第四章 「倒すべき、敵」


 エレベータは、上へ上へと向かっていく。とても長い時間、エレベータの中にいるような錯覚に陥るほど、エレベータは淡々と動いていた。
 密室の中で、光はセルファの手を握っていた。
 この先に、もう邪魔はない。アグニアの下まで直ぐだ。全ての元凶であり、光から全てを奪おうとしている能力者がいる。それは、光にとってはただの敵だ。だが、セルファにとっては少しだけ違っているところがある。
 アグニアは、セルファの父親だった。
 セイナは、セルファの母親なのだ。
 ずっと、彼女は自分の両親を敵として見てきた。光の側に着いてからは、より明確に、倒さなければならない相手として認識していたはずだ。セルファが想いを寄せる光は、アグニアとセイナを倒すために戦っていたのだから。
 心の中で覚悟は決めていた。それでも、実際に対峙するとなると心が揺れる。
 アグニアとセイナの力を知っているから、受け継いでもいるから、より二人の強さを知っているのがセルファだ。恐怖を抱いてもおかしくはない。
 セルファは、震えていた。その震えも、堪えようとしているのが判る。
 手を握り締めたまま、光はゆっくりと、視線をセルファに向けた。
 緊張した面持ちの横顔に、光はそっと身を寄せる。手を離して、肩を抱く。
「……無理しなくてもいいよ」
 光は囁いた。
 両親と向き合うのが怖いのなら、待っていてもいい。光は、一人でも戦えるだけの訓練を積んで来た。少なくとも、アグニアに対抗できるぐらいの実力にはなっていると思う。
「……でも、それじゃあ私の気持ちもおさまらない」
 セルファの表情は、どこか辛そうでもあった。
 面と向かって両親と対峙するのは怖い。それでも、対峙しなければならないとも思っている。だから、揺れているのだろう。
「ヒカルは、私がいない方が楽?」
 不安げなセルファの問いに、光は笑みを返す。
「俺は、君と一緒に戦いたいと思ってる」
 仲間は全て、光を進ませるためにそれぞれの戦うべき相手と戦っている。
 今、光が頼れるのはセルファ唯一人だけだ。肉弾戦の格闘センスは光よりも劣っているが、セルファの戦闘能力はかなり高い。今までは、セルファを危険に晒したくないと、戦わせまいとしていた。だが、今だけは違う。
 光が戦う相手は、セルファの両親でもあるのだ。セルファの力の強さを知っているから、彼女が自分自身と向き合うために戦うことを望んでいるから、光はセルファに傍にいて欲しいと思っている。共に戦いたいと思える。
「信頼してるよ、凄く」
 そっと、囁いた。
 セルファがいなければ、光はここまで辿り着くことはできなかったはずだ。ROVにVANの動きを流していたのもセルファだったし、シェイドの攻撃から光の命を救ったのもセルファだった。
 セルファは、光が戦う原動力にもなっている。ここまで光を支えてきたのは、確かにセルファなのだ。
「ごめんなさい、震えが止まらないの……」
 セルファが泣きそうな顔で呟いた。
 光は、躊躇うことなくその唇を塞いだ。目を丸くして、セルファが息を呑む。柔らかな唇の感触と、その温もりを感じながら、光は目を閉じる。微かな甘い香りに、光自身の心もリラックスしていくのが判った。
 そっと唇を離してから、光はセルファを抱き締めた。華奢な身体を、力強く抱き締める。セルファの体温を全身で感じながら、彼女を自分自身で包み込んでやる。
「古典的だけど、どう……かな?」
 抱き締めたまま、光はセルファの耳元で囁いた。
 慣れないことをしている光自身も、顔が熱い。セルファは顔を真っ赤にして、何も言わずに光の背中に手を回していた。抱き合ったまま、エレベータの中で時が過ぎる。
 その扉が開いた時、光とセルファは何も言わずに身体を離していた。真っ直ぐに前を見つめて、歩き出す。手だけを繋いで。
 突き当たりは直ぐだった。大きな扉の前で立ち止まり、光はセルファに視線を向ける。セルファも光を見返して、静かに頷いた。もう、彼女は震えていなかった。
 エレベータの中では閉ざしていた力を、二人で同時に解放する。
 視界が蒼白く染まり、感覚が拡張される。蒼い輝きを放つ防護膜に身を包み、翡翠の輝きを纏うセルファと視線を交わす。自分の力と同じ輝きに染まった瞳で互いを見つめる。
 言葉は、必要なかった。視線を外し、同時に一歩を踏み出した。
 扉を開けて、中へ。
 大きなスペースの中に、一組の男女が立っていた。
 二人が身に着けていたのは、VANの能力者がいつも来ている黒いスーツではなかった。
 男が身につけていたのは、黒いジャケットのような上着と、白のタンクトップシャツに、ジャケットと同色のズボンだ。VANのスーツに似ているような気もするが、上下とも違うのがはっきりと判る。
 その男の肉体には一切の無駄がないと思えるほどに絞り込まれているのが服の上からでも判る。邪魔にならぬように短く刈られた銀髪の下には、揺ぎ無い信念を湛えた鋭い瞳がある。その虹彩は黄金の輝きを帯びていた。そして、服から覗く肌には顔も含めて無数の傷が刻まれていた。男は、静かな威圧感を放っている。見た目では二十代後半ぐらいだが、その年齢が四十代であることを、光はセルファから聞いて知っている。
 その名は、アグニア・ディアローゼ。
 女は、ロングスカートのワンピースを身に着けているようだった。薄く碧の混じったシルクだろうか、ノースリーブで首から足首までを覆うワンピースは、それでも彼女の身体のラインをはっきりと映し出している。胸は形も大きさもバランスが取れており、ウェストは引き締まっている。なめらかな蜂蜜をしたロングヘアに、愁いを帯びて細められた瞳は、翡翠に染まっている。華奢にも見えるが、どこか肉感的な身体つきは身に着けている衣服と相まってどこか神秘的だ。とても美しい女性だった。
 そして、彼女が、セイナ・セルグニス。
 セルファが大人になったら、彼女のようになるのだろうか。少なくとも、あの表情にだけはならないだろう。あんな寂しげな表情には、させたくない。
「……ダスクは、敗れたか」
 何の感慨も無さげに、アグニアは呟いた。
 まるで、そうなるとでも知っていたかのようだった。初めから、光がここまで辿り着くことを予想していたかのような言い方だ。
「アグニア……」
 光は、その名だけを小さく口にした。
 目の前の男が、本当にアグニアであるのかを確認したかったのかもしれない。それでも、対峙した時点で、既に解っていた。この部屋に入る前から、中にいる男の気配には凄まじいものがあった。敵意や憎悪と言って良いのかすら判らない、強い気迫を周囲に放っている。
「……どうして、こんなことをしたの……?」
 セルファがぽつりと呟いた。
 何故、こんな状況になってしまったのだろうか。アグニアがVANを作ったのは、能力者が虐げられない世界を欲したからなのだろうとは思う。ただ、VANに属することを拒んだ能力者を排除しようとする必要など無かったのではないだろうか。それに、能力者の国を創るためとは言え、やり方が強引過ぎる。
 これでは侵略者やテロリストと同じではないか。
「総ては、お前が原因だ……カソウ・ヒカル」
 アグニアは静かに答える。
「何でそこで俺の名が出てくるんだ」
 光は反感や怒りを隠さずに、言い放った。
 この状況を作り出した原因の中には、光の存在もあるだろう。だが、原因の総てが光と言われるのは納得ができない。光が生まれる前から存在していたVANの設立に、その光が関われるはずもないのだ。
「……少し、昔の話をしてやろう」
 アグニアは遠くを見つめるように眼を細め、語り出した。
「私が覚醒したのは十歳の時、今から三十七年ほど前のことだ」
 能力者に対する迫害はずっと昔から存在している。アグニアは、覚醒するその直前に、能力者という存在を見たのだと語った。子供心に、その姿は凄まじい恐怖以外の何ものでもなかったのだろう。
 だが、その能力者の存在を知り、周囲の人間たちが能力者を排除しようとする中で、アグニアは覚醒したらしかった。
「恐らくは、能力者という存在に触れたことが覚醒のきっかけになったのだろうな」
 能力者の存在を認識し、その力を見ることで、人は覚醒し易くなるらしい。いや、覚醒の可能性が高まる傾向にある、というべきだろうか。
「私は、直ぐに身を隠した」
 アグニアは能力者が迫害される場を見て、自分自身が覚醒したことに恐怖を覚えたのだった。自分が能力者であることを知られてしまえば、周りの人間全てが敵になる。もし、アグニア自身が大人であったなら、能力者を見た時、迫害する側に回っていただろう。そう思えてしまったから、自分自身が能力者となったことに恐怖したに違いない。
「力の閉じ方を憶えて、私は普通の生活に戻った。だが、それでも心は落ち着かなかった」
 アグニアは小さく息をついて、そう言った。
 自分が能力者であることを隠して生きるのは、大変だ。光自身も三、四ヶ月前まではそうして生きて来たのだ。バレてしまったらどうしよう、周りの者たちはどう思うだろうか、どう行動するだろうか、自分はどうすればいいのだろうか、最初はビクビクしていた。
 暫くして、光は、能力者となってしまっていても普通に暮らすことができる、と思った。
「ある時、私が能力者であることが、知られてしまった」
 だが、アグニアは違った。いや、そう思うことすらできなかったのだ。
 意図せず力を周りに見せてしまわないように、訓練しているところを偶然街の人に見られたのが発端だった。瞬く間にアグニアが能力者であることが街中に広まり、数日と経たぬうちにアグニアは孤立した。
「今まで親しくして来た者も、一瞬で私から離れて行った」
 友人、親戚、近隣の者たち、その全てがアグニアを排除すべき異分子と判断したのだ。
「その中には、当然、私の両親もいた」
 苦々しい過去を思い返して、アグニアの表情は歪んでいた。
 アグニアを育てて来た家族でさえ、能力者となったアグニアを敵と見做した。もう、自分たちの子供ではない、能力者が自分たちの子供であるはずがない。いや、自分たちの子供が能力者であるはずがない、そういうような態度を取ったのだろう。
 酷く傷付き、アグニアは逃げ出した。だが、迫ってくる大人たちに子供のアグニアが勝てるはずがなかった。逃げても先回りされ、追いつかれ、普通の少年であったアグニアには、なす術がなかった。
 そう、たった一つ、覚醒したその力を使う、という術を除いては。だから、アグニアは自分の身を守るために具現力を使うしかなかった。いや、身を守ることをしか考えられなかったというべきか。
「私は、この力で、私の存在を否定する者たちを否定した」
 追い詰められたアグニアが取った行動は、排除だった。
 自分が覚醒した力を使い、全てを薙ぎ払ったのだ。親も、友人も、親戚も、アグニアを排除しようとする全ての人間を、その力で飲み込んだ。
 当時の彼にはそうするしか、生き延びる道は残されていなかったのだ。
「そして、私は絶望した」
 能力者であることに絶望し、人間というものにも絶望した。アグニアはそう続けた。
 自分が能力者であることが人に知られれば、真っ当に生きて行くことなどできない。能力者であることを隠さなければ生きていけない人間社会に、アグニアは失望したのだろう。
「だから、私は創るのだ、能力者の国を……!」
 アグニアの言葉に力が入る。目には確固たる意志が宿り、歪んでいた表情には熱意が湧き上がる。
 非能力者が能力者を排除しようとするのなら、その能力者が安心して暮らせる楽園を築く。誰にも迫害されることなく、互いの力を認め合い、有効に活用して行ける国を創る。
 居場所を奪われるのなら、居場所を奪う奴らから、自分たちの居場所を奪い返す。それが、アグニアの出した結論だった。
 能力者の居場所を創る、その言葉に賛同した能力者は多かっただろう。能力者たちのほとんどは、自分たちの居場所を奪われた者たちであったのだろうから。そして、少しずつ、世界中から生き残った能力者たちを集めて、アグニアはVANを設立した。
「そのための組織が、このVANだ」
 居場所を失くした者たちが自らの居場所を確保するというのが、VANの理念だった。
 力を持つ者たちの尖兵、そう意図されたVANという組織は名の通り、能力者たちがこの世界で安心して暮らすことのできる礎を創ろうとしているのだ。
「だが、その私を否定する者が、また現れた……それも、能力者にだ」
 火蒼光一と白瀬涼子。その二人の名前は、ここから登場するのだ。
 VAN設立から三年ほどの時間が過ぎた頃、火蒼光一は覚醒した。その覚醒を察知したセイナからの情報を得て、VANはいつも通り能力者の勧誘を行った。
 だが、光一の返答はVANへの所属を拒むものだった。それまでにも何人かVANに属することを拒否した者はいたらしい。だが、そう言った者たちは能力者が迫害されていることを知らずに生きてきた者たちであり、言葉で説明しても信用しなかった者たちばかりだったようだ。中には数人、VANに対して敵意を抱いた者もあったようだが、それは極少数であり、駆逐することは比較的容易であったのだろう。
 しかし、光一は違った。
 一年もの間、光一はVANによる攻撃を凌ぎ続けたのである。
 当時のVANは今のような実働部隊は編成されていなかった。ある程度、世界の各方面へ向けてのグループ分けなどはなされていたが、それだけというのが実情だったのである。派遣されていく構成員の戦闘能力はまちまちでまだ人材も少なかったため、高い戦闘能力を秘めた能力者への対処が困難だった。
 そして、VANの中でも光一の存在が脅威になりかねないと判断された頃、光一は後に妻となる女性、白瀬涼子と出逢う。
 涼子もまた、VANの勧誘を拒んだ能力者だった。覚醒したその日、彼女はVANへの所属を拒否したのである。涼子の家は、光一の家と同じ街にあった。だから、VANは同じ地域で二人の能力者を敵に回す事態を避けるべく、涼子を殺しにかかった。力場破壊能力しか持たない涼子はその時点で死ぬはずであった。
 だが、涼子は能力者の存在を察知して駆けつけた光一によって守られ、VANは撤退を余儀なくされた。光一は自分の境遇や思いを話し、涼子に能力者がどんなものであるか、VANがどんな組織であるのかを教えた。そして、事態はVANにとっては悪い方向、即ち二人が手を組むという方向へと進んだのである。
 閃光型能力者である光一の高い攻撃力と、力場破壊能力を持つ涼子の鉄壁の防御は、凄まじいまでの戦闘能力を発揮した。派遣されたVANの構成員は全滅し、VANは苦渋の決断を迫られた。
 光一が涼子と出会ってから二ヶ月、VANは涼子の家族を事故に見せかけて殺害した。その三日後、光一の家族も事故に見せかけて殺害した。光一自身をも狙った攻撃は、彼の両親を殺すに留め、弟である孝二が重傷を負うだけで、派遣された構成員が光一に殲滅されるという結末で終了した。
 能力者以外を巻き込むことは、VANも望んではいなかった。能力者たちが居場所を創る時、非能力者たちに危害を加えることは、敵を増やすことに繋がるからだ。だから、敵の家族であれど、手を出すというのは本当に最後の手段であった。
 光一と涼子の決断は素早く、およそ一週間後には同棲生活をするようになっていた。お互いを守り合い、周りへの被害を極力減らすために。VANも迂闊に手を出すことができなくなり、実働部隊の編成が本格的に始まることになる。
 そして、二人は結婚し、子を設けた。
「能力者の両親から生まれた子は、能力者となる可能性が極めて高い」
 受精に至るまでに両親が覚醒していた場合、一方が覚醒していた場合や、双方共に覚醒していない場合に比べて子が覚醒する可能性が極めて高かったのだ。
「そして、その場合の子は、両親の持つ力を二つとも受け継ぐ可能性もまた高いのだ」
 具現力はほとんどが血筋で受け継がれていく。
 両親の持つ力のうち、どちらか一方が継承される場合が今は一般的なようだ。二つ以上の具現力を持つ者は、両親の力を双方共に受け継いだものと考えられているらしい。もちろん、その子の代で初めて覚醒する、つまり血筋で受け継がれない場合もあるらしいが、これは稀なようだ。また、覚醒していない両親からの遺伝でも受け継がれていると考えられているようだ。
 どちらか一方を受け継ぐというパターンが多いのは、まだ覚醒している能力者の絶対数が少ないからだろう。両親共に覚醒しているという状況は、自然には発生し難かったのだ。VANという組織ができて、初めて統計を取ることも可能になってきたのだから。
 故に、光一と涼子の子はVANにとって脅威となる可能性も大きかったのである。光一の攻撃力と、涼子の防御力を持つ能力者が生まれたとすれば、そしてその子がVANに反抗的であるなら、脅威となるに違いない。両親である光一と涼子でさえVANは手を焼いているというのに、これ以上敵が増えるのは好ましくない。
 だから、VANは再び光一と涼子に対し攻撃頻度を加速させて行った。
 結果的には、それが二人の決意を固めることになる。一度家族を殺されている光一と涼子が、自分の子が狙われるという可能性を考えないはずが無かった。
 光と晃が安心して暮らせるようにするため、光一と涼子はVAN本部へと乗り込む決意をする。
 そして、八年前、光一は涼子と共にVAN本部に乗り込んだ。手当たり次第にVANの構成員を殲滅しながら、一直線にアグニアの下まで辿り着いた。
「あの二人の強さは、凄まじいものだった……」
 アグニアは目を閉じる。昔を懐かしむように。
 守るべきものがある強さだろうか。光一はオーバー・ロードすることを厭わず、涼子も攻撃力が無いながら積極的に力を行使していた。その二人の息の合った連携攻撃と、気迫、力強さにアグニアは圧倒された。
「私の命があるのは、ゼルのお陰だ」
 瀕死のアグニアを庇い、死んだように見せかけて救出したのはゼルフィードであった。ゼルフィードは幼いセルファとセイナの護衛として、外に出ていたのだった。部下からの知らせを聞いて、ゼルフィードはアグニアの下へ駆けつけたのである。
 そして、怪我で身動きの取れないアグニアに代わって、帰途に着いた光一と涼子を仕留めたのである。
「そのゼルも死に、あの二人の息子であるお前がここにいる……」
 目を開けたアグニアは、光を見据えた。光一と涼子の息子であり、二人の意思を継ぐようにVANへ反逆した光を。
「どこに、俺が関わってるんだよ?」
 光は、アグニアを見つめていた。両親が出逢うきっかけを作ると同時に、二人の命を奪った組織の元凶を。
 VANが蜂起し、世界が揺らいでいるこの状況に、光は関わっていないはずだ。光一と涼子はVANを壊滅寸前にまで追い込んだ敵ではあるだろうが、光は平穏な生活を望んでいたのだ。放って置いてくれたなら、VANと戦うつもりはなかった。どう考えても、この状況の元凶が光だとは思えない。
「……判らないのか? お前がいることで、この状況が作り出されていることが」
 アグニアの言葉に、光は眉根を寄せた。
 光の覚醒は、VANの中ではほんの小さな小石ぐらいでしかなかった。だが、その小石はVANという組織に波紋を広げて行ったのだ。
「お前が覚醒した時、既に時の歯車は動き出していたのだ」
 アグニアが言う。
 覚醒した日、光はVANに襲われた。理由もなく、ただ一方的に攻撃されたことで、光の心の底にVANへの不信感が芽生えたのは間違いない。だが、能力者のために存在するVANが理由も無しに覚醒したばかりの光を攻撃するとは思えない。
「接触のために派遣した能力者が、ROVによって殺され、代役として急遽派遣された者たちは、お前が仲間を殺したと思い違いをしていた」
 その言葉で、あの日の矛盾が解消された気がした。
 最初に派遣された時の命令では、光を勧誘することが確かに目的であったのだ。だが、その構成員は光と接触する前に、刃たちによって排除されてしまった。ROVの工作によって情報が乱れ、後続の構成員は光が勧誘を拒否し反撃に出たと勘違いすることとなったのである。
 それが、始まりだったのだ。
 覚醒により、光が光一と涼子の力を受け継いでいることがはっきりした。それは、VANにとっては脅威と成り得る可能性を秘めているのと同義である。
 その光が、ROVと手を組むことは、VANにとっては阻止せねばならない状況であった。それまでの反抗勢力とは一線を画す力を持ったROVはVANにとっては悩みの種であった。どの部隊を投入しても、全滅させることができず、一時的に戦力を減らしたとしても着々と勢力を拡大させていくROVは厄介な存在だったのだ。
 ROVに光が身を置くことになれば、レジスタンスの脅威は増幅することになる。それだけは避けねばならないと、VANは光に対して攻撃を続けたのだ。
「それが、計画を早めることにも繋がったのだ」
 光の覚醒と、VANへの敵対によって、波紋は更に広がって行った。
 光一と涼子に壊滅寸前にまで追い込まれたVANは確かに成長していた。実働部隊を整理、充実させることで攻撃力と防衛力を高め、活動の高効率化を図り、それまで以上に勢力を拡大させていたのだ。だが、光は高位部隊を次々と退けて行った。
 そして、VANは表舞台への登場を早めることにしたのである。世界に能力者の国を創ることを宣言し、未だVANにもレジスタンスにも所属していない能力者たちを味方に引き入れる。それと同時に、行動を隠蔽する必要性をなくし、表立って動ける世界情勢へ持って行ったのだ。
 光やROVを抹殺するための行動を取り易くするために。
「判らねぇよ、あんたらの理屈なんて……!」
 光は言い放った。
 そんなことは屁理屈だ。どう考えたって光は何もしていない。ただ、自分が生き延びるために降り掛かる火の粉を払ってきただけなのだ。それで怨まれる筋合いはない。
 アグニアの言った言葉は組織に都合の良い解釈でしかない。光の思いを尊重していたなら、戦わずに済む道だってあったはずだ。それを選ばなかったのはVANの責任だろう。
「俺は、ただ、普通に生きていたかった」
 光は言葉を紡ぐ。
 恐らく、これが争うことをせずにこの戦いを終わらせられる最後のチャンスだ。この言葉が届かないのなら、光はアグニアと戦うしかない。
「あんたらを否定するつもりも無かったし、ROVにだって関わるつもりは無かったんだ」
 VANとROVが戦っていようと、光には関係ない。光は、光として、この力とは無関係に生きて行くことを願っていた。力の有無に惑わされず、それまで通りに暮らすことだけをずっと求めていた。
 それをぶち壊したのは、VAN自身なのだ。
 だから、光はVANを否定して来た。自分の存在を認めない組織を否定して、光は生きて来たのだ。
「今だって、戦いたくない」
 アグニアとセイナはセルファの両親だ。たとえ敵であっても、セルファがそれを赦してくれるとしても、光は二人を殺したくはないと思っている。
 可能なら、和解して終わりにしたい。
 生き物は基本的に、自分たちとは違う何かを恐れる。だから、人間も異質な力を振るうことのできる能力者を恐れて迫害してきたのだろう。それでも、その能力者も人間であることに変わりはない。なら、人間はそれを乗り越えて行ける可能性だって持っているはずだ。
 時間はかかるかもしれないが、具現力の有無に関わらず、人と人が手を取り合う世界だって作れるはずだ。
 アグニアが出した答えは、能力者同士が結束することで自分たちの居場所を勝ち取るという方法でしかない。邪魔なものを排除して、他者の領域内に自分たちの居場所を食い込ませるやり方でしかないのだ。それでは反発が生じるのは当然だ。
「……VANにとっての脅威は、払わねばならん」
「違うだろ、あんたにとっての脅威、だろ?」
 アグニアの言葉に、光は真正面から言い返していた。
 セルファから聞いた。
 アグニアは、決して動かない。VANという組織が設立され、まともに機能し始めた時から、アグニアは自ら動くことを止めた。それは、アグニア自身の力が凄まじく強大であったことに由来する。アグニアの持つ無限の力は、それ一つで世界を飲み込むことも不可能では無いと言われている。そのアグニアが戦えば、どんな能力者も敵ではない。いや、能力者に限らず、どんな兵器であってもアグニアを倒すことはできないだろう。
 アグニアが自ら動くことでリーダーシップを発揮したとしても、能力者たちがアグニアを頼るようになってしまっては意味がない。能力者たちが自分たちの力で国を興すことこそに意義がある。アグニアはそう提唱していた。アグニアという存在を抜きにしても、存在し続けることができなければ意味がない、と。
 だから、アグニアは組織のために戦うことはしなかった。暗殺者などの、アグニアを殺そうとする者のみとだけ戦うというのが、VANの総帥だった。
 故に、アグニアが光と戦うのは、彼自身が望むからに他ならない。アグニアがそれを望み、VANという組織を抜きにしても光を殺さなければならないと考えたということなのだ。
「黙ったまま、なのね……?」
 光とアグニアの会話が終了した直後、セルファはそう呟いた。自身の母親へ向けて。
「……私が語ることなど、無いでしょう」
 セイナは、感情の篭らない声で、そう返しただけだった。
「なら、聞くわ。何であなたはここにいるの?」
 セルファは問う。
 何故、セイナがここにいるのか。アグニアの考えに、VANの国を創るという目的に賛同しているわけでもないのに、セイナは何故、彼の隣にいるのだろう。どうして、VANに協力しているのだろうか。
「……私の目的は、全人類を能力者にすることだから」
 少しだけ目を細め、セイナは告げた。
 全人類を能力者として覚醒させる。その言葉に、光とセルファは何も返さなかった。
 地球上に生きる人間は、その全てが能力者に成り得る可能性を秘めている。ただ、生きている間に覚醒するかしないか、それだけの違いなのだ。
「そのために、VANは都合が良いのよ」
 セイナは淡々とそう言った。
 周りが能力者ばかりのVANであれば、いつ如何なる時でも力を使うことができる。セイナの力で覚醒を促した時、完全には覚醒できなかった者も少なからず存在する。そう言った者たちを完全に覚醒させるまでのプロセスで、VANの組織力を使うことも不可能ではない。
 アグニアの隣にセイナがいるのは、利害関係の一致だった。初めの頃は違っていたかもしれないが、今は互いの力が有用であるからそこにいるに過ぎないのだろう。
 アグニアは能力者を保護し、勢力の拡大を図る。それは能力者の国を創るという目的のためだ。その目的に、能力者を探し出し、覚醒を促すことのできるセイナの存在は貴重なものだった。同時に、能力者で構成され、高い組織力と統制力のあるVANはセイナにとっても重宝する存在だったのだ。
「私は、能力者同士が争うことを否定したりはしない」
 セイナが呟いた。
「あなたの両親とアグニアの戦いで、私は、人類全てが能力者にならなければ問題の根本的な解決にはならない、そう思ったのよ」
 光の両親とアグニアの壮絶な戦いを見たセイナは、全人類を能力者にしなければ争いは終わらないと考えたのだろう。能力者とそうでない者の間に大きな溝がある今の世界で国を創っても、結局のところ争いは絶えないだろうから。能力者が迫害され、世界に敵と見做され続けることに変わりは無いのだ。
 だが、その能力者同士でさえ戦っている。そんな状態で国を創るのは困難だ。能力者たちが一つに纏まらなければ、世界は安定しないだろう。
 だから、セイナは全人類を能力者にすることで、まず溝そのものを無くすことを考えたのだ。全人類が能力者になれば、能力者に対しての迫害は消える。能力者だけになれば、居場所を失うこともなくなるだろう。
 能力者同士の争いは、今の世界でも起きているような人間同士の争いと何ら変わりはない。そう考えているのだろう。だとしたら、セイナにとって能力者同士が戦っている今の世界情勢はどうでもいいことになる。だから喋る必要もないと黙っていたのだろうか。
 能力者同士の争いよりも、能力者の人口を増やすことの方がセイナには重要なことなのだろう。
(けど、そんなのは無理だ……)
 口に出さず、光は思った。
 セイナの言っていることはアグニアの目的よりも理想論だ。争いが絶えないのならばいっそ、全人類が能力者になればいいという考え方も確かに間違っているとは思わない。だが、全人類が能力者に成り得る可能性を持っている、ということは裏を返せば、誰もが能力者に覚醒するとは限らない、ということでもある。
 百パーセント全ての人間が能力者になることは、まず無いだろう。もっとも、世界人口の過半数が能力者となればセイナにとっては目的を達成したと言えなくもない。
 恐らく、セイナ自身もそれを理解しているはずだ。だから、要は全人類の中心、標準、基準を能力者にするのがセイナの目的なのだろう。
 そう考えれば、比較的アグニアよりも穏便な話にも思える。ただ、彼女がアグニアに協力し、光を排除しようとする限り、敵であることに変化はないのだが。
「なら、この戦いには関わらない?」
 セルファが問う。セイナはアグニアに加勢するのか否か、を。
 もし、光の考えが正しければ、セイナにとって光がどう行動しようとも害は感じないはずだ。覚醒した後の能力者がどう動こうと、セイナには関係がないのだから。
「言ったはずよ。私にとって、VANは都合が良い存在……まだ消えてしまっては困るもの……」
 細められた視線の中に、刃物のような輝きが混じる。
 明らかな敵意だ
「それに、能力者への敵意は、覚醒の妨げにもなる……」
 精神と密接に結び付いている具現力は、思いによってその力も左右される。覚醒の際には、一際強い思いが必要だ。故に、能力者に対して敵意や憎悪を持つ者は、その具現力に覚醒し難くなる傾向にあるのだろう。
 能力者同士の争いが広がることで、具現力に対するマイナスイメージが一般に定着してしまうのはセイナにとっては好ましいことではない。
「だったら、尚更VANにいるべきじゃないだろ?」
 光は言った。
 この戦いがセイナにとってマイナスになるのなら、彼女はVANにいるべきではない。VANは間違いなく能力者へのマイナスイメージを広げている存在だ。
 たとえその組織力がセイナにとって必要なものであっても、彼女の目的の妨げになることをしているVANにいる意義がどこにあるのだろうか。
「……私の思いは、判らないでしょうね」
「言葉足らずで判るかよ……!」
 どうしても、溝がある。光はそう感じていた。
 光の考えは十分に伝えて来たし、これ以上は何を言っても無駄だろう。恐らく、アグニアとセイナは初めから光と和解するつもりなど無いのだ。
 なら、これ以上、この場で無駄に喋ってもいられない。
 修が、刃が、外では戦っているのだ。
「セルファ……」
 光はセルファに視線を向ける。
「……私は、あなたを信じてるから」
 セルファは、静かに、だがはっきりと言葉を紡いだ。
 光が戦うことは、セルファが両親を失うことに等しい。それでも構わないと、光の戦いを信じると、セルファは背中を支え、後押ししてくれる。
「ありがとう」
 その碧の輝きを放つ瞳を、蒼い目で真っ直ぐに見返して、光も答えた。
 羽織っていたパーカーを脱いでセルファに手渡す。戦う際、裾やフードが邪魔にならぬように。同時に、セルファを後ろへと下がらせる。彼女が戦いに参加するのは、光一人ではどうしようもなくなった場合だけだ。両親と戦わなければならないのは、辛いはずだから。
「そうだ、お前と私は相容れぬ存在なのだ」
 アグニアがゆっくりと前に歩み出る。セイナは対照的に後退し、アグニアを前に押し出すような形となっていた。
 まずは互いに一対一で戦おうと言うのだろう。セイナの動向は、セルファに任せよう。
 光は、アグニアを押さえる。この戦いを終わらせるために。
「……俺は、俺が生きるために――!」
 そして、光は、床を蹴って駆け出した。
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