第五章 「変化」


 雨の降り止まない空が窓から見えていた。日光を遮り、辺りを暗くしている曇らせている雲の切れ間は、ここからでは見えない。
 そんな外の景色を時折見ながら、光は帰り支度をしていた。
 修は今日から登校しているが、あまり光に話し掛けようとはしていない。昨日の事もある。気を遣っているのだと、光は直ぐに察したが、何も言わなかった。
 受け入れた事とはいえ、流石に翌日は気にしてしまう。
 昨日、美咲が殺された事は、朝のホームルームの時に担任から聞かされていた。それに、授業も短縮され、放課後に急遽全校集会が開かれて全校で黙祷を捧げたのだ。
 その時の説明では、美咲は通り魔に殺された事にされた。一週間ほど前、いや、今では二週間ぐらい前になるが、同じような通り魔が出現した事があった。それに似た状況から、模倣犯という線が出ているとの事だ。表向きは。
 だが、光はそれがVANの攻撃であった事を知っていた。そして、今回の事もVANの襲撃である事を、知っている。それらの事件が能力者の仕業だと公表出来ない理由も。
 それに関して光は怒りを覚えたりはしない。当然の事だと認識しているし、それで能力者の存在が公表されてしまえば、VANではない、一般に紛れて生活している能力者の立場が危うくなるからだ。
「火蒼 光という奴はいるかっ!」
 教室のドアを荒々しく開け、一人の男子が入って来た。
「……?」
 相当怒っている様子だが、光には状況が飲み込めなかった。
 男は別のクラスにいる男子だろう。学年の違う人間がやってくるという事はほとんどないし、同じクラスにいる男子仲間達が近寄って行く事からも同学年だと推測出来た。
 手には掃除用具の箒が握られている。
「おい、本気でやる気か!」
 その男子の腕を掴んで、別の男子が言った。
「当たり前だ、僕は彼女が好きだったんだぞ!」
「止めろって! そんな事したって無駄だぞ!」
 止めようとしているのは友人なのだろう。その制止を振り切って、男子生徒が教室内に入り込んできた。
 それに教室内が注目するのが判った。
 光に用のある人間は、同じ委員会の人間でない限りいないと言っても過言ではない。そのためか、光が委員会以外の事で誰かに関わるのを珍しさで注目されるのだ。
「……美咲さんが死んだな」
 その射抜くように恨みの込められた視線を、光は何の返事もせずに見返した。
(……弱いな)
 その視線を見て、漠然とそう思った。
 命の遣り取りすらした事のある光には、その視線は薄過ぎた。刃の、あの視線は恐らく誰にも真似出来まい。目の前にいる男子の視線は、光を威圧する効果はなかった。
 何も知らずに過ごしている人間からすれば、その視線には気迫が感じられる事だろう。しかし、光はその視線に気迫を感じられなかった。本物の気迫や殺気は、数段高い場所にある。
「お前、付き合ってたんだろ?」
 その問いに、一つ頷き、光は反応を待った。
 そこで理解した。
 この男子生徒は、美咲が好きだったのだ。そして、美咲と光が付き合っていた事も知っていた。今朝のホームルームで美咲が殺された事を知って、光に対して怒りをぶつけようと言うのだろう。周りの友人が止めようとしたのがその証拠だ。
「何故通り魔から美咲さんを守らなかった!」
 言い、その見知らぬ男子生徒が箒を振り上げた。
 その言葉に、光は怒りを覚えた。目の前にいる男子生徒が能力者の存在を知らずに生きている人間だと言う事は、解っている。それでも、その何も知らないからこその言葉が、頭に来た。光がどれだけ苦悩したか、彼は知らない。
 思わず条件反射になりつつある具現力の解放をしないよう、感情を押さえ、力の発現を抑制しながらも、光は一歩前に進み出た。具現力を使ってしまえば、その時点で光の人生は狂ってしまうだろう。
 視界が一瞬ブレた。
 振り下ろされる箒を伸ばした左腕でいなし、握り締めた拳を目の前で驚愕の表情を浮かべる男子の頬へと減り込ませた。
 殴り飛ばされた生徒はそのまま箒を手放して派手に転んだ。
 周囲の生徒達が、驚いた様子で転倒した男子と光を交互に見ていた。殴られた男子に、数人の男子が駆け寄って行く。どうやら口の中を切ったらしく、口の端から血が一筋伝っていた。
 友人達に支えられ、上半身を何とか起こした生徒に向けて、光は口を開いた。その時の視線には、明らかにその男子を超えるだけの気迫が込められていただろう。
「……何も知らない奴が偉そうな事を言うな!」
 光自身、ほとんど出さない大声を出し、用意の済んだバッグを掴んでその場に背を向けた。
 静まり返った教室の中にいた誰もが、そんな光に驚愕の視線を向けていた。その中には、霞も含まれていた。
 当然の事だろうと、光は思った。普段物静かな、ほとんど他人と会話もしないような人間が、反撃して相手を殴り倒した上に大声を張り上げたのだ。
 相手の心情が解らないわけではない。それだけ美咲が好きだったという事なのだ。しかし、光は相手の心情を受け止められるほど心は広くなかった。
「……光」
「何だ?」
 後から教室を出てきた修の呼び掛けに、光は答えた。
 修だけは光の内心を察しているのだろう。驚いた様子はなかった。
「お前、気付いてたか?」
「…?」
 不思議そうな顔をする光に、修は周りを見回して人のいない事を確認してから口を開いた。
「今の反撃の時の動き、お前の身体能力超えてたぞ?」
「え、嘘っ!」
 修の言葉に、光は驚いた。
 光自身はただ普通に殴っただけだったが、確かに考えてみれば光の腕力であれほど派手に人を殴り倒せるだろうか。箒を防いだのもそうだ。よっぽどタイミングが良くなければ、光は腕に痛みを感じていたはずだ。しかし、左腕に痛みは全くなく、完璧なタイミングで箒を防いでいた事が判る。
「でも、力は使ってないぞ?」
 驚きながらも、光は殴った時に自分の手が防護膜に包まれていなかった事を思い出していた。
 もし、防護膜に包まれていたら、下手をすればあの男子は頭を吹き飛ばされていただろう。光の力ならば、それだけの威力があるのだ。しかし、そうならなかった事からも、具現力を使っていない事が判る。
「そうは言っても、あれだけの動きは普通の人には難しいぞ?」
 相当格闘に慣れていない限りは、と修が言った。
「……待てよ、あの時、一瞬視界がブレたように感じたから……」
 光は、一歩歩み出た時に視界がブレたのを思い出した。
 あの瞬間、一瞬だが全身に力が入ったように感じた。
「虹彩の変色はないし、防護膜もない。それでも力は使えるって事かな?」
「可能性はあるな。ただ、本来の力は使えないだろうけど」
 修の推測に、光は頷いた。
 精神状態に関係のある具現力ならば、一時的に身体能力を高める事も可能なのかもしれない。防護膜が生じていなかった事から、恐らくは力場を生じさせる事は出来ないだろう。防護膜のない状態の身体能力だけを、高めるといったところが妥当だ。しかし、防護膜がない事で、その身体能力の上昇には限界が生じるはずだ。能力者の持つ様々な具現力の影響を持ち主が受けぬように遮断したり、本来ならば風の抵抗等で危険な行動も出来るように身を守るものがないのだ。それで身体能力を高め過ぎれば、自身の身体が持たないだろう。
「まぁ、能力者相手にはちゃんと力使わないと駄目だと思うけど」
「そりゃあな」
 光の一言に、修が苦笑した。
 具現力の本来の力が使えないのでは、それを使用してくる相手には勝てないだろう。
 昇降口で靴を履き替え、光は学校の敷地から出た。
「ところで、葬儀には行くんだろ?」
 美咲の葬儀は週末に執り行われる事になっていた。
 学校側の担任等が出席する関係もあって、学校には連絡されていた。仲の良かった友人達も参列するはずだ。そのためにも連絡されていたのだ。
「……止めとくよ」
「駄目だ、行って来い」
 光の返答に、修は告げた。
 人の多い場所に行くのは、光は余り好きではない。それに、息苦しい場所にも行きたくはなかった。
 無論、美咲の葬儀という場が光の心を刺す部分は大きい。周囲の視線だけでなく、真相を知っているからこそ感じる、責任感がある。
「俺に葬儀に行く権利はないよ」
 美咲が死ぬ原因を作った者が、そこへ行く資格はないだろうと、光は思う。
「権利はなくとも義務はある。お前は行くべきだ」
 だが、修は言った。
 美咲の彼氏であった人間として、何も知らない一人の人間として行けと、修は言っているのだ。
「……解った。行ってくるよ、通夜だけな」
 溜め息をつき、苦笑を浮かべて光は言った。葬儀全てに参加するつもりはなかった。恐らく、光はその場の雰囲気や、自責の念に、最後まで耐える事は出来ないだろう。
「それが礼儀だ」
 頷きながら修が言う。
「それはそうと、荷物を置いたらいつもの場所でいいよな?」
「ん、おっけー」
 光の言葉に、修が頷いた。
 いつもの場所とは、光と修が待ち合わせに良く使う河原だ。
 光の具現力の訓練だけではなく、修の具現力の練習も兼ねていた。能力に慣れるには、実際に使ってみる以外に方法はない。
 特に、光のようなタイプの具現力は扱い易いが、修のようなものは慣れが必要になってくるものだ。自分の具現力に出来る限界と、どこまで応用で効果が出せるのか知っておかなければ、宝の持ち腐れになってしまう。それに、実際に戦闘になった時にも、どれだけの事が出来るのか知っていなければ不利になる。
 光としては、力場破壊能力を自力で使えるようになりたかった。光の持つ具現力の、最も特殊な特性である、力場破壊能力。それが使えるようにならなければ、これから先、もっと戦闘能力の高いエージェントが現れた時に、不利になってしまう。
 オーバー・ロードだけに頼っていては、力場破壊の力は使えない。昨日、刃との戦いで気付いた事だ。確かに、オーバー・ロードは能力を拡張し、力場破壊能力を前面に出せるようにするには適しているし、攻撃能力も格段に上がる。しかし、それだけでは駄目なのだ。通常の状態で力場破壊が使えなければ、オーバー・ロードが出来ない状況で戦う時に不利になるのだ。
 もっとも、修自身の身体に具現力を慣れさせるというのが本来の目的だ。初めのうちは身体が具現力による身体能力の上昇や、力場を扱う事で生じる精神負荷に馴染んでいないため、身体に影響が残るのである。修の吐血もその類のものだ。それを無くすために、能力を身体に馴染ませるためにも、数回能力を使っておかなければならなかった。
「昨日言い忘れてたけど、VANの部隊が二つ動いてるらしい」
「この周辺で、か?」
 光の言葉に修が訊き返す。他に情報源はあるらしいが、この情報はどうやら初耳らしい。
「先輩から聞いたんだけどさ、第五・第四機動部隊が近々この周辺で行動を起こすらしい」
 昨日は美咲が死んでしまい、今日は修が気を遣って学校では余り会話をしなかったため、言いそびれていたのだ。
「第五・第四機動部隊か……」
 修は考え込むように復唱した。
 警察やら防衛庁やらからも情報が得られるようになったとはいえ、実際にVANにも接触している聖一の情報は早いようだ。もっとも、そうでなければ中立の立場を保ててはいないだろう。ある程度有用でなければその立場を確約出来ないだろうからだ。
「刃にも情報が行ってるらしい」
「なら、俺らを狙ったって訳じゃないかもしれないな」
 光と同じ推測を口にした修に、光は頷く。
「警察や防衛庁に対する行動かもしれないし、ROV狙いかもしれない」
「もっとも、お前なら二つの部隊を相手にしても平気そうだけど……」
 光の言葉に続けて、修が言った。
「オーバー・ロード状態なら、ぎりぎりってとこだろ」
 苦笑して光は答えた。
 部隊を一つ圧倒した事のあるオーバー・ロード状態の光ならば、二つの部隊を相手にしてもまともに戦えるだろう。もっとも、力場破壊が使えれば、という条件下ではあるが。
「多分、中心的な狙いは俺らじゃないな。含まれているかもしれないけど」
「先輩の口調からは、ROVっぽかったけど」
 昨日聖一から聞いた状況を思い出し、光は言った。
 あの時、聖一は、光も知っておいた方が良い、という言い方で光に告げた。それはつまり、光には影響がない可能性がある事を示しているのだ。それでも告げたのは、影響がある可能性もあるという事だ。
「じゃあ、ROVとか、防衛庁とかって事か……。俺らだけに部隊が仕向けられた事もあるしな」
 修が呟く。
 リゼの話では、クライクスが来た時には既に周辺で部隊が動いていたらしい。その部隊が第五・第四機動部隊であるとすると、クライクス達は個別で光を狙って来たという事になる。それは、第五・第四機動部隊が光達を狙っている訳ではないという証明でもあるのだ。
「前と同じぐらいの規模だとしたら、俺らを狙うには人数が多過ぎるしな」
 光は修に言った。
 光が覚醒した時のいざこざので戦った部隊は結構な数の人員がいた。仮に、それと同等の数がいるとすれば、部隊が二つあるという事で単純計算では二倍の戦力になる。
 光や修を狙ったものであれば、数が多い事はむしろ味方の動きを制限してしまったりする事になるのだ。光や修を倒そうというのであれば、クライクスやダスクと言ったような精鋭を向かわせた方が効率が良いだろう。
 能力者はその具現力の特性によっては、多対多の戦いには向かないものもあるだろうからだ。広範囲に効果が生じるような能力では特に注意が必要となる。少数精鋭で戦った方が効率の良い能力もあるのだ。
 具現力能力者は多数いるからといってその能力を百パーセント発揮出来るとは限らないのである。つまりは、分散して動いたり、計画的な連携等でその部隊としての力を発揮出来るという事だ。
 そう考えれば、数が多いという事はそれだけ狙う相手が大きなものになるという事だ。
 組織である事を考えれば、そうなるだろう。
「ま、念のため能力に慣れといた方が良さそうだな」
 光の言葉に、修は頷いた。
 丁度帰路の分岐点で一度別れ、光は家へと向かった。家で荷物を置くと、直ぐに待ち合わせの場所へと向かった。

 雨の中訓練しなければならないというのは、光には憂鬱な事だった。
 もっとも、雨の中だからといっても具現力を使っていれば濡れる心配はない。しかし、気分的なものとして、雨の中というのは余り好ましくはなかった。
「お待たせ」
 背後からの声に振り向き、そこにいたのが修である事を確認する。
「じゃあ、始めようか」
 言い、光は具現力を解放した。
 視界が一瞬蒼白く染まり、全身の感覚が研ぎ澄まされる。
 修の虹彩が変化した事を確認し、傘を邪魔にならない場所に置いた。雨が防護膜で蒸発させられているのが、感覚として判った。
「家でも数回やってみたけど、結構応用が利くみたいだ」
「みたいだな」
 修の言葉に、光は相槌を打つ。
 新たに付加された空間の特性を破壊したり、空間そのものを破壊するだけでなく、破壊した空間同士を繋げる事も出来るようだ。応用の幅は物凄いものだろう。
 空間そのものを破壊するという事は、そこに存在するありとあらゆるものを破壊出来るという事だ。対象を細切れにするという、実質的な攻撃能力も持ち合わせているのだ。しかも、その能力は前触れもなく生じるタイプのものだ。よっぽどの者でない限り、避ける事は出来ないはずだ。
 無論、防御能力としても一級品だろう。敵の攻撃に対して、その攻撃が命中する前に通過する空間を破壊し、別の場所と繋げれば、その攻撃はそのままこちらの攻撃として利用する事が可能だ。自分自身の瞬間的な移動が可能な事を考えれば、防御や回避能力はトップクラスのものだろう。
 間違いなく最強種に数えられる能力と言えた。
「じゃあ、こいつを半分に」
 光は足元の石を拾い、空中に放り投げた。
 瞬間、空中にある石の進行方向に力場が生じるのを、光は感じた。そこに石が触れた瞬間、石が真っ二つに割れた。
 落下して来た石を、光が横合いから拾い上げる。
「やっぱり、俺には力場が判るみたいだな」
 改めて確認し、光は呟いた。
「修は出来るか?」
 光弾を掌の上に作り出し、光は尋ねた。
「いや、そこに光弾がある事ぐらいしか分からないな」
 首を横に振り、修が答える。
 前々から予想はしていたが、どうやらこれは確実なようだった。
 光には、全ての攻撃を先読みする事が出来る。
 力場破壊という、効果の対象が力場であるが故に、その力場を感知する事が出来るのだろう。普段はその能力を使う事は出来ないが、力場を感知するという点だけでいえば、普通に能力を使っていても見えるようだ。
 閃光型でもない限り、具現力は力場で包まれた空間の内部に作用する。つまりは、力場が感知出来るというのは、どこに敵が攻撃をして来るのかを一瞬早く察知出来るという事だ。
 多数の能力者を相手にして、まともに戦えるのはこれが理由だろう。どの能力者を相手にしても、それが閃光型能力者であっても、力場の存在が判るのだ。それは恐らく、かなり強力な力だ。
 力場破壊能力だけを見れば、それを使って能力者を倒す事は出来ないように思える。しかし、敵の攻撃を全て無効化出来るという事を考えれば、完璧な防御能力だろう。力場の場所が判るのであれば、回避する事も容易いはずだ。
(……それでも、負けたんだよな)
 刃との戦いを思い出し、光はまだ捕まえていた石を捨てた。
 力場破壊能力を使えたら、刃に勝てただろうか。恐らく、互角には戦えたと思う。しかし、最終的には刃の意思に負けただろうとも、光は思った。
「なら、これを投げるから、受け流してみてくれ」
 光は言い、光弾を投げた。
 万が一の事を考えて、修に当たらないように投げていたが、その進行方向に、円形に力場が生じるのを感じた直後、光弾は消滅した。修を中心に左右対称の位置に既に出現していた力場から光弾が吐き出されるようにして飛び出すのを見て、光はその光弾を消した。
 基本的に具現力は持ち主の意思で力場を制御している。つまり、必要ないと判断された時、力場は消失し、能力としての効果を失うのだ。戦闘中は余り意識していないが、敵に避けられた攻撃はその直後に消滅しているのだ。そうする事で、能力者自身の精神力の消耗を抑えているのである。
「そうそう、空間をずらしたりも出来るみたいだ」
「ずらす?」
「対象のいる空間を、ちょっとだけずらして動きを封じたり」
 修の説明に、光は感心したように頷いた。
 空間を破壊する応用として、空間と空間に亀裂を生じさせ、その中に対象を置く事で身動きを取れなくする、といったような事なのだろう。空間を切り離す事でその存在のもたらす影響を全てカットするという事だ。
 恐らくは、力場を立体的に生じさせればその内側の空間を消去したりも出来るだろう。
「疲労はどう?」
「まだ大丈夫そうだ」
「そうか、なら、俺の方も練習させてもらおうかな」
 修の返答に、光は頷いた。
 光としては、力場の存在を感知出来るだけではなく、それを破壊出来るようになりたかった。それがどれだけの効果をもたらすのかは光にはまだ判らないが、前回一度だけその力が使えた時の感覚からすれば、その能力が付加された時の光の能力は絶対的な力を得るだろう。
 全ての具現力の効果を打ち消し、それを貫いて閃光型の能力が使えるのだ。恐らくは、クライクスにも対応出来るのではないだろうか。
 光は戦いたいわけではないが、戦闘になった時に確実に生き残る事が出来るだけの力は欲しかった。まず自分の身を守れねば、周囲に気を回す事は出来ないからだ。
 光は足元の砂利を一握り掴み、落下地点が修となるように空中へ放り投げた。
 防御のために展開する修の力場に、光は意識を向けた。その力場を破壊したいと、強く念じる。しかし、効果はなく、修が石を全て地面すれすれに移動させて終わった。
(……どうすりゃいいんだ?)
 今までは念じれば能力が使えた。
 しかし、それは閃光型としての能力であって、力場破壊としての能力ではなかったのだ。閃光型の能力を使う時の光は、攻撃したいと思っているから、それに応じた攻撃能力の高い閃光型具現力が使えているのだ。
 だが、完全に攻撃能力ではない力場破壊能力を使うためには、攻撃の意思では駄目なのだという事は、光にも察しがついていた。力場破壊能力で攻撃は出来ないのだ。攻撃の意思に準じている具現力の方が優勢なのだろう。
 力場破壊が使えたのは、光がオーバー・ロード状態となって、具現力が拡張された時のみだ。その時の感覚は、通常のものとは絶対的な違いがある。恐らくは、強い自己防衛の意識が力場破壊能力を付加させていたのだ。
「まだ、俺には無理かな……?」
 力場破壊を使うには、経験が足りないのかもしれない。
 普段から具現力を使うような生活を送っていない光達には、具現力そのものの情報が乏しい。その能力がどれだけの事が出来るのか、という情報は自分達で見い出さなければならないのだ。
 修はまだ覚醒したばかりで、能力を酷使させる訳にはいかない。毎日少しずつ具現力を使い、身体に馴染ませなければ、実戦に耐えられないだろう。
「そんなに焦る必要はないだろ。お前は元々強いし」
「まぁ、そうなんだけどさ」
 修の言葉に、光は苦笑した。
 力場が察知出来るだけでも、光は十分助かっているのだ。それがあるだけでも、光は十分に戦闘能力を高められているのだ。
「修はまだあまり使わない方がいい。そろそろ止めよう」
「ん、そだな」
 光の言葉に、修は同意した。
 光が傘を取りに行っている間に、修は自分の傘のある地面すれすれの空間を壊し、自分の手に傘の柄を移動させていた。それも練習のうちなのだろう。
 修の扱える力場は、具現力に慣れるにつれて規模が大きくなっていく事だろう。しかし、現時点であまり大きな力場を作らせて精神負荷を増やしてはまずい。慣れていないうちは、身体に掛かる負担も想像以上に大きいのだ。
 修の話によれば、身体能力はあまり向上しない能力らしい。その分知覚能力が向上しているという事だが、そうなると、重要なのは精神力だ。修の能力は精神力への負荷が大きい能力という事になる。
 無論、それを言えば光の具現力も精神的な負荷は大きいが、十分具現力に慣れた光は、オーバー・ロード状態で戦わない限り、身体への負荷はあまり感じない。しかし、修の場合はそうもいかないだろう。初めのうちは身体への負荷が大きいはずだ。あまり長時間使わせていたらまた吐血するかもしれない。
「どう?」
「……結構な負荷なんだな」
 能力を閉ざしたのだろう、修がふらついた。
 傘が邪魔で支えてやれないのが残念だったが、かなり短時間だったためか、ふらついただけだった。
「徐々に時間を延ばして行けば良いと思う。俺もそうしたし」
 光は修と並んで帰路につきながら、言った。
 光も覚醒したばかりの頃は自分の部屋に篭って具現力を使って身体を慣らしたのだ。特に、身体能力が大きく向上する光の場合は、身体の反応速度に慣れておかなければならなかった。
「そうだな。俺の場合は結構負荷が大きいみたいだし」
 早めに切り上げたというのに、修には予想以上に負荷がかかっているらしい。本来の想定では、疲労はほとんどなく、能力を閉ざした時にふらつく程度、というものだった。
 しかし、疲労が少し残ったらしい。かなり強力な能力だが、それだけに扱いが難しいという事なのだろう。
「じゃあ、また明日な」
「おう」
 修と別れ、光は家へと向かう道へ逸れた。


 雨の中、美咲の通夜が行われていた。担任の教師やクラスメイト達が参列していた。
 光はその中に紛れ、参列していた。
 多くの人が涙を流し、そうでない人でも悲しそうな表情をしていた。
 美咲は多くの人に好かれていたのだろうと、光は再認識した。その中で、光は肩身の狭い思いをしていた。
 静かに焼香をあげ、光はそっと通夜を後にした。
 美咲の家から離れ、途中の自動販売機で缶ジュースを購入して、いつもの河原に光は立っていた。
「……やっぱり、ここにいたのね」
 背後から聞こえた声に光は振り返った。
 そこには光の予想通り、傘を差した霞が立っていた。ゆっくりと斜面を下り、光へと歩み寄って来る。
 霞は美咲の通夜に参列していた。光の後ろの方に並んでいたのを、光は知っていた。それに、帰り掛けに一度擦れ違ってもいたのだ。
「……安心して、あなたを責める気はないわ」
 無言のままの光に、霞は言った。
 それにも返答をせず、光は視線を河川へと戻した。この数日の雨で川は少し増水している。
「あの後、私達はVANを見つける事は出来なかった」
 霞が言う。
 当然だと、光は思った。光と刃が戦った事で、周囲に潜むVANにはその存在を察知されただろうからだ。そして、実際に刃と戦った光には、VANがその場から撤退したであろう理由がはっきりと判る。それは、刃の戦闘能力の高さだ。
 危険視されている光でさえ軽くあしらえる刃の戦闘能力は、通常の能力者ではまともに戦って勝てるはずがない。部隊長、それもかなり戦闘能力の高い人間でなければ、刃に本気を出させる事すら出来ないだろう。そんな能力者を相手にするには、奇襲を仕掛けるのが手っ取り早い方法だ。
 だが、刃がVANを探すという行動をしている時に奇襲を仕掛けるのは至難の業だ。周囲に注意を払っていない隙を狙わねば、奇襲の効果は薄い。
「……恐らく、数日中にはVANもROVも動く事になるわ」
「……だろうね」
 ようやく、光は言葉を返した。
 既に、周囲にVANの部隊が潜んでいる事は判っているのだ。そして、ROVはその事に気付いている。いつまでもそのまま潜んでいるというのも時間の無駄である事は、VANも判っているはずだ。となれば、VANは近いうちに行動を起こすだろう。
「……けど、そんな事言いに来たんじゃないんだろ?」
 言い、光は霞を振り返った。
 少し間を置いて、霞は小さく頷いた。だが、それだけで霞は口を開かずに俯いた。
 光には、霞が喋るのを躊躇っているように感じられた。
 恐らく、それが美咲の話題だからだろう。美咲の死に責任を感じている光に対して、その話題を出す事を躊躇っているのだ。
「美咲が殺されたのは俺のせいだ」
 光は告げた。
 その言葉に霞が顔を上げる。その表情に、少しだが驚きが混じっているのを光は見逃さなかった。
「……ええ、そうね」
 少し沈黙してから、様々な感情の入り混じった表情を浮かべて、霞は言った。
 言葉が途切れ、重い空気がその場を満たす。
 美咲は霞にとっては唯一とも言える友人だったのだ。その美咲が死ぬ状況を作り出してしまった光に対して、霞は複雑な心境なのだろう。
(……引き摺ってるな…)
 光は小さく苦笑を浮かべた。
 過去に関してあれこれ考えるのは時間の無駄だ。もしも、を考えていても、事実を変える事など出来ないのだ。それならば、過去を教訓に歩き続ける方が良い。
 ――全てが思い通りに行く事なんてない。
 光がまだ幼い時に事故で死んでしまった父の言葉。それには続きがある。
 ――だから、少しでも近付けようとするんだ。
 その言葉を、光は噛み締める。
 今回は思い通りに行かない事に、近付ける事すら出来なかったのだ。
 美咲の死を引き摺っているのは事実だ。実際に光は落ち込んでいるのだから。だが、それでも光は立ち止まってはいないと思う。引き摺って、歩みが遅くなっていたとしても、前に進んでいるはずだ。
「とりあえず、俺はこのまま暮らすよ」
「いいの……?」
「今のままだと刃に殺されるからな」
 冗談めかして光は答えた。
 復讐のために戦う事はしない。それが光の最初の理念だったはずだ。それを変えてしまえば、光は自分の望む生活を自ら捨てる事にもなりかねないのだ。
 VANを責める事も、美咲を責める事も出来ない光は、自分を責めるしかない。だが、自分を責めても何も変わるわけではないのだ。そうやって自らを追い詰めても時間の無駄でしかない。
 落ち着きを取り戻しつつあるのなら、今まで通りに生きるべきだと、光は思った。
 自分の身の危険を顧みずに光に告白した美咲の意志を無駄にするわけにもいかないのだ。美咲は、今の考えの光を好いてくれていたのだから。
「……少しだけ、聞いてくれる?」
 霞の言葉に、光は頷いた。
「美咲は私の唯一の友人だった。突き放しても、何度も話し掛けて来る美咲に一度だけ、何で私に話し掛けるのか訊いた事があるの」
 霞が光の横に並ぶように歩み出る。
 それに振り返る事はせず、背中合わせになるような並び方のまま、光は黙って話を聞いていた。
「――寂しそうに見える。美咲はそう答えたわ」
 霞の言葉に、光は美咲との会話を思い出していた。
 美咲の言葉は正しかったのだろう。
「放っておいてと言ったのに、しつこく話し掛けて来る美咲に、それから私は相槌だけするようになったわ。突き放しても、無視しても、美咲は変わらない態度で話し掛けて来たから、私はそうする事で美咲を避けようとしていた。でも、いつの間にか、美咲と会話するようになっていた」
 霞が光を振り返った。
「美咲がいなくなって、私は、悲しいと、寂しいと感じてる」
 その目から、一粒の水滴が頬を伝うのを、光は見た。
 変わらない無表情に涙が流れ、一瞬だけ、そこに悲しみと寂しさの感情が浮かぶ。
「……私は、VANを許さない。必ず美咲の仇を討つ」
 そう告げて、霞は涙を拭った。
 そして、その表情を隠すように顔を川へと背けた。
「……御免なさい。ただ、私がこの感情を打ち明けたかっただけね……」
「いや、いいよ。それだけ、美咲を大切に思えてたって事だろ?」
 謝った霞に、光は答えた。
 美咲を殺されたばかりの光のように、抑え切れない感情を霞も抱いていたという事だろう。ただ、それが光のように攻撃的に周囲に向けられなかっただけの違いだ。霞は押し殺していた感情を、誰かに打ち明ける事で感情を安定させようとしているのだろう。
 だが、霞が能力者である事を知っている人間でなければ、打ち明ける事は出来ない。そのため、霞は光にそれを打ち明けたのだろう。
 しかし、それは同時に光に罪悪感を感じさせていた。それほど霞にとって重要だった美咲が殺されてしまった状況を作り出したのは光なのだ。
 それでも、その思いを押し殺し、光は顔を背けた霞に視線を向けていた。
「誰だって一人で大きな感情を抱え込んだままってのは難しいからな」
 呟き、光も川へと身体を向けた。
 もう残り少ない缶ジュースを一口飲み、光は溜め息をついた。
「――ねぇ、美咲とはどうだったの……?」
「え……?」
 霞の唐突な問いに、光は驚きの表情を向けた。
「……美咲の事、どう思ってたの?」
 いつにも増して真剣な表情で問い掛ける霞に、光は一度視線を逸らす。
 一呼吸置いて視線を霞に戻し、光は口を開いた。
「……悪い気はしなかった。けれど、正直なところ、俺は美咲を好いてやれるまでにはなれなかった」
 答えた言葉に、光の手の中にある缶が小さく音を立てた。
「あの時、俺は泣いてやれなかったんだ……」
 光は頬を涙が流れるのを感じた。
 それは美咲に向けられた涙ではない。光が、自分自身へ向けたものだ。美咲に応えられなかった光自身へ向けられた悔し涙だった。
「美咲は、俺を信じてくれたのに」
 光の奥歯が鳴った。
 自信を持って恋人と呼べるほど美咲を好きになれなかったからこそ、光は美咲の周囲の警戒に頭が回らなかったとも言える。
 人の好みはそれぞれで仕方がない事だと割り切るには、美咲は光に踏み込み過ぎていた。光は美咲を守ると、声には出さなかったが一度誓っていたのだ。
「……ごめん。俺は美咲に応えられなかった」
 涙を拭い、光は言った。
「……そう…」
 霞は小さく一言だけ、答えた。
「……私と、同じね……」
 呟き、俯いた霞の言葉を聞きながら光は缶を煽って飲み干した。
 能力者である光と付き合う事を霞は危惧したのだろう。VANに狙われる危険性の高い、光の親密者になる事を、霞の口からは言えなかったに違いない。それは、霞自身も能力者に関わりがある事を美咲に暴露してしまう事になる。何も知らない美咲の友人としては、霞はそれに肯定的に答える以外に手段はないのだ。そのせいで友の恋愛の成就を素直に喜べなかったのだろう。
 光は川に背を向け、歩き出した。
「……そうだ、霞、この前は傘、ありがとな」
「……私達の存在も表の世界には出せないから」
 一度だけ、振り返って告げた言葉に、霞は光に背を向けたまま答えた。
 VANと同じで、まだ能力者というものの存在は表に出すには危険過ぎる。それは光も考えた事だ。
「じゃあ、俺は先に帰るよ」
 言い、光は帰路に着いた。
 霞は振り返りも、声を掛ける事もしなかった。光が霞の気配が分からなくなるまで、霞はその場から動かなかった。

 少しだけ荒れている川の流れはまるで自身の心情のように思えた。穏やかに見えても、いつもより流れが僅かに速く、少しだけ荒れている。
 光が砂利を踏む音が少しずつ遠ざかって行く。やがて足音は消え、サイクリングロードに辿り着いたであろう光の気配が遠ざかる。
 霞はそれを振り返る事をしなかった。
 光が完全にその場から見えなくなるまで待ち、霞はようやく川に背を向けた。
(……私は、まだ弱いままね……)
 一つだけ溜め息をついて、霞は歩き出す。
 美咲の事を光に話すつもりはなかった。ましてや、涙を見せるつもりも。
 それでも、この河原で光が一人佇んでいるのを見て、話し掛けた時、言わずにおこうと思った事が口をついて出てしまった。
 ならば何を話しに来たのだろうかと思う。光は、VANに関しての話に対して、『そんな事』と言った。それに対して頷いてしまったのは霞だ。
 結果、光の前で涙を流した。人前で涙を見せたのは全てを失ったあの日以来だった。
(……そうね、美咲は大切な友達だった)
 美咲を失ったのは、あの日と同じだけ霞にショックを与えていたのだ。
 また、全てを失ってしまった。
(どうして、いつも、こうなのかしら……)
 自分の周りにあった大切なものを守る事が出来ずに、ただ失ってしまう。気付いた時には既に手遅れで、全ては失われた後なのだ。
 足掻いても、それらが帰って来る訳でも、代わりのものが手に入る訳でもない。
 全てを失ったあの日から、何も進歩してはいない。それが霞の出した結論だった。
 美咲を守る事が出来なかっただけではない。今まで、VANの構成員を何人も倒して来たというのに、勝利して得られるものは何も無かった。それどころか、何かが失われていくような気がしていた。
 表面的な強さで隠しても、まだ内面は弱く、脆い。
 別のクラスだったというのに、美咲はそれに気付いた。ほとんどの同級生は霞の視線で気圧されてしまうというのに、美咲だけは毎日のように話し掛けてくれた。無論、霞が他人を寄せ付けぬようにしていたのだが、もしかすると美咲はそれを見抜いていたのかもしれない。
 光も、霞の弱さを見抜いた。ただ、光が言うには、霞は昔の光に似ているらしい。だとしたら、霞もいつか光のように自分に自信を持てるようになるのだろうか。
(でも、今は……)
 辿り着いた街外れの古びた倉庫の前で霞は一度立ち止まる。
 もう、今では誰も使っていない倉庫で、一、二年程前まではVANの部隊の一時的な隠れ場所となっていたところだが、ROVが奪った場所だ。
 周囲に注意を払い、倉庫の扉を開けて中に入った。中には数人の人影があり、パイプ椅子が適当に並べられていた。
「お、いつもより遅かったな」
 薄暗い倉庫内に明るい声が響いた。
 どこか野性味のある顔立ちに、ざんばら髪に引き締まった身体つきの青年。ROV初期メンバーの一人である焔龍 翔だ。
「ほら、御通夜に行って来たのよ」
 その翔の隣にいた女性が言った。
 程好いショートカットに、活発そうな目付き。翔と同じくROV初期メンバーの一人、氷室 瑞希である。
「あ、そうか。悪い悪い」
 翔が苦笑を浮かべて謝るのを、霞は会釈を一つして流し、離れた席に座った。
「遅いわね、黒金さん」
 呟いたのは金風 楓だった。
 穏和そうな眼をした、長髪の女性だ。彼女もまた、ROV初期メンバーの一人だった。
「いや、遅れてすまんな」
 扉を開けて一人の男が入って来た。彼が楓の言った人物、黒金 和人だ。
 いかつい顔付きの大柄な男だ。だが、その外見に似合わず性格は穏和で家庭的である。今も手には何やら女性向けの菓子の入った紙袋を持っていた。
「……揃ったな」
 今まで眼を閉じていたROVリーダー、白雷 刃が口を開いた。
「VANの部隊が二つ動く」
 その言葉に倉庫内の空気が張り詰める。
 今回、ここに集まったのは主要メンバー四人と霞、和人を入れた六人だ。無論、ROVとしてはまだメンバーはいるが、今回はこの六人だけで動く事になる。他のメンバー達にもそれぞれの立場や都合があり、動く事が出来ない時があるのだ。
 事実上、ROVが先手を取れる状況は少ない。そのため、こういった会議は、確実に戦力となる仲間を確認するためのものとなっている。
「第五、第四機動部隊が俺達を狙ってる」
 そう告げたのは翔だった。
「上位部隊が二つ動くか」
 和人が呟く。
「数は相当いるでしょうから、霞や和人さんには厳しいかもしれないわ」
 瑞希が言った。
「一番まずいのは、一人の時に狙われる場合だ。恐らく、あいつらはそのタイミングを狙って来るぜ?」
 翔の言葉に、全員が頷いた。
 個別に攻撃されれば、初期メンバーであり、自然型四大最強種と言われる具現力を持つ四人はともかく、霞や和人にとってはかなり不利な状況になる。特に、通常型の具現力しか持たない霞には、かなりの負担だ。死ぬ可能性も少なくはない。
「奴等がどうでてくるか、だな……」
 和人が呻くように呟いた。

 廃墟と化し、建物としても半壊した工場の中には二つの影があった。
「全く、何がついでだよ、こっちのが脅威なんじゃねぇのか?」
 黒い、VANのスーツに身を包んだ青年がぼやいた。
 ショートカットの金髪に碧眼の若い青年が歪んだドアを押し開けて入って来ていた。
「またそれか」
 壁の一部が崩落した部屋の中にいたもう一人の青年はうんざりしたように答える。
 入って来た青年より年上の青年は腕を組んで溜め息を着いた。
「アグニア様が脅威と感じてる奴を放っておいて、レジスタンスを潰すなんて、順番逆だろ、普通」
 若い青年は言い、崩れた壁を足でつつく。
 直後、その壁はあっさりと崩落した。外の光景がそこから見える。大きく抉られた工場の敷地が、二人の視界に入る。
「中立らしいからな、下手に手を出すと損だって事だろう」
「だからってよ、ロウ……」
「ギュール、俺達には正式な任務があるんだ。そっちを優先させるべきだろうが」
 ロウ・フェイズは壁を蹴った青年、ギュール・ティクアルに溜め息混じりに告げた。
「それは解ってる。けど、ヴェルゲルの部隊が壊滅させられたんだろ?」
「レジスタンスがその場に現れたそうだ。確かにヴェルゲルはヒカルにやられたようだが、部隊の半数以上はレジスタンスにやられたはずだ」
 ロウはギュールを諭すように告げる。
 第三特務部隊長ヴェルゲル・ヘンディッツはギュールの親友だった。ヒカルへの敵意は高い。無論、戦場では人が死ぬのは当たり前で、友人がいつ命を落としてもおかしくない状況だとしても、友の仇がそこにいれば敵意は向かうだろう。
「それに、いざとなれば特殊部隊が動くだろう」
「でもよ、ダスクが……」
 ギュールが表情を歪めて言う。
「ダスクの考えも正論だぞ?」
 ヒカルに手を出さない、というダスクの考えは、VANにとっては悪くない選択肢でもあるのだ。脅威と感じるほどの戦闘能力を秘めたヒカルを倒すためにはそれなりの戦力を割かねばならず、場合によってはVANも痛手を受ける。それを避けるという意図を含むダスクの考えはVANの組織の事も考慮されているのだ。ただ単に中立だからという感情論ではない。
「俺は反対だ。危険因子は排除しておくべきだ」
 ギュールの言葉は、現在VANの中で大多数を占める意見だ。
 組織として、痛手を受ける前に早めに危険因子を削除しておくのは悪い事ではない。いずれ表舞台へと出るであろう、VANの事を考えれば、危険因子は早いうちに排除しておいた方が良いというのも間違ってはいないのだ。
「それにしても、思ってた以上にレジスタンスの反応は早いな」
 ロウはギュールの意見を無視して呟いた。
「……まぁな、確かに早かった。ヒカルとぶつかってくれなきゃ撤退出来なかっただろうからな」
 話題を逸らされたギュールは仕方なくといった様子で話を合わせる。
 ギュールは先日、ヒカルと親密であろう人物を暗殺した。だが、その後何を思ったのか引き返して来たヒカルが暗殺現場に到着した直後、レジスタンスの主要メンバーが現れたのだ。
 ここでいうレジスタンスはROVを指す。現在でもVANに抵抗する勢力は、一つ一つの規模は小さいが数多く存在している。だがその中で一際VANに対する攻撃が激しいのがここ日本で活動しているROVと自称するグループだ。VANに抵抗する能力者達を着々と集め、微々たるものではあるが勢力を確実に大きくしている。
「戦闘は見たのか?」
「いや、あの時は単独だったからな、気付かれる前に逃げた」
 ギュールが答えた。
 流石に何の考えもなしにレジスタンスの主要メンバーと一人で戦うのは無謀過ぎる。第五機動部隊長であるギュールでも、上位部隊長クラスに匹敵すると言われるレジスタンス主要メンバー四人と正面から戦うのは危険だった。
「問題は、俺達だけで十分なのかって事だな」
「上位部隊長で二人がかりなら勝てるさ」
 ロウの言葉にギュールは即答した。
「用心しておくに越した事はない。あまり過信していると負けるぞ。何せジンは特殊部隊長とも渡り合えるらしいからな」
 注意するような口調でロウは告げる。
 レジスタンスに関しての情報は少なく、特にレジスタンス結成当初の初期メンバーである四人は、自然型四大最強種である具現力を持つ者達なのだ。その戦闘能力に関しては、VAN内部でも『かなり強い』程度しか伝わっていないのだ。
「とりあえず、本題に入ろうぜ」
 ギュールが言い、細めた視線をロウへ向ける。
「そうだな」
 ロウも表情を真剣なものに変え、ギュールに向き合った。
「いつ攻める? そっちの準備は?」
「お前が来る少し前、オボロが来た。その情報を考慮すれば、一週間後ぐらいが良いそうだ」
 ギュールの質問にロウは答えた。
「オボロか……。で、何で一週間後なんだ?」
 オボロ・セイイチ、その具現力の諜報活動に関する応用力の高さ故に情報を流す事で中立の立場を得た能力者だ。
 その情報は正確かつ素早く、VANの部隊が日本で動く時には作戦行動にかなり貢献している。しかし、その一方でセイイチはレジスタンスに対しても情報を流しているのだ。情報を知られた事に、VANが気付けた事は一度もなく、それはむしろセイイチの信頼性を高めてすらいる。
「あいつらも俺達の攻撃に備えて警戒している。だが、その緊張感をいつまでも保っているのは至難の業だからな、少し間を置いてからの方が良いだろう」
「まぁな。で、まさか情報はそれだけか?」
 相槌を打ちつつ、ギュールが問う。
「今のところはな。あいつも中立を保つために顔見せしておいた方が良いと考えたんだろう。もっとも、これだけでもあるのとないのではだいぶ違うぞ?」
 ロウが答えた。
 ROVに関しての情報は、それがたとえ少なくとも欲しい状況にある。相手がVANの出方に警戒しているという情報があるだけでも、ない状況とは全く違う。
 情報がない場合では、警戒しているのか、していないのかは予測しか出来ず、タイミングを見誤る事があるかもしれない。しかし、警戒しているという情報があれば、それに関してのタイミングはある程度は計る事が出来るのだ。
 部隊から偵察を一度出したが、戻って来なかったところを見ると、恐らくはROVに仕留められている。となると、偵察を出しての情報収集は効率が悪く、戦力が減る一方だ。
「一週間後、か……」
 ギュールが溜め息とともに呟いた。

 自分以外の誰かと食事をするのも久しぶりだと思う。一応家はあるが、一戸建てでもない上に一人暮らしで、最近は帰る事もしていない。表向きの家というだけで、実際にはVANが食事や寝る場所は用意してくれているのだ。
「……どうしたんです?」
 向かいの席に座っているリゼが、ダスクの手が止まっている事に首を傾げて尋ねた。
「――ああ、ゆっくり出来るのも久しぶりだと思ってな」
 答え、ダスクは食事を続けた。
「確かにそうですよね。私達に回される仕事は難易度高いですし……」
 リゼが苦笑する。
 特殊部隊に対する仕事は、かなり難しく、また比較的長期間になる事が多い。暇が空く、というのは珍しい事だ。
「……まぁ、仕方がないがな」
 苦笑し、ダスクは視線を横合いへ投げた。
 二人の座るテーブルの脇にはガラスが張られてあり、高層ビルの最上階にあるこのレストランからは夜景が見える。
 その夜景を見下ろし、その中にいる人間達の中に能力者の存在を知る者が何人いるのだろうかと、ダスクは思った。VANの構成員でもない限り、その中に能力者を知る者はいないだろう。特に、VAN本部の影響圏内であるために、それは徹底されているのだ。
「それにしても、凄いところですね、ここ」
 リゼが小さく苦笑を浮かべる。
「たまには贅沢もいいかと思って来てみたけど、確かにな……」
 ダスクも小さく苦笑を浮かべ、リゼに応じた。
 二人は高級レストランといった風情の、窓際の端に座っていた。その二人以外に見られる客は皆裕福そうな者達ばかりでそれなりに着飾っている。無論、ダスクやリゼも相応に仕立ての良いものを着てはいるが、他の客と比べるとかなり大人しい印象を受ける。
「景色は良いんですけどね」
 リゼが言う。
「まぁ、気にしない事だな」
 食事の約束を持ち掛けて来たのはリゼだったが、場所を決めていなかったために、最終的に場所を決めたのはダスクだった。
 明らかに他の客よりも若い二人がその場にいるのは目立つが、服装やマナーが良かったのか、じろじろ見られたりする事はなかった。
(……一週間後、らしいな)
 食事を続けながら、ダスクは頭の隅で思った。
 ROVに対する攻撃は、そこにヒカルやシュウが現れた場合、もしくは同時に狙える場合であれば、そちらも排除対象に含まれるとされていた。
 VANに敵意のあるROVはともかくとしても、ヒカルやシュウも攻撃対象に含めてしまうというのは、ダスクは複雑な心境だった。
 ヒカルには生き延びて欲しいと思うが、その作戦を行う部隊の人達に死んで欲しいとは思わない。結局、ぶつからない事を祈るのみだったが、それでもダスクはヒカルが戦ってしまうのではないかという予感がしていた。
(……上手く収まればいいが)
 ダスクは夜景へと視線を向け、思う。
 今回は、ダスクがヒカルに直接関わる事は出来ない。理想的なのは作戦を実行する部隊とヒカルが接触しない場合だが、それはまず無理だろう。既に、ヒカルの周囲に対して攻撃は行われているのだ。
 実際にダスクが現地に赴く事は出来ても、それで行動を起こしてしまうのはまずい。ただでさえ、ダスクは今部隊内でも意見の衝突を繰り返しているのだ。実際に手を下してしまえば、最悪、部下の立場が危うくなる可能性もある。自分自身の立場はともかくとしても、部下に影響を出してしまうのは、厭だった。
「月、綺麗ですね……」
 不意にリゼが夜空を見上げて呟いた。
 その言葉に、ダスクも視線を夜景から夜空へと移す。
「ああ、そうだな……」
 暗い夜空に、満月が明るく輝いていた。
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