第二章 「本当の世界」


 そこは、地上ではなかった。地面を屋上とするかのように、分厚い壁で地上と隔たりを造り、その下にあるのは建物の内部のような空間だった。通路があり、部屋がある、地上で見てきた建物とほとんど変わらない。ただ、その規模だけが違う。
 純はその中の通路を、一人の女性と歩いていた。いや、少女と言うべきかもしれない、曖昧な年齢だった。
 近衛 亜沙。彼女はそう名乗った。肩に届く程度で切った黒髪に、すっと通った鼻梁の、中々の美人だった。大和が呼んだ増援は彼女だった。
 あの後、純は大和を担ぎ、亜沙が誘導した。軽装鎧のパワー・アシストにより、純でも大和を担ぐ事が出来た。
 亜沙は襲い掛かる敵を全て撃破し、目標地点まで純を誘導した。その戦闘能力は大和を大幅に上回っていた。
 目標地点にあった、超大型の輸送車両は、亜沙の乗っていた大型人型兵器を数体運べるだけの貨物室を備え、更には様々な迷彩処理がなされ、完全にその姿を隠す事が出来るものだった。
 脇腹に受けた傷は、移動中に手当てがなされ、鎮痛剤のお陰で痛みはない。大和は怪我が酷かったため、ちゃんとした施設で治療がなされるのだろう。
 突き当たりのドアまで来て、亜沙は純に道を譲るように脇にどいた。そして、ドアの脇にあるパネルに手を触れ、そのドアを開いた。
 純は促されるまま中に入った。
 そこには、数多くの電子機器があり、十数人の人達がいた。大きめの部屋の、一つの面は大きなディスプレイがあり、様々な情報が表示され、それに向き合う形で配置された机の上にはコンピュータ等の機械が置いてある。そして、それを操作する人達。
「…純、だね?」
 一人の男が、機器の置いてある側から歩み出た。厳つい顔つきに、がっしりした体格の男だった。
「……何が何だか解らないよ」
 確認の問いへの返答は必要ないと判断し、純は言った。
 何故、自分の名前を知っているのか、ここは何をしているのか、そして、カルマとは何なのか。疑問ばかりだった。
「そうだろうな、君は外で育ったからな……」
 男は一つ頷き、純に視線を向けた。
「では、説明しよう。大和から少しは聞いているのではないかと思うが、今現在、世界を占領しているのはカルマを持つ者、リグノイド達だ。超高性能ナノマシン・カルマは生物の細胞に入り込み、その細胞の一部として同化する。持ち主の意思に感応し、形状を変えたり、普段の身体能力向上、治癒能力向上をしている。学校で生活していて、運動神経で劣っていなかったかね?」
「……はい」
 彼は説明を区切り、純に問いを投げた。
 それに対し、純は頷いた。学校にて、体育の時、純の運動神経は下のランクに位置していたのは事実だ。自分自身、運動神経に違和感は感じた事はないし、健康でもあったために、疑問に感じた事がないわけではなかった。
「だから、我々、普通の人間は生身ではリグノイドに勝てない。例え訓練されていても、な。そして、我々はリグノイドに追われ、ここに隠れ、抵抗している」
「……どうして、そんな事に?」
 純は言葉を区切った男に問う。
 彼の説明は、まだ、純が説明して欲しい事を喋っていない。どうしてそんな事になったのか、だ。
「カルマは、昔、人間自身が造り出したものだ。恐らく、最初は人間の身体能力や治癒力を向上させて使うものだったのだろうな。だが、それを得た最初のリグノイドは、暴走した」
「暴走?」
 純は反復した。
 人間が造り出したものであろうという事には薄々感付いていた。そうでなければ、一体どうして出来たのか説明がつかない。
「ああ、今となっては何があったかは判らんが、ファースト・リグノイド、荒海 斗雨也はカルマの移植直後、施設を破壊し、逃走した。そして、奴はリグノイドを増やし、我々を追いやった」
 そう説明する男の表情には、感情はない。説明し飽きた事なのかもしれないし、そうではなく、説明自体に感情を込めたくないのかもしれない。
「……え、じゃあ、カルマを造ったのは――」
 純は世界初のリグノイドの名前が日本人である事に気付き、口を開いた。
「――そうだ、カルマは日本が開発したものだ」

 三十年程前、精密機械に対して日本は他の国を超える技術を持っていた。実用的なナノマシンを世界で初めて開発したのも日本だった。そして、他の国がナノマシンの技術を獲得した頃、日本は先鋭的な超高性能ナノマシン――後にカルマと呼ばれる――を生み出した。その被検体に選ばれた斗雨也は、ナノマシン移植後にその施設の人間を全て虐殺して逃走。当時の政府はそれを一般公開せず、秘密裏に処理する事を決め、様々な手段で斗雨也を追い詰めるが、全てが失敗に終わる。やがて、斗雨也は完全に行方を晦ました。やがて、斗雨也はリグノイドを率い、日本でテロを起こした。応戦した自衛隊は壊滅し、国民の多くは死亡。日本はリグノイドに全てを奪われ、他の国は、争いは起こらずとも、確実にリグノイドを増やし続けている。既に主要機関の人間はリグノイドとなっており、日本の凄まじいまでの惨劇を、ちっぽけなテロとして扱い、世界の目を欺けさせた。
 生き残った日本国民は、斗雨也が姿を消してから持ち上がって来た、第三次世界大戦の懸念のために造っていた大型地下シェルターへと逃げ込み、最新の兵器を持って、抵抗した。幸いな事に、斗雨也達リグノイドはそのシェルターがどこにあり、どこに入り口があるのかまで知らない。リグノイドの戦闘能力を身を以って知っていた、逃げ延びた人々は、細心の注意を払ってリグノイドに場所を知られずに生きてきたのだ。

 純は、そう説明を受けた。
「我々は、イデアという名前を組織に付け、抵抗している」
 リグノイドに抵抗する、人間の最後の砦、それがイデアという組織なのだと言う。日本以外にそういった施設があるのかは不明だ。
「私は、ここの司令官を務めている、城山 雄だ」
 男は雄と名乗った。彼が司令官だという事は、説明を受けていた純には察しがついていた。
「一つ、訊いても?」
「ああ、どうぞ」
 純は一言確認し、告げた。
「何故、俺一人のためにこんな危険を?」
 ここまで知らされると、今度は逆にそういった疑問が生じていた。
 隠れ、潜む事でリグノイドから自らを守ってきていたはずだ。それなのに、たった一人のために、その組織の場所が知られてしまうかもしれない救出作戦を立てたのだろうか。普通であれば、ここに住む人々の安全を考え、救出をしない方が良いはずなのだ。
「君は、奈義 純というそうだね?」
 雄の言葉に、純は頷いていた。
「養子である事も知っているね?」
 一言一言確認してくる雄に対し、純は頷きだけで答えた。
 確認の問いかけをする雄の瞳は、優しい。
「君の本名は、天凪 純という。御両親は、イデアにいた」
「……!」
 雄の言葉に、純は言葉を失った。
 彼によれば、純の両親も外界――リグノイドの世界――で暮らしていたのだという。天凪夫妻は、その時点までイデアの存在を知らずにいたため、二人がリグノイドではないと気付かれてから逃げ回る生活を送っていたのだそうだ。そして、その逃走途中で純が生まれ、二人は純が追われぬようにと、道に置いて行ったのだという。
「やがて、二人とも我々が保護したが、二人とも、ずっと君の事を気にかけていたようだったよ」
「……それで、俺の両親は…?」
 穏やかに目を細め、告げた雄に、純は微かに震える声で訊いた。
「二人とも、リグノイドと戦って、命を落としてしまった」
 ただ、と付け加え、雄は純の目を見つめた。
「君の両親のお陰で、我々は何度も命を救われた。君を救出するのには、彼等への恩返しでもあるのだ」
 その視線を受け、純は何も言う事が出来なかった。
 今まで本当の両親の事はあまり考えなかった。だが、同じ時を共有して過ごした、義兄弟である敦也に襲われた純には、家族が信用出来なくなっていた。実の両親がいた事、自分の事を考えて捨てた事、想われていた事、純にとっては一度も考えられなかった事だった。それが今、唐突に突きつけられ、純の思考は停止していた。
「……これから、俺はどうなる…?」
「居住区で、一般人として暮らすか、イデアの一員として戦うか、どちらかを選ぶ事になるだろうな」
 呟いた声に、雄は答えた。
「……戦う?」
「ああ、君も見ただろう、亜沙のアサルト・アーマーを」
「アサルト・アーマー……?」
 雄の言葉を純は反芻した。恐らくは、純と大和を助けた大型の人型機械の事なのだろう。
「戦闘鎧、とも呼ばれる、人型の戦闘機械。軽装鎧と違い、段違いの性能を誇る、イデアの主力だ」
 そこで雄は言葉を区切り、純を見た。
「扱うにはある程度の才能が必要になるがな」
「このままテストしてみます?」
 純の斜め後ろにいた亜沙が雄に提案した。
「……ふむ、だが、傷の方は?」
 数瞬考え、頷いた雄だが、純が負傷している事を知っているらしく、純に視線を向けた。
「……そんなに深くはないと思うけど…」
 医療技術の水準が高いのだろう。純の傷は応急手当だけでほとんど塞がれている。止血はもう終わり、身体の内側部分に傷の痛みが残っているだけなのだ。軽い鎮痛剤を使用されているため、痛みは全くない。
「では、亜沙、暁彦には伝えておくから、連れて行ってやってくれ」
「はい」
 雄の言葉に、亜沙は頷いて応じた。
 その亜沙に促され、純は彼女の後に続いて部屋を出る。出る瞬間、一度だけ視線を後ろに投げた純は、雄が何か指示を飛ばしているのを見た。
(……戦う、ってのは、やっぱり……)
 純は、自分が、今、人生の分かれ道に立っているのだと、理解していた。戦うというのは、すなわち、相手の命を奪う事だ。リグノイドが凄まじい戦闘能力を持ち、普通の人間を敵視しているとはいえ、殺すという行為は好ましい事ではない。
 だが、純は一度、銃を撃っているのだ。傷付き、追い詰められた大和を助けるために。そして、その大和は純のために多くの命をその手で奪っている。
「……どうかした?」
 俯き、考え込んでいる純に、亜沙が声をかけてきた。
「……いや、何でもないよ」
 数瞬考え、純はそう答えた。
 いっそ、亜沙が戦いに参加している理由を聞いてみようかとも思ったのだが、出会ったばかりで流石にそれは馴れ馴れし過ぎる。それに、仮に彼女が何かしらの返答を寄越したとしても、それによって純の意思が左右されてしまっては、自分で下した決断ではなくなってしまうだろう。
 亜沙は不思議そうに首を傾げ、純の顔をまじまじと見つめた。純はその視線をどう受け止めていいのか判らず、視線を逸らした。
「――ここね、訓練室」
 亜沙の声で、純はドアに視線を向けた。
 ドアを潜り抜けると、そこはロッカールームになっていた。そして、そこには数人の人の影もあった。
「君が天凪 純、だね? 私は高瀬 暁彦、戦闘隊長を任されている。こっちは、戦闘要員の城山 康祐だ」
 その影の中の一人、最も年配の男が立ち上がり、言った。
 背の高い、無精髭を生やした男だった。青年とも中年ともつかない、その境目のような年恰好だった。それでも体躯は引き締まっているようで、やや細めの顔とはバランスが取れている。髭を剃ったら中々格好良いかもしれない。
 暁彦の斜め後ろ辺りにいたのは、城山 雄の息子だという、康祐だった。純と同い年くらいの年恰好で、純よりも活動的な印象を受ける。
「まずは、アサルト・アーマーの説明をしておこうか。その後で実際に乗ってもらって、適性を見る」

 暁彦の説明によれば、アサルト・アーマーには機械を操縦する技術はあまり必要ないらしい。
 マインド・フォロウ・システム、名前の通りの、『精神追従機能』が搭載されたアサルト・アーマーは、搭乗者の神経パルスを受信し、機体を搭乗者の思い通りに動かすというのだそうだ。ただ、これには操縦適性が必要とされ、全員が操縦可能ではないとの事。動かす事は出来ても、戦闘に用いるような動きは不可能だが、その分機体の性能や機動力は通常のリグノイドを凌駕する。
 また、アサルト・アーマーは戦闘鎧という別名があるだけあって、戦闘に関しては臨機応変な対応が出来る。例えば、機体の各ブロックが換装可能で、用途によって機体の武装だけでなく、スタイルそのものを変える事も出来るのだ。
 今現在、純が乗り込んだのは訓練用アサルト・アーマーで、見た目に特徴が乏しいものだった。装甲色は白っぽいグレーで統一され、軽装鎧をそのまま大きくしただけのような印象を受けた。
 純は、アサルト・アーマー操縦用のサポート・スーツというものを身に付け、訓練用アサルト・アーマーの操縦部に座っていた。ゴムに近い質感のサポート・スーツは、耐弾・耐衝撃性が高く、アサルト・アーマーの戦闘機動操縦時に身体にかかる負担を軽減し、操縦をし易くするためのものだ。
 頭部には、後頭部辺りの操縦部位からヘッドギアのようなものが回され、丁度ゴーグルのように純の顔にセットされている。両腕は、肘から先がアーム・ボックスと呼ばれる操縦部位に突っ込まれ、脚部も同様に、膝から下がレッグ・ボックスと呼ばれる部分にはまっていた。ヘッドギア同様に、上方から回されたボディ・アーマーは、身体を固定する目的もあるのだろう。
 視界はメック・スーツの時に近い感じだが、しかし、こちらの方が明瞭に視界が確保されている。ウィンドウが視界の四隅に映っているのは変わらないが、半透明になっており、視界を広く保っている。
「歩けるかね?」
 ヘッドセットをつけた暁彦が視界の隅で言った。声は耳元から聞こえている。
 純は、搭乗前に暁彦に言われた事を思い出しながら、脚を前に出す事をイメージした。搭乗前、彼は純にこう言ったのだ。
「身体を動かすつもりでやれば動く」
 果たして、機体はその通りに右足を前に出し、床に着いた。
 ずしっ、とした重さを、純は感じた。それは、本来であれば身体全体で振動として感知するものだったはずだが、今の純には、自分の脚の裏からの感覚として感じていた。
「どうだ? 何か感じたか?」
「なんだか、本当に自分の身体みたいな感じがした…」
 暁彦の言葉に純は率直に答えた。
 移動した位置から、純が自分の首を動かそうとすると、アサルト・アーマーの首が動き、視界を動かしている。そして、純自身の首は動いていないのだ。まるで、自分の身体が二重になって、外側にしか命令を出していないような、変な感じだ。
「そうか……じゃあ、少なからず適性があるな…」
 暁彦は小さく呟き、それじゃあ、と純が中に入ったアサルト・スーツに視線を向けた。
「走ってみてくれ、それから、ジャンプも」
 その指令に、純は数歩下がってから、駆け出した。
 生身の身体への神経が途切れて、アサルト・スーツの駆動回路と繋がったように、機体は走り、跳躍し、着地した。戦闘用のためか、その動きは生身の時のものとはレベルが違った。走る速度は思い通りに変化させられるし、跳躍や着地の力も思い通りなのだが、その基本値は、アサルト・アーマーを生身の大きさに縮小したとしても数倍はある。
「……すごい適性値だな…」
 暁彦の呟きが聞こえた。
「模擬戦でもしてみるか…?」
「……模擬戦?」
 純は、暁彦の言葉を反芻した。
「ああ、訓練用にペイント弾を使うものだ。康祐、準備してくれ」
 結局、模擬戦をする事に決まったようで、純のアサルト・アーマーにはペイント弾の装填された拳銃が手渡された。
 向き合うように立つアサルト・アーマーは、純が乗っているものと全く同じものだ。訓練用アサルト・アーマーが、同様の装備で向かい側に立っている。
 先にペイント弾を命中させた方が勝ちという単純なルールだ。暁彦と亜沙は訓練室の監視室に退避し、模擬戦の様子を見ている。
「先に言っとくが、素人に負ける気はないぞ」
 康祐からの言葉が、耳元の通信機から聞こえた。
「まぁ、そんなすぐに勝てるとは思ってないさ」
 挑発的な言葉に、純はそう応じた。
 そう、簡単に勝てるとは思っていない。戦闘要員として訓練を受けているだろう康祐や亜沙を、素人の純が簡単に倒せてしまってはいけないはずだ。
「よし、始め!」
 暁彦の一言が引き金となって、純は横に跳躍すると同時に、康祐に銃口を向けた。
「……速い…!」
 康祐が舌打ちするのが、耳元の通信機から聞こえてきた。
 彼の機体は横へと跳んでペイント弾を回避し、純の方へと銃口を向けた。空中にいる純は、その手を天井に着いて押し返す事で回避行動を取る。着地と同時に横に駆け出し、拳銃の引き金を数回引いた。
 ぱすぱすと情けない音と共にペイント弾が銃口から放たれる。康祐はそれを移動の向きを細かく変える事で回避し、反撃をしてきた。
「わっ!」
 純は咄嗟に後方に飛び退いた。走っていた方向への力を強引に捻じ曲げ、機体が直角に移動する。慣性からか、純は身体が引き寄せられるような感覚を覚えた。
「……本気で行くぜ!」
 その宣言と共に、康祐の鎧が床を蹴った。
 純の射撃を跳躍して避けた康祐が、頭上から銃口を純に向けた。
「――!」
 純以外の、その場にいた者が息を呑んだ。
 ぱしゃりと音がして、康祐の鎧に赤い色が付着した。純は横に身を投げ出して、康祐に銃口を向けたまま倒れていた。

 アサルト・アーマーから降りた純と康祐は、ロッカールームで着替えを済ませた。
「結果としては、トップクラスの適性だ。流石は天凪の息子だ」
「…まさか、俺の両親は……」
 暁彦の言葉に、純は驚いたような表情を向けた。
「ああ、戦闘要員だった。それも、トップレベルの適性でな」
 純には返す言葉がなかった。
 顔も見た事がない両親が、アサルト・アーマーに乗り込んで戦っていたというのは、不思議ではなかったし、予想出来た事でもあった。雄は、何度も助けられたと言ったのだ。それは、戦闘に参加していたというのと同義だ。
「戦闘要員としては、是非欲しいところだが……」
 暁彦の隣で康祐が不機嫌そうに純から目を逸らしている。今日、アサルト・アーマーに乗ったばかりの素人に倒されてしまったのだ。戦闘要員として戦った経験があるのもとしては悔しい事だろう。
 暁彦は素直に関心しているし、亜沙の態度は余り変わっていない。
「決めるのはあなたよ」
 その亜沙が暁彦の言葉を継いだ。
 アサルト・アーマーへの適性がある、というのは判断材料に過ぎない。戦闘要員としてイデアに参加するという選択肢が示されただけで、他の選択が不可能になったわけではないのだ。
 純には一般人として暮らす権利もある。それを決めるのは純自身であり、他の者が強制する事ではない。
 その辺の事はイデアの中では常識のようで、適性があるという理由で、強引に戦闘要員にさせようという意思はないらしかった。
「…ゆっくり考えて答えを出せば良いわ」
 亜沙が柔らかな笑みを浮かべて純に言った。
 言葉の見当たらなかった純は、それにただ頷いただけだ。
「亜沙、部屋まで案内してやってくれ」
 暁彦が言い、亜沙は頷いた。そして、先にロッカールームを出て、純を促す。
 純はロッカールームから通路に出て、亜沙の後について行った。
「イデアのメンバー用区画の空き部屋を使ってね。結論が出てからちゃんとした住居は考えるみたいだから」
 亜沙が言い、純は頷いた。
 今後、純がどうするかを決めるまでは、いつでも返事が聞ける近くにおいておくという事なのだろう。イデアに入るのであれば、そのままその部屋が純の部屋になるのかもしれない。
「とりあえず、今日はもう疲れたでしょ? 明日は居住区に連れて行ってもらえると思うわ」
「居住区?」
 部屋の前まで来て、亜沙は純に向き直ってそう言った。純は、いきなりの言葉に、目を瞬かせた。
「ええ、戦闘適性を見るだけじゃ、片方の面しか見れないもの。ちゃんと、一般人としての生活空間も見ないと、判断材料としては不平等でしょ?」
「ああ、そういう事か」
 純は納得して頷いた。
 確かに、地下に生活空間を造っている中で、一般人がどういう場所に住んで、生活しているのかは知っておかねばならないだろう。ここはもう、外の世界と違うのだ。
「じゃあね」
 そう言って、純の返事を待たずに亜沙は来た道を引き返して去って行った。
 それを見送ってから、純は自動ドアを潜って部屋の中に入った。寝るためのベッドと、机に、クローゼットが一つずつ。空き部屋にしては、掃除が行き届いた部屋だった。純は部屋の中に入った後、ベッドに倒れ込んだ。様々な事があって、疲れていた。


 翌日、丁度純が目を覚ました直後、一人の少女が部屋に入ってきた。それも、ノックもせずに。
「おはよーっ!」
 元気良く挨拶するその少女に、純は呆気に取られていた。
「おい、いきなりノックもせずに入るなよ、深玖!」
 後から部屋のドアから顔を出したのは康祐だった。
 純と視線を合わせると、気まずそうに視線を逸らす。
「あー、ごめんごめん」
 少女は照れたような笑みを浮かべて純に頭を下げるが、純はどうして良いか判らず、ただ少女と康祐を交互に見ていた。
「……一体、何さ?」
 ようやく純が言うと、康祐が入り口の壁に寄りかかって苦笑を浮かべた。
「居住区の案内任されててさ、そいつは俺の妹の深玖ってんだ。元気ばっか良くてな……」
 困ったような顔をする康祐に、純はようやっと納得した。
 深玖と呼ばれた康祐の妹は、恐らく染めたのであろう茶髪をポニーテールにしており、半袖のシャツと赤いミニスカートを来ていた。美人というよりは可愛らしい方だろう。歳は見た感じでは純よりも二つ程下のように思えた。
 一方の康祐はややシワの寄ったシャツと、ジーンズという格好だった。髪の毛が不自然に跳ねているのは寝癖だろうか。
「ああ、そういう事か」
「道案内はもう一人いるんだけど……」
 康祐が寝癖を手で掻きながら言った。
「相馬 瑠那って言うんだよ」
 深玖が笑顔で言う。
 その彼女は部屋の外で待っているらしく、部屋の中からは見えなかった。
「朝食はどうするんだ?」
 純はベッドから起き上がりながら康祐に問い、クローゼットから紺色のジャケットを引っ張り出して羽織った。それは純がここに来た時、つまり昨日着ていた唯一の上着だった。
「外で食べる事になってるの」
 康祐に聞いたつもりだったのだが、返答したのは深玖だった。
「準備は出来たな、行くぞ」
 康祐が深玖を促して部屋の外に出て、続いて純が通路に出た。
 入り口脇の壁に腕を組んで一人の女性が寄りかかっていた。黒い長髪を首の後ろでまとめて垂らしている、背の高い、大人びた女性だった。純が出て来た時、閉じていた目を開き、彼女は純を一瞥した。かなりの美形で、落ち着いた服装がその品の良さを際立たせていた。
 恐らくその女性が相馬 瑠那なのだろう。
「……何でこのメンバーなんだ……?」
 康祐がぼやいたが、意味の解らなかった純は何も言わなかった。
 そのままイデアの施設のエレベータに乗った純は、そこから見える外の光景に言葉を失った。
 イデアの施設は、この地下世界の中心にあり、天井にまで届く程の建物だったのだ。そして、天井のある空には照明があり、地下都市を照らしていた。周囲の街並みはほとんど外の世界と変わりないものに見えた。ただ、少しばかり窮屈そうな印象を受ける。
「地上には普通の人は出れないように、出入り口とイデア本部の建物が一体化してるんだよ」
 深玖が純に説明してくれていた。
「今も少しずつだけど、地下の敷地も拡大してるんだよ。人口は増えてきてるから」
 純は深玖から再度外の景色へと視線を向けた。
「ここが、人類にとって最後の砦なんだ」
 瑠那がぽつりと呟いた。
「これが、この組織の守っていたもの……」
 純は景色を見下ろしながら呟く。
(――そして、俺の両親が守っていたもの……)
 後に続いた言葉を飲み込んだ純は天井を見上げた。
 青空はなく、照明のついた無機質な装甲に覆われた天井があった。今までの人生を地上で過ごしてきた純には、何だか不思議な光景だった。
 エレベータが最下層に着き、四人はエレベータを降りて建物を出た。
 正面には大きな道路が通っていた。エレベータから見た光景でも、かなり大きなイデアの建物を中心に地下の空間の端に至るまでの大通りが走っていた。恐らくは様々な状況を配慮しての道路配置なのだろう。他の部分には大通りから横に道が分かれるようにして伸びていた。
 イデアの建物は、天井の辺りが最も大きく、そこから少しずつ細くなるように下に伸び、地上に近付くにつれてまた大きくなるような形状をしていた。天井近辺には、司令室や訓練室等があったため、大きくなっているのだろう。
「まずは飯だな……」
 そう言うと康祐はイデア基地の近くにある建物へと純を案内した。
 建物には、『Near』と書かれていた。恐らくはそれが店の名前なのだろう。中に入ってみると至って普通のレストランのように見えた。もっとも、地上で暮らしていた純の見てきた『普通』だったが。
 どうやら、地上と地下では普段の生活は余り違いはないらしい。
「俺、金持ってないぞ?」
 席に着いてから気付いた純は、それを三人に向けて訊いた。
 純の隣に康祐が、向かいには深玖が座り、その隣に瑠那が座っている。
「食事は今回、イデアの必要経費で出るから気にしなくて良いよ」
 深玖がにこにこしながら答えた。
「まぁ、ここを守っている組織だからな、そういった事も含めて色々援助して貰っているわけだ」
 頬杖をついて、康祐が補足説明を加える。
 ウェイターに料理を注文し、純は近くの窓から外を眺めた。
 イデアの基地に続く大通りに向かう車はなく、手前で脇に逸れて行くものがほとんどだった。恐らく、イデアの関係者はその半数以上が基地内部で暮らしているのだろう。そう考えればイデアの建物に人の出入りないのも頷けた。
「……あまり、変わらないんだな」
 運ばれてきた料理――純の頼んだのはサンドイッチ――を齧りながら、純は呟いた。
 料理や建物だけではなく、雰囲気も地上にいた頃と余り変わりがなかった。ただ、空が見えない事と、建物の密度が違うだけで。
「何が?」
 意味が解らなかったのだろう深玖が首を傾げて訊いてきた。
「いろいろと、ね」
 建物の外へと向けていた視線を深玖に向けて、純は答えた。
 数種類あるサンドイッチの味も、地上で食べたものとほとんど変わらない。地上では、自分の身体を変形させる事の出来る者がいるというのに。
(結局、人間なのか……)
 純は思った。リグノイドとてやはり人間なのだろう、と。
 そう思うと、戦いたくないという気持ちが増えて行く。だが、それとは別に、リグノイドの裏の面、否、素顔を垣間見た純には、深い溝がある事も理解していた。
 今までは義兄弟として一緒に生活を送っていた敦也は、純が普通の人間である事に気付いた時、本気で殺そうとしていた。それは、例え今まで家族として暮らしてきたものでも、普通の人間は、リグノイドにとってイレギュラーなのだ。
 そして、それは普通の人間同士でも同じ事だ。嫌いな奴はとことん嫌いで、解り合う事は出来ないという、人間そのものでもあった。
(俺の両親は、どう思ってたんだろう……)
 純は、落としていた視線を再度窓へと向けた。
「どうしたの?」
 深玖が菓子パンを齧りながら純に訊いてきた。
「ん、いや、ちょっとね……」
 首を軽く横に振り、純は手に残っていたサンドイッチを口に放り込んだ。
 セットになっていた紅茶のカップに指をかけ、口の高さまで持ち上げる。その水面は手から伝わる小さな振動を波紋に変えていた。揺れ動く面を数秒眺めてから口をつけ、喉を潤す。それほど熱くはなかったのが、余計に純自身の心境のように思えた。
「もしかして、まずかった……?」
 恐る恐るというように、深玖が不安げな表情で純を見つめた。
「いや、美味かったよ」
 苦笑を浮かべて純は答えた。考えすぎて暗い表情になっていたようだ。
「……考えていたんだろう、今後の事を」
 コーヒーを一口飲んだ瑠那の告げた言葉に、純は一瞬身体が硬直したのを感じた。
「あ、ああ…」
 驚きながらも、純は頷いた。
 心でも読めるのだろうか、すごい洞察力である。もっとも、純の行動が分かり易かっただけかもしれないが。
「今は決断を焦る必要はない。あまり考え込まずに周りを見ておいた方が良い」
 自然な口調で言い、彼女はコーヒーに口をつけた。
 純は何も返せず、仕方なく紅茶を一口飲んだ。それで飲み終えたカップを置き、ふと、純は隣にいる康祐に視線を向けた。康祐は欠伸をした後、オレンジジュースを一気に呷っていた。
「……なんだよ」
「いや、別に」
 康祐に答え、続いて純は深玖に視線を向けた。
 深玖はミルクティーのカップを両手で包み込むように掴み、ちびちびと飲んでいた。ホットなのかもしれない。
「後はお前だけだぞ、早く飲んじまえよ」
 それを見た康祐が深玖に向けて言った。
「……えー」
 深玖は眉を潜めて抗議の声を上げるが、それでも飲むペースを速めようとはしない。
「えー、じゃねぇよ。悪ぃな、天凪」
 前半は深玖に、後半は純に、康祐は言った。
「純で良いよ」
 天凪、と呼んだ康祐に、純は苦笑を浮かべて答えた。
 今まで知らなかった名字で呼ばれても、何だかしっくりこなかった。かといって、今まで使っていた奈義、という名字もあまり好感は持てていない。結局のところ、自分を示す指標は、今の純にとってはその名前だけだった。
「そっか、俺も康祐で良いからな」
 首肯し、純は深玖に視線を向けた。
 ミルクティーを飲み終えたようで、満足気な表情で深玖が微笑んでいた。
「じゃあ、行くか」
 それを見て、康祐が立ち上がった。
 続いて瑠那、純、深玖の順で席を立ち、出口へと向かった。
 レジのところで康祐が一つのカードを店員に渡し、それを読み取った店員からカードを返してもらい、支払いを済ませ、四人は店を出た。深玖が言っていた事を考えると、恐らく、康祐の提示したカードは、イデアから資金を引き落としているのだろう。
「それで、どこに行くんだ?」
 純は康祐に向けて尋ねた。
 この地下世界は、純にとっては全く知らない土地なのだ。
「あー、広場にでも行ってみるか」
 康祐が言う。
「行ってみるか、って……もしかして決まってないのか?」
「実は、な。ただ外を見せてやれって言われただけだし」
 頬を掻きながら答える康祐に、純はどう対応していいのか分からなかった。
 結局、純達は広場と呼ばれているらしい場所へと来た。そこは他の場所と違い、地面には土があり、木や草が生え、ベンチや池などがある公園風の場所だった。
 その一画のベンチに、純、康祐、深玖はその順で腰を下ろしていた。瑠那はベンチの近くにある木に背中を預けるように寄りかかり、腕を組んで立っている。
 純はベンチの背もたれに思い切り背を預け、天を仰いだ。自然的な部分のある場所から見上げる無機質な装甲の天井は、何だか妙な気分だった。
「ねぇ、純」
 深玖の声に、純は体勢を元に戻して顔を向けた。
「地上での生活ってどうだった?」
「……いきなり、何?」
「駄目? 聞きたかったんだけど、地上の様子……」
 深玖がまた不安げな表情で純を見つめた。
 それを見て、純は、納得した。地下で暮らしてきた彼女には、地上での普通の生活がどうなっているのか知らないのだ。知りたくなるのは当然の心理だろう。
「別に構わないよ。地上での生活か……」
 数瞬考え、純は口を開いた。
「あんまりここと変わらないんじゃないかな。俺の場合は高校に行って、授業を受けて、友達と話して、家に帰って飯食って、家族と話して。多分、一番違うのは空が見えた事かもしれないな」
 純は語った。お世辞にも上手いとは言えない語りだっただろうが。
 学校でのつまらない授業中に見上げた空は、毎日違うものだった。晴れ、曇り、雨、雪、それぞれの天気に、雲の形や量の違いがあった。例え曇りや雨、雪だとしても、だ。そして、夜に家の自分の部屋の窓から見上げた空。暗くても、真っ黒ではない空の色に、散りばめられた星の輝き。
 純は地上での、今までの生活を語った。
「……ここじゃあ、空は眺められそうにないな……」
 語り終えた純はそう呟いて天井を見上げた。
「そっか、色々あったんだね……」
 深玖が言い、純は小さく頷いた。
 今までの様子からもっと色々と言ってくる事を予想していた純は、一言しか感想を述べなかった深玖の素の部分を見た気がした。
「なぁ、皆は何でイデアにいるんだ?」
 今度は純が疑問を口にした。
 それだけは今日のうちに聞きたいと思っていた事だったし、純の今後を考える上でも重要な事だった。
「……俺は親父の影響だろうな。ここにいる人間が、いつか地上に戻れる世界にしたいから、いや、俺が地上で生活したいんだろうな、きっと」
「私も地上で暮らしてみたいし、ここの人達も守りたいから」
 康祐と深玖が先に答えたが、瑠那は無言だった。
「ほら、瑠那は?」
「……私はそうすべきだと思ったから」
 深玖に促され、瑠那は一言だけ告げた。
 心情を推し測る事の出来ない口調と言葉。何を思い、何がきっかけかすら、瑠那は語らなかった。だが、純はそれならばそれで良いと思った。話したくないのであれば、無理に訊こうとは思っていなかったからだ。誰にでも触れられたくない事はあるのだから。もっとも、瑠那に触れて欲しくない事があったかどうか判らなかった。
 ふと、気付けば広場には人の姿があった。数人の男女が談笑しながら歩いていたり、子供達が遊んでいた。
 外で襲われた純には、平穏な光景に見えた。恐らくは、危険が来ないと安心しきっているのだ。
 そして、これらをイデアが守っているのだと、純は改めて確認した。

 純はイデアの一室の前に立っていた。そこでは大和が傷の治療をしているはずだ。
 ノックをしてから病室に入った純は、その中に先客がいた事を知った。
「……近衛?」
「亜沙で良いわよ、天凪君」
 彼女は大和のいるベッド脇の椅子に座っていた。
「それなら俺も純で良いよ」
 亜沙が頷くのを確認してから、純は視線を大和に向けた。彼は起きていた。
「街を見てきたようだな」
 大和の問いに純は頷いた。
 ドアを閉め、亜沙とは反対側の位置に立つ。椅子がなかったため、背後の壁際に立ち、背中を預けた。
 大和は傷を受けた左肩と腹部に包帯を巻かれていた。布団がかかっていて見えないが恐らくは左足にも包帯を巻かれているのだろう。
「実は君の会話は全てイデアの主要人物には筒抜けだったんだ。私と亜沙も君達の遣り取りは聞いていたんだ」
「……まぁ、良いよ、別に大した事じゃないし」
 純は苦笑を浮かべ、肩を竦めて見せた。
 いつかは話す事かもしれないと思っていた事でもあったため、純はその手間が省けたと考える事にした。別にプライベートな事情も話していなかったため、特に気分を害する事もなかった。
「それより、傷の具合はどう?」
「あぁ、大分良い。集中治療されたお陰で表面的な傷は治癒している。とりあえず明日には仕事に戻れるだろうな」
 大和は純に軽く笑みを見せた。
 彼の傷は、左肩と左腿の深手よりも、腹部のダメージが深刻だったと聞いていた。軽装鎧の内部機器と装甲の一部が腹部に食い込んでいたらしく、他の二箇所と合わせて出血が酷かったのだ。恐らく、今は失った血を回復させている段階なのだろう。
「……決心はついたのか?」
 大和の問いに、純は静かに頷いた。
 何故、その決心を、イデアの司令官である城山 雄ではなく、それよりも先に大和に聞かせに来たのかは、純自身もよく解らなかった。ただ、彼が純のために負傷したのである事は明白だ。そのため、純は彼への見舞いはしたいと思っていたから、そのついでだと思う事にしていた。
「――イデアに入ろうと思うんだ」
 一度、誰にも気付かれないように小さく息を吸い、純は告げた。
「俺の知らない両親が、何を思ってイデアで戦っていたのか、俺は知りたい。勿論、本人じゃない俺だから同じ考えにはならないかもしれないよ。けれど、同じ事をやってみれば、少しは解るかもしれないから。両親の事だけじゃなくて、色々と」
 両親の事を、どんな人だったのかすら純は知らない。イデアに入り、そこで戦う事で両親に近づけるかもしれないと、純は考えていた。
 そして、それだけではなく、純自身が見失ったものも取り戻せるかもしれなかった。どう生きていくのか、つまり、将来の事。更に、言葉として言い表す事の出来ないものも新たに見付かるかもしれない。
 だが、純には別の目的も思い出していた。
(隆一……お前は戦闘に出てくるのか……?)
 学校であっさりと別れた、親友の隆一。彼だけは他のリグノイドが純を襲おうとする中、純を見逃したのだ。それが演技だったといえば、その可能性は否定できない。だが、純にはそれが演技とは思えなかった。
 純が戦闘要員として前線で戦えば、いつか隆一に会えるかもしれない。そうなった時にどうするのかは判らないが、それでも会いたかった。あっさりとし過ぎた別れが、隆一には何か考えがあるのではないかと純に思わせたからだ。
「命を奪うとしても、か?」
「……抵抗はあるよ。けど、俺は外にいたから、それらがどうなっていくのか、気になるよ」
 大和の指摘に、純は少し考え、答えた。
 まだ戦闘要員になると決まったわけではないが、恐らくは戦闘要員にさせられるだろう事は予測出来た。純の戦闘鎧適性検査の結果は、前線に出させるのには十分過ぎる程高い数値だったからだ。
 それに、純は一度引き金を引いていた。純を助けるために多くのリグノイドを殺めた大和を助けるために。
「リグノイドを討つ時は躊躇うんじゃないぞ」
「解ってる」
 純は頷く。
 躊躇えば殺されるという事は、身を以って体験しているのだ。大和を助けた時、純は躊躇いを強引に捨て去った。そうしなければ大和は殺されていたのだ。躊躇えば、殺されるのは自分だけではない事を純は理解していた。
「じゃあ、俺はそろそろ部屋に戻るよ」
「城山、司令の所へは行かないのか?」
「後で行くよ。あの後三人に街中引っ張り回されたのも知ってるでしょ?」
 苦笑し、純は答えた。
 広場での会話の後、純は三人、主に深玖に街中を引っ張り回された。純の持ち物は全て地上に置いて来てしまっていたため、衣服などを購入したのは良かったのだが、深玖も服を選び始めて数軒の店を回り、途中で康祐が止めなければ純はまだ戻っていなかっただろう。
 また、衣服店の他にも様々な場所を連れまわされた。もっとも、ここは純の知らない土地だったため、厭な事ではなかったが。
「なるほど、荷物か」
 笑みを浮かべた大和に、純は頷く。
「荷物を置いたら司令室に行くよ」
 そう言い、純は壁から背を離した。
「私もそろそろ行くわね」
 亜沙が言い、席を立った。
 純が部屋を出て、通路脇に置いておいたバッグを掴んだ所で亜沙が通路に出て来た。バッグは街中を連れまわされていた時に購入したもので、その中には購入した数着の衣服を入れてあった。
「足、疲れてない? ごめんなさい、私だけ椅子に……」
「俺が後から来たんだから気にしなくて良いよ」
 亜沙が謝るのを、純は制した。
 自然と並んで歩く状態になった。恐らくは彼女の向かう場所が純の向かう場所と道が同じなのだろう。
「亜沙は、どうしてイデアにいるんだ?」
 純はふと、尋ねた。
「……実は私、三年前まで地上で暮らしてたの。両親はここに来る前に殺されて、私は大和さんに助けられたの。私は、あの時の思いを、ここの人達にさせたくないから」
「……悪い事訊いちゃったかな…」
 亜沙の言葉に、純は気まずそうに視線を逸らした。
「ううん、いいの、気にしないで」
 小さく微笑む亜沙に、純は頷く事しか出来なかった。
「ところで、方向同じだけど何かあるのか?」
 純は半ば話を逸らすように、尋ねた。
「司令室に通信用ヘッドセットを一つ持っていかなきゃいけないのよ。だから倉庫に一度取りに行かないといけないの」
 どうやら司令室の備品が壊れたらしく、それを補充しに行くのだそうだ。
 倉庫は訓練室と同じ階層にある。訓練室は、戦闘鎧の動き回れる空間を用意するために部屋自体がかなり大きく、五階分程の高さを持っている。そのため、イデアの建物の最上階、地上と接する天井壁に固定する形で存在している。訓練室の存在する階層で余った部屋が、大きさ的に倉庫とされているらしい。
 途中で亜沙と別れた純は、仮の自分の部屋に荷物を置くと、またエレベータに乗って司令室のある階層へと向かった。
 純が倉庫の前を通りがかった時、ドアは開いたままだった。恐らくは中にまだ亜沙がいるのだろう。
「あれ、アサルト・アーマーだよな?」
 開いたドアの向こうにそれが見え、丁度ドアの中から出てきた亜沙に純は尋ねた。
 それは紛れも無く、アサルト・アーマーだった。ただ、今までに純が見た、亜沙のものとも、訓練用のものとも異質なデザインだった。部屋の中が暗くて良く見えなかったが、全体的に線の細い、シャープなデザインだった。
「それは失敗作なのよ。マインド・フォロウ・システムを初めて搭載したアサルト・アーマーの試作機であり、零号機。誰が乗っても戦闘機動が出来なくて、解体するのも勿体なくてお蔵入りしてるの」
 戦闘機動というのは、文字通り戦闘用の行動の事で、これがなければリグノイドと戦う事は困難を極める。戦闘鎧には歩いたり走ったりするだけでなく、背部バック・パックに搭載されたスラスタによる加速や突撃、滞空行動等があるのだが、それらが使えない場合、戦闘能力は明らかに低下する。
「動かないのか……」
「動かせないのよ……。どんなに適性が高い人でも、無理だったらしいわ。あなたの御両親にも無理だったそうよ」
 ヘッドセットと接続用コードを片手に持った亜沙が倉庫のドアを閉めながら言った。
「そういうのもあるんだな……」
 それを聞き、純は呟いた。
 恐らく亜沙も扱うのは無理だったのだろう。両親が無理だったのであれば、その息子である純も可能性は薄い。
 初めて造られたというだけあって、やはり解体し辛かったのかもしれないと、純は思った。
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