第五章 「終わらない危機」


 鈍い痛みに促されるように、純は目を開いた。
 薄白い医務室の天井が真正面に見えた。鈍痛を訴える身体の各部を、その感覚で感じ取り、純は自身の怪我の度合いを確認する。
 左腕と右肩、右足に包帯が巻かれているのが解った。特に左腕の痛みが強く、それだけでなくとも全身打撲といったところだろう。それでも、動ける程には回復しているようだった。
 上体を起こし、純は周囲を見回した。身体には包帯が巻かれ、真新しいランニングシャツと、安物のズボンを身に着けていた。
 医務室内に並んでいるベッドの中でも、純は一番奥に寝ていたらしい。それに加えて、寝ていたのは純だけのようで、他のベッドは丁寧に整頓されている。
(……どうなったんだ……?)
 その周囲の様子を見て、純はベッドから降りた。
 足が多少痛んだが、歩けない程ではない。他の傷も、普通に身体を動かすのに支障はなかった。
 通路に出た純は司令室と格納庫どちらに向かうか迷った結果、司令室へと向かう事にした。戦力の確認ならば司令室でも見られるはずだと思ったのである。
 そうして、司令室に辿り着いた純は直ぐにドアを開けて中に踏み込んだ。
「――純! 気が付いたか!」
 雄が純に気付き、歩いて来る。心なしか表情が明るい。
「どうなったんですか?」
 純は口を開いた。
 雄だけでなく、司令室にいた全員が純に注目し、笑みを浮かべている。
「君が斗雨也を倒してくれたお陰だ。こちらの被害も大きかったが……しばらくは奴等も来ないだろう」
「被害……? 状況は……?」
 雄の言葉に、純は問い返した。
「うむ、君が斗雨也を倒した後、敵は一時的に激しく抵抗した。そのお陰で全アサルト・アーマーが破壊されてしまったのだ。もっとも、死者はほとんどいなかったが」
 斗雨也が死んだ事でリグノイドの統制が乱れたために、一時的に錯乱したのかもしれないと、イデアは推測したらしい。そうして、その時に主力の純や暁彦達も戦闘不能状態になっていたために、アサルト・アーマーは全て戦闘不能に追い込まれたのだそうだ。戦闘不能に追い込んだにも関わらず、リグノイドは止めを刺さずに逃走したとの事だった。
 その雄の説明を聞いて、純は斗雨也本人の攻撃を凌げた事に安堵した。
「……俺はどのくらい意識がなかったんです?」
「丸一日は眠っていた。だから、一昨日、君は斗雨也と戦ったんだ」
 雄の返答に、純はただ頷くしかなかった。
「そういえば、皆は?」
「皆、自分の思い思いの形で休んでいるよ。君程ではないが、皆、負傷したからな」
 純の問いに雄が笑みを浮かべて答える。
「……大和さんは?」
 仲間の事を訊いて、純は思い出した。
 その疑問に、雄の表情が少し硬くなったように見えた。
「……大和は…助からなかった。昨日、君の意識がない時に、息を引き取った」
「……そう、ですか……」
 雄の言葉に、純は俯いた。
 涙は、出ない。それでも、何か重苦しいものが圧し掛かったように、純は感じた。
「大和は、行動力と決断力に優れた良き友だった。今、イデアの主力となっている君達五人は少なからず彼に影響されている」
 純は、その言葉に何も答えられなかった。
 大和は、イデアの中でも重要な人物だったのだろう。主力五人とは、恐らく純、亜沙、康祐、深玖、瑠那の五人の事だ。
「……今日は、ゆっくり休みなさい。斗雨也を倒して、我々も休息出来るのだからな」
「……そうします」
 小さく笑みを返し、純は司令室を後にした。
 自分の部屋へ向かいながら、純は思う。一度に色々な事があり過ぎて、イデアの中でも混乱しているのかもしれない。だが、それが生じているのも、純が斗雨也を倒したという成果があっての事だ。
 耕太の死、大和の死、そして、斗雨也の死。
 特に純の心を締め付けたのは、耕太の死だった。無論、それと大和の死は繋がっている。
 イデア司令の雄は、大和の事を純が尋ねた時、その原因となった耕太の事には触れなかった。純が耕太を撃った事を配慮しての事か、耕太が斗雨也の策略で送り込まれていたからなのかは、判らない。
 他の人達は耕太を、大和をどう思うのだろうか。
 斗雨也の策略に乗ってしまっていた大和を、罵る者がいないとは言い切れない。たとえ大和が信頼されていても、その信頼が崩れる事だって有り得るのだ。いや、崩す事の方が簡単なのだ。
 リグノイドである耕太も、イデアに入れるべきではなかったと言う者がいるかもしれない。たとえ耕太のお陰で命を救われた者がいるとしても、現実に斗雨也に操られていた耕太を目の当たりにしてしまえば、その意思を信じる事は難しい。それが本当に耕太の意思だったのか、確定出来る証拠は何も無いのだ。
 だが、耕太には耕太自身の意思があったと、純は思う。純の初出撃の時、会話を交わした耕太は、居場所を失うのを怖がるただの子供だったのだ。
 自分の部屋に戻り、上着を着込んだ純は食堂へ向かった。丸一日何も食べていなかったために、空腹だった。
 食堂には、食事をしている者は誰もいない。時間的なものもあるのだろうと思いながら、軽い食事を頼み、純は一人端の方で食べていた。
「……純?」
 不意に掛けられた声に、純は視線を向ける。その視界に入ったのは亜沙だった。
「気が付いたの?」
「…少し前にね。さっき司令室に行って色々聞いて来たところ」
 純に歩み寄って来る亜沙に、食事をしながら答える。
「……やっぱり、大和さんの事?」
「……それもあるけど、どうして?」
 頷いて、純は問い返す。
「私も、ショックだったから。前に言ったでしょ? 私も大和さんに助けられて地下に来たから」
「……そっか」
 返す言葉が見当たらず、純はぎこちなくそう答えた
「……ねぇ、純はこれからどうするの?」
「え?」
 亜沙の言葉に、純は思わず訊き返していた。
「斗雨也を倒したから、皆、休みを取っているのよ。康祐や深玖は街に出てるし、他の人達もほとんどが交代で休暇を取ってるの」
「そうか、だから他に人を見かけなかったのか……」
 いつもより圧倒的に人が少ない事に純は納得した。
「亜沙は、出ないのか?」
「私は、元々地上で暮らしてたから」
 純の問いに、亜沙は曖昧な笑みを浮かべて答えた。
 行きたい場所が思い付かないというところだろうか、と純は推測した。純自身、そうだからだ。
「俺は……別に行ってみたいところもないしな。部屋で少し休もうかな」
 傷が完治していないという事もある。そう思い、純は亜沙に言った。
「亜沙はどうするんだ?」
 食事を終え、食器を片付けてから食堂を出ようとして、純は尋ねる。
「私も部屋で休むつもりよ」
「ん、そうか」
 返答に頷き、純は自分の部屋に向かった。
 部屋に着いた純は、ベッドに腰を下ろし、ナイトテーブルの上に置いてある端末を手に取る。電源を入れてディスプレイを開いたところで、純はメールが届いているのに気付いた。
 そのアイコンを選択し、開かれたメールにはパスワードによるロックが掛けられていた。
「……何だ、これ?」
 呟き、パスワード入力ウィンドウと共に画面に映し出されている差出人を見て、純は驚愕した。
「……大和…さん……?」
 そこには、大和の名が書かれていた。
 送信日は昨日付けで、題名には『君の名前』と綴られている。
 純は、自身の名前を打ち込み、エンターを押した。ロックが解除され、本文が表示されて行く。純の視線は、その文面へと向かって行った。

 ――天凪 純。
 君がこの文章を読む頃には、私はもうこの世にはいないだろう。
 私には、君に伝えておかなければならない事がある。耕太と、君の両親の事について、だ。
 耕太が斗雨也の策略で送り込まれた事は、薄々感付いていた。リグノイドの意思というものが、本人のものなのかを判断する事は我々には出来ない。唯一人、斗雨也が他のリグノイドの意識に干渉出来るという時点で、真実か虚偽かは判らないのだ。
 いきなり敵が戦闘を始め、そこが我々の基地のある場所でない事が判った時、私は暁彦と瑠那を連れて偵察に向かい、同じリグノイドに追われている耕太を見つけた。意味も解らずに襲われ、泣きじゃくりながら必死で逃げ続ける耕太を、私は見捨てる事が出来なかった。暁彦と瑠那は反対したが、私は説得した上で耕太を助け、イデアに招き入れた。この時点で、斗雨也の策略であるという可能性は、十分に考えられた。イデアの仲間と地下に住む者達を脅かしてしまったのは、私のミスだ。
 だが、一つ知っておいて欲しい。耕太には、確かに彼自身の意思があって、イデアに参加したのだ。それだけははっきりと言える。私は、その決断を下した耕太が見せた感情を忘れる事は出来ない。それ以来、自身と同じリグノイドと戦う事と、自分一人がイデアの中でリグノイドだという現実に挟まれ、耕太は無口になり、感情を隠していった。恐らく、耕太は斗雨也からの干渉を感じていたのかもしれないと、私は思う。だが、耕太には行くべき場所はイデア以外にはなく、地上に戻っても同じリグノイドに攻撃されると思ったのだろう。言い出せず、全て内側に押し込めていたのだ。
 耕太を撃った事は、正しい判断だ。そうしなければ、地下の人間全ての命が失われていただろう。無論、耕太にも生きたいという意思があった事も承知している。私が出来れば、自分で蒔いた種は自分で始末を付けたかった。君に引き金を引かせてしまった事を謝りたい。
 それから、君の両親の事だ。
 君の両親は、君が産まれて間もなく、リグノイドに襲われるようになったようだ。恐らく、出生時の検査等で、カルマが検出されなかったために、斗雨也に気付かれたのだろう。そうして、君を連れて逃げる途中で、君の両親は自分達を囮にする事で君を救おうと決心したのだ。君を捨て子として自分達と隔離し、自分達が逃げる事で君から敵の目を逸らす。結果は知っての通り、成功し、君は今まで地上で生きて来る事が出来た。それから、二、三年が経ち、君の両親が襲われているところをイデアが発見し、救出した。二人とも、君の事を心配していた。君を探すためにも、と戦闘要員になった二人は、その適性の高さから主力となり、今まで我々を幾度と無く救ってくれた。
 君の両親は、三年前に斗雨也によって殺された。その時、私は今回、君を助けたように、亜沙を助け出すために動いていた。その時、援護として戦ったのが、君の両親だった。君を地上に残して来た事からも放っておけなかったのだろう。二人はいつも君の事を気にかけていた。亜沙を連れてリグノイドの追っ手からトレーラーとの合流地点に向かっている時、私達の前に斗雨也が降り立った。君の両親は、その時に斗雨也を撤退させたが、斗雨也が逃走と同時に繰り出した攻撃から亜沙と私を庇って命を落とした。
 その時の亜沙は、気を失っていたためにこの事は知らない。彼女の事だから、それを知れば心を痛めるだろう。君には、両親の事だから伝えておきたかったが、亜沙には、今は黙っておいて欲しい。
 三年前まで地上で暮らしていた亜沙は、様々なものを内側に溜め込んでいるはずだ。君が来るまでは、今の君と同じように、唯一地上で暮らした事のある人間であり、地下の事をほとんど知らなかった人間なのだ。私では、亜沙の命を救う事しか出来なかった。
 いや、亜沙だけではない。瑠那も、康祐も、深玖も、勿論君も、私は誘導する事しか出来なかった。残念だが、私には、君達の心を癒す事は出来ないらしい。
 最後に、君には一つお願いしたい事がある。
 同じ地上で暮らしていた者として、亜沙を頼む。
 三条 大和。――

 純はそのファイルを閉じる。
(……気付いてたのか)
 その事がまずショックだった。
 だが、考えてみれば当然の事なのかもしれない。大和は誰に対しても優しい人格の持ち主だったのだ。優しさを持てる人間は、それだけ相手の事を考える事が出来る。大和が耕太の事に気付かない方がおかしいのかもしれない。
 誰でも、自分の居場所を失うのは怖ろしいものだ。それは、今まで住んでいた場所を追われた純には特に察する事が出来る。
(……卑怯だ)
 純は、そう思った。
 大和の遺書には、過ぎさった過去と、純に対しての願いが綴られている。そこには、大和が秘めていたのであろう思いが綴られているのだ。
 しかし、純が大和に同じように秘めている思いを打ち明ける事は、もう出来ない。純にも、言えなくて、それでも言いたくて迷っていた思いもあるというのに。
 自分一人だけそれを打ち明けて、手の届かない場所に逝ってしまうのは、卑怯だと思う。だが、それでももう、過去となった大和の死を変える事は出来ない。
 端末を小脇に抱え、純は部屋を出る。そのまま、訓練室へと向かった。そこには、大抵の訓練が出来るように設備が整えられている。勿論、その中には射撃訓練場もある。
 純はそこへ向かい、携帯端末を近くに置いて射撃訓練場の最も奥に立った。
 懐にある、大和から受け取った拳銃を引き抜き、十数メートル離れた的に狙いを定めて引き金を絞る。
 生身でも十分に連射して撃てるように軽減された低反動。静音機構のお陰でさほど大きくない銃声。無薬莢弾が放たれ、的に穴を穿つ。
 アサルト・アーマーで射撃をした時とは比べ物にならないほどに的の中心を外していた。耕太を撃てたのも、まぐれだったのだと頷かせる。純の射撃の腕は、生身ではそれ程良い訳ではない。
 次の弾が装填されると、純はもう一度腕を伸ばし、銃の引き金を引いた。打ち出された弾丸が、穴を開けて行く。
 そうして、弾倉の中の弾丸を全て撃ち尽くした純はその場に座り込んだ。
「……くそっ……!」
 呻き、純は拳銃を強く握り締めた。
(……俺に、出来ると思ってるのか?)
 純は視線を穴だらけの的へと向けた。
 いくつか開けられた穴は、全て的の中心を外れている。
 誰かを守れと言われた事は、純にはない。守りたいと思うものすら、今までの純には無かった。しかし、それは、純がそれを必要としない世界で生きて来たからだ。誰かを守る必要もなく、誰かに守られる事もない、平凡な毎日。だが、それは偽りの世界だった。
 本当の世界は、争い続ける事で残り僅かな人類を守り続けるという世界だった。
 その中で純がした事と言えば、親友だった隆一と別れ、耕太を撃ち殺して、斗雨也を打ち倒しただけだ。それが結果的に地下の世界を救ったのだとしても、純自身はそれを求めて戦った訳ではない。
「……純?」
 不意に、声がした。
 顔を向ければ、そこには亜沙が立っていた。
「どうしたの? こんなところで……」
 尋ねて来た亜沙に、純は返答に迷った。
「……もしかして、メールに何か書かれてたの?」
「――何でそれを?」
 近くに置かれていた端末を見た亜沙の言葉に、純は反射的に訊き返していた。
 純は一日眠っていたのだから、その間に純の端末を亜沙が見てしまったという事だろうか。
「大和さん、私達一人一人にメールを打ったのよ。私と、康祐と深玖、そして瑠那。暁彦さんにはないみたいだけど。あなたにも送信されていたのかなって思って」
「そうか。皆に送ってたのか……」
 亜沙の言葉に、純は曖昧な表情を浮かべて視線を穴だらけの的へと向けた。
 大和は純達五人に対してそれぞれに、メッセージと願いを託していたのだ。考えてみれば、大和のような人物が純一人にだけメッセージを残すというのもおかしな話である。やはり、皆にそれぞれ渡していたのだろう。
(やっぱり、卑怯だよ……)
 大和はそれをする事で純達の結束力を強めようとしていたのかもしれない。
「大和さんは皆に信頼されていたから……」
 一瞬だけ見えた亜沙の表情に、複雑な感情が入り混じっているのを、純は見た。
(……)
 少しだけ、純は大和の言葉が解った気がした。
 亜沙は、地下の生活にまだ完全には馴染めていない。それは、元々地上で暮らしていたという意識が生む疎外感の一種なのだろう。純もまだ感じている、地下と地上の生活の微妙な環境の違いに慣れないところがある。それに、地下の事をほとんど知らないという事は、他の人達との会話に混じれない事も少なくはないはずだ。
 加えて、大和の死だ。
 大和の存在は、恐らく亜沙にとっては重要なものだったはずだ。襲われた純を救出し、地下まで導いた彼を、純自身も慕っていたからだ。あまり会う機会もなく、話す事もほとんどなかったが、それでも大和は純の人生を大きく動かした人物に間違いはない。
「……亜沙は、何でここに? 部屋で休んでたんじゃないのか?」
「私は、暇だったから、少し歩いてたの。そうしたら、銃声が聞こえたから……」
 純の問いに、亜沙が答える。
 外に出て散歩はしないのか、とは訊かなかった。ほとんど無意識のうちに話を逸らす。
「……耕太が、斗雨也の策略だった事、大和さんは気付いてたらしい」
「……私のところにも、書かれてたわ」
 純の言葉に答えながら、亜沙は純の隣に腰を下ろした。
「でも、これで終わったのよね……」
「……俺はそれだけじゃない気がする」
 亜沙の言葉に、純は小さく呟いた。
「え……?」
「まだ、何かあるような気がして、不安なんだ……」
「でも、斗雨也は確かにあなたが……」
 その亜沙の言葉に、純は頷く。
「斗雨也と言葉を交わして解ったけど、あいつは三十年も時間を費やして、俺達と戦うような奴じゃない」
 ただ単に普通の人間が憎かったのならば、リグノイドとなった斗雨也は人類を全て抹殺しようとしたはずだ。自分を除いて全ての人間を標的として虐殺するという方が、純が聞いた斗雨也の考えからは想像し易い。
 憎かったはずの人間を自分と同じリグノイドに侵食させた目的が他にあると考えるべきかもしれない。純に見せたのは斗雨也の自演だったとも考えられる。
 もしくは、斗雨也の裏に誰か別の存在がいるという事も考えられる。
(それに、俺は隆一に会ってない……)
 口には出さず、純は付け加えた。
 もし、あれで戦いが終わるようならば、隆一は純に会いに来ていたはずだ。斗雨也が死に、情報統制が乱れればリグノイドがイデアに攻撃を仕掛ける事はほとんどなくなると予測されている。リグノイドだって平穏な暮らしをしていた方が良いだろうからだ。そうなれば、隆一と純が会う機会はほとんどなくなると考えて良いはずだ。そのため、隆一はイデアとの戦いが激しいうちに純に会いに来るだろうと、純は考えている。
「まだ、何かあるのかもしれない……」
 腑に落ちない事が多過ぎるのだ。
 今まで現れなかった斗雨也が今になって接触して来た事も、三十年も斗雨也が何を準備していたのかも、斗雨也の目的も。全て解決していないのだから。
「俺の考え過ぎだと良いんだけどな」
 拳銃に弾丸を詰めながら、純は言う。
 弾丸を詰め終え、安全装置を掛けて拳銃を懐にしまっても、純も亜沙も口を開かなかった。純にとっては重苦しいと感じる雰囲気を、打開する事も出来ず、純はそのまま無言で座ったままでいた。
 その沈黙を破ったのは、亜沙だった。
「……ねぇ、純は何故戦う事を選んだの?」
「何で今更そんな事を?」
 亜沙の言葉に、純は顔を向ける。
「……地下に来るまでに怖い思いしたでしょ? どうしてまた、自分からそんなところに?」
「……それを言うなら亜沙だって。まぁ、俺は……色々言えるけど、やっぱり、地上にいた者が人間なのか見極めたいから、かな」
 苦笑し、純は答えた。
 確かに、大和に連れられて地下に来るまでに、純は親友と別れ、自分の義兄弟に殺されかけ、その死を見た。それは二度と体験したくない出来事だ。
「俺の両親が守って来たものがどうなるのかを見たい、だとか、一度関わったから、っていう理由もあるけど。俺は、リグノイドが本当に人間と違うものになってしまったのか、見極めたい」
 根底にあるのは、何が人間を攻撃しているのか、という疑問だった。
 それがカルマなのか、それともカルマを持ってしまった人間なのか。今まで共に過ごして来た家族を敵として戦い、隆一の動きが純には判らない。純には、この結末を見る権利があるはずだ。
「……私は、他に出来る事がなかったの」
「え……?」
 悲しみと羨望の混じった、困ったような表情を浮かべて告げた亜沙に、純は戸惑った。
 そんな表情の亜沙を、純は今までに見た事がない。
「両親を失って、地下は見知らぬ土地で、私は生きて行ける自信がなかった。外で平穏な暮らしをしても、私は一人ぼっちだから、多分、淋しさに耐えられないと思う。だから、私は少しでも一人でいる事を忘れられるように、戦う事にしたわ。確かに、康祐や深玖、瑠那とは仲良くなれたけど、一人でいるとどうしても、辛くなる時があるの……」
 目に涙を溜め、亜沙は語った。
「……俺には少し羨ましい感情だな、それは」
 純の言葉に、亜沙は俯き気味になっていた顔を上げた。
 その瞬間、涙が一筋、頬を伝って行った。
「俺は元々養子として育ったから、出来る限り一人で生きて行く事を考えてた。一人でいる時に孤独感を感じる事は勿論あるけど、今まで生きている中で耐えられるようになっちまった。俺には、他の人とは違う事情がある、そう思う事で感情を強引に捩じ伏せる事が出来るようになってたんだ」
 苦笑いを浮かべ、純は言う。
 その結果、地上にいた純が孤独だったというのは、現実でも同じだった。たった一人、地上で暮らしていた普通の人間だったのだ。
「ただ、自分が孤独だっていうのは、皆そうだと思うよ? 人間はどうしたってお互いを完全に理解する事は出来ないんだ。元々、人間は一人なんだよ。だから、他の人と解り合おうとするし、一緒に楽しく過ごせれば嬉しい事だと感じる。違うかな?」
 無言の亜沙に対して、純は一度間を置いて口を開いた。
「過去に縛られて、一人だと感じる事、孤独を感じる事は無駄な事だと思う。過去を取り戻す事は出来ないんだ。それなら、過去の自分のように笑えるように前を向いた方が良いんじゃないか?」
 亜沙は目を伏せ、何か考えるようにしていたが、やがて顔を上げた。
「私に、出来るかな……?」
「気の持ちようだよ。それに、俺だって地上で過ごしたんだ。地上で暮らした人の相談には乗れると思うけど?」
 不安げに問う亜沙に、純は笑みを浮かべて答える。
 そうして、立ち上がった純は亜沙に手を差し出した。亜沙は、ゆっくりとだったがその手を掴んでくれた。
「……ありがとう」
 指で涙を拭いながら言われた言葉に、純は微笑だけで答えた。
(これも大和さんが仕組んだのかな……?)
 ふと、純は思った。大和が、亜沙を守って欲しいと純に頼んだように、亜沙にも純に近付くように言ったのかもしれない。
 そう思い、亜沙に判らないように純は小さく苦笑を浮かべる。
 と、突然基地内に警報が鳴り響いた。
 携帯端末を掴んだ純は亜沙と顔を見合わせ、頷き合うと射撃訓練場を飛び出した。


 ドアを開け、入って来た人物に、隆一は一度だけ視線を向け、直ぐに外した。
「どうやら負けたみたいだな?」
 素っ気ない口調で、隆一の告げた言葉に、その男が視線を向けるのが判る。
「良かったな、死ななくて」
 口調を変えず、挑発するかのように隆一は言った。
 リグノイドは脳を破壊されない限り、身体を修復する事が出来る。先の戦闘で首だけとなった斗雨也は、アウターボディを取り込む事で自身の身体を復元していた。
 空気が動くのを感じ、隆一は瞬時に左手を剣状に変化させて持ち上げる。その腕に、同じように剣状に変化させた斗雨也の右腕がぶつかった。室内に硬質な金属音が響く。
 体重を乗せるように押し付けて来る斗雨也を、隆一は上目遣いで見上げる。
「あんたの敵はリグノイドじゃないだろ?」
 口元に小さな笑みを浮かべて告げた言葉に、斗雨也は顔色一つ変えずに剣を引いた。
 元の腕に戻し、隆一を見下ろすようにして斗雨也が目の前を通り過ぎる。
「お前は何を考えている?」
「そりゃあこっちの台詞だな」
 擦れ違うような位置で足を止めた斗雨也の言葉に、隆一は言った。
「何だと?」
 斗雨也が初めてその表情を崩したのを、隆一は見た。
 眉間に皺を寄せ、隆一を睨み付けるように視線を向けている。
「確か、あんたはリグノイドではない人間全てを敵としていたはずだよな?」
「それがどうした?」
「だったら、三十年前から自分以外の全てを敵と見做して殺していれば良かったはずだろ。三十年もの時間を掛けてリグノイドを増やして、何を考えてる?」
「……何が言いたい?」
 斗雨也が隆一に刺すような視線を向ける。
「お前がやってる事が、お前自身の意志だと言えるか?」
「それ以外に何がある。俺は俺の意志で動いている」
 隆一の言葉を、斗雨也は即座に否定した。
 そのまま、部屋の奥へと進んで行く斗雨也の背中を視線で追い、隆一は目を細める。
 斗雨也の作戦は、失敗に終わった。リグノイドの少年を一人、強制的に地下へと送り込み、意識干渉によってスパイとした作戦は成功したが、そうして得た情報から地下を直接攻めるという計画は失敗した。その上、地上からの大規模な包囲と強襲も、一体のアサルト・アーマーによって戦況を覆されてしまった。
 隆一は、スパイとして送り込まれた少年を見た瞬間、その少年の意識を覗こうと試みた。戦場へ行くために隆一は既に、意識干渉の技術を使っていたのだ。その少年の意識に触れる事は出来るはずだった。少年に気付かれずに、意識の一部を見る事は、隆一には既に可能な事となっているのだから。
 しかし、その少年の意識に触れた隆一は、そこに斗雨也の意識干渉の痕跡がある事に気付いた。だからこそ、斗雨也が地下の場所を掴み、襲撃する事を察知出来たのだ。
 だが、それでは辻褄が合わない事がある。
 斗雨也が、地下の人間全てを抹殺したいのであれば、地下に潜り込ませた少年を戦闘要員にはさせず、民間人として生活させた上で密かに住人を仕留めて行けばいい。それをせずに、戦闘要員にさせて時を待ち、自ら攻撃を仕掛けるというのは、非効率的なはずだ。
(……地下に戦力は残ってるのか?)
 口に出さずに自問し、隆一は部屋を出た。
 斗雨也は、もう一度大規模な強襲を仕掛けようとしている。そして、地下の戦力は、先の決戦でその大半を失ったはずだ。下手をすれば全戦力が失われている可能性も高い。
 恐らく、襲撃するのは明日辺りだろう。昨日の決戦から、明日まででどれだけ戦力を補充出来るか。
 昨日の決戦を、隆一は離れた場所から見物していた。聴覚と視覚を強化させて、一部始終を見ていたのだ。
 斗雨也を倒す事が出来たアサルト・アーマーから聞こえたのは、確かに純の声だった。斗雨也と相打ちになった純は、その命中箇所から推測するに、生きているはずだ。怪我をしている可能性はある。それでも、死んではいないと、隆一には判った。
 純には、アサルト・アーマーによる戦闘技術の才能があるようだ。それも、かなり高い才能として。
(イレギュラー、ね……)
 不意に、純と別れた日に聞いた言葉が思い出された。
 だが、隆一が思い出したその言葉は純に対して向けられたものではない。
(本当にイレギュラーなのは、純か、俺か、斗雨也か……)
 リグノイドとして、一段階上の存在である斗雨也と、それと同等であるとされる隆一。その二人はリグノイドとして見ればイレギュラーではないだろうか、とも思う。
 あの日向けられたイレギュラーという言葉は、実は自分に対してのものかもしれないとさえ、隆一は思う。
 ここ数日の間で隆一は様々な事を調べた。
 三十年前に何があったのかを始めとして、斗雨也の存在と、リグノイド、カルマに関しても。それが出来たのは隆一が斗雨也からの干渉を受けないという特性があったためだ。
 もし、斗雨也から干渉出来たのであれば、隆一はそれを調べる事すら考えられなかったはずだからだ。
 他の何者からも意識干渉される事のないリグノイドである、隆一の方が本当の意味でイレギュラーなのかもしれない。
 リグノイドの意思とは、本当にその人の意思なのか、隆一にはもう解らない。ただ、はっきりと言えるのは、リグノイドではない地下の人間達と、自分だけは己の意思を持っている。
 それを、純が理解してくれるかどうかは、別問題として。


 司令室に駆け込んだ純と亜沙は、雄へと視線を向ける。
「何があったんですか!」
 呼吸を整える事も忘れて、純は雄に尋ねた。
「敵襲だ…! 包囲されている」
 険しい表情で答える雄の視線を追い、純は司令室正面の大型モニタに視線を向けた。
 そこに表示されているのはイデアの上、地上の地図と、無数の赤い光点だ。その広域レーダー上を、無数の赤い光点が、まるでそう指示されているかのように一定の形に動いて行く。その図形は、円。つまり、包囲網だ。
「やっぱり、生きてたのか!」
 思わず、純は呟いていた。
 あれだけ無数のリグノイドが均整の取れた動きをしているという事は、指揮官が残っているという事だ。斗雨也は死んでいないか、もしくは別の指揮官がいるという事になる。
「……油断していたという事か…!」
 雄が呻く。
 斗雨也を倒したという事に浮かれ過ぎていたという事だ。
「出撃します」
「……待て、無理だ」
 司令室を出ようとした純を、雄が引き止めた。
「無理…?」
「まさか、司令……!」
 純の言葉を、亜沙が遮るようにして言った。
 不安げなその声に、雄はゆっくりと、静かに頷く。亜沙の顔が青褪めた。
「……そうだ、アサルト・アーマーは全て修理中で使えるものはない」
 整備員もほとんどが休暇を取り、残り少ない人達だけでゆっくりとやっていたのだ。
 今の警報は、イデアにいる人間なら全員が持っている携帯端末に伝わっている。全員が直ぐに集合するだろうが、それでは間に合わないかもしれない。
「動かせるものはないんですか?」
「……ない」
 純の問いに、雄が辛そうに答える。
「訓練用のものなら……!」
「あれには実戦武器用のシステム・ドライバはインストールされていない。使うには、時間が掛かる」
 雄の言葉に、純は言葉に詰まった。
 訓練用のアサルト・アーマーが扱えるのは、ペイント弾を装填したトレーニング用のハンドガンと、セラミック複合材で出来た訓練用ダガーしかない。それではリグノイドを倒す事は出来ないのだ。
 そして、そのシステム・ドライバをインストールするのは、アサルト・アーマーの骨組みの内部に収納されているメイン・コンピュータを引っ張り出して、ディスクからダウンロードする必要がある。しかし、メイン・コンピュータを引っ張り出すためにパーツの一部を取り外し、システム・ドライバをインストールしてからパーツを戻し、実戦武器を搭載させるという順序が必要になり、それでは時間が掛かり過ぎてしまう。
 それならば、純粋に半壊したアサルト・アーマーをパーツ換装で使えるようにした方が時間は短くて済むのだ。
 だが、この状況では、その時間すら間に合わないかもしれない。
「……何か、ないんですか?」
 亜沙が心配そうな表情で雄に問う。
「メック・スーツなら何着かある。しかし、これでは……」
 雄は首を振って答えた。
 メック・スーツは、アサルト・アーマーの援護に用いる程度の戦闘能力しか発揮出来ない。パワー・アシストはあるが、背部にスラスタはなく、戦闘機動が出来ないのだ。しかも、メック・スーツはアサルト・アーマーと違い、自分の身体を動かして扱うものである。アサルト・アーマーのように、人間の感覚を超えた動きは出来ないと言っても良い。
 無数の敵の前にそんな状態で戦いを挑むのは、ただ死にに行くようなものだ。下手にこちらから攻撃してしまえば、相手がそれを契機に攻撃を開始する。そうなってしまっては、むしろ逆効果と言える。
 メック・スーツではアサルト・アーマーの修理を待つ時間稼ぎも出来ないのだ。しかも、メック・スーツで純達が戦っていれば、アサルト・アーマーでその戦闘能力の真価を発揮出来る主戦力の人達は出撃する事が出来なくなってしまう。
 現時点で、イデアに残っている戦闘要員は、純と亜沙ぐらいしかいないのだ。
(何か、何か無いのか……?)
 純は必死に考えをめぐらせる。
 隆一があれを率いているという可能性がない訳ではない。純に会いに来るというのが、こういう意味だったという事も考えられるのだ。だが、純にはそうは思えない。
 だとすれば、敵を率いているのは斗雨也か、それとはまた別の存在。
 折角斗雨也の攻撃を凌いだのだ。こんなところで、死ぬつもりは純にはない。最終的にはメック・スーツでも出撃するつもりでいる。
 もし、本当に使えるアサルト・アーマーがないのなら。
(……壊れていない、アサルト・アーマー?)
 戦闘不能ではない、壊れていない、アサルト・アーマーがあった事を、純は思い出していた。
「――ある……一機だけ、戦える機体がある!」
 俯いていた顔を勢い良く上げ、純は雄に視線を向けた。
「どういう事……?」
 亜沙の言葉に、純は視線を向け、口を開いた。
「確か、倉庫にアサルト・アーマーの試作機があったはずだ。それで出ます」
「え、でも、あれは……!」
 亜沙の言葉に、純は頷く。
 マインド・フォロウ・システムを初めて積んだ試作機であり、誰もが戦闘機動までの適性値を持たなかったアサルト・アーマーの零号機。
「確かに、あれならシステム・ドライバもインストールされていて、直ぐにでも出撃準備が可能だが……」
 雄が複雑な表情で純に視線を向ける。
 戦闘機動が出来なければ、複数のリグノイドと戦う事は困難を極める。アサルト・アーマーが主力とされ、リグノイドと同等以上に戦えるのは、戦闘機動によるものと言っても過言ではないのだ。
 無論、アサルト・アーマーの方がメック・スーツと比べても装甲は厚く、出力も高い。自分の身体を動かす訳ではないために、肉体疲労で戦闘が困難になるという問題点もなく、メック・スーツと違って機体が大きいために、腕を切り落とされたとしても、コクピットにダメージを受けない限りは搭乗者が怪我を追う事もない。
 メック・スーツを使うよりはマシなはずだ。
「たった一人で戦って、勝てると思っているのか?」
「勝てないのは解ってる。だから、俺が時間を稼いでいる間に一機を集中して修理して欲しい。そうして、完成したら直ぐに出撃させて、それを繰り返すしか、俺には良い方法が思い付かない」
 雄の言葉に、純は告げる。
 たった一人で百を超えるであろうリグノイドと戦って勝つというのは、不可能だ。それならば、純自身が時間稼ぎのための囮となって、アサルト・アーマーを一つずつ集中して修理させ、送り込んで行く、という方が現実的だ。
「戦闘機動が出来ないのでは、その時間稼ぎすら出来んぞ?」
 険しい表情で告げる雄に、純は笑みを見せた。
「戦闘機動出来ないって決まった訳じゃない」
 ぎこちない笑みだったと、純自身にも解った。
「俺は、あれに乗った事がない。もしかしたら、戦闘機動出来るかもしれない」
 その可能性が極めて低い事は、純自身も理解している。
 純の両親ですら、不可能だった零号機の戦闘機動を、純が出来るとは思えない。
「……駄目だ、死ぬと解っている場所に、君を向かわせる事は出来ない」
 その、雄の決断は正しいものだったのだろう。
 可能性はある。しかし、それは余りにも細い、一筋の光でしかない。
 地下に住む人間全ての安全を考える者として、それは余りにも心細すぎるのだ。
「……アサルト・アーマーが修理されるのを待つんだ」
「それじゃあ、間に合わない!」
 雄の言葉に、純は叫ぶようにして、言った。
「もう、確実だ不確実だなんて選んでいられる状況じゃないんだ!」
「――そんな事は解っている!」
 純の言葉を、雄の叫びが掻き消した。
「だからといって、このまま君を送り出してしまったら、私達は君を見殺しにする事にもなるんだぞ! 私達に仲間を死地に赴かさせる気か!」
 その気迫に、純は一瞬だが、気圧されていた。
 純が死ぬと解っていて、それを送り出せば、純を殺したも同然だというのだ。確かに、一縷の望みを掛けて戦った純が死んでしまえば、送り出した雄達は心苦しい事だろう。それに、そこで望みも絶たれてしまうのだ。
「純、待ちましょうよ」
「亜沙……」
「間に合う事を信じて、待ちましょう」
 純の肩に手を置き、言い聞かせるように言う亜沙に、純は言葉を詰まらせた。
 その亜沙の表情には、不安と絶望がある。それでも、最後まで待つ事に希望を見い出しているのだ。
(……本当は、心を閉ざしてたんだな……)
 今までに見た事のない、怯えている亜沙を見て、純は思う。
 純と大和を助けた時の亜沙と、襲撃されるまでの亜沙は、今日、純が見た亜沙とは違っているように見えた。それは、亜沙が自分自身を曝け出しているか隠しているかの違いだろう。
 弱気な、自分の居る場所を見つけられずにいるという本当の心を、戦うという行為で隠していたのだ。
(――守れ、だなんて、簡単に言ってくれるよ……)
 大和のメールを思い出し、純は苦笑を浮かべた。
 この状況で亜沙を守る事は、地下世界を守る事にも繋がる。
「……いや、俺は行く」
 静かに、純は亜沙に告げた。
「駄目だ! 行かせる訳にはいかん!」
「止めても、行きます」
 雄の言葉に、純はそう答えた。
 はっきりとした意思を込めた視線を、雄に突き付ける。
「……純」
 亜沙が目に涙を溜めて呟いた。
「……仮に、修理が間に合っても、多分その時には敵は地下に入り込んでる。そうなったら、終わりだ」
 純は亜沙を見、雄に視線を向けて言う。
 地下に敵が入り込んでしまえば、通常の人間とリグノイドを見分ける事は難しい。レーダーに映るからといって、そればかり追っていては周りが見えない。
 地下で戦う事は、今までイデアが守って来たもの全てを巻き込んで戦う事になる。それは避けるべきだ。
 地上と地下を仕切る層から下にリグノイドを侵攻させる事は防がなければならない。
「解ってるはずだ! 地下に住む全ての人の命と、俺一人の命、この場所の安全を守る人なら俺の命を切り捨てるべきだ!」
「……やはり、血筋か。君の両親も同じような言葉を言った事がある」
 目を細め、雄が告げた言葉に、純は言葉を詰まらせた。
「確かに、両親とは離れて暮らしていたが、君は天凪の息子だな……」
 自分と同じ言葉を両親も言っていた。その事に、純は一瞬だが揺らいでいた。驚きもある、しかし、それとは違う何か別の感情が込み上げて来るようであった。
「……一つだけ命令しておく」
 雄の言葉に、純は視線を戻す。
「絶対に死ぬな。これだけは守れ」
「……出来るだけやってみるよ」
 言い、純は口元に笑みを浮かべた。
「――純…!」
 振り返り、部屋を出ようとする純を、亜沙が呼び止める。
「俺はまだ死にたくない。だから、出来るだけ早く助けに来てくれ」
 亜沙が喋ろうとするのを遮るように、純は告げ、背を向けて歩き出した。
「純っ! 待って!」
 その亜沙の呼び掛けを無視し、純は司令室を出た。
 亜沙の言葉を最後まで聞かなかったのは、純が生きて戻るためであり、亜沙も生き残らせるためだ。言いたい事を告げるまでは、そう思わせる事で、希望を残す。単純なやり方だが、それが効果を発揮するところは多い。
 携帯端末を取り出し、純は通信を格納庫に繋いだ。
「純か! 急いでいるがまだ修理は出来ていないぞ!」
 通信ウィンドウに、男の顔が表示された。
「俺の機体を修理する労力は亜沙の機体に回してくれ」
 通信に答えた整備員に、純は告げた。
「何だって? じゃあ、お前はどうするんだ?」
「詳しい事は司令から伝わるはず。要求だけ告げるよ」
「…解った」
「今すぐ零号機を出撃可能な状態にして欲しい。装備は今からそっちに送るから、頼んだ」
「零号機…? だが、あれは…」
「司令の許可は貰った。俺は直ぐに着替えて向かう」
「仕方ねぇな、解ったよ」
 苦笑する整備員に笑みを返し、純は通信を切る。
 そうして、装備一覧を転送し、端末を畳むと純は走り出した。
 ロッカールームでサポート・スーツに着替えた純は部屋から飛び出し、格納庫へと急いだ。
「……純?」
 途中、康祐と深玖と擦れ違った。
「出撃出来るのか?」
「今は俺だけだ。修理が済んだら助けに来てくれ。頼んだ」
 康祐の問いに答えると、純は直ぐに走り出す。
 今は少しでも時間が惜しい。雄との会話でだいぶ時間を費やしてしまった気がする。格納庫に着いた時、直ぐに出撃出来るかどうかも判らない。
 通路を駆け抜け、格納庫に辿り着いた純は、すぐさまドアを開けて踏み込んだ。
「来たか、純。用意は直ぐに終わる。その間にお前は乗り込め」
 整備員の言葉に頷き、純は零号機へと駆け寄った。
 純白の装甲に、黒い筋の入った、線の細い機体がそこにあった。鋭さを感じさせるシャープな機体を見上げ、純は昇降用ワイヤーを使ってコクピットへと滑り込んだ。
 操縦用のアーム・ボックスやレッグ・ボックス、ボディ・アーマーが純の身体を固定する。ほぼ同時にシステムが起動し、ヘッドギアがセットされてから起動が完了する。
 次に、純は武装のチェックを行った。
 背部の左右にあるウェポン・ラックにはグレネードライフルとショットライフル、アサルトライフルとマシンガンがそれぞれ一挺ずつマウントされており、脚部にはヒートダガーが一つずつ、左手にはロケット砲が、右手にはバズーカが握られている。更に、背部肩武装としてクラスターミサイルを三発積んでいた。
 積載量をオーバーしていたが、手に持たせられている二つの武装と肩武装は弾数が少ない。使い切ったら投げ捨て、次の武装に取り替えて行けば重量は軽くなって行く。
 敵の数を減らすには、敵が集中しているところへ強力な武器を叩き込んで巻き添えにして行くのが手っ取り早い。広範囲に攻撃出来る装備を手に持たせ、それを最初に使い切るというのが純の作戦だ。
 その間、機動力が落ちるが仕方がない。それは純が動き回って何とかする以外に方法はないのだ。
「純、聞こえるか?」
「何ですか?」
 雄からの通信に、純は応じた。
「前のようにカタパルトで上空高くに打ち上げる。敵の集中攻撃があるかもしれん、十分に注意しろ!」
「解りました」
 その忠告に小さく笑みを浮かべて返し、純は機体を射出口へと歩かせた。
 集中攻撃に晒されるというのは、まず間違いないだろう。リグノイドに遠距離攻撃をする能力は、身体の一部を射出する以外にはない。だが、それをすればアウターボディを使っていないリグノイドは、自らの身体を削る事となる。空中にいる間はまだ安全と言えるかもしれなかった。
(……?)
 歩かせた瞬間、純は違和感を感じていた。
 足の裏が地面に着くのが、感覚として判る程に明瞭に機体が意思に追従している。本当に、機体が自分の身体であるかのように、純は感じていた。
「……純」
 通信画面に映った雄の言葉に、純は視線だけを向けた。
「時間稼ぎ、頼んだぞ」
「応援の方も、頼みます」
 雄の言葉に笑みを浮かべ、純は言った。
 その画面に映る雄の背後には、亜沙、康祐、深玖、瑠那、暁彦の五人がいる。
「じゃあ、俺は先に出ます」
 告げると、純はカタパルトに機体を乗せた。
 通信回線が切断され、射出口のハッチが上部まで開いて行く。
 純は、その先へと視線を向けるように、顔を上げた。
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