「クールな密会」




 真夏には少々遠いまでも、梅雨明け直後の蒸した空気に寝付くのが面倒になる季節。窓全開で熟睡する修が居るのはリビングであった。怠惰な彼の心が遂に、自室のベットに行く事すらも放棄し始めた証拠である。ソファーに寝転がったまま防寒具無しで気持ち良さそうな寝息を周囲に振り撒いている彼には全くと言って良いほど緊張感が無かった。
 だが、仮にもスーパー高校生。緊張感の無いレム睡眠に眉をピクピク言わせていたとしても、全開だった窓から人が上がり込んでくる気配を察知すれば、流石に反応するのだ。
 カタン。許容範囲と言える小さな空気振動を瞬時に識別し、上体を起す。後ろを振り向くと、長身の影がそこに居た。
 暗がりの中で月に照らされる男の姿。深い陰影に、修はその存在を理解した。
「お前は確か……!」
「クライクス・ゼフィアール。元第二特殊機動部隊長だ」
 静かな声は耳に心地良かった。男はまるで周囲に溶け込んでいるかのように違和感の無い雰囲気を醸しており、普通の人間だったのならば気付きもせずに睡眠を続けていた事だろう。
 だが、修にはそれができない理由がある。クライクスには昔、少し痛い目に合わされているからだ。あの時は真面目に死ぬかと思ったし、それ相応の深手も負わされている。嫌な記憶しかないので修は心底から迷惑そうな顔をした。
「何しに来やがった。VANの奇襲は御家芸か?」
「確かに奇襲は組織としての御家芸だが、別段、今回はそんな事で来た訳じゃない」
「じゃあ何だよ。こないだの雪辱でも果たそうってのか」
「まぁ、それに近いだろうな……」
 濁した言葉に眉を寄せる。その一瞬の後に、クライクスから何やら白い物が飛んだ。
 おわっ、と悲鳴を上げながらもそれをキャッチ。すると何やら手の形をしているではないか。
「……手袋?」
 白くてピッチリ系の手袋が何故か片方だけ。
「少し古臭いとは思ったんだがな……」
 照れたような声音に視線を上げる。クライクスは何故かその後に、一応フランスだから、と訳の分からない事を口走っていたのだがあえて却下。
「決闘を申し入れたい」
 真面目な口調に少したじろぐ。
「け、決闘?」
 古くないか。なんて思いつつ。
「だ、だから手袋?」
「騎士の決闘法はこれだったからな。ヨーロッパの伝統だ」
「ヨーロッパ? さっきから何いってんのあんた?」
 困惑がある。修の仕入れた情報によると、クライクス・ゼフィアールはユナイテッド・ステイツの人間だ。
「だから、『元』って言っただろう」
「そう言えばそんな事を聞いたような聞いてないような。つまり?」
「トバされたんだ」
 世に言う左遷。
「ヨーロッパに?」
「フランスに」
 うんうんと頷きながら話すクライクスに、修は何故か自分と同じような匂いを感じた。と思った。多分。
「んで、なんで決闘なのさ。誰かに言われたのか?」
「いや。俺の意思だ。どうしてもお前と決着をつけたいと思った」
「じゃあ光呼んでこなきゃ」
「その必要は無い。一騎打ちでやらせてくれ」
「えー」
「真夜中にすまんと思っている。だが個人的な頼みだ。これはVANの如何なる作戦行動でもないからな、独断専行を犯してまで来たんだ。俺を立ててくれないか」
「それなりに紳士的なのね……。でもじゃあ、見つかんない? 見張りが結構居るんだけど」
「奴等に俺は見えんし、気付かれる事も無い。場所としては近くの公園を使いたいと思う」
「あの、最近ヤケに死体発見例が多い所か。ちょっとヤだな」
「細かい事情は知らんが、それは良いと取っても構わんのか?」
「まぁ良いでしょう。殺す殺さないとか無しだよね」
「決闘だ。殺す気で行く」
「えっ!?」
 とっとと飛び降りようとするクライクスに、修は驚愕の視線を向ける事しかできなかった。



 確かにこの公園は、最近やけに死体発見例が多い場所であったが、それは一人の殺人マニアが行った犯行であったので特に危険ではない。その殺人マニアに裁きの鉄槌を下したのは、他ならぬ修だからだ。
 ただ、少し困った事に照明が少ない。と言うか無い。何故かその殺人マニアの通り魔事件の期間中に何者かによって割られていたのである。と言ってもその殺人マニアの仲間と修の知り会いが死闘を繰り広げたのが要因らしい。本人から聞いたので間違い無い。
 そんな由緒ある場所で、修はクライクスと対峙していた。修としては内心ヒヤヒヤものだったが、何故か見張り要因は修達をスルーしていた。確かに気配は感じていたのだが、彼らはまるで気付かないかのように素通りさせてくれたのである。不思議なもんだなぁと修は感じていた。クライクスが何かをしていたような雰囲気ではなかったからである。
「ここらで良いな」
 クライクスはそういうと、双眸を輝かせた。黄金が栄え、空間を異質に歪める。
「ズルッ!」
 言って、修の視界に闇が降りる。しかしそれは決して邪魔になる物ではない。いや、寧ろ視界がより研ぎ澄まされ、暗闇の中をあるていど識別できるくらいである。
 発起を終えて身構えた修。だが、気が付いた時にはその空間は明るかった。
「な、なんだ?」
 昼間、と言う訳ではない。だがそこは自然な明るさに支配され、視界が随分と良好になっている。しかも他は全くと言っていいほど変化が無いではないか。修はクライクスの意図が分からず呆然とした表情を向ける。
「この空間は壊すなよ」
 淡々と、男は言った。
「ここが決闘場だ。ここならどれだけ暴れても構わない。俺が創った疑似空間だからな」
「つまりコピーだな」
「その通りだ。コピー空間を更にずらして接点を変えた。出る事はできるが入る事はかなわない」
「なるほど、お誂え向きだ」
 修は笑った。クライクスの能力が空間形成である事を知っているのだ。その万能性に触れて、便利だな、と少し羨ましく思いながらも、
「じゃあアイツ等が気付かなかったのも?」
「俺の力だ。最小限の気配を消すくらいなら、無覚醒状態でもできる」
「便利だ」
 本気で羨ましい。
「俺もそう思ってる」
 クライクスの苦笑い。
 一瞬だけ、空気の険が取れた。無駄な緊張感が消えたのだ。
 だが、それもほんの一瞬だけ。クライクスはすぐに表情を変えた。
「フィールドは公園内。そこから外は通常空間に戻るから気を付けろよ。ここも一応、VANの監視区域としてパトロールが巡回してる」
「どうしてもやらにゃならんのだな……」
 溜息一つ。
「当然だ」
 強い口調に、修が構える。やる事は決まった。クライクスの本気、受け止めてみせよう。
「始めよう。俺も本気で迎え撃つ」
 緊張が張る。頬に静電気のような衝撃を感じ、精神的な重圧が修に圧し掛かった。
(なんの!)
 動く。情報の超高速処理、それが修の特殊体質。故に、彼は視覚情報を随時、正確に補正する事を可能とした。静かに、ゆっくりと流れて行く視界。それと同じように、全情報が五感の全てを通って素早く、正確に理解できる。視界内のクライクスに具現力の防護膜が無いのを確認し、事前情報通りだと言う事に笑みを浮かべた。
 空間形成に防護膜特性が無い事は知っていた。それゆえに、通常の具現力に比べると肉弾戦闘能力が格段に落ちる。接近戦で行けば確実に仕留められるだろう。
 そう踏んで意気込んだ。瞬時に距離を詰めて、ハイキックの一撃。
「……迎え撃つんじゃなかったのか?」
 そんな声が聞こえた時には、既に蹴りが空を切っていた。遠心力に体が引っ張られると同時に、しゃがんでいたクライクスが反撃してくる。
(っ、のぉ!)
 これが人間の速度か、と思う程に拳が速く、受け止めると、重い。体重が乗りきっている。同時に巧みなステップで攻撃を切り換え、蹴りに入る。それを何とか防いで、後ろに下がった。
「お前、ホントに人間か?」
 思わずそんな疑問が漏れる。
 今の修は通常よりも数段、身体能力・知覚能力が高い筈だ。しかしその攻撃を、奴はあまつさえ避け、しかも反撃までしてきやがった。
 クライクスが不敵な笑みを浮かべる。
「格闘技術ならVANでも随一だと思っている」
「……だろうね」
 左腕を軽く振った。正直、少し痺れている。まさかこんなに重いとは思いもよらず。
(特殊部隊長、か……) 
 今まで、クライクスのその地位は生まれついての能力ゆえだと思っていた。だがそれが大きな間違いである事を知る。彼は天性の才能の他に、血を吐くような努力を重ねて来たのだろう。出なければ、絶対的な『眼』を持つ修が彼を見失い、尚且つ一撃を食らうような事はない筈だ。
「面白いかもね」
 驕っていたのだろう。自分をそう分析する。一度だけ、クライクスを退けた。それにしがみ付いていたのかもしれない。自分が一番やってはいけない事だと思っていたにもかかわらず。
 約束破りだ。そう思った。これでは親友に申し訳ない。
「来ないのか?」
 クライクスの声。修は笑みを浮かべた。
「まだまだ、やる!」
 駆ける。同時にクライクスも動いていた。静かに、修の視線がクライクスを追うと、彼の練達が見て取れる。
 今まで戦ったどんな存在よりも、その動きは優雅で、洗練されていた。修の一挙手一投足を見逃す事無く、またこれまでの状況を鑑みて、動く。素早く、また美しい。
 凄いな、と思った。
 ザッ。修が跳ぶ。低い跳躍に上体を下げ、地を這うかのように接近すると、瞬時に足を出した。
 地に右腕を付け、そこを支点に足払いをかける。それに、クライクスが予期していないスピードで遠ざかった。
 しまった。そう思い、天を仰ぐ。同時に体勢を直して、修は前の空間に手を伸ばしていた。その手首半ばからが唐突に消失し、直後に耳元で硬質な物が割れる音がした。
 後ろで、ザッ、音がする。腕を引っ込めると、修は振り向いた。
 クライクスが居た。彼の顔が険しい事を読むと、修は笑みを浮かべた。
「残念でした。少し位は頑張ってるんだよ、こっちも」
 それが憎まれ口だったのは事実だろう。それに、クライクスが薄く笑みを浮かべる。
「動きが洗練されてるな……」
「褒められるとは思ってなかったよ」
 小さく、笑う。少し嬉しいかな、と付け足した。
「準備体操だよな?」
「当然だろう」
 クライクスの問いに答えた時には、二人はほとんど同じ動作をしていた。修は腰に手を伸ばし、クライクスは背中に手を差し入れる。
 修が危険を察知すると、彼は絶対的な安全行動を取った。ゆっくり動くクライクスの動作がある物を想起させたのだ。故に、修は、屈む。回避と言うのが最良だと、本能的に、思った。その反射が少し間違っていたと思うのはその後だ。
 逸早く異変を察知したのは鼓膜だったろう。瞳の方が情報は早かったのであろうが、情報量の膨大さに処理が少しだけ遅れた。その分、鼓膜は、空気振動を正確に認識している。
 鼻孔を擽る火薬の焦げた匂いも理解している。パンッ、は修が聞き慣れた発火音であった。瞳で確認したのは、鉛弾が通る軌跡である。そこまで正確に見えてしまったのであれば、もう確信しかなかった。
 クライクスの持っている物が銃である事を認識する。瞳を絞り、形状の確認。スライド部の削られた特徴的な形に、それがイタリア製の自動拳銃であると確認した。
「ベレッタか!?」
 ピエトロ・ベレッタ製オートマティック・ピストル、ベレッタM92F。ハリウッドのみならず今ではコルト・ガバメントと並んでアクション映画には無くてはならない存在となったこの大型自動拳銃は、アメリカ軍が正式採用した事で一気に知名度を上げた。弾薬は事実上の世界標準拳銃弾となった九mmパラベラム。独特の形状が多くのユーザーに受け、世界でも非常に人気の高い銃である。
 有名な拳銃だと言っても、日本は銃刀法と呼ばれる世界的に珍しい武器所持全面禁止法が存在する国なので、本物を見る事はほとんどできない。在日米軍基地に行けば見られるかもしれないが、わざわざ忌み嫌っている場所に踏み入れる事も無いだろう。日本の警察はミネベアの六連発式国産リボルバーを使用しているし、修と馴染みの深い自衛隊は使用弾薬こそ同じだが、ドイツ製の拳銃をライセンス生産している。つまり修は本物のベレッタM92Fを見るのは始めてなのだ。
 だから少し感嘆した。その特徴的な形状が美しさすら喚起させる拳銃だからだ。故に何回かは修もこの拳銃に憧れもした。
 その心を察したのか、クライクスが、
「アメリカ軍のM9ピストルだ。SEARSからわざわざ拝借して来た」
 と胸を張った。
 その言葉に違和感を覚える修。思わずそれを聞いている。
「M9? M92FSだろう?」
 修の言葉にしかし、クライクスは余裕の笑みを見せた。
「ピエトロ・ベレッタは確かにM92Fという商品名で出してはいるが、アメリカ軍では軍用正式名称として『M9』の名を付けている。ほら、コルト・ガバメントも『M1911A1』だっただろう?」
「ほーう」
 と感心してから、
「でもあんた、M9って『ガーンズバック』じゃないんだから……」
「それは他の人の小説だから止めときなさい」
「知ってんの!?」
 ……とりあえず気を取り直して。
「お前はP220A1か……」
「おーよ。スイスはシュバイツィッシュ・インダストリー・ゲゼルシャフト――通称SIG社の自動拳銃、シグ・ザウエルP220だ!」
 と胸を負けずに張った。
 が。
「少し違うな。シグ・ザウエルは元来、スイス工業――つまりシグだ――と、子会社化したドイツのザウアー&ゾーンの協同製作で拳銃でな。ザウアーがシグを離れた時に、商標も持っていったから、シグ・ザウエルは現在、ドイツ製になっている」
「あ、そうなの……?」
「そうだ。因みになぜ自衛隊が発展型のP226にしないのかというと、政治的思惑から装弾数十発以上のスタガード・カアラム式オートマチックの使用に疑念が持ち上がっているからだ。複雑な様相を呈しているから、九発しか入らない220拳銃を使用しているといっても良い」
「ほーう」
 と感心した。
 しかしそこで、ハッ、と気付く。
「何で俺がお前に拳銃講座を受けなきゃならんのだ!」
「そうだ、なぜ俺はお前に親切にこんな解説を入れてやっているんだ……?」
 瞬時に自我に目覚め、同時に拳銃を構える。トリガー。銃口から放たれる九mm弾が、同じ射線でぶつかり、互いに弾かれる。その様を修はしかと見た。
「くっそ!」
「シット!」
 互いに動く。修が右側、クライクスは反対から見て左側に。先に銃口を上げたクライクスに、その直線距離を測って修が銃身を向けた。発砲、遅れてまた発砲。二つの銃声に、修は神経を集中させて自分に向ってくる弾を回避し、尚且つ追撃にトリガーを引き続けた。
 だが、クライクスもまた、修の攻撃を尽く避ける。それに痺れを切らして、修はある事に思い至った。
(手数が足りない!)
 思い立ったら即実行。空間に穴を開け、修は、そこにシグ拳銃を放って、代わりに別の物を引っ張り出した。
「なにっ!?」
 クライクスが驚愕の声を上げる。それに、修は、銃口を向ける事で答えた。
「俺あなぁ、自衛隊の歩兵武装ならほぼ全部持ってんだよ!」
 半ばキレ気味で、その引き金を引いた。ベルギーはファブリック・ナショナル社のM249軽機関銃――ミニミ・ライト・マシンガン。全長1040mm、重量7100g、ガス・ポート調節により毎分1000発の5.56mm弾を放出できる、世界各国で使われる分隊支援火器である。銃身下部のアーモ・ボックスにベルトを収納し、現時点で二百発、装弾されているが、フル・オートならばわずか十余秒で全弾を吐き出してしまう、歩兵十二人分の火力といわれるほどの、個人戦闘では余り過ぎるほどの化け物火器である。
「おらぁぁぁぁぁ―――――!」
 咆哮し、引き金を押し込んだ。バババババッ、銃口に恐ろしいほどのマズル・フラッシュが灯り、クライクスに向けて無数の弾丸が飛来していく。それに空間を張って逃げるが、修は一つ一つの弾丸に丹念に空間破壊作用を附帯させてクライクスを追った。
「無茶苦茶するな……!」
 恐ろしいほどの弾丸の炸薬音の中、しかし修にはクライクスのそんな呟きが聞こえた。それにかまわず、少しイっちゃった人の目付きで唇を吊り上げ、弾丸を弾き続ける。大量の薬莢がエジェクション・ポートから放たれて地面に落ちて澄んだ音を奏で、銃声と交じり合い、耳に強すぎる刺激を送った。
 しかしそれも長くは続かず。チェンバー内に装填される弾丸が切れ、リンク・ベルトが排出された。弾切れ。それを狙って、クライクスが両手を向けてくる。
 そこには箱が存在した。箱のような四角の銃身に、銃把からはみ出した長いマガジン。イングラムM10サブマシンガンである。
 パパパッ、と連続した射撃音に多少、頭を冷やして、回避行動をとる。だが修は悔しかった。
(俺の一番好きな銃だ……!)
 動きながらもアーモ・ボックスを外し、壊した空間から別のアーモ・ボックスを取り付ける。リンク・ベルトをフィード・トレイに接続してコッキング・レバーを引いてボルトを開け放つ。それと同時に薬室に初弾が装填されて射撃準備が整った。
 この動作を移動中に適確、かつ迅速にやれたのは勿論、具現力の御陰であるが、それでも銃撃を避けながらのこの動作に、普段の努力が伺えた。こういう時に、頑張っといて良かった、と心底から思える修であった。
 焼けた鉛の匂いを嗅覚で追いかけながら、切り裂かれる空気の奔流に逃げ道を冷静に分析する。毎分九百六十発の速度で連射される九mm弾を避けながら、修は直線で動き、同時に罠を張る。さり気無くそこを通り過ぎて、反撃に転じた。
 上手くいけば、これで、終りだ。
 銃口を上げると同時にそこの空間を壊し、クライクスの頭の目の前に持ってくる。トリガーを引き絞り、二十二口径弾をばら撒いた。
 が、クライクスはそれを、頭を屈める事で避けた。へぇっ、と呟いて、修は、さらに執拗に追いかける。
「ちいっ!」
 クライクスが毒づくと同時に、彼が嵌まったのが見えた。能力起動。瞬時に空間が歪み、ずれる。取り残された場所――そこは、ここであってここでない、複雑で絶対的な空間になった。
 クライクスの顔が凍り付く。驚愕に歯を軋ませ、開かれた瞼と皺の刻まれた眉間に怒りが読み取れた。
 修はようやく動きを止めた。ふう、と一つ息をつくと、ニヤリと笑う。
「どうだ、檻に入れられた気分は?」
 クライクスが怪訝顔になった。
「檻、だと?」
「専用の監房だよ。空間をずらしてそこに閉じ込めた。過去にスィンスの野郎も引っ掛かった事があるんだぞぉ」
「空間をずらす、か……。考えたな」
 その言葉に修はさらに胸を反らせた。鼻高々でひ弱な胸筋を張っていると、何だか自分が物凄く凄い人に思えて不思議。
 なんて優越感に浸っていると、
「だがまぁ、残念だった、と言おう」
「――――へっ?」
 見ると、クライクスが違う場所に立っているではないか。
「なんとぉ!?」
 驚愕に見開かれる瞳と、とりあえず解放される口腔。
「俺も空間移動が可能だ。抜け出すくらいなら訳も無い」
「ちっきしょう、卑怯だぞ!」
「どっちが!」
 再び構えられるイングラム・マシンガン。修は一人、歯軋りしながら、また動き回るのであった。



 どれだけやりあったのであろうか。
 もう何が何だか覚えていないが、拳に感じる圧力は恐らく本物であろう。
 それと、自分の腹に減り込む拳の味も。
 ドサリ、と二人は倒れ込んだ。
「ゥゲッホ! アッガァ……!」
「あ、はぁ、はぁ、はぁ……!」
 倒れると同時に腹を押さえて呻く修と、頬を押さえながら荒い息をつくクライクス。リーチ的には長いクライクスが修の腹部に強烈なパンチをくれたのと同じで、修も彼の顔面にパンチをくれていた。この場合、クロス・カウンターではなく「こ」の字で交錯したのだ。ダメージはどちらが大きいとは一概には言えないが、この場合、相打ちになるのであろうか。
 二人は既にボロボロであった。体のあちらこちらに熱い鉛弾が掠った、火傷の度合が大きい擦過傷が目に付いて、痣やら何やらはもう数え切れないほどだった。疑似空間内はそこら中に銃痕を残し、ついに無反動砲や対戦車ライフルを引っ張り出した修のせいで、ベンチは潰れ噴水は溢れ出し木々は滅茶苦茶に吹き飛んでいる。挙げ句の果てには超高速の肉弾戦を敢行して二人で吹き飛んだのがこれだ。クライクスが一筋縄では行かないとは分かっていても、相性が良いと思い込んでたツケがここまで手痛く返ってくるとは夢にも思わなかった。
(もう駄目だー!)
 そんな風にさえ思っていた。
 今、修の体は、具現力の根本である防護膜さえ消えかけてボロボロの布切れのようになっているのだ。この状態では能力を発揮するどころか、格闘能力・知覚能力が恐ろしいほどの低下率を見せており、今ならば一般能力の人間でも修を軽く捻る事ができるだろう。そんな状況を、プロフェッショナルであるクライクスが見逃すはずはない。
 俺は死ぬのか、とボンヤリと思った。最後に少しカッコイイ感じがする。遣り残しは結構あるが、まぁ今ならまだ幸せなまま死ねるのかもしれない。
 ただ、有希と最後まで行ってないのは非常に惜しい事であると思えた。
(ごめんなぁ、おじちゃん不甲斐なかったよなぁ……)
 今までの自分の幸せシーンを回想しながらシミジミしていると、
「シュウ……」
 クライクスから声があった。それに、はいっ、とダルげに首を上げると、倒れ伏したままのそいつが一言。
「殺さないのか?」
 …………。
 何が?
 てか、それは、その、えっと――。
「こっちのセリフなんですが……」
 困惑気味に応えながら上半身を起すと、クライクスも上半身を起した。
 目が合った。
「――お前も?」
「俺も」
 頷いて、二人で真面目な顔で見詰め合う二人。気持ち悪いと思う。
「クッ、」
「くくふっ、」
「クッククククククク……」
「くっかけかけこここ……」
「アッ、ハハハハハハハハハハハッ!」
「だーははは、がーっはっはっはっ!」
 二人で今度は笑い合う。久しぶりに、気持ちの良い爆笑をしている、と修は思った。
 それから小一時間ほど、二人はただ笑い転げた。
 はひっはひっはひっ、と呼吸困難を起しつつ、目尻に浮いた涙を拭う。するとクライクスが口を開いた。
「実はこの空間を維持していられるのが不思議なくらいでな……」
「こっちは防護膜もろくに張れてないような状態でな……」
 にやり、と笑い合った。そのまま、緩く長く、息を吐く。
 ふーっ。
「また来ても良いか?」
「ああ。いつでも来いよ、俺は待っててやるから」
「こうして手合わせを願っても?」
「他にする事もないだろう。ならば互いに有益になる事をした方が特だ」
 良い汗もかけるしね、と修は笑いながら付け足した。
 クライクスはそれに少し表情を緩めると、よっ、と一声上げて立ち上がる。節々が痛んだが、修も気合いを入れて立ち上がった。
「なぁ。何で左遷されたんだ?」
 ふと、聞く。思い立ったら即実行のスタンスは普段の修らしくない、思案も何も無い行動ではあるが、今の彼は恐ろしいほどの疲労にそんな頭は廻らないのだ。
 答え難い質問に、しかしクライクスは簡単に答える。
「VAN幹部候補の実習生を犠牲にしたからだ」
 あの時の三人だよ、とクライクスが付け加える。ふーん、と修は唸る。
「俺らのせいかい」
「表向きはな。ただ、政治がらみの事も多かったらしく、中々に複雑な様子を呈しているらしい」
「何故に伝聞系?」
「俺の伯父の友人で、VANの最上層部に居る幹部が俺を可愛がってくれてるんだよ。それである日、二人で飲みに行ったら、泣き上戸で酒に弱いその人は、俺にその事情を話してくるんだよ。泣きながら謝られるとどうしようもなくなるんだよな。だからそこらへんはだいたい把握してる」
「ほーう。……ところで、その人って?」
「ゼルフィード・ヴォルズィーグ。第零特殊機動部隊長を務めてる人だ。普段は冷静沈着が歩いてるような感じだけど、気を許したらただの酒好きで酒に弱いおっさんになるから困ってるんだ」
「また大物が来たもんだな」
「そう。気をつけろよ、あの人の強さは半端じゃない。俺の武術も幾つか我流が混じってるけど、根本は伯父さんとその人から教わったものだ」
「怖いのね……。まぁ、あんま無理しなけりゃ会う事も無いだろう」
 クライクスは少し悲しそうに笑った。そうだな、と言う声が空しく響き、修は非常に不安になる。
「……何か心当たりでも?」
「心配ない。そんな情報は今のところはないよ」
 一安心。修は胸を撫で下ろした。
 さて宴もたけなわ、と修が言うと、クライクスも頷く。
「じゃあな、クライクス」
「クールで良いよ」
「そうか。じゃあ俺も、ヤザキ シュウ大明神様で勘弁してやろう」
「ふざけるな。……またな」
 おうよ、と笑いながら、修は空間に穴を開ける。開けられた事に安堵しつつも、引っ張り出した装備を戻してから、頭に立てた二本指をつけて、払う。あばよ、と一言。それで修は自分の部屋に戻った。



 何故だか欠伸が止まらない、そんな有り触れた午後の授業も、終盤に差し掛かると教室が浮ついてくる。良い天気だなぁ、とだらけながら外を見て、また顔を前に戻すと、今度はえらく進んだ板書に驚き、急いでノートに書き写していく。テスト点が芳しくない修は、授業態度及びノート点で何とかしなければ、単位の修得が危うくなってしまうのである。だから全く理解不能な数字の羅列でも、とりあえずは書いておかなければ留年は免れない。それだけは何としても回避したいので、とりあえず手だけ痛めて、修は一日を終わらせねばならないのである。
 だが、人生とは苦難の連続なのであろうか。大部分が未記入にもかかわらず、授業終了のチャイムは教室に鳴り響いた。
 祇園精舎の鐘のウンチャラカンチャラ。諸行無常のうんたらに呑み込まれ、彼は起立して、礼をせねばなら無かった。担当教師が立ち去った先には、未だに埋めねばならない数式がちらほら。それに向き直ろうとしたところで、教室掃除の少年が黒板の前に立ち、あわやブラックボードに板書されたチョークの軌跡をわしわしと削除し始めたではないか。
 修はとても真面目な清掃当番に念力を送った。
 しかし何も起こらなかった。
 悲しくなってノートを閉じる。
 すると、後ろから光が修を覗き込んで来た。
「早く帰るぞ」
 スッキリとした顔で語る彼の肌は健康的だ。
「……寝てやがったな」
 半眼で睨み付けてみる。
 しかし光は気にした様子を見せず、
「当然だ」
 踏ん反り返る様が非常にむかついたが、とりあえずそれは気にせずに、修は光と一緒に教室を出て、玄関を過ぎ、帰途につくのであった。
 その間、修の行動は一歩遅れていた。
 筋肉痛である。
 昨夜、少々激しく動き過ぎたのだ。そこら中にできた傷は何とか回復できたが、疲労した筋肉は凝り固まって中々に動いてはくれない。
 何よりも、傷の修復に一晩中、具現力を解放していた為に、精神疲労が激しい事この上ない。今日は帰ったらとっとと寝よう、と心に決めつつ、帰途を歩いていく。その途中、光が怪訝顔になったのは一度や二度ではない。
「どうしたんだよお前?」
 顔を顰め顰めしながら歩く修に疑問を抱くのは当然であろう。
「まぁ、色々とね……」
 そうとしか答えようが無かった。
「色々と、じゃねー! 何だか余計に気になるじゃねぇか!」
「ええい、うるさいわー! こっちは全身筋肉痛の全身打ち身の全身掠り傷で参ってんだわー!」
「じゃあ何が原因でそんなにボロボロになったんだ!」
「だから、色々と、だろうが!」
「要領を得ない回答をするなー!」
「要領を得ぬもなにも、答える気が更々無いんじゃー!」
「なにおう、このアホが!」
「アホはアホでも馬鹿よりゃマシだわい!」
「んなろー、我慢できん!」
「おおう、やるかこんちきしょう、貴様如きにやらせはせんぞー!」
 そのまま飛び掛かる修ではあるが、動かぬ体に鞭打つ程度では光にも勝てないのがオチ。頬骨に痛いのを食らって、しかもそれがクールの時の古傷だったりすると、彼はもうただ吹き飛ぶしかなかった。
 世界は今日も平和である。


「もー、どうしたらこんなになるのよ!」
 有希が天を仰いだ。
 その目の前で、上半身を脱がされた修は、ビーフジャーキーを齧りながら一言。
「まぁ、色々とね……」
 そうとしか答えようが無かった。
 上半身だけでも、面白いほどに生傷が絶えていないのである。青痣、火傷、擦過傷、切り傷、銃痕、などなど。具現力をほとんど使ってしまったせいで回復が追いつかなかったので、今朝はしょうがなく顔やらの露出している部分を重点的に直した結果だ。今日は体育が無くて本当に良かった、と修は神に感謝したくらいである。
 あとは今日中にゆっくり治そうかな、とか思っていたのであるが、途中で有希と出くわしたのは痛かった。動きの鈍い修に一目で気付き、あとはもう修の部屋までついてきて、気付いたらあっという間に上が脱がされていたのである。これは中々に貞操の危機、とか思っていたが、傷を見た有希は案の定、ぷんすか怒りながら救急セットを持って来て治療に専念し出した。
 小さな傷は消毒の後に救急バンを貼って外部の空気から隔離し、痣は湿布で冷やしていく。痛々しい銃痕は傷を塞いでから包帯で固定し、打ち身やら何やらも適度に冷やしていった。固まった筋肉は白銀の光で解していき、完全なコンディションに戻した。
 その間、ただただ牛肉の薫製の醤油やら赤ワインやら漬けを食していた修は、おおーっ、と驚嘆しながら、肩をグルングルン回す。
 良い調子だなー、と思っていると、光によって新たにつけられた頬の痣に向けて有希の手が伸びた。
 パチン!
 平手が唸る。
「うぎゃおー!」
 修は飛び跳ね、転げまわるしかできない。
 ゴロンゴロンゴロン。
「修ちゃん!」
 有希の怒った声が聞こえたので、痛みにヒーヒー言いながらそっちを向く。
 有希が怒っていた。
「何があったのか、教えなさい!」
 えー、っと……、と唸りながら、
「まぁその、色々と、ね……」
「バカー!」
 ドゴス。
 今度は拳が跳んで来た。
「ヒギャース!」
 修は吹っ飛んだ後、
「イタイイタイイタイイタイイタイー!」
 さらにゴロンゴロン転げまわった。
「修ちゃん、私は修ちゃんにとってそんな存在なの? それくらいの存在でしかないの?」
「は、はい? え? 何? どういう事?」
「酷いよ! 私には何も教えてくれないんだ! 私はその程度でしかないんだ!」
「いやいや、だから待ちなさいって。なんか凄い話が飛躍してる気がするんですか?」
「うるさーい!」
 バゴス。
 再び拳が轟き叫ぶ。
「オポチュニティー!」
 既に自分が何を口走っているのかさえ定かではなかった。
「もう修ちゃんなんて知らない!」
 有希はドアを開けると、部屋から出ていってしまった。
 それを見て、修は呆然と目を丸くさせる。
「あの、有希さーん……」
「さよなら!」
 バタン、とドアが閉められる。
 さよなら、ってあんた、と思いながらも、一言。
「そこ、俺の部屋なんですけど……」 
「うわーん!」
 修の寝室から、しくしくしく、とすすり泣く声が聞こえてくる。
 部屋の持ち主は天を仰ぎ、
「こんなパターンの繰り返しかい!」
 と、悲痛な叫びを漏らすしかできない。
 世界は今日も平和である。



 ゆっくりと流れる時の中、一人、風に揺られて自然を感じる。
 それは至福の時だった。
 開けた視線に映るのは、広く敷かれたぶどう園。その奥に連なる山々に、静かに戯れる鳥の影。
 山紫水明の景色に見惚れ、一人、微笑んでいる。
「クール!」
 自身を呼ぶ声に、視線を下に向けると、少女が一人、こちらを見上げていた。
 純白のワンピースに、鍔広の帽子、手に提げられた籠にはぶどうが幾つか入っている。それを持つ細身の腕と、白く澄んだ肌。整った顔立ちに、長く伸びた金髪は、さらりと流れて美しい。
 クライクスは微笑み、少女に手を振った。柔らかい笑みを深くして、少女は坂を登ってくる。ゆっくりとした足取りだが、彼女は楽しそうにこちらに向ってきていた。
 クライクスは再び顔を上げ、ロッキング・チェアにゆったりと、体を沈めた。
 体中に巻かれた包帯は、先の少女が処置してくれたものだ。ここも彼女のロッジである。
 クライクスの具現力は防護膜が無い。故に、回復力は常人と変わらない。自身が空間を展開すれば話は別だが、修と戦ったことでそれもほとんど無理になっている。
 だから少女の世話になっていた。
 クライクスは今、自由を覚えている。時間に忙殺されて来たこれまでと違って、ここは、静かに時間を過ごす事ができる。休む事が必要なのだ、と分かった。心にゆとりを持って、それから、やるべき事をやろう。
 これは、与えられた平和だ。
 だから、その平和を、心いくまで甘受してやろう。
 今日も世界は平和なのだから

終り
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