第二章 「心の篭るもの」


 シリギアの宿に、リオンとウィルドは泊まっていた。
 聞けば、ラーグとカイもリオンたちと同じでこのシリギアに今日着いたばかりだったらしい。着いて直ぐ、食事を取ろうと店に立ち寄ったところで襲撃を受けたようだ。
 都市を出て移動するのは、明日の予定となった。
「目的地の見当はついてるのか?」
 四人分のベッドが用意された部屋の中で、リオンはラーグに言葉を投げた。部屋の中では、それぞれベッドを椅子代わりにして休んでいる。
 そこでラーグは移動する予定があるとリオンたちに話したのだ。それはつまり、移動する目的地があるということでもある。少なくとも、このシリギアはラーグたちの目的地ではない。
「まぁ、ある程度はな」
 ベッドに仰向けに転がったまま、ラーグは答えた。
「なら、直ぐ移動できる距離にはないということか?」
 ラーグの返事を聞いて、リオンは問う。
 目的地、つまりリギシア・テラン博士の居場所についてある程度でも目処が立っているのなら、直ぐに移動すべきではないのだろうか。ベルファート皇国も、ギヴァダ帝国も、更なるマキナを欲している。ラーグたちは一刻も早くリギシア博士を見つけ出さなければならないはずだ。
 一泊するということは、今からの移動は難しい場所なのだろうか。
「いや、まぁ、そういう訳でもないんだけどな」
 ラーグは軽く勢いをつけてベッドから跳ね起きるように身を起こした。
「場所が場所だから、仲間を待つのよ」
 窓から外を眺めていたカイが振り向いて言った。
 どうやら、仲間と合流する予定があるらしい。そのために、時間を合わせる必要があるのだ。今直ぐに動いてしまったら、合流する地点をラーグたちが先に通過してしまうのだろう。
「場所が場所だから、か……」
 リオンは呟いた。
 要するに、仲間を待つ必要がある場所にこれから向かう、ということだ。
 単体で凄まじい戦力となるマキナ一体でさえ、不安があるほど危険な場所ということか。
「おっと、まだ口には出すなよ、予想だけに留めといてくれ」
 ラーグは軽く笑みを見せて言った。
 どこで誰が聞いているとも限らない。直ぐ傍に帝国の勢力がいるとまでは言わないが、昼間の襲撃の件もある。マキナなら離れている場所からラーグたちの会話を聞き取ることができる者もいるかもしれない。
 もし、今ここで情報が漏れてしまったら、移動する明日には先回りをされてしまう。直ぐに移動するわけではないのだから、軽々しく情報を口にすべきではない。
「解った」
 リオンはラーグに頷いて見せた。
 どの道、リオンは手掛かりを持ってはいない。ラーグたちと行動を共にすると決めたのだから、彼らについて行けばいい。案内して貰えるのだから、問題はないだろう。
「……ところで、一つ聞いてもいいかしら?」
 カイが窓に寄りかかるような体勢で口を開いた。
「答えられることなら、な」
 リオンは言った。
「あなたたち、一戦には参加していないわよね?」
「ああ、俺たちはあの場にはいなかった」
 カイの問いに、リオンは静かに頷いた。
 一戦とは、三年前の大規模な戦闘のことだ。当時、ベルファート皇国とギヴァダ帝国が持てる戦力の全てを投入してぶつかり合った戦いのことを、皆そう呼んでいる。
 国境付近にあった都市を丸ごと一つ壊滅させ、お互いの戦力に大きな損害をもたらした戦いだ。噂に寄れば、一戦に投入されたマキナの数は全体の八十パーセントを超えるとか。
 一般認識で言えば、大惨事の一言に尽きる。
「その時、どこにいた?」
 カイの疑問は、リオンたちが当時リギシア博士と一緒にいたのではないか、というものだった。
 リギシア博士は、一戦を境に姿を消している。戦闘に巻き込まれた可能性は低い。リギシア博士が研究を行っていた場所は、一戦の戦場からは遠くかけ離れた場所にあった。何者かの襲撃があった可能性もあるが、研究所の破壊やマキナ関連情報の抹消などは敵の手によるものとは思えなかった。
 同時に、一戦以降、マキナは一体も作られていない。マキナの製造方法が消失してしまっているのだ。リギシア博士の研究所に出入りしていた両国の人員にも行方は判らず、双方の国の中でマキナの研究をしていた人物にも製造法は解明できなかった。
 一戦に参加していないロストナンバーなら、もしかしたら当時のリギシア博士と行動を共にしていた可能性がある。カイはそう考えたのだろう。
「残念ながら、俺はリギシアを見たことがない」
 リオンは首を横に振った。
「でも、目覚めてはいたんでしょ?」
「まぁな。俺はウィルドと出会って、直ぐにある人物に拾われた」
 当時、二人はリギシアの知り合いだと言う男に拾われていた。
 研究所の裏手にゴミやガラクタと共に捨てられていたリオンは、同じく捨てられていたウィルドを見つけた。薄汚れた布を身に纏い、ガラクタの上に座るようにしてぼんやりと空を見上げているウィルドの姿は今でもリオンの目に残っている。
 廃棄されたリオンとウィルドは目覚めて直ぐ、リギシアの知人だと言う男に拾われた。彼はリオンたちが生きて行くために必要な知識と、暫く旅をするのに困らない資金をくれた。
「丁度、資金を手渡されたのが一戦の時だな」
 リオンは小さく溜め息をついた。
 男は、リギシア博士の行方は知らないと言っていた。ただ、リギシア博士から研究を封印するという旨だけは聞いていたらしい。
「俺たちのことも頼まれてたらしかったが、詳しいことは不明だ」
 結局、男は何も知らなかった。
 リオンとウィルドのことを頼まれたと男は言っていたが、何故リギシア博士が二人を託したのかは判らない。男は、リギシア博士とは旧知の仲だったらしく、深く追究しようとはしなかったようだ。
「考えがあってのことだ。あいつは昔から天才だから。あの人はいつもそう言ってた」
 ウィルドがぽつりと呟いた。
 男は、リギシア博士の知り合いとして自分の身も狙われる可能性があると察知していた。だから、リオンとウィルドに資金を渡して直ぐに彼も姿を消した。
「で、俺たちも旅に出たわけだ」
 リオンは言った。
 目的らしい目的は無い。ただ、リギシア博士に会って話を聞きたいと言い出したのはウィルドだった。感情が希薄なせいで普段は自己主張をほとんどしないウィルドが言い出したことにはリオンも驚いたものだ。だが、ウィルドにだって心はある。リオンも、自分の出生には興味があった。反論もなく、目的は決まった。
「友人にさえ行方を知らせなかったのね」
 カイが呟いた。
「まぁ、解らんことも結構あるが……」
 ラーグが思案げに呟く。
 マキナ製造を止める一番単純な方法は、失踪ではなく自殺だ。リギシア博士の存在そのものを消し去ってしまえば、少なくとも今の時点でマキナを造れる者はいなくなる。リギシア博士がまだ生きているという情報があるからこそ、両国は密かに捜索を続けている。
 だから自殺ではなく、失踪というのも解らない点の一つだ。
「とりあえず、ぼろ布着せてこんなかわいい女の子をゴミ捨て場に捨てるなんて許せんな」
 ラーグは真面目な表情で言い切った。
「……裸が寒かったから、着ただけ」
 ウィルドは無感情に呟いた。
「裸、だと……!」
「すけべ」
 目をかっと見開くラーグの後頭部にカイが平手打ちを叩き込む。パーン、とどこか心地よい音が室内に響き渡った。
 リオンは苦笑を浮かべ、ウィルドを見る。ウィルドは無表情に二人のやり取りを見つめていた。
「二人は一戦の時、そこにいたの?」
 今度はウィルドが問いを投げた。
「……ああ」
 ラーグが目を細める。
「酷い戦いだったわ」
 カイもどこか忌々しげに呟いた。
 二人はどうやら一戦を生き残ったデウスとマキナらしい。
「正直、生き延びられたのが不思議なくらいよ」
 カイは溜め息をついた。
 あまり思い出したくはないのだろう。カイはそれ以上語ろうとはしなかった。
 その夜、ウィルドたちが寝静まってもリオンは眠れずにいた。
 窓から差し込む月明かりを見つめながら、昼間の戦いを思い出していた。
 カイ・クロウスは一戦を生き延びたマキナというだけあって、強い。昼間、カイとラーグを襲ったマキナは遠距離砲撃戦型のものだった。バランス良く射撃を行えるカイとは相性が悪かったかもしれないが、それでもカイの圧勝と言っても過言ではないだろう。カイの攻撃は腕を銃器に変え、収束エネルギーを放つタイプだ。収束させるエネルギーの量によって破壊力はもちろん、弾速と有効射程も変化する。近距離から長距離までどんな間合いにも安定して戦闘能力を発揮できるバランス型と見て間違いない。
「……あの子は、何故デウスになったんだ?」
 不意に、ラーグの声がした。
 まだ起きていたらしい。
「さぁな」
 リオンは一言だけ返した。
 あの子、というのはウィルドのことだろう。
「聞いてないのか?」
 ラーグが驚きと疑問の入り混じった声を返した。
 マキナと違い、デウスは元々ただの人だ。マキナを制御するための処置を施されてデウスとなる。つまり、デウスには過去がある。戦争のために生み出されるマキナとは違って。
「憶えていないのさ」
 小さく、リオンは答えた。
 ウィルドはデウス化の処置に失敗し、恐らくはそれが原因で感情と同時に記憶も失くしたのだ。だから、ウィルドは過去を知らない。
「じゃあ、何で破棄なんて……?」
 ラーグが呟く。
 人であったデウスは、たとえ処置に失敗したとしても捨てられることはない。しかし、ウィルドは間違いなく廃棄されていた。
「さぁな」
 リオンは息を吐いた。
 ウィルドを破棄せねばならなかった理由があったのだろうか。だとしても、ウィルドが破棄された理由を知る者に会ったことはない。ただし、リギシア博士なら確実に事情を知っているはずだ。彼に会えば、ウィルドの過去を知ることもできるかもしれない。
「お前は、どうなんだ?」
 顔を向けることもせず、リオンは聞いた。
 何故、ラーグはデウスになったのか。なろうと思ったのか。
「俺がデウスになった理由か?」
 ラーグは僅かに驚いて少し考えた後、口を開いた。
「俺には、弟が二人と妹が一人いるんだが、親はいなんだ。戦争で死んじまってな」
 昔を思い出すように、ラーグは言った。
 戦争で巻き込まれて両親が死に、ラーグは弟たちを養わなければならなくなったのだ。戦争が続いていれば珍しい話ではない。
「デウスになれば、ただの軍人よりも格段に上の給料がもらえる。そう聞いたのさ」
 デウスになるためには、ある程度の適正が必要になる。誰でも簡単にデウスとなれるわけではない。軍人がデウスに立候補したとしても、すんなりは行かないのだ。故に、軍はデウスの適正を持つ者を欲していた。
 ラーグはそこに目をつけたのだろう。デウスの適正があれば、軍から多くの金をもらえると信じて。
 今までずっと夜空を見ていたリオンは、ラーグに視線を向けた。
 ラーグは薄く笑みを浮かべていた。まるで何でもないことを話しているかのように。
「ま、復讐心が無かったと言えば嘘になるけどな。最初は両親の仇も討てるとか思ってたよ」
 ラーグは苦笑いを浮かべて見せた。
 話から察するに、恐らくラーグの両親はギヴァダ帝国の攻撃に巻き込まれて亡くなったのだろう。強大な力を持つマキナのデウスとなれば、仇討ちのために戦えると思っても不思議はない。
「まぁ、今はそんなことどうでも良くなってるけどな」
 ラーグの表情から苦笑が消える。
「今は、弟たちを養うためにデウスをやってる」
「そうか……」
「それにな、あいつとあちこち飛び回るのも今は中々楽しいのさ」
 ラーグは歯を見せて笑った。
 カイと共に色々な場所を見て回るのが楽しい、と。
「ところで」
 リオンの顔をじっと見つめて、ラーグは口を開いた。
「なんだ?」
「髪、鬱陶しくないのか?」
 リオンは一瞬言葉を失った。拍子抜けしたのだ。
 何を聞かれたのか理解するのに数秒かかった。
「……まぁ、別に気にはならないな。目が見えなくても周りのことは把握できるしな」
 兵器であるマキナには、視界以外にも周囲を把握する特殊な知覚がある。人間でいうところの気配の察知という感覚を強化したようなものでマキナは周囲を視ることができる。
「つくづくマキナってのは便利だなぁ……」
 感心したようにラーグが呟く。
 当然だ。兵器として創られたマキナはあらゆる面で人間を凌駕している。自然治癒能力も、身体能力も、知覚感覚も、デウスからエクスを貰って戦闘態勢にならずとも高いレベルにある。
 体の部位を一部失うほどの傷でも、人間と違って数ヶ月で回復し、専用の設備があれば一週間程度で再生もできる。
「そう思うか?」
 リオンは僅かに笑った。
「ま、一般的には、な?」
 ラーグもまた笑った。
 マキナにも、心がある。たとえ人間より優れた能力を持っていようと、その心は人と変わらない。兵器として創られ、強大な力を持つマキナを人と対等の存在として見ることは決して容易いことではない。
 多くの人間たちはマキナを兵器として見下すことで自分の中の恐れを抑え込んでいるに違いないのだから。
「一つ、確認してもいいか?」
 ラーグが小さく問いを投げた。
 リオンは無言を返し、次の言葉を待った。
「あんた、ちゃんと戦えるか?」
 もっともな疑問だった。
 ウィルドも、リオンも、失敗作なのだ。デウスとマキナとして、完成しなかった。まともに戦えるかどうかは疑問に思って当然だ。
 仲間と合流するという予定を考えれば、敵と交戦する可能性も高いに違いない。これから行動を共にするのだから、戦力になりうるかどうかは確認しておきたいのだろう。
 リオンのマキナとしての性能に関しても不安なのだろう。自分の身を守る力があるかどうか知りたいのだ。
 それに、感情が希薄なウィルドは、マキナを戦闘状態にするために必要となるエクスを引き出すのが難しい。いざという時に戦えるのかどうか、気になっても不思議ではない。
「やろうと思えば、な」
 リオンは静かに告げた。
「何か、問題でも?」
「まぁ、可能な限り戦闘は避けたいな」
 ラーグの問いに、リオンは言った。
「あの子のエクスって、何なんだ?」
「……今は教えられない」
 リオンは視線を外へと戻した。ラーグから逸らして。
「デウスの命令、か?」
 ラーグの声が僅かに小さく絞られる。
「いや、口止めされてるわけじゃないが……あいつの許可なしに言うのは、な」
 リオンはそう答えた。
 ウィルドは感情が希薄なためか、自分から何かを言うことは多くない。リオンに口止めすることもないに等しい。ただ、だからと言って何でも喋ってしまうのは躊躇われた。
「ウィルドがいない時に言えるのは、俺のことと、あいつを見てすぐ解ることだけだ」
 今リオンが口にできるのは、リオン自身についてのことぐらいだ。話せたとしても、ウィルドの事情に踏み入らない部分までだ。
 リオンが喋るとしても、ウィルドに確認をとれる時だけに限る。
「なるほど、大切に思ってるんだな?」
「お前も、な」
 笑みを含んだラーグの言葉に、リオンはそう返した。
 そこで会話は一度途切れた。
 もう寝ようかとリオンが目を閉じた時、ラーグがぽつりと漏らした。
「何だか、作為的なものを感じるな……」
 目を閉じたまま、リオンはラーグの言葉を聞いていた。
 だが、言わずとも解っていた。リオンも同じ思いを抱いていたのだから。
 恐らく、リオンとウィルドの出会いは偶然ではない。本来ありえないはずのデウスの廃棄と、殺されずに捨てられたマキナの出会いは、仕組まれたものだ。
 二人を拾った、リギシア博士の友人と名乗る男の登場も、タイミングが良過ぎる。偶然にしては出来過ぎだ。
 彼は二人を頼まれたと言っていたのだ。リオンとウィルドを生かすために、全てが仕組まれているとしか思えない。
「同感だな……」
 一言だけ、リオンは呟いた。
 ラーグに聞こえたかどうかは分からない。ただ、どちらでも良かった。

 まだ朝靄が立ちこめる中を、リオンたちは歩いていた。
 朝早い時間帯、辺りは薄い霧に包まれている。遠くを見渡せない程度に、視界が塞がれているような形だ。
 ラーグとカイの二人が前に立ち、リオンはウィルドと共に後を追うように進む。
「この方角で合っているのか?」
 リオンは小さな声でラーグの背中に問いを投げた。
 今四人が向かっている方角にあるのは、国境だ。
 リオンの荷物の中にある地図が正しければ、国境のすぐ手前には街がある。三年前の一戦によって焼失した、廃墟の街が。目指す方角はその廃墟のある方向と一致する。
「間違っちゃいないさ」
 ラーグは肩越しに笑みを浮かべて答えた。
 確かに、一戦の舞台となった街が目的地であるならマキナ一体だけでは不安だ。国境付近であるのだから、ギヴァダ帝国の者が現れる可能性も高い。襲撃されたところを見ても、ラーグたちの動きが相手に察知されているとしても不思議ではない。
「それにしても、霧が濃いわね……」
 カイが呟いた。
 辺りに立ちこめる朝靄が晴れる気配はない。不気味な空気が漂っている。
「なぁ、周りにマキナの気配は?」
「私は感じないわ」
 ラーグの問いに、カイは即答した。
「俺も感じないな」
 リオンも辺りに視線を走らせる。
 もしリオンが失敗作として捨てられたマキナであるなら、索敵能力はカイよりアテにはならないかもしれない。とはいえ、マキナとしての能力は一応備わっている。周りにマキナの気配がないのは確かだ。
 ラーグは口元に手を当てて何かを考えているようだった。
 薄々、リオンも気付き始めた。
 霧の発生時間と濃度が、不自然だ。朝靄にしても濃すぎる。街を出て直ぐ霧の中に入ってしばらく経つが、霧の濃さが変わっていない。
 ラーグに言われて周囲の気配を探った時、マキナとしてのレーダー感覚にノイズが混じっていた。気配を探れる範囲が極端に狭くなっているような気がする。
「ジャミングミストか?」
 このリオンの結論は、恐らくラーグと一致しただろう。
 マキナのレーダー感覚を狭め、外部との連絡を遮断し、更には視界も制限する兵器だ。広範囲に展開しなければならないが、効果時間も長く、事前に打ち合わせがなされていれば有効な妨害兵器だ。
「やっぱり、俺たちの動きは読まれたか……」
 ラーグが驚いたように呟いた。
 二人の行動が敵対勢力に漏れていたのだ。そうでもなければ、先回りされたようにジャミングの霧が出ている説明がつかない。敵対勢力は恐らくギヴァダ帝国だろう。他に考えられるとしても、友好的な相手とは考えにくい。
 情報は昨日戦ったマキナのデウスが持ち帰ったのだろう。ここにラーグとカイが来ることが予想できれば、ジャミングを展開するだけの時間はあった。
 仲間との合流のため間をおいたのが裏目に出たかもしれない。
「どうするの?」
 カイはラーグの指示を仰いだ。
 彼女がマキナとして臨戦態勢を整えるには、ラーグのエクスが必要だ。このまま進めば、待ち伏せされているのは確実だ。そこに辿り着くまでにカイを戦える状態にするべきかもしれない。
「どう思うよ?」
 ラーグはリオンに問いを振った。
「判断し兼ねるな」
 ただリオンたちを全滅させるのが目的なら、すでに襲われていてもおかしくはない。街からもだいぶ離れている。襲うのであればもっと早いタイミングで仕掛けてきてもいいはずだ。
 何か考えがあるのか、罠がある場所まで呼び込みたいのか。
「答えは簡単さ」
 霧の奥から、声と共に二つの人影が近付いてきた。
「こちらの兵士を避難させるのに時間がかかっただけだよ」
 自信に充ち溢れ、どこか他者を見下したような声が響く。
 現れたのは、くすんだ金髪に真紅の瞳を持つ、灰色のコートを着込んだ青年だった。背の半ばまである長い金髪を揺らしながら、歩み出てくる。鋭い目つきではあったが、笑みを浮かべた表情にはどこか子供じみた雰囲気がある。
 その青年にやや遅れて、少年が姿を現した。ぼさぼさの黒髪に、華奢な身体つきの少年だった。ダークブルーの瞳をどこか物憂げに細めている。青年とはまた違う意味で、危うさを持った少年だった。
「オメガ……!」
 カイが目を見開いた。
「久し振りだね、カイ・クロウス」
 口元の笑みを深めて、青年がカイの名を呼んだ。
「オメガ・アポカリプス……!」
 ラーグが険しい表情で青年を睨みつけていた。
 オメガ・アポカリプス。一戦の結末、第三次を引き起こした張本人とされる、最強最悪のマキナの名だ。性格は残忍で冷酷、人を人と思わず敵を殲滅するためには周囲のことなど一切気にかけない、味方からも問題視されているマキナだと噂されている。
 ラーグとカイは一戦において、オメガと直接対峙した経験があるのだろう。
「カイ、頼む」
 ラーグはカイを抱き寄せ、その唇を奪う。
 それを見たオメガの眉がぴくりと動いたのを、リオンは見逃さなかった。
 口付けを終えたカイの額から、淡い光の粒子が溢れ出し青いヘルメットを構築していく。だが、ヘルメットの形状は昨日リオンが見たものとは違っていた。基本的には同じ青いヘルメットだったが、頬から耳にかけて、白いプロテクターが追加され、胸部も着込んでいた服の上に鎧のような装甲が形成されていた。
「相変わらず、むかつくエクスだ……!」
 オメガは明らかに怒りを剥き出しにしていた。
「アンスール!」
 振り返りざまに、オメガは隣にいた少年を殴り飛ばしていた。
「オメガっ!」
 ラーグが咎めるように叫んだ。
 地面に押し倒された少年、アンスールの体が跳ねる。その襟首をオメガは掴み、引き寄せる。アンスールの口の端からは赤い血が伝っていた。
 アンスールは無表情だったが、瞳の奥には恐怖心と共に諦めが、リオンには見えた気がした。
 オメガはその血を指ですくい取り、舐めた。
 瞬間、オメガの身体を紫色の鎧が包み込んだ。関節部を除くほとんどの場所が装甲に覆われ、頭部も紫を基調にした装甲が顔以外を覆っている。
「血が、エクスなのか……!」
 リオンは呟いた。
 オメガのデウスであるアンスールのエクスは、血なのだ。アンスールを殴り飛ばしたのも、エクスを得るためか。だが、だとしても見ていて気持ちの良いものではなかった。オメガの方も、アンスールを気遣っている様子は見られない。
 何となく、オメガがラーグたちを見て苛立つ理由が解った。
「リオン、戦えるなら手伝ってくれ」
 ラーグは、オメガに視線を向けたまま言った。
「悔しいが、あいつはカイ一人じゃ手に負えない……!」
 歯噛みするラーグを見て、リオンはウィルドに視線を向けた。
 ここまでずっと余裕を見せていたラーグの表情が、険しいものになっている。それだけで、オメガの戦闘能力が高いことが見て取れる。一戦で大破壊を引き起こした原因、などと噂されるだけでも相当手強いのだろう。カイの力を信頼しているはずのラーグが、昨日知り合ったばかりのリオンにも助けを求めるほどに。
「ウィルド、いいか?」
 リオンは静かな声で、問う。決めるのはウィルドだ。
 リオンに戦う意思があっても、彼女に無理強いはできない。できれば、リオンも戦うことは避けたい。
「記憶に無い顔、ロストナンバーか。貴様も、人間に媚びへつらうのか?」
 オメガの見下したような口調を、リオンは聞き流した。
 ウィルドは、リオンを見上げて、小さく頷いた。
「そうか……すまない」
 リオンは目を閉じて息を吐きだすと、ウィルドに向き直った。
「リオン?」
 ラーグがリオンの囁きに小さく声を上げた。
 その場の視線が集中する中、リオンは右の拳を握り締める。
「いくぞ」
 後ろに引いた拳が、ウィルドの鳩尾に減り込む。
 下方からの衝撃に軽いウィルドの身体は簡単に浮かび上がる。リオンの右手を支えに、彼女の身体はくの字に折り曲げられて宙に浮いた。
「何やってんだお前っ!」
 ラーグが叫んでいた。
 直ぐに拳は引き戻され、リオンはウィルドの身体を支える。
「ぇほっ……けほっ……」
 咳き込むウィルドをその場に座り込ませ、リオンは彼女の眼尻に浮いた雫を指先ですくい取った。
 ――システム・デウス・エクス・マキナ・スターティング。
 リオンの視界の片隅に、薄っすらと文字が浮かび上がる。
 ――モード・グレイヴ・アクセント。
 ウィルドが落ち着いてきたのを確認して、リオンは立ち上がった。
 右腕の構造が書き換えられて行く。感覚が普段の数倍以上に拡張されて行く。視界はより鮮明に、聴覚はより繊細に、触覚はより敏感に、周囲の気配はより明瞭に。
 リオンが戦うために必要なエクスは、ウィルドの涙だった。
 感情に欠けた彼女が唯一、思いを籠められるものが、それだった。
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