第二章 「偶像」 大都市の大通りを、光たちは歩いていた。 能力者の集落「ラーク」で一泊した光たちはその後の行動をどうするか話し合った。日本に戻るという選択肢ももちろんあったが、セルファの希望でアメリカに残ることとなった。 VANの本拠地から外に出たことがほとんど無いセルファは、外の世界を見たかったのだろう。 セルファが光の下へ来た直後も彼女は目に映る全てのものに瞳を輝かせていた。日本の街並みや景色、光の家やその中にある全てが彼女にとっては真新しいものばかりだったのだ。香織の作る食事ですら、彼女に感動を与えたほどだ。 今、セルファはシェルリアと同様に光の家を住処としている。 光が能力者であることが発覚してから、孝二と香織は結婚し、共に暮らすようになった。今では香織の妊娠が発覚し、家事も孝二が行うことが多くなった。居候のシェルリアやセルファも家事手伝いをしているらしい。 修は有希だけを日本に帰している。少路たち具現力特科の部隊が護衛してくれる場所に置いておく方が安全だと判断してのことだ。修の力があれば距離は関係ない。どれだけ離れていても直ぐに会いに行ける。それを知っているからか、有希は修の言葉に応じた。信頼し合っているというのもあるのだろう。 大通りはショッピングモールのようにも見えた。様々な大型店が並んでおり、ショーウィンドウには服や宝石などが並んでいる。 セルファは目を輝かせながらウィンドーショッピングを楽しんでいる。 普段は落ち着いた態度や雰囲気を見せる彼女がはしゃぐ姿に、光は自然と口元が綻ぶのを感じていた。 「ねぇ、ヒカル! これ見て!」 セルファが光を振り返って手を振る。 「何かあった?」 「これ、綺麗だと思わない?」 セルファがショーウィンドウの中にあるドレスを見て言った。 薄いピンクの滑らかな生地で作られたノースリーブのドレスだった。光沢のある生地はシルクだろうか。ドレス自体はシンプルなものだったが、所々に刻まれた装飾な高級感を漂わせている。 値段は、かなり高い。 「……着てみたい?」 買うのは無理だ。 セルファも最初から知っているが、光たちはあまり資金を持ち合わせていない。ウィンドーショッピングだけにすると言っていたのもセルファ自身だ。買うつもりが無いのは最初からセルファ自身が断言していた。 「でも、着こなすにはもう少し身長が欲しいな」 セルファが肩を竦める。 光は小さく笑って、ショーウィンドウに目を移すセルファを見つめていた。 彼女もまた、今まで自分を抑えてきたのかもしれない。光の下へ来るまでに何度かセルファの能力で意識体での会話をしたことがあった。あの頃のセルファはいつも寂しげだった。表情には陰りがあり、自分には何もできないと、自身を卑下していたようにさえ思える。 だが、共に過ごすようになってから、セルファの表情は明るくなったように思う。少なくとも、光にはそう見える。家事をしている姿もどこか楽しそうだった。 「どうしたの?」 セルファを横顔を見ている光に気付いたのか、彼女が首を傾げる。 「ん? いや、楽しそうだなって思ってさ」 「うん、凄く楽しい」 光の言葉に、セルファは微笑んだ。 笑顔を見せるセルファに微笑み返して、光は視線を進行方向へと戻した。 ゆっくりと街中を歩いていく。 少し進んで行くと、宝石店が目に入った。 「ん、どうした?」 立ち止まった光を見て、修が口を開いた。 相変わらずセルファはショーウィンドウに張り付くようにして商品に目を輝かせている。 「……なぁ、ちょっと入ってみないか?」 光は小声で修に答えた。 「……ふむ、悪くない提案だな」 互いに視線を交わし、光と修は店の入り口へと足を運んだ。 その様子にシェルリアは首を傾げていたが、光と修は何も言わなかった。光はドアの手前でセルファに声をかけ、二人で店の中へと入った。 「うわ、すっげ……」 店内に入った光の感想はそれだった。 今までこういった店とは無縁だったこともあって、雰囲気に少々圧倒されている。宝石の色や輝きを強調するためか店内のライトはやや暗めに感じる。セルファはさきほどよりも目を輝かせて店内の商品に視線を走らせていた。 シェルリアもやはりこういったアクセサリには興味があるのだろう。どこか落ち着かない様子で店内を見て回っている。 煌びやかな宝石がアクセサリに加工されてショーケースの中に飾られている。指輪やネックレス、ブレスレット、ブローチ、イヤリングなど、あらゆるアクセサリが並んでいる。 「う、高い……」 値札を見て、光は顔を引き攣らせた。 見た目が豪華なものはやはりそれだけ高価になる。使用されている宝石の種類や量、大きさなどによっても値段はかなり変化しているように見えた。 「やっぱ、浅はかだったかな……」 溜め息をつきながら、光は商品を見ていく。 セルファは店員の話を聞きながら商品を見ていた。色々と尋ねながら見ているらしく、セルファは頻繁に店員へ話しかけている。 (そういえば、セルファの誕生日って五月だったよな……) ふと、思い出した。 セルファが光の下へ着てからお互いを知るために色んなことを話し合った。その中で、セルファの誕生日を知った。五月二十三日がセルファの誕生日だったはずだ。 もちろん、セルファにも光の誕生日を教えた。八月十三日が光の誕生日だ。先月、晃と戦う丁度二週間前に、光は十六歳になった。晃は気付いていたのだろうか。 (っと、いけね) 最初に考えていたこととは別のことに思考が向かいそうになり、光は首を左右に振った。 (五月ってことは……) 光は店内を歩いていく。 「う……」 目当てのものを見つけたと思ったのも束の間、手が届かない値段が付けられている。光は額に手を当てて大きく溜め息をついた。 つい先月まで高校一年生だった光の財力で手に入るものはたかが知れている。そもそも光自身、アクセサリなど買うような人間でもなかった。気紛れにしても、自分でもらしくないと思う。 (見栄は張れないか……) 何をやっているんだろう、とも思った。 光は人殺しをしてまで自分の我侭を通そうとするような人間だ。自分の両手は血で汚れている。自分が生き延びるために、家族や友人を守るために数多くの人間の命を奪って来た。たとえ、相手が能力者であっても。 こんな血塗れの手で、セルファと共に歩いてゆけるのだろうか。人を殺すことに何も感じないわけではない。能力者を完全に戦闘不能にするには、相手を殺すしかない。躊躇うことは許されない。だから、命を奪って生きて来たのだ。 だが、とも思う。セルファは、そんな光の下へと自ら来てくれた。様々なものを捨てて、光と共に進むために。光の我侭を後押ししてくれている。セルファへの気持ちには後ろめたさはない。純粋に、彼女の想いに応えたいとも思う。 「なに真剣に見てるのかしら?」 いつ間にかシェルリアが隣にいた。 光が見ていたショーケースを覗き込んで、横目で光にも視線を向ける。 「あ、いや、別に……」 光は少し慌てながら、曖昧に返した。 「もしかして、あの子にあげるつもり?」 シェルリアが悪戯っぽく問う。 光は無言のまま視線を逸らして頬を掻いた。それが答えだった。 「私が出してあげようか、お金」 シェルリアが囁く。 VANの特殊部隊出身の彼女には、それなりに蓄えがある。比較的高価なものもシェルリアなら買えるだけの財力があるのだろう。 「いや、それじゃ駄目でしょ」 光はシェルリアの申し出を断った。 シェルリアに頼るべきではない。もっとも、最初から頼るつもりはなかったが。 「ね、私には何か買ってくれたりしないの?」 「ごめん、そんなに金無いよ、俺」 光は苦笑して答えた。 「冗談よ。でも、自分で買えとは言わないのね?」 シェルリアが笑う。 「貰うから嬉しいもんだろ、プレゼントってさ」 光はそう言って目を細めた。 欲しいものを自分で買うのと、人から貰うのとでは印象が全く違う。特に欲しいと思っていないものでも、人から貰った時に嬉しいと感じることは多い。何かを贈ることで自分の気持ちを伝えるものだろうから。 「セルファが羨ましいわね」 そう言って、シェルリアはゆっくりと離れて行った。またショーケースの方に視線を向けている。 結局、光が買ったのは日本円にして約二万円程度のリングだった。店の中ではかなり安物の部類ではないだろうか。持ち合わせている予算としてはそれぐらいが限度だった。 修も何やら買っていたが、中身は光にも判らなかった。光が気付いた時には既に包装されていたのだ。 「セルファ、そろそろ行こう」 「うん」 光の言葉にセルファは笑顔を見せた。どうやら、彼女は光がこの店で商品を買ったことには気付いてないようだ。恐らく、自分が熱心に見ていたから店内に入ったと考えているのではないだろうか。 四人で店を出る。結局、シェルリアは自分用にアクセサリを何点か買ったらしい。入る時には身に着けていなかったイヤリングが増えている。 「そこの公園で休憩しない?」 また少し歩いたところで、シェルリアが提案した。 見れば、前方に公園の入り口が見える。かなり大きな公園のようだ。車で中に入れそうなほど、入り口が広い。 「セルファも少し疲れたんじゃない?」 「えと、少しだけ、ね」 シェルリアの言葉にセルファは控え目に答えた。 街を歩いていて一番はしゃいでいたのがセルファだ。あまり街中を歩き回ったことも無かっただろう。恐らく、この中で一番セルファが疲れているはずだ。精神的な面はともかく、肉体的な疲労は大きいのではないだろうか。 「やっぱり、日本とは違うのね」 ベンチに腰を下ろして、セルファが呟いた。 「そりゃあね」 隣に座って、光は相槌を打つ。 色々な部分が日本とは違う。道の広さや建物の大きさや造りは日本のそれとは異なる部分が多い。 「ごめんね、付き合ってもらっちゃって……」 セルファが申し訳なさそうに呟いた。 街中の散策はセルファが言い出したことだ。その意見を支えたのは光だった。光にとって散策はどうでもいいことだった。VANと戦うことを目的として動いていることを考えれば、無駄な行動と言えなくもない。 ただ、効率化だけを考えるのもどうかと思っていた。精神力が光たちの力の源なのだから、戦闘以外のことで気を紛らわすのは悪いことではないとも思う。戦うことばかり考えて、光が望んでいた平穏な生活を忘れてしまっては意味がない。 「でも、楽しかったんでしょ?」 「うん」 光の言葉に、セルファは頷いた。 「なら、謝らなくてもいいよ」 生き生きしたセルファの表情を見ているだけでも、光には嬉しいことだった。今まで深刻な言葉を多く重ねてきたからか、彼女の喜んでいる姿は新鮮に見えた。 「有希を連れてきても良かったんじゃないか?」 光はセルファとは反対の隣に座っている修に声をかけた。 「俺たちと違って学校あるからなぁ」 修が溜め息をついた。 「あ、そういや、そうだったな」 忘れていた。 光と修に、聖一とシェルリアは高校を辞めている。学校が戦場になることを避けるためというのも大きいが、学校生活がVANとの戦いで障害になるのも事実だ。学校に通い続けていたら、授業中は身動きが取れない。無関係な生徒を巻き込むわけにもいかない。だから、光は高校を辞めた。 だが、有希はまだ学校を辞めたわけではない。何より、有希はまだ中学生である。義務教育がまだ終わっていないのだ。 少路たちも密かに護衛もしているはずだ。 (だいぶ、変わってきちまったな……) 光は静かに息を吐いた。 高校を辞めた光は家で身体を休めるか、修と共に今後の行動を話し合うかのどちらかになりつつある。家で身体と心を休め、適度に遊びながら、戦いに向けて自主的な訓練も続けている。修の集めた情報や、メディアから手に入る情報、聖一の調査結果からVANの動きも慎重に探っている。 昔は考えてもいなかった生活だ。降りかかる火の粉だけを払い、高校生活を続けて、そのまま生きて行く。以前はそれさえできればいいと思っていた。しかし、現実は甘くない。 不本意な部分は確かにある。だが、その時その時進んできた選択肢に後悔はない。 その結果が光の隣にいるのだから。 「いい天気ね……」 セルファが晴れ渡った空を見上げて目を細める。彼女の髪に陽光が反射して煌めいた。 (これで戦わずに済めば、もっといいんだけどな……) だが、光はそのために戦っている。戦わずに済む生活を得るために、戦うと決めたのだ。 「そろそろ、行こうか?」 聖一がホテルの部屋を予約してくれているはずだ。部屋に戻って休むのもいい。勿論、この後の行動を考えるのも重要だ。修の言うゲリラ戦を行うために、どう敵を誘き出すか、またいかに敵を見つけ出して先制攻撃を仕掛けるかを話し合う必要もある。 立ち上がろうとして、光は反射的にその場から飛び退いていた。 直後、光の座っていたベンチの背もたれにナイフが突き刺さる。 敵だと感じた時には全員が動いていた。ほぼ同時に力を解放し、防護膜に身を包む。周りの人間たちがそれに気付き、恐怖に叫びながら逃げ出していく。 「そこかっ!」 光は防護膜と力場の気配を察知して光弾を投げ放った。命中させるつもりのない、牽制の攻撃だ。 草むらの中から初老の男性が飛び出して来る。 「ふむ、中々鋭いな」 男が指を鳴らした瞬間、周囲から直線状の力場が伸びてくるのを感じた。 光は掌に力場破壊の力を纏わせ、向かってくる力場を撫でるように薙ぎ払う。力場が掻き消され、力を発動する前に攻撃が防がれる。周囲に潜んでいる敵は少なからず動揺したようだった。 力場破壊の力を持つ光には、感覚として力場の存在を探知する能力がある。それは力場と本質的に同じものである防護膜を察知することにも繋がる。敵の位置が手に取るように判る。 「VAN、だな?」 「いかにも。第四特務部隊、ジョルジュだ」 光の言葉に、男は余裕のある態度で自己紹介をする。 (第四特務……?) 光は僅かに眉根を寄せた。 上位部隊であることは確かだが、光は特殊部隊を相手にできるだけの力を持っている。目の前のジョルジュの実力は明らかに光よりも劣っているはずだ。VANの部隊長なら光の戦闘能力の高さを知らないはずはない。だというのに、あの余裕はどこからくるのだろうか。 逃げ惑う人々の中に防護膜に身を包む者が現れた。丁度、セルファの傍だ。 「セルファ!」 光がセルファに視線を向ける。 力場を展開し、空間内の事象を把握していたのだろう、セルファも敵の出現に気付いていた。空間が歪み、放たれた閃光が掻き消える。 「……囲まれてるな」 光は小さく呟いた。 「ん? 増援か?」 修の言葉に、光は視線を公園の入り口に向けた。 黒いリムジンが停車するのが見える。 周囲に警戒したまま、光たちはリムジンのドアが開くのを見つめていた。予定外のことなのだろうか、ジョルジュもリムジンの方へ視線を向けている。 リムジンの運転席から執事らしい男が現れ、ドアを開ける。その中から現れたのは、光たちと同世代と思える少女だった。 腰ほどまである長い亜麻色の巻き髪を、ピンクのリボンで留めている。左右対称の美しい骨格にすっと通った鼻梁と二重のぱっちりした碧の瞳。服装はリボンやらフリルやらが付いた可愛らしいものだ。肩幅は狭く、細身だ。フリルの付いたミニのプリーツスカートの下、長い脚に黒のニーソックスを身に着けているのが判った。 「あいつは、確か……!」 光は少女の顔に見覚えがあった。 先月、VANが全世界に向けて蜂起を宣言した際にアグニアと共にテレビに映っていた少女だ。あの時の勝気な表情とは違い、天真爛漫と言った印象がある。随分と印象は違うが、VANの能力者であることに間違いはない。 少女がこちらに視線を向けた。 と思ったのも束の間、少女は目を輝かせて走ってくるではないか。 「あ、待って下さい! 何を!」 執事らしい男が慌てて制止しようとするが、少女は既に彼の手が届く範囲にはいない。 そして、少女は修に飛び付いた。 「修くん! あなた修くんでしょ!」 少女が修を見上げる。 「えっ? あれっ? まさか、スコルジーのお嬢さん? なんでここに?」 修はただ目を丸くして少女を見返す。 「ちょっと待て、知り合いなのか?」 スコルジー、という名を口にした修に、光は口を挿んだ。 「……アルトリア、あなたどうしてここに?」 セルファが驚いた様子で呟く。 アルトリア・スコルジーというのが彼女の名前のようだ。そう言えば、アグニアがVANの蜂起を宣言した時、セルファも映っていた。セルファに聞いた方が早いかもしれない。 「会いたかったー! お見合いの申し込み、全部ダメだったんだもん! 私ね、あなたのことが好きなの! 結婚して!」 アルトリアの爆弾発言に、その場の全員の目が点になる。 光やセルファの言葉が全く聞こえていない。光たちだけでなく、執事の男やジョルジュでさえ開いた口が塞がらない状態になっている。 「ちょっと待て! どうなってんだ!」 光は修に呼び掛ける。 話が飛躍しすぎている。お見合いという言葉だけでも相当場違いな単語だが、いきなり結婚してくれというのも無茶苦茶な話だ。 「んー……。残念だが先約がいる。結婚はできない」 「じゃあ愛人は?」 申し出を断る修に、アルトリアは即答した。 「そうか、その手があったか! よし、愛人なら許可だ!」 指を鳴らす修に、光は手を伸ばしたまま固まった。 「わぁ、嬉しいよー! ありがとー!」 抱き付いた修の胸に頬を擦り付けるアルトリアは心の底から嬉しそうだ。 光はゆっくりと周囲の様子を見回した。執事とジョルジュを初めとして、全員が固まっている。呆れているというべきだろうか。敵も味方も状況についていけていない。 「愛人なら浮気にならないよな?」 光に振り向いて、修が聞いてくる。 「はぁ? 何言ってんだお前」 そんなことは知るか、光は率直に返した。 「なると思うけど……」 セルファが小さく呟いた、きっと聞こえていないだろう。 「よし、君は今日から愛人だ!」 修がアルトリアに笑って見せる。案の定、セルファの声は聞こえていない。 「やったあ!」 アルトリアはアルトリアでガッツポーズをして喜んでいる。 「じゃあ、逃げようか!」 「え、逃げんの?」 振り返って爽やかに宣言する修を見て、光は呆れた。 十分勝てる戦力のはずだ。現状なら、光だけでも全員薙ぎ払うだけの力がある。逃げる必要性はどこにもないのだが。 「さぁ行くぞ、我らが愛の巣へー!」 「おー!」 空間を破壊してその中へ修が飛び込む。拳を振り上げてノリノリのアルトリアが後を追って姿を消した。 「あ、おい、修っ!」 光は修の消えた穴と、敵とを見比べて、戦うべきか迷った。 ここで敵を殲滅しておいた方が後々楽かもしれない。ゲリラ戦という意味でもその方が良いはずだ。かと言って、このまま暴走した修を放っておくのもどうかと思う。 「ほら、お前らも早く来い!」 穴から顔を出して修が急かす。 「えっと、どうすればいいかしら?」 シェルリアが光に意見を求めてくる。 「え、あー……とりあえず、行くか」 光は、大きく溜め息をついて修が空間に空けた穴へと飛び込んだ。それを追ってセルファとシェルリアもその場を後にする。 最後に光が見たVANの能力者たちは呆然としていた。 光たちは聖一と合流しホテルの部屋で一息ついていた。修、もしくは聖一の力で移動することを想定していたのか、昼間いた公園からはかなり離れた場所のホテルだった。 そのせいか、敵も追跡はできなかったらしい。追撃が来る様子は無かった。 「修ちゃんのばかぁーっ!」 有希の絶叫が部屋に響く。 色んなものが空間の穴から飛び出してくるのを、光はセルファと共にベッドに腰を下ろして眺めていた。 「いや、だからちゃんと話を!」 「浮気ものーっ!」 修の慌てた声と泣き叫ぶ有希の声を聞きながら、光は溜め息を付いた。 昼間の一部始終はセルファが有希に報告したらしい。有希が帰ってきた時間になって、修がいつものように彼女の待つ自宅へと空間を繋げたのが数分前のことだ。セルファから既にアルトリアのことを聞いていた有希は修に文句をぶつけている。 予想していたこととは言え、実際に眺めていると呆れて言葉が出てこない。 「まぁ、普通に考えたら自業自得よね」 シェルリアも呆れ果てているようだった。 一方、アルトリアは何を考えているのか解らない。修と有希のドタバタも意に介した様子はなく、どこか幸せそうにベッドの端に座っている。 彼女は、執事であるフランセスクの提案でジョルジュの戦闘行動を見物に来たらしい。あまり乗り気ではなかったようだが、修を見つけたことで今の状況になったらしい。 セルファによれば、アルトリアはスコールという世界的な軍事複合企業の現会長らしい。こんな少女に会長が務まるのかと疑問に思ったが、実質的にはVANが所有しているようだ。 四年ほど前、スコールの最高経営責任者、つまりアルトリアの父が妻と共に事故で他界した。VANは以前より目をつけていたスコールの経営権を手に入れるためにアルトリアに接触したのだろう。事故が何者かによる暗殺であると囁き、復讐を請け負う代わりにスコールをVANのものとする、という契約を交わしたらしい。 「私が知ってる限りでは、彼女の両親を暗殺したのはVANのはずだけど……」 アルトリアに聞こえないように、セルファは光に囁いた。 つまり、最初からVANはスコールの莫大な資金力とアメリカ経済界への影響力を狙っていたということだ。VANにとって、スコールは今後の行動に必要なあらゆる要素を持っていたのだろう。資金力、経済界への影響力、各国軍事の動向といったものがスコールを乗っ取ることで一気に手に入るのだから。 確かに、スコールは大きな組織が欲する重点を押さえている。 「アルトリアはああいう性格だから、言わない方がいいかもしれないけれど……」 「後で、俺の方から修に伝えておくよ」 セルファに頷いて、光は未だに続いている有希の泣き声に溜め息をついた。 確かに、VANを裏切ったばかりのアルトリアに伝えたら混乱しそうな気がする。今でさえ何を考えているのか容易には想像できないのだ。修に伝えておけば折を見て打ち明けるだろう。 何より、アルトリアは修に着いてくる形でVANから抜けたのだ。光やセルファが伝えるより、修に仲介してもらう方が彼女も落ち着いて聞けるはずだ。 ホテルに着いて修を問い詰めて聞き出したところによると、アルトリアの誕生日パーティに出席したことがあるというのが接点のようだ。アルトリアの両親が生きていた頃とすれば、四年以上前のことだろう。そのパーティに修の父親が現当主の結城財閥が出席していたのだ。跡取りとして参加していた修に、アルトリアが一目惚れしたらしい。 修は母方の矢崎を名乗り、実家と決別している。恐らく、アルトリアがお見合いを申し込んだ時には既に、修は実家との縁を切っていたのだろう。 突然、携帯電話が鳴った。光のものでも、修のものでもない。セルファのものでも、有希やシェルリアのものでもない。アルトリアの携帯電話だ。 修と有希がホテルの方に顔を出してアルトリアが電話を取るのを見つめる。 「あ、フランセスク?」 相手の名前を確認して電話を取り、かけてきたであろう相手に話し掛ける。 「お嬢さ……」 「私ね、修くんが大好きだったの。今日逢えて本当に良かったぁー。あ、もう帰らないから、他の人たちにはそう言っておいてねー」 フランセスクが何か言うよりも早く、アルトリアは一息に言い放った。 そして、言いたいことだけを一方的に告げるとアルトリアは電話を切った。 「あれ? どうしたの皆?」 自分が注目されているのに気付いたアルトリアが首を傾げる。可愛らしい仕草ではあったが、彼女の行動についていけない。 「ま、まぁ、仲間が増えたのは悪いことじゃないと思うけど……」 光は自分に言い聞かせるように呟いた。 「そう、ね……。彼女の力がVANから無くなったと考えれば私たちには良いことなんでしょうけど……」 セルファもやはりアルトリアについていけないようだ。 理屈的には、彼女の電磁波支配能力が光の側についたのは喜ばしいことだ。電子機器の発達した現代ではかなりの影響力がある。VANが彼女の力を利用できなくなったのは喜ぶべきことだろう。 「あんなこと言ってる……」 有希はまた泣き出しそうだ。 「じゃ、じゃあさ、有希はもし俺に既に彼女がいたら諦められた?」 「う……」 返答に詰まる有希が修を見上げる。 「でも納得できないよぉー」 また泣き出す有希を見て修は慌てふためく。 「暫くは大変そうだな」 光は呟いた。 最終的には、修にとって有希が一番なのだろう。アルトリアはそれを承知の上で修に着いてきたのだろうが。 「……ねぇ、光は、愛人とか欲しい?」 おずおずとセルファが聞いてくる。 いきなり何を聞いてくるのかと思ったが、少し考える。 「私も気になるわね、それは」 シェルリアが光を挟んでセルファとは反対の場所に腰を下ろす。 「分からない」 光は正直に答えた。 「俺、今まで誰かを好きになったことって無かったし、好かれることも無かったから」 三ヶ月前、高校の隣のクラスにいた美咲から告白されたのが光にとっては初めての恋愛経験だった。誰かを好きになるという感覚も、好かれるということも何も解らなかった。 「好きだって言ってくれるのは嬉しいけどさ」 シェルリアは光に告白して、仲間になった。付き合うことはできないと、断った光に着いて来てくれている。嬉しいことだとは思う。 目の前にいるアルトリアのように、シェルリアは光の愛人になりたいのだろうか。 「正直に言うと、今でも、恋愛ってちょっとよく分からないから」 光は頭を掻いた。 「私を愛人にしてくれって言ったら二人はどうする?」 「え、それは……」 シェルリアの言葉にセルファがうろたえる。 「悪いけど、しないよ」 光は苦笑して答えた。 そう答えると判っていたのだろう、シェルリアはくすりと笑った。最初から冗談だったのだろう。いや、半分は冗談でもないのかもしれない。 「俺には、セルファ以外に応えられそうにないから」 ただ一つはっきりしているのは、光はセルファに惹かれているということだ。他の人とも、親友の修とも何か違う感情をセルファに抱いている。それだけは解る。 昼間の、セルファのはしゃぐ姿を見ているだけでも、光は楽しいと感じていた。彼女が喜んでいることが、嬉しいとさえ思った。 セルファの想いになら、光は応えられる。いや、応えたいと思える。 「うーん、やっぱり妬けちゃうな。セルファが羨ましいわ」 シェルリアは苦笑して、立ち上がった。そのまま背伸びをしてから光に向き直る。 「光、ちょっと私に力を貸してくれないかしら?」 「どうしたの?」 手を差し出してくるセルファに、光は驚いたように言葉を返した。 「昼間のあいつらが追って来ないのが気になるの。距離とかそういうんじゃなくて、違う部隊でも攻撃してくるんじゃないかって思ってたから」 シェルリアの言葉に、光は顎に手を当てて考える。 ジョルジュが追って来ないことは確かに引っ掛かる。元々、ジョルジュ自身の力だけでは光を倒すことは難しいはずだ。何か作戦を考えていたということだろうか。 「ジョルジュは策略家としてVANの中でも有名だったわ」 光の考えを肯定するかのように、シェルリアが付け加える。 策略で光たちに奇襲を仕掛けようとしていたと見るべきか。あの場に何らかの仕掛けをしていたのであれば、光たちが移動したことで作戦が台無しになった可能性はある。とはいえ、それで光たちの追撃を諦めるものだろうか。 「シュウはあんな状態だし、私も偵察に出るわ」 シェルリアの言葉に光は頷いた。 「解った、任せるよ」 光は具現力を解放し、閃光型の力をシェルリアに吸収させる。シェルリアの防護膜が光のそれと同じ色を帯びたのを確認して、光は力を閉ざした。シェルリアは小さく頷いて窓を開けて外へと飛び出して行った。 偵察や情報収集は聖一が続けている。携帯電話にでもメールを打っておけば後で合流して戻って来るはずだ。 「俺たちは部屋に戻ろうか」 光は言って、セルファと共に隣の部屋へと向かった。 聖一はツインルームを二つ取っていた。今までいたのはシェルリアと聖一が宿泊する予定の部屋だ。光とセルファで一部屋、聖一とシェルリアで一部屋取ることにしていたのだ。修は基本的に、夜は自宅で有希と過ごすと言っていたため、修の泊まる部屋は取ってないのである。 光とセルファも家に戻っても良いのだが、孝二と香織に遠慮した部分が少なからずあった。 問題はアルトリアだが、恐らく聖一がベッドを譲るだろう。聖一の空間歪曲なら、修と同じように自宅に戻ることも容易にできるはずだ。修は恐らく、今夜は有希に掛かりっぱなしになるだろう。仕方がないといえば仕方がないが、果たして丸く納まるのだろうか。 「そうだ、本当は昼間のうちに渡したかったんだけど……」 部屋に入って、光は思い出したようにポケットから包みを取り出した。公園から出る時にでも渡そうと思っていたものだったが、VANの襲撃ですっかり予定が狂ってしまった。 「どうしたの、これ?」 包みを受け取って、セルファが目を丸くする。 「あんまり高いものじゃないんだけど……」 包みを開いたセルファは大きく目を見開いた。 小さな翠色の宝石、エメラルドのはめ込まれた指輪が中に入っていた。 「これ……もしかしてあの店で?」 セルファは驚いた様子で光の顔を見つめる。光は肯定する代わりに頬を掻いた。 「五月の誕生石って、エメラルドだったなって思って……」 石言葉は「幸運、新たな始まり」だったはずだ。あまり意識してのもではなかったが、意味的にも悪くはないと思う。 「まさか、エンゲージリング?」 「あ、いや、そこまでは考えて無かった、かな……」 上目遣いで悪戯っぽく聞いてくるセルファに、光は苦笑した。 確かに、そうとも取れる贈り物だと思った。彼女と共に過ごしたい、一緒に歩んで行きたい。それは、光がセルファと結婚したいと言っていることに等しいのではないだろうか。セルファも、光と共に生きたいと言ってくれた。婚約していてもおかしくはないのではないか。 何気ない思いつきで買ったプレゼントだったが、婚約指輪でも良かったかもしれない。 「でも、嬉しい……」 セルファは頬を染めて指輪を見つめた。ゆっくりと、左手の薬指に指輪を嵌める。 彼女の瞳と同系色の宝石が灯りを反射して輝いた。 「ありがとう、ヒカル」 セルファはそう言って優しく微笑んだ。少しだけ頬を朱色に染めた彼女の笑顔は、本当に綺麗に見えた。 |
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