第四章 「旅立つために」


 光はゆっくりと有希に振り返った。
「仲居って、まさか……」
 振り返った光が見た修の表情は、険しかった。
「お父さん……」
 呆然としていた有希が、ぽつりと呟いた。
 やはり、有希の父親だった。陸上自衛隊中部方面総監。軍事関係にはそれほど詳しいわけではないが、光にも相当な役職にいた人物なのだろうということは察しがついた。
 修は黙り込んだまま、テレビを睨み付けている。
 光にはかける言葉が見つからなかった。似たような経験をしていることもあるせいか、余計に。
 修とは親しいが、有希と親しいかと問われれば返答に困る。有希は修の彼女だが、光との接点はほとんどない。ただ、有希が好きになった修の親友が光だっただけだ。
 光には、彼女に声をかけることはできなかった。彼女を慰め、元気付けるのは光ではない。修なのだから。
(これから、どうする?)
 光は自問した。
 有希の父親を殺したのはVANだ。以前、修は有希の父親が能力者の存在を知っていると光に語ったことがあった。日本の政府や自衛隊の中にもVANに抵抗している者がいるとも言っていた。もしかしたら、仲居良一自身がその中の一人だったのかもしれない。いや、良一も能力者だった可能性はある。
 修が得た独自の情報源は良一経由のものだったに違いない。だとすれば、その情報源がもう使い物にならない可能性もある。今後、VANと戦っていく上で重要な情報収集のルートが一つ潰されたと考えた方がいいかもしれない。残る情報ルートは、聖一ぐらいだろうか。
 正直なところ、厳しい。
 まともに考えて少人数でVANほどの組織と戦うことは不可能だ。降りかかる火の粉を振り払うだけでも一苦労だというのに、VANを潰すというのは極めて困難な目標だ。
 全世界で同時にテロを起こし、各国を混乱に陥れるだけの力を持ち、組織力も高い。単体としての戦闘能力は常人を遥かに凌ぎ、銃火器を用いたとしても並の人間では歯が立たないだろう。
 唯一、勝機があるとすればVANに抵抗する者の存在だ。ROVを初めとする、レジスタンスグループが世界各地にいるのだろう。だからこそ、VANは世界中でテロを起こしている。自分たちにとって邪魔な存在を排除するための行動なのだ。恐らく、VANの襲撃を凌いだ能力者は少なからず存在する。
 光たちが勝つためには、彼らを利用するしかない。彼らが抵抗を続け、VANの戦力が割かれている間に、光たちが組織に止めを刺す。無論、簡単に実行できるようなことではない。様々なリスクを背負い、色んなものを失う覚悟で臨むしかないだろう。ただ、光が誓った守りたいものだけは失くさないようにしなければならない。
 沈黙がその場を支配していた。
 これからどうするか。答えは決まっている。問題なのは、実行するための手順だ。
 VANを潰すために、光たちはどういう戦略で戦うべきか。どうやってVANの目を掻い潜ってアグニアを追い詰めるか。それが重要なのだ。
 光はもう一度、修に視線を向けた。
 修は有希に視線を向けている。硬い表情のまま、有希を見つめていた。
 有希は、ただテレビの画面を見据えている。真剣な眼差しで、じっとテレビに映るニュースを見ていた。自然体と呼ぶには身体が強張っている。正座をした膝の上に乗せられた両手はきつく握り締められていた。良く見なければ判らないが、彼女の拳は僅かに震えている。
 堪えている。
 それが解るからこそ、修も声をかけられないでいるのだろう。光には声をかけられない。
(これから、どうなるんだろう……)
 少なくとも、世界は変わっていくはずだ。
 世界全体がVANという組織を肯定するにしろ否定するにしろ、結論は直ぐに出ないだろう。
 ただ、VANの存在が安定するには時間がかかるはずだ。世界に認められるとしても、敵となるとしても、立ち位置がはっきりする前に決着をつけたい。
 このまま無言でいては何も進展しない。
 修に声をかけようとした瞬間、光は人の気配を感じた。
 それも、部屋の外から。
「修、外にいるぞ!」
 言うや否や、光は机に手をついて勢い良く立ち上がっていた。
 同時に、具現力を解放する。
 聖一でもシェルリアでもない。知らない気配だ。敵の可能性が高い。
 空いたままの窓から、一人の男が部屋に突入してくる。ライフル銃らしいものを脇に抱え、受身を取って着地した男が銃口を光たちへ向けた。
「有希、離れてろ!」
「有希ちゃん離れて!」
 修と男の声が重なる。
 同じ内容の言葉を発した二人は目を見開いて互いを見た。
 光は攻撃を躊躇っていた。有希の安全を確保しようとしたことから、相手が敵だと断定できなかったのだ。もし、VANならば有希には構わず、あわよくば巻き込んで光ともども消そうとするだろう。それに、敵が有希をちゃん付けで呼ぶとも思えなかった。
「……少路(しょうじ)、さん……?」
 有希が目を瞬かせる。
「え? 知り合いなん?」
「あ、はい。えと、お父さんの部下の方、でしたよね?」
 修の問いに頷いて、有希が男に確認を求める。
 有希の父である仲居良一の部下ということは、彼は陸上自衛隊の人間ということか。だとしたら、良一に対する襲撃での生存者という可能性もある。
「君たち、VANじゃないのか……?」
 少路と呼ばれた男も眉根を寄せて呟いた。それでも銃口を逸らすことはしない。
「VANは敵だ」
 即答した光の言葉に、男は驚いたようだった。
 VANという単語に敏感に反応している自分にも驚く。それだけの敵意を抱いているという表れなのだろうと強引に納得する。
「じゃあ、まさか貴様が矢崎修か……!」
「俺じゃない。修はこいつだ」
 先ほどとは打って変わって敵意を剥き出しにする少路を見て、光は隣にいる修に視線を向けた。
「貴様が僕の有希ちゃんを……!」
 何やら呟きながらわなわなと肩を震わせ、少路は修の額に銃口を向ける。
「えと、少路さん?」
 少し引き気味に、有希が目を瞬かせる。
「あなたは自衛隊の人なんですか?」
 光はそれとなく修を庇うように前に進み出て、少路に問いかけた。態度に不信感はあるが、かなり年上に見えるため丁寧語を使った。
 目の前の少路という人物が有希の父親、良一の部下ならば自衛隊の人間なのだろう。だとしたら、何故、彼がこの場に来たのかを知る必要がある。光たちにとって、敵なのか味方なのかをはっきりさせておかなければならない。
「ああ、それが何か?」
「とりあえず、事情が解りません。説明してもらえませんか?」
 少路の返答に、光は言い放った。
 色々と説明をして欲しい。良一の部下なら、彼の死ぬ瞬間を目撃している可能性もある。VANによる襲撃の様子や規模などを詳しく知ることができるチャンスだ。
 加えて、もし彼と話し合うことで自衛隊と繋がりができるのなら、メリットも大きい。
「それから、外にいる能力者は仲間の方ですか? だとしたら敵意は向けないで貰えませんか」
 光の言葉に少路は目を見開いた。
 何故判った、そう言いたげな視線だ。部屋の外、玄関側の廊下に三人、屋上に二人、窓の外にロープを使って潜んでいるのが一人、気配を感じている。警戒し、緊張した視線がある。いつでも攻撃が可能なように意識を向けているのが判る。
「俺たちも学校が襲撃されたんです。お互いに情報は交換するべきじゃないですか?」
 本来、こんな提案をするのは修の方だろう。そんなことを考えながらも、光は少路に言葉を投げ続けていた。
 いつもなら、こういった場面では修の方が口が回る。言葉を操ることにかけては光よりも修の上だと思う。だが、今は光が交渉をしていた。
 重苦しい雰囲気が変わることを期待しているのだろうか。それとも、今までの状況が息苦しかったのだろうか。銃口を向けられた修への注意を自分に向けさせようとしているのかもしれない。張り詰めたような緊張を早く解きたいのかもしれない。
 ただ、今は自然と言葉を投げることができた。
「……そう、だね」
 少路は呟き、銃を下ろした。
 それから仲間に合図を送り、臨戦態勢を解除させる。VANへの警戒はしているようで、光には気配の方向性の変化が判った。
「僕は少路和隆(かずたか)、陸上自衛隊中部方面隊普通科連隊所属の一尉で、具現力特科の一員だ」
 そう言って、少路は自らを紹介した。
 陸上自衛隊中部方面隊、ということは良一の部下というのは間違いではないようだ。一尉ということは、尉官の最上級だ。下士官や兵を率いて最前線で直接戦闘をする階級としては最も高い位置にある。
「俺は、火蒼光。高一」
「同じく、矢崎修」
 光に続いて、修が告げた。光には初対面の相手に自己紹介できる肩書きはない。ROVのメンバーでも、VANの構成員でもないのだ。高校一年生という今の年代を付け加える以外になかった。
 修の自己紹介の時に少路の目がやや吊り上り、何やら敵意らしきものが見えたが、自制したらしかった。
「高校生か……」
 少路は呟くように言い、光を見る。どうやら、修を見ると苛立つらしく、意図的に視線を向けようとしていないようだ。
「具現力特科って、何ですか?」
 光は問う。
 恐らく、自衛隊の中にできた能力者部隊なのだろう。
「総監が設立した、能力者による特殊部隊のことさ」
 少路が答える。総監とは、良一のことに違いない。
 以前、修から聞いた話では、良一は能力者の存在を知っていると言っていた。その時ははっきりとは言っていなかったが、良一自身も能力者だったのだろう。でなければ能力者による部隊を設立するとは思えない。
「じゃあ、周りにいるのは具現力特科の人たちですか」
 光の言葉に、少路が頷いた。
 だとしたら、彼らは死亡した良一の娘、有希を守るために来たのだろうか。
「僕らは、国内の能力者を保護する目的でここに来たんだ」
 少路が告げる。
 VANに狙われるであろう、VANという組織にとっての不穏分子を保護するのが彼らの使命なのだろうか。自衛隊の重役の中にもVANの排除対象になっている者は少なからずいるはずだ。VANの世界規模テロの当日の間にそんな指示が回るものだろうか。どの組織も混乱しているのではないだろうか。
「保護?」
「ああ、現状でVANが狙うのは能力者か、それに近しい者たちだろうからね」
 眉根を寄せる光に、少路が言った。
 確かに、VANは光や修を狙ってきた。VANという存在が表舞台に現れた際に障害となるであろう存在を潰していると見て間違いないだろう。
「上からの指示か?」
 修が口を挟む。
「いや、これは僕の独断さ」
 視線を向けることもせず、少路は答えた。
「混乱していて指揮系統も麻痺してるんだよ」
 少路は肩を竦めた。
 一般人のテロや、他の国の軍が攻めてきた、という状況だったなら事態は違っていただろう。能力者による世界同時多発テロということが混乱を大きくしているのだ。
 国内に潜り込んでいた能力者が具現力を発揮させれば、一般人には取り押さえることはできない。最も平均的な力である通常型でさえ、一般的な銃器を凌ぐ戦闘能力になる。政府や組織の要人暗殺に長けた能力者なら、殺しも簡単だろう。
 恐らく、最初に起きたテロでほぼ全ての要人は殺されているに違いない。だとしたら、VANが次に狙うのは個人で動いている能力者たちに絞られる。要人を叩き、組織の機能を麻痺させると同時に崩壊させた後に邪魔なのは組織に所属しない能力者だ。光や修のような。
 自衛隊としての機能が麻痺している今、政府関係の筋でVANの襲撃に対抗できるのは具現力特科の少路たちだけと言っても過言ではない。だから、彼らはVANが次に狙うであろう能力者を保護しようとしているのだろう。
「総監から、有希ちゃんが能力者だって聞いていたから、助けに来たんだ」
 少路が小声で呟いた。
「……で、何かこの辺の状況で判ってることはあるのか?」
 一度溜め息をついて、修が問う。
 少路の言葉に引っ掛かるものを感じつつも、あえて触れないようにしているようだ。二人とも薄々何を考えているのか気付いているのだろう。
「この付近の能力者のほとんどは共同して戦っているみたいだね」
「ROVか……!」
 少路の言葉に光は呟いた。
 恐らく、ほとんどの能力者はROVに身を置いているのだろう。能力者として覚醒した者はVANに入るか、ROVの勧誘を受けるかの二択に近い状況に置かれる。光はどちらも選ばず、単身戦ってきた。修と有希もVANでもROVでもなく、光と同じように第三者的な立場を選んだ。シェルリアはVANから光の意思に共感して裏切り、聖一は情報の対価として中立を維持していた。
 光たちの方が特殊なのだ。
「他の地域のことは判らない。情報網も分断されてるからね」
 渋い表情で少路が言った。
 当然だろう。現代戦において情報を分断することは戦略的優位に立つためには重要なポイントだ。VANが各地で同時に行動を起こしたのには情報を混乱させるという意図もあったに違いない。現に、一般人である光たちだけでなく自衛隊に所属する少路たちもまともな情報収集ができずにいるのだ。
「で、君たちについてだけど……」
 少路が光を見る。
「俺たちはVANでもROVでもないし、保護して貰う必要もない」
 嫌われているらしい修に代わって、光が話を始めた。
 VANを敵としながらも、ROVに所属するつもりはなく、自分の身を守るだけの力はある。そして、今までにVANの高位部隊を退けてきたことや、元VANのシェルリア、情報屋の聖一が光の側にいることを伝えた。
 攻撃に使える能力を一切持たない有希はともかく、光、修、シェルリア、聖一の四人は保護を受ける必要はない。
「できれば、味方になって欲しいところだな」
 修が呟く。
 戦える能力者の仲間は多い方がいい。光や修が戦っている間、有希や孝二たちを護衛してくれる人材は欲しいところだ。情報収集を聖一に任せるとしたら、今の状況で護衛を頼めるのはシェルリアしかいない。
「誰が貴様に協力するか」
「嫌われるようなことをした覚えはないぞ?」
 敵意を剥き出しに睨みつけてくる少路を見返して、修が言う。
「それに、協力するならお前たちの方じゃないか。一般人を戦いに出すのは不本意だが……」
 少路の言葉ももっともだ。
 一般人に自衛隊が協力するという構図はおかしい。逆に、自衛隊に光たちが協力するという形の方が自然だ。自衛官としてのプライドなのか、民間人を戦わせることに抵抗はあるようだが。とはいえ、既に光たちは戦闘を経験し、乗り越えてきている。非能力者の自衛官よりは強力な助っ人になるのは間違いない。
「俺たちはVANを潰すっていう目的があるからな、そのためには自衛じゃ駄目なんだ」
 修が言葉を返す。
 目的を考えるのであれば、立場は逆転しても問題はないように見える。光はVANという組織の壊滅を誓った。修は光と共に戦うことを約束してくれている。シェルリアはそんな光に従うという意思を示したし、聖一は光の味方になると言ってくれた。
 自衛隊の目的である防衛と違い、光たちは自ら戦地へ赴き、戦う必要性がある。ならば、光たちがいない間、日本に残るであろう近親者を守る役目を負って貰いたい。無論、逆の立場でも同じことが言える。自衛隊として国内の防衛に尽力している間に、VANを潰す役目を光たちが担うという形もある。
 主導権がどちらにあるか、というのが重要なのだ。
 光としてはどちらでもいいのだが。
「こう見えても僕は政府内で最も実力の有る能力者なんだよ?」
「へぇ」
 自慢げに胸を張る少路に、修はさも興味なさ気に返事をする。
「この場で誰が一番の実力者だと思ってるんだい?」
 苛立ちを隠さず、少路は修に詰め寄る。
「そんなん、こいつに決まってんじゃん」
 修は左手の親指で光を示した。
「え、俺?」
 急に指名され、光は眉根を寄せる。
 少路は訝しげに光を見る。元々、運動の苦手な光は見た目にも強そうには見えないだろう。もっとも、具現力を用いた戦いに、生身の身体能力はあまり関係がない。能力の差も勿論のことだが、能力特性によっては戦い方ががらりと変わってしまうのだ。単純な格闘戦と同じようにはいかない。
「そりゃあ、俺らの主戦力だし」
 修が言った。
 事実上、VANとROV以外のグループの中で光は中心人物と言っても過言ではない。シェルリアも、聖一も、光を上回る力は持っていない。有希は治療専門だ。修と手合わせをした経験は無いが、持ち合わせた能力特性を考えれば光の力が最も強大と言える。
 現に、そのメンバーの中では光が最も多くの能力者を葬っている。加えて、VANは光をかなり危険視しているのだ。
「……よし、なら手合わせして貰おう」
 暫しの間黙考した少路は笑みを浮かべて言い放った。
「勝った方が主導権を握るってことだな」
「おい、修!」
 乗り気な修に光は抗議の声を上げる。
「場所は直ぐそこの河原でいいな?」
 どうやら少路はやる気らしい。
 修と少路は互いに挑発的な視線を交わしている。
「あの、危ないことは、その……」
 おずおずと止めに入ろうとする有希の頭に、少路は優しく手を乗せた。
「大丈夫、互いの実力を計るだけさ」
 不安げな有希に微笑んで、少路は部屋を出て行く。
「何で俺に戦わせるんだよ……」
「いや、お前のが確実に勝てそうだし」
 不満そうな表情を浮かべる光に、修が答える。
「因縁付けられてんのお前じゃん」
「お前のが俺より戦えるだろ?」
 両肩を落とす光の背中を修が押す。
 確かに、VANがいつ襲い掛かってくるか判らない現状では、無闇に体力を消耗するのは避けた方がいい。攻撃、防御、移動、あらゆる行動に活用できる特性を持っている代償なのか、修の能力は精神消耗が激しい。単純な力の塊のような光と違い、戦略性の高い力だ。訓練などと違う用途で計画性も無く力を使うべきではない。
「仕方ねぇなぁ」
 大きく溜め息をついて、光は外へ出た。
 光は具現力を発動させるとマンションの四階から飛び降りて河原へと向かった。少路の仲間たちであろう気配は既に無い。少路と共に河原にいるのだろう。
 河原には少路の他に数人の男が立っていた。少路だけが前に出ており、他の者は遠巻きに見ているといった形だ。光が着くと直ぐに修が有希を連れて離れた位置に現れる。
「先に顔もしくは心臓付近に手を触れた方の勝ちでいいな?」
 少路の言葉に光は頷いた。
 今まで抱えていた銃火器は仲間に預けてあるらしく、素手だ。ならば光も遠距離攻撃は避けるべきだろう。
「君に勝って有希ちゃんを返して貰う」
「俺、修の代理じゃねぇんだけど……」
 指を突きつける少路に溜め息をつく。
 具現力を解放したままの光を見て、少路が一度目を閉ざす。瞼を開いた時には、少路の虹彩は赤紫色に変色していた。
 勝気な笑みを浮かべる少路の出方を光は窺う。
 どう戦うか、思案を巡らせる。
 具現力を用いた戦いは大きく別けて二つのパターンに分岐する。一つは最初から全力を出して一気に畳み掛けるという手だ。もう一つは、慎重に戦い、相手の力を見極めてから確実に仕留めるというものだ。
 前者は相手の能力の真価が発揮される前に倒してしまうという先制攻撃型である。全力で仕掛け、圧倒するという方法だ。相手がどんな能力者であれ、力場を張る前に攻撃を仕掛けてしまえば敵は後手に回らざるをえない。先手を取って一方的に攻撃を行う短期決戦タイプの作戦だ。
 後者は後手に回り、相手の実力を見極めた上で確実に倒すための作戦だ。相手の力の特性を見極めることで実力を把握し、その力に最も効果的な戦法を取る。短期決戦タイプのリスクである反撃を防ぐことができるのが利点だ。しかし、逆に戦いが長引いてしまうという欠点もある。
 精神が力と密接に結び付いている具現力の戦いにおいて、長期間の緊張は精神への負荷も小さくはない。
(よし、決めた)
 光は心の中で一度頷いた。
 この戦いは後手に回る。そう決めると両脚を肩幅に開き、軽く身構える。
 恐らく、これから光は今まで以上に能力者との戦いを潜り抜けていかなければならなくなる。そうした時に必要なのは、短時間のうちに相手の能力特性を見抜くことのできる眼力と、実戦で養われていく経験からくる勘だ。光の能力特性はVANのほぼ全ての人間に知られてしまっているはずだ。となると、部隊長クラスの敵は光の能力特性を踏まえた上での戦法を取ってくる可能性がある。
 先手を取って攻撃した際に手痛いカウンターを返される場合も十分にありうるのだ。ならば、少しでもより多くの能力者と対峙し、経験を蓄積していくべきだ。
 幸い、光には敵の力場を感知することができる。この特性だけでも敵の攻撃を先読みできる。
「行くぞ」
 少路が呟き、力を振るった。
「……!」
 光は周囲を見回す。
 少路と光を中心に力場が大きく広がっていく。
(空間型……?)
 力場を大きく展開するのは空間型の特徴だ。
 だが、次の瞬間には少路の能力が空間型ではないことを知る。
 少路と光の間に霧が生じているのだ。同時に、耳の奥に妙な違和感を抱く。気温の低下も感じ取った。
(これは、違う……!)
 空間型とは異質な力だ。空間を曲げたり、破壊したり、形成したりといった類の力ではない。
「加減しながら戦うっていうのは難しいね」
 少路が呟く。
(もう少し、様子を見るか?)
 軽く握った両手を少し開き、霧に包まれた少路の気配を探る。ゆっくりと拡散していく霧の中心付近には少路の気配があった。
 少路の力は何だ。
 現時点で考えられるのは霧を作り出せる能力だ。水を司る力だろうか。いや、もしかしたら霧ではなく煙幕なのかもしれない。だとしたら、空気を操る力だろうか。風、ガスとも考えられる。
 静かに唾を飲み込んだ瞬間、耳の奥の違和感が消えた。その感覚は、急に高い場所へ登った時の気圧の変化に近い。唾を飲み込むことで鼓膜を挟んだ内外の気圧に差がなくなる時の感覚だ。
(空気? いや……)
 一瞬浮かんだ答えを否定する。
 空気、風を操る能力者は以前、見たことがある。大気を思うがままに操る力を持った楓の戦い方は、目の前の少路とは違う。彼女は大気の流れを刃のように鋭く集約させて使っていた。風を武器として戦えるのであれば、まずはその攻撃を試してくるはずだ。
 大気を武器にする力ではないのだとすると、何だろうか。
 力場を半径五十メートルほどの範囲に張り巡らせたまま、少路は光の様子を探っているようにも見える。何故、力場を大きく張り続ける必要があるのだろうか。使い方は空間型に似ているような気がする。
「どうしたんだい?」
 少路の問いを、光は無視した。
 攻撃を仕掛けることよりも、相手の力を見抜くことを優先させる。意識を集中し、相手の動きを注意深く観察しつつ、少路の具現力を推察する。
「来ないのなら、こちらから」
 異臭がした。可燃性ガスの臭いだ。
 光は反射的に跳び退っている。その直後に、光の目の前で炎が燃え上がった。可燃性のガスが突然発火したのである。
(ガスに、発火?)
 火をつけるための動作は全くなかった。
 見えなかっただけなのだろうか。いや、光の感覚は少路が動いていないと告げている。だとしたら、今のが少路の力なのだろうか。
 少路が張り巡らせた力場の中に、他の力場は存在していなかった。少路が展開した力場内部で起きた現象だ。他の仲間が手を貸したというわけではない。
「なるほど、速いね」
 少路が呟く。
 光は考えていた。
 点火に際して力場を用いていなかった。ならば何故、少路は着火できたのだろうか。
 ガス、霧、微かな気温の低下と気圧の変化。
(もしかして……)
 推測が正しければ、少路の力は光に勝ち目のないものだ。力場破壊の力で捻じ伏せれば何もできなくなるはずだ。
「大気の掌握?」
 光は小さく呟いた。
 力場で囲んだ領域内の大気を掌握できるのであれば、今までの動作の説明はできる。霧は大気圧を変化させることで生み出すことができる。大気圧の変化に伴い気温の低下も感じたのだろう。そして、大気成分を変更できるのならば可燃性のガスにすることも可能なはずだ。変更した大気成分同士を混合し、化学変化から着火することも理屈の上では不可能ではない。
「……なら、君の力は?」
 少路が問う。否定も肯定もしない。
「俺の力は……」
 光は右手を握り締めた。蒼白い閃光が拳を包み込む。
 大きく跳躍し、右手を振り払うようにして光弾を空中からばらまいた。少路は僅かな動きで光が放った蒼白い光球をかわしていく。その動きは、どこに攻撃が来るのかを先読みできているかのようだ。
「通常型? いや、これは……」
 少路の呟きが聞こえた。
 光は着地と同時に、左手を真上に掲げた。意識を集中し、理性を導く。相手の力を否定する、具現力の中で最強の防御能力を誇る力を放つ。
 一ミリにも満たない、僅かな白い輝きが掌から真上へと弾ける。一直線に突き抜ける白光は少路の力場を突き破った。ただ擦り抜けたのではなく、力場そのものに穴を空ける。
 一瞬にして力場が消失し、少路が愕然とする。
「まだ、これがギリギリか……」
 光は歯噛みした。
 オーバー・ロードをしていない状態で力場破壊を射撃に近い形で使ったのは初めてかもしれない。今まで、オーバー・ロードせずに力場破壊能力を発揮したのは全て防護膜だった。拳や蹴りといった、近接格闘において使用してきたのだ。
 力場破壊能力を、光はまだ完全に使いこなせてはいない。この戦闘でどうにか力場破壊を格闘以外で発揮できた。確実に馴染んできている。
 少路が力場を再び展開させる。
 同時に、光は右手に意識を集中させた。白い輝きが光の手を包み、力場破壊能力を付与する。少路の力場は光を飲み込むように展開しようと迫ってくる。光は、右手を前へかざして少路の力場を破壊した。
「続けますか?」
 光は問う。
 もし、少路の力が領域を設定しなければ使えないものだとしたら、光に勝つことはできない。肉弾戦になったとしても、防護膜の強度も身体能力の向上度合いも閃光型である光の方が格段に上だ。
「俺の力は、閃光型の力と、力場破壊能力です」
 光の言葉に、少路の表情が固まる。
「そうか、確かに相性が悪いわけだ……。僕の力は大気支配能力だからね」
 領域を設定した範囲内の大気を掌握するのが少路の力だった。大気圧の制御や成分改変による攻撃が少路の力なのだ。確かに、大気を操る力は高い戦略性を秘めている。
 有毒ガスを知らず知らずのうちに吸わせることもできれば、可燃性ガスによる爆発なども誘うことができるのだ。
「でも、模擬戦じゃ真価の発揮できない力ですね」
 光は苦笑した。
 相手を殺さずに戦うのが目的となった場合、無闇にガス攻撃を行うことはできない。有毒ガスは使えないのだ。だとしたら、最初に力場の内部にいた時点で光の負けだったのかもしれない。
 もっとも、相手を殺すだけが目的なら、光も力場破壊を使っていただろう。どれほど強大で特殊な力を持とうとも、発生させた力場を破壊されてしまえば何もできないのだ。残される選択肢は肉弾戦のみとなる。
「大抵の能力者は光の力が弱点だからな」
 具現力を閉ざした二人の下へ、修が近づいてきた。
「貴様はどうなんだ?」
 敗北したことにようやく気付いた少路が不服そうに問う。
「……多分、修の方が強いよ」
 光の言葉に、少路が顔を顰める。
 修が少路と戦ったとしても、結果は同じだっただろう。修の空間破壊による瞬間的な立ち位置の入れ替えや防御は鉄壁に近い。それこそ、力場破壊で行動プロセスに割り込んで遮断でもしない限りは修の動きは制限できない。
「ここにいたのか、光」
 不意に、傍の空間が歪み、声が聞こえた。
 身構える少路たちに、光は静かに首を横へ振った。知り合いだから大丈夫だと告げて、歪曲空間から声の主が現れるのを待つ。
「先輩、何か新しい情報はあったんですか?」
 歪んだ空間から姿を現した聖一に、光は尋ねた。
「ROVはVANの襲撃を乗り切ったようだ」
 聖一の報告にその場にいた皆が耳を傾ける。
 ROVのトップ、刃は高校の襲撃をいち早く察知し、先手を打ったらしい。高校への襲撃直前にROVの仲間を集め、屋上へ降下してくるVANの能力者と戦ったようだ。隊長クラスの人間もいたようだが、ROVの中心メンバー四人がいる場所では勝機も薄かっただろう。
 その後、刃たちROVのメンバーは各地に指示を飛ばし、VANとの交戦を開始したらしい。VANとの戦闘が一旦終了した今は各地で終結し、今後の行動について話し合っているとのことだ。
「刃たちも、高校を辞めて戦うつもりかもしれないな」
 聖一が言う。
 光のように、高校に通いながらVANへの抵抗を続けるのは難しいと判断したのだろうか。いや、刃は高校生活をカムフラージュとして使っていた可能性もある。近付いてくる敵の油断を誘い、逆に仕留めるために。
 まだそこまでの判断は下していないようだ。光にも、刃たちになら高校を辞めずに戦うことも不可能ではない気がした。
「それと、ここからはVAN側の情報だ」
 聖一の視線がすっと細められる。
「VAN側の情報だと……!」
 少路が信じられないと言ったように呟いた。
 敵と繋がっていたこともある聖一を知らないのだから無理もない。今まで、VANとの戦いは防戦一方だったのだろう。VANの構成員が姿を現さねば、戦えなかったのだ。光もそうだ。まず、VANの方から光の前に現れなければ、戦いようが無かった。部隊が現れなければ、こちらから攻めるということもできない。組織そのものに先手を打って仕掛けることはできないのだから。
 聖一の力が情報収集に向いていることを伝え、少路を落ち着かせる。
「VANは世界各地の抵抗勢力を潰すことを優先するようだ」
 世界中の軍がVANの敵になるかもしれない。ROVやそれに近い者たち、国、政府、組織、あらゆるものに対し、VANは攻撃を仕掛ける可能性があるということだ。VANにとって、邪魔になるものであるなら、全て。
「今は反応を見ているようだな」
 聖一が言う。
 一度、表舞台へと姿を現して決起したVANに対する世界の対応を見ようと言うのだ。VANの宣言に同調する者もいれば、反感を抱く者もいる。同調する能力者は吸収し、反感を抱く組織や能力者は排除する。その選定期間、ということだろうか。
「それと、光」
 どこか今までとは違う聖一の口調に、光は無言で彼を見返した。
「近いうちに、晃がお前の前に現れる」
 光は静かに頷いていた。
 いずれ、晃は光の前に立つだろうと、覚悟していた。敵として現れるのか、味方になるために現れるのかは判らない。ただ、晃と向き合わなければならないことだけは理解していた。
「お前は、自分の兄を殺せるか?」
 聖一が問う。
 その言葉に少路たちが息を呑んだ。修と有希は晃がVANに渡ったことを知っていたが、少路たちは知らないのだ。強大な力を持つ光の兄が、VANにいることを。
「……殺すしか、ないですよね」
 光は目を伏せて呟いた。
 VANを潰すと決めた光の敵になるのであれば、命を絶つしか術はない。能力者は死なない限り戦闘不能にはならないのだ。
「お前に、できるか?」
 聖一の声は少しだけ優しいものになっているような気がした。
 それは暗に、光にできないのならば他の者が代わり晃の命を絶つということを含んでいた。両親を亡くした光にとって、晃は最も血の繋がりの深い人物だ。その肉親を殺すことの重さを、他の者が晃の命を絶つことで軽減しようと言っているのだ。
「その時は、俺が、やります」
 一言一言と噛み締めるように、光は告げた。
 他の者に兄の命を負わせるようなことはしたくない。どうしても晃を殺さなければならない時は、光の手で止めを刺したかった。
「修、頼みがある」
「……ん?」
 修の反応を待って、光は口を開いた。
「もし、俺が兄貴を本気で殺しそうになったら、一度だけ、兄貴を助けてくれ」
「……解った」
 光はゆっくり、はっきりと言葉を紡ぐ。修は、何も聞かずに一言だけ肯定の言葉を述べた。
 二度目はない。光が晃を本気で殺しかけた時、修の力で晃を救う。晃の位置を変えたり、光の攻撃を逸らすだけでいい。ただ、光の本気を見せ付ける。
 それで兄が思い直してくれれば良い。もし、それでもまだ晃が敵のままでいるのなら、光は兄を殺すことになる。
「大変そうだな」
 小さな声で少路が呟いた。
「まぁね」
 力なく、光は笑って見せた。
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