序章 「災難は突然に」


 古本屋巡りは、少年がここ最近でもっとも楽しみとして居た物であった。
 ここ二・三日、丁度良いくらいに時間の空くこの日この時を狙って、友人の誘いをも断わって出掛けた、日曜日の午後。
 しかし収穫はたったの一冊。五件も回って、百円の漫画本が一冊だけ、少し大き目の背負い鞄の中に入っている。何だか凄く空しい。
 何なんだよ、とか思いながらも、少年は帰路を急いだ。
 直ぐ側の路地を曲がり、人気のない場所を通る。その方が、駅には近い。
 それを思い出して、少年はまた少し不機嫌になる。電車賃の無駄遣いだ、と。
 こんな事なら――
 と、未練がましく昨日を振り返る。親友が折角遊ぼうと言ってくれたのに、それをにべも無く断わった自分がいた。あの時自分は、神の御慈悲を断わってしまったのだ。そう激しく自己嫌悪をするが、後悔先に立たず。そして、先に立ったらそれは後悔ではない。
(後悔じゃない――先悔だ!)
 そんなどうしようもない事を考えながらも、足を止める事はしなかった。そのまま暫く歩いて角を右に曲がる。
 すると、何だか嫌な感じの所にでくわした。
 嫌な所いっても、別に卑猥なホテルが建ち並んでいるとか、何だか卑猥なお姉さんがお客を引き込んでるとか、そういう事ではない。何より、少年はあくまで『少年』なので、そんな所には近寄らない。
 では、どのように『変』なのか?
 理由は簡単。何だか変な人影が、大量に存在しているのだ。
 如何にも最近の若者、と言う感じのガラの悪い連中――と例えるのは、少年の偏見である。自分も最近の若者だろうと言うツッコミは、誰もしてくれない。
 その若者達は、一点に集中して何やら話し込んでいた。まるで何かを囲んでいるかのように、四人ほどが壁を前にして丸まっている。
 新手の宗教信仰か、と思いながら、少年はひたすら歩いた。相手は前に集中しているので、わざわざ目線を逸らす必要もないだろうと判断したのだ。
 そうして近づいてみると、どうやらチンピラさんたちは壁に向って祈りを捧げている様ではない、と言うのが分かった。
 彼らが一斉に下を向いているのは、自分よりも明らかにちまっこい人影を上から見下ろして、あまつさえその人影を自身に屈服させよう、なんて虫の好すぎる、自己中心的かつ非人道的な暴挙に出ているのだ、と言う事も確認できるようになった。
 歩行速度を全く改変せずに、前方へと進軍する。
 そうする事で、男達に囲まれている可憐な少女が確認できた。
(およっ……?)
 随分と小柄で、華奢な身体。私服であろうチェックのシャツの上からも、凹凸が少ないペッタンコ体系が確認できる。肘に近い所辺りにある、少し長めで艶やかな黒色の髪の毛。その前髪をヘアピンで留め、目に掛からない様にしている。御陰で、脅えの色を示す大き目の瞳や、長めの睫毛、綺麗に揃った眉や、すっと通った鼻筋などが外気に晒されていた。全体的に小作りな顔立ちが、更に可愛さを高めているのもまた、ポイント高し。
 素晴らしいくらいの、正に美少女である。
 だから少年は、素直に思った。
(素晴らしい!)
 感嘆、である。その可憐さをもう少し目に焼き付けておきたいと思い、彼は歩行速度を緩めた。
 薄ら笑いを浮かべた、何だか顔色の悪いお兄さん方を無視して、少年は少女を良く観察した。どうせ遠巻きに見るだけなのは無料だから。
「へへ、良いじゃねぇか。ちょっと付き合ってもらうだけだろ?」
 気色悪い声が空気を伝って少年の耳朶にも近づくが、右から入って来た物を左から素通りさせる。膝小僧よりも少し上の位置にあるプリーツのついたスカートに目をやった。
(少し高くないか?)
 スカートの丈が。
 しかしそんな事はどうでも良かった。
「なっ、なっ、気持ち良くするからよ。大丈夫だって、俺達も気持ち良くさせてもらうから!」
 鼻息荒く、と言う感じの異様に高い声。男の体格にもかかわらずの素のソプラノに、(人間か?)と疑問を持った。興奮しきったそれに続き、他の三人の下卑た笑い声が響く。
 それもまた完全に無視して、少年はスカートから伸びた、華奢でいて、それでもなお健康的な匂いのするスラッとした細い足を見詰めた。
「奢ってやるよ、だから来いって!」
 今度は篭ったような、デブの声。汗ばんでるのがまるわかりの馬鹿者が少女の方に顔を近づけ、少女は必死に顔を遠ざける。
 この野郎、と少年は思った。ダルマ並に肥えた体躯が邪魔して、折角の可愛い膝小僧が見えなくなってしまった。
 その場面を見て、チッと舌打ち。全体的に、少年の好みを具現化した様な可憐な美少女が、そこにいる。そんな子が絡まれているのを見て、助けてあげたいとは思う。いや、むしろここは助けてあげてこそ男と言う者であろう。
 だが、世の中そんなに簡単ではない。大丈夫、きっとこの後、僕らの平和を護ってくれる正義のヒーロー、青い制服が見事に決まったナイスガイ、肩に無線機、腰に拳銃の無敵の英雄、お巡りさんが助けてくれるさ。と少年は身勝手に思い、再び歩行速度を戻した。
 彼は腰抜けだったのだ。
 少年が自分の行動を脳内国会で賛成多数で可決させ、その命令に従って大急ぎで戦線を離脱しようとした時だ。
「さぁ、行こうぜ!」
 四人の中で一番背の高い男が、後方にずれて来た。きゃ、と言う可愛い悲鳴の後、少年の身体に軽い衝撃。
 ドカッ、と左肩で音がする。何だろうかと見てみると、先の男が自分と接触している。あららっ、と思って少し上を見ると、ピアスやら何やらで顔を滅茶苦茶に汚した男がこちらを向いていた。
 こんな顔だったのか、と少し納得。こりゃ怖い。
「っんだ、っめぇ!」
 怒りの余り何だか血走ったりした、随分逝っちゃった感じの眼差しを向け、そいつは少年の胸倉に掴み掛かってくる。そのまま、ぐっと顔を寄せてきた。
 近づいてみて分かったのであるが、歯並びが少々ばかり悪い。
「何してくれんだよてめぇ……っそ、っりぃっ、いだ!」
 頭の血管が幾つかぶっ飛んでしまったらしく、その反動からか言語中枢に障害をきたしたらしい。いきなり謎の言語を捲くし立て始める男。その唾が少年の顔に引っ掛かって、気持ち悪い。
 ていうか、息が臭い。
 目の前で見ると、歯垢が溜まった前歯が良く伺える。煙草のヤニやら酒粕やらなんやらで黒ずんだカルシウムは、見るに耐え兼ねる惨状だ。
 正直に、コンチクショウ、と思った。
 が、思っただけ。
「すいませんごめんなさい私が全て悪うございましたですからどうか命だけはご勘弁を御代官様あ〜れ〜どうかそれだけは平に平にあ〜れ〜」
 思った事とは裏腹に、何だか自分でも良く分からない謝罪の言葉を口にする。
 が、感情が篭っていなかった。
「んっだと、っらぁ!」
 またも非日本語を叫びながら、男は少年を突き飛ばした。パクリが少し露骨だろうと何処かで考えながらも、同時に外国人に絡まれるのは始めてだ、と思う。それとは別の所で少年は冷静に事態を把握した。
 実は、結構いざこざには慣れていたりいなかったり。
 だから、彼は自分が踏み止まれた事を受けて、敵の筋力を瞬時に計算した。大雑把ではあるが、どうやら少年よりも弱い。
 男はどうやら、突き飛ばしただけでは我慢できないらしく、腕を振りかぶって少年の頬を殴った。
 それを甘んじて受け、やはり攻撃力の無い事を再確認。打たれた頬も余り痛くない。腕だけで打った拳など、正直言って脅威でもなんでも無いのだ。
 同時、男の細すぎる腕を確認。血管が青白く浮き出て、筋っぽいそれは、明らかに骨と皮のみ。
 クスリでもやっているのであろう、異様なまでに華奢な腕。勝てる、と判断。背負っていた鞄を簡単に下ろし、何故か落ちていた手近なパイプ椅子を掴む。
 パイプ椅子――で、あろう。座る部分が無いので椅子かどうかは分からないが、まぁ良い。鉄パイプの塊ならば、充分な凶器になり得るのだから。
 特に運動神経が良いと言う訳でもないが、別段悪くも無い。麻薬で頭をやられて、幻覚とか見始めているような輩には、少なくとも負ける事はないであろう。
 何より、こちらに手を挙げた事をたっぷりと後悔させてやらねば。目には目を、歯には歯を、そしてハンムラビ法典にはハンムラビ法典を!
 もう一発殴り掛かってくる所だった男は、少年の振ったパイプの直撃を食らって吹き飛んだ。先程のお返しは充分か。
 脆くなった歯を吹き飛ばしながら昏倒する、男。そいつを容赦無く踏みつけながら、次の相手を視野に入れる。
 手前の連れが殺られた事を受けて色めきたった男共。口々に罵りの奇声を発しながら、何の考えも無しに全員がバラバラになって突っ込んでくる。
 だったら、と思う。三方向からの突撃だが、エモノを持っている分こちらの方がリーチは長い。少年は右からおもいっきり掌中のパイプ椅子を振り回し、三人に叩き付ける。
 クアッ、と呻くが、攻撃は浅い。昏倒した一人をシカトして、まだ意識のある二人に対して正面に構える。一人が再び奇声を上げ、少年に突っ込んできた。
 先程のデブだ。こいつは贅肉がたっぷんたっぷんだが、それだけらしい。自分の体重で遅くなったスピードと、贅肉に引っ掛かっておもうように動かせない肩。簡単に避けて、膝で腹に蹴りを入れてやるが、厄介な事にボヨンボヨンと跳ね返されてしまう。
 チッ、と舌打ち。椅子の背もたれに当たる所を押し付けて相手を一旦離すと、今度は椅子の足で前頭葉があると思われる場所に、おもいっきり振り下ろす。二度、三度とぶつけて、ようやく相手は沈黙した。
 ドサリと倒れ込む巨体を見ながら、最後の一人を見る。ガリガリでドレッドのそいつは、ポケットからバタフライ・ナイフを取り出して切っ先をこちらに向けた。
 ほら怖いだろう、とあからさまに脅しているようだ。が、顔面にびっしりと浮いた脂汗や、完全に気圧された瞳を見ればそれがハッタリだと言う事が良く分かる。こんなもんか、と少年は逆に冷静になっていた。
「うわぁぁぁぁぁ!」
 雄叫びを上げて突っ込んできた。明らかに震えている脚を見て、少年は少し身体をずらすだけにした。それだけで、相手はよろよろと転んで地面に鼻を強打する。
 そこを、止めの一撃。パイプ椅子を振り下ろし、頭蓋よ割れよとばかりの気合で強打すると相手の意識が落ちるのを確かめる。
 その後、全員の意識が沈んでいるのを確認して、二・三度蹴りを入れてやった。何だかとてつもなく不愉快だったからだ。ヤク中でアル中でニコ中でキ○ガイな反潔癖症症候群患者タイプAAA(?)なんぞを相手にしてしまった事と、余りにも理不尽な喧嘩の売られ方に。
 それらの仕事を一通り片付けると、ふういっ疲れたのぉ、と親父クサイ感じで一息つく。
 あーしんど、と漏らして、少年はバックを置いた場所へと歩いた。だが、そこにバックは見付からない。
「……あれ?」
 見回すが、ない。どういうことだ、と更に見回すが、やっぱり無い。
 くそっ、と思う。誰がこんなこそ泥みたいな事を――
「あ、あの!」
 か細い声が、聞こえた。それに反射的に振り返ると、先程のキ○ガイお兄さん達に絡まれていた少女がいる。
 その胸に抱えられたのは、少し大き目の背負いバック。全体的に黒を基調とし、収納スペースも充分確保された、外見よりも機能性を重視したデザイン。背中と密着する部分にチャックがついてて、そこから中の物を取り出せる仕組みになっている。背中の部分が少し膨らんでいるのは、常備している折り畳み傘が入っているからか。
 明らかに、少年の物だ。
「あの、これ……」
「………」
 少女は、おずおずと腕を前に出した。それを受け取る事をせず、少年は少女の顔を凝視する。
 恥じらい、頬を染める少女。近くで見ると一段と可愛さが増す。やはり素晴らしい、と思う。
「えと、あの、これ……」
「………はっ!?」
 少女が困っていた。それに気付き、慌てて少年はバックを受け取る。ごめん、と一言言うのも忘れないが、声が上擦っていた。
 実は彼、女子に免疫が全く無い。遠巻きに見るならばとにかく、こんな間近で、しかも目を見張るほどの美少女を前にして、何かできる事など無いのだ。何をしようにも、何をしたら良いのかも分からない。典型的な思春期のウブな少年であった。
 それは少女も同じらしく、暫く二人は俯いてモジモジしていた。が、このままではこの状況は打開できないと悟ったであろう少女が口を開く。
「あの、助けて頂いて……」
「いや、あの、助けたとかそういう大袈裟じゃなくて……」
「でも、あの、助けてくれたじゃないですか……」
「あの、それは結果的にそうなったと言う訳で……」
 そうして彼らは暫く、『あの』の応酬をしていた。が、そんな二人に空気の振動が伝わってくる。
 ウーウー、というサイレンの、甲高い音。間違い無い、パトカーだ! しかもこちらに近づいてきているではないか。少年は、直感的に危機を悟る。
「ヤバイ、逃げよう!」
 言うが早いか、少年は即座に少女の腕を取った。同時、大急ぎで走り出す。
「え、あの、えぇ!?」
 慌てふためいた声を耳に入れ、尚且つ少女の掌を握った時、ふわりとした柔らかい感触が少年の掌中に広がり、何とも言えない温もりが伝わった。何だろうか、と思い、隣を見る。困惑の表情を浮かべながらも、一生懸命に走る少女。それを見て、自分が今生まれて始めて女の子の手を握っているのだ、と言う事に気付く。
 だから少年は、耳まで真っ赤になったのだ。
目次     NEXT
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送