第五章 「尽きる命」


 光が動いた直後、アグニアも行動を開始していた。光に対して、ゆっくりと歩みを進めてくる。光は、そこへ真正面から飛び込んで行った。
 後ろへ引いていた右の拳を高速で突き出す。その拳は蒼い色の残像を残すように尾を引いて、空を切った。
 アグニアの動きは、見えなかった。だが、力場を察知する光の具現力特性はその動きを捉えたままだ。体勢から移動速度、現在位置に至るまで全てを把握している。
 光の背後からアグニアが反撃を繰り出そうとしているのが、判る。
 内側から払うように振るわれる手刀を、光は前方へ身を投げ出してかわした。背中から転がるように地面に着地しつつ、腕で上半身を支えてアグニアへと身体の正面を向ける。
 まだ、互いに出方を窺っている状態だ。アグニアの攻撃には殺気が乗り切っていないし、速度もどこか中途半端に感じる。あれが本気であるなら、勝てると思えてしまう。だが、超越能力を持つアグニアがその程度の能力者であるはずもない。
(……落ち着け)
 自分自身に言い聞かせる。
 焦ってはならない。アグニアは光と同じ閃光型能力者だ。オーバー・ロードが諸刃の剣であることは、アグニア自身も知っているはずなのだ。最初からオーバー・ロードで戦うのも有りかもしれない。
 覚醒してまだ一年にも満たない光が、何年もの間最強と謳われて来たアグニアと渡り合うには、オーバー・ロードに頼るしかない。だが、それはアグニアにも言えることだ。光と同じ閃光型であるアグニアも、オーバー・ロードができる。そして恐らくは超越能力を持つアグニアのオーバー・ロードに、光は届かないだろう。
 オーバー・ロードの限界である寿命の消費を超越するアグニアに、同じ閃光型の力だけでは勝ち目がない。際限無く力を発揮し続けることのできるアグニアを倒すためには、光の持つもう一つの力が必要不可欠だ。
 その、力場破壊能力をアグニアは恐れて来た。光が今までの戦いで生き延びて来られた理由の一つでもあり、アグニアを超えることのできる可能性が力場破壊能力だ。
 力場という、具現力の根本を破壊する力があるから、光は相手の動きを捉えることができる。本質が力場と同じ防護膜の存在を認識し、その所在を把握することができる。だから、光は敵の動きを予測することもできた。後は、高い戦闘力を有する閃光型の特性を活かして戦って来た。
 拡大された時間感覚の中で、光は再び床を蹴った。
 アグニアの放った閃光による追撃を、駆け出す際に行った軽い跳躍で跳び越え、姿勢を低くして走り出す。周囲に生じる力場が金色のエネルギーを纏い、光へと殺到する。
 光は白い輝きを纏った右腕を薙ぎ、純白の閃光を辺りへ解き放つ。金色の閃光を白い輝きが飲み込み、消し去った。そのまま、右腕を振り切った勢いにまかせて身体を捻り、回し蹴りへ。
 アグニアは身を退いてかわしながら腕を薙いで閃光を放った。
 光は左手に纏わせた純白の輝きを解き放ち、閃光を迎撃する。
(そろそろ、本気で行くか?)
 光は自問する。
 このまま、相手の様子見を続けるわけにもいかない。どちらかが本気で攻め込み始めた時が、本当の意味での戦いの始まりだ。時間をかければ光は負ける。精神力を消耗することのないアグニアを倒すには、光の方から先手を取って仕掛けるしかない。そうして、自分の身体と精神が保っていられる間に押し切る以外に手はない。
(焦るな……思い出せ……!)
 横薙ぎに振るった腕から閃光を放ちながら、光は後退した。
 距離を取って、大きく息を吐く。
 オーバー・ロードはまだ使うわけにはいかない。そうしなければ光に勝ち目が無いと思えるまでは、オーバー・ロードはできない。それに、アグニアもまだ加減しているだろう。現状でも確かに強いと感じるが、閃光型のオーバー・ロードに至るほどの力を出しているとは思えない。光でさえまだ余力を残しているのだ。
 寿命を削らずに、光が発揮させられる最大の力は、今のところイクシード・ロードだけだ。昨日、ようやく修得することができた力しかない。
 今までにもイクシード・ロードを会得すべく刃とも特訓を重ねて来たが。その特訓の中でイクシード・ロードだと感じられるほどの力は引き出すことができずじまいだった。
 生きるために存在する本能の安全装置を抉じ開けて、寿命を削るギリギリまでの精神を一瞬の攻撃に乗せる。第零特殊突撃部隊長シェイドが、雷光と同じ速度で動くことのできる刃に対抗するために会得した、力の上級使用法だ。恐らく、アグニアはイクシード・ロードを使えない。いや、使う必要がない。寿命の消費という枷を取り払っているアグニアに、イクシード・ロードなどという小細工は必要ないのだから。ただ単にオーバー・ロードで力を重ねて行けばいいだけなのだ。
 だが、光がそれをするには寿命を消費するしかない。アグニアのオーバー・ロード、あえて呼ぶならインフィニティ・ロードに対抗するためには、イクシード・ロードを駆使して戦うしかないだろう。
 光は細く息を吸いながら、意識を研ぎ澄まして行く。足先から指先に至るまでの全ての感覚を最大限に意識しながら、身体の芯を流れる自分の精神力を掌握するように抑え込む。少しずつ、自分の力を身体の隅々にまで行き渡らせて、光はアグニアを見据えた。
 ゆっくり、一歩を踏み出す。その足が床に触れ、次の一歩を踏み出す瞬間に、光は力を込めた。爆発的な加速で二歩目を踏み出し、アグニアとの距離を一気に詰める。
 鋭く息を吐き出し、床に着いた足を軸に足払いを放つ。
 アグニアは一瞬だけ目を見開いて驚いたようだったが、直ぐに気を取り直して光に視線を返していた。向かってくる足払いを後退してかわす。光は身体の回転をそのままに、裏拳へと転じた。アグニアが右腕を内側から外側へと払い、光の拳を迎撃する。
 接触の瞬間に、光は防護膜に力を注ぐ。凄まじい衝撃が発生し、光とアグニアの腕が弾き合う。互いの力の色を周囲に飛び散らせて、光とアグニアは弾かれた腕に身体を引かれて一歩ずつ距離を開けた。
 光が本気になったと悟ったのだろう、アグニアもそれに応じた防御をするようになった。だが、アグニアの防御は攻撃にもなる。打ち払う動作だけでも、アグニアの力は凄まじい。防護膜を強化しなければ、骨を砕かれていたかもしれない。
 光は腕が弾かれた方向へ身体を捻り、アグニアの打ち払うベクトルを利用して回し蹴りを放った。遠心力によって加速させた回し蹴りを、アグニアは下方から打ち上げるようにしていなす。回転を止めず、光は右拳を突き出した。
 体重を乗せた一撃を、アグニアはもう一方の手で受け止める。命中の瞬間に力を込めて、光はアグニアに突きを打ち込んだ。金色の輝きを帯びたアグニアの掌で、蒼い閃光が弾ける。蒼と金の輝きが舞い散り、アグニアの身体が数メートル後退る。
「……やるな、ヒカル」
 アグニアの口元に笑みが浮かんでいた。
 彼にとって予想以上の力だったのか、それとも光が及第点だと判断できたのか、断定はできない。ただ、アグニアが本気になるだけの力を光は発揮したのだろう。今までの攻撃でも、光はアグニアを殺すつもりで行ってきた。だが、そのどれもがアグニアには通じないレベルのものだった。
 ようやく、光の攻撃がアグニアに通じる見込みが出てきた。イクシード・ロードなら喰らい付いて行けるかもしれない。いや、イクシード・ロードを会得していなかったら、勝ち目がなかった可能性すらある。
「それなりに、強くなったようだな」
 アグニアは言い、光へと向かってくる。
 光は無言で、立ち向かう。少しずつ勢いを増してくるアグニアへ、光は走り出していた。
 アグニアが繰り出す突きを、光は右へと逃れてかわす。そのままアグニアの側面に回り込みながら右腕を水平に薙ぐ。アグニアの左手が光の腕を掴み、一瞬遅れて放たれた蹴りが光の腹に突き刺さる。
 命中の寸前で足を掴んだものの、光の両脚は宙に浮いていた。衝撃に耐え切れずに身体が浮き上がる。それを見逃さず、アグニアは掴んだ腕を引き寄せ、その勢いを利用して光に左手の裏拳を叩き付ける。
「く――!」
 光は、咄嗟に右腕を引いた。アグニアの方へ飛び込むように腕を引き、裏拳の真下をぎりぎりですり抜ける。そのままアグニアに肩からぶつかり、浮いた足の周囲でエネルギーを炸裂、反動で足を跳ね上げて踵落としへと転じた。だが、アグニアは光を振り回すように腕を薙ぎ、強引に振り払った。
 空中で身体を捻り、強引にアグニアの方へと視線を向ける。光は周囲に力場を複数展開させた。それをアグニアへと放つ。
 着地を狙ってくる可能性を考えての牽制だった。アグニアが回避行動を取る間に、光は気付かれぬように足にエネルギーを蓄える。回避しながら、アグニアは着地を狙って光の背後に閃光を生じさせる。それに気付いた瞬間、光は足に纏わせたエネルギーを放出し、反動で着地のタイミングを早めた。床に足が着いた瞬間に横へ転がってアグニアの閃光をかわし、光は再び駆け出す。
 少しずつ、光とアグニアの動きが速くなっていく。
 光の踏み込んだ足元から蒼い粒子が舞い散り、アグニアによって繰り出される突きからは金の粒子が振り撒かれる。戦いで生じる衝撃が室内に風を起こし、床に振動を伝えた。
 張り詰めた空気が場を満たし、光はアグニアの、アグニアは光の目から視線を逸らさない。呼吸さえ戦いの動きの中に組み込まれ、息継ぎをするように互いに攻撃を行い、かわし合う。
 蒼い軌跡と黄金の軌跡が交錯し、周囲に衝撃と燐光を撒き散らす。
 アグニアが放つ金色の閃光を光が純白のカーテンを作り出して打ち消した。舞い散る金の輝きを突き抜けて、蒼い閃光がアグニアへと向かって行く。アグニアはそれをかわし、光へと踏み込む。
「アグニアァ――っ!」
 光は叫んだ。敵の名を、腹の底から、吼えるように。
 蒼い輝きに包まれた光の腕が突き出される。その腕を覆っていたエネルギーが放出され、アグニアへと迫る。蒼い閃光に純白の輝きが混じり、二重螺旋を描き始めた。アグニアはそれに気付き、射線上から身をずらす。アグニアと閃光がすれ違う瞬間に、光は自ら放出したエネルギーを爆発させた。
 至近距離で周囲に飛び散るエネルギーの破片を、アグニアはオーバー・ロードで防護膜を強化した腕で受け止めていた。凌いだアグニアの瞳が金色の輝きを増し、踏み込んだ一歩に、金の粒子が嵐のように舞う。
「オォォォオオオオオッ!」
 アグニアが叫び、気合を入れる。
 防護膜が一段と厚みを増し、アグニアの全身から溢れ出すエネルギーが陽炎のように揺らめいて立ち昇って行く。魔人のようなそのシルエットに、光は大きく息を吸い込んで、吐き出した。身震いするのを堪える。
 アグニアの姿がブレる。動いたと思った瞬間には、光の目の前まで移動していた。防護膜の存在を力場として認知できる光は、その動きを瞬時に予測、足に力を込めて大きく跳躍した。イクシード・ロードによる跳躍で、アグニアの突進を跳び越える。だが、光のいた場所へ辿り着いたアグニアは直ぐに向きを変えていた。視線が、光を追っている。光は、そのアグニアの目を見ていた。
 空中へ逃れた光へと、アグニアが手を伸ばし、跳躍する。足を掴もうとするアグニアへ、光はイクシード・ロードを発動する。足元でエネルギーを炸裂させて牽制し、自分の身体を強引に吹き飛ばす。地面に手を着いて転がりながら体勢を整え、恐ろしい速度で向かってくるアグニアの気配を読む。
 飛び退いてアグニアの蹴りをかわし、腕を薙いで閃光の鞭を振るう。アグニアの周りに揺らめくエネルギーが鞭を弾き飛ばす。遠距離攻撃に込める精神力では、アグニアの防護膜を貫けない。ならば、肉弾戦しかない。
 アグニアが全身からエネルギーを発散し、高密度かつ無数の光弾を放つ。
「あああああっ――!」
 叫び、光は部屋の中に力場破壊能力を満たす。自分の身体から周囲へと解き放った純白の閃光が部屋中に届き渡り、アグニアの放った全ての攻撃を掻き消す。
 その白い輝きの中から飛び出してくるアグニアへと、光自身も突っ込んで行った。
 アグニアの拳を寸前でかわす。突き出される手首を左手の甲で打ち払い、ギリギリで向きを逸らして凌ぐ。そのまま、光が打ち込む拳は、アグニアの腕が内から外へと弾いていた。
 互いに攻撃を逸らされた瞬間に、腰を捻って回し蹴りを放つ。アグニアの蹴りと光の蹴りが激突し、周囲に空間が歪んで見えるほどの衝撃波を撒き散らす。蒼と金の粒子が吹き荒れ、閃光が火花のように散る。一瞬置いて互いに吹き飛び、光とアグニアはそれでも空中で体勢を整えて追撃する。アグニアが放つ光弾を、光が白いエネルギーを部屋中に飛ばして掻き消す。
 着地したかと思えば、アグニアの姿は光の下まで辿り着いていた。光は既にその場から横っ飛びに飛び退いて、今まで自分がいた場所へと閃光を放つ。アグニアが蒼い閃光を腕で弾き飛ばし、すぐさま追いかける。
 防護膜の厚みが増し続けるアグニアに、光のイクシード・ロードの頻度が増えて行く。
 アグニアは遠距離攻撃を放ち続け、その度に光は部屋中に白い閃光を飛ばしていた。部屋中に白い閃光が満たされる中で、光とアグニアは拳を交えている。
 空間型であるセルファとセイナでは既に干渉できない次元の戦いだった。セルファもセイナも、力場を張らねば空間には干渉できない。加勢しようとしても、アグニアの攻撃を防ぐために光は部屋中に力場破壊をぶちまける。直ぐに力場は掻き消され、セルファたちの能力が発揮される暇は無いのだ。
 これは、もう既に光とアグニアだけの戦いとなっていた。他の誰であっても、この戦いに干渉することはできないだろう。誰が見てもそう思えるほどに、凄まじい戦いだった。
 部屋中に白い輝きが何度も舞い散る中で、蒼と金の閃光がぶつかり合っている。衝撃波が部屋を揺らし、エネルギーが粒子となって吹き荒れている。
「貴様さえいなければぁ――っ!」
 アグニアが咆哮する。
 光さえいなければ、アグニアにとっては、何も憂慮することは無かったのだろう。VANの部隊を次々と潰し、アグニアに立ち向かうことのできる力を秘めた光さえいなければ、VANの存在が揺らぐことはなかったかもしれない。VANが国を創るという目的のためには、能力者の全てがVANという組織に属している必要がある。いや、たとえ賛同していない者がいたとしても、VANに異を唱え反抗する者さえいなければ良かった。
 そうすれば、アグニアは能力者の居場所を創るという望みを叶えることは容易であっただろう。そのために、今まで動いてきたのだろうから。
 突き出す拳が金色のエネルギーに包まれる。その手が見えなくなるほどに。
「あんたに俺が何をしたぁ――っ!」
 光が叫ぶ。
 アグニアさえいなければ、光がVANに反抗することはなかった。そもそも、アグニアに対しても最初は敵意など持っていなかったぐらいだ。たとえアグニアが光の両親の死に関与していたとしても、仇を取ろうとは思わなかっただろう。アグニアを殺しても両親は蘇りはしないのだ。戦ったところで、何も得られない。今、この生活が続けられるのであれば、手を出す必要など無かったのだから。
 だが、VANは光に対する攻撃を続けた。光は自分の意思でVANに抗って来た訳ではない。そうしなければ、光が生きて行けないと感じたから、光はアグニアを倒そうとしているのだ。
 本当に、ダスクを殺さなくて良かったと思った。
 繰り出す拳が、蒼い輝きに呑み込まれる。
 真正面からぶつかり合った拳から、部屋中に閃光が撒き散らされた。蒼と金の輝きはぶつかり合い、混じることなく拮抗していた。周囲に浮かぶ金の光弾は直ぐに白い閃光に飲み込まれる。吹き荒れる膨大な量のエネルギーに、部屋は既にぼろぼろになりつつある。セルファとセイナはその余波を防ぐために防護膜を力場として使用して防御に徹していた。
 二人の金髪と服ははためき、眩しさに目を細めながらも、セルファは光の、セイナはアグニアの背中を見つめている。
 圧縮され続けたエネルギーが耐え切れずに爆発を起こす。吹き飛びながらも、光とアグニアは気合を入れるように咆えた。アグニアは光弾をばら撒きながら空中で体勢を整える。光は純白の力場破壊を放出して打ち消しながら体勢を整え、着地と同時に互いにまたぶつかり合う。
「あんたがいるからぁ――っ!」
 光は、全ての感情を解放していた。もう、抑制など必要ない。
 兄が死んだ。先輩が死んだ。アルトリアが死んだ。シェルリアが死んだ。霞が死んだ。美咲が死んだ。克美を殺した。深輝を殺した。
 そこから生まれた感情を、自分の奥底へ流し込む。それが、力へと変わり、溢れ出して来る。その力が溢れるままに、光は全ての思いを自分自身の存在に重ねて行った。たとえ、寿命を削るとしても。
 既に、イクシード・ロードでは捌き切れなくなっていた。もう、オーバー・ロードで戦うしかアグニアの動きに追い付いてはいけない。ならばと、光はありったけの思いを自分の中で力へと変えて行く。残りの寿命で、思いを力に。
 力場破壊を部屋中に解き放ち、そのままに固定する。部屋の中を力場を張ることができない空間へと変えて、光は白い輝きの中を駆け抜けて行く。床も天井も壁も判らない、ただ、人が立っていることだけが判る部屋の中で、光はアグニアにぶつかっていく。
 セルファとセイナが、その行く末を見つめている。
 力場破壊が満たされた部屋の中では、アグニアも光弾を放つことができない。ただ、光が満たした閃光がいつ部分的に蒼くなるかは判らない。だから、そのエネルギーを防ぐために、アグニアは全ての力を自身の強化へと回していた。
 光が身に纏う蒼い輝きが厚みを増し、アグニアに対抗する。繰り出した拳を受け止めたアグニアの表情が一瞬苦痛に歪む。拳を掴まれた光の腹に突き込まれる拳を、寸前で膝が蹴り上げる。跳ね上げられた拳を掴み、光はアグニアの懐へ飛び込んだ。腕を掴んだまま捻り上げて背中からぶつかるようにして、投げ飛ばす。
 宙へと放り出されたアグニアへ、光はすぐさま追い討ちをかける。引き伸ばされた時間感覚の中で跳躍し、空中のアグニアに追い付くとその顔へと蹴りを放った。
 アグニアは地面へ叩き付けるように繰り出された蹴りを腕で受け止め、背中から床に激突する。バウンドし、転がるアグニアへ向けて身体を動かすように、光は足に纏わせたエネルギーを炸裂させる。その光の跳び蹴りを、アグニアは内から外へと腕で払う。そして、光とすれ違う瞬間に、アグニアは裏拳を光へと叩き込んだ。
 どうにか両手で受け止めたが、その衝撃に光の身体が吹き飛ばされる。突き抜ける衝撃と掌に叩き付けられた痛みを噛み殺し、光は向かってくるアグニアの攻撃を捌いて行く。
 蹴りを下方から上方へと叩き上げるようにして凌ぎ、拳は右足を軸に回転してかわす。その勢いを利用して裏拳を放ち、受け止めたアグニアが繰り出そうとする膝蹴りをローキックで阻止した。振り撒かれる金の粒子は部屋に満たされたままの白い輝きに呑み込まれて消えていく。
 出端を挫かれたアグニアに正拳突きを叩き込むが、腕で逸らされた。カウンターの右フックを首を逸らしてかわす。回し蹴りで側頭部を狙い、それを屈んでかわしたアグニアの下方からのアッパーを後退して避ける。
「オオオオオ――!」
 腹の底から、地響きでも起こすかのようにアグニアが咆えた。
 黄金の輝きが周囲に放出され、その右手を特に厚く包み込む。集約していく膨大なエネルギーは渦を巻き、空間を歪ませる。アグニアは、その拳を凄まじい速度で突き出した。
「あああああ――!」
 裂帛の気合と共に、光は大きく後ろへ引いた右手を突き出す。手首に左手を添えて、回転をかけた掌底を。
 蒼い輝きが回転するように螺旋を描き、燃え盛る炎のように大気を揺らめかせる。光は、アグニアに匹敵する速度で掌底を返していた。
 ぶつかり合う拳の掌から莫大な量のエネルギーが互いへと叩き付けられる。その力は互角で、注ぎ込まれ続けるエネルギーによって圧縮されて行く。相手のエネルギーによる反発力を強引に捻じ伏せて押し返し合いながら、自分の力を叩き込むために力を込め続ける。
「アぁグぅニぃアぁあああああ――!」
「ヒ・カ・ルゥゥゥウウウウウ――!」
 互いの名を叫び、視線を叩き付ける。
 心の底から、力を引き出し続けていた。叫び続けながら、光は自分の思いを今の一撃に重ね続ける。
 荒れ狂う蒼と金の閃光が白い輝きの中に吸い込まれては消えて行く。暴風雨のように吹きすさぶエネルギーと衝撃波が、互いの髪と服をはためかせていた。白い輝きに包まれた部屋の中で、蒼と金の閃光がせめぎ合っている。
 耐え切れずに、お互いに吹き飛ばされていた。光とアグニアは、同時に壁に背中を打ち付ける。直後に、互いにぶつけ合ったエネルギーから発生した衝撃波を浴びた。壁が減り込んだのが判った。それでも、光は再びアグニアへと向かって行く。アグニアも、同じだった。痛みは、もはや意識の外にあった。ただ、ひたすら相手を捻じ伏せることだけに意識を向けている。
 床に着地するのももどかしく、光は壁を蹴飛ばして一気にアグニアとの距離を詰める。
 そして、再び同時に攻撃をぶつけ合う。どちらの思いが勝つかを、確かめるかのように。
 光の蹴りと、アグニアの蹴りが激突する。足の裏を押し付け合いながら、拮抗するエネルギーの爆発に吹き飛ばされる。床を転がり、壁に身体を打ち付けながら、何度も起き上がり、直ぐにぶつかっていく。
 流れ出る汗を振り切って、光はアグニアへと向かって行く。見返してくるアグニアの瞳には、光と同じ強い意志が宿っていた。
(まだ……!)
 思い切り振り被った右拳に、再び力を注いでいく。身体の奥底から湧き上がる力の奔流を思いのままに、右手へと纏わせて行く。美しい蒼い輝きに包まれ、照らされながら、光は黄金の輝きを放つアグニアへと踏み出して行く。
(まだ――!)
 その先にあるのがたとえ短い人生でも、今は構わない。この場で途切れる人生よりはマシだ。自分のためだけではない。セルファのために、修や、刃、ダスクのためにも光は勝たなければならない。
(もっと……!)
 今まで死んで行った者たちへの思い、戦いの中で湧き上がってきた感情、そしてこれからへの希望と願い。それらも全て、繰り出す攻撃に重ねる力へと変換する。まだ、終われない。まだ、終わらない。この先に、今まで欲して来た暮らしがあるのだから。掴まずに終わるわけにはいかない。
(俺は――っ!)
 繰り出した拳が、アグニアの拳とぶつかり合う。
 一瞬、音と閃光が消える。そして、轟音と共に爆発のようなまばゆい輝きが部屋を満たす。凄まじい衝撃波が全方位に向かって放たれ、かつてないほどに圧縮されたエネルギーが暴れ出す。光もアグニアも吹き飛ばし、壁に叩き付け、それでも数瞬の間動けないほどのエネルギーが部屋の中心から放たれていた。セルファとセイナも自分たちの身を守るために全力を出している。
 全身に叩き付けられた衝撃とエネルギーが、痛みとして伝わってくる。ようやく床に足が着いた時には、力場破壊の白い閃光は消えていた。
 至るところに罅の入った壁面は、今にも崩れ落ちるのではないかと思えるほどだった。その中で、光は駆け出していた。アグニアも向かってくる。
 部屋の中に力場破壊を満たさずとも、互いに肉弾戦しかしないと判っていた。アグニアが遠距離攻撃をすれば、光は防ぐから。無効化されるなら、もう遠距離攻撃はしてこないだろう。だから、光も再び部屋の中を力場破壊で満たすことはしなかった。
 互いに、ダメージと疲労は蓄積していた。それでも、互いに一歩も退くことはない。
 距離が縮まり、アグニアが蹴りを繰り出そうとするのが見えた。
 足を踏み出そうとして、できなかった。
「ぅぐ……!」
 突然、光は全身の血液が逆流しているような感覚に襲われた。内臓全てを鷲掴みにされて圧迫されているような、不快な感覚だった。
 そして、アグニアの蹴りが動けなくなった光の腹に突き刺さる。
「ヒカル――!」
 セルファが叫び、光を守るように力を使う。空間に干渉し、光とアグニアの間に空間の溝が作られる。
 だが、アグニアの蹴りはその空間の裂け目をも貫通していた。超越能力による、空間制限の超越だった。超越能力を、オーバー・ロード時の寿命消費という限界を超えるためではなく、生じた空間を切り裂く効果に切り替えたのだ。空間による制限を一時的に取り払った蹴りが光の腹を直撃する。
 瞬時にセルファが圧縮空気を間へ挟み、威力を軽減するが、殺し切れなかった。凄まじい衝撃が叩き付けられ、光は身体をくの字に曲げて吹き飛んだ。
 部屋の壁に背中を打ち付けて、光はその場に崩れ落ちた。既に脆くなっていた壁は崩れ落ち、向こう側にある通路を露わにする。空間制限効果の無効化のために超越能力を切り替えたことで、アグニアはオーバー・ロードを解除されていた。もし、オーバー・ロード状態のままの蹴りを喰らっていたら、光の身体は貫かれていたことだろう。
「が……は……っ!」
 うつ伏せに倒れたまま、光は起き上がることもできずに血を吐いた。
 身体が動かない。
 いつの間にか、防護膜が消えていた。
 全身の筋肉と骨格が悲鳴を上げている。霞み始める意識を、光は懸命に繋ぎ止めていた。汗が、滝のように噴き出している。
 まだ、アグニアを倒していない。ここで負けるわけには行かない。セルファと暮らせるようになるまでは死ぬわけにはいかない。そんな思いで、ぼやける意識を繋ぎ止めて、光は震える身体に指示を出し続ける。
「ヒカル!」
 セルファの声に、光は意識を取り戻す。彼女の声に、言うことを聞かない身体を動かした。
 震える腕で身体を支え、上体を持ち上げる。
 血が口から溢れ、顎を伝って滴り落ちる。流れる汗が、血溜りの中へと落ちて行く。
「ヒカル……!」
 身を起こした光の身体を、セルファが支えようとしてくれた。
 見れば、セルファは泣きそうな顔をしている。心配で堪らないという表情で、セルファは光を支えるように寄り添う。
(ああ、そうか……)
 光は悟った。いや、アグニアの蹴りを喰らう前に、一歩を踏み出せなかった直後には、気付いていた。
「……時間切れのようだな」
 息の上がった、アグニアの声が聞こえる。乱れた呼吸を整えながらの言葉の中に、勝利を確信しているような響きがある。
 そう。
 光の命は、尽きた。
 オーバー・ロードで、いや、具現力を使って戦えるだけの精神力と寿命は、光にはもう残されていない。
「この時を待っていたぞ……」
 アグニアの声に、光は顔を上げる。
 勝ち誇ったアグニアの表情に、光は未だに戦意の残った瞳を向けた。
「どういう、ことだ……!」
 光は荒い息を吐きながら、問う。
 この時を待っていた。その言葉は、光が寿命を使い切ることを確信していたからこそ言えるセリフだ。アグニアは、光が寿命を使い切ることを計算していたとでも言うのだろうか。
「総ては、貴様を倒すための行動だ」
 アグニアが言い放つ。
「どういうことなの!」
 セルファが叫び、アグニアを睨む。
「私は、貴様を確実に仕留めることを考えていたのだ……」
 ゆっくりと足を進めながら、アグニアは語り出した。
 光の力こそが、本来は最強の具現力の組み合わせであること。理論上では、力場破壊能力を貫いて効果を発動できる具現力は存在しない。それは超越能力ですら例外ではなかった。いくら力場破壊の効果を超えようとしてみても、超越能力も力場で発動している具現力に過ぎない。故に、力場破壊能力の前では無力な力だったのだ。
 力場破壊能力それ単体ではアグニアを止めることはできない。攻撃能力を持たない力場破壊能力は、防護膜で拡張した身体能力で直接攻撃をすればいいのだ。
 だが、光は閃光型能力をも持っていた。力場破壊能力を最大限に発揮させつつ、高い攻撃能力を引き出す閃光型能力の組み合わせを超える能力者はいない。
「覚醒したばかりであっても、オーバー・ロードの力がある」
 だから、アグニアは考えたのだ。
 閃光型の特徴の一つ、オーバー・ロードは寿命を消費して力を高めることができる。それは、覚醒したばかりの光でも言えることだ。覚醒したばかりの光へアグニアが直接攻撃を仕掛けてこなかったのには、理由があった。
 寿命を少しも使っていない光では、オーバー・ロードの最大使用時間が長い。アグニアが真正面から戦った際にオーバー・ロードをされたら、アグニアの方に勝ち目が無かったのだ。
「だから、私は貴様の寿命を削ることを考えたのだ……」
 寿命を削ることは、即ちオーバー・ロードの使用時間を減らすことに繋がる。
 単純な戦闘能力ではアグニアの右に出る者はいない。オーバー・ロードをし続けることのできるアグニアを倒すためには、光もオーバー・ロードをせねばならないのだ。そうしなければ、際限なく強化されて行くアグニアの動きには対応できない。
「まさか……」
 光は、気付いた。
 今までの戦いは、全て光の寿命を消費させるために計算されたものだったのではないか、ということに。
 アグニアは、光にわざとオーバー・ロードをさせて戦わせる状況を作って行ったのだ。そうすることで、光の寿命を削り、オーバー・ロードの力を封じることが可能となるから。
「そうだ。貴様が今まで勝ち伸びて来たのは、偶然ではない」
 その時その時の光の実力よりもやや上の相手をぶつけて、オーバー・ロードをさせるようにしたのだ。もしも、VANの能力者が勝利すればそれで良し、駄目でも光の寿命は削られる。
 それを繰り返すことで、光は寿命を削り、オーバー・ロードの使用時間を減少させて行く。たとえ実力を着けて来たとしても、アグニアのインフィニティ・ロードの前では光単体の戦闘能力など恐れることはない。オーバー・ロードによる拡張にだけ気をつけておけば、後は戦闘を長引かせて光の寿命が尽きるのを待てばいい。
「父さんも……母さんも……」
 今まで死んで行った者たちの顔が脳裏に蘇る。
「克美も……アルトリアも……先輩も……」
 敵であった家族の知人や、修を好きだと寝返った少女、そして光のために尽力してくれた頼れる先輩であった青年。
「美咲も、シェルリアも、霞も……!」
 初めて付き合った彼女、光が好きになったと着いてきてくれた少女、密かに光に想いを抱いてくれていたクラスメイト。
「深輝姉ぇも! 兄貴も!」
 光のために敵であり続けた肉親の女性と、最後には身を翻した血の繋がった実の兄。
 みんな、死んだ。
「全部、俺を、殺すためだけに……!」
 噛み締めた奥歯が音を立てた。目から涙が零れ落ち、頬を伝って行く。
 これまでに戦って来たのは、生き残るためだった。だが、それは全てアグニアが光を確実に殺すために仕組まれた戦いでもあったのだ。両親の代から目をつけられ、全てが光を殺すためだけに動き始めた。
 湧き上がる怒りと哀しみを、今こそ力に変えたい。これほどまでに、力が欲しいと思ったことは無かった。
 今までの戦いの全てが否定された。今までの戦いに存在している全ての命が否定された。光が倒した敵にも、思いや願いはあった。悲しむ人もいたはずだ。アグニアにとっては味方であるはずの彼らの存在も、アグニアは利用し、否定したのだ。
 そのアグニアを否定したい。光の存在全てを懸けて、アグニアが否定した全てを肯定してやりたい。
 アグニアを、超えたい。
 アグニアを、殺してやりたい。
 なのに、身体は言うことを聞かない。具現力が、発動できない。身体の奥底にあった力が、今は空っぽだった。
「くそ……! やっとここまで来たのに……! 俺は……っ!」
 今の光には、何もできない。悔しげに顔が歪む。
 寿命を使い切った光の命は、後何日持つのだろうか。もしかしたら、明日、今日のうちに死んでしまうのかもしれない。その僅かな命を使ってでも、アグニアに抗いたいと思った。
 だが、それももう叶わない。心の中に広がっていく絶望感を、必死で押し留めていた。
「さらばだ、カソウ・ヒカル……!」
 金色の輝きを纏い、アグニアが、光へ告げた。
 光は、最後まで、視線を逸らさなずにアグニアを睨み付けていた。
 そして、光の視界はその黄金の閃光に満たされた。
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