第三章 「シェルリア」


 暗い夜空の中、シェルリアは街の建物の屋根の上を駆けていた。物音を極力立てぬよう、全身のバネで衝撃を受け流しながら、勢いを殺さずに走り抜ける。左右や下方に視線を走らせ、何か異変はないか確認していく。
 いつの間にか、かなり遠くまで来ていた。ホテルから五キロは離れているかもしれない。
 一直線に見てきたことを考えて、方向を変えようかと立ち止まった瞬間だった。
「……ッ!」
 背中全体に氷を叩き付けられたような、衝撃と勘違いしそうなほどの寒気を感じた。
 反射的に振り返り、腰を落として片手の指先を地面に触れさせるように身構えている。自分が最も逃げ易いと思う、構えだ。
「あなた……」
 シェルリアの声は震えていた。それに自分自身で驚いている。
 口を閉じようとして、歯がかちかちと音を立てていることに気付く。身体全体が小刻みに震えていた。振り返って、相手を確認した直後から全身に凄まじい悪寒を感じている。冷や汗が噴き出し、本能が警鐘を鳴らす。逃げろ、戦ってはいけない、と。
 視線の先、屋根の端に一人の青年が立っている。両手をポケットに突っ込んだままの、無防備な姿で、彼はシェルリアを見つめていた。冷ややかな視線には、「まだ」敵意は無い。にも関わらず、シェルリアは酷く緊張していた。
「久しぶりだな、シェルリア・ローエンベルガ」
 青年が一言だけ呟いた。
「……シェイド……キャリヴァルス……!」
 シェルリアは青年の名を呟いた。
 第零特殊突撃部隊長、シェイド。恐らく、VANの実働部隊の中で最も強い能力者。アグニアの子として育てられ、一から鍛え上げられた、次期「長」候補の一人だ。
 長い黒髪が夜風に揺れている。切れ長の双眸はシェルリアを見下ろしている。
「まさか、あなたが出てくるなんて……」
 思ったことが口をついて出ていた。
 考えられないことではない。ヒカルはVANの長であるアグニアが最も恐れる能力者だ。事実、今まで全ての攻撃を跳ね除けている。単体での戦闘能力の高さは実際に戦ったことのあるシェルリアも良く知っていた。
 ヒカルの抹殺が最も確実に行えるであろう人物は、シェイドだろう。全ての殲滅任務をシェイドは全て完璧なまでにこなしてきている。第零特殊突撃部隊の人数はたった三人と少ないものだ。だが、それを補って余りある戦闘能力を全員が有している。それこそ、特殊部隊長クラスの能力者が揃っていた。シェイドを含めて経った四人の部隊だが、その任務遂行能力は凄まじく高い。
 ヒカルが、それだけ危険な存在になったということだろうか。
「……今、コピーしているのがカソウ・ヒカルの力か」
 シェイドが呟く。
 彼はシェルリアの能力を知っている。いや、知らなかったとしても調べてから来たことだろう。元々、シェルリアはVANにいたのだ。データなら本部に残っているに違いない。
「やっぱり、ヒカルが狙い、なのね?」
 震えが止まらない。やはり、シェルリアはシェイドを恐れている。
 何故、こんなにもシェイドに対して恐怖しているのだろうか。シェイドとはただの一度も戦ったことは無いと言うのに。
「お前は何故、VANを裏切った?」
 シェイドが問う。
 どこか、咎めるような口調だった。
「そうすることが、私の運命だっただけよ」
 シェルリアは答えた。
 元々、シェルリアはVANに対して忠誠を誓っているわけではない。今までは、VANにいることが運命だと思っていたに過ぎない。いや、今に至るまでのことは最初から全て決まっていたのだ。シェルリアの存在はヒカルの仲間として戦うという運命のためにあったに違いない。
 ヒカルと戦った後、シェルリアは彼の存在に運命を感じたのだから。
「……くだらん」
 シェイドはシェルリアの言葉を忌々しげに一蹴した。
 流石に、むっとした。
 ヒカルはシェルリアの考え方を認めてくれた。彼自身は運命や神の存在を信じていないにも関わらず、シェルリアの考え方が存在することをさも当然のことであるかのように。自分を考えは曲げず、相手の意思も否定しない。そんなヒカルが、この世界を変える運命を背負った存在に思えたのだ。そして、彼との出逢いもシェルリアの運命だったのだろう。きっと、シェルリアが覚醒したのは、VANの中で戦う力と知識を身に着け、同時にVANの内情を知ってヒカルの力となるためだったのだ。
 そう、思えた。だから、VANを裏切ることは最初から決まっていたのだ。
 ヒカルの想い人になれなかったのは残念だが、仕方がない。彼にはセルファという、最初から決まっていた運命の相手がいたのだ。
「なら、お前は運命が死ねと言えば死ぬのか?」
「違うわ」
 シェイドの言葉に、シェルリアは薄く笑みを浮かべて首を横に振った。
「運命は、もう決まっているのよ。私が全力で戦って、死ぬとしたら、それが運命だったということだから」
 全ては既に決まっている。運命が喋ることはない。どんな心の動きがあっても、選択肢のどれを選んだとしても、そこに至る過程も結果も、決められた道を進んでいるに過ぎない。
 ここでシェルリアが死ぬのであれば、それが運命だっただけだ。
「運命はVANが創るものだ」
 シェイドが迷うことなくそう告げた。
 まだ、シェイドはポケットから両手を出していない。具現力も発動していない。今仕掛ければ、勝てるだろうか。震える身体は、直ぐに反応してくれるだろうか。
(……ヒカル)
 セルファと共にホテルにいるであろう、ヒカルを思う。今、シェルリアは彼の力を借りている。不完全ではあるが、それでも並の能力者を遥かに凌ぐ力であることに変わりはない。今、ここでシェイドを倒せばヒカルのためにもなる。
「お前は言葉で説明できないことを運命だと結論付けているだけだろう」
「説明できないから、運命なのよ」
 シェルリアは駆け出した。震えは、どうにか治まっていた。
 思い切り踏み込んだ一歩が身体を大きく前進させる。可能な限りの力で、シェルリアはシェイドへと真っ直ぐに突っ込んだ。右手を伸ばし、シェイドの立つ場所の周囲に閃光を生じさせる。背後、真上、横、斜め、あらゆる方角からの光弾がシェイドへと放たれた。
 シェイドは一歩前へと進んだ。ただそれだけで、全ての攻撃をかわしていた。
 半身になり、上体を逸らしてシェルリアの拳をかわす。光弾はシェイドが回避するであろう可能性を考慮して放ったはずだった。時間差と、中心からずれた位置を狙ってのものだ。後退か、横への回避行動か、もしくは上空かと予測していた。
 しかし、シェイドは具現力を解放することもせずにただ一歩、前に出ただけだった。
 小さく、乾いた音が響く。シェイドの腰の後ろに下げられた、二つの金属製の筒が軽くぶつかって音を立てていた。
(そんな……)
 シェルリアは喉を鳴らして唾を飲み込んでいた。
 今の一瞬で解ってしまった。
 もう、シェルリアは死んでいる。いや、死んだも同然と言うべきか。
 シェイドの反射神経は並ではない。能力を解放せずに、閃光型の力をコピーしたシェルリアの先制攻撃をかわしたのだ。それも、すれ違うことで背後を取った形になるように。具現力を解放していたなら、間違いなくカウンターで死んでいただろう。いや、能力を解放していない時点でも背後を取られてしまった。
 屋根の端、シェイドのいた場所を跳び越して、隣の家屋の上に着地する。振り返った時シェルリアの目に飛び込んできたのは、変わらずに立つシェイドの姿だった。
「……もっと本気で掛かって来い」
 シェイドの言葉に、シェルリアは奥歯を鳴らした。
「今のが全力か?」
 冷静になれ、と自分自身に言い聞かせる。
 シェイドは何故、シェルリアを殺さなかったのだろうか。シェイドが理由もなく、シェルリアを生かしておくとは思えない。彼は、敵となったならば数秒前まで味方だった能力者ですら躊躇うことなく殺める人物だ。VANに抵抗する者に対して一切の容赦をしないのがシェイドだったはずだ。
 だからこそ、シェルリアは彼が現れた瞬間に恐怖していた。問答無用で攻撃を仕掛けられる可能性が極めて高かったから。
「あなたの狙いは、何?」
 シェルリアは問い質した。
 シェイドが答えるかどうかは判らない。だが、聞いてみなければそれすらも判らない。
「……ヒカルの力は、その程度のものか」
 返答の代わりに、シェイドが告げた。
 いや、それが答えだった。
 シェイドは、シェルリアを通じてヒカルの力を確認しようとしていたのだ。力場破壊能力を抜いた、単純な閃光型能力の力を計るのが目的だったのだろう。
 だが、完全にヒカルの力を計ることはできない。ヒカルには、全ての攻撃を無効化できる最強の防御能力がある。シェルリアにもコピーできない力だ。存在を知っていても、力場破壊能力は捌き難い。彼が恐れられる理由であり、ヒカルの強さを支える力だ。
 シェルリアがヒカルと戦った時はまだ完全に力場破壊能力を扱えていなかった。だが、ヒカルは「ラーク」で自分の力を知った。きっと、今のヒカルなら力場破壊を使いこなせるはずだ。ならば、ヒカルはシェルリアよりももっと上の強さを持ちえている。シェルリアが倒せない相手も、ヒカルならば十分倒せるかもしれない。
「私はヒカルに一度負けているわよ?」
 シェルリアは言った。強がりなのは自分でも理解している。
 恐らく、シェルリアにシェイドは倒せない。シェルリアは特殊部隊の隊員ではあったが、隊長クラスの能力者との実力差は大きい。もう既に十分過ぎるほど実感してしまった。
 逃げるとしても、ヒカルの居場所を教えることになりかねない。ヒカルのいる場所から離れたとしても、逆に追い詰められてしまうだろう。ヒカルやシュウと共に戦えば状況を打開できるだろうか。どの道、逃げることはできない。ならば、戦うしかないだろう。その結末がどうなったとしても、それがシェルリアの運命だ。
 シェイドが具現力を解放するのが解った。衝撃波のように、気迫が叩き付けられる。
 漆黒の輝きがシェイドの輪郭を照らし出す。少し青が混じっているのだろうか、月食を思わせる不気味な輝きだった。
「ヒカルの力を、見せてみろ」
 シェイドが軽く屋根を蹴って跳躍した。
 それは、確かに軽い動作に見えた。だが、シェイドの跳躍距離はシェルリアの予想を遥かに超えていた。超高高度から漆黒の閃光が紺色の輪郭を纏って放たれる。
 シェルリアが後退した直後、閃光が消滅する。かわしされたと判断した瞬間に力場を消しているのだ。
 反撃の閃光を放つ。途中で拡散させ、シェイドへ散弾のように蒼い閃光の針を浴びせた。
 シェイドの足が漆黒の輝きを纏い、空中で炸裂する。その反動で身体の位置を変えていく。炸裂の感覚が短く、まるで空中を滑るかのようにシェイドはシェルリアの攻撃をかわして行った。
 シェイドの力、それはヒカルと同じ閃光型能力だ。だが、シェイドの力は攻撃に特化している。同じ精神力を込めた一撃でも、放たれるエネルギーの量が極めて多い。シェルリアが知っているのはそれぐらいだ。
 実際に自分の目で見て、シェルリアはシェイドの存在に恐怖していた。自分の攻撃が全く当たらない。回避行動を予測して散弾化させた閃光を、攻撃が散る範囲外まで移動してやり過ごすという方法でシェイドはかわしている。その移動速度が尋常ではなかった。具現力を解放しているにも関わらず、肉眼で追えない時がある。
 シェルリアは両手から閃光を放った。合計二十本の閃光が鞭のようにしなり、夜空を突き抜ける。左右から挟みこむように、閃光がシェイドへと伸びて行く。
 シェイドはその全てを両手で受け止めた。一瞬で上下に手を動かして全ての閃光を掴んでいる。手に纏わせた漆黒の閃光がシェルリアの攻撃を抑え込んでいた。刹那、蒼い鞭が握り潰されていた。
(……ネガティブになってるから?)
 シェルリアはシェイドを睨み付けて、自問する。
 勝ち目がないと思っているから、焦っているから、こうも簡単にあしらわれているのだろうか。実力差はあるとしても、全く歯が立たないというのはいくらなんでもおかしい。
 戦うことを選んだはずなのに、逃げ腰になっている気もする。どうにか、この恐怖を掻き消さなければならない。全身に張り付いている悪寒を取り去らなければ、思うように動けない。
 滑り降りてくるシェイドから、シェルリアは距離を取る。格闘戦となったら勝ち目がない気がした。
(駄目、駄目、駄目……!)
 勝ち目がない、そう考えた時点でシェルリアは負けている。気持ちで負けてしまっては、具現力に本来の力を発揮させることなど不可能だ。
 シェイドが放つ光弾が、ブレる。一瞬にして光弾が十を超えていた。
「……このッ!」
 真正面から同じように光弾を叩き付けた。同じ数に、ありったけの思いを込めた。だが、相殺し切れない。どうにか打ち消せたのはたったの三つだけだった。かわすには、時間が足りない。
 光弾がシェルリアの目の前で押し止められた。シェイドは右掌をかざし、自分の攻撃を打ち消す。
「無事か?」
 直ぐ隣で、声がした。
 セイイチだ。彼が空間歪曲でシェイドの閃光を捻じ曲げたのである。閃光がその場で留まっていたのは、シェイドの能力特性によるものだ。
「……駄目、もう三回は死んでるわ」
 シェルリアの呼吸は震えていた。明らかに手加減をされている。手の内を少しずつ探られているようで、気分が悪い。
「……光たちは、遠ざけた方がいいな」
 その言葉にシェルリアはセイイチの方を見ていた。険しい表情でシェイドに視線を向けている。
 ヒカルたちを呼ぶかどうか提案するのではない。シェイドから遠ざけることを提案するセイイチの判断が自分と一致していることに、シェルリアは驚いていた。
「丁度良いシミュレーションになりそうだな」
 シェイドが口元に笑みを見せた。
 シェルリアをヒカル、セイイチをシュウに見立てているのだ。閃光型と空間型の能力者という組み合わせを見るなら、ヒカルとシュウのコンビネーションに近い戦い方ができる。
「……セイイチ、ヒカルたちを、お願い」
 シェルリアの言葉にセイイチは瞳を見返して来た。
「いいんだな?」
「……ええ」
 目を細めるセイイチに、シェルリアは頷いた。やはり、情報屋として動いていたセイイチはシェイドのことを知っている。もしかしたら、シェルリアよりも詳しいかもしれない。
 逃げるとしたら、二人のうちどちらかが囮にならなければならない。
 シェイドの持つ具現力は、他者の力場との干渉を拒絶する特性を持っている。本来は使い手の意思次第で自分の力場と他者の力場を重ねることができる。強い精神力と思いを持った者同士の戦いでは、稀に互いの力場が反発し合うこともある。だが、シェイドの力は意識せずとも他者の力場に反発する特徴を持っていた。そして、鍛えられた力と精神力は、その特性を更に磨き上げている。
 シェイドは相手の力場を弾き、押し退けることができるようになっていた。
 例えば、シェルリアとセイイチがシェイドから逃げるとした場合、最も手っ取り早いのはセイイチの空間歪曲で離脱することだ。だが、シェイドは逃走用の歪曲空間を自らの力場で押し退け、セイイチの行動を阻害できる。歪曲空間の移動先がずらされたり、歪曲させる範囲指定をした空間そのものが押し退けられる可能性もある。また、シェイドの移動速度を考えるなら、シェルリアの足で逃げるのも難しい。
 どちらか一方が、もう一方の逃走を援護しなければならない。
 特に、セイイチは具現力としての攻撃能力が無いに等しい。格闘攻撃でシェイドと戦うとなれば、シェルリアよりも勝率は低いだろう。
「可能なら、逃げ延びろ。光が悲しむ」
 セイイチが囁いた。
 死ぬな、と、そういう意味だ。シェルリアは小さな笑みを返しただけだった。
 シェイドが鋭い視線を向けてくる。当たり前だが、逃がすつもりはないようだ。しかし、何としてもセイイチを逃がさなければならない。
「三度も見逃したこと、後悔させてあげるわ……!」
 シェルリアは小さく呟いて、駆け出した。
 もう、なりふり構っていられない。この戦いの後のことなど、考えるだけ無駄だ。終わってから、生き残っていたら考えればいい。セイイチもいる。考えるのは彼に任せてもいい。そのためには、セイイチを殺させるわけにはいかない。
 普通に戦って勝てないのなら、普通でない戦い方をするしかなかった。分析や情報の収集など、シェイド相手にはできない。
(力……あの時のヒカルみたいな、力を!)
 実の兄と戦っていた、ヒカルが脳裏に蘇る。
 寿命を削るオーバー・ロードまで発動して、ヒカルはアキラと戦っていた。あの時のヒカルは、凄まじい強さを発揮していた。あれだけの力があれば、シェイドにも追い付いていけるはずだ。
 どれほどの寿命を削ろうとも、シェイドを道連れにできるなら、安い代価ではない。
「アアアアアァァァァァッ!」
 街の中の人間に気付かれることも無視して、シェルリアは腹の底から叫んだ。自分でもこれほどの声が出せるのだと思えるほど、力の限り。
 戦うことだけに集中する。自分が今までしてきた戦い方とは全く違う方法をしようとしていた。相手の力をコピーして戦う時の、応用性を重視した戦い方ではない。純粋に、力だけを求める、我武者羅な戦い方を。
(シェイドに、抗えるだけの、力を!)
 身体の内側から、力を引き出していく。
「行って! セイイチ!」
 シェルリアは叫んだ。
 屋根を蹴り、右手をシェイドへと伸ばす。シェルリアの周囲に生じた閃光が雨のようにシェイドへと降り注いだ。周囲の建物へ被害が出ることにも構わずに、シェルリアは自分が思いつく限りの攻撃を繰り出していた。
 閃光の雨、左右からの光弾、エネルギーの鞭、三種類の攻撃を同時に繰り出す。
 シェイドは蒼い雨の中を駆け抜ける。右へ左へ、身体を逸らし、両手で打ち払いながらシェルリアへと接近してくる。光弾を屈んでかわし、閃光の鞭を掴んで握り潰す。放たれた蹴りをかわし、肘打ちを受け止めていなす。裏拳を弾いてハイキックを屈んでかわす。
 一切の無駄がない動きで、シェイドはシェルリアの攻撃を尽くかわしていた。それも、後退することなく、接近したまま。
 まるで、オーバー・ロードしたヒカルと戦っている気分だった。いや、あの時よりも格段に恐怖感を抱いている。接近戦での攻撃を全てかわしながらも、シェイドはまだ一度も反撃をしていない。余裕のあるかわし方で、シェルリアの様子を探っているように見える。いや、シェルリアを通じてヒカルの力量を計っているのかもしれない。
(なんで、なんで……っ!)
 少しずつ、シェルリアの中に怒りが込み上げてくる。
 シェイドの、出会った時から全く変わらない表情に苛立つ。反撃の無いことも、まるでシェルリア如き赤子の手を捻るように殺せるとでも言っているかのようだ。
(どうして、届かないのよ!)
 今まで、感情を爆発させて戦ったことなどなかった。戦った相手は、いつもシェルリアの力に驚き、主導権を渡してくれる。シェルリアが敗北した、ダスクとリゼ、そしてヒカルを除いては。
 ダスクとリゼは既にシェルリアの力を知っていた。同じVANにいた人間であり、トップクラスの実力を持つダスクやリゼはシェルリアの力にさほど驚いた様子はなかった。シェルリアが思い付かない戦い方をして、逆にシェルリアを驚かせもした。
 ヒカルは、オーバー・ロードをすることで単純に自分の力を跳ね上げた。自分の力をコピーしたシェルリアを倒すために、単純に自分自身を強化したのだ。寿命まで消費して。
 シェルリアは相手の力をいかに上手く使うかということを考えて戦っていた。コピーした能力を冷静に分析し、相手を上回る応用を考える。これでは、閃光型のオーバー・ロードを引き出すことなどできない。知ってはいても、実際にオーバー・ロードを発動して気付いた。これは、ヒカルの見せたオーバー・ロードではない、と。
 今のシェルリアのオーバー・ロードでは、ヒカルの発動して見せたそれには適わない。
「もう一度言うぞ、ヒカルの力は、その程度のものか?」
 どこか落胆したように、シェイドが問う。
「あなたは何がしたいのよ!」
 シェルリアは叫んだ。シェイドへの苛立ちよりも、自分自身への怒りの方が勝っていた。
 シェイドに掠りもしない攻撃しかできない。シェイドの表情を、本気のそれに変えることすらできない。オーバー・ロードも、ヒカルに比べて力不足だ。何もできない。何のためにここにいるのか、どうして、自分が戦っているのか。セイイチは逃げる隙を窺っている。つまり、シェルリアはまだ囮としての役にすら立っていない。
 人が逃げ始めている。VANの蜂起により、一般人への能力者に対する危機感は一層高まっている。戦闘を間近で見ようなどと思うものはもうほとんどいない。軍や警察などもそう間をおかずに現れるだろう。
「父が恐れる能力者に興味がある」
 シェイドにとって、アグニアは父親同然だった。だから、シェイドはアグニアを父と呼ぶ。アグニアの理想であるVANに対し、シェイドは絶対の忠誠を誓っている。
 そのアグニアが唯一恐れた能力者が、ヒカルとアキラだった。かつて、アグニアを瀕死にまで追い詰めたコウイチとリョウコの実子というのがその理由だ。だから、VANへの抵抗を決めたヒカルを、アグニアは他の誰よりも危険視している。たとえ、明言することはなくとも。
「私を侮辱するつもり?」
 最初から、シェルリアは眼中にないのだ。解っていても、はっきりそう言われると悔しい。
 アグニアが恐れるヒカルの力が、どの程度のものなのか知りたいというのがシェイドの本音だろう。シェイドにとってアグニアは尊敬の対象だ。そのアグニアが危険視する存在を、自分が握り潰せるものなのか見極めたい。そして、可能ならアグニアとVANのためにヒカルを抹殺する。
「……それは、俺に対しても侮辱だな」
 シェイドが呟いた。
 第零特殊突撃部隊の長を務めるシェイドと、第二特殊特務部隊の一般隊員の一人だったシェルリアでは格が違う。同じ特殊部隊でも、隊長と隊員では実力の差が大きい。それは、近い実力の者が他の部隊長に回されることが多いからだ。
 相手の力をコピーしなければまともに具現力を振るえないシェルリアは、隊長に回されることはなかった。結局、真に強い能力者は自分の力が相手でも勝利することができる。ダスクやリゼ、ヒカルがそれを実証している。シェルリアの実力不足もあるだろうが。
 シェイドにとって、シェルリアなど多少特殊な力を持った雑魚に過ぎない。対等に戦えると思われること自体が心外なのだ。
「その程度の力に、父は恐れているのか?」
 シェイドが落胆したように漏らした。
「あなたは……っ!」
 シェルリアが言い返すよりも早く、シェイドが動いていた。
 跳ね上がった右手がシェルリアの左肩に触れる。軽く突き飛ばすような掌底。言葉が途切れ、シェルリアが大きく吹き飛んだ。オーバー・ロードしていたにも関わらず。
 吹き飛んだシェルリアが家一つ分飛び越して、背中から屋根に激突する。派手に屋根を破壊して、シェルリアの身体がバウンドした。破片が舞い、シェルリアはその家の屋根の端に右腕でしがみついた。
(な、に……今の……!)
 左肩に走った衝撃は凄まじいものだった。まるで、電車の突撃でも浴びたかのようだ。左腕が上がらない。肩の関節を遅れて激痛が貫く。骨に罅ぐらいは入っただろう。折れていないようだったが、粉々にならなかっただけでも奇跡に思えた。
 ただ突き飛ばされただけだ。あれがシェイドの本気の攻撃だとは思えない。
「お前は、何故VANの側につかない?」
 シェイドがセイイチに問う。
「あいつの理想が、俺の理想と重なったからだ」
 セイイチはそう答えた。彼も、ヒカルと同じように、具現力などに関わることなく、ただ平穏な暮らしさえできればいい。VANのように、自分の居場所を戦うことで勝ち取ることなど望んでいないのだ。
(……そうか、私も、同じなんだ……)
 屋根の上に這い上がりながら、シェルリアはセイイチの言葉を聞いていた。
 色んなものを認めながら、平穏に生きて行ける世界、そんなヒカルの希望に共感していた。自分の考えも相手の考えも、何もかも認めた上で共に暮らしていけたなら。戦うこともなく穏やかに生きていけるかもしれない。
 きっと、そんな世界を創るきっかけになるのがヒカルの運命なのだ。そう感じた。
(シェイドと戦うのが、運命なら、私は……!)
 握り締めた右手が纏う、蒼い輝きを増していく。
 何のために戦うのか、今まで意識したことはなかった。ただ、与えられた指示に従っていた。それが運命だと思ったから。だが、ヒカルの側についてからは違う。自分で考え、戦わなければならない。指示を与えられることはないのだ。確かにヒカルはグループのリーダーと言える存在だが、上司ではなく、仲間の一人でしかないのだから。
 運命は決まっている。だから何をしようが全ては決まった結末にしか向かわない。そう思ったから、シェルリアは感じるままに動いてきた。
(これで勝てないのなら……!)
 シェルリアは駆け出した。凄まじい力の本流が身体の中で暴れまわっている。その一方で、自分の中で何かが失われていくのを感じていた。
 厚みを増した防護膜が、シェルリアの力を底上げしていく。視覚と聴覚が強化され、シェイドの動きを捉える。繰り出した拳の速度に、シェイドが口元に笑みを浮かべたのが見えた。かわされたと思った瞬間に、シェルリアは拳に集めたエネルギーを周囲に解放した。撒き散らされる閃光を、シェイドはシェルリアの背後という死角に滑り込むことでかわす。
 シェルリアの回し蹴りが空を切る。屈んだ体勢から繰り出されたシェイドの右拳を、シェルリアは右手で弾く。手首同士を絡ませ、力の向きを逸らさせて。
 シェイドもシェルリアも勢いのままに身をぶつけるほどに近付ける。肘打ちへと転じるシェイドに、シェルリアは左脚のハイキックで対抗した。左手で蹴りを受け止めたシェイドの肘打ちを、シェルリアは左手で受け止めていた。
 傷付いて持ち上げることすらできなかった左腕は、いつの間にか回復していた。更に力を引き出した結果だろうか。
 シェイドの肘打ちに掌が痺れる。凄まじい威力だった。衝撃が腕の中を突き抜け、骨を軋ませる。
 シェルリアはシェイドの周囲に生じさせた光弾を無数の閃光に変えて放った。思い付く限りのあらゆる方向から放った閃光を、シェイドはシェルリアを強引に押し退けてかわして見せた。肩からぶるかるようにして突撃し、シェルリアを後方へ押しやる。そのままシェルリアの腕を掴んで背後へと回す。シェルリアを盾にするようにして背後からの攻撃を防いでいた。
 そして、シェイドの蹴りがシェルリアの腹を裂いた。ど真ん中だけは避けられたが、脇腹を大きく削ぎ取られていた。ほとんど直撃と変わらないダメージだ。噴き出した鮮血に構わずに、シェルリアはシェイドへと拳を繰り出した。凄まじい激痛が脳を揺さぶる。それでも痛みは防護膜によって抑えられているのだろう。意識を失うこともなく、まだ戦うことができる。
 シェイドの拳が、シェルリアのそれを上回る速度で放たれる。ずっと遅く攻撃を繰り出したというのに、シェルリアの拳がシェイドに到達するよりも早くシェイドの拳がシェルリアの右肩に減り込んでいた。オーバー・ロードしているはずなのに、肉眼で捉え切れない。
 歯を食い縛り突き抜ける衝撃と痛みに耐える。大きく仰け反り、衝撃を受け流しきれずに後退る。間接が砕けたのが解った。肩の皮膚や肉が至るところで破砕され、断裂し、血を撒き散らす。右腕が力なく垂れる。奥歯が欠けるほどに、強く噛み締めていた。
 シェルリアは具現力を閉ざした。軽減効果の消えた痛みが容赦なくシェルリアに襲い掛かる。大きく心臓が脈打ち、シェルリアは喉の奥から込み上げてきたものを吐き出した。血と、胃の内容物をぶちまけて、シェルリアは膝を着く。咳き込んで、口と舌に残った、吐瀉物の残りを唾液と共にもう一度吐いた。
「……何のつもりだ?」
 シェイドが不可解そうに問う。
 シェルリアの吸収適応能力は具現力を閉ざすとコピーした能力がリセットされる。今、シェルリアはヒカルの力を自ら捨てたのだ。戦うための力を。
 それがシェイドには理解できなかったに違いない。彼はシェルリアがヒカルの力に頼って戦うと思っていたのだろうから。ヒカルの力を捨てることは無防備になることに他ならない。そして、ヒカルの力を間接的にでも見ようと思っていたシェイドにとって、その力を行使できないシェルリアに存在価値はない。
「私が……コピーした、ヒカルの力、で、勝てないなら……!」
 途切れ途切れに、言葉を紡ぎながら、シェルリアは顔を上げた。痛みと、オーバー・ロードの反動による疲労感で飛びそうな意識をどうにか繋ぎとめながら、シェルリアはシェイドを見上げる。
「あなたの! 力を! 頂く……!」
 再び、シェルリアは具現力を解放した。色の無い防護膜が身体を包み、ヒカルの力をオーバー・ロードさせていた時と比べて効果は低いものの、痛みを和らげる。
「やってみろ」
 挑発的な笑みを浮かべ、シェイドが右手を水平に薙いだ。掌に生じた光弾が放たれ、シェルリアはそれを吸収するための力場で受け止めた。
 刹那、時が止まったように感じた。全身から冷や汗が噴き出し、鼓動がやけに大きく聞こえる。
「あ、う……ぐッ!」
 身体の内側で竜巻が荒れ狂っているかのような感覚に襲われた。力場が受け止めたエネルギーを吸収し切れない。吸収したエネルギーが莫大過ぎて扱えない。手に負えない力を抑え込むことさえできず、シェルリアの中で行き場を失ったエネルギーが暴れている。戦って受けた傷口から流れ出る血の量が増す。
 意識とは関係なく、身体が仰け反り、声にならない声が口から漏れる。呼吸すらもままならない。身体の内側から引き裂かれるかのように感覚に、思考が真っ白になった。
「……所詮、お前の精神力では劣化コピーが限界だろう」
 シェイドの言葉が聞こえた。そして、シェルリアの中で何かが切れた。
 口から大量の血を吐き、シェルリアが仰向けに倒れる。何も考えられない。ただ、苦しい。指一つ動かせない。防護膜が消えていた。
 身体の中がぼろぼろになっているのが、何となく解った。あらゆる肉体組織が損傷し、半壊しているような気がした。
 シェルリアがコピーできるのは、自分の精神力以下の力だけだ。受け止めた力場が、シェルリアの扱える精神力を超えていた場合、反動が生じる。シェイドの力は、シェルリアに扱える範囲を遥かに超えていた。制御し切れない力がシェルリアの中で荒れ狂い、シェルリアの精神をずたずたに引き裂いたのだ。
「本気で俺の力をコピーできると思っていたのか」
 シェイドの力の強さは、具現力に依存しているものだと思っていた。確かに、具現力自体も強力過ぎるものだったが、それ以上に精神力に依存する部分も大きかった。それがシェルリアの誤算だった。
「……あなたに、ヒカルは、殺せない」
 掠れた声で、シェルリアはどうにか言葉を紡ぐ。
「あれでも手加減したものだ。お前がコピーできる時点で、俺より上とは思えんな」
 シェイドはどこか落胆したように呟いた。
「いずれ、あなたより、強くなる……」
「なら、その前に消してやる」
「……ジンに、勝ってから、言うことね……」
 シェイドの返答に、シェルリアは動かない頬の筋肉を震わせて笑みを作った。
 ハクライ・ジン。シェイドと今まで、引き分け続けて来た唯一の能力者であり、ROVのリーダーだ。
(……ここまで、かな……)
 運命は残酷だと、初めて思った。
(一度も、愛称で呼んでくれなかったな……)
 霞んでくる意識の中で、シェルリアは思った。ヒカルが創る世界を見られないのが心残りだ。もっと、ヒカルたちと一緒にいたかった。VANにいた時とは違う、どこか優しくて懐かしい空気が好きだった。
 もう、何も考えられない。シェルリアは、ゆっくりと目を閉ざした。

 息絶えたシェルリアを見て、シェイドは小さく息をついた。結局無駄な時間を過ごしてしまった。
 シェイドの隣に一人の日本人女性が着地する。
「意地悪なのね。殺すなら殺すで、ひと思いにやってあげればいいのに」
「俺にも好奇心がある」
「随分とらしくないことを言うわね。そんなにヒカルが特別なのが気になる?」
 女性はシェイドの返事に、驚いたようなおかしいような、曖昧な笑みを浮かべた。
「ああ、気になるな」
 アグニアが唯一恐れる能力者。VANの人間としては気にならない方がおかしいのではないだろうか。もっとも、シェイドにとっては、父であるアグニアの懸念を取り去りたいというのが本音だった。兄であるアキラはVANに来た。互角に戦って負けたというアキラの実力から考えても、シェイドを超える実力を現時点で身に着けているとは思えない。
「シルエッタか、どうした?」
 シェイドは背後へ視線を向ける。一人の女性が立っていた。シェイドの部下、シルエッタ・ソードだ。
「緊急任務です」
「解った。直ぐに向かうぞ」
 即答し、シェイドはシルエッタに向き直った。今の任務も重要なものだが、緊急任務に指定されているわけではない。ヒカルには早急な対処をすべきだが、これは自分から志願した任務だ。緊急の任務が回されたのなら、そちらを優先しなければならない。
「ミキ、任せてもいいな?」
「ええ」
 出番が無くならなくて安心した、そう言って口元に笑みを浮かべる女性に背を向け、シェイドはシルエッタと共にその場を後にした。
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