第五章 「現れた災難」




「ユッキー!」
 名前を呼ばれて振り向くと、有希は親友の高瀬 綾が駆けてくるのを見た。
「綾ちゃん!」
 どうしたの、と言う風に首を傾けながら、靴箱から下履きを取り出す。
「今から帰り?」
「そうだよ」
 ニコッ、と笑むと、有希は上履きを脱いで靴箱のロッカーを閉めた。そんな彼女の隣に、綾は肩を並べてロッカーを開ける。
「じゃ、一緒に帰ろ」
 うんっ、と頷くと、何故か有希は頭を撫でられた。
「何で〜?」
 有希は撫でられた事に対して疑問を呟きながらも、先に行ってしまう綾の後を追う。まだ午後になったばかりの空は、快晴。梅雨時の纏わりつくような湿気を吹き飛ばすのは、七瀬学園の女の子達の、活気に満ちた声だった。
 今日は月曜日であるが、半日授業である。その理由は、近くにある公立波北高校の教師が最近多発している通り魔事件の被害者になってしまった事だ。すぐ近くと言う事もあって、生徒達の安全の為に早くに授業を切り上げた、と言う事である。早い時間に学校の束縛から解放される事に、生徒達が喜んでいるので、校門前は活気に満ちていた。
「ユッキーはこれからどうするの?」
 綾にそう聞かれて、有希は少し考え込む。
「う〜……ん。そうだね、お家に帰ってご飯を食べる」
「その後は?」
「どうしようかな。久しぶりに、ノンビリとお昼寝したいかも」
「あれぇ?」
 真面目に答えた有希に、綾が奇怪な声を発した。それに眉根を寄せ、
「え、なぁに?」
「今日は行かないの? ほら、あの、助けてくれた人のとこ」
「な、何で!?」
 有希は驚愕した。その表情に、綾は悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
「だって、好きなんでしょ? 距離も近づいてるって言って喜んでたじゃない。ここで畳み掛けなきゃ駄目なのよ?」
「た、畳み掛けるって……」
 如何にも経験豊富です、みたいな口振りの綾だが、有希とは初等部の頃からの付き合いである彼女。幼なじみみたいなものだけに、昔から七瀬学園で一緒だった綾は、有希と同じ箱入り娘である。故に恋愛経験も全くない筈だ。
(実は綾ちゃんも、何言ってるんだか分かってないんだろうなぁ)
 有希はそう想像した。
 でも――
「うん、頑張ってみるよ!」
 綾ちゃんの言うことも一理あるもの。
 そう思い、胸の前で軽いガッツポーズを取る。その仕草に綾はにっこりとして、
「その意気だよ! ファイト!」
 同じポーズを取った。
 暫くして、綾が道を右に折れる事で二人は別れる。ニコニコしながら手を振っていると、次に有希は昨日のことを考えた。
(修さん――)
 矢崎 修と父との対面は、最悪の形で始まったのだ。


「お、おとお、さん……?」
 困惑しきった表情で、修が河原に立ち尽くしていた。先程まで敵意に満ちた眼差しを向けていた相手――有希の父、良一へと、今度は丸く見開いた目を向けている。
「君に『お父さん』と呼ばれる筋合いはない」
 父が冷静にそう言ったのを聞き、修は少しムッとした表情を浮かべて一言。
「お父さんに『君』と呼ばれる筋合いはない」
 父のこめかみに青筋が浮いたのを、有希は見逃さなかった。
「お父さん!」
 有希は、再び制止の声を上げる。父の袖を掴む手に力を込め、きつく睨み据える。非難の視線を父親に向けることは多々あったが、ここまで厳しいものは今まで無かっただろう。
 少なくとも、有希の記憶の中には、父をこれほどきつく睨んだことは始めてだ。それはやはり、ここまで自分を育ててくれた父親に対して何処か負い目があったからだろう。しかし、今は違う。有希にとって、その父すらも越えるほどに大事な存在に手を挙げられた事に、彼女は怒っているのだ。
 そんな愛娘の厳しい視線に、父は一瞬だけ怯んだように顔を引いた。が、すぐに気を取り直したようにいつもの厳格な顔に戻り、有希に対して厳しい目を向けてくる。
「こいつか?」
 質問の意図は、有希にはすぐに分かった。だから彼女は頷いた。
「そうだよ。この人が、修さん」
 だから、失礼なことはしないで――
 有希はそう言いたかった。その意思を分かっているのだろうが、父は相手にしなかった。
 父は、呆然とした顔でただ立っているだけの修の方へと向けて足を進めた。その表情がより険になっていたことに、有希も表情を険しくする。
「お父さん!」
 ゆっくりと歩を進める父の後ろ姿に声をかける。だが父は取り合わなかった。
 修の方は、目の前に父の巨躯が表れたことでようやく我に返ったように、頭を下げた。
「あの、は、始めまして! 俺――いやいや私は矢崎 修と申しまして、あの、娘さんとは、その……!」
 ゴッ――!
 父は、修の頬を殴った。『力』を解放させていた父の拳が修を吹き飛ばし、彼の体を数メートルもの距離で接地させたのだ。
「っ、がっ……!?」
 修の呻きが聞こえた気がした。有希はその突然のことに口を覆い、声を出すことすら出来ない。
「私は仲居 良一だ」
 父は、よろよろと立ち上がる修に向けて、静かに口を開く。しかしその背中は殺気に満ちていた。
「貴様なぞに娘はやらん!」
 直後に起きたことは、有希には分からなかった。ただ、修がもう一度吹き飛んで、次の瞬間には有希の視界は暗転したのだ。
 彼女が最後に見たのは、倒れたままで動かない修の姿。
 彼女が目覚めて最初に見たのは、自分の部屋の天井だったのだ。


 有希は思い出して、少し頬を赤くした。恥ずかしいと思いつつ、修さんは大丈夫だろうか、と心配する。普通の人である修に、『力』――修の話に寄れば『具現力』と言うらしい――をもつ父の強烈な後ろ回し蹴りを防ぐことは出来なかった筈だ。恐らくその時は完全にノックアウトしたのであろう。その事を考えて、やっぱり今日は修さんの家に行こうと固く決意する。彼の容態が心配だ。
(そうと決まれば……)
 有希は、少し早歩きになった。早く家に帰って、ご飯を食べよう。その後におめかしして、買い物に行くのだ。彼の為に美味しいご飯を作ってあげよう。この前に挑戦した、自信の新作メニューをお父さんよりも早くお披露目してあげようと考えて、顔を緩める。彼が美味しい、と言ってくれるのを楽しみにしてるのだ。実は少し恥ずかしがり屋の修は、表立ってそういうことを渋るが、そんな彼の微妙な変化を見て取ると凄く幸せな気分になるのである。
 えへへーっ、と上機嫌で道を歩いていると、外国人が塀に寄りかかっている場面に出くわした。細身で長身、サラサラの金髪に端整な顔立ち。だが、何よりも特徴的なのはその碧眼。美しく澄んだ紺碧の瞳が有希を見詰めていることに、彼女は頬を赤らめた。
(どうしたのかな?)
 その真っ直ぐな視線に耐え切れずに、俯き気味に前を歩く。男性に見詰められる、と言うのは余り慣れない。
 そこまで考えて、昨日のことを考える。昨日の修は、凄く誠実な瞳で有希を見返してくれた。その誠実さを信じていたくて、彼女は彼の瞳を真っ直ぐに見ることが出来たのだ。あの後、父の邪魔が入ってこなければ今頃は、その、き、キス、とか……。
(きゃーっ!)
 一人で赤面して、一人で顔を覆う不思議な有希ではあったが、そんな不思議さに本人も直ぐに気付いた。しかも綺麗な白人の男性がこちらを見ていることを思い出して、一人で別の意味で赤面してしまう。
 たははっ、と苦笑いしながら、急ぎ足で白人の前を通り過ぎようとした。
 その瞬間に――
 トンッ
(えっ――)
 目前が闇に覆われる。
 首筋に走った強烈な衝撃に、身体に浮遊感を覚える。五感の全てが機能を停止し、彼女は気を失った。



 仲居 良一がその存在に気付いたのは、総監室で執務机に向っている所であった。
 窓の外から、射るような視線が在る。それを認め、ブラインドを上げた。
 カアッ――
「ほおっ……」
 途端に、木の枝に止まっていた一羽の鴉が近づいてきた。窓を開け、その鴉が咥えた紙切れを見る。
 そこには、携帯電話の番号が書いてあるだけだった。
(なんだ……?)
 疑問に思い、鴉を見る。すると、その瞳が明らかに変質しているのが見えた。
 濃い紫。鴉には有り得ない瞳に、それが具現力の影響だろうと見当をつける。
 恐らくは精神系。これを使って、鴉の脳を全て支配したのだ。
 直感だった。だが、それで間違い無いだろう。彼はそう思う。今まで自分をここまで導いてきた、信頼できる第六感が告げているのだから。
 窓枠に掴まって良一を見詰める鴉に背を向け、彼は執務机の電話から直接、メモされた番号をプッシュした。
 コールは五回。すぐに回線が繋がり、通話状態に移った。
『はい、どちら様ですか?』
 澄んだ声だった。受話器越しとは思えぬほどに明瞭に聞こえたそれに、少し驚きつつも答える。
「VAN、だな?」
『ああ、仲居さんですね。ちゃんとそっちに行ったんですか。いやぁ、良かった良かった』
「嘘をつくな」
『あれ、バレてました?』
「自信満々の声だな。下らん芝居をするな」
『そうですね。では、本題です』
 そこで一呼吸置き、男は静かに言った。
『娘さんはお預かりしました』
 ただ一言、そう言っただけなのだ。
「っ! 貴様――!」
 良一の表情が強張る。背中が大きく揺れ、怒気を含んだ声が密度を増した。緊迫、だ。
『あ、安心してください。無事ですよ。掠り傷一つありません。脳は揺らしましたけど』
「何が目的だ」
『簡単です。貴方に死んで欲しい。特別な舞台を用意したつもりです。そこまで来てください』
「来い、だと?」
『ええ。外に車が止まってる筈ですよ』
 良一は、鴉の視線を横に受けながらも窓の外を見る。確かに、一人の男が寄りかかった古めの車が、敷地の外に停車している。かなりの距離がある筈だが、良一の視線に気付いたのだろう。寄り掛かった男は手を挙げた。
「あれに乗れと?」
『そうです。因みに一人で来てくださいね。ズルしようとしても、ちゃんと見えてますから』
 言われて、良一は鴉に視線を向ける。首を傾げたこの鳥の視界を、男も共有しているのだろう。
「娘には絶対に手を出すなよ」
『分かってますって。安心して、私達の元へと来てくださいな』
 クスクスクスッ、と男は笑みを漏らした。聞いていて気持ち良いような笑い声だが、今の良一には神経を逆撫でするだけの物だ。
『あ、そうだ!』
 良一が受話器を置こうとしたとき、男は声を上げた。
「なんだ?」
『娘さんのボーイフレンドも呼ぶ予定ですから、お楽しみに』
 あははっ、と笑って、切れた。それに良一は眉間に皺を寄せる。受話器を置き、昨日出会った少年の姿を思い出した。
 良一に向き直ったときの、驚くほど正直な瞳。彼を射殺さんばかりの視線に、良一は嫉妬したのだ。
 それほどまでに有希を思う男が出現したことに。だからこそ、彼はその少年に手を挙げた。
 今になって思えば、自分は何て卑小な男なのだろうか。あの少年は、圧倒的な不利の立場を覆した。しかし自分は、他人に頼って向き合うことを避けてきたのだ――
(情けない、な……)
 せめて、有希の前では父親をきちんと演じてやりたい。その思いが、彼に歩みを進ませた。
 背広を取り、中に拳銃があることを確認する。予備弾倉を見、万全であると確信。
「後は結果だけ、か」
 呟き、彼は扉を開けた。
(若造には負けんよ……)
 その決意は、また会うであろう少年に打ち勝つ為に――



 月曜日。
 波北高校は、授業をしなかった。
 昨夜、学校の敷地内で凄惨な惨殺死体が発見されたのだ。夜十時頃、戸締まりを確認した当直の教師が外に出て自宅に戻ろうと思った所、二時間前に帰宅した筈の同僚の車が残っているのを発見し、敷地内を捜索した。そして、職員駐車場の外れにある茂みで男性の遺体を発見したのだ。
 殺されたのは、数学教諭の嘉手納平 田五郎。三十に届かないくらいの、精悍で人当たりが良く生徒に人気のあった教師であった。
 殺され方が、最近多発している通り魔事件に酷似していることから、いずれの事件と同一犯と断定され、警察が調査を開始した。その間に、学校側では嘉手納平教諭の死亡を全校生徒に通達し、急遽、全校集会が開かれた。そこで簡単な説明を受け、黙祷を捧げるのである。第一体育館に集められた生徒達――主に女子生徒――のすすり泣く声が時々、空気を震わせる。間近で起きたにもかかわらず実感のなかった殺人事件が、急に身近になったことから、生徒達を始め、学校関係者全員のショックは大きかった。第一体内の空気は思いの外重かった。
 嘉手納平教諭は、人望が厚かった。それゆえに生徒達の精神的なケアが必要だと判断した学校側は授業を中止し、午後には生徒達を帰宅させる手筈になっていた。それとカウンセラーを呼び、生徒達の精神面でのサポートも行う予定だ。
 修は、一連の動きがVANによる物なのだろう、と感づいていた。それは当然、光も感じ取ったのだろう。集会が終わり、教室に戻る最中に彼は修に耳打ちしたのだ。
「もしかして、VANの……?」
 それに対して、修は首を振った。曖昧な否定。それは、分からない、なのか、違う、なのか、光にも分からなかっただろう。しかし、修はそうするしかなかった。
(光を戦わせる訳にはいかない。まだ駄目だ。全てを説明するのは、まだ早すぎる)
 修の中で、唯一明確な考えだった。正直言って、それ以上は分からないことだらけなのだ。
 教室に戻った生徒達は、HRで担任から簡単な説明を受けた後に下校となる。そんな中で、修は密かに後ろの気配を探る。窓際――つまり自分の列の後方に、強烈な殺気を放っている女子を見る。普段から存在感が希薄な少女だが、事情を知っている修には彼女が抑え付けている殺気を見ることが出来た。
 机の中を探り、不必要なプリントを小さくちぎって裏面にシャーペンを走らせる。担任の話が終わり、生徒達が不安の中で席を立ち始めたときに、修はポケットティッシュを取り出してわざとらしく鼻をかんだ。
「ちょっと捨ててくるわ」
 光に言い、ごみ箱を目指して後方へ。その時に、先程の女生徒の席の前を通ろうとした。
(うっ……!)
 静かな気迫で周囲を圧倒しているのは、クール・ビューティーの渾名で密かなファンが多い紅 霞(くれない かすみ)。切れ長の双眸に整った顔立ち、他人を寄せ付けない独特の雰囲気が、ヤローの憧れを掻き立てる美少女だ。
 修は、そんな彼女の横を何食わぬ顔で素通りした。しかし、先程の紙切れを素早く渡すことを忘れない。
 一番後ろに回った所で直角に曲がり、屑篭にティッシュを捨てる。振り向くと、霞の冷やかな視線が彼を見ていた。その圧倒的な質量に、黙って視線を返す。
 一瞬の睨み合いの後に、少女は再び視線を逸らして帰り支度を始めた。殺気が少し衰えた所を見ると、今回は退いてくれそうな気配だ。
 修が霞に渡した紙切れには、ただ一言こう書いてあった。

 『今は動くな』――

 彼女は、具現力について理解している者の一人である。VANに対抗する組織(恐らくは民兵だろう)に所属している、と言うことだけが分かっており、かつて光や修と関ったことがある。
 だからこそ、自分のやることに手出しをして欲しくなかったのだ。中立、と言う曖昧な立場を取っている光に、今回のことを知られる訳にはいかない。知られてしまったならば光は戦おうとするからだ。今の状態でまたあそこに戻すことは、不安が多すぎてとても出来なかった。
 修が霞にこのメッセージを残したのは、危険を回避する為だ。彼ら反抗勢力(ROVというらしい)が動き出せば、光と接触する可能性も高いのだ。だからこそ、修は何とか秘密裏に、これを終わらせたかったのである。
 それに、今回は光だけではなく有希がいる。彼女が能力者だと言うのはまだ知られていないらしい。そう直感した修は、彼女に危険が及ぶのも避けたかったのである。
 不安定要素を排除する。光のときのように、VANもROVも有希に危害を加えないとは言えないのだ。
(あとは……)
 自分の席に戻って、適当に鞄の中に物を詰め込み始める。と言っても、元々の荷物が少ない修なのだ。数秒で帰り支度は整った。
「行くぞ」
 光が言う。それに、おおよ、と答えつつも、霞の方向に一瞬だけ視線を向けた。彼女はいつもの無表情で静かに教室から出て行くだけ。
 大丈夫かな、と思いながらもすぐに視線を外し、光と一緒に昇降口へ。強制帰宅の為に居残りする生徒はいないので、昇降口は混雑していた。
 そっと視線を走らせる。どこか思い空気の玄関に、しかし修の求める影はなかった。
「居ない、か……」
 その呟きが聞こえたのだろう、光が振り向く。
「居るぞ?」
 やや間の抜けた返答だ、と思ったが、修は自分が口に出していた、という失態に気付いて内心で苦笑。しかしそれを表に出さずに、
「お前じゃねぇよ」
 笑いながら答える。その間に自分の外履きを出し、それを履きながらも上履きを中へ。靴を引っかけたような状態のままに修は玄関を出た。同時に、素早く視線を走らせる。三年生の昇降口を見るが、やはり目的の人物は発見できなかった。
(くそっ!)
 毒づく。そのまま正門へと向い、再び視線を左右に。しかしやはり見当たらなかった。
 駄目か、と思いながら先に進むと、やや早歩きで光が追いついてきた。
「どうしたんだよ?」
 こちらを窺うように眉根を寄せる光。少し焦ったような一連の行動が気になったのだろう。
「朧さんを探しててな」
 それは、事実だ。
「何で朧先輩を?」
「今回の事、あの人なら何か知ってるんじゃないかと。ね?」
 それだけを言って、再び歩き出す。見当たらないのならば仕方がないのではないか、と思えた。
 光も納得したようで、修の隣に立って歩き出す。身長が高めの光の横顔を少し窺うと、修の言った事を少しも疑っていないようだった。
(馬鹿正直というか何と言うか……)
 少し胸を撫で下ろす。彼が三年生の朧 聖一(おぼろ せいいち)を探していた理由は、他に有ったのだ。
 朧 聖一。波北高校三年生で、光と同じ風紀委員に所属している人物だが、彼の正体は具現力の覚醒者であり、同時にVANにもROVにも、当然他の組織にも属さない第三者的な存在である。
 光と同じ、中立的な立場を表明した人物なのだ。その不安定な立場を、彼の『情報収集に秀でている』という能力特性を使って両組織に情報提供をする事で、『仲介屋』の立場を獲得した人物らしい。修がさっき光に説明した、彼ならば何かを知っているだろうという理由は、そこから来ているのである。
 だが、実際は違った。修が彼を探しているのは、その情報を何とか隠蔽させる事を目的としたのだ。それが出来なければ、ROVに今回の事が渡って、本格的な掃討戦に突入する可能性がある。
 そこに、自分達が巻き込まれているという事まで明るみに出れば、光にも、もちろん有希にも何らかの接触が有るのだろう。そう、想像できた。それに、聖一がVANに有希の情報を与えれば、彼女に直接の気概が加わる事は明白なのだ。
 だから、口止めしたかったのだ。有希に迷惑をかけるのだとしたら、それは修の意に添わない事である。
(その時は――)
 全力で護ってみせよう。修は、決して自分を過大評価している訳ではない。だが、その微々たる力でも幾らかの応戦方法は考えている。何よりも、彼は最悪の事態を考えて行動できるだけの冷静さがあった。
(巻き込むかもしれないな)
 ちらり、と光を見た。彼の力があれば、大抵の敵は何とか撃退できるだろう。が、まだその時ではない。それが一番の問題なのだ。
 二人は人気のなくなるサイクリングロードまで来ると、今回の事件に付いての意見を出し合った。何とか逸らかそうとする修の努力が実ったのか、効果的な対処法も見付からぬままに河原方面まで来る。
 そこでふと、光が口を開いた。
「ここら辺だな?」
 一瞬、何の事だか理解できなかった。だが、その場所を見て納得する。ああ、と言った。
「悪かったな」
 苦笑いを口元に浮かべて、それだけを言う。と、言うよりもそれしか言えなかった。
「あの時はビックリしたね。いきなり倒れてんだもんな」
「まっ、たまにはそういう事もあるさね」
「で、ホントにどうしたんだよ。そろそろ教えてもらってもいいだろ?」
「若気の至りさ。調子に乗り過ぎて、相打ち」
 笑いながらも、その時の事を思い出す。昨日の夕方、仲居 有希の父に吹き飛ばされた後の事を。
 実は、その時の事は余り記憶にない。ただ、時刻が夕刻を少し過ぎた頃、河原で伸びていた修は揺り起こされたのだ。
 誰に――?
 光に。
 日が完全に沈み、夜の藍が全てを包み込もうとしていた頃に、気まぐれに修の家を訪れようとしていた光が彼を発見し、保護したのだ。周りには依然として、操られていたと思われる五人の男共も一緒に伸びており、光には喧嘩の末の相打ちと話してある。
 それだけしか、説明していない。立つ事すらままならなかった修は、光に支えられて部屋に戻ると、死んだように熟睡したのだ。
「ま、平たく言えば、こないだの因果関係だよ。先週の日曜に絡まれた男達、って訳さ」
「あ〜っ、成る程ね。しつこいんだなぁ随分」
「それでも相打ちってのは凄いよな。自分で少し感心したさ」
 二人の間に緩やかな時間が、再び流れ出したような感覚。それを思い、良かったと安心した。
 そのまま、彼らは別れた。ただ、後から修が光の家にいくと約束するのは忘れない。本来ならば一人暮らしの修の部屋の方が良いのだが、光の家の方が落ち着くのだ。それに、この時間ならば彼の家も誰も居ない筈である。
 修は一人で直線を進む。そのままバス停へと向う途中で、一台の車を見付けた。其処によりかかる男の姿と一緒に。
 そいつは、修を真っ直ぐに見詰めていた。その視線が修に直感させる。
「VAN……!」
 苦々しげに呟いた直後、彼の携帯電話が震えた。マナーモードのバイブレーション機能。見ると、有希の携帯電話である。
(有希ちゃん……?)
 この時間に? と思った。まだ午後に差し掛かったばかりだ。
「もしもし?」
 何だろうか、と思いながらも電話に出る。直後に、彼は硬直した。
『ヤザキ・シュウ君ですね?』
 男の声。流暢な日本語だが、やや訛りのある感じは、日本人ではない。修はそう感じた。
「誰だ?」
『分かって、言ってますよね?』
「……いいや、VANの誰だかは知らない」
『フフッ、そうですね。私はスィンスという者です。コウジ君を嗾けたのも、私ですよ』
「そうか。で、今度は有希ちゃんを拉致、か?」
『ええ。あ、でも変に勘ぐらないでくださいね。暴行とかそういう類いの事はやってませんから』
「やってみろよ」
 暗い、恐ろしい声音が修の喉を震わせた。
「死ぬぞ?」
 クスクスクスッ、と笑い声が響く。その後に、怖いなぁ、と続いた。
『大丈夫ですよ、心配しないで。それで、この子を返して欲しかったらここに来なさいって言う事です』
「目の前の車に乗って?」
『その通り。物分かりの良い少年で助かりましたよ』
 チッ、と修は舌打ちした。
「良いだろう、乗ってやる。絶対に何もするなよ」
『それは貴方に対してですか? それとも……』
「分かりきった事だろうが。彼女には何もさせない」
『ご心配なく。それと、一人で来てくださいね』
「分かってるさ……」
 直後に、電話は切れた。それと同時に男が近づいてくる。修は素早く光の電話番号をプッシュした。
『はいよ』
 コール二回で出る。修は、怒りを抑えた簡潔な答えを言うだけ。
「わりぃ、今日はキャンセルだ。親父の迎えが来てやがる」
『そっか。ま、しょうがないわな。頑張れよ』
 PWRを押して電話を切ると、彼は自らも男に近づいていった。髪を逆立てた長身の異人。浅黒い肌に金髪という組み合わせの、いけ好かないタイプだった。そいつが、乗れ、と指図してくる。修はドアを素早く開けると、後部座席へ滑り込んだ。
 男も運転席へと乗り込む。こいつも能力者なのだろう、一般人である修への反応に、警戒心の欠片もない。殺ろうと思えば、いつでも殺れる――つまりはそういう事なのだろう。
(くそったれ!)
 内心で毒づく。発車した車の慣性に、身体をシートに埋めながらも、修は自身から溢れる殺気に身を震わせた。
 それは、愛しき少女の為の震え。



「やっぱり有りましたよ。彼女は父親に対して、かなりの負い目がある」
 スィンスがそういうと、アリトゥは顔を上げた。先程まで、偶然にも通りかかってしまった不幸な目撃者を細切れにする事に精を出していた彼は、既にその死体への興味を失ったようだ。
「つまりはどういう事だ?」
 聞かれたので、苦笑で返す。自分の能力は分かっているだろう、と言う思いがそうさせた。
「人形化が可能だと言う事です。ナカイ・リョウイチに対してのコンプレックスを利用して、攻撃をさせる。そうする事で、抵抗の出来なくなったヤザキ・シュウも同時に殺害が可能となる」
「そうか」
 アリトゥは、眠り続ける少女の顔を覗き込んだ。皆が同じ顔に見える日本人ではあるが、この少女は、別物だった。ハッキリとした目鼻立ちに、厚めの唇。艶やかな黒髪に、白人とも一線を隔すような、木目細かく透き通るような白い肌。間違い無い上物だ。未だに発展途上ではあるが、将来はハリウッド・スターもどうかと言う程の美人になるのではないか。スィンスはそう考えた。だからこそ、アリトゥも興味深げに少女を観察しているのだろう。実際にこの娘を見たのは始めてだったのだ。
 バシルは惜しい事をした物だ、と思う。この中では一番、俗っぽい彼は、この娘を自分の物とする事に人生の四分の一くらいはかけそうではないか。まぁ彼は既にこの世にはいないが。
「最終的には、その罪悪感を利用してVANに引き入れるつもりです」
「何故だ?」
「世界的に珍しい、治癒系の能力者です。これだけの美人ならば前線の兵士の士気を上げる事にもなりますよ。後方支援としてはこれ以上の適任者はいないと思いますけどね」
「ふむ。そういう考え方もあるのだな」
 その計画には興味はない様だ。とにかく、スィンスは自分の作業に戻った。アリトゥが、今度はこちらに視線を向けている。その間に工作員が、ズタズタの死体を車外に下ろしていた。一連の事件の被害者に見せかける為だ。
 眠っている少女を見る。昏倒させ、その直後に薬品を投与する。そうする事で作業の途中に覚醒する事を防ぐのだ。監視班の連絡から、精神的に強いと聞いていた為に、覚醒状態にあるならば『人形化』ができないのではないか、と言う懸念からだ。意識が沈んでいる今ならば、少女は無防備なままなのである。
 少女は、美しかった。幼いのは年齢の為だ。まぁ、童顔なのだろう。年を経ても幼く間違えられるのではないか、と言う予測も出来たが、それは特に感知するレベルの物ではない。その少女を覆う、紺碧の粘液のような流動質の物質が、スィンスの防護膜を変化させた特殊な『洗脳用具現力』の元である。この少女は、人形に成り下がるのだ。
 監視班の報告には、この少女が美しい白銀の輝きを持つ瞳をしている、とあった。世界中どこを探しても、そんなミスリルの具現力などは発見されていない。恐らくは世界でたった一人の輝きを持つ少女。その光を、早く見たいと思った。
 スィンスは、死んだように横たわるナカイ・ユキの頬を撫でてみた。美しい弧を描いた頬の弾力は優しく、張りがある。この子はどんな絶望を見せてくれるのだろうか。能力発揮の直後に思い浮かべる想像は、今日は一段と楽しみな物になった。
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