第七章 「穴居城」


 食堂で朝食を済ませた後、ヴァン、ノア、ガラの三人は皆に見送られながらバイロン寺院を発った。
 エイミはヴァンたちとほぼ同時に、数名の僧兵の護衛と共に南口からリム・エルムに向かった。誰かの後ろ姿を見送るのが苦手だからと、ヴァンたちと同時にバイロン寺院を発ったのだ。
 ヴァンは盆地の調査を終えた後、一度リム・エルムに向かうことを伝え、再会を約束して盆地へと向かっていた。
 道中、ノアはエイミに教えてもらったことなどを嬉しそうに話してくれた。下着も何着か見繕ってもらったため、少し荷物が増えることになったが、同行者が 増えたこともあって負担にはなっていない。荷物と資金をヴァンとガラの二人で管理することにしたため、ヴァンの負担はむしろ減っている。
 エイミと過ごした昨日がノアにとっては相当楽しいものだったようで、ノアは上機嫌だった。
「そういえばオズマ、ふと気になったことがあるんだが……」
 不意に、ガラがオズマに話しかけた
「創世樹はこの世界に何本あるんだ?」
「確か、十本あるはずです」
 ガラの問いに、オズマが答える。
 この世界に存在する創世樹は合計十本のようだ。
「となると、『聖獣(ラ・セル)』も同じ数だけいるということか?」
「単純に考えれば、そうなりますね」
 ヴァンの問いにはメータが答えた。どこかはっきりしない物言いだ。
「深い『霧』の中で枯れてしまった創世樹があったりすれば、減ってしまっている可能性もあるからね」
 浮かんだ疑問に答えたのはテルマだ。
 創世樹自体は十本存在し、その一つ一つに『聖獣(ラ・セル)』が眠っている。単純に考えれば『聖獣(ラ・セル)』も創世樹と同じ数だけ存在することになる。
 だが、『霧』によって西ヴォズ樹林の創世樹が枯れていたことを考えると、覚醒させることが可能な創世樹は減ってしまっているかもしれない。同時に、聖獣卵が失われてしまった創世樹もあるかもしれない。
「そういえば、東ヴォズ樹林の創世樹に『聖獣(ラ・セル)』はいなかったな……」
 思い返してみれば、東ヴォズ樹林の創世樹には聖獣卵がなかった。オズマは西ヴォズ樹林の創世樹で眠っていた『聖獣(ラ・セル)』だ。
「恐らくは、ジェドの聖獣卵があったはずです」
 ヴァンの呟きに、メータが答えた。
「聖獣卵だけを取り出すことなど、できるのか?」
 ガラが疑問を口にする。
「できた、と考えるしかありませんね……」
 釈然としないのはオズマも同じようだ。
「そもそも、普通の『獣(セル)』は創世樹に対して危害を加えることができません」
 メータが語る。
「どうして?」
 ノアが首を傾げた。結った後ろ髪がそれに合わせて揺れる。
「創世樹っていうのは、元々私たち『獣(セル)』の世界のものなのさ」
 テルマが言った。
 人間と『獣(セル)』は元々別の世界の住人だった。ところが、人間界に『獣(セル)』が現れるようになり、人間たちはそれを利用して文明を築いてきた、というのが昔話として今に伝わっている。
 『獣(セル)』が人間の世界に現れた時、『獣(セル)』の世界にあった創世樹が人間の世界にも表れたということなのだろうか。
 これまでのメータたちの言葉からすると、創世樹は『獣(セル)』によって発展した文明に対する安全装置のような印象を持っている。そこには何者かの意思が存在しているような気さえしてくる。
「世界がバランスを取ろうとした結果、ってことなんだろうけどね」
 テルマが言う。
 元々別だった二つの世界が僅かに混じり合った結果、『獣(セル)』の世界にあった創世樹が人間の世界に現れたということだろうか。だとすれば、ヴァンが感じた何者かの意思、というのは世界の意思であり、言ってしまえば神の采配ということになるのかもしれない。
「『獣(セル)』にとって創世樹は神聖なものですから、通常の『獣(セル)』は傷付けることができません」
 オズマの説明では、『獣(セル)』は創世樹を攻撃できないということらしい。
「あれ? じゃあリム・エルムにゼトーが現れた時、『獣(セル)』をけしかけていたのはどういうことなんだ?」
 ヴァンはリム・エルムの壁が壊された夜のことを思い返した。
 あの時、ゼトーは創世樹を始末するよう『獣(セル)』をけしかけていた。『獣(セル)』が創世樹を攻撃できないとすれば、指示するだけ無駄なはずだ。メータがいたというのもあるだろうが、実際『獣(セル)』は創世樹に触ることができていなかった。
「あれは、創世樹に人を近付かせないための方便でしょう」
 メータの推測はこうだ。
 創世樹に『霧』を払う力があると知っていたゼトーとしては、創世樹の覚醒は阻止しなければならない。とはいえ、『霧』によって創世樹が枯れるまでには時 間がかかりすぎる。今まで『霧』の侵入を防いできたリム・エルムの創世樹はそうそう枯れることもない。『獣(セル)』をけしかけたところで創世樹を傷付け ることはできないだろうが、人を創世樹から遠ざけることはできる。創世樹の覚醒に『聖獣(ラ・セル)』と人が必要だと知っていたとすれば、創世樹から人を 遠ざけることで覚醒を妨害できる。そして、『霧』が一度入り込んでしまえばリム・エルムが滅ぶのも時間の問題だ。
 創世樹の覚醒を妨害しつつ、入り込んだ『霧』と『獣(セル)』でリム・エルムも数日のうちに滅ぼせる。
「なるほど、確かに『霧』や『獣(セル)』が近くにいれば創世樹に近寄ろうとは思わないもんな……」
 メータの説明でヴァンは納得した。
 『霧』や『獣(セル)』の怖さを知っていれば、わざわざ『獣(セル)』が取り囲む場所へは向かおうとしないだろう。
「リクロア山の頂上に『獣(セル)』を寄越したのも、私の妨害が目的だろうね」
 テルマが呟いた。
 創世樹を直接攻撃することはできないが、『聖獣(ラ・セル)』のテルマと、装着前のノアを始末してしまえば創世樹の覚醒は阻止できる。後は長い期間をかけて創世樹を『霧』の毒で少しずつ枯らしてしまえばいい。
「なので、『獣(セル)』の攻撃で創世樹が傷付くということはないんです」
 メータが言った。
 そもそも、『獣(セル)』は創世樹に対して攻撃を加えようとはしない。それは本能的なもので、抗うことのできるものではないらしい。加えて、何かの拍子 に『獣(セル)』の攻撃で創世樹を巻き込むことがあっても、通常は『獣(セル)』の攻撃で創世樹は傷付かないようにできているようだ。それは『霧』によっ て狂暴化した『獣(セル)』であろうと、人が装着して創世樹を攻撃した場合であろうと、変わらない。
 創世樹は『獣(セル)』に対して無敵と言っても良いのかもしれない。
「あくまで、通常は、という前提ですが」
 メータの声が明らかに重苦しいものになった。
 それは『獣(セル)』や『聖獣(ラ・セル)』にとっては常識的なことだ。言い換えるなら、その普通から逸脱するような存在であれば話は違ってくる、ということだ。
「私はゼトーと間近に対峙したわけではありませんから、それが『獣(セル)』なのか、違うものなのか判断できません」
 リム・エルムでのメータは創世樹を守るので精一杯で、ゼトーのことを探る余裕はなかった。
 ゼトーが何者なのか、この先に手掛かりがあれば良いのだが。
「ジェドがどうなってしまっているのかも気になりますね……」
 オズマが呟いた。
 ただの『獣(セル)』とも、『聖獣(ラ・セル)』とも違う何かになってしまったらしいジェドのことも気にかかる。
 バイロン寺院を北に進み、西側の山脈が途切れ渓谷に差し掛かる。
「みて! きりがうすくなってる!」
 ノアが前方を指差して声をあげた。
「これなら私たちが進むのに問題はないね」
 テルマが応じるように言った。
 三方から創世樹の力が及んでいるのが実感できる。盆地に『霧』を閉じ込めるように、渓谷の辺りで『霧』が押し留められている。しかも、盆地内に満ちてい た『霧』が薄くなっているのがはっきりと分かる。今までヴァンたちが進んできた程度か、それよりやや濃い程度だ。これなら、創世樹の覚醒によって成長した メータたちも進むことができそうだ。
「よし、気を引き締めて行くぞ」
 ガラの言葉に頷き合って、ヴァンたちは『霧』の中へと足を踏み入れる。
 清涼だった空気が一転して重苦しいものに変わる。薄まってはいるものの、『霧』のせいでやはり視界はあまり良くない。
 野生動物や『獣(セル)』を避けるよう注意しながら進んで行くと、前方に建物が見えてきた。
 四方を小高い壁で覆われた建物だ。中央の黄土色をした建物を守るように造られている。分厚い石造りの壁だ。壁を境に地面は整えられた石造りの床に変わっている。
 中央の黄土色の建物は二階建て程度の高さがあるように見える。ほぼ正方形の建物だが、底面よりも天井の方が面積が小さく、四角錐を水平に切った下半分といったような形状をしている。正面には一部窪んだ箇所がある。
「ヴァン、ガラ! あそこからきりがいっぱいでてるよ!」
 ノアが目を丸くして上の方を指差した。
 その視線の先、中央の建物の東西に四本の長い筒状の建造物があり、その先端から『霧』が溢れ出していた。溢れ出す『霧』は濃く、煙突の先端が白く染まって見えないほどだ。辺りにたちこめる『霧』も今までより濃い気がする。
「あの煙突から濃密な『霧』が流れ出しているのか……」
 ガラが睨むようにくすんだ銅色をした煙突の先を見つめる。
「やはりここからドルク王領に『霧』が溢れ出しているのね……」
 オズマが呟いた。
「煙突が地面から伸びているということは、この地下に『霧』を生み出す何かがある可能性が高いね」
 テルマが言った。
 正面に見える建物にはさほど大きな印象がない。『霧』を生み出している何かが建物の中に収まる大きさなのかは分からない。ただ、煙突の位置が建物の周囲からやや離れているところを見ると、むしろこの地下にあるというテルマの推測が正しいように思える。
「それをやっつければいいんだね!」
 ノアが握り拳を作る。
「ここに何かがあるはずだ……入り口を探そう」
 ヴァンの言葉に全員で頷き合う。
 『霧』を生み出しているのがここであるなら、敵にとっても重要な場所のはずだ。
 三人で建物の周りを見て回ったが、正面にある窪んだ場所以外は何も変わったところがない。窪んでいる場所に近付いてみると、四方に切れ目のような溝があった。ドアノブのようなものはないが、出入りできそうな場所はそこしかない。
 手を触れてみると、窪んだ壁がゆっくりと上にズレ始めた。完全にスライドし切ると、その奥に地下へ伸びる広く長い階段があった。
 明かりはなく、階段の向かう先は見えない。
 意を決して、ヴァンは一歩を踏み出した。ノアとガラがその後に続く。
 階段を降り始めると、背後で扉が動く音がして、ゆっくりと閉まっていくのが見えた。外の光が消え、暗闇が辺りを包む。
 メータたちが淡い光を帯びて、周囲を照らしてくれた。
 長い階段を慎重に降りて行くと、開けた場所に出た。
「これは……?」
 ヴァンたちは周囲を見回した。
 空洞のような広い空間にいくつかの足場が浮いているような風景だ。足場それぞれが部屋一つ分ぐらいの広さがあり、浮いているようには見えるが、暗くて支えが見えないだけのようだ。足場同士は人が二人程度並んで渡れる程度の橋のようなもので繋がれている。
「どうなっているんだ?」
 ガラが眉根を寄せて疑問を口にする。
「したみえないよ……!」
 足場から下を覗き込んで、ノアが言った。
 良く見れば、天井から下の方へ、筒状のものが伸びている。丁度、煙突と同じ色だ。
「飛び降りる、のは得策じゃなさそうだな……」
 ノアの隣で足場の下を覗いて、ヴァンは呟いた。
 この空間の広さは地上の敷地面積よりも大きいように思えた。壁で囲まれた範囲の地面が整地されていたことから、地下の広さもそれぐらいかと思っていた が、実際はそれ以上の広さがあるようだ。煙突の筒が下の方へ伸びていることを見ると、『霧』の発生源はもっと下方にあると推測できる。
「下へ降りられる場所を探そう」
 ヴァンの結論にノアとガラも頷いた。
 暗くはあったが、天井のところどこに明かりがあるため、足場を進んで行くのに問題はなかった。松明のような明かりではなく、薄いぼんやりした妙な明かりだった。地下の空間自体も、水平方向よりも上下方向に広く造られた竪穴のような構造になっているらしかった。
 足場や橋のような通路があることを見ると、誰かが行き来できるように造られているのが分かる。少なくとも、何者かによって造られた人工の建造物であることは間違いない。もっとも、それが人なのかどうか、という疑問はあるが。
 不気味なほどに人の気配がしない。『獣(セル)』も見当たらず、濃い『霧』が立ち込める中、手当たり次第に通路を歩き回った。
 そうしていると、紫色の円筒形のオブジェを見つけた。
 一回りほど大きな白っぽい屋根のついた小さな家のような物体だ。足場の床から突き出るように建っている。回り込んでみると、内側にやや窪んだ部分がある。下の方へ向いた矢印のようにも見える、奇妙な紋様が刻まれている。この建物の入り口にあったドアに似た印象もある。
 良く見れば、紋様の刻まれた面の上にある屋根にもやや小さいが同じ紋様があった。
「これは……?」
 ガラが紋様のある場所に触れると、その面が左右に開いた。
「ひらいた!」
 ノアが目を丸くする。
 どうやら、そこがドアだったようだ。
 内部を覗いてみると、大人が五人程余裕を持って入れるぐらいの大きさがある。
「……入ってみるか?」
 ヴァンは二人に問う。
 他の場所は探し尽くしており、もうこのオブジェぐらいしか調べられる場所はなかった。紋様が下に向いた矢印に見えなくもないことから、この中に何かがあるかもしれない。
「他に下りられる場所もなさそうだしな」
 ガラの言葉に頷いて、ヴァンたちはオブジェの中に足を踏み入れた。
 円筒形の壁に包まれた何もない部屋という印象しかない。床には何やら放射状に広がっているような紋様が刻まれていたが、何を意味しているのかはさっぱり分からない。
 内側から壁を見回してみると、何か赤い点が明滅しているのに気が付いた。丁度、開いている扉のすぐ脇の壁、ヴァンの肩ぐらいの高さにあった。
 他には何も見当たらず、触れてみることにした。
 何かのスイッチのようだった。触れた指で少し押し込んでみると扉が閉じた。
 その直後、体が上へ持ち上げられるような妙な感覚を味わった。
「何だ?」
 ガラが驚いて床や周囲を見回す。
「わ!」
 ノアが声を上げた。
 目の前の景色が変わっていた。
 ただの壁だったものが上へとせり上がり、途中から透き通ったガラスのようなものに変わる。良く見ると、壁がせり上がったのではなく、ヴァンたちのいる足場が降下していることに気付いた。
「うごいてる! うごいてるよ!」
 ノアがガラスの向こう側や今いる足場を見てはしゃいだ声を出す。
 ガラス張りの筒の中を、下へ向かって足場が移動している。ガラス張りの筒には一定間隔で節目のように紫色の輪のようなパーツが設けられている。
「下へ降りるための装置ということか……凄いな」
 ガラが呟いた。
 ガラス張りになっている筒の外に見えるのは、広大な空間に下から上へと伸びているであろう煙突だけだった。下の方へ視線を向ければ、床が見えてきていた。
 動き出した時とは逆に、下方へ押し付けられるような感覚が一瞬あって、足場は動きを止めた。この移動装置に入った時と同じような円筒形の壁に包まれた小部屋だ。
 足場の動きが止まると共に、壁の一部が開く。
 ヴァンたちは警戒しながら部屋の外へと出た。
 上層の足場とは違い、文明を感じさせる内装が広がっている。青みがかった石造りの板がタイルのように敷き詰められたような床と天井に、紫色の壁がある。 天井と壁には、ところどころに黄土色や灰色のパイプがいくつも走っている。パイプは途中で何度も折れ曲がっているものや、一直線なもの、床から天井へ伸び ているものや途中で曲がって壁の中へと向かうものなど様々だ。
 また、透明な筒に包まれた光を放つ灯りが一定間隔で配置されており、明るい。
 床を良く見ると、黄色いタイルがまるでガイドのように通路の奥へと向かって伸びている。
「……どうなってるんだ?」
 思わず、ヴァンは呟いた。
 この場所は高い技術力によって造られているように思えた。リム・エルムやドルク、バイロン寺院にあるような技術力では考えられない。
 ノアは物珍しそうに周りを見回している。
「カリスト皇国の方面には高い技術力を誇る国があると聞いたことがあるが……」
「そこだって、『霧』に包まれてるんだろ?」
 顎に手を当てるガラに、ヴァンは疑問を返した。
 『霧』は北の方から流れてきている。となれば、最北とも言えるカリスト皇国の地方は真っ先に『霧』が覆ったはずだ。
「むしろそっちに『霧』の手掛かりがあるってことか?」
「分からん。実際に行ったことがあるわけでもないからな……比べられん」
 ヴァンの言葉に、ガラは肩を竦めた。
 確かに、北の地方はいわゆる都会で、ヴァンたちの住むドルク王領は田舎とも言える。セブクス群島やカリスト皇国に行ったこともないのだから、技術力を比べるだけの知識もない。
「とにかく、進んでみるしかないか」
 結局、ヴァンたちにできることはそれぐらいしかなかった。
 考えていても始まらない。この場所について考察するにしては、ヴァンたちは知識も経験も足りていない。話し合ったところで何かが分かるとも思えなかった。
 とりあえず、ドルク王領では見たことのない技術によって造られていることだけは確かだ。ドルク城で見た日記によると、セブクス群島が『霧』で包まれた 後、この盆地に建物ができて『霧』が流れ出したとあった。『霧』を広める何者かが、この建物を造ったのだとして、北からやってきたと推測できる。
 通路を進んで行くとやや開けた場所が見えた。
 真っ先に気付いたのは、ガラだった。
「ソンギ……!」
 部屋の中央へ歩み出たガラが、進む道を塞ぐように座り込んでいる赤い胴着を着込んだ男、ソンギの名を叫ぶ。
「そろいもそろって間抜け軍団のお出ましか……」
 ゆっくりと立ち上がりながら、ソンギが口元に笑みを作る。
「まったく、命が惜しくないってのか……いい度胸してるよ」
 肩を竦め、やれやれと両手を広げてみせる。
「ソンギ! おまえ……!」
 ヴァンの隣にいたノアの表情が見る見るうちに険しくなっていく。今にも飛び掛かりそうな勢いで腰を落とし、身構える。
 それを制したのはガラだった。左手でヴァンとノアを遮るようにして、ソンギの正面に立つ。
「手出しは無用だ。ソンギとは俺がやる!」
 やや強張ったガラの声に、ヴァンはノアに目を向けた。
 ノアは構えこそ解かなかったものの、体から力を抜いたのは分かった。ソンギのことはガラに任せる約束だ。
「お前も物忘れの激しい奴だな。俺に負けたの忘れたか?」
 腰に手を当てて挑発的な口調で嘲笑うソンギを、ガラは何も言わずに睨み付けていた。
「敵うはずのない俺と戦おうなんて完全な自殺行為だぜ? 東ヴォズ樹林じゃ手加減してやったが、ここじゃそういうわけにもいかないんでな」
「言いたいことはそれだけか?」
 大きく息を吐き出して、ガラは静かな声で告げた。
 オズマの宿る右手を握り締めて腹の辺りへ、左手を前に出して身構える。
 自然体のソンギに、ガラが踏み込む。一息もしないうちに距離を詰め左手を突き出す。
「うぉっと!」
 ソンギが一瞬驚いた表情になり、ガラの突きを寸前でかわした。
 ガラが左手を引き、右拳を突き出す。ソンギの右手がガラの突きを払う。そこでソンギはようやくガラが『聖獣(ラ・セル)』を身に着けていることに気付いたようだった。
「そうか、お前も『獣(セル)』を身に着けたか」
 横へ逃れるようにステップを踏みながら、ソンギが呟く。
「『聖獣(ラ・セル)』に選ばれたってわけか……ふ、やっぱりお前は俺の思った通りの男だよ」
 ソンギは笑っていた。
「何がおかしい?」
「……俺に勝てたらお前の知りたいことに答えてやるよ!」
 ガラの問いにそう答えると、ソンギが床を蹴った。
 ソンギの手刀を横合いから払い、ガラが突きを繰り出す。ソンギの膝が跳ね上がり、ガラの突きを逸らす。勢いに逆らわず、ガラは身を捻って水平に回し蹴り を放ち、ソンギがそれを斜めにした腕で下方から逸らすように凌ぐ。そのまま一回転したガラが裏拳を放ち、ソンギが両手を揃えるように盾にして防ぐ。跳ね上 げられたソンギの蹴りを身を退いてかわし、ガラがオズマの宿る右手を振るう。
 後ろへ飛び退いたソンギが腰の辺りで両手を構える。手と手の間に光が生じ、その炎のような光の塊を両手で押し出すようにして放つ。
「……っ!」
 ガラはそれを両腕を交差させて防いだ。衝撃に体が僅かに後ずさる。
「それはバイロンの禁じ手……覇皇殺波!」
 ガラが驚きと困惑の声をあげる。
 バイロンの武術にも禁じ手とされる技がある。ヴァンもトッドからそういうものがあることは教えられていた。トッド自身も習得しておらず、習得する気も、誰かに教える気もなかったようで、ヴァンは存在は知っていてもどのような技があるのかは知らなかった。
「違うな、俺が少し手を加えた覇皇邪遠殺波だ。まだまだ改良の余地がありそうだがな」
 驚くガラを見てソンギが嬉しそうに答える。
「いつの間にそんなものを……!」
 ガラの声に怒りが混じる。
 禁じ手とされてきた理由は色々ある。その技自体が危険過ぎるものや、技の根本がその武術の目指すものを否定しているものなど、様々だ。
「『獣(セル)』のお陰で随分と使い易くなったよ」
 にやりと笑うソンギに、ガラが目を細めた。
「オズマ……すまんが力を貸してくれ」
「ええ、私もジェドのことが知りたいわ」
 小さく囁くようなガラの声に、オズマは静かな声で答えた。
 ガラが握り締めた右の拳から、青白い火花が散った。
「ようやくその『獣(セル)』の力を使う気になったか……。まさか俺に手加減してたんじゃないだろうな、ガラ」
 ソンギの表情から、今までの余裕が消えた。
 ガラの踏み込む速度が今までのそれを超え、青白い火花が軌跡を描く。ソンギの手刀をガラの左手が払い、大きく振り被られた右拳が叩き付けられる。雷鳴にも似た、空気を引き裂く音が響き渡る。飛び退いたソンギの目の前で、床に叩き付けられたガラの右手が床を砕いていた。
 ソンギが引き攣ったような笑みを浮かべ、ガラとの距離を詰める。
 ガラがオズマの宿る右の拳を振るう度にバチバチと空気を裂く音と火花が踊る。ソンギはそれをかわしながら、ガラへと反撃する。
 ガラが右腕を薙ぎ、ソンギが左手を添えた右手で防ぐ。接触の瞬間に一際大きく火花が散り、ソンギの表情が僅かに歪む。ソンギの放った下方からの膝蹴りを ガラが左手で受け止めた。衝撃を受け止めきれず、大柄なガラの体が吹き飛んで天井に激突する。ガラがぶつかった天板が砕けて落ちる。落下するガラにソンギ が突きを放った。その右手をガラが両手で抱え込むように掴み、身を捻ってソンギの体を引き寄せる。巻き込むようにしてソンギを床に叩き付け、ガラがその上 に膝から落ちる。
 ソンギが横から蹴りを繰り出し、腕で防いだガラを強引に弾き飛ばす。すぐさま受け身を取ってガラが起き上がり、跳ね起きたソンギに飛び掛かる。
 お互いに繰り出した拳が正面からぶつかり合う。
「お前も『獣(セル)』のお陰で随分と強くなったじゃないか! 嬉しいぜ、やっぱりライバルってやつはそれくらい強くないとな!」
「どういうつもりだソンギ! 『獣(セル)』を身に着け寺院を襲ったばかりか禁じ手まで習得して……!」
 ソンギの声には喜びが混じっていた。表情は真剣そのものだったが、どこか笑っているようにも見える。
 対するガラの声には怒りが混じっている。
 互いに弾き合い、距離が開く。
 ソンギが再び腰だめに両手を構えた。ガラは正面からそこに飛び込んでいく。ソンギが放つ禍々しい光の塊に、ガラは青白い火花を纏う右手を叩き付けた。何かが弾けるような音と共に、ソンギの放ったエネルギーが弾かれて床に叩き付けられ爆発する。
 ソンギが蹴りを繰り出し、ガラが水平に薙いだ腕で払う。開いた体の正面に、ソンギが両手で掌底を突き込む。
「ぐ……っ!」
 呻き声と共に、ガラの体が浮いて吹き飛んだ。
「ガラ!」
 部屋の壁に背中から激突し、膝を着く。壁には放射状に亀裂が入り、ちぎれたパイプから蒸気が漏れ出す。
 ヴァンの声にガラが立ち上がる。ヴァンとノアの方には目もくれず、ガラはソンギに向かって行く。
 ソンギの突きを、手首を掴んで逸らしながら引き寄せ、肩からぶつかるようにして背負い投げる。
「く……っ!」
 背中から地面に叩き付けられたソンギが小さく呻き声を上げる。
 腕を掴んだままもう一度投げ飛ばそうとするガラへ、ソンギが身を捩って蹴りを放つ。ガラは手を放して蹴りをかわしつつ、ソンギを空中へ放り投げた。床を転がって受け身を取り、起き上がりざまに床を蹴って姿勢を低くしてソンギがガラに飛び付いた。
 膝蹴りを察知したソンギが跳躍し、ガラを飛び越える。そのままガラの顔目がけて跳び膝蹴りを放つ。上体を反らしてかわし、背後に回ったソンギに裏拳を繰り出す。
 一歩後退したソンギが再び踏み込むのに合わせ、ガラも距離を詰める。
 ソンギの拳がガラの腹に突き刺さり、ガラの拳はソンギの顔を捉えていた。
 左の頬に突き刺さったオズマがそのまま振り抜かれ、ソンギが錐揉みしながら吹き飛ぶ。背中を床に叩き付け、跳ねた体が直ぐ傍まできていた壁にぶつかって止まる。
「う、ぐ……!」
 殴り飛ばした後でガラが半歩後ずさるようによろめく。
「がっ、は……!」
 殴られて歪んだ顔で、ソンギが血を吐いた。
「ぬぅぉぉぉおおおおおっ!」
 立ち上がったソンギの目の前に、ガラがいた。
 左手を前方に真っ直ぐ突き出し、まるで狙いを定めるかのようにソンギへと向けている。ほぼ真横を向いた体の向こうで思い切り後ろに引かれた右手が、雷に包まれていた。青白い電撃がオズマとガラの右腕を駆け巡り、バリバリと凄まじい音を立てている。
 ソンギが目を剥いて、息を呑む。ソンギが何かをするよりも早く、雷を纏ったガラの掌底がその腹に突き刺さっていた。
 ソンギの腹に減り込んだ手のひらから、オズマが纏っていた電撃が放たれる。まるで突き抜ける衝撃の形に沿うように電撃がソンギの体の表面を放射状に駆け巡る。そして吹き飛ばされたソンギの体が背後の壁に叩き付けられる。
「ぐ……がっ!」
 血を吐いて、がくがくとソンギの体が痙攣するように震えている。いや、痺れているのか。
「ふん、やるじゃねえか……」
 背中を壁に預けたままずるずると座り込んで、ソンギが苦しげに呟いた。
「トドメは刺さねえってか……甘ちゃんだな」
「何があったか、話してもらおうか」
 鼻で笑うソンギを見下ろして、ガラが言った。ガラも腹を押さえており、ダメージは小さくないようだ。
 戦いが終わったと判断したヴァンはガラの隣に立ち、右手のメータをかざした。ヴァンの意思を汲み取って、メータの翡翠の宝石に似た瞳のような部位が光を放つ。ガラの周囲に淡い光が集まり、傷を癒していく。以前、メータが吸収した光獣ヴェーラの治癒能力だ。
「大丈夫か?」
「ああ……すまんな」
 ヴァンの言葉に、ガラは小さく頷いた。
 戦ってできた擦り傷など体の傷がゆっくりではあるが、本来なら考えられない速度で治っていく。完全に治療が終わるまでには少し時間がかかるようだ。治療 する側も力を使い続けなければならず、即座に治癒させられるわけでもないところを見ると、負った傷を戦闘中に回復させるのは難しいかもしれない。
 ソンギは回復させるべきだろうか。ヴァンが見やると、ソンギは薄ら笑いを浮かべていた。
「ま、約束は約束だからな……」
 致命傷ではなさそうだ。下手に暴れられても困る。
 話しをする気になったソンギの様子を見た方が良さそうだ。
「あの時、東ヴォズ樹林の創世樹の広場で俺は変な奴に会ったのさ。ゼトーとか言ってたか」
「やっぱり……!」
 ソンギの言葉に、ガラよりもヴァンの方が大きく反応していた。
 ソンギが創世樹の下に辿り着いた時、ゼトーが現れたようだ。東ヴォズ樹林の創世樹は無事だった。というよりも、ゼトーも手を出せなかったのか。
「何だか胡散臭ぇ奴だったんでな、無視してやったら襲いかかってきやがってよ……あしらってやるつもりが、全滅だ」
 大きく息を吐き出して、ソンギがその時のことを思い返すように床に視線を落とす。
「ありゃあマジもんの化け物だったぜ……そん時の俺には手も足も出なかったからな。俺にも『獣(セル)』がありゃあな、って思った時だ。あいついきなり手のひらを返しやがった」
 ソンギもガラと並ぶ実力者ではあったが、ゼトーには敵わなかったのだ。共に東ヴォズ樹林に向かった僧兵の仲間は皆殺されてしまい、最後にソンギだけが残った。
「手のひらを返した?」
「いきなり『獣(セル)』が欲しくないかと取引を持ちかけてきたんだよ」
 怪訝そうな顔をするガラに、ソンギは言った。
「つっても、『霧』の中で『獣(セル)』を身に着けりゃ化け物になるのは目に見えてるからな、当然突っぱねた」
 ソンギはバイロン寺院で会った際、『獣(セル)』が欲しいと言っていた。だが、『獣(セル)』の怪物になってまで身に着ける気はなかったようだ。ソンギとしては『霧』の中でも怪物化しない『聖獣(ラ・セル)』が欲しかったのだろう。
「そうしたら、ただの『獣(セル)』じゃない、改造した『聖獣(ラ・セル)』だって言いやがったんだ」
 ソンギの言葉に、メータたち『聖獣(ラ・セル)』が僅かに反応した。詳細を知りたいという感情がヴァンたちにも伝わってくる。
「改造したって、どうやって?」
 ヴァンが問う。
「さぁな。ただ、宿主を選ぶ『聖獣(ラ・セル)』と違ってこいつは誰にでも身に着けられるし、元が『聖獣(ラ・セル)』だから『霧』の中でも自我を保てるんだと言ってたな」
 ソンギが肩を竦める。
 『霧』と敵対する『聖獣(ラ・セル)』から意識を取り去り、『霧』の中でも怪物化しない『聖獣(ラ・セル)』としての特性を保ったまま、持ち主を選ばぬ『獣(セル)』に近いものにした、ということか。『霧』に与する側としては『聖獣(ラ・セル)』の無害化とも取れる。
 もっとも、ソンギとゼトーの話を信じるなら、の話ではあるが。
「で、持ちかけられた取引ってのは簡単だ。力をくれてやるから仲間に下れ、ってやつさ」
 鼻で笑いながら、ソンギが言った。
 ソンギが置かれた状況から考えれば、ほとんど脅迫のようなものだ。
 仲間は全滅し、ソンギ自身が手も足も出ないゼトーを相手に、逃げ切れる保証もない。断れば殺されるであろうことは目に見えている。
「何故、お前だったんだ?」
 ガラの疑問に、ソンギは小さく溜め息をついた。
「俺の腕を買うってことらしいぜ」
 そう答えるソンギの表情には不満の色があった。
 何故、ソンギが取引を持ちかけられたのか、真意は当のソンギ自身にも分からないのだろう。ゼトーの存在自体、かなり怪しいものだ。口ではソンギの実力を高く評価したと言っていても、それが本心なのかは疑問が残る。
 ただ単に丁度良かったのか、仲間にする者は強い方がいいということなのか、あるいは別の理由か。はっきり断言はしないが、ゼトーがソンギを利用しようとしていたのは間違いないだろう。それにソンギ自身気付いたからこそ、不満そうにしているに違いない。
「選択肢はなかったし、特別な『獣(セル)』ってのにも興味はあったからな、結局、俺は取引に応じたんだよ」
 ゆっくりと立ち上がりながら、ソンギが言った。
 改造された『聖獣(ラ・セル)』なんてもの自体、怪しいものではあったが、ソンギに選択肢はなかった。ゼトーの差し出した『獣(セル)』が本当にゼトーの言うようなものであるのかは疑わしかったが、かといって取引に応じなければ死が待っている。
 身に着けた途端に自我を失い、怪物化する可能性もある。怪物化しなくとも、ソンギの精神に何かしらの影響を与えないとは限らない。単に配下を増やすための方便かもしれない。
 だが、だからといってこのままゼトーと戦っても勝ち目がない。
 バイロンの教えで禁じられている『獣(セル)』の力とやらにも興味がある。
 結局、ソンギはゼトーの取引に応じた。
「で、初仕事がバイロン寺院の襲撃だったわけだ」
 肩を竦め、ソンギが息をついた。
 バイロン寺院の襲撃はゼトーの指示であり、ソンギの意思ではなかった。取引の対価なのか、あるいは取引に応じた証を見せろということなのか、あるいは両方か。
 少なくとも、ソンギが進んでやったことではないようだ。
「そうか、そんなことが……」
 ガラが難しい顔をして呟いた。
 ソンギの話が真実であれば、バイロン寺院の被害が少なかったのも納得がいく。乗り気でなかったソンギは被害が小さくなるように気を使ったのだろう。エイミに『獣(セル)』を取り付かせたのも、彼女を殺してしまわないためだ。
 エイミの推測は当たっていたということだ。
「なら、ここで俺たちがそのゼトーを倒せばお前を縛るものはなくなるのだな?」
 ガラがそんなことを口にした。
 敵の手によって不本意な形に手を加えられたとはいえ、ソンギが身に着けているのは『聖獣(ラ・セル)』だ。『霧』の中でも怪物化せずにいられる『獣(セ ル)』であるなら、これからの旅に同行することも不可能ではない。『聖獣(ラ・セル)』とは異質なものになってしまっているとはいえ、見たところソンギは 正常な思考力を持っている。
「何だ? 仲間になれとでも言うのか?」
 ソンギが眉根を寄せた。
「あんなことをしでかした俺を仲間にするってか?」
「だが、本意ではなかったんだろう?」
 噴き出したソンギに、ガラが今度は眉根を寄せた。
「その『獣(セル)』を外してバイロン寺院に帰ることだって……」
 ガラの言葉を遮るように、ソンギは首を振った。
「お前、本当に分かってねぇよ……」
 そう言って、ソンギはガラの右手に宿るオズマを見て、目を細めた。
「俺が『聖獣(ラ・セル)』に選ばれる器じゃねぇことぐらい、自分で分かってんだよ。お前なら『聖獣(ラ・セル)』に選ばれてもおかしくねぇことも、な」
「ソンギ……?」
 ソンギの言葉に、ガラが不安そうな眼差しを向ける。何を言っているのか分からない、そんな表情だ。
「ほんと、お前ってお人好しだよな」
 苦笑しながら、ソンギはガラの肩を叩いた。
 その表情には、呆れだけではなく別の感情も混じっていた。ただ、それが何なのかまでは、はっきりと分からない。嫉妬か、羨望か、憤りなのか、そんな感情が見え隠れしている。
 ガラは気付いているのか、いないのか。
「『獣(セル)』が欲しかったのは事実だし、寺院を襲った時も少しスカッとしてたんだよ」
 急に真顔になって、ソンギが告げた。
 本意ではなくとも、寺院に対して鬱憤のようなものが溜まっていたと。それが本当に寺院に対してなのかは分からない。単に、強力な『獣(セル)』を身に着けて力を振るうことで爽快感を得ただけかもしれない。
 ソンギが歩き出す。少しふらついているのは気のせいではないだろう。まだダメージや痺れが抜け切っていないのだ。
「ソンギ!」
 引き留めようと伸ばしたガラの手を払い、ソンギが振り返る。
「……俺はお前とは違うやり方で強くなる」
 ガラを睨み付け、ソンギが呟く。怒りか、憎悪か、ソンギの目にガラが言葉を失う。
 何も言えずにいるヴァンたちに背を向けて部屋を出ようとしたところで、ソンギが足を止めた。
「ああそうそう、その先に『霧』の巣があるぜ。そこまで行きゃあゼトーも出てくるだろうよ」
 思い出したように、振り返ることもせずソンギが告げる。
「……『霧』の、巣?」
 その言葉にヴァンが聞き返す。
「あんな野郎に負けるんじゃねぇぜ」
 ヴァンの言葉に答えることもせず、ソンギが通路の奥へと消えて行く。
 角を曲がって姿が見えなくなったところで、我に返ったガラが後を追う。
「ソンギ!」
 角を曲がりながらガラがソンギを呼ぶ。
 だが、その先にソンギの姿はなかった。
「いない……?」
 ガラを追ってきたヴァンも通路を見て目を丸くした。
「気配が途絶えました」
 オズマが釈然としない声で言った。
 『霧』が濃いため、『聖獣(ラ・セル)』が探知できる範囲も狭まっている。だが、それでもほぼ同程度の力を持った『獣(セル)』を身に着けたソンギを見失った。
「ジェドの力、でしょうか」
 メータが推測を言葉にする。
 自我を奪われても『聖獣(ラ・セル)』の持つ力は使えるのかもしれない。ジェドの持つ力で姿や気配を隠されたのかもしれない。
「ソンギ……」
 ガラが複雑な表情で唸るようにもう一度名前を呟いた。
「ノア、ソンギのことすきにはなれそうにないよ」
 今まで黙り込んでいたノアが怒ったように言った。
 事情があったにせよ、そう簡単に許せるものではないのは確かだ。
 ソンギ自身も、ガラとは違い元から『獣(セル)』の力を欲していた。バイロンの教えに背くことに対しての抵抗感や迷いは、少なくともガラよりは小さかったのだろう。
「ガラ……」
 ソンギの消えた通路の奥を見つめるガラの背中に、ヴァンは声をかけた。
 何故、ソンギがバイロン寺院を襲撃したのか、『獣(セル)』を身に着けたのかという経緯は分かった。だが、そこから先はどうするつもりなのだろう。バイロン寺院に帰るつもりはないようだったし、ヴァンたちの味方になるつもりもなさそうだった。
 敵対するのかどうかも曖昧なまま、ソンギは姿を消した。経緯こそ語ったが、何故ソンギがそういう判断を下し、今、これから、何をしようとしているのか、目指しているのかは口にしなかった。
 結局、ソンギについて解決したとは言い難い。
「すまない、時間を取らせてしまったな」
 ガラは大きく息を吐き出して、振り返った。
 ひとまずソンギと戦った部屋まで引き返す。
「『霧』の巣、と言っていたね」
 テルマが呟いた。
 ソンギが座っていた方にある通路の奥へと三人で進んでいく。
 『霧』の巣、というのが『霧』を生み出しているものなのだろうか。少なくとも、そこから『霧』が流れ出しているような言い方ではある。
「それをやっつければいいの?」
「壊せるものならいいんだけどな……」
 首を傾げるノアに、ヴァンが答える。
 『霧』の巣がどんなものなのか、その目で見なければ分からない。破壊できるかどうかは見つけた後、メータたち『聖獣(ラ・セル)』に判断してもらうべきだろう。
 再び、通路を進んでいく。
 今まで何もおらず、静かだったのが嘘のように『獣(セル)』の怪物が徘徊していた。
「やはり、この先に何かあるのか?」
 飛び出してきた『獣(セル)』の頭を拳で砕いたガラが呟く。
 確かに、まるで先に進ませたくないかのようだった。
 うろついている『獣(セル)』を薙ぎ倒しながら、三人は進んだ。創世樹を覚醒させたお陰か、メータたち『聖獣(ラ・セル)』が強くなっているのが実感できる。やり過ごせる場所はやり過ごし、無駄な戦闘は避けて進んでいく。
「そういえば、ソンギが使っていた禁じ手ってのは……?」
 道中、ヴァンは気になっていたことをガラに問うことにした。
「ああ、あれか。お前は多少齧っているから分かると思うが、バイロンの武術は命を奪うことを目的としてはいない」
 ガラが答える。
 バイロンの武術は心身を鍛えることで、自らを高めることを是としている。故に、殺すことを目的とした武術ではない。
「ソンギが使ったあれは、殺気を基にした殺すための技なのだ……」
 険しい表情でガラが説明する。
 バイロンの武術にもいわゆる気の流れというものを利用した技がある。ソンギが使ったのは、殺気を利用した、殺すために生み出された技、ということらしい。
 結果的に人や生き物を殺す力を持つことにはなるが、バイロンの武術の真髄はそれを用いて争いを避け、戦わずして勝つことであるとトッドも言っていた。武術として、強さを追い求めはしてもその向かう先は他ではなく己だとするのがバイロンの考えだ。
「そういうことか……」
 ヴァンも納得した。
 急所を攻撃しても、命を奪うことなく無力化することを重視した技がバイロンには多い。倒すためではなく、守るための武術とも言える。
 ソンギは確実な勝利のために相手を殺してしまいかねない技を習得したということか。いや、もしかしたら殺してしまう可能性が高いことは承知の上で、強くなるために強力な技を求めたのか。
 通路の奥には、また円筒形の昇降機があった。
 それを使って更に下層へと降りる。
 昇降機を降りた先は、また静かな場所だった。奥の方へと通路は伸びているが、『獣(セル)』の姿は見当たらない。
 その通路を少し進んだところで、再び開けた場所に出た。奥に一際大きな扉があるのが見えた。その向こうから、濃い『霧』特有の嫌な気配がする。
 ゴォン、ゴォン、と何か重いものが動き続けているような、腹の底に響くような低くて鈍い物音もする。大がかりなものが扉の向こうにある。
「あの奥か」
 ヴァンは小さく呟いた。
 恐らくそうだろう。三人とも、その向こうにあるのが『霧』の巣であろうという確信がった。
 扉を開けようと近付いた瞬間、ヴァンの目の前で光が生じた。
 まるで水面に生じた波紋のように、水色の光が地面に同心円状の奇跡を描く。そこから湧き出すように水色の光が溢れ出し、ゆっくりとゼトーが姿を現した。
「『霧』は福音!」
 ゼトーが叫ぶ。
「『霧』は永劫!」
 ヴァンは後ろに跳んで距離を取って身構えた。
「『霧』は完全なる調和!」
 ノアとガラもそれぞれ身構えている。
「大人しく『霧』の運命を受け入れれば良いものを……」
 底冷えのするような声が響き渡る。
 鋭角的な肩当までついた司祭のような尖った帽子にも似た硬質な兜のようなものを被り、黄と赤の紋様が刻まれた緑色の前垂れに真紅のローブを纏っている。リム・エルムで見た時と全く同じ姿のゼトーがそこにいた。
「こいつが、ゼトー……!」
 ガラが睨み付け、呟く。
「ソンギはしくじったか……改造『聖獣(ラ・セル)』は使い物にならんか」
 ゼトーがつまらなさそうに吐き捨てる。
 ヴァンの右手で、メータが震えたような気がした。恐れではなく、怒りに。
 無言で、ヴァンは左手で短剣を抜いた。
「貴様……」
 ガラの表情に怒りが混じる。
 ゼトーはソンギのことも駒としか見ていない。ガラはそれをゼトーの言葉から感じ取ったのだ。ゼトーにとっては、改造したジェドも、それを渡したソンギも駒に過ぎないのだ。使えないものは不要だと、そういう態度だ。
「この気配……やはり、リクロア山にあの『獣(セル)』を寄越したのはこいつだね……!」
 テルマが呟いた。
「おまえがリクロアさんでじゃましたのか!」
 ノアが噛み付くような勢いで言った。
「ほう、あの洞窟にいた『聖獣(ラ・セル)』と人間か……」
 ゼトーがノアとテルマの方に頭を向け、一瞥する。
「折角、洞窟を崩してやったというのに……リクロア山に放ったカルバヌスも退けていたか」
 ふん、と鼻で笑い、ゼトーがつまらなさそうに呟いた。
「おまえが……!」
 ノアの表情に怒りが満ちる。牙を剥き出しにした狼のように、怒りの形相でゼトーを睨む。
「無駄にあがくとは、憐れな……」
 ゼトーが溜め息混じりに呟いた。
 すべてを見下したような物言いが、癪に障る。
「お前は、一体何なんだ……!」
 ヴァンは叫ぶように問う。
 リム・エルムでもゼトーが巨大な『獣(セル)』の化け物を連れてきて壁を破壊した。『霧』を村に溢れさせ、『獣(セル)』をけしかけた。
 リクロア山の北にある吹き溜まりの洞窟を崩し、『霧』を招き入れたのもゼトーだ。山頂でノアとテルマを襲った翼の生えた獅子のような『獣(セル)』も、ゼトーの差し金だった。
 東ヴォズ樹林に向かったソンギたちも、ゼトーに襲われた。僧兵たちは命を落とし、ソンギは脅迫にも似た取引を持ち掛けられ、バイロン寺院を襲わざるをえなくなった。ソンギが道を踏み外す原因の一端はゼトーにもある。
 全てにゼトーが関わっている。
 この地下空間も、ゼトーが造ったものなのかもしれない。少なくとも、今ここを管理しているのはゼトーなのだろう。
 扉の向こうにある『霧』の巣とやらに辿り着かせたくはないから出てきたに違いない。
「これ以上邪魔されては困るのでな……」
 ゼトーが鼻で笑ったような気がした。
 ヴァンたちの言葉に答える気など、端から無いのだ。
「このゼトーがお前らの憐れな抵抗を根こそぎ刈り取ってやろう……!」
 声が凄味を帯びた。
 背筋に悪寒が走る。
 ヴァンたちの目の前で、ゼトーの体が淡い光に包まれた。水色の光の粒子が流動するように、ゼトーの形をしていたものが姿を変えていく。
 次の瞬間には、そこにはゼトーとは思えぬ異形の化け物が現れていた。
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