第六章 「光」


 視界が覆われる寸前だった。
「ダメェェェエエエエエ――ッ!」
 絶叫と共に、黄金の閃光が、翡翠の輝きに押し返されていた。
 セルファだった。超越の力で凄まじいまでのエネルギーを操り、アグニアの放った閃光を押し戻す。そのままアグニアを強引に追いやって、セルファは光の前で両手を広げる。
「セル、ファ……」
 乱れた息のまま、光はセルファの背中を見つめていた。その、自分を守ってくれた愛しい女性の背中を。
「邪魔をするな、セルファ!」
「もう戦えないのに、何で殺す必要があるのよ!」
 怒気を孕んだアグニアの声に、セルファは叫び返していた。
「たとえ数日の命でも、その間に子を残されたらまた私にとっては脅威になる。奴の血はここで絶たねばならんのだ!」
 どうあっても、閃光型と力場破壊の組み合わせを消してしまいたいらしい。
「セルファ……」
 セイナも、彼女の行動に驚いているようだった。
 アグニアとセイナが、セルファと対峙している。今度は、アグニアだけでなくセイナが加勢することができる。セルファは光のように、力場破壊を持っていないのだ。だから、二人を同時に相手しなければならない。
(くそ……!)
 光は歯噛みしていた。
 何もできないことが悔しい。何かできること、やれることを考えても、セルファが戦っていては、戦うことができなくなってしまった光一人ではどうしようもない。
 一触即発のような張り詰めた空気が、セルファとアグニアたちを包んでいる。
 だが、その時だった。
 轟音かと思うほどの雷鳴が響き渡り、密室のはずの部屋が雷光の輝きに照らされる。
「随分と梃子摺っているようだな……」
 少し疲れを感じる声ではあったが、刃の口調には力強い響きがあった。
 部屋の中に、いや、壁を雷撃で貫いてここまで来たのだろう。抜き身の刀を手にした刃が、穴の開いた壁を背に立っていた。
「刃……!」
 服が裂けていたり、顔に切り傷が残っていたりと、戦った痕はまだ残っている。それでも、大きな傷を負っているようには見えない。いや、傷だらけの服を見れば、大きな傷痕はあったはずだ。それが、治癒されている。
「待たせたな、光……!」
 いつの間にか、隣に、修がいた。
 返り血の着いたシャツで、口元に笑みを浮かべて、修が光に手を差し伸べる。その手を取って、光は立ち上がった。
 修の他にも、有希が、楓が、翔が、瑞希がいた。恐らく、刃たちが修と合流したのだろう。大きな傷は有希が癒して、ここまで加勢に来てくれたのだ。
「修……みんな……」
 期待していた訳ではなかった。全て、加勢に来るほどの余裕は無いと思っていた。光がアグニアを倒すのと、皆の決着が着くのとは、同じぐらいになるのではないかと思っていたのだ。光の戦いは、光自身が思っていたよりも長い時間だったのかもしれない。
「戦えないって言うのは、本当か?」
 修の言葉に、光は目を伏せた。それで、十分だった。
「マジかよ! どうするんだ?」
 翔が刃に問う。
「俺たちで、アグニアを倒すしかないだろう」
「何も手はないのか?」
 刃の言葉に続いて、修が光を見る。
 伏せていた目を、光は上げた。その目には、まだ強い意志が宿っている。光は、諦めたとは思っていない。まだ、諦めたくはないから。
「……一つだけ、あるんだ」
 光の言葉に、全員が注目した。
「ありはしないわ。あなたはもう、終わりよ……」
 セイナの言葉を、光は聞き流した。
 自分の寿命が尽きた時、戦えなくなるということだけははっきりと確信していた。それがどんな形で訪れるかは予想できなかったから、最悪その場で死ぬかもしれないとも思っていた。だが、光はまだ生きている。なら、まだ可能性はある。
 寿命を使い切った時のことは、何度も考えた。しかし、それを回避する方法は一つも思い浮かばなかった。ただ、回避する以外の手を除いて。
「セルファ……君の力を、俺にくれ!」
 光はセルファに言葉を投げた。
「どうすればいいの?」
 セルファは、光の言葉を疑うことなく信じていた。だから、直ぐに答えを返している。何をどうすればいいのか教えて欲しい、と。
「君の超越能力を、俺にも分けて欲しいんだ!」
 光の言葉に、誰もが目を見張った。
 超越能力を使って、空間干渉能力を拡張する。そうして、拡張して制限を取り払った空間干渉能力で、セルファが持つ超越能力をコピーし、光へと移植するのだ。そうすれば、もしかしたら光の寿命は回復するかもしれない。寿命が回復すれば、光は戦える。これだけの仲間がいれば、一人じゃないなら、アグニアも倒せる。
 そう確信していた。
「無茶よ、そんなことをすれば、あなたは精神崩壊を起こすわ」
 セイナが否定する。
 具現力は精神から生じるものだ。それをコピーして移植するのだから、それは他者の精神を自分に取り込むのと同義である。違う思考を持つ他者の精神が入り込めば、互いの精神が反発し合って精神崩壊を起こす可能性が高い。
「それに、超越能力は負の力。あなたの力場破壊とは正反対の感情が原動力なのよ?」
 本能から生み出される感情を原動力とする超越能力と、理性から生じる願いや思いを源とする力場破壊能力は相性が悪い。反発し合うのは当然だ。
「……大丈夫なの?」
 瑞希が驚きと不安の混じった声で呟く。
「俺が思い付いたのは、それだけだ」
 光は、セルファの目を見つめて、言った。翡翠の輝きを放つ瞳が、光を見つめている。
「……私は、光を信じる」
 セルファは、そう言って、光の両手を取った。自分の胸の前で、愛おしそうに腕を抱き寄せる。
「決まりだな……」
 修は笑みを浮かべて、光からアグニアへと、視線を向けた。
「時間は俺たちで稼いでやる」
 刃が告げる。
 そして、次の瞬間には、五人がアグニアとセイナへと向かって動き出していた。
 光は、セルファに視線を向ける。向き合ったセルファは、光に柔らかく微笑んだ。抱き寄せられた二人の手には、互いにプレゼントした指輪がある。戦いで壊れていなかったことに、光は少し安心していた。
「私の命を……あなたに――」
 セルファは、目を閉じて自身の唇を光の唇に重ねた。
 光も、目を閉じる。
 暖かさが、温もりが、セルファと触れている場所から伝わってくる。掌から、唇から、セルファの命が流れ込んでくるような錯覚に陥るほどの暖かさが、流れ込んでくる。翡翠の、神秘的な輝きが閉じた視界の中に溢れ出す。
 光の中で失われていた命に、翡翠の輝きが降り注ぎ始める。
「今、私とヒカルの精神をリンクしたわ……これから、あなたに私の力を送る」
 セルファの声が、頭の中に響いた。寝ている間に、夢の中で出逢うのと同じだ。精神が結び付いている。暖かさは、セルファの命が光を包み込んでいるということなのだろう。
 精神をリンクして、光にセルファの超越能力を送るための準備が終わったのだ。
 あらゆる方向から、翡翠の粒子が降り注いでくるかのような光景を、光は見ていた。その粒子が光にぶつかり、肌を貫いて内側に入り込んでくる。
「く……!」
 瞬間、耐え難い苦痛に襲われた。
 翡翠の粒子が光の身体を包み込み、内側へと強引に滲み込んでくる。それが、とてつもなく苦しい。身体の内側にある光自身が、入り込んでくる翡翠の力に反発しているかのようだった。
「ヒカル……!」
「大丈夫、俺を、信じて……!」
 頭の中に響くセルファの声に、光は応えた。
 光の精神が反発しているのをセルファも感じ取ったのだろう。心配そうな心情が伝わってくる。それでも、光は諦めないために、セルファを促した。
 全ての粒子が、光の身体に滲み込んだ後、セルファは遠ざかって行った。精神のリンクを切ったのだ。恐らくは、光を守るために。
 光は、暗闇の中に一人残された。目を開けることはできない。自分の中に入り込んできたセルファの力を、光の精神と一体化するまでは、この苦痛と暗闇は続く。
 今は、この苦痛が納まるまで耐えるしかない。
 大丈夫だと、自分自身に言い聞かせる。光はセルファを信じた。セルファは、光を信じてくれた。


 唇を離した瞬間、ヒカルの身体が揺らいだ。意識を失っているのと近い状態になると判っていたから、セルファはヒカルを抱き寄せるようにして支えて、壁に寄りかからせた。そして、預かっていたパーカーをヒカルの脚にそっと乗せた。うなされているように表情が苦悶に歪んでいるが、セルファには何もできない。
 今、ヒカルは心の中で戦っている。それに勝利するまでは、セルファがヒカルを守るのだ。自分の力を、精神の一部をコピーしてヒカルへと届けた。そこからは、セルファにできることは何もない。ヒカルの心の中には常にセルファがいる。だから、セルファは、今はヒカルを信じて彼の肉体を守ることに専念することに決めた。
 ヒカルの戦いは、本当に凄まじいものだった。八月の終わり頃に出会えてから、ずっと傍で見て来たセルファでも驚くほどに、ヒカルは強くなっていた。VANの中ではゼルフィードとシェイド、ダスクぐらいしかまともに対話すらできないアグニアと真っ向から張り合えたのだ。そして、ヒカルは誰よりも強くなっていた。あのまま戦えていたら、本当にアグニアを超えていたかもしれないと思うほどに。
 だから、セルファはヒカルを信じた。ヒカルの想いに賭ける。
 セルファにも、こんな方法は思い付かなかった。自分の超越能力を分けてやれたらと何度も思って来た。だが、その超越の力を使って精神をコピーするなど、考えもしなかった。無理だと思い込んでいた。
 一つの肉体に二人分の精神が入り込むなど、誰も試したことがない。まともに考えれば、パンクしてしまう。それが、精神崩壊ということになるのなら、ヒカルの心が耐えられるかどうかに掛かっている。
 ここで殺されてしまうぐらいなら、どんなに小さな望みでも、ヒカルと生きていける可能性に賭けたい。
 目の前で繰り広げられている戦いは、そのヒカルに賭けた者たちにできる精一杯の援護だ。
 雷鳴が轟き、部屋の中を雷と突風が駆け抜ける。燃え盛る炎と冷気を振り撒く氷が踊るように舞い散り、空間が裂ける。黄金の閃光はそれらを真正面から受け止めながらも、押し返していた。
 押されていることに、全員が気付いている。それでも、シュウも、ジンも、カエデもショウもミズキも、ただ前だけを見据えて戦っている。ヒカルが再び立ち上がることを信じて、できる限りの時間を稼ごうとしている。
(ヒカル……あなたは一人じゃない)
 戦ってくれる仲間たちの背中に、セルファは心の中に暖かいものが広がっていくのを感じていた。今まで、連携攻撃極端に少なかったジンが、カエデとの連携を積極的に行っているのが判る。視線を交わさずとも、心が通じ合っているかのように、息を継ぐように攻撃が連なっている。雷撃と風を纏った刀たちがアグニアを追って行く。
 シェイドとの戦いの中で、何かを掴んだのか、それともシェイドを倒して変わったのかは判らない。ただ、ジンの瞳にはこれまでには無かった輝きがあるように感じられた。
 ショウとミズキも、二人に劣らぬ連携を見せている。シュウは、的確に四人をアシストしていた。アグニアの攻撃が迫った瞬間に空間を壊し、味方を攻撃範囲から逃すと同時に反撃しやすい位置へと移動させる。そして、シュウ自身もいくつもの力場を展開し、アグニアへの攻撃と自身の回避、仲間の移動を並列で処理していた。
「シェイドの部隊は、全滅か……」
 アグニアが、ぽつりと呟いた。
 シェイドがアグニアを父と慕っていたように、アグニアもまたシェイドにはどこか強い思い入れを持っていたようだった。ジンたちがここにいるということは、彼らを叩くべく出撃して行ったシェイドの部隊が全滅したということに他ならない。
 手数が五人に増えたというのに、アグニアは落ち着いていた。ヒカルと戦っていた時のような、余裕の無さは見当たらない。切迫した様子もなく、アグニアは凄まじい速度でジンたちの攻撃をかわしていく。
「……っ!」
 咄嗟に、セルファは、部屋を覆うように力場を展開した。そして、ヒカルへと向かう圧縮空気を、大気の壁を作って打ち払った。
「セルファ……」
 どこか悔しそうに、セイナが娘の名を呟いた。
 セルファは自分の母親を、真っ直ぐに見据えた。ヒカルを守るために。
「……何故、ヒカルを守るの?」
 セイナが問う。
「私が、ヒカルを愛しているから」
 迷うことのないセルファの答えに、セイナの表情が更に険しくなる。
「どうして、そんなに、ヒカルを恐れるの? 彼は、こんな戦いなんて望んでいなかったのに!」
 セルファは叫んでいた。
 確かに、ヒカルはアグニアとの戦いで凄まじいまでの力を見せた。だが、それは自分が生き延びるために身に付けた力だ。セルファを生きて行きたいと、身に付けた強さだ。アグニアが、VANが、ヒカルにさえ手を出さなければ必要の無かった力だ。
「あなたが、何でヒカルを恐れるのよ!」
 セイナの目的は、アグニアと同じではない。なのに、その彼女が何故ヒカルを殺そうとしたのだろうか。セルファには、理解できない。
 セイナは、ヒカルを殺す理由など無いはずだ。ただ、VAN寄りの立場にいるだけで、彼女にとっては覚醒した後の能力者は眼中に無いはずなのに。
「戻って来なさい、セルファ……」
 柔らかい表情を見せるセイナの誘いに、セルファは首を横に振った。
「私は、あなたのために動いて来たのよ……」
 その言葉に、セルファは目を見張った。
 何を言っているのか、判らなかった。何故、セルファのための行動でヒカルを狙うというのだろう。セルファは、ヒカルを選んだというのに。
「あなたを守るために、能力者を増やして来たのよ、私は……!」
 セイナの言葉に、セルファは愕然とした。
 能力者である娘が、どんな場所にいても虐げられることの無い世界を創るために、セイナはVANに協力していたというのだ。能力者であることが普通である世の中になれば、安心して暮らすことができるはずだと考えて。
「そんな……」
 セイナは、娘であるセルファを守るためにVANに協力していたのだ。
 アグニアと目的が違うのは当然だ。アグニアは自分たちのために、能力者が能力者としていられる場所を創ろうとしていた。だが、セイナはセルファ一人のために能力者を増やしていたのだ。
「あなたも、この世界を嘆いていたのでしょう?」
「そんな世界要らない!」
 セイナの言葉に、セルファは思いの限りを叫んでいた。
 確かに、能力者が迫害されているこの世界が良い状態だとは思わない。だが、それは時間が解決してくれる問題であるとも思っていた。ヒカルやダスクのような人は、まだこの世界には沢山いるはずだ。時間をかけて、お互いを解り合うことができれば、能力者であるとかないとかを気にかけずに生きられる世界は来るはずだ。
 セルファが、VANの中で嘆いていたのも、抜け出したのも、理由は別にある。両親であるアグニアとセイナが、セルファを見ることが無かったからだ。たとえ、セルファのために世界を変えようとしていたのだとしても、セイナは教えてくれなかった。ただ、今すぐ傍にいるセルファを見ようともせず、黙々と自分の目的のためだけに生きてきただけだ。VANの能力者たちは、セルファを自分たちと対等の人間であるとは見てくれなかった。いつも、アグニアとセイナの娘であるからと、目上の者として扱い、友達になってくれる者は一人としていなかった。いたとしても、周りに失礼だと言われて止めてしまう。たった一人で、セルファは過ごしてきたのだ。
 だから、ダスクやリゼの存在はセルファにとっては大切だった。
 もっと早く教えてくれていたなら、和解もできたかもしれない。だが、セイナがアグニアの側に付く限り、セルファの敵であることに変わりはない。
 ヒカルは、敵であるダスクを殺さなかった。セルファにとって大切な人でもあるダスクを、殺す以外の方法で決着を着けた。そして、何より、ヒカルはセルファを見てくれる。良いところも悪いところも認めてくれる。
 家族や友達というものを知らないセルファにとっては、ヒカルの傍は心地が良かった。シュウやユキがいて、コウジやカオリがいる。大勢で食べる食事は暖かさに満ち溢れていて、美味しかった。カオリやユキから、料理を教えてもらって一緒に作ったりもした。ヒカルが美味しいと言ってくれた時は、凄く嬉しかった。ヒカルとシュウがテレビゲームで対戦をしているのを、ユキと一緒に隣で見て楽しんだ。またある時は、ヒカルとシュウから二人がやっているカードゲームをユキと一緒に教えてもらって彼女と遊んでみた。
 僅かな日々ではあったが、VANにいた時とは比べ物にならないほどに楽しかった。心の底から笑ったり、悔しがったりした。
 戦いが終われば、またあの日々の中に入れる。いや、まだ、これからなのだ。
「私は、二人が私を見てくれないのが厭だった!」
 セルファは、涙を流しながら叫んでいた。
 今度は、セイナが愕然としていた。彼女の足場が崩れ落ちたかのように、呆然としている。
 その隣では、決着が着いていた。
「刃っ!」
 カエデが叫んだ。
 アグニアの放った閃光がジンの左腕を飲み込んでいた。シュウの空間破壊は、超越能力によって突破されている。そして、片腕を失ったジンへ突き出された拳を、カエデがジンを庇って受け止める。大気を圧縮して軽減したが、それでも勢いを殺し切れずに二人まとめて吹き飛ばされた。壁に激突し、崩れ落ちる二人を他所に、アグニアはショウと真正面から拳を打ち合う。激突の瞬間に吹き飛んだのはショウの方だった。突き出した拳が砕け、血塗れになって背中から壁に激突する。幸い、複雑骨折だけのようだ。そして、ミズキも繰り出した跳び蹴りが負けていた。筋肉が断裂し、皮膚が裂けて血が噴き出す。そのままアグニアの蹴りの衝撃を叩き付けられて天井に激突し、床に叩き付けられた。
 シュウは既に、力の酷使で負荷が掛かり過ぎていた。それでも、立ち向かっていくシュウをアグニアが拳で打ち払う。どうにか腕で防いだものの、防護膜の薄いシュウでは威力に耐えられない。骨が砕け、壁に叩き付けられてその場に座り込んでしまう。
「く……」
 呻き声を上げるシュウにユキが駆け寄り、直ぐに治療を始める。だが、直ぐに復活はできない。したとしても、シュウ一人では勝ち目はなかった。
 セルファは、ゆっくりと歩いて来るアグニアを見据えた。
「お前も、邪魔をするのか……」
 アグニアの冷たい視線を、セルファは真正面から受け止める。
「私は、ヒカルを守る」
 翡翠の輝きに身を包み、セルファは告げた。
「……なら、お前もヒカルと共に死ね!」
 アグニアが、その身に纏った金色の輝きでセルファを撃つ。
 セルファは、両手を開いて、その閃光を受け止めた。自分の想いを信じて、ヒカルを守ることだけを考えて、力を引き出し、振るう。翡翠の輝きは黄金の閃光を真っ向から受け止めて、上下左右に切り裂いていく。セルファ自身と、その背後のヒカルを守るように。
「あなたは、何をしているのか判っているの?」
 セイナが、加勢した。倍になったのかと思うほどの重圧に、セルファは耐える。
「ヒカルは……」
 ゆっくりと、セルファは二人分の重圧に抗って行く。
「ヒカルは――!」
 今、ヒカルを守れるのはセルファしかいない。みんな、自分自身にできる精一杯のことをしてくれた。セルファも、セルファにできる限りの力でヒカルを守らなければならない。
 いや、守りたい。
 どうしても、守り抜きたい。ヒカルと、生きて行きたい。
「ヒカルは、私の『光(ひかり)』だから!」
 他の誰でもない、ヒカルだから、守りたい。
 無限に膨れ上がって行く父親の力と、母親の力が、視界に広がっている。セルファは、胸の中にある無限の想いで、それを真正面から受け止めていた。
 髪がなびき、服がはためく。立っているのも辛い。目を開けていることも、息をすることも苦しい。それでも、セルファは倒れなかった。歯を食い縛って、前も見えないほどの閃光に抗い続ける。
「奴がもたらすのは『光(ひかり)』ではない! 破滅への道標だけだ!」
 アグニアの叫びが聞こえる。
 まだ、ヒカルと一緒にいたい。
 シュウやユキと一緒に遊びたい。コウジやカオリと、食事をしたい。
「私は、ヒカルと生きたい!」
 ヒカルの隣で眠り、朝を迎えたい。
 この想いは譲れない。誰であっても、決して消すことはできない。だから、セルファはまだ立っていられる。ヒカルを守るために、抗い続けることができる。
 じわじわと、押され始めている。それでも、最後まで諦めない。
 ヒカルがそうしたように。
「ヒカルゥゥゥウウウウウ――!」
 目をぎゅっと閉じて、セルファは声の限りに叫んだ。愛する人の名前を。
 その瞬間――

 瞼を閉じていても判るほどの強烈な『光(ひかり)』が。
 蒼い『光(ひかり)』が。
 セルファの視界を満たしていた。


 あらゆる方向から締め付けるように襲ってくる苦痛に、光は耐えていた。
 光の精神が、セルファから送られた力に反発している。それを強引に押さえ付けて、取り込もうとしているから、苦しいのは当たり前だ。
 その閉ざされた暗闇の中、光は誰かの気配を感じていた。
 いや、気配というよりは映像を思い出しているかのような不思議な感覚だ。
 誰もが、光に向かってぎこちない態度を取る。誰に視線を向けても、態度は変わらない。光の目線は上を向いて彼らを見つめているのに、誰もが慌てている。まるで、目上の、雲の上の存在に話を振られたかのように。
 皆が光を見て、失礼の無いような態度を取ろうとする。
 そして、この映像はそれに酷く傷付いている。
(これ……)
 セルファの記憶だと気付くのに、少し時間がかかった。
 まるで自分が体験したかのような感覚だったから、判らなかったのだ。
 気付いたきっかけは、ダスクだった。今のダスクとは違う。もっと若い、光よりも年下に思える容姿のダスクが映像の中に現れて、光はようやくこれが記憶なのだと気付いた。
 ダスクは他の能力者たちとは違っていた。いつもと変わらない、態度で、記憶の主、セルファに話しかけている。他の誰かに咎められている場面もあったが、それでもダスクはセルファと普段の口調、態度で接していた。
 孤独な記憶の断片は、続いた。ダスクとリゼが現れて、セルファは少し元気になっているように思えた。それでも、VANの中で過ごす日々に物足りなさを感じている。いや、温もりを求めていたのだろう。
 セイナは、まだ幼いセルファが傍に寄って来ても別段気にかけることなく動いている。アグニアは、セルファを見つけても何をするでもなく、自分の仕事をこなしているだけだ。
 冷めた両親の間を行ったり来たりしても、セルファが求めるものは得られない。ずっと、一人で寂しい思いをしていた。両親が自分を見てくれない寂しさは、ダスクにも話せなかった。
 だが、ある瞬間に記憶の中の思いは変わり始める。光の存在を知った時から、セルファの思考は光の方へと向き始めた。傷付きながら戦う光を遠く離れたVANから見つめて、その考えに惹かれて行く。
 八月末に、初めて直接出逢った時の記憶が見えた。ダスクの後ろにいて、光を見つめている視線が、映像のように流れていく。走り出す視界が滲んで、驚いた表情の光を見つめて、その胸に飛び込む。
 一緒に過ごした記憶もあった。料理や菓子を香織や有希と作っている場面や、光の隣で修と対戦しているゲーム画面を見ている場面、カードゲームで引いた手札を見てどうするか考えている場面。前半の記憶とは違って、どれも心の底から楽しんでいる、嬉しそうな感情が光にも伝わってくる。
(そうか……)
 そうして、気付いた。
 送られて来たのは、セルファの力だけではない。セルファの存在そのものの一部が送られてきたのだ。心、感情、記憶、セルファを構成するあらゆる思いが、光に手渡されたのだ。
「耐えて、どうするんだよ」
 光は、自嘲気味に笑った。
 耐えたところで、何も変わらないことに気付いた。この苦痛をいつまで耐えても、取り込むことなどできるはずがない。押さえ込んだところで、セルファの心が光と同化するはずがないのだ。
「俺が、セルファの総てを受け入れないで、どうするんだ……!」
 だから、光は抵抗を、耐えることを止めた。
 耐えるために閉じていた心を解放して、セルファの心を受け入れる。
 これから共に歩んで行くのだ。長所も欠点も、過去の辛さも、痛みも、全て共に抱え込んで行かねばならないのだ。
 暗闇が、蒼と白の輝きに包まれる。身体に滲み込んだ翡翠の粒子が周囲に溢れ出し、蒼と白の中に溶けて行く。
「ヒカルは、私の『光(ひかり)』だから!」
 セルファの声が、確かに聞こえた。必死で、光を守ってくれている。世界で一番愛しい女性の声が、光に力をくれる。
 ――全てが思い通りに行くことなんてない。
 父親の言葉を、思い出す。
 ――だから、少しでも近付けようとするんだ。
 理想通りには行かないから、せめて少しでも良い方へと向かおう。そんな思いが込められた言葉だった。今までは、その言葉が、光の思いでもあった。
 けれど、今は、違う。
「思い通りに行かないなら……!」
 翡翠を受け入れた蒼と白の輝きを、光は再びその身に纏う。
「掴むまで、足掻いてやる!」
 妥協はしない。諦めない。最後までもがき続けて、想いの限りに生きる。
 それが、セルファと共に見つけた答えだから。
 湧き上がる力を胸の奥に感じながら、光は目を開く。
 皆、倒れていた。刃は片腕を失い、楓と共に壁にもたれかかるようにして戦いを見つめている。翔は拳から血を流しながら、瑞希は脚から血を流して。修は、有希に傷を癒してもらっているようだったが、もう戦えるだけの余力はなさそうだ。
「私は、ヒカルと生きたい!」
 そして、セルファは、目の前で黄金の閃光に抗い続けている。両手を広げて、光を守り続けていた。
 光は、立ち上がり、ゆっくりと目を閉じた。空っぽだった身体は、生命力に満ち溢れている。閉ざした瞼の裏側に、暗闇の視界の中に、蒼白い閃光の奔流が浮かび上がって行く。
 混ざり合わず、二重螺旋を描くようにずっと向こうへと流れて行く輝きの中へ、光は手を伸ばす。一度は失われたその力が、再び、光の中へと流れ込んで来る。
 暖かく、力強い、その感覚が、どこか懐かしい。
「ヒカルゥゥゥウウウウウ――!」
 セルファが、力の限りに名前を呼ぶ。
 そして、目を開いた時、光は身に纏う蒼白い輝きを、あらゆる方向へと思いの限り発散した。
 セルファの力を優しく包み込み、アグニアとセイナの力を呑み込む。
「ありがとう、もう、大丈夫」
 セルファを背中から抱き締めて、光は囁いた。
 驚愕に目を見開いて、セルファは光の顔を見つめる。そっと、目に涙を浮かべるセルファを離して、光は前へと歩み出る。
「遅ぇよ、馬鹿……」
「ごめん、ちょっと手間取った」
 笑みを浮かべて軽口を叩く修に、光は笑って答える。刃たちもどこか安心したような表情で光を見ている。
「馬鹿な……!」
 アグニアとセイナは、驚き、一歩後退っていた。
「能力者のためだとか言って、本当はあんたが生きたいだけじゃないか」
 光は言い放った。
 能力者の居場所を創るためであるなら、能力者それぞれが望む形で実現すべきだ。刃や、光のような反発者が出るのなら、それは能力者のためとは言えない。まして、光を倒すためだけに部下を自然に動かして来たというのなら、アグニアは長の立場にあるべきではない。
「結局、あんたも人間なんだよ。能力者を嫌う連中と同じだ!」
 光を恐れて、光の言い分を無視して殺そうとしてくるのなら、それは能力者を恐れて排除しようとする者たちと変わりが無い。
「ああ、そうだ、私も人間だ! だからこそ、自分の居場所を確保するために動いて来たのだ!」
 アグニアが叫ぶ。
 能力者など、ただ大きな力を持っただけの人間に過ぎない。新しい人類でも無ければ、進化した存在でもない。結局は、人間同士の争いなのだ。
 向かってくるアグニアに対して、光は自分の力を解き放つ。新たに得た、超越能力で、無限の力を引き出して。
 母から受け継いだ力を周囲に満たし、父から受け継いだ力を身に纏い、セルファから貰った力を、光の意志が制御する。
 アグニアの防護膜を、光は消し飛ばしていた。
 勢いに身体が付いていけずに、アグニアは足をもつれさせて転倒した。その光景に、セイナが座り込む。
 超越能力を得た光のインフィニティ・ロードなら、アグニアの防護膜をも掻き消せる。もはや、アグニアとセイナになす術はなかった。
「……私を、殺せば、次は貴様が世界の敵だ」
 アグニアが、嘲笑うかのように口走る。
 世界最強の能力者は、アグニアだった。そのアグニアを倒せば、光が危険視されるのも当然の流れと言えば当然の流れだ。アグニアを倒すことで、今度は光が世界最強の能力者となるのだから。
「それでも、俺には手放したくない想いがあるんだ」
 光は、答える。
 たとえ、世界の敵と認識されても、光は生きることを諦めはしない。この力で、どこまでも逃げて、足掻いて、戦い続けてやればいい。
「……セルファを、宜しく頼むわ」
「必ず、幸せにします」
 セイナの言葉は、光の中にすんなりと入って来た。だから、光は最後に敬語で答えを返していた。
 ゆっくりと、セイナは身を起こしたアグニアの傍へと歩み寄る。そして、目を閉じた。
(それが、あんたなりのケジメのつけ方なら……)
 光は、僅かに目を細める。
 セイナは、死を選んだ。自らの行動が間違っていたと思ったのか、負けたからなのかは、はっきりとは判らない。ただ、彼女自身がそれを選んだのなら、光は止めようと思わない。彼女もまた、光や、多くの人間の命を狂わせて来た能力者であることに変わりは無いのだから。
 人の死に、意味など無い。意味のある死なんて、どこにもない。ただ、人間はその死に意味を持たせることで、その人物を記憶に残そうとする。それが、人間というものなのだろう。
 隣に、セルファがいた。
「セルファ、俺は、君の両親を、殺す……」
「ええ……お願い」
 囁くような光の言葉に、セルファは静かに頷いた。
 光とセルファこれから先を生きていくためには、アグニアとセイナのこれからの存在を否定しなければならない。また、光が油断している隙を狙って来ないとは限らない。また、光の子供たちを狙われる可能性もある。安心して暮らして行くためには、二人の存在は余りにも危険だった。
「……私は、後悔などしていない! 間違ったことをしたとも思わん!」
 アグニアは、再び黄金の輝きを身に纏う。敗北を悟った今、その行動は、早く殺せと言っているのと同じであった。
(俺も、人間なんだ……)
 これからの生活を脅かされるのが怖いから、光はアグニアとセイナを殺す。結局、光も、アグニアと変わらない。ただ、考えが違うだけで。
 それでも、光は自分の想いを信じて来た。その想いが、勝った。
 だから。
「俺は、セルファと生きるんだ!」
 思い切り突き出した右手に、光はありったけの想いを込めた。
 溢れ出す白い閃光が、部屋を飲み込み、広がって行く。その白い輝きは戦場となっていた一帯を丸ごと呑み込んで、あらゆる能力者の防護膜を破壊して行った。戦闘行動そのものを止めるかのように。
 オーストラリア全土を呑み込む白い輝きが納まった後、その閃光の中心地に、蒼い『光(ひかり)』が立ち昇った。
 その美しい閃光は空を突き抜け、雲を裂いて、立ち昇り続けた。

 そして、戦いは、終わった。
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