第四章 「王都からの直令」
 
 
 戦闘の後、アルザードは基地の司令室に呼び出されていた。
 雨はもう止んでいて、窓からは曇り空が見える。
 あの後、アルザードとレオス、テスの三人は駆け付けた部隊の仲間たちによって救助された。グリフレットによれば、ブレードウルフの目くらましを合図に敵 部隊全体の動きが変わり、上手い具合に合流されて撤退を許してしまったとのことだった。撤退の手際もさることながら、互いの消耗具合からしても追撃も難し かったようだ。万全な状態でもなければ、下手に追撃しようものなら逆に隙を突かれて返り討ちに合いかねない。
 結果的に、今回の防衛戦はアルフレインの勝利だと言える。だが、受けた被害も決して少なくはない。大規模な攻勢を仕掛けてきた三ヵ国連合側にも無視できない損害は出ているはずだが、状況が好転したわけではない。
 最終防衛ラインである結界の破壊という最悪の事態だけは避けられたが、依然としてアルフレイン王国は苦境に立たされている。
 司令室にいるのは、基地司令カザム・スノ・マルデイン特級正騎士の他にサービック、レオス、テス、そして近衛騎士であるラウス・ティル・ロウド正騎士にアルザードの五人だ。
 レオス、テス、アルザードは部屋の脇に並び、部屋の奥にある執務机に腰掛けた基地司令カザムの隣にサービックが立っている。
 執務机を挟んだ向かい、部屋の中央にはラウスがいた。
 金髪碧眼の生真面目そうな青年、というのが大方の第一印象だろう。
 ラウスが身に着けている高位騎士を表す青色の制服には、銀糸の刺繍で装飾が施された通常のものと違い、金糸が用いられている。左胸にある小さな盾を模した紋様は王都の守護を任された近衛騎士であることを示すものだ。
 向かい合う基地司令カザムも同じ高位騎士の制服を着ているが、装飾は銀糸のものだ。皺の刻まれた顔立ちに、強い意志を宿す眼光は威厳を感じさせる。
 カザム特級正騎士はこのベルナリア防衛線を支えている功労者の一人であり、人望もある有能な指揮官として知られている。
 ラウスは胸元から書簡を取り出し、その場で封を解いて中に収められていた一枚の書状を基地司令に提出する。
「王都よりの直令です」
「拝見致しましょう」
 基地司令カザムは立ち上がり、書状を受け取るとそのまま文面に目を走らせる。
 階級の上だけなら、高位騎士の最上位階級である特級正騎士のカザムがこの場にいる者の中では最も高い。だが、近衛騎士が王都から受けた指令や権限は時として通常の階級の上下関係を超越する。
「……アルザード・エン・ラグナ上等騎士」
 カザムがアルザードへと向き直り、良く通る低い声が名を呼ぶ。
「はっ!」
 アルザードは簡易的な敬礼と共に返事をし、カザムに体の正面を向けた。
「王都からの異動命令だ。本日付で貴君をアーク騎士団第十二部隊から除名し、王都アルフレアのニムエ技術研究所へ転属とする、とのことだ」
 その内容を理解するのに、数瞬かかった。
 告げたカザムの眉根も僅かだが寄っている。動揺していないのは、指令書を持ってきたラウスだけだろう。
「……了解」
 簡易敬礼と共に、アルザードはどうにか声を絞り出した。
 最前線からの転属、これは悪い言い方をすれば左遷とも同義だ。
「お言葉ですが、アルザード上等騎士が抜ける穴は小さいものではありません」
 最初に異を唱えたのは、サービック正騎士だった。
「この防衛線を維持するために、彼を外すという判断には承服しかねます」
 コストのかかるアルフ・セルを毎回のように破損させてしまうアルザードを、サービックは疎ましく感じていると思っていた。だが、実際は戦力としてのアル ザードの存在には一目置いていたのだ。思い返してみれば、サービックには機体を壊して怒鳴りつけられることはあっても、戦果についてあれこれ言われたこと はない。
 とはいえ、この指令は王都からのものだ。現場の反対を押し切る力がそこにはある。
「ええ、その点も承知しています」
 ラウスは小さな笑みを返した。
 予想していた反応だとでも言いたげだ。
「隊の欠員に対する補充は手配している最中です。それが到着するまでの間は、私が彼の穴を埋めるよう仰せ付かっております」
 続いたラウスの言葉に、その場の誰もが目を丸くしていた。
 王都を守護する最精鋭とでも言うべき近衛騎士の一人が、アルザードの抜けた穴を埋めると言っているのだ。当然、補充兵が到着するまでの間という短期のものではあるだろう。だとしても、それまでの戦力としては破格の対応だ。
「了解致しました。では、ラウス正騎士はアーク騎士団第十二部隊預かりということで、レオス上級正騎士の指揮下について頂きます」
「了解です」
 カザムの言葉にラウスは簡易敬礼で応じる。
「アルザード上等騎士は必要な荷物をまとめ、至急王都へ向かうように、との指示だ」
「分かりました」
 アルザードも簡易敬礼と共に返事をする。
 そうして解散となり、アルザードは割り当てられていた自室に向かう。
「おう、終わったか。また機体ぶっ壊したことに対する説教か?」
 ドアを開ければ、相部屋のグリフレットがベッドの上でくつろいでいた。
「いや……」
 アルザードも異動になった、と直ぐに言えず、言葉を濁してしまう。
「そういやモーリオンの親父が新装備の感想聞きたいから後で顔出せって言ってたぞ」
「そうか、分かった」
 ランドグライダーの使用感について、実際に運用したアルザードにあれこれ聞きたいのだろう。基地に帰還して直ぐに司令室に呼び出されたお陰で、整備士長 のモーリオンとまともに話ができていない。アルザードとしても、ランドグライダーにはかなり助けられた。ブレードウルフにこそ及ばなかったが、ランドグラ イダーがなければ状況や結末は変わっていただろう。
「……どうした?」
 アルザードが荷物をまとめ始めたのを見て、グリフレットはベッドから身を起こした。
「王都への転属命令が出たんだよ」
 そう答えたのは、ラウスだった。
 アルザードの後を追ってきたらしい。腕を組み、ドアの縁に寄りかかるようにして、アルザードを見ている。
「マジ?」
「近衛が指令書を運んできたぐらいだからな……」
 愕然とするグリフレットに、アルザードは溜め息をついた。
「まぁ、俺も驚いたよ。相変わらずみたいだしな」
 ラウスが苦笑する。
「で、どちら様?」
「ラウス・ティル・ロウド、階級は正騎士。近衛騎士団第七小隊所属。暫くはアルの代わりにアーク騎士団第十二部隊に厄介になる。よろしくな」
 グリフレットの問いに、ラウスが答える。
「アルの代わりだって……?」
 その部分に、グリフレットが眉根を寄せる。
「ラウは優秀だぞ。騎士養成学校を主席で卒業しているからな」
 荷物をまとめながら、アルザードは言った。
「いや、実技で機材を壊しまくらなければお前が主席だったはずだ」
 ラウスは不服そうに答えた。
「近衛に知り合いがいたのか」
「互いに配属先は知らなかったけどな」
 二人のやり取りで察したグリフレットに、アルザードは肩を竦めた。
 アルザードとラウスは騎士養成学校時代の同期だった。何かと顔を合わせることが多く、成績もトップを争う形になり、いつの間にか自他共に認めるライバル のような関係になっていた。それも、険悪な仲というわけではなく、親しい友人と呼べるような距離感で、互いに切磋琢磨をするような良好な関係を築いてい た。
 決定的に差が出ていたのは、実技の、それも魔力を扱うような場面だろう。計測機器や、機材を直ぐに壊してしまうアルザードと違い、高水準ではあるがちゃんと測定できる範囲だったラウスの方が周りからは評価されていた。
「獅子隊にいるって知った時は驚いたよ」
 少しだけ、ラウスの声のトーンが真面目なものになった。
「最前線はきついぞ」
 グリフレットが呟いた。
 獅子隊、というラウスの言い方から察するに、レオスの部隊の活躍は王都にも伝わっているのだろう。
「俺には少し羨ましかったよ。近衛に選ばれたことが嬉しくないわけじゃないが、前線で戦うってことに憧れてもいたんだ」
 近衛騎士に選ばれることは、アルフレイン王国の騎士にとって光栄なことだ。むしろ、近衛騎士という存在に憧れる者も多いぐらいだ。
「死にたがり、ってわけじゃあないよな?」
「まさか。単純に、この情勢を変える力の一つになりたかったってだけさ」
 釘を刺すようなグリフレットに、ラウスは苦笑した。
 近衛騎士は王都を守る最後の戦力だ。練度は高く、実力、装備共に王国の最精鋭と言って良い。だが、近衛騎士はその性質上、王都を離れることはほとんど無い。
 情勢が苦しい今、近衛騎士として王都にいるよりも、最前線に立ち、少しでも力になりたいと思う気持ちも分からないわけではない。
 最前線から外されるアルザードも、似たような思いを抱いている。
 ただ、追い詰められつつあるアルフレイン王国にとって、王都の守りを疎かにすることもできない。警戒はしているが、いつ、どんな形で王都が襲撃されるとも限らないのだ。
「それにしても王都への転属か……」
 グリフレットが小さく呟いた。
「何かあるのか?」
「いや……なんつーかな、安心半分、不安半分って感じだわ」
 アルザードが顔を向ければ、グリフレットは苦笑して肩を竦めた。
「お前って、戦い方が危なっかしいけど何度も助けられてきたからさ……王都勤務になれば戦死は遠退くだろうなって思うのと同時に、これから俺ら大丈夫かな、って」
 自分の機体を破壊しながらも、仲間の窮地を救ってきたアルザードが部隊からいなくなる。肩を並べて戦ってきたグリフレットからすれば、危なっかしい仲間が安全な場所に転属されるという安堵感もあり、頼れる仲間が一人減るという不安感もあり、というところなのだろう。
「サービック正騎士だったっけ、転属に反対してたの。信頼されてるんだな」
「はぁ? サービックの野郎が反対した……? 嘘だろ?」
 感心したように呟いたラウスの言葉に、グリフレットが目を丸くする。
「いや、俺も驚いたよ。喜ばれると思ってた」
 個人的な好き嫌いはともかく、戦力として評価はされていたということだろう。それも、いなくなっては困ると判断するほどに。
 状況が芳しくない故に、戦力はどれだけあっても足りない。資源の問題も確かに悩ましいところではあるが、それをケチって負けてしまっては元も子もない。出し惜しみ出来る状況ではなく、使える戦力には相応しい装備を回さなければ戦線の維持に支障が出る。
 資材の消費が早過ぎるアルザードに頭を悩ませてはいても、その活躍によって乗り切った場面があることは評価していたのだ。ただ、諸々の査定に関して言えば、損害と戦果で差し引きゼロといったところだろう。
「もう行っちまうのか?」
「今日の便で王都へ向かうよう指示されてるんだ」
 名残惜しそうなグリフレットに、アルザードは肩を竦める。
 王都からの指令では、可能な限り速やかに王都へ帰還し、転属先であるニムエ技術研究所に出頭するよう書かれていた。
「本当に急だな……」
「まぁ、何かしら意図はあるんだと思う。状況的に、現場から反対が出る人材ではあったわけだし」
 納得し切れないといった表情のグリフレットを、ラウスが諭す。
 戦線の維持に有用と判断されているほどの騎手を転属させるからには、それなりの理由があるはずだ。
 荷物をまとめ終えたアルザードが、バッグを手に立ち上がる。
「……元気でな、ってのも変か。死ぬなよ、グリフレット」
「おう、お前もな」
 アルザードが突き出した拳に、グリフレットは拳を突き合わせて答えた。
 部屋を出て、ラウスと共に格納庫へ向かう。
 モーリオンに会って話をする必要もあるが、丁度この基地に補給物資を届けに来た部隊がこれから王都に帰還する予定になっており、アルザードはその部隊に便乗させてもらう形で王都に向かう手筈になっていた。
 格納庫では補給物資の積み下ろしと受け取りで人が忙しなく動き回っている。
「モーリオン整備士長……」
「おう、アルザードか。ランドグライダーはどうだった?」
 資材のチェックリスト片手に、モーリオンはアルザードを見るなりそう聞いてきた。
 格納庫の隅では、アルザードの乗っていたアルフ・セルが横たわっている。傍目から見ても酷い有様だ。両足と片腕を失い、残った腕も関節が拉げていて使い物にならなくなっている。
「悪くない装備でした」
 アルザードは戦闘時の様子を語って聞かせた。
 戦線への合流にランドグライダーは非常に役立った。ブレードウルフとの戦闘においても、真正面から足を止めての斬り合いになっていたらもっと早く敗北していただろう。ああまで粘れたのもランドグライダーの機動力があってこそだ。
「まぁ、お前さんだからこそ、ではあるだろうが……そうか、悪くなかったか」
 話を聞いて、モーリオンは少し嬉しそうに呟いた。
 ランドグライダーという装備の一番の問題点は障害物の多い市街地戦闘に向かないことと、魔力消費量が増大すること、そして操縦感覚が変わるという扱い難さにある。
 通常歩行時と異なる慣性制御と重心移動が求められ、直線での移動速度に優れる反面、小回りは利き難い。障害物の多い市街地での戦闘では、その推進力が邪魔になることもあるだろう。魔力消費も通常の騎手には無視できない負担になる。
 正式な生産ラインがあるわけではないため、コストや生産性の面でも問題はある。有用性はあるが、量産して配備できるかというと難しいところだろう。数機分なら配備できるだろうが、使いこなせる騎手も、有用な場面も限られる。
 今回は普段防衛戦を繰り広げている市街地跡から離れた場所が戦場になっていたことと、魔力が有り余っているアルザードが騎手だったことがプラスに働いた。
「話を聞く限りじゃ面白い装備だとは思いますけどね」
 恐らく、ラウスはランドグライダーを使いこなせるであろう数少ない騎手の一人だ。
 アルザード程の規格外ではないが高い魔力適正を持っているし、近衛に選ばれるだけの技量と適応力がある。それでも、機体の稼動時間は短くなってはしまうだろうが。
「ただ、あんな戦い方は早々できるもんじゃありませんが」
 大破したアルフ・セルに視線を向けて、ラウスは苦笑した。
 ランドグライダーの機動性と出力を活かした無茶な戦い方ではあった。だが、そうでもしなければ勝機が無かった。それほどまで、ブレードウルフの機体性能と技量は高いものだった。
 同じ装備だったとして自分にあんな戦い方ができるだろうか、ラウスの声にはそんな思いが滲んでいた。
「ラウならもっとスマートに戦えると思うけど……」
 とはいえ、アルザードとしては反省点が多い戦いだった。もっと機動力を活かして時間稼ぎをしても良かったかもしれない。今思えば、あそこまで強引に攻める必要はあっただろうかとも思ってしまう。
 何とかしなければと思い過ぎて、周りが見えなくなっていたところはあるかもしれない。
 ラウスならもっと堅実に立ち回れるのだろう。
「……話は聞いたよ」
 言葉が途切れ、俯いてしまったアルザードに、モーリオンはそう声をかけた。
「……色々とお世話になりました」
 簡易式の敬礼をするアルザードに、モーリオンは静かに首を振った。
「まぁ、整備士としては楽になる部分はあるが……穴埋めの責任は重いぞ」
「肝に銘じておきます」
 ちらとラウスに視線を向けるモーリオンに、ラウスは肩を竦めた。
「連中は呼ばなくて良かったのか?」
 補給が終わる頃、モーリオンが言った。
 連中、というのは部隊の仲間のことだろう。
「名残惜しくなりますから」
 辞令を言い渡された時その場にいたレオスとテスの二人にはもう挨拶を済ませてある。グリフレットも荷物を纏める際に話をした。ただでさえ後ろ髪を引かれる思いをしているのだから、それで十分だ。
「皆にはよろしく言っておいて下さい」
 そうして、ラウスとモーリオンの二人に見送られて、アルザードは前線基地を後にしたのだった。

 ニムエ技術研究所の通路を歩きながら、アルザードは前線基地での日々を思い返していた。
 アルフレイン王国の首都、王都アルフレアの南西の郊外にニムエ技術研究所は建てられていた。
 王都アルフレアに補給部隊と共に帰還したアルザードは、検問に着くなり待機していた魔動車に乗せられ、ニムエ技術研究所まで連れて来られた。この命令に どんな目的や意味があるのか、何も説明はない。アルザードを連れて来るよう指示された兵たちにも詳細は伝えられておらず、ただアルザードをニムエ技術研究 所へ連れて来るように言われているだけだった。
 その目的も、この通路の先にいる研究所の主に会えば分かるはずだ。
 執務室と書かれたドアの前で、アルザードは襟を正した。
「アルザード・エン・ラグナ上等騎士、出頭致しました」
 ノックと共に宣言し、扉を開けて中へと入る。
「……え?」
 だが、返事はなく、部屋の中には誰もいなかった。
 足元にはいくつもの紙が散らばっている。部屋の中を見渡せば、書類と思しき紙の束が至るところに転がっている。応接用の机とソファの上にも紙は無造作に 積み上げられている。真正面にある執務机は一際ひどい有様で、無作為に積み上げられた紙の束で埋もれたようになっていて、そこから崩れた書類が辺りに散ら ばっている。
 まるで賊に荒らされたかのようだ。
 時間が間違っているのだろうか、と考えたものの、特に時間の指定はされていない。王都に着くなりここへ連れてこられたのだから、時間が指定されていたようにも思えない。
「あの、どちら様ですか……?」
 背後からかけられた声に、アルザードは振り返る。
 分厚いファイルを大事そうに抱えた女性が部屋に入ろうとして、中にいたアルザードに気付いたようだった。
 アルザードと同じ緑色の低位騎士の制服に、白衣のような上着を身に着けている。様子や身なりから察するに、この施設の研究員の一人というところだろう。
 身長はアルザードよりも頭一つほど低い。セミロングの黒髪に薄い緑の瞳をした小柄で可愛らしい女性だ。
「アルザード・エン・ラグナ上等騎士です。指令に応じて出頭したのですが……」
 右拳を胸の前にかざすような簡易式の敬礼をして、アルザードは名乗った。
「あっ、ヴィヴィアン・レイク一等技術騎士です!」
 反射的に、女性研究員も簡易敬礼を返す。
 分厚いファイルと、他にも書類をいくつか抱えていたことを忘れて、敬礼の動作で取り落とす。ばさばさと音を立てて書類とファイルの中身が床に散らばった。
「あわわ……!」
 紙が床に散乱する音を聞いて、荷物のことを思い出したのか、慌ててそれらを拾い集める。
 それにしても凄い量の書類だった。一体どれほどの頻度でこの部屋に運び込んでいるのだろう。
 拾うのを手伝うついでに、アルザードは書類の中身に目を向けた。何かの図面と、それに関わるらしい数値の羅列が所狭しと書き込まれている。
 少なくとも、アルザードにはそれらがどんなものなのかはさっぱり分からなかった。
「それで、自分はどうすれば……?」
 拾い集めた書類を差し出しながら、アルザードは問う。
「あ、ありがとうございます……。ええと、何も聞いていないんですよね?」
 受け取った書類を執務机の上に置こうとして、場所がないのに気付いて応接用ソファの端に乗せながら、ヴィヴィアンは確認するように言った。
「はい、何も」
 理由を尋ねても、機密事項で答えられない、あるいは自分にも知らされていない、という返事ばかりだった。機密事項と答えた者の中に内容を知っている者がいたのかどうかすら疑問な表情をしていた。
「正しく情報は秘されているようですね」
 ヴィヴィアンが小さく笑みを見せた。
「ここの責任者、エクター・ニムエ一級技術騎士の下へ案内しますね」
 そう言って、ついてくるよう促すヴィヴィアンに続いてアルザードも執務室を出た。
「一級技術騎士……」
 最前線で整備士長をしていたモーリオンは三級技術騎士だった。三つある中位騎士の中で最低の階級ではあるが、技術士官としてはそれでも破格の待遇だ。エクターと言う人物は最前線で活躍していないにも関わらず、それを二階級も上回っている。
 それだけで、只者ではない。
 アルザードを先導して通路を歩くヴィヴィアン・レイクは一等技術騎士だと名乗った。階級だけを見れば、アルザードの一つ下に位置するものだ。技術士官としての階級は決して低いものではない。
「私はエクター先生の補佐……助手のようなものです。ほとんど雑用ですけれど」
 四階級も上の人物を先生と呼んだことに、アルザードは少し驚いていた。だが、彼女はそれがさも当然のことかのように自然と口にしている。
「ここから先は、今この国を左右する最重要機密の宝庫です。完成し、表に出るまで、他言は厳禁です」
 アルザードがあれこれ聞こうとする前に、ヴィヴィアンが言った。少しだけ強い口調だった。
 辿り着いた場所には、通路と同じ幅と高さの両開きの大きな扉があった。通路の途中にあった、一般的な部屋らしい木製のドアではない。金属製の扉だ。
 ヴィヴィアンが扉を開く。
 締め切られた扉に隙間が出来ると同時に、音が聞こえてくる。
 人の行き交う足音、指示を出すのと、それに応じる声、金属を加工しているような作業の音、様々な音が一気になだれ込んでくる。
 その先は大きな格納庫のようになっていた。
 天井までの高さは十メートルほどだろうか。左右の広さは三十メートル以上はありそうだ。作業用らしい可動式の足場がいくつもあり、様々な機械の塊が並べ られ、多くの作業員が行き交い、忙しなく何かをしている。技術者らしい彼らのほとんどが低位騎士であることを示す緑色のラインが入った茶色の作業着を身に 着けている。
 端の方には、この施設の警備用だろうか、アルフ・ベルの姿もあった。
 機械の塊の一つの近くに、赤い中位騎士を表す制服の上に白衣を着た人物がいた。
「エクター先生!」
 ヴィヴィアンがその人物の方へと走り出す。
 格納庫の光景に圧倒されながら、アルザードもヴィヴィアンを追う。
 前線基地では修理中のアルフ・セルやアルフ・ベルは何度も見ていたが、ここで扱われている部品たちは見たことがないものばかりだ。
「ああ、君か」
 その男は、ヴィヴィアンを一瞥すると、素っ気無くそれだけ言って視線を機械の方へ戻した。
 良く見れば、白衣は油や煤でかなり薄汚れている。かなりぞんざいに扱っているようで、よれよれだ。くすんだ金髪もなすがままにしているのが見て分かるほ どにぼさぼさで、薄紅色の目の下にはクマができている。目つき自体は眠そうだったが、その瞳にはまだ活力がある。痩せこけた頬も相まって、痩せぎすな印象 だ。
 乱れ、汚れた服装からは研究者と言うには技術者や整備士の一人と言った方がしっくりくる様相になっている。
「例の騎手候補の方、来ましたよ」
 ヴィヴィアンのその言葉に、男がぴくりと反応した。
 僅かに目を見開き、ヴィヴィアンと、その背後にいるアルザードを見る。
「そうか、来たか……君がそうか」
 口元に笑みが浮かび、嬉しそうにエクターが呟く。
「直ぐ行く。第二休憩室で待っていてくれ」
 それだけ言うと、エクターの視線は目の前の機械に戻る。
「……よし、この数値でもう一回だ!」
 何かの可動部らしいその機械に繋がったモニターパネルに指を走らせ、機械の上に張り付くようにして作業している技術者に指示を飛ばす。
「……だ、そうです。行きましょう」
 ヴィヴィアンはアルザードに振り返り、小さく肩を竦めた。
 第二休憩室、というのは格納庫に入る扉の手前にあった。向かい合うようにドアがあり、片方が第一休憩室、反対側が第二休憩室と書かれている。
 第一休憩室の方は格納庫で作業している人たちの多くが休憩するために利用するようだ。
「まぁ、見ての通りです」
 部屋に案内して、ヴィヴィアンは苦笑した。
 第二休憩室とは名ばかりで、半ばエクターの私室と化しているのが実情のようだ。執務室ほどではないが、この部屋にも書類やファイルが転がっている。
 格納庫のほぼ隣にあるはずだが、防音がしっかりしているのか静かなものだ。確かに、あれこれと長々会話をするのに格納庫の中は適しているとは言えない。
「エクター先生、ほとんどこの部屋で寝泊りしていて……」
 苦笑いを浮かべたまま、ヴィヴィアンが呟いた。
 現場に最も近いから、というのが理由だろう。恐らくはこの施設のどこかに、ちゃんとした彼の自室は用意されているはずだ。
 散らばっている書類には、相変わらずアルザードには理解できない図面や数式ばかりだ。中には色のついたペンで大きくバツ印を付けられているものもある。
「そういえば、騎手候補、って言ってましたね?」
 ヴィヴィアンがエクターに声をかけた時、彼女はアルザードのことを確かにそう言っていた。
「そう、騎手だ」
 ドアが勢い良く開き、答えたのはエクターだった。
「いやぁすまないね、どうも膝関節の魔力伝導率が良い数値にならなくって」
 そう言いながら部屋を横切って、彼はアルザードの向かいにあるソファに腰を下ろす。
 いや、腰を下ろしたと言うよりは倒れ込んだと言うべきか。仰向けに全身を預けるように、だらしなくソファに体を乗せている。かなり疲れているのだろうか。
「ええと、自分は――」
「――アルザード・エン・ラグナ上等騎士。王都の名門ラグナ家出身。騎士養成学校を次席で卒業後、騎手としてアーク騎士団第十二部隊、通称獅子隊に配属。ベルナリア防衛線の前線では活躍するものの、毎回乗機を大破させるため出世は見送られている」
 立ち上がり、自己紹介をしようとした次の瞬間、エクターはアルザードの略歴をすらすらと口にした。それも、視線は天井に向けたまま、何も見ずに。
 簡易式の敬礼をしかけたまま、アルザードは言葉を失っていた。
「ああ、敬礼とか敬語とか、そういうのはここでは必要ない。堅っ苦しいのはむしろやめてくれ。肩が凝って仕方がない。そういうのは外部から来たお偉方がいる時だけでいい」
 一方的にまくし立てた後、天井を向いていたエクターの顔がアルザードの方に向いた。
「僕はエクター・ニムエ。一級技術騎士。ここの責任者だ」
 目が合った。
 薄紅色の瞳の奥には、強い光が宿っているように見えた。
「――君には、この国を救ってもらう」
 そう言って、エクターは口の端を吊り上げて笑ってみせた。
     目次     
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送