第一章
 第一話「変態の慟哭」



 上井 聖哉(かみい せいや)は風紀委員である。風紀委員とは、ここ公立小川南高等学校の、文字通り風紀を司る委員会であった。っても所詮は生徒の委員会、イベント時にしか仕事はないし、権限もないのでやる事もないのである。
 そして聖哉はといえば、友人がこの委員会に居るからと、とてつもないほど安易に入ってしまった委員会なので、本気で何もやる気が無い人間であった。
 とはいえ流石に委員会。放っておいても仕事はあるわけである。そして当の友人と言うのが、実は委員長と副委員長の役員ポストに居り、尚且つクラスの副担任が委員会の顧問である為、聖哉への監視は厳しいのである。だからサボる訳にもいかず。
 本日の放課後臨時委員会にも出席せねばならず、まして三年生である聖哉は否が応でも少しばかり責任を持たねばならないのであった。
 と言うことで、春の日差しも徐々に暖かさを増してきた五月の下旬。二週間後に開かれるクラス対抗の球技大会時の校内警備について、配られた日程表と見回りのメンバー表に目を落としつつ。委員会も終盤に差し掛かり、教室内には、もうすぐ終わりだなー、と言う少し焦燥感の混じった気だるい雰囲気が流れているのである。聖哉もそんな雰囲気に流され、くあはぁ、寝てー、と欠伸を噛み殺していた。
 顔を上げて、視線を黒板の上の備え付け時計にやる。時刻は午後の4時30分少し過ぎ。結局、二十分弱しか要さなかった臨時委員会も、顧問の平里 一(ひらり はじめ)――愛称はヒラリー・クリントン上院議員――の閉めの演説が終わって、もう何もやることが無い状態になった。
 そんな、ほっ、とした空気が漂う教室内で。壇上に立った委員長の瀬良 祐人(せら ゆうと)の声が響く。
「何か質問は?」
 凛とした声に、しん、と室内が黙った。その間に裕人が一瞥し、ふ、と肩の力を抜く。
「終わります」
 ハフア、と聖哉も溜息一つ。肩の力を抜いて、そのまま机の上に突っ伏した。
 その間にも委員たちが出口へと急ぐ。ガヤガヤとする暇さえなく、彼らはさっさと廊下へと繰り出した。まぁ廊下が俄かに騒がしくなるんだけどね。
 頭を上げると、委員長連中は詰めの調整か、その場に固まって話し合っていた。首を巡らすと、昨年留年した友人の江藤 伊佐樹(えとう いさき)がこちらに近づいてきている。この伊佐樹、いつも「ダブりの江藤(サミュエル・エトー)」と呼ぶか、「ヒモの伊佐樹(フィリポ・インザーギ)」と呼ぶかで聖哉がいつも頭を悩ませる男だ。まぁ私生活的にはインザーギなんですけどね。
 まぁとりあえず、伊佐樹が来るのを待ってようと、机の上のプリントを畳み始めたときである。
 ふと、背後に気配を感じた。
 と同時に、
「あの、先輩……」
 と言う控えめな声がかけられる。
「はいはい?」
 聖哉は振り返った。するとそこには、整った顔立ちの美少女が居るではないか。
(ん? 美人だな……)
 と思った。こんな美女には見覚えが無い。
 いや、ある。そう言えば同じ風紀委員だ。二年生で、クラスの番号が同じだから一緒に仕事をする子だ。
「な、なに?」
 人見知りしがちなので少しどもりながら聞くと、
「あ、あの……質問なんですけど、今回はどうゆう仕事なんですか? 説明だけじゃ分かりにくくて……」
 少女は少し躊躇いがちに聞いてきた。学校内でも指折りの変態と呼ばれる聖哉(本人はこれを大きく否定している)に質問をぶつけるということで緊張しているのだろう。
 そんなことは気付かない聖哉である。彼は視界の中で、伊佐樹が手信号で「先に部活行ってるから」と示していたのを、脳内変換で「マルコは母を訪ねて三千里もの道のりを歩きました」と訳の分からない解釈をして、何言ってんだあいつ、と不審がりながらも再び少女のほうへと向き直った。
 ウブな少年なので顔はまともに見れませんが。
「仕事、ねぇ。そんな気張らなくてもいいけど……とりあえず、指定された時間中、校門に立ってりゃそれで良いんだよ。サボりで学外に行かないように見張ってんだってさ」
 と、視線を合わせずに説明した。声が上擦らないようにだけ注意しながらね。
「出場種目と時間が重なっちゃったらどうするんですか?」
「ん〜。代理立ててもらえればいいと思うよ。去年もそれで通ったらしいから」
「代理って、同じ委員の人に、ですか?」
「去年は友達でも良かったらしいけど……今年は委員長のやる気が違うからねぇ」
 ちら、とやる気満々の裕人をみる。
 熱気溢れるほどの情熱であった。
 ……………………。
「同じ委員の人と差し替え、かなぁ。ま、サボってもまだ何人か居るし、問題は無いと思うよ? 生徒は役に立たないから、結局は先生に門番してもらうんだと思うしね」
 そう聖哉が笑うと、そうなんですか、と女子生徒は納得したようだった。雰囲気が和らいだので、これで質問は終わりかな、と思って聖哉が胸をなでおろす。緊張してたんですよ、女の子は苦手だから。
 ところが少女は立ち去らなかった。どしたの? と思った聖哉が顔を上げると、少女は何故にか赤い顔で何かを躊躇っているようだ。
 しかし意を決したように口を引き結ぶと、少女はしかしオズオズと口を開いた
「あの……もう一つ、質問があるんです」
「な、なに?」
 聖哉は完全に腰が引けていた。
 情けないですね。
「せ、先輩……。あの、もしかして、いつも、ああいうことをやってるんですか?」
 少女はそう言った。
 今度は聖哉が困惑する番である。
「ああいうこと……?」
(どういうこと?)
 と、素直にそう思ったのである。
 しかし少女の次の言葉に、聖哉は更なる混乱を覚えることになるのだった。
 それ即ち、
「あの……、二ヶ月くらい前に、渋谷で、その、私に話しかけましたよね?」
「に、二ヶ月前……」
 聖哉は必死に記憶を探り……
「あの……。『俺と、気持ちいいこと、しない?』って聞いてきたじゃ、ないですか……?」
 窺うような声と視線。
 そして聖哉の驚愕。
「…………! …………? …………!?」
 思い出したのである。
 あの赤っ恥の瞬間を。
 その瞬間の大混乱を。
「あ、ああ…………!」
 それは呻き声であった。表情の固まった聖哉に、しかし下級生の辺莉 美玖(へんり みく)は顔を赤くしてモジモジするだけ。
「はっ、は、ハ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――ッ!?」
 ハ――――――――――――――――――――ッ!?
 ハ―――――――――――ッ!?
 ハ―――――――ッ!?
 そんな馬鹿なことが!? と。
 少年は思わず大声を出してしまいましたとさ。
 ちゃんちゃん。

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