第五章 「埋められない溝」


 ユウキは、アウェイカーと住民たちを率いて進んでいた。
 他の地区の住民たちは無事だろうか。恐らく、ヒカルたちが彼らの道を切り開いているのだろう。
 砦を突破すれば、もしかしたらメタアーツを無力化する装置を止める手段も見つかるかもしれない。何せ、敵の基地とも言えるのだ。装置を止める可能性があるとすれば、砦の中を調べるしかない。
「ユーキ、どうだ?」
「今のところは大丈夫そうだ」
 レェンの問いに、ユウキは答えた。
 ユウキとレェンを含むアウェイカー全員が、力を解放していた。いつ攻撃があるか判らないからだ。
 ユウキは周囲の気配を探りながら、やや先行する形で先頭を歩いている。レェンが後に続き、皆を率いる形になっていた。
 ハルカたちのチームは、大きな岩山のような崖を挟んで反対側を進んでいる。
「……無理すんなよ?」
「お前こそ」
 小声で囁くレェンに、ユウキは軽い笑みを返した。
 先ほどの戦いで、ユウキは敵を傷付けることができなかった。相手の腕を切り落としたリョウのような行動が取れるかどうか、自分でもまだ判らない。恐らく、ユウキなら銃だけを切り払っていただろうから。
 レェンなら、相手の命を奪うことも構わずに戦っていたかもしれない。機械兵のコクピットを狙った一撃を放っていた可能性はある。
 もしかしたら、次に敵と遭遇した時、リョウは相手の命を救おうとは考えないかもしれない。殺すつもりで、最も的確な一撃を叩き込むかもしれない。
 だが、ユウキはどうだろうか。敵の撃破に手間取れば、その分だけ仲間を危険に晒すことに繋がる。
「……俺は、失うものなんてないからな」
 レェンが、本当に小さな声で呟いた。ユウキが、大勢の前で言わせたくなかった言葉を。
 レェンは、幼い頃にユニオンへ預けられた子供だった。アウェイカーに覚醒したことで、両親がレェンを手放したのだ。彼と同じように、アウェイカーとして覚醒したがために捨てられた子供たちを育てる孤児院で、レェンは育った。高校へ入学する際に、レェンは孤児院を出て寮生活を始めた。国から支給される生活費を頼りに、のんびり暮らしていた。
 昔から、レェンは日光浴しながら昼寝ができれば幸せそうだった。他に何も無いから、とユウキに言った時は驚いたものだ。
「俺は、嫌だぞ。お前が死んだら、嫌だ」
 ユウキは小さな声でレェンへと告げた。
 レェンには死んで欲しくない。これはユウキの正直の思いだ。
 失うものが何もない、などと言って欲しくもない。ユウキにとって、レェンはかけがえのない友達だ。もしかしたら、リョウやヒサメ、ハルカたちのような親絡みの関係以外で始めてできた友達かもしれない。
 レェンにとって、ユウキは友達ではないのだろうか。だとしたら、ユウキがレェンにとって失うものの一つにはならないのだろうか。
「まぁ、ユーキが死ぬなんて思ってないからな」
 ユウキの思っていることを汲み取ったのか、レェンは薄く笑った。
 信頼なのだろうか。ユウキの力を、レェンは客観的に評価している。それを鑑みて、ユウキが殺される可能性はほとんどないと思っているのだ。
 だから、ユウキを失う可能性は、レェンにとっては無いも同然なのだ、と。
 ただ、間違いなくレェンはユウキを友達だと認識してくれている。それだけでも、ユウキには嬉しかった。
「……レェン、敵だ」
 気配を察知したユウキは、雷閃を手に、前方へと鋭い視線を投げた。
 殺気を帯びた気配は十二機あった。他に、無人機も何機かいるようだ。不自然な物体の動きを、ユウキは察知していた。
「任せな」
 言って、レェンは駆け出した。
 レェンに続いて、何人かのアウェイカーが飛び出して行く。皆、第二級以上のアウェイカーだ。有志を募って選出した、攻撃隊だった。
「ユウキ君は行かなくてもいいの?」
 直ぐ傍まで来ていたマーガレットが問う。
「俺は、皆を守らなきゃいけない」
 ユウキは、鋭い視線を前方へと向けたまま、マーガレットに答えた。
 このグループの要は、ユウキだ。ユウキの戦力が、このグループの支えでもある。アウェイカーの中ではトップクラスの実力者と言っても、一人の戦力でしかない。
 前方から来る敵が囮だった場合、ユウキのいないグループが生き残れるかどうかは判らない。
 雷を操るジンにも匹敵する移動能力を持ってはいるが、やはり不安だ。距離が開いてしまった多くの人々を守るために、広範囲を立ち回れる自信はない。
 なら、ユウキがこの場に留まって、他のアウェイカーたちに敵の撃破を任せるしかないだろう。
 ユウキたちが追いつく頃には、戦闘は終わっていた。
「俺たちだって、これぐらいのことはできらぁ」
 トーカスが自慢げに、破壊した無人機に脚を乗せていた。
「……アウェイカーめ……!」
 機体を失い、痛め付けられた搭乗者たちが道の端に何人も転がっていた。皆、身動きが取れないように後ろ手に縛り上げられている。
「まぁ、こんなもんだろ……」
 ユウキたちを見て、レェンは言った。
「お前らさえいなければ、こんな世界にはならなかったんだ……!」
 誰かが、呻くように呟いた。
 まるでアウェイカーの存在がこの世界を歪めたとでも言っているかのようだった。力を持たない者にとって、アウェイカーの存在は異質なものでしかない。
 第三次世界大戦によって、この世界はアウェイカーという存在の持つ力を知ってしまったのだ。今までこの世界を形成してきたものを、いとも容易く破壊し尽くしてしまうような可能性を垣間見たのである。たった一人のアウェイカーを殺すことさえ、力を持たない者には難しいことだった。たとえ、軍などで人体の破壊方法を学んでいたとしても。
 アウェイカーの力は個人で異なり、他者の予想を遥かに上回る。力を持たぬ者には、決して到達できない存在として認識されている。
「そうよ……」
 ユウキの背後の方から、小さな声が上がった。
「……どうして、私たちがこんな目に遭わなくちゃならないの!」
 振り返れば、一人の女性が取り乱して叫んでいた。その直ぐ脇で、マーガレットが女性を宥めようとしている。
 女性は、マーガレットの母親だった。
「私たちが何をしたって言うのよ!」
 マーガレットの母は、泣き叫んだ。
 ここにいる者たちなら、誰しも似たような思いは抱えていることだろう。ユウキでさえ、そう叫びたくなる気持ちも判る。ユウキたちはこの世界に対して、何もしていない。ただ生きていただけだ。この世界を壊そうなどと考えていた訳ではない。だと言うのに、世界はアウェイカーを敵と見做した。
 ごく一部の犯罪者がアウェイカーであったからだろうか。だとしても、一握りのアウェイカーの所業をアウェイカー全体の認識にしてもらいたくはない。もちろん、そんなことは無いのだろうが。
 恐らく、アウェイカーの存在が怖ろしくなったのだ。この世界が今まで創り上げてきた秩序を、たった一人でひっくり返すことも可能にしてしまうかもしれないアウェイカーに危機感を抱いたのだ。
 きっと、ヒカルたちはだからこそユニオンという国を創ったのだ。世界からアウェイカーという存在を守り、自分たちが安心して、穏やかに生きて行ける場所を創るために。アウェイカーなりの秩序を構築して、新たな世界を作り出そうとしていたのかもしれない。
「母さん……っ!」
 マーガレットは抱き付いて、必死に母を押さえようとする。
「アウェイカーなんて、最初から生まれて来なければ良かったのに!」
 マーガレットの母の叫びに、誰もが耳を疑った。
 特に、このグループにいるアウェイカー全員が唖然としていた。
「……母、さん……?」
 娘であるマーガレットですら、身を引いていた。
「アウェイカーなんていなければ……!」
「何だとっ!」
 マーガレットの母の言葉に、トーカスが叫んだ。
「よせ!」
 今にも掴み掛からんばかりの勢いで身を乗り出すトーカスの肩を、ディーンが掴んだ。
 ユウキは、僅かに右手を握り締めた。手にしている刀の柄を握り締める。
 もし、アウェイカーという存在がいなかったとしたら、ユウキは生まれていなかっただろう。両親はアウェイカーであると同時に、第三次世界大戦の中で出逢ったのだから。
「ほんとうに、そう思ってる……?」
 マーガレットは、母の目の前に立ってそう告げた。
「何よ、あなただって心の奥ではそう思ってるんでしょうに!」
 怒りと怨みを撒き散らすだけの母親に対してマーガレットは悲しそうな表情をしていた。
 ユウキに向けたのと、同じ表情だった。
「マーガレット……?」
 ユウキは、小さく、名を口に出していた。
 刹那、殺気を感じた。
 遠くからの狙撃の殺気だと気付くのに、時間はかからない。守るための力を展開しようと身を翻した瞬間、飛来した弾丸がユウキの目の前で弾けた。パールホワイトの光が、盾となって弾丸を弾いている。
「見えた!」
 レェンが人差し指と中指を揃えて、狙撃兵を指し示す。その指先から、熱量を射出、敵を撃ち抜いていた。
 力の気配に、ユウキは気付いた。この力場と同じ気配を持つ人物、つまりこの力の使い手であるアウェイカーは、ユウキの知っている中にはいない。
 あの時、聞けなかった疑問が、解けた。
「なら、私も、生まれてこなければ良かった……」
 悲しげな笑みを浮かべたマーガレットの瞳と、身体は、美しい真珠色の輝きに包まれていた。
 母は、アウェイカーである娘の姿にただ目を見開いていた。

 シーナは、目の前を歩くハルカの背中を見つめていた。
「……良かったんですか?」
「何が?」
 振り返らずに、ハルカは聞き返してきた。
「ナツミさんとアキナさん、一緒じゃなくても……」
 シーナは問う。
 ハルカは二人の妹を溺愛している。配分を変えれば、ハルカたちは一緒に動くこともできたのではないだろうか。
 シーナの力は、ナツミとアキナが二人で使う治癒能力を再現することもできる。ナツミとアキナの代わりに、シーナがユウキと行動するという選択肢もあったのではないだろうか。
「……まぁ、心配ではあるけどね」
 ハルカは僅かに振り返り、苦笑した。
「じゃあ、どうして……」
「気付かない? 私たちの方が、危険性は高いのよ?」
 眉根を寄せて見上げてくるシーナに、ハルカは言った。
「え?」
「こっちにはアウェイカー、何人いると思う?」
 首を傾げるシーナに、ハルカは告げる。
 実質、戦力として数えられるアウェイカーはリョウとヒサメ、シーナぐらいしかいないのだ。他にも数人程度ならアウェイカーはいるが、第三級以下の者ばかりだった。
 そして、ハルカは戦えない者を守る役割を担っている。
 まともに戦うことのできる第二級以上のアウェイカーは、ハルカの空間歪曲の範囲内には入れない。戦って進路を確保しなければならないのだ。
 そして、戦えるアウェイカーが少なく、守るべき民が多いこのグループでは、戦うことのできるアウェイカー一人の負担が大きい。治癒もできるとは言え、ナツミとアキナは第二級のアウェイカーだ。ハルカと行動を共にすれば、その高くない戦闘能力で大きな負担に晒されなければならない。
 だから、アウェイカー一人の負担が少ないユウキの方へ二人を回したのだ。
 最悪でも、ナツミとアキナの二人は逃げ回っていればいい。その間に、ユウキやレェンが敵を殲滅してくれる。力を持たない者が少ないユウキのグループなら、他のアウェイカーも防衛のために応戦してくれるだろうから。
「一番簡単なのは、私の力で全員を外に出してあげられたら良かったんだけどね」
 ハルカはそう言って苦笑した。
 ハルカの空間歪曲能力で、住民たちを国の外、誰の視線もないような静かな場所に移動させてしまえれば楽だった。そこから、それぞれが一般人に紛れていけたら簡単だ。
 しかし、それはできない。
 ハルカの力は空間を捻じ曲げ、移動時間などを極端に短縮することはできるが、その間にある空間を跳び越えている訳ではない。国連軍のレーダーなどに捉えられる可能性もある。ハルカの力では、強引に他の国に移動させても、直ぐに不法入国だとばれてしまう。それに、たとえ皆を移動させたのがハルカでも、移動してきた民たちがアウェイカーだと思われてしまう可能性もある。
 もちろん、歪曲させる距離が長ければ長いほど、ハルカの負担も大きくなる。これだけの人数を抱えた状態では、攻撃を逸らして全員の身を守ることで限界だ。
 同時に、彼女の力は、ハルカ自身が行ったことのある場所でなければ効果範囲として指定することができない。超長距離の移動のためには、ハルカが知っている場所でなければならなかった。
 そして、ハルカは国の外へ出たことがない。
「ハルカさん……」
 普段は妹のことばかり考えている印象の強いハルカだが、いざという時の彼女は冷静で頼りになる人物だ。妹たちのことを案じる部分は変わらないが、自分の感情にも流されない冷静さを持っている。
「それより、周りの状況はどう?」
 ハルカはシーナに問う。
 シーナの展開した力場の範囲は、そのままレーダーにもなっている。砦までの周囲の状況を、シーナはまるで空から地面を見下ろしているかのように感じ取ることができた。それでいて、自分の視界は目の前にある光景を映し出している。昔はくらくらしていた二重の感覚にも、随分昔に慣れてしまった。
「この先に、道を塞ぐように九人と十八機、そこから少し離れた崖の上に三人います」
 シーナは答えた。
 ここまでに既に二度の戦闘があった。
 リョウとヒサメが先行して主に戦闘を行い、流れ弾などはハルカが防ぐ。突破してきた敵に対しては、シーナが対応し、動きを止めたところでリョウとヒサメが戦闘能力を奪う。
 今のところ死傷者は出ていない。
 ただ、やはりハルカの言うようにこちらのグループの方が狙われている。人が多い、というのが一番の理由かもしれない。
「じゃあ、リョウは迂回して崖の上の狙撃部隊を、ヒサメは少し先行して、リョウと挟み撃ちにして」
「解った」
「おっけー、任せな」
 ハルカの指示に、二人は頷き、行動を開始する。
 進行ペースを乱さなくとも、今から二人が動けば足を止めることなく進んでいけるはずだ。
「……あんな奴でも、ユウキの友達なんだから、信頼してないわけないじゃない」
 リョウとヒサメの姿が見えなくなってから、ハルカは小さく呟いた。
 誰にも聞こえないような声だったが、周囲の空間を把握しているシーナには確かにハルカの呟きが聞こえた。
 普段はきつく当たっているが、ハルカは別にレェンのことが嫌いというわけではない。妹たちがよく彼に懐いているため、嫉妬しているだけだ。
「ハルカさん……」
 シーナは、眩しそうにハルカの背中を見つめた。
「シーナちゃん、どうしたの?」
 直ぐ近くを歩いている友達のウルナが、シーナの様子を見て呟いた。
「……ううん、何でもないの」
「大丈夫、シーナちゃんは頑張ってるよ」
 首を横に振るシーナに、ウルナは微笑んだ。
 友達の言葉を、シーナは素直に受け止めることができなかった。
 シーナが持つ力は、簡単に言ってしまえば何でもできる力だ。空間を捻じ曲げるハルカの力も、リョウの雷や風を操る力も、ヒサメの炎と冷気を操る力も、すべてシーナは再現することができる。他にも、思い通りの事象を起こすことだって可能だ。やろうと思えば、シーナが敵を感知した時点で攻撃することだってできた。
 それをさせなかったのは、ユウキとハルカであり、シーナもしようとしなかった。空間に干渉するという力は、万能とも言われるメタアーツだ。だが、扱いは極めて難しく、精神的な負荷がとてつもなく大きい力でもある。
 今まで、シーナはこの力で大規模な事象を起こしたことはない。それがどれだけ自分の負担になるのか、想像もつかない。元々、シーナは空間を把握し、言葉を相手に送るぐらいしかこの力を使っていない。戦うために力を使った時、どれだけ疲労してしまうのか、シーナ自身が把握できていなかった。同時に、どれだけ加減ができるのかどうかも判らない。
 加減し切れず、相手を殺してしまうのも怖い。
「……お兄さんの方は、どう?」
「うん、頑張ってる。こっちよりも少し早く進んでる」
 ウルナの問いに、シーナは答えた。
 兄の位置は常に把握している。アウェイカーがほとんどのグループとなっているせいか、ハルカやシーナたちのグループよりも早いペースで進んでいる。
「凄いよね、シーナちゃんのお兄さん」
 ウルナは静かな口調で呟いた。
「そう、かな?」
 周りから、ユウキは凄い凄いと言われてきた。ユウキ自身、そう言われることにあまり居心地の良さは感じていない。ただ単に、ユウキを持ち上げるだけの言葉が心地良いはずがない。
 ただ、ウルナの言葉は、ユウキが嫌うような雰囲気を持ってはいなかった。どこか、優しく、穏やかな、ユウキの存在そのものを肯定するかのようなニュアンスがあった。
「だって、優しいじゃない」
 ウルナは笑っていた。
 いつも、ユウキは自分が誰かを死なせてしまうことを恐れている。だから、誰に何を言われようと、自分にできることをしている。ユウキ本人はそう言っていた。臆病なのだと、自分を卑下するように。
 シーナと良く話をするウルナも、ユウキとは何度か話をしていた。そして、ウルナはそんなユウキが優しいと言う。
 学校ではシーナも、比較的孤立している。英雄の娘であり、英雄の息子として既に有名な兄を持つ存在として。ただ、兄のユウキよりは周りに馴染めている。
 ユウキは他者との関わりを少し避けがちになってしまっているというのもあるのだろうが。
「……本当は、もっと凄い力を持っているのにね」
 ハルカが、ぽつりと呟いた。
「え?」
 シーナとウルナは、ハルカの背中を見つめる。
「ユウキも、あなたも、まだ大切なものを見つけていないのよ」
 僅かに振り返り、ハルカは薄く微笑んだ。
「大切な、もの……?」
 シーナは問いを返す。
 大切なものなら、たくさんある。家族や友達、これまでの生活、全て大切なものだ。大切な生活が、崩れてしまうことに不安を抱いてもいる。できることなら、今までのような平穏な生活を取り戻したい。
「あなたたちは力が強過ぎるから、見えないのかもしれないわね」
 ハルカはそう言って優しく微笑んだ。
 アウェイカーの中で抜きん出た力を持つが故に、ユウキやシーナには大抵のことができてしまう。空襲から街を守ることも、ユウキなら他のアウェイカーよりも難しいことではない。日常生活で困ることがあっても、シーナの力なら補うこともできた。
 だから、本当に大切なものを見つけることができていないのだ、と。
「与えられたものじゃない、譲れないと思うものを、ね」
 ハルカは言った。
 今まで、自分の周りにあったものや、与えられてきたものではない。無くなってもしょうがないと思えるようなものではなく、何があっても自分の手に掴みたいものを、見つけていない。
 家族を失くしたくないと思っていても、シーナの家族は皆、とてつもなく強い。兄のユウキはもちろんだが、父親のヒカルは現代最強のアウェイカーとして認知されており、その妻でありシーナの母であるセルファも、ヒカルに並ぶ実力者とされている。事実、ヒカルはセルファと共に、第三次世界大戦を終わらせたのだ。それだけの実力を持った二人が、そう簡単に殺されてしまうとは思えない。同時に、ヒカルたちと共に戦ったジンやカエデたちに鍛えられてきた兄ヒカルも並のアウェイカーを寄せ付けぬ実力を持っている。
 家族は大切だが、きっと失うことはない。心配であっても不安はあまり感じていないのもの事実だ。
 リョウやヒサメには、強くなるという明確な思いがある。強さ、という漠然としたものの中に、それぞれの価値を見い出しているのだろうか。誰よりも強くなりたいという思いがあるから、二人はあれだけの実力者になれたのだろうか。
「私には、良く解りません……」
 まだ中学校に入学する前のシーナには、ハルカの意図が読み取れなかった。
 どういうことなのだろうか。
「あなたは、まだこれからよ」
 そう言って、ハルカはシーナの頭を軽く撫でた。
 これから、気付いていくものなのだと、ハルカは言った。ユウキは、きっと探している途中なのだ、とも。
「……え?」
 複雑な気分で俯いていたシーナは、ユウキたちの方で起きた異変に目を見開いた。
「マーガレットさんが、アウェイカー……?」
 驚いたシーナは、そう口に出していた。

「落ち着いた?」
 ユウキは、隣を歩くマーガレットを見て、言った。
 マーガレットは僅かに俯いていたが、首を縦に振った。
 あの後、茫然自失とするマーガレットの母と、錯乱気味に立ち尽くすマーガレットをユウキは一時的に切り離すことにした。アウェイカーに怨まれかねない言葉を口にしたマーガレットの母は、レェンに頼んだ。他のアウェイカーでは、下手をすれば彼女に危害を加えかねない。
 冷静さを保てるのは、恐らくユウキとレェンぐらいだっただろう。そう思ったから、ユウキはレェンに頼むことにした。ユウキ自身は先導を務めなければならない。この場で一番頼りにされているユウキが後方へ回ることは、更に混乱を招くことにもなりかねないからだ。
「ごめんなさい……」
 マーガレットは謝った。
 何に対しての謝罪だったのか、ユウキには判らなかった。進行を遅らせてしまったことに対するものなのか、母の言動についてなのか、それとも別の何かなのか。
「まぁ、外にはそういう人も多いんだろうな」
 ユウキは小さく呟いた。
 これから先、ユニオンという国の外で暮らすことになればアウェイカーへの風当たりは一層強くなるに違いない。アウェイカーという存在の人権が奪われようとしているようなものだ。
 アウェイカーであることを隠して生きることになれば、マーガレットの母のような言葉を口を直接聞く機会も増えるだろう。相手は、アウェイカーであると知らずに話を振ってくる。それが当然であるかのように。
 こんな戦いになってしまうぐらいなのだから、この国の外では、アウェイカーは敵視されていると考えるべきだ。
「……アウェイカー、だったんだ?」
 ユウキは、問う。確認のために。
「この国に来た時から、ずっと……」
 マーガレットは、目を細めて言った。
「いいえ、私がこの国に来た理由が、これだから……」
 自分の掌を見つめるマーガレットは、今にも壊れてしまいそうな表情をしていた。
 自分自身が許せないとでも言うかのように。己の手で科した罪をいくつも背負っているかのように。
「そっか、知らなかったのか、マーガレットの母さんは……」
 ユウキは理解した。
 マーガレットは、中学に入るぐらいの頃にこの国にやってきた。父親は国の外にいて、母親と共にこの国に来たのだ。母親の方には何か別の理由が話されていたのだろう。
 本当は、マーガレットがアウェイカーとなったから、この国に来たのだ。もしかしたら、マーガレットの父親にとっては、身内にアウェイカーがいることを知られたくなかったのかもしれない。そういう事情でこの国にやって来る者も少なくはなかった。
「母さんは、アウェイカーのことをあまり良く思っていなかったから……」
 自分がアウェイカーであることさえ、伝えられずにいたのだと、マーガレットは寂しそうに語った。
 マーガレット自身がアウェイカーであることを知ってしまえば、母はこの国で独りになってしまう。だから、と、マーガレットは自分がアウェイカーではないかのように振る舞い、生きてきたのだ。
「だから、そんな顔してるんだな」
 ユウキは苦笑した。
 空襲の際、マーガレットは戦うことができたのだ。ユウキから見ても、第二級以上に認められるだけの素質を持っている。しかし、母親を孤立させてしまわないために、戦うことを自分で禁じていたのだ。
 どこから、マーガレットがアウェイカーであると母に知られてしまうか判らない。空襲の時に戦うアウェイカーは、どうしてもどこかで知られてしまうものだから。
 自分にできることがあるのに、してこなかった自分自身も許せないのだ。
 だから、マーガレットは辛そうな顔をする。マーガレットが戦っていれば、人を危険に晒す時間が少なくできたかもしれない。見殺しにしようとしていたも同然なのだ、と。
「……怒らないんだ?」
 マーガレットは、どこか泣きそうな笑みを浮かべていた。
 ユウキは、自分にできることをしようとしてきた。マーガレットは、できることがあってもしない生き方をしてきた。正反対であり、ユウキが嫌うことでもある。
 それでも、ユウキはマーガレットに対して怒りという感情は無かった。
「そんな顔されたら、なぁ……」
 ユウキは首の後ろを掻きながら、言った。薄い苦笑だけを浮かべて。
 マーガレットが自分自身を責め続けてきたことは、彼女の表情や態度から解る。何も感じていなければ話は別だが、そんな人物だったならそもそもこんな形で話をしていたりはしないだろう。苦悩し、自分を責め続けてきたことが解る相手に、ユウキが敵意を抱く理由はない。
「優しいよな、マーガレットって」
 ユウキは、小さく呟いた。
 きっと、あの時、トーカスの頬を叩いたのはマーガレットが、ユウキの声を聞いていたからだ。戦わない方が良かったのか、とユウキに呟かせたトーカスが、マーガレットには許せなかったのだ。自分が戦わなかったから、ウルナを守ることもできなかった。二人を守るために戦い、非難されたユウキの言葉が、マーガレットには聞き流せなかったのだろう。
 できることがあるなら、と言ったユウキの言葉も、彼女の胸に突き刺さったはずだ。できることがあるのに、マーガレットはそれをしないようにしてきたのだ。本当は、ユウキと同じ思いを抱いていたにも関わらず。 
「……そんなこと、ないよ……」
 マーガレットは悲しそうに漏らした。
 きっと、ユウキには彼女と同じ行動を取ることはできない。力を隠して生きることは、ユウキならしないだろう。ユウキが彼女と同じ境遇だったなら、母に本当のことを話して、一人でこの国に来ていたかもしれない。
「私、こんなだから、リョウ先輩にも憧れたの」
 マーガレットは言った。
 自分自身のことに胸を張れないから、いつも堂々としているリョウを尊敬したのだ。だから、少しでもリョウのようになりたいと、道場に通い始めた。
「ちっとも、近付けなかったけれど……」
 そう言って寂しそうに笑うマーガレットに、ユウキは小さく首を振った。
「もう、マーガレットは変われるよ」
 ユウキは言った。
 今まで隠していた力を、マーガレットは使ったのだ。今までのことをどれだけ後悔しようとも、マーガレットはあの瞬間から変わったに違いない。
 もう、何も隠す必要がなくなったのだ。
「俺より、前が見えてるじゃないか」
 ユウキの顔に影が落ちる。
 マーガレットが悲しんでいるのは、過去のことだ。今、この時点で悩んでいるわけではない。ユウキのように、これからどうすれば自分自身というものを確立できるのかが解らないわけではない。
 その後悔さえ乗り越えることができれば、マーガレットは自分に正直に生きられる。きっと、胸を張って生きることだってできるはずだ。母への後ろめたさなど、マーガレット自身が生み出した感情なのだから。
 マーガレット自身、いつまでも隠し通せるとは思っていなかっただろう。
「ユウキ君……?」
 マーガレットが今度は驚いていた。
 ユウキとマーガレットは似たもの同士なのだろうか。漠然と、そんなことを考えていた。
「砦が見えた」
 前方に、壁が見えた。ユウキは、目を細める。
 横一直線に平たい壁と、ユウキたちの目指す方向にある大きな建物が砦だ。通り抜けられる部分の敵を突破すれば、ユウキたちの目的は達成される。
「シーナ、俺たちは先に仕掛ける」
 空間干渉で見ているであろう妹へと、ユウキは告げる。
「解った……気を付けてね」
 返事を聞き届けてから、ユウキは背後を振り返った。
「これから、砦を突破する!」
 作戦はすでに決まっている。
 ユウキのグループにいる三分の一のアウェイカーが攻撃を仕掛け、その間に残りのアウェイカーたちが住民を護衛して砦の外へと逃がすのだ。
 壁の向こうは、国連の攻撃許可が下りている地域ではない。
「私も、行くわ」
「……いいのか?」
 マーガレットの、意を決した言葉に、ユウキは少しだけ間を置いてから、聞いた。
 彼女の目は、今までのような哀しみを映してはいなかった。悲哀を抱えてはいても、前へ進もうとする者の目だ。
「せめて、手伝わせて」
「解った」
 ユウキは、頷いた。
 もう、何もせずにはいられない。自分にできることを、精一杯やりたい。彼女の目は、そう告げていた。
「ユーキ」
「レェン?」
 追い付いてきたレェンを見て、ユウキは僅かに目を見開いた。
 レェンは、マーガレットの母を連れていた。
「とりあえず、落ち着いたようだから連れてきた」
 レェンの言葉に、ユウキは頷いた。
 もしかしたら、マーガレットはこの先、二度と母には会えないかもしれない。アウェイカーであることが解ってしまったマーガレットは、母親とは一緒に行けないかもしれないのだ。
「母さん……」
 マーガレットの言葉に、母は俯いたままだった、
 確かに落ち着いてはいるようだったが、マーガレットのことを受け入れられたかどうかは判らない。
「……ごめんなさい、今まで黙っていて」
 マーガレットは、静かに告げた。
「私、自分にできることを、しようと思うの」
 マーガレットの言葉を、母は黙ったまま聞いていた。顔を上げる気配はない。表情を見せないまま俯いている母に目を細めて、マーガレットは背を向けた。
「レェン、皆の誘導を頼む」
「オーケー、ユーキ」
 ユウキはレェンと視線を交わし、頷き合う。
 レェンはナツミとアキナに視線を向けて、一度だけ頷いて見せた。二人も、レェンと共に護衛だ。
「俺たちは、先に行く!」
 注意を引き付けるための囮として、ユウキは何人かの仲間を連れて駆け出した。隣を、マーガレットがついてくる。
 道場で学んでいただけあって、彼女もそれなりに身体能力は高そうだ。もちろん、アウェイカーとしての力を使える今なら、十分な戦力になるだろう。
 砦の正面ゲートへ、ユウキは右の掌を向けた。
 蒼い光でゲートを貫く。穴を開けた瞬間に拡散させてゲートを粉砕し、ユウキは中へと足を踏み入れた。
「ぅぐっ!」
 直後、ユウキは頭痛と眩暈に襲われた。
 ユウキの後に続いたアウェイカーたちが次々と力を失い、よろめいていく。
 力を解除され、立ち尽くすユウキの前に、大型機兵が二十機、立ちはだかっていた。
 その奥に、機兵とはまた違ったシルエットがあった。グレーの強化外骨格を身に着けた、一人の男だ。全身を包み込む強化外骨格は、今までの機兵とは明らかに異質なものだ。グリップ下部にブレードの付いた、特徴的な形状のサブマシンガンを左右の腰に提げている。顔は見えないが、一つ目のようなデザインの頭部は威圧感を持っていた。
「これほどの人数がここまで辿り着けるとはな……」
 男が、苛立たしげに呟く。
 男の後方に、装置が見えた。大掛かりな、対アウェイカー用フィールド発生器が。
「くそ……!」
 ユウキは毒づいた。
 装置がまだあるとは予想外だった。砦のような小規模な場所に用意できるほど量産化が進んでいるとは思えなかったからだ。
「それにしても……まさか娘がアウェイカーだったとはな」
 男の顔、意識がマーガレットに向けられたのが判った。
「……え?」
 マーガレットは驚いたようだった。
「まぁ、関係のないことだがな」
 嘲笑うかのような物言いだ。
「……どういう、ことよ?」
 問いを投げたのは、マーガレットではなかった。追い付いて来た、マーガレットの母だった。額に汗を浮かべて、急いできたのが一目瞭然だ。
 彼女以外の、後続たちは身を隠している。レェンが皆の護衛をしているはずだ。恐らく、マーガレットの母はレェンの制止を振り切ってきたに違いない。
「お前の情報は役に立ったよ……」
 その一言だけで、十分だった。
 ユウキも、マーガレットも、気が付いたのだ。
 マーガレットの母は、スパイだった。恐らくは、昨日、ユニオンが発表した全住民の避難計画と、各区画の移動経路を外部へリークしたのだろう。
 だから、ユウキたちがここの砦に向かうことを知っていたのだ。
 だから、装置をこの砦に用意することもできたのだ。
「さぁ、アウェイカー共には死んでもらおうか」
「そんな……!」
 マーガレットの母が、悔しげに呻いた。
 何となく、ユウキには察しがついた。情報をリークするスパイを行う代わりに、見逃してもらうつもりだったのだろう。ありそうな話だ。
 娘がアウェイカーだったことが関係ない、というのなら、アウェイカー以外は見逃す約束だったのかもしれない。しかし、この男にはそのつもりはないのだ。
 この砦を通ろうとする者は全て、殺すつもりに違いない。アウェイカーであろうがなかろうが、全て敵と認識しているのだ。
「アウェイカーなんて、アウェイカーなんて……!」
「母さん……?」
 取り乱す母を見て、マーガレットは言葉を失っていた。
「やれ!」
 号令と共に、部下であろう機兵たちが動く。
 腕部の銃口が向けられ、いくつもの弾丸が放たれる。
 逃げ惑うアウェイカーたちの中、ユウキは呆然としていた。
「何で……」
 ぽつりと、言葉が漏れた。
「ディーンっ! ディーン! ディーンがっ!」
 トーカスの叫びが聞こえた。
 絶叫が響き渡る。
 マーガレットも、母を見つめたまま絶句していた。
「さらばだ、アウェイカー」
 機兵の隠し腕が、マーガレットに向いた。ユウキよりも、男の位置に近かったからだろうか。
 放たれたグレネード弾は、しかしマーガレットには当たらなかった。
「母、さん……!」
 マーガレットの目の前に飛び出して、彼女の母はグレネードを浴びた。
 成形炸薬弾が爆発を起こし、彼女の母親の身体を吹き飛ばす。爆発の衝撃によろけて、マーガレットが尻餅をつく。爆風が消えた時、そこに彼女の母親の姿はなかった。
「皆退け! 下がるんだ!」
 レェンの怒号が飛ぶ。
 ユウキは、頭の中が真っ白になっていた。
 何故、こんなことになっているのか理解できない。どうして、アウェイカーが敵視されるのか解らない。同じ、人間ではないのだろうか。
「なんで……こんな……!」
 マーガレットが涙を流していた。
 目を見開いて、ぼろぼろと涙を流しながら、呆然と目の前の光景を見つめている。
 背筋が、震えた。心の奥で、何かが軋んでいた。
 何がいけなかったのだろうか。ユウキが、もっと先を読んでいれば避けられたのだろうか。不自然な部分を見過ごして、最悪の事態を考えていなかったとでも言うのだろうか。
 自分では、精一杯やってきたつもりだった。違ったのだろうか。
 眩暈がした。目の前の光景がぐるぐると回っているかのような錯覚に襲われていた。
 マーガレットが泣いている。
 アウェイカーたちが逃げ惑い、絶叫している。
 いくつもの敵意が、辺りを駆け巡っている。
 その敵意の一つが、マーガレットに向いた。
 ユウキの、目の前で。
 軋んでいた何かが、内側から弾けた。
 ユウキの左手から、鞘が落ちて。
 ユウキは咆えた。
 その視界は、蒼と銀の光に満ち溢れていた。
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