第一章 「ムーヴ」


 ソファの上で昼寝から目を覚まし、壁にかかっている時計へと視線だけを向けた。三時を少し過ぎた程度の時間帯。
「んー……」
 ソファの上に寝転んだまま、身体を逸らすように背伸びをする。そろそろ起きておかないと夜に眠れなくなりそうだ。それに、夕食の準備もできない。
 スラッグは身を起こし、長めの髪を掻いた。ソファから立ち上がり、部屋の奥にある階段まで歩くと、そこから二階を見上げて口を開く。
「おい、レイシェ! そろそろ行くぞー!」
「はーい! ちょっと待ってー!」
 そのスラッグの呼び掛けに、二階からは直ぐに返事が返ってきた。それからドアの開く音と足音がして一人の少女が階段を下りてくる。
 蜂蜜色の綺麗なセミロングの髪に、平均的な身体つきと少し大きめの瞳。左目よりも右目の瞳の方が青さが濃いという、特徴を持つ少女だ。
 同じ家に住んでいるとはいえ、彼女はスラッグの妹ではない。一歳年下ではあるが、幼馴染みだ。
「またあの本読んでたのか?」
「うん。だって面白いもの」
 スラッグの言葉にレイシェが頷いた。
「何ていうかさ、果てしなく世界が続いている感じがいいの」
 笑みを浮かべて答えるレイシェに、スラッグは肩を竦めた。
 別に、彼女の言っている事がくだらない事だとは思っている訳ではない。ただ、彼女がその本をいつも読んでいる事に対しての行動だ。昔から、その本を見つけた時から、彼女はその本を何度も何度も読み返している。読書が好きで、確かに他にも本を読んではいるが、スラッグが言った「あの本」は読み返している回数が半端ではない。
 理由は、スラッグにもなんとなく解る。
「じゃあ行こうぜ」
 言いながら、スラッグはポケットから取り出した、小さなベルトのような紐で長めの後ろ髪を束ねた。
 二人が住んでいるのは小さな家だ。二階建てで、リビングとダイニングが一体となった大きな一階に、二人分の個室があるだけの小さな家。安い物件だった事もあって、ハイスクールには進学せずに数年前から二人で住んでいた。
 この生活になった理由はスラッグにある。スラッグが外出している間に、家が放火され、スラッグ一人だけが残されたのだ。そうして、一人残されたスラッグは今住んでいる物件を格安で売ってもらい、住み始めたのだが、近所に住んでいたレイシェが一人では心配だと言って着いてきたのであった。
「夕飯、何にしよっか?」
 隣を歩くレイシェが問いかけてくる。
 現在、二人はアルバイトやハントなどで生計を立てている。ハントというのは、街の外に度々現れるクリーチャーを狩り、街への影響を防ぐ仕事だ。
 動物とは明らかに異なる、攻撃的な生命体であるクリーチャーという存在から街を守るために、現時点では二つの手立てが取られている。一つは、人間が住む集落を一つの単位として、単位毎に強固な外壁を設置し、クリーチャーの侵入を防いでいる。もう一つが、クリーチャーを狩る仕事を設ける事だ。
 腕に自身のある者は自分達で装備を揃え、街や都市の周囲にいるクリーチャーを無作為に排除していく。クリーチャーという存在がいる事で、外界に出るだけでも危険なため、外に出て規定の時間を越えて帰還すれば一定の報酬が貰えるシステムになっている。
 また、絶命させたクリーチャーを、状態の良いものを街まで回収し、政府などに引き渡せば高額で買い取ってくれるのだ。クリーチャーに対する研究は少し前から行われているが、あまり成果は上がっておらず、サンプルが常に不足しているのである。もっとも、単体のクリーチャーですら基本的に人間一人では太刀打ちできないため、絶命させる際には手加減などできるはずもなく、原型を留めていない、つまりサンプルとして役に立たない状態のものの場合が多い。
「ハントの報酬で外食でもしようぜ」
「ふーん……。私の料理が食べ飽きたんだ?」
 スラッグの言葉にレイシェが流し目で呟く。
「そういう意味じゃない。贅沢しようって事だよ」
 溜め息をついて、スラッグは否定する。
 普段、スラッグとレイシェは自炊しているが、食事を作るのは定期的に交替しているのだ。今はレイシェが食事を作っている時期なのだった。
「解ってる解ってる」
 一転して笑いながら返答するレイシェにスラッグは溜め息交じりに苦笑する。
 ふと見れば、隣にいるレイシェの向こう、道の脇に立つ店のショーウインドウの中にある鏡に、自分の顔が映っていた。少しだけ長めの前髪に、後ろ髪を束ねた、スラッグ。右目は黒色なのに、左目が翠色という、普通の人間とは違う特徴を持つ、自分の顔。
 本来ならばその部位には発生しないはずの色素が、スラッグの左目にはあった。だが、だからといって周りの人がスラッグに対して何かした訳でもない。スラッグ自身も、突然変異というヤツだろうと考え、気にしてはいない。それに――
『――スラッグの左目って、翡翠みたいで綺麗だよね』
 昔、レイシェは笑顔でそう言った。
「……ん? どうしたの?」
「ああ、いや、別に」
 かつての光景を思い出しながら、レイシェの顔を見つめていた事に気付き、スラッグは首を振った。
 同棲しているとはいえ、レイシェにはスラッグと付き合っているという感覚はないらしい。周りはカップルとして見ているのかもしれないし、実際に見られた時もあったが、レイシェはそれが冗談なのだと勘違いしてさらっと受け流してしまっている。最初はレイシェを意識していたスラッグも、暫く立つうちに慣れてしまっていた。
 やがて、二人が辿り着いたのは街の中と外とを隔てる外壁の出入り口の脇にある建物だった。ハントをする者、ハンター達からは『局』と呼ばれているそこは、人間の出入りの管理やハントに出る者達の報酬の支払いや、有料で準備などを手伝ってくれる場所である。
 建物内に入り、受付の前に立つ。そこでハントに出るという旨を告げ、クリーチャーを倒した証とするための器具を受け取った。倒したクリーチャーの肉片、つまり細胞を採取する事で、ハントをしているという事を確認するためのものだ。サボっていた者に報酬を与えないようにするための処置だ。
 そうして、外壁の前に立ち、巨大な、厚い隔壁が開くのを待ち、外へと出た。
「やっぱ、外の方が風が気持ち良いよな」
 笑みを浮かべ、スラッグは背伸びをする。
 外壁がある事で、街の中と外では様々な事に差異がある。雨などは変わらないが、一番違うのは風だ。外壁内部では、外壁が外界の風を遮ってしまうため、外壁のない街の上部の部分から風が吹くため、風が弱いのである。
 顔に当たる風が前髪を撫で、後ろ髪を背中から浮かせるように流れていく。
 昔から、スラッグは風が好きだった。そのせいか、スラッグは他の人間よりも多少風に敏感だった。
「じゃあ、行こうぜ」
 そう言って、持ってきた装備を手にする。
 スラッグは拳銃を二丁、両手に持ち、レイシェはサブマシンガンを片手に提げた。薬莢のない、一般的なタイプの銃だ。
「街の外に出るのも一ヶ月ぶりくらいかな」
 レイシェが呟く。
 街の外、というのは二種類がある。その文字通り、人間が住む区画と決めた範囲の外が一つ。もう一つは、交易路として繋げられた、外壁で覆われた通路だ。ほぼ一直線に、他の都市などに直結した通路だ。
 交易路の方は通常の外壁と違い、破損した際に直ぐに修理ができないため、普段は閉ざされている。しかし、交易は必要なものであるため、その時のみに限って開通するのだ。人が都市間を移動する際は、その時に便乗するのがほとんどである。
 交易路ではない、街の外を通って他の都市に移動するような人間は今では皆無だ。たとえいたとしても数えるほどだろう。クリーチャーに狙われて狩られるのがオチだ。
「どのくらい狩れるかな?」
「三体ぐらいはいけるんじゃないか?」
 レイシェの言葉に、スラッグは答えた。
 命懸けの仕事でもあるため、ハントの報酬は高めだ。一度成功すれば、一、二週間は働かなくとも生きていけるほどの額が手に入る。サンプルとして使える、原型を留めたクリーチャーを回収すればその倍は確実だ。
 もっとも、クリーチャーを倒すための装備を維持するのにもそれなりの資金が必要で、続けるのは中々難しい稼業でもある。
 ――風が変わった。
 一瞬吹き付けた軽い風に、スラッグはそう感じた。
「来るぞ」
 レイシェに言葉を投げ、スラッグは周囲に視線を走らせる。
 右前方には森に近い状態の雑木林があり、視界が悪い。対して左前方は平原で見通しが良い。この状態でクリーチャーが現れるならば、まず林の方からだ。
 林の中から何かが蠢く音が風に乗って伝わってくる。近付いてくる音に、スラッグが集中力を注ぐ。隣ではレイシェが銃口を林の方へ向け、警戒していた。
「――!」
 前から押し寄せるように感じた風の動きに、スラッグは反射的に銃の引き金を引いていた。左右の銃が規則的に弾丸を吐き出し、前方の林から飛び出してきた獣型のクリーチャーへと吸い込まれるように命中していく。一瞬遅れて、レイシェのサブマシンガンが火を吹いた。
 大量の弾丸を浴び、クリーチャーが空中にいるにも関わらずに後方へと吹き飛んだ。
 黒い、狼などの肉食獣に近い、最も低レベルのクリーチャーだった。他に類を見ない漆黒の体は他の生命体とは根本的に何かが異なる事を周囲に示し、同時に通常の銃弾では致命傷にならない強度をも持ち合わせている。既に常識となっている事だ。
 クリーチャーを倒す方法は、絶命するまでひたすら銃弾を打ち込むか、急所に強烈な一撃を打ち込むかの二つしかない。人間よりも数段素早いクリーチャーの急所に攻撃を命中させるのは難しく、ほとんどが前者の排除方法を取る。そのためか、ハントに用いられる武器は常に威力の強化を図られ続けている。
「……まだ、だよね?」
 レイシェが問う。
 答えるよりも早く、スラッグは銃口の位置を修正して引き金を引いていた。吐き出される弾丸が、再度飛び掛ろうとするクリーチャーに吸い込まれていく。
(弾切れ!)
 両手の銃のグリップから同時に弾倉を排出し、右手の拳銃を空中へ放り上げる。その拳銃が空中にある間に空いた右手で弾倉を二つ取り出し片方を左手の銃に押し込むと、左手の拳銃を放り上げ、右手に受け取った拳銃に空けた左手で弾倉を押し込んだ。そうして、右手の拳銃をクリーチャーに向けて引き金を引き、一瞬遅れて落下してきたもう一方の拳銃を左手で受け止めるとすぐさまクリーチャーへと発砲した。
 身体から白い血を吐き出しながら、クリーチャーはなおもスラッグ達へと立ち向かってくる。その尽くを拳銃とサブマシンガンで押し返し、スラッグ達は弾丸を浴びせ続けた。命中した弾丸の多さに、次第に身体の部位が削り取られるかのように吹き飛び、切り離されていく。
 スラッグが四マガジン分、レイシェが六マガジン分の弾丸を撃ちつくしたところで、クリーチャーが動かなくなった。四本の足が付け根から千切れ、首にも数発、胸部や腹部には数十発の弾丸を受けたところでようやく絶命したのだ。
「サンプルには使えそうにないな」
 スラッグは呟き、排出したマガジンを拾い集める。
「弾は残ってる?」
「同じように戦えればあと一体はいけるぞ」
 レイシェに言い、スラッグは空のマガジンを持ってきたポーチに収めた。そして、親指大のカプセル状の器具を取り出し、倒したばかりのクリーチャーの細胞をその中に入れる。それを提出すればハントの報酬が貰えるのだ。
「移動しよっか?」
「そうだな」
 レイシェの提案に頷き、スラッグは平原の方へと歩き始めた。
 見晴らしの良い方がクリーチャーを早く察知できる上、障害物が少ないために狙いやすい。クリーチャーにはそこに人間がいる事が解るのか、そう時間を空けずとも直ぐに現れる。そのため、外壁で覆われていない都市の外に長時間いる事は危険なのだ。
 ただ、人より少しだけ反射神経と身体能力に優れたスラッグとレイシェだけは、クリーチャーに相対してもそれ程取り乱さずに行動できる。人間を上回る身体能力を持つクリーチャーに対して、二人がかりでならば優位に立てるのだ。初めての頃は緊張もしたが、今ではそれもあまりない。
「……?」
 不意に、風向きが変わったような気がした。
「どうかした? 来たの?」
「いや、それとは違う……気のせいかもしれないけど」
 反射的にレイシェが問うが、スラッグは曖昧な返答しか返せなかった。
 風を読めるとでもいうのだろうか、スラッグの勘は開けた場所ではかなり有効なレーダーにもなっている。それは今までの経験から、レイシェだけでなくスラッグ自身も感じていた。風の微細な変化を感じ取り、その変化を起こしたものの存在を探知するというものだ。その勘を、レイシェも頼りにしている。
 だが、その瞬間に感じた風はクリーチャーの類が動いた際の変動が引き起こしたものではなかった。今まで感じてきたクリーチャーの起こす風とは違うと感じたのだ。
「……! 今度はクリーチャーだ!」
 感じ取った風に、スラッグはその勘が示した方向へと身体を向けた。
「――まずい、反対側からもう一体くるぞ!」
 瞬間的に、背後からの風を読み取ったスラッグがレイシェに言葉を投げる。
「どうするの!」
「そっちは任せた! できるだけ早く片付ける!」
 レイシェの問いに答え、スラッグは駆け出した。
 背後からのクリーチャーをレイシェが足止めしている間に、前方から迫るクリーチャーを素早く倒し、直ぐにレイシェと合流するのが手っ取り早い。それに、考えている余裕も少ない。
 前方から飛び掛ってくるクリーチャーに銃弾を撃ち込みながら、横へ跳んで前足の攻撃をかわす。クリーチャーが着地し、向きを変える瞬間に、スラッグは既に次の攻撃の回避行動に移っていた。肌に感じる風が、安全な場所を教えてくれている気がした。
 身体を低くして突撃してくるクリーチャーへとスラッグが足を踏み出す。クリーチャーが後ろ足を蹴って加速した瞬間、スラッグは左右の足の位置を組み替え背を向けると同時に背面跳びの要領で地面を蹴った。交錯する瞬間、クリーチャーが向きを変えようと速度を落とし身体を捻る。その真上を飛び越えるスラッグはクリーチャーの頭が見えた瞬間に銃口を向け、引き金を引いていた。
 発砲の反動で、宙に浮いた身体が今までのベクトルの方向からずれる。その発砲の反動を利用して、身体を回転させると片手を地面に着き、続いて足を着地させた。
 クリーチャーは行動を制御する脳を撃ち抜かれ、白い血を流して絶命していた。その死骸を飛び越え、スラッグはレイシェを残してきた方角へと駆け出した。
 見れば、クリーチャー目掛けてサブマシンガンの弾丸を放っているレイシェが見えた。左右に動き回るクリーチャーに致命傷は与えられていないが、レイシェ自身にもクリーチャーが近付けないでいる。足止め、時間稼ぎはできていた。
「レイシェ離れろ!」
 叫び、タイミングを見計らってポーチから取り出していたスタングレネードを投げる。轟音と共に凄まじい閃光が放たれ、クリーチャーを覆い隠した。
 感覚器官が鋭敏なクリーチャーに対して、感覚器官に強い刺激を与えて麻痺させるスタングレネードは有効な武器だ。ただ、投げてから爆発に時間がかかる事と、上手くクリーチャーの目の前で炸裂させなければならないため、攻撃としての扱いは難しいだろう。
 そうして、一時的に感覚が麻痺したクリーチャーがその場で失神しているところを、急所に銃弾を打ち込んで仕留めた。スタングレネードが有効とはいえ、感覚器官の麻痺が正常に戻るのも早いのである。隙があれば直ぐに仕留めておかなければならない。
「ふぅ、間に合ったな」
「危なかったわ。丁度弾切れよ」
 スラッグの言葉に、レイシェが呟いた。
 手早くカプセルにクリーチャーの細胞を採取すると、最も状態の良い、二体目のクリーチャーを引き摺りながら外壁の出入り口へと向かった。

 スラッグとレイシェは家の近くのレストランで夕食を取っていた。ハントが予想以上に早く終わった事もあって、混み合う時間帯よりも少し早めにレストランに来れた。人はいるが、混んでいるという程ではない。
「……」
 既に料理はあらかた食べ終えていたスラッグは小さく溜め息をついた。
 ――最近、妙に風がざわついてるんだよなぁ……。
 風を読めるという能力がもたらすのはクリーチャーの動きの察知だけではない。もっと遠い場所で起きた異変なども時として運んでくる。自分の行動範囲外で起きた事象すらも時折感じられるのだが、そういった場合、原因をスラッグが実際に目にする事はない。気になると感じてしまうのが恨めしい。
 ただ、今回のだけは何かが違う。今までの異変がもたらした風とは、肌触りが違った。知らず知らずスラッグは身震いをしていた。
「……スラッグ、どうかした?」
 レイシェの声にスラッグは正気に戻った。
「いや、ちょっと考え事」
 そう曖昧に返事をする事しかできず、スラッグはまた溜め息をつく。
 風を読めるのはスラッグだけだ。レイシェに話してもどうにもならない事は今までの経験から解っている。理解は示してくれるものの、実際に風を読めるわけではないレイシェにはその感覚が解らないのだ。説明のしようもない。
 ――いつまでこんな生活が続くんだろ……。
 頬杖をつき、今はもう空になったサイダーの入っていたグラスの中の氷をストローで掻き回しながら思う。
 別段、今の生活に不満があるわけでもない。レイシェと過ごす毎日に物足りない事があるわけではない。食事は十分に取れるし、TVゲームのような娯楽もある。仕事はアルバイトとハントを気まぐれに選んでやっているが、最近は専らハントばかりしていた。報酬が良いだけではなく、スラッグには外の風に触れたいという気持ちもあるわけだが。
 もし、不満があるとすれば、レイシェとの関係ぐらいだろう。
「――スラッグ! そろそろ店を出ようよ」
「あ、そ、そうだな」
 数回呼びかけてうたのだろうレイシェに慌てて答え、スラッグは席を立った。
 勘定を払い、店を出る。
「――ん?」
 店を出た直ぐ近く、道路の真ん中に人だかりができていた。
「何かしら?」
「またあいつ等だろ、関わらない方が良いって」
 言い聞かせ、帰ろうとするが、レイシェは人だかりの方へと走って行ってしまう。それに溜め息をつき、スラッグも追いかけるように走り出した。
 人だかりの中央には大柄な男達が数人と、そうでもない者達が数人いがみ合っていた。
「……デリックかよ」
 レイシェの隣に追いついたスラッグが小さく吐き捨てる。
 スラッグが指し示したの大柄な男達の中央にいる、一番厳つい顔をした大男だ。ハントを生業にしている者の中で、この街では最も有名な男だ。理由は簡単、腕は確かだが、そのせいか性格が悪い。典型的な力任せのタイプだ。
 スラッグには苦手なタイプである。
 ハントを生業にするハンターの中には、少なからずそういった輩が出てしまう。自分達が街を守っているのだと言い、好き勝手に横暴するのだ。故にハンターに対して良い顔をする者は多くない。
 スラッグ達はハントをしているが、ハンターだと自ら名乗る事はない。生活資金に余裕がなくなりそうだと判断したら手っ取り早い資金補充の手段としてハントをしているだけだ。また、レイシェはデリック達のようなハンターを毛嫌いしている。今のようなトラブルに顔を突っ込んでは、実際に対処するのはレイシェでは力不足だと判断したスラッグだ。風を読めるスラッグがデリック達を撃退する。そうして、そんな事が数回繰り返されているため、デリックのような者達からスラッグやレイシェは目の仇にされている。
 正直、スラッグとしてはいい加減にして欲しい状況だ。
「また何かしたのね!」
「お、おい、レイシェ!」
 人ごみを掻き分けてレイシェが進んで行くのを、スラッグは追うしかない。
 確かにレイシェでも普通の人間を二、三人ぐらい相手にできるが、デリックはそうもいかない相手だ。これ見よがしに鍛え抜かれた身体は人一倍反射神経も運動能力も高い。レイシェでは勝てない。周囲の風の動き、敵の動きを見切れるスラッグでもなければ、デリックの攻撃を避けるのは至難の業だ。
「――騒々しいっ!」
 突如、鋭い声が飛ばされた。周囲は静まり返り、声のした主から人が離れ、その人物とデリック達との間に道が作られる。
「誰だろ……?」
 レイシェが呟いたのが聞こえた。
 見れば、一人の青年が立っている。
「――あいつ……」
 スラッグは感じた。視線の先の青年は、何か、他の者とは異質な空気を纏っている。それだけではない、その青年の両目は真紅だった。目に色素のない場合、光の反射によっては目が赤く見えたりもするそうだが、そういった類のものではない。
「何だ、てめぇ……」
 デリックが不愉快そうに口を曲げた。
「通行の邪魔。それに目障り耳障り」
 臆した様子もなく、青年はさらさらと挑発的な言葉を並べる。
 その言葉にキレたデリックの仲間が数人、青年に飛び掛った。瞬間、青年の目がすっと細められる。
 次の瞬間、デリックの仲間の顎を下方から蹴り上げて上空に吹き飛ばし、他の男に対して、軸足を回転させて回し蹴りを放つ。両足を地面に着けた後で襲い掛かって来た三人目には、懐に踏み込んで肘打ちを命中させていた。
 ――……速い!
 感じた風の動きに、スラッグは息を呑んだ。恐らく、スラッグでも敵わないだろう反射神経と身体能力を持っている。
「弱過ぎだな。あんたも掛かって来るか? 相手ならしてやるぜ?」
 表情一つ変えず、淡々と言葉を放つ青年に、デリックが歩み出た。
「……後悔するなよ?」
「そっちこそ」
 言い、デリックが振るった拳を軽々とかわし、青年が一歩踏み込む。繰り出された膝蹴りを踏み台にするかのように足を乗せ、青年はデリックの膝を足掛かりに跳躍すると同時に、もう一方の足を持ち上げてデリックの顎に膝蹴りを返した。予想していなかった青年の行動に、デリックの反応が遅れた。
 瞬間、骨の砕ける音が辺りに響き渡り、デリックの身体が仰向けに倒れる。受け身も取れずに後頭部から地面に激突し、昏倒したデリックを青年が見下ろす。
 ――……あいつ、躊躇せず……?
 普段、スラッグがデリックの相手をする場合、攻撃を全てかわした上で下腹部や脇腹などに攻撃を集中させて気絶、もしくは戦闘続行不可能な状態にまで持っていく。面倒事を増やしたくないと思うせいだろう、致命傷にもなりかねない場所への攻撃は避けているのだ。しかし、目の前の青年は致命傷になりかねない衝撃を躊躇無く与え、一撃でデリックを下した。
「自業自得だ。暫く病院で反省しろ」
 つまらなさそうに言い、青年が歩き出す。
 周りではデリックを道路上から運び出す作業が行われ初め、青年の存在を気にする者が急速に減っていく。救急隊が到着し、デリックを回収し、警察達がやってくる中、恐らくは警察に事情聴取を迫られるだろう青年はそんな事を気にした風もなくその場から去ろうとしていた。周囲に人が多いため、一度姿を眩ませればほとんど見つかる事はない。
「――ん……?」
 近くを通ろうとした青年の視線がスラッグと合った。瞬間、青年の目が見開かれる。
「お前……!」
 駆け寄ってくる青年に、スラッグもレイシェもその場から動く事ができなかった。無視しようとしても、どの道二人に青年が関わってくるだとうと青年の表情から解ったからだ。
「な、何だ……?」
「あなた、凄いのね……!」
 うろたえるスラッグとは反対に、レイシェはにこやかに話し掛けていた。
「君は……! 君もか!」
「え?」
 青年がレイシェを見て口走る。
 その意味が解らず、スラッグもレイシェも首を傾げた。
「君達と話がしたい。落ち着いて話せる場所はないか?」
「私達の家ならすぐ近くだけど」
「連れてってくれ。重要な話なんだ」
 青年の言葉にレイシェが応じ、彼をスラッグ達の家に案内する事がすぐさま決まってしまった。
 スラッグとしては素性の知れない相手を家に入れるなど反対だったのだが、それを主張する間もなくレイシェが応対してしまったのだ。もっとも、スラッグ自身も青年の話に興味がないわけではなかったのだが。彼が纏う異質な空気に、スラッグは惹かれていたのかもしれない。

 一階のリビング部分のソファに腰を下ろし、スラッグは青年と向かい合っていた。
「俺の名前はトゥージ・アンジェ・ヴァリウス。アンジェと呼んでくれ」
 青年はそう名乗った。
「私はレイシェ・ラン・セート」
 レイシェが言い、アンジェはそれに頷くと視線をスラッグへ向けた。
「君は?」
「スラッグ」
「フルネームが知りたいんだ」
 普段呼ばれている愛称を答えたスラッグに、アンジェは真剣な眼差しで言った。
「……スルーゲイル・ドラグ・リュージョン」
「ドラグ、か……ふむ、解った」
 ミドルネームを改めて呟き、アンジェは頷いた。
 左右で目の色が違う、もしくは両目とも目の色が通常のものとは異なる場合、ミドルネームを付けるのが風習となっている。そのため、レイシェの両親の名前にミドルネームはなく、スラッグの両親の名前も同様であった。
「普段はスラッグでいい」
 スラッグ自身、正式な名前のスルーゲイルと呼ばれるよりも、愛称として略された呼び名の方が気に入っていた。
「それで、話っていうのは?」
 不信感を抑えつつ、スラッグは問う。
「――外の世界を見たくないか?」
 身を乗り出し、口元に笑みを浮かべながら、アンジェは確かにそう言った。
「外……?」
 眉根を寄せ、スラッグは首をかしげた。
 外界にならハントの時にいつも出ている。アンジェの言葉の意味が解らなかった。
「本当の世界の事さ。ここは、上手くカモフラージュされてるが、閉鎖空間だ。そこから出てみたくはないか?」
「どういう事?」
 アンジェの言葉に、レイシェが聞き返す。
「この世界はジオ・フロント内の空間なんだよ」
「馬鹿言え、海や島だってあるんだぞ? それに、空だってある」
 その言葉にスラッグは口を挟んだ。
 地下空間ジオ・フロントであるのならば、維持の面からもそれほどの大きさのものは造れないだろう。だが、スラッグが住むこの世界には海があり、海外という場所が存在していのだ。航空機も存在するし、船舶もある。ジオ・フロント内にそれらを置くには、凄まじいまでの空間が必要になる事は想像に難しくない。
 更には、空だ。太陽の動きや月の動き、日照時間の差異は場所によって違うし、季節の変化も存在する。
 今まで生きてきた世界が地下だったなど、スラッグには信じられない言葉だ。
「それだけ巨大なジオ・フロントなんだから仕方ないだろう」
 スラッグの問いにアンジェはさも当然と言うかのように答えた。
「そんなのが造れるのか?」
「造れたんだろう。じゃあ逆に聞くが、何故クリーチャー対策にジオ・フロントを造らない?」
 アンジェが問い返す。
 クリーチャー対策のためには外壁を造るよりも、地下に新たな生活空間を造った方が効率が良い、という者は少なからず存在している。しかし、費用や地盤の問題から地下空間の建造は見送られたままになっていた。
 アンジェからすれば、ジオ・フロントを造らないのは、既にジオ・フロント内にいるからだというのだろう。これ以上地下には生活空間を築けるだけのスペースがない、というのがアンジェの見解なのだ。
「それで、ここがジオ・フロントだとして、あんたは何がしたいんだ?」
 スラッグは話を切り替えた。
 にわかにはアンジェの話を信用できない。だが、その話を否定し切れないのも事実だった。
「俺の目的は外に行くべき者を導く事だ」
「外に行くべき者?」
「この場だと、君達だ」
 眉根を寄せるスラッグに、アンジェは告げる。
「君達は自分が他の人間達と違う事に気付いている。違うか?」
「それは……!」
 アンジェの言葉は、今までの生活でスラッグが感じていた事そのものだ。間違ってはいない。
 大気の流れを読める人間など、まずいない。ある種の武術などの修練によって、周囲の気配を呼んだり、戦闘技術の訓練によって感覚を鍛える事はできたとしても、スラッグと同質の勘を持つ者はいないだろう。訓練などしたわけではなく、スラッグの感覚は生まれつきだったのだから。
 それだけではない。多少は身体を鍛えたが、同じ量のトレーニングを積んだ同年代の人間と比べて、スラッグとレイシェの身体能力はずば抜けて高いのだ。スラッグと同い年でハンターをしている人間は数えるほどしかいないだろう。
 目の色といい、身体能力といい、スラッグとレイシェは人間離れしていると言われたとしても否定できない。
「俺も同種でね」
 アンジェが口元に笑みを浮かべて言う。
「時折、ジオ・フロント内でも特殊な人間が生まれる事がある。それらを本来あるべき場所へ導くのが今の俺の役目だ」
 そう言葉を並べたアンジェの声は、自分の行動に誇りを持っている者の声だった。自信に満ち溢れ、正しいと確信しているのだ。
「共に行かないか?」
 アンジェの言葉に、スラッグは直ぐに返答できなかった。
「外の世界……私は見てみたいな」
 目を輝かせ、レイシェが言う。
「君はどうだ?」
「……少し、考えたい」
 アンジェの誘いに、スラッグはそう答えた。
 ――俺は、あんたの話を鵜呑みにはできない。
 その言葉は飲み込んだ。頭ではアンジェの言う話を全て信用していないというのに、何故かアンジェの言葉が事実だと思い始めている自分がいる。
「良い返事を期待してるよ」
 微笑んで応対するアンジェから、スラッグは目を逸らしていた。
「そういえば、今夜はどうするんですか?」
「近くにホテルでもあれば楽なんだけどね」
「良かったらウチに泊まりませんか?」
「いいのかい?」
「ソファに寝てもらう事になりますけど、朝食は付きますよ」
 目の前で交わされる会話に、スラッグは口を挟もうとしなかった。
 基本的に、レイシェは誰にでも優しい。先の騒動に首を突っ込もうとするのも、スラッグと同棲しているのも、レイシェの性格によるところが大きいだろう。
「じゃあお言葉に甘えさせてもらおうかな」
 笑顔でレイシェに対応するアンジェ。
「俺、先に寝るよ」
「もう寝るの? ちょっと早いんじゃない?」
 大きく溜め息をつき、ソファから立ち上がったスラッグにレイシェが言う。
「一人で考えたいんだ」
 レイシェに答え、スラッグは階段を上り、二階にある自分の部屋に入った。
 テレビとゲーム機、机と小さめの本棚、クローゼットとベッド。スラッグは後ろ髪を束ねていた紐を解いた。その紐を上着のポケットに突っ込み、ベッドの上に仰向けに寝転がる。
 外へ出るというのであれば、少なくとも街を出る事になる。家を引き払い、家具を処分して、寝袋などの旅支度も整えて、街を出る。
 普通の世界にしか見えないこの場所から、どうやって外に出るのかは解らない。ただ、アンジェの言葉を信じるのであれば、アンジェは外に出る方法を知っている。そうでなければ、アンジェ自身の存在が矛盾してしまうのだから。
 物音を立てずに部屋にいると、階下からの声が微かに聞こえてくる。レイシェの声と、アンジェの声。雰囲気から察するに、他愛のない事を喋っているのだろう。重要な事ならば、スラッグを引き止めてレイシェと共にいる時に一度に喋ってしまった方が楽だからだ。
 レイシェは恐らくアンジェについて行くだろう。例え今の生活に戻れなくなったとしても、レイシェは外を見るという事を諦めはしない。今生きている世界がジオ・フロントなのだとすれば、本当の、外の世界はレイシェにとっては『果てのない世界』なのだ。もしかしたら、レイシェはこの世界に果てがあるという事を心のどこかで感じていたのかもしれない。
 ――俺は……。
 世界に果てがある。その考えを、スラッグは心のどこかで否定したいと思っている。今まで生きてきた世界を捨て、見知らぬ世界に行こうとする事に抵抗を感じているのだ。
 まだやり残したゲームもある。見たいテレビ番組もある。
 そんな事をアンジェに言えば笑われるかもしれない。もし、アンジェが外の世界から来たのだとしたら、ここにあるゲームも、テレビも、興味の対象外のはずだ。暇潰しに見る事はあっても、本来の目的を進められるのであればそちらを簡単に優先できる。
 ――甘えだよな、そんなの。
 生きていく事に差し支えがないのであれば、そこで一生を終えた方がいい。その考えに間違いはないだろうし、冒険する事が間違っているわけでもない。
 ――外の世界が本当にあるのなら、見てみたい。
 それもスラッグの本心だ。ジオ・フロント内の風ではない、本当の風を感じてみたい。
 スラッグはレイシェと違い、アンジェを完全に信用してはいないのだ。アンジェが何らかの目的でスラッグ達を騙そうとしている可能性もゼロではないのだから。
 だが、アンジェが纏っていた空気は確かに異質なものだった。今まで触れた事のない感触の風。全体的に纏っていたわけではなく、微かに残っていたかのように、アンジェの衣服に纏わりついていた空気。
「……俺が、外へ行く理由……」
 それがあるだろうか。必要性はない。ただ、迷っているという事が、スラッグに理由を考えさせているのだ。
 更けていく夜に、スラッグは延々と考えを廻らせていた。

 朝、いつも開け放している部屋の窓から入ってきた風に、スラッグは目を覚ました。
「……何だ?」
 まず初めに感じたのは違和感だった。また壁の外で何かが起きたか、起きようとしているのだろうか。
 ベッドから降り、着替えを済ませて後ろ髪を束ね、一階へと下りる。
「よぉ、早いな」
「昨日早く寝たからな」
 部屋のソファから身を起こしたアンジェの声に、スラッグは答えた。
「眠れたか?」
「まぁな。寝心地は悪くなかった」
 スラッグの言葉に答え、アンジェがソファから下りた。レイシェが渡したのであろう薄地の掛け布団を二度折り畳んでからソファの背もたれにかける。
「朝食は君が作るのか?」
「三十分ぐらい待ってればレイシェの作ったものが食べられるけど?」
 アンジェの問いに答え、スラッグは手早く朝食を用意して行く。フライパンに油を垂らし、軽く熱し、トースターにパンを突っ込み、卵とベーコンを冷蔵庫から取り出す。
「いや、君ので構わない」
 背後から掛けられた言葉に、スラッグはパンをもう一枚トースターに押し込んだ。
 フライパンの上で片手で卵を割り、既に細かく刻まれているベーコンを散らす。手早く掻き混ぜながらフライパンを動かし、スクランブルエッグを作った。皿に盛る際に塩コショウを軽く降りかける。
「できたぞ」
「手際がいいな」
 アンジェを呼び、テーブルに座って食事を始めた。
「てっきり役割分担がされていると思ってたが、そうでもないようだな?」
「一人暮らしできるだけの技術は一通り持ってる」
 トーストにマーガリンを塗りながら、スラッグは答えた。
 一人きり生き残った時、スラッグは一人暮らしを覚悟していた。レイシェが同棲する事になったとはいえ、いつスラッグ一人になるかは解らない。一通り生き残れるだけの技術はスラッグも習得しているのだ。
「――それで、決まったか?」
 少しだけ声量を落とし、アンジェが問う。
「……俺も行く」
 静かに、だがはっきりと、スラッグは答えた。
 アンジェが口元に笑みを浮かべたのがスラッグにもはっきりと見えた。
 そうして、レイシェが朝食を終えてから、アンジェが今後の予定を話題にした。外へ行くと決めたのであれば、直ぐにでもジオ・フロントから脱出した方が良いのだと言い、今日中に旅立つ事が決まった。
 持って行くものとそうでないものを整理し、それが終わり次第、スラッグとレイシェの家を引き払って旅立つ事になった。元々、それ程の衣服を持っていなかったスラッグは必要だと思った衣類をやや大きめのバッグに詰め込み、持っていたゲームを全て売り払った。レイシェはスラッグに比べ衣服が多いため、ある程度選んだらしい。レイシェもお気に入りの数冊を残して本を全て売り払い、準備を済ませた。
「……忘れものはないな?」
「うん」
 アンジェの確認に、レイシェが頷く。
「――!」
 家を出た瞬間、スラッグの背筋に悪寒が走った。寒気のような感覚は、スラッグが風から感じ取ったものだ。それが解ったからこそ、スラッグは風上へと視線を向けていた。
「どうしたの?」
「……何か、来る――!」
 その様子に首を傾げたレイシェに、スラッグは表情を強張らせ、告げた。
 ――何だ、この厭な風は……!
 凄まじいまでの恐怖を感じた。とてつもなく強大な何かが、向かってくると、そう風が告げている。
「ねぇ、一体何が……――!」
 レイシェが呟いた瞬間、その場に『声』が届いた。
 禍々しい、叫び声。咆哮。
 瞬時に街が静まり返り、やがてざわめき、パニックに陥って行く。
「……レベルスリー……」
 アンジェが呟いた。
 風上、スラッグの正面に見える壁が、突如崩壊した。外側から突撃してきた『それ』を抑え切れずに、内側へと壁の破片を撒き散らしながら、外壁が崩壊する。
 十メートルを越えるであろう、大きな漆黒の身体に二枚の巨大な翼を生やした、クリーチャー。まるで竜を思わせる姿をしたクリーチャーに、人々が逃げ惑う。
 スラッグが感じ取った風を起こしていたのは、間違いなくその竜だった。凄まじいまでの存在感と、威圧感に、スラッグ自身も勝ち目はないだろうと確信していた。恐らく、人間の力では目の前のクリーチャーを倒す事はできない。都市数個分の軍事力を結集してようやく仕留められるであろう規模だ。
 壁を崩し、大きな二本の足で建物を押し潰し、着地する竜。
『――!』
 空に向かって咆哮し、口腔内から炎を吐き出す。灼熱の業火に街が燃やされて行く。
 街の端の方で赤々と燃え盛る炎と、黒煙の向こうで咆哮する竜が、辺りを見回すかのようにその首を曲げる。遅れてやってきた熱気が突風となってスラッグ達にぶつかり、通過した。
「……まずいな」
 アンジェが呟いた。
 クリーチャーには大きく分けて三つのタイプがある。最も一般的で、ハントの対象とされるのが四足歩行の獣型クリーチャーだが、他にも二種類のクリーチャーがいるのだ。一つは人間の四倍程の大きさの二足歩行型のクリーチャー。そして最後が最も巨大な竜型のクリーチャーである。獣型、巨人型、竜型の順に戦闘能力は高くなるが、その度合いは半端なものではない。獣型は通常の人間が二、三人で狩るのが普通だが、巨人型は十人程度で十分に罠を張り相手にするのが基本だ。しかし、竜型の場合は、生身の人間が戦って勝てるような相手ではない。
 竜型クリーチャーに襲われた都市で、撃退できたところは数えるほどしかなく、それでも壊滅的な打撃を被っている。
「どうしよう、このままじゃ街が!」
 レイシェの表情には恐怖と困惑があった。
 勝ち目がない事は理解しているのに、放置できないのだ。二度と戻ってくる事がない街となっているとしても、見過ごせないのである。
「どうにもできないよ、俺達じゃ……」
 歯噛みして、スラッグは答えた。
 風を読めたとしても、攻撃の規模が竜型ともなるとスラッグでも避け切れない。当然だが、スラッグとレイシェは竜型と戦った経験もない。少しだけ他の人間より身体能力が優れていたとしても、普通の人間と同じ武器に頼らなければ戦えないのだ。その武器が通用しないとなれば、スラッグ達にも勝ち目はない。
「――果たして、そうかな?」
「……え?」
 アンジェの言葉に、スラッグは耳を疑った。
「俺達なら、勝てる」
 自身に満ちた声で言い切るアンジェに、スラッグもレイシェも言葉を返せなかった。
「二人はまだ、覚醒してないだけだ」
「何を言って……?」
「俺達の中には力が眠っている」
 困惑するスラッグに、アンジェはあくまでも冷静に言葉を紡いでいた。
「あなたは、あれを倒せるの……?」
 レイシェが問う。
 間違いなくレイシェも困惑している。だが、街を救えるかもしれないという可能性に、理解できずにただ悩むよりも期待を抱いている。
 その問いにアンジェは頷いた。荷物をレイシェに預け、竜へと歩き出すアンジェは、振り向かずに告げた。
「外では、俺達は自分達をこう呼んでいる――」
 凄まじいまでの大気の流れがアンジェを中心に巻き起こる。そのアンジェの背中に、何かが形作られていくのを、スラッグは確かに見た。

 ――ヴァーテクス。
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