第九章 「旅立ち」 『霧』の巣を破壊したヴァンたちは地下施設を後にした。施設全体の動力に『霧』の巣が関係していたようで、昇降装置などは動かなくなってしまっていた。そ のため、地上に出るのには少し苦労することとなった。施設の一部を『聖獣(ラ・セル)』で破壊して道を開け、昇降装置の通路を自力で昇らなければならな かった。 地上に出た頃には、もう夜も更けており、戦いの疲れもあってその場で野宿をすることにした。『霧』が出なくなった煙突を見上げながら、施設跡で一夜を明かす。光獣ヴェーラの力で体力を回復させたとは言っても、精神的な疲労感はそう簡単に拭えるものではない。 夜が明けたところで、メータたちから話があった。 その内容は、『聖獣(ラ・セル)』とその装着者は覚醒した創世樹のある場所に瞬間移動ができる、というものだった。 どうやら、その移動方法には『霧』のような『聖獣(ラ・セル)』や創世樹に悪影響を与える存在がないことが条件のようで、ドルク王領の中心地に『霧』が あった今までは使えなかったようだ。『霧』の巣を破壊し、ドルク王領から『霧』が消え去った今なら、その移動手段が使えるだろうとのことだ。 「私たちはこれを風の扉と呼んでいます」 メータはそう語った。 丁度、創世樹があるリム・エルムへ向かおうとしていたヴァンたちにとっては都合の良い話だった。もちろん、風の扉の使用には制約や条件がある。 一つは『聖獣(ラ・セル)』たちが教えてくれたように、覚醒した創世樹の近くにしか移動できないこと。二つ目は移動する先や、現在地の周囲などに『霧』 のような『聖獣(ラ・セル)』や創世樹に対する障害がないことだ。三つ目に、『聖獣(ラ・セル)』の力の消耗量が大きく、連続での使用はできないとのこ と。 覚醒させた創世樹の周りからは『霧』がなくなり、障害は消えるが、ヴァンたちが『霧』の中を探索している時には使えない。また、『聖獣(ラ・セル)』の 力の消耗が大きいことから、風の扉を使用した直後の戦闘は厳しい。移動先の安全が確保されている場所に対して使用するのが好ましいようだ。 「要するに、頻繁に行ったり来たりはできないということだな」 ガラの言葉を、『聖獣(ラ・セル)』たちは肯定した。 例えば、新しく創世樹を覚醒させたからといって、その度にリム・エルムへ戻るべきではないということだ。リム・エルムへ戻ってくるのは良いとしても、新 たに覚醒させた創世樹から先へ進むためには『聖獣(ラ・セル)』の回復を待たなければならない。『霧』の最前線とも言える場所で回復を待つというのも厳し いだろう。風の扉自体が連続で使用できないことを鑑みれば、それだけ先へ進むのが遅くなる。 貴重な超長距離の移動手段ではあるが、使い所は良く考えた方が良さそうだ。 最も、今回は特にリスクもないだろうとの結論に至ったこともあり、リム・エルムへ向かう際に風の扉を使用することで意見は一致した。 「じゃあ、頼むよ」 ヴァンがそうメータに言うと、『聖獣(ラ・セル)』たちの瞳が光を放った。 三人をそれぞれ光が包み、視界が白く染まる。一瞬、浮遊感を抱いたと思ったら、光に包まれていた視界が戻り、その時にはもう目的地に到着していた。 「ここは……!」 ヴァンにとっては、見慣れた景色が広がっていた。 リム・エルムの創世樹がある広場だ。村を出たのもごく最近のことなのに、潮の香りがどこか懐かしく感じる。 「ここがリム・エルムか……?」 ガラが周囲を見回す。 「ヴァン兄ちゃんだ!」 広場で遊んでいた子供たちが目を丸くして声を上げた。 それを皮切りに、近くにいた人たちが集まってくる。ヴァンたちが現れたことが村中に伝わるのに時間はかからなかった。 そうして、広場に人だかりができ始めた時のことだ。 「ヴァン!」 メイの声が響いた。 目に涙を溜めたメイが真っ直ぐにヴァンの方へと走ってくるのが見えた。その後から少し慌てた様子のエイミが駆けてくるのが見えて、無事にリム・エルムに帰ってこれたことに安堵する。 「メイ……!」 「ヴァンのバカー!」 何かを言うよりも早く、ヴァンは思い切り引っ叩かれた。 かなり良い音がした。 「いってぇ!」 ヴァンは思わず頬を押さえてメイを見る。 何かしただろうかと考えを巡らせてみたが、心当たりが全くない。 集まってきていた全員が唖然としていた。 「お母さんのこと、どうして私に黙ってたの!」 メイの頬を涙が一筋伝って落ちる。 「それは……」 「私、ヴァンのこと、ずっと心配してたのに……ヴァンが私のために、お母さんを探してくれていたなんて、私、何も知らずにあなたのこと心配してた……」 ヴァンの言葉を遮って、メイは一方的に捲し立てる。 いつの間にかメイの目から涙が溢れ出ている。涙を両手で拭いながら、メイはヴァンに詰め寄る。思わずヴァンが後ろに下がると、創世樹の幹に背中がぶつかった。 「全く、この子ったら……」 苦笑いを浮かべながら、追い付いてきたエイミがメイの肩をそっと抱き締める。 「ヴァン、わるいことしたのか? いじわるしたのか?」 不安そうな顔で、ノアが口を挟んできた。 ノアの存在に気付いたメイが目を丸くする。更にその傍で腕を組んでいるガラを見て、メイが目をぱちくりさせる。そこでようやく周りにも人が沢山いることに気付いて、メイの顔が真っ赤になった。 「あ、や、えっと……その!」 「何だよ、『聖獣(ラ・セル)』に選ばれるとそんなかわいい女の子までついてくるのか、羨ましいなぁ、おい」 あたふたするメイの後ろから、イクシスの野次が飛んだ。 「イクシス……!」 ヴァンが眉根を寄せると、イクシスは軽い調子で笑ってみせる。 かわいい女の子、と呼ばれたノア本人は自分のことを指しているのだとは微塵も思っていない様子で、首を傾げていたが。 「……黙って行くように指示したのはわしじゃ。ヴァンはわしの指示に従ったに過ぎん」 遅れてやってきた村長が静かにそう告げた。 村長と一緒に、ヴァルとネネの姿もあった。 「積もる話はあるじゃろうが、その様子じゃまだゆっくり休めてもおらんのだろう?」 「ええ、まあ……」 村長の言葉に、ヴァンは苦笑した。 三人とも怪我こそ治癒しているものの、衣服はボロボロのままだ。 まずはゆっくり休んでから、という村長の言葉で解散となり、ヴァンはひとまず自分の家にノアとガラを招くことにした。メイとエイミ、それに村長が一緒についてきた。 ネネとエイミがお茶を淹れてくれた。 「全く、どうしてヴァンを責めたの?」 一息ついたところで、エイミがメイに問う。 「お母さんが帰ってきてくれて、とっても嬉しいのに……ヴァンのお陰だった、ってお母さんからも聞いていたはずなのに……ヴァンの顔を見たら、色んな気持ちで一杯になっちゃって……」 お茶の入ったカップを両手で抱えて、メイが視線を落とす。 「何も知らなかった自分と、何も教えてくれなかったヴァンに腹が立って……」 顔を上げたメイは、苦笑いを浮かべていた。理不尽なことをした、と謝っているようにも見えた。 「言わないで出てったのは俺の判断だからな」 ヴァンも苦笑した。 村長に口止めはされたが、結局それをメイに言わずに出ていくことにしたのはヴァンの意思だ。そのことを責められたら、いくら村長が頼んだとはいえヴァンに弁明はできない。 村長が言っていたように、もしこれでエイミまで亡くなっていたとしたら、期待を持たせた上でそれを裏切ることになってしまう。『霧』に覆われている世界 で、いくら生きている可能性の方が低いとしても、もしかしたら生きているかもしれない、と一度希望を持ってしまえば、それが叶わなかった時の落差は一段と 大きなものとなってしまう。 それは当然ながら探しに行くこととなったヴァン自身にも言えたことだ。だから、あまり期待し過ぎないように努めていた。 希望を持つこと自体は大切なことではあるのだが。 「ええと、それでその二人が?」 気を取り直したメイがノアとガラに目を向けた。 「ああ、俺と同じで『聖獣(ラ・セル)』に選ばれた仲間だ」 「ノアだよ! こっちはテルマ」 「俺はガラ。『聖獣(ラ・セル)』はオズマと言う」 ヴァンの言葉に、ノアとガラが名乗り、それぞれの『聖獣(ラ・セル)』が宿る手を示す。 「大体のことは昨日やってきたエイミから聞かせてもらったよ」 村長が言い、エイミが頷いた。 どうやら、丁度ヴァンたちが『霧』の巣のある建物に辿り着いた頃にエイミもリム・エルムへ到着したようだった。エイミに同行していた護衛のバイロン僧兵たちは一泊した後、早朝にバイロン寺院へと引き返したらしかった。 リム・エルムに帰ってきたエイミはメイと再会を果たし、これまでの経緯を村の皆に話したようだ。 ドルク城を救ったことは、リクロア山の創世樹を覚醒させたことで元に戻ったドルク王の寄越した使者で知ったようで、それを聞いてレザムは夜中だと言うの にリム・エルムを発ったらしい。その使者の話を聞いて、リム・エルムの人たちはヴァンがやったことだと直ぐに察しがついたと教えてくれた。 エイミはヴァンがノアと共にバイロン寺院へとやってきたことから、ヴォズ樹林の創世樹を覚醒させて襲撃に遭い『霧』が入り込んでしまった寺院を救い、『霧』の発生源である盆地の調査に向かったことまでを村の皆に話したようだ。 「あなたがノアさんね……」 メイがノアをじっと見つめる。 どうやら、エイミの話からノアの存在はリム・エルムの中にも広まっているようだ。 「メイはヴァンのともだちなんだよね?」 「え? ええ、そうよ?」 ノアの問いかけに、メイは少し驚きながらも肯定した。 「じゃあ、ノアもともだちだね!」 屈託のない笑顔で、ノアが言った。 友達の友達は自分にとっても友達だと言いたいのだろう。 目を丸くするメイと、笑顔のノアを見て、ガラが肩を竦めていた。 「随分と可愛らしい友達が出来たのね、ヴァン」 ヴァンに向けられたメイの笑顔には、どこか迫力があったような気がした。 「それで、どうだったんだ、ヴァン?」 それまで黙って話を聞いていたヴァルが口を開いた。 「とりあえず、もう『霧』の心配はしなくていいと思う」 ヴァンはそう言って、話を切り出した。 盆地にあった建物の中で『霧』を生み出していた装置は破壊することができた。少なくとも、このドルク王領で『霧』の心配をする必要はなくなったはずだ。 あれだけの規模のものを造るにはそれなりに時間がかかるだろう。加えて、仮に『霧』の巣がまた造られたとしてもドルク王領には覚醒した創世樹が三本もあ る。『獣(セル)』が創世樹に直接手を出すことはできないことを考えれば、そう簡単には『霧』がこのドルク王領を襲うことはないはずだ。 「だけど、この世界から『霧』がすべて消えたわけじゃない」 ゼトーの上に立つ存在がいることも分かった。 敵がどれだけの力を持っているのか、何を目的としているのか、ヴァンたちはまだ知らない。ドルク王領を救って終わり、というわけにはいかない。 ドルク城で見聞きした情報によれば、ドルク王領の北に位置するセブクス群島は『霧』に覆われているとのことだ。更にその北にあるカリスト皇国も『霧』に覆われている可能性が高い。 ヴァンはこれまでのことを話し、そう締め括った。 「そうか……」 静かにヴァルは頷いた。 「明日には、バイロン寺院に向かおうと思ってる」 ヴァンはちらりとガラを見る。 ソンギのこともゾッブ老に報告しなければならない。 「……その様子だと、あまり良い結果にはならなかったのね」 エイミがどこか寂しげに呟いた。 「はい……」 ガラも苦悩の滲む表情で頷く。 「ソンギの奴が何を考えているのか、俺には分からない……」 盆地の建物の内部を探索している際にソンギと会ったことをガラはエイミに伝えた。 最終的にソンギが行方を眩ましたことに、エイミの表情が曇る。ただ、ソンギがまだ生きているということには安堵しているようだった。 「ガラは、どうするつもりなの?」 静かな声でエイミが問う。 ガラが何を考えているのか、何を思っているのかを推し量るかのように。 「……追おうと、思っています」 自分の右手に宿るオズマを見つめて、ガラは答えた。 「俺より強くなってやる、とソンギは言っていました。俺が追うことを、あいつは分かっているんだと思います」 ガラへ向けて放たれたソンギの言葉にどんな意味があるのか、ガラ自身には分からない。 ただ、その言葉には、ガラが追ってくるであろうことをまるで確信しているかのような部分があった。あるいは、ガラに追ってこい、と言っているのか。 ソンギが『獣(セル)』を身に着け、バイロン寺院を襲った経緯は分かった。だが、ゼトーの味方をして『霧』の巣を守るつもりもなければ、ヴァンたちに協 力して『霧』と戦うつもりもないように見えた。結局、ソンギが目指しているものや目的と言ったものは分からずじまいだった。 「ただ、やはりあいつとは俺が話をつけなければいけない気もするんです」 ガラの表情には、困惑や疑問が滲んでいる。 ソンギが何故こうなったのか、どうしてそうしたのか、それからどうするのか。本人に聞かなければ分からないことだらけだが、ソンギはそれを告げずに去った。 幼馴染みとして共に育ったガラが何かしら関わりがあるのだろう。それだけは何となく、見ていただけのヴァンにも察しがつく。 「そう……私からも、ソンギのこと、お願いするわ」 エイミは多くを語らず、ただそれだけ告げた。 思うところはあるのだろう。バイロン寺院に行ってから十年もの間、親代わりと言っても良いぐらいに面倒を見てきたエイミだ。ガラもソンギも、他人とは思えないのだろう。その二人がこれからどうなって行くのか、気がかりに思う部分はたくさんあるはずだ。 真面目なガラのことだから、エイミの言いたいことや思うこともある程度感付いているに違いない。だから、ガラは静かに頷くだけだった。 「今日はゆっくりしていけるのか?」 「ああ、そのつもりだよ」 ヴァルの言葉に、ヴァンは頷いた。 いくら『霧』がなくなったとは言え、野生動物やモンスターはいる。『霧』の巣の破壊や、風の扉で消耗しているメータたちには今日一日休んでもらうつもりだった。ヴァンたちにも休息は必要だ。 「じゃあ、ノアちゃんはうちにいらっしゃいな」 「うん! エイミともメイともいっぱいおはなししたい!」 エイミの申し出に、ノアが笑顔を見せる。 ヴァンの家はさほど大きいわけではないから、この申し出はありがたい。 「……ヴァン、その服、ぼろぼろだね」 「え? ああ、ごめん」 メイの言葉に、ヴァンは自分を見る。 ゼトーとの戦いで、三人の服はかなり傷んでいる。擦り切れたり、破れたりしているところがたくさんある。メイが作ってくれた狩り装束も例に漏れず、ぼろぼろだった。 折角作ってくれたのに、そう日を置かずにダメにしてしまった。 「貸して、明日までに直しておいてあげる」 「分かった、頼むよ」 ヴァンは傷だらけになったジャケットを脱いで、メイに手渡した。 メイは受け取ったそれを見つめて、僅かに目を細める。 「頑張ってるんだね……」 小さく呟くメイの表情には、色んな感情が渦巻いているように見えた。 危険がない、等とは初めから保障などされていない。むしろ、ゼトーのような凶悪な存在と戦わなければならないことは最初から分かり切っている。特に何の力もなかったヴァンにしてみれば、いくら『聖獣(ラ・セル)』を身に着けたとはいえ、命を落とす可能性の方が高い。 ヴァン自身、ゼトーとの戦いでそれを実感している。今回はどうにかなったが、これから先も同じように行くとは限らない。 死と隣り合わせの旅であることは、ゼトーとの戦いで身に染みた。 「……でも、俺たちにしかできないことだから」 安全な旅ではないことは、承知の上だ。 自分にしかできないこと、できることがあるのに、放っては置けない。それがヴァンの性分だ。昔から、ずっとそうだった。 それに、ずっと『霧』に怯えて生きるのも嫌だった。 「ヴァン、立派になったわね」 エイミが微笑んだ。 「リブロだけでなく、ノーラまで亡くなっていたなんて、あの時一言も言わなかったから、帰ってきて驚いたわよ」 苦笑いに表情を変えながら、エイミが言った。 ノーラ、というのはヴァンの母親であり、ヴァルの妻であり、エイミの親友だった女性の名前だ。今から八年前、ヴァンの妹のネネを産んだ後に亡くなった。 「あ、忘れてた……。今が普通になってたから」 はっとしてから、ヴァンは申し訳なさそうに頭を掻いた。 エイミとしては親友だったノーラにも会いたかったはずだ。夫であるリブロの死は告げたが、ノーラのことはすっかり忘れていた。 ヴァンにとっては、もうそれが当たり前になってしまっていたから。 「知った時はリブロのことも含めて悲しくて泣いてしまったけれど、今はもう大丈夫」 僅かな寂しさは混じっているものの、エイミは優しい笑みを浮かべていた。 もう乗り越えているから、心配しなくていいと、語りかけているかのように。 「ヴァンは世界を救うために頑張っているし、ネネちゃんもしっかりしているし、私も負けてられないからね」 「今度、お母さんのことも聞かせて下さいね」 エイミの言葉に、ネネが小さく笑いかける。 ネネにとってエイミは、物心つく前に亡くなった母を知っている人でもある。村の人たちや兄であるヴァン、父であるヴァルから今までノーラの話は聞いている。それでも、一番親しい友人だったエイミから聞ける話の中には、また新しい発見もあるかもしれない。 「ええ、もちろん。ネネちゃんはノーラの小さい頃にそっくりなのよ。ヴァンがヴァルの小さい頃に良く似ているようにね」 エイミが明るい笑みを見せる。 改めてそう言われると、何だかむず痒いもので、ヴァンは頬を掻いた。 「ノアちゃんとガラの服は私が直してあげるわね」 「ありがとうエイミ!」 「助かります」 エイミの申し出に、ノアとガラが礼を言う。 「そういえば、リム・エルムにはトッドがいると聞いたが……」 「そうだった、この後案内するよ。多分、砂浜だ」 思い出したように呟いたガラに、ヴァンはそう答えた。 面識があるのなら、会いたいはずだ。 ガラはぼろぼろになった胴着を脱いでエイミに渡すと、手早く予備の胴着に着替えた。同じようにこの場で脱ごうとするノアをエイミが慌てて止め、メイと一緒にノアは一度二人の家に行くこととなった。 ノアの予備の服をエイミに渡し、ヴァンはガラを連れてトッドがいるであろう砂浜に向かった。 土手を越えて砂浜に下りると、ガラは海を見て目を丸くしていた。 「海、見たことなかったのか?」 「ああ、話には聞いていたが……」 ヴァンがそう問うと、ガラは海を見渡しながら頷いた。 確かに、十年間も外の世界は『霧』に覆われていたのだ。バイロン寺院の外に出ることがあったとしても、あまり遠出はできなかったはずだ。 「実際に見てみると、圧倒されるものがあるな……」 「飲もうとか思うなよ」 「塩水なのは知っている」 腕を組んで感心しているガラにそう言うと、鼻で笑われた。 ヴァンが砂浜を見回すと、直ぐにトッドが目に映った。丁度、イクシスが稽古をつけてもらっているところだ。 「トッド!」 手を振りながら歩いていくと、トッドの方もヴァンに気付いたようだった。 「おお、ヴァンじゃないか!」 坊主頭のトッドが笑みを浮かべ、ヴァンに向き直る。 「それに、ガラか……大きくなったな」 「お久しぶりです」 隣にいるガラを見て、トッドが目を細める。ガラがバイロン式の一礼を返すと、トッドもそれに倣った。 「話は寺院から帰ってきたエイミさんに色々聞いているよ」 何から話そうか迷っているヴァンを見てか、先にトッドがそう言った。 大体のことはもうエイミから聞いているようだ。 「バイロン寺院が健在なようで、何よりだ」 「ゾッブ老もトッドが元気にやってるって言ったら喜んでいたよ」 トッドにヴァンがそう答えると、坊主頭の僧兵は笑みを深くした。 「それにしても、バイロン寺院まで救ったとはな……ヴァンには私からも礼を言わねばならんな」 「トッドが鍛えてくれていたお陰さ。メータや、ノア、ガラにも助けられてる」 それはヴァンの本心だった。 ここまでやれているのも、ヴァンだけの力ではない。一番大きいのは『聖獣(ラ・セル)』たちの力だ。 「ったく、謙遜しやがって」 汗を拭いながら、イクシスが口を挟む。 「イクシスも元気そうだな」 「まーな」 ヴァンの言葉に、イクシスはぶっきらぼうに答える。 「トッドは今どこに寝泊りを?」 「宿屋の一室を借りているよ」 ガラの言葉に、トッドが答えた。 ずっと『霧』に覆われてしまっていたため、村の外からの来訪者のための宿屋は商売にならなかった。バイロン僧兵として簡単な武道や教養を子供たちに教え る代わりに、宿代を免除してもらうことでトッドは暮らしている。狩人としてほとんどの大人が昼間は出払ってしまうこともあり、子供たちの保護者的な役割を 担っているのだ。 ヴァンやイクシスはその合間を縫って、個人的に鍛えて貰っていた。 「ヴァン、俺はトッドのところで一泊したいと思うのだが……」 「ああ、大丈夫だと思うよ」 ガラの言葉に、ヴァンは笑みを返す。 積もる話もあるだろう。いくらエイミが話しているとは言え、同じバイロン僧兵でもあったガラだからこその話というのもあるはずだ。 「そんなことよりヴァン、あの女の子は何なんだよ?」 イクシスがヴァンの肩に腕を回して引き寄せ、小声で囁くように問う。 「ノアのことか? 仲間だよ。聞いてないのか?」 不思議そうに、ヴァンはそう答える。 エイミから聞いていると思っていたが、違うのだろうか。 「いや、そうじゃなくてな」 イクシスが口ごもる。 「ああ、くっそ……俺も『聖獣(ラ・セル)』欲しいわ」 頭を振って、イクシスは悔しげにヴァンを離した。 「……でも、下手したら俺よりノアのが強いかもな」 「え、そうなの?」 ぽつりと呟いた一言に、イクシスが間抜けな顔をする。かなり意外そうな表情だった。 「もしかすると俺が三人の中で一番弱いぞ」 ヴァンは苦笑する。 敏捷性や瞬発力は間違いなくノアが三人の中で一番だ。筋力などの単純な力や武術に関しての技術はガラが一番だろう。『聖獣(ラ・セル)』を身に着けてからの時間が最も長いことぐらいしか、ヴァンには秀でているところがないかもしれない。 いくらリム・エルムの中では強い方だったからと言って、本場のバイロン寺院で大禅師の称号を得ていたガラには敵わない。『聖獣(ラ・セル)』のテルマが取り付いた狼に育てられ、来る日のために鍛えられてきたノアとも違う。 そういう意味では、どうしても劣等感を抱いてしまう時がある。 「俺はそうは思わんぞ、ヴァン」 トッドと話をしていたガラにもヴァンの言葉が聞こえたらしい。ガラがヴァンの方に顔を向ける。 「確かに、単純な肉体の面で見れば俺の方が上だろう。だが、お前には俺にはない才能がある」 「そうだな、私もそう思う」 ガラが最後まで言っていないにも関わらず、まるで何を言おうとしているのか分かっているかのようにトッドが頷いた。 「今、最も『聖獣(ラ・セル)』の力を上手く使えているのはお前だ」 ガラが言った。 思わず、ヴァンは右手のメータに目を落とした。 『聖獣(ラ・セル)』はただの『獣(セル)』とは違う。身に着けただけでも強い効果を発揮をするが、その真の力は使い手との思いの重なり具合に左右され るところが大きい。そもそも、『聖獣(ラ・セル)』たち自身が装着者に相応しいと思える者を選んでいるのだから、相性が悪いということはまずないだろう。 無我夢中ではあったが、ゼトーを倒した時、最後の局面でのヴァンはメータと心が同調できていた。それが『聖獣(ラ・セル)』の力となり、強さとなるのなら、ヴァンには『聖獣(ラ・セル)』の力を上手く引き出せていると言える。 「お前の人間性、心、精神、そういった面は決して誰にも劣っていないさ」 トッドが笑みを浮かべ、言った。 何だか照れ臭くて、ヴァンは頭を掻いた。 稽古の途中だったこともあって、一先ずヴァンたちは砂浜を後にした。 土手を登って、見慣れた景色を見ながら歩いていると、自然と創世樹のある広場へと向かっていた。 広場では、ノアが子供たちと一緒になって遊んでいた。裏表もなく明るい性格のノアは子供たちにすっかり打ち解けている。誰かと一緒に遊ぶということ自体がほぼ初めてなノアにしてみれば、相手が誰であろうと楽しいのかもしれない。 楽しそうにはしゃぎ回るノアを見ていると、昨日までゼトーと戦っていたのが嘘のようだ。 「ここは、良い村だな……」 「だろ?」 ガラの言葉に、ヴァンは笑って見せた。 今日も良い天気だ。 大きく育った創世樹の葉が風に揺れ、心地良い音を響かせている。澄んだ空気が心を落ち着かせてくれる。 「あ、ヴァン!」 ノアがヴァンに気付いて、駆け寄ってくる。 「ヴァン兄ちゃんも一緒に遊んでよ!」 一緒に寄ってきた子供たちに囲まれて、ヴァンは一瞬目を丸くしたが、直ぐに笑みを浮かべた。 「しょうがねーな、ちょっとだけだぞ」 喜ぶ子供たちを尻目に、ヴァンはガラへ振り返る。 「ほら、ガラも」 「何!? 俺もか!?」 悪戯っぽく笑いながらガラを手招きすると、ガラが自分を指差してうろたえる。 子供たちに囲まれて逃げ場を失ったガラが観念したように肩を竦めるのを見て、ヴァンは笑った。 本当にちょっとだけのつもりだったが、遊び終わって解散になったのは夕食前だった。 夕食はエイミとメイが振舞ってくれた。メイの家で、ヴァンたち三人にヴァルとネネ、イクシスまで呼んで皆で食べることになった。大勢での食事、それも年 の近いメイやイクシス、ネネがいることでノアは終始楽しそうだった。ノアはイクシスと料理の取り合いをしてメイに怒られたり、それをエイミが宥めたりと騒 がしい夕食だった。 ノアはメイの家で、ガラはまだまだ話をしたいとトッドのいる宿屋で一泊することになり、ヴァンはヴァルと共に帰宅した。エイミやノアに誘われ、ネネも今日はメイの家に泊まることになった。そのため、家にはヴァンと父親のヴァルだけだ。 「良い仲間もできたようだな」 家に帰って来て一息ついたところで、ヴァルが静かな声で言った。 「うん」 自然と、笑みが浮かぶ。 まるで自分が褒められたみたいで、嬉しかった。 窓から空を見上げれば、少し欠けた月が浮かんでいる。星が綺麗だ。 「……ヴァン」 父親に名前を呼ばれて、ヴァンは声のした方へと向き直る。 「お前が『聖獣(ラ・セル)』に選ばれたのは必然だったのかもしれないな」 自分のカップにお茶を注ぎながら、ヴァルはそう切り出した。 「……何で?」 言葉の意味を図りかねて、ヴァンは問う。 「ヴァン、というのはな、この地方の古い言葉で風を意味しているんだ」 お茶を一口飲み、ヴァルはヴァンに視線を向けた。 「風とは自由な存在だ。誰にも縛ることはできず、思うがままに流れていく」 確かに、風を掴むことなど誰にもできない。 「時に激しく吹き荒れて邪魔なものを吹き飛ばし、時に優しくそよいで安らぎを与えてくれる……」 強く吹けば風は災害となり、あらゆるものを吹き払う。柔らかな風は心地良さや安らぐ草の香りを運んでくれる。 「自分の心に素直に、信じた道を進みながら、大切なものを優しく包み、困難には正面から立ち向かい、払い、超えていく」 ヴァルはヴァンの目を見つめ、その続きを告げる。 「お前には、そんな存在になって欲しい、と思ってヴァンと名付けたのだ」 ヴァンには、返す言葉がなかった。自分の名前の由来を聞いたことはあったが、そこに込められた思いを知ったのは、今日が始めてだったから。 「聞けば、メータさんは火の『聖獣(ラ・セル)』だそうじゃないか」 「え? ああ、うん」 いきなり問いを投げられて、ヴァンは頷いた。 「風はな、炎に新しい空気を送り込み、激しく燃え上がらせることもできる」 ヴァルの言葉に、何故だかヴァンの首筋に鳥肌が立った。心が震えたような気がした。メータも、僅かに驚いたような感情を伝えてくる。 風、と聞いてヴァンが最初に想像したのはテルマの方だった。だが、ヴァルの言葉が心の奥にするりと入り込んでくる。 メータが火であるなら、風であるヴァンは相性が良いのかもしれない、と。 「確かに、あなたの心はいつも私に新鮮な空気を運んできてくれる……」 メータが呟いた。 だから、自分は更なる力をヴァンに貸すことができるのだと、まるでそう言いたいようだった。 「敵に立ち向かう時は激しく、人を思う時は柔らかく……あなたの心はとても心地が良いのです」 優しいメータの声がヴァンだけに響く。 メータが力を与えてくれるから、ヴァンも強く思い、願ってきた。それがまたメータに力を与え、ヴァンを奮い立たせていく。ヴァルの言う通り、それはまるで、火と風の関係のようだった。 「昔から、言い出したら聞かなかったな」 ヴァルがふっと笑う。 それがどんな無茶なことでも、言い出したら自分が壁にぶつかるまで突っ走るのがヴァンだった。 どんなに頑張っても、できないことはある。それは頭で分かっていても、もしかしたらできるかもしれない、と思ってしまったら、やってみなければ気が済まない。やる前から諦めることができない性分だった。 その性格が原因で、両親や友人に迷惑や心配をかけたこともある。 「ただ、お前がそうなるのはいつも誰かのためだったからな……」 自分のためのわがままではなく、ヴァンは誰かのために無茶をすることが多かった。 海で溺れ、流されそうになっている子供がいれば、周りでうろたえる大人たちよりも早く飛び込んで助けに行った。妹のネネがお菓子作りのために蜂蜜が欲し いと言えば、村の木にできていた大きな蜂の巣から蜂蜜を取りにも行った。間違っていることをしていると思えば、相手が大人でも噛み付いた。 「だって、皆が笑ってた方が俺は居心地が良いからさ」 ヴァンにしてみれば、自分にとって心地良い場所を作りたかっただけだ。自分だけが良い思いをしているよりも、周りの皆と笑っていられる方がヴァンには居 心地が良い。ただそれだけのことで、自分に都合が良くなるようにしているだけのことだ。結果としてそう見えるだけだと、ヴァンは思っている。 「自然とそう思えるように育ったお前が誇らしいな」 ヴァルが笑う。 困っている人がいて、自分に解決できるかもしれないのならば、放ってはおけない。ヴァン自身はそれが自分のためだと思っていても、結果として周りの人のためにもなっている。 危険なことに首を突っ込むことも多かった。親のヴァルとしては、心配することも多かっただろう。家族に心配をかけていることに対して、後ろめたく思う部分はヴァンにもある。それでも、ヴァンの性格を理解しているから、ヴァルもネネも背中を押してくれる。 今回の『霧』をなくすための旅も、家族としては心配なはずだ。何せ、旅の中で命を落とし、戻ってこれない可能性も高いのだから。 「心配していない、と言えば嘘になる」 手にしたカップに目を落とし、ヴァルは呟くように言った。 「だが、これはきっとお前にしかできない……いや、もしかするとお前だからこそできることなのかもしれないとも思うんだ」 ヴァルが顔を上げ、ヴァンを見る。 「『霧』を吹き払うことも、風にはできるはずだ」 ヴァルの表情は、いつの間にか優しい笑みに変わっていた。 夜にリム・エルムを『霧』が襲う時も、いつも朝になれば海からの風が『霧』を押し返してくれていた。 ヴァンが風だというのなら、この世界から『霧』を吹き払うこともできるかもしれない。 「お前が旅に出てから、ふとそう思ったんだ」 そう言って、ヴァルはカップに口をつける。 風という意味を名前に持たせた息子が、炎の『聖獣(ラ・セル)』を右手に宿し、『霧』を払う旅に出た。偶然なのかもしれないが、運命的なものを感じるのだとヴァルは言った。 「父さん……」 ヴァンからは、かける言葉がなかった。 いつも心配ばかりかけている。親孝行の一つもできていない。本来なら、リム・エルムの大人の一人として狩人となり、多少なりとも楽をさせてやれていただ ろう。それが、死と隣り合わせの世界を救う旅に出ることを決めてしまった。現に、『霧』の巣は破壊できたが、この戦いでヴァンたちが死にかけたのも事実 だ。心配するな、と言う方が無理だろう。 必ず帰ってくる、と口で言うだけなら容易い。もちろん、ヴァンだって進んで死ぬつもりはないが。 「何も言わなくていい。お前が無事に帰って来てくれるだけで、私は嬉しいんだ」 そんなヴァンを察してか、ヴァルはそう言って優しく笑った。 やはり父親にはまだ敵わない。 ヴァンは照れたような笑みを浮かべて、頷き返すことしかできなかった。 そんなやり取りを見て、右手のメータが温かな熱を芯に抱いていたのは勘違いではなかったのだろう。 そしてその日は、久しぶりに自分の家のベッドでぐっすり眠ることができた。 翌朝、目が覚めたヴァンは朝食の前にいつもしている特訓をこなすため、砂浜に向かった。既にそこで体を動かしていたガラとトッドに合流し、ヴァンも体を動かす。 朝食は昨日と同じように、メイの家で皆と食べた。 食事を終えて少し休憩してから、ヴァンたちは荷物を纏めて村を出る準備を始めた。 見送りに来たのは村長とヴァル、ネネ、メイ、エイミ、イクシス、トッドの七人だった。 「はい、これ」 出発直前にメイが直した狩り装束をヴァンに差し出した。 「ありがとう、助かるよ」 受け取りながら、礼を言う。 ガラとノアの服もエイミから受け取り、荷物袋に入れる。狩り装束のジャケットだけは、ヴァンがその場で着込んだ。 「ヴァン、おばさんお願いがあるんだけど……」 真剣な表情でエイミが切り出した。 「おばさんを探し出したように、ノアちゃんのお母さんを探し出してあげられないかしら?」 エイミが心配そうな顔をノアに向ける。 「ノアちゃんに聞いたんだけど、夢の中で何度もお母さんの声を聞いてるみたいなのよ。夢はレム様のお告げって言うじゃない? だから……」 「何だ、そんなことか」 やや遠慮がちな言い方をするエイミに、ヴァンはそう言って笑って見せた。 「もちろん、そのつもりだよ。ノアとも前に約束した」 そう言ってノアの方を見ると、ノアが力強く頷いた。 「ヴァン、ノアといっしょにおかあさんとおとうさんさがしてくれるっていってくれた! だからノア、ヴァンのことだいすき!」 それを見てエイミとメイが目を丸くする。 「さすがヴァンね。そうでなくっちゃ!」 そしてすぐに笑みを浮かべて、エイミはヴァンの背中を叩く。 「ガラ、ソンギのことは気になるだろうが、それだけにとらわれて視野を狭めぬようにな」 「はい、肝に銘じておきます」 冷静な声で告げるトッドに、ガラはバイロン式の一礼を返す。 ガラにとってはソンギとのことを解決するのがこの旅の一番の目的になっている。だが、そのことだけにとらわれて何か大切なことを見落としてしまわないよ うに、とトッドは釘を刺した。ガラ自身、ソンギのことで悩みを抱えていることもあって、この忠告には思うところがあるようだ。 「……そうだ、ヴァン」 思い出したように、メイがヴァンを呼ぶ。 「これ、持っていってくれないかな?」 そう言ってメイが差し出したのは、彼女がいつも首にかけているペンダントだった。 「それ、リブロおじさんがメイの誕生日にあげたものじゃないか……!」 ヴァンは驚いて、メイとペンダントを交互に見る。 そのペンダントはエイミがバイロン寺院に旅立った次のメイの誕生日にリブロが贈ったものだ。メイはそれをとても気に入っていて、ほぼ毎日、肌身離さず身に着けていた。今となっては、リブロの形見みたいなものだ。父親との思い出が詰まっているのは想像に難くない。 「いいの……。本当は私もヴァンと一緒に行きたいけど、『霧』がある場所には私は行けないから……」 メイの笑顔に影が差す。 リブロが死んだ日の夜、メイは父親の遺体の隣でヴァンに言った。いつか『霧』が晴れたら色んなところに連れて行ってくれる約束だった、と。だから、メイも外の世界を旅してみたいと思っているのかもしれない。 だが、メイはノアのように戦う術を持たない。『霧』に覆われて『獣(セル)』がいる場所へ向かうのは自ら死にに行くようなものだ。 「私が行っても、負担になるだけだから……せめて、私の代わりにこれを」 無理について行っても、ヴァンたちに守ってもらわなければならない。 『聖獣(ラ・セル)』を持つヴァンたちでさえ自分の身を守るのが精一杯で、満身創痍でやっと勝てた戦いもあったのだ。そんな場所に戦うことのできないメ イがついて行っても、足手纏いにしかならないのは目に見えている。『聖獣(ラ・セル)』を持たぬただの人間であるメイを、敵が狙わないとは限らない。 だから、自分の代わりにペンダントを持っていて欲しい。メイはそう言っていた。 「メイ……」 ヴァンはそれを受け取ろうと手を伸ばして、途中で止めた。 「ダメだ、やっぱり受け取れない」 ヴァンは首を横に振った。 メイの言いたいことや気持ちも分かる。だけど、だからこそヴァンには受け取れなかった。 「戦いの中で壊してしまうかもしれないし、失くしてしまうかもしれない……そうなったら、俺は……」 これから先も激しい戦いがあるはずだ。その時に、そんな大切なものを失くしてしまったら。もし、メイやエイミが笑って許してくれても、ヴァンは自分で自分が許せなくなってしまうような気がしていた。 「ヴァン……」 メイが残念そうな表情を見せる。 「気持ちだけで十分だよ。これだって、メイがくれたものだから」 そう言って、ヴァンは狩り装束のジャケットを親指で示した。 ペンダントのように大切なものではないけれど、メイの気持ちがこもったものをヴァンは身に着けている。それだけで十分なはずだ。 「うん……分かった。でも、必ず帰ってきてね!」 どうにか納得してくれたようで、メイはペンダントを両手で握り締め、祈るようにヴァンに言った。 「また何か大きな進展があったりしたら一度帰ってくるつもりだよ」 ヴァンは頷いて答えた。 「気を付けてな、三人とも」 村長の言葉に三人で頷いて、ヴァンたちはリム・エルムを後にした。 バイロン寺院を目指してリム・エルムから北へと向かう。その道中で、メイは昨日の夜、エイミやメイ、ネネと話したことなどを楽しそうに語った。 リム・エルムの北の川も、今日は丁度ドルク城の水門が閉じている日だったようで、すんなりと渡ることができた。 日が沈む頃にはバイロン寺院に辿り着き、ヴァンたちはゾッブ老やハイアムたちと夕食を取りながら盆地での出来事やリム・エルムで一泊してきたことなどを話した。 「トッドもまた、暇を見つけて寺院に顔を出すと言っていました」 「それは何よりじゃ」 ガラの言葉に、ゾッブ老は嬉しそうに顔の皺を深めた。 『霧』がなくなったことで、ドルク王領の人の行き来は容易になった。モンスターや野生動物はいるものの、心得のある者が同行すれば交流は簡単だ。 「しかしそうか、その『霧』の巣とやらから『霧』が流れ出していたか……」 話を聞き終えたゾッブ老は難しい顔をして呟いた。 「そしてソンギ……」 ゾッブ老としても、ソンギのことはかなり気がかりなようだ。 「禁じ手を会得していたとは、いつの間に……」 「取り押さえることもできたのに、逃がしてしまいました」 険しい表情をするゾッブ老に対し、ガラは申し訳なさそうに頭を下げる。 その時、ガラとソンギの戦いが終わった直後にヴァンとノアも加勢して取り押さえることもできた。 「そのことは良い。だが、ソンギの影に何か邪悪なものが感じられてならん」 それが一体何なのかまでは、この場にいる誰にも分からない。 「ガラよ、ソンギのこと、くれぐれも注意するのだ」 「はい」 真剣な表情で告げるゾッブ老に、ガラは頷いた。 恐らく、ガラが『聖獣(ラ・セル)』を身に着けたことで、ソンギもガラが自分を追ってくるだろうと確信しているはずだ。となれば、『霧』と戦う旅がソンギを追う旅にもなるかもしれない。 「それで、三人は次にセブクス群島へ向かうつもりなのだな?」 「はい、明日の朝、出発するつもりです」 ハイアムの問いに、ヴァンは頷いた。 バイロン寺院の真下を通る川沿いに北上していくと、山脈とぶつかるところに洞窟がある。洞窟を抜けた先がセブクス群島だ。 地図を見る限りでは、ドルク王領よりもセブクス群島は広い。創世樹や『霧』の巣を探して歩き回るのは中々骨が折れそうだ。 「未だ『霧』に包まれているであろう北の諸地方にも『霧』の巣はあるのだろう……」 ゾッブ老が呟く。 この世界にある全ての『霧』が『霧』の巣から生み出されているのであれば、セブクス群島やその北のカリスト皇国地方にも『霧』の巣があるはずだ。当面の目標は、創世樹を覚醒させて『聖獣(ラ・セル)』たちを成長させつつ、『霧』の巣の場所を探ることになりそうだ。 「そうだ、ノア殿にこれを」 ハイアムはそう言って奥の部屋から布に包まれた何かを持ってきた。包みの上からでも細長い形が見てとれる。武器だろうか。 空いた机の上で布が取り払われると、そこにあったのは握り手のついた長い棒状の武器だった。 「これ、なんだ?」 「トンファーという武器で、防御にも攻撃にも使えるものさ」 不思議そうにまじまじと武器を見つめるノアに、ハイアムが答える。 ハイアムは腕の外側に棒を這わせるように握り手を掴み、構えを見せてくれた。ナイフなどを逆手に構える時の要領で握り手を掴み、トンファーの棒の部分を 腕の外側に沿わせる。こうすることで、腕ではなくトンファーの棒の部分で攻撃を受けることができる。また、棒の部分で叩き付けたり突いたりもでき、握り手 部分で回転させればリーチを変化させることもできる。 「本来は両手に持つものですが、『聖獣(ラ・セル)』があるようですから空いている手で使ってもらえれば多少は役に立つかと」 一通りトンファーの使い方を実演して見せたところで、ハイアムはそう言ってノアに手渡した。 「分からないことは大禅師、ガラに聞くといい」 「うん、ありがとう!」 ハイアムからトンファーを受け取ったノアは早速、右手にそれを持って感触を確かめ始めた。 「危ないからこの場であまり振り回すんじゃないぞ」 それを見て、ガラが釘を刺す。 純粋な筋力に劣るノアにとってはありがたい差し入れかもしれない。 「セブクス群島やカリスト皇国がどうなっておるのか、わしには分からん……しかし、このドルク王領を救った三人ならきっと世界を救えるはず! わしはそれを信じておるぞ」 ゾッブ老が明るい笑みを見せて、激励する。 周りのバイロン僧兵たちもそれぞれに頷いて応援してくれた。 「はい!」 ヴァンもそれに力強く頷いて答えた。 「ノア、ガラ、改めてこれからも宜しく頼むよ」 「うん! ノア、がんばるよ!」 「ああ、俺も頼りにしている」 ヴァンの言葉にノアは元気良く、ガラは静かだがはっきりと、笑みを返して答えてくれた。 「メータも、これからもよろしくな」 「はい、こちらこそ」 右手のメータに囁くと、温かな熱と共にメータの声が返ってきた。 |
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