第五章 「光を求めて」 VANの宣言より一日が過ぎた。 事前に各方面へ派遣されていた部隊が一斉に攻撃対象へと奇襲を行った。攻撃対象となっていた非能力者のほとんどは問題なく殲滅できた。だが、中には能力者を味方に着けて護衛させている者もおり、梃子摺った部隊もあったようだ。中には仕留め切れなかったところもあったらしい。 また、ROVを始めとする能力者のレジスタンスグループの殲滅は困難を要した。VANの宣言に至るまで生き延びてきただけあって、実力者が多かったのだ。生き延びた者も少なくはない。主な目標であるROVへ与えたダメージもそれほど大きくはなかった。 ジンを中心とした主要メンバーは抹殺できず、それ以外の能力者たちもVANの襲撃に際し素早く仲間と合流し、抵抗したのだ。しかし、VANの蜂起に伴う大規模な作戦行動により殲滅できた能力者も多い。 ROVに限って言えばせいぜい一割か二割だろうが、全体で言えば反抗勢力の五割近くは殲滅に成功したと報告されていた。 「大丈夫ですか?」 隣を歩くリゼが心配そうな表情を見せる。 「ん? ああ、心配ないさ」 そう答えて、ダスクは小さく微笑んだ。 ダスクもまた、蜂起の際の殲滅作戦には参加していた。第一特殊機動部隊を指揮する者として、最前線で反抗勢力と戦っていたのだ。長期間の能力発動による疲労が無いと言えば嘘になる。今までのような、世界の水面下で戦うのと違い、大々的に襲撃を仕掛けたのだ。必然的に戦闘は大規模になる。そうなれば、具現力の連続使用は避けられない。単に発動しているだけと違って、強力な攻撃を連続で放てば精神疲労は大きくなるのだから。 だが、ダスクは覚醒してから今に至る期間がVANの中でも比較的長い部類にある。覚醒したばかりの者たちに比べれば、十二分に力を発揮して戦えるコンディションだ。特殊部隊の長を任せられているのは伊達ではない。 「それに、次に戦うのは俺たちじゃない」 続けた言葉にダスクは視線を細める。 嬉しいという感情はそこにない。どこか不安げな表情だ。 「リゼの方こそ、疲れてはいないか?」 表情を切り替えて、ダスクは問う。 「大丈夫です」 リゼはダスクと同じように小さく笑みを見せた。 彼女もかなりの実力を持っている。ダスクが部隊に引き抜いてから、驚くほどの早さで実力をつけていったのだ。部隊の仲間をあっという間に追い越して、今ではダスクの副官だ。精神的にも、体力的にも部隊の中ではダスクに次いで高いレベルにある。 「少し待っていてくれ」 トレーニングルームの前で立ち止まり、ダスクはリゼに告げた。 リゼが頷いたのを確認して、ダスクはトレーニングルームのドアを開け、中へと入る。トレーニングルーム前の休憩室を真っ直ぐに進み、目的の部屋の扉を開けた。 「行くぞ、準備はできているか?」 ダスクが声を向けた先には、ランニングシャツ姿で力の訓練をしているアキラがいる。 「解った」 ダスクに気付いたアキラは力を閉ざし、振り返った。 汗は掻いていない。呼吸も整っている。 ほぼ全ての人員が出払い、施設の中に残っていたとしてもVAN本部であるこの場所の防衛力に回されていたのだ。訓練相手がいなかったに違いない。 アキラは休憩室でスーツに腕を通す。 VAN構成員の証である、黒いスーツに。 着替えが終わったところで、二人は部屋を出た。待機していたリゼを連れて、再び通路を歩き始める。 アキラの表情には不安はない。ヒカルと戦うという任務の内容は伝えているが、殺し合いをするという実感がないのだろうか。もしかしたら、本当に不安はないのかもしれない。任務の指示は、ヒカルの勧誘とアキラの実戦訓練であって、ヒカルの抹殺ではないのだ。VANの内部で行っていた模擬戦と同じようなものだと考えている可能性は少なからずある。 やはり、実際にアキラ自身が本物の戦いを経験しなければならないのだろう。ヒカルは最初から本物の殺し合いを経験している。その差なのかもしれない。 「ダスク……」 不意に、声がかけられた。 セルファが通路の脇に立っている。 「……セルファ?」 ダスクは違和感を抱いていた。どこか、今までのセルファとは雰囲気が違う。 「行くのね、ヒカルのところへ」 セルファのその言葉に、ダスクは言葉を失った。 微かに目を見開き、セルファを見つめる。 何故、知っているのだろうか。ゼルフィードから直々に受けた、単独任務の内容を。あの場にセルファはいなかったはずだ。そこまで考えて、ダスクは気付いた。 セルファなら可能だ。任務の内容を知ることも、あの場にいないように見せかけることも、彼女ならばできる。セルファの持つ空間干渉能力は具現力の中でも最も万能と呼べる力だ。力場さえ保てれば、包み込んだ領域内に能力者が望むあらゆることを発生させることができるのだから。 「一つ、お願いがあるの」 セルファが告げたその言葉に、ダスクは驚いていた。 彼女がダスクに何かを望むなど、初めてのことだったのだ。無論、ダスク以外の者に対しても要求を伝えたことはない。いつも、ただ静かに全てを見つめているだけだった。 「……何だ?」 ダスクは彼女の言葉を待った。 あえて、何も言わなかった。驚きはしたが、セルファもまだ十六歳だ。黙っている間に溜まっていた要望を伝えたい時もあるだろう。 セルファ・セルグニス。アグニアとセイナの娘であり、二人の次にVANを象徴するような存在だ。いつ覚醒したのかすら判らず、皆が気付いた時には既に力の使い方を知っていたらしい。 ダスクがVANに来た時、セルファはまだ九歳だった。しかし、自分の力に戸惑うこともなく、ただそれが当たり前のように扱えていた。周りにいる人間が能力者だけだったせいだろうか。 セイナのあずかり知らぬうちに覚醒していたセルファの潜在能力は計り知れない。そして、恐らくはVANの中で唯一、人を殺した経験の無い能力者だろう。 「私を、案内して欲しいの――」 そして、セルファは小さく息を吸い込むと、意を決したように言葉を紡いだ。 「――ヒカルの下へ」 瞳は確たる意思を宿している。 今までのセルファとは違う、力強い何かを感じた。 「え……?」 リゼが驚愕に目を見開く。 ダスクは黙り込んだ。 何故、ヒカルの下へ向かいたいのだろうか。敵として戦うためとは思えない。セルファは具現力を用いた戦闘行動を好んでいないのだ。VANの中で模擬戦はおろか能力を訓練している姿を見た者はいない。戦いに関して、セルファは素人のはずである。 「……いいんだな?」 ダスクは問う。 セルファは静かに頷いた。 ただの見学ではないだろう。戦闘を好まないセルファがわざわざヒカルとアキラの戦いを見に行こうとするとは思えない。 彼女の意図に思い当たることはあった。しかし、ダスクはそれを口には出さない。今までのセルファを知っているから、彼女の意思を尊重してやりたいという気持ちがある。 今までのセルファは常に無表情で、どこか儚げな空気を纏っていた。多くの能力者は、それがアグニアとセイナの娘である故の神々しさなのだと思っている。 だが、ダスクは違った。 彼女の表情の中に、諦めにも似た影が差すのを見たことがある。他の者たちには同じ表情に見えたかもしれない。ただ、ダスクには彼女が自分の心を押し殺しているように見えて仕方がなかった。 しかし、今は違う。愁いを帯びた瞳はなく、決意に満ちた輝きを湛えた瞳がある。儚さも消え失せ、華奢な身体付きとは思えぬほどに力強さを感じる。 「……せめて、俺たちに迷惑はかけないようにしてくれ」 ダスクは言った。 もし、セルファがVANを抜け出したことが問題となった時、直接関わったダスクたちに責任が向けられることだろう。部下を抱える身としては、その事態は避けたい。 ヒカルに対して寛容な態度には多くの者が理解を示してくれているが、理解を示すだけだ。反論も参考程度にしか受け取られず、聞き入れて貰えないことばかりになりつつある。降格が無いだけマシではあるが、それはダスクの性格も含めた存在そのものが評価されて今の地位を得たからだ。 ヒカルが完全に敵となった今では、ダスクの反論も既にない。心苦しくはあるが、はっきりと敵になったのでは弁解のしようがないのだから。 部下や組織のことを考えれば、セルファの願いは断るべきなのだろう。今回のことが後々問題になる可能性は高い。それはダスクにも解っている。ただ、これほどまでに積極的なセルファを見たのは初めてだった。だから、少しでも後押ししてやりたい。 代わりに、セルファは独断で行動したということにさせてもらう。彼女にはダスクと関わったという事実を隠蔽するだけの力がある。同時に、彼女の意思の強さも見たかった。 「大丈夫、これから私の存在はあなたたちにしか見えなくなるから」 言うと同時に、セルファが力を解放する。 身体が翡翠の輝きに包まれ、虹彩が同じ輝きを帯びる。美しくも幻想的な光景だった。自分が同じ能力者とは思えぬほどに。 恐らく、セルファは彼女自身とダスクたちを力場で覆ったのだろう。自分を含めたダスクたちを領域に指定し、外部からはセルファの存在だけが悟られぬよう、空間に干渉するのだ。可視光操作か、空間の分断か、それとも他の効果なのか、はっきりとは判らない。しかし、セルファには可能だった。 「もう、私の声も、あなたたちにしか聞こえない」 セルファが言った。 彼女が発する全ての物音は、ダスクたちにしか届かない。他の者たちにはセルファの存在が全く感じられなくなるのだ。 どのように力場を張っているのだろう。ダスクに力場を見る力はない。力場破壊の力を持ったアキラには、彼女の力場が見えているのだろうか。 「……行くぞ」 ダスクは通路を歩き出した。 リゼはただ無言でダスクに続いた。 「凄いな……」 アキラが呟いた。 「空間干渉は理論上、全ての具現力を再現できる力だ。例外は二つ、力場破壊と閃光型の力だけだろうな」 驚いているアキラに、ダスクはそう説明を加えた。 空間干渉によって再現できない力の一つは閃光型の力だ。純粋な力のみを発生させるだけならば通常型と同じになる。力場の周囲にエネルギーを纏わせるという、具現力の発動形態が特殊なものとなる閃光型は再現できない。 そして、具現力最強の防御能力、力場破壊も再現が不可能な力だった。具現力を打ち消す、この力だけは空間干渉能力であっても再現できない。 「万能なんじゃないか?」 「そうでもない。精神負荷の高さもトップクラスだからな」 アキラの言葉にダスクは首を横に振った。 空間干渉能力の発動と、力場の維持には多大な精神負荷がかかる。並大抵の人間には扱いに困る代物だ。使い込んで完全に自分のモノとしたセイナや、幼い頃から当たり前のように使用してきたセルファでなければ空間干渉の真価は発揮できないだろう。 万能と呼ぶに最も相応しい力ではあるが、そう呼べるまで使いこなすには相応の年月を要する。他の多くの力と違い、数週間程度の訓練ではまともに扱うこともできないはずだ。 通路を歩く間、ダスクは思案を巡らせていた。 自分の考えは正しいのだろうか。いや、正しくなかったとしても、後悔はしないだろうか。今となっては、正しいことも、過ちも、関係はない。能力者の存在が正しいものだとされても、人によっては違うものの見方をする者がいる。物事の正誤は人によって異なるものだ。当事者であるダスク一人が判断したとしても、意味を持たない。 VANの存在に疑問を抱いたことが無いと言えば嘘になる。だが、VANはダスクにとって居心地の良い場所でもあった。アグニアの考えにも賛同できる。かつて失った、平穏な日常がVANによって創り出されるかもしれないのだから。 (あなたに、迷いは無い?) 不意に、頭の中で声が響いた。 自分の声ではない。輪郭がぼやけたような、どこか反響してセルファの声が聞こえる。彼女の力を使ったテレパスだ。周りに悟られぬように、他者と言葉を交わすための使い方だ。 (無い、とは言えないな) ダスクは正直な答えを返した。 ROVの活動、他の勢力、ヒカル、不安になる要素はまだ多い。 (……ただ、俺はVANの人間だ) たとえどれだけ心が揺らいでも、ダスクはVANの能力者だ。第一特殊機動部隊長でもある。 立場の責任だけではない。ダスクがVANへと渡ってから、様々なことがあった。その経験の中で、ダスクは如何なる時であろうともVANの人間として戦うことを決意している。 心の揺らぎは、躊躇いであって、迷いではない。迷いという言葉を口にしたとしても、ダスクは最終的にVANの側に着く。これだけは心に決めているのだから。 (そう……) セルファの声にはいくつかの感情が混じっていた。 残念そうでもあり、安心しているようでもあり、哀しんでいるようでもある。 (ダスク、これからの行動は、全て私の独断よ) 相槌の感情を引き摺りながらも、力強い声が返ってくる。 (……ああ) セルファの決意は固いのだと実感する。 ダスクがVANの能力者として戦うことを誓っているように、セルファの中にも揺るがない何かが出来始めている。長年接してきたダスクには、それが嬉しくもあり、また寂しくもあった。 VANの本部を離れ、ダスクたちは日本へと渡った。 交通機関は混乱しているものの、その混乱より前に準備を進めていたダスクたちには些細なことでしかない。航路が使えずとも、ダスクたちには移動の手段がいくつも存在する。具現力を用いての移動という手段が。 ダスクやリゼの具現力は移動能力としてはかなり優秀だ。重力を自在に変化させることのできるダスクの力は速度を自由に変えることができ、衝撃を発生させる反動で高速移動が可能なリゼの力も飛行が可能だった。純粋なエネルギーを炸裂させることで、身体を吹き飛ばしていけばアキラも空中の移動は不可能ではない。無論、セルファの力なら移動など一瞬で行うことすらできる。 今回はセルファの力で日本へと渡った。 セルファ自ら申し出たことだった。ダスクたちと行動を共にする代わりに、移動の時間を短縮すると告げたのだ。 空間干渉によって凄まじいまでに離れた目的地との空間を目の前に繋げる。全員が目的地へと足を下ろすまで、力場を維持した後で空間干渉の効果を消すのだ。 精神的な疲労は凄まじいはずだが、セルファはそれを微塵も感じさせない。空間破壊や空間歪曲と違い、空間干渉が効果を発揮するためには領域全てを先に包み込まなければならない。海を越える距離の力場を作り出し、効果を発揮した上に全員の移動が完了するまでその力場を維持し続けなければならないのだ。移動自体が一瞬だとしても、疲労が大きくなるのは当然だというのに。 セルファは同行し始めた時から自分の存在を隠すために力場を張り続けている。その効果を消さずに新たな力を発動させたのだから負担は相当なものだろう。もしかしたら、ダスクたちに同行する前から力場を使い続けていたのかもしれない。 汗一つ流さず、セルファは平然としている。 これほどの潜在能力を持っていたのかと、ダスクも驚いていた。戦闘を経験していないとはいえ、幼い頃から使い込まれた力は確実にセルファに馴染んでいる。もしかしたら、ダスクよりも強い能力者に育っている可能性すらあるのだ。 ダスクたちは近場のホテルに宿泊することになっていた。 セルファが疲れているかもしれないと考えていたのは事実だが、そうでなくともダスクは最初から一泊するつもりでいた。セルファの申し出により移動時間が短縮されたとはいえ、そこに至るまでに多少なりとも体力を消費している。VANに来てからずっと能力の訓練ばかりをしてきたアキラは、こういった経験にはまだ慣れていないはずだ。翌日、ヒカルと戦わなければならないアキラの体調は万全にしておかなければならない。 ツインルームを二部屋取り、一つはダスクとリゼ、もう一つはアキラとセルファで使うことにした。ダスクは身の回りの警護を考えてリゼをセルファと組ませる案を出したが、それはセルファが断った。 アキラと話したいことがあると、セルファは告げた。 「大丈夫でしょうか、あの子……」 二人きりとなった部屋で、リゼが呟く。 あの子とは、セルファのことだ。リゼは彼女のことをダスクと同じように呼び捨てにする。セルファ自身が、敬語で話しかけられるのを嫌っているからだ。多くの者はそれでもアグニアとセイナの娘であるからと、名前の後ろに様を着けたり、姫と呼んだりして敬語を使っている。 例外はダスクとリゼぐらいだろう。他にいるとすれば、両親であるアグニアとセイナにシェイドとゼルフィードを加えた四人ぐらいだろうか。 「……どうだろうな」 ダスクは小さく溜め息をついた。 大丈夫だとは答えられなかった。無理をしているかもしれない。だが、そうせざるを得ない時もある。 「でも、あの子、少し変わりましたね」 「そうだな」 リゼの言葉にダスクは頷いた。 セルファが変わったのは、いつ頃からだっただろう。ダスクも薄々感じていた。 「一ヶ月前か……?」 ふと、思い返して呟いた。 一ヶ月ほど前を境に、セルファには小さな変化があったように思う。あの日、アキラがVANの構成員になったと紹介された会議の日、既にセルファは今までと違っていた気がした。ヒカルのことで思案に耽っていたダスクは、何か違和感を抱きつつも深く考えることはなかった。だが、思い返せばあの時から、セルファの纏う雰囲気には変化があった。 ただ見ただけでは判らないような、ちっぽけな変化であったが、普段からよく言葉を交わしていたダスクはその些細な違いに感付くことができた。 「リゼ、これから何があっても、俺たちは任務の遂行に集中するぞ」 ダスクは告げる。 任務は、アキラの実力を計り、これから戦うための心構えを持たせることだ。ヒカルの抹殺ではない。だが、アキラがヒカルによって殺されることだけは避けなければならない。 優先すべきはアキラの存命だ。ダスクに与えられた任務はアキラをヒカルと戦わせた上で、生き延びさせること。それだけで、アキラは自分の戦う意味と目的について考えることになる。 「はい」 リゼは静かに、だがはっきりと答えた。 ベッドに腰を下ろし、ダスクはスーツの襟首を緩める。 「そろそろ夕食にするか」 時間を見て、告げるダスクにリゼは頷いた。 それから夕食を終えた二人は部屋に戻ってきていた。相変わらずテレビをつければニュースでVANや能力者関係の話題が続いている。まだ混乱は暫く続きそうだ。 「あの、ダスク様……」 不意に、リゼがダスクへ声をかける。 「ん?」 「……その、あの子のこと、どう思ってるんです?」 少し聞き難そうに、リゼは問う。 やや顔を伏せ、上目遣い気味にダスクを見つめている。 「どう思うか、か?」 ダスクはリゼに確認を求める。リゼが頷くのを確認して、ダスクは思い返してみる。 自分は、セルファのことをどう思っているのだろうか。 どこか放っておけないように感じていた部分はある。気に掛かったというべきだろうか。彼女の中に、愁いがあることに気付いた時から、ダスクはセルファとよく言葉を交わすようになっていた。 何故、気付いたのだろう。自問して、ダスクには思い当ることがあった。 ダスクが力に覚醒した時、自分で自分が扱った力に恐怖を覚えた。こんな力が自分の中に眠っていたということが、とてつもなく恐ろしいことのように思えたのだ。そして、その力で初めて人間を傷付けた時の光景はダスクの中に一つの感情を生む。 諦めだった。 自分が人間ではなくなってしまったのだと、まだ幼い頭で考えていた。たとえ、力を振るった相手がどれほど凶悪な人間だったとしても、傷付いた肉体を見た瞬間に、血を見たその光景に、その力がダスクからあらゆるものを奪うもののように思えたのだ。どんな人間であったとしても、同じ肉体を持つ存在を容易く破壊できるだったのだから。 能力者として覚醒したダスクはVANからの勧誘を受け、それまでの生活を捨てた。自分はもう普通の人間ではないと諦めていたダスクにとっては、その方が気が楽だった。同じ能力者たちのいる場所にしか、自分の居場所は作れないのだと決め付けていた。 VANへ来て、実働部隊に配属されたダスクは、他者を傷付けることを極端に恐れ、自分の実力を発揮できずにいた。当時の隊長に諭されて、ダスクは自分の力のことを知った。具現力がダスクの一部であることと、その力を司るのがダスク自身であることを。 「少し、俺に似ていたんだろうな」 ダスクは小さく笑った。 勝手に自分自身を縛り付けていた頃のダスクと、セルファは少し似ている。だから、気になったのだろう。ただ、セルファは具現力の存在についてはダスクよりも理解がある。彼女は力とは別なものに自分を縛り付けているように見えた。 けれど、今はその鎖を自分の手で引き千切り、歩き始めている。 「妹に近いものかもしれないな」 そう結論付けた。 「妹、ですか……?」 リゼが呟く。 「自分を見ているような気がしてならなかったんだと思う」 好きだとか、嫌いだとかいった感情ではない。 今のセルファは既に昔のダスクから抜け出しつつある。恐らく、これから先は自分自身を見つめているような気持ちにはならないだろう。迷いや躊躇いが、二人は全く異なるものなのだから、セルファとダスクは同じ道を辿るわけではない。 「……この答えじゃ不満か?」 ダスクの問いに、リゼは首を振る。 「いえ……」 「今のうちに、アキラにヒカルを呼び出すように指示を出してくる」 言って、ダスクは立ち上がった。 「……ダスク様にとって、私は何ですか?」 小さく、リゼが呟いたのが聞こえた。消え入るような声で、独り言だったのかもしれない。それが、本当に聞きたかった答えなのだろうか。 「パートナーだ。あらゆる意味で、最高の、な」 ドアに手をかけて開ける直前、ダスクは囁くように言葉を紡いだ。リゼに聞こえる、ギリギリの小さな声で。 夕食を終え、部屋に戻って来たアキラは備え付けのテレビの電源を入れた。 VANの蜂起による被害状況が流れ、今後の世界の動向が議論されている。今の情勢ならば、どの国でも同じようなものだ。各国は混乱し、まだ答えを出せずにいる。明確な立場を表明するにはまだ時間がかかるに違いない。 アキラはVANがどれほど多くの人間を殺しているか知っているのだろうか。そして、自分自身もその一員となって戦うことを自覚しているのだろうか。 能力者同士の戦いは大抵、どちらかが死ぬまで続く。訓練とは違い、負けを認めることもなければどのような状況からでも反撃を繰り出してくる可能性もある。 セルファが見ていた限りでは、アグニアはアキラに実戦の勝敗については何も語っていなかった。ただ具現力の使い方と、特性を活かした戦い方、力場の操り方を指導しただけに過ぎない。 「一つ、聞いてもいい?」 セルファは問う。 「ん、なに?」 アキラがセルファを見る。 「あなたは、ヒカルと戦うの?」 「それが任務ってことになってるけど?」 セルファの問いに、アキラは当然だとでも答えているかのようだった。 何も不安はなさそうだった。模擬戦と同じ気構えでいるのだろうか。 「説得もするけどさ」 アキラが付け加える。 ヒカルはアキラの説得に応じるだろうか。セルファには疑問だった。たとえ実の兄からの勧誘であっても、ヒカルは既に能力者として戦う心構えを持ち得ている。付き合っていた少女も殺され、家族を掻き乱された。そんなVANへ、ヒカルが今更来るとは思えなかった。 アキラは知っているのだろうか。 セルファから見ても、アキラはヒカル以上に具現力を扱えるようになっている。しかし、アキラは実戦経験がない。実戦でしか掴めない感覚を、ヒカルは数多く知っている。 「ヒカルは、どんな人なの?」 セルファは問う。 「あいつは、わがままで自分勝手な奴だよ」 アキラは小さく笑った。 「昔は病弱で、入院ばかりしてたな。俺が学校からの荷物を持ち帰ってたっけな」 幼い頃を思い出して、アキラは目を細めた。 幼少期のヒカルは喘息を患い、発作を起こしては入院を繰り返していたらしい。中学に入ってからはほぼ完治しているようだが、喘息だった名残か体力はないようだ。 「小さい頃はよく俺の後を着いてきたもんだったけど……」 仲の良い兄弟だったのだろう。アキラの表情からはヒカルに対する敵意といったものは全く見られない。 だというのに、何故、アキラとヒカルは別々の道へ踏み出しているのだろうか。 「性格や好き嫌いは結構真逆だったかもしれない」 様々な場面でヒカルとアキラの意見は別れていたらしい。 食い違うことはあっても、特に喧嘩することはなかったようだ。どちらにとってもどうでもいい部分で食い違っていただけなのかもしれない。 ただ、今の状況はぶつからざるを得ないのではないだろうか。アキラの立場や考えはまだはっきり決まっているわけではないようだが、ヒカルの方は違う。アキラがこのまま楽観的なままなら、ヒカルは実の兄をその手で殺してしまうかもしれない。 考えて、セルファは身震いをしていた。 ヒカルは、アキラを殺す覚悟があるのだろうか。 これからVANと戦っていくことを考えたなら、それだけの覚悟は必要になるだろう。他人とは言え、多くの人間の命を奪ってゆくことになるのだから。 (でも、それは私にも言えること……) VANを敵と考えているのはヒカルやROVだけではない。セルファもその一人なのだ。これから、VANを敵に回したなら、セルファも戦わなければならない場面が出て来るはずだ。一人だけ何もしないでいることなど、セルファにはできない。いや、何もせずにいたくなかった。 人の命を奪い、その上に生き抜いていくだけの覚悟を、セルファも持たねばならない。ダスクやリゼを、セルファが殺さなければならなくなる可能性もあるのだ。いざという時に戦えないのであれば、VANを抜け出す意味がない。たとえ、どんな人物が相手でも、戦えるだけの覚悟をしておく必要がある。 「……あなたは、VANに入るの?」 セルファは問う。 アキラに確認しておかなければならない。彼がヒカルの側に着く可能性があるのなら、説得しておきたかった。そうでなければ、ヒカルの境遇は辛すぎる。 「アグニアさんは良い人だしね」 アキラの言葉に、セルファは目を伏せた。 それだけで十分過ぎるほどに判ってしまった。アキラはVANの側につく。今はまだ具現力を振るうことの意味や目的、心構えを知らないとしても、いずれアキラはVANの構成員になるだろう。途中でヒカルの方へ寝返る可能性がないわけではない。しかし、アキラはVANに共感し始めている。 ヒカルの感じ方とは違う。自分の考えと他者の思想を両立させようとするヒカルと、アキラの感じ方は違っている。 「そう……」 相槌を打って、セルファはベッドに倒れるようにして天井を見上げた。 (私が、彼を殺すこともあるかもしれない……?) セルファがヒカルと共に戦うとしたら、その可能性はある。VANからの刺客、敵としてアキラとセルファが出会ったとしたら、もしもその場にヒカルがいなかったなら、セルファはアキラを殺さなければならないかもしれない。 いっそ、この場で、とも思った。 (それは駄目) 僅かに首を横に振る。 アキラの立ち位置はまだ定まっていない。この状態で彼を殺してしまったら、ヒカルが悲しむだけだ。それに、不安な要素となりうる存在を潰そうとするのはヒカルが嫌っているVANのやり方だ。これからヒカルの仲間になるセルファがすべきではない。 それに、ヒカルも自分の兄とは話をしておきたいはずだ。ヒカルとアキラが話し合い、その結果によって二人それぞれが判断を下さなければならない。 「でも、君は何で俺たちに着いてきたんだ?」 アキラの問いに、セルファは言葉を返すことができなかった。 正直に答えるならば、ヒカルに逢いたかった、ということになる。だが、それはVANを敵に回すことにも繋がりかねない。いや、セルファ自身はVANを敵と認識している。自分が確実に大丈夫だと思う瞬間まで伏せておかなければならないことだ。今まで、そのための準備を進めていたのだから。 (もし、私がヒカルの味方になるために、と答えたら、彼は仲間になってくれるの……?) 不意にそんな考えが浮かんだ。 セルファがヒカルの仲間だと知ったら、アキラは味方になってくれるだろうか。どうせ、明日にはバレることだろうが、今言ってしまうべきか迷っていた。 (駄目……!) 言いたいと思う衝動を堪える。 もし、この場でセルファがVANにとって敵になるためだと答えた時、アキラはどうするだろうか。セルファを敵だと認識して攻撃してくる可能性だってあるかもしれない。もし、この場でアキラと戦ったとして、セルファには勝ち目が薄い。模擬戦とは言え、戦うための訓練を積んできたアキラに比べ、セルファは戦闘の心得がない。 「私、外に出たかったの」 口を突いて出たのはそんな言葉だった。 「外に?」 「生まれた時から、あの建物の中にいて、ほとんど外には出たことがなかったから……」 驚いた様子のアキラに、セルファは言葉を繋げた。 嘘ではなかった。今まではVANの本部の中にいるのが当然だと思っていたから、外に出るという行為を意識していなかった。だが、外はセルファにとっては新鮮なものばかりだった。空間干渉で外の物事を知ることや視ることはできるが、やはり自分の足で歩き回り、肌でその空気を感じるのが一番だ。 いつから、外の世界に憧れるようにもなっていた。 「それに、私は……」 目的を喋ってしまいそうになって、セルファは言葉を止めた。 「ううん、何でもない」 「何だよそれ。気になるなぁ」 アキラが不満そうに呟く。 「そのうち、判るから」 そう告げて、セルファは目を閉じた。 明日だ。明日、全てが変わる。セルファにとって、待ち望んだ日が、ようやく来る。 翌日、ヒカルの家に程近い、河原で、ダスクたちはヒカルの到着を待っていた。アキラは十数歩前に出て立っており、ダスクとリゼが後方から眺めるような位置にいる。セルファはダスクより更に後ろに立っていた。 昨日のうちに、アキラが携帯電話のメールを使ってヒカルを呼び出している。後は、ヒカルが来るのを待つだけだった。 体調は皆が万全だ。 指定した時間の五分ほど前になって、土手のようになっているサイクリングロードにヒカルが姿を現した。隣にはシュウが控え、その背後にはユキ、シェルリア、セイイチが続く。 斜面を下りて来たヒカルの表情は硬い。だが、決意に満ち、引き締まった顔をしている。 「ヒカル――!」 不意に、ダスクの横を風が通り抜けた。 河原の砂利が跳ね、一人の少女が駆けて行く。 皆が突然のことに目を丸くしていた。 彼女はアキラの真横を擦り抜けて、その真正面に立ったヒカルへと、走る。 そして、彼女、セルファはヒカルの胸に抱き着いていた。 「――やっと、逢えた……!」 |
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