第二章 「決意とその代償」


 サイクリングロードの脇を流れる川の河川敷。橋の下に行けば日差しが遮られ、夏は中々快適な場所だ。人気がないのも相まって、光のお気に入りの場所だ。
 午後一時。光はその橋の下で川の流れを見ていた。
「待ったか?」
 背後からかけられた声に、光は振り返った。修がいた。待ち合わせのために来ていたのだから、すぐに判った。
「……まぁ、数分はね」
 光は返事を返し、川から数歩離れた。
「…で、どういう結論が出た?」
 修が切り出した。
 具現力なるものの存在や、それに関係する組織の事。それに対する光の態度。これは親友の修にも関わってくる問題なのだ。知りたいのも当然だろう。
「……その前に、俺は修の意見が聞きたい」
 光はそう返した。
 自分自身の中では大体の考えは纏まっていた。いや、昨日、寝るまでに纏めたのだ。だが、それを一つに確定させるためには、修の意見も判断材料の一つにしたい。そう思っての言葉だった。
「俺の意見か?」
 修が自身を指差して確認してくるのに、光は頷いた。
「そうだな……俺としては、光の決断に任せたいところだけど。……刃が信用して良い相手かどうかはちょっと疑問だな。ついでに言うと、そのVAN≠チて組織に対しては、そっちからの接触がないから何とも言えないな。ただ、襲ってきた事を考えるとやっぱり信用はし辛いかな」
 顎に手をあて、修が答える。昨日のうちに、修は修なりに考えを纏めていたのかもしれない。今まで、判断に困った光に修が助言をした事は少なくないからだ。今回もそのつもりだったのかもしれない。
「信用、か……」
 そう言われて見ると、確かに刃達の話をそのまま信じても良いものなのか疑問に思えてきた。何せ、光と修は巻き込まれたために、今までの背景を全く知らないからだ。自分達の都合の良いように動かせる為に作り話をしたと言う可能性もある。
「でもさ、あの二人は信用しても良いと思うな。俺は」
 しかし、光には彼らの話は事実であると思えた。
「その理由は?」
 修が問う。
「刃が戦う理由を言った時の事、覚えてるだろ?」
 あの時の殺気――敵意と言い換えてもいい、気迫――は本物だった。その思いが本物であれば、その周囲の話に虚偽はないのではないか、と光は考えたのだ。
「そうだな、確かにあれは本物だな……。でも、おかしいと思わないか? それだけの意志があるのだから仲間は欲しいはずだろ? それなのに勧誘してこないってのは……」
「そこなんだよ。俺も突っかかったのはさ」
 肩をすくめて光が答える。
 何故、あれだけの敵意を持って組織と戦っている者が、状況説明や能力の説明の後に勧誘をしなかったのか。彼らの話からすると、VAN≠ニいうものはかなり大きな組織になっているように思える。それと戦うには戦力が要るはずだ。例え、あの二人が強くとも、それだけでVAN≠相手に勝利することはまず不可能だ。通常の人間を相手にするのであれば問題はないと言っていたが、相手にするのが能力者であれば違うはずだ。ROV%凾ニ名乗っているからには他にも仲間はいるだろう。しかし、仲間は多いに越した事は無いはずである。普通であれば、あの場で一度は勧誘してくるのではないだろうか。
 勧誘するつもりがあるのならば、嘘を言う必要はない。むしろ、真実を話した上で勧誘した方が確実だ。それがないと言うのは、嘘を言っている可能性があると言う事でもある。
「もともと襲ってきた方は信用出来ないだろうしな」
 修が言う。敢えてVAN≠ニ言わないのも、刃達が虚偽を言っている可能性を踏まえての事だろう。
「もっとも、それだと何も出来ないんだよな。だから最終的には光の判断に任せるってわけだ」
 肩を竦めて修が言う。
「……うん、判断材料にはなったかな」
 少し考え、光は言った。
 どちらも信用出来る裏付けはない。これは今、光が判断に迷っていたものを一つに絞る事の出来るものだった。
「俺としては、出来ればこの力は使いたくない」
 修を正面に見据え、光は言う。
「家族か、やっぱり」
「いや、家族だけじゃなくて、学校とか、近所とかも考えて」
 修の言葉を即座に訂正する。
 確かに家族に具現力と言うものを光が使えると発覚してしまうのも怖いが、それと同時に近所の人達や同級生等に知られてしまうのも考え物だ。一緒に住んでいる家族ならば、光の言い分や説明を聞いて納得してくれる事を期待出来るのだが、それ以外の人の場合は別だ。
「俺だけならともかく、普通の人が見たら家族も同類だと思われるかもしれない」
 危惧するのはそれだ。
 自分だけならば、ばらした本人が悪いと思えるのだが、その家族も同類に纏められては溜まったものではない。
「それとさ、俺自身、今の生活を崩したくないし」
 実質的には、これが光の思いの大部分だ。
「確かに学校生活にはうんざりする部分も多いけどさ、一旦あんな非日常を見ちゃうと、今までの生活の方がマシに思えるんだ」
 今まで通りの生活。今まで通り、勉強に追われ、それでも遊んで、臨時委員会で残されて腹を立てたり。具現力、下手をすればかなり危険な力が使えるようになってしまった光にとって、そんな日常はいかにちっぽけで、いかに幸せな事か。心から幸福に思えるような事ではないが、そこにいる事は安全な事だったのだ。
「……この力の使い道ってさ、今のところ殺し合いだけなんだぜ……?」
 掌を見つめ、光は呟く。
「人殺しなんてごめんだよ」
 それならば今までのちっぽけな日常の方が良い。それが光の考えだった。
「だから、俺は、このまま生きて行こうと思ってる」
 具現力は使わず、今まで通りの生活を続ける。昨晩、悩んだ末に至った結論だ。
 刃を信用するならば、VAN≠ノも、ROV≠ノもつかず、普通の人間として生きて行くという事だ。もっとも、現状の生活を続けるとなれば、VAN≠竍ROV≠信じようが信じまいが変わりはない。
「後悔は……しないか」
 修が喋る途中で考え、問うのをやめた。
 元々、どちらも信用出来ないのであれば何も出来ないと言ったのは修なのだ。現状維持ならば後悔するも何もない。
「まぁ、事態が変わったらどうなるか判らないけどな」
 そう言って、光も肩を竦めた。
「なら、事態が変われば、仲間になってくれるかもしれないのね?」
 不意に、女性の声が聞こえた。直後、光と修が声の聞こえた方向へと視線を向ける。
 そこにいたのは、短い金髪に端整な顔立ちの女性だった。黒っぽいスーツを着込んだ身長は高く、引き締まったウエストに豊満なバストの美女。
「……誰だ?」
 修よりも先に、光が口を開いた。
 目の前の女性は、普通に見れば明らかに魅力的な美女だ。だが、光の目には――恐らく修の目にも――彼女は魅力的には映っていはいない。こんな場所に、あんな台詞で登場するのは怪し過ぎるからだ。
「フィルサ・アークウィ。VAN≠ゥらの使者、とでも言っておきましょうか」
 流暢な日本語で女性は名乗った。
「VAN=c…実際にあったのか?」
 修が驚き、確認を求めるようにフィルサに問い掛ける。
「ええ。先にジン…ROV≠ノ説明を受けたみたいね」
「……刃を、知っているのか?」
 刃の話を肯定する彼女に、今度は光が問うた。
「知らないはずがないわ、VAN≠ネらね。ROV≠フメンバーの中で最重要人物……つまり、リーダーなのよ、彼は」
 フィルサが肩を竦めて答えた。
「リーダー……だって?」
 光が復唱する。確かに、能力者一人を瞬殺するだけの驚異的な戦闘能力を持っているし、それに見合うだけの気迫も見た。だが、まさかリーダーとは思わなかった。何せ、組織のリーダーを務めるには若過ぎるように思えた。上条高校の制服を着ていたのだから、年齢は光達とあまり変わらないだろう。
「雷系統の能力と、宝刀・雷閃を持つ、ROV″ナ強の能力者よ。悔しいけど私達の天敵ね、彼は。私達の組織の中でも、彼とまともに戦える者は数える程しかいないわ」
 フィルサが補足説明を加える。
「じゃあ、事実、なのか…?」
 まだ信じられないといった表情の修が、再度問う。それにフィルサが頷いた。
「それで、何をしに?」
 光が問い詰める。
「勧誘、と言う方が解り易いかしら?」
 フィルサの言葉に、光は眉を顰めた。
「最初に俺を襲ったのは……?」
 最初に光をナイフで刺し、昨日も攻撃して来たあの男達は、何の為に光に攻撃を加えたのだろうか。勧誘するというのならば、あの時の行動は逆効果のはずなのだ。
「あれは組織の選択ミスね。謝らなければならないわね」
「どういう事だ、それは?」
 修が口を挟んだ。
「丁度、組織内が忙しくてね、彼ら二人しか来させられなかったのよ。私も、さっき着いたところ」
 肩を竦めてフィルサが答える。
「よく平然としていられるな? 仲間が殺されてるってのに……」
 そのフィルサに対して、光は挑発的な言葉を口に出した。
 こちらに攻撃して来るのかどうかを見極めるための事でもあるし、本音でもあった。
「私達の世界じゃ、そんな事は日常茶飯事なのよ? 仲間が殺されて動じるのはその友人ぐらいね。それ以外の人が動じるのはおかしいし、動じていてはこの世界ではやっていけないわ」
 フィルサの言葉に、光は息を呑んだ。
 人が死ぬ事が日常的に起きるような世界に勧誘されているのだ。
「私達としては、あなたに仲間になって欲しいのよ。セイナは、あなたがかなりの力を持っていると言っていたから」
「じゃあ、聞くけどさ。VAN≠チてのは何をやってるんだ?」
 修の言葉に、フィルサが少し思案気な表情を浮かべる。
「あなたは非能力者でしょう? 教えても良いのかしら……」
 やはり、VAN≠ニしては能力者である光だけに詳細を明かした方が良いと考えているのだろう。情報が漏れる事に対して躊躇しているようだ。
「俺も巻き込まれてるんだぞ? それに、ROV≠ゥらの説明も受けてる。情報なら既に洩れてる」
 修が言い張った。やはり、どんな状況に置かれているのかは把握しておきたいのだろう。修の事だから、彼自身だけでなく、親友・光の立場というものも知っておきたいに違いない。
「そうね……。じゃあ、一応話しておきましょうか」
 一度溜め息をついて、フィルサが頷いた。
「まず、VAN≠ヘ表向きは人材派遣会社よ。警備員とか、傭兵とかを一時的に提供する事で、資金を得ているわ。全員が能力者で、訓練を受けているから、能力を使わずとも水準以上の戦闘能力はあるし、いざとなれば能力を使うわ。勿論、周囲に悟られないようにね。ただ、それが全てじゃないの。他にも様々な事をしているわ」
「様々な事?」
 フィルサの説明に、光が口を挟む。その様々な事、というものに重要な情報があると見ての事だ。
「……暗殺とか、そう言う裏の仕事もあるわ。それから、戦闘に不向きな能力者もいるから、その人達に見合った仕事もやっているのよ」
 ちらりと、修を気にしながら、フィルサが答える。
「蜂起するっていうのは?」
 更に光が問う。
 刃から聞いた情報が正しいのかどうか、これではっきりするだろう。
「……事実よ。いつになるかはまだ決まっていないけれど、私達の居場所を作るために戦うのは本当の事よ。それが本来の目的だから」
「今までの話が真実である証明は?」
 今度は修が口を挟んだ。
 まだ疑っている、というよりも、信じ切れないようだ。ROV≠フリーダーだとする刃の説明が、VAN≠ゥら来たというフィルサの説明と一致しているからだ。それに、単に口を合わせているという事も考えられる。まだ信用に足るだけの材料がないのは事実だ。相手の態度と直感だけで信用するのが危ない事を修は知っていたのだ。
「物的証拠を持っていたら、どこかでそれを落としてしまう可能性もあるわ。だから、VAN≠ニしてはそれに対する証明は今すぐには出来ないわね」
 フィルサは軽く首を横に振った。
「でもね……」
 フィルサがそう言った直後、瞳の色が水色に変わった。
「――!」
 光も修もそれに絶句する。
 燐光を帯びた目。それが能力者が力を発現させた時の特徴だと、フィルサが補足を口にした。
「私もちゃんとした能力者よ」
 そう言うと、フィルサの瞳の色が元に戻った。
「……それだけで信用出来ると思うか?」
 納得出来ないといった様子で、修が言う。
 こういう事に関してははっきりとした裏付けが欲しいようだ。
「じゃあ、信用しなくてもいいわ。最終的にはヒカル、あなたの判断になるのだから」
 フィルサが修から光へと視線を移した。
「……俺の?」
「ええ。どの道、あなたの友達は非能力者だからVAN≠ノは入れないわ。もっとも、彼が能力者として覚醒すれば別だけど」
 光の確認にフィルサが頷いて理由付けをする。
 そう、修は今のところ非能力者なのだ。つまり、今現在VAN≠竍ROV≠ノ関わっているのは光だけである。覚醒した光に接触しようとしてきた所に修は偶然巻き込まれたに過ぎない。そして、刃が言ったようにVAN≠ェ非能力者を軽く見るとしたら、最初から眼中になかったとも言える。欲しいのは光だけなのだ。フィルサ自身も言っていたが、光の能力は強力なものであるらしいから。
 顎に手を当て、光は考える。
 VAN℃ゥ体の目的は間違ってはいないと思う。何せ、光自身も能力が周囲にばれた時の居場所について悩んだから。だが、だからといってVAN≠ノ入った後どうなるのか、にも不安もある。
「……もし、入る、と言ったら、その後俺はどうなる?」
 光は考えを止めて疑問を口にした。
 解からない部分は実際に訊いた方がいいだろう。仮にも、フィルサは現時点では光とは敵対していないのだから。
「場所は言えないけど、本部に連れて行くわ。その後、正式に能力の訓練して、適性を見てそれに見合う立場が与えられ、上からの指令に従って動く事になるわね」
「じゃあ、家族とは…」
 フィルサの答えに、光が呟いた。
「会えなくなるわね。能力は受け継がれるようだけど、それは因子を全人類が持っているだけで、使えるかどうかは別だから」
 VAN≠フ中で解っている情報は、能力を決定する因子は遺伝子に刻まれているらしく、そのために全人類が能力者としての資格を持っているのだが、覚醒するか否かはその因子とは関係がないようなのだ。
 親子であっても、非能力者と能力者に分かれてしまうという事だ。
 そして、組織内で立場や指令が与えられるという事から、この土地を離れなければならないという事。
(……俺の家族は非能力者か……)
 今のフィルサの言葉で、光はそう確信した。接触してきたのだから、周囲の事もある程度は調べてあると考えて良いだろう。そうなると、光が家族の事を話題に出せば、家族が能力者か否か、相手が言うと思ったからだ。
「……なら、入らない、と答えたら?」
 光は次の疑問に移った。
「敵対と見做し、処理させてもらうわ」
 フィルサが答える。態度や口調に変化はない。
「つまり、この場で殺すって事か?」
 修がそこへ口を挟んだ。
「まぁ、そうなるかしら」
 フィルサは呆気なくそれを肯定した。
「中立ってのは、駄目なのか?」
 光が提案する。
 現状維持という光の決定は、言い換えればそうなるのだ。どちらにも関わらない、という事なのだから。
「……そうね。私達としては、中立っていう不安定な立場は目障りだわ。どちらにも属さないって事は、どちらに対しても敵対する可能性があるという事でもあるし。何より、組織が動いている時に手を出される可能性があるというのが一番の難点だから」
「能力者のための組織じゃないのか?」
 光が顔を顰めて言う。
「確かに、そうよ。けれど、私達は皆、居場所を奪われ、居場所を望む能力者。居場所がある能力者には解かってもらえない部分もあるわ」
 居場所のない能力者のための組織、という事なのだと光は受け取った。
 そうして、また考えを巡らせる。
 結局のところ、VAN≠ニしては不確定因子は早いうちに取り除き、後々の影響をなくしておきたいのだろうと思う。確かに、言い分は解かる。家族と別れなければならない、というのもあるが、事情を知ってしまった修の事もある。光としては出来れば穏便に済ませたい。
「…出来れば、穏便に済ませたいんだ。俺は戦いたくないし、このままの生活を続けていきたい」
 このまま中立だと言い張れば、攻撃してくると考え、光はそう言った。
 仮に、VAN≠ニ戦うと考えた時、「入る」と言っておいて内側から叩くという事も考えられたが、どれだけの戦力があるのか判らない場所に一人で乗り込むのは無謀だ。間違いなく死ぬ。いくら光の具現力が強力なものでも、それを上回る能力者がいないわけではないのだ。上には上がいるのだから。それに、その方法を取っても今の生活は終わってしまうのだ。ならば選ばない方が良い。
「……残念ね。あなた達が私達の事を信用していないように、私達も完全には信用していないの。このままの生活を続けて行っても、いつかはVAN≠ェ表舞台に現れるわ。その時にあなた達が静観を決め込むかどうかは判らないもの」
 フィルサの言葉は正しかった。
 そう、光の考える現状維持というのは、今、この世界があってこそのもの。その世界が変化をした時、その現状に居続けたいか、というのはその時になってみなければ判らないのが本音だ。光にとって、VAN≠ェ邪魔になったとしたら、もしかしたら光の考えは変わるかもしれないのだ。
「あなたは、まだ、具現力に慣れていない。いくら強力でも、慣れていないのならば十分に勝てるわ」
 フィルサが姿勢を微妙にずらした。
「…光、お前の本音で選べ。俺の事は後回しで良い」
 修が光に耳打ちした。
 自分の事は考えず、敵対するならばそれで良し、という事だ。
「けど……」
「いいか、お前自身が幸せじゃなきゃ周りも幸せにはなれないんだ。自分を犠牲にして俺を助けるなんて御免だ。どの道あいつらは俺を始末するだろうしな」
 修の最後の言葉に、フィルサが眉を顰めた。対して、光は修に頷いた。
「俺は、VAN≠ノは行かない」
 光がそう言い切った直後、フィルサの目の色が水色へと変化する。
「そう、なら、私は私の仕事をさせてもらうわ」
 光と修へ、フィルサが手をかざした。
「…突っ立ってんな!」
 咄嗟に、修が光に飛びついてきた。そのまま光の腕を掴み、河原に転がる。砂利のせいで体の各所に痛みが走った。地面に向かっていた修に比べ、光は幾分か地面に対して背を向けていた。そのため、フィルサの掌の辺りから何かが噴き出したのが見えた。
「な……!」
 光が顔を上げた時には、何の変化もなかった。ただ、離れた場所の地面が濡れている事以外は。
 心拍数が上がって行くのが判る。今、殺されかけたのだ。
「まだ、まともに発動すら出来ないようね……好都合だわ」
 見下すような薄い笑みを浮かべ、フィルサがこちらを向く。
「修、大丈夫か!」
「何とか……ただ、キツイぞ、この状況」
 光の確認に、修が苦しげに呻いた。先程倒れ込んだ時にどこか打ちつけたようだ。
(……どうすればいい…?)
 光は自問する。
 修のいう通り、このままでは殺されてしまう。それも、能力者は常人を凌駕する身体能力を得られるのだから、具現力を使えない修に抵抗する術はない。光もこのままでは間違いなく殺されてしまうだろう。
 だが、光は修とは違う。能力者なのだ。しかし、その使い方すら把握出来ていないのだ。
「せめて、楽に死なせてあげるわ」
 そう言いながら、フェルサが歩いてくる。
(……どうすれば、助かる…?)
 必死になって考えるが、判らない。そう考えている間にも、フェルサが近付いてくる。修はやっと上体を起こしたところだ。
(…使えれば、凌げるのに!)
 奥歯を強く食い縛る。ぎりっ、と歯軋りの音が漏れる。
 具現力が使えれば、この場を凌ぐ事が出来るかもしれない。いや、それしか対抗手段はないだろう。だが、どうすればそれが使えるのが判らないのが、腹立たしい。
「どうする、光? 今からでも入るか?」
 耳元で修が囁く。この状況ならば光だけでも助かるだろう。
「……冗談言うな。どの道お前が殺されるんなら、全部お断りだ」
 修自身が言った。自分自身が幸せでなければ周囲を幸せには出来ない、と。それは修にとっても同じ事のはずだ。今、光が生き残っても、修の命と引き換えというのはあまりにも納得がいかない。光の答えを知っていて、わざと口に出させて決意を固めさせる。光の迷いをなくさせるための修の常套手段だ。それを光も知っているから、自然と口元に笑みが浮かぶ。
「……やるしかないんだな!」
 勢いをつけて、光は立ち上がった。
 全身が強張っている。心拍数も高く、呼吸も早くなっている。それでも、自分自身を落ち着けるように息を吸い込む。
 ぼんやりと、具現力について解っていた事。それは、光自身の意思が強く望んだ時に発動していた能力が途切れた事。ならば、その逆で使えるのかもしれない。
(……戦える力を……!)
 瞬間、視界に蒼白い閃光が満ちた。そして、全身の感覚が入れ替わる。知覚が拡大され、体が軽くなった。
 川の流れる音が、明瞭に聞こえる。重なり合っているはずの川の音、一つ一つが聞き分ける事が出来た。背後にいる修の呼吸音が感じられ、その気配がはっきりと判る。そして、目の前にいるフィルサの気配も。
 一歩、後ずさるフィルサを睨みつける。一瞬、フィルサの肩が震えた。
「……クッ!」
 フィルサが呻き、掌を光へ向ける。
 その掌の周りの空間が微かに歪んだのが光には見えた。そして、その空間の歪みが自分へと向けられている事に気付く。直後、その空間の歪みを伝うように、水が生じた。フィルサの掌から、光へと向けて、高速で水が放たれる。
 水圧は、当てる面積を小さく、圧力を強くすれば鉄等の硬質金属すら切断する事が可能だ。一般的にウォータージェットと呼ばれる。
 知覚が拡大しているためだろう、今まではほぼ一瞬で射出された水が、目で追える速度に感じる。だが、それでも速い事に変わりはない。
(避けられない……!)
 光の背後には修がいる。その攻撃を光が避ければ修に当たってしまう。それに、修を抱えて回避しようにも、遅すぎる。完全にタイミングを外してしまった。
 光は掌を咄嗟に、放たれる水流へと向けた。昨日の河原では、咄嗟にかざした掌から閃光が迸った。攻撃が出来ていたのだ。戦闘経験の無い光には、それぐらいしか思いつく手段が無かった。
 無論、恐怖感は完全に消えてはいない。だが、不思議と混乱してはいなかった。
(打ち消せぇっ!)
 瞬間、光の意思に呼応するかのように掌から蒼白い輝き放たれた。蒼白く輝く電流を集束させたかのような閃光が水流を飲み込み、フィルサへと真っ直ぐに向かって行く。
「――ッ!」
 閃光の射軸から逃れるようにフィルサが横へ飛ぶ。その脇を通過した閃光は、数メートルをおいて周囲に散った。
(……要は意思か!)
 光はそう判断を下した。まだ、完全に使い方が判っているわけではないが、強く念じる事で使えた以上、今はそれしか具現力を使うために思いつく手段はない。
「スプレッド!」
 フィルサが両手を突き出して言い放つ。途端に、その突き出された両手の中心に水球が形成させた。それが渦を巻くように回転し、引き伸ばされ、最後に飛び散った。それも、光達のいる方向へのみ。
 その攻撃範囲から逃れるため、光は修を抱え、地を蹴った。
「――うわっ!」
 跳躍の初速は光の想像を上回るものだった。鋭敏過ぎる体の感覚が慣れず、思うように体を動かす事が出来ない。バランスを崩しながらも、サイクリングロードと河原を繋ぐ斜面のそばに降り立ち、修を下ろす。
 光が視線を戻すと、フィルサがこちらに突撃して来るところだった。その両手が淡い水色の燐光を帯びている。
「――っ!」
 突き出された拳を、何とか体を反らして避ける。直後、突き出されたのと同じ速度で、燐光が射出された。射出された燐光は直ぐに水へと変わり、その水圧で追い撃ちをかけるもののようだ。
 もう一方の拳が突き出されるが、光は屈んで避けた。小さく、水の弾ける音が聞こえた。
「ちょこまかと……!」
 フィルサが舌打ちする。膝蹴りが繰り出されるのを、光は横に倒れるようにして避けた。背中をついて回転し、直ぐに起き上がる。普段の光にはこれ程までの運動神経はないが、今は具現力が光の身体能力を補助していた。起き上がったところへ打ち出される拳を、体を半身に反らして避ける。ほとんど条件反射で動いて避けていたが、少しずつ感覚が追いついてきた。フィルサの足払いを見切り、後方へ一度飛び退くと、掌をかざした。
(――行けぇっ!)
 強く、念じた。掌へと力が流れ込むような感覚が一瞬沸き起こり、掌の前の空間に蒼白い閃光が集約する。集約した直後、蒼白い閃光が空気を裂いて迸った。直進する閃光の射線上からフィルサが飛び退く。着地したフィルサが間をおかずに水流で反撃を返した。横へ跳び、避ける。着地した光は、再度地を蹴った。体勢を低くして駆け出し、フィルサへと突撃する。その光を狙い撃つように、フィルサが掌を向ける。
(もっと…速くっ!)
 瞬間、知覚が引き伸ばされ、踏み込む足に力が加わる。砂利を後方へ吹き飛ばし、一歩だけだが強烈な加速が加わった。思い切り右手を引き、念じた。その拳が蒼白い燐光を帯びる。
 正面に見据えたフィルサの目が驚愕に見開かれた。その距離が一瞬で詰まっている。
「っらああああっ!」
 叫びながら、拳を突き出す。瞬間、拳を包む燐光が厚みを増し、加速した。咄嗟にフィルサが光の左側へと動くが、遅い。
「――ッ!」
 突き込まれた拳は、フィルサの左肩に突き刺さった。そして、その部分を吹き飛ばし、拳よりも一回り大きな穴を穿ち、左腕が千切れとんだ。数瞬遅れて傷口から鮮血が噴き出す。
「……!」
 光は絶句した。ただの打撃攻撃のつもりだったのだ。腕が吹き飛ぶとは思ってもみなかっただけに、そんな事が出来てしまった自分に驚きを隠せない。そのため、フィルサの目の前に降り立つが、直ぐに後ろに数歩分後退した。距離的に返り血は浴びたはずだが、体を覆う防護膜が蒸発させたらしく、光自身の体には一滴も返り血が着いていない。
「が……ぁぅ…くっ…!」
 右手で左肩の傷口を押さえながら、フィルサが悶えている。左腕が引き千切られたのだから当然だろう。並の痛みではないはずだ。
「貴様ぁッ!」
 物凄い形相でフィルサが光を睨みつける。そして、血の着いた掌が光に向けられた。
「お前だって、死ぬのは厭だろうに、何で戦ってんだよ!」
 向けられた掌に向けて、光も掌を向ける。今ならば負ける気がしない。確実に右腕も持っていけるだろう。
「それだけの理由も覚悟もあるのよ、私は!」
 言い様に、フィルサが掌から水が吐き出された。同時に、光の手からも閃光が迸る。光を狙うはずだった水を掻き消して、蒼白い閃光がフィルサの右腕を包んだ。
「――ッ!」
 声にならない声をあげ、フィルサが悶えた。傷を負った右腕を押さえる左腕はないのだ。
 そのフィルサを見下ろしていた光は、さっと背を向け、修のもとへと歩み寄った。
「……行こう、修」
「……放っとくのか?」
 立ち上がった修が光にぽつりと訊いた。
「人殺しにはなりたくないし、どうするかも決めた。それだけでいいよ、今は」
 大きく溜め息をつくのと同時に、強く念じて具現力を閉ざした。感覚が戻り、一瞬ふらつくが、何とか踏みとどまった。
 ゆっくりと斜面を登り、サイクリングロードに出た。
「――!」
 光は言葉を失った。そこには人影があったからだ。
「………」
 無言で光と修を見詰める人影。それは二人の見知った人物であった。
「――紅……」
 紅 霞。光と修のクラスメイトだ。
 引き締まったスタイルの良い体付きに、艶やかな長めの黒髪。端整な顔立ちに、鋭い視線。他者との接触を好まず、一人でいる事の多い女生徒だ。
 真っ直ぐに光を見つめている視線が、間違いなく具現力を目にした事を物語っていた。普通の人が見れば、間違いなく怖れるだろう力。
(……見られた……どうする…?)
 光の怖れる事、具現力を修以外の者に見られる事。修以外の能力者ならばまだ良い。だが、見られたのが普通の人間であれば、周囲に情報が広がってしまう危険が極めて高い。VAN≠ノも、ROV≠ノも入らず、今まで通りの生き方を選んだ光にとって、具現力を操れる事が周囲に知られてしまう事は最も避けたい事態だ。今、それが起きてしまった事に、光は激しく動揺していた。
 表情からは霞がどう感じているのかを察する事は出来なかった。もともと感情を表に出さない性格のようで、普段からも何を考えているのか分からない。
「……紅、他言無用だ」
 光が混乱している事を察したのか、修が割り込むように言った。
 具現力を見られたという怖れていた事態に直面してしまった光よりも、それを横で見ていた修の方がやはり冷静だ。無駄な言い訳等せずに、完結に要点だけを述べている。
「……ええ」
 霞は答えるなり振り返って歩き出した。
「関わらない方がいい、とでも思ってくれれば良いけどな……」
 修が溜め息をついた。
「ほら、光、行くぞ。あの女が復活する前に」
「……あ、ああ。そうだな、行こう」
 修に促され、光はようやく歩き出した。
「修、どう思う?」
 歩きながら光は修に問う。
「霞の事か?」
 修が訊き返してくる。何について、とは言っていないので当たり前だ。
「それもあるけど。力の使い道について、さ」
 霞とは親しいわけではないが、口は堅いだろう。だからその事は後に回し、具現力の使い道についてのことを話す事にした。
「とりあえず俺は、VAN≠ナもROV≠ナも、向かってきた奴を追い返すために使おうと思ってる」
 戦わざるをえない場合に、力を使うという事だ。ROV≠ヘともかく、VAN≠ヘまだけしかけてくる可能性が高い。何せ、構成員の一人を倒しているのだ。
「追い返す……止めは刺さない、と?」
 修が確認するように言ってくる。
「人殺しにはなりたくないって言っただろ」
 拳一つで人間を殺せるだけの力を持っているのだ。それを無闇やたらに使えば、間違いなく、大勢の人の命を奪う結果となる。普通の人間としての生活を望む光としては、それは好ましくない。
「確か、治癒力も高めるんだよな、具現力って」
 修の言葉に、光は頷いた。少なくとも刃達はそう言っていたし、光自身も、使ってみて感覚的に治癒力も高められているだろうと感じた。
「なら、甘いかもな」
 その言葉に光が修に視線を向ける。
「治癒力が高まるってことは、軽度の傷ならば短期間で治せるって事だ。そうなると、傷を負わせた相手に復讐するのは当然だろうし、何よりもともとその相手を殺しにかかってきたはず。たとえ何度も追い返しても、その度に襲ってくるんじゃないか? 増援も呼ぶかもしれない。そうなると、不利になるのはお前だぞ?」
 向けられた視線を見返して、修がそんな感想を口にする。
 流石に腕の一本ともなると再生は無理だと思うが、短期間で傷が回復すれば、また攻撃を仕掛けてくる可能性はあるのだ。それに際して、一人で行って負けたのであれば応援を呼んで戦力の増強を図る事も考えられるだろう。むしろ、一対一で負けたのであれば、同じ条件下で勝ちを狙うのは難しい。必然的に、自分達に有利な状況を作ろうとするだろうし、そうなれば戦力を増やすのが手っ取り早い。そうして増えた人数を相手に勝ったとしても、再び増援を呼ばれ、戦力が強化されるという事を繰り返していけばいつか限界がくる。それだけでなく、戦闘が大規模になるにつれて、周囲に知られてしまう可能性も高くなるのだ。
「……確実にこの生活を守りたいのなら、完全に排除していくべきだと思うな」
 たとえ、戦う人数が増えても、倒された人間が死んでしまえば代えは効かない。繰り返されたとしても、いつか終わりがくる。
「人数が減っていけば、幹部が懸命な奴であれば、途中で狙うのは止めるだろうな」
 被害が大きくなれば、いつか組織として手を出すのが無駄だと思う者も出てくるだろうと言うのだ。組織というからには、一つの事に固執していては成り立たなくなる。光という標的がいつまでたっても倒せないものと判断され、増援を送っても被害が大きくなるだけで利益がない、と判断されれば襲撃はなくなると言うのだ。
「甘い、か。確かに、そうだな……」
 修に言われずとも、ある程度は判っていた。もう、命に関わる問題なのだ。選択を間違えれば光だけでなく、修や家族にも影響が及んでしまう。
「そこまでの覚悟は、持つ自信がないな」
 小さく溜め息が漏れた。
 生い立ち故に、普通の人達よりは物事に対して冷めた感情を抱き、それ故に周囲から多少浮いてしまっている。それでも、光はその一線を越えたくはなかった。
 まだ、全てが思い通りに動く事があるのではないか、と心のどこかで思っているのだ。
「……それでも、覚悟しなきゃならない時が来るぞ、きっと」
 修の言葉が胸に刺さる。
「解ってる」
 ――全てが思い通りに行く事なんてない。
 昔、そんな事を言われた気がした。
「……そう暗くなるなって」
 背中を軽く叩き、修が言う。
「ま、なるようになるさ。覚悟が必要な時には覚悟は決まる。お前なら大丈夫」
「そう考える事にするよ」
 光は溜め息混じりに微笑んで、修と別れた。
 なるようになる、最終的には全てこれだ。起きてしまった事は変えようがないし、先の事は何も判らない。予定はあっても、実際にそれが出来るかどうかは誰にも判らない。それが予定通りに出来たとしても、その場その場で状況は変わってくる。同じ事は一つもない。それが現実だ。
「……使いこなせなきゃいけないよな……」
 空を見上げ、光は呟いた。追い払うにしても戦わなければならないのだ。それだけの戦闘能力は確保しておかなければならない。先程の戦いで、攻撃能力はかなりある事が判った。ならば、今度はそれを自在に使えるようにならなければならない。これからどうするかは決まったのだ。それを実行出来るだけの力は使いこなせなければならない。

 家の前で光は立ち止まった。
 今まで通りに生きるという選択をした光自身、これからも今まで通りに家族に接する事が出来るのか不安だった。それでも、家には帰らなければならない。そこには光の居場所があるのだから。
「ただいま」
 出来るだけ平静を装い、光はそう言って玄関を潜った。
「早かったな、一時間も経ってないぞ?」
 丁度一階に降りてきていた晃が返事をした。
「え……そんだけしか経ってなかった?」
 それに驚き、光はズボンのポケットから携帯電話を引っ張り出して、その時計に目を向けた。修との待ち合わせのために家を出たのは、河原に着くまでに五分程かかるために余裕を持って午後一時の十分程前だ。そうして、視線を落とした携帯電話には午後一時四十分と表示されていた。
「……こんな短時間、何しに行ったんだ?」
 晃が呆れたように言う。
「……何だっていいだろ、別に」
 考えた末、溜め息混じりにそう答えた。言い訳が思いつかないのだ。もともと、光は外出する事が少なく、家にいる事の方が圧倒的に多い。外出する時も、修との待ち合わせや修の家へ行く事がほとんどで、大抵の場合は三時間はかかる。短時間で帰ってくる事は珍しい事なのだ。
「気になるな、そういう言い方は」
「散歩だよ散歩。気分転換だって」
 晃の追究に、光はまたも溜め息混じりに答えた。
「あっそ」
 その光の口調が、根負けして渋々教えたように聞こえたのか、晃はつまらなさそうにそう答え、二階へと上がっていってしまった。晃を見送った後、手洗いとうがいを手早く済ませて光も二階へと上がった。
 自分の部屋に入り、ベッドに寝転んで天井を見上げる。
(……霞は、どう思うんだ?)
 具現力は、非能力者には一体どのように映るのだろうか。修は光が覚醒した現場にも居合わせていた事もあって、ありのまま見ているようだ。もともと修は光と同じようにどこか冷めたところがある。当事者である光よりは、修の方が冷静に周りを見れているのもそのためだ。言ってしまえば霞は修以上に冷めているように見える。話す相手もあまりいないようだし、具現力の事を他言する事はまずないと考えても良い。
(……それでも、不安になるな……)
 光は思う。何を考えているのか判らない、感情の見えない霞が、具現力を得た光をどう思い、何を感じるのか。それは霞だけではなく、修にも言える事だ。親友だから、と安心していたが、改めて考えるとそれは異常な事にも思える。親友だろうと何だろうと、他人の心を完全に理解する事など到底不可能だ。本人から聞き出した答えが嘘だとは言わない、が、その答えを聞いて、解釈するのは聞いた本人なのだ。必ず差異が現れてくるものなのだ。
 躊躇う事なく、光は携帯電話で修を呼び出した。数回の呼び出しの後、通じた。
「……修か?」
「何だ、光?」
 即座に修の声が答えてきた。
「いや、ちょっと訊いてもいいか?」
「……ああ」
 光の言葉から、何か真剣な話だと思ったようで、修の声が真剣なものになる。
「お前は、具現力を使う俺を見て、どう思った?」
「……そうだな、正直、驚いたり、不思議さとかは感じたけど、どう思ったかって訊かれると答えられないな」
 数瞬考え、修が答えた。
「何で?」
 いろいろ考えるところはあるはずなのに、答えられない、というのはおかしいのではないだろうか。
「お前の事は一番信頼してると自分で思ってる。お前だって俺の事は信頼してるだろ?」
「そりゃあな」
 光は同意する。
「お前がそれを使ってどうかする奴には思えないし、実際に、お前はそうしただろ」
 信頼していないわけではない。むしろ、家族と同等以上に信頼している相手かもしれないのだ。疑っているわけではない。だが、だからこそ本人から聞きたいのだ。どう思うのか、を。
「俺にとっては、具現力を使っていようがいまいが、お前はお前だ。感想なんてない。その力だってお前の一部なんだしな」
「……そうか、ありがとう」
 光は短く礼を言った。
「もういいなら、切るぞ。電話代もったいないし」
「あ、悪いな。じゃ」
 修が言ってくるのに答え、通話を切った。折り畳んだ携帯電話をズボンのポケットに突っ込む。
(……そういや、俺も感想持ってないや)
 よくよく考えると、光自身もそうだった。周囲の反応を、周囲の人が具現力を見たらどう思うかを考えて不安になっていたが、光自身は得体の知れない具現力の事を自分自身の視点からはよく見ていなかった。最初はおかしくなってしまったのか、とか、何か想像を絶するような事態に巻き込まれたのか、とか思ってしまったが、同じ能力者に説明を受けてからは何故か考えなくなっていた。説明をうけて納得したわけではないと思うが、自分以外にもその力を使えるようになってしまった人がいたというだけで安心していたのかもしれない。そして、色々な事を知ってしまった今、改めて具現力の事を考えてみても、特に何の感情も抱いていない自分がいるのだ。念じれば使えるのに、抹消する事が出来ない力。怖ろしい力を秘めていても、それから光は逃れらる事は出来ない。修もそれが判っていたのだろうか。それとも、親友の光だったからそう思えたのだろうか。
(……この力も俺の一部、か。確かにそうだな……)
 覚醒してしまった今、光が持つ具現力は光のものなのだ。この力が使えるようになって、光自身の性格に変化はないだろう。大きな事に巻き込まれて、動揺していても、その心理も光の性格から来るものだ。修の言う通り、光は光以外の何者でもない。そして、そう言ってくれた修に光は感謝した。
「……よし」
 小さく頷き、光はベッドから起き上がった。窓を閉め、カーテンも閉めた。入り口のドアからは死角になる部屋の隅まで来て、光は精神を集中させた。具現力を使いこなすための練習を行うのだ。拡大された知覚と、鋭敏になった感覚に慣れるために。
(……具現力……)
 具現力を使いたい、と、強く念じる。
(――使えないといけないんだ!)
 刹那、蒼白い閃光が視界に広がった。具現力が発現する合図だと、今までの経験から判った。知覚が拡大され、自分の体の感覚も鋭敏になっていた。肌で気配が感じ取れるとでも言うのだろうか、別の部屋にいる晃の気配が判る。
 一度深呼吸をした後、拳を突き出してみた。普段の何倍の速度が出ているのだろうか、拡大された知覚が捉える時間感覚ではそれほどの速度には見えないが、しゅっ、と空気を裂くような音が、微かだが聞こえた。次に、普通に腕を戻してみると、かなり遅く感じた。つまり、軽く突き出しただけでも、それだけの速度が出たのだ。一歩、左足を踏み出し、後方にある右足を振り上げてみた。普段の光ならばそれ程上がらない足が、かなりの高さまで振り上げられた。
(感覚を掴まないと……!)
 そう思い、光は体を動かした。
 鋭敏な感覚が、光の身体能力を軒並み上昇させているのが実感できた。運動能力で言えば、光は柔軟性ぐらいしか他者と比べて秀でている部分がない。運動の得意な人間にやや劣る程度だが、その柔軟性も上昇しているのだ。現に、振り上げた足は体操の選手並の高さまで振り上げる事が出来た。加えて、瞬発力等の他の身体能力の上昇もあった。
(そう言えば、何か他にも出来たよな……?)
 しばらくの間体を動かしていた光は、その自分の拳が、微かに蒼白い燐光を帯びる膜に覆われているのを見て思い出した。確か、刃達は防護膜と言っていたものだが、これ自体には光は触る事が出来ず、他の物体も通過してしまい、物を持った時に何かを間に挟んでいるような違和感は全くない。この防護膜が身体能力等を高めていると言っていたが、確かにそんな風にも感じられた。これも、具現力による力場の一種なのだろうか。そして、光の具現力には身体能力を引き上げる事以外にも特殊な力があった。
(あれも使いこなせないと!)
 蒼白い閃光だ。掌から、放たれた蒼白い閃光。フィルサが使った具現力には、水を生じさせ、自在に操る事が出来た。そして、今考えてみると、刃は雷を操っていたようだ。刃の説明から推測すれば、それらは恐らく自然型というものに分類されるのだろう。そして、光は閃光型だと刃が語った。精神力を力場に変換し、それで包んだ空間の内部に力を生じさせるのに対し、閃光型は力場そのものが攻撃能力を持つものだとも言っていた。
(どうすればいいんだ?)
 あの時の刃の説明を思い出す。意識すれば局所的に防護膜を厚く出来る、と言っていた事を思い出し、握った拳に視線を向けた。強く握り締め、意識すると、拳を覆う防護膜が厚くなり、蒼白い燐光が輝きを増した。
(もしかして……)
 意思で発現する具現力。意識する事で厚さを変える事の出来る防護膜。そして、発現と同じように、意思で放たれた蒼白い閃光。そして、道具に付帯させたり、その場に留めておけるという刃の言葉。
 光は掌を床に向けてかざし、細長い棒を武器としてイメージした。すると、掌のあたりから左右に蒼白い閃光が伸び、光が思った丁度良い長さで留まった。
(…やっぱり…)
 確信した光は、その棒を握ってみた。熱くも冷たくもなく、硬くも軟らかくもない、重さも感じないのにしっかりと握っているのが判る不思議な感触。強く握ると、それだけの手応えがあり、その意思に応じて棒を形成する蒼白い閃光が攻撃力を増すかのように流動する。手を放して必要ないと思うと、一瞬で蒼白く輝く棒は粒子となって散ってしまった。
(大丈夫、使いこなせる……)
 光ははっきりとそう思った。具現力は意思に応じて使用出来るのだ、と。後は体の感覚に慣れれば、恐らくは十分に戦えるようになるだろう。光は具現力を閉じた。これも念じるだけで十分だった。体が重くなるような感覚と同時に、今まで拡大されていた知覚も元に戻る。一瞬だが、聴力や視力等が衰えたように感じ、すぐにいつも通りの感覚が戻ってきた。
(この変化にも慣れがあるのか……?)
 少しだが、感覚の差異による影響が小さくなっているように感じた。具現力に慣れていないための、精神力の消費による反動なのだとしたら、慣れればある程度は小さくなるかもしれない。
「……なんとか、なるかな」
 光は呟いた。自分の望む生活を守れるかもしれない、と、そう思った。
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