第二章
 第六話「変態の意外な実力」



 大会二日目。
 最終日でもある本日は、各対戦カードが佳境を迎える日でもある。三回戦から準決勝、決勝と続く。バスケットでは峻と真二の活躍、啓一の珍しい頑張りが報われて3年C組が準優勝。バレーでは教員チームが体育教師の高さを活かして大人気なく圧倒的な優勝を飾り、女子のほうも三年生が全競技の表彰台を占める、年長者の貫禄を見せ付けた。
 そんな順当さを見せる今大会の中で、唯一といっていいほどの波乱が起こったのは男子サッカーである。3年E組が厚い選手層と高いチームプレーで快進撃を続けて決勝一番乗りを決める中、もう一つの準決勝で、優勝候補筆頭の3年F組の敗退が決定したのだ。
 サイドバックからリベロ、更には中盤のどのポジションでもできる万能型の祐人。高精度のクロスと俊足の突破力を誇るミラクル・レフティーの輝。この二人を揃え、高い攻撃力と豊富な中盤で常に試合を優位に進めてきたチームの敗退は、聖哉に大きな衝撃を与えた。
 まぁ見たところ、祐人と輝を下げて守備的に使っており、その高い攻撃性を充分に発揮できていないという非常にもったいない選手起用が敗北の原因であるように思えるのだ。
 しかし問題は、その優勝候補を突破したチームにある。
 そのクラスとは2年E組。利一を右サイドに、伊佐樹を右のフォワードに入れ、ダイヤモンド型のバランス良い中盤で安定した力を発揮できるとは言え、3年F組の厚い攻めに耐え切れるようなチームではない。その勝利の法則は別のところにある。
 それはトップ下と左のフォワードに入った2人。ピッチ上で、誰よりも優雅にボールを持ち、誰よりも素早くゴールを決める天才の存在だった。ついこの間に転校してきた双子、春輝と秋寛の老貴兄弟である。
 彼らはその圧倒的な個人技で、利一と伊佐樹を含むどのチームメイトをも使わずに、チームを勝利へと導いてしまったのだ。



「はぁぁぁぁ……」
 と大きな溜息を吐いたのは利一であった。
「ドシタノ?」
 と聖哉が聞くと、
「お腹は痛くないですよ。だから痛み止めはいらないです」
 と、存外元気に先手を打ってくる。
 その後で、
「どうして決勝まで駒を進めているんだろう……って思いまして」
 と憂鬱そうに呟いた。
 知るか、と聖哉と伊佐樹は利一を突き放し、ピッチ上の試合へと目を向ける。
 そこでは3年F組と3年A組の三位決定戦が行われているのだ。既に時は後半五分、十五分ハーフのこの試合の中で、1−0でF組がリードしているところであった。
 祐人がボランチ、輝が左サイドバックと2人が守備的な位置で守りに専念している状態。A組のフォワードをターゲットにしたスルーパスを祐人がカットし、それと同時に輝が左サイドを駆け上がる。そんな常套のシーンが、この試合だけで3度目であった。
「あの2人、気合入ってんな」
「負けたのが悔しいんじゃない?」
 伊佐樹が肩を竦めた。
 この試合、祐人と輝は積極的に攻撃に出ている。その前、伊佐樹たちと戦った準決勝までは、彼らはハーフウェーラインまでしか上がらなかったのだ。祐人は守備的ミッドフィルダーとしてスペースカバーにのみ集中し、ボールが来たらすぐに他の人間に渡していた。輝もサイドのストッパーに徹し、攻撃参加の気配を見せなかったのである。
 それが今回、祐人はレジスタとしてボールをキープし、持ち前の視野の広さを活かして上手く配給し、かつその攻撃センスからドリブルで相手を引き付ける事までしている。輝にいたってはカバーリングを祐人に任せきりで、中盤から前線まで留まってシュートを放つシーンすら見られるのだ。
「ま、あれが奴ららしい動きだよな」
 と、聖哉は一人、納得するのである。
 そうこうしている間に、祐人が一人で敵をかわし、そのまま中央をドリブルで持ち込み始めた。連動して輝が中に切れ込み、2人が交錯するようにしてサイドを交代する。スイッチと混同したディフェンダーが逡巡すると、祐人はそいつを躱してペナルティーエリアの前まで来てしまった。
「おっ?」
「行くか?」
「はふぁぁぁ……」
 聖哉と伊佐樹が注目し、利一だけは一人で沈む。
 祐人の前に複数のマークが来てシュートコースを塞いだ。それを確かめた祐人が右足のアウトで中央に出すと、そこに待ち構えた輝がダイレクトでボレーする。おおおっ!? と観客がどよめくも、内側に巻く回転のシュートはクロスバーに当たって跳ね返った。
 ああー……っ、と落胆の溜息がその場に満ちる。
 と、思ったら。
「おおうっ!?」
 はねっ返りを祐人が胸でトラップ、そのままニアへと押し込んだ!
「ジェラードー!」
「かっちょええー!」
「こ、これは凄いぞ!」
 思わず利一も立ち直る、そんな感じ。
 場内からは拍手喝采、ピッチ上では祐人と輝がハイタッチ。
「テンション高い試合になったなぁ」
 と、聖哉は一人でニッコリしたとかしないとか。
 試合はその後、カウンターから一度は失点したものの、短い時間を余裕を持って戦ったF組が内容で圧勝したのであった。



 時間の関係上、少しばかり長引いている男子サッカー。
 他の競技が全て終了しているせいなのか、この決勝ではやけにギャラリーが多い。もう放課後だというのに、みんな途轍もなく暇なのである。
 そんな風にでも考えないと緊張で押し潰されそうな、そんなガチガチの聖哉くん。別段、注目されるようなポジションでもないというのに、身の丈に合わない話ですね。
 彼の居る3年E組の注目は、何と言ってもバスケ部のエース、チームの司令塔である大木 卓也(おおき たくや)その人である。
「きゃー、卓也ー!」
「頑張ってー!」
 と、ルックスもよく運動神経も抜群の卓也くんはギャラリーから黄色い声が飛んでくるほどだ。(正直、聖哉としては羨ましくてしょうがないのである。そんな感じ)
 タッパもある卓也くんが手を振って声援に答えると、ギャラリーの女子諸君が盛り上がることこの上ない。そんな凄くジェラシーな現場を横目に、「へへーん、俺にはそんなこと関係ないもんねー」、という虚勢丸出しのやせ我慢で、正面に並ぶ伊佐樹や利一と会話を交わそうとする聖哉の姿の、なんと寂しいことか。
 まぁそれは良いとして。
 しかし今回のギャラリーの大注目は、何と言っても2年E組の転校生だろう。編入からわずか二週間ながら、その美麗な容貌と、今大会で見せた華麗なるテクニック。周囲からの羨望を集める要素に溢れた、スター性の高い老貴兄弟は、これまた女性ギャラリーに大人気。その分、3年E組諸氏には、「なにが何でもあいつらを潰せ」、という全校男子の嫉妬丸出しの指令が行き届いているのである。情けないですね。
 そんな訳の分からん興奮が満ちた小川南の共用グラウンド。やや狭めにとられたサッカーコートのハーフライン上で、サッカー部員の審判さんの前に整列させられた選手一同が互いに向かい合っている場面である。
「それじゃ、コイン・トスは表が三、裏が二。良いね?」
 審判がそれぞれのキャプテン(卓也と伊佐樹)に確認を取ると、二人は黙って頷いた。それを確認した後で、宙にコインが放られる。
「三年、選んで」
 地面に落ちたコインが表になっているのを見て、審判がそう促した。
「右のエンド」
「じゃあ二年は左のエンド。キックオフもそっちからね」
「はいはい分かった」
 さりげなく同い歳の伊佐樹が投げやりに答えると、んじゃよろしくお願いします、と審判が言う。それで双方が挨拶すると、それぞれのチームで円陣が組まれる。
 聖哉は投げやりに卓也の号令を聞き流した。だってクラスに友達居ないんだもの。
 そんなこんなで、さりげなくモチベーションの低い聖哉がポジションに着く。3−5−2の左ボランチ、守備専門のピボーテだ。
 このオーダーを聞かされた時、てっきりディフェンスラインで目立たない役目を任されると思っていた聖哉は、ちょこっとばかし驚いたりしたものである。
(さって、気合入れるかな)
 左のボランチ、つまり右サイドの利一やフォワードの伊佐樹とマッチアップするのだ。今回は少しばかり心の軽い試合になるかもしれない、と思う。(何と言っても練習を一緒に行ってきたので、あの二人の実力はそれなりに知っているのである)
 そう、少しばかり安心しているときである。
「ねぇねぇ、上井君」
 と、何故か卓也が話しかけてきた。
「なに?」
 仲良くないので、少し構えがちに対応する。
「左フォワードの、老貴・弟をマンマークしてくれない?」
 ……………………。
 はい?
 口には出さなかったが、思わずそんな表情をしてしまう聖哉。
 その顔を、サッカーに疎いクラスのオタク系生徒が戦術を理解していない表情だと解釈したのか、
「あの左の前線の、双子の弟の方だよ。あいつ、向こうの得点王でエースだから、マンマークで抑えてほしいんだよ」
 ……………………。
 な、なんだって!?
 思わず聖哉は叫びだしそうになった。
 卓也の言い分が余りにも的外れだったからだ。
 前回までの老貴 秋寛のプレーを見る限り、確かにスピードとテクニックを持ち、ゴールへの感覚も鋭い素晴らしいプレイヤーである。だが、そのゴールに繋がるシーン全てには共通の法則性があり、ボールの供給先が兄貴の春輝だけなのである。つまり、春輝の良質なパスがあってこそ、秋寛の高い得点能力は発揮されるのだ。従ってマークすべきはストライカーではなく、全ての面でゲームをコントロールする司令塔なのである。
 思いがけない提案に思わず反論しようとする。フォワードを抑えるのはディフェンスラインの仕事で、ボランチは中盤のスタビライザー役でしかないだろう、と。
 しかし、喉まで出かかったそれを飲み込んで、聖哉は必死に我慢した。なおかつ、
「分かりました」
 と提案を呑む始末。いや、ただ単に逆らいたくなかったとか弱い虫が働いたとかじゃなくて、仲間はずれの聖哉には知らせなかった、仲間内での綿密な計画が影響しているのかもしれないと考えたからだ。兄貴の方には別のマークマンが付くのだろうと思ったのである。
「ん、よかった」
 卓也はそう言ってポジションに戻り、聖哉はポジションを左から右へとコンバートされた。
 少しばかりおかしなこの対応に何となく釈然としない物を感じながらも、まぁ結局はこうして試合の準備が整ったのである。



 審判の高い笛の音とともに始まった男子サッカー決勝。二年生のキック・オフで開始された試合で、中盤まで戻されたボールは司令塔の春輝へと渡った。
 それと同時にピッチ上は慌しくなる。今大会、全く良いとこなしの伊佐樹と絶好調の秋寛。この2人のツートップが一気にこちらのエンドへと入り込み、二人がバラけてラインの突破を狙う。合わせてサイドアタッカーが駆け上がり、そのマークに中盤の大部分が動くのだ。
 そのスペースに春輝が侵入してくる。そこに数人が囲んで崩しに来ると、すぐに春輝はボールを左アウトサイドに預けた。そこに気をとられた瞬間に囲みから抜け出すと、ワンツーでボールが戻ってくる。中盤のストッパーが崩されたとき、聖哉は頭を抱えながらも、指令通りに秋寛の前に出る。
 しかしそれは報われない。秋寛が巧みなステップワークで聖哉を外すと、スリーバックの中央へと走りこんだのだ。
(っ、しまった!)
 聖哉は自分のミスに気付いた。最終ラインへと下がった結果、ディフェンスのマークが被って、スリーバックが秋寛への対応に躊躇したのだ。
 こちらのディフェンスラインと並んだ秋寛。その姿を見た春輝が浮き球でキーパーとの間にパスを出す。ディフェンダーが振り返った時には、すでに秋寛はキーパーと1対1の状態だった。そしてスピードに乗った秋寛は、簡単にボールに追いつくと、誘い出されたキーパーを難なく躱して無人のゴールへと放り込んだのである。
 試合開始から1分も経っていなかった。
「……………………!」
 ワッ! と観客が沸く中で、聖哉は呆然とゴールを見る。
 ネットから落ちたボールが小さく、コロコロと揺れていた。
「何やってんだよ! 上井!」
 怒鳴り声と同時に、聖哉は肩を掴まれた。
「お前のせいでラインが重なっただろ! もっと注意してディフェンスしろ!」
 振り返ると、センターバックの近野だった。守備を統率する人間だけに、聖哉のミスは許せないだろう。
 なんだか惨めになって眼を逸らしてしまい、その後で小さく、すいません、と言った。
 それしか言えなかった。悔しいと思う、あの苦々しい気持ちが胸中に広がる。
(予想以上に速かった……。俺じゃ追いつけない。その分、もっと距離を保ってマークすべきだ)
 少しばかり甘かった。一度、天を仰いで眼を閉じた後、その眼光を真剣に変える。
(1メートルくらい離れながら、折を見て密着しに行こう。そうすれば躱される心配は半減する)
 ボールを持たせることをよしとする。とにかく動き回ることが大切だ、と気持ちを新たにしてポジションへと戻った。
 こちらからのリスタート。だが、普段のコミュニケーションが少なく実力も低いと思われている聖哉には、攻撃に加わる権限は無い。自分たちが攻めている時もエンドに残り、とにかく危険なスペースが無いか、チェックするのだ。
 だがその時間は思ったよりも短かった。センタリングからのセカンドボールを相手に拾われて、カウンターから一気に敵が攻めてきたのだ。
 前線へのロングボールを伊佐樹が追いつき、前が塞がれたと見るや、横の秋寛へと流す。彼がボールを持った時に、聖哉はその前に居た。
 ペナルティーエリアの手前、約二メートルくらい。そこまで侵入を許してしまったと言う焦りを覚えながらも、50〜70センチくらいの距離で相対する2人。やや身体を斜めにして、すぐに動けるように重心を落とす聖哉に、秋寛が仕掛けた。右足を上げて、アウトサイドで右にボールを出す――と見せかけて跨ぎ、インサイドで左へ切り返す。素早い動きで前に出されたボールに、即座に後ろを向いてコースを塞ぐ。それに堪らず秋寛がボールを止め、後ろを向いて中盤へと戻した。
 ふう、と聖哉は肩の力を抜いた。

 その後、幾度かマークを外されて危機には陥ったが、集中力を増したディフェンス陣の助けもあり、何とか秋寛とのマッチアップを制することができた。しかし試合は、パサーに徹すると思われていた春輝が、右のインステップキックで押し出すような強烈なシュートを放つことで揺れ動く。三十メートルの位置から矢のように浮いたボールが、滑空しながらゴールマウスに吸い込まれるミドルシュートを突き刺され、0−2でリードを許す苦しい展開になったのである。
 自分のクラスは攻撃に精彩を欠き、ボール支配率は同程度だと言うのにチャンスの数では圧倒的に相手が優る状況。むしろ、何とか二点で抑えきれたことが不思議なほど、内容的に圧されたまま、試合は前半を終了したのである。



 前半終了――と言っても、ハーフタイムは無きに等しい。互いにエンドを交換する為に、選手同士が移動するだけである。その最中、二年生相手に気圧された三年生が大きく沈んで左のエンドへと向かっていた時に、キャプテンの卓也が再び聖哉に話しかけてきた。
「上井くん、兄貴の方に付いてくれ」
 マークマンの変更だった。
 それはつまり、またポジションを右から左へと変えることを意味するのだが、聖哉には不満などあるはずも無かった。
「はい」
 二つ返事で答えて左へと戻ったとき、ようやく正常に戻ったか、とすら思ったのである。
(老貴・兄がゲームメイクしてるのは目に見えてた。なのに固定したマンマークが付かなかったのは、むしろ不思議なくらいだ)
 実際の試合の中で、そんな自身の考えに確信を持ったと言っても良い。
 だがそれと同時に、自分がマークマンとして最適か、と言うことも考える。
(ディフェンスが得意なのかと問われると首を傾げる。特にマンマークの場合、そこにだけ縛られてゲームの流れが読めない……)
 普段の、祐人や輝と遊ぶようなサッカーでは、攻撃に比重を置いた動きをすることが多い聖哉である。ましてや密着ディフェンスなんてほとんど経験が無いだけに、余計に不安になるのは当たり前だ。
 だがまぁ、春輝の方は見たところ、格段に足が速いとかそういう訳ではなさそうだ。ポジションも中盤なので、フォワードほどのやり辛さもないだろう。
(負担は減った…のかな?)
 問題は体力が持つか。前半の動きは聖哉を大きく磨耗させた。
 事実、すでに呼吸はヒューヒュー言っているのである。
(急制動なんかが多かったから、もしかしたら付いていけないかも)
 そんな心配が頭に過ぎる。
 だが。何はともあれ、すでに試合は降りられない状況にある。ならばとことん、やってやるしかないのである。
(ケ・セラ・セラとはよく言ったもんだ。いっそ歌ってやろうか?)
 はぁ、と溜息をついて空を見上げたその直後、後半開始のホイッスルがグラウンドに響き渡った。



 こちら側のキックオフで開始された後半。リセットされた状態からボールを持って、それで余裕ができたのか。無理に攻めることをせず、中盤、もしくは最終ラインからゆっくりとボールを回して攻めの機会を窺う。敵のプレッシャーも、まだまだ元気な伊佐樹が無闇に走り回って追いかけるだけで、ハーフラインを越えない限りは厳しいチェックは無い。
 そして、落ち着いた状態ならば三年生のほうが集中力は上だった。ボール回しで2、3分が過ぎる退屈な展開が続いた時、二年生のコンパクトな守備陣系に緩みが生じたのだ。そしてバスケ部のエースである卓也は、それを見逃すほど暢気な司令塔ではなかったのである。後ろからボールを受け取った瞬間に、1ボランチの間隙を突くサイド起用。中央をドリブルし、ディフェンダーが気を取られた時を利用して、右サイドの選手を走らせたのだ。ダイヤモンド型の中盤はボランチのカバーする横のスペースが広い為、ピボーテが相当量の運動をしなければならないと言う弱点がある。つまりサイドに展開することによって、相手の守備を揺さぶるのだ。
 サイドアタッカーは俊足だった。マッチアップする4バックの左よりも早く球に追いつき、素早い切り返しで躱したのである。
 そうなるとセンターバックが対応するしか道は無い。「ボランチ、カバー! 鈴木は戻って、二人で囲め!」と春輝が怒鳴って二年生が慌て始める。そうなると攻撃陣は中央へと走り、下がったディフェンスライン上を縦横無尽に駆け回るのだ。聖哉の相棒のもう一人のボランチも攻撃参加して、一気に数で相手を惑わせるのである。
 そのせいで聖哉は前に行けず、結局は自陣でカウンターに備えることとなってしまった。とほほ。
 まぁその後、囲まれたサイドアタッカーが二人の狭い間を通して小さくパスを送り、受け取ったもう一人のボランチが中央へクロス、そのボールを敵ディフェンダーがカットしてコーナーキックとなったのである。
 コーナーを蹴る卓也がボールをセットすると、なんとセンターバックまでがスルスル上がって更にカウンターの危険が増す。「ちょっと前に出てみようかな?」と思っていた聖哉が、その考えを踏みとどまったと同時に、卓也は自慢の右足でゴールから遠ざかるキックを入れた。
 と言っても派手に浮くようなものではなく、アーリークロスに近い、速くて低めのボール。敵がヘッドでクリアーした零れ球を、上がったセンターバックがトラップして、逆の左サイドへチェンジ。中央の混乱の足踏みしたその生徒が、少し下がったセカンドストライカーにボールを預けると、その選手はペナルティーエリアの少し外から思いっきり右足を振りぬいた。グラウンダーのボールが中に入るが枠を少し逸れている。ただ敵ディフェンダーの脚に当たって落ちると、ぺナルティーエリア内の混雑の中に置き去りにされた。そのルーズボールを、ストライカーが根性で保持して蹴ると、爪先に当たって小さく撥ね、ニアポストの中へと吸い込まれて得点が加算されたのである。
「よっしゃー!」
 前線に居る同級生たちが諸手を挙げて大喜びすると、聖哉の近くに居るディフェンダーも大声を張り上げて歓喜した。ギャラリーのうねりも起こって、うおう、と思ってビックリする聖哉を尻目に、彼らは前線へと駆けていって仲間に抱きついていくではないか。
 そうして後半五分、3年E組はようやく一点を返すことができたのである。
 全員が陣地に戻って、「もう一点」への期待にチームのメンバーが瞳を輝かせる姿を見て、なんだかなぁと思ってしまう聖哉。そんな中で二年生のリスタートからゲームが再開され、聖哉は前へと進んでいった。トップ下に居る春輝のマークに付く為だ。
「!」
 春輝が、自分の目の前に来た聖哉に気付いた。そして自分にマークマンが付いた事に笑みを浮かべると、手を挙げてボールを要求した。
(んっ?)
 とりあえず近づいてマークの姿勢を取る聖哉。そんな彼を見据えて春輝は、正面にボールを構えて腰を屈めた。
(っ、勝負に来るのか!?)
 ここはまだハーフラインの少し手前。仕掛けて来るには早い場所だ。だから聖哉も密着しなかったのであるが、まさかそんな場所で春輝がキープするとは思わなかったのである。ただでさえ、彼はボールを止めるよりも、素早く叩いてパスで周囲を活かすような選手だったのに。
 そんな困惑が表に出たのか、それともそれが聖哉の限界なのか。一瞬、春輝がボールに触れたのを見過ごした。 気付いたときには、春輝は予想以上に聖哉の近くに走っていたのだ。懐に飛び込まれる。そう焦って後退し、後ろを向いて春輝に対応しようとした。
 そしたら春輝が、聖哉から見て左に傾いた。小さな動きだったが、聖哉は完全に身体を左に向け、重心を変えていた。
 春輝は右足を止め、それにボールを当てて切り返した。先程の動きはフェイント。トップスピードのままボールごと身体の重心を変え、そのまま聖哉の右手を突っ切った。
「あっ!?」
 引っかかった。慌てて振り返った時には、春輝はすでに背中だけ。追いかけるが距離を考えると絶望的。自らの気の緩みに歯噛みして、ディフェンダーと一対一になった春輝を追う。
 春輝は無理をしなかった。ディフェンスを引き付けてスペースを生むと、すぐにそこにパスを送る。秋寛へとボールが渡ると、彼はワンタッチでボールを浮かせた。だがこれは少しばかり強く行き過ぎたか、クロスバーを叩いてゴールラインを超える。ゴールキックだ。
「ちぇっ」
 と秋寛の舌打ちが聴こえた。
「……………………」
 聖哉は正直、ホッとした。自分のミスでこれ以上加点されたら堪らない。
 ふうっ、と一息ついて振り返ったとき、ふと背後に気配を感じた。先輩、と声がかかって肩に影。見ると春輝が、少しばかり嫌味な笑顔で隣に並んでいるではないか。
「俺は個人技が無いと思いましたか?」
 春輝はそう言って笑った。
「正直、あなたでは役不足ですよ。僕のマークならもう二人くらい必要でしょう」
「なっ、に?」
「先輩の実力は把握しました。俄仕込みの素人ピボーテに抑えられるほど、僕も弟も甘くは無いでよ」
 ハハハハッ、とそんな高笑いを残しながら去っていく春輝。その後姿を目で追って、聖哉は一つ、決意した。
「あんなろう……ムっ殺す!」
 久しぶりにぶち切れた聖哉の、そんな熱い背中に、話しかけようとした利一と伊佐樹も思わず尻込みしたという。
 ゴールキックがハーフライン手前に落ちたとき、そのボールは二年生がヘッドで前線へと送ろうとする。しかしディフェンスがそれを阻止してクリアーすると、セカンドボールが利一へと渡った。
 そこを前からプレッシングしようとした三年のセカンドストライカーが軽く躱され、利一は後ろを向いて一旦、ボランチに下げる。そのボランチが前を向いたときには、すでに春輝が受ける態勢に入っていた。そこを逃さず、コースに入って聖哉がカット。
 春輝が、おっ? という顔をする。
「やった! 上井、パス!」
 聖哉が顔を上げたとき、卓也が手を挙げてボールを要求する。しかし彼の周囲に敵が2人。確実性は薄い。
 スッ、と聖哉は足の裏でボールを転がした。そのまま右回りにターンすると、流された春輝が振り返る。
 聖哉はパスの選択肢を消した。
 右のインステップでチョイと前にボールを出し、そのまま左から右へ、ドリブルでサイドチェンジする。その動きにディフェンダーが戸惑っている隙に、一気に敵エンドまで侵入した。
「おい、上井! 何やってんだ!」
「早くボール出せ!」
 味方が焦ったように手を挙げる。その様子を見て、気にせず右からドリブルで切り込んだ。目の前にストッパーが現れる。それを、ボールを右足で跨いで困惑させる。もう一度、右でシザースした後に、今度は左で切り返して抜き去った。
 はっ、と場内が息を呑んだ。同時に左手側からストッパーが来るも、腕を伸ばしてボールに近づけない。相手が梃子摺った所で、インサイドで蹴りだして前へ。ストッパーを置いて右サイドでフリーになると、顔を上げてゴールを見た。
 中央、ペナルティーエリアには味方がすでに三人、入り込んでいる。キーパーもクロスを予想して前目に構えている。こちらはゴールから20〜25メートルほど離れているから、警戒されていない。
 聖哉は周囲に気配が無いことをサッ、と読むと、重心を下げて減速した。足を止めて足の裏でボールを置くと、右足をそのまま上げて、ボールを前に蹴りやすい位置へと。
 一足で左足を踏み込むと重心を少し下げて、右足インステップ気味にボールの中心へ。思いっきり振りぬいたキックがボールを捉えると、押し出すようにして前へと蹴りだした。
 ボールが大きく浮いた。
 センタリング、と思ったキーパーが前に出て、同じことを考えた味方がゴール前に殺到する。しかしボールは大きく伸び、唐突に軌道を下げてゴールへ向かった。
 シュートは回転していなかった。
 わっ、と観衆が息を呑み、聖哉がニアの左上隅を狙ったシュートは、枠を外れてゴールラインを割る。
 っ、はぁ、と溜息が漏れた。
「っ、くしょ!」
 聖哉が指を鳴らして悔しがり。
 ピッチ上では、利一と伊佐樹以外の敵味方すべてが、少し呆然とした様子で聖哉を見ていた。

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