだけの機械と同じということだろうか。
「思考を抑制されているというよりは、初めから指示に従うことのみを最優先に教育されている感じね」
 第三世代型である生命兵器の難点は、独自の思考を持つことだと言われていた。生命モデルによる性格や、作戦内容など、様々な要因で命令違反を犯す可能性があるのだ。結果的に、部隊や戦局にとってプラスに働いたとしても、上層部としては命令違反に厳しい。作戦を考える指揮官にとっては、一時的な利益よりも最終的な勝利を優先しなければならないのだ。命令違反は、指揮官の考案した作戦を乱してしまう。
 翔夜と葵は群雲を離反した。翔夜に至っては新型生命兵器の試作タイプを流出させている。組織にとって、これはかなり深刻な問題だったに違いない。思考を持つことの厄介な点だ。
 だからなのか、今、翔子が戦っている新型生命兵器は個別の意思を極力抑えるような教育がなされているらしい。意識の根幹に刷り込んでいるというべきだろうか。リーダーの命令には忠実に従うことに重点が置かれている。
 確かに、火炎や雷撃、水流といった力を操る新型が裏切ったとなれば厄介なことこの上ない。
「皮肉なものよね、思考を求められて私たちが創られたというのに」
 由梨はどこか自嘲気味に笑った。鋭い蹴りを寸前でかわし、葵は爪を振るう。
 生命兵器は高い思考力が求められて生み出されたものだ。だが、兵器に思考は必要なかったのだ。武器に意思はいらない。ただ、敵を倒す力だけがあれば良い。恐らく、敵との戦闘に対しての柔軟性は第二世代型よりはあるのだろう。第三世代型の柔軟性に及ばずとも、特殊な力が与えられていることで、新型の存在は脅威だ。
 大きく後退した由梨がステップを踏んで葵へと一気に近付いてくる。葵は由梨の跳び蹴りを横へと跳んで逃れた。目の前の木に左手の爪を打ち込み支点を作ると翼をはためかせて加速し、円を描くように向きを反転させる。遠心力も加えて、葵は由梨の背中に右手の爪を打ち込んだ。
「やっぱり、駄目ね……」
「由梨、お前……!」
 苦笑いを浮かべる由梨に、葵は戸惑った。
「私は元々、索敵要員……戦闘には向いていない」
 振り返った由梨が蹴りを放つ。葵は爪を振るって由梨の足を膝の辺りで両断した。
「俺は、あいつみたいに甘いことは言わない」
 葵は告げた。
 翔夜は、逃げる相手は追わないと言っていた。だが、戦うことを決めた葵は、逃げようとする敵にはトドメを刺すつもりでいる。敵の戦力を確実に削ぎ、自分たちの手の内を伝えられぬように。
「きっと、近いうちに私たちもお払い箱ね」
 片足を失い、バランスを崩した由梨が呟いた。
 葵は由梨の右肩を切り裂き、左腕を踏み付けて骨を砕いた。念のためだったが、必要のない行動だったかもしれない。由梨には葵と本気で戦おうというつもりはないのだと、気付いてしまったから。
「あぁ、そっか、こういうことなんだ……」
「お前、やっぱり……」
「今なら、翔夜の言っていたこと、解る気がするわ」
 葵の言葉に苦笑して、由梨は息を吐いた。
「あの後、翔夜のことを報告した私は、新型の生命兵器を預けられたのよ」
 痛みを感じさせない口調だった。もう、既にどうでもいいことのように、由梨は言葉を紡いでいく。葵が頼んでもいないのに、自分の心の内を吐露していた。
 翔夜と戦った由梨は、逃走に成功した。翔夜との接触により、彼が新型の生命兵器の存在を知っていることを由梨は知ったのだ。当然、群雲に戻った由梨は自分が知った情報の全てを報告する。
「私の存在価値も、もう無くなるんだなって、思ったわ」
 どこか哀しそうに目を細め、由梨は呟いた。
 元々のモデルが草食動物である由梨の戦闘能力は決して高くはない。索敵能力の高さや脚力は逃げ延びるためのものだからだ。だとしても、由梨は群雲の中でも強い部類の生命兵器だった。
 しかし、新型の生命兵器にはどうしても勝つことができない。単純な戦闘能力は明らかに新型の方が上なのだ。索敵能力や脚力だけでは勝ち目がない。
 いずれ、全ての生命兵器が新型のものに変わるだろう。小型の通信機器か何かを持たせれば、指揮官は安全な場所にいて命令を下せる。今は現行の第三世代型を暫定的にリーダーとしているだけだ。
 思考力が邪魔と判断されたのなら、第三世代型の由梨には価値が無くなったと言い換えることができるのだ。
「だから、命を捨てるのか」
 葵は吐き捨てるように呟いた。
 群雲と戦い、自分の存在価値を自身で見い出すという選択肢を、由梨は選ばなかった。群雲と戦うという選択の方が、自ら死を選ぶよりも怖いとでも言いたげだ。
「同じ死ぬなら、戦って死ねばいいものを……!」
 噛み締めた奥歯が微かに音を立てる。
 仲間になるのであれば、歓迎だった。だが、葵とは敵のまま、由梨は死ぬつもりでいる。ならば、彼女はどうしてこの場に現れたのだろうか。葵たちの隠れ家を荒らしても、死ぬつもりであれば意味はないはずなのに。
「葵、今の新型は、両腕が攻撃器官に、両脚が防御器官になっているわ」
 由梨の言葉に、葵は目を見開いていた。
「この戦いを乗り越えられたら、頑張ってね、葵」
 葵の見ている目の前で、由梨は舌を噛み千切って自殺した。
 彼女の言葉は、新型の弱点だ。攻撃の際には腕から特殊能力を発動し、移動や防御に使う場合は脚部から力を使うということだ。由梨は、これを伝えるために葵の下へ来たというのだろうか。
「この、馬鹿が……!」
 葵は憤りながら、由梨に背を向けた。
 まだ敵は残っている。全て片付けて、早くこの場から立ち去らなければならない。見れば、翔子がウンディーネタイプと麒麟タイプ、全ての相手をしていた。朱莉や辰己を追うウンディーネを炎で焼き払いながら、執拗に放たれる雷撃を辛うじてかわしている。燃え盛る炎が邪魔をして、朱莉や辰己の様子は見えない。だが、気配はあった。まだ生きている。
 葵が駆け出そうとした瞬間だった。
「うくっ……!」
 翔子が呻き声を上げ、失速する。
「翔子っ!」
 朱莉の叫び声の後、翔子の身体を雷撃が撃ち抜いていた。
 炎の鳥を雷が貫く。
 まさか、と思った。葵が振り返った時、既に翔子はダメージを受けていたのだ。ダメージを抱えたまま、朱莉や辰己に力を使わせぬようにウンディーネのみを集中的に攻撃していたに違いない。蓄積されたダメージに動きが鈍り、雷撃が命中したのだ。
「翔子っ!」
 朱雀となった翔子では、傷がどれだけのものになっているのか見た目では判断できない。もしかしたら、予想以上の怪我を負っている可能性がある。
 葵は翼を広げて加速し、最も近くにいた麒麟タイプの後頭部を爪で貫いた。速度を落とさず、次に近い麒麟タイプへと接近し、側頭部に蹴りを見舞う。頭蓋を砕き、絶命させると息継ぎもせずに次へ。
 麒麟型たちが葵の乱入に気付き、行動を変化させる。葵の動きを意識した陣形や行動を取るものの、基本的に攻撃対象は翔子だ。朱莉と辰己も距離を取るように動いてはいるようだが、中々思うように離れることができないらしい。ウンディーネタイプの攻撃が原因だろう。
 少年の首を引き裂き、貫き、葵は翔子を追い掛ける。朱莉たちを追うウンディーネタイプを止めるために、翔子が動いているのだ。麒麟タイプも翔子を追いかけており、戦場は移動し続けている。
 葵は舌打ちして上空に飛び上がると、翼を大きくはためかせて急降下する。隼の特徴である時速三百キロを超える最高速を引き出し、葵は一気に朱莉たちとウンディーネタイプとの間に割り込んだ。着地の衝撃を両脚と全身のバネで受け止め、振り向き様に爪を一閃する。敵の首を刎ね、もう直ぐ脇にいた一体の額を爪で貫いた。
「無事か!」
「はい、なんとか!」
 葵の声に朱莉が答えた。
「必要な荷物も持ってきています」
「上出来だ! そのまま少し距離を取れ」
 辰己の言葉に葵は返し、背後の二人を狙って迫り来る少年たちを両手の爪で引き裂いていく。
 高圧水流が葵を無視して朱莉たちへ向かうことを逆に利用して、確実に一撃で仕留めて行った。由梨の言葉通り、腕の向きで大体の攻撃範囲や方向が判る。葵は敵の予備動作を見て先に安全な場所を割り出して移動、ウンディーネタイプが攻撃を放った直後に爪などで仕留めていた。放たれた水流は操っていた主を失ったことで、ある程度の慣性は残るものの、指向性を失う。拡散して攻撃力を失うか、地面や木々を濡らす程度となる。
「これで、最後か……!」
 葵は爪で敵の額を抉り抜き、息を吐いた。
 ウンディーネタイプの最後の一体が脳漿をぶちまけて崩れ落ちる。手と爪にこびりついた汚れを振り払い、葵は周囲を見回した。洞窟があった付近からはかなり移動してしまっている。
「翔子……!」
 朱莉が葵の脇を駆け抜けていく。気付けば、翔子がいなかった。
 葵がウンディーネタイプと朱莉たちの間に割り込んだことで、翔子は麒麟型との戦闘に意識を切り替えたのだろう。逃げようとする朱莉たちを追うウンディーネタイプを殲滅するために、気付かぬうちに葵もかなり移動していたようだ。
 朱莉を追って、葵と辰己も走り出す。
「朱莉、翔子は……!」
 葵の言葉は途中で途切れた。
 辺りには、何もなかった。木々は既に灰となって風に舞ったのだろうか。焼け焦げた地面が一帯に広がっている。部分的に、地面が赤熱して陽炎と、細い煙を立ち昇らせている。
 朱莉は、焦げた大地を少し歩いたところで座り込んでいた。
 言わなくとも、判った。朱莉の肩は微かに震え、翔子を抱いている。目を閉じたまま、ぴくりとも動かない翔子を。
「そんな……」
 辰己が呟いた。声が震えている。信じられないとでも言うかのように。
 葵はただ、朱莉の背中を見つめていた。
 噛み締めた奥歯が、音を立てた。
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