第三章 「彼女」


 月曜日、光は学校の席でぼんやりと窓の外を眺めていた。
 一晩熟睡したが、体力も精神力も完全に回復していなのだ。夕食を一時間遅れて取った後も、光は部屋で寝入ってしまった。それでも寝不足の状態と同じくらいには回復しており、今夜早く寝れば問題はないだろうと思えた。
 一時限目の古文を周囲に気付かれないように寝て過ごし、今はホームルームを待っている状態だ。
(……あれ以上に強い奴がいるんだよな……)
 視界の中の青空の面積の約半分を隠す雲を眺めながら、光は思う。
 昨日、敵対した相手、クライクスとその部下五人。彼等は第二特殊機動部隊だと言っていた。それはつまり、その上に『第一特殊』のつく部隊が三つ存在する事になる。VANには突撃、機動、特務の三種があるのだから。
(……ダスクやリゼはあいつら以上に強いって事だよな……)
 光の知る、第一特殊機動部隊を束ねるダスクと、昨日会ったその部下のリゼ。
 少なくとも、同じ数だけ集めた同系列の部隊同士ならば、部隊の級が上の方が強いという事になる。
(……戦いたくないな……)
 光は改めて思った。
 この場所で、戦いとは無縁に生きていたいのだ。軽くあしらえる雑魚を相手にする事さえ、光には避けたい事である。
「――火蒼」
 不意に話し掛けられ、光は視線を向けた。
「……霞?」
 そこに立っていたのは、霞だった。
 霞の方から人に話し掛ける事はほとんどない。それに驚きながらも、光は霞の言葉を待った。その霞はいつもより鋭い視線を光に向けていた。
「……話がある。昼休みに三棟の空き教室に来て」
「ん? ああ、いいけど……」
 光の返答を聞くと直ぐに霞は自分の席に戻って行った。
 その直後、クラス担任の岡山 雅夫がやってきてホームルームが始まった。岡山は学校の教師達の中でも若い方で、見た目の印象的には体育会系に見えるが物理や化学を受け持っている。
「……火蒼、矢崎はどうした?」
 光が霞の様子に内心で首を傾げていると、岡山が尋ねて来た。
「あ、あいつ昨日熱出してぶっ倒れました。二日三日は欠席すると思いますよ」
 即興で嘘をついたが、倒れた事は事実だ。
「む、そうか。なら矢崎への配布物は届けてやってくれ」
「解りました」
 出欠席名簿に何やら書き込みながら、岡山が言うのに光はそう答えた。
(……にしても、霞は何の用だ?)
 波北高校の校舎は、三学年の教室と教師の教科研究室等のある一棟、二学年の教室のある二棟、理科系教科用教室のある三棟、一学年の教室のある四棟の構成になっている。それに加えて、二つの体育館と部室棟が建っている。
 三棟は他の校舎と違い、四階建てになっており、最上階には図書館がある他に、何にも使われていない教室が二つあるのだ。理科系の教科では実験をやる事があるため、一学年でも移動教室となる場合がある。二学年以降は文系理系のコース別で時間割が組まれ、普通に移動教室が使われているため、理科系教科用の教室は使われている。
 また、一棟も四階建てなのだが、それは一階に校長室と事務室があるためで、実質三階建てと変わらない構成なのだ。
 その空き教室は、四階建てという事もあって、通常誰も立ち入らない場所だ。そこまで行って話さねばならない事となると、他人に聞かれたくないという事なのだろう。
 光が想像出来る、霞が他人に聞かれたくない話となれば一つしかなかった。
(……まぁ、その時になれば分かるな)
 早合点する事はあまり良い事ではないと思い、考えるのを止めた。
 丁度二時限目の授業が始まり、光は居眠りをする事にした。英語の授業だったが、疲労感には勝てない。後々のためにも、光は体力回復を優先させた。

 そうして、三時限目までもほとんど眠って過ごし、昼休みになると光は急いで三棟の四階まで駆け上がった。
 空き教室には既に霞がいた。
 急いで来た光よりも早く着いていた事にそれ程の疑問は持たなかった。運動能力の低い光よりも、運動神経抜群の霞が先に着いていてもおかしくはないし、呼び出した本人だからだ。
「……で、話って何だ?」
 光は呼吸を整えながら尋ねた。
「……美咲の事よ」
「え……?」
 霞の言葉に、光は耳を疑った。
 予想外の話の内容だった。霞と美咲が友人関係にある事は目でも見たし、美咲からも聞いていたが、霞本人が美咲の事を尋ねて来るとは思わなかった。
「今朝、登校途中に会った美咲は、何か考え込んでいたわ。土曜日、何があったの?」
「――あ……」
 霞は光と美咲が土曜日に会った事を知っていたのだ。
 美咲が事前に霞にも話していたのだろう、それで休み明けに雰囲気の違う美咲を見て光に何があったのかを聞こうとしているのだ。
 だが、大抵の場合ならば光との恋愛関係で考え事をしていると考えるだろう。霞がそう考えないのは、光が能力者である事を知っているからだ。
 そして、霞は光の立場を知っている。美咲の事を危惧するだけの知力もある。
「……VANが、攻撃を仕掛けて来た」
 躊躇いがちではあったが、しっかりとした光の言葉に、霞の目が一瞬見開かれた。
「……戦ったの? 美咲の前で…?」
 霞の声は微かに震えているように聞こえた。
「戦ったよ」
 光は迷わずに答えた。
 次の瞬間、霞の掌が光の頬を打った。
「どうして! 美咲は普通の人なのよ!」
 初めて耳にする、霞の悲しげな声だった。
「逃げれば良かったじゃない……! 何も美咲の前で戦わなくたって……」
「なら、美咲が殺されても良かったのか!」
 打たれた頬を押さえもせずに、光は霞の言葉を遮った。
「あの場には俺が戦った三人以外にも様子を見ている奴だっていたはずだ! あの時美咲の前で戦わなかったら、美咲を追いかけた奴が美咲に危害を加えるだろうが!」
 美咲を連れてでも、そうでなくとも、光と美咲が離れた瞬間をVANは狙っただろう。あの場で光が戦う事で、それは防げたのだ。
 そして、美咲が光の力を見る事は、美咲が光の敵となる可能性をVANに示す事になる。それはどちらかといえばVANには好都合な事だ。光を心を揺する材料になるのだから。
「……」
 光の言葉に、霞は目を逸らした。
「あの場で逃げたって、俺か美咲が狙われた事ぐらい、いずれ美咲は気付くさ。そうなれば美咲は俺に訊いて来る」
 光と美咲が二人っきりと時に狙われた事ぐらい、誰でも考え付く事だろう。あんな異常事態が偶然に起きるはずがないのだ。
 そして、そこまで考えられれば、あの場にいた二人のうちのどちらかか、両方が狙われたのだと気付く。美咲は何も知らないのだから、恐らく光に訊いて来るだろう。そうなれば、光が知らないと答えたとしても、同じ事が起きた時に美咲は光の嘘を見破るはずだ。
「それに、俺は自分を偽りたくはない」
 今までも自分の思ったように人と接して来たのだ。
 初対面で相手を警戒しても、それは内面の事で態度自体は誰に対しても変わらない。信頼に足ると判断出来た相手でなければ光から話し掛ける事はまずないが、話し掛けられた場合は光自身の態度で接している。
 それは聞かれなかった事は答えないという事だ。
 光は極力能力を知られないようにしてはいるが、もし感付かれ、尋ねられたならば打ち明けるだろう。もっとも、誤魔化せるようなものであれば誤魔化すかもしれないが。
「……偽る事がいけない事ではないでしょう?」
「そんな事俺には言えないよ。俺が偽りたくないだけさ」
 霞の言葉に、光は直ぐに答えた。
 霞はROVの能力者だ。自らが持つ力によって家族を失い、独りで生きて来た過去を持つ。現在も一人暮らしの生活をしているのだ。そして、霞は他者に対して自分に関わらせまいとしているのだ。巻き込む事を怖れ、全てを自分一人で抱え込むつもりでいる。
 光はそれに対して何も意見する事は出来ないと思っていた。生き方は人それぞれだと考えているからだ。誰かの影響を受けて考えを変えるのも、その人がすることなのだ。
「……もし、それでも美咲が俺を好いてくれるなら…いや、そうでなくても、出来る限り守るつもりだ」
 静かに、それでもはっきりと、光は言った。
「……ごめんなさい。あなたなら考えているわよね、そのくらい……」
「気にしなくていいよ。俺は霞がそんなに心配する友人がいたって事だけでも安心したんだ」
 光は霞に微笑んだ。
 霞の態度は、かつての光と同じだった。周りの視線が痛くて、自分自身を守るために他者との関わりを避けていた、病弱だった光の幼少期と、今の霞は似ているのだ。脆い自分を守るために、閉じ篭っていたのだ。
 だが、今の光は周りの事をあまり意識しなくなった。そんな事を気にする必要がないのだと、気付いたからだ。特殊な環境で育ち、同様に他者との関わりを避けていた修と親しくなった事がきっかけだった。
 経歴のためにどこか他人とは思えなかった霞にも、美咲がきっかけになるのかもしれないと光は感じたのだ。力の事を明かす事が出来なくとも、感情を見せない霞がこれ程までに気にかける友人であれば、十分なきっかけになるだろう。
「……美咲には、私が能力者だという事は言わないで」
「いつか、自分で言いなよ」
 光は答え、その場を去った。
(……結構痛ぇ)
 階段を下りながら、光は頬をさすった。手加減してくれてはいるのだろう、痕は残らないだろうが流石に痛くないはずがなかった。
 その後、急いで弁当を平らげ、午後の四時限目、五時限目を眠って過ごし、光は修の配布物を確認すると帰路についた。
 美咲はいなかった。携帯電話への着信もメール連絡もなかったため、待つ事もしなかった。
 最後に問うたのは光なのだ。その答えを出すのは美咲で、答えを貰うのを急ぐ必要もない。美咲が時間をかけて考えて出した答えを美咲の方から受け取らねば意味がない。

 光は修のマンションのエレベーターに乗り込んで四階へのボタンを押した。手には修への見舞いの品を入れたスーパーの袋を提げていた。
(……跳んだ方が楽かな…?)
 光が一瞬そう思った時、エレベーター内に一人駆け込んできた者がいた。
 七三分けに黒縁眼鏡をかけたいかにもガリ勉といった印象を与える男だった。光はそれが誰だか知っていた。親友と同じ名前の漢字を名に持つ、同じ年齢の別の高校に通う高校生だ。修の二つ隣の部屋に住んでいるため、光が修のところに来る時に数回出くわした事がある。修が毛嫌いしている、高次 修(おさむ)だ。高次の方も修を毛嫌いしているらしい。
 相手も光を修の友人と認識しており、あまり良くは思われていない。光に突っ掛かる事が余りないのは、眼中にないとでもいう事なのだろう。もっとも、そんな事は光の知った事ではない。
 そんな近所の人間がいるという事でしかない。
(……跳んだ方が良かったな)
 高次に見られる可能性も考慮しなければならなかったが、それは光が周囲の気配を探ればタイミングは計れる。
 何より、エレベーターを使う手間が省けて良い。とはいえ、昨日の事もあるため、今日は能力を使うつもりはなかった。
 四階に着き、光はエレベーターを降り、もっとも端に位置する修の部屋へと向かった。
「おーい、修、起きてるかー?」
 合鍵を使って部屋の中に入り込み、光は修を探した。
 修はベッドで熟睡していた。リビングの机にカップヤキソバを食べた後があった事から、一度起きて食事は取ったのだろう。
「こいつ……」
 気持ち良さそうにベッドで眠る修に、何だかむかついた。
 実際のところ、光も今日は欠席したかったのだ。だが、それが中々出来ない性格の光は、結局登校した後で授業中に睡眠を取っていたのである。やはり、眠るのならば自宅のベッドの方が具合が良いに決まっている。
 光はおもむろにスーパーのビニール袋を修の顔の上に持って行き、手を放した。
 ドスン、と鈍い音がして、見舞いの品のキャベツが修の顔面に直撃する。因みに何故か修はキャベツが好物なのだ。
「――なぅあっ!」
 修が鼻を押さえて飛び起きた。
「……目は覚めたか?」
 にこやかに光は尋ねた。
「何したお前……?」
 鼻血を手で押さえながら修が半ば混乱しながら周囲を見回す。
「あんまりお前が気持ち良さそうに寝てるもんだからむかついてな。見舞いの品を投下した。ありがたく受け取れ」
「あぁっ! キャベツ!」
 光が答えると、修が枕元に転がっていたキャベツを見つけて声を上げた。
 見ると、微妙にキャベツがへこんでいた。
「キャベツがへこんだ! キャベツが! 貴様何て事を!」
「鼻血はどうでも良いのかお前は!」
 思ったよりも元気そうな修の様子に、光は内心安堵しながらも、突っ込むところは突っ込む。
 キャベツの心配をする修はそれでも器用にベッドや衣服に鼻血を零したりしていない。そういうところにはちゃんと気を配っているのは修らしい。
「鼻血は止まるがキャベツの傷は治らないだろ!」
「また微妙な理屈を……」
 ティッシュペーパーを渡しながら、光は苦笑した。
 ふと、廊下を歩いて来る足音に視線を向けた光は、そこから現れた少女と視線があった。
 肘くらいまでの長さの艶やかな黒髪に、すっと通った鼻筋に大きめの瞳。体付きは背も小さく、はっきり言って胸もない。全体的に華奢な印象を受けた。確かに美少女と言えたが、美しい、というよりは、可愛い、の方が似合うだろう。
 見た目は明らかに年下だ。服装は薄青紫色のブレザーに同色のスカートで、襟元には赤色のスカーフが巻かれていた。
「……あの、誰ですか?」
「……そっちこそ」
 動きを止めた少女の言葉に、光は言い返した。
「あ、有希」
 修の一言に、光は顔を向けた。
「知り合いか?」
「婚約者ってところだ。こっちは親友の光」
 後半は少女に対して修が答えた。
「あっ…ちょ、ちょっと来て下さい!」
「は? え?」
 強引に袖を引っ張られ、光はリビングに連れ出された。
 訳の解らない光に、有希と呼ばれた少女はいきなりその頬を張った。
「いっ…!」
「昨日は大変だったんですよっ! 来てみたら修ちゃんは血吐いて寝かされてるし! 肺胞が幾つか潰れてて、治すのも大変だったんですよっ! どうしてそのまま放って置いたんですかっ!」
 何か言おうとした光の言葉を遮って、有希が捲くし立てた。
 その表情は既に泣き出し、座り込んでしまっている。
 だが、光は痛む頬に顔を顰めてそれを見るしか出来なかった。何よりも、修の受けたダメージがどれ程のものだったのかは、光にも判らなかったのだ。仮に判っても、それを治療する術を光は知らない。病院に連れて行くという選択肢がない訳ではなかったが、それで色々と事情を探られるであろうと、本能的に拒否していた。
「――って、うわ!」
 後からやって来た修が、リビングの光景を見て、声を上げた。
「悪ぃ、ちょっと待ってて」
 苦笑を浮かべて修は有希を自室へと引っ張って行った。
 そのまま外側から鍵を掛けて閉じ込め、一息ついてから光に向き直った。
「あー、彼女は治癒系の能力者なんだ」
 頭を掻きながら修が言う。
「事情を説明しろ。突っ込みどころがあり過ぎて訳が分からん」
「彼女については、付き合った子が能力者だったって事。それから、受けた傷はどうせお前にゃ判らんだろうから気にするな」
 苦笑し、修は説明した。
 その少女の名前は仲居 有希と言い、七瀬学園というその筋では有名な女子学園の中等過程の二学年であると言う。周囲の情報に疎い光には、その学園の存在すら知らなかった。
「……そういや、お前ロリコンだったっけ……」
 溜め息と共に光は呟いた。
 中等過程の二学年という事は、光や修とは二歳年下である。恋愛の年齢感覚としては、二年という間はそれほどではないが、相手が中学生となるとその年齢差は大きく感じられた。
「歳は関係ないって」
「いや、そりゃもっともだけどさ……。よくもまぁお前の好みにあう娘と会えたもんだな、と」
 光は溜め息混じりに応じた。
「まぁ、その辺は天の恵みという事で感謝だ」
 光はこめかみを押さえ、溜め息を吐いた。
「それはともかく、最近色々と判った事があってな」
「何だ?」
 修のいきなりの言葉に、光は顔を上げた。
「実は有希の父親が偉い人でな、能力者の事も知ってるようなんだ」
 確かに、有希の年齢で覚醒していたとなると、親が知っていても不思議はない。もしかすると、親も能力者なのかもしれない。
「それで、自衛隊とか防衛庁とかに繋がりがあるもんで、日本の政府内にもVANに抵抗している奴等がいるらしい」
「能力者は?」
「いると思うぞ、それなりには」
 光の問いに、修はそう答えた。
 光のように個人的に戦っている者はいるだろうと思っていたが、自衛隊や警察の中にまで能力者がいるとは考えもしなかった。だが、それはそういった地位にVANの構成員が食い込んでいるという事だ。つまりは、VANは世界にかなり浸透している。
 事実として、クラスメイトがVANの構成員だったという事もあった。
 裏からの影響力もかなりのものなのだろう。それだけの組織を相手にしているROVも、他の組織も、残っているというのは光には凄い事に思えた。
(ROV、か……) 
 光は、そのリーダーと会った事がある。
 一ヶ月前、覚醒したばかりの光をVANから救ったのは、刃と呼ばれた青年だった。その時の服装から判った事は、彼はまだ高校生であるという事だけだ。
 自然型である雷を操る能力を使い、日本刀を片手に携えた青年の目は、それこそ研ぎ澄まされた刃のような鋭さを持っていた。
 彼が戦う理由は、復讐らしい。かつてVANに大切な人を殺された事をきっかけに、戦う事を決めたのだろう。
「やっぱり、表には出てないんだな」
「そりゃあな」
 光の一言に修は苦笑を浮かべた。
 目的があって動いているVANと違い、それに抵抗しているのが政府関係ならばむしろVANを表舞台に引き摺り出した方が良いようにも思えたが、やはりそうはいかないようだ。
 一般大衆のほとんどは非能力者である。それを考えれば、能力者の存在を公表する危険性は想像が付く。能力者の存在が普通の人達にとってどれ程危険なものに見えるのかは、光自身も何度か考えた事だ。それに、政府官僚等の中にも能力者を認められない人は大勢いるだろうし、そういったものの事を考えると公表出来ないといった方が正しいのだろう。
 いくら力があったとしても、まだ能力者も人間なのだ。身近な人達から敵視されるのを恐れるのは当然だろう。
「とりあえずは、そっちからの情報が手に入るようになったから、事前に襲撃が察知出来るかもしれないんだ」
「じゃあ、クライクスの事は掴めてたのか?」
「いや、それは知らなかった。多分、VANに対する潜入工作員とか、いないんだろ」
 光の問いに、修は首を振った。
 VANの内部での動きは流石に掴めないという事なのだろう。表の世界に知られぬように活動している組織であれば、そういった事には注意を払っているはずだ。そうであれば、抵抗組織はその動きの兆候から、次の動きを予測するぐらいしか出来ないだろう。
「……なぁ、いつからだ?」
 それを聞いてから、光は間を置いて尋ねた。
「何が?」
「お前に彼女が出来たなんて初耳なんだが」
「あー、二週間前。ほら、テスト前に古本屋廻り言ったろ、その時に知り合ってな」
 苦笑しながら修が答える。
「まぁ、色々ドタバタしてて言う機会なくして、忘れてたんだ」
「……唐突だが、一発殴っていいか?」
「んー、いいけど」
 修の返事はあっさりしていた。
 余程の事でなければ隠し事はしないというのが暗黙の了解となっていた事に加えて、二週間前から現在に掛けて進行中の事を話し忘れるという事に対しての一種の制裁のつもりだった。
 光が拳を固めた。その直後、光の視界が蒼白く染まる。
「――って、それは止めてくれ!」
「彼女に治してもらえ」
 にこやかに残酷な事を言う光に、修は首を左右に振る。
「頭吹き飛んだら無理だって!」
「まぁ、冗談だ」
 その慌てぶりに光は苦笑し、能力を閉ざした。
「……目はマジだったぞ?」
「そうか? そう見えるように言ったつもりだけど」
 修が溜め息をつくのを、光は苦笑したまま流した。
 そうして、修が落ち着いてから光は軽く修を殴った。グーで、とりあえず痛いと感じるぐらいのものにしておいた。
 有希にぶたれた事に対する報復という意味合いもあった。何も分からなかったと言って、光はそれを責められて受け入れられる程、物分かりは良くない。
 何せ、光も少なからず消耗していたのだ。あの後、家に帰ってからの光の疲れようは普段のそれとは全くと言って良い程違った。家族を誤魔化すのも中々大変だったのだ。
「とりあえず、有希には俺の方から言っとくから」
「……ん、解った」
「ああ見えてさっぱりしてるから気にしないでやってくれな」
 光の様子に、修が苦笑して付け加えた。
 対人関係に関しては、光は第一印象を引き摺り易い。それに気付いてだろう、有希の印象を悪くしないように言っているのだ。
「一応、年下だから」
「解ってるって」
 今度は光が苦笑した。
 よくよく考えてみれば、光と修の方が覚醒していない同年代の者よりも考えが深くなっているかもしれないのだ。それと、二年も年下の少女だ。恋人が重症だったとなれば、それの心配で他に気が回らなくなっても不思議はない。
「あ、それから俺は大事を取って明日も休むから。まだ身体にダルさが残っててな」
「あいよ。じゃあ、俺はそろそろ帰るわ。……昨日は悪かったな」
「今日の事でお互い様だって。じゃな」
 光は修の部屋から出た。
 具現力を一瞬だけ解放し、周囲に視線がない事を確認してから再度解放し、四階から飛び降りた。着地してから具現力を閉ざし、歩き始めた。
(……今日は厄日か?)
 ふと、光は頬をさすり、そう思った。昼にも、光は霞に頬をぶたれているのだ。
 昨日の今日で、光もまだ肉体的にも精神的にも疲労が抜け切っていないというのに、追い討ちをかけるかのように二度もぶたれたのだ。
 霞や有希が、美咲や修をそれだけ心配しているという事は解るが、余り良い気はしない。
(……けど、VANと戦うってのは厭なんだよな)
 そうなった大本の原因といえば、光が中立という立場を取った事に由来する。
 だが、それでも光はVANを敵に回して戦うのは避けたいと思っていた。VANに所属する人間達の考える事が光にも理解出来るから、という訳ではない。無論、ROV等のようにVANに抵抗する人達の言い分は光にも解る。現時点では光は抵抗勢力に近い位置にいるようだが、最も違うのは光がVANと戦う事を望んでいない事だ。
 仮にVANを倒せば全てが丸く収まるとしても、一方的にVANの言い分を否定する気にもなれないのだ。
 それで周囲に被害が出てしまうとしたら、責任は光が背負わねばならないだろう。だからといって、光にはVANを敵に回してでも戦おうとするだけの理由がない。
 互いの主張を受け入れられなければ、衝突は避けられないのだ。特に、能力者のようにその存在そのものが一般人には受け入れ難いものなのだ。その組織の主張を支持する者達は多く、少なからずそれに背く形である光の主張は、VANには受け入れ難いものだろう。
 しかし、平穏な生活を手にするために、戦うというのは、光にとっては理由にはならない。光自ら戦った時点で、それは光の望む平穏ではないのだ。それに、戦って平穏な生活が得られる保証など、どこにもないのだ。
 溜め息をついて、光は帰路を急いだ。


 帰宅した光は自分の部屋でベッドに寝転んで、修から借りた本を読んでいた。
 まだ二冊程読んでいないものが溜まっている。修は数冊まとめて本を貸してくるため、光は常に読む本が溜まっている状況だった。
 今読んでいたその本を読み終えたところで、光はベッドから降りた。
 時計を見ると、そろそろ夕食の時間だ。孝二も光が本を読んでいる間に帰宅しているようで、恐らくは一緒に来ているだろう香織が夕食の準備をしているはずだ。
 光の部屋のすぐ横、二階の一番奥の部屋では晃がTVゲームをしていた。
「なぁ、兄貴」
「んー…?」
 光の呼び掛けに、晃は顔を向けずに答えた。
 私服校の光は帰宅しても着替える必要はないが、私服校ではない高校生の晃は帰宅後もほとんど制服のままで過ごしている。上着だけでも脱いだ方が気が楽だと思うのは光だけだろうか。
「兄貴って、好きな人いる?」
 ふと思った疑問を、光は口にした。
 光でも好意を持ってくれる人がいるのであれば、兄の晃を好きになる人もいるのだろう。
「んー……。今は考えた事もないな」
 数秒の間を置いて、晃は答えた。
 その間もゲームをする手は止まらず、光に振り返る事もしない。
「……だろうね」
 光は苦笑を浮かべて言った。
 何の気兼ねもなしにゲームをしている今の晃の様子からも、その返答は予想出来た。
「まさかお前、好きな人が出来たとか?」
「ふと思っただけだよ」
 晃の言葉に、光は苦笑気味に答えた。
 流石に兄の勘は鋭い。いきなりそんな事を訊いた光の口調や問いの内容だけで、そこまで考えられるのだ。
 下手をすれば、光が能力者である事も感付かれてしまうのではないかとさえ思う。もっとも、光が具現力を行使している時を見られない限り、能力者である事は隠す事が出来る。帰宅時の様子や態度から、何かおかしいとは思われても、能力者である事さえ悟られなければ何とか誤魔化す事が出来るのだ。
(……そういえば、どうして家族は狙われないんだ…?)
 不意に、光は思った。
 親友の修や、好意を寄せてくれた美咲は狙われた事があったが、兄である晃や、保護者である孝二やその幼馴染の香織といった、光の家族や、その周辺にいる重要な人物が狙われた事はない。
 特に晃は光とは別の高校に通っている上に、光の通う波北高校が進学校だという事もあって、日程が微妙にずれているのだ。人質として捕らえるには、晃は丁度良いとさえ言える。また、孝二も同様に仕事のために光の手の届かない場所にいる事が多く、香織は光の家族ではないが孝二の幼馴染であり、光達の面倒を見てくれるために、重要な存在だ。
 狙うのであれば、修や美咲だけでなく、その三人も狙っているはずだ。監視はされているのかもしれないが、今までに襲われたような気配もないため、三人は対象外になっていると考えられた。狙い易く、光にとっては修同様に唯一無二の存在である家族は、本来ならば真っ先に襲われているはずだからだ。
(……ダスクの働きなのか?)
 光はリゼの言葉を思い出した。
 それとも、別の理由があるのだろうか。
 光が考えられる可能性としては、他の任務等のために家族を狙うだけの余裕がないという事や、三人が普段生活している付近にVANへの抵抗勢力がいる事、襲われる事で光の家族が覚醒するというものが挙げられた。
 だが、狙うだけの余裕がない、というのはまずないだろうと思えた。修や美咲を狙ったりするために人員が回せるのであれば、とっくに家族は人質にされているだろう。その時には人員に余裕がなかった、等とも考えられたが、それがないとすれば、意図的に避けているとしか考えられない。
 それに、晃が通う高校や、孝二、香織の仕事場に能力者がいないとは限らないのだ。現に、光のクラスメイトの霞はROVの能力者なのだ。また、修の話によれば警察等にもVANに抵抗している能力者がいるというのだ。そういった者達が周囲にいるという事も十分に考えられた。
 襲われる事で晃や孝二が覚醒するという考えは、光にとってもあまり良い事ではない。仮に、晃や孝二が覚醒したとしても、その時に晃や孝二がどう動くのかは光には想像が出来なかった。VANへ渡るという可能性がないとは言い切れないのだ。そして、晃や孝二が覚醒してしまえば、光の周囲は大きく変化してしまう。光の望む居場所が消えてしまう可能性は高い。
 具現力が血筋によってある程度受け継がれて行くものだとしたら、晃と孝二の力は光と似通ったものになるだろう。特に、晃は光の兄なのだ。具現力はほぼ同じと考えて良い。そして、晃や孝二が光の敵に回れば、光は不利になる。
 無論、二人がVANに行くと決まった訳ではなく、ROVや中立となる事も考えられた。レジスタンスとなって、VANと戦う事は、光には望ましい事ではない。中立となる事で、このままの生活を続けて行けるのならばまだ良いが、もし更に狙われるようになってしまえば、事態は悪化してしまう。
(だとしたら感謝しなきゃな……)
 そこまで考えて、光は思った。
 ダスクが抑止力になってくれているのであれば、光は彼に感謝しなければならないだろう。光の周囲への攻撃作戦も、ダスクが却下してくれているらしい。それが影響して、家族が狙われていないのかもしれない。
「まぁ、どの道今はそんな相手いないけどな」
「だろうね」
 晃の言葉に、光は苦笑して答えた。
 光と晃は決してモテる方ではないし、二人とも恋愛とはほとんど無縁の生活を送っている。だが、いくらか外交的で真面目な分、晃の方が良く見られるのは確かだ。
 それに、光は余り良く思われていない。
 修とは普通に接しているが、それ以外の人物とはほとんど会話をしない。話し掛けられても、話し掛けられた内容にだけ答えるだけで、それ以上の会話をする事もしないのだ。
 根暗だと言われても仕方がない。しかし、光はそれを気にしてはいない。他人からどう見られるか、という事を無視して過ごしているからだ。恐らく、光の本当の性格を見た者は驚くだろう。
「先に飯に行ってる」
「ん、俺もキリの良いとこまでやったら行く」
 光の言葉に晃が応じたのを聞きつつ、光は階段を下りた。
 晃は光と違い、几帳面だ。テレビのチャンネルはいつも一にしてから電源を消すし、ゲーム等もキリの良いところまでやってからセーブして電源を落とす。だが、そのくせ時間には余り頓着せず、光のように早めに動くという事をしない。
 その辺を光は鬱陶しく思う事が多かった。
 晃は光が夕食を半分程食べたところで夕食に加わった。

 生徒昇降口で靴を履き替え、光は校舎から出た。掃除をサボって、光は下校しようとしていた。
 修がいないというだけで、学校にいる時間はつまらないものだった。修から借りた本を持って来ていたからまだ良かったが。
「――光っ!」
 昇降口を出た直後、背後からかけられた声に、光は振り返った。
「……答えは出た? 美咲……」
 光は言った。
 声から誰であるかは判別出来たし、光に話し掛けるような人間はこの学校には数える程しかいない。そして、その誰もが自ら話し掛けるような人間でもない。今、話し掛けてくるのは美咲ぐらいだろう。
「……ええ」
 美咲は頷き、靴を履き替えた。下校の準備もして来たらしい。
 光は美咲を待って、二人で学校の敷地から外へと出た。
「私、あなたが普通の人間じゃなくても良いわ」
 美咲の出した答えはそれだった。
「……その選択で後悔はしない?」
 光は訊き返した。
 それが、美咲が答えを言うまで無言でいた光の反応だった。
「判らないわ。でも、私はあなたを嫌いになれなかった」
 美咲は首を横に振る。
 素直な返答だと、光は思った。それは、信頼に足る回答だ。
 後悔するかどうか、というのは未来の事であり、現時点で判断出来るものではない。後悔するしないに関わらず、どう思ったのか聞けただけで、光は美咲の答えを受け止めていた。
「……ねぇ、教えて。力って、何?」
 その言葉に、光は周囲の気配を探った。
 一瞬だけ、能力を解放し、周囲に気配がない事を確認すると、光は口を開いた。
「先に言っておくけど、誰にも口外しないように。勿論、家族や親友にも」
 美咲が頷くのを確認して、光は続けた。
「この力は具現力って呼ばれてる。精神力を力場に変換して、その力場で包んだ空間に様々な物理的効果を生じさせるものだ。皆、それぞれ違う具現力を持っていて、誰にでもその因子はあるらしい。ただ、覚醒するかどうかは別の因子らしくて、覚醒しない人もいる。あの組織は、能力者として覚醒した者達の集まりで、能力者だけの国を造ろうとしている。能力者だからと迫害されて、平和に過ごせる世界を作ろうとする気持ちは解るけど、俺には今までの世界にいる方が居心地が良いんだ」
 大雑把な説明だった。
「組織に抵抗している人達はいるみたいだけど、俺はそれとも違う。今まで通りの生活をしたいから、そのために戦っているんだ。こちらから攻撃する事はせず、攻撃されなければ戦わない」
 力の強大さ故に狙われているという事は伏せておいた。どの道、強力でない者でも、VANに利をもたらさないものは狙われるのだろうからだ。
「力については、俺も解らない事が多いんだ。一ヶ月ぐらい前に覚醒したばかりで、どの組織にも入ってないから」
 光はそれで締め括った。
「じゃあ、身近に能力者がいるかもしれないって事?」
「そうなるね」
 光は苦笑して見せた。
 事実、光の周囲には能力者が複数いる。霞を始めとして、修や三学年の先輩にも一人、能力者がいるのだ。それに、今はもう死亡しているが、クラスメイトの一人がVANの構成員だった。ROVのリーダーである刃や、彼と行動を共にしている楓は、近隣の近隣の有名私立校である上条高校の制服を着ていた。
 警察等にも、VANへの抵抗勢力がいるらしい。そうなれば、どこに能力者がいてもおかしくはない。皆それぞれが公に能力者だと判らぬように行動しているのだ。
「でも、普通に過ごしている分には問題ないと思うよ」
 光は言った。
 実際のところは光にも良く判らないが、美咲にはそう言った。
 美咲の周囲は光が守らねばならなくなったのだ。気休めかもしれないが、美咲には周囲に心配して欲しくなかった。
 それがVANのような大きな組織であろうが、個人で戦っている者であろうが、事態が大きくなるような行動は、よっぽどでなければ取らないだろうからだ。
 光は、光自身が本気で動けば、VANにはかなりのダメージを与える事が出来るだろうと考えている。組織としてのダメージはなくとも、戦力を削るという意味では、かなりの痛手を与える事が出来るだろう。それはVANも望んではいないだろう。
 それに、光は美咲の判断に余計な事を混ぜるつもりはなかった。
 もし、光の力が強大過ぎるが故に狙われていて、その光と付き合おうとした美咲が既に狙われている事や、光が美咲を守らねばならない状況になりつつあるという事を知られてしまえば、美咲はそれらの事も含めて考えて判断を下すだろう。
 純粋に、光と付き合ってくれるかどうかを知るには、周囲の事を気に掛けない状態での言葉でなければならないと光は思っていた。
「じゃあ、改めて」
 美咲が光に顔を向けた。
「――私と付き合って下さい」
 微笑を浮かべて言う美咲に、光は頷いた。
(……なら、俺は俺の出来る限りの力で君を守ろう)
 それに対する光の返答は口には出さずに、心の中で告げた。
「私、気付いたの」
 ぽつりと、呟いた美咲の言葉に、光は無言で耳を傾けた。
「光は、きっと人の内面を見てる」
「臆病なだけさ」
「少なくとも私には、そう見えるの。きっと、無意識のうちに相手の事を気遣えるんだと思う。だって、この前の問い掛けの答えを私自身が出すまで何もしないで待っていたんだもの」
 首を左右に小さく振った光に、美咲は言った。
 確かに、光は美咲自身が答えを出すまで待った。それに、人を外見だけで判断しないよう心掛けてもいる。しかし、それは結局自分自身が傷付けられないように、警戒しているに過ぎないと光自身は思っていた。
「きっと、あなたを悪く言う人は、あなたの内面を見ていないんだと思う。内面を見る事が出来れば、自然と相手を気遣えるもの」
 美咲の言葉に、光は何も言えなかった。
 それは事実だった。ただ、光の内面を見ようとしない人間を、光が友人と認めていないという事だ。友人と呼べる人間には、光は素で接するが、それは相手が自分を傷付けないと解っているから出来る事だ。始めから光という存在そのものを見ようとしない者に、光は友人として接する気はなかった。
「私は、きっと、あなたのそういうところに惹かれたんだと思う」
 美咲は自分の胸に手をあて、頷くように言った。
「…じゃあ、改めてよろしく」
 光の言葉に、美咲が微笑んだ。
 まだ、美咲を本当に好きなのかは判らなかったが、それでも嬉しいと思った。今はそれだけで十分だった。
「あ、これ、ほんとに些細なものだけどこの前のお詫びに……」
 その別れ際に美咲は小さな包みを光に手渡した。
「お詫び?」
「ほら、襲われた時、私、あなたを怖がったでしょ。そのお詫び…」
 すまなさそうに言う美咲に、光は納得した。
「別に気にしなくても良いのに」
「ううん、私の気持ちの問題だから。……受け取って」
 苦笑を浮かべ、光は言ったが、美咲は首を横に振った。
 能力者である事が普通の人間に知られれば、怖がられるのは当然だろう。それは光にも解る。美咲が、光を怖れた事は不自然な事ではないのだ。それを申し訳なく思う必要はないと、光は思っていた。
「解った」
 微笑んで、光はそれを受け取った。
 ここで受け取らない訳にはいかないだろう。美咲は美咲自身の気持ちの整理をつけるためにもそれを渡そうとしているのだから。
 家に着いて開けてみると、中身は空色のハンカチだった。
 
 少し欠けた月を見上げ、青年は溜め息をついた。二十歳に満たないというのに、彼の雰囲気はそこいらにいる大人達よりも大人びて見える。アッシュブロンドの髪に同系色の水色の瞳。黒に近い、見た目よりも動き易いスーツに身を包んだ青年は、自然な動作で振り返った。
 その青年の周囲に転がっているのは人間の身体の破片だ。
「思ったよりも早かったな。間に合ったか……」
 青年が小さく呟く。
 その視線の先には、青年と同じスーツに身を包んだ少女が降り立っていた。周囲に風が広がり、高いところから着地するように全身のバネを使って衝撃を吸収し、少女が立ち上がる。
「……御苦労だった、リゼ」
 青年が少女に労いの言葉をかけ、微笑む。
「い、いえ、ダスク様……」
 その青年の微笑に一瞬頬を紅潮させ、リゼ・アルフィサスは微笑み返した。
「どうやら間に合ったみたいで良かった」
 青年、ダスク・グラヴェイトは歩み寄って来るリゼに対し、自らも進み出た。
「危ないところでした」
「それで、どうなったんだ?」
「はい、第二特機隊の三名が戦死し、ヤザキ・シュウが覚醒したようです」
 ダスクの質問にリゼははっきりとした、聞き取り易い声で答えた。
「……そうか」
 複雑な表情でダスクは答えた。
 VAN第一特殊機動部隊長、それがダスクの立場だ。しかし、ダスクは一ヶ月前に監視を行ったカソウ・ヒカルの考えにも賛同出来た人間だった。確かに、組織にとって危険な存在ではあるが、ダスクにはヒカルの考えも理解出来たのだ。そして、ヒカルの戦闘能力の高さから、ダスクは彼に手を出さない方が良いのではないかと考えたのだった。そのために、今まで立案されたヒカル、その周囲への攻撃作戦を尽く却下して来た。しかし、いくらダスクの発言力が大きくとも、ダスクの知りえない場所で取り決められた作戦を却下する事は出来ない。今回のヒカルの抹殺作戦は、ダスクが却下出来る、部隊長会議で決定されたものではなかった。
 VANには大きく分けて二つの部署がある。政治や経済面を担当する部署と、実働部隊を担当する部署の二つだ。ダスクは実働部隊を担当する側におり、こちらはいわゆる軍事面での部署である。今まで、ヒカルは軍事面での重要視がなされていたために、ダスクが抑える事が出来たが、今回は政治側が動いた。丁度ダスクが任務を受けていたために、それに対しての異議を唱える事も出来なかったのだ。
 急遽、その情報を得たダスクは最も信頼のおける部下をその場へ向かわせた。戦闘を中断させるためだ。
「これで上が躊躇ってくれれば良いが……」
 溜め息混じりにダスクは呟いた。
 ダスクとしては、ヒカルを応援してやりたかった。VANを敵視したのであれば、ダスクはそうは思わなかったが、ヒカルはVANに敵対も味方にもならない道を選んだのだ。
「ところで、何故私を?」
 手遅れにならぬよう、急いで向かわせたために、何故リゼを向かわせたか説明していなかったのだ。
「ん? ああ、部隊長の俺が任務を部下に任せて動くわけにもいかなかったからな。それに、リゼならば信頼出来る」
「――!」
 一瞬、リゼの頬が赤く染まるが、ダスクは表情を真剣なものに変えて続けた。
「仮に、クライクスと戦闘になったとしても、リゼの能力ならば対抗出来る」
 クライクスと実際に戦った事はないため、ダスクはクライクスの能力がどの程度まで自由が利くのか分からない。しかし、力場を封じる空間を形成する事が出来るという噂は聞いていた。
 もし、クライクスと戦闘する事になれば、最も厄介なのが力場を封じる空間だ。その中で戦闘するとなると、ほとんどの能力者が無力化されてしまう。だが、ダスクの考えが正しければ、リゼの能力はそれにある程度は抵抗出来るものだ。
 衝撃生成能力、それがリゼの持つ具現力だ。特殊型に分類されるこの能力は、文字通り衝撃を生み出す。力場内部に圧力を発生させ、衝撃波を放つ事が出来るのだ。だが、この能力は力場で包んだ空間の中に衝撃波を走らせるという能力ではなく、力場で包んだ空間から、任意に衝撃波を飛ばす能力なのだ。つまり、力場を対象まで延ばさなくとも、攻撃が可能なのである。無論、力場の内部に対象をおいた方が攻撃能力は高くなるが、そうでなくともこの能力は強力だった。
 そして、その特性から、力場を封じられてしまう空間の外からならば、クライクスに攻撃が可能だとダスクは考えたのだ。
「飛行能力もあるからな」
「この能力で飛ぶのはあまり好きではありませんが……」
 ダスクの言葉に、リゼは苦笑を浮かべる。
 リゼの持つ衝撃生成能力は、衝撃で自らの身体を弾く事で飛行する事が出来る。その場に滞空する事は出来ないが、衝撃を強くすれば高速で空中を移動出来るのだ。無論、この能力は飛行時だけでなく、走る時にも使う事が出来、その加速力はかなりのものだ。能力者自身は防護膜により、衝撃の影響は受けないため、飛行や加速でダメージを受ける事はない。
 しかし、リゼはこの能力で長時間飛行するのはあまり好きではないようだった。
「そう言うな、有用なんだ」
 ダスクは小さく笑んで、周囲を見回した。
 足元にあった腕をダスクは手をかざし、具現力を使って消滅させた。
 ダスクの持つ能力は、特殊型の重力制御能力だ。力場で包んだ空間内部の重力を掌握し、操る事が出来る。力場を境として重力を変更した効果は失われるが、力場内部にブラックホールを作り出す事も可能な強力な能力だ。この重力制御により、ダスクは自らの身体にかかる重力を軽減し、進行方向から重力で引っ張る事で爆発的に移動速度を早める事が出来る。また、逆に対象の移動速度を遅くする事も出来、力場を広く展開すれば内部の動きを重力制御で制限する事も出来るのだ。
「……これからどうするつもりですか?」
 リゼの問いに、ダスクは一瞬思案を廻らせた。
 今回の任務の後の予定は、今のところない。
「そうだな、次の任務の連絡もないからな……」
 本部で下される任務は、その時本部にいる部隊の中から、その任務に見合う実力を持つ部隊が請け負う。しかし、任務の内容によっては特定の部隊が選出される事があり、特殊部隊の任務は多くがそういった類のものだ。
「そういえば、ロウとギュールが動く作戦があったな……」
 思い出し、ダスクは顔をしかめた。
 近々、日本にあるVANへの障害になっている民間組織の中枢人物を排除するという計画が上がっていた。ROVと名乗っているその組織には、自然型四大最強種の能力者が揃っており、それぞれがかなりの戦闘能力を有している。
 第五位以上の部隊を上位部隊と呼ぶが、その上位部隊二つが同じ作戦のために動くというのは、非常に珍しい事だ。だが、ROVのリーダー、ハクライ・ジンと一度戦った事のあるダスクには、それも当然の事に思えた。ジンの戦闘能力は極めて高く、特殊部隊長並の力を有している。それを相手にするには、上位部隊を投入して包囲するのが妥当だ。
 だが、ダスクにはそれでも十分なのかどうか不安に思えた。何せ、ジンはVAN最高位の部隊である第零特殊突撃部隊長シェイドと戦って、引き分けた事があると言われているのだ。第零特殊部隊は、表向きでは存在しない事になっているが、第零特殊突撃部隊だけは、その存在が知られていた。シェイドがVAN総帥に鍛えられたという事もあるが、何よりもその戦闘能力が桁外れに高く、次期総帥候補に挙げられているためだ。
「……リゼ、お前から見て、ヒカルはどう思う?」
 ダスクはリゼに尋ねた。
 他の者から見て、ヒカルはどう見えるのだろうか、知りたかった。全員が同じ返答をするとは限らないが、それでも自分以外の人間に聞く事は参考にはなる。
「はい、ええと……正直、驚きました」
「驚いた?」
「ええ、普通なら、あの状況であんな眼は出来ません」
 リゼは言った。
 通常の能力者ならば、追い詰められれば追い詰められる程に、自らが相手に勝てない事を知るものだ。それは、努力では絶対に埋められない差があるためだ。能力には様々なものがあるが、それらには得手不得手があり、組み合わせによっては明らかに勝敗が判ってしまうものもある。特に、クライクスの力場を封じる空間に対しては、ほとんどの能力者が勝利を絶望的に思う事だろう。
 だが、そんな絶望的な状況になっても諦めないという意志を持てるものは、実際のところ少ないのだ。真に追い詰められた時、諦めを抱かない者の精神力は、計り知れない。
「そうか、ヒカルは強いか…」
「はい、能力を抜きにしても、脅威だと思うのが頷けます」
 ダスクの言葉に、リゼが頷く。
(……どうしたものかな…)
 あまりに組織にマイナスになるような事はダスクも望んではいない。しかし、その動向が気になってしまう。
「……暫く予定は空いているしな……」
 もう一度溜め息をつき、ダスクは呟いた。
 緊急の任務が回されない限り、ダスクは今後の予定がない。その間、どう動くかは自由だが、それもある程度の隠密行動をしなければならないのだ。
「……あの、もし宜しければ私と食事にでも……」
「ん? そうだな、たまにはそういうのもいいかもしれないな」
 小さく呟いたリゼの言葉に、ダスクは答えた。
「ほ、本当ですか!」
 その返答を聞いたリゼの表情に笑みが浮かぶ。
「俺が嘘を言った事があるか?」
 微笑んで言うと、リゼが顔を赤くした。
 それを尻目に周囲を見回したダスクは周辺にあった戦闘の後が片付けられている事を確認した。ダスクの部下達が後始末をしたのだ。VANはまだ表舞台にその存在を知られるわけにはいかないのだ。
「隊長、処理が終了しました」
 周囲にいた部下の一人が駆け寄り、ダスクに告げた。
「解った。合流地点に向かってくれ。別方向に向かった者達も向かっている頃だろう」
「了解しました」
 部下が、付近にいた仲間にダスクの指示を告げ、その場から動き始めた。
 それを確認してから、ダスクはリゼに視線を向け、告げる。
「よし、俺達も行くぞ」
「はい!」
 リゼの返事を聞き、ダスクはこの作戦で別方向に向かった部下達との合流地点へと向かった。
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