第八章 「リオン」


 ウィルドには、感情というものが分からなかった。
 色々なことを考えて、思うこともあった。だが、それを相手に伝えることができない。どうすれば相手に伝わるのか、表現の仕方が分からない。
 この世界で、ウィルドは独りだった。
 誰もウィルドの過去を知らない。誰もウィルドの思いを知らない。誰にも思いを伝えられない。未来を考えることも、ウィルドには意味のないことに思えた。
 それでも。
 たった一人、リオンだけはいつもウィルドの隣に立っていた。
 ウィルドの頭を撫で、微笑むリオンがいつも傍にいた。
 初めて気がついた時、ウィルドは空を見つめていた。何を考えればいいのか分からず、どうしていいのかも分からないまま、ただそこに存在しているだけだった。
 声をかけたのは、リオンだった。
 それから直ぐに拾われて、生きるために必要なことを教わった。
 これからどうするか聞かれて、ウィルドはリギシアに会いたいと呟いた。ウィルドという存在が何故、この世界にいるのか、リギシアなら知っていると思ったからだ。
 ウィルドは、自分が他の人と違うことに気付いていた。
 感情というものが理解できない。思考だけはできても、いざ表現しようとなると言葉や行動に繋がらない。まるで、そこまでの経路が途切れているかのように。
 本当は、皆と同じになりたかった。感情を伝えたい。表情を作りたい。
 もしかしたら、リギシアなら感情を取り戻す術を知っているかもしれない。そんな期待があったのかもしれない。
 リオンはマキナだからそれ以前の過去はない。行くアテもないからと、リオンはウィルドについてきた。
 途中で目的や気が変われば、リオンもどこかへ行ってしまうのかもしれない。最初はそう思っていた。
 けれど、リオンはずっとウィルドと一緒だった。愛想のないウィルドに文句ひとつ言わず、他の誰かと接するのと同じように振る舞って。
 独りになっても、何も感じないと思っていた。
 感情がないのと、感情を表に出せないのは別だと、リオンは言った。
 独りになるのは、イヤだった。どう表現すればいいのか分からない。それでも、独りになりたくないと思った。
 リオンは無理をしているのかもしれない。そう考えたこともあった。ウィルドのために無理をして一緒にいるのかもしれない。ウィルドのために行きたい場所にも行けないのかもしれない。ウィルドがリオンを縛り付けているかもしれない。
 言いたいことがあるなら言えばいい。
 誰かがそう言った。
 けれど、ウィルドには、今自分が言いたいことすら判らない。色んなことを考えていても、どれが言いたいことなのか判らない。それを言葉にするにはどうすればいいのか判らなかった。
 リオンは、優しい。
 言葉の意味は解っても、どうすれば自分が優しくなれるのか判らなかった。
 リギシアは、祖父だった。家族がいたことも、死にかけていたことも、マキナ誕生のきっかけが自分であることも、初めて知った。
 けれど、やっぱりどうすればいいのか判らなかった。
 リオンの言葉通り、ウィルドには何を考えていいのかすら分からなくなっていた。家族がいたことや、命を救われたことを喜ぶこともできない。マキナ誕生のきっかけになったことが辛いと口に出せない。
 過去はあった。けれど、すべてがウィルドには手の届かない場所にある。リギシアに何を言えばいいのか分からない。
 ただ、一つだけ解っているのは、自分がウィルド・フェニキアという存在であることだけだった。
 いつも、そう呼ぶ人がいた。彼はどんな時でも、ウィルドを見ていた。
 ルーンという本名があっても、実感がない。それは酷いことなのかもしれない。ルーンであることを望んでいた人たちにとって、ウィルドという存在は辛いものなのかもしれない。
 それでも、彼はウィルドを受け入れていた。
 目の前で怒りを露わにする青年が、ウィルドにとっては今までのすべてだったかもしれない。
 そんな彼が、目の前で吹き飛ばされた。右腕を失い、壁や床を赤く染めて、死にかけていた。
 何もできない。
 何か、したかった。
 オメガは、嫌いだった。
 彼が苛立つから。彼が嫌うから。
 けれど、彼もオメガとリギシアに呼ばれた。
 彼は、誰なのか。
 致命傷かもしれない傷を負ってもなお、彼は立ち上がった。ウィルドの腕を掴むオメガを弾き飛ばした青年が膝を突く。ウィルドは、彼を支えていた。
 自然と、涙が溢れた。
 彼は、少女をウィルドと呼んだ。過去の名前ではなく、今の名前を。
 なら、彼もオメガではなく、リオンなのだと思った。
 ウィルドも、リオンが良かった。
 リオンという名前が、彼には似合う。優しく頭を撫でて、微笑むリオンが、一番心地良く感じる。
 それが感情というものなのだと、ようやく気付いた。
 死んで欲しくない。生きていて欲しい。
 もっと、一緒にいたい。
 伝えたいことはたくさんある。
 せめて、ウィルドが笑えるようになるまで。
 別れることになるとしても、リオンに笑顔を返したかった。

 機械粒子が活性化し、失われたリオンの右腕を復元していく。
 伝わってくるのはウィルドの心だ。
 すべてが仕組まれたものであろうとなかろうと、リオンがウィルドと過ごしてきた時間は変わらない。
 色んな思いが駆け巡っていた。
 誰とも笑い合えないウィルドと、リオンはずっと暮らしてきた。
 最初はリオンも戸惑った。もどかしく思ったことが無いとは言わない。けれど、リオンがどんな思いを抱いたところで彼女は理解できない。
 いつしか、リオンにもウィルドが当たり前になった。
 結局、彼女が人と違うのは当然なのだ。それがたとえ後天的なものだとしても、感情が希薄なのは彼女の個性だ。まったく同じ人間がこの世にいないのと同じように、彼女が人と違う部分が感情なのだと思うようになった。
 そういう思考回路を持たされたのか、先ほどまでならそう考えて反感を抱いたかもしれない。
 けれど、今はそんなことより大切なものがある。
「お前……!」
 オメガが動揺していた。
 リオンの右腕は完全に復元され、肩、肘、手の甲の三箇所に結晶体が作り出される。左腕にも同じ三つの結晶体が発生し、腕を外骨格のような装甲が覆っていた。
 リオンの額に、結晶体が現れた。膝が腕と同じ装甲に包まれ、膝の部分に結晶体が生じる。装甲は鎧となり、リオンの上半身を包み込んだ。背中と胸に一際大きな結晶体が浮かぶ。
 第三形態とやらを通り越しているのは、一目瞭然だ。
「死ねっ!」
 オメガが手を水平に振った。
 掌から光弾が放たれる。
 瞬間的に、リオンの視界に文字が流れる。思考が指示となり、右手の結晶が光を放つ。
 伸ばした右手が光弾を跳ね返す。百八十度反転した光弾を、オメガは同じ威力の光弾を放って相殺した。
「お前っ!」
 苛立つオメガから視線を外して、リオンはウィルドに目を向ける。
「ちょっと片付けてくる」
「うん、行ってらっしゃい」
 頷くウィルドに笑みを向けて、リオンは走り出した。
 視界の片隅で常に文字が流れている。
 ――デルタ・エプシロン・イオタ・カッパ・ミュー・ロー・ユプシロン・ファイ・プシー・スタンバイ。
 今使えるマキナのデータが列挙されていた。
 ただ意識するだけで、体の構造が書き換わる。表面上の変化はほとんどない。ただ、力を発動させるための構造が一瞬で体内に形成されていた。
「ちぃっ!」
 舌打ちするオメガの目の前へ、たった一歩で移動する。
 ファイというマキナの、空間歪曲能力だ。一定範囲の空間を任意に捻じ曲げる。それで距離を縮めて瞬間的に移動した。
 後退しようとするオメガへ、空間を捻じ曲げて追撃する。
「くそっ!」
「いいから外へ行こうぜ?」
 毒づくオメガの腕を掴み、リオンは口元に笑みを浮かべた。
 空間を捻じ曲げ、外までの距離を縮めた。オメガごとそこへ飛び込み、一瞬で外へと飛び出す。
 クレーターのほぼ中央へと移動して、リオンはオメガを投げ飛ばした。
「お前はぁっ……!」
 怒声を吐き出すオメガをよそに、リオンは周囲を見回した。
 状況把握をしようとした瞬間、エプシロンの機能が発動する。クレーター全域を覆うほどの範囲にセンサーが展開し、すべての情報が流れ込んでくる。
 敵の数と位置を読み取って、リオンはオメガへと視線を向けた。
 状況は拮抗していた。
 第三形態を発動して飛び出して行ったカイとゼラは、シグマ、タウの二人を相手に立ち回っている。他の兵士の攻撃をかいくぐり、反撃しながらも意識はそれぞれマキナへ向けている。
 第三形態でなければマキナと物量に押されていたはずだ。同じ第三形態のオメガを押さえられなくとも無理はない。
「オメガ、か……」
 自分の両手を見下ろして、リオンは微かに苦笑した。
 あれほど腹が立ったオメガと、リオンは同じ名前を与えられていた。もしかしたら、同じ名を与えられた者として不快感を抱いたのだろうか。
 ただ、今でも目の前にいるオメガは嫌いだった。
 デウスを攻撃してエクスを貰うのはリオンもオメガも同じだ。だが、リオンはともかくオメガはアンスールを攻撃する必要性が無いに等しい。オメガがアンスールを殴る理由はない。
 それでもオメガがデウスを傷付けるのは、彼の趣味だからなのだろう。
 人間が憎いからという理由が大きいに違いない。勝手に戦う力を与えられ、人と同じ外見や思考力を持っているにも関わらず、人間として扱ってはもらえない。
 カイやゼラは、ラーグ、エオローというデウスだったから良かった。
 しかし、臆病なアンスールはオメガを拒絶していたかもしれない。少なくとも、攻撃的なオメガとアンスールは性格的な相性が良いとは思えない。
 オメガがフラストレーションの解消のために暴力を振るっていてもおかしくない。いや、実際そうなのだろうと思えてしまう。
 人間をいたぶることに、オメガは優越感を抱いている。一目で解った。
「お前は、こっち側のマキナだろう……!」
 オメガが叫ぶ。
 リオンはウィルドを傷付けなければ戦えない。リオンにとってそれは仕方が無いことだ。ウィルドが望み、彼女が感情を出せないからと割り切っている。
 それでも、彼女のことを気遣っているつもりだ。
 骨折や痣などの傷が残らない程度に加減もしている。
「……そうかもな」
 リオンは呟いた。
 決して、人を傷付けることに快楽を感じていたりはしない。
 ただ、先ほど力を解放してから感じていることがある。
「なら……!」
 笑みを浮かべるオメガを他所に、リオンは小さく息を吐き出した。
「だが、俺はお前とは違う」
 睨み付けて、リオンは言い放った。
 すべてのマキナを破壊するための存在だからなのか。
 能力がすべて発揮されている今、リオンの中には強い破壊衝動があった。
 オメガと共通する部分があるとすれば、それだけだろう。
「それに、オメガはお前じゃあない」
「なんだと……?」
 口の端を吊り上げて、リオンは呟いた。眉根を寄せるオメガを見て、リオンは笑う。
「俺が、本当のオメガだ」
 オメガとは、この世界で終わりを意味する言葉だ。
 その名を与えられたリオンは、目の前にいるオメガよりも後に創られた。時系列的に見るのなら、オメガという名前を持つのはオメガ・アポカリプスの方だ。ただ、終わりを意味する名前が相応しいのはリオンの方だろう。
 リオンは地を蹴った。
 砂を吹き飛ばし、右手にゼータの剣を作り出して叩き付ける。
 翡翠の光が弧の軌跡を描く。
 左手がカイの銃身に変わり、剣撃の合間に射撃の炸裂音が響く。
 回し蹴りから衝撃波を飛ばし、かわしたオメガに叩き付けて吹き飛ばす。
「うがぁあぁっ!」
 叫び、オメガが強引に光弾を放つ。
 空間を捻じ曲げて攻撃者に返し、自らも一瞬で接近、剣を振るった。
「くそがぁっ!」
 オメガが掌に対消滅のエネルギーを纏わせて剣を受け止める。
 受け止めたオメガの胸倉に左手の銃口を押し付け、エネルギーを放つ。
「ぐがっ!」
 吹き飛ばされるオメガへ、リオンは左手の射撃を続ける。
 リオンの力は、第一形態の時とは比べ物にならないほど強力なものになっていた。右腕だけだった変化は全身に広がり、部位を選ばずいくつでもマキナのデータを使用できる。片腕だけの時にはできなかった並列使用も可能になっていた。
「舐めるな!」
 リオンの射撃を防ごうともせず、その身に浴びながらもオメガが腕を振るう。
 放たれた対消滅の光弾を、空間を捻じ曲げて返す。
「……厄介だな」
 リオンは呟いた。
 オメガが平然と反撃してくるのは、攻撃が効いていないためだ。何が原因なのかは判らない。恐らくは第三形態の力が防御能力を高めているのだろう。だが、効いていない理由が判らなければ対処のしようがない。
「リオンか……?」
 大きく後退してきたゼラがリオンの背後に着地した。
「手強い相手か?」
 エプシロンのセンサーを展開して、ゼラを追ってきたマキナを特定する。
 ゼラが対峙していたマキナはタウのようだ。エプシロンのセンサー能力と、リオンの中に入力された知識によれば、タウの力は加速能力だ。
 体感時間と、思考速度、身体の反射能力を極限まで加速させる。周りのあらゆるものがスローモーションに見えるほどの加速能力がタウの力だ。
 第三形態のゼラと言えど、決定打を与えるのは難しい相手だろう。
「ったく、せっかくのサーカム・フレックスなのに格好悪いったらないわね」
 同じく後退してきたカイが呟いた。
 カイが相手にしていたのはシグマのようだ。空間跳躍がシグマの力だった。
 リオンが使ってきたファイの空間歪曲とは似ているが、違う。空間歪曲は捻じ曲げるだけだ。範囲内にある物体や、その中へ踏み込んできたものを無視できない。捻じ曲げた空間内に逃げ込んで長距離を移動しても、その捻じ曲げられた範囲に攻撃を放てば命中する可能性があるのだ。
 だが、空間跳躍は空間を飛び越える。間に何があろうと、接触することはない。
 他に空間歪曲と違う部分は、自身と触れているものだけしか跳躍させられないという点だろう。
 何にせよ、射撃を攻撃の主軸とするカイには戦い辛い相手だ。
「さて、どうしたものか……」
 リオンは呟き、センサーの感覚をオメガへと向けた。
 対消滅のエネルギーが鎧に流れているのが判った。鎧に走る光のラインが対消滅エネルギーだったのだ。それが外界からの攻撃に反発力を生じさせ、掻き消している。
 だから反動で吹き飛ばすことはできても、ダメージはほぼ皆無だ。
「厄介なもん創りやがって……」
 リオンは苦笑した。
 本当に厄介だ。マキナは確かに、人間が太刀打ちできるものではない。まともに人間が戦って勝てるような代物ではなかった。
 だから、リギシアはリオンを生み出したのかもしれない。清算するためのものとして。
 デウスの感情が力を発動するための鍵なのも、マキナが人の敵にならないようにするためのものだったのかもしれない。人の感情を知って、想いを感じることで、人と生きていく存在にしておくためのものなのかもしれない。
 ただ、それでも人は道を間違える。人と同じ心を持つマキナも間違える者はいる。
 きっと、デウスであるアンスールが過ちを犯したわけではない。彼はただ、マキナと付き合うには臆病すぎた。オメガもまた、人に歩み寄るということを知らなかった。
「シグマ、タウ、あんたらは、オメガをどう思ってる?」
 リオンはそう問いを投げた。
 シグマやタウは、どうだろうか。
「……どういう意味かね?」
 シグマから声が返ってきた。
「言葉通りさ。そろそろ、気付いてるだろ?」
 リオンの笑みを含んだ声が空に消える。
 黙り込み、足を止めるシグマとタウの態度が、リオンの言葉を肯定していた。
 すなわち、カイとゼラは手を抜いて戦っているということに、彼らは気付いている。
 第三形態のマキナ二人を相手に、シグマとタウが粘っていたのではない。カイとゼラの二人があしらっていただけだ。
 センサーで周囲の状況を把握して、リオンは直ぐに気が付いた。
 今までの戦闘で、死者が一人も出ていない。
 カイもゼラも急所を外して、無力化するだけに留めている。手足を失った者ぐらいはいるかもしれない。それでも、命を落とすほどの傷を負った者はいないのだ。
 マキナとの戦闘中にそこまで気が配れるのなら、恐らくシグマとタウを殺さぬように相手しているというのが真実なのだろう。相性が悪いから今まで互いにほとんどダメージがないのではない。できるだけ傷付けぬようにしているだけだ。
 カイも、ゼラも、マキナが人であると知ったから。マキナが人として生きてゆける可能性を知っているから。
「……撤退しときな」
 リオンは静かな声で呼びかける。
「何をバカな!」
 オメガが叫ぶ。
「これから、俺はあいつを処理しなきゃならない。巻き込むぞ?」
 呟いたリオンの体を包む装甲に、光の筋が走り出していた。
 第三形態のカイやゼラ、オメガのように、リオンの持つエネルギーが全身を駆け巡っている。
「……どうせ、あんたらもこの戦争自体はどうでもいいんじゃないの?」
 カイが肩を竦めて呟いた。
 黙り込んでいたタウが、身を翻した。ゆっくりと歩き出すタウを見て、シグマも後退を始める。
「お前らぁっ!」
 オメガがシグマとタウに怒声を放つ。
「どうせ、お前は用が無くなればあいつらも消すつもりなんだろう?」
 ゼラが冷めた口調で呟く。
 確実にリオンたち三人のマキナを倒したかった。だからシグマとタウを呼んだのだろう。オメガが他の誰かに頼るなど、理由があるとすればそれぐらいだ。
 兵士たちが撤退していくのを、リオンはセンサーの感覚で見つめていた。
「話が通じる相手で良かったよ」
 リオンは笑みを浮かべた。
「そうね、これで心置きなく……」
「いや、お前らも退避しろ」
 カイの言葉を遮って、リオンは告げた。
「何をするつもりだ?」
「言った通りだ。ただ、余波がどうなるか俺にも予想がつかない」
 ゼラの疑問に、リオンは答えを返した。
 その言葉の意味を理解したのか、ゼラとカイは視線を交わして走り出した。地下へと戻ればとりあえずは安全だろう。そこまで二人が戻るのを確認して、リオンはオメガに視線を向けた。
「やはり、お前は俺と同じ種類のマキナだよ」
 オメガが呟く。苛立ちを通り越したのか、随分と冷めた口調だった。
「いいや、俺はお前と違って守りたいものがあるだけさ」
 リオンの口の端がつり上がる。
 オメガが駆け出すのと、リオンが地を蹴るのは同時だった。
 右手に握り締めた剣が色を変える。翡翠の輝きは、何もかもを掻き消すかのような純白の光に変わっていた。オメガの力である対消滅エネルギーを、ゼータの力である武器のエネルギーへと転用させる。同時に、タウの力を発動して加速する。シグマの力で空間を飛び越えてオメガの背後へ回り、カイの力を備えた左腕を向けた。
 銃口から放たれるのは対消滅エネルギーだ。
 オメガが反応するよりも、銃撃が敵に届くよりも早く、オメガの眼前へと瞬間移動する。剣を振り上げ、叩き付ける。
 そこでようやく銃撃がオメガに届き、衝撃で体勢を崩したオメガへ剣が叩き付けられる。鎧の表面でエネルギーが反発し合い、凄まじい衝撃が右腕に返ってくる。それを強引に押さえ付けて、リオンは右手を振り切った。
 装甲の表面が削り取られるように切断され、オメガが仰け反る。
 返す刀で水平に切り払い、削られた傷跡へ銃口を向け、発射。
 放たれた閃光が鎧をさらに砕く。
 オメガが光を放った。
 全身から、周囲へ無差別にエネルギーを解き放つ。
 それが、オメガがクレーターを創った一撃だと気付くのに、時間は要らなかった。見た瞬間に、それがオメガの全力であるのだと悟った。
 全方位への莫大な対消滅エネルギーの放出。
 それがオメガの力にとって最大の攻撃であり、防御手段だ。気に入らない周りのすべてを消し去り、自分だけが生き残るための攻撃だ。
「消し飛べぇぇぇぇぇっ!」
 オメガが絶叫する。
 怒りだけが込められたその言葉に、リオンは微かに眉根を寄せる。
 剣は消していた。
「そんな攻撃ができるから……っ!」
 リオンも叫んでいた。
 自ら対消滅エネルギーを放出、纏いながらオメガへと手を伸ばす。結晶体から溢れる光がオメガのエネルギーを受け止め、上下左右へと流している。
「ディガンマァァァァァッ!」
 憎悪と激怒を孕んだ瞳を見開いて、鬼のような形相で、オメガがリオンへエネルギーを放射する。
 衝撃と光で、視界は真っ白だった。
 それでも、敵だけは視えていた。
 今使えるすべてのマキナの力を駆使して、オメガのエネルギーの中を、一歩分もない距離を突き進む。衝撃に体が吹き飛ばされそうになる。吹き飛ばぬように、自分で自分を支えるように力を使う。眩しい光の中で、手を伸ばす。
「オメガァァァァァッ!」
 叫び、リオンは踏み込んだ足に力を込める。
 腰を捻り、上体を前へ。右肩を強引に前へ捻じ込んで、手を伸ばす。
 対消滅エネルギーを放ち続けるオメガの首を掴み、押し倒した。放出を止めないオメガを睨み付けて、リオンは腕に力を込めていく。放たれ続けるエネルギーの圧力もろとも強引に握り潰しながら。
「バカ野郎が……!」
 リオンの力がオメガを握り潰す。
 放出されていたエネルギーが止み、リオンは大きく息を吐いた。
 オメガは跡形も無く消滅した。
「くそっ……」
 リオンは毒づいて立ち上がった。
 簡単に街を消すような力を振るえるから、人がオメガを恐れるのだ。誰も理解しようとしないから、嫌われるのだ。歩み寄ろうとしないから、信頼もされない。
 不満を暴力に変えていては、誰も寄ってこないのは当然だ。
「それでも、アンスールはお前の傍にいたじゃないか……」
 例え、それが国からの命令であっても、アンスールがオメガの傍に居続けたことに変わりは無い。オメガの暴力や思いをどれだけ嫌っていても、アンスールはオメガから逃げようとはしていなかった。
 もしかしたら、アンスールはオメガを心の底からは嫌っていなかったのかもしれない。オメガも、アンスールを邪険に扱っておきながら殺してしまうまでには至らなかった。デウスが貴重だという理由も大きいだろうが、本当に嫌いな人間だったならオメガは自分のデウスすら殺めていただろう。そして、マキナの一人を殺してデウスを奪っていたはずだ。
 たとえ第三形態が発動できるデウスだからといって、その力のためだけにアンスールと組んでいたとは考えにくい。問えばオメガなら否定していただろうが、心の底、もっと深い深層心理では信頼している部分があったかもしれない。
 第三形態の力は、信頼の現われでもあるのだから。同じ恐怖を抱いていたかもしれない。それでも、通じる部分がどこかにあったはずだ。
 ――システム・シャットダウン。
 リオンの身を包んでいた外骨格装甲が粒子となって消えていく。
 振り返り、歩き出す。地下へ戻り、破壊されたドアを潜った。
「リオン……」
 ウィルドが駆け寄って来た。
「ただいま、ウィルド」
「お帰りなさい」
 頭を撫でてやりながら、リオンは告げた。上目遣いに見上げてくる無表情な少女を見て、小さく微笑む。
「オメガは?」
「……殺すしかなかった」
 ラーグの問いに、リオンは溜め息をついた。
 オメガの死は、デウスであるアンスールにはもう伝わっているだろう。パートナーとして繋がっている機械粒子のシステムが、マキナの反応が消えたことを教えてくれるはずだ。
「……そう」
 エオローが目を伏せる。
 マキナが人であることを知ったせいか、皆オメガを救う方法を考えていたのかもしれない。今までは兵器だと思っていたから、殺すことにも抵抗がなかったに違いない。
 ただ、オメガに対してそういう考えを抱いていたから、エオローやカイは悩んでいたのだろう。
「あんたはこれからどうするんだ?」
 ラーグはリギシアへと問いを投げた。
「わしは、マキナから機械粒子を取り除き、人に戻すための研究を続けるつもりじゃよ」
 リギシアは言った。
 ベルファート皇国でも、ギヴァダ帝国でも、そんな研究は認められないだろう。もしかしたらマキナの数が減っているギヴァダ帝国なら歓迎するかもしれない。だが、強力な兵器としての側面しか見ていない者たちはマキナを消す技術よりもマキナを創る技術を望むはずだ。より強いマキナを創れと言い出す可能性も十分ある。
「そう……」
 エオローも予想していたのだろう。特に何を言うでもなく、ただ溜め息をついた。
「お主らは、どうするつもりじゃ?」
「さぁて、どうするかね」
 リギシアの問いに答えたのは、ラーグだった。
「とりあえずは、帰って報告、でしょうね」
 カイが呟く。
「安心しな、あんたは死んでたってことにさせてもらうよ」
 ラーグが笑う。
 リギシアは死んでいた、もしくはここで起きた戦闘に巻き込まれて死亡した、と報告するつもりのようだ。
「私たちが知りたいことは聞くことができたから」
 エオローもラーグと同じ考えのようだった。
 自分の知りたいことを問い質すためにリギシアを探していたのだろう。ベルファート皇国に属する者として戦ってはいても、戦火を広げる原因になりかねないリギシアの存在は隠すことに決めたようだ。
「……お主らは?」
 リギシアが問う。
 リオンは隣に立つウィルドを見る。ウィルドも、リオンを見上げていた。
「俺らは旅を続けるかな」
 リギシアに会うという目的は達成できた。だが、リギシアと共にここで暮らす、という考えは浮かばなかった。
「私は、リオンと行く」
 祖父に向けて、ウィルドは告げた。
 どうやら、彼女もリオンと同じ考えだったようだ。家族だった者と暮らして、過去の思い出話を聞いて過ごすのも有りかもしれない。だが、ウィルドは過去を思い出せたわけではない。ルーンではないウィルドにとって、過去の思い出話を聞くのが心地良いとは限らない。
 それで記憶が戻って元通りになるならともかく、祖父のリギシアに会ってもその兆しがないウィルドには効果が無いと思うべきだろう。
「俺たちを処分、とかって考えは?」
 ラーグがからかうような質問をしてきた。
「今のところは無いな」
 リオンも笑みを浮かべて、茶化して返した。
 ラーグたちが悪い奴らでないことはもう理解している。むしろ、リオンやウィルドと近い想いを抱いている仲間と言っても良いぐらいだ。
 そう感じられる今は、ラーグたちと戦う気は無かった。
「ここには何も無かったし、さぁて、帰るか!」
 わざとらしく呟いて、ラーグは背を向けて歩き出した。
「そうね、博士も死んでしまっていたし……」
 くすりと笑って、エオローも歩き出す。
「敵が来ただけで期待外れだったわねぇ」
 カイは頭の後ろで両手を組んで笑い、ラーグの隣を歩く。
「オメガを倒せたのが収穫か……」
 ゼラも微かに笑みを見せ、エオローの半歩後ろについた。
 リギシアはただ、黙って彼らを見送る。
「リオン、行こう」
 ウィルドが歩き出した。珍しく、リオンの手を引いて。
「ああ、そうだな」
 笑みを見せ、リオンは歩き出した。
 外に出るまで、リオンもウィルドも、振り返ることはなかった。
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