第一章 「契約者」


 賞金首というものはこの世界では珍しいものではない。凶悪な犯罪者や、世界に害をなすと考えられるもの多くは賞金首となり、賞金稼ぎ等によって排除されている。大抵は魔生体と呼ばれる、自然界を保っている魔力の歪みによって生じる突然変異生物が駆除対象となっており、賞金稼ぎはそれらを駆除する事で世界政府から報酬を受け取って生活をする。明らかに人間以上の戦闘能力を持つ魔生体を駆除出来るのも、世界の全ての根本となっている魔力の存在故だ。それは全て生物にも関わっており、人間も魔力を操る術、魔操術を使う事が出来た。それが身体能力で勝る凶悪な生命体と戦える理由だ。
 最近になって、一人の男が賞金首となった。
 名を、アンスール・ライグナー。世界各地で街を破壊する等の行動を起こし、その戦闘能力の高さ故に高い賞金と、危険度を与えられた男だ。
 賞金首にはその戦闘能力によって危険度がつけられる。それは、賞金首は本来ならば政府直属の部隊が始末するものであり、賞金首として公にするのは、主にその目撃情報等を得るためだからだ。だが、政府の部隊でなくとも腕の立つ者は現れるもので、そういった者達が倒した場合、政府としては戦闘の手間を省けるわけだ。また、政府では手に負えない場合は、高い危険度が着けられ、腕利きの賞金稼ぎに依頼等がされるのだ。
 アンスールの危険度はS。最高ランクの危険度であり、この値になると政府直属の部隊でも歯が立たない事を意味する。無論賞金は数年は遊んで暮らせる程の破格。
「アンスール……」
 賞金首が張り出されている掲示板の前で呟いたのは一人の女性。
 歳はまだ若く、二十歳未満だろう。全体的に黒っぽい色の服を纏う引き締まった体は、賞金稼ぎをしてきた事を予想させるに十分であり、同時に相応に魅力的でもある。美人と呼べる顔つきの瞳は薄い青緑色で、それをやや濃くした艶やかな長髪。
 人間は瞳、虹彩の色に自らが強く帯びる魔力が表れている。彼女の場合であれば、魔力七属性のうちの聖・風・水の魔力属性が強く、その三種を扱う魔操術が使用可能だと判る。また、それは髪の色にも反映してくる。
 彼女、シェラル・ラズは賞金首の名前を呟いた後、その張り紙の成されている掲示板を持つ建物へと踏み込んだ。
 ギルドと呼ばれるそれは、ほとんど全ての都市に存在し、賞金稼ぎに情報を与えている政府直属の組織だ。賞金首の居場所もここで調査されており、情報を得る事が出来る。
 建物の中には小さな酒場や宿泊部屋等があり、数名でチームを組む賞金稼ぎの待合場にも利用出来る他、定住しない賞金稼ぎの宿も兼ねていた。
 シェラルが受付の前まで行くと、そこにいた中年の男が応対のために向き直った。
「賞金稼ぎの方ですね、何用でしょうか?」
 一度確認してから、男は用件を問う。
「情報が欲しいの」
「はい、何の情報でしょう?」
 敢えて『誰の』と聞かないのは、それが魔生体等の人以外の情報もあるからだ。
「アンスール」
「――!」
 男の表情に緊張が走り、ギルド内が静まり返る。
「……大陸の南東、フィアイル近辺にいると思われます」
 それでも要求した情報を言った受付にシェラルは小さく礼を言い、身を翻した。
 踏み出そうとしたシェラルだが、その前に立ち塞がるようにして一人の体格の良い男が現れた。
「おい、そいつは止めといた方がいいぜ、姉ちゃん」
「…それはどういう事かしら?」
「そいつに挑んだ奴で勝てた者はいないと聞く」
「私はあいつを殺すために賞金稼ぎになったの。止める理由はないわ」
 忠告する男に、シェラルは言った。険を含んだ言い方ではなく、ごく自然な受け答えとして。
「確かに、無粋だったな」
 そう言って男は身を退いた。
 賞金稼ぎにとって、賞金首を追うのは普通の事。それのランクが違うからといって引き止める権利は他人にはない。同じ賞金首を狙う賞金稼ぎでもなければ、口出しをしないのが礼儀でもある。
 シェラルはギルドから出た。
 現在地は大陸の東方の都市・クーク。フィアイルであれば南へ向かえばそう日にちをかけずに辿り着く土地だ。
(……こんな近くに来ていたのね)
 内心で呟く。恐怖よりも歓喜が先立ち、シェラルは身震いを一つ。
(私の、目的……)
 シェラルの故郷はアンスールが破壊した。その時から、シェラルは仇を討つために賞金稼ぎとなり、アンスールを追った。それが、今ようやっと、居場所が判ったのだ。
 自然と足は南方へと向き、都市から出ていた。右肩に引っ掛けたバッグには、フィアイルまで行くには十分な荷物が入っている。シェラルは逸る気持ちを抑え、目的地へと急いだ。

 *

 クークを出てから三日後の夜。日が沈んだ頃にそれは現れた。
 シェラルは歩みを止め、身構えた。腰の後ろから魔装銃を引き抜き、安全装置を解除した。
 魔装銃とは、魔結晶と呼ばれる魔力を帯びた結晶を使用した拳銃である。魔結晶は自然界の魔力が集められて出来たもので、それ故に強い魔力を帯びている。一般的な魔結晶は七属性のうち一つの魔力が集積されて出来、高い属性効果を持つ。魔装銃は、細長く削った魔結晶を弾倉とし、引き金によって、銃口から魔結晶として圧縮されている魔力を撃ち出す仕組みの兵器だ。魔結晶は魔力同様に属性があるため、その弾倉を取り替える事で発射する魔力の属性を変える事が出来るという利点がある。
 シェラルは弾倉に風属性の魔結晶を選び、周囲に警戒した。賞金稼ぎとして、過ごした経験が、周囲に魔生体がいる事に気付いたのだ。
 魔生体は、自然界の魔力のバランスが崩れた時に、その歪んだ魔力によって生み出される。それは、歪んだ魔力のみの化け物である時もあれば、その歪んだ魔力を浴びた動物が変質して化け物となる時もある。
 現在位置は見通しの悪い森の中。フィアイルの土地に入れば、周囲は荒野か砂漠が主体の風景となるため、まだそこまでは行っていないという事だ。
 森の中は視界が悪い上、障害物が多い。隠れ易いのはこちらも向こうも同じ条件で、戦闘としては一長一短の地形だ。
 木々の葉の擦れ合う音が激しくなり、シェラルはその音の大きい方へと振り向いた。そして、音が止んだ事にシェラルは首を上空へと向ける。
 異形の化け物がそこにはいた。
 首と同時に向けられた魔装銃から、魔力が撃ち出された。淡い緑色を帯びた閃光が化け物を貫き、その動きを止める。更に二度、シェラルは空中に発砲し、化け物を撃ち落した。
 目の前の地面に音を立てて激突した魔生体を確認し、バッグの中から記録素子を取り出すと、魔生体に端子を突き刺した。記録素子に魔生体の魔力と、その活動停止が記録される。これをギルドに提示する事で報酬を得る事が出来るのだ。
 シェラルは記録素子をバッグの中に戻し、歩みを再開した。
 その足元で、魔生体が崩れた。歪んだ魔力が、他からの攻撃を受け、その現状を維持出来なくなったために崩壊するのである。記録素子への記録は早めに済ませなければ金にはならないのだ。
 数十分程歩いた時、シェラルは周囲の異常に気付いた。
 明らかに感じられる魔力の歪み。魔力を持つがために、大抵の者はそういったものを感覚で捉える事が出来る。しかし、それは明らかに感じ取れる程に感覚に訴えるものではない。つまり、強大だと感じ取れるだけの魔力を感じられるという事は、それだけのものが近くに存在するという事だ。そして、歪んでいる事から、魔生体である事が判る。
 シェラルの体に緊張が走る。かつて戦った事のないような魔力の歪みだ。自分が扱える魔力の強さよりも遥かに大きい。
 魔装銃に弾倉が入っている事を確認し、周囲に警戒した。シェラルは用心しながら、自らが帯びる魔力を、銃を持っていない左手に集め始めた。
 魔操術は自然界にある魔力から、使用者が操れる魔力を抽出し、扱うものだ。より大きな魔力攻撃を行うためには溜める動作が必要不可欠となる。
 周囲の空気がざわめき、左手が魔光を帯びる。抽出した魔力は風。自身が扱える最高点まで魔力を引き出し、敵の出現に備えた。
 引き出された風属性の魔力が周囲に風を起こし、シェラルの髪を靡かせる。
「来たっ!」
 呟くのと同時、視界の中に化け物が飛び込んできた。
「オゥエア・ロード!」
 呪文と共に、集めた魔力を開放。前方一直線に凄まじい風が吹き抜け、あらゆるものを吹き飛ばして行く。その風は風圧だけでなく、物体に対して物理的な攻撃能力、かまいたちをも巻き起こし、吹き飛ばすのと同時に対象とその周囲を切り刻んで行った。
「――なっ……?」
 だが、シェラルの大技をまともに受けたはずの化け物は吹き飛ばされず、その場に留まっていた。
 体を守るかのように背にある翼で前面を覆い、魔操術を受け流していた。
「まさか、龍族が魔生体に……?」
 目の前にいるものは、大型種の龍族が歪んだ魔力を浴びて変化した魔生体だった。
 龍族は人間とは異なる進化を歩んだ種族で、外観からその名がついている。単体での身体能力と魔力は人間を遥かに凌ぎ、その能力や役割から天使と呼ばれる事もある。しかし、自身が耐えられない程の歪んだ魔力を浴びた場合、龍族も魔生体になる事があった。無論、人間も、だ。
 シェラルは息を呑んだ。
 一対一の状態で、人間は龍族には適わない。それも、相手はただの龍族ではなく、魔生体と化した龍だ。強力過ぎる魔力を感じたのも頷ける。
 対峙してしまった時点で、負けは確実と考えても良いだろう。
「っ!」
 魔生体と化した龍が翼を広げ、咆哮した。轟音とでも言うべき絶叫に、シェラルは体を硬くした。
 耳が痛むのと同時、龍がその頭をシェラルへと向けた。
 龍の口が開き、その喉の奥に光が生じた。そこから膨大な魔力が溢れ、開かれた口を全面に押し出すように首が伸ばされた。
「エア・ガルディア!」
 シェラルは咄嗟に風の防壁を生み出した。
 龍の口から放たれた爆炎が風の防壁によって阻まれる。しかし、強力な炎は風を生むものだ。炎を通す事はなかったが、防壁を貫いた強烈な暴風をシェラルはまともに受けてしまい、吹き飛ばされた。
「――ぁっ!」
 木に激突したのか、衝撃で肺から空気が吐き出され、呼吸が止まる。
 数本の木を圧し折り、止まったが、全身に痺れるようなダメージが残り、上手く立ち上がれない。口の中は渇き、緊張感のせいか鉄のような味がする。
 龍の周囲にあった木々は、炎で焼かれ、直後シェラルの張った防壁による突風で瞬間的に掻き消されていた。
「……ぅ…!」
 魔操術に使用する魔力を集めようにも、全身の痛みが集中力を散らしてしまう。呪文でさえも息が切れて上手く喋れない。
 呪文は魔操術を扱うための引き金となるイメージだ。土地や流派等、魔操術を教わる経緯により、使う言葉も、その効果も変わって来るが、重要なものの一つだ。無呪文での魔操術も可能だが、それには相応の集中力が要求されるため、普通の者はまず使わない。
 近くの木で体を支えたシェラルに、その支えに使った木を横から圧し折って、龍の尻尾が横殴りに激突した。凄まじい衝撃に、一瞬意識が飛んだ。
 更に数本の木々に激突し、圧し折り、地面を跳ねた。
「――ぁぐぅっ……!」
 肋骨をニ本程折られたようで、左脇に激痛が走った。魔装銃も取り落としていた。
「ぐ…くぅ……」
 シェラルは何とか身を起こし、龍を睨み付けた。
(折角、アンスールの手がかりを掴んだのに……!)
 対峙すらする前に死んでしまうかもしれない。もう逃走するだけの体力も隙もない。長年追い求めた敵をようやく見つけ出したというのに、それではあまりにも悔しい。アンスールが物凄く強いという事は聞いていた。しかし、シェラルだって相当危険な目にあって、それを乗り越えて追って来たのだ。こんなところで死にたくはなかった。
 狂った龍が、その首をシェラルに向けた。口に溜まっているのはまともに浴びたら消し飛んでしまうかもしれない程の膨大な魔力。今度は防壁を張るだけの気力もない。喰らえば、死ぬ。
(――ティール……!)
 シェラルは目を硬く閉じた。

 *

 日が沈んでからどのくらい経ったのか、早足に歩きながら考えていた。そろそろ寝る場所を確保しなければならない。
『レイム、感じるか?』
「――ああ」
 青年、レイム・ファングは自分の思考に直接話しかける声に答えた。
 歪んだ魔力の動き、魔生体の動きが感じられる。
「……龍があてられたな」
 その魔力の大きさから、レイムはそう判断を下した。魔生体は合計で二体いるはずだ。そのうちの一体はそれほどの強さはないだろうが、もう一方の持つ魔力は大きい。
『……む、一方が消えた』
 それが意味するのは、その場に人がいるという事だ。普通の人間では歯が立たない龍の魔生体が残ったのは言うまでもない。
 突風が吹いた。黒い長髪がその風に靡き、全身を包む程の大きめの外套をはためかせた。
 直後、木々が倒れる音が響いた。
『助けるつもりか?』
「どうせ通り道のようだしな、その方が手っ取り早い」
 声に答え、レイムは地を蹴った。
 前方には小さくだが狂った龍が見える。それへと突撃するように姿勢を低くし、駆けた。
 持っていた荷物入れの袋をその場に置き、空気抵抗を大きくする原因の外套を首元のボタンを外して脱ぎ捨てると、腰の後ろに交差させた鞘へと両手を伸ばす。
 体にフィットした黒いスーツは膝関節部に強化装甲が脛まで当てられ、胸部に対魔性の高い袖無しジャケット、右手は指抜きの手甲を身につけたレイムは首の後ろでまとめた長髪を後方へなびかせ、走った。
 視界が狭いと思うのは錯覚ではなく、事実だ。森の中のためでもあるが、レイムは左目でしかものを見ていない。右目は額に巻いたバンダナの一部を垂らして覆い隠しているからだ。
 腰の後ろにある一対の双剣を逆手に引き抜き、一方を眼前に、もう一方を背の方へと回し、構える。
『ヒエラルキー、ランク・プリンシパリティ、出来るな?』
 声が確認のために問うてくる。レイムは無言で頷いた。
 龍族には階級がある。ディーティ・クラスと呼ばれるものと、ヒエラルキー・クラスと呼ばれるものの二つの階級があり、前者は神龍と呼ばれ、世界を司る要となっている。後者はそれ以外の龍の事を指している。また、ディーティ・クラスには二つ、ヒエラルキー・クラスには九つのランク分けがあり、それが実質的な龍の階級だ。天使階級の第七位プリンシパリティ(権天使)であれば、まず普通の人間には適わない魔力と身体能力を備えているはずだ。
 魔生体となっている龍は、尻尾で何かを吹き飛ばしたように見えた。そして、次の攻撃のための魔力を集中しつつあった。
 レイムは跳躍した。鍛えられた身体能力がレイムの体を上空に持ち上げ、龍の首へと向かう。
 そして、レイムは龍の目に左手の短剣を突き刺し、しかし短剣を放さずに握り続け、龍の顔を大きく切り裂いた。龍の肉に食い込む刃の抵抗を利用して、レイムは自らの向きを変え、右手の刃をもう一方の目に突き刺した。
 絶叫を上げる龍は集めた魔力を散らしてしまい、首を振り回してレイムを叩き落そうとする。レイムはその力に逆らわず、龍の顔を切り裂いて刃を手元に戻すと、着地。全身のバネを上手く使い、その勢いを受け流す。
 一つ一つの刃が短い双剣では、一撃で深い傷を与える事は難しい。その分軽く、扱いやすいため、左右の連携で絶え間なく攻撃を仕掛け、着実にダメージを与えていくのが基本だ。だが、龍を相手にそれは難しく、やはり一撃で大きな傷を与えられなければ勝機はない。
 レイムは右手に握った双剣に魔力を集約させる。魔結晶で出来た刃が、集約された魔力に呼応し、その力を倍加させていく。
 右手の双剣の刃は黒色、邪属性の魔結晶で造られている。対する左手の双剣は銀色、聖属性の魔結晶で造られていた。そして、レイムの瞳は黒に近い紫。つまり火・水・邪の三属性の魔力を扱う事が出来、中でも邪属性が強い。右手の双剣だけの魔力を集約させているのは、邪属性が強いためだ。魔結晶に、同じ属性の魔力を集約させるとその効果は倍以上になるのだ。
 目が潰されたとしても、魔生体と化した龍は周囲の魔力を感知し、標的を探す事が出来る。魔力のみの魔生体であれば、痛覚等は存在せず、攻撃されて隙を作るような事はしない。痛覚があるのは元が生物だった名残りなのだろう。
 龍が尻尾を振り回し、レイムへと叩き付けるのを、近くの木を蹴飛ばすようにして大きく跳躍し、跳び越えた。
 集約させた魔力は、目の前の龍のブレスと同程度溜まっている。再度振られた尻尾を足場に、龍の首筋に接近。魔力を溜めた短剣を突き立てるのと同時に魔力を刃の方向へ一直線に開放。
 龍の首を一直線に漆黒の光が突き抜け、大穴を穿ち、頭部を吹き飛ばした。
 生物が元の魔生体ならば、脳がやられれば戦闘不能にさせる事が出来る。意識はないとはいえ、体を動かしているのは歪んだ魔力にあてられた脳だからだ。
 龍の死亡を確認したレイムは、周囲を見回した。薙ぎ倒された木々、多少焦げ後の残っている場所もある。その薙ぎ倒された木々の向こうから、人影が現れた。
 レイムはそれに確認する前に来た道を引き返し、荷物の入った袋と、外套を回収し、身に着けた。双剣も腰の後ろで交差させた鞘に戻した。
「……ティール…?」
 人影、脇腹の少し上辺り、丁度最も下の肋骨の部分に手を当てた女性は、そう呟いた。
 レイムは一瞥すると、魔生体化した龍に記録素子の端子を突き刺し、記録を済ませた。資金は多い方が良い。
「……あなた、ティールじゃないの?」
 女性は一歩近付き、レイムに言った。
「人違いだ」
 レイムは答える。明らかに、自分はティールという名前ではない。
「…あ……そう、みたいね……ごめんなさい」
 彼女の視線がレイムの右目に注がれ、残念そうに、それでいて申し訳なさそうに言った。
 レイムは周囲の様子を再度見回し、続いて空を見上げた。月が出ていた。その位置と、周囲の暗さから判断して、現在の大体の時刻を計算する。
「……助けてくれてありがとう」
「結果的にそうなっただけだ」
 礼を言う女性に告げ、レイムは森の脇に踏み入った。
「何してるの……?」
「今日はここで寝る」
 魔生体の暴れた直後の周囲には、野生動物はあまり近付かない。今夜はこの周囲で寝るのが最も安全だろう。
「ごめん…私も、いいかな?」
「…断る理由はないな」
 レイムは、辛そうに向かいの木に背を預けた女性を見て、先ほどの龍との戦闘で受けたダメージが残っているのだと判断した。手で押さえている位置からして、肋骨の骨折といったところだろう。
 レイムは袋から携帯用食料を一つ取り出し、口に入れた。多少パサついてはいるが、クッキーに近い食感とそれに近い味。一回分の食事に必要な栄養素は全てバランス良く配合されたもので、徒歩の旅には欠かせないものだ。向かいに座る女性も、同様に一つ口に入れていた。
「……あなた、龍を倒せるなんて凄いわね?」
 沈黙に耐え切れなかったのか、女性が口を開いた。
「賞金稼ぎよね? 誰か追ってるの?」
「……ああ」
 レイムは適当に答えた。答える必要はないが、答えないでいる必要もなかった。
『我等はアンスールを追っている、低級龍如き倒せずして奴は倒せん』
「――えっ! 何? 今の声!」
 女性が驚き、周囲に視線を走らせる。
「ディアロトス……、人に語りかけるなと言ったろ」
 レイムは額を押さえて呻いた。
『街中ではないのだ、良いだろう。話し相手がお前一人ではつまらん』
 声、ディアロトスが答えた。
 確かに、街中でないのならばそうそう問題にはならないだろうが、面倒ではある。説明しなければならなくなるからだ。レイムがそれをせずとも、相手は説明を望み、無視していればディアロトスが代わりにやってしまう。
 レイムは溜め息をついて、説明をする事にした。
「この声はディアロトスという龍のものだ。俺はそいつと召喚契約を結び、アンスールを追っている」
『召喚契約というのは、龍の全身を魔力で圧縮し、契約相手に身を預ける事を言う』
 ディアロトスがレイムの言葉を引き継いで説明を続けた。
 魔力による物質の圧縮というのは、並大抵の事ではない。龍族の持つ莫大な魔力の許容量がなければ出来ない芸当だ。厳密には『圧縮』ではなく、物質をそれを構成する魔力に分解し、自らの体の中や周囲の空間に溶け込ませるのだ。かなりの魔操技術が要求される。
『身を預け、行動を共にし、必要に応じて力を貸すというのが契約だ』
 龍族が人間と行動を共にするのは、龍がその姿のままで人間の都市の中に入る事が出来ないからでもある。また、大きさの規格が違うために、龍族には進めない場所を、人間が進める時があったりするからだ。
 人間と違い、長寿である龍族は召喚契約を結んだからといって、一生使役される事はない。ましてや、契約は双方の合意で成立しているために、龍族が拒否すれば契約相手に力を使役される事もない。
 そして、契約した龍族の意識は、契約相手についていき、魔力を媒介にして他者との会話も出来る。
「……大体は解ったわ。でも、アンスールって…?」
「俺達はそいつを倒すために契約を交わしている」
 レイムは即答した。
『奴がフィアイル近辺にいるという情報を得て、向かっている途中だったのだ』
「……そう」
 何かを考えるように、女性は黙り込んでしまった。
 ディアロトスが疑問符を投げかけてきたが、レイムは内心で肩を竦めて応えた。表面上は何も変わっていない。
 レイムは背を預けていた木に体重をかけるようにして頭上を見上げた。
 大きな方が青で、小さな方が赤の、大きさの異なる二つの月が、それぞれ相反する色を反射して輝いていた。
 そよぐ風を感じながら、レイムは目を閉じていた。防寒にも使える外套で身を包んで、いつでも眠れる状況であり、その下はすぐに行動を起こせる体勢でもある。
「……ねぇ、アンスールは強いの?」
「ああ、かなりな」
 意を決したように問い質してくる彼女の声に、レイムは目を開けもせずに応じた。
 アンスールは強い。Sランクの危険度では足りないとさえ思える程のレベルの相手なのだ。普通の人間では絶対に適わない事を、レイムは知っている。召喚契約者でもない限り、手も足も出ないはずだ。
『奴は上級龍ですら打ち倒せてしまうだけの力を持っているからな』
 レイムに同意するような口調で、ディアロトスが告げた。
 世界政府直属の精鋭部隊が、どんなに戦闘能力に優れているとしても、アンスールには勝てないだろう。戦略で押さえ込もうとしても無駄だ。
「……あなた達なら、勝てる?」
「……どうだろうな」
 一瞬の間考えてから、レイムは曖昧に答えた。
 勝つ気はある。それは間違いなかったが、実際問題として勝てるかどうかは判らない。ディアロトスとの契約をしていても五分五分といったところだろうか。もしかしたら負ける可能性の方が高いのかもしれない。
「私も、アンスールを追ってるの。だから、手を組まない?」
「断る」
 レイムは即答した。そして、目を開き、鋭く細めた左目で女性を射抜いた。
「足手まといだ」
 視線に気圧されたかのように、彼女は肩をびくりと震わせた。
 それを尻目にレイムは再び目を閉じた。
「そんな! 私だって腕は立つつもりよ?」
 抗議の声を上げる彼女に対して、レイムは目を開けない。拒絶の意思は伝わっているはずだ。
『威勢だけでは奴の足元にも及ばないぞ。先程の低級龍如き一人で倒せずして、奴と渡り合えるとでも思っていたのか?』
 レイムの代わりのつもりなのか、ディアロトスが言い聞かせるように言う。
 先程の戦闘の時、彼女は魔生体と化した龍には全くダメージを与えられていなかったのだ。実際に戦い、倒したレイムとディアロトスには、その龍が傷を負っていない事に気付いていた。そして、彼女は明らかに負傷していたのだ。
 それを指摘されたためか、彼女は視線を逸らした。唇を噛んでいるのは、目を閉じていたレイムには見えなかった。
『奴を人間と思っているうちは、勝てんぞ。そして、共に戦う者を気遣う余裕はない』
 ディアロトスの言葉は、レイムよりもいくらか優しいものであったが、内容は同じだった。
 遠まわしに、彼女では歯が立たないと言っているのだ。そして、そういった戦力にならない者がいる状態では、レイム達の動きが制限されてしまう事もあるのだ。
 全力で戦うために、彼女には手を引いてもらった方が良いのは確かだ。
「けれど、私は、あいつを殺すために賞金稼ぎになったのよ。死線は何度も越えてきたわ」
 それでもなお食い下がるその女性に、レイムは少々感心した。
『……そうか、お前もレイムと同じか……』
 ディアロトスが呟いた。
「え…?」
『…レイムもまた、奴に住んでいた街を壊滅させられてな……』
 それだけで彼女には伝わったのだろう、ディアロトスが言葉を切った。
 レイムの故郷は、アンスールによって壊滅してしまった。レイムはその街で唯一の生き残りであり、唯一〈アンスールと対峙して生き残った〉者なのだ。
「そう、あなたも…」
 女性の声は一瞬沈んだ。目を閉じて、彼女の表情を見ていないレイムは、恐らく彼女自身の過去と重ね合わせたのだろうと推測していた。
「やっぱり、私も一緒に行かせて」
「断る」
 レイムはバンダナで覆われていない左目を鋭く細め、再度彼女に向けた。
 今度は、女性は身震いする事はなかった。身体と表情を強張らせてはいたが、レイムの鋭い視線を受け止めても、視線を逸らす事もしなかった。
「俺はお前と共に戦う気はない」
 もう寝ろ、そう言ってレイムは目を閉じた。
 ディアロトスが溜め息をつくのが、レイムには感じられた。やれやれ、とディアロトスの心が囁きかけてくるのが伝わってきたが、レイムは敢えてそれに応えなかった。
 夜風を頬に感じながら、レイムは眠りについた。

 *

 日が昇る直前、レイムは目を覚ました。向かい側で、木にもたれて眠る女性に視線を向けてから、出来る限り音を立てずに立ち上がる。
 外套の裾を一度払い、砂埃を落とすと道へと歩み出た。
『……やはり、置いて行くか』
 ディアロトスの声がレイムへと向けられた。ディアロトスの声はレイムには確実に聞こえるが、他の者に聞き取れなくする事が出来る。
「ああ」
 一度振り返り、女性を一瞥してから、レイムは歩き出した。
 振り返る事も、ディアロトスとの会話もせず、半日程歩き続け、レイムは大陸南東の大都市フィアイルへと辿り着いた。
 フィアイルは大陸の中で最も火属性の魔力の強い地域だ。そのため、大地のほとんどが荒野、砂漠と化し、火属性魔結晶が産出し易い。そして、この土地で生まれたものは火属性が強くなる傾向にあり、その魔操術の教育に長けている土地でもある。
 この地方一帯を統括する大都市フィアイルに入るために検問を受け、レイムは都市内部へと入った。
 大抵の都市は、外部からの危険を防ぐために高い塀で囲んでいる。フィアイルとて例外ではなく、強固な壁で都市の周囲を囲み、魔生体やその他の賞金首の侵入を防いでいた。
『どう動くつもりだ、レイム?』
 レイムのみに語りかけるディアロトスに対し、ギルド、とだけ意思を伝え、レイムは歩き出した。
 人目の多い場所でディアロトスとの会話をするのは、周囲の目をひきつけてしまう。それはレイムにとってはあまり好ましくない事だ。それはディアロトスも理解してくれているようで、レイムの対応には文句を言わない。
 ギルドを見つけるのは難しい事ではなかった。掲示板が張られている建物はギルドだけであるし、どの都市でもすぐに見つけられる場所に建てられているからだ。
 レイムは真っ直ぐにギルド内へと足を踏み入れ、そのまま受付に歩み寄る。
「何の御用でしょう?」
 受付にいた女性が対応のためにレイムに向き直る。
 レイムは無言で記録素子を渡した。それを受付の女性が受け取り、奥の方へと向かった。解析と、それに見合う報酬を持ってくるためだ。戻ってきた彼女から、報酬を受け取り、レイムは口を開いた。
「アンスールの情報はあるか?」
「!……少々お待ち下さい」
 レイムの問いに、一瞬目を見開いた受付係は、一言告げると奥の方へと引っ込んだ。
 恐らくは最新情報の確認をしているのだろう。アンスールは各地を転々としているため、大体の居場所が分かっても、その地方内で動き回っている事が多いのだ。
 周りの喧騒は静まり、レイムへと視線が向けられていた。
「……現在、フィアイル内にいるようです」
 暫くして戻ってきた受付係は、強張った表情で告げた。
 都市内の検問は賞金首を通さないものだが、アンスールであればそこを突破するのは容易い事だろう。警衛兵ごときが敵う相手ではないし、検問を通らずに都市内に入る事だって出来るはずだ。魔操術を駆使して、都市の外壁を超えて侵入出来るだけの力を、アンスールは持っている。
「そうか」
 レイムは頷き、受付に背を向けた。
「――あんた、街中で戦闘する気か…?」
 ギルドを出ようと一歩踏み出したレイムは、前方に立つ人影に気付いた。
 鍛え上げられた大柄な身体に、軽装の対魔鎧と、戦斧で武装した厳つい男が、ギルドの入り口に立っていた。露出した肌には無数の傷跡が残り、その戦闘経験の多さを物語っている。短く刈り込んだ頭髪の下にある顔にも、いくつか傷跡が走っていた。
「さぁな」
 鋭さを持った視線に対して、レイムは曖昧に答えた。
「……奴の動きによっては、だ」
 レイムは男の目の前まで歩き、道を塞いでいる彼を見上げた。
「俺は、ヴィルダ・メギディア。アンスールを殺しに来た者だ」
 銀に近い、薄く緑がかった青色という複雑な色の虹彩を持つ瞳がレイムを見下ろし、耳元に囁きかけるように、レイムの道を開ける動作と同時に、彼は告げた。
 それは、レイムに対する挑発だったのかもしれない。アンスールの危険度からも判るように、その情報を得ようとする者は、アンスールと戦おうとする者だ。その情報を聞いたレイムがアンスールを追っているのだという事はすぐに判るだろう。
「……名前ぐらい教えてくれてもいいだろ?」
 無視された事に小さく苦笑し、ヴィルダはレイムに呼びかけた。
「……レイム・ファング」
 一瞬だけ立ち止まり、レイムは告げると、すぐに歩き出した。
『レイム、あいつ、かなりの者だぞ』
(……恐らく、ペインの一人だろうな)
 レイムはディアロトスだけに応じた。
 ペインというのは、刑罰を意味する世界政府の精鋭の事だ。それは部隊ではなく、一人の人間として存在し、人間を超越した戦闘能力を持ち、どうしても手に負えない存在が現れた時の対処に派遣される。一般には知られていない事だが、レイムはその存在を知っていた。
 アンスールの危険度は、最高位であるSを明らかに超えているものだ。そうであれば、ペインの人間が送り込まれても不思議はない。
 ヴィルダと名乗った男は、自らの魔力を、表面に現れぬように巧妙に制御していた。それは、普通の人間では感じ取れぬほどに巧みだったが、ディアロトスと契約しているレイムはそれを見抜く事が出来た。人が帯びている魔力は、普通は気配として認知されており、その魔力を制御する事で気配を消したりする事が可能だ。また、その人物の魔力の大きさや、魔操技術の高さなどもそこから推測する事が出来る。そして、その魔力を認知する能力も、個人の魔力容量の大きさや魔操技術の高さなどで異なっている。
 魔力容量の膨大な龍族との契約により、それらの能力が飛躍的に高いレイムには、ヴィルダの能力の高さを感じる事が出来たのだ。
『で、レイム、お前はどうするつもりだ?』
(まずは、奴の居場所を突き止めてからだな……)
 ディアロトスの問いに心で応え、レイムは通りを歩いて行く。
『……何かその当てはあるのか?』
(……ないな)
『奴が何をしようとしているのか、分かれば良いのだがな……』
 ディアロトスが悔しげに囁いた。
 ただ探し回るのも時間の無駄だ。それに加えて、アンスールがいつこの都市を離れるかも分からない。早いうちにアンスールの居場所を突き止めなければならない。
 人の多い都市内では、魔力の感知による探査は、対象が強大な魔力を纏ってでもいない限り当てにならない。アンスールは膨大な魔力を持っているはずだが、それを制御出来るだけの技術さえ身につけていれば、離れた場所からの探査には引っかかる事はまずない。
『……! レイム、強大な魔力が近付いてくるぞ!』
 ディアロトスが囁いた。
 契約しているレイムも、ほぼ同時にそれに気付いた。
 比較的都市の外側にいたから判ったものだが、検問の方からかなりの大きさの魔力を感じた。
(……魔生体か…?)
『行けば判るだろう。もしかすれば、アンスールの手がかりを掴めるかもしれんぞ』
 ディアロトスが囁くよりも早く、レイムは走り出していた。
 自分がいる都市で騒動が起これば、それを確認しようとアンスールが動く可能性もある。もし、それを一瞬でも見つける事が出来れば、後を追う事も出来るはずだ。
 魔生体が都市に攻撃を仕掛けてくる事は、そう頻繁にある事ではないが、珍しい事ではない。大抵は警備兵でも倒せる程度の魔生体が攻撃してくるため、都市を守るというのはそう難しい事ではなかった。だが、稀に大型の強力な魔生体が現れる事もあるのだ。そういった場合、その場にいる賞金稼ぎ達も撃退に参加する。そして、魔生体ではない場合、賞金首が攻撃を仕掛けてくる事もある。
 今、レイム達が感じている魔力は、大型の魔生体に匹敵する程の魔力を帯びていた。
 検問の辺りでは数人の警備兵が戦闘に突入していた。
『……こいつは、厄介な相手だぞ…!』
 ディアロトスが呻いた。
 そこにいたのは、一人の人間と、それを守るように戦う数体の魔生体だった。
「……魔生体使いか……」
 レイムは呟き、外套と荷物を近くにいた警備兵に一方的に押し付けた。
 魔生体は本来、誰の命令にも従わないものだ。しかし、魔操技術が巧みで、かつ十分な魔力を持つ者は、稀に魔生体を操る事が出来る。魔力の歪みを無理やり作り出し、魔生体を生成し、魔生体を魔操術で誘導し、戦わせる。それが魔生体使いの戦闘原理だ。
 特殊な方法の魔操術を用いるその技術は、政府からは禁忌の一つとして定められ、使用許可を得ずに使う者は危険人物と見做され、賞金首にされている。
「あら、次の相手はあなた…?」
 挑戦的な声がレイムに向けられた。
 警備兵が両腕の巨大な魔生体に弾き飛ばされた。まるでレイムまでの道を開けるかのように。
 そこには一人の女性が立っていた。片目を隠すように下ろされた、ウェーブのかかった前髪に、露出度の高い服に身を包んだ女性は、三体の魔生体を従え、レイムを見つめていた。
 警備兵はレイムの動きを見守るかのように、二人に対して距離を取っている。
「……弱い癖に嫌にしつこいのよね、警備兵って。折角アンスールに会いに来たのに、邪魔して欲しくないのよ」
「奴の仲間か?」
 苦笑を浮かべた彼女に、レイムは問い質す。
「そうね、私は彼に惚れているから」
 くすり、と女性が笑みを浮かべる。
「私は、リネルダ・ヴィンセル。あなたは?」
「……レイム」
 名乗った女の問いに答えるのと同時に、レイムは双剣に手をかけ、地を蹴って突撃した。
『力を使うか?』
(…様子を見る。奴の手掛かりを持っているかもしれない)
 ディアロトスの問いに、心で応え、レイムは双剣を構えた。
 相手は三体の魔生体と、一人の人間だ。巨大な両腕を持つ一体の魔生体と、大型の鳥のような翼を持つ魔生体に、狼のような獣型の魔生体の三体。リネルダという、魔生体使いは一歩後ろに下がり、自らは戦闘に参加しないつもりらしく、その傍らに護衛のように鳥の魔生体が降り立った。
 レイムに正面から飛び掛った獣型魔生体の前足の攻撃を、体勢を前に少しだけ屈むようにかわすと、すれ違いざまに右腕の剣で脇腹辺りを切り裂いた。続いてもう一体の魔生体が両腕を組むようにして固めた拳が振り下ろすが、横に一歩跳んで進行方向を僅かにずらし、最小限の距離で拳を回避し、左手の剣で魔生体の片腕を切り裂いた。
「…ふぅん、やるわね」
 感心したようなリネルダが呟いた。
 着地と同時に振り返り、飛び掛ってきていた獣を下から蹴り上げて後方に弾き飛ばし、レイム自身も後方に一回転して衝撃や速度を受け流し、両腕の発達した魔生体の横殴りの攻撃を、跳躍して回避する。空中にいる間に、右手の剣に魔力を集め、レイムは着地と同時に、背後から襲い掛かる獣型を振り向きざまに切り裂いた。上半身と下半身に引き裂かれた獣が、魔生体としての身体を維持出来ずに、崩れ去る。
「……これは、まずいわね…」
 リネルダは、そう呟くと、傍らに立つ鳥の背に飛び乗った。逃げるつもりだというのがすぐに判った。今逃げられてはアンスールの情報を聞き出せない。
「逃がすか……!」
 そのリネルダへと駆け出そうとするレイムの前に、両腕の発達した魔生体が立ちはだかった。
「邪魔だ……。ディアロトス!」
 一瞬で左手の剣を鞘に納め、左腕を掲げる。
 その左腕が淡い光に包まれ、その影が変化を始めた。膨大な魔力がその場所から溢れ出し、周囲の大気を震わせ、風を巻き起こす。腕の太さが倍近くになり、龍の頭部を思わせる腕当てのようなものが左腕に現れた。その龍の口が左手を包み隠し、前面に押し出される。
 召喚による力の発現である。龍の身体を生体鎧として身に纏う召喚は、使用者の意思に応じて、その召喚部位や召喚方法を変える事が出来、レイムの場合は左腕にその力を召喚していた。そのため、レイムの服は左腕の袖がが肩口からついていない。
「――!」
 リネルダが驚愕に絶句し、周囲の警備兵もその光景に言葉を失った。
「ブラスト・レイ!」
 言葉と同時に、左腕が纏った龍の口から、高濃度に収束された魔力が吐き出される。一瞬で圧縮され、収束された魔力の破壊力は凄まじく、周囲に突風を巻き起こし、大気を引き裂いた。
 それは魔生体を貫き、内側から一瞬で破砕すると、そのままリネルダへと伸びて行く。リネルダは鳥の背を蹴って空中に逃れ、魔生体を犠牲にする事で攻撃を回避した。そのまま落下中に大量の魔力を空中に放出して位置と姿を撹乱し、逃走した。
『……逃げられたか』
 ディアロトスの囁きに、レイムは召喚を解除する事で応じた。
 逃走の仕方も手馴れたものだった。魔力による探査から逃れるために周囲に魔力を放出して位置を撹乱すると同時に、その魔力を霧のようにする事で自らの身も隠し、視界も撹乱したのだ。すぐに追跡出来るものではない。
 荷物を預けていた警備兵から荷物を受け取り、外套を身に着ける。警備兵達は何も言えないようだった。それもそのはず、召喚契約の事を知っている者は一般人ではほとんどいない。
「リネルダ・ヴィンセル……厄介な奴が絡んできたな…」
 レイムに語りかけるかのように呟いたのは、ヴィルダだった。
「召喚契約者だったのか、なるほど、アンスールとも遣り合えそうだな…」
 そう言ってにやりと笑うヴィルダをレイムは無言で見返した。
 嫌味のある表情ではなかった。
「まぁ、互いに頑張ろうや」
 すれ違いざまにレイムの肩を軽く叩き、ヴィルダが囁いた。
『確かに、魔生体使いが絡んでいるとなると、厄介ではあるな』
 アンスールに惚れたと言った、リネルダは、レイムがアンスールを追っていればいずれまた現れるだろう。魔生体使いは味方を増やす事が出来るため、敵に回すと厄介なのだ。
(……だが、奴を追う手掛かりにもなる)
 レイムはディアロトスに応えた。
 リネルダはアンスールに会いに来たと言っていた。つまり、彼女もアンスールを追っているのだ。彼女を追いかけていてもアンスールに辿り着く事が出来るし、辿り着けずとも、何かしら手掛かりになるのは間違いないだろう。
 レイムはリネルダのいた空中に視線を投げた。既に魔力による霧は晴れ、澄んだ青空があった。
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