EPISODE OF DUSK 「望みは遠く」


 1 『悪夢を呑み込んで』

 ――きっと、あの時、俺は一度死んだんだと思う。
   今、ここにいる自分は、それまでの自分とは違うのだと……。

 自分の身に起きたことが、信じられなかった。
 ジュニアハイスクール(日本で言う中学校)に入学して一年目の秋、何の問題もない日常の中で、異変が起きた。
 友人三名と一緒に帰路についていたはずだったのに、気付いた時には廃ビルの中にいた。
 四人の中で一番早く気がついたダスク・グラヴェイトは、周囲を見回した。廃ビルの部屋の中らしい。窓ガラスは割れており、残っているものはほとんどない。埃まみれで黒ずみ、煤けた床や壁、天井を見ると火事でもあった場所なのかもしれない。
 問題なのは、身動きが取れないことだった。
 四人全員が一つの柱を中心に縛り付けられている。乱暴な縛り方で少々きつかったが、その分解くのも難しそうだ。
「何が……?」
 思わず、声が漏れた。
 家へ帰る途中、不意に背後から襲われたのだということしか解らなかった。一瞬で身体の動きが拘束され、薬品か何かで瞬間的に気絶させられたのだ。
 ただ、幼いながらにも誘拐されたのだということだけは解った。
「何で……?」
 疑問と同時に、強く湧き上がってくるのは恐怖だった。
 状況は判らないことだらけだったが、命の危険に晒されているということだけは感じ取っている。得体の知れない恐怖感が背中に圧し掛かり、息苦しい。
「ちっ……いいか、良く聞け、こっちには人質がいるんだ」
 不意に、足音と共に声が聞こえてきた。
 ダスクがいる場所とは反対の方向から、数人の男たちが部屋の中に入ってきたようだ。きつく縛り付けられているお陰で首を回しても見ることすらできない。
 男たちは電話か何かで呼びかけているようだった。
「要求が受け入れられないなら、十分ごとに一人殺していく」
 その言葉で、相手が恐らくは警察なのだという推測はできた。加えて、男たちが犯罪者か何かで、警察に追われる立場にあることも。
 警察から逃げるために、自分たちは人質にされている。そう考えるのが妥当だろう。
 ダスクは乱れそうになる息を潜めて、男たちに自分が起きていることを感付かれないようにしていた。狙っての行動ではなく、自然とそうしていた。
「あいつら、要求を呑みますかね?」
 数分と経たぬうちに誘拐犯たちの会話が聞こえてくる。
 いつ殺されるのかビクビクしながら、ダスクは黙って話を聞いているしかなかった。縛り付けられている他の三人は大丈夫だろうか、どうにかして皆で逃げられないだろうか。そんなことを幼いながらに考えて。
 犯人たちがいるから身動きを取ることも危険だった。それでも、逃げ出したいと考えてしまうのは止めようがない。身体が震えそうになるのを必死に堪えていた。
「な、なんだこれ……!」
 突然、子供の声が上がった。
 ダスクの反対側に縛り付けられている友達が目を覚ましたらしい。
「ここ、どこ……?」
 左右に縛り付けられた友人たちも目が覚めたようだった。
 一人は酷くパニックに陥り、声を発することもできずに周りを見回している。強張った表情と、恐怖で、言葉が声にならない。ぱくぱくと口を動かしているだけだ。
 ダスクも、友達と一緒にパニックに陥りかけていた。やけに呼吸が大きく聞こえて、何も考えられない。
「ちっ、目が覚めたか……」
 舌打ちする男の声が聞こえた。
 その直後、銃声が響いた。
「騒ぐなガキども!」
 犯人の一人が威嚇で拳銃を撃ったのだった。
 一瞬、部屋の中が静まり返る。
 しかし、その次の瞬間には、柱を挟んでダスクの反対側に縛り付けられた友人が泣き出した。ダスクには部屋の状況が渡せなかったが、反対側なら全てが見える。威嚇とは言え、銃を撃たれるという恐怖を一番強く浴びたのは彼だった。
 泣き叫ぶ友人から恐怖が伝播し、ダスクの右手側の友人も泣き出した。続いて、その反対側の友人も。
 ダスクは息が詰まりそうだった。過呼吸になりかけていたのかもしれない。
「うるさくてかなわん!」
「……十分経った、時間だ」
 犯人の一人が痺れを切らした頃、発言力のあるような声が静かに聞こえてきた。
 刹那、銃声が響き渡った。
 部屋が静まり返る。
 ダスクのいる場所からは何も見えない。ただ、どうにか見える左右の友人たちの青褪めた顔だけが、やけにはっきりと見えた。
「ジャック……?」
 反対側にいるはずの友人の名前を呼ぶが、返事は無かった。
「……聞こえたな?」
 犯人たちは電話か何かを相手に、声を投げているらしかった。
「うわぁぁぁぁぁあああああああ!」
「いやだぁぁぁぁぁあああああああ!」
 その光景を目の当たりにした友人二人が発狂する。
 ダスクは身体が震えていることに、ようやく気付いた。心臓を鷲掴みにされたような息苦しさと圧迫感に押し潰されそうだった。
 何も考えられず、身動きをとることもできず、ただ、喚き続けるしかない。それでも、助かる見込みは無い。いや、だからこそ、喚き続けるしか無いのも事実だった。
「十分経ったぞ」
 響き渡る銃声と、目の前に広がる光景を、ダスクは見ていた。十分前に、両隣の友人たちが見たであろう光景を。
 床と柱に、僅かに何かが飛び散る。直前まで喚いていた友人の声がぴたりと止まり、柱に縛り付けられたまま力なく頭を垂れる。
「フィリップ――!」
 その瞬間、目の前が暗転した。
 心臓が大きく脈打ち、一瞬呼吸が止まる。その刹那の間に、視界が紫色の閃光に満たされた。
 目の前の景色が戻って来た時には、全てが変わっていた。
 胸の奥、身体の芯から、全てを呑み込んでしまいそうなほどに大きな力を感じた。重く、圧し掛かるような力の感覚に苦しさはない。ただ、自分がその力を背負っているのだと思うのには十分な感覚だった。
「――うあぁぁぁあああああっ!」
 ダスクは、咆えた。
 何を考えていたのかはもう判らなかった。頭の中は真っ白で、ただ、我武者羅に暴れまわりたいだけだったのかもしれない。恐怖と怒りと哀しみの入り混じった感情のままに、ダスクは叫んでいた。
 そして、その時にダスクは力を手に入れた。
 ダスクを縛っていた太い綱が胸の前で消滅し、解かれる。立ち上がるよりも早く、ダスクは身体を捻って柱の裏から飛び出し、部屋の中へと飛び込んでいた。
 頬を伝う雫を振り払って、真正面から飛び込んでいく。
 向けられる銃口など目に入らない。放たれる銃弾は、勝手に逸れていた。ダスクに当たるものはたった一発すらなく、その全てが例外なく床や天井を穿った。何かを叫ぶ男の声も、友人の声も耳に届かない。
 一番近くにいた、フィリップを撃った男に飛び付くように体当たりする。次の瞬間、大の大人が子供に押し倒されていた。男にとっては予想以上の衝撃があっ たのだが、ダスクにはそれを考える余裕はない。子供の体当たりの質量を遥かに凌駕する衝撃を受けた男は背中から床に叩き付けられ、銃を取り落とす。
 目を剥いて頬を引き攣らせる男を力一杯殴り付けた。何か硬いものが砕ける感触があって、男の歯が二つ、口から外へ飛び出して行った。頬の内側が切れて、歯を追うように血が舞った。
 左右から掴みかかって来た男たちを、強引に振り払う。掴まれた腕をただ振り回すだけで、男二人が宙を舞った。
「大人しくしないか!」
 ボス格らしい男の一括に、ダスクはようやく思考能力を取り戻していた。
 乱れた呼吸のまま、声に振り返り、友人に銃を突き付ける男の姿を認めた。その後で、ダスクは自分がしたことに気付いた。屈強そうな大人一人を押し倒し、二人の男を軽々と吹き飛ばしていたことに。
「だ、ダス、ク……?」
「ハンス……僕は……」
 友人の表情の中には、困惑と、確かな恐怖が見て取れた。銃を突き付けられている恐怖だけではない。ダスクに対する恐怖も確かにあった。
 いきなり、ありえない力を振るい始めたダスクに対する恐怖だ。
 瞬間、湧き上がったのは自分自身に対する恐怖だった。自分自身の存在を見失ってしまったような気がした。自分が、今までの自分ではなくなったという実感が、胸の奥から湧き上がってくる。人間でなくなってしまったのかもしれない、と。
「……助けるから!」
 それでも、ダスクは口にせずにはいられなかった。
 もう、目の前で友人が死ぬ瞬間など見たくはなかったから。
 どうすればいいのかは、解っていた。
 引き金を引こうとする男へ向かって、ダスクは駆け出した。手を伸ばして、叫ぶ。
 男の指が止まり、初めて彼は驚いた表情を見せた。ダスクの体当たりをかわそうとして、男は身動きが取れずに押し倒される。近距離からこめかみに押し当て られる銃の冷たい感触も、ダスクには睨み付けるだけで対処ができた。男の顔に苦悶と驚愕が浮かび、何もしていないのに銃を持った腕が本来曲がるはずの無い 方向に捻じ曲がる。骨が砕け、筋肉が断裂する音が響き、力を失った手から銃が落ちる。
 馬乗りになった体勢で襟首を掴んだまま、ダスクは男を睨み付けていた。荒い呼吸を繰り返しながら、握り締めた拳を振り上げたままで。
 拳を振り下ろせば、男の顔に叩き付ければ、きっと彼を殺すことができる。
 いや、殺してしまう。
 目の前で二人の友人が殺された。だからこそ、たとえ相手がその友人たちの仇であっても殺したくない。
 そう、思ってしまった。
 背後で銃声が響く。
 振り向いたダスクの目に飛び込んできたのは、崩れ落ちるハンスの姿だった。額から血を流して友人が倒れ、僅かに痙攣していた。
「……ぁ――」
 刹那、ダスクは目の前が真っ暗になった。
 ほんの一瞬、まばたきしたその瞬間に眠りに落ちてしまったかのような感覚だった。
 次に気がついた時、立っているのはダスクだけだった。
 三人の友達の亡骸はまだ殺された直後のまま転がっている。他に、頭の無い誘拐犯の身体が人数分転がっていた。部屋の中は弾痕と血しぶきだらけで、酷い状態だ。
 自分の呼吸だけがやけに大きく聞こえた。
 きっと、全て自分がしたのだと、直感が告げていた。
「……これは、何と声をかけていいものか、判断に困るな」
 不意に、窓から聞こえた声にダスクは視線を向けていた。
 黒っぽいスーツに身を包んだ中年ぐらいの男性がこちらを見ている。先ほどまで誰もいなかったはずの場所に、彼は立っていた。ダスクの視線に気付いて、男性はゆっくりと歩み出る。
「自分の状況が、解るか?」
 男はダスクの前まで歩み寄ると、そう尋ねてきた。
 普通の人には無い力を振るい、友人たちを殺した誘拐犯たちを、ダスクが殺した。
「君は、力に覚醒した」
 男の声を、何も喋れずにダスクはただ聞いていた。
「我々は、VAN(ヴァン)」
 ゆっくりと紡がれる言葉が、ダスクの中に静かに響いていく。
「君と同じ、力を持つ者の集まりだ」
 そう言って、男は淡い輝きに身を包んだ。虹彩の色が濃い藍色に変わる。
「私たちは、普通の人間とは少し違う」
 脳裏に蘇るのは、ハンスの怯えた顔だった。ダスクに対して恐怖を抱いた表情が過ぎり、無意識のうちに身震いをしていた。
 気付いてしまったのだ。
 自分が人間でないものになってしまったかもしれないことに。
 普通の人と同じようには生きられないかもしれないことに。
「君は、私たちと共に来るか?」
 藍色の輝きを帯びた手を、男は差し出した。
 ダスクは、差し出された男の手に自分の手を伸ばしていた。
 そこでようやく、自分の身体が薄っすらと紫の輝きに包まれていることに、ダスクは気付いた。
「君の、名前は?」
 優しく微笑む男に、ダスクは名を告げる。
「ダスク……。ダスク・グラヴェイト……」
 静かに溢れた涙が、ゆっくりと頬を伝い落ちた。


 2 『力の方向』

 ――あの人と出会わなければ、きっと、今の俺は無い。
   それからの俺を決定付けたのは、恐らく彼だろうから。

 ダスクが覚醒した際の誘拐事件は、特殊部隊の突入により鎮圧されたこととなった。VANが用意した死体のダミーが使われて、ダスク自身も表向きは死亡扱いになっている。自分の葬式が行われている光景を遠くから眺めているのは複雑な心境だった。
 恐らく、これから先、家族とは会えないだろう。出会ってしまったとしたら、似ている別人として振る舞わねばならない。
 家族が知るダスクは、もうこの世にはいないのだから。
 そうして、VANという組織に来てから、三ヶ月ほどが過ぎた。
 VANで始めに行ったのは、ダスク自身の能力について知ることだった。自分の力がどんなものなのかを調べ、どれだけのことができるのかを判断する。自分 の意思で力を制御できるように、必要な分の訓練も行った。予期せず暴発してしまうのを防ぐためであり、VANでも良く判っていない力についての調査も兼ね て。
 ダスクの力は、重力制御能力(Gravitation)と名付けられた。分類は特殊型らしい。
 原理的には、力場で覆った内部に存在する重力を意のままに操るというものだ。自分に作用させれば重力に縛られることなく高速移動が可能となり、相手を力 場に包み込めば行動を鈍らせることもできる。力を強めればそのまま圧力による攻撃もでき、点で作用させて物体を遠隔操作することも可能だった。
 また、小規模のブラックホールも生成できた。力場内部にしか効力がないため、周囲のものを無差別に呑み込むようなブラックホールにはならないが、その分、扱いは容易とも言える。周りに被害を出さずに対象だけを削り取ることができるのは利点だろうから。
 応用の幅はかなり広く、攻撃力も機動力も高い、優秀な能力と判断された。
 問題は、今後の身の振り方だった。
 VANには、組織として存在するVANの他にも居住区画がある。VAN本部の建物の周囲には、街があるのだ。もちろん、その街に住む者は全員が力に覚醒した能力者だけだ。
 VANという存在は公には認知されていない。能力者の存在も隠匿されている。VANは能力者の集まりであり、これから増えるであろう能力者たちの居場所を確保するための組織だと教えられた。
 それなりに大きな組織として存在するVANは、各地に構成員を派遣して動いている。だからこそ、ダスクの死を偽装することもできた。警察組織の中に潜り込んでいる構成員が働きかけることで真実を覆い隠し、VANにとって都合の良い方向へ情報と人を誘導している。
「どうするか、考えたかね?」
 VAN本部の中、休憩室の長椅子に座るダスクの隣で、男が尋ねる。あの、ダスクをVANへと誘った男だ。
 屈強そうな体格をしていながら、彼の表情は柔らかい。厳つそうな顔立ちであるにも関わらず、身に纏う雰囲気や優しい笑みを湛えた口元が印象を変えている。
 彼は第一特殊機動部隊の隊長だった。名は、マルヴ・フォランサ。
 ダスクには、二つの道があった。
 一つは、居住区画で暮らしていく道だ。もう一つは、VANの構成員となり、働く道だった。
 居住区画とは言え、その中でも生活の全てが支給されているわけではない。本当に小規模な街のように、働く必要もあれば、金を使って衣食住を確保する必要 もある。VANに来たばかりの者にはある程度の援助が行われているが、それもずっと続くわけではない。身の振り方を決定するまで、およそ三ヶ月程度の期限 付きだ。
 つまり、ダスクはそろそろこれからどうするかを決めなければならなかった。
「私は、居住区画で暮らすことを勧めるがね」
 そう言って、マルヴは紙コップを差し出してきた。
 受け取った紙コップの中には、ストレートティーらしきものが注がれている。部屋の中にある自動販売機から出したものだ。
「君はまだ幼い。もう少し、学校で勉強をしてから改めて考えてもいいと思うが、どうだろう?」
 居住区画には学校もある。能力者として覚醒する者の多くは未成年だ。十六歳以上ならば成人と同じ扱いを受けるが、十五歳以下の者たちはまだ学校教育において学習の足りない面が多々ある。
 親元を離れてVANへ来る十五歳以下の者は生活援助などを受けることもできる。それは、必要な社会的知識を身に付けるまでの援助であり、そこから先は自力で生きていかなければならない。
「友達も、できるはずだ」
 マルヴの言葉に、ダスクの手が僅かに震えた。
 ダスクが覚醒した時、友達はダスクに対しても恐怖を抱いた。ここは能力者しかいない場所なのだから、ダスクの力に同じような恐怖を抱くものはいないだろう。
 だとしても、あの経験はショックだった。恐らく、忘れることはできないだろう。
「戦う必要もない」
 隣に腰を下ろし、マルヴが呟く。
 この三ヶ月間、マルヴはダスクによくしてくれた。
 VANに来た新入りは、勧誘した本人によってVANの中を案内される決まりになっているらしい。もちろん、第一特殊機動部隊長という肩書きを持つマルヴはそれなりに忙しい身だ。しかし、彼は空いた時間には必ずと言って良いほどダスクに付き合ってくれる。
 元々面倒見も良い人物なのだろう。VANに来て、右も左も判らないダスクに、どうすればいいかを教えてくれた。能力調査や、能力を扱うための訓練にも付き合ってもらっている。
「……何と、戦っているんですか?」
 ようやく、ダスクは言葉を返すことができた。
 まだ十二歳、今年ようやく十三になるダスク一人では、今後の見通しなど立つはずもない。マルヴの助言はありがたいものだ。
「難しいな、それは」
 マルヴは苦笑して、答えた。
 VANへの誘いを断り、自分の私欲のために力を使おうとする能力者もいれば、能力者の存在を知ってそれを排除しようと動く者もいる。VANの実働部隊と 呼ばれる戦闘部隊の能力者は、そういった、VANと敵対する者たちを相手に戦っている。VANの目的は、能力者の生活圏を確保することとマルヴは語った。
「差し出した手を跳ね除けて、身勝手に力を使おうとする者もいれば、我々が生きようとしているこの状況を、悪い方向へ変えようとしている者もいる」
 解り易い言葉を選んで、マルヴは言葉を紡いでいた。
 能力者という存在は、今の世界には受け入れられないだろう。だから、能力者に対する抵抗勢力なども出てくる。それでも、能力者たちにも平穏に生きる権利というものはあるはずだ。そのために、VANは有志を募って実働部隊を編成し、動いている。
「ここだけの話、私はVANに忠誠を誓っているわけじゃない」
「え……?」
 子供のような悪戯っぽさのある笑みを浮かべるマルヴの言葉に、ダスクは驚いた。
 VANという組織に来て、ダスクが感じたのは強い結束があるという人の繋がりの強さだ。VANの本部にいる者たちはほとんどが組織に対して忠誠心を持っている。いや、VANの長であるアグニア・ディアローゼという人物を敬愛していると言うべきか。
 アグニアという人物は、現時点で世界中に存在する能力者の頂点に立つ人物だった。常に力を発揮し続けて過ごしている姿は、その力の強大さと威圧感を周囲 に振り撒いている。VANという組織を創った存在であるアグニアを、能力者たちのほとんどは慕っているのだ。VANの思想はアグニアの思想であり、アグニ アの目的がVANの目的である、そう捉えているに違いない。
 一度、ダスクも彼の姿を見たことがある。圧倒的な存在感に、気圧されたものだ。周りの人の動きから、カリスマ性も高いように見えた。
「私は、私が思ったことをするために、この組織に身を置いているのさ」
 VANの思想とは関係なく、マルヴはVANにいるということだった。言葉は柔らかかったが、利害が一致しているからVANに身を置いている、という言い方だ。
「私には、君と同い年の娘がいてね……」
 マルヴは優しげな笑みを浮かべて呟いた。
 VANに来て、この中で出会った能力者の女性と結婚しているらしい。その女性はVANには参加しておらず、居住区で娘と暮らしているようだ。
「能力者の居場所を創りたい、という目的は一致しているからな。ここで動く方が、近道になるだろうと思って、ね」
 唇の前で人差し指を立てて、マルヴは笑った。
 アグニアに対する忠誠心が無いことを言いふらさないでくれ、という意味なのだと、直ぐに解った。能力者同士の結束は強いものだが、中にはアグニアを妄信している者もいる。大きな立場を持つマルヴにとっては、公言できない言葉なのだろう。
 ダスクはそんなマルヴに視線を返すしかできなかった。
「もし、君が戦う道を選ぶとしても、私に止める権利は無い」
 マルヴは目を閉じて呟いた。
 VANへの参加は有志だ。能力者として覚醒し、望みさえすれば誰でも入ることができる。
 たとえマルヴが反対したとしても、ダスクがVANへの参加を望んだとすれば彼に止める権限は無い。
「だが、覚えておいて欲しい」
 目を開き、マルヴがダスクに視線を向ける。その表情は、今までの会話の中で最も引き締まったものだった。
「これから戦うのであれば、人を殺めるのなら、それなりの覚悟が必要だ」
 マルヴの言葉に、ダスクは僅かに俯いた。
 覚醒した日、ダスクは人を殺した。無我夢中で戦いはしたが、殺すつもりは無かった。友達を助けて、脱出すればいいと思っていた。しかし、誰一人として助けられなかった。我を失ったダスクは、誘拐犯たちを殺していた。
 だが、これから先、戦うのであれば、自分の意思で人の命を奪う覚悟が必要になる。命の遣り取りに対して、向き合って行かなければならない。
 命の重さを背負うには、まだダスクは幼過ぎる。
「でも、僕は……」
 ダスクは自分の両手に視線を落とした。
 あの時、意識を失ったままマルヴに拾われていたなら、素直に彼の言葉に従えただろう。自分の手で、人を殺したのだと自覚してしまったダスクには、平穏な 生活というものがとてつもなく遠い存在に感じられていた。マルヴの言う通りに、ここの学校へ通ったとして今まで通りに振る舞えるのか、何も無かったように 生きられるのか、不安だった。
「優しいのだな、君は……」
 マルヴは小さく苦笑した。
「そんな、優しくなんて……」
 ダスクは唇を噛み締めた。
 殺したいとは思わなかった。しかし、それが原因で友達を助けることすらできなかった。最初から、誘拐犯たちを殺すつもりで戦っていれば、助けられたかもしれないのに。
 VANに来て、自分が強大な力を持ったことを知った。いとも簡単に、人の命を奪える力を。だが、それを扱うダスク自身が無能だったせいで、強い力を得たにも関わらず何も守ることができなかったのだ。
 躊躇ったがばかりに。
「僕は、何もできなかった……」
 ここで、居住区で生活する道を選んでしまえば、死なせてしまった友達の命から目を逸らしてしまうのではないかという恐怖があった。友達のことを忘れて、自分だけのうのうと生きていていいのか、と。
「なら、君は何がしたい?」
「え?」
「人を殺したいのか? あの時、一緒に死んでいればいいと思っているのか? 戦いたいのなら、何のためにそう思う?」
 マルヴの言葉に、ダスクは顔を上げた。
「明確な意志が無いのなら、中途半端な覚悟で戦うべきではない」
 毅然とした態度で、マルヴはダスクに言葉を向けた。
「まずは、新たな日常に触れてきなさい。この話はそれからの方がいい」
 ダスクは静かに頷いた。
 もっと考えるべきだ。そのためには、VANの中で学ばなければならない。能力者たちの学校へ行き、日常を感じて、その上で判断すべきなのだ。
「ゆっくり、考えます……これからの、ことを」
 力に覚醒してから、ようやく、ダスクは一歩を踏み出せたような気がした。


 3 『戦う意味は』

 ――あの場所で、色んなことを学んだ。
   特に、能力者も人であることには変わりがないんだ、と。

 学校への編入は思っていたよりもスムーズだった。
 ダスクが暮らす場所は、学校の直ぐ隣にある寮になった。十代前半の、まだ独り立ちするには難しい年齢の者たちが暮らせるように配慮されているらしい。学校教育が終わるまでの衣食住は一通り補償されているようだ。
 毎日、一定の時刻に寮の食堂へ行けば食事が取れるようになっている。同じ学校に通う生徒ともそこで会うことができた。そのまま登校、という流れが習慣になっているらしい。
 最初はまだ少し落ち着かない部分もあったが、直ぐに慣れることができた。
「あなたが、お父さんの言っていた能力者?」
 学校へ行って、初めて話をしたのは一人の少女だった。ダスクをVANへと導いたマルヴの娘、ラトーナ・フォランサだった。
 彼女に案内される形で、一通り学校を見て回った。同時に、ここがどんな場所であるのかも教えてもらった。
 マルヴも言っていたが、一般教養的な部分で不足がある年齢の能力者たちの教育機関というのが簡単な説明だ。普通の学校と違うのは、能力者としての知識も学ぶことができる点だろう。現時点で判っている、力の原理や概要などを噛み砕いて教えているのだ。
 低年齢で力に覚醒した者は、使い方を間違う可能性がある。正しい知識を教え、力を完全に自分の制御下に置けるように配慮されている。また、これから覚醒するであろう、能力者の子供たちにあらかじめ知識を与え、覚醒した時の混乱を防ぐ目的もあるに違いない。
 能力者同士の子供は能力者として覚醒し易い傾向にあり、同時に、VANの研究結果では回りに能力者がいることでその可能性が更に高まるとされている。実 際、この学校に在籍している間に全ての生徒が覚醒しているらしい。もっとも、覚醒するのは卒業を控えた学年の者がほとんどで、それよりも下の学年の半数以 上はまだ覚醒していないようだ。十二歳で覚醒しているダスクは少数派だ。
 マルヴからダスクのことを聞いていたラトーナがいたお陰で、早いうちに学校に馴染むことができた。ラトーナは明るい少女だった。男子であろうと女子であろうと、気兼ねなく話をしていた。
 一月が経つ頃には、ダスクも誰とでも普通に話せるようになっていた。
「ダスクは、やっぱりVANに入るのか?」
 学校が終わって帰る途中、クラスメイトのケインが唐突に呟いた。
「……何で?」
 やっぱり、という部分が引っ掛かって、ダスクは問い返す。
「あれ? 違うの?」
 ケインは予想が外れただけといった様子で、首を傾げる。
 既に覚醒してから半年が経ち、また春が来ようとしている。この半年間、ダスクは学校で勉強をしながら、色々と考えていた。
 別れることになってしまった家族はどうしているだろうか。ダスクは死んだことになっているが、立ち直ってくれているだろうか。自分一人で、生きて行けるだろうか。もし、一人で生きて行くのなら、どうすべきか。
「ケインは、VANに入りたいのか?」
「当然だろ」
 ケインにとっては、憧れに近いものがあるのだろう。人の命を奪うこともしなければならないとは考えていないのかもしれない。
 ここにいる人たちにとって、VANとは自警団のようなものなのかもしれない。
 いや、むしろガーディアンか。
「でもさ、俺はまだ覚醒してないから資格もないんだよな」
 ケインが苦笑する。
「その点、ダスクは覚醒してるし、頭も良い。羨ましいよ」
 ダスクには複雑な心境だった。
 ダスクが覚醒した時、人を殺めたことを知っているのは恐らくVANにいる者たちだけだ。学校の中で知っている人は少ないだろう。
 どんな思いでここに来たのか、理解している人は少ない。
 もっとも、この年齢でそこまで考えられるのはダスクだけなのかもしれないが。
「俺も早く覚醒したいなぁ」
「そう? 私は別にこのままでもいいかな」
 不意に、背後から声がした。
「ラトーナ?」
 振り返ったダスクは、声の主の名を呟いて驚いた。
「このままでいいって、何でさ?」
 ケインが首を傾げる。
「覚醒すれば、色んなことができて便利じゃん」
「んー、でもさ、私はここにいるし」
 両手を広げてアピールするケインに、ラトーナは何でもないことのように呟いた。ケインは首を傾げるばかりだったが、ダスクには何が言いたいのか、解った気がした。
 能力者でなくても、一緒に過ごせる。ここは能力者たちが集まってできた場所だ。しかし、能力者から生まれる子供たちが能力者になるとは限らない。覚醒する可能性や確率が高くても、覚醒するまでは非能力者だ。小さい頃から能力者という存在を知っているというだけで。
 もし、誰もが能力者に対して普通に接することができるようになれば、非能力者でも一緒に暮らせる。その可能性が、VANが作ったこの居住区画にはある。
 ラトーナがそこまで考えて口にした言葉なのかどうかは判らない。ただ、ダスクにとってその言葉は心の中にすぅっと入り込んでいた。
「あぁ、そっか……」
 ダスクは小さく呟いた。
 力を使うということに、ダスクは今まで自分でも良く判らない恐怖を抱いていた。だから、VANに入って戦うことに積極的ではなかった。きっと、力を使って戦うことが自分の居場所を失うのではないかという思考に繋がっていたのだろう。
 覚醒時に、恐怖感を露わにした友達のように。
 能力者として戦う時、超常的な力を振るって人を殺める姿を見られることに、ダスクは恐怖を抱いていたのだ。能力者を理解してくれないから、敵意を向けられるに違いない、と。
 ラトーナの言葉で、気付いたことがある。
 VANは能力者の国を創ろうとしている。そのために、VANはこの場所を守りながら、活動している。たとえその過程で何人もの命を奪うとしても、VANには守りたいものがある。
 そして、VANが拡大していくことは、能力者の存在を知る者が増えることにも繋がる。その人たちが能力者でなくとも、能力者たちに囲まれて自然に生活するようになるはずだ。
「ダスク?」
 考え込むダスクを見て、ラトーナが顔を覗き込んでくる。
「……決めた」
 ダスクは呟いた。
 そして、居住区画から見える大きな建物へと視線を向ける。VANの本部と言われる、建物へ。
「僕、VANに入るよ」
 ラトーナとケインに、ダスクは告げた。

 VAN本部の通路を、ダスクはマルヴと共に歩いていた。VANの構成員登録を行うためだ。
「来るのではないかと思っていたが、意外と早かったな」
 通路を歩きながら、マルヴが小さく息を吐いて呟いた。
「え?」
 ダスクは驚いて、マルヴを見上げる。
 ダスクがVANに入ることをマルヴは予想していたらしかった。
「君は、人の命を奪うことよりも、戦うことに迷いを持っていただろう?」
 優しい口調でマルヴが言う。
 既に、戦うこと自体は決めていたとでも言うような言い方だ。
「君が悩んでいたのは、あの時一緒にいた友達のことではないのか?」
 マルヴの言葉に、ダスクは僅かに俯いた。
 図星だ。
 ダスクの心にわだかまりとして残っていたのは、あの時一緒にいた友達を助けられなかったことだ。覚醒したダスクを恐れたこともショックだったが、助けられなかったことの方がショックだった。我を忘れてしまうほどに。
 あの時、ダスクには友達を助けるだけの力があったはずなのに。
「気にしないで生きるのは、辛いから」
 ダスクは呟いた。
 このまま平穏な生活の中へと浸ってしまえば、今までの自分の存在を否定してしまうような気がしていた。覚醒するまでのダスクを無かったことにして、何も気にせず、それまでの全てを忘れて生きるようなものなのではないか、と。
 見殺しにしてしまった友達の存在を、無かったことにしていいのだろうか。
 だが、ダスクは肝心な時に友達を助けることができなかった。そんな自分が、VANで戦う資格はあるのだろうか。
 過去を無かったことになどできない。無かったことにしたくはない。それでも、ダスクが戦うことで守れるものはあるのだろうかと、自問してきた。
「何かしなくちゃ、全部無駄になるような気がするんです」
 顔を上げたダスクを、マルヴは真っ直ぐに見つめていた。
「あの時、死なせてしまった友達のことも、僕が殺してしまった人たちのことも、表向きの僕の死も」
 何もせずに、VANに守られて居住区画で平穏な生活を享受することは、ダスクの過去を捨てることになっていたかもしれない。
 かつての友達や家族の存在としての価値を消してしまうような気がした。
「僕みたいな思いをしている人はいると思うから……」
 力を持ってしまったことで、周りから避けられることを恐れている人はいるはずだ。自分と同じ思いをする人を増やしたくはないと思う。VANに入って活動することで、そういった人たちを少しでも救えるのなら構成員になる価値はある。
「僕が戦うことで、友達や家族に報いることにもなると思うんです」
 何より、ダスクが失くしたものにも価値があったと胸を張って言えるように。
「……訓練はきついぞ?」
 黙ったまま今までダスクの言葉を聞いていたマルヴは、静かにそう告げた。
「はい……!」
 ダスクははっきりと答えた。
 覚えなければならないことはたくさんあるだろう。それでも、ダスクは生きる道を決めた。
「それでは、ダスク・グラヴェイトを正式にVANの構成員に登録します」
 VAN本部の人事窓口に座る女性が、マルヴから受け取った書類を確認して告げる。
 書類はマルヴの立会いの下でダスクが記入したものだ。個人情報の他に、VANの構成員になることへの同意と、所属方面の希望などを記している。命を懸け ることになるため、不慮の事故や万が一命を落としてしまう可能性があることの確認とそれに対する理解、事務処理を行うか戦闘部隊に所属するかの希望調査な どが主な記入事項だ。
 ダスクは自分の持つ能力を考慮して、戦闘部隊への所属を希望した。我を忘れて命を奪った過去を無駄にしないために、命の遣り取りをする部署を選んだのだ。
「それでは、所属については決定次第、追って連絡を……」
「いや、私の部隊で預かろう」
 窓口の女性の言葉を途中で遮って、マルヴが告げた。
 ダスクも驚いて隣に立つマルヴを見上げる。
「第一特殊機動部隊で、ですか?」
 女性は僅かに驚いた表情で、マルヴに確認する。まだ訓練も受けていない、戦闘員としては素人以下のダスクを、第一特殊機動部隊というトップレベルの部署に入れるというのはさすがに異例だ。
「ああ、それだけの素質はあると、私は判断している」
 しかし、マルヴは迷うことなくそう答えていた。
「解りました。では、そのように通しておきます」
 女性は微笑みながら告げた。反論や迷うこともせず、マルヴの言葉を信用していた。
 それだけの立場がマルヴにはあるのだ。ダスクは改めてその存在の大きさを実感していた。
「あなたも、頑張って下さいね」
「はい!」
 かけられた言葉に、ダスクは気を引き締めて頷いた。


 4 『望みは遠く』

 ――当然、不安ばかりだった。
   けれど、託してくれた思いに俺は応えたかった。

 ダスクが覚醒してから、一年が経った。半年近い訓練期間を経て、ダスクは第一特殊機動部隊の隊員として前線へ出て戦うまでに力をつけていた。
 第一特殊機動部隊の隊員として戦うまでに受けた訓練は確かに厳しいものだった。後で聞いた話だが、通常部隊に配属された時に受ける訓練は一ヶ月以内に終 了していたらしい。訓練期間の残りは、特殊部隊の戦力として使えるように鍛錬を積み続ける。身体能力向上の基礎訓練はもちろん、部隊内での模擬戦で力の使 い方と精神力を鍛え、様々な知識を学ぶ。
 特に、機動部隊の系列に当たるマルヴの部隊では連携も重要になってくる。単体での戦闘訓練以外にも、多対多の模擬戦も何度も経験することになった。
 学校にも通いながら、ダスクは必死で訓練を行っていった。
 第一特殊機動部隊という、最高水準の精鋭に引き抜かれたダスクは学校でも有名人となり、注目の的になっていた。
 ただ、ダスク自身、自分の処遇はかなり特殊なものであるとは自覚している。第一特殊機動部隊の隊長であるマルヴに拾われたというのも大きな一因だが、も う一つの要因があるとすれば、ダスクの持つ力だろう。重力を制御するという力は、今現在のVANの中ではダスク以外に見当たらない。
 その力に相応しい部隊として、マルヴの部隊は最適だったとも言える。迅速な展開力、対応力を求められる機動部隊にとって、ダスクの持つ重力制御能力は相 性が良かった。応用の幅が広いということは、部隊としての戦略の幅も広がることを意味する。連携を考えた時、ダスクの力は味方の援護にも、敵への牽制にも 使えるのだ。
 ただ、それでもダスクは戦うことに対して積極的ではなかった。
 第一特殊機動部隊に課せられた今回の任務は、敵対勢力の掃討だった。それも、単なる敵対勢力ではなく、能力者たちだ。
 能力者同士が戦い、命を奪い合う。それはVANの掲げる理念に反するものと言えなくもない。ただ、VANは発見した能力者には必ず声をかけている。敵対勢力として討伐命令が下されるのは、勧誘を拒絶しただけではなく、VANに対して敵意を向けた者たちだ。
 能力者たちのすべてがVANの思想に共感しているわけではない。それはダスクにも分かっている。
 自分の力を隠して生きることを望む者もいれば、その力を私利私欲のために使おうとする者もいる。前者ならまだいい。だが、後者が問題だった。
 VANは水面下で力をつけ、いずれは世界の表舞台に立つ。世界中に能力者たちの存在を認めさせ、その存在が生きる場所を勝ち取るのがVANの目的だ。
 能力者という存在を明るみにするタイミングも重要だ。力を持った者が私利私欲のために力を使い、能力者という存在が明るみに出てしまえば、VANにとっては都合が悪い。世界の裏側に根を伸ばし始めている今、VANに不利益をもたらすものは排除せねばならない。
 VANが能力者のすべてであるとまでは言えない。だが、能力者の多くが住まうのもVANの下だ。
 能力者であろうと、中には悪人もいる。
 VANの実動部隊に属した以上、避けては通れない現実だ。
 それに、これまでこなしてきた任務の中で、ダスクも実感してしまった。
 VANという組織は、この世界の歪みが生んだものなのだ、と。
 平穏な生活をダスクも望んでいた。だが、その平穏を崩しかねない力を持った者が突然現れた時、自分ならどうするだろう。その存在を拒絶し、遠ざけようとしないと言い切れない。例え力を持った者が平穏に暮らすことを望んでも、周りがそれを許すだろうか。
 VANの外で覚醒した能力者のほとんどは、犯罪など何らかの事件に巻き込まれて覚醒している。その力を目の当たりにした非能力者が、覚醒した者を拒絶するケースは極めて多い。覚醒した者が無抵抗であっても、周囲が危害を加えようとする場合も少なくない。
 力があるから、異質だから、拒絶する。その気持ちが分からないわけではない。
 力の有無に関わらず、受け入れられる場所があればいい。その場所を創るのがVANの目的なら、力を貸してもいいと思えた。少しでもその手助けができれば、自分の存在にも価値があると思えた。
 ただ、相手の命を奪う時の躊躇いが消えることはなかった。
 VANへの所属を決めた選択と矛盾することはダスク自身にも分かっている。
 ダスクがVANで戦うことを決意したのは、自分の力を無駄なものにしたくなかったからだ。力の有無に関わらず平穏に暮らせる場所を作ろうとするVANの手助けをすることが、敵味方問わず救えなかった命にダスクが報いる術だと思ったからだった。
「……ダスク、隊長は?」
 作戦地区周辺の封鎖作業を終えたところへ、副隊長の男が声をかけてきた。
 VANはまだ表立っては動けない。その存在を隠蔽するための偽装工作もこなさなければならない仕事の一つだ。敵対勢力の掃討をする場合も、戦闘を行う区域に一般人が立ち入らぬようにする必要がある。
「対象の動きが鈍いのが気になると行って、先行しました」
 ダスクの言葉に、副隊長は顎に手を当てて黙り込んだ。
「確かに、俺たちが扱う任務にしちゃあ、敵の動きが鈍い……誘われてる可能性もあるな」
 副隊長が呟く。
 不審だったのは、第一特殊機動部隊が割り当てられた敵対勢力の動きが予想以上に鈍いことだ。確かに、まだまだ人員不足なVANではあるが、事前調査は可 能な限り行っている。今回の任務対象である敵対勢力が、これまで送り込んだVANの部隊で仕留め切れなかったという報告も来ている。送り込んだ部隊が全滅 したわけではなかったが、第一特殊機動部隊に要請が来るだけの勢力だと判断されたのだ。
 ここまで作業が順調なのもある意味不審だった。
「最初の部隊はほぼ壊滅、次は半壊、三つ目は追い込むものの仕留め切れずに取り逃した、だったな」
 副隊長の言葉に、ダスクは頷いた。
「油断を誘っているように見せかけているのが誘いかもしれない、とも思うんですけど……」
 ダスクは副隊長にそう告げた。
 現状に不審さを抱かせ、こちらに先手を打たせようとしている可能性はある。第一特殊機動部隊は敵の動きが鈍いからと、油断するような部隊ではない。だが、それを逆手にとってに混乱させようとしている可能性がある。第一特殊機動部隊が派遣されるほどの相手だ。
「判断を迷わせる作戦か……有り得るな」
 副隊長はダスクに対して深読みだろう、とは言わなかった。
 VANは実力主義の組織だ。たとえダスクがまだ十三歳であろうと、任務中の扱いは実力に依存する。力の特性や戦闘における適性に、年齢はあまり関係がない、というのがVANの考えだ。
「深読みかとも思うんですけど、そう思わせることも策略のうちかもしれないと考えると、迂闊には動けなくなってしまいます」
 ダスクの言葉に、副隊長は考え込んでいるようだった。
 先手を打とうとするのが正しいのかどうか、考え出せば再現なくループしてしまう。そうして混乱しているうちに奇襲する作戦かもしれない。
 すでにVANの部隊が三度も失敗している相手だ。用心してかからなければならない。
「それで隊長が先行したか」
「はい」
 副隊長の言葉に、ダスクは頷いた。
 基本的に、VANの部隊は最も強い者が隊長に選定されている。VANには突撃、機動、特務の三部隊があり、それぞれの適性に見合うように構成員が割り振られるようになっている。しかし、部隊長だけは特別で、適性と共に実力順で部隊長へ割り振られている。
 また、副隊長は部隊長が選抜することになっており、人員の多い部隊では副隊長が複数いるところもある。
「ダスク、我々も後を追おう。他の者は予定通り頼む」
 副隊長は近くの部下にそう伝えると、ダスクを伴ってマルヴを追った。

 翌日、VAN本部内にある医療区画の一室にダスクはいた。
 ベッドで横になっているのは、マルヴだ。
 ダスクたちがマルヴの下へ辿り着いた時、すでに戦闘は始まっていた。マルヴの先行を待ち伏せされていたようだった。敵勢力に包囲されながらも、マルヴは互角に戦っていた。
 だが、一人で戦っていたマルヴの疲労は濃く、彼の実力を知っているダスクにとって複数とはいえ、それほどの力を持った相手だということに驚かされた。だが、その状況では加勢する以外の選択肢はない。
 ダスクと副隊長はマルヴの援護に入り、敵勢力と戦った。
 だが、予想以上に手強く、殲滅はできたものの、無傷とはいかなかった。
 潜んでいた伏兵からマルヴを庇った副隊長が命を落とし、マルヴ自身も右腕を失った。もし、腕が綺麗に切断されていたなら、医療班の治癒系能力者の力で元通りに治すこともできただろう。だが、消滅させられてしまった腕を治癒ではなく復元するのは難しい。
 ダスクはマルヴに呼び出され、病室に来ていた。
「ダスク、私は実動部隊を引退しようと思っている」
 マルヴの言葉を待っていたダスクは、その一言に思わず伏せていた顔を上げた。
「元々、私自身も戦うのは好きではなかったからな、それに、このざまではいざという時に皆の足を引っ張りかねん」
 片腕を失っていても、力を使って戦うことはできる。傷口自体は医療班の能力者によって処置され、もう痛みもほとんどないらしい。だが、今まであったもの が存在しない違和感に慣れるには時間がかかる。体の微妙なバランスや戦闘技術の中で、右腕に頼っていた部分は少なからずある。
 たとえ戦うこと自体はできたとしても、特殊部隊の、それも隊長という役割ではその違和感が命取りになりかねない。ない腕に頼ってミスを犯さないとは限らない。
「幸い、蓄えもある」
 特殊部隊のリーダーをしていたのだ、給料もそれなりに高いだろう。VANが中心となって形成されている街なら、こういった形での引退者にも可能な仕事の斡旋などもあるだろう。
「それに、特殊部隊長は忙しくて、家に帰る機会が少なくてな、娘にも中々会えんのだ」
 苦笑するマルヴを、ダスクはただ見つめていた。
「……そこで、私の穴は、君に埋めてもらいたい」
 唖然としているダスクを見て、マルヴは優しい笑みを見せた。
 それはつまり、ダスクをマルヴの後任に推薦する、ということだ。
「そんな、冗談でしょう? 僕はまだ十三ですよ?」
 ダスクには信じられなかった。今年で十四歳になる子供に、部隊長、それもトップクラスの特殊部隊のリーダーをやれと言うのだ。
「ダスク、君の実力はもう私より上だ。指揮能力も高い」
 マルヴの言葉に、ダスクは首を横に振った。
「苦戦していたあの時、君の加勢がなければ私はやられていた。君のアシストはいつも適切だった。作戦立案能力も高い」
 確かに、客観的に見ればダスクと副隊長が加勢したことで任務は成功したと言っていい。だが、それをダスクの実力だと言うのは言い過ぎだ。
 第一特殊機動部隊という部署で、皆の足を引っ張らぬようダスクも必死だった。
「僕は、隊長なんて務まりませんよ……」
 俯いて、ダスクはそう告げた。
 自分に隊長なんて務まらない。いくらVANが実力主義の組織だといっても、十三、十四の子供に部隊の指揮を任せるなんて異例過ぎる。マルヴが良くても他の者が認めるとも思えなかった。
「本当は、怖いんだろう? 仲間の命を背負うことが」
「そりゃあそうですよ、僕には重過ぎます」
 マルヴの言葉に、ダスクは顔を上げる。困惑した表情で、マルヴに食らいつく。
「命を背負う重さを感じられるなら、お前にリーダーは向いているさ」
「僕には背負えません。買い被り過ぎです……」
 優しく言い聞かせるような口調のマルヴに、ダスクは首を横に振って背を向けた。
「お前が前線に出るようになってから、うちの部隊の死傷者は半分以下になった。部隊の誰もが、私を含めてお前の力に命を救われているんだ。皆、認めている」
 マルヴが左手をダスクの肩に置いた。
「私の後任はお前がいい、と皆口を揃えたよ。お前なら、安心して命を任せられる、と」
「だからって……!」
 振り返ったダスクが見たのは、いつになく真剣なマルヴの表情だった。
「私の後を継げば、多くの人をその手で殺めなければならないだろう。お前が命の遣り取りを嫌っているのは知っている。だが、だからこそ、私はお前に頼みたいのだ」
 ダスクは何も言い返すことができなかった。
 ダスクの考えや思いも、すべて分かった上でそれでもマルヴはダスクに隊長を任せたいと言っているのだ。
「私は、VANに忠誠を誓ってはいない」
 マルヴの言葉に、ダスクは俯きかけていた顔を上げる。
「いずれ、VANが表舞台に立った時、この世界は大きく揺れ動くことになる。その時、VANという場所が我らにとって良い場所となるのか、私には判断ができない」
 以前、マルヴは言っていた。VANという場所を、総帥であるアグニアを信じているわけではない、と。能力者たちが、自分たちが住まう場所を作るためVANに参加しているに過ぎない、と。
「もう三年前の話になる。あの時、VANは一度滅びかけた……」
「三年前?」
 マルヴはダスクを見て一つ頷くと、語り出した。
「たった二人の能力者に襲撃され、VANは壊滅状態になった。だが、壊滅状態になったのは戦闘員がいる本部施設だけで、他の居住区画などには一切被害が出なかった。あの一件でVANは今のような部隊編成をするに至ったと言っても過言ではないな」
 たった二人の能力者に、VANが敗北した。今の部隊編成の状況を知っているダスクには、信じられなかった。
「あの二人と対峙した時、私は今の考えをするようになったのだ。あの二人は、VANという場所を望んでいなかった。今までと同じ場所で生きようとしてい た。恐らく、放っておけばあの二人はVANと敵対することもなく、それぞれ生きて行けただろう。それだけの強い心を持ち合わせていたと思う」
 マルヴはどこか悲しげに目を細めた。
 VANは、その二人にVANの意思を強制したのだ。それを拒んだ二人を敵視し、排除しようとしたことで彼らは反発し、VANへ乗り込んできたのだろう。
「たとえ、能力者であろうと、VANがその者にとって良い場所かどうかを決めるのは本人だ。私はここに守りたい者がいた。あの二人にも、守りたい者がいた。だから、その話を聞いた時、私は彼らに道を開けていた」
 敵であっても、想いを理解できてしまった。同じ理由で戦っていた。マルヴが守りたい者は、居住区にいる。その二人にとって、マルヴも、マルヴの守りたい者たちも、敵ではなかった。そう気付いてしまったから、マルヴは二人を先へと進ませた。
 VANの部隊長としては失格だ。当時は今のような部隊長という立場ではなかったのかもしれない。そもそも、部隊長という役職があったかもわからない。
 マルヴがVANに忠誠を誓っていない理由が、ダスクにもようやく理解できた。
「私はVANを妄信してはいない。今は、多くの能力者にとってこの場所は住み良い場所だ。だが、必ずしもこの場所が最良というわけではないだろう」
 人によっては、元の場所でひっそりと暮らしていきたい者もいるはずだ。VANに来ることを強制するのが良いことだとは思えない。やがて、世界に能力者という存在が知られた時、VANが表舞台に立った時、この場所が住み良い場所たりえるだろうか。
「お前に任せたいのは、VAN第一特殊機動部隊じゃあない。そこに属する能力者たちだ」
 VANのためではない、自分の思う未来のために生きようとする者に、後を任せたい。マルヴはそう言ってダスクを見た。
「もし、お前がVANを間違っていると思うなら、お前についていく者たちと共にVANを抜ければいい。あるいは、お前がVANの総帥になって、変えてしまえばいい」
 ダスクは顔を伏せた。
 戦うことなく、平穏に過ごして行きたい者の気持ちが、ダスクには良く分かる。ダスク自身がそうだったから。だが、今までいた場所にダスクの居場所はなく なってしまった。ダスク自身も、戻れないと思ってしまった。だから、ダスクはVANへ身を置いた。自分と同じ思いをする人を少しでも減らす力になれれば、 と。
「ただ相手を否定するだけの者をリーダーにはしたくない。対峙する敵をも思いやれる者がリーダーの器だと私は思っている」
 同じ思いを抱く者と戦わなければならないかもしれない。だが、だからこそダスクがいいのだと、マルヴは告げた。
「……分かりました」
 少なくとも、マルヴの部隊は皆、優しい者たちだ。それでもその中からダスクがいいというのなら、ここまで言われては断れない。
 恐らく、ダスクに断わらせる気はなかったのだろうが。
「お前ならきっと、良いリーダーになれるさ」
「やれるだけ、やってみますよ」
 笑みを見せるマルヴに、ダスクは苦笑を返した。
 マルヴはダスクに何を見い出したのだろう。その思いが何であれ、マルヴはダスクを信頼して後を託すことにしたのは間違いない。ダスク自身、自分がマルヴの思いに応えられる器かどうか、正直なところ自信はない。ただ、ダスクもマルヴを信頼している。
 ダスクだからこそ託す、その思いには応えたい。
 マルヴが思い描く未来は、きっとダスクの求める未来と同じだろうから。

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