第二章 「災難はまだまだ続く」




 放課後になって、ようやく溜息を吐く事が出来る時間になった。
 それを感じて、修は深々と嘆くのだ。
(コンチクショウ……!)
 と。
 彼が目の前にしているのは、今日出されたばかりの、土日の宿題である。面倒臭いプリントやらが、数学・英語と出され、週末にやれと吐かされた日にはいつものように自分の不幸を呪うしかないのであろうか。
(謀ったな、シャア……!)
 とりあえずは他人のせいにしてみる。
 しかし、何も起こらなかった。おしまい。
「終わんねぇよ!」
 スパーン、と直撃した光の掌に、微妙な殺気を感じ取って振り返った。
「今の、絶対に俺の責任じゃないよな……!」
 何だよ、終わんねぇって――!
 そう避難したのだが、
「気にすんな。気分だ、気分」
「何て奴だ!」
「いいから行くぞ」
「あれ、掃除は?」
「メンドイ。よってサボる」
「それで良いのか日本人」
「駄目なんだろうけど、いつもはやってんだから良いんだよ。ほら、行くぞ」
「でもなぁ。一回やらなかっただけで、結構響くもんだよ?」
「関係なし」
「うぅむ……でもま、良いかね」
 そうして二人は、さっさと校門を出るのである。
 今日は、昨日と違って良い天気だ。梅雨に入ったこの時期ではあるが、ここから一週間は晴れが続くだろうとの天気予報を信じて、修はそれなりに機嫌が悪い。この蒸暑い昨今、直射日光によって更なる苦しみを味わっているからである。
 少し行った所でサイクリングロードに入り、取り止めもない会話をする。いつものようにそれをこなし、いつものように普通に歩いていく。
「こないだ、久しぶりに良いゲームに当たってな」
「ほう。だから最近は余計に授業中に寝ているのだな?」
「それもあるんだが、もう一つ理由がある」
「ん? 何それ」
「お前がやたらに本を貸してくるからだ」
「いや、何故にそれが?」
「……お前馬鹿だろ」
「否定はしませんけどね」
「しろよ!」
「え〜」
「え〜、じゃない!」
 笑いながらも、今日も十字路に入る。光と別れ、ようやく安堵を表す事が出来た。
(今日も大丈夫そうだな……)
 少し引き摺ってる感は在るが――
 それが、今日見た限りでの光の精神状況か。流石に強い。多分、彼が同じ状況に立たされていたらああは行かないだろう。
 だからこそ、自分は比較的冷静に事態を見る事が出来るのだ。そう言う思いがあるから、余計に光が心配になる。
 ふう、と溜息を吐いた。今日も何とか、無事に過ごせそうな気配である。
 そうしてバス停まで来た所で、再び昨日のように少女の影があった。
 言わずと知れた、仲居 有希の姿である。昨日と違うのは、鞄の他に風呂敷きのような包みを持って居る事だろうか。
(およっ?)
 今日は何だろうか、と思う。そんな視線に気付いたかのように、有希が顔を上げた。同時、修の顔を見て表情を明るくする。
 少し駆け足で近づいてくる、少女の小柄な身体。足をつける度に揺れる豊かな黒髪は、ふんわりとして柔らかそうな雰囲気であった。
「修さん!」
 有希は嬉しそうに目を細めた。それを眩しく思いながら、
「有希さん……」
 修も、ゆっくりと歩を進める。目の前に来た少女は、頭一つ分くらい小さいので彼は下を向いた。
「どうしたの?」
「はい。昨日貸してもらったお洋服、洗濯して持ってきました。ありがとう御座いました」
「ああ、はいはいはい」
 流石にあれは置いとく訳にもいかないもんな、と修は納得。それに、あのTシャツは実は結構気に入ってたりする。
「ありがとう。折角だから上がってく?」
 お茶でもどうぞ、の意味だ。
「それじゃあ、お言葉に甘えて」
 有希はニコリと微笑んだ。修は先に立ち、マンションの中へと入って行く。
 いつも通りにエレベーターに乗り込んで、四階へのボタンを押す。有希が乗ったのを見て、あれ、密室に二人っきり? と期待しかけた。ドアが閉まり始めて――
「あー、ストップストップ!」
 同時に、風の如く入り込んでくる影が一つ。ハーハーと息を切らしながら入ってきたのその男を見て、修は露骨に嫌な顔をした。
(げっ!)
 ワックスで嫌と言うほどに固められた、艶々した黒髪は七三分け。黒縁眼鏡に切れ長の瞳と、百六十弱の身長。小奇麗な印象の白のワイシャツに黒のスラックスをはいた、ひ弱そうな体つきのそいつ。
 四階の、修の部屋の二つ隣に住む高次 修(こうじ おさむ)である。
 修はこの高次を毛嫌いしていた。
 同時に高次も修の事を嫌っている。何故かと言うと、修が在籍している波北高校に受験失敗し、近くの一段レベルの低い学校へ行っているのがこの男であるかららしい。修は比較的には大人しい少年であるが、この根性の捻じ曲がった随分と古い感じのガリ勉野郎が突っ掛かってくるので、高次はマンションの中でも修がもっとも嫌いな男であった。
 高次がこちらに気付いたように目線を向ける。その後で、チッ、と舌打ち。修は、この野郎、と思った。こっちもお前と密室になんて居たかないやい。
 スッ、とエレベーターが上がる。その時になって、高次は修の隣に立つ少女に視線をやった。ヤローの憧れである七瀬学園の制服に身を包んだ、可憐で麗しいお嬢様。目を見張るほどの美少女である有希を見て、高次がやはり目を見張った。
 その、ぎょろりとした気持ち悪い視線に、有希が気圧されたようにビクリとした。修は、高次に目線を投げる。が、奴はそれに気付かないようだ。修に視線を移した高次が、有希が修の袖を小さく摘まんでいる事に気付いた。
「矢崎、お前――。その子は矢崎の知り会いなのか?」
 信じられない、と言う風に眼鏡を架け直す高次。男としては高めの声が、カンに障る。
「そうだよ」
 ぶっきらぼうに答え、今が何階なのかを確かめる。既に三回を廻っている。後少し。
 だから、修は有希を安心させるように、左の袖を彼女の身体に密着させるようにする。高次が何かを喋ろうとした刹那、
 チンッ
 四階に到着した。
「じゃあな、高次」
 そういって、修は有希を連れてさっさと降りた。
「待てよ。お前、彼女なんて居たのか!?」
 高次の言葉。それを背中に受け、死ね、と吐き捨ててやりたい気持ちを懸命に抑える。後ろから近寄ってくる気配に、有希を引っ張って足早に部屋へと向った。
 因みに、高次の「彼女」と言う言葉に有希が顔を真っ赤にしていたのには、修は気付かなかった。



「何だよ、あの野郎……」
 ――気に入らねぇ。
 高次 修はそう呟き、自分の住む部屋へと向う。
 彼も一人暮らしであった。波北高校に通うに当たっては遠すぎる、と言う事で実業家の両親が取ってくれた部屋だ。残念ながら波北には落ちたが、そこから直ぐに在る別の高校へと入学した。
 それが、彼には悔しかった。溺愛されて育てられ、充分に甘やかされた分に、人一倍負けず嫌いな性格。頑張って勉強したにも関らず、矢崎 修などと言うどう考えてもダサく、そして頭の悪そうな感じの男に負けた。尚且つ、奴の両親は自分の親よりも実績も地位も高い人間らしい。その親の期待を背き、恵まれた環境を捨てた男。何においても自分よりも良い環境に生まれたくせに、それを使わないと言うのが一番気に入らない。あんな奴に負けて堪るか、と高次は思っていた。
 が――
 何故だ?
 さっき、矢崎と一緒に居た女の子。七瀬学園は、その学力もさる事ながら地位もそれなりに高い人間でなければ入れないような、お嬢様学園である。初等部からエレベーター式に大学まで進学できる、上品な風格を持った学校だ。彼の妹も何とかコネを使ってあそこに在籍しているが、正直にあの不細工なんかとは天と地ほどの差がある、それ程の美しさ。七瀬学園に一番似合っているような少女が、矢崎と一緒に居る。しかも、仲良さそうに身を寄せ合って!
 許せなかった。それは嫉妬であり、そして羨望である。自分が絶対に優位に立っていると思っている彼にとって、この思いは酷く大きい。くそっ、と毒づいた。
「ふんっ!」
 鼻息荒く、ドアの前へ。表札には高次 修の文字。彼は鍵を取り出した。
 その時、ふっと影が降りる。何なのかと思って横を向くと、身の丈180近い長身が、そこに居た。
「えっ?」
 外人、だった。金髪碧眼。碧の瞳は酷く澄んだ色をして、高次のそれを射抜いている。まるで鋭い矢の様に高次を貫いた視線に、彼は動きを止めた。
 男の手が、高次に向く。何故か、彼は反応できなかった。いや、出来る筈が無かったのだ。意識の外から外れたひ弱な体は、ガクガクと震えていたのだから。だが、魅入られたかのように男に視線を向ける彼には、それは分からない。
 男の掌が高次の頭に被さる。その時に、その掌に薄っすらと纏わりついた何かが見えた。碧の膜――それは、液体のように粘り気がある。が、光のように薄らとした、透き通った物。何なのだろうか。そう考えた瞬間には、高次の頭に男の掌が接触していた。
「ひっ――!?」
 ビクン、と身体が跳ねる。肉体の中に何かが流し込まれるような感覚。全身に行き渡った不快感が、頭に集中する。脳が割れるような激痛を覚え、嘔吐感に背を丸めた。
 頭蓋の中に、何かが満たされたような感触があった。だが、それが一瞬の内に消え、高次は闇を見た。
 彼は、意識を失ったのだ。



 少年の体が崩れた。相当のショックを受けたのだろう。ここまで精神的にヤワな人形も少ない。そう思い、スィンスは床に転がった少年の身体を担ぎ上げる。
「さて、と……」
 落ちていた鍵を拾い上げ、差し込む。廻すとカチリと音がして、ロックが解除された。
 ドアノブを廻すと、少年の身体を部屋の中へ。適当な所に転がすと、奥の部屋へと移動する。
「遅かったな」
 低い声が、出迎えた。そこには二つの影がある。第二特務部隊別働暗殺小隊の攻撃者二人である。
「そうですか?」
 スィンスは答える。小隊長としての自分の立場は変わりない筈なのに、彼は敬語を使った。クセの在り過ぎる二人を統率するのに、彼はもっとも適任な存在だ。この二人は、とにかく命令される事が嫌いである。だから、サッパリとしていて充分な実力を備えたスィンスが小隊長なのだろう。
「まぁ良い。これからどうするんだ?」
 浅黒い肌の、中東系の男――アリトゥが言う。必要以上の殺害を趣味とする、VAN内の逸れ者。珍しく、指名手配なんてものをされた経験のある男だ。
「明日には、ヤザキ・シュウの方は片がつくでしょう。後はゆっくりとナカイ・リョウイチを殺せば良いだけです」
「そうすればとっとと帰れるって訳ね?」
 軽い声がする。くすんだ金髪を長めに垂らした、ユダヤ系のバシルだ。
「そうですね。早く終われば休暇も取れるでしょう」
 スィンスが言う。日本人と言う人種は嫌いだが、この国自体は結構好きだ。軍部の人間だと言っても、一個人を殺害するのにこのメンバーならばそれ程手間取る事もあるまい。簡単な任務だ。
 彼はそう考え、ちらりと床に寝転がったままの少年を見る。彼は一体、どんな破滅を見せてくれるのだろうか――
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