第七章 「実験と進展」
 
 
 結局、新型の動力システムは設計からの見直しを余儀なくされた。
 試作品に搭載されていたプリズマ結晶はものの見事に全て砕け散っていた。得られたエネルギー総量はエクターが当初計算していたものを上回り、それでいてまだアルザードの限界には達していない。
 当然ながら、あの魔力量を常時込めながら機体を動かすわけではない。普段はもっと抑えて、言ってみれば息切れしない程度の速度で走るような力加減をすることにはなる。
 だが、その新型に求められる力を考えれば、アルザードの限界出力をもってしても自壊しない動力炉が必要になる。常にその出力を必要とするわけではないにせよ、それが必要となったタイミングで自壊することなく、通常稼動にも戻れるだけのものが求められているのだ。
 コスト度外視とはいえ、使い捨ての高性能機体を運用しようというのでは爆弾を投げるのと同じようなものだ。そもそも、今回の計画で高性能な機体を運用するための鍵であるアルザードが帰還できないような機体では使い捨てるにしても長期運用など見込めるはずもない。
 出撃し、状況を引っくり返し、そして帰ってくる。その上で再びその機体を運用し、また別の状況を覆し、帰還し、再出撃できる、というところまでが求められているのだ。
 途中で耐え切れずに自壊してしまうような機体では、そういった働きが期待できない。
 エクターは半ば狂乱状態に陥りながら、嬉々として再計算と再設計に打ち込んでいる。どうやら彼の頭脳では、先の試作品による実験で完成品の目処が立ったらしい。
 それはつまるところ、アルザードの魔力適性の精確な数値が計算できたということでもあるのだが、この時のエクターは誰も話しかけられるような雰囲気ではなかった。
 書類に埋もれて計算と設計を繰り返しながら、力尽きるとそのまま種類の中に埋もれて気絶するように眠り、意識を取り戻したかと思えば直ぐ作業を再開する。
 食事も片手で取れるようなものを定期的に運ぶようにだけ指示していて、飲まず食わずというわけでもないが、飲み食いしている間にも彼の頭は常に何かを計算しているようで、片手は常にペンを握り締めていた。
 だが、今まさに彼がしている計算と設計の結果こそがこの計画の正否を左右する最も重要な部分であることを皆理解していたからこそ、邪魔をせずにそれを見守っていた。
 そんな状態でもエクターはあらかじめ各部署に指示を飛ばしており、各自やれることをやっていた。唯一、手持ち無沙汰になったアルザードはギルバートら警備部隊のシミュレーター訓練に付き合うことになった。
 そして五日後、計算を終えたエクターが格納庫に現れた。
「設計書は先ほどプリズマ結晶精製場に送った。後はそれが到着するまでに機体の仮組みを行う。さぁ、ここからが本番だ」
 格納庫に集まった作業員や関係者に向けて話すエクターはいつになく冷静だった。しかし、彼を知る者ならばその瞳の奥にある輝きがいつにも増してギラギラとしていることに気付いただろう。
 ここに来て日が浅いアルザードでさえも、彼の気迫のようなものが増していることに気付いたぐらいだ。
 アルザードが到着したその日に、エクターは既に最高純度のプリズマ結晶を精製してもらっている、と話していた。それが具体的にどの程度の大きさで、どれほどの純度なのかは分からなかったが、じっくりと時間をかけて精製されているらしいのだから相当なものなのだろう。
 エクターの計算は現在精製中のプリズマ結晶の純度と大きさも考慮したもので、それを用いてアルザードが動かすのに十分なドライブの設計をしていたとも言える。
 当然、この前アルザードが破壊した試作品のプリズマドライブに用いられていた結晶とは比べ物にならない代物とのことだ。
 後からヴィヴィアンから聞いたが、試作品は理論実証の方が主な役割で、アルザードの魔力量に耐えられるかどうかは考慮されていなかったらしい。それでも 並の騎手はまともに動かすことが出来なかったというのだから、完成品がどうなるのかはもはやエクターにしか想像できない。
「機体の方は大丈夫なんですか?」
 作業員がそれぞれの作業に向かう中、アルザードはエクターに声をかけた。
 不安になったのは、完成品の動力部が到着し、機体に組み込んだとして機体の方が耐えられるのか、ということだった。動力部は無事でも、四肢が耐え切れずに自壊してしまってはまともに戦えないだろう。
 機体に使うであろうパーツまでこれから設計し直したのでは完成が遅くなる。間に合うのだろうかという疑問が湧き上がっていた。
 今この格納庫内では機体の各部が調整され、組み上げに向けて作業が進められている。アルザードがやってくる前から進んでいる作業だけに、新しく設計し直した動力部との整合性は取れているのだろうか。
「ああ、それに関しては心配要らないよ」
 エクターは自信あり気な笑みを見せた。
「装甲素材も内部フレームも、使える部分にはミスリルを惜しみなく使用しているからね。魔力の過剰供給はむしろ強度や剛性を高めることになる」
 本来であれば機体の設計仕様書などを提示するところなのだろうが、エクターは何も見ずに口頭ですらすらと説明する。
 ミスリルというのは魔素を高純度で含んだ金属類のことを指し、魔力で動作するものを作る際に重宝される素材だ。自然に産出されるものは極めて少なく希少で、人工的に精製する方法も金属とプリズマ鉱石を溶かして混ぜるというもので非常にコストがかかる。
 時間とコストが相応にかかるということにさえ目を瞑れば、人工ミスリルは天然ミスリルに比べて純度や金属種も任意に変更できるし数も用意できる。
 とはいえ本来なら魔力を流す回路ぐらいにしか使われていない貴重なものを装甲材にするようだ。
「完成品、壊してくれるなよ?」
 エクターの笑みが意地悪そうなものに変わる。
 それの意図するところに気付いて、アルザードはぞっとした。
 かつてないほどの高純度プリズマ結晶が複数に、高濃度エーテルをもふんだんに使う動力部だけでなく、機体を構成するほとんどのパーツが高価なミスリル製ともなればその製造費用は想像を絶する。全損ともなれば国が傾くのではないだろうか。
「壊れないように作ってくれません?」
「まぁ善処はするさ」
 引きつった笑みを浮かべるアルザードに、エクターは笑いながら肩を叩くと作業場へと向かって行く。
「ああ、そうだ、明日は関節の稼動実験を行うからそのつもりで頼むよ」
 エクターの頭の中ではもう完成像が出来上がっているようではあるが、前代未聞のプロジェクトであるだけに実物が期待通りのものになるかはそれこそ完成してみなければ分からない。
 アルザードとしてはエクターの計算が正しいことを祈るばかりである。

 そして、事件は起きた。
 翌日、エクターの指示通り仮組みされた新型機の腕部稼動試験が行われようとしていた。
 広くスペースを取られた格納庫の中央の台座の上に、《アルフ・ベル》の胴体フレームが置かれている。普段の《アルフ・ベル》からしたら一段以上も高い位 置に胴体フレームが来るような配置になっている。その右肩から先はまだ内部機器が剥き出しの新型機の腕になっていて、アンバランスな胴体と右腕だけが鎮座 している格好だ。
 その右腕は、通常の魔動機兵と比べても一回りほど大きいようだ。装甲を取り付ける前の、稼動に最低限必要な内部フレームのみで、人間で言うところの骨だ けのような状態だ。従来のプリズマドライブとは根本から異なる設計の新型動力部に合わせたサイズになるのだから当然と言えば当然か。
「本来なら完成品のドライブとセットで実験したいところなんだけど、そうも言ってられないからね」
 機材の前に立つエクターが呟いた。
 新型機の開発もゆっくりやっていられるだけの余裕はない。
 ここで過ごしていると忘れがちだが、状況が好転したという報せが入ってこない以上はいつベルナリアの防衛線が突破されてもおかしくはない。
 恐らく、新型機は完成次第前線に投入されることになるだろう。
「ひとまずは関節部がちゃんと動くかを確認したい。プリズマドライブは壊さないように頼むよ」
「加減はしてみますよ」
 エクターの声に返事をして、操縦席に座るアルザードはヒルトに手を伸ばす。
 右側のヒルトを右手で掴み、軽く力を込める。前線で戦っていた時とは違い、この《アルフ・ベル》には魔力伝導率を落とす処理が施されていない。
「試作品のドライブはこういう実験用の魔術式は施してなかったからね。同時にはできなかったんだ」
 計器類の前で数値などを確認しながら、エクターが言う。
 つい先日アルザードが破壊してしまった試作品の動力部は、出力数値の測定と理論実証のことしか考えずに組み立てられたもので、魔動機兵の手足を動かすための魔術式すら施されていなかったらしい。
「まぁ、余計な方向に出力が分散してしまっても精確な測定はできなかったし、これは仕方ない」
 手足を繋いでいなかったとしても、魔術式が施されている時点でそこに魔力は流れてしまう。僅かな差とはいえ、エクターとしてはその分の魔力量さえも精密に測定したかったのだろう。
 ヒルトに込めた魔力によって《アルフ・ベル》のプリズマドライブが放つ駆動音が大きなものになっていく。
「よし、じゃあ腕を上げてみてくれ」
 エクターが指示を飛ばす。
 アルザードは操縦席のディスプレイ越しに新型の右腕へ視線を向けながら、ヒルトを通じて右手を上げるような動きをイメージして力を込めた。
 内部フレームに刻まれた魔力回路に魔力が送られ、回路に沿って光が走る。肩関節が動き、肘が動き、手首が動いていく。
 回路部分だけでなく、内部フレームにさえミスリル材が使われているというのは本当らしく、回路に走る魔力の明滅に合わせてフレーム自体も薄っすらと光を帯びているように見えた。
 アルザードは慎重に力を抑えながら、手を上に掲げたまま指先を動かした。ゆっくりと握り、開く。手首を回転させるように捻ったり、動かしながら握ったり。
「すごいな……」
 《アルフ・ベル》のプリズマドライブを壊さないようにかなり力を抑えているにも関わらず、新型の腕は思い通りに動いている。その反応速度はアルザードが乗ったことのある《アルフ・セル》以上で、魔力を込めた手に返って来る反動のような感覚も無いに等しいものだった。
 本来であれば、手のひらに押し付けられるような抵抗感に似た感覚を抱くのだ。手でものを押そうとした時に、その重量感が押す力への抵抗として手のひらに返って来るのに近い。
 この抵抗感は魔力伝導率が低ければ低いほど、機体を動かすのに必要な出力が大きければ大きいほど、大きなものになる。魔力適性が高い者であれば、その抵 抗感を受けた上で機体を動かせるのだが、魔力適性が低い者はそうもいかない。抵抗感は魔力適性の閾値として機能していて、それを超えて魔力を込められる者 だけが魔動機兵を動かせる。
 今回の実験に関して言えば、操縦席である《アルフ・ベル》のプリズマドライブを動かすための魔力適性と、そこに繋げられた新型の右腕という二つの閾値が存在する。
「かなり軽いですね」
 今アルザードが感じているのは《アルフ・ベル》のプリズマドライブの抵抗感ぐらいだ。
 これならばアルザードでなくても新型の右腕を動かすことはできるのではないだろうか。
「そう思うだろう?」
 エクターは計器の数値を見ながら口元に意地悪そうな笑みを浮かべる。
 ベルナリア防衛線にいた頃にアルザードが乗っていた《アルフ・セル》のことを考えれば、ここまで魔力伝導率が高い調整というのはむしろ不安になってしまう。
 ただでさえ、新型の動力部は既存のプリズマドライブを遥かに凌ぐ出力を発揮するのだ。いくらミスリルを大量に使っているとはいえ、本当に大丈夫なのだろうか。
「君には信じられないかもしれないが、ここにいる者の中にその腕をまともに動かせるものはいないんだ」
 エクターの言葉に耳を疑った。
「こんなに軽いのに?」
 思わず、そう聞き返してしまった。
「ミスリルを思い切り使ったことでね、言ってみれば、閾値がマイナスに振り切っているんだよ。ただ動かすだけならまだしも、武器を持ったり、敵の攻撃を受 け止めたり、そういった力を込めたり踏ん張ったり、っていう部分で最低限必要な性能が発揮できないのさ。その上、機体に振り回されて魔力を吸われているか のように疲労や消耗も激しいとくる」
 エクターの説明を聞いて、思わずアルザードは掲げられた新型の右腕に目を向けた。
 動かすことはできても力が入らないらしい。十分以上に魔力を行き渡らせることができなければ、ミスリルという素材は性能を発揮できないのだそうだ。そして、その性能を発揮するだけの魔力が足りない者はただ動かすだけでも通常以上の疲労感に襲われるのだという。
 従来の魔動機兵に比べて、一回りは大きな機体になることが予想される新型は、使われるミスリルの量と質とそのサイズの関係で全身を十分に動かすための魔力も膨大なものになっているのだろう。
 実際に試験に関わるに連れて、新型機がどれほど常識破りの存在なのか実感していくようだった。
「よし、では次はもう少し力を込めて――」
 エクターが言い終わらないうちに、アルザードは右手に違和感を抱いていた。
 それはほんの僅かな綻びのような、手のひらの薄皮に小さな針が刺さったような感触が一瞬だけ走った。
 僅かに眉根が寄り、込めていた力の加減が微かに崩れる。
 上げていた新型の腕が下ろされるのと同時に、プリズマドライブが異音を発したのが分かった。
「エクター!」
 アルザードは声を上げ、ヒルトから手を離した。直感的に、危険だと悟った。
 それでも、プリズマドライブは止まらない。送り込まれ、ドライブ内で蓄積、増幅された分の出力が終わっていないのだ。
 痙攣したように新型の指先はでたらめに動き、大きく振り回すように腕が動く。上に持ち上げられてから、外回りに前方を薙ぎ払うように。
 その勢いに台座はバランスを崩し、計器の機材が置かれていた方へと機体が倒れる。
 咄嗟に、アルザードは倒れようとしている《アルフ・ベル》の操縦席から飛び出していた。計器類の前にいるエクターと、その背後にいたヴィヴィアン目掛けて、両手を大きく伸ばして飛び付くようにして。
「ひっ……!」
 ヴィヴィアンの引きつった悲鳴とも呼吸ともつかない声が聞こえた。
 エクターはアルザードの声に一瞬だけ目を見開いたように見えたが、それでも計器類からは最後まで目を逸らさなかった。
 アルザードが両腕でエクターとヴィヴィアンを抱えるようにして押し倒す形になったその後ろで、計器類が倒れた新型の腕に潰されていた。
 金属が拉げる音と共に破片が飛び散る。
 もしもアルザードが飛び出していなかったら、エクターも一緒に潰されていたかもしれない。
「……ありがとう、助かったよアルザード」
 いつもと変わらないように見える平然とした口調だったが、ほんの僅かにエクターの目は細められていたのをアルザードは見逃さなかった。
 身を起こして振り返ってみれば、実験用《アルフ・ベル》は機能停止して動かなくなっていた。その肩から繋がっている新型の右腕も、機材を薙ぎ払い押し潰した形のまま動かなくなっている。
 エクターは立ち上がり、散らばった破片を避けながら破壊された機材の前に立つ。
「なるほど、強度は十分あるようだ」
 腰を抜かし、言葉を失っている作業員たちをよそに、エクターは破壊された機材から新型の腕へと目を向け、手で触れ、状況を調べ始めた。その姿はいつものエクターだ。
「ヴィヴィアン、大丈夫か?」
 ふと、倒れたままのヴィヴィアンを見れば、苦悶の表情を浮かべている。
「え、ええ……腕を少し痛めたぐらいで」
 アルザードやエクターと共に倒れ込んだ際、近くの機材の角にぶつけたようで、右の二の腕を押さえている。
「折れてはいないと思います……」
 それでも右腕を動かすのは辛そうだ。
 アルザードがヴィヴィアンを助け起こす後ろで、エクターはぶつぶつと独り言を呟きながら、倒れた実験機を調べていく。
「不完全な魔力供給でこれなら……」
 呆然としていた作業員たちもようやく我を取り戻し、瓦礫の撤去などを始める。
「見たまえ、これだけのことがありながら、新型の腕には傷一つ付いていない」
 あらかた確認を終えたらしいエクターが戻ってきて、計器類を押し潰して動かなくなっている新型の右手を見るよう促した。
「まさか、無傷……?」
 さすがに耳を疑った。
 アルザードも瓦礫や破片に気をつけながら計器類のあった場所へと歩み寄り、新型の右手へと目を向ける。魔動機兵の装甲に比べたら計測用の機材など脆いも のだが、それでも破片や角が相応の速度でぶつかれば装甲に傷ぐらい付けられる。装甲を貫通したり、極端に折れたりといった戦闘に支障が出るほどの傷は付け られないとしても表面を浅く削るぐらいの傷は付くものだ。
 だが、見てみれば確かに新型機の右手には傷がない。
 装甲材が用いられておらず、内部回路と基礎フレームだけの、言わば骨組みだけに近い状態であるにも関わらず。
「原理的には内部フレームも装甲素材と遜色ないミスリル製だからだろうが、今回の実験でここまでの硬度が発揮されたのであれば期待もできると言うものだろう?」
 エクターは新型の指先に手で振れ、満足そうに笑う。
 今回の実験では、既存のプリズマドライブを使って右腕に魔力を通した。それは、本来の新型機を満足に動かすため要求される魔力量を大幅に下回っていることを意味する。
 騎手であるアルザードの魔力量が桁外れだとしても、プリズマドライブを壊さずに加減していたのだから、流した魔力は決して多いものではない。
「あの時、君が瞬間的に魔力を強めたとしても、それは《アルフ・ベル》のプリズマドライブで発揮できるレベルのものだ」
 腕が制御できなくなり倒れる直前、確かにアルザードはそれまでの加減のバランスを崩された。手のひらに返って来た僅かな違和感に、一瞬だがそれまでよりも力を込めてしまったように思う。
 だとしても、それで出力されるのは《アルフ・ベル》のプリズマドライブで出力できるだけのものだ。それ以上の魔力量になれば、右腕に出力される前にプリズマドライブが破壊される。
「プリズマドライブは?」
「一応は破損していない。結晶は急激に劣化して曇っていたがね」
 アルザードの問いに、エクターは倒れこんでいる《アルフ・ベル》の胴体部分に目を向けた。
 プリズマ結晶は破損しなかったようだが、急激な魔素消耗により劣化し、曇りが発生していたようだ。傷がないのであればまだ再利用できる。
「凄いですね、新型……」
 右腕を押さえながら、ヴィヴィアンが新型機の腕を見つめる。
 エクターの想定している本来の魔力量が流れたら、どれほどの力が発揮されるのだろう。
「ひとまず、今日の実験はここまでだね」
 瓦礫を片付け始めていた作業員たちを集め、エクターはそれぞれに指示を出し始めた。
 実験用《アルフ・ベル》の胴体部から新型の右腕を取り外し、劣化したプリズマドライブの魔素補給、壊れた機材や台座などの撤去と片付け、取り外した後の右腕の入念な点検と、翌日行う稼動試験のための準備をするよう指示を飛ばしていく。
「というわけで明日は脚部の稼動試験をする。僕は今回の実験で得られたデータを基に腕部の調整のための再計算をさせてもらうよ」
「データって、機材は壊れて……」
 エクターの言葉に、ヴィヴィアンが驚いたように呟く。
「ああ、言ってなかったかな。僕は一度見たものは忘れない体質でね」
 薄っすらと笑みを浮かべて、エクターは言った。
 最後まで目を逸らさずに計器を見ていたのも、そこに表示されていたデータを目に焼き付けるためだったのだ。
「危ういところであったのは間違いないし、今夜はしっかりと休んでおいてくれよ」
 すれ違い様に、エクターはアルザードの肩を二度叩いてそう告げた。
「……ああ、分かった」
 答えるアルザードの目を見て一つ頷き、エクターは格納庫を後にする。
 その背中を見送ってから、アルザードは指示された作業を進める者たちを振り返り、取り外されようとしている新型の腕を見る。
 事故、と呼べるのかは分からない。幸い、新型の右腕が従来の魔動機兵よりも大きかったことで、作業員たちは十分に距離を取っていたため、人的被害はなかった。いくつかの機材が使い物にならなくなっただけだ。
 エクターの態度から察するに、機材は予備がまだいくつかあるのだろう。何せ、前代未聞の新型機の開発なのだ。データ収集のための実験も毎回上手く行くとは限らない。もしかすると、アルザードがここに転属してくるまでにはもっと大きな事故だってあったかもしれない。
 慎重に取り外し作業が行われている新型の右腕は、流された魔力がまだ残っているのか少しだけ周囲の景色から浮いて見えた。

 その日の夜遅く。
 作業員たちも寝静まり明かりの落とされた格納庫で音と気配を消して動く人影があった。人影は周囲を警戒しながら、格納庫の中央へと進む。
 そこには、昼間に実験を行ったのとは別の《アルフ・ベル》の胴体ブロックに、無理矢理新型の右脚を繋げたものがあった。アンバランスな左脚は台座の上にあり、新型の右脚と高さを合わせている。
 夜が明けた後、試験を行うためのものだ。
 人影は実験機の前で一度足を止め、それから背後へと回り込む。
 そして息を呑んだ。
「……こんな時間に、何しに来たんだ?」
 新型の右足に背中を預けるようにして、アルザードは座り込んでいた。
 目を閉じ、気配を消して、アルザードはここで何者かが来るのを待っていたのだ。
「どうして……」
 人影が小さく呟く。驚いているようだ。
「なぁ、ヴィヴィアン?」
 鋭く開かれた目が、人影を射抜く。
 暗闇に目が慣れさえすれば、ここまで近づけば相手が誰かは判別できる。
「私は、明日の実験のための確認に……」
「――そんな指示は出していないはずなんだけどね?」
 格納庫の扉が開かれ、廊下の明かりが人影を照らし出す。
 そこにはエクターが立っていた。
「俺がここにいたのはエクターの指示だ」
 アルザードはゆっくりと立ち上がり、ヴィヴィアンへと向き直る。
 彼女の表情に驚いた様子はもうなくなっていた。今まで見たこともないほど、無表情になっている。感情のない顔、とでも言うべきか。
「まぁ、指示とは言っても、確信があったわけじゃないんだけど」
「いやいや、意図は伝わっていてくれたようで嬉しいよ」
 エクターの方に目配せすると、彼は満足げに頷いてくれた。
 あの時、今夜は休めという言葉と共に肩を二度叩かれた。エクターの言葉と行動に対して違和感を抱いたアルザードは、今夜は休む以外にして欲しいことがあ るのだと解釈した。いつもはっきりと自分の目的を口にするエクターのことだから、この珍しい行動に関して疑問などは口にすべきではないとも判断した。
 ヴィヴィアンは何も喋らない。
「観念したってところかな。少し拍子抜けだ」
 エクターは肩を竦めながら、格納庫の中へと歩いて入ってきた。白衣のポケットに両手を突っ込んだまま、ゆっくりと。
「そうだな、最初に言っておこうか。君がスパイなのははじめから気付いていたんだよ、ヴィヴィアン」
 その言葉に、ヴィヴィアンの表情が明らかに変わった。驚きと困惑が浮かび、視線がエクターに向く。
「気付いていたって……泳がせていたってことですか?」
 驚いたのはアルザードも同じだった。
 最初から彼女が工作員だと気付いていたというのなら、何故わざわざ自分の助手のような立場にさせていたというのだろうか。
 今、ここで行われていることには国家の存亡が懸かっている。機密情報が漏れることは避けなければならないはずだ。
「まぁ、そうとも言えなくもないが、どちらかと言えば彼女に情報を持ち去られても問題ないようにしてあるということさ」
 エクターは簡単にそう言ってのけた。
 今現在、アルフレイン王国は厳戒態勢が敷かれており、外からの侵入は勿論、国内から外部への連絡も厳しく監視されている。
 仮に、ヴィヴィアンがここでの研究資料を持ち出したり、外部に送ろうとしても、どこかで気付かれ止められる。通信も結界によって国外へ連絡を取れないように遮断されている。
「残された手段としては、計画失敗のための工作か、あるいは成功した計画のデータを持ち帰るかのどちらかだが……」
 現時点で国外に情報を持ち出せないのであれば、この計画そのものを妨害するか、あるいは完成した新型やそれにまつわる技術情報を持ち帰る、というのが彼女の役割ということになる。
「僕としては後者だと踏んでいるわけだけど」
「分かっていたのなら、何故……」
 エクターは身近にスパイを置いていたというのに随分と余裕そうな態度と表情だ。痺れを切らしたのか、ヴィヴィアンが小さく呟いた。
「簡単なことだよ。君に預けた資料にはでたらめしか書かれていない。それを持ち帰ったところで、今ここで開発しようとしているような新型機は造れない」
「……え?」
 小さく欠伸をしてから、エクターは何でもないことのように言い放った。
 それを聞いたヴィヴィアンが絶句する。
 アルザードは彼女と出会った時から、これまでのことを思い返した。執務室や休憩室に溢れかえっていた山のような書類の数々と、それを整理するために右往左往していたヴィヴィアン、そして自分が書いたであろう資料に一切見向きもしないエクター。
 実際、彼が凄まじく優秀でその全てが頭の中で完結していたというのもあったのだろうが、資料に関心が無かったことには多少なりともそれらが無意味なものだという事実も含まれていたのかもしれない。
「もっとも、仮にあの資料から新型を造り出せたところで運用できる段階には持っていけないだろうけどね」
 そう言って、エクターは笑った。
 アルザードに説明したような大まかな概念図のようなものはともかく、これまでにエクターが資料として書き出した数値や計算式、魔術式や理論は全てでたら めなものなのだと言う。作業員たちへの指示は全てエクターが口頭で行っており、経過報告や途中の資料として残すように上から指示されている文書も彼自身が 全て手がけている。その数値や魔術式の通りに組み立てても、ここで開発しているような新型は絶対に造れない。そもそも、どれか一つでも形にすることさえ叶 わないだろうというのがエクターの言い分だった。
「それに、この計画の要は技術や情報だけじゃない」
 エクターの目がアルザードに向いた。
 そう、新型機にはそれを操れるだけの騎手が必要だった。
「奇跡的に、新型機が再現できたとしても、それを動かせる人材がいなければ意味がない」
 既に、新型はアルザードが乗るという前提で全てが調整され始めている。そもそもが常人では扱えない規格外の魔動機兵になるからと、魔力適性が測定不能な アルザードが呼ばれたのだ。現在、エクターが計算したというアルザードの推定数値から、各部の最適化調整が進められている。
「もはやこの新型はアルザード専用と言っていい。彼でなくては真価は発揮できないのさ」
 魔力適性がどれほど高い騎手が用意できても、今開発されている新型はアルザードという個人に合わせて調整されている。
「とはいえ、僕の知る限り、この世界に彼以上の魔力適性を持つ騎手は存在しないわけだけど」
 エクターがアルザードを呼び寄せる際に調べ上げた資料はアルフレイン国内だけでなく、調べられる限りの世界中の騎手に関するものだったらしい。
 敵国であっても抜きん出て魔力適性や戦闘能力が高い者は名が知れる。それでも、技量はあってもアルザードのような規格外の魔力適性を持つ者は見当たらなかったのだ。少なくとも、今現在、エクターが知りうる範囲においては。
 となれば、アルザード以外に新型を運用できる騎手はおらず、先の実験のことも踏まえれば、多少魔力適性が高い程度ではまともに武器さえ握れない癖に消耗だけは激しいという代物になってしまう。
「大方、君を送り込んだのはモーガンの差し金だろう?」
 エクターの出した名前に、ヴィヴィアンの体がぴくりと震えた。
「モーガン……まさか、モーガン・レファイ?」
 アルザードの言葉に、エクターは頷いた。
 モーガン・レファイとは、魔動機兵という存在を生み出した天才科学者だ。アルフレイン王国からは東方のセギマと南方のアンジアを挟んだ大陸南東にあるベ クティアという国に住む魔動工学の技術者で、魔動機兵、つまるところプリズマドライブを開発した人物として一躍有名になった人物だ。
「まったく……あいつは何も変わっていないんだな。まぁ、変わるような奴だとは思っていなかったが」
 ヴィヴィアンの態度から確信を得たのか、エクターは大きくため息をついた。
「知り合いですか?」
「ああ、よーく知っているよ」
 アルザードの問いに、エクターは心底つまらなさそうに答えた。
「そもそも、プリズマドライブや魔動機兵は僕と奴で共同研究していたものなんだ」
 エクターはかいつまんで、モーガンという人物について語り始めた。
 それによると、モーガン・レファイはアルフレイン王国でエクターと共にプリズマ結晶を用いた新しい技術の開発研究をしていたのだと言う。
「ところが、あいつは研究が完成すると資料の全てを持ち去ってベクティアに亡命し、そのままプリズマドライブと魔動機兵を発表し実用化したのさ」
 本来ならば共同研究者であるエクターと共に発表するべきものを、自分一人だけの手柄としたのだ。
「エクターは、その時どうしていたんだ?」
「寝ていたよ」
 愕然とするアルザードの問いに、エクターは肩を竦めてそう言った。
「あの時の追い込みは徹夜続きだったし、目が覚めた時には奴は全てを持ち出した後だった。幸い、研究所の皆が僕のことを守ってくれたらしくてね、この通り生きている」
 恐らくは、どこかのタイミングでベクティアがモーガンに接触し、研究の横取りを持ちかけたのだろうというのがエクターの見解だった。モーガンは研究が完成し、疲労困憊で眠りについたエクター諸共研究所を破壊しようとした。
 研究所にいた者たちがエクターを守り助けたとのことだが、眠っていた当の本人には、その時何があったのか詳しいことは分からないらしい。
「目が覚めたら、見知った顔がほとんどいなくなっていたけどね」
 そう呟くエクターの表情に、寂しさはあれど怒りや恨みといった激情はないように見えた。
「で、モーガンのやつは魔動機兵を開発した立役者になったわけだ」
 エクターの目がヴィヴィアンを見る。彼女はばつが悪そうに顔を逸らした。
「もっとも、資料なんかなくても僕はあいつと研究していたプリズマドライブや魔動機兵の理論については全て記憶しているからね。無くなった資料を用意するぐらい、時間さえあればどうとでもなった」
 エクターの持つ特異体質は、どんな短時間であっても、自分の目でみたものをそのまま記憶し、忘れることができないというものだった。それは単に記憶力が 良いというレベルを遥かに凌駕するもので、注視していないはずの景色の隅々まで、エクターは鮮明に思い返すことができるほどのものだ。
 資料として書き出す時間さえあれば、エクターは奪われたものを完全な形で再現することができたのだ。
「そうか、だから……」
 アルザードにはそれを聞いて、納得することがあった。
 魔動機兵はベクティアを発祥として、世界中に広まった。だが、その順番はベクティアから周囲に広がったのではなく、ベクティアの次にアルフレイン王国が 実用化に漕ぎ着けたのである。同時に、アルフレイン王国の魔動機兵は他国よりも品質が上と言われていた。前線で戦っていたアルザードも、仲間や同僚たちと そういった話をしたこともある。
 魔動機兵を生み出した技術者の一人がいるのであれば、アルフレイン王国が良質なプリズマ鉱石の埋蔵量が多いという立地の他にも質が良いことの説明がつく。
「……僕は自分の興味のある研究が続けられさえすれば、手柄なんてどうでも良かったんだ。あいつに全部くれてやったって良かったと本気で思っている」
 エクターはヴィヴィアンの前で立ち止まった。
「あいつの考えそうなことは分かる。僕が奴を恨んだり憎んだりして、復讐のために何か隠し玉を研究開発しているとでも思っていたんだろう?」
「……概ね、その通りです」
 か細い声で、ヴィヴィアンは頷いた。
「まぁ、良い印象は持っていないのは確かだ。でも、恨んだり憎んだり、そういう感情はないと断言できる。こういう言い方をするとあいつは逆上するだろうが、今の僕にはね、モーガンという男はどうでもいい存在なんだよ」
 目の前におらず、研究や技術のことで議論もできない人間のことなど、どうでもいいと、エクターは言い切った。
「君が妨害工作などしなければ、僕は放っておくつもりだったんだけどね」
 エクターは深く溜め息をつきながら、白衣のポケットに突っ込んでいた右手を抜いて、ヴィヴィアンに向けた。その手には拳銃が握られている。
「一つだけ聞いておこうか。何故、妨害工作をした?」
「それは……」
 問い質すエクターに、ヴィヴィアンは目を伏せた。
「言ったはずだ。僕は見たもの、聞いたものを決して忘れない。実験の前後で、プリズマドライブから右腕に繋いだ魔力回路に施した魔術式の数値の一箇所に齟齬があった。あれは作業者たちには触れないように指示して、僕だけしか触れていない部分だ」
 緻密な計算によって成り立つ魔術式の一箇所が狂っていた。開発途中で、かつその真価を発揮するためには規格外の魔力を必要とする新型の右腕との接続部であるなら、その狂いは致命的なものとなる可能性が高い。どんな大惨事になるかさえ、分からないほどに。
「どうせモーガンの指示だろう? この研究が成功しそうなら妨害して失敗させておいて、情報は持ち帰って自分は成功させようって魂胆だ。上の連中からしたら、妨害なんてして君の素性がバレる方がリスクが高いって考えるはずだけど」
 そのエクターの推測は的中していたのだろう。ヴィヴィアンは苦虫を噛み潰したような表情を返す。彼女に与えられた指示や役割、その背景も全てエクターは把握しているかのようだった。
「抵抗はしないでくれると助かるんだけど……」
 突き付けられた拳銃を前に、ヴィヴィアンは静かに目を閉じたのだった。
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