第十七章 「ラタイユへ」


 不安は的中してしまった。
「きりだよ! ウィドナ、きりだらけだよ! どうしたんだ、これ!?」 
 混乱した様子で、ノアが周りを見回す。
「風車が止まったんだ」
 ヴァンが見上げた視線の先で、ウィドナを『霧』から守っていた風車が動きを止めていた。
「やはり、地下の溶岩が冷えた影響か……」
 顔を顰めて、ガラが呟いた。
 ウィドナの風車は地熱を利用して動いていた。そのエネルギー源である地熱が冷えてなくなってしまえば、ウィドナの風車は動かない。
 ジェレミにある創世樹の影響圏内から外れているウィドナでは、風車がなければ『霧』の侵入を防ぐことができない。
「ヴァン……」
 ノアが悲しそうな顔でヴァンを見る。
 ヴァンは拳を握り締めた。
 炎熱海道で戦った『獣(セル)』の怪物はこうなることを見越していたのだろうか。だとすれば、してやられたと言うほかない。
 あの時、オクタムの地底調査を諦めてラタイユに向かっていたら、ウィドナは『霧』に襲われたりしなかっただろう。だが、代わりにオクタムの地下町が滅ん でしまう形になっていたかもしれない。ヴァンたちがラタイユに向かい、『霧』の巣を探している間に『獣(セル)』の化け物がオクタムの地下町を支えている 台地全てを崩してしまっていたかもしれない。
 仮定の話でしかないが、この事態を引き起こしたのは間違いなくヴァンたちだ。オクタムの危機を救った代わりに、ウィドナに『霧』を入れてしまった。
「誰か生き残っていないか、調べてみよう」
 ガラの言葉に、ヴァンとノアは頷いた。
 辺りを見回した限りでは、人や『獣(セル)』が争ったような形跡は少ない。
 炎熱海道の『獣(セル)』を倒してから、そこまで日は経っていない。あまり見たいものではないが、死体があればまだ残っているはずだ。
 だが、町の入り口からはそれらしきものは見受けられない。
「そうだ、確かシェルターがあったはずだ!」
 ヴァンはウィドナに立ち寄った時、『霧』の襲来に備えて地下シェルターを造っていたダンパスという男のことを思い出した。
 この状況なら、少なくともダンパスはシェルターで生き残っているはずだ。もしかしたら逃げ込んでいる人もいるかもしれない。
 町の外れにあるダンパスの家に向かいながら町の中を探索する。途中で何人か『獣(セル)』に取り付かれて怪物化している人を見かけた。彼らはあても無くうろついているだけだったが、『霧』が来た時のことを想像して、ヴァンは胸が締め付けられるような思いだった。
 風車によって『霧』が入ってこない安全な町だったウィドナには、町中で『獣(セル)』を身に着けている人がいた。風車が止まってしまったその時、咄嗟に 『獣(セル)』を外すことは難しかっただろう。もし『獣(セル)』を外した途端に襲い掛かられたならひとたまりもない。それならば装着したままで『獣(セ ル)』の怪物になった方が命の危険は少ないとも言える。
 もっとも、安全だと言えるのは『霧』を晴らすつもりでいるヴァンたちから見た場合であって、そうでない人にとっては不安でしかないだろう。
 ダンパスの家のドアには鍵がかかっていなかった。
 中に入ると、家の中は少しだけ荒れていた。椅子が倒れていたり、食器が割れたりはしていたが、その程度だ。争ったような印象はない。
 地下へ続く階段を下りると、シェルターへ続くエレベータは下の方に降りているようだった。落下防止のためか、あるいは『獣(セル)』の侵入を防ぐためか、頑丈な鉄格子がエレベータの扉代わりになっている。
 その近くの壁にあるスイッチを押すと、声が聞こえてきた。
「に……人間ですか? 人間だったら、答えて下さい」
 シェルターの方から伝声管が通っているらしく、その声ははっきりと聞こえた。だが、恐る恐る、という感じに声は震えていた。
 これまでに何度か『獣(セル)』がスイッチを押すような事があったのかもしれない。
「人間です。以前、ウィドナに立ち寄った三人です!」
「あ、ああ、あの時の! 今、エレベータを動かします!」
 ヴァンが伝声管に向かって答えると、相手の声が明るいものになった。
 鉄格子の奥で、鎖やケーブルが動く音が聞こえ、やがて足場が下からせり上がってきた。鉄格子が開いたのを確認してヴァンたちが乗り込み、スイッチを押すと鉄格子が再び閉まり、足場が下降を始めた。
 シェルターに辿り着いたヴァンたちを、多くの人が出迎えた。
「これは……!」
 ガラが驚いた様子で呟いた。
 思っていた以上に多くの人がシェルターの中で身を寄せ合っていた。ウィドナにいたほとんどの人がここに避難できたのかもしれない。
「一体何があったんだ!?」
「突然、温泉が冷たくなってしまったんだ!」
「お陰で頼みの風車も止まり、『霧』が忍び込んできたんだ!」
 地上からやってきたヴァンたちを見て、町の者たちが口々に質問や疑問を投げ掛ける。
 ウィドナに立ち寄った際、ヴァンたちが『霧』の中を歩けることや、『霧』を晴らすことを目的に旅をしていることは明かしている。
 当時は風車によって『霧』から守られて平和に過ごしていたウィドナの人たちにとっては、ヴァンたちのことは聞き流してしまえるような内容だったのだ。 ウィドナから出ることは出来ないが、ウィドナにいる限りは『霧』に怯えなくて済む。『霧』に満たされた外への関心が薄れてしまうのは当然の流れだったのか もしれない。
 だが、今は違う。
 頼みの綱だった風車が止まり、ウィドナは『霧』に飲み込まれた。
 風車があるからと町の中で『獣(セル)』を身に着けている人もいたから、『霧』が来た時は混乱したことだろう。
「外の様子は……?」
「これからどうなるの?」
 町の人たちが様々な疑問をぶつけてくる。声や言葉が重なり合うせいで何を言っているのか分からない。
「外から来たというのは本当ですか!?」
 不意に、女性の声が響いた。その声を聞いた町の人たちが声の主に道を開けるように左右に退いた。
 理由は直ぐに分かった。
「主人は……ダンパスはいませんでしか!?」
 このシェルターの主、ダンパスの妻だ。ダンパス夫人がすがるような目で駆け寄ってくるのを見て、ヴァンとガラは事情を察した。
「まさか、ダンパスさんはいないのか?」
 ガラが驚いたように問う。
 ダンパス夫人は顔を両手で覆って頷いた。ガラの返事で、ダンパスを見つけていないことを悟ったのだ。
「シェルターのお陰で、ウィドナのほとんどの人が『霧』から逃れることができました……。しかし、シェルターを作った主人は……ダンパスは、逃げ遅れた人を案内すると言って飛び出したまま帰ってきません!」
 今にも泣き出しそうな声だった。
「ダンパスさん……」
 ヴァンは拳を握り締めた。
「こんな皮肉なことがあっていいんでしょうか……」
 沈んだ声のダンパス夫人に、周りの者たちも目を伏せた。
「ダンパスの悪口を言っておったこの婆の目は節穴じゃった! ダンパスには先見の明があったのじゃ……!」
 近くにいた老婆が後悔を口にする。
 周りから変人扱いされてはいたが、このシェルターがダンパス自身のためだけに作られたものでないのはここにいる誰の目から見ても明らかだ。ダンパスも楽 観的過ぎるウィドナの人たちに悪態をついてはいたが、いざとなれば町の人たちをシェルターに避難させるつもりだったのだろう。
 そうでなければ、これほどの規模のシェルターを作ってはいない。
 締め出したり、自分たち家族だけで『霧』から逃れることもできたはずだ。だが、ダンパスはそれをしなかった。多くの人を避難させるために率先して外へと向かって行った。
 そうして、シェルターを作った張本人が避難できていない。
 もはやダンパスを馬鹿にする者はもう誰もいなかった。
「……気を落とさないで」
 ヴァンはダンパス夫人の肩に手を置いて、顔を上げさせた。
 良く見れば、泣いた跡がある。
 この状況で普通の人が地上の様子を見に行くのは自殺行為だ。ダンパスが帰ってこないからと言って、探しに行くのがどれほど困難なことかは誰にでも分かる。
 地上に残された人のほとんどは死んだものと考えていてもおかしくはない。
「ここに来る前に、ざっとだけどウィドナの町を見てきたんだ。ダンパスさんは生きているはずだ」
 力強く、言い聞かせるようにヴァンは言った。
 シェルターへ足を運ぶ前に、一通り町の中は見回してきた。『獣(セル)』から逃れたりするためか多少荒れたような状態になっているところはあったが、上手く避難誘導できていたのだろう、死体は見つからなかった。
 『獣(セル)』に取り付かれた人が何人かいたのは確認している。『霧』のせいで狂暴化した『獣(セル)』や、それに取り付かれた人が徘徊している現状では、どこかに隠れているとは考え難い。普通の人間なら、生身でそんな状況で生き延びるのはまず不可能だ。
 食料の確保という問題もある。飲まず食わずでずっと隠れているのにも限界がある。
 ウィドナの風車が止まってからまだそう日は経っていないはずだが、それでもここに逃げ込んでいないとなると、考えられる可能性は一つしかない。
 恐らく、ダンパスは『獣(セル)』に取り付かれている。地上を彷徨う『獣(セル)』の怪物の中に、ダンパスがいるはずだ。逃げ切れないと悟って自分から 身に着けたのか、あるいは『獣(セル)』の方から取り付いてきたのかは分からない。それでも、死体やその痕跡が見当たらないのであれば、その可能性が一番 高い。
「『獣(セル)』に取り付かれているだけなら、『霧』を晴らせば助けられる……」
 ヴァンはメータの宿る右手を見つめた。
 死んだ人がいないのならば、ほとんどの人がそれを知っていて、避難できているのなら、ただ『霧』を晴らせばいい。それだけでこの町は救われる。
「ねえ、ねえ。お兄ちゃんたち、外からきたんでしょ? 外はどうなってるの……?」
 ふと、足元にやってきていた男の子がヴァンを見上げて不安そうな顔で尋ねてきた。小さな手がヴァンの服の裾を掴んでいる。
「パパもママもここにいないの……。きりのなかにいるの……」
 直ぐ隣には、妹なのか幼い女の子の姿がある。寂しさと不安に押し潰されそうな表情で、男の子の服の端を掴んでついてきている。
 この子たちの親も、ダンパスと同じように死んではいないはずだ。それでも、傍にいないことが、外が怪物だらけになってしまっていることが、また会えるか 分からないことが、この子たちだけでなく皆を不安にさせている。もう一度、安心して外で暮らすことができるのか、皆が気にしているのはそこだろう。
 いくらダンパスが集めた食料の備蓄があるとはいえ、それには限りがある。まだ誰も飢えてはいないようだが、長い間そんな状態が続けばいずれ食料が尽きてしまう。
 誰も口にはしないが、皆そうなる時を恐れている。
 ヴァンは屈み込んで、男の子と目線を合わせると、二人の頭に手を乗せた。
「大丈夫、俺たちが必ず『霧』を晴らすから。そうしたら、皆元通りになるよ」
 出来る限りの優しい声で、子供たちが安心できるように、ヴァンは答えた。
 外に『霧』が溢れていることはほとんどの人が知っている。『獣(セル)』に取り付かれて怪物となった人がいることも、子供たちは知っているだろう。だから、ヴァンは外の様子を口にはしなかった。
 これ以上、怖がらせる必要はない。黙っていたところで安心できるわけではないだろう。
「だから、もうちょっとだけ待っててくれ」
「うん……!」
 ヴァンの言葉に、男の子が頷いた。不安を完全に拭うことは出来ないだろう。それでも、少しは希望を持って欲しい。
 立ち上がったヴァンたちの下へ、サシアとペペがやってきていた。
「良かった、ご無事でしたか……」
「それはこっちのセリフだな」
 ヴァンたちのことを心配していたペペに、ガラが苦笑して見せた。
 元々、『霧』の中を歩いてウィドナまでやってきたのだ。確かにオクタムの地下で『霧』の使徒と戦ったが、ヴァンたちも成長している。
「ノアたち、つよいからね!」
 ノアが自慢げな笑みを見せる。
 むしろ、ヴァンたちの方がウィドナの人々を心配していたぐらいだ。
「サシアさんもよくぞご無事で……」
「おかげさまで、私は助かりましたが……」
 ガラの言葉に、サシアは浮かない表情をしていた。
 どうやら、ウィドナでサシアと一緒にいたバイロン僧兵たちはシェルターに避難できていないようだ。サシアによれば、ダンパスを手伝うために最後まで外に残り、そのままということらしい。
「……彼らもそう簡単には死なないでしょう」
 ガラはサシアを励ますようにそう言った。
 外の争った形跡の一部はバイロン僧兵たちによる時間稼ぎの抵抗の証だろう。僧兵たちの死体がなかったところを見ると、ダンパス同様『獣(セル)』に取り付かれた可能性が高い。
 あるいは、以前ヴァンたちと話しをした中で『霧』と『獣(セル)』のことを憶えていて、あえて『獣(セル)』に取り付かれたのかもしれない。希望的観測ではあるが、少なくとも死者が出ていないのは確かだ。
 これから先、死者が出ないとは言い切れないが。
「備蓄はどのくらいありますか?」
「切り詰めて二月……今のペースだと一月ほど、でしょうか」
 ヴァンの問いに、サシアが思案しながら答えた。
 普通に消費したのでは一月程度は持つようだ。備蓄が減って行けば、節約しようともするだろう。今から節約するならば二月持つとすれば、持って一月半ぐらいというところか。
 レトナ山に創世樹があるとするなら、急げば十分に間に合うはずだ。
「『霧』の巣の場所について、何か情報はありませんか?」
 ヴァンは更に問う。
 創世樹の力がウィドナにまで及ばなかった場合、そこから更に『霧』の巣を探し出して叩く必要がある。ラタイユを経由して、更に探すとなれば手掛かりがなければ一月の期間には間に合わないかもしれない。
「すみません……」
 サシアは一度、首を横に振った。
「ただ、『霧』は北西から吹いてきました。ということは、ラタイユの先に何かあるのかもしれません」
 続く言葉に、ヴァンはセブクス群島の地図を取り出した。
 ラタイユの先は半島状に突き出した地形が広がっている。ウィドナの北西方向には、海を挟んで突き出された半島の先端が陸地として存在している。陸路を進むのであればラタイユを経由してぐるりと回らなければならないが、その先に『霧』の巣がある可能性はありそうだ。
「ああ、そうだ。お陰様でオクタムでハリィに会うことができました」
 ガラがサシアに言った。
「そうですか! それは良かった……」
 その報告を聞いて、サシアの表情が明るくなる。
「ハリィ様はお元気でしたか?」
「それが……」
 サシアの問いに、ヴァンは地図をしまいながらガラの表情を窺う。
「実は、炎熱海道の『獣(セル)』が……」
 ガラは一度息を吐くと、オクタムであったことを静かに語り出した。
 オクタムが『霧』に包まれ、レム神殿で予言に従い神託の書の読み、星の真珠を手に入れてトーンの門を通ってオクタム地下に辿り着いたこと。炎熱海道に現 れた『霧』の使徒によって、オクタム地下にも危機が訪れていたこと。そしてヴァンたちに言葉を告げた後、その『霧』の使徒によって地の底へ呑まれてしまっ たことを話した。その『獣(セル)』が地熱を奪ったであろうことも。
 十年前のハリィの言葉を伝えるためにウィドナへやってきていたサシアには伝えておくべきだろう。
「そうだったのですか……ハリィ様……」
 ガラから話を聞くと、黙祷を捧げるようにサシアは目を閉じた。
「地熱の方はそのうち回復するだろうけれど、それがいつになるかまでは分からないんだ」
 ヴァンは周りで聞き耳を立てている人たちにも聞こえるように言った。
 『霧』の使徒や『獣(セル)』が関係しているのであれば、『霧』がある間はそう簡単に氷は溶けないように思えた。創世樹の覚醒や、『霧』の巣の破壊は必要だろう。『霧』がなくなったとしても、直ぐに地熱が戻ってくる保障はない。多少の時間はかかるはずだ。
「あんたたち、今日は休んでいくのかい?」
 観光案内をしてくれた男の言葉に、ヴァンは首を横に振った。
「いや、直ぐにラタイユに向かうよ」
 一刻も早くウィドナの『霧』を晴らしたい。
 楽観的に見積もって余裕があるとはいえ、道中で何が起きるか分からない。この状況を見て、ここで一泊しようとは思えなかった。たった三人とはいえ、ここの備蓄をそれだけ消費してしまう。
 ヴァンたちは外で食料を見つけられるのだ。平和な時ならまだしも、こんな状況でゆっくり過ごそうとは思えなかった。
「お前たち、もう行っちまうのか?」
 不安そうな表情をした男の一人が問う。
 『霧』や『獣(セル)』の怪物に立ち向かえるヴァンたちがいなくなることにも不安を感じているのだろう。少なくとも、ここにヴァンたちがいる間は『霧』が『獣(セル)』がシェルターに侵入してきても対処できる。
「外の『霧』が晴れれば、『獣(セル)』に取り付かれた人たちが元に戻る。そうすれば、ここにも人が来るはずだ」
 ヴァンは答えた。
 シェルターの中から外の様子は分からなくても、外の『霧』が晴れて安全になれば『獣(セル)』に取り付かれていた人たちがそれを知らせに来るはずだ。ダンパスがいれば、真っ先にシェルターに向かうだろう。
 ここのシェルターはかなり頑丈にできている。
「行こう!」
「お気をつけて……!」
 サシアやペペに見送られながら、ヴァンたちはエレベータに乗り込んでシェルターを後にした。
 『霧』に包まれたウィドナを出て、ラタイユを目指す。
「あの場所が奴らに狙われなければいいが……」
 道中でガラが不安そうに呟いた。
 いくら頑丈に作られたシェルターでも、内側に侵入されたら逃げ場のない袋小路だ。それはヴァンもリム・エルムの壁を壊された時に実感している。
「気付かれていないと信じたいな」
 ヴァンはもう小さくなったウィドナを肩越しに見やった。
 リム・エルムに現れたゼトーは瞬間移動をしてきたかのように壁の存在を無視して村の中に現れた。戦った後だから分かることだが、ゼトー本人にもリム・エルムの壁を壊すだけの力はあった。自分で壁を壊さなかったのは、『獣(セル)』の存在を印象付けたかったのだろうか。
 ただ一つ言えることは、ゼトーたちも全てを見通せているわけではないということだ。
 リム・エルムにゼトーが現れるまでには十年近い月日がかかっている。ハリィの言葉を考えれば、それだけの時間をかけて準備をしてきたということだろうか。
 ここに来て、一気に事態が動いている気がする。ヴァンたちが『聖獣(ラ・セル)』と出会い、旅に出たことも偶然ではないのかもしれない。
 ゼトーのような者がウィドナのシェルターに気付いたとしたら、逃げ込んだ人たちはひとたまりもないだろう。
「……俺たちに目を向けるしかあるまい」
 意を決したような表情で、ガラが呟いた。
「どういうこと?」
 ノアが首を傾げる。
「俺たちが創世樹を目覚めさせれば、奴らは警戒するはず、ってことか」
 ヴァンはガラの言葉に頷いた。
 『霧』の使徒がウィドナやジェレミ、解放したドルク王領を狙わないようにするためにはどうすればいいか。ヴァンも考えていたことだ。以前、創世樹が覚醒 した場所は安全なのかとメータにも相談していた。『霧』の使徒が人間たちを完全に滅ぼす準備が整いつつあり、動き出しているのが今だとするなら、解放した 町や土地を再び侵略されるわけにはいかない。覚醒した創世樹があるからと楽観視できないことはメータたちから聞いた。ハリィにもヴァンたちが残された希望 であると言われている。
 それは、きっと敵にとっても同じことだ。
 どれだけ『霧』を押し返されようと、ヴァンたちと『聖獣(ラ・セル)』を排除してしまいさえすれば、盛り返すことができる。故に、ヴァンたちを無視することはできないはずだ。
 いや、無視できないようにする。
 ヴァンたちが『霧』を晴らし、使徒を倒し続けていけば、敵もヴァンたちに注目せざるを得なくなるはずだ。他の者たちに手を出す余裕などないと思わせればいい。そうすれば、解放した土地の人たちへの危険を減らすことにも繋がる。
「もっと、強くならないと……!」
 進む一歩に熱がこもる。握り締めた拳が熱くなる。
 ウィドナから北東へと橋を渡り、オクタムのあるセブクス群島の中心の島を更に東へ進む。中央付近にある北の島への橋を渡り、そこからは西へと切り返すよ うに進む。島と島を繋ぐ端を二つほど抜けると、風来獣車の通路を支える先の割れた建造物が見えてきた。方角や位置から見て、風来獣車はラタイユにも止まる ことがあるのかもしれない。
 そうして、ヴァンたちはラタイユに辿り着いた。寝る時間を少し削って急いできたつもりだったが、それでも一週間ほどかかってしまった。
 ラタイユに近付くにつれて地面の草木は減り、赤茶けた土が増えていく。そこにタイルのような正方形に切り出された石を敷き詰められた舗装された通路がラタイユへと真っ直ぐ伸びている。
 地図によれば、ラタイユは東から北にかけてと、南西を険しい山に囲まれた起伏の激しい島の中央に位置している。その北から東にかけて広がる山々の中で最も高いのがレトナ山だ。町の北には岩山を掘り抜いて作ったような宮殿があり、ラタイユの領主が住んでいるらしい。
「一度、ラタイユに行ってみよう」
 ヴァンの提案に、ノアとガラが頷いた。
 町の外から直接レトナ山に向かうこともヴァンたちならばできるが、『霧』に包まれたラタイユの町の様子も確認しておきたい。
「あれは、亀裂か?」
 ラタイユの町並みが目で見える距離まで近付いたところで、ガラが眉根を寄せた。
 見れば、ラタイユの手前に巨大な大地の裂け目がある。その距離は普通の人間が飛び越せるようなものではなく、下を覗いて見ても底が見えない程に深い。
「わー……」
 縁に座り込んで、ノアが裂け目の奥を覗き込む。
「これは……」
 ヴァンも屈み込んで裂け目を確認する。
 目を凝らそうとして、気付いた。底の方から微かに冷気を感じる。
 それから辺りを見回した。
 裂け目はかなりの距離でこの土地を横断しているようで、ぱっと見ただけではどこまで続いているのか分からない。少なくとも、視認できる距離に裂け目の終わりは無さそうだ。
「これは……かなり深くまで続いていますね」
 メータが呟いた。
「冷気を感じるということは、もしかしたらここも地熱によって出来た裂け目だったのかもしれません」
 メータの言葉に、ヴァンはこれまでに見聞きした観光案内や書物の情報を思い出した。
 ラタイユは蒸気の町と呼ばれていたらしい。ウィドナの人たちによれば、ラタイユにも温泉があったそうだ。となれば、ここにも溶岩が冷やされた影響が出ている可能性が高い。
 この裂け目も、地熱がもたらす強烈な蒸気によって出来たものなのかもしれない。良く見れば、地面や通路の素材が溶けて変形したような、長い間蒸気が噴き出していたらしい形跡もある。
 良く見れば、橋がかけられていたらしい形跡もあった。どうやら『霧』に包まれていたこの十年間の間に橋は落ちてしまったらしい。
「まぁ、俺たちなら渡れるか……」
 普通の人間には飛び越せない距離でも、ヴァンたちには『聖獣(ラ・セル)』の力がある。強化された脚力だけでも十分に届きそうだ。
「ヴァン、そのまま動かないで」
 周囲を探っていたメータが立ち上がろうとするヴァンを制した。
「メータ?」
「ちょっと待って下さい……」
 ヴァンはメータに視線を向けた。淡く赤い光を明滅させながら、メータが意識を集中させている。
「ああ、感じるよ……!」
 ノアの左手に宿るテルマが声をあげた。
「直ぐ近くに創世樹がある……!」
 続くように、オズマが言った。
 ヴァンたちは顔を見合わせる。
「ですが……創世樹の波動が奇妙に歪められています。これは一体……?」
 メータが不可解そうな声を出す。
 ヴァンたちには分からないが、メータたちが感じ取った波動はどこか妙なところがあるらしい。創世樹であることは間違いないようだが、歪められている、というメータの言葉が気にかかる。テルマとオズマもそれに気付いたようで、どこか釈然としない思いが伝わってくる。
「創世樹は東にあるようだね。町の中を抜けて東に向かうんだよ」
「わかった! ヴァン、ガラ、いこう!」
 テルマの言葉にノアが元気良く返事をして、裂け目を飛び越えた。
 ヴァンとガラもそれを追うようにして、裂け目を一息に飛び越える。
「町の様子をざっと確認したら直ぐにレトナ山に向かおう」
 ヴァンの言葉に、二人が頷く。
 近くに創世樹があるのなら、覚醒させるのが先決だ。ウィドナのこともある。町の様子を確認したら直ぐにでもレトナ山へ向かう。
 まだ日が昇ってから間もない。昼ぐらいには創世樹に辿り着けるだろう。
 正面に見えてきたラタイユの町の門へと足を進める。
 ラタイユの町を囲うように、城壁のような高く分厚い石壁が聳えている。地図を見る限りでは、ラタイユという町は四方を壁で覆ったような形になっているようだ。
 正面の大きな鉄扉は閉ざされていたが、鍵はかけられていないようだった。重く、分厚そうに見える扉だったが、意外に力を入れなくても押し開くことができた。
「ここがラタイユか……!」
 扉を潜り、目の前に広がった光景にガラが声をあげた。
 赤茶けた大地には縦横に規則正しく通路が走り、その間に収まるように四角い家屋が立ち並んでいる。石造りの通路には装飾の施された縁取りがなされてお り、建物も赤茶けた地面にそのまま建っているわけではなく、しっかりした台地の上に作られている。隙間になるような場所には木々が植えられていて、区画な どがきっちりと整備された印象を受ける。
 建物の材質は木と石だろうか、レンガも使われているかもしれない。丸みを帯びた建物はほとんどない。恐らくは通路や町並みに併せて建物の形状はある程度統一されているのだろう。
「かなり大きな町だったようだな」
 ガラが辺りを見回しながら呟いた。
 町としての大きさはセブクス群島の中心地として栄えたオクタムに次ぐかもしれない。
 網目状に伸びる舗装された通路はどこまでも伸びているような気さえしてくる。
「あ、みて、ひとがいる!」
 周りを見回していたノアが声をあげた。
 指差す方向を見ると、『獣(セル)』に取り付かれた住人らしき影が彷徨っていた。
「……無事な人は、いないみたいだな」
 ヴァンは僅かに目を細めた。
 これだけ大きく整備もされた町だ。きっと、以前は多くの人が通路を行き交っていたのだろう。今は『獣(セル)』に取り付かれて正気を失った怪物たちがあてもなく彷徨うだけだ。
 ヴァンは町に入ってきた門を閉じた。『獣(セル)』に取り付かれた人たちが誤って外に出て裂け目に落ちないようにするためだ。
「この町の人たちは、皆『獣(セル)』に取り付かれているようね」
 そうオズマが教えてくれた。
「なら、まずは創世樹か」
 ヴァンは周囲に気を払いつつ、東へと向かった。
 『霧』に包まれたラタイユの町は静かだった。時折どこからか小さな呻き声のようなものが聞こえてくるぐらいだ。
 やはり、『霧』に包まれた町という光景や雰囲気は好きになれない。不愉快だと、ヴァンは思う。
 東側の壁に辿り着き、壁に沿って門を探す。
「む……」
 門を見つけたところで、ガラが顔を顰めた。
「レトナ山方面の関所。領主セルジュより与えられた鍵なき者の通行を禁じる」
 ヴァンは門に埋め込まれるように作られた看板の文字を読み上げた。
 どうやら、レトナ山には領主の許可がなければ入れないようだ。
「……どうする?」
 ヴァンはガラとノアに向き直った。
 やろうと思えば、この扉を破壊して進むことも、壁を乗り越えて進むこともできる。
「『霧』を晴らした後のことを考えれば、手荒な真似は避けたいな」
 腕を組んで、ガラが思案を巡らせる。
 創世樹があると分かっている以上、この町の『霧』を晴らすことはできるだろう。存在をメータたちが感知できていることから、西ヴォズ樹林の創世樹のよう に枯れてはいないようだ。波動が歪められている、と言っていたことは気がかりだが、問題を解決すれば創世樹を覚醒させられるはずだ。
 緊急事態ではあるが、あまり強引な手段は取りたくない。後のことを考えれば、下手なことはしない方がいいだろう。
 扉を破壊してしまえば、これだけ大きく頑丈そうな壁や扉なら修復の負担も小さくはないだろう。ヴァンたちがレトナ山の創世樹に向かう間に、破壊した門か ら『獣(セル)』に取り付かれた人たちが彷徨い出てしまう可能性もある。閉鎖されているから安全という考え方もある。住民たちの危険を避けるためにも、こ ういった扉や壁を壊すのは得策ではないと思えた。
「じゃあ、とびこえちゃう?」
 ノアが壁を見上げる。
 『聖獣(ラ・セル)』を身に宿したヴァンたちならばそれも十分に可能だろう。
「……領主の家にも行ってみよう」
 考えた末に、ヴァンはそう結論を出した。
 旅に出たばかりのドルク城に立ち寄った時のことを思い出す。ドルク城では、ドルク三世が『霧』の晴れる未来を信じて手紙と共に鍵を残していた。
 ラタイユの領主が同じことを考えているとは限らない。
「一応、鍵はあった方がいいかと思うんだ」
 ヴァンは頭を掻きながら言った。
 勝手に持っていくことにはなってしまうが、領主あてに書き置きでも残しておければ『霧』が晴れた後、鍵もなしに門を通った、ということにはならないだろう。
「見つからなかったら、乗り越えるしかないけど」
 肩を竦めて言うヴァンに、ガラが苦笑した。
 領主の住まう宮殿への道は、通路が整備されているために迷うことはなかった。
 北側の壁に沿って進むと、丁度ラタイユの中央から真北の位置に大きな門があった。その向こうがラタイユ宮殿に続いているようだ。
 門を開けると、石で造られた橋のような通路が正面に見える巨大な岩山へと伸びている。その通路の先、岩壁に扉が見えた。左右には照明台のようなものがあったが、そこに火はない。
「岩山をくり抜いて造られているのか……」
 扉の前で、ガラが剥き出しの岩肌を見上げて感心したように呟いた。
「わ、ひろーい!」
 扉を開けて中に入ると、ノアが目を丸くして声をあげた。
 ドルク城のような薄暗さを想像していたヴァンも、内部の様子には驚いていた。
 入り口から入って直ぐの大広間のような場所は、大理石のような白く清潔感のある材質が良く磨かれた状態で床に敷き詰められており、通路を示すように敷か れた赤い絨毯もあって、綺麗だった。磨かれてはいないものの、壁面も床同様に乳白色の明るい色合いをした鉱石を用いて補強されている。天井を見上げると、 日光を取り込むようにガラス窓が張り巡らされている。天井が岩や壁で閉ざされていないために、太陽がある限り宮殿の中は明るく保たれているようだ。
 また薄く透き通った明るい色のついた垂れ幕のようなものも天井から下げられていて目にも鮮やかだ。
「衛兵、か……?」
 ふと、ガラが宮殿内を彷徨う『獣(セル)』の怪物を見つけた。
 怪物化した『獣(セル)』の下から覗く服装から察するに、衛兵のようだった。もしかすると、その『獣(セル)』も警備用に身に着けていたものなのかもしれない。『霧』が入り込んだことで、そのまま『獣(セル)』の怪物化したのだろう。
「領主の部屋はどこだ……?」
 大広間の正面には奥へ続く扉があり、左右には階段が見える。階段の先は奥の部屋に続いているようだ。
 正面の扉を開けると、ここも広間のようになっていた。規則的に左右に階段が設えられていて、二階に当たる通路が見える吹き抜けのようになっているため、先ほどの大広間の左右にあった階段の先がこの部屋の左右の通路に繋がっているようだ。
「なんかへんなものがあるよ」
 ノアは絨毯で作られた通路の左右にあるオブジェを見て呟いた。
 長い五本足の台座の上に透き通った水晶のようなものが置かれたオブジェだ。水晶の中では光が複雑に反射しているようで、角度次第で様々な色が揺らめいて見える。
「きれいだね!」
「足を伸ばした光獣オーブに似ているな」
 その細工に感心したように、ガラが呟いた。これまでの道中で、このオブジェに似た姿をした『獣(セル)』と戦ったことがある。
「まぁ、あっちは四本足だったけどな」
 言いつつも、そのオブジェにはヴァンも感心していた。
 台座自体はやや細い足をしていながらも中々頑丈にできているようだ。
 気を取り直して部屋の中を調べると、一階正面の扉には鍵がかかっていることが分かった。赤い柱で挟まれるように造られているやや大きめの扉の左右には、番犬のような石像がある。
「……あれは?」
「いえ、大丈夫なようですね」
 テルマが怪訝そうな声を出し、オズマがそれに応じるように言った。
「どうした?」
「『獣(セル)』かと思ったのですが、動かないようです」
 ガラが問うと、メータが答えた。
「まぁ、ここには他にも『獣(セル)』がいるからな……」
 ヴァンが辺りを彷徨う衛兵だったらしい『獣(セル)』の怪物たちに視線を走らせる。
 『獣(セル)』の気配自体は多いはずだ。
「『獣(セル)』をかたどった石像などがあっても不自然ではないからな」
 ガラが息をついた。
 今でこそ、『獣(セル)』は避けられる存在だが、『霧』がなかった頃は生活の一部であり、人間たちにとって無くてはならないものだった。『獣(セル)』を敬ったり、あやかったりしていて不思議はない。
 二階の壁にも結晶のようなものを組み合わせたようなオブジェがいくつか展示されるように並んでいた。
「上にも扉があるな」
 階段を上ったところで、ヴァンは扉を見つけた。
 階段の先の二階の通路は正面で合流しており、そこにも扉がある。その扉には鍵がかかっておらず、奥へと進むことができた。
 その先も広い部屋が続いていた。
 だが、この部屋が突き当たりのようだ。
 ラタイユの領地であることを示す記号の描かれた幕を吊り下げた柱ようなものが左右に等間隔に並んでいる。
 そして、正面は一段高くなっていて、そこに玉座が置かれていた。
「あ、だれかいるよ」
 ノアが玉座の方を指差す。
 見ると、『獣(セル)』に取り付かれているらしい男が座っているのが見えた。他の『獣(セル)』の怪物たちとは明らかに違う身なりをしている。赤を基調 として裾付近が黄色いガウンを着込んだ男のようだった。キノコの傘のような、大きな円盤状の『獣(セル)』が頭の額から上を覆うように取り付いているよう だ。黒っぽい色をした傘の縁の正面側には、目のように白い結晶のようなものが見える。『獣(セル)』に取り付かれたせいか、男の顔や肌は薄紫色で鉱物のよ うな質感になっている。
 恐らくは彼が領主だろう。
「彼が領主か……?」
 ガラが小さく呟いた時だった。
 領主らしき『獣(セル)』の怪物がゆっくりと立ち上がった。
 焦点の合わない瞳がヴァンたちの方を向き、どこかぎこちない動きで歩み寄ってくる。
「お客……来たので……僕、セルジュは嬉しいので……いいものをやる」
 片言のような奇妙な言い回しではあったが、『獣(セル)』に取り付かれた男が喋り出した。
 ヴァンたちは驚いて顔を見合わせた。
「セルジュ……? 『獣(セル)』に取り付かれているのに、何故俺たちと話ができる?」
 思わずガラが身構える。
 これまで『獣(セル)』に取り付かれた人間が話しかけてきたことなどなかった。
「僕は難しい話は分からないので、レトナの鍵をやる」
 ヴァンたちが近寄ってこないのを見てか、セルジュは玉座の横に下げられていた小さな鍵を投げて寄越した。
 飛んできた鍵を、ヴァンが受け取る。見れば、確かにレトナ山方面と記されたプレートの付いた鍵だった。
「どういうことだ?」
 ヴァンがセルジュに問い掛ける。
 どう考えても、このセルジュという男は普通ではない。『獣(セル)』に取り付かれているのは間違いないが、言葉が通じている。
「メータ、こいつは……」
「ええ、間違いなく『獣(セル)』に取り付かれています。ですが、これは……」
 ヴァンの疑問に答えるメータの声にも困惑が滲んでいた。
 普通の『獣(セル)』ではないということだろうか。
「レトナの鍵で、門は開くので、レトナ山行けるので、創世樹あるので……」
 ヴァンたちの疑問に答える風でもなく、セルジュが勝手に喋りだした。
「ラタイユの『霧』消せるので、僕は花嫁さんと一緒できるので、とても嬉しいので、お礼にラタイユ西門の鍵もやる」
 途切れ途切れの片言ではあったが、それでもセルジュは確かに言葉を発している。
 どこか違和感は拭えないが、意味は何となく分かる。
「セルジュのはなしよくわからないけど、そうせいじゅちかくにあるんだね」
 ノアはセルジュの奇妙な喋り方のせいで混乱しつつあるようだ。
 確かに、こんな調子で話し続けられては調子が狂ってしまう。
「創世樹が目覚めれば、西門の鍵もくれるということか? 確かに良い話だが……」
「何か引っ掛かるな」
 釈然としないガラの言葉を、ヴァンは引き継ぐように言った。
 ヴァンたちに明確な敵意を持っているようには見えないセルジュを攻撃する訳にもいかない。『獣(セル)』に取り付かれているだけであって、彼も元は人間なのは見た目からして間違いない。
「でも、セルジュ、こまってるんでしょ? たすけてあげようよ」
 ノアが言った。
 何となく、セルジュが今の状態を良く思っていないということは分かったらしい。
「まぁ、そうは言っても、俺たちに選択肢はないな」
 ヴァンは一つ息をつくと、セルジュが投げて寄越した鍵に目を落とした。
 結局、創世樹を覚醒させるという目的がある以上、ヴァンたちがするべきことに変わりはない。
「ウィドナのこともある、まずは創世樹のところに行こう」
 ヴァンの言葉に、ノアとガラが頷いた。
 『獣(セル)』に取り付かれてなお、会話が出来るセルジュのことは気になるが、まずは『霧』を晴らすことが先決だ。セルジュに取り付いているのが『獣 (セル)』である以上、『霧』を晴らせば彼も元に戻るかもしれない。今のセルジュに敵対の意思は見られないし、『獣(セル)』の特性状、無理矢理引き剥が すのも危険過ぎる。
 再び玉座に腰を下ろして動かなくなったセルジュを一瞥してから、ヴァンたちは宮殿を後にした。
 ラタイユの町の中を通って、東のレトナ山方面の門を目指す。
 レトナの鍵を使って門を抜けると、山へと続く道が見えた。
「ヴァン、創世樹の存在を感じます。私たちは創世樹に近付いています」
 山道を登り始めた時、メータがはっきりした声で告げた。
「創世樹は山頂にあるようね……」
 オズマも創世樹の位置を探っていたようだ。
「創世樹を目覚めさせれば、我々の『聖獣(ラ・セル)』も強くなる。急ごう、ヴァン」
「だが、この奇妙な波動はどういうことだろうね……? もしかすると、邪悪なものが……」
 逸るガラを制するように、テルマがどこか不安げな声を出す。
「ヴァン、ガラ、ノア、はやくあたらしいそうせいじゅみたいよ!」
 ノアは『霧』を晴らすことができるのが嬉しいようだ。
「創世樹がどうなっているのか、分からないけど、とにかく行ってみよう」
 ヴァンは言い、山道を進む足を速めた。
 レトナ山の麓は木々の生い茂る森のような景色が続いていた。赤茶けた地面にも草木が生え、ラタイユを離れるにつれてその地肌が緑に変わっていく。
 山道は険しく、上へと向かうにつれて傾斜も大きくなっていく。
 野生動物や『獣(セル)』を蹴散らし、追い払いながら道中を進む。山頂へ続く登山道は山の中に出来た洞窟を抜ける道もあり、迷うことはないがやや入り組んでいる。この洞窟も人間が掘ったものではなく、自然に出来たものを登山道に利用しているだけなのかもしれない。
「そういえば、ノアと出会ったのもこんな山だったな」
 山道を進みながら、ヴァンはふとリクロア山でノアと初めて会った時のことを思い出していた。
 あの時も山頂にある創世樹を目指して山道を進んでいた。
「懐かしいね、もうだいぶ昔のことのように感じるよ」
 テルマが優しい声で呟いた。
「そうか、お前たちは山の山頂で出会ったんだったな」
 ガラが小さく笑った。
 その場にいなかったガラにも、ヴァンとノアの出会いについては伝えている。創世樹を目指して山を登るというのは、その時の状況に似ている。
 半日近くかかるであろう山道も、『聖獣(ラ・セル)』を身に着けたヴァンたちならばその半分以下の時間で上り切ることができる。
 何度目かの洞窟を抜けたところで、山頂が見えてきた。
「ついたー!」
 ノアが笑顔で飛び跳ねる。
 見晴らしの良い山頂には大きな木はなく、背の低い草木ばかりがある。
 その中央に、創世樹は確かにあった。
「なんだこれは……!?」
 ガラが眉根を寄せ、驚きの声をあげる。
「創世樹がおかしなものに包まれている!」
「何だこれは……?」
 ガラに続いて、ヴァンも創世樹を見て顔を顰めた。
 創世樹を薄い膜のようなものが包み込んでいた。四角錐のような形で、淡い光を帯びた透き通った薄い膜が創世樹を覆っている。メータたちからも困惑の感情が伝わってくる。
「ヴァン、これ、へんだよ! へんなのがある!」
 ノアが創世樹に駆け寄り、その膜に手を伸ばす。
「あ、ノア!」
 ヴァンが慌てて制止するも、既にノアの手は膜に触れていた。
「うあっ!?」
 一瞬の閃光と共に、ノアの手が大きく弾かれた。その勢いで体勢を崩し、ノアが尻餅をつく。
「いたい! いたいよ! さわっちゃだめだ!」
 涙目になりながら、ノアが訴える。
「大丈夫か!?」
 ヴァンは駆け寄って、ノアの右手を見る。少し赤くなってはいるが、傷にはなっていない。痛みと衝撃だけを与える障壁のようなものということだろうか。
「どういうことだ……?」
 ガラは足元から小石を拾い上げ、膜へと放り投げた。小石は膜に触れた途端、弾かれてあらぬ方角へと飛んで行ってしまった。
「メータ、これは?」
「この力は……空間を歪めている?」
 ヴァンの問いに、メータが意識を集中させるのが分かった。テルマやオズマたちも探っているようだ。
 この妙な結界のお陰で、『聖獣(ラ・セル)』たちが感知できる創世樹の波動も歪められていると見て間違いないだろう。問題は、どうやってこれを消すかということだ。
「いやはや全く、待ちくたびれたよ……!」
 不意に、聞き覚えのある声が背後から聞こえてきた。
 振り返ると、そこにはソンギが立っていた。
「ソンギ!?」
 突然現れたソンギに、三人の声が重なった。
「単細胞のお前らだから、きっと創世樹を目指してくるとここで待っていたんだが……随分遅かったようだな」
 肩を竦めて、やれやれと言った様子で挑発的な言葉を吐くソンギにガラが掴みかかった。
 胸倉を掴み、詰め寄る。
「ソンギ……貴様! 今までどこで何をしていた!? あの結界を張ったのはお前か!?」
 睨み付けるガラとは対照的に、冷ややかな目でソンギが答える。相変わらず、不遜な態度だ。
「お前もただの筋肉オバケじゃないようだな。その通り、俺だよ!」
 今にも殴り掛かりそうなガラの腕を掴み、ソンギが突き放すように振り解く。
 その右手にあった『獣(セル)』は形を変えていた。腕輪のように小さかった『獣(セル)』はソンギの手首から肩口付近までを覆い尽くすほどまで成長していた。刺々しく禍々しい鎧のような装甲が右腕を覆い、赤い光を帯びた亀裂のような溝が紋様のように走っている。
「何が目的だ?」
 ヴァンの問いに、ソンギがヴァンを見る。
「言っただろ、待ってたんだよ、お前らを」
 『聖獣(ラ・セル)』の使命のためにヴァンたちは創世樹を探している。『霧』の巣で別れたソンギがヴァンたちを探すために、創世樹を探し出して待ち伏せしていたということだろうか。
「あの結界は俺の『獣(セル)』の力で作り出したものだ。俺に勝てれば、あの結界は消える」
 言って、ソンギはにやりと笑った。
 要は、結界を維持するだけの余裕が無くなるほどソンギが弱れば結界は消えるということだ。
 明らかな挑発だった。
「いいだろう……お前を叩きのめして、バイロン寺院に連れ帰る」
 ガラはそう言って身構えた。
 ノアも身構えたが、ガラが目で制した。
「いい度胸だよ、ガラ!」
 言うや否や、ソンギが気合を入れるように身構え、目をかっと見開いた。その瞬間、赤黒いソンギの髪が白く染まり、その目も赤く禍々しい光を放つ。
「貴様……!」
 ガラが眉間に皺を寄せ、奥歯を噛み締める。
 放たれる凄まじい殺気を、ガラが真正面から受け止める。全身に闘気を漲らせて、ガラはソンギの殺気を迎え撃つ。バイロンの教えで禁じられている殺意や殺気を惜し気もなく放つソンギに対し、ガラは怒りさえも静かな気迫に変えている。
「行くぜ、ガラ!」
 仕掛けたのは、ソンギだった。
 一瞬で距離を詰め、繰り出される突きをガラが横合いから拳を割り込ませるようにして逸らす。同時にガラが打ち込んだ膝蹴りをソンギも膝で受けて弾く。
 直後、ソンギが頭突きをしていた。至近距離で力が乗り切ってはいないようだったが、額に直撃したガラが僅かによろめく。脇腹を狙った蹴りを、寸でのところで腕を挟んで防ぎ、すぐさま肩からぶつかっていく。
 振るわれる拳を打ち払い、蹴りを繰り出しては避けられ、防がれ、反撃をかわし、凌いでは次の攻撃へと繋ぐ。
 拳を交えながら、ソンギは笑みを浮かべていた。
「随分強くなったじゃねぇか……!」
「何がおかしい……!」
 楽しそうだとでも言わんばかりのソンギに、ガラが声を荒げる。
 禍々しい気を纏ったソンギの拳が空を切る。避けたはずのガラの頬が浅く裂け、僅かに溢れた血が宙に舞った。
「全く感心するぜ……お前らの『獣(セル)』も中々やるもんだ」
 戦いはソンギの方が圧していた。
 『獣(セル)』による力の強さではソンギが勝っていた。恐らく、ゼトー並か、それ以上にソンギは強くなっている。そう感じさせるだけの力を、誇示するかのようにソンギは振るっていた。
 致命傷や大きな傷は避けていたが、ガラの身体に掠り傷が増えていく。
 激しい攻防の中、ソンギの口元には笑みが浮かんでいた。戦いそのものを楽しんでいるのか、ただ力を振るえることが嬉しいのか、それともヴァンたちには分からない感情が渦巻いているのか。赤い光を帯びた瞳に映るガラは、ただひたすら真っ直ぐにソンギを見据えている。
 強くなったのはソンギだけではない。ヴァンたちも毎日鍛錬は積んでいる。創世樹も目覚めさせて、『聖獣(ラ・セル)』の力もあの時よりも増している。ガラだって負けてはいない。
 ソンギも無傷というわけではなかった。少しずつ、ガラが押し返していく。
 距離を取るようにソンギが後ろへ跳んだ。
「ぬあああああっ!」
 右拳を握り締め、頭上に掲げるようにして気合を入れる。拳の周囲の空間が一瞬歪んだように見え、周りからエネルギーが集まってくる。
「ソンギーっ!」
 ガラが叫び、駆け出す。
 真正面から飛び込んでくるガラへと、ソンギが光に包まれた拳を突き出す。
「覇皇雷撃殺砲!」
 ソンギの叫びと共に閃光が放たれる。
 腕を覆う『獣(セル)』が光を帯びて、集めたエネルギーを解き放つ。荒れ狂う純粋な破壊と殺意の固まりはソンギの腕を砲身にするように、直線状にあるものを貫いていく。
 だが、ガラはそれをかわしていた。
 敵に背中を向けるほどに身を捩り、ソンギの放つ破壊の閃光を避けながら既に次の攻撃に移っている。
「オズマァァァッ!」
 右拳に宿るオズマの瞳が輝きを増し、帯びた雷が迸る。ガラの体を駆け巡り、その力を、速度を、増幅していく。
 雷を纏った右回し蹴りがソンギの『獣(セル)』に覆われた腕を横合いから弾き飛ばす。右足を駆け巡っていた雷がガラの右拳へと集約し、同時にガラがそれ を体勢の崩れたソンギへと突き込む。引いた右拳に押し出されるように、左の拳が突き出される。雷はその力の流れを表すかのように右腕から左腕へと迸り、そ の全ての力を攻撃の瞬間に解き放っていた。
 ガラの三連撃を受けたソンギは大きく吹き飛び、電流の火花を散らしながら地面を転がった。
「ぐおおおっ……」
 呻き声を上げながらも、ソンギは直ぐに身を起こした。
 電撃で身体が痺れているのか、がくがくと震えている。
「そいつは……旋脚双撃、か……? いや、旋脚双雷撃というべきだな……さすがだよ、ガラ」
 身を起こしたソンギからは、敵意が消えていた。目と髪の色も元に戻っている。
 ガラが放ったのはバイロンの旋脚双撃という技だった。回し蹴りからの流れるような二連突き。そこにオズマによる雷を加えている。確かに、旋脚双雷撃と呼ぶに相応しい。
「ソンギ、バイロンに帰ろう」
 構えを解いたガラが目を細めてソンギに声をかける。
「……そうしたら、お前はどうするんだ? 『聖獣(ラ・セル)』には使命があるんだろう?」
 立ち上がり、ソンギは服や身体の汚れを手で払いながら問う。
 お互いに、まだ戦うだけの力は残っている。それでも、ソンギの方が敵意をなくしたことでガラも戦いを続ける気はなくなったのだ。ガラの目的はソンギを殺すことではなく、止めて、連れ帰ることなのだから。
「それは……」
 ガラは言葉に詰まる。
 『聖獣(ラ・セル)』のオズマに身を差し出すと、ガラは言った。それは、ガラが『聖獣(ラ・セル)』の使命を手伝うということでもある。一度始めてし まった世界を救うための旅を、止めることがガラにできるだろうか。目の前で苦しむ人を放って、救える人がいるのに、救うための力があるのに、途中で投げ出 してしまうことはガラの性格では出来ないだろう。
「結界は消えたぜ。これで創世樹を叩き起こせるだろ」
 ソンギは明後日の方角に目を向けて、ぶっきらぼうに呟いた。
「創世樹の力で『霧』を晴らして、『聖獣(ラ・セル)』をもっと強くさせるといい」
「ソンギ、お前は何がしたいんだ……!」
 目を合わせようとしないソンギに、ガラが詰め寄る。
「俺もまだまだこんなもんじゃねえ……もっと、もっと、強くなって……」
 手を伸ばすガラから逃れるように、ソンギは身を退いて背を向けた。その表情は窺い知れない。
「……死ぬんじゃねえぞ、ガラ」
 肩越しに一瞬だけガラを見て、ソンギは山頂から飛び降りた。
「待てソンギ!」
 ガラがソンギを追って駆け出すも、飛び降りたはずのソンギの姿はどこにもなかった。斜面を下る姿も、登山道を引き返していく姿も見えない。ドルク王領の『霧』の巣で戦った時のように、ソンギは姿を消していた。
「ソンギの奴……」
 ガラはどこか寂しそうな、苦しげに顔を歪めていた。
 やはり、ソンギのやろうとしていることが見えない。ヴァンたちと共に行くつもりも無いが、かといって『霧』の使徒に手を貸しているようにも感じられない。この場でガラと決着をつける気も初めから無かったのだろうか。
「あ、かべきえてる!」
 ソンギがいなくなったことで構えを解いたノアが声をあげた。
 見れば、創世樹を覆っていた結界が消えていた。
「ここで考えてても仕方ない、今は創世樹を目覚めさせよう」
 ソンギの消えた方角を向いているガラの肩を叩いて、ヴァンは創世樹の方へと歩き出した。
「そう、だな……」
 気持ちを切り替えるように大きく息を吐き出して、ガラも創世樹の方に向き直る。
 創世樹を囲んで立ち、三人で同時にその幹へと手を伸ばした。
 『霧』が晴れることを、そこで平和に過ごしていた人々のことを思いながら。
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