第一章 「新しい生活」


 外の世界は、何も無かったかのように時を刻んでいた。
 報道はされていても、人々はそれを自分には関わりのないことのような態度で生活している。
 ユニオンという国が滅び、数十日が過ぎた。難民として溢れた住民たちは受け入れ先として斡旋された国へと散った。事実上、ユニオン所属のアウェイカーという存在は消滅することとなった。
 アウェイカー関連犯罪対策としてユニオンから各国に派遣されていたアウェイカーたちは、特使として優遇されていると表向きは伝えられている。だが、実際 は厳重な監視の下で軟禁状態だろう。とはいえ、各国に派遣されていたアウェイカーたちにはこんな非常事態も想定しての指示が伝えられているらしい。無闇に 暴れて騒ぎを起こすことはないはずだ。
 そう言った、特殊な例を除けば、この世界からアウェイカーという存在はなくなったに等しい。
 メタアーツと呼ばれる特殊な力を操るアウェイカーは恐ろしいもの、人類にとって敵に等しいもの、というイメージが拭い去れていない。
 それでも、生き延びた者は生きていかなければならない。アウェイカーであるなしに関わらず。
 ユニオン崩壊を逃れたアウェイカーには、事前にユニオンから偽造身分証が配給されていた。アウェイカーではない、普通の人として、難民に紛れ込むことで彼らは生き延びることができた。
 代わりに、アウェイカーたちにとって最も重要な存在だった者たちを失った。彼らが身代わりになることで、アウェイカーの多くは逃げ延びたのだとも言える。
 ユウキも、その中の一人だった。
 ユニオンの代表、カソウ・ヒカルの息子、ユウキは表向き死亡扱いになっている。
 両親から最後に与えられたのは、新たな名前だった。
「アイオ、今日暇か?」
 編入された学校の授業が終わってすぐ、帰り支度をしているユウキにクラスメイトが声をかけた。
 今の世界では、自らをユウキと名乗れない。アイオ・ライトという、偽名がユウキの表向きの名前だ。
「少しぐらいなら付き合えるけど?」
 適当な黒髪に、そこまで二枚目というほどでもない顔立ちの少年だ。
「もうすぐ夏休みだろ? 皆で海にでも行かないかって話になったんだ」
「計画立てってところか?」
 クラスメイトの少年が笑顔で話すのを見上げつつ、ユウキは支度の済んだバッグを掴んで席を立った。
「ああ、来るだろ?」
「どうかな……魅力的な話だけど」
 ユウキは苦笑いを浮かべた。
 転入してきた時から、アイオ・ライト、つまりユウキがユニオンで暮らしていた難民であることはクラスメイトたちだけでなく、他のクラスや学年にまで知れ渡っている。
 難民を受け入れた政府からの援助と、有志の団体からの寄付でユウキたちは生活費を賄っている。毎月支給される資金は、家賃や光熱費、食費と言った生活費にそのほとんどが消えてしまう。
 ユウキたちを受け入れたアメリカは義務教育が無料で受けられることもあって、教育にかかる費用は個人で買う参考書と学校で使う教科書のレンタル代だけだ。ただ、その分家賃を高めにしてバランスを取っている。
「あぁ、歓迎会も兼ねるってことで皆で負担しようって話にもなってるからな、気にしなくていいぜ」
「……ユニオンの出なのに、いいのか?」
 笑顔で肩を叩くクラスメイトに、ユウキは少し遠慮がちに言った。
 人々の中には、ユニオンの出身に厳しい者も少なくない。たとえ力を持たぬ難民として逃れてきたのだとしても、ユニオンに住んでいた者だからと冷遇される場合も多々ある。
 ユウキはまだアメリカでは義務教育課程に当たる未成年だからいいものの、これが成人した大人になると話は違ってくる。支給される生活費は労働義務のある 大人だからと最低限の保障程度に減ってしまうし、難民だからと低賃金で重労働の仕事にしか就けないなんてことも多々ある。ユニオン出身だからと賃金を更に 減らされたりと言った冷遇もあるという話もよく聞こえる。
 アイオ・ライトの両親はユニオンの崩壊時、戦乱に巻き込まれて死亡したということになっていた。そのため、親がいる難民よりも優遇はされているが、それでも難民は難民だ。
「気にするなって、ここの奴らはそんなこと気にしてないだろ?」
 クラスメイトが人懐っこい笑みを見せる。
 この学校はトワイライト財団という組織が出資しているのだが、その財団の方針も学校に強く反映されており、ユニオン出身者、というよりはアウェイカーに 対して寛容だった。アウェイカーに対する理解が深く、ユニオンとの交換留学なども行ったことがあるらしい。だから、ユニオンからの難民であるアイオたちも 受け入れてくれたのだろう。
 もっとも、アウェイカーだけではなくあらゆる事柄に寛容であり、人種や文化などの面でも差別と言った言葉とは無縁のように感じさせるほど雰囲気が良いところだ。ユニオンと通じる部分をどこか感じるほどに。
 また、アメリカにおける義務教育の一年生から十二年生までを、敷地内の校舎こそ違えど一貫して学ぶことのできる大きな学校でもある。ユウキは十一年生に編入されていた。
 ユウキの妹、シーナもエメラ・ライトと言う名前で六年生に編入されている。
「いいじゃないか、歓迎されてるなら行こうぜ?」
 会話に割り込んできたのはユウキの親友、レェン・トライフルだった。
 ユニオンにいた頃からの親友で、ユウキにとってはかけがえのない理解者でもある。彼もユウキと同じく、この学校に編入されていた。
 もちろん、ハルヴァ・プラリネという偽名で。
「お、ハルヴァは乗り気かい?」
「俺は日差しの良い場所がいいなぁ」
 クラスメイトに笑みを見せ、レェンは言う。
「こういう時に遠慮するとむしろ向こうが気を遣っちまうぞ?」
 笑みを苦笑に変えて、レェンはユウキの肩を叩いた。
「そうそう」
 周りのクラスメイトが相槌を打つ。
「……分かったよ」
 根負けして、ユウキは答えた。
「ラズリも行くわよね?」
 集団に混じっていた女子の一人が帰り支度をしている女子に声をかけた。
 やや赤みがかかった栗色の髪を首の後ろでまとめた、温和そうな瞳の少女が声に振り返る。マーガレット・リステイルだ。ユニオンでの争乱を共に生き延び、ユウキと同じくこの学園に編入された少女だ。与えられた偽名は、ラズリ・フリージアという。
「そうね、みんなが行くなら、私も行くわ」
 穏やかな笑みを浮かべて、マーガレットは答えた。
 ユウキはレェンたちと共に教室を出た。
 歓迎会の計画を立てるための話し合いは近くのカフェで行う予定らしい。中心になる何人かのクラスメイトと、メインゲストにあたるユウキたちの少人数で日程や行き先を決めるようだ。この話し合いにいないクラスメイトは決定した計画に従う形での参加となるらしい。
 カフェまでの道を歩きながら、ユウキは環境が変わったことを実感していた。
 この学園の生徒たちがユニオン出身者にも分け隔てなく接する気の良い者たちばかりなのは間違いない。ただ、だからといってそれだけではユウキはここまで皆の中に打ち解けることはできなかっただろう。
 ユニオンにいた頃のユウキは、クラスどころか、親しい者たち以外の人々から浮いた存在だった。
 カソウ・ユウキだから。
 カソウ・ヒカルの、ライト・ブリンガーの息子だから。
 皮肉なことに、ユニオンが崩壊して、カソウ・ユウキという名が隠れたことでユウキは周りに馴染むことができた。
 この学園の生徒は、アイオ・ライトがカソウ・ユウキであることを知らない。英雄の息子であることを知らない。だから、ユウキを一目置くこともなければ、避けがちにもならない。
 故郷を失った、暗い境遇の転入生としか映っていない。
 家の中のような、身内しかいない時には本名で呼び合っている。だが、誰かがいるかもしれない場所では本名を口にすることはできない。
 今までのような居心地の悪さは、なかった。
 ただ、それと引き換えになったものが多過ぎる。前向きに生きようと、ユウキたちも自分たちなりに歩き始めてはいるはずだ。ただ、素直に喜ぶことができないのが少し心苦しい。
「行き先はこの海岸なんてどうかな?」
「いや、あの山ってのもいいと思うんだ」
 クラスメイトたちの議論を見つめながら、ユウキは紅茶を飲んでいる。
 ユニオン以外の土地に詳しくないこともあって、ユウキに口を出せることはほとんどなかった。
「せっかく夏に行くんだし、海にしない?」
 女子の一言で海に絞られ、場所は決まった。
「それでいいかな、三人とも?」
「任せるよ、俺らは詳しくないからさ」
 苦笑するユウキに、レェンもマーガレットも頷いた。
「そうそう、うちらの他にも上の学年や下の学年とも合同だからな」
「合同?」
 その言葉に、ユウキは問いを返していた。
「兄弟とかの関係でさ、繋がりがあるんだよ」
 男子の一人が言った。
「同じユニオン出身者で顔見知りなんだろ?」
 女子の一人が口を挟む。
「ああ、そうだけど……」
 ユウキの他にも、この学園に編入された者はいる。いや、ほぼ全員がユウキの知り合いだ。
「だからさ、一緒にやったら丁度良いだろって話になったのさ」
「そりゃあいいな」
 レェンが相槌を打つ。
 故郷からの知り合いがいた方がリラックスはできる。
「アイオには妹もいるし、一人にするのも心配だろ?」
「そりゃあ、まぁ……」
 その言葉に、ユウキは頬を掻いた。
 妹を置いて一人で海へ行くのも心配ではある。幼馴染の姉妹もユウキ一人で行くとなれば羨ましがるだろう。全員一緒というのならその辺りに気兼ねする必要はない。
「それに、みんなで行く方が楽しいに決まってるさ!」
 皆が同調する。
「ちゃんと水着用意しなさいよー」
 女子からの言葉に、ユウキは苦笑した。
「ま、全裸で泳ぐわけにもいかねぇしな」
 冗談を言うレェンに、皆が笑う。
 話し合いが終わると、店を出て解散になった。
 ユウキ、レェン、マーガレットの三人は学生寮で暮らしている。身寄りがないも同然のユウキたちにはそれ以外の選択肢はむしろ敷居が高い。
 学園のほぼ隣という立地条件も迷う必要がなくて丁度良い。
 寮暮らしのクラスメイトたちと世間話をしながら帰路につく。
 友達と会話をしながらの帰路も、ユウキにとっては新鮮なものだった。ユニオンにいた頃は幼馴染ばかりと帰っていた。いや、それ以外の者が寄りつかなかったというべきかもしれない。昔馴染み以外の者で気兼ねなく話せたレェンとは家の方向が正反対だった。
 素性を偽らなければならない。
 少しだけ胸の奥が痛む。
 学生寮の自分の部屋に戻ると、妹のシーナ・セルグニスはもう帰宅していた。
「あ、お兄ちゃん、おかえり」
 蜂蜜のように綺麗な金髪に、澄んだ青い瞳の女の子だ。背の中ほどまで届く金髪は頭の後ろで結われている。
「ああ、ただいま」
 靴を脱ごうとして、ユウキは足を止めた。
 ここはアメリカの学生寮の一室だ。ユニオンにあったユウキの家ではない。
 ユウキの家は日本の家に近かった。父であるヒカルが日本人だったのが強く影響しているのだろう。日本の家のように、玄関で靴を脱ぐのがユウキには当たり前だった。
「やっぱり、中々慣れないな……」
 小さく呟いて、ユウキは短い廊下の奥へと進んだ。
 簡素な二段ベッドに、テーブルと二つの椅子がある部屋だ。ユウキもシーナも私物はほとんどなかった。だから、部屋の中にあるものも他の学生の部屋に比べると格段に少ない。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん?」
 先ほどまでテーブルの上で宿題でもしていたのだろう。ノートや教科書が広げられている。
 ユウキはバッグをベッドの脇に置いて、妹の方へ振り返った。
「夏休みのことなんだけど……」
「ああ、それなら俺もさっきまで話してたんだ」
 シーナの言葉に、ユウキはそう答えた。
 恐らく、夏休みの歓迎会を兼ねた旅行計画のことだろう。どうやら、今日のうちにシーナの方へも誘いの声がかかったようだ。
「いいのかな、行っても……」
「遠慮すると相手も気を遣うって、ハルヴァも言ってたよ」
「そっか」
 苦笑するユウキを見て、シーナは小さく笑うと椅子に腰を下ろした。
「クラスの方はどう?」
 ユウキの言葉に、シーナがノートに向けていた顔を上げる。
「うん、大丈夫」
 小さく笑みを見せるシーナに、ユウキは僅かに目を細める。
 少なからず、シーナもユニオンでは浮いた存在だった。第一子であるユウキほどではないにせよ、シーナも紛れもなくヒカルとセルファの子供として注目されていた。
 幼い頃からハクライ・ジンの道場で心技体を鍛えていたユウキは当然注目された。第零級アウェイカーに認定されてからの注目は凄まじかった。
 本人が生きているというのに、カソウ・ヒカルの再来とまで言われたほどだ。ユウキが父ヒカルと同じ力を持っていたというのも大きい。
 シーナが持っていた力が母親寄りだったこと、まだ十五歳未満であるために第三級アウェイカーだったことが、彼女の注目度を下げていた。注目度が低いと言っても、当然それはユウキと比較しての話だ。
 ただ、すでに第零級アウェイカーとして空襲にも応戦していたユウキの方が注目されていたのは言うまでもない。シーナが十五歳で、第二級以上のアウェイカーとして認定されていたらどうなっていたかはユウキにも分からない。
「テルスちゃんもいるから……」
 ユウキほどではないにしろ、シーナにも視線は集まった。周りに中々馴染めなかったのはユウキと同じだ。ただ、シーナには早くから友達ができた。
 ユウキにとってのレェンのような、何でも気軽に話せる親友が。
 その親友、ウルナ・クラニアムはサバサバしているレェンとは少し違っていた。レェンは周りに自然と溶け込んでいるタイプだったが、ウルナは自分から周りを繋げていくような性格だった。
 だから、だろう。
 家族ぐるみで付き合いのある幼馴染以外ではほとんどレェンとしかつるんでいなかったユウキと違い、シーナには他にも友達ができていた。
「テルスは行くんだろ?」
「うん、行きたいって言ってた」
 ウルナを中心に、シーナはクラスメイトと繋がっている。今はテルス・プライマルと名前が変わっているが、彼女はもうクラスに馴染めているのだろう。彼女にとっては誰がアウェイカーだろうと関係ないのだから。
 ただ、シーナもユウキと同じ思いを少なからず抱いている。ユウキはそれを感じとっていた。
 ユニオンからの転入生ということで学校では注目されてはいるが、ユニオンにいた頃はクラスメイトだけでなく、周りの人間すべてから注目されていた。それに比べれば、今はあの頃よりもクラスに馴染めている。
 あの頃は注目されていただけでなく、期待もされていた。何に期待していたのかはユウキたちにも分からない。ただ、その期待を含んだ視線が、ユウキとシーナには居心地が悪かった。その感覚がどうにも好きになれず、慣れることもなかった。
「俺も行くからさ」
「うん」
 ユウキの言葉に、シーナは小さく頷いた。
「そろそろ夕飯だな」
 壁にかけられた時計を見て、ユウキは呟いた。
 シーナと共に部屋を出て、学生寮の食堂で向かう。
 バイキング形式で並べられている料理を欲しい分だけ自分の小皿に取り分け、空いているテーブルに座って食べ始める。学生寮や寮での食事の代金は学費に含まれている。外食する時と違って支払いをする必要がないのは手間が省けて楽だ。
「何だ、もう来てたのか」
 かけられた声に目を向ければ、タオルを首かけたランニングシャツ姿の青年が歩み寄ってくるところだった。無駄なく引き締まった肉体に、どこか野性味を感じさせる熱気のある目の好青年だ。ボサボサの黒髪が濡れているところを見ると、シャワーを浴びた後なのだろう。
「トウヤ……」
 ユウキは青年を見上げて名前を呟いた。
 ヒョウガ・トウヤ、本名をエンリュウ・ヒサメ。
「お前も早く持ってこい」
 シーナの隣に、そう言って女性が腰を下ろした。こちらはすでに食事を持ってきている。
 腰まで届く長い黒髪に、切れ長の双眸の美しい女性だ。こちらもヒサメと同様に引き締まった体つきをしている。
「ああ、分かってるって」
 ヒサメは苦笑して、食事を取りに行った。
 フウガ・ナナミ、本名をハクライ・リョウ。
 二人ともユウキの幼馴染でもあり、戦いを生き延びた仲間だ。
「そっちの方はどうだ?」
 パンを千切りながら、視線を向けもせずにリョウが問いを投げる。
「まぁ、それなりかな」
 ユウキは小さく苦笑して、そう答えた。
 千切られたパンを口に入れながら、リョウは上目使いにユウキを見る。
「悪くはないよ。みんないい奴らだ」
「そうか」
 ユウキの言葉に、リョウは少し安心したように小さく息をついた。
「じゃあ、そっちは?」
「ま、似たようなもんだ」
 リョウの隣にトレーを置いて、ヒサメが言った。
「来る前に思ってたよりも受け入れられてこっちが驚いてるぐらいだな」
 そう言って笑うヒサメの表情に嘘はなかった。
「むしろ、だから受け入れてくれたんだろうな」 
 リョウが小さく呟く。
 恐らく、ユニオンやアウェイカーに対して理解があるからこそ、難民の学生たちを受け入れてくれたのだろう。
「そうだろうね……」
 ユウキも同意見だった。
「おっす」
 少し遅れて、レェンがやってきた。
 ユウキの隣に座って食事を始める。
「そういえば、先輩たち二人は海には行くのか?」
 口の中のものを飲み込んで、レェンはリョウとヒサメに問いを投げた。
「ああ、特に用事がなければ行くぜ」
 ヒサメが言い、リョウも頷いた。
「どれだけ大人数で行くんだよ……」
 ユウキは苦笑した。
 もしかするとこの学校の半数近くの生徒が海に行くことになるのではないだろうか。難民として受け入れられた学生の量は決して少なくはない。
 このままではかなりの大所帯になるのは間違いない。
「学校行事になっちまったりしてな」
 レェンが笑う。
「それ、冗談に聞こえないわね」
 溜め息交じりの声に目を向ければ、肩口くらいまでの黒髪を一房だけ三つ編みにして左側に垂らした少女が立っていた。快活そうな大きな瞳に、整った鼻筋と均整の取れた身体つきの少女だ。
 ヤザキ・ハルカだ。今はナカイ・チハルという名で過ごしているが。
「三人も行くのか?」
 ハルカのすぐ後ろにいた双子の姉妹にも目を向けて、ユウキは問いを投げた。
「うん」
「行くよー」
 ナツミとアキナが息ぴったりに応える。今はチナツにチアキ、だが。
「行かない理由がないでしょ」
 ふん、と鼻を鳴らして、ハルカが席について食事を始める。
「二人ともかわいいからな、お近づきになりたい奴も多そうだもんな」
 茶化すレェンをハルカが睨み付ける。
「水着買わないとねー」
「ねー」
 ナツミとアキナが互いに顔を合わせて呟く。
「そうだな、今度みんなで買いに行くか?」
「いいわね」
 リョウの提案に、ハルカが乗った。
「あれ、お前サラシとフンドシとかじゃねーの?」
「お前それ何度目だ」
 ヒサメの言葉に、リョウは呆れたように呟いた。
 水着の話やプールなどに泳ぎに行く話が出ると毎年のようにヒサメが口にする言葉だった。
「お前は私にその格好で泳いで欲しいのか?」
「や、まぁ……ちょっと見たくはあるかな……?」
 鋭い視線で睨み付けるリョウに、ヒサメは肩をすくめて苦笑する。
「で、それって俺らも行っていいの?」
 二人のやりとりが一段落したのを見て、レェンが口を挟んだ。
「ダメに決まってるでしょう」
 ハルカが即答した。
「だいたい、あんたら選ぼうと思うほど水着にこだわりなんてある?」
「……まぁ、ないな」
 溜め息交じりのハルカの言葉に、ユウキは口の中のものを飲み込むとそう答えた。
 衣類も含めて、私物のほとんどはユニオンと共に消滅した。ユウキたちが持ち出せたものは少ない。ここに受け入れられてから援助金の一部である程度衣類などは買ったが。
 何にせよ、学校の授業にも水泳はある。ユウキには学校指定で支給された水着でも十分だった。レェンやヒサメも同じだろう。そこまでファッションに拘りはない。
「選んだところで男じゃ華はないしな」
 自嘲気味に呟くレェンに、ユウキは苦笑した。
「私たちだけで行ってくるから、あんたらは海に行く時を楽しみにしてなさい」
「買い物も長引きそうだしな」
 ハルカの言葉にレェンが軽口を叩く。
 会話をしながら食事が進む。
 あの頃と比べれば、クラスには十分馴染めている。居心地も悪くはない。
 ただ、それと引き換えになったものが、ユウキとシーナの心を縛っている。失くしたものが重過ぎて、今を素直に受け入れ切れていない。
 両親も、家も失った。
 たとえあの戦いの中で背中を押され、色々なものを託されて送り出されたのだとしても、すぐには立ち直れない。
 辛うじて歩き続けてはいる。自分ではそのつもりでも、果たして前に進めているのか、不安で仕方がない。
 食事を終えたユウキは部屋には戻らず、学生寮を出て外を散歩していた。
 日は沈み、辺りはすでに暗い。
「これで、いいのかな……」
 小さく呟いたユウキの言葉が風の音に掻き消される。
 ユニオンで同じ時を過ごしたみんなと顔を合わせて食事をする度に、妹のシーナと部屋で食事をする度に、ユウキの胸の奥で微かにざわつくものがある。それが何なのかはもう、分かっている。
 ユニオンで過ごした日々が、失う前の日常が、ユウキの心を締め付けている。両親は家にいるといつも笑顔だった。父は母を、母は父を心の底から愛していた から、きっとただ一緒にいられるだけでも笑顔になれたのだろう。幸せそうな二人の笑顔は、今もユウキの記憶に焼き付いている。
 あの場所は、温かかった。家にいる時は何も不安を感じなかった。ただその生活が続くだけで十分だった。それが失われることなんて考えたこともなかった。
 だから、今、一人でいる時も、誰かと食事をしているだけでも、心の中の不安が消えない。
 このまま生きていけるのだろうか。今の学校を卒業した後は、どうすればいいのだろうか。就職して、一人の人間として生きていけるだろうか。ユニオンにいた時にも、将来のことは考えた。不安なことはあったけれど、漠然と何とかなると思った。できると思った。
 時間が経てば、この不安感も消えるのだろうか。
 結局、今いる場所でユウキは生きていくしかない。いつか、納得できるだろうか。過去のことだと、思い出話にできるようになるだろうか。
 ユウキは足を止めた。
 一際強い風が吹く。
 街路の木々がざわめき、ユウキの髪と服の裾を揺らす。
 視線を、感じた。
 地面に落としていた目を、視線の方へと向ける。水平よりも高く、前方の空へ。
 ユウキの目が驚愕に見開かれ、体が自然と身構えられる。
 そこには、何かがいた。
 白い仮面をつけた、何者かが、宙に浮いている。黒いローブのようなもので全身が覆われていて、体付きさえ分からない。風ではためくローブの裾からは影で中が見えない。丸い穴の目が二つに、三日月のような口の、簡素な仮面だ。
「……オマエが、カソウ・ユウキか」
 静かな声音が聞こえた。
 仮面の人物の声のようだった。どこか嘲笑うような声だ。
「何者だ……?」
 声には答えず、ユウキは問いを返した。
 異様な空気が辺りに満ちていた。
「私は、ファントム」
 仮面の人物はユウキを見下ろして、そう呟いた。
 無表情な仮面の奥で、そいつが笑った気がした。
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