第六章 「混戦」


 休日だというのに、光は珍しく外出していた。普段ならば家でTVゲームかパソコンをしているところだが、そんな気分にはなれなかった。
 通夜から一週間が経ち、美咲の告別式の日だという事も関係しているのかもしれなかった。しかし、それだけではない。昨晩から何か妙な視線を感じていたのだ。恐らくは、VANの監視員だろうと光は思ったが、今までのものとは、感じが違ったのだ。今までよりも警戒しているように感じられた。
 告別式は既に終わり間近だろうという時間帯だった。
 会場の近くにある本屋やデパート等を見て周り、光が家に帰ろうという時、式場から人が数人出始めていた。告別が終わったのだろう。
 その中に霞がいた事に光は気付いたが、別段何をする訳でもなく、光は前方を歩く霞と距離を置いたまま歩いていた。
(やっぱり、霞は行ったんだな……)
 光は小さく溜め息をついた。
 告別式に出席する事は光には耐えられなかっただろう。それでも、普段通りに生活出来なかったために式場の周囲に来てしまったのだ。
 いつしか、周囲にいた人達は横道等に逸れて行き、同じ方向へ向かうのは光と霞だけになっていた。変わらぬ調子で歩き続ける霞の背中は心なしか小さく見えた。
 サイクリングロードまで来た時、それは起きた。
「――!」
 ほんの一瞬だった。
 前方を歩いていた霞が横合いから現れた影に蹴り飛ばされていた。サイクリングロードから吹き飛ばされ、河原に霞が転がる。その直後、複数の人影が周囲に現れ、霞を取り囲んだ。
 霞はすぐさま具現力を解放し、その場から飛び退く。その直後には、霞がいた場所に攻撃が放たれていた。
 まずい、と光は思う。
 霞は通常型と呼ばれる、具現力としては最も一般的な能力を持っている。通常型にもある程度の差はあるが、その戦闘方法は光の持つ閃光型のように、力場を介して攻撃エネルギーを放出するというものだ。しかし、閃光型と違い、力場内部に攻撃エネルギーを生じさせる通常型の具現力の攻撃力はそれほど大きくはない。
「――つっ!」
 一人の男が霞に肉薄していた。
 その両手に握られているのは大きめのナイフだ。その男が他の能力者達とは別格である事は一目で判った。男の具現力が、周囲のそれとは明らかに違うものだったからだ。
 具現力を解放していない、知覚の拡大をしていない光には、その男の動きが目で追う事すら出来なかった。恐らくは、移動速度を高める事の出来る能力なのだ。
 男のナイフが霞の左肩を浅く切り裂いた。そのナイフの素早さに鮮血がしぶく。
 霞の眼に驚愕の色が浮かんでいるのが、光には判った。しかし、そこに諦めの感情はない。霞は戦うつもりなのだ。
(……)
 光は溜め息をつき、具現力を解放した。
 視界が一瞬だけ蒼白く染まり、全身の感覚が入れ替わるかのように鋭くなる。
 それを感じ取ってから、光は地を蹴った。その踏み込みだけで加速し、霞と男の間に割り込む位置に着地した。
「――火蒼…!」
「……この状況下で戦うなんて、死ぬ気か……?」
 驚く霞に、光は告げ、男を見た。
 短く刈り込んだ金髪に碧眼の男だった。VAN特有のスーツに身を包み、両手にナイフを持ったまま、割り込んだ光に視線を向けている。
「カソウ・ヒカルか、丁度良い。お前も始末してやる」
 男が呟く。
「俺はギュール・ティクアル、第五機動部隊長だ。お前の彼女とやらを殺したのも、俺だ」
「……何……!」
 男の言葉に、光は顔を顰めた。
 明らかに挑発だと判る言葉に対する光の反応はそれだけだった。
「あいつが美咲を……!」
 霞が小さく呟いたのを、光は聞き逃さなかった。
 ギュールが動いた。加速して行く時間もなく、動き出した直後からかなりの速度で移動していた。
「――っ!」
 横合いから振られたナイフを屈んで避け、そこに振り下ろされるもう一方のナイフを横に転がるようしにて光は回避する。それと同時に足払いを掛けるが、ギュールは横に一歩退いて避けた。
「ふん、それなりにやるな……」
 ギュールが呟く。
 屈んだ状態から見上げた光と、視線がぶつかり合う。
 そのギュールの背後から霞が掌を向けているのが見えたが、その霞に包囲陣の攻撃が放たれた。その隙間を縫うように霞が回避行動を取るが、回避だけで精一杯のようで、攻撃に手が回らない。寧ろ、圧倒的な数を前に霞が次第に圧されて行くのが判る。
「――霞っ!」
 声に、光とギュールが視線を向けた。
 サイクリングロードを駆け下りて来る一人の男がいた。その男は、修と古本屋廻りの帰りに出会った大男だった。
「和人……?」
 霞が一瞬だけ反応する。
「今、刃達にも連絡をつけた、もう少し持たせるんだ!」
 和人と呼ばれた男の虹彩が鉛色に変化した。
 そちらへと包囲陣の一部が攻撃を放つが、和人が掌をかざした直後に生じた鉛色の防壁が全ての攻撃を防いだ。それに一瞬、敵が怯む。その間に和人が霞に駆け寄り、加勢する形を取る。
「……チッ、急いだ方が良さそうだな」
 ギュールが呟き、光へと突撃した。
 光は前面に右手で蒼白い閃光を放ち、ギュールの突撃を防ぐと、回避行動を取ったギュールへと左手から閃光を放った。それが命中する寸前で着地したギュールがその場から急加速し、横に跳ぶようにして攻撃を回避すると同時に、光の背後に回り込む。力場を察知する能力でその動きを追い、光は振り向きざまに回し蹴りを放った。
 蹴りの威力を高めるために厚くした防護膜にナイフで反撃するのは無理と判断したらしいギュールが一歩飛び退く。回し蹴りでギュールに向き直った光は掌に生じさせた光弾を四発放ち、牽制するが、ギュールはその加速力で回避する。
(こいつ、速い…!)
 力場を察知する事が出来なければ光はギュールの素早さに対応する事が出来なかっただろう。
 攻撃が当たらないというのは、戦闘で優位に立つ方法の一つだ。攻撃が命中しなければ、回避した上で余裕があるのであれば、反撃で相手を追い詰める事が出来る。
 ギュールが踏み込んだ直後、光の目の前にその姿があった。
(――間に合わないっ!)
 振り上げられたナイフの攻撃範囲から逃れるには時間が足りない。
「――っ!」
 刹那、光は凄まじいまでの気迫を感じた。
 同時に届いた力場が、光とギュールの間に割り込んだ直後、そこに雷が落ちた。その閃光に光は目を手で覆う。雷鳴が轟き、その場にいた誰もが視線をそこに向けた。
「……ジン……!」
 ギュールが呻くように呟いた。
 そこには鞘から引き抜いた日本刀を右手に携えた刃が立っていた。放たれる気迫に、ギュールが飛び退いて構え直す。
「……巻き込まれた、というところか」
 光を一瞥して、刃が呟いた。
 無言でギュールが動く。その瞬間には、刃の姿も消えていた。
 不意を突こうとしてのであろう、ギュールがその速度に目を剥いた。そして、その直後には刃がギュールの背後に回っている。背後からの雷光が感じられたのだろうギュールが、振り返りざまに音速並の速度でナイフを振るう。
 刃の右手に握られた刀が閃いた。雷光に包まれた刀身が凄まじい速さで振り上げられ、ギュールのナイフを切断した。
 弾いたのではなく、切断していた。その速度と、角度が完璧だったのだろう。それだけの技術を刃は持っているという事だ。
「――ッ!」
 ギュールが奥歯を噛むのが見えた。
 後退しながら両断されたナイフを投げ捨て、新しい予備のナイフを握りなおしていた。
「うおっ!」
 和人の呻き声に、光はその方向に視線を向けた。
 多数の敵に包囲され、霞と和人が集中攻撃を浴びていた。和人が鉛色の防壁を張って敵の攻撃を防いでいたが、背後から接近戦を仕掛けられ、体勢を崩していた。霞は、攻撃の回避のために余裕がない。
「どけっ!」
 だが、突如、和人の目の前に一人の青年が着地した。かなりの高さから落下して来たように見えた青年は、いとも簡単に着地の衝撃を受け流し、立ち上がる。
 その虹彩は灼熱の真紅。
「翔!」
 和人の言葉に、翔と呼ばれた青年が歯を見せて笑みを見せた。
「全く、一人で格好付けないでよ。誰のお陰でここまで短時間で来れたと思ってるのよ」
 呆れたような調子の言葉と共に少女が二人、隣に着地した。
 一人は光も会った事のある、楓だ。
「格好付けてなんかいねぇよ、瑞希」
 溜め息をついて翔が答える。
 瑞希と呼ばれた少女の虹彩は綺麗な水色をしていた。
「……数が多いわね」
 短刀を両手に携えた楓が呟いた。その虹彩は透き通るような緑色に変色している。
「主要メンバー四人、揃っちまったか……」
 ギュールが呻いた。
 直後、ギュールの部下が一斉に攻撃を始めた。
「まさか、勝てるなんて思ってねぇよな!」
 にやりと、翔が不敵に笑った。
 瞬間的に翔の全身から陽炎が立ち昇り、髪が逆立つ。両手に熱気を帯びた翔が地を蹴り、最も近くにいたVAN構成員に拳を突き出した。
 爆発的な加速で突き出された拳は途中で燃え上がり、凄まじい熱量をその構成員に衝撃と共に叩き込む。
 力場に敏感な光には、その攻撃能力が凄まじく高い事がはっきりと分かった。熱量を生み出す事の出来る具現力が、彼の持つ力なのだ。その熱量が炎を生じさせている。
「さっさと片付けましょう」
 言い、瑞希が翔とは反対側の敵へと向かうように地を蹴った。
 身体を空中で回転させ、右足で回し蹴りを放つ。瞬間的に、その右足が氷を纏う。その氷は蹴る対象に向けて鋭く研ぎ澄まされ、VANの構成員を切り裂いた。着地と同時に横合いへ右足を滑らせ、同時に氷を水に変化させてその水流の圧力で加速。身体の重心を移動させ、素早く立ち上がると、接近していた敵に蹴りを放った。それはただの蹴りだったが、蹴りを受けた構成の身体が、蹴りを受けた場所から凍り付いて砕け散った。
 冷気を操るとでも言うべきなのだろう。力場で水分子を操っているのだ。そうして、密度を変える事で物質を凍らせたり、水を生成させる事が出来る能力なのだろう。
「ほら、ぼおっとしてないで」
 掛けられた声に光が振り向いた時、楓が光を狙っていた敵を切り裂いていた。
 まるで風のように素早く、しなやかな動きで、楓が舞う。その両手に握られた淡い緑色の燐光を帯びた短刀が滑るように動き、敵を切り裂いて行く。離れた敵に対して、楓はその場で短刀を振るった。直後、その敵が弾け飛ぶ。
 楓は空気や風を操れるのだろう。圧縮した大気を敵に炸裂させる事で敵を倒したのだ。それだけではなく、自分自身の周囲の大気を操り、風のような動きを可能にしているのだ。
 光はギュールへと視線を向けた。
 刃とギュールが戦っていたが、刃の方が少し圧している。速度も、刃物の戦闘技術も、刃の方が上なのだ。ギュールが何とか耐えていると言った方が良いのかもしれない。
 それを見て取り、光は霞と和人の方へと走り出した。
 翔と瑞希によって和人への攻撃は少なくなっていたが、霞に対する攻撃はあまり変わらず、霞には攻撃する余裕がなかった。
 光は右掌から閃光を放ち、数人の能力者を吹き飛ばし、左手に閃光で剣を作り出して霞の傍まで移動した。
「加勢する。今回は」
 告げ、光は霞を狙う敵を蒼白い閃光の剣で切り裂く。
 霞は無言のまま光を見返したが、一瞬の後には戦闘に意識を向け直していた。
 戦局はROVが優勢となっていた。
「――!」
 と、突然、刃が後方に飛び退いた。
 その直後、激しい攻撃がその場に降り注いだ。増援だ。
「遅いぞ、ロウっ!」
 ギュールが叫んだ。
「悪いな、だが、これで俺達の勝ちが決まる」
「……何だと?」
 ロウと呼ばれた男の言葉に、翔が反応した。
「第四機動部隊長か……」
 刃が呟いた。
 ロウは答えず、ギュールの部隊を一度後退させた。翔達によって半数近くが倒されていたが、ロウの部隊の増援は、減る前のギュールの部隊の人数とほぼ同程度に感じられた。
「――刺焔!」
 翔が掌から炎を無数に放出し、ロウへと向けた。細く、鋭い熱量がロウへと集中するが、ロウは口元に笑みを浮かべて掌をかざした。
 半透明で銀白色の防壁が生じ、炎を受け止めた。刹那、銀白色の防壁が一瞬だけ真紅に染まり、そのまま攻撃を反射していた。
「何っ…!」
 反射した炎が翔に命中する。
 しかし、元々莫大な熱量を生じさせる翔には、熱気の塊である炎の影響はないようだった。だが、もし別方向に反射していれば、味方に当たっていたかもしれない。
 刃が駆け出し、雷光を纏った刀が閃く。
「……!」
 防壁に刀がぶつかった瞬間、防壁が金色に染まり、刀を受け止めた場所から雷撃を周囲に放出した。更には受け止めた刀すら、ぶつけた時と同じぐらいの衝撃で反射していた。
「攻撃反射能力、それが俺の力だ」
 ロウが呟いた。
 体勢を崩した刃に、防壁の後ろに控えていたギュールが飛び出し、ナイフを振るった。しかし、刃は雷光で自身の身体を弾くようにして身体を回転させ、ナイフを避ける。そのまま着地すると、雷光を纏って距離を取った。
「なるほど、私達に対する切り札って事ね」
 瑞希が呟く。
「そういう事だ。自然型四大最強種の揃っているお前等を倒すために、俺がこの作戦に参加を命じられた」
 ロウが答えた。
「全く、厄介な能力があったもんだ」
 翔が呆れたように呟いた。
「俺の反射防壁は外界からの全てのエネルギーを反射する。加えて、内側からの攻撃は素通りさせる事が出来る」
 そう、ロウが告げた瞬間、その防壁の背後に控えていた部隊の構成員が一斉に攻撃を開始した。
 翔が炎を纏って飛び出し、防壁に突撃するも、弾き飛ばされた。
「ちっ、抜け出す事も出来ねぇのか……!」
 呻き、空中で身を捻って体勢を整えた翔が着地する。
 そこに向けられた攻撃を飛び退いて回避し、刃達の傍にまで後退して来た。
 いつの間にか防壁はドーム状に張られていた。この状況を打開するか、光達が全滅するまで解かないつもりだろう。
 全てのエネルギーを反射するという防壁は、移動の際のベクトルすらも反射してしまうのだ。それが翔が弾き飛ばされた理由だろう。その防壁の内部にいる限り、一方的に攻撃を受け続けるのみとなる。
「……くそっ、駄目か!」
 光も閃光を防壁にぶつけてみたが、反射されてしまった。
 一方的な攻撃の中、誰一人として敵の攻撃を受ける事なく避け続けていた。時折、刃や翔が攻撃を試みているものの、反射されてしまっている。
 刃の奥義ならば打ち破れるかもしれないと、光は思ったが、この状況では出来ないだろうと判断した。攻撃が集中しているせいで、その場に留まる事が出来ない。
 精神だけでなく攻撃能力の集中も行わなければならない大技を放つには、隙がない状況だった。
(…………)
 力場破壊能力が使えれば、この状況は打開出来るかもしれないと、光は思う。
 しかし、光にはその力を使う事はおろか、オーバー・ロードさえ出来ていない。今の光には、オーバー・ロード状態でなければ力場破壊能力は使えない。それは、修と訓練した時に実感していた。
 まだ完全に自分の能力を把握出来ていない事も、光自身が具現力に対して未熟なのも関係しているだろうが、現時点で力場破壊能力を使えたのは、オーバー・ロード状態の時だけなのだ。
(……でも……)
 だが、オーバー・ロード状態で戦った刃に対して、力場破壊能力を光は使う事が出来なかった。
 ただオーバー・ロード状態になっただけでは駄目なのだ。他にも何か使うための要素がある以外には考えられない。しかし、光にはそれが解らない。
「……奥義――」
 翔が小さく呟いた。
 周りの攻撃が止まない中、翔を囲むように刃、楓、瑞希が立ち、全ての攻撃を防いでいた。翔が攻撃するための時間を作り出しているのだ。
 その翔は、右手首に左手を添えるようにして眼前に掲げている。その右手に熱気が集約し、陽炎が生じた直後、炎が上がった。燃え盛る右手を、眼前で握り締め、身体を半身にするようにして右手を引き、左手を前方へと構える。翔の眼前に立つ刃が脇へ飛び退いた直後、翔が地を蹴った。
 凝縮させた熱気で足元を爆破し、その勢いで加速。足を地に着け、蹴る度に爆破し、更に加速して行く。
「――滅っ!」
 後方に退いていた肘を爆発させ、凄まじい速度で拳が繰り出された。
 銀白色の防壁に拳が直撃した瞬間、その一点に放たれた凄まじい衝撃と熱量が爆発を引き起こす。
「ぐっ!」
「……何っ!」
 翔が弾き飛ばされると同時、ロウが呻いた。
 一瞬、攻撃が止んだ。
 拳が打ち込まれた部分に、亀裂が生じていた。
「やっぱり、やって出来ねぇ訳じゃなさそうだな」
 右腕を押さえて翔が言う。
 その手に対するダメージも相当なものだった。関節が外れたのであろう、翔は強引に右肩を掴んで治し、刃の元まで後退して来た。その額には汗が浮き出ている。
「精神力が上回れば突破は可能って事ね」
 瑞希が呟く。
 ロウが防壁を形成している以上の精神力での攻撃ならば、完全に反射は出来ないという事だ。
 しかし、それではこちらも相応のダメージを受ける事となるだろう。光だけでなく、それはROVのメンバー達も感じているはずだ。
 現に、奥義を放った翔は反射された衝撃でかなりのダメージを受けている様子だ。亀裂の生じ具合から予想するに、主要メンバー残り三人の全ての奥義を打ち込んで突破出来るかもしれない、と言ったところだろう。だが、それで三人の戦力が落ちてしまえば、反撃出来る状況になっても不利なままだ。
「……舐めるな」
 ロウの言葉と同時、亀裂が修復されて行く。
 その部分の防壁を張り直した、という事なのだろう。この防壁を突破するためには亀裂を生じさせられるだけの威力を持つ攻撃を連続で叩き込むしかない。しかも、それで生じた穴を復元される前に抜け出さなければ、意味がない。
 翔のように反動で吹き飛ばされてしまうのであれば、その隙は埋められてしまう。更には、上手く抜け出したとしても、そのままロウを攻撃出来なければ、防壁を新たに張り直されて終わりだ。
(……不利な状況には変わりないって事か……)
 それでも突破出来る可能性があるだけマシだ。
 上手く攻撃して行けば、反撃のチャンスは作り出せるのだ。しかし、それも上手く行って、という条件下の事で、勝機は薄い事に変わりはない。
 純粋な攻撃能力ではないが、この完全な隔離空間を作り出す力が、ロウを第四機動部隊という立場に置いたのかもしれない。
「――なっ……?」
 突如、敵部隊の中から声が上がった。
 そこには、腕が切断された能力者が立っている。綺麗に切断された断面から遅れて血が滲み、噴き出した。
「何か大変な事になってるっぽいね」
 掛けられた声に、光はサイクリングロードの斜面を降りて来る修を見た。
「修! どうしてここに…?」
「丁度通り掛かっただけ。詳しい事情は後回し」
 光の言葉に修は答え、敵陣に対して掌をかざした。
 突如、光は強力な力場が生じるのを察知した。修が生じさせる空間破壊能力が敵部隊の内部に生じ、一瞬の後に発揮された効果が敵を両断する。
「まだ仲間がいたか!」
 ギュールが言い、修へと突撃した。
「――っ!」
 他の能力者から比べれば圧倒的に遅い速度にも関わらず、修はギュールのナイフを服一枚でかわしていた。
 続いて放たれる斬撃も、それが放たれる時には既に修は回避行動に移っている。知覚能力の拡大の大きい修の能力の特性は、敵の攻撃速度や攻撃箇所、軌道等を精確に予測する事が出来るのだ。そして、その予測が立てば自身はその攻撃範囲から逃れる動きをすればいい。
「こいつ……!」
 速度では圧倒的に勝っているギュールが、攻撃をかわされ続けている事に顔を歪めた。
「ギュール、退け!」
 ロウが叫んだ直後、力場が動いたのが光には判った。 
 ギュールがロウの背後に後退した直後、張られていた防壁が修のいる場所まで拡張されていた。任意の攻撃を透過し、対象からの攻撃は全て反射するというロウの能力の特性のために、ギュールも入ったら出る事が出来ないのだろう。
「反射、だっけ?」
 修が呟いた。
 自然体で歩き出す修が、三歩目で消滅した。あらゆる空間との間に存在する空間を破壊する事で修は自在に、全ての影響を受けずに移動する事が出来る。
 一瞬の後には、修は防壁の外に出ていた。
「あいつの力……」
 翔が驚いた表情で修を見ていた。
 その修へと攻撃が集中するが、その隙間に身体を移動させて修は回避する。反撃で修が右腕を振るった瞬間、広範囲に力場が生じ、敵を音も無く切り裂いた。空間を面として破壊し、そこに存在するあらゆるものを破壊する、修の攻撃能力だ。
「彼がロウを倒せば、私達の勝ちね……!」
 瑞希が口元に笑みを浮かべて言った。
(いや、まずい……!)
 だが、そんな中で光だけが危機感を抱いていた。
 今はそんな様子は見受けられないが、修の精神力は既に相当消耗しているはずだ。まだ、覚醒から一週間程しか経っておらず、訓練を開始してから三日程度しか経っていない。その三日間、明らかに修の限界は伸びていたが、それは全て戦闘時の負荷を計算していない状況での事だ。
 実戦ともなれば、直接的な攻撃力の低い修は空間破壊能力を多用する事になる。慣れてきているとはいえ、空間破壊能力の精神的負荷はかなりのものだ。それは、この三日間で痛感していた。そんな状況で実戦を行えば、修の消耗はかなり激しいはずなのだ。
 ロウを早期に倒せれば良いが、周りの多数の敵が厄介だ。いくら攻撃を精確に予測出来るとはいえ、光のように力場を察知する事で予測している訳ではない修は、集中攻撃を長時間耐える事は難しい。ただでさえ能力使用時間の短い今は、敵の数を減らし、攻撃回数を減らさなければ、部隊長クラスの相手をするのには余裕がないのが、現状だ。だが、それで時間を消費してしまえば、ロウを倒す前に修が過負荷に耐え切れない。
 それに、修はまだ大きな力場を連続で使用した経験が少なく、それに対する消耗は大きい。自身を別の場所に転移させたり、広範囲の敵を薙ぎ払うような攻撃を繰り返していては、修の精神力が持たない。
 気丈に振る舞い、戦闘を続けている修だが、光はその消耗が早い事を知っている。戦闘で弱みを見せぬようにしているが、修にはまだ長時間の戦闘は無理なのだ。
(……このままだと、間に合わない…)
 光はそう感じた。
 ロウに修が辿り着く前に、修の限界が来る。そうなれば、修は確実に命を落とすだろう。前のように、身体に対する反動だけではなく、この場には敵が多数いるのだから。
「……修……」
 光は唇を噛んだ。
 また、何も出来ない状況にいる。これではクライクスの時と同じだ。
 修が空間破壊で光や刃達を防壁内から別の場所に転移させても、ロウはその場所に新たに防壁を張るだけで、何も変わらない。それを判っているから、修は一人で戦っているのだ。
(……何をしているんだ、俺は……)
 光は拳を強く握り締めた。
(――このままでいいはずがない……!)
 修の額に汗が浮き始めているのを、光は見逃さなかった。
(……もう、失うのは御免だ……!)
 修の限界が近い。
 それは、光の人生にとってのタイムリミットでもあった。この場を凌ぎ切れなければ、全てが無駄に終わってしまう。
 美咲が死んだ事も、刃に負けた事も、今まで生活してきた事も、全て。
(今度こそ、守らなきゃいけないんだ……!)
 自身の生活を、自分の周りにある居場所を、光は守ると誓っていたはずなのだ。
 今、ここで失う訳にはいかない。美咲を失った事で、光はそれを改めて胸に刻み込んでいたはずだ。
「……やっぱり、受け入れられないな」
 VANの意見も理解出来る。しかし、それでも、光にはもうそれを受け止める事は出来なくなっていた。今まで受け入れていたとは思っていない。しかし、VANを敵視しなかったという事は、VANの意見を光が受け入れていた事とも取れるのだ。
「――VANは俺にとっても、敵か」
 呟き、光は目を閉じた。
 その暗闇の視界に、蒼と白の閃光が重なり合う。同時に、身体の内側から力が溢れ出すのを、光は感じた。
 目を開けた光は、修に視線を向けた。
(そうだ。受け入れる訳にはいかないんだ)
 VANの意見を受け入れてしまえば、たとえ光が攻撃をしなくても、攻撃を受ける事を容認する事になる。そして、それは自分の周囲に対する攻撃も容認する事と同義だ。
「……認められねぇよ」
 小さな声で呟き、光は地を蹴った。
 拡大された感覚が爆発的な加速を生み、光はロウへと突撃する。
「正面から来るとは、無駄な事を……」
 ロウが呟いたのが聞こえた。
 だが、今ならば、ロウの防壁を突破出来ると光は思っていた。
 光は掌に力を集中させた。蒼白い防護膜が厚みを増し、オーバー・ロード状態となった事でその防護膜は輝きを増している。その力を感じ取り、光は確信した。
 突き出された拳が銀白色の防壁に命中した瞬間、その拳はいとも簡単に防壁を貫いていた。
「――!」
 その場にいた、光以外の全員が息を呑んだ。
 貫かれた部分から周囲に亀裂が生じ、それが防壁全体に達した瞬間、防壁は崩壊した。
「馬鹿な……!」
 ロウが驚愕と恐怖の入り混じった声を上げた。
「まだ修はこれ以上戦わない方がいい」
 光は言った。
 修はその光を見返して、笑みを浮かべて頷いた。
「確かに、お前の力は俺の能力で反射出来るものだったはずだ!」
 ロウの言葉に、光はそちらへ視線を向けた。
「俺には、自分で制御出来ない力がある。聞いてるんじゃないか?」
 周囲の攻撃が殺到するのを認識、光は掌を上空へ掲げた。
 光を包むように、球形に空間の歪みが生じた。その歪みに到達した攻撃は全てそこで打ち消され、光には届かない。敵全体にどよめきが起こり、攻撃が止まった。
「――力場破壊……!」
 ロウの奥歯が鳴った。
 具現力の効果を生じさせる力場そのものを打ち消す、最強の防御能力。あらゆる攻撃を無力化し、光の攻撃にあらゆる防御に対する貫通力を持たせる、光の持つもう一つの具現力。
「舐めるな、それがどうした!」
 ギュールが飛び出し、ナイフを突き出す。
 拡大した知覚がその動きを捉える。力場破壊能力を使えるようになった光は、ギュールの力場をはっきりと捉えていた。それは、ギュールの能力そのものを見たと言い換える事も出来る。
 自分の周囲に展開した力場を移動先まで引き伸ばし、そこまで自身の移動速度を高めるというのがギュールの能力のようだった。攻撃先や移動先まで力場を展開しなければならない、面倒な能力ではあるが、上手く使えば強力な能力と言えるだろう。
 力場は必ず先に張らなければならず、そうでなければ具現力としての効果を得る事は出来ない。
 それは、力場を認識する事の出来る光には攻撃の先読みが可能であるという事だ。修のように予測ではなく、確実にその場所に攻撃が来る事が判るのだ。力場の周囲に効果を生じさせる閃光型能力者でもなければ、光の先読みに対応出来る者はいないだろう。
 ギュールの視線を睨み返し、光はその背後へと回り込む。
「――!」
 その身体能力の上昇に、ギュールが驚愕の表情を浮かべた。
 だがそれも一瞬で、すぐさま回避行動に移る。光と距離を取るように一度後退、そうして再度踏み込んで来た。腕が振り上げられた直後、その腕を包む力場が光へと伸ばされ、ナイフの軌道を描く。それを察知し、その軌道を避けるように光は横に一歩動き、それに対するロウの蹴りも力場を察知して回避した。
 力場が光へと引き伸ばされているのを認識し、光はその力場に当てるように腕を振るった。その腕の防護膜が厚みを増し、白さを増したように見えた。
「――うっ? 何っ!」
 突如ギュールの速度が急激に落ち、体勢を崩して倒れ込んだ。
 移動速度を速めている力場を、光が破壊したためだ。力場が破壊された事で、ギュールの速度上昇能力は消えた。急に力場が消滅したためにギュールはその速度の変化に対応し切れずに体勢を崩したのだ。
 横に転がるようにして光と距離を取ったギュールが、光を睨む。
「……これならどうだ!」
 ギュールの身体から周囲に力場が展開され、周囲に広がって行く。
 それは、普段は精神力の節約のために移動先までしか展開していなかったのだろう。確かに、光の予測は利かなくする事が出来るが、それでは根本的な解決にはなっていない。
 ギュールが自身の能力を用いて戦うには、どの道、力場を張らねばならないのだ。
 光は手をかざした。
 展開される力場を認識出来るのは、この場でも光だけらしい。他の能力者たちが構えている。
 だが、それで最も影響を受けたのはやはり、ギュールだった。
「……そんな、馬鹿な……」
 呻くように、ギュールが呟いた。
 展開される力場が光の掌に触れた瞬間、その力場が消滅したのだ。恐らく、能力者は自分の力場だけならば認識する事が出来るのだろう。それが打ち消されるというのは、無力化されたも同然だ。
「……ギュール、作戦は失敗だ。撤退するぞ!」
 ロウが言い、ギュールはそれに答えずに光から背を向ける。
 その直後、周囲に展開していたVANの構成員達が一斉に攻撃を仕掛けた。恐らく、それは逃走を成功させるためにこちらを撹乱する目的のものだ。
 光へ向けて放たれた攻撃を、光は無動作で全て打ち消した。
「――逃がすか……!」
 背後で、刃が地を蹴ったのが判った。
 その力場の位置が光には認識出来る。同時に、光も駆け出していた。
 電流にも匹敵する速度で刃が光に追い付く。その速度は能力者では最速のものかもしれない。それが刃の能力特性なのだ。
 数瞬でロウとギュールの前に回り込んだ刃が、その速度そのままの速さで刀を振るう。寸前で後退した二人は辛うじて攻撃を避ける事が出来たが、周囲にいた能力者が数名、刃の斬撃から伸びた雷によって両断されていた。
 ロウが咄嗟に防壁を張るのを感じ取り、光は掌から閃光を放つ。
 その閃光は、ロウとギュールを包むように展開された防壁を貫き、その防壁を消滅させた。
 ギュールが咆哮し、刃に突撃する。そのギュールに防壁を張ろうとするロウに、光が閃光を放った。刃がギュールに視線を向けるのを見て取り、光はそのままロウへと突撃する。
 反射は無理と判断したのだろう、ロウは光の攻撃を横に跳んで回避し、光に向き直る。
 その表情には焦りと恐怖が存在していた。光の見る限りでは、ロウに実質的な攻撃能力は自身の防護膜を用いた格闘術のみだ。しかし、部隊長という立場のために格闘術も腕が立つのだろうが、単純な戦闘能力はオーバー・ロード状態にある光の方が上だ。それを理解しているからこそ、ロウは焦りを感じている。
 光に勝てない事を、ロウは確信してしまったのだ。
 両手に蒼白い閃光の剣を作り出し、光はそれをロウへと叩き付けるように振るう。それでもロウは、防壁を作り出していた。ロウでは回避不可能な速度での攻撃だったために、ロウの意識が反射的に防壁を作り出させたのだ。
 だが、白銀色の防壁を何の抵抗もなく切り裂き、光の持つ二振りの剣はロウの胸部で交差した。
「がぁッ……」
 口から血を吐き、ロウが四つに分断され、倒れる。
 その直後、雷鳴が轟いた。
 見れば、ギュールと刃が擦れ違うように立っていた。雷光を纏った刀を一閃し、刃が鞘に納めた直後には、ギュールの身体が斜めに両断されている。
 その周囲では、ROVのメンバーが残った敵を掃討しているところだった。翔が炎を纏うようにして威力を高めた格闘術を用いて敵を薙ぎ払い、瑞希が密集している敵を氷漬けにし、楓が敵の合間を縫うようにして短刀で切り裂いている。その中には修の姿もあったが、修は極力力場破壊を使わずに格闘攻撃で戦っていた。
 それほど時間が経たぬうちに、VANの部隊は殲滅され、その場には死体だけが大量に残った。常軌を逸した戦闘の跡を残す事は、ROVにとっても好ましい事ではないようで、その死体を消す作業が行われている。
 翔は炎で死体を焼き払い、瑞希は凍らせて打ち砕き、楓は風化させて崩して行く。
 死体処理をROVに任せて具現力を閉ざした光は、オーバー・ロードによる反動でふらついた。
「……やっぱり、疲労は大きいな……」
 光は苦笑を浮かべて呟いた。
 力を閉ざした直後、重力が三倍になったような重さを感じ、鈍った身体の感覚が、崩れたバランスを立て直すのを遅らせていた。
「……ああ、実戦はキツイな……」
 近くに来ていた修が苦笑して言う。
 修は全身汗だくの状態で、呼吸も乱れていた。相当な負荷が掛かっていたというところだろう。これ以上具現力を使わせれば、また身体の内側に深刻なダメージが出てしまうところだ。
「それにしても、どうしてここに来たんだ?」
「あー、ちょっと買い出しの途中でな」
 苦笑を浮かべて修が答えた。
「まぁ、結局助かったから良かったけど……」
 光は苦笑を浮かべる。
 まだ実戦に耐えられるほど、修は具現力に慣れていない。その力の強力さから、光のように強力な部隊が攻撃して来る事が予測される修は、早いうちに力に慣れておく必要がある。今回は、光が力場破壊を使う事が出来たが、次も使えるかどうかは判らない。まだ修は交戦は避けるべきだと、光は思う。
「そういや、お前、さっき力場破壊使ってたろ?」
「オーバー・ロードもね」
 修の言葉に、光は頷いた。
「少しだけ、使い方が判った気がするよ」
 光は言い、右手の掌に視線を落とした。
 単なる攻撃能力とは全く違う、力場破壊能力。閃光型能力者である光は、オーバー・ロード状態でなくともその力をある程度は上乗せ出来るようになっている。光が望めば望むだけ、攻撃力は上乗せされ、身体能力も上昇して行くが、力場破壊能力だけは使えなかった。
 恐らくは、その二つの能力が根底から違うものだからなのだろう。
 通常、一つしか持っていない具現力を、光は二つ持っている。それ故の現象かもしれないが、能力を使い分ける事に、根本的な意識の違いがあるのかもしれない。一つだけ具現力を持っていれば、それを必然的に使う事になるが、二つ持っていれば、それは同時に効果を発揮するか、別のものとして使う事になる。
 そして、具現力の場合、同時に効果を発揮すれば、それは完璧な一つの力として考える事が出来るのではないだろうか。
 だとすれば、光はその能力を使い分けるに当たって、普段使っている閃光型能力と同じように力場破壊能力を使う事は出来ないというのも頷ける。
「そっか。……もう今日は疲れた。買い出しは明日にして帰るわ、俺」
「そうした方が良いよ」
 修が大きく溜め息をつくのを見て、光は言った。
 その修が、具現力を解放し、空間破壊能力を用いてその場から姿を消した。家へ帰ったのだろう。総合的に考えても、その方が疲労した身体を引き摺って徒歩で帰るよりも楽だ。
「はぁ、俺も帰るかな……」
 光も一度溜め息をつき、帰路に着こうと振り返った。
 と、そこには刃と和人、少し離れて霞が立っていた。
「確か君とはこの前会ったな、先程の君の友人も、だが?」
「あ、やっぱりあの時の」
 ほとんど間違いはないと思っていたが、それで改めて確認出来た。
「まさか君がこれほど強い能力者だとは……」
「俺もまさかROVの能力者だなんて思わなかったよ……」
「黒金 和人だ。また会う事もあるかもしれんな」
「火蒼 光。一応中立だからね」
 光が小さく笑みを浮かべて答えたのに、和人も笑みを返し、その場を離れた。
 それを見送ってから、刃が光に視線を向けた。
「少しは理解したようだな」
「まぁね」
 光は刃を見返す。
 具現力の使い方か、中立という立場か。恐らくは両方だろう。
「どうだ、ROVに来るか?」
「それはお断りだ。俺はこのまま行く。VANは俺にとっても敵になったけど、VAN自体はどうでもいい」
 刃の言葉に、光はきっぱりと言い放った。
「…それでいい」
 小さく笑みを見せ、刃が背を向ける。
(……敵わないな、まだ……)
 その刃の背中を見て、光は思った。
 高い戦闘能力と精神力を持ち、VANに復讐するためにROVという組織を率いて戦っている。
 ロウの防壁で行動を封じられた時も、光が力場破壊を使わなかったとしても、いずれ刃達は危機を脱していたはずだ。自身の身体に相当なダメージを負ったとしても、刃は部隊を殲滅していただろう。
 刃はそれをやるだけの決意も覚悟も持っている。戦う目的がVANを壊滅させる事とはっきりしている刃ならば、迷いはないはずだ。
 楓や翔達の下へと向かって行く刃と入れ替わるように、今度は霞が近付いて来た。
 一度周囲に視線を向けてから、霞は光に視線を向けた。
「……本当に、それでいいの?」
 霞が光の瞳を覗き込むように、問う。
「ああ、俺はROVには入らない」
 光は視線を逸らさずに、答えた。
「……美咲を、殺した組織でも?」
 霞の言葉に、光は頷いた。
 美咲を殺したのは、ギュールという能力者だ。しかし、それを命令したのはVANだろう。光の近親者を殺せと言われて、ギュールが選んだのが美咲だったというだけの事なのだ。
 光の家族に対しては、家にいる光が障害になる。修は覚醒し、戦える。そうなれば、非能力者であり、光と親しくなりつつある美咲が選ばれるのは不自然な事ではない。
 ギュールを倒したからといって、美咲の仇を討ったのは言えない。ましてや、ギュールを倒したのは光ではなく、刃なのだ。
「それで俺が復讐に走ったら、今までの俺が無駄になる」
 光は言った。
 今更生き方を変える事はしたくなかった。それをするだけの理由も、光にはないのだ。美咲が殺された事は光自身の甘さが招いた結果でしかないのだ。美咲を守れなかったどころか、一方的に巻き込んでしまったのは光の落ち度だ。
 自分と、その周囲を守るというのが光の最初の考えだった。一度守る事が出来なかったからといって、それで考えを変えてしまうようであれば、美咲は光を好きにならなかったかもしれない。
 それならば、光は今までのままの考えで生きようと思った。
 これ以上失う事は自分自身が許さない。
 だが、だからといって、光の周囲に攻撃を仕掛けて来るであろうVANに攻撃を仕掛ける事はしない。光の周囲に被害が出るよりも先にVANを壊滅させる事が出来るならまだしも、VANは大きな組織だ。そう簡単にはいかないだろう。むしろ、光から攻撃を始めれば、VANは全力で光を倒そうとするはずだ。
 光がVANに攻撃の意思を見せないからこそ、ダスクのように少数派の意見があり、攻撃が制限されるのだ。
「けれど、放って置けば、VANは必ずあなたの周囲に攻撃を仕掛けるわ」
 霞の意見ももっともだ。
 攻撃を制限され、極力抑える事は出来ても、多数の人間で構成されている組織内の大多数を占めるであろう意見を完全に封じ込める事は出来ない。
 だからこそ、美咲は殺されたのだ。これ以降、光の周囲を狙う攻撃が行われる可能性は高い。
「その時は全力で叩くまでさ」
 光は答えた。
 VANは光にとって敵となった。光の周囲を脅かすであろう、敵。
 力が強力だから攻撃されるのも仕方がない事だと、そう考えていては、光自身がVANの大多数の意見を擁護する事になってしまうのだ。光の力が強力だから組織の今後の障害にならぬように排除すべきだとする、大多数の意見を受け入れてしまえば、光は自分がVANに攻撃して欲しくない者達も攻撃対象に含まれてしまう事を容認する事になる。
 それでは、光が自分の周りを守るという意識そのものが矛盾する事になってしまうのだ。
「VANは敵、だけど、俺は今までの生活を続ける」
 元々、光は覚醒する前と同じ生活を続けたかったのだ。
 だが、光の力を恐れたVANの部隊に襲われるうちに、その理由を認めてしまっていた。それも光自身の甘さの一部なのだろう。
 川の流れに視線を向け、光は美咲との最初で最後のデートの時の事を思い出した。
 いつの間にか、流されていたのだ。その場に留まるつもりで、その場に留まっているつもりになっていただけだった。
「考えは変えない。美咲のためにも」
 霞に視線を戻し、光は告げる。
 そのままの光を好いてくれた美咲に応えるためにも、考えを変える事はしない。中立という立場で、自分とその周囲の者達を守り続ける光を、美咲は好いてくれたのだから。
 過酷な道を選んだという事に後悔はしていない。元々、光はどちらか一方についてそれに敵対する勢力と戦うという事が厭で中立を選んだのだ。比較的楽な道が光にとっては厭だったからこそ、過酷な道を選ばざるを得なかったという方が正しいだろう。
「……そう」
 霞は小さく答えた。
(……少し、まずかったかな)
 その霞を見て、光は思った。
 唯一の友人である美咲の名を出されては、霞には反論出来ないだろう。
「……仇なら、霞が討てばいい。俺に仇を討つ資格はない」
 光は告げた。
 美咲が殺されたのは光の責任だ。ならば、光がVANに対して美咲を殺されたという恨みを持つのは間違っている。それは単なる責任転嫁に過ぎない。
 確かに、美咲を殺したのはVANでも、その原因は光にある。そして、光は美咲をVANから守る事が出来なかったのだ。故に、光にはVANを美咲の仇として見る事は出来ない。
「……そうね。仇は私が討つ」
 小さく、霞が答える。
 霞にとっては、VANは美咲を殺した組織だ。美咲を守れなかった光と違い、霞は美咲とは距離を取っていた。霞は美咲を守れるだけの位置にはいなかったのだ。
 光が美咲の仇だと言ってしまえば光には反論出来ないが、ROVにいる立場としても、霞はVANを美咲の仇と見ているだろう。
「――VANは許さない」
 霞は言い、光に背を向けた。
 その瞬間に見えた霞の視線は鋭いものだった。今まで以上に鋭い視線には、怒りの感情がある。
 歩き出す霞の後を追うように、光も歩き出した。距離を保ったまま、サイクリングロードへの斜面を上り、そこで霞とは逆の道へと光は曲がった。

 家に辿り着いた光は自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。
 かなりの疲労感が全身に圧し掛かっていた。オーバー・ロードは本来ならば制御しない膨大な量のエネルギーを操るために、精神的にも肉体的にもかなりの疲労となる。精神力の源である生命力にまで影響を及ぼしかねないのだ。
 刃と戦った時の疲労も大きかった。ただ、有希の能力で直前に治癒されていたために、多少和らいでいるようにも感じた。もっとも、それは受けたダメージの大きさが治療された事で軽減されたためのもので、実際は今と同じか、それ以上の疲労感を感じていたはずだ。
(……VAN、か……)
 仰向けになって、頭の後ろで手を組んで天井を見上げる。
 VANの言い分は、光にも判るものだ。大きな組織というものにとっては、その組織全体にも影響が出るような問題が生じれば、それに対処しなければならない。
 具現力には、組織を動かせるほどに強力なものもあるのだろう。それが光の力だとすれば、組織は光に対して何らかの対処をせねばならない。
 中立という立場の光に対して取れる処置は、味方に引き込むか放置、そして排除。
 今まで通りに生きる事を望んだ光に対し、組織は今までにも数回排除作戦を実行に移して来た。そして、それは光の周囲にも影響が及んだ。
 味方にならないと分かれば、放置か排除しか選択肢はない。
 放置を取っても、光にはVANに対して敵対行動を取るつもりはなく、害はないはずだ。それでも、排除するというのは確実な方法だった。放置を取れば、状況によっては光はVANを敵と見做すかもしれない。それを考慮すれば、排除というのは組織にとっては確実な対処法なのだ。
 たとえ、光はVANに攻撃をする意思はないと言っても、人の心は揺れ動くものだ。考えを変える意思はなくとも、周囲の変化によっては、その意思を変えてしまう状況がないとは言い切れない。
 だから組織が光に攻撃をするというのは、妥当な判断だとは言える。
(……だからって……)
 妥当な判断だから、攻撃されても仕方がないというのは、光自身の矛盾した言い訳だ。
 攻撃されて、命を脅かされているにも関わらず、その組織を擁護している事になるのだから。それは、光が戦う事に対する矛盾でもあるのだ。
 攻撃される事は仕方がない。にも関わらず、今までの生活を続けるために攻撃されたら反撃するというのは、永遠に続くジレンマだ。
 そして、その矛盾の中で、美咲は死んだ。光の考えが甘かったが故に、美咲は二つの考えの板挟みにされたのだ。
 だから、光は美咲もVANも責める事は出来ない。死ななくても良かったはずの、美咲が死んだのは、光の注意が行き届いていなかっただけではない。その意識の根底にあった光の考えが矛盾してい事にも由来しているはずだ。
(――そうか……)
 ふと、光は気付いた。
 一ヶ月前、光がオーバー・ロードした時に力場破壊能力が使えた理由。あの時、光はVANを敵と認識して、戦っていた。修が死んだと思った時、光はVANの意見を全て無視していたのだ。
 何故、中立を取った光を排除しなければならないのか。何故、光の周囲に攻撃を仕掛けるのか。それは、光が組織にとって危険だからに他ならない。しかし、光はあの時、VANの理由を全て受け付けなかった。
 ――俺には、お前らは迷惑でしかないんだ!!
 あの時、光が言った言葉だ。
 光は、あの時VANを邪魔な存在だと思った。自分と、周囲を脅かす敵だと、認識した。それから身を守るには、敵を排除するしかない。
 そのために振るった力は、絶対的な力だった。
 全ての攻撃を無力化する力場破壊能力が使えたのだ。
(……そうだよな、俺には敵なんだ)
 光は思う。
 具現力は精神状態によって左右されるのだ。はっきりとした意識を持って戦ったあの時は、絶対的な力を振るう事が出来た。
 恐らく、今はまだ完全には使いこなせないだろう。まだ、VANの考えを捨て切れない自分が残っているのだ。あの中にも、光の意見に賛成してくれる人がいるのだ。VAN全てが敵ではないのだから。
 まだ、本当に追い詰められた時でなければ、使えない。一度決まった考えを変える事は難しい。
(……本当、上手く行かないよな……)
 光は苦笑を浮かべた。
 思い通りに行かないどころか、悪い方へと向かってしまった。美咲が死に、刃には負け、自分の甘さに泣き、光の思い描いた通りにはなっていない。
(……けど、同じ過ちは、繰り返さない)
 二度と、同じ間違いを犯さない。それは光の決意だった。
 美咲のような犠牲者を出さない。精神力でも刃に負けないぐらいの意思を持つ。甘い考えは捨て、意識の矛盾を無くす。
 これからもVANは光に攻撃を仕掛けるだろう。だが、その考えは認めない。光にとって、VANは敵なのだから。
「……考えは変えないさ、美咲」
 光は小さく、声に出して呟いた。
 覚醒する前と同じ、今まで通りの平穏な生活を続ける。それは、美咲が好いてくれた光の生き方だ。戦いを望まず、自身と周囲を守るために力を振るう。もう、失わないようにしようと、光は思った。
 光の机の上には、空色のハンカチが畳まれたまま、置かれていた。
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