第四章 「進むべき道」


 セルファはシュウ、ユキ、セイイチ、アルトリアの四人と共にダスクとその副官リゼ・アルフィサスの二人と対峙していた。ヒカルは、先に進んだ。兄であるアキラに会うために。それを許したのはダスクだった。
 アキラの決断を確かめてこいと、ダスクはそう告げてヒカルだけが先へ進むことを許可したのだ。部隊の仲間にもヒカルを攻撃しないように指示してあるとも言った。実戦に初めて出たアキラの覚悟を固めることも目的だろう。ROVとVANの戦闘に触れ、人を殺すことがどんなものであるかを知り、その道へ進む覚悟があるかどうか、最後の確認をしたいのだ。
 本当はセルファも一緒に行きたかった。だが、それをダスクは善しとはしなかった。
「さて、お前たちの力も確認させもらおうか」
 ヒカルが十分遠ざかったのを確認して、ダスクは口を開いた。
「それは、殺し合いで?」
 シュウが問う。
「いや、手合わせだけだ」
 ダスクに与えられた任務はROVの殲滅だけであるとのことだった。だが、ジンたち四天王がいたことで、ここのROVの殲滅は既に失敗といえる状況のようだ。多くのレジスタンスに逃げられたらしい。
 ダスクの作戦は、扇状に展開させた部隊と、逃げ道を封じるように配置した待ち伏せ部隊とでの挟み撃ちにするというものだったようだ。だが、ジンはその作戦を読み、包囲網がギリギリまで狭まるまで待つことで、敵部隊の拡散を防いだのである。練度の低い新入りを連れた状態では、敵を密集させておいてジンたち主要メンバーが突破する方が被害が少なくて済む。展開しているダスクの部隊がROVのメンバーを捉える可能性は高くなるが、部隊の密度が高いということはそれだけジンたちの攻撃で薙ぎ倒される数が増えるということだ。
 ジンたち四天王さえいなければ、この場にいたROVは殲滅できただろう。既に作戦が失敗したのだと判断したダスクは、自分の部隊の被害を減らすために撤退命令を出したようだ。ダスクの率いる機動部隊では、ジンたちを倒すだけの戦力はない。
 後から現れたヒカルたちを見て、ダスクの独断で今の状況が作られている。
「頼めるか?」
「俺の実力も確認できそうだしな」
 ダスクの言葉に、シュウが身構える。ユキ、セイイチ、アルトリアが少し後退し、スペースを作る。
「セルファ、あなたもね」
 そう言って、リゼがセルファの前に立った。
「リゼ……?」
「あなたも、守られてばかりじゃあいけないでしょう?」
 リゼの言葉に、セルファは頷いていた。
 ヒカルはセルファが戦うことをあまり快く思っていない。戦闘に不慣れなセルファを危険に晒したくないのだ。だが、セルファはヒカルの支えになりたい。互いに支え合うと誓ってもいる。
 セルファが戦うことを、ヒカルは納得しているのも事実だ。ただ、傍にヒカルがいる時は、ヒカルが戦っているだけだ。いつも一緒にいるから、ヒカルが戦っているに過ぎない。もちろん、ヒカルが戦っている間、セルファだって何もしていないわけではない。空間干渉能力を広域に展開し、周囲の状況を常に把握している。それをヒカルに伝えたり、シュウやセイイチに教えたりもしていた。
 上位部隊長クラスの実力を持つリゼに張り合えるようなら、いざという時セルファが戦うことでヒカルの助けにもなるはずだ。
 ダスクとシュウは既に手合わせを始めている。
 本来なら把握できないはずのシュウの空間破壊攻撃を、ダスクはかわしていた。シュウの視線や身体の動き、タイミングなどから瞬時に攻撃場所を逆算しているのだ。長年の戦闘経験のあるダスクだからこそ、シェイドのような芸当ができる。シュウもフェイントを織り交ぜていたが、見抜かれていた。
 互いの実力を量りあいながら、少しずつ戦闘のテンポを上げて行っている。
「行くわよ?」
 リゼの言葉に、セルファは身構えた。
 ヒカルがROVでジンやショウと特訓を重ねていた時のことを思い出す。あの時のヒカルの構えを真似て、セルファは肩幅を開いて両腕を胸の高さまで持ち上げた。
 同時に、空間干渉の範囲を自分が戦うであろう範囲に狭める。そうすることで、少ない精神力で干渉の密度を上げることができる。
 リゼが地面を蹴る瞬間、足に衝撃を発生させた。その反動で大きく加速し、一気にセルファとの距離を詰める。
 セルファは自分の身体を動かすように干渉し、横にステップを踏むように跳んだ。戦闘に不慣れで、訓練もしておらず筋力も低いセルファが戦うには、自分の身体を空間干渉で素早く動作させるしかない。自分の運動能力では、力を解放していないリゼにすら追い付けないのだから。
 リゼが進行方向を直角に捻じ曲げ、セルファを追い掛ける。衝撃を身体の各部に発生させ、ブレーキと旋回、加速を的確なタイミングでほぼ瞬時に行っているのが解る。
 速度を落とさぬ軽い跳躍から、リゼが回し蹴りを放つ。空中で衝撃を二度、三度と後方へ放ち、反動で身体を持ち上げて高度を保ちながら加速し、セルファを間合いに捉えてくる。繰り出される蹴りにも、衝撃波による加速を行い、最初からトップスピードで打ち込んでくる。
 セルファは蹴りの命中する寸前に、空間に干渉して圧縮空気の壁を作り出す。リゼの蹴りがその空間に触れた瞬間に圧縮した空気を解き放ち、その衝撃波でリゼの蹴りを押し留めた。
「ちゃんと追い付いてこれるじゃない」
 少し感心したように、リゼが呟く。どこか嬉しそうにも見える。
 セルファも、褒められたようで少し嬉しかった。
 セルファにとって、兄と呼べるのがダスクであるのだとしたら、リゼは姉と言ったところだろう。VANの中で、ダスクと共にセルファを一人の少女として見てくれた人物だ。話し相手になってもらったことも少なくはない。
 リゼが少しずつ攻撃を激しくしてくる。
 弾丸のように小さく、鋭い衝撃波を、セルファは空間干渉により防いでいく。空間の一部を捻じ曲げて方向を逸らしたり、圧縮空気による破壊力で相殺したり、同じ衝撃を叩き付けて打ち消したり、その場その場で様々な攻撃方法を試して行った。
 理論上、セルファの力は全ての具現力を再現できる。それを確かめ、同時に今の自分がどれだけ応用させていけるかを知るために。
「でも、良かったわ」
 手合わせを続けながら、リゼがセルファに話しかけてくる。
「最初の報告では、ヒカルが死んだってことになっていたから」
 一ヶ月前の戦いで、ヒカルは一度命を落としている。その命を拾い上げることができたのは、ジンのお陰だ。
 VANにはヒカルが死んだと報告がされたようだ。もちろん、それは直ぐに撤回されただろう。シェイドが撤退した時点では、ヒカルは確かに死んでいたのだから。
「あの時は、凄く怖かった……」
 セルファは少しだけ目を細めて答えた。
 今でも、あの時のことを考えると身震いをしてしまう。真っ黒な暗闇のようなものが心の中に広がって行くようなあの絶望感は、二度と味わいたくない。
 ただ、それだけヒカルのことを想っているのだとも知ることができた。
「シェイドも凄く驚いていたわ」
 ヒカル生存の報告でシェイドはさぞ驚いたことだろう。肉体的な外傷によるダメージのシュウとは違い、ヒカルの身体は無傷だったのだ。あったとしても擦り傷などの小さなものでしかない。外傷によって致命的なダメージを受けたわけではないヒカルを蘇生させるのは不可能だと判断できたから、シェイドも撤退したのだろう。
 セルファがユキの力を再現して傷を癒そうにも、治療しなければならない傷というものが無かったのだから。
 シェイドが仕留めそこなった能力者は、ジンを除けばヒカルが二人目ではないだろうか。実力自体は間違いなくシェイドが勝っていた。助かったのは間違いなく奇跡だ。ただ、あの経験によってヒカルは更に強くなっている。寿命は大きく消費してしまったが、精神力はかなり鍛えられているはずだ。ジンとの特訓でも、戦う度に力を増して行くのが見ていても判る。
「ヒカルは死なせない」
 リゼが打ち込んでくる拳を、セルファは空間を捻じ曲げて逸らした。
 既に、ヒカルの寿命は大きく削られている。十年刻みで消費してきたとしたら、既にヒカルは五十年分の寿命を使ってしまった計算になる。セルファの能力による把握も完璧ではなく、曖昧だ。大体このぐらい、までしか判断できない。精確な寿命を知ることはできなかった。
 これ以上、ヒカルにオーバー・ロードさせるわけにはいかない。恐らく、アグニアと戦うためにはオーバー・ロードが必要になるだろう。オーバー・ロードをし続けて、無限に力を引き出せるアグニアに対抗するには、ヒカルもオーバー・ロードで力を高めるしかない。だから、アグニアと対峙するその時まで、ヒカルにオーバー・ロードはさせたくなかった。
「強くなったわね、あなたも」
 リゼが優しく微笑んだ。その言葉に、セルファははっとした。
 かつて、VANの中にいた頃のセルファは力を持ちながら無意識に他者を頼っていた。それが、ジンを始めとするROVだ。最初は世界各地の反抗勢力の能力者に情報を流すだけだった。やがて反抗勢力をROVが吸収し、ジンが束ねるようになっていった。
 だが、ヒカルと出逢ったことで、セルファは変わった。彼の心に触れてから、セルファは自分から動きたいと思うようになっていった。自分には何もできないのだと決め付けていたことに気付かされたのも、ヒカルの言葉がきっかけだった。
 VANの中で生まれ育ったことで、自分だけがVANの思想とは違うことに孤独感を抱いていた。それが、周りの皆とは違うから自分一人では何もできないのだ、と感じるようになった原因なのかもしれない。だから、外に意識を向け、VAN以外の者に縋るようになったのだろう。
 自分が小さく、弱いものだと思い込んでいた。今でもそれは変わらない。ただ、強くなりたい、強くありたいと思うようになった。
 VANを抜け出して、ヒカルに逢うために全てを捨てた。愛情をくれない両親と、自分を特別な存在としてしか見てくれない視線から逃げて。その代償が、ダスク、リゼとの敵対だ。それでも、セルファはヒカルに逢いたかった。
「私が、ヒカルを支えるんだから」
 言って、セルファも笑みを返した。
 ヒカルと力を比べたら、セルファは非力だ。多彩な攻撃は可能だが、力場破壊によって全てを消されてしまう。セルファの力は力場で包み込んだ空間の中における事象を操作する。空間を覆う力場があるのが前提条件の力なのだ。その力場を破壊することのできるヒカルには、どうやっても勝ち目がない。父親であるアグニアから受け継いだ超越能力も、力場破壊には抗えないのだから。
 唯一、自分の防護膜を力場として作用させる方法もあるが、それでは使える力が限られてしまう。範囲内の事象を操るという特性を活かし切れないのだ。もっとも、ヒカルは味方なのだから、比べる意味はあまりない。
 共闘する際に、邪魔にならないかが心配なだけだ。
 空間に干渉して、突風を作り出し、リゼを吹き飛ばす。衝撃による反動で耐えようとするリゼの周囲に氷の槍を作り出す。衝撃波が槍を粉砕し、セルファは自身の幻を周囲に生じさせた。
 そして、リゼの着地した地面の周囲に、円を描くように火柱を作り出した。衝撃で炎に穴を開けるリゼの鼻先で火花が散った。
「……さすがに、私じゃ押さえられないか」
 苦笑して、リゼが首を左右に振る。
「私の勝ち?」
 具現力を解除するのを見て、セルファも力を閉ざした。
「色々されたら、私に勝ち目はないわ」
 リゼが頷いた。
 セルファの力は、能力者同士の戦闘を見る度に強くなる。他人の戦い方を見て、攻撃タイミングを学び、様々な攻撃方法を覚えることで空間干渉は強くなっていく。可能なことを知る度に、その想像力が力になるのだ。
 手合わせではなく、本気の殺し合いではどうなっていたか判らない。戦闘のプロであるリゼに、セルファが攻撃する暇があったかどうか怪しいところだ。先手を取られた時点で負けていたかもしれない。
「そろそろ時間だな……」
 ダスクの言葉に、セルファとリゼが注目する。
 シュウとの手合わせの決着は着かなかったようだ。二人とも力を解放したままだった。二人ともそれなりに疲労しているところを見ると、ほぼ互角といったところだったのだろう。
「やるな、さすが第一特殊部隊長」
「お前も、予想以上にやるじゃないか」
 互いに笑みを見せる。まだ二人とも余力は残しているようだった。殺すつもりでの戦闘ではないのだから、全力を見せることもない。むしろ、全力は隠しておくべきだろう。
「この後、反抗勢力の追撃部隊として、第一特殊特務部隊が派遣されてくる」
 ダスクの言葉に、セルファとシュウは目を見開いた。
 ジンたちROVの主力メンバーの存在を考慮した上での判断らしい。ジンたちを含めた上で、ROVに対する追撃を行うための部隊が控えていたということか。
「……教えてもいいのか?」
「もう直ぐそこまで来ているからな」
 シュウの言葉に、ダスクが小さく呟いた。もう、知ったから先回りや待ち伏せができるだけの時間はないということなのだろう。
「俺たちは撤退する。生き延びられるかどうかは、お前たち次第だ」
 言って、ダスクはリゼとともに数歩、後退した。
「シュウ、どうするの?」
「……セルファは光と合流した方がいいな。俺たちはこのまま別行動して撹乱しよう」
 セルファの言葉に、シュウはセイイチたちに同意を求めるように見回して告げた。
 合流場所は後で連絡を取り合うとして、このまま合流せずに別行動した方がいいかもしれない。むしろ、現状で別行動を取っているのがヒカルなのだから、ヒカルに合流するというよりはヒカルが合流する方がいいということか。ヒカル一人というのも不安だから、セルファを向かわせるのだろう。いざという時、ヒカルの回復役になるのはセルファなのだから。もっとも、シュウが言わなかったとしてもセルファはヒカルの方へ行くつもりだったが。
「なら、セルファは俺たちと来い。ヒカルの下まで案内しよう」
 ダスクとリゼが通路へと走り出すのを見て、セルファは後を追った。
「少し、安心したわ」
 リゼがふと呟いた。
「そうだな、良い目をするようになった」
 ダスクも微笑んで、セルファを見る。
「ヒカルが、いるから」
 セルファも二人に笑みを返す。
 ヒカルが辛い時、傍にいてあげたい。自分が辛い時、傍にいて欲しい。支えたい、支えて欲しい。そんな気持ちが、きっと、繋がっている。

 光がこの場に辿り着いたのは、霞が壁に叩き付けられた瞬間だった。
 左肩の傷は酷いものだった。脇腹の傷は、致命傷だ。いくつかの内臓を含めて大きく削り取られている。直ぐにセルファか有希に復元してもらわなければ助からない。
 だが、不可能だった。この場には二人ともいない。ここまで来ることが許されたのは光だけだったのだから。セルファたちが追いついてくるまでには、まだ時間がかかる。
 少しずつ冷たくなっていく霞の体温を、光は感じていた。彼女が生きていた証を自分の中に刻み付けるかのように。
「……知り合い、だったのか……?」
 霞が息を引き取ってから暫くして、彼女と戦っていた晃が驚いた様子で呟く。
 彼女が能力者であることを知った時、戦う背中を見た時、昔の自分と被って見えた。それがきっかけだった。無意識のうちに身体が動き、霞を守るように戦っていた。
 喘息という持病や、両親の死に塞ぎ込んでいた頃の自分が霞の姿にどこか似ていた気がしたのだ。恐らく、霞は、修に出会うことができなかった光なのだ。霞にとっては美咲がそうなるはずだった。だが、信頼関係が深まる前に美咲は命を落としてしまった。
 決して、霞の力は強いものではない。覚醒して僅か数日という状態の光でさえ、霞以上の強さを発揮した。光の力が破格過ぎるのだとは解っている。霞が持っていたのは、強固な意思だった。最初から、誰にも弱音を吐くことなく、一人で全てを抱えて戦っていた。光は、霞がパンクしてしまうことを恐れていた。
「……クラスメイト、いや、友達だった」
 静かに、光は答える。
 最初はただのクラスメイトでしかなかった。どこか近寄り難い、他者との関わりを避けているような少女という印象しかなかった。光が覚醒し、その戦いを見られた後から、彼女に対する見方も変わって行った。彼女自身が能力者であることを知り、その背景を知り、親近感が湧いた。まるで、塞ぎ込んで友達のいなかった頃の自分みたいだ、と。
 そんな彼女にも友達がいることを知った時、少し安心すると共に嬉しかった。その相手が、光に告白してきた少女だったことには驚いたが。
(美咲の言ったこと、正しかったんだ……)
 霞が好きなのは光かもしれない。かつて、美咲が冗談めかして言った言葉は間違っていなかった。霞と美咲がもっと早く出会っていれば、もっと長く友達でいられたら、違う未来になっていたのかもしれない。
「……殺すつもりはなかった、なんて言うなよ?」
 晃が何かを言う前に、光は言った。
「戦うっていうのは、こういうことなんだ」
 霞ほどの力量があれば、きっと勝ち目のない相手であると見抜けたはずだ。それでも、退くことなく戦ったのは、それが霞の意思だったからだろう。
 黙り込んだままの晃は、明らかに動揺していた。視線を彷徨わせ、自分のしたことを悔やんでいるかのようだ。
「……それが、兄貴の選んだ答えか?」
 VANの能力者として、晃は霞と戦ったのだ。
 それが答えなら、光は晃と戦わなければならない。敵になるのであれば、戦うしか道はない。どれだけ晃が誘おうとも、光はVANとの共存には絶望している。
「知り合いだとは、知らなかったんだ……」
 晃の言葉に、少しむっときた。
 それは、もしも光と霞が知り合いだと知っていたなら、晃は戦わなかったかもしれないということだ。それは、霞の死を無駄にする言葉に他ならない。
「誰だって、殺されたら悲しむ人はいる」
 光は霞を抱えたまま、晃を見上げた。
 人を殺すということは、そういうことだ。誰かの命を蹴落として、光たちは生きてきた。今まで殺めてきた人たちの命を背負って、光たちはこれからを生きていかなければならない。殺したことを後悔してしまえば、その行為を無駄なものにしてしまうから。たとえ後悔を抱えるとしても、その先にあるものを掴むためには避けて通れない時もある。
 死んだものは生き返らない。そんな具現力は存在しない。
「そんなことも解らないで戦うつもりだったのか!」
 光は叫ぶように言葉を投げた。
 戦うだけの覚悟とは、殺すことを正当化する理由ではない。自分の中で決して譲れないものを確立させることだ。どれだけの大義があろうと、他者の命を奪う権利など誰にもない。それでも譲れないものがあるから、無数の罪を背負うとしても光は戦える。セルファや家族、仲間の命、皆と過ごしていける日常のために、それを脅かす者たちと戦うことを選んだのだ。
 たとえどんな人物が相手であろうと、その命は光にとって、光たちが戦う理由よりも軽い。そう考えられるようになることが、光には覚悟を決めることだと思う。
「だったら、お前は深輝姉さんを殺すことに躊躇いはなかったのか!」
 晃の言葉を、光は目を逸らさずに受け止めた。
「躊躇ったら、深輝姉も含めて皆死んでただろうね」
「お前……」
 光の返答に、晃は口篭る。
 父親のいとこである深輝が光の糧となるために敵として現れたことを、晃は知っている。そう思った。VANの中にいたのだから、出会っていても不思議はない。部隊長でもあったのだから、深輝が晃と話すことだって不可能ではなかったはずだ。
 深輝の命は、光が背負う。彼女の思いを無駄にしないために、光は立ち止まらずに歩き続けなければならない。アグニアを倒し、VANを壊滅させて、平穏な日常を手に入れることが、彼女に報いることだと思うから。同時に、それは光が戦う目的でもある。深輝の思いと一致しているからこそ、光はもっと強くなっていかなければならなかった。そして、一致しているからこそ、戦うのは辛かった。
 だが、躊躇うことは許されない。
 深輝の意思は固かった。自分の無力さに絶望し、選んだのが、光たちに思いを託してこの世を去ることだったのだから。
「後悔がないなんて言わないけど、俺にはそれを抱えてでも欲しいものがあるんだ」
 そのために、迷うことは許されない。
「俺には、お前のやり方が正しいとは思えない」
 晃の言葉に、光は溜め息をついた。
「これは、もう戦争なんだ」
 善悪の問題ではない。
 何のために戦うのか、思いの戦いだ。譲れないものを抱えたもの同士の戦いなのだ。そこに善悪などという観念は必要なく、意味もない。どちらの主張にも正しい部分があり、だからこそぶつかり合い、一方を否定しなければならない。互いに相手の意見を受け入れるつもりがないのだから、否定してでもぶつかっていかなければならなかった。
 そうしなければ、光たちは殺されることを受け入れるしかなかったのだから。
「俺は俺であるために戦う。俺だけじゃない、皆も同じだ」
 光が光であり続けるために、大切なもの、自分にとっての全てを守り抜くために戦うことを決めた。それは、今この戦いに身を置いている者全てに言えることだ。
 ただ、光の場合は刃のような復讐ではなく、希望のために戦うと決めたのだ。
「……叔父さんと香織さんが結婚したこと、知ってるのか?」
 光の言葉に、晃は目を見開いた。
「香織さんはもう、妊娠もしてるんだ。知らないだろ?」
 孝二と香織も、戦う決意をしている。力がない者なりに、現状を生き抜こうとしているのだ。ようやく結ばれた二人だ。その生活を守りたい。安心して暮らしていけるようにしてやりたい。
 身近にいて戦えるのが光だけだから、二人の生活を守るのは光の役目だ。
「……俺も、セルファと生きて行きたい」
 一度、死ぬ寸前まで追い込まれた時、強く思った。
 まだ死にたくない。まだ生きていたい。まだ、セルファと一緒に過ごしたい。共に笑っていたい。その想いは、光だけのものだ。誰にも掻き消すことなどできない。
 どれだけ力を持っている相手でも、この想いだけは譲れない。
「……好き、なのか?」
 晃が問う。
「俺は、セルファが好きだ」
 これだけは胸を張って言える。光はセルファに好意以上の感情を抱いている。彼女だけは守り通したい。他の何を失うとしても、選択肢の中にあるなら、最優先でセルファを守るつもりだった。
 左手の薬指には、セルファから貰った答えがある。
 それを見てか、晃が目を丸くする。
「だから、俺は兄貴が敵になっても退かない!」
 光は言い切った。
 たとえ晃が相手でも、敵として光たちを脅かす存在になるのであれば、倒すしかない。抵抗が全てなくなったわけではないが、以前と違って迷いはない。
「……話は終わったか?」
 ダスクの声に、光は振り返った。ダスクがリゼを連れて歩いてくる。
「ヒカル……」
 セルファも一緒にいた。修と有希がいないことは気に掛かるが、セルファが無事だったことに安堵する。同時に、ダスクにも感謝した。晃と話す場を与えてくれたことに。
「……退くぞ、アキラ。時間だ」
 ダスクの言葉に、晃は複雑な表情を浮かべる。
 身を退くことへの躊躇いと、実の兄弟と戦わなくて済む安堵、光の腕の中で息絶えた霞への感情、様々なものが見えた。まだ、迷っているようにも見える。初めての実戦で感じるものがあったということだろう。だとしたら、まだ晃との戦いを避ける術はあるかもしれない。
「ヒカル」
 名前を呼ばれ、光は晃からダスクに視線を向けた。
「次に出会った時は、決着をつけよう」
 それは、次に出会った時に戦うことを意味している。ダスクも薄々感じているのだろう。光をこのまま放置しておくわけにはいかない。VANにとって脅威の存在となった光に対して、友好的でいられるのもこれが最後ということだ。
 これからの戦いで二人とも生き延びることができたら、という前提ではある。ただ、きっと、必ずぶつかるであろうと光は確信していた。ダスクの存在を超えなければ、アグニアに手は届かない。第一特殊機動部隊長という、地位を超えていかなければ、光はアグニアと戦うことはできないのだから。
「ダスク……」
 敵同士である以上、戦わなければならない。それはずっと覚悟してきたことだ。どれだけ友好的であっても、ダスクはVANの人間だ。同時に、光はVANを潰そうとしている。
 戦うことは、避けられない。
 背を向け、急速にダスクたちが遠ざかって行く。
 光は、抱えたままの霞の亡骸に視線を落とした。このまま、この場に彼女を置いていくべきだろうか。霞の死を伝えたら、ROVのメンバーは埋葬してくれるだろうか。
「……どうして、してあげなかったの?」
 セルファが小さく呟いた。
 一瞬、何のことを言っているのか判らなかった。だが、直ぐに気付く。
「……見てたんだ?」
 霞が死ぬ間際の光とのやりとりを、セルファは聞いていたのだ。空間干渉で見ていたのだろう。
「ごめんなさい……でも」
 無断で覗き見ていたことを謝って、セルファが言葉を続けようとする。
「霞は嫌いじゃなかったよ」
 その言葉を遮るように、光は言った。
 高校で同じクラスになった時から、好きか嫌いかで言えば好きな人物ではあった。嫌う理由がなかったというのもある。他人との付き合い方が下手なのは光も同じだったから、能力者であることを知る前からどこか自分と似た印象も持っていた気がする。
「霞に告白されるなんて、思ってもみなかった」
 光は苦笑する。
「けど、俺はきっと霞をそういう相手としては見てやれない」
 もしかしたら、能力者であるとか、戦っているとか、そんな事情や状況がなければ素直に応じてやれたかもしれない。ただの高校生として、付き合っていけたかもしれない。けれど、光と霞とでは目指すものが違っていた。戦う理由や、意味が違う。背を向けて、全く違う道を進んでいた。
 恋愛対象として見るには、遅過ぎた。
「でも、最後のお願いぐらい、聞いてあげたって……」
「……セルファは、それでも良かったのか?」
 どこか辛そうに呟くセルファに、光は問う。
 今、光が恋愛対象として捉えているのはセルファただ一人だ。セルファも、同じように光を見てくれているはずだ。それでも、光が霞と唇を重ねることを許せるのだろうか。
 セルファが光の肩に触れる。ゆっくりと、光は霞を地面に下ろした。
「中途半端な気持ちじゃあ、できないよ」
 たとえ霞がそこまで求めていなかったとしても、中途半端な気持ちで答えたら失礼だ。上辺だけの、形だけのものでもいいと霞が望んでも、光にとってはそれだけでは済まない。現に、霞は死んでしまった。どちらを選んだとしても、辛さだけは残る。
「嘘でしてやったって、辛いだけだろ……」
 気持ちのこもらない、形だけのものでは、逆に霞を傷付けてしまうかもしれない。そうなったら、互いに辛いだけだ。最後だからそれでもいいと望んだのかもしれない。けれど、それでは光の気持ちはどうすればいいのだろうか。いくら、致命傷を負っていたとはいえ、一方的過ぎる。
(酷い奴だな、自分でも……)
 結局、怖かったのだ。霞と口付けしてしまうことで、セルファに嫌われることが。同時に、霞に嫌われることが。そして何より、状況に流されてしまうことが。霞を好きになってしまうかもしれない。彼女の仇を討ちたいと思うようになってしまうかもしれない。自分の生き方を曲げてしまうかもしれない。それを、恐れていた。
 あの場ではキスしてやるべきだったかもしれない。それでも、光は本当に好きだと言える、一番大切な人以外にはしてやるべきではないと思っていた。軽々しくするものではない、と。子供じみているかもしれないと思いながら、結局怖がっているのだと自覚する。
「……彼女には悪いけれど、少し、嬉しかった」
 セルファの言葉に、光は顔を上げた。
「ヒカルが、私を選んでくれてるって解ったから、安心してもいた」
 まるで自分がイヤな人間であるかのような口調と表情で、セルファが呟く。
 その言葉に、どこか安堵する自分がいることを光も感じていた。
「……行こう、セルファ」
 光はゆっくりと告げた。
 霞は、死にたかったのだろうか。少なくとも、さほど生きることに執着してはいなかったかもしれない。一度、死に追いやられ生にしがみついた光にはそんな気がした。だとしたら、安らかに眠ることができただろうか。これからはもう戦うことも、失うことも、傷付くこともない。
 それは逃げだと思う。けれど、光には霞を説得できるだけの言葉はなかった。生への執着は、光にとっては修やセルファがいたから得られたものだ。
 もう、眠らせてやろう。彼女の存在は、光や刃たちが憶えている。戦いはまだ続くのだから、彼女の死を無駄にしないように前へ進むしかない。いつまでも悩み、悔やんでいるわけにはいかない。
「第一特殊特務部隊が来るらしいわ」
 セルファは光の言葉に一度頷いて気持ちを切り替え、言った。
「何か知ってることはある?」
 VANの中にいたセルファなら何か知っているはずだ。対策が練られるかもしれない。相手が持つ力を知ることができれば、効果的な対処法を考えることだってできる。
「この部隊は……ごほっ」
 言葉が途中で途切れ、セルファは吐血した。両手で口を覆っての咳と共に、血が吐き出されている。指の隙間から血液が溢れ、滴り落ちていく。
「セルファ!」
 駆け寄る光の目の前で、セルファの脇腹が裂け、血しぶきが飛び散った。外からの力ではなく、内側からの力で突き破られたように見えた。だが、解放している光の知覚には、人や力場の気配は感知されていない。
 両膝を着くセルファを支え、仰向けに寝かせて抱きかかえる。
「一体、何が……!」
 周囲を見回すが、誰もいない。能力者の気配もないというのに、何故セルファがダメージを受けたのだろうか。いきなりのことに、気が動転する。
(そうだ、止血!)
 突然のことに、セルファも意識が朦朧としているらしい。肩で息をしている。表情もどこか虚ろで、辛そうな、それでいてどこかぼんやりとした表情で、視線を彷徨わせている。セルファの具現力が解除されていた。
 脇腹の傷は、範囲自体は小さいものの、深い。溢れ出す血が、止まらない。吐血も止まらず、喋ることすらままならないようだった。
 止血しようとして、光は戸惑った。止血するものがない。着ている服の一部を使おうにも、既に霞の血で大部分が汚れてしまっている。ここまで進んできて、少なからず砂埃のついた服で傷口に触れるべきではない。
 何かないかと考えて、一つだけ思い当たった。
 上着の内ポケットから、光は空色のハンカチを取り出した。やや大きめのこのハンカチなら、傷口を覆うことができそうだった。
 傷のサイズに合わせて二回ほど折り畳んだハンカチを傷口に押し当てる。
「う……」
 痛みに呻き声をあげるセルファを見つめ、光は歯噛みした。
 これが、次に戦う相手の力ということだろうか。現時点で、この力が一体どんなものなのか判らない。セルファは何か知っているようだったが、口封じのつもりなのだろうか。
 応急処置をしようにも、セルファの症状が判らない。吐血と、いきなりの出血では、どうすれば応急処置になるのか判らなかった。傷口はあるが、何もない状態から生じた傷だ。外傷にも見えない。適切な対処というものが浮かばなかった。傷口を押さえて出血を押し留められるのかも判らない。何の解決にもなっていないのではないかとさえ思えてしまう。
「それ……大切な……」
 どうにか、具現力を解放したセルファが口を開いた。防護膜で身体を包み、ダメージの進行を抑える。それでどこまで回復できるのかは判らない。
 セルファが傷口に押し当てられ、真っ赤になったハンカチに気付く。それは、かつて美咲から貰ったものだった。セルファはその時傍にいたわけではないが、このハンカチが美咲から贈られたものであることは知っている。
「大切なのは、誰がくれたかってことだから」
 死んだ人間のことは記憶の中にあればいい。確かに、そのハンカチは大切なものではある。だが、今目の前にいるのはセルファだ。彼女まで失いたくはない。助けるためなら、セルファの傷の手当てになるのなら、たとえ美咲がくれたハンカチでも惜しくはない。
「修たちと合流しよう、動ける?」
 光の言葉に、セルファは、小さく頷いた。
 ともかく、早く修たちと合流した方がいい。戦うにしても、負傷したセルファを連れたままというのは難しい。何より、今の状態でもセルファは危険なのだ。こんな状態のセルファを戦場に置いておくわけにはいかない。
 一番いいのは、セルファが力を使って修たちと合流することなのだが、それができるだろうか。セルファの傷は浅くない。現状、自分の治療すらままならないのだから、移動も難しいかもしれない。
 下手に動いては、敵とぶつかる可能性だってある。どうすべきだろうか。
「光!」
 背後からかけられた声に、光は後ろへ視線を向けた。
「先輩!」
 聖一が走ってくるのが見えて、光は安堵の息を漏らした。
 彼の力なら、移動も比較的容易だ。それに、聖一はこういう状況での隠密活動に長けている。修たちの下まで安全に移動できると思った。
「負傷したのか?」
 険しい表情で頷く光を見て、聖一が力場を展開する。
「こっちだ、一度退くぞ!」
 頷いて、光はセルファを抱き上げて立ち上がった。
 具現力を解放した光なら、聖一の力場が判る。どこへ飛び込めばいいのか、直ぐに理解した。まずは合流だ。傷の手当や、敵への対策は、皆で考えよう。
 セルファの苦しげな呼吸を聞きながら、光は走った。
BACK     目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送