第五章 「失くせないもの」 ベッドにはセルファが横たえられ、その傍らでは有希が具現力を発動させている。いつも通り、聖一が取ったホテルの一室で、光は修たちと合流した。 状況は芳しくない。そのことに、光はいつになくイライラしていた。 まず、セルファの容態だ。彼女の傷を塞ぐことはできても、有希の力では根本的な解決にはならないことが判明したのである。光には内側からのダメージに見えたが、それは間違いではなかった。 微生物のようなものがセルファの体内で体組織の破壊活動をしている、というのが有希の結論だった。同時に、有希の治癒能力で一時的に回復したセルファは敵の情報を語った。 第一特殊特務部隊長、ヴァイラス・トライヴァル。それが、今回の敵の名前だ。そして、ヴァイラスの持つ具現力こそが、セルファを蝕んでいるものの正体でもあった。 有機物生成能力というのが、ヴァイラスの持つ力だとセルファは語った。 「厄介な能力があるもんだな……」 修が小さく呟いた。 有機物、つまり微生物や細菌、ウィルスといったものを創り出すことができる力なのだ。それらを創り出すには力場を張る必要があるようだが、創り出した後は力場の外部でも活動が可能らしい。能力者が具現力を発動させている間は、力場の外でもウィルスや細菌は動き回ることができるようだ。 だから、力場を察知できる光にも存在を把握することができなかった。 セルファは、ヴァイラスの創り出したであろうウィルスや微生物に感染したのだ。その微生物が、セルファに体内からダメージを与えている。 有希の力では体組織の治癒しか行えない。体組織を破壊し続けている微生物たちを駆除できない有希では、セルファを助けることはできないのである。力場内でしか存在できないものであれば、光の力場破壊でどうにかできたかもしれない。だが、有機物生成能力は光の力に対して死角になる部分が多い。今も、その死角の部分から攻められているのだから。 有希の治癒速度よりも、ヴァイラスの創り出した微生物の侵蝕スピードの方が速い。このままでは、セルファの体力が持たない。死期を延ばすことしか、有希にはできなかった。 対処法は、一つしかない。 セルファが死ぬ前に、ヴァイラスを殺す。それしか、手はなかった。 そのために、聖一は情報収集のために出かけている。敵が直接攻めてくる可能性を考えて、光と修は待機していた。セルファが危険な状態になっているのだから、VANからの奇襲も可能性としては十分ありえる。下手に戦力を割くべきではない。 だが、苦しんでいるセルファをただ見ているだけしかないというのは辛い。何もできないことが悔しい。 セルファも次第に衰弱してきている。四十度を超す高熱を出しており、呼吸も乱れがちだ。有希の治癒能力で症状の進行速度をどうにか抑えているが、有希の力も無限ではない。全力で拮抗すらしていないのだから、有希にも相当な負担になっているはずだ。 それでも、有希は必死に力を使ってくれている。 合流した直後は会話する余力の残っていたセルファだったが、今では呼吸するのが限界なようだった。荒い息を吐き、目を閉じて身体の内側からくる激痛に耐えている。汗の量も尋常ではない。それが、セルファの状態が危険であることを告げている。 自分でもおかしいと思えるほど、光は苛立っていた。 (くそ……落ち着けよ、俺……!) 合流して、状況を理解して、聖一を送り出して、それから直ぐに、光は冷静さを欠いていた。 考えを集中させることができない。精神集中も上手くできない。何もかもが安定しない。椅子に座れば貧乏揺すりは激しくなり、ベッドに横になればイライラしてじっとしていることができずに何度も寝返りを打つように身体の向きや姿勢を変えてしまう。 こんなにも不安になるものだとは思ってもみなかった。 今まではセルファの身を案じて、危険に晒さないようにしてきた。セルファが危険な目に遭うことを恐れていたのも事実だし、そうなることが不安でもあった。だから、彼女を守れるように、刃たちの下で特訓もしてきた。率先して自分が戦うようにもしてきた。 セルファの命が危険に晒されることも、覚悟の上だったはずだ。彼女が光を支えると言ったことは、自分の身を危険に晒しても光と共にいるということに他ならない。セルファは戦う覚悟もしていたし、光もそれを認めていた。多少の危険は覚悟の上だったが、今回は光の想像を超えていた。 危険に晒されると言っても、戦場で敵との戦いで直接の攻撃を受けて負傷したりするぐらいだと考えていた。だが、今回は違う。戦場に出る前から、セルファはダメージを受けた。敵は近くにはないというのに。 同時に、セルファは攻撃を受け続けている。有希の力も後どれだけ持つのか判らない。聖一が敵の情報を掴んで戻ってくるまで、光には何もできない。 光には、敵と戦う力しかないのだ。誰かの傷を癒したり、移動を簡単にしたり、火や水を操ったりという、他の活用の道を見い出せる力はない。それが、とてつもなく悔しい。 光がどれだけ苛立っていても、状況は変わらない。判っていても、じっとしていられない。 (こんな、気分だったのかな……?) 一度シェイドに殺された時、セルファは今の光のように不安になったのだろうか。 セルファはまだ死んではいないのだから、差はあるだろう。もしもセルファが死んだら、光には蘇生させる術はない。有希に回復できない状態であったなら、蘇生は絶望的だ。 セルファを失うことが、不安でたまらない。もしも、彼女が死んでしまったら、最悪の結末から無意識のうちに思考を遠ざけようとしている。それが、苛立ちの原因だろう。 今まで、これほどまでに不安になったことはなかった。あったとすれば、五ヶ月前の修がVANに拉致された時や、三ヶ月前に家族をかき回された時ぐらいか。いや、だとしても、その時以上に光は苛立っている。 両親が死んだ時でさえ、これほどまでに心は揺れなかった。あの時は、まだ事故死だと思えたから、単なる不運なのだと割り切ることもできた。もう、死んでしまったのだから仕方がないと思えた。悲しかったのも、胸にぽっかりと穴が開いたように喪失感を抱いたのも事実だ。それでも、今、光が抱えている不安や苛立ちとは何かが違う。 「ヒカ、ル……」 苦しげな声に、光はセルファの傍へと駆け寄った。 どこか虚ろな視線で、セルファは光を見つめる。発熱のせいで顔が赤く火照っているようだった。向かい側ではセルファの左手を両手で握り締め、有希が力を使っている。 セルファが震える右手を伸ばしてくる。光はそれを両手で包み込むように握り締めた。心なしか、手が冷たい。 「ねぇ……もし、私が、いなくなっても……あなたは……」 「そんなことになったら、俺は世界を道連れに死んでやる!」 悲しげに歪むセルファの表情に、光は言い返した。 自分の力を全て使い尽くせば、かなりの範囲を巻き添えにすることができるだろう。もしかしたら、地球を破壊することだってできるかもしれない。 今、理解した。セルファのいない世界など、耐えられない。そこに生きる価値を、見い出せない。こんな形でセルファを失ったとしたら、光の精神はきっと崩壊する。全てを巻き添えにして、死んでやりたいとすら思ってしまう。 「ヒカル……」 セルファの瞳が涙で揺らぐ。 「……大丈夫、俺が、必ず助ける」 真っ直ぐにセルファの目を見て、光は言った。 「守ってみせる、絶対に」 光は一度、セルファに助けられた。 シェイドとの戦いで命を落とした光を蘇生させたのは、間違いなくセルファだ。セルファは刃のお陰だと言っているが、そこまで光を持たせたのはセルファの力に他ならない。セルファが、光を救ったのだ。 今度は、光がセルファを助ける番だ。 「光、敵の居場所が判ったぞ……!」 不意に飛び込んできた聖一の声に、光は弾かれたように立ち上がっていた。 部屋の入り口に、聖一がいた。よろめき、壁に肩からぶつかって、どうにか身体を支えているようだった。呼吸が乱れ、額には汗が滲んでいる 「先輩、まさか……!」 光は目を見開いた。 「俺のことはいい……」 壁にもたれかかったままずるずると身体のバランスを崩し、聖一は膝を着いた。 ヴァイラスの能力に感染しているのだと、直ぐに判った。 「俺の力場を通れば、奴らのいる場所に着く……」 慌てる有希を手で制して、聖一は告げた。 感染したばかりの聖一よりも、セルファの方が重体だ。有希の力を聖一の方へまで割くべきではない、そう言うかのように、聖一は有希に対して首を横に振った。 「……光、ここは俺が行く」 黙り込んでいた修の言葉に、光は耳を疑った。 「今のお前の精神状態じゃ、戦闘は危険だ」 光が何か言う前に、修が言った。 確かに、自分でも精神状態は不安定だと思う。だが、ここで修に行かせてしまっては、光の苛立ちは納まらない。 「いや、俺は行く」 ゆっくりと、光は聖一の来た方へと歩き出した。 「光っ!」 「……行かなきゃ、気が治まらないんだ」 制止しようとする修に、光は言った。 「そんな状態じゃあ、俺の命を預けられない」 「俺もそう思う」 修の言葉に、光は返した。 共に戦うのであれば、今の光は味方をも巻き込みかねない精神状態にある。敵を殲滅することに意識が向かい過ぎていた。それも自覚している。 「だったら……!」 「だから、セルファたちを頼む」 反論しようとする修に、光は告げた。 一人で行く、と。 「……たまには少しぐらい、暴れさせてくれ」 修とのやりとりで、少し頭が冷えた気がした。 それでも、胸の奥に燻っているものがある。それを燃やし尽くさない限り、光は前に進めないようにすら思えた。そして、それをするためにはここで戦うのは光でなくてはならない。 やるべきことが決まった途端に、苛立ちは消えて行った。あれほど冷静さを欠いていたというのに、今では随分と落ち着いている。自分にできることがあるのだから、当然といえば当然か。 「皆を、頼む」 言って、光は聖一の作り出した力場へと踏み込んだ。 修だからこそ、光は安心して仲間の護衛を任せられる。ここで二人とも戦いに出てしまえば、全員が無防備になってしまう。セルファと聖一はヴァイラスの力で弱っているし、有希はセルファの回復に全力を注いでいる。逃げることさえままならない状態だ。修の力なら、身動きのできないセルファたちも含めて簡単に移動できる。仲間を任せるのなら、防衛力の高い修だろう。 最初から共に戦って来た修だから、光の精神状態を察して止めたのだろう。自分の命と引き換えにしてでも敵に突っ込んで行きかねなかったのだから。それに近い言葉も口にした。 だが、それはセルファが死んだ場合だ。まだ、その時ではない。セルファを助けられるのなら、自分自身もまた生き延びなければならない。それは修に言われるまでもなく十分に承知している。光がセルファを望むように、彼女もまた光を望んでくれているのだから。 歪曲された空間は数歩で終わった。景色が一変し、建物の屋上らしい場所に出た。 周りには、VANのスーツを着た能力者たちがいる。光を取り囲むように、全員が力を解放して身構えていた。 既に、光も力を解放している。 「……やはり、来たな」 光から見てもっとも奥に位置する、屋根の頂点に、一人の男が腰を下ろしていた。肩膝を立てて、そこに腕を乗せ、更にそこへ顎を乗せるようにして光を見下ろしている。沈みかけた陽光を背にしているために影で顔は良く見えない。 周りの能力者は、ざっと二十人ぐらいだろうか。 「もう少ししていれば、全員に感染させられたんだがな……」 どこか落胆したように、男が呟く。 「さすがはお姫様だ。自分よりも仲間の身を案じるとは」 「どういうことだ?」 ヴァイラスの言葉に、光は問いを放っていた。 「本来なら、お前ら全員に伝染しているはずだったんだよ」 ヴァイラスが溜め息をついた。 有機物生成能力で創り出した微生物は、空気感染するタイプのものだったらしい。それを、空間干渉能力でセルファが防いでいたというのだ。自分の身体の中だけに留めていたらしい。 どうりで、セルファは力を使い続けていたわけだ。防護膜による抵抗力の強化よりも、空気感染を防ぐことで光たちを守ってくれていたのだ。そんなことにも気付かないとは、光も相当苛立っていたらしい。 「……ま、一人で来た度胸だけは褒めてやるぜ」 ヴァイラスが口元に笑みを浮かべるのが見えた。 「はっ、よく言うよ」 鼻で笑う光に、ヴァイラスの笑みが消える。 光が一人で来たのは、仲間の存在を気にせずに戦うためだ。度胸試しのためではない。修との連携に意識を割くだけの余裕は、今の光にはない。だから、一人で来た。 「判ってんだぜ、カソウ・ヒカル。お前の力場破壊の弱点はな」 力場破壊能力に明確な弱点はない。ただ、ある程度なら対抗できる能力は存在する。それは、力場の外部に力を作用させることのできる能力だ。 力場の内部に力を発生させるタイプの力では、力場破壊には太刀打ちできない。だが、力場の外部に影響を与えることができる力なら、力を作用させてしまえば力場破壊能力で掻き消すことはできないのである。リゼの衝撃生成能力などがそれにあたる。 そして、ヴァイラスの有機物生成能力もそうだ。力を発生させる前に力場を掻き消すことで妨害はできるが、一度効果を発揮してしまえばその力場を消したとしても効力を失うことはない。だから、ヴァイラスが差し向けられたのだろう。 追撃部隊としては、最適かもしれない。いわゆる生物兵器的な効果の期待できる有機物生成能力なら、相手の戦闘力が高かろうが低かろうが、感染させてしまえば勝利が確定する。後は敵に殺されぬように身を隠し、逃げ続けていればいいのだ。 「ROVは追えなかったからな、お前らだけでも始末させてもらうぜ」 ゆっくりと立ち上がるヴァイラスは自信に満ちている。 確かに、特務部隊に相応しい力だ。 「……悪い、もういいかな?」 うんざりしたように、光は呟いた。 これ以上、ヴァイラスと会話を続けても意味がないような気がした。それよりも、早くヴァイラスを片付けてセルファを助けたい。喋っているだけ無駄なのなら、もう攻撃を始めてもいいだろう。 「これから死ぬ相手に語るのも無粋だな」 「俺さ、今、物凄く腹が立ってるんだ」 怒りに引き攣った笑顔をヴァイラスに向けて、光は一歩、足を前に運んだ。 その瞬間に、光の身体を覆う防護膜が厚みを増した。身体の内側から、溢れ出す怒りをエネルギーに変えて自分自身に重ねて行く。 「行け! 油断するな!」 ヴァイラスが叫ぶように号令を出す。 いきなりオーバー・ロードをした光を見て、ヴァイラスも多少なりとも慌てたように見える。弾かれたように周囲の能力者たちが動き出す。全てが何らかの行動で光へと攻撃を始めた。 光は周囲に純白の粒子をばら撒き、向かってくる力場を無音無動作で破壊する。粉雪が舞うかのように、光を中心に純白の粒子が渦を巻いて吹き荒れる。生じる力場を片っ端から掻き消しながら、光はヴァイラスへと真っ直ぐに歩いて行った。 力場による攻撃を諦めた部下たちが、肉弾戦を仕掛けるために突っ込んでくる。 「邪魔だ」 一言言い放ち、光は右手を上空へと掲げ、下へと振り下ろす。 純白の嵐が一瞬で蒼に染まり、豪雨のように周囲へ降り注いだ。接近してきていた能力者が三人、文字通り蜂の巣のようになって朽ち果てる。屋根の斜面を転がり落ちていく仲間を見て、他の能力者たちが一歩後退った。 それでも、次々と能力者が向かってくる。向けられる力場を、再び周囲に力場破壊の粒子を振り撒いて掻き消す。 「ちっ、面倒だな……」 舌打ちして、光は立ち止まった。 雑魚に構っている暇はない。ヴァイラスの戦略は別に卑怯だとは思わない。特務部隊という性質上、方法はどうあれ任務が達成されることを優先するのだろう。部下に時間稼ぎをさせるのがヴァイラスの作戦なら、それはそれで在りだ。 もっとも、戦っている光にとっては煩わしいだけだ。 先ほど振り撒いた力場破壊の粒子に、閃光型本来のエネルギーを付与する。蒼白いエネルギーの吹雪を、広範囲に拡散させて敵を薙ぎ払う。足場である屋根すら破壊しながら、一般人に気付かれることも厭わずに光は力を振るっていた。 半径およそ五十メートルほどの範囲の敵を飲み込み、光は崩れ始めた屋根を蹴って大きく跳躍した。 暴風のように荒れ狂うエネルギーを周囲に解き放ち、どうにか逃れた敵たちを追撃する。 「隊長、ここは私が……!」 男が一人、光の攻撃を掻い潜って突撃してくる。 繰り出される拳を、速度が乗る前に手首を弾いた。オーバー・ロード状態の光の防護膜が高エネルギーを纏い、弾くだけで良い手首を破砕する。目を見開く男の顔面にもう一方の拳を叩き込んだ。 エネルギーが男の頭を飲み込み、削り取る。そのまま、光は男の身体を足掛かりに更に跳躍し、上空から敵の位置を把握する。ヴァイラスも含めて、空中から雨のように閃光を降らせた。ヴァイラスはどうにか攻撃範囲から逃れたようだったが、他の能力者は全て今の攻撃で殲滅できた。 普段なら、こんな戦い方はしない。一人だけで戦っているからこそできる芸当だ。仲間がいる場所では、味方の力場を破壊してしまうような攻撃は連携を崩すことになる。それに、仲間をも攻撃してしまうことになる。 「これで、お前だけだ」 着地した光は、正面に立つヴァイラスへと告げた。 いくら何でも強過ぎる。そう言いたげな表情のヴァイラスを見据えて、光は走り出した。 VANの情報網では、シェイドと交戦するまでの光のデータしか無かったのだろう。今の光は、あの時に比べても格段に強い。シェイドと渡り合えるレベルにはまだ足りないかもしれないが、力の使い方は上達しているはずだ。攻撃方法は深輝から多くを学んだ。実戦での判断力は刃たちROVとの特訓で鍛えている。 怒りを原動力に戦っていても、どこか冷静でいられる。以前のように、怒りに任せて我を忘れることもなければ、自分の信念を見失うこともない。 抑え切れない感情を理性で導いて力に変えて行けるのが実感できる。 「くっ……」 ヴァイラスが歯噛みする。 有機物生成能力による生物兵器攻撃は、今の光には効果がない。オーバー・ロード状態により、高エネルギーを纏った状態にある光の防護膜はヴァイラスの創り出した微生物を完全にシャットアウトしている。微生物や細菌、ウィルスレベルの攻撃能力では、光の防護膜を突破するだけの力はない。 同時に、光も意図的に防護膜にエネルギーを集約させていた。敵の攻撃を防ぐと同時に、攻撃の破壊力を上げるためだが、何よりもヴァイラスの力を遮断するために。 地面から、植物の蔓のようなものが伸びてくる。ヴァイラスの力によるものだと、直ぐに判った。力場から植物細胞と同じ構造の有機物を作り出し、連結させるように生成していくことで生み出したものだ。力場による制御は有機物の生成で終了していることを考えると、その生成時にどのような性質を持たせるかを決定しているのだろう。この蔓の場合は、恐らく近くにいる者を捕らえるような性質といったところか。 光は蒼い閃光をカーテンのように膜状にして放ち、蔓を丸ごと掻き消した。ヴァイラスが力場から鳥のようなものを発射したが、形がはっきりする前に閃光で飲み込み、力場ごと破壊する。 「何なんだこいつ……! 化け物か……!」 ヴァイラスには、今まで見せていた余裕は既になかった。 「俺が化け物だとしたら、そうさせたのはあんたらだ」 もし、VANが光に対して寛容だったなら、手出しすることはなかったなら、戦うつもりはなかった。光を鍛えたのはVAN自身でもあるのだ。この化け物じみた強さも、VANとの戦いで手に入れたものだ。 光をここまでの存在にしてしまったVANも化け物と呼んでもいい気がした。 「消えろ」 光はヴァイラスへと手を伸ばした。 上空から蒼白い閃光の柱が降り注ぐ。力場破壊と、閃光型、二つの力を混ぜた攻撃は、ヴァイラスの防御を簡単に突き破る。有機物の壁は閃光型の破壊エネルギーが貫き、力場破壊がヴァイラスの次の行動を阻害する。どうにかかわすヴァイラスへ、光は降り注ぐ閃光の間隔を狭めていく。 狭められた閃光はやがて巨大な一つのエネルギー体となり、降り注いでいた範囲全てを覆い隠すほどの直径を持つ柱が地面に叩き付けられる。爆発のようにエネルギーが炸裂し、衝撃波を周囲に振り撒いた。 立っているのは、光だけだ。 「これで、助かったよな……?」 周囲を見回して、光は呟いた。 ヴァイラスの気配は、光の攻撃の直後に途絶した。存在そのものがその時点で消失したはずだ。 これで有機物生成能力の効果は消えるはずだ。セルファも、聖一も助かる。 空を見上げて大きく息を吐く。そのまま、呼吸と共に光は具現力の発動を解除した。特訓してきたせいか、今までのように急激な疲労は襲ってこない。軽い眩暈はあったが、足元がふらつくほどでもなかった。 (少し、やり過ぎたかな……) 破壊された家屋や、穴だらけの地面を見て、光は溜め息をついた。 腹が立っていたとはいえ、ここまで一方的な戦いができるとは思ってもみなかった。三ヶ月前、第二特殊特務部隊長に苦戦していたのが嘘のようだ。 それだけ強くなったということなのだろう。刃の強さに近付いているのは、喜ばしいことだ。光は、刃よりも強いだろう相手と戦わなければならないのだから。 「もう倒したみたいだな」 不意に、空間を裂いて修が声をかけてきた。 「セルファと先輩は?」 「大丈夫、助かったよ」 修の返事に、光は大きく安堵の息を漏らした。 光がヴァイラスを倒した直後、セルファと聖一の体内を食い荒らしていた微生物が自壊したらしい。それにより、有希の力で完治させることが可能になった。 感染からの時間が長かったセルファはもう少し有希の力が必要だが、聖一の方は問題ないようだ。 光は修の作った裂け目からホテルの部屋へ戻り、眠っているセルファを見つめた。先ほどまでとは違い、顔色はだいぶ良くなっている。熱も引いたらしく、容態も落ち着いたようだ。 「悪ぃ、修、俺も少し寝るわ」 セルファが助かったことで、どっと疲れが押し寄せてきた。 今までイライラしていたせいか、安心した時に精神的な疲労が大きい。緊張の糸が途切れて、気が抜けた。それだけ安心したというのもあるのだろう。今まで苛立っていた分、ゆっくりしたかった。 「あいよ、お疲れさん」 そう言って、修は光に笑みを見せると聖一とアルトリアを連れて部屋を出て行った。有希は部屋に残ったが、セルファの傷が癒えたら修の方へ行くに違いない。 修は聖一と今後の行動を話し合うのだろう。第一特殊特務部隊を壊滅させられた戦果は大きい。VANにも痛手になっているはずだ。次にどう動くか、聖一が持ってきた情報と総合して考えるのである。 光はベッドに倒れ込んで、もう一度大きく息をついた。目を閉じると、直ぐに眠気が襲ってきた。セルファが助かった、それだけで、何も考えずに眠りに着くことができそうだった。 それから少し経って、目を覚ました光はバスルームでシャワーを浴びていた。 降り注ぐ湯を頭から浴びながら、壁に両手ついて床に視線を落としている。 セルファはまだ眠っている。有希の姿はなく、電気も消えていた。時間的には、もう夜だ。 「……ぐ」 唐突な胸の痛みに、光は呻き声を噛み殺した。 内臓の全てを手で握り締められているかのような圧迫感と、鈍い痛みが込み上げてくる。壁についた両手で身体を支えたまま、光は痛みが治まるのを待った。 心臓の鼓動は早くなっているのに、上手く血液を送り出せていないような錯覚に陥る。貧血に近い症状かもしれない。一瞬ではあるが、視界が二重にぶれる。痛みに耐えながら、ゆっくりと息を吐く。痛みそのものを、それで外に押し出そうとするかのように。 多少なりとも長い時間オーバー・ロードをしてしまった。確実に寿命は減っているだろう。 (まだ、大丈夫だよな……?) 全身を圧迫するような重さに耐えながら、自問する。 オーバー・ロードは最後の手段であることは、光自身も理解している。常に力を解放し続けることのできるアグニアを倒すためには、オーバー・ロードが必要不可欠だろう。相手はオーバー・ロードをし続けることができるのだ。いくら光が力場破壊を使えると言っても、光の反応速度を超えた動きをされては意味がない。 できるだけ、オーバー・ロードをする余裕は残しておく必要がある。 あと、どれだけオーバー・ロードができるだろうか。これまでの戦いで消費した寿命はどのぐらいなのだろうか。セルファの力でも、はっきりとは判らない。光の寿命も、消費した寿命も、把握できない。ただ、寿命の方はセルファの力で何となく、曖昧ではあるが知ることはできている。 それが正しければ、およそ五十年分の寿命を使ってしまったことになる。しかし、光の寿命は判らない。だから、あとどれだけオーバー・ロードができるのかは判らなかった。 ヴァイラスの部隊は、オーバー・ロードせずとも殲滅できたかもしれない。それでも、光は感情を抑え切れなかった。いや、オーバー・ロードをしてでも、素早く敵を倒したかったのかもしれない。何より、セルファを救うために。 「ヒカル……」 痛みが治まったと思った直後、そっと、セルファが光の背中にもたれかかるように触れた。 「セルファ!」 突然のことに、光は驚いていた。 いつの間に入ってきたのか、気付かなかった。それだけ、光の意識が別の方に向いていたということだろうか。 振り返ろうとして、セルファがバスタオル一枚しか身に着けていないことに気付き、慌てて顔を背ける。 今まで、一緒に風呂に入ったことなどなかったから、不意打ちだった。まさか入ってくるとは思ってもみなかった。 「……もう、大丈夫なのか?」 「うん」 光の言葉に、セルファは頷いた。セルファの身体が触れたままの背中で、光はその動きを感じていた。 シャワーから流れる湯が、光の背中を伝ってセルファの肌を濡らしていく。 「あなたのお陰」 「俺には、戦う力しかないから」 優しい声に、光は苦笑する。 皆のような特別な力は、光にはない。光の力は純粋なエネルギーだ。何かを破壊し、掻き消し、削り取る力しかない。もう一つの力も、相手の力場を破壊するものだ。能力者と戦うためだけの力しか、光は持っていない。 だから、光がセルファを助けるには、敵対する相手を倒すという一つの手段しかない。 「……オーバー・ロード、したのね……」 きっと、光の寿命が減っていることに、気付いたのだろう。 「セルファを助けられるなら、寿命を減らしたって構わないよ」 光は言った。 彼女を一刻も早く助けたかった。そうしなければ、彼女が死ぬかもしれなかった。オーバー・ロードによって寿命を削ってしまうとしても、セルファの命を救えるのなら高い代価ではない。 それに、オーバー・ロードは光の感情だ。それだけ、セルファが大切だから、オーバー・ロードするほどの感情が生まれた。 「ねぇ、ヒカル……」 「セルファ?」 少し寂しげな声で名を呼ぶセルファに、光は次の言葉を待った。 「私たち、勝てるのかな……?」 弱気なセリフに、光は直ぐに言葉を返すことができなかった。 このままでいいのか。 そんな疑問は光の中にもある。このまま、戦い続けることでVANを倒すことはできるのだろうか。晃に対し、光はこの戦いが既に戦争であると口にした。これから、VANは本格的に動き出すと聖一も言っている。 このままの戦い方で、光たちはVANを叩くことができるだろうか。光の寿命の問題もある。オーバー・ロードせずともアグニア以外の敵に勝てるようになればいい。だが、それを敵が許してくれるとは思えない。光が腕を上げれば、敵もその分訓練などを重ねてくるはずだ。 シェイドを超えるのは難しい。まだ、刃を超えてもいないのだ。 かといって、真正面から突っ込むのも無謀ではないだろうか。アグニアはシェイド以上の存在だ。だとしたら、光はもっと強くならなければならない。ただ戦うだけでなく、戦略や作戦も考えるべきだろう。 「……勝ちたいよな」 光は、希望を口にしていた。 勝てるかどうかは、まだ判らない。実際に戦わなければ、結果は判らないはずだ。勝てる、と断言できるほど、光は自分の実力が着いているとは思っていない。だが、勝てないなどとは言えない。戦う前から、諦めるわけにはいかない。諦めてしまえば、光の今までの戦い全てが無駄になる。 「……いや、勝たなきゃいけないな」 自分に言い聞かせるように、光は呟いた。 具現力の特性だけなら、光とアグニアはほとんど互角だ。最後にはどれだけ思いが強いかにかかってくるだろう。強気になって楽観視するのも問題だが、弱気になっても駄目だ。 前へ進むしかないのだから、前へ進むと決めたのだから、もう逃げることなんてできない。 (雰囲気、ないなぁ……) セルファに気付かれないように、光は苦笑した。 バスルームに二人きり、しかも裸でいるというのに、空気は重い。いきなり入ってきていたセルファに最初は光も驚いてどぎまぎしたが、彼女の言葉に、自分の応答に、意識は別の方へ向かって行った。 「私、不安なの」 セルファが小さく漏らした言葉に、光は無言でシャワーを止めた。 「……あなたがいなくなってしまうことが、怖い」 「俺は……」 きっと、光の死は避けられない。今直ぐではないにしても、寿命を消費して戦いを乗り越えてきた光は、セルファよりもかなり早く生を全うするだろう。アグニアを倒した時点で、光の寿命はどれだけ残っているのだろうか。セルファと、どれだけの年月を過ごせるのだろうか。 「……シャワー、浴びるだろ? 俺はもう大丈夫だから、先に上がるよ」 何も答えられず、光は話を逸らした。そう言って、そっとセルファの横を通り過ぎてバスルームを出る。備え付けのバスローブを身に着けて、濡れた頭をバスタオルで拭きながら、光はベッドに腰を下ろした。 いずれ、光はいなくなる。おおよそだとしても、五十年もの寿命を消費している光は早死にするのは確実だ。アグニアを倒せたとしても、そう遠くない未来にセルファを残して死ななければならない。 光に、何ができるだろうか。彼女が望むことは、光が生きることだ。できる限り長い時間、セルファと共に過ごすことだ。だが、オーバー・ロードをしてきた時点でそれはもう叶わない。 (俺は、何もできないのか……) バスタオルごしに、光は乱暴に頭を掻いた。 彼女のためにしてやれることがないかと考えてみても、良い案は思い付かない。 折角、心の底から生きたいと思えたのに。生きる理由を、見つけられたと思ったというのに。 両膝に両肘を突き、両手で顔を押さえ、光は大きく溜め息をついた。 嘘でも、勇気付けてやれる言葉を口にすべきだったのだろうか。余計に辛いだけかもしれない。セルファは、光よりも精確に物事を把握できる力を持っている。答えたとしても、気休めにすらならないかもしれない。気休めを言っても、彼女は喜ばないのではないだろうか。 バスルームのドアの開く音が聞こえた。 隣のベッドに座るかと思っていたセルファは、光の隣に腰を下ろした。 「セルファ……?」 濡れた髪と、少し火照った肌が、綺麗だった。 「……ヒカルは、私と、生きてくれるんでしょ?」 泣きそうな顔をするセルファを見て、胸が痛んだ。 「俺だって、生きたいよ。セルファと一緒にいたい」 今までは、死にたくないから生きて来た。気楽に遊びながら暮らしたくて、生きたいと思えた。まだ、もっと遊びたい、楽しいことをしていたい、笑っていたい、そんな思いが戦う原動力になっていた。 だが、今は少し違う。今までと同じ思いもある。しかし、それ以上に、セルファと一緒に時を過ごしていきたいという思いが強くなっている。彼女といることが、楽しく、心が安らぐ。もっと、この思いを感じていたい。 「でも……」 光は言葉に詰まる。 戦わなければいけない。寿命を削ってでも、戦わなければセルファと過ごす平穏な日々を手に入れることは叶わないから。それが、セルファの望むことではないと知りながら、それでも戦うことを選んだ。今までの自分自身を無意味なものにしないために。死んでいった者たちの命を無駄にしないために。 「……私、怖いの」 セルファが呟く。 「あなたのいない世界なんて、耐えられない」 「俺だって、同じだよ」 もし、セルファが死んでしまったら、光はきっと今まで通りの日常には戻れない。今までみたいに笑うことはできなくなるだろう。他の誰かが死んだ時も、落ち込むことはあった。それでも、その死を乗り越えて強くなることができた。だが、もしもセルファの存在が光の前からいなくなってしまったら、立ち直ることはできないかもしれない。 「俺は、セルファが好きだ。ずっと、一緒にいたい」 セルファの目を見つめて、光は言った。 ずっと一緒にいることはできない。判っていても、その気持ちは抑えられなかった。彼女に、自分の気持ちを伝えたい。彼女の記憶の中にだけでも、自分の存在を刻み込んでおきたい。 「私だって……!」 セルファは光に抱き付いて、叫ぶように言った。 直接触れた肌の温もりに、一瞬心臓が跳ねる。まだシャワーの熱を帯びた肌に、彼女の柔らかさを感じる。自然と、光はセルファの背中に手を回していた。 ずっと、こうしていられたら、どんなに幸せだろうか。そう思えてしまうことが、逆に辛い。 「ねぇ、ヒカル、このまま……」 小さくなっていくセルファの声に、光はその先の言葉を理解する。 「……え、あ、でも、いいのか?」 一瞬、頭の中が真っ白になる。ここまでに考えていた全てが頭の中から押し出されるように掻き消されたようだった。唾を飲み込んで、少し恥ずかしそうに目を逸らすセルファを見つめる。 上目がちに光を見て、セルファは小さく頷いた。ゆっくりと、どちらともなくベッドへと倒れ込む。 もともと、しっかりと着込んではいなかったらしい、はだけたバスローブから、彼女の身体が見える。改めて、セルファは華奢だと思った。けれど、綺麗だった。まだ乾き切っていない濡れた髪はベッドに広がり、カーテンの隙間から差し込む僅かな月明かりを反射して輝いている。僅かな明かりが照らし出す、セルファの姿はどこか幻想的で、それでもその存在を主張していた。 いつの間にか、仰向けのセルファと向かい合うように、光は彼女に覆い被さるような体勢になっていた。 「えと、その……初めて、だから、優しくして、ね……?」 恥ずかしそうに目を細めるセルファが、とてつもなく愛おしく感じた。少し紅潮した頬と、仕草に、自分の心拍数が上がっていくのを、光は感じていた。 「……頑張る」 それだけ返すのが、今の光にはやっとだった。 |
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