第三章 「突破」 ゼルフィードを撃破した翌日、光は刃の目の前に立っていた。刃の隣には楓、翔、瑞希がいる。彼らROVの中核メンバーを先頭に、進撃を開始する手筈になっていた。 光の右隣にはセルファが、左隣には修が、修の隣には有希が並んでいる。イクシード・ロードで疲弊した精神力は、既に回復している。 そして、光の背後には集められたレジスタンスたちが整列している。 皆、一言も喋らず、刃の言葉を待っていた。全員の時刻合わせも完了し、後は動き出すだけ、という段階だ。 「……体調はどうだ?」 「大丈夫、問題ないよ」 刃の言葉に、光は頷く。 「よし、行くか……」 そう言って、刃は光に背を向けてVAN本部の方を見据えた。 多くを語ることはせず、刃はゆっくりと歩き出した。一歩目を踏み出したところで刀を引き抜き、二歩目でその身に雷を纏う。その隣で一歩遅れて楓が短刀を引き抜き、翡翠の風を身に纏い、続いて翔が深紅の炎に身を包み、瑞希が冷気をその身に宿す。 「これで、終わらせるんだ……この戦いを!」 光も、一歩を踏み出した。 その身体に蒼い輝きを纏い、刃に続いて歩き出す。隣ではセルファが翡翠に、修が闇に身を包む。有希が白銀の輝きを瞳に湛え、修に続いた。 伝播するかのように、力の解放が広がっていく。そして、力を発動した者から動き始めていた。 少しずつ、歩みが早くなっていく。 全ての能力者が力を解放し終えた時には、先頭の刃と光は走り出していた。具現力の輝きが荒野のような大地を移動していく。 「いいか、光」 走る速度は落とさずに、刃が口を開く。 「お前は、アグニアの下へ辿り着くことだけを考えろ」 たとえ、途中で誰が倒れようとも、光とセルファはアグニアの下まで辿り着かなければならない。それが、レジスタンスがVANに勝利する唯一の方法だ。刃はレジスタンスの全員にそう告げていた。 他の能力者は光の進攻を阻止しようとする能力者を押さえ、戦力を削ぐことに集中するのだ、と。 超越能力を併せ持つ閃光型であるアグニアは、理論上、無限の力を引き出すことができる。そのアグニアを倒せるのは、閃光型に力場破壊を併せ持つ光だけだ。どんな力をもゼロにする力場破壊を持つ光でなければ、アグニアに対する勝機は無い。 だから、他の能力者は刃も含めて、光を先へ進ませるためだけの戦う。刃たちの役割は、光の露払いだ。 「……解った」 光は静かに答えた。 アグニアとの戦いを望んだのは光だ。だが、自分よりもアグニアを倒す可能性が高い能力者がいるなら、この役目を譲ってもいいと思っていた。光はVANを壊滅させて、平穏な生活が手に入ればそれで良かったのだから。だが、現実としてそんな能力者はいない。いたとしても、晃ぐらいだろう。だが、晃はもういない。 聖一の死亡も確認された。死体がないから、どこかで現れるかもしれないという淡い期待はある。だが、二人の命が消える瞬間を、セルファは空間干渉で感じ取っていた。もう、この世に晃と聖一という人間は存在しない。 「刃……」 光は刃に視線を向ける。 見返してくる刃の視線は、鋭く、冷たい。 刃は大切なものを失くした絶望を背負い、国を創るという希望を掲げるVANに抗い続けてきた。ただ、復讐のためだけに。だが、それではこの戦いは生き残れないかもしれない。 レジスタンスにとっても、VANにとっても、この戦いで全ての勝敗が決まる。決戦は何度もできない。敗北した側が、勝利した側と再び正面から戦うためには、長い年月が必要になるだろう。短くても十年ぐらいは必要になるかもしれない。そして、その十年後が今のような情勢になるかどうかも判らない。能力者同士だけの戦いではなくなってしまっているかもしれない。世界的に、戦う必要性を失っているかもしれない。 この戦いは、世界中で注目されている。世界の命運をかけた戦い、として。 「……今、好きな人はいるのか?」 光の言葉に、刃は僅かに目を見開いた。何を言っているのかと、驚いたようだった。 「俺はいる。修もいる。もしかしたら、シェイドにもいる」 セルファを見て、有希を見て、刃を見る。 絶望と希望では、希望を抱いて戦う者の方が最後の最後で力を発揮する。少なくとも、光はそう思っている。なら、自分が望むものを持って戦うVANの防衛は手堅いものになっているはずだ。 あのシェイドの強さも、VANに対する忠誠心もあるだろうが、何よりVANが創る未来を求めているから、それに貢献するために得たものだろう。光がそうだったから、判る。セルファと暮らす未来が欲しいから、アグニアをも倒せる強さを求めた。 だが、刃が求めるものはただVANが壊滅すること、それだけだ。確かにそれも望むものではあるが、その先は何も無い。先の無い破壊だけを求めていても刃は強いのだ。なら、刃が希望を求めたとしたら、もっと強くなれるかもしれない。シェイドと互角ではなく、それ以上の強さに。 「VANは、アグニアは、俺が殺す」 だから、そう言って、光は刃の目を真っ直ぐに見据える。 「あんたにも、未来を見て戦って欲しいんだ」 刃の目は常に孤独だった。周りには楓や翔がいる。レジスタンスのメンバーは皆、刃を認め、慕っている。だが、刃は自分に対して特に厳しい。人を好きになること、愛することを拒んでいるかのように。 VANを潰すことができれば、刃の目的は達成される。その目的は既に射程圏内に入っている。なら、この戦いで、刃は復讐ではなく希望のために戦って欲しい。 孤独に、ただひたすら復讐を達成するためだけに刃はROVを率いて戦って来た。だが、ROVに属する者は全員がVANを潰すという目的のためだけに戦っているわけではない。守りたいものがある、得たい未来がある、そのためにはVANではなくROVに属する方が良い、そう思ってきた者たちも決して少なくはないはずだ。 この戦いで刃が死んでしまったとしたら、それではあんまりだ。刃の思いも理解できるから、光は尚更彼に幸せになって欲しいと思うし、新しく目指す未来を見つけて欲しい。 「難しいことを言うな……」 刃が小さく苦笑した。 確かにそうかもしれない。今まで復讐のために戦って来た刃にとって、VANを倒した後のことなど考えたことも無かっただろう。いや、考えたことはあったかもしれない。ただ、何も見い出せなかっただけで。 「大切なものは、直ぐ傍にあるよ、刃なら」 光は言った。そして、刃に気付かれないように楓に視線を向ける。 そっと聞き耳を立てて会話を見ていた楓と視線が合った。光が小さく笑みを見せると、楓は僅かに頬を赤くして顔を背ける。刃はまだ気付いていないのだろうか。はっきりと認識してはいないだけかもしれない。VANにだけ意識を向けている刃なら考えられなくもない。 「失くしてからじゃ遅いのは、知ってるだろ?」 刃には視線を戻さず、光は前を見つめて次げた。 前方に、大きな都市のような輪郭が見えてくる。中央に巨大な建物を据えた、VANの本部が。そしてそれと同時に、能力者の防護膜が放つ輝きでできた防衛ラインが見えて来た。 その防衛ラインには一直線に穴が開いている。光たちが進む方向だけ、防衛ラインが無い。 レジスタンスは次第に広範囲へと拡散していく。 「……そうだな」 身をもって、刃は失くすことの辛さを知っている。失くしてからでは遅いのだと、気付いている。しかし、刃の戦い方ではまた何かを失ってしまうかもしれない。復讐だけに囚われて、大切なものを見落としているかもしれない。 拡散して行くレジスタンスの中、光たちはただ、ひたすら一直線に突き進んで行った。 「……来たか」 やがて、刃が呟いた。 前方から、凄まじい殺気が叩き付けられるのが判る。シェイドだ。 「足を止めるなよ、光」 刃は囁き、激しい雷光と共に前方へと一気に加速する。 「幸運を……!」 「死ぬなよ、光!」 雷と同じ、驚異的なスピードで駆け出した刃を負うように、楓が風を味方に着けて加速する。翔は炎を背後へと噴射させ、蹴りに爆発を加えて駆け出した。 「じゃあ、頑張ってね」 そう言って、瑞希は小さく手を振ってから加速する。自分が走る地面を凍らせて、滑るように移動していく。 シェイドの部隊が刃たちを押さえるために突撃してきたのだろう。第零特殊突撃部隊でなければROVの四天王は倒せない、VANではそういうことになっているに違いない。だが、レジスタンスでは逆だ。刃たちでなければ、シェイドの部隊は倒せない。 既に、凄まじい戦いが繰り広げられていた。 頭上には暗雲が立ち込め、時折凄まじい轟音と共に雷撃がシェイドへと降り注いでいる。シェイドは雷の間を縫いながら、刃と戦っている。凄まじい速度で剣と刀がぶつかり合い、金属音を響かせる。 楓や翔、瑞希もそれぞれの相手と激戦を繰り広げている。 その中を、光たちは駆け抜けていく。 シェイドの部下が光に攻撃をしかけようとするが、それを楓や翔、瑞希が防いでくれた。だから、光はただひたすら真っ直ぐに進む。 「俺を倒せないヒカルに父は倒せん!」 「今のあいつなら、お前は敵じゃない!」 シェイドの言葉に、刃が笑みを浮かべて挑発を返していた。 「あいつは、既に俺を超えているからな……!」 雷撃と共に刀が振るわれる。雷と同じスピードの斬撃を、シェイドがイクシード・ロードの剣で受け止め、捌く。もう片方の剣が刃を捉えるが、雷撃を纏った刀はそれを受け止めるように動いている。刃とシェイドの視線が交錯し、互いに敵意を燃え上がらせる。 光は、その直ぐ脇を駆け抜けた。 一瞬だけ、刃と視線を交わす。 「お前に、全てを託す! 俺の、未来もな!」 刃が叫んだ。 その声を背に、光は速度を上げる。 雷鳴が遠ざかって行く。周囲では戦闘が始まっていた。力をぶつけ合う能力者が入り乱れ、混戦になっている。 近付いて来るVAN本部を見つめて、光は走り続けた。 「……光、止まるなよ」 修が小さく囁いた。 そして、有希と共に空間を破壊して姿を消した。 どこへ行ったのかは、直ぐに解った。少し走ったところで、修の背中が見えたから。 クライクスと向き合うように、修が立っている。何か喋っているようだったが、聞き取れる距離ではなかった。 「アキラのせいで部隊は壊滅状態だ」 だが、直ぐにクライクスの声が聞こえてきた。 (兄貴は、クライクスを道連れにはできなかったのか……) ゼルフィードはクライクスに晃の始末を任せていたようだった。そのクライクスが生きているということは、あの晃の最後の攻撃で彼を殺すことができなかったということに他ならない。 それでも、クライクスの部隊を壊滅状態にまで追い込むことはできたようだった。 「晃の仇、代わりに俺が取っとくぞ?」 「死ぬなよ、修」 修を追い抜く瞬間に、言葉を交わす。 「後から追いついて加勢してやるさ」 「期待してるよ」 そう言って笑って見せる修に光も答え、笑みを向ける。そして、視線を前へ向けて走り出す。 クライクスの視線と殺気が向けられるが、無視した。力場も展開されて行くが、空間が形成されるよりも早く、修の空間破壊が発動する。 「邪魔はさせねぇよ」 修の声を背に、光は走り続けた。 光の進攻は実にスムーズだった。最初は少し光にも攻撃が向けられたが、周りのレジスタンスが割って入るように戦闘を開始し、道を開けてくれた。シェイドとの接触も刃たちが応戦する形で光は先に進めたし、クライクスの時が修が動いた。 そこから先も、光に向けられる視線はあっても敵意や攻撃は無かった。誰かが指示しているのではないかとさえ思えるほどに、一切の障害が無い。 ダスクがいないことに気付いたのと、敵の攻撃が無いことに気付いたのは、ほとんど同時だった。ダスクの戦闘力と指揮能力があればクライクスよりも前衛にいたとしてもおかしくはない。だが、これまでの道のりでダスクの存在は見つけることができなかった。 VAN本部の施設前に辿り着いて、光は一度立ち止まった。 「この中に、アグニアが……?」 建物を見上げて、呟く。 三百メートルぐらいはあるのだろうか。かなり大きい建物が一つと、周囲には居住区画らしい建物が並んでいる。 「……アグニアは、この中にいるはずよ」 セルファが言った。 アグニアの部屋は本部施設の最上階にある。その手前にはその階層の八割近くのスペースを使った広間があるらしい。恐らく、アグニアはそこで待ち構えているはずだ、と。その部屋を決戦の場にするつもりだろう。 施設を見上げるセルファに視線を向ける。 凛とした横顔に、迷いは見えない。ただ、複雑な感情だけは渦巻いているような気がした。戦うことへの迷いは無くても、思うことは色々とあるだろう。アグニアはセルファの実の父親だ。たとえ、セルファに対して父親のようなことを何一つしていないとしても、血縁関係にあることは確かなのだから。 「ヒカル……」 少しだけ弱気な表情を見せて、セルファが名前を呼んだ。 「怖い?」 「手を、握ってくれる……?」 おずおずと差し出される手を、光は力強く握り締めた。 柔らかくて、光よりも小さなセルファの手から、彼女の体温が伝わってくる。緊張と、恐怖からか、少しだけ汗ばんでいる。その手に自分の体温を重ねて、光はゆっくりと歩き出した。 セルファに微笑みかけて、その手を引いて歩き始める。 死ぬかもしれない、などとは考えなかった。今まで何度も考えてきたが、その度に恐怖や迷いが生じてしまう。死ぬことは怖いが、迷うことだけはしてはならない。そう思えたから、もう、最後の決戦なのだから、マイナスの方向には考えないようにしようと決めていた。 生き延びることを考えよう。生き延びるために死に物狂いで戦おう。生き延びるために、アグニアを倒そう。そう考えるようにしていた。もう、ここまで辿り着いたのだ。 前方に扉が見えた。 セルファに視線を向けて、彼女が頷くのを確認してから扉を開けた。 「……ダスク、か」 部屋の中にいた人物を見て、光はその名を呟いた。 「やはり、ここまで来たか、ヒカル」 ダスクは、リゼと共に部屋の中央で光を待ち受けていた。 広い部屋だった。一般の体育館などの施設並の空間がある。侵入者を考慮して、迎撃スペースなのだろうか。 「この先に、最上階まで行けるエレベータがある」 ダスクの背後には、また扉が見えた。その先のエレベータで、アグニアの下へ向かえ、とでも言っているかのような口調だった。だが、その前に立つダスクの瞳は紫色に染まり、力を解放している。ダスクを超えなければ、アグニアの下へは向かうことができない。 「……退いては、くれないんだな?」 光は、問う。 ただ、確認するためだけの問いだった。 初めて出会った時から、互いに敵であることは認識していた。それでも、ダスクは光に対して寛容だった。光には何もできなかったが、ただダスクの思いだけはありがたかった。 できれば、戦いたくはない。味方として出会いたかった。お互いにそう思っているのが解る。 セルファにとっても、ダスクとリゼは大切な友人だ。殺し合いなんてしたくなかった。 「……俺は、VANの人間だからな」 ダスクは小さく苦笑した。 ここで待っていたのも、光と最後に戦うためなのだろう。どこかで、決着を着けなければならないと光も思っていた。 戦いを避けようとしないダスクが、大きな存在に見えた。この戦闘の前線に出ていれば、光とダスクは戦わずに済んだかもしれない。アグニアを倒して、ダスクと和解するという道も考えられるのだから。 だが、ダスクは光との戦いを避けようとはしていない。今までもそうだった。ダスクは光に対して寛容ではあったが、あくまでもVANの内部での理解者に留まっていた。ダスクが光の抹殺を命令されていたなら、その時点で殺しに掛かってきたのだろう。ただ、光を殺せという命令はダスクには伝えられていなかった。晃を連れて来た時も、最後まで戦おうとはせずにあっさりと撤退して行ったほどだ。 どこまで行っても、ダスクは第一特殊機動部隊の隊長なのだ。VANに組する構成員の一人でしかない。 「手は、抜かないからな?」 「ああ……」 光の言葉に、ダスクはしっかりと頷いた。 ダスクが、駆け出した。 光は、ゆっくりと歩き出した。 ダスクの敵意が、殺気に変わり、掌に重力球を作り出し、投げ放つ。飛来するブラックホールを、光は何もせずにその身に受ける。光を包む蒼い輝きが白に変わり、重力球を掻き消していく。防護膜に宿らせた力場破壊能力が、ダスクの攻撃を制御する力場を打ち壊す。力場の中でしか力を発揮できないダスクでは、遠距離攻撃で光にダメージを与えることは不可能だ。溶けるように消えていくブラックホールを見て、ダスクが床を蹴って跳躍する。 防護膜を力場とし、自分自身の身体にかかる重力をゼロにして、ダスクは地面を蹴ったトップスピードで光へと突き進んで来た。 光は、接触の瞬間に右手を払う。ただ、それだけだった。 ダスクの右拳を、自分の右手で払う。手首に手首をぶつけ、内側から外側へと流れるように力の向きを逸らして弾いた。そして、その瞬間に、光は力と心を込めていた。 打ち払われたダスクを覆う紫の輝きが弾けるように消失する。重力と慣性に従って光の後方へと流れるように吹き飛び、背中から床に激突、床を滑るように、ダスクは派手に転がった。 「ダスク様!」 リゼが叫び、駆け出していた。 「待って!」 それを押し留めたのは、セルファだった。 「私たちが手を出しては駄目……!」 光の隣を通り過ぎて、ダスクに駆け寄ろうとするリゼの肩を掴み、セルファが言う。 これは、光とダスクの真剣勝負だから、戦いが終わるまでは手を出してはならない。そう言い聞かせるセルファに、リゼは心配そうな視線だけをダスクへ向けていた。 「……もう、あんたじゃ俺は止められない」 ダスクの方へ振り返って、光は告げた。 確かに、ダスクは光に対して殺意をぶつけてきた。だが、それはきっと、ダスクの本意ではない。本当は、互いに殺し合いなんてしたくないと思っているはずだ。本気であっても、心の底では戦うことを嫌がっている部分がある。だとしたら、ダスクは精神の面で既に光に負けている。 身を起こしたダスクの表情は、既に敗北を悟った者のそれだった。 今の光は、ダスクよりも強い。精神的にも、実力的にも。確かに、ダスクも第一特殊機動部隊長の座を与えられるだけの実力は持っている。ただ、刃と特訓を重ね続けた光の思いが勝っただけの話だ。 「……VANの総帥がダスクだったら、こんな状況にはならなかった気がする」 ずっと、そう思っていた。もしも、ダスクがVANの総帥であったなら、光が中立を望んだ時点で、そのままにしておいてくれたかもしれない。VANという組織自体が、もっと友好的で柔軟なものになっていたかもしれない。 ROVなどというレジスタンスも生まれずに、刃が復讐に執念を燃やすこともなかったのではないだろうか。途中からでも、ダスクがVANの総帥になっていたら、もっと穏やかに世界は動いて行ったかもしれない。そう思ってしまう。 「俺は……」 ダスクが言葉に詰まる。 きっと、ダスク自身はそれを望みはしない。自分が指導者になって、世界に働きかけようなどと思ったことは無かったに違いない。自分にはそんな器は無いと、そう思っているのだろう。VANの総帥という立場に、ダスクは魅力を感じていないのだ。 光を保護する最も単純な方法の一つは、ダスクがVANの総帥となって方針を変えること、だったのだから。 「俺は、あんたを殺したくない」 光の言葉に、ダスクはゆっくりと顔を上げた。 決着はもう着いている。光の方が強い、そういう結論には達したはずだ。ダスクでは、光を倒せない。もう、光を止めることはダスクにはできない。気付いているから、ダスクもこれ以上戦おうとはしていない。攻撃する意味を失っているのだ。 だとしたら、ダスクの命は光が預かっているようなものだ。ダスクに光が倒せない以上、ダスクをどうするかは光の手にかかっているのだから。 「今まで何度も世話になったし、俺は、ダスクが好きだから」 ダスクには何度も助けられた。 最初は、覚醒して直ぐに修が攫われた時だった。修を攫った部隊のいる場所まで案内してくれたし、瓦礫に埋もれそうになった修を間一髪で助けてくれた。VANの内部で光への攻撃を何度も中止させていたという話も聞いた。 立場上は敵同士だったが、光はダスクのことを友人のように思っている。 「それに……」 ゆっくりと、光は視線をダスクから、進むべき方向へと視線を向けた。 「俺が望む未来は、ダスクを殺さなきゃ得られないものじゃない」 ダスクが望む未来は、光が欲しい未来と重なっているかもしれない。そう思うことがあった。他者のことを人一倍思いやる心があるダスクなら、きっと皆の居場所を求めているはずだ。誰もが自分の居場所を持って、安心して暮らせる世界がダスクの理想なのではないかと思っていた。 そのために、能力者の居場所を国という形で創ろうとしているVANに組にしていたのではないだろうか。 なら、ダスクの求める未来は、光が望む明日と同じだ。 光が欲しいのは、戦うことなく平穏に暮らせる世界だ。互いの意見を尊重し合い、認め合って行ける世界なのだ。誰の居場所を否定することもなく、その存在と心を認め合える場所で暮らしたい。 どこが違うのだろうか。 もし、同じ未来を見つめているのだとしたら、殺し合う必要などないはずだ。ダスクがVANの人間であったとしても、光が描く世界に暮らすには、十分過ぎるほどの思いを持っている。同じ明日を望んでいる人物を殺してその世界を得たとしても、心から喜ぶことなどできない。 ダスクと光が戦うことに、意味など無いのだ。 「俺は、ダスクに生きていて欲しい……」 ダスクにはリゼがいる。 ここでダスクを殺してしまったら、リゼはどうすればいいのだろうか。なんとなく、ダスクとリゼが互いに好意と持っているのは判っていた。きっと、光とセルファがそうであるように、互いを必要としているはずだ。 この場で光が倒さなければならないのはダスク一人だ。リゼと戦う必要は無いし、ダスクを倒せる実力がある相手ならリゼに勝ち目はない。 「だが、俺は……」 ダスクの声は、辛そうだった。いや、聞き方によっては迷っているようにも思えた。 「殺したくないんだ! 俺は!」 ダスクの言葉を遮って、光は叫ぶように言い放った。 アグニアを倒せば、光の戦いは終わる。だから、戦う意味の見つからないダスクを殺したくはない。 「もう、いいだろ……?」 視線をダスクに戻した時、光は泣きそうだった。 「敵はアグニアだけなんだ……これ以上、戦いたく無いんだよ」 もう、光にとっての敵はアグニア唯一人だけだ。アグニアを倒すことでVANという組織を潰し、この戦いを終わらせる。そして、光は誰に狙われることもなく、セルファと平穏に暮らす。ただ、それだけが望みだ。 ダスクを殺すことは心苦しく、辛い。 お互いに、相手を知り過ぎてしまった。互いに、良い奴だと、信頼関係ができてしまった。味方として会いたかったと思うほどに、友情に似た感情を抱いてしまった。 そして、光はダスクのように割り切ることはできないし、したくはなかった。 「俺は、自分の思いを諦めたくないんだ!」 苦悩するダスクに、光は思いの限りをぶつけた。 相手は敵だから、アグニアの部下だからと、割り切ってダスクの命を諦めたくは無い。ダスクはアグニアを妄信しているわけではなく、自分の意思でVANのために動いていた。レジスタンスに対して殺戮を行っていたことは誤魔化しようのない事実だが、ダスクが死ぬことでそこで生まれた感情を水に流せる訳でもない。 「納得が行かないなら、それでもいい。後で何度でも相手してやるよ」 光は言った。 光を敵としてしか見ることができないのなら、今はそれでもいい。向かって来る度に返り討ちにして、追い返してやる。けれど、ダスクが今の心根の優しいダスクである限り、光は彼を殺そうとは思わないだろう。そうやって、生かし続けてやる。 「……アグニアは、強いぞ」 ようやく、ダスクは諦めたようだった。 小さく息を吐いて、苦笑を見せて緊張を解く。負けた、とそう言っているかのように苦笑いを浮かべて、光の顔を見る。 「……解ってるつもりだよ」 光も苦笑を返し、息を吐いた。 「死ぬなよ、カソウ・ヒカル」 「ありがとう、ダスク・グラヴェイト」 微笑み合って、光はダスクと言葉を交わす。 嬉しさの中に、どこか寂しさがあった。この先、もう二度と会うことはないかもしれない。光が死ぬかもしれないし、ダスクが命を落としてしまうかもしれない。ただ、思いが通じ合って、和解できたことを確認し合えた。 感慨を抱きながら、光はダスクに背を向ける。 「じゃあ、私たちは行くわ、リゼ」 「負けないでね、セルファ」 セルファはリゼと言葉をかわし、光の隣に寄り添う。 ゆっくりと、光はセルファと共に歩き出した。 ヒカルの背中を見送るダスクの心は、どこか晴れやかだった。 負けたことを悔しいとは思わなかった。むしろ、清々しい気もしている。これで良かったんだとさえ思うほどだった。 「行っちゃいましたね……」 リゼが隣で小さく息を吐いた。 「ああ、完敗だったな」 手も足も出なかった。 心も、身体も、ダスクはヒカルには勝てなかった。もしかしたら、初めて出会ったあの時から、ダスクはヒカルに負けていたのかもしれない。戦うことを望まず、ただ平穏に暮らすことだけを求めていた少年に、自分の希望を重ねていた。 同じ思いを抱いたことがあったから、ダスクはヒカルを他人とは思えなかった。だから、できる限りのことをしてやりたいと思えたのだ。 その時点で、ダスクがヒカルに勝つことは絶望的だったのかもしれない。途中で諦めてしまったダスクよりも、諦めずに足掻き続けたヒカルの方が、思いが強いのは当然だ。 ダスクが負けるのは、必然だったのかもしれない。 同じ未来を求めていたのに、立ち位置だけが違っていた。だとしたら、その思いの強い方が求める未来を描くのだと、一人で思い込んでいた。ダスクとヒカルの両方を生かす道を作り出すなど、考えていなかった。VANの能力者として、ヒカルを倒すしかないと思ってしまっていた。 いや、単にVANでなくなることが怖かっただけかもしれない。ダスクにとっては、VANが居場所だった。違う場所に居場所を作ることも、ヒカルが導く未来に自分の居場所ができる可能性も、考えていなかった。 (本当に、我侭だな……) ヒカルは我侭だ。初めてそう思ったかもしれない。 ただ、その我侭さが羨ましい。自分も、そうなりたかった。我侭を通すための道を模索し続けることを諦めずにいたかった。ただ、今になってもまだ心の底では昔見た夢を追い続けているのだと気付かされた。 「これから、どうします?」 静かな口調で、リゼが問う。 まだ戦いは続いている。ヒカルがアグニアを倒すその瞬間まで、この戦いは続くだろう。だが、この戦場にダスクの居場所はもう存在しない。レジスタンスに加勢することも、VANの能力者として戦うことも、ダスクには許されない。その権利は、勝者であるヒカルに奪われてしまった。 「そうだな……」 ダスクは大きく息を吐いて、天井を見上げた。もう、この戦いの結末がどうなったとしても、VANにいることはできないかもしれない。なら、これからのことは考えなければならないだろう。 表立って生活することも難しいかもしれない。 VANの部隊長の顔は世界中に知られてしまっている。ダスクの顔も、有名人なはずだ。なら、一般人に紛れて暮らすこともこれからは難しいかもしれない。 「二人で、ひっそり暮らすのも悪くないよな……?」 それでも、ダスクはこれからの世界を生きていかなければならない。ヒカルが、それを望んだから。そして、ヒカルが望んだことは、ダスクが心の奥底で願い続けていた夢でもあるのだから。 なら、この世界の行く末を見届けるのも悪くは無いだろう。 「あなたとなら、どこへでも行きます」 微笑みを返すリゼは、美しかった。先端を茶色く染めた金髪が揺れる。柔らかなその笑みに、ダスクは安心感を得ていた。 「そうだな、リゼとなら、俺は生きて行ける……」 どれだけ貧しい生活になったとしても、リゼと一緒なら辛くはない。彼女と一緒なら、きっと乗り越えて行けるだろう。 ダスクが死んだ時、リゼは居場所を失ってしまうことを忘れていた。リゼの居場所は、いつもダスクの隣だった。ダスクが自分の隣に彼女の居場所を作ってやったのだ。覚醒したばかりで、全てを失っていたリゼには、何もなかった。手を差し伸べたのはダスクだ。彼女を副官として引き抜いたのはダスクだったのだから。リゼは、その手を力強く握り返してくれた。 凄まじい勢いで実力を着け、ダスクを支えてくれた。ダスクの言葉を肯定し、愚痴を聞いてくれた。どれだけ感謝しても足りない。 「……ヒカル、ありがとう」 ダスクは静かに呟いた。生かしてくれたことに、礼を言った。 まだ、生きていたいと思えた。その思いを、思い出した。まだ、ダスクは生きたい。リゼと共に、日々を過ごして行きたい。 「勝てると、いいわね」 「勝つさ、あの二人なら」 リゼの言葉に、ダスクは笑みを見せる。 「いや、勝ってもらわなきゃ困る」 言って、ダスクは言葉を区切る。 ヒカルたちが進んで行った方へと視線を向けて、続きを紡ぐ。 「俺たちの未来も、託したんだからな」 「ふふ、そうね」 ダスクに生きろというのなら、そのダスクが生きる未来を創るのはヒカルの役目だ。ヒカルにも、大切なものが沢山ある。これ以上、失わないように、ヒカル自身の存在全てを懸けて戦うはずだ。 ヒカルとセルファは本当に強くなった。 ダスクと戦ったヒカルは、きっと本気ではなかった。いや、気持ちは本気だったかもしれない。ただ、あれがヒカルの全力ではないだろう。たった一撃で、しかも、オーバー・ロードはしていないのだ。そもそも、攻撃ですらなかった。ダスクの攻撃を防ぐだけの動作で、ダスクを打ち負かしてしまったのだ。相当訓練を積んで来たに違いない。 どこか頼りなさのあった初めの頃に比べれば、今のヒカルは見違えるようだ。セルファも、ヒカルと出逢ってどんどん変わって行った。 あの二人なら、最強と謳われるアグニアさえも超えられるかもしれない。 「俺たちは、生きて、あの二人が描く明日を見守ろう」 そっと、微笑みながらダスクはリゼに手を差し出した。 リゼは頷いて、ダスクの手を取る。 「行こうか、リゼ」 「はい」 そうして、ダスクはリゼと共に、その場を去って行った。 |
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