EPISODE OF LIZE 「私の居場所」


 1 『誰か助けて』

 ――混乱と恐怖だけで、何も考えられなかった。
   死にたくない、それだけしか頭になかった。

 はじめは、何が起きたのか分からなかった。
 三人の友達と学校の帰りに立ち寄った喫茶店の中に、突如悲鳴が響き渡った。逃げ惑う人々の中、店の奥の方の席にいた私たちは何が起きたのか把握するのが遅れた。
 店員が一人、床に倒れていた。額に突き刺さったナイフと、見開かれた生気の無い瞳に、私は言葉を失った。
 気付いた時には手遅れで、私たちは強盗たちの人質にされていた。
 店内にいた客たちは次々に殺されていった。逆らおうとしない人まで、強盗たちは容赦なく命を奪った。
 残ったのは、私と、友達の四人だけだった。
 殺されていく人々の姿をその目に焼き付けられ、私たちは声を発することもできずにただ震えることしかできなかった。
 そして、友達の一人が目の前で犯され、殺されるのを、私はただ怯えながら見ていることしかできなかった。
 強盗たちが何人いるのかさえ、私には把握できていなかった。容赦なく、目の前の人間を殺す。そんなことができる人間を、私は見たことがなかった。まるで その辺の石ころやゴミを見るかのような、冷たい目で、それがさも当然のことのように犯し、殺す。強盗たち同士は至って普通に会話をしているように見えた が、正気の沙汰とは思えなかった。
 同じ人間だとは思えない。
 化け物だ。
 他の友達も順番に凌辱されていった。壊れて、反応を示さなくなると殺されていった。
 最後に残ったのが、私だった。
 もう、頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。何度も吐いた。この店に来るまで笑い合った友達が泣き叫ぶ姿や、壊れた人形のように床に転がっている姿に、嘔吐した。
 そして、男たちの手が私に触れた時、理性が、飛んだ。
 どんな叫び声だったのか、私は覚えていない。
 ただ、何も見えなくなって、私という存在そのものが口からすべて吐き出されてしまうかのような、叫び声をあげていた。
 その瞬間だった。
 世界のすべてが、ほんの一瞬だけ薄い藍色に包まれた。
 淡い藍色の光を感じた時、消えかけていた私の意識が呼び戻された。
 目を開ければ、男たちが皆、吹き飛ばされたかのように壁に叩きつけられていた。壁に背中を強打し、床に崩れ落ちている。壁にヒビが入るほどの衝撃だったらしい。
 次に気付いたのは、私自身が光の膜に包まれているということだった。
 鮮明に周りのものが見えて、聴こえて、感じられた。
 何がなんだか分からない。
 ただ、助かった。
 そう、思いかけた時だ。
 私の目の前で、吹き飛ばされた男たちが身を起こした。驚いたような表情をしつつも、その態度に慌てた様子はない。むしろ、面白そうなおもちゃを見つけたような、残忍さすら感じる目をしていた。
 背筋に寒気が走る。悪寒に体が震えた。
「い、いやぁぁぁぁぁあああああっ」
 拒絶するように、叫ぶ。
 その瞬間、私を中心に発生した衝撃波が、男たちを再び壁に叩き付けた。
「こいつ、能力者じゃねぇか」
「何だ、覚醒したてか」
「驚かせやがって……」
「まぁ、この程度なら問題ねぇさ」
 下卑た笑い声と、身勝手な会話が交わされていた。
 見れば、強盗たち全員が、私と同じように、その身を光の膜に包んでいた。全員が違う色の光の膜を纏い、身に纏うのと同じ輝きを帯びた目を、私に向けている。
 もう、私から放たれる衝撃波に、男たちは吹き飛ばされなかった。
 血の気が引いた。歯の根が合わずに、カチカチと音を立てる。
 立とうとして、見えない何かに足を掴まれた。両腕が何もないのに空中に固定される。
 分けも分からずもがく私を見て、男たちがゲラゲラと下品な笑い声を上げていた。
 男の一人が手をかざせば、触られてもいないのに体中をまさぐられているような感触に襲われた。服も、下着も、まるで無いもののように、その感触は透過してくる。
 私は叫び、力の限り暴れた。思いの限り衝撃波を撒き散らし、掴まれた両手両足を力任せに動かす。
 だが、敵わなかった。
 私の腹に、穴があいた。いや、見えない何かで、貫かれた。血が噴き出し、痛みが思考を埋め尽くす。熱と激痛に、泣き叫ぶ。
 服が乱暴に引き千切られ、男の一人が脇腹に膝蹴りを叩き込んだ。衝撃波のお礼だとか、言っていた気がするが、良く覚えていない。
 両手両足を固定されて、うずくまることも、のた打ち回ることもできずに、苦痛にあえぐことしかできなかった。涙と鼻水と涎を撒き散らしながら、抵抗を続けた。
 それも、無駄だった。
 最後の下着が剥ぎ取られて、目の前に男が覆い被さろうとするのが見えて。
 そこで、私の精神は、砕け散った。
 嵐のように、衝撃波が周囲に撒き散らされる。部屋の中にあるあらゆるものを吹き飛ばし、自分の周囲にあるすべてを弾き飛ばす。男たちが木の葉のように宙を舞い、私を掴んでいた力が消える。
 思考は拒絶の二文字で埋め尽くされていたように思う。
 自分以外のすべてを、衝撃波で拒絶していたのだろう。建物は崩壊寸前だった。
 衝撃を浴びて傷を負いながらも、一人の男が私の前に立つ。光を帯びる血走った目に、敵意と憎悪を漲らせて、私に迫る。
 箍の外れた恐怖から放たれる衝撃波もものともせず、男が私に手を伸ばす。
 その手が、突如飛来した黒い球体に飲み込まれて消滅した。
 男はすぐさま飛び退き、飛来した方向へ視線を向ける。
 その時にはすでに、私と男の間に、誰かが立っていた。紫の光を帯びた、小柄な人影が、私の前にいた。
 視界が歪む。
 意識が途切れる寸前に、私の目に映ったのは、紫の光だった。


 2 『失くした居場所』

 ――心が壊れてしまっても、生きたいという本能は残っていた。
   だから、守ろうとしてくれる人の力になりたいと、願えたんだと思う。

 気がついた時、私は病院にいた。
 目が覚めた私は錯乱していた。犯される、殺される、そんな恐怖で頭の中が一杯になっていて、とてもではないがまともな精神状態ではなかった。
 鎮静剤と麻酔が打たれ、直ぐに眠らされた。
 次に目覚めた時は、いくらかマシになっていたように思う。
 麻酔が残っているせいで朦朧とする意識の中、私が今いる場所があの店の中ではないこと、恐らく病院であろうということをどうにか理解した。
 何があったのかは、良く覚えていない。
 あの店に一緒に行った友達が、犯され、殺されたことは覚えている。その後、私の身に何が起きたのか、良く思い出せなかった。
 私も狙われたというのは覚えている。順番が最後になったのも。
 ただ、そこから先は思い出すのを自分で拒否しているようで、考えられなかった。無理に思い出そうとすると、吐き気が込み上げてきて、全身の震えが止まらなくなった。
 実際、事情聴取を受けた際に思い出そうとして、何度か嘔吐した。
 聞くところによると、私はあの店の隅の方に倒れていたらしい。強盗たちは警察が来る前に逃げたらしく、掴まってはいないようだ。
 ただ、それを聞いた私自身も不思議だったのだが、幸いなことに、私は犯されていないらしい。
 安堵する反面、どこか腑に落ちなかった。
 それがどうしてなのか分からないまま、私は退院することになった。
 両親は私が奇跡的に生き残ったことを神に感謝していた。
 退院した翌日、学校に行こうとして、足が竦んだ。外に出ようとすると、無意識のうちに足が震えだしていた。一人では、外出することができなくなっていた。
 学校まで行けば見知った人がいる。だからと、母親に付き添ってもらって学校まで行った。
 だが、私の予想は裏切られた。
 家族や警察からすれば、私は奇跡的に生き残った人間に違いはない。しかし、それは同時に、生き延びてしまった人間でもある。
 あの時に殺された友達は、私にとっても仲の良いクラスメイトたちだった。だが、同じように、その友達たちと仲の良かった人も学校にはいる。
 良い意味でも、悪い意味でも、私は浮いてしまっていた。そして、悪い意味の方が勝っていた。
 何故私だけ生き延びたのか、不自然な点はあった。偶然順番が最後になったから、だけでは納得し切れないだろう。
 生き延びるために友達を差し出して時間を稼いだんじゃないかだとか、犯人たちに同調して自分だけ助かったんじゃないかだとか、あらぬ推測が飛び交った。
 当然、私はそれらを否定した。だが、当事者の私ですら、自分が何故助かったのか覚えていないのだ。本当にそういったことをしていない、とも言い切れなかった。
 思い出せ、と言われて学校で吐いたこともあった。
 突然、あんな残虐な事件に巻き込まれて友達を失ったのだから、周りの者たちも荒れて当然だ。それを、ただ一人生き延びた私にぶつけるのは、ある意味仕方のないことだったのかもしれない。
 ともかく、学校に、私の居場所はなくなっていた。
 一人で帰れない私には、帰宅の際にクラスメイトの中から付き添いが選出された。その態度は、腫れものを触るかのような、腰が引けた態度だった。家が見え たところで、もういい、と告げるとその付き添いは直ぐにその場を去っていった。あと数十メートルの距離を、私は気を失いそうになりながら帰った。
 そうして、私は家から出ることもできなくなった。
 得体の知れない恐怖が、あらゆるところから押し寄せてくるような錯覚に襲われて、怯えながら何日かを過ごした。
 そしてある日、両親も弟も家を空けており、私しか家にいない時、彼らが現れた。
 精神的にも落ち着いてきていた私は、家の中でならまともに動けるようになっていた。リビングで物音が聞こえて、両親が帰ってきたのだと私は勘違いした。
 扉を開けた私は、そこにいる男たちに言葉を失った。
 あの時の犯人たちだった。
 数は半分ほどに減っていたが、忘れたくても忘れられない顔があった。
 強引に家に突入したような、派手な物音はしなかった。どうやって入ってきたのかと、思った瞬間、男たちが光の膜を体に纏った。
 瞬間、私の体の奥を電撃が駆け抜けたような気がした。
 拒否していた記憶が甦った。
 異様な力を操る男たちと、同じ、異質な力に目覚めた自分。その力で抵抗して、負けた。
「あ……あぁ……ぁ」
 震えて、声が出ない。
 頭の中は真っ白になって、もう何も考えられなくなっていた。
 逃げようと後ろに一歩足を引いて、力が入らずにへたり込む。
「おい、こいつ漏らしてやがるぞ」
 失禁する私を見て、男たちが下品な笑みを浮かべながら歩み寄ってくる。その目は以前よりも狂気に満ちているような気さえした。
「まったく、見つけるのに手間取ったぜ……」
「あん時はあの野郎のせいで食えなかったからな……」
 あの時の恐怖と絶望が膨れ上がって、弾けた。
 拒絶を声にしようとして、できなかった。全身が震えていて、うまく動かない。声も出ない。
 あの時のような、力も使えない。使い方も分からない。あの時の感覚は、恐怖でしかない。覚えていたところで、もうこいつらには通用しないと分かっている。
 もう、ダメだ。
 今度こそ、逃げられない。
 男の手が私に伸びる。
 目を閉じたくても、それさえできなかった。
「陽動とは、小賢しい真似をする……」
 不意に、声が間に割り込んだ。
 目の前で、伸びてきた男の手が不自然な方向に折れ曲がった。人間の構造上、ありえない方向に。
 男が絶叫を上げ、その場から飛び退く。次の瞬間、飛び退いた男が、潰れた。プレス機に押し込まれたかのように、上下から見えない何かに挟まれて。皮膚から骨が飛び出し、血が噴き出す。だが、その血液や骨さえも、見えない壁に阻まれている。
 目の前で、男の一人が数センチほどの厚さの肉塊になって絶命する。
「き、貴様っ!」
 男たちの視線の先で、一人の少年が家に足を踏み入れていた。
 綺麗に削り取られた壁から現れたのは、黒いスーツに身を包んだ少年だった。アッシュブロンドの髪に、整った顔立ちの少年だった。年恰好は私と同じぐらいに見えた。凛々しい表情の中に怒りを滲ませている。
 だが、何より目を引いたのは、彼の体を紫色の膜が覆っているところだった。
 あの輝きを、私はどこかで見たことがある。
「……すまない」
 私を見て、少年が申し訳なさそうに呟いた。
 何も言い返せないでいる私の前で、戦いは始まっていた。
 広いとは言えない部屋の中を、少年が縦横無尽に駆け抜ける。重力や慣性を無視した動きで、壁や天井をまるで床と同じであるかのように足場として、男たちの攻撃をかわしていた。
 男たちの繰り出す見えない攻撃も見えているようで、少年は足を止めることなく動き回っていた。
 漆黒の球体が部屋の中を飛び回る。男たちがそれをかわすように動き回る。
 リビングは滅茶苦茶になっていた。少年は部屋に被害を出さぬように気を付けているようだったが、男たちは当然のことながら家のことなど考えてはいない。戦いの余波でテーブルや椅子は破壊され、花瓶は砕け、ソファやカーペット、カーテンなどは引き裂かれていった。
「VANだか何だか知らねぇが、俺たちに刃向かったことを後悔させてやるっ!」
「小賢しいガキめ!」
 男たちがどんな攻撃を繰り出しているのか、当時の私には分からなかった。少年がどうやってそれを避けているのか、彼の反撃がどういうものなのかも、私には理解できていなかった。
 ただ、少年が私を守ろうとしているのだということだけは、何となく気がついていた。
「たった一人に惑わされるな! 追い込め!」
 リーダー格らしい男の指示に、他の男たちが従う。
 少年は平然と対応しているように見えたが、決定打に欠けているのは明らかだった。
 何故、彼は私を庇って戦っているのだろうか。
 私は、何をしているのだろう。
 逃げることも、動くことさえできずに、私はただそこにいるだけだった。
「よし、そいつを引き付けておけよ! 先に女を殺す!」
 リーダー格の男が、私に迫る。
 足が竦んで動けない私を、光を帯びた目で見下ろす。
 男が手を伸ばす。
 だが、その手を、少年が掴んでいた。
 男が驚愕に目を見開いた瞬間には、少年の手が男の腕を引き千切っていた。
「下衆が……!」
 紫の輝きに包まれた瞳に、嫌悪を滲ませて、少年が言い放つ。
 その背後で、少年に突撃してくる敵の姿が見えた。
 片腕を失ったリーダー格の男も、攻撃の体勢になっている。
 恐怖で、体が震える。心が竦む。
 けれど、私の中で、何かが叫んでいる。
 死にたくない。
 彼が、私を守っている。彼が死ねば、私も殺される。
 助けたい。
 助けなければ。
 思いが弾けて、目の前に光が満ちる。
「ああああああああああっ」
 叫び、思いの限りを解き放つ。
 衝撃波が周囲に放たれる。少年だけを避けるように。
 迫ってきていた男たちが吹き飛ばされる。その隙を見逃さず、少年が漆黒の球体をばらまいた。球体は触れたものすべてを削り取り、縦横無尽に動き回って男たちを跡形もなく飲み込んだ。
 その場に残ったのは、少量の血痕と、荒れ果てたリビングだけだった。
「助かったよ、ありがとう」
 呆然としている私に、少年はそう言った。
「私……何が?」
 あの時と同じ、薄い藍色の輝きに包まれた両手、体に視線を落として、私は小さく呟いた。
「……君は、能力者に覚醒したんだ」
 少年が、静かに告げた。
「俺たちの下へ、来ないか?」
「え……?」
 顔を上げると、少年と目が合った。
「能力者たちの居場所を創ろうとしている組織、VANへ」
 居場所、その言葉に、びくりと肩が震えた。
 能力者というものが何なのか、まだ分からない。ただ、私に居場所がないということだけは、はっきりと分かった。
 私は、少年と、あの男たちと同じ、ただの人間ではなくなってしまったのだ。この体を包む光が、私の意思に呼応して放たれる衝撃が、その証拠だ。
「あなたは……?」
「俺は、ダスク……ダスク・グラヴェイト」
 か細い私の問いに、彼は優しく、そう名乗った。


  3 『力なんて……』

 ――急変した環境と自分に、私は馴染めなかった。
   あの人がいなければ、私はきっと逃げ出していただろう。

 辿り着いたのは、大きな建物だった。
 その中へ案内され、通路を進んでいく。思っていたよりも、中には人がいた。
 VAN、とダスクは組織の名を教えてくれた。
 力に目覚めた者たちが、自分たちが生きる場所を創るために集まった組織ということらしい。ダスクはその組織の実動部隊の人間で、その中の部隊の一つを束ねる隊長を務めているらしい。
 私が覚醒して直ぐに、彼は電話越しに部下へ指示を出していた。
 どうやら、あの場にダスク以外に誰も現れなかったのも、彼の部下が動いていたのが理由のようだ。言われてみれば、あそこでの戦いには他者の視線という類 への気遣いはなかったように思う。物音や器物の損壊など、敵はお構いなしだった。誰かに見られていてもおかしくはないし、騒音などで人が集まってきても不 自然ではない。
 人払いをしつつ、そうと分からないようにあの戦闘を周囲に気取らせぬ細工をしていたようだ。
 ただ、だからといってあの場に長く留まることもできなかった。
 いつ、私の家族が帰ってくるかわからない。
 ダスクは私をVANに来ないかと勧誘した。私は、直ぐに返事ができなかった。
 こんな力を持った人たちが沢山いる場所で、私はやっていけるのだろうか。以前に襲われた時の恐怖が甦り、背筋が震えた。
 化け物だと、自分がそう思ってしまった存在と同じものに、私はなってしまった。この得体の知れない力が急に怖くなって、呼吸が乱れた。
「落ち着いて。君は君だ。力に目覚めたからと言って、それは変わらない」
 ダスクは私の両肩に優しく手を乗せて、静かに言った。
 発狂してしまわなかったのは、彼の優しげな声音と、誠実さを感じる瞳があったからだと思う。
 もうこの家にもいられない。その思いだけは、私の中ではっきりと形になっていた。何かの拍子に、私が襲う側になってしまうのが怖かったから。もう普通の 人間ではなくなってしまったと思った。それに、それまでと同じように生きていくことはできないだろうと、思えてしまった。そもそも、現時点でまともに生活 ができていないのだから、尚更だ。
 消去法でいけば、彼と共に行く以外に道はなかった。
「まずは登録だ。覚醒したばかりだから力についても訓練を受けなければならない」
 連れてこられた本部施設の正面ゲートから入って直ぐの窓口で、彼は私に手続きの説明を始めた。
 VANという組織に所属する者としての戸籍登録が必要とのことだった。必要な情報は自分の経歴のようだったが、過去を捨てることもできる、とダスクに説明された。これまでの自分とは違う、新しくVANの人間として生きたいと思う者は少なからずいるらしい。
 リゼ・アルフィサスという名前を捨てて、新しい名前で登録することができるようになっているらしい。経歴自体の記入は必要なようだが、それは人物としての情報管理目的とのこと。
 忘れてしまいたい記憶は確かにある。私は暫く迷った後、自分が両親からもらった名前を記入した。
「表舞台に立った時、名前が知られるかもしれないぞ」
 ダスクの言葉に、私は小さく頷いた。
 VANは水面下に潜んで動いているが、いずれは世界にその存在を示し、能力者の国として表舞台に立つことになる。その時、自分の名前が世界中に知れ渡る 可能性もある。そして、そうなった時に自分の名前を見つけた家族はどう思うだろうか。死んだと思っていた娘が生きていたと喜ぶのか、能力者になった娘を見 て絶望するのか、分からない。周りから迫害されるかもしれない。
 それでも、両親と共に過ごした記憶や思い出を捨てることは私にはできなかった。
 書類を窓口に提出した後は、力についての説明を受けた。
 小さな応接室のような場所に移動し、部下の一人に飲み物を持ってくるように指示すると、ダスクはテーブルをはさんで私の向かいに腰を下ろした。
「さてと、じゃあ、力について詳しく説明しよう」
 ダスクはリラックスした様子で話し始めた。
 この具現力と呼ばれる力は、潜在的に全ての人が持っているだろうということ。力の原理や分類、特性や扱い方の注意点などを説明してくれた。
「もし疲れているようなら明日でもいいが、大丈夫ならこの後は簡単な訓練を受けてもらう」
 覚醒したばかりだから、扱い方を実際に学ぶ必要があるそうだ。それはそうだろう。意図せずに力を使ってしまうようでは、自分だけでなく他の人間にとっても危ない。最低限、力の発動と解除はできるようにならなければならない。
 暴発の危険性があるままでは安心できないからと、私は訓練を受けることにした。
 ダスクの指導の下、力の発動と解除、基本的な扱い方を学んだ。
 私の力についても、ダスク自身の観察と分析、部下に指示を出して調べさせた情報などから判明したことを教えてくれた。
 衝撃生成能力という、衝撃そのものを発生させるのが私の力だということが分かった。力場の内側に衝撃を発生させ、任意に解き放つことができる、というものだった。
 力を正しく理解、認識することで、睡眠中や意図しない無意識の暴発を防ぐことができるらしい。
 一通り扱えるようになると、ダスクは今後の身の振り方について話を始めた。
「三ヶ月間は基礎訓練、その後は、居住区で暮らすか、構成員になるかのどちらかになる」
 居住区では、小さな都市のような場所で生活することができるらしい。それこそ行政や学校など、国のように生活基盤ができているようだ。外の世界との直接 的な繋がりはないが、外の情報はそれを専門に扱うメディア部署が存在し、外部にはVANと分からぬように物資をやり取りしている企業などもあるようで、ほ とんど外界と変わらぬ生活が送れるとのことだった。インターネットも繋がっているとのことだったが、内部から外部へと出る情報は厳重に管理と規制されてい るようだ。
 VANはそういった居住区の管理や隠蔽も司っていた。VANは居住区も含めた全体を指す言葉だそうだが、大抵は組織の人間のことを呼ぶ言葉になっているとのことだった。
 VANの構成員になることは、ここに住まう能力者たちにとっては胸を張れることらしい。いわゆる公務員に近い立場ということなのだろうか。
「君はまだ十四歳だから、一年間は学校に通うこともできる」
 能力者は十代で覚醒する者が多いらしく、保護した者の多くは未成年らしい。義務教育を終えずにここへくる者も多い。VANでは十五歳以上を責任が持てる 年齢としているようだった。十五歳未満は学校で教育を受けることもできる。保護者などがいない者も多く、学校には寮もあるとのこと。
「構成員には、実動部隊と事務要員がある。適性検査の内容次第ではあるが、希望すれば所属の選択は不可能じゃない」
 基本的に人材不足のVANにとってはよほどの問題がない限り構成員になることは難しくはないようだ。ただ、人材不足なのは戦闘という危険性のある実動部隊の方で、そういったもののない事務要員の方の人手はそれなりに足りているらしい。
 実動部隊はVANの生活圏内での待遇はかなり良い部類ではあるようだが、戦闘行動が伴うため、常に人手は募集しているようだった。
 能力者といえど、無敵ではない。油断すればたとえ相手が一般人であっても命を落とすことはある。ダスクはそう念を押した。
「それに、VANと敵対する能力者も中にはいる」
 ダスクのその呟きには、複雑な感情が混じっているように感じられた。
 ただ、憤りや怒りといったものは不思議とあまり感じなかった。
「敵対する能力者……」
 小さく、呟いた。
 VANの理念に賛同しない者がいるのは、不自然ではない。力を得たことで、それを自分の欲求を満たすためだけに振るう者がいたとしてもおかしくはない。
 現に、私はそういう輩に襲われた。
「身勝手に力を振るうような者に容赦するつもりはない。ただ……」
 ダスクの表情が僅かに悲哀を帯びる。
「VANの行動こそ身勝手だと言う者も中にはいる」
 能力者のすべてが、自分たちの居場所を失っているわけではない。居場所を失くしていないなら、わざわざVANに属する必要もない。むしろ、VANの最終 目標である表舞台にその存在を認めさせることこそ、そういった者たちにとっては傲慢に映っているのかもしれない。今、暮らしていけている世界を壊すことに なりかねないから。
「あなたは……どうしてVANに?」
 自然と、私はダスクにそう尋ねていた。
「……俺は、居場所を失くした、いや、失くしたと思ってしまったから、かな」
 少しだけ寂しげな笑みを浮かべて、ダスクは答えた。
「自己満足かもしれないけど、少しでも居場所になってやりたいと思ったんだ」
 自分と同じように、力に目覚めて居場所を失くした者たちの居場所になりたい。ダスクはそう語った。部隊を率いているということは、少なくともその部隊に属する者たちの居場所にはなれるんじゃないか、と。
「……それと、君には謝っておかなければならない」
「え……?」
 私が何も言えずにいると、ダスクは目を伏せた。
「君を二度も危険な目に合わせてしまった」
 悔しそうに、ダスクは声を絞り出した。
 そうだ。
 私は、二度、彼に助けられている。それは、逆を言えば二度も襲われているということだ。
「最初に襲われた時、君は確かに力を使っていた。だが、その覚醒は一時的なもので、恐らくはそれ以上の力を受けた恐怖が、君の心ごと力まで閉ざしてしまったんだと思う」
 あの時の恐怖は今でも思い出したくない。背筋に寒気が走り、無意識のうちに体を抱くようにしていた手に力を入れていた。
「強引にでも、ここへ連れてくれば良かったと後悔している」
 完全に覚醒していない、能力者でない者をVANに連れてくることはできない。
 襲われた時の記憶や恐怖を、私は力ごと封印したのだろう。だから、あの時の私はまだ能力者ではなかった。
 ダスクは本部に連絡を取り、連れて行くことを提案したらしい。ただ、能力者かどうかを判別できない者を無闇にVANへ引き入れることはできない。
「あの時にあいつらを殲滅することができなかったのもあって、監視させてもらっていたんだ」
 もし私が能力者に覚醒するようならばVANへ、そうでないなら安全だろうと判断したところで撤収する予定だったらしい。監視と同時に、逃げた能力者たち の行方を部下に探らせていたようだ。逃げた者たちが唯一の生き残りである私を始末しようとしているのを察知して、直ぐに対処してくれたようだが、後手に 回ってしまったことをダスクは悔いているようだった。
 ただ、あいつらがVANの見立て以上に手強い敵だったのだということを、ダスクは理由にしなかった。
「……そうだったんだ」
 何と返事をしていいのか分からなかった。
 二度も助けられたのだから、一言感謝ぐらい言うべきだったのに。ダスクに非はないことは分かっていても、あの時の恐怖が私の中で渦巻いている。
「とりあえず、今後どうするかは基礎訓練期間の間にゆっくり考えるといい」
 ダスクはそう言って、部下に私をとりあえずの住居、本部施設内の一室へと案内させた。

 それから数週間はVANという組織の概要や居住区の現状など、ここで過ごすための基本的な知識を学ぶと同時に、力の訓練を繰り返した。
 座学の方は特に問題はなかった。だが、訓練の方は芳しくなかった。
 力の解放と解除は問題なく行えるようになっていたが、力の行使が安定しなかった。
 訓練の際に立ち会ってくれた本部施設の事務職員は、不安定さが私の力の特性なのか、何か問題があって安定していないのか、判断に困っているようだった。 精神と密接に結びついている力だから、私の心に何かしらの問題があれば力の発動にも影響が出ている可能性もある。だが、力の存在自体が完全に解明できてい るわけでもなく、VANという組織でも研究が続けられていることを考えれば、不安定なのが私の力の特性と見ることもできた。
 結局、その時点で判断することはできず、もし戦闘を行う実働要員を希望するのであれば、あまり高位の部隊には配属されないだろうと告げられた。
 戦闘能力が安定しないということは、共に戦う味方にとっては不安な要素だ。たとえ調子が良く、高い戦闘力を発揮して困難な任務を達成することができて も、毎回それだけの力を発揮できるという保障がなければ出世も難しい。それどころか、不調な時は足手まといでしかない。不調な時に好調な時の力を期待され たとなれば逆に味方が危険だ。
 忙しい中、様子を見にきたダスクに近況を聞かれ、私はそれまでの経緯を伝えた。
「私は、居住区か事務職員の方が良いかもしれない」
 戦闘要員には向いていないと、ダスクに伝えた。
 やはり、私は必要とされていない。実働部隊に居場所はなさそうだった。このまま居住区で過ごすとしても、私は自分の居場所を見つけられるのだろうか。
「……そうか」
 休憩室の椅子で私の話を聞いていたダスクはそう言って押し黙った。
 何かを考えているようで、じっと私を見ている。
「あの……?」
 何を考えているのだろう。
「俺は……君の力は有用だと思っているんだけどな」
 暫く黙っていたダスクは、ぽつりとそう呟いた。
 耳を疑った。私の力が有用だと言った者は、ここまで誰一人としていなかった。衝撃波を発生させるという力は確かにVANの中でも私しかおらず、特殊なものだ。だからこそ、不安定さが特性なのかどうか前例がなく判断できなかったのだから。
「え……?」
 私は驚いてダスクを見ていた。
 彼は至って真面目な表情で、その意見を口にしたようだった。
「……本当に、君自身に問題はないのか?」
 ダスクの言葉に、私は答えることができなかった。
「夜、君の様子を見に行った時、うなされている声が聞こえた」
 起きていれば近況を聞こうと思っていた、とダスクは付け加えた。
「……私、うなされて?」
 私はここに来てから寝つきが悪かった。早めに寝ても、朝起きた時に気分があまり良くないことが多かったから。うなされている自覚はなかったし、夢自体を憶えてはいなかったが、悪い夢を見ているのだろうということだけは薄々感じていた。
「やはり、自覚はなかったのか」
 自分でも驚いている私を見て、ダスクはそう呟いた。
「君自身が思っている以上に、根は深そうだな……」
 ダスクは小さくため息を吐いた。
 もしかしたら、一度記憶が曖昧になっていた時のように、また嫌なことを無意識のうちに忘れようとしていたのだろうか。
 今でも、思い出そうとすると背筋が寒くなる。恐怖が蘇ってくる感覚がとてつもなく不快で、考えないようにしてきた。そのストレスでうなされているのだろうか。
 思わず、自分で自分の肩を抱いていた。
「克服、したいと思うか?」
 静かに、だがはっきりと、ダスクは私にそう声をかけた。
 一瞬だけ、びくりと肩が震えた。
 克服するということは、それに向き合わなければならないということだ。思い出そうとさえしなければ、力以外は安定している。普通に暮らす分には問題がないだろうとは診断もされている。
 ただ、だからといってこのままでいることにも不安があった。溜め込まれたストレスがいつか爆発する可能性だって無いとは言い切れない。その時、どうなるかなんて想像もできないが、漠然とした不安があるのは確かだった。
「方法が、あるの……?」
 向き合うのにも、このままでいるのにも不安があって、直ぐに決断ができなかった。だから、方法を知ってからでも遅くはないかもしれない、と考えていた。
「……少しばかり荒療治になるが」
 表情や口調から私の考えが読み取れたのだろう、ダスクはそう前置きした。
「君自身が強くなる、という手がある」
「強く?」
「肉体的にも、精神的にも、能力的にも、だ」
 怪訝そうな顔をする私に頷いて、ダスクは言った。
「あの時、襲ってきた者たちよりも君が強くなればいい」
 私が恐怖を感じた者たちよりも、私自身が強くなる。それがダスクの考える克服の方法だった。
 トラウマを植え付けた者たちを圧倒するだけの力を自覚できるほど強くなれば、過去の恐怖に怯えることもなくなるだろう、と。
「力なんて……」
 要らないと、思っていた。この力自体にも、恐怖を抱いていた。誰の力だとか、どんな力だとか、何のために振るわれた力だとか、関係なく。できることなら、この力は一生使いたくないとさえ思っていた。
 だが、ダスクはあえてそれをモノにしろ、と言っている。
「どうして、あなたはそこまで私に……?」
 何故、彼はここまで私に対して親身になってくれるのだろう。
 特殊部隊の長という多忙で、それなりの立場にある人物だというのに。私の力が不安定な原因はVANの調査でもはっきりしていない。力の種類や大きさによって得手不得手もある。
 それでも、ダスクは私に強くなれと言うのだろうか。何故、そこまで私のことを案じてくれるのだろうか。
「俺も、君と同じだったんだよ」
 ふっと笑みを見せて、ダスクはそう言った。
「俺が覚醒した時、あの人は親身になって様子を見にきて、その度に相談に乗ってくれた」
 ダスクがVANにきて右も左も分からない時に、色々と世話を焼いてくれた人がいたらしい。
「俺はその人から隊長の座を譲り受けたんだ。その人みたいに、自分が招いた人が自立するまで面倒を見ようって、決めたんだ」
 もう心配ないと思える状態になるまで、世話を焼く。ダスクはそう決めているようだった。
 自分と同じぐらいの年の少年のはずなのに、彼がいつにもまして大人びて見えた。
 もしかしたら、私よりも大変な目に遭ってきたのかもしれない。悩んだこともあったはずだ。それに、今はその年齢で組織の中でもトップクラスの地位にいる。背負っている責任だって重いはずだ。
「だから、もし、君がそれを望むなら――」
 ダスクは優しく、強さを感じさせる表情のまま、私に告げた。
「――俺が君の居場所になろう」


 4 『私の居場所』

 ――彼が私の居場所になってくれるなら。
   私も彼の居場所になりたい。

 結果として、ダスクの考えは正しかった。
 私が自分の中の恐怖と向き合うようになったということも一つの要因ではあるだろう。ただ、私自身でさえ気付いていなかったトラウマの存在を気付かせ、向き合うことを教えてくれたのはダスクだ。そういう意味では、すべてダスクのお陰だと言っていいのかもしれない。
 ダスクの下で、私は訓練を積んだ。彼の部隊で訓練を重ね、普段は学校にも通った。
 部隊の仲間は皆優しく、訓練中も何かと気遣い、さり気なくアドバイス等をしてくれた。
 ダスクの部隊に配属されて驚いたのは、部隊の皆が隊長であるダスクを慕っていることだった。まだ若いダスクが隊長を務めているのだから、当然と言えば当 然なのだが、全面的に信頼を得ているのが最初は不思議な光景に見えた。一人や二人ぐらい、年下だということで疎ましく思っている人がいるのではないかと 思っていた。
 通常の部隊員が行う訓練課程も約一ヵ月でこなし、更に訓練を重ねて実戦に出る頃にはトラウマを克服することができた。
 明確にトラウマがあることを意識できたことと、それを乗り越えるために自身を鍛えるという目標を見い出せたのが大きい。
 衝撃そのものを操る私の力は、戦闘に置いてダスクと相性が良かった。重力を操るダスクの力に、私の力そのものは影響されない。衝撃の威力は変わらず、ダ スクの発生させる重力の影響も受ける。離れていく敵に衝撃を打ち込んだとしても、私の放つ衝撃は軽減されない。重力による質量の増減も私の操る衝撃に影響 を与えない。
 いつしか、私はダスクの副官として隣に立つようになっていた。
 彼は間違いなく、私という人間を救った。誰が否定しようとも、私は胸を張ってそう言える。
 あのままだったなら、私はいずれトラウマに押し潰されていただろう。少しずつ歯車が狂っていって、最後には何もできなくなっていたかもしれない。
 厳しい特訓に耐えることができたのも、ダスクが私を信頼してくれたからだ。私なら乗り越えられる芯の強さがあると、背中を押してくれたからだ。その思いに支えられて、私は折れることなく訓練を続けることができた。
 私はここにいていいのだと、思わせてくれた。それに見合うだけの実力を付けさせてくれた。
 当初、不安定だと判断されて実戦部隊には向かないと言われた私は、他の部隊のそれを知る者からは落ちこぼれのように見られていた。だが、トラウマを克服 すると同時に、私の力は安定した。訓練による技術力の上昇に伴い、私の実力適性は上位部隊長クラスだと判定されるまでに至った。
 すべて、ダスクのお陰だ。
 彼が私の居場所を作ってくれた。
 どれだけ感謝しても足りない。
 私にできる恩返しは、彼の傍で支え続けることだけだ。
 他の誰がダスクを否定しても、私は彼を肯定し続ける。
 VANの中で一目置かれるセルファ・セルグニスという少女に対して、ダスクが自分と対等に扱うのなら、私も彼に倣って彼女と接しようと思った。
 いつもどこか寂しそうな表情をしているセルファが他人とも思えなかったというのもある。普通に話をしている間、彼女は明るい表情を見せるようになった。何となく、妹ができたような気持ちにもなっていた。
 そう言えば、見知った顔をVANで見かけたこともあった。
 覚醒前に同じ学校だったレイニス・カートという少女が第二特殊機動部隊に配属されていた。行方不明になる直前のボロボロの私を知っていた彼女にとっては、ダスクの下にいる私がさぞ別人に見えたことだろう。
 私の事情や、彼女自身の覚醒した状況から、何か対抗心が芽生えたのか、レイニスは私と顔を合わせる度に何かと突っかかってきた。自分の部隊長を称賛するのはいいが、ダスクのことを悪く言うのには黙っていられなかった。
 とはいえ、最終的に彼女を嫌っていたわけではない。売り言葉に買い言葉で、ついつい言い返して口論に発展してばかりだったが、一方的に嫌われていた可能 性はある。ともあれ、レイニスがどう思っているかは私には関係のないことだ。少なくとも、彼女の配属された部隊の隊長は実力もあり、決して人格も悪いわけ ではない。立場が一つ上で、年齢の若いダスクと周りが比較することが多かっただけだ。
 そして、ダスクはVANに属していたが、VANに忠誠を誓ってはいなかった。そのこと自体は私にとって何の問題もない。私はVANではなく、ダスクに忠誠を誓っていたと言っていい。
 だから、VANという組織が崩壊したあの日、ダスクが戦場から去ることを決めた時も、私には迷いなど無かった。ダスクがそう決めた。なら、私は私という存在そのものを懸けてでも、彼の意思を支えるだけなのだから。
 戦場から部隊の仲間を連れて姿を消した後、ダスクは名を変えて世界に溶け込んだ。
 私も名を変え、彼の隣で過ごしていた。
 あの戦いを終わらせたカソウ・ヒカルが、新たな国を興したその日は、ダスクの誕生日だった。
「あいつらしい」
 国の設立と独立を宣言するヒカルの演説をテレビの中継で聞いて、ダスクはそう言って小さく笑った。
「あなたは、行かないの?」
 私はそう聞いてみた。
 カソウ・ヒカルはダスクが諦めた未来を求め続けて戦っていた。だから、ダスクはヒカルを助けることもしたし、ヒカルは敵として対峙したダスクを殺すこと はしなかった。私にとっては感謝すべきことだ。そして、今、ヒカルの隣で彼を支えているのはセルファ・セルグニスだ。私たちにとって、彼らは弟や妹みたい なものでもある。
 ヒカルの語る国の指針や思いは、ダスクの求めていたものでもある。
「そうだな……」
 ダスクは少しだけ目を細めて、黙り込んだ。
「……君は、どうだ?」
 答えがまとまらなかったのか、ダスクは私に意見を求めてきた。
「そうね……会いたい気持ちは、あるわね」
 素直に、そう答えた。
 妹のような思いで見つめてきたセルファは、テレビの画面越しにも幸せそうに見えた。会って話がしたいと思う気持ちはある。お互いに積もる話もあるだろう。
「ああ、俺もだ」
 それは、きっとダスクも同じはずだ。
 けれど、だからこそ。
「……俺はあいつの国には、行けないな」
 ダスクの苦笑いの意味が、私には分かる。
 どれほどヒカルたちに共感しても、手を貸しても、ダスクは結局、敵のまま彼と向き合った。和解し、戦場を去ったとしても、それまで敵対していたという事実は覆せない。
 ヒカルのような者たちのことを考えるなら、ダスクにできることは確かにあった。VANという組織の長となり、ダスクの意思を組織の方針にしてしまうという手段が。そうすれば、復讐に燃えるレジスタンスのような存在も現れず、ヒカルは望む生活をそのまま送れていただろう。
 ダスクにはその気になればVANの長となれるだけの実力も、人望もあったはずだ。
 そうしなかったのは、ダスクの意思だ。自分の意思を貫き通すことを諦め、今自分が抱えているもので満足しようとしていた。そこがヒカルたちとの決定な違いだった。
 彼らは諦めることをしなかった。妥協することを良しとしなかった。だからこそ、敵として向き合うダスクを殺すこともしなかった。彼らにとって、ダスクの命は奪わなければならないものではなく、奪いたくないものだったのだから。
「……ただ、何もしないというのは、失礼だよな」
 ダスクは静かに呟いた。
「なら、どうするの?」
 何となく、ダスクの考えていることが分かった。
「あいつらの創る未来を、少しだけ援助していこう」
 表立って、ヒカルの国に参加することはしない。今までのことをすべて水に流して、ヒカルの前に立つことはできない。ヒカルがそれを許したとしても、ダス ク自身がそれを許すことができない。ヒカルと同じ思いを抱きながら、VANとしえ手にかけてきた命の重さを、ダスクは振り切ることができない。
 VAN跡地に残り、対話を繰り返して納得した者たちとは違う。ダスクは、あの場から去った人間だから。そういう選択をした責任があると思っている。
「あなたがそういうなら」
 私は優しく答えた。
 ダスクがそう決めたのなら、私に異論はない。
 他の誰が異論を唱えても、たとえ私自身に違う意見があろうとも、私はダスクを否定することだけはしない。
「また、苦労をかけることになるな……」
「あなとなら、苦労なんてないわ」
 新たな命の宿る自分のお腹を優しくさすりながら、私はダスクの隣に座る。まだ外から見て分かる程ではない。
 この命が、私の居場所の証明になる。
 だから、迷いなどない。
 私にはダスクと、この子さえいればいい。それだけで、私はダスクを支えていける。
 そう思える。
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