第十三章 「悠久の古都オクタム」


 暖簾で仕切られた脱衣所を抜けると、すぐに露天風呂への扉があった。引き戸を開けて外へ出ると、屋根のない広々とした露天風呂が広がっていた。丸く角が落とされた石で囲われた露天風呂は泉質のせいか少し白く濁っていて、湯気が風車の風で流れている。
「へぇ、結構広いんだな」
 受付で貸し出された手拭いを折り畳みながら、ヴァンは足先からそっと温泉に入る。
 先に入っていたガラも手拭いを頭の上に乗せて首まで浸かっている。
 機械室で汗をかいたガラは、寝る前に温泉に入りたいと言い出した。ノアも興味を示し、メータのお陰で汗をかいていなかったヴァンは先に宿屋へ寄って部屋を確保し荷物を置いてから温泉に来たのだった。
 どうやら、観光客が来なくなってから温泉は無料開放されているようで、入場料を取られなかった。今ではぽつぽつとウィドナの住人が好き勝手に入るだけのようで、今はヴァンたちの他に人はいないようだった。
 最初は少し熱いぐらいだったが、ゆっくり浸かって体を慣らしていけばかなりの心地良さだ。
「これは名物になるのも頷けるな」
 心なしか緩んだ表情で、ガラが呟いた。
「確かに……」
 肩まで浸かりながら、ヴァンも頷いた。
「わあ! ひろーい!」
 声がした方を見れば、ノアが建物の引き戸を開けて出てきたところだった。
 それも、全裸で。
 いや、全裸なのはヴァンとガラもそうなのだが、ノアは手拭いをどうしていいのか分からなかったのだろう。ただ手に握っているだけだ。
 テルマとの生活のお陰なのか、年齢の割にノアの体は発育が良い。その年にしては身長も高い方だろうし、手足も程好く筋肉がついていて引き締まっている。 胸は決して大きいとまでは言えないが、形も良いし身長に応じるように小ぶりながらメリハリはついている。実際、スタイルはかなり良い方だろう。
「ぶっ! ノア、おまえ!」
 ノアに気付いたガラが思わず吹き出した。
「どうしたの?」
 ガラが何故慌てているのかノアは分からない様子で、首を傾げている。
 テルマに育てられたノアは一般常識に欠けている。これまでの旅の中で教えられることは教えてきてはいるが、まだまだ不十分なところは多い。そもそも、 『聖獣(ラ・セル)』であるテルマが人間の生活や価値観、常識などについて十分に教えることができるとは言い難い。テルマ自身もそれは自覚していて、ヴァ ンやガラにはおかしなことがあれば正して欲しいと頼んでいた。
 ノアはヴァンとガラを見習って手拭いを適当に小さくまとめて頭に乗せつつ、湯に浸かろうと駆け寄ってくる。
「走ると危ないぞ、足元に注意して」
 ヴァンが声をかけると、ノアが足元に目を落とした。
 一応、整えられてはいるが、石を敷き詰めて造られたような床で、平坦というわけではない。お湯によって濡れているところもあり、滑ったら危ない。
「最初は熱く感じるだろうから気を付けろよ」
「うん、わかった!」
 縁まで来たところで声をかけると、ノアは元気良く返事をした。
 屈み込んでお湯に手を触れ、そっと足を入れる。機械室で熱湯に触れたせいか、やけに慎重だ。手拭いも適当に頭に乗せているだけなせいで、色んなところが丸見えだった。
 ガラは顔を背けて見ないようにしている。
 テルマを身に着けているから大丈夫だとは思うが、やはり危なっかしく思えてヴァンはノアから目が離せなかった。
「ガラどうしたの? かおがあかいよ?」
「何でもないっ!」
 不思議そうなノアに、ガラが即答する。
 ヴァンは苦笑した。
 ノアはノアで羞恥心というものがまるでない。
「ううう……」
 見れば、ノアが温泉に肩まで入れたところだった。
 熱くて唸っているのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。気持ち良さそうに表情が緩み始めている。
「ヴァン、何故お前は平然としていられるんだ……」
 ノアの体がお湯に隠れて見えなくなったところで、ガラがそんなことを聞いてきた。
「ああ、俺には妹がいるからな」
 妹のネネが生まれて直ぐに母のノーラが死んでしまったため、ヴァンはネネの面倒を良く見ていた。幼馴染のメイも、自分が一歳年上なせいか、あるいはお姉 さんぶりたかったのか、ヴァンとネネに良く世話を焼いてくれた。父親のヴァルは足が悪いため、余計にヴァンがネネの面倒を見ていた。
「小さい頃はメイやイクシスと海で遊んでたこともあったからなぁ……」
 海に面したリム・エルムでは海辺で水遊びをすることも良くある。小さい頃は水着になどならず、適当に服を脱いで素っ裸で水遊びをしたものだ。
 見慣れている、というのは変な言い方かもしれないが、少なくともヴァンには免疫がある。
「むぅ、そうか……」
 言われて、ガラは納得したようだった。
 バイロン僧兵は基本的に男ばかりだ。寺院でも、男女は寝室や風呂場などきっちり分けられている。そんな環境だったから、ガラは女性の裸に対して全く免疫がないのだろう。
「人間の一般的な感覚っていうのは、人の中でなければどうしても学べないものがあるからね」
 テルマが苦笑しているような気配と共に言った。
 羞恥心なども人間の集団の中で育つことで少しずつ自然と染み込んでくる感情だ。洞窟の中で、まともにコミュニケーションを取れるのがテルマだけだったノアに分からないのも無理はない。人間ではないテルマにそれを教えろ、というのも無理がある話だ。
「そういうのもこれから学べばいいさ」
 色んなものを見て、聞いて、感じて、ノアも成長しているのは間違いない。
「さいしょはちょっとあつかったけど、おんせんってきもちいいね!」
 ノアが心地良さそうに伸びをする。その拍子に胸が水面から出て、ガラが目を丸くして直ぐに顔を背ける。
「確かに、まともに風呂に入れる機会って旅をしてると中々ないもんな」
 ヴァンも肩まで湯に浸かりながら、しみじみと呟いた。
 町や村のように、人が生活している場所に泊まることができれば風呂に入る機会もある。だが、『霧』に包まれている場所を旅していればそうそう風呂には入 れない。『霧』に包まれ『獣(セル)』に支配された人ばかりの集落では、創世樹を覚醒させて『霧』を払わない限り、そこでゆっくり体を休めるというわけに はいかない。
 泊まることはできても、場所によっては風呂などの設備がない時もある。体を洗うのに川などの水浴びで済ませなければならない場面も出てくるだろう。
「そういえば、ふと思ったんだが、風呂に入らなくともあまり体が汚れていると感じないな?」
 ふと、ガラがそんなことを言いだした。
 言われてみれば、『聖獣(ラ・セル)』との旅を始めてから体を洗う必要性をあまり感じなくなっている。戦いの中では当然、汗をかく。砂埃や土、泥で汚れることもある。
「それは私たち『聖獣(ラ・セル)』の力ですね」
 オズマが答えた。
「『聖獣(ラ・セル)』には身に着けた者の状態を整える力もありますから」
 メータが補足する。
 どうやら、『聖獣(ラ・セル)』には装着している者の状態を良好に保つ力もあるらしい。戦いに備えるためか、身に着けた者の体調を整えることができるら しい。病に対する免疫力から、体の老廃物まで、装着者が不快に感じるであろう状態をマイナス要因として排除するように力を働かせているらしい。
「簡単に言えば、私たちが使える力で体を綺麗にしたりしてるわけさ」
 テルマが言った。
「なるほど、装着した部分に不快感がないのもそういうことか」
 納得したようにガラが頷いた。
 ヴァンとガラは右手に、ノアは左手に、それぞれの利き手には『聖獣(ラ・セル)』が装着されている。
「言われてみれば、右手にメータがついてから腕の感覚がなくなったりってこともないな」
 メータの宿る右腕を見つめて、ヴァンも呟いた。
 一番最初にリム・エルムでメータと出会った時は小さな腕輪のようだったのに、今では籠手と言えるほどの大きさになっている。メータの質感は触れてみると 硬質な金属のようだが、冷たく感じることもなければ熱く感じることもなく、かと言って人肌のような温度というわけでもない不思議な質感だ。また、右腕を 覆ってはいるが蒸れることもなく、衣服のように触れられた場所の感触も分かる。ずっと着けているのに不快感もない。
 身に着けている、自分の体ではないとはっきり認識できるのに、まるで体の一部のようにごく自然な感覚がある。
 これも『聖獣(ラ・セル)』特有のものなのだろうか。
「改めて考えると確かに不思議なものだな」
 ガラも自分の右腕のオズマに触れながら呟いた。
 その後は暫く湯に浸かってから、貸し出された桶などを使って簡単に体を洗った。ノアはまだ不慣れなようで、頭と背中はヴァンが洗ってやることにした。ガラはノアに背中を向けて極力見ないようにしていた。
「さすがに免疫なさ過ぎだろ」
「俺もそう思う」
 ヴァンが苦笑して言うと、溜め息混じりのガラの声が返ってきた。
「じゃあつぎはノアのばんだね!」
 背中を流し終えると、ノアがヴァンの後ろに回った。
 自分で出来る、と断っても良かったのだが、ノアの表情がやけに楽しそうだったのでヴァンは大人しく背中を流してもらうことにした。頭だけは自分で洗ったが、何だかネネの小さい頃のことを思い出してヴァンは少し懐かしい気分になった。
 洗い終えた後はもう一度ゆっくりと温泉に浸かり、十分に体を温めてから三人は宿へと向かった。
「きもちよかったね!」
「うむ、また入りたいものだな」
 笑顔のノアに、ガラも口元に笑みを浮かべて頷いた。
 もしかしたら三人の中で一番温泉を気に入ったのはガラかもしれない。
 宿に入り、一階にあるテーブル席で食事を済ませる。流石に観光地だけあって、料理はかなりのものだった。久々の客と言うこともあってか、中々に豪勢な料 理がテーブルに並べられ、ノアが目を輝かせていた。『霧』に覆われていない範囲の海からとれた魚介類や、山の幸が上手に調理され、見た目にも華やかな食事 だった。
「んー! おいしー!」
 大ぶりなエビを豪快に揚げた料理を頬張って、満面の笑みを浮かべたノアが声を上げる。
 見た目こそ豪快だが、パン粉や小麦粉、卵を使った衣のサクサクした食感と大きな肉厚のエビのぷりぷりとした歯応えに何とも言えない心地良さがある。香ばしく揚げられた衣と、エビの風味が口の中で広がり、特製のソースと相まって絶妙な美味しさだ。
「さすがは観光地と言ったところか」
 ガラも新鮮な魚の刺身に舌鼓を打っている。
「確かに、これなら何度も来たくなるな」
 景色も良く、浜辺も温泉もあり、料理も美味しい。観光地としては確かに申し分ない環境が揃っている。観光で栄えていたというのが頷ける。だからこそ、『霧』によって人の流れが途絶えたことが堪えているのだろう。
 そうして、食事を終えた三人が借りた部屋へのある二階へと上がった時のことだ。
「あんたらが『霧』の中を歩いてきた旅人か」
 廊下で出会った宿泊客らしい男が、ヴァンたちを見て話しかけてきた。
「あなたは?」
「ああ、俺は探検家をしていたんだが、『霧』でここに足止めを食らってるんだ」
 ガラが問うと、男が苦笑を浮かべた。
「あんたらはトーンの門を知ってるか?」
「トーンの門?」
 探検家らしい男の問いに、ヴァンたちは顔を見合わせた。聞いたことがない名前だ。
「トーンの門はオクタムの東にある遺跡だ。門と言われていながら、どこかに通じる道も見当たらない不思議な遺跡でな」
 顎に手を当てて、男はトーンの門について語り始めた。
「一説によれば古代の財宝が隠されているという話もあるんだが、良く分からないんだ。『霧』さえなければ、俺も調べに行きたいんだが……」
 どうやら、トーンの門という遺跡は名前こそ門と言われているが、どこかに通じるような道や扉があるわけではないらしい。確かに、門という名前の遺跡として知られているということはそれなりに由来があると思える。
「何故我々にその話を?」
 ガラが疑問を口にした。
 遺跡として知られているのなら、これまでにも調査が行われているはずだ。
「いや、何となく、あんたらなら何か見つけられるんじゃないかって思ってさ」
 彼も何か確証があるわけではないらしい。ただ、この『霧』の中を歩いてこれた『聖獣(ラ・セル)』を持つ三人なら今まで見つけられなかった何かを掴めるかもしれない。そう思ったらしい。
「トーンの門に寄るかどうかは分からないぞ?」
「ああ、それもそうか。あまり気にしないでくれ、未練があるのさ」
 ヴァンの言葉に、男が苦笑を浮かべた。
 彼は色々な未知なものを求めて旅をしていたらしい。探検家としてトーンの門を調べる前に、『霧』のせいで十年もの間ウィドナに閉じ込められてしまってい る。『霧』が晴れたならトーンの門へ向かうつもりのようだが、果たしてそんなことがあるのか、と半ば諦めかけてもいるらしい。
「我々では調査をする知識もないからな、『霧』を晴らすのは目的だが」
 ガラの言う通り、三人には遺跡調査をできるような知識があるわけではない。調べると言ってもせいぜい表面的な部分だけだろう。
「なら、その時に期待させてもらうかな」
 『霧』を晴らした、ということについては半信半疑のようだ。実際に『霧』に包まれている場所にいればにわかには信じ難いことだろう。
 近くのドアを開けて自分の借りている部屋に入っていく男を見送って、三人は顔を見合わせて肩を竦めた。
 複数人で泊まれる部屋はなかったため、今回は各自それぞれが部屋を取ることになった。とはいえ、観光客が全く来なくなっているせいか宿代は一部屋分に少し色をつけた程度だった。節約になるのはありがたいが、活気がないようにも思えて、ヴァンとしては複雑な気分だった。
 翌朝、食事を終えてウィドナを発つヴァンたちをサシアが見送りに来てくれた。
「レム神殿はオクタムにあります。どうかお気をつけて……!」
「わざわざありがとうございます」
 サシアにガラが礼を言い、ノアが手を振る。
 ウィドナを出て暫く歩くと、再び『霧』の中へと入った。
「この後はオクタムを目指すのか?」
「道なりに行くならそれが最短かな」
 ガラの問いに、ヴァンは片手で広げた地図を見せながら右手で場所を示しながら言った。
 ジェレミで聞いた話では、北の方に創世樹らしい木があるという情報もある。
 だが、地図を見ると、ウィドナのある島は北の島には橋がかかっておらず、北東にある橋からオクタムのある島に繋がっている。
「ただ、創世樹を優先するなら、東の島から北に向かって、そこから西に向かうことになる」
 セブクス群島の中央に位置するその島には海に突き出た半島があり、その先にオクタムがある。セブクス群島地方の地図はオクタムが中心に描かれたものだ。
 オクタムのある島からは北に橋がかかり、北の島に渡ることができる。ウィドナの北西にも山があったが、メータたちによると創世樹の存在は感じられなかっ たようだ。となると、ウィドナの北の島にある大きな山が次の候補地となる。だが、ウィドナの島からは直接繋がっていないため、オクタムの島の北にある橋か ら迂回しなければならない。
「ヴァン、思うんだが……」
 地図を眺めながら、ガラが言った。
「このままオクタムに行ったとしても、オクタムは『霧』に包まれているはずだ。そんな状態でオクタムを尋ねたとして、意味があるのか?」
「ああ、俺もそれを考えていた」
 ガラの言葉に、ヴァンも頷いた。
「どういうこと?」
 ノアが首を傾げる。
「ハリィはオクタムを目指せとは言ったが、『霧』があってはまともに考えたらオクタムに人は住めないだろう?」
 ガラが噛み砕いて説明する。
 ウィドナは風車によって『霧』から町を守っていた。だが、少なくともオクタムに風車がないことは確かだ。『霧』に覆われた町で普通に人が生きていけると は思えない。夢を通じてメッセージを送ってきたり、十年前にヴァンたちの存在を予見してサシアに伝言を頼んだりと、ハリィが不可思議な力を持っているのは 確かだが、『霧』に対する力があるのかどうかは分からない。これまで創世樹を覚醒させることで解放してきた町や村のように、オクタムが『霧』に侵されてい る中でハリィはヴァンたちを待っているだろうか。
「『霧』を晴らしてからなら、オクタムの人が『獣(セル)』に取り付かれていたとしても、元に戻っているはずだしな」
「そっか……」
 ヴァンの言葉に、ノアは納得したようだった。
「ただ、ここからレトナ山に向かうとなると結構時間がかかりそうなんだよな」
 ヴァンは地図を見ながら頭を掻いた。
 創世樹らしきものがあるとジェレミで聞いた山は地図によるとレトナ山と言うらしい。その麓にはラタイユという町が書かれている。迂回しなければならない ため、ラタイユやレトナ山を調べに行くとなると遠回りになってしまう。仮に創世樹がなかったとして無駄足となれば、オクタムまでは来た道をほぼ引き返すこ ととなり二度手間だ。
「道なりに行くとなると、オクタムを調べてからレトナ山に向かう方が無駄は少ないかな……」
「『霧』がある状態でオクタムに行くべきかどうか、というところか。悩みどころだな」
 ヴァンの言葉に、地図を覗き込みながらガラも腕を組みながら呟いた。
 『霧』を晴らしてからオクタムに向かう方が確実ではあるが、レトナ山に創世樹があるかどうかもはっきり分かっているわけではない。
「よし、道なりに行こう。伝言もちょっと気になるし」
 考えた末に、ヴァンはそう結論を出した。
 サシアがハリィに託されたという伝言も気になっている。オクタムが『霧』に包まれていても、様子を確認しておいて損はないだろう。『獣(セル)』に取り付かれていても、人がいるのであれば『霧』を晴らしてから訪れれば良いと判断できる。
「ねぇ、ヴァン、あれなに?」
 ふと、ノアが前方を指差していた。
 見ると、大きな建造物が建っている。石や金属で作られた頑強そうな台座から二股に分かれた塔のようなものが伸びている。枝分かれしている根本は緩やかなカーブを描いており、頂上部分には真っ直ぐに細いワイヤーのようなものが伸びている。
「何だこれは……?」
 ガラが建造物を見上げて眉根を寄せる。
「オクタムの方に伸びてるのか?」
 ワイヤーの伸びている先の片方を目で追ったヴァンは、地図と照らし合わせて呟いた。
「ヴァンもガラもしらないの?」
「うむ、俺もこれは知らないな」
「俺も分からないや」
 首を傾げるノアにガラが答え、ヴァンも頷いた。
 近寄って触れてみたが、中に入れるような扉などはなかった。伸びているワイヤーには意味がありそうだが、この構造物には特に害はなさそうだった。
「とりあえず放っておくしかなさそうだ」
 ヴァンは肩を竦めて、先を急ぐことにした。
「なんだったんだろうね?」
「オクタムに行けば何か分かるかな?」
 そんな会話をしながら、ヴァンたちは歩を進めた。
 オクタムに着いたのはウィドナを発ってから三日目の昼頃だった。道中、完全に滅びた村のなれの果てがあったが、やはり有益な情報はなかった。
 オクタムの姿が見えてくると、真っ先にノアが走り出した。
「オクタムだ! ヴァン! ガラ! ここオクタムだよね!?」
 飛び出して行ったノアを追うと、そこには以前、夢で見た景色が広がっていた。
 丁寧に舗装された石畳の地面に、石造りの箱のような形をした家々が立ち並んだ街並み。長く大きな階段が左右に設えられた五、六階建てぐらいはありそうな 大きな石造りの建物を中心に、多くの家が並んでいる。地面の隙間から伸びた雑草や、荒れ放題の木々と、ここ十年は人が生活しているような雰囲気はない。
「……?」
「メータ?」
 メータから不可思議な思いが伝わってきて、ヴァンは声をかけた。
「いえ……人の気配はないようです」
 メータの返答は、この町の中に生存者の気配は感じられない、というものだった。ただ、メータ自身が何か釈然としないものを感じているのがヴァンにも伝わってきている。
「誰かいたような気がしたけど、いないね」
「気のせいでしょうか……」
 テルマとオズマの言葉を聞きながら、ヴァンたちは辺りを見回す。
「ハリィ! どこだハリィ!」
 ノアが両手を口の横に添えるようにして大声でハリィを呼ぶ。
「ノア、待て! 落ち着け!」
 ガラがノアの肩を掴んで諌める。
「だって……ハリィ、オクタムでゆめのことおしえてくれるって……」
「だが、辺りを良く見てみろ。人の気配がないことは『聖獣(ラ・セル)』たちも言っていただろう」
 しょんぼりするノアに、ガラが周りを見回しながら言う。
「テルマ、ちかくにそうせいじゅは?」
「やっぱりこの辺りに創世樹の存在は感じられないね」
 ノアの問いに、テルマが答える。
 となると、やはり情報通りレトナ山にも行ってみるしかなさそうだ。
「でも確かに、何だか変だな」
 ヴァンは周囲を見回していて違和感を抱いていた。
「争ったような痕跡が見当たらないのに、人がいない……」
 『霧』が襲来し、狂暴化した『獣(セル)』に襲われて住人たちが抵抗したような後がない。少なくとも、今までヴァンたちが見てきた集落では、ほとんどの住人が『獣(セル)』に取り付かれていても生きているか、抵抗した挙句完全に滅んでしまっているかのどちらかだった。
 戦ったりした形跡がないのに人が全くいない、というのは初めてのケースだ。
「うむ、俺もそこは気になっている。調べるなら念入りにやるべきだろうな」
 ガラも同じ考えに至ったようだ。
「ガラ、すっごいえらそう……」
「む、そうか……?」
 ぽつりとノアが呟き、ガラがややショックを受けたように眉尻を下げる。
「とりあえず、手分けして辺りを調べてみよう」
「日が真上に来る頃にここで集合とするか」
 ヴァンの言葉に続いてガラが言い、三人で頷き合ってそれぞれ民家を調べてみることにした。
 時間になって中央の建物前で集合した三人の調査結果はどれも似たようなものだった。
「争った形跡はどこにもなかったな……。貴重品の類だけが綺麗になくなったりもしている」
 腕を組み、ガラが言う。
「こっちも似たような感じだ。長いこと掃除されていないから少し荒れてるようなところはあるけど、戸締まりとかはされていて、『獣(セル)』が入り込んでいない限りは家の中は荒らされていなかった」
 階段に腰を下ろして、ヴァンは昼食代わりの干し肉を齧りながら見てきたことを説明した。
 民家の多くは施錠されていて、鍵が開いている家もあったが戸締まりはきちんとされていた。運悪く『獣(セル)』が入り込んでいた家は家具などが倒れてい たり破損していたりしたが、そもそも敵対対象がいないためか『獣(セル)』が侵入していてもそこまで荒れてはいなかった。
「つまり、『獣(セル)』が来た時には既に人がいなくなっていたということか?」
 ガラはそう言って、保存食を口に放り込む。
 戦った形跡がない、ということはつまりそういうことになる。『獣(セル)』や『霧』がきた時、ここは既にもぬけの殻だった可能性が高い。
「こんなのみつけたよ」
 ヴァンからおかわりの干し肉を受け取りながら、ノアが一枚の紙切れを差し出した。
「計画の実行は明朝、荷物は少なめに」
 紙切れにはそう書かれていた。
「計画の実行……荷物は少なめに……」
 紙切れに書かれた言葉を復唱するように呟いて、ガラが顎に手を当てる。
「これが書かれた時点では少なくとも人がいたはずだよな……?」
 紙切れを眺めながら、ヴァンは呟いた。
 いつ書かれたものなのかは分からないが、変色した紙の具合から見て相当前に用意されたもののように思える。書かれた文字から推察するに、まだ住人がいる時期に書かれたものだと考えるのが妥当だ。
 軽く昼食を取ったところで、ヴァンたちはオクタムの探索を続行した。
 中央の大きな建物は三人で調べることにしていたため、周りをぐるっと見回ってからドアが開いているかを確かめ、鍵がかかっていなければ中に入り、何か手がかりがないか探る。
 建物正面の左右にある大きな階段を上った先の部屋には、レガイア大陸の地図が書かれた大きなプレートが壁にかけらていた。昇降機のようなものが部屋の隅にあったが、動力が切れているのか動かないようだ。
「オクタム駅、カリスト駅……ここが風来獣車の発着場か?」
 部屋の中にある広告を手に取って目を通したガラが呟いた。
「もしかして……あれが風来獣車の通り道なのか?」
 途中で見かけた不思議な構造物と、オクタムへ向かって伸びていたケーブルのようなものを思い返して、ヴァンは言った。
「そのようだな、これを見てみろ」
 ガラが差し出した広告紙には、風来獣車と思しき絵が描かれていた。巨大な箱型の乗り物がケーブルに吊り下げられている図だ。箱型の乗り物の窓には、中にいる乗客まで描かれている。
「わ、すごい!」
 隣から広告を覗き込んだノアが面白そうに目を輝かせる。
「これでカリスト皇国まで行けるのか……」
「『霧』が晴れて、風来獣車が機能するようになればこれで俺たちもカリスト皇国まで行けるかもしれないな」
 ヴァンの言葉にガラも頷いた。
「のってみたい! たのしそう!」
 これほど大掛かりな乗り物はヴァンたちも乗ったことがない。徒歩で険しい山岳地帯を越えてカリスト皇国へ向かうよりはこの風来獣車で行く方が早く、それに楽そうだ。
「問題はオクタムの人がどうなったか、だな」
 ヴァンの言葉にガラが頷く。
 ここまで綺麗に人だけがいなくなっているのは不自然だ。
「どうやら、レム神殿はこの中央の建物の地下にあるようだな」
 観光案内と書かれた冊子を手にとったガラが言った。
 ガラが読んだページを見せてもらうと、中央にある建物は上階に風来獣車の駅が、一階中央の階段に挟まれた扉の先がレム神殿になっているようだ。
「レム神殿を訪れよ、四巻の神託の書を見よ、だったな」
 サシアから受け取った伝言のメモを取り出して、ヴァンが文面を読み上げる。
「ね、いってみようよ!」
 ノアの言葉に、三人は顔を見合わせて頷いた。
 『霧』に包まれた状態のレム神殿でこの伝言にある通りに秘密が明かされるのかは分からない。何もなかったとしても、『霧』を晴らしてからまた来ればいい。オクタムに来ているのだから、今はここで出来ることをしてみるべきだろう。
 三人で外に出て、階段を下りて中央の扉へと向かう。
 扉を開くと、中は他の建物や部屋とは別物だった。
 幾何学文様の描かれた壁と天井の広い通路が真っ直ぐに続いている。床は縁取りに紋様の描かれた石造りのものとなっている。正面には複雑な紋様が多く描かれた両開きの大扉があり、それを囲う壁もまた違った紋様が刻まれている。
 確かに、どこか神聖な印象を抱かせるような雰囲気があった。
 ヴァンが扉を開けると、かなり広い大きな部屋に出た。家四、五軒ほどはあろうかという大きな部屋だ。天井も高く、複雑な紋様が所狭しと描かれている。入 り口から部屋の外周を円を描くように、胸の辺りまでの高さの策のようなものがある。それにも丁寧に紋様が刻まれている。床は通路とは違い、無地の石がタイ ル状に敷き詰められている。だが、東西南北の部分は大きな金装飾の紋様が施されたものとなっており、荘厳な雰囲気を漂わせている。同心円に幾何学模様を組 み合わせたような装飾だ。
 そして、部屋の中央には神仏を祭っているような祠のようなものが経っていて、向かって正面には赤で塗られた扉がついている。その祠自体、家ほどの大きさがあり、寺院や神殿と言うに相応しい年代を感じさせるものだ。
「ここがレム神殿なのか?」
 周りを見回して、ガラが疑問を口にする。
「本みたいなのはなさそうだぞ?」
 祠の周りをぐるっと一周して、ヴァンは言った。
 見たところ、本棚や書物が置かれていそうなものは見当たらない。むしろ祭事場といった方がしっくりくる場所だ。
「このドア、ひらくよー」
 祠の扉を触っていたノアが声を挙げる。
 他に調べられそうな場所はなく、ヴァンたちは扉の先に進んでみることにした。
 扉の先は朱色に金装飾で紋様が刻まれた階段が続いていた。螺旋階段のように下に向かう階段を下りると、上階とほぼ同じぐらいの広さの部屋に出た。
「これは……」
 ガラが目を見張った。
 作り自体は上階とほぼ同じ構成になっているが、置かれているものが違っている。地下のこの部屋は祠がなくなり、巨大な顔を持つ石造が部屋の中ほどに中央を向くようにして四つ置かれていた。
 本棚もいくつか見受けられる。
「おおきなかおがあるよ!」
 ノアが目を丸くして、石像に近付いて興味深そうに見上げる。
「何か文字が刻まれているな……?」
 石像に近付いたガラが、石像が抱えるような位置に置かれている色のついた石版に気付いた。
「ええと……北の門、その鍵は……地?」
 ヴァンは近くにあった黄色い石版のかすれかけた文字に目を凝らし、何とか読み取れた文を読み上げた。
「こちらは……東の門……鍵は風、か?」
 ガラが緑色の石版に目を凝らし、文字を読む。
 どうやら、それぞれ違う言葉が刻まれているようだ。
「北が地、東が風、西が火、南が水、か……」
「なんのことなんだろう?」
 一通り石版を見回って書かれた言葉をヴァンはサシアのメモの空いている場所に書き足した。
 その隣でノアが不思議そうに首を傾げる。
「これだけでは何のことだか分からないな……神託の書とやらを探してみるか」
 腕を組み、周りを見回しながらガラが溜め息をついた。
「ノアはまだ字が読めないから、俺とヴァンで探すしかなさそうだな」
「ごめんね……」
 ガラの言葉に、ノアが肩を落としてしょんぼりする。
 旅の道中、ヴァンとガラでノアには字を教えているが、まだ本が読めるほどではない。
「ノアは何か怪しい本があったら教えてくれればいいよ。目を通すのは俺とガラでやるからさ」
「うん!」
 ヴァンの言葉にノアは気を取り直してくれたようで、本棚の方へと駆け寄っていく。
 本棚に置かれているのはオクタムに関する古い資料や郷土史を初めとして、民謡や各地の神話に関する本など、様々なものが収められていた。全てに目を通し ていては時間がいくらあっても足りない。それらしい背表紙や怪しいと思える本を抜き出しては、さわりを読んで違うと判断した時点で戻すを繰り返した。
「ヴァン、これは?」
「ああ、ごめん、俺にも分からない字で書かれてるみたいだ」
 古い文字で書かれているものの中には、読めないものもあった。
 ノアが見つけてきた本の文字はヴァンの知っているものではなかった。ガラにも確認したが、やはり分からないようだった。かなり古い本だった。
「ん……これか?」
 本棚の端に挟まっていた本の表紙を読んで、ヴァンは声をあげた。
 本としてはかなり薄いもので、厚紙の表紙と背表紙にページは三枚しかない。それでも、表紙には神託の書第一巻と書かれていた。多少年月の経過は感じさせるものの、比較的新しく書かれたような印象を受ける本だ。
「『霧』の中を歩く者へ。これは第一の神託である。心して、その目でしかと見るがよい」
 最初のページに書かれた文をヴァンは読み上げた。
「警戒せよ! 絶え間なく警戒せよ! 『霧』は黒衣の死神。『霧』は狂気のゆりかご。歴史は警告する! 『霧』は時を凍らせる。『霧』は心を迷わせる」
 二ページ目にはそう書かれていた。
「西の地平より生じる、忌まわしき『霧』をその目にした時、逃げ去るべし、すべてを捨てて! 獣神レムは、熱き地の底に汝らを迎えるであろう! 『聖獣(ラ・セル)』の勇者が、『霧』を打ち払うその時まで……」
 最後のページである三ページ目に書かれていた文字を読み終えたヴァンは本を閉じた。
「……どういうこと?」
 隣で聞いていたノアが目をぱちくりさせて首を傾げる。
「随分と思わせぶりだな……『聖獣(ラ・セル)』の勇者とは俺たちのことか?」
 難しい顔をしながら、ガラは本棚を漁る。
「分からない……けど、書はあと三つあるはずだ」
 ヴァンは神託の書を本棚の隣にあった台に置いて、次の巻を探し始めた。考えるのは四つすべて揃ってからの方がいいだろう。後の巻に書かれていることが答えになっているかもしれない。
「ヴァン、これ、さっきのとおなじじゃない?」
 ふと、ノアが手に取った本は先ほど見つけた第一巻と良く似ていた。
「これだ!」
 ノアから受け取って表紙を見ると、神託の書第二巻と書かれている。
 開いてみると、最初のページに書かれた一文はほとんど同じだった。
「『霧』の中を歩く者へ。これは第二の神託である。心して、その目でしかと見るがよい」
 ヴァンが読み上げ、ノアとガラに目配せをする。二人が頷くの見て、ヴァンはページをめくって続きを読み上げた。
「現実が悪夢と化す時、悪夢が絶望を生み出す時、獣神レムは最後の灯火。レムはその子たる人間を地の底に誘い、その懐で『霧』の悪夢を打ち払う。されど、 『霧』の中を歩く『聖獣(ラ・セル)』の勇者に告ぐ! 汝らが『聖獣(ラ・セル)』の勇者たる証を見せるべし! レムの懐への道はひたすらに険しく、暗黒 の中に隠されている。集え、トーンの地に! レムの懐への道はただ、トーンの中にだけある」
 一気に読み上げたヴァンは息をついて本を閉じると一巻を置いた台に二巻を重ねた。
「三巻は、これか……!」
 次の巻は離れた場所にあったようで、ガラが見つけたようだった。
 ヴァンとノアが頷くのを見て、ガラが内容を読み上げる。
「『霧』の中を歩く者へ。これは第三の神託である。心して、その目でしかと見るがよい。レムの懐への道はただ、トーンの門あるのみ。なれど、トーンの門は その口を閉ざす。トーンの門は石の花。花を開くは、四面の顔に刻まれた『言葉』である。されば、四面の顔と対話せよ。顔に刻まれた『言葉』をその胸に刻み 付けるのだ」
 ガラも読み上げた神託の書を手近な台に置いて、続きを探し始めた。
 最後の四巻はガラの本棚の近くにあったのをノアが見つけた。
「『霧』の中を歩く者へ。これは第四の神託である。心して、その目でしかと見るがよい。トーンの門は石の花。四面の『言葉』により、大輪の花が咲く。なれ ど、花の中に生まれる真の門は鍵を求める。その鍵は星の真珠。レム神殿の更なる地下に眠る静かなる秘宝である。星の真珠は真の門を開き、勇者はいにしえの 道を通じて、レムの懐を目指すであろう」
 ガラが読み上げた本を閉じる。
「これで全部、か……」
 四巻の表紙や背表紙を見つめながら、ガラが呟く。
「どういうこと……?」
 言い回しが難し過ぎて、ノアには良く分からなかったようだ。
「オクタムの人は熱き地の底、ってところに避難したってことか? それで、そこに行くためにトーンの門を通れ、って言いたいのか?」
 ヴァンは顎に手を当てて、神託の書に書かれていたことを整理する。
 一巻の最初に書かれていたのは『霧』の脅威についてだろう。『霧』によって狂暴化した『獣(セル)』に取り付かれた人は時間が止まったかのように自我を失った状態で永遠を生きることになる。
 『聖獣(ラ・セル)』の勇者が『霧』を払うまで、獣神レムは汝らを熱き地の底に迎えるであろう、というのはヴァンたちに向けられたものとは考え難い。となると二巻の内容と合わせて住人たちに対する言葉と考えるのが妥当だ。
 そして、ヴァンたちにはトーンの門からそこへ向かえ、と言っているように思われる。
「四面の顔に刻まれた『言葉』、星の真珠、とやらが次の鍵、ということか」
 ガラがそう言って四巻を三巻が置かれた台に重ねた時だった。
 どこか遠くで何かの機械が動く音がした。
「わ!」
 ノアが真っ先に飛び上がって声をあげた。
 三人の目の前で、本棚が横へずれるように動き、地下への階段が現れた。
「ヴァン! ガラ! すごいよ! かいだんがでてきたよ!」
 ノアが右手で階段を指差して左手をぱたぱたさせる。
「四冊の本を読む時、秘密が明かされる……サシアさんがハリィに託された言葉の意味はこういうことだったのか」
 ガラは驚きながらも、冷静に仕組みを推察していた。
 元々、特定の台に一定の負荷をかけると隠し階段が出てくる仕組みだったのかもしれない。それを利用して、丁度良い重さの本を作り、読み終えたら置くであろう台の近くに仕込んでおいたというところだろうか。
「しかし、そうなるとハリィは十年以上も前に俺たちがするであろう行動を予測していたというのか?」
 ガラが唸る。
 ヴァンたちが台に本を置くか、本棚に戻すか、あらかじめ分かっていたとでも言うのだろうか。
「階段の下に星の真珠ってのがあるのか……?」
 ヴァンはノア、ガラと顔を見合わせ、二人が頷くのを確認して階段を降り始めた。
 階段を降りた先は上階よりも狭いものの、それでも部屋としてはそこそこ大きな部屋だった。中央には小さな塔のようなものがあり、いくつものケーブルが天井からその塔の頂上部に繋がっている。
「これは、エレベータか?」
 ガラが驚いた様子で、中央の塔に近寄る。
 確かに、ジェレミの空中庭園やドルク王領の『霧』の巣で見たエレベータに良く似ている。矢印付きのスイッチがあるところを見ると、下へ向かうエレベータと見て間違いなさそうだった。
「あ、ヴァン、あれ!」
 ノアがエレベータのドアの向かいにある壁を指差した。
 壁には小さな台のようなものがあり、その上に白く小さい宝石のようなものが乗っているのが見えた。
「あれが星の真珠か?」
「ヴァン!」
 ヴァンがその台に向かって歩き出した直後、メータが叫ぶようにヴァンの名を呼んだ。
 同時に、ヴァンの横を誰かが駆け抜けた。ノアでも、ガラでもない人影が、ヴァンたちが声を出せずにいる間に台に近寄って上に乗っていたものを掻っ攫った。
 紫色の髪は肩ほどの流さで短めに切り、肩が出るような金属製の胸当てのついたチューブトップにジーンズ、それから丈夫そうな革の腕輪とブーツを履いた女性が立っていた。
「だれだ!?」
 ノアが驚きながらも身構える。
「お前は何者だ? ここで何をしている?」
 身構えたガラが目を鋭く細め、威圧するように低い声で問う。
「何をしているだって? こいつはとんだご挨拶だね……」
 女は手に取った星の真珠を目に近づけて良く観察しながら、気だるそうに答えた。
「ヴァン、この人です。オクタムに入った時、感じて直ぐ消えた気配と同じ……」
「俺たちの後をつけてきたのか」
 メータの言葉を聞いて、ヴァンは呟いた。
 オクタムに入った時、メータたちが気のせいかもしれないと言ったのは彼女の気配らしい。となると、彼女は上手く気配を隠してヴァンたちがオクタムを調べ回っているのを見ていたということになる。
「ご明察。あたしはカーラ、ケチな盗賊さ」
 そう言って、カーラと名乗った女性は口の端を吊り上げてにやりと笑った。
 年は二十代後半か、三十代前半だろうか。スタイルの良い妖艶な女性だった。顔も美女と呼べるほどには整っている。
「とうぞく……?」
「人のものを盗む悪い奴のことだ」
 知らない単語に首を傾げるノアに、ガラが身構えたまま答えた。
「カーラ、わるいやつなのか!?」
「ふふ、あんたたちだって空き巣狙いなんじゃないのかい?」
 ノアの反応が面白かったのか、カーラが僅かに肩を揺らして笑う。
「あきすねらい……? なんだ、それ?」
「人がいない間に勝手にものを盗む悪い奴のことだ」
 またしても首を傾げたノアに、ガラが溜め息混じりに答える。
「ちがう! ノア、わるいやつちがう! あきすねらいちがう!」
「はん、じゃああんたたちは何なんだい? こんな『霧』の中、誰もいない町で何をしようってのさ!」
 慌てて否定するノアをカーラは鼻で笑って一蹴した。
「俺たちは『霧』を晴らす旅をしてるんだ」
 ヴァンは真正面からカーラを見据えて、そう答えた。
 ガラは身構えたままだが、ヴァンは最初から身構えることもせずにカーラを観察していた。
「『霧』を晴らす旅だって? 冗談も程々におしよ」
「俺たちは本気だ」
 信じていない様子のカーラに、ヴァンはメータの宿る右手を目の前に突き出した。握り締めた拳に少しだけ力を込めると、メータが炎を纏い、熱気が陽炎を生む。
 『霧』の中で平然と装着していられる『獣(セル)』を見て、カーラはそこで初めて驚いたように目を見開いた。ヴァンたちが身に着けているものを、『獣(セル)』に似せて造った防具の類だと思っていたようだ。
「そいつ、『獣(セル)』なのかい……?」
 力を見せたことで警戒したようにカーラが後退り、表情にも緊張が走る。
「『聖獣(ラ・セル)』だ」
 ヴァンはそう言って、右手の炎を治めた。
「そうせいじゅがあればきりをはらせるんだよ!」
 ノアの言葉に、カーラが考え込むように視線を逸らす。
「その星の真珠を渡してもらおうか」
「こんなクズ宝石が欲しいのかい? 宝石としての価値なんてないよ、これは」
 一歩前に出てガラが言うと、カーラは星の真珠に顔を近づけて呟いた。
「我々には必要なものだ。渡さないのなら、力ずくででも奪い取るぞ?」
 身構えたガラの目が更に鋭く細められ、オズマが火花を散らし始める。
 見たところ、カーラは丸腰だ。短剣ぐらいは持っているかもしれないが、その程度では『聖獣(ラ・セル)』を身に着けたヴァンたちには太刀打ちできるもの ではない。カーラの身のこなしにはそれなりの年季が感じられるが、あまり戦うことには重点を置いていないように感じられた。
 武術家であるガラならば、ヴァンよりもはっきりとカーラの実力が推し量れているだろう。
「わかった、あんたたちと戦う気はないよ」
 観念したように息を吐いて、カーラは星の真珠を投げてよこした。
 ヴァンはそれをメータの宿る右手で受け取った。
 星の形をした真珠にも見えるが、宝石としての価値がないということは真珠ではないということなのだろうか。少なくとも、ヴァンには見分けがつかない。
「カーラは前にもここに来たことがあるのか?」
「何度か来ているけど、特にこれといって金目のものはないね。そうそう変わるもんじゃないってのは分かってるつもりだけど……」
 ヴァンの質問に、カーラは肩を竦めて答えた。
 『霧』に包まれた中、カーラは何度かオクタムを訪れているようだ。今回は『霧』の中歩き回っているヴァンたちを見かけて後をつけてきたということらしい。
 その結果、レム神殿の仕掛けを解いたことで何か凄い宝があると踏んで飛び出したらしかった。
「お前は何故『霧』の中を自由に歩ける……?」
「さてね」
 ガラの問いに素っ気なく答え、カーラがヴァンの隣を通り過ぎて階段の方へと向かっていく。
「待て、カーラ!」
「星の真珠は渡したし、用は済んだんだろう? なら、あたしは行かせてもらうよ」
 ガラが止めるのも聞かず、カーラは階段を駆け上がって行ってしまった。
「ヴァン、追わなくていいのか?」
 追いかけようとしないヴァンを見て、ガラが問う。
「敵意は感じられなかったし、多分、引き止めても無駄だったと思う」
 何となく、ヴァンはカーラが敵ではないように感じられた。
 本当に自分のためだけに宝を盗むような人物なら、ヴァンたちに危害を加えて動きを封じるなりしてから星の真珠に手を出しただろう。それをせずに姿を見せ たということは、カーラなりの探りみたいなものがあったのではないかとヴァンには思えた。ヴァンがカーラを敵かどうか見極めようとしていたように、カーラ もまたヴァンたちに興味を持ったのではないか、と。
 その上で、敵意や悪意は感じられなかった。それに、どこか哀愁を漂わせているような気もしていた。
「確かに、仲間になれそうな相手ではないか」
 ガラも溜め息をついた。
 『聖獣(ラ・セル)』もなしに『霧』の中を自由に動けるのは確かに疑問がある。だが、上手く『獣(セル)』から身を隠し、逃れることができれば『霧』の中を生き延びること自体は不可能ではない。問題は、十年間もの間、一度も失敗せずにできている、という点だ。
 気配を消す術には長けているようだったが、身のこなしから察するに、武術の達人というわけでもなさそうだ。
 何か釈然としない部分はある。だが、少なくとも『聖獣(ラ・セル)』を身に着けているわけでもない彼女を、望んでもいない『霧』との戦いに巻き込む訳にもいかない。ゼトーのような強敵と対峙した時、『聖獣(ラ・セル)』がいなければまともに太刀打ちなどできないだろう。
 カーラのことは気になるが、今彼女を追い掛けても仕方がない。
「メータはどう思う?」
「彼女が『聖獣(ラ・セル)』を身に着けていないのは確かです。ただ、何かあるのは間違いなさそうです」
 ヴァンが聞くと、メータはそう答えた。
 『聖獣(ラ・セル)』がいれば、メータの声もカーラには聞こえたはずだ。だが、そんな様子はなかった。それに、メータたちが呼び掛ければ答えてくれたは ずだ。そもそも、『聖獣(ラ・セル)』が認めた人物であればヴァンたちを見かけた時点で接触を図ってきてもおかしくはない。
 とはいえ、『霧』に対する何かがあるであろう、ということはメータも何となく感じ取ったようだ。
「カーラ、わるいやつなのかな……?」
「盗賊、と言うからには悪人のような気もするが……」
「うまくいえないけど、カーラ、わるいひとじゃないようなきがする」
 溜め息混じりのガラの答えに、ノアが少しだけ寂しそうに呟いた。
「ああ、俺もそう思うよ」
 ヴァンはノアの肩を叩いて、笑いかけた。
 何か事情があるのかもしれない。実際に盗賊という悪事を働いてはいても、どこか悪人にはなり切れていないような感じがした。ヴァンたちの言葉にも耳を傾けてくれていたし、星の真珠も渡してくれた。根っからの悪人、という訳ではないと思いたい。
 気を取り直して、エレベータホールを調べる。
「エレベータは動かないみたいだな」
 ヴァンがスイッチらしいものを押しても、反応はなかった。
 安全対策、ということだろうか。『獣(セル)』の怪物が偶然触れたことでエレベータが動いてしまうことがあれば確かに危ない。
「やはり、地下に逃げたということか」
 ガラが腕を組む。
「ちかににげたなら、ハリィいきてる?」
「預言までしてるんなら、きっと逃げ延びてるはずだよな」
 ノアの表情が明るくなり、ヴァンは小さく頷いた。
 ここまで未来を予見できているのなら、きっとオクタムの住人たちと一緒に避難しているのだろう。
「となると、ハリィに会うにはトーンの門へ行かねばならんということか」
 ガラが動かないエレベータから階段の方へ視線を向けて言う。
 神託の書と合わせて考えれば、ここから地下へ行くことはできない。無理矢理エレベータを壊して行くという手が無いわけではないが、地下に辿り着いた後エ レベータが使えなくなることや『霧』や『獣(セル)』がせっかく逃げた地下に入り込んでしまうかもしれない。そうであれば、リスクが高過ぎる。
 別の道が示されているのであれば、神託や預言に従う方が安全だろう。
「よし、俺たちも行こう」
 神託の書を読んで星の真珠も手に入れた。他に情報や手掛かりなどはなく、となればこれ以上この場所に留まる理由はない。
 ヴァンの言葉に、ノアとガラは頷いた。
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