序章 「異常な世界に」


 荒野を歩く人影は、今まで何度も繰り返し呟いてきた言葉を口から紡いだ。
 ――この世界は異常だ。
 青空を見上げる彼の表情は明るいものではない。元々鋭い視線は更に鋭く細められ、品の良い眉も眉間へと引き寄せられ、歪んでいる。固く結んだ口元は、常に歯噛みしているような状態だ。
 日差しによる熱から、体だけでなく頭部をも守る外套は見るからに使い古されたもの。貧相という問題よりも、荒野を歩いて移動しているだけでも普通ではない。しかし、彼には普通が通常ではなかった。
 ――何故、この異常に気付かない?
 怒りとも、呆れとも付かない感情。その答えは誰でも同じ。いや、厳密には、この男には当てはまらないが。
 この世界に生まれたから、この世界で育ったから。その世界が当たり前なのであり、通常なのだ。異常なところなどどこにもない。
「……俺は…」
 呟く声は掠れ、風に掻き消され、彼自身でさえも聞き取れない。
 魔力。この世界の全ての根本にある、七つの属性に分類される自然界の力。
 龍族。人間とは異なる進化を遂げた、強大な魔力と身体能力を誇る生命体。
 これだけでも本来ならば異常なはずだ。
 この世界の根本である魔力の源は何なのか、常にこの世界に溢れているその魔力は枯渇しないものなのか。魔力は既に世界中で生活に関わっており、欠かせないものとなっている。しかし、それが当たり前の反面、異常な事であるはずなのだ。
 世界には魔力のバランスがある。人が使う魔力とは別として、世界を成り立たせていると言われる不変のバランス。そのバランスが崩れた時、世界は天変地異に襲われ、魔生体と呼ばれる奇妙かつ凶暴な化け物が世界に増殖する。そして、そのバランスを保つとされているのが、超高位の魔力を持つ龍族。
「……俺には……」
 声は先程の呟きよりも弱々しい。食料が尽きたために、最近はまともな食事も出来ていない。衰弱している体は重く、歩くだけの体力ももう残り少ないだろう。
「この世界は……」
 足を止め、近くの岩に背中を預けるようにして座り込む。立てた左膝の上に乗せた腕を見つめる。
 人が自身の内に秘められた魔力を引き出し、それを練り上げる事を、魔操術と呼ぶ。それにだって異常な点はいくらでも挙げる事が出来るはずなのだ。
 それにもかかわらず、誰一人としてその異常に気が付くものはおらず、全てを通常と考え、疑問に思う事すらない。これも異常ではないのだろうか。
「……異常過ぎる…」
 続く言葉を吐き捨てるように言い、彼は忌々しげに上空を見上げた。
 ――俺も、この辺りが限界か……。
 視界が霞み始めたのを意識して、思う。こんな場所で意識を失えば間違いなく命を落としてしまうだろう。だが、歩くだけの体力も最早限界だった。
 不意に、その視界の中に影が映った。もう、そこに何かがいる事しか判らない。そして、声が聞こえた。
 ――『契約』だ。
 と……。
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