第二章 「衝突」


 丁度、シェラルが検問を終えてフィアイル内に入った頃だった。昨夜負った身体の傷は彼女自身が魔操術で治療していた。人間の身体はその名七十パーセントが水分で出来ており、それ故に水属性の魔操術で治癒が可能なのだ。最も、彼女が治せるのは傷だけだが。
 背後で叫び声が聞こえ、振り返ったシェラルは三体の魔生体が空中から降りてくるのを見た。一つは獣、もう一つは腕の発達したもの、最後の一つは鳥のような魔生体で、背に女性を乗せていた。
 降り立ったのは、ウェーブのかかった長髪が片目を隠した妖艶な女性だった。
 警備兵達がそれぞれ武器を構えて包囲するが、女性は全く慌てる事なくその包囲網を見渡し、呟いた。
「止めといたほうが良いわよ?」
 その言葉に、シェラルは一歩足を退いていた。
 絶対的な自信が感じられた。それは虚勢ではなく、警備兵達の戦闘能力や、包囲による戦略的なものも全て踏まえた上での忠告に聞こえた。そして、魔生体を従えている以上、それは事実だった。
 シェラルも魔生体を操る事の出来る人間がいる事は知っていたが、実際に目にしたのは初めてだった。
 魔生体は自らの魔力を隠そうとせず、力を誇示するかのように敵意を放っている。その魔力の大きさがシェラルには勝ち目がない事を悟らせていたのだ。
(恐らく、警備兵じゃ勝てない……)
 シェラルが思った直後、一人の警備兵が剣を振り上げて突撃し、それに感化されて周囲の兵達も攻撃を開始した。
 一斉に攻撃を受けた彼女等は、反撃に転じた。凄まじい速度で獣が飛び出し、突撃してきた兵士を片っ端から腕で弾き飛ばしていく。腕の発達した魔生体が、獣の逃した警備兵を吹き飛ばし、残った鳥は女性の傍らでそれを傍観していた。
「…手加減してくれてるのね」
 苦笑を浮かべた女性が呟くと、戦っていた二体の魔生体が女性の傍らへと戻ってきていた。
 警備兵はほとんどが吹き飛ばされ、皆が攻撃を躊躇していた。圧倒的な力を見せ付けられ、勝てない事を悟ったのだろう。並の賞金稼ぎでは歯が立たないはずだ。魔生体を操れるだけの魔操技術を持った相手では、普通の人間は一対一でも不利だ。
 無論、シェラルが勝てる相手でもなかった。
「あら、次の相手はあなた…?」
 そう言った女性の視線を追ったシェラルは言葉を失った。
 荷物を近くの警備兵に押し付けた青年がいたのだ。長い黒髪を首の後ろで束ね、右目を覆うように斜めにずらしたバンダナを巻いた青年、名前は確か、レイム。左腕の袖が肩口からついていない黒いスーツに、袖なしのジャケットを着込み、脛までをカバーする膝の強化装甲に、右手は指の部分のない黒い手甲をつけている。腰の後ろには交差するように短剣が二振り。
「……弱い癖に嫌にしつこいのよね、警備兵って。折角アンスールに会いに来たのに、邪魔して欲しくないのよ」
「奴の仲間か?」
 苦笑を浮かべた彼女に、レイムが問い質した。
「そうね、私は彼に惚れているから」
 くすり、と女性が笑みを浮かべる。
 その笑みは普通の女性として見ればかなり魅力的なものだったろうが、言葉を聞いたシェラルはそれよりも恐怖を覚えた。
 この強大な戦闘能力を持つ女性が惚れたというアンスールは、少なくとも彼女と同程度の戦闘能力を持っている事になるだろうからだ。でなければ、これだけの力を持つ彼女がわざわざ会いに来たりはしないだろう。
 加えて、会いに来た、という言葉から、アンスールがこの都市にいるという事も知った。
「私は、リネルダ・ヴィンセル。あなたは?」
「……レイム」
 その短い遣り取りの直後、レイムが駆け出した。警備兵等とは比べ物にならない瞬発力で一気に距離が詰まった。
 レイムの戦闘能力は凄まじく、襲い掛かる魔生体を無駄のない動きであしらい、反撃して仕留めていた。周りの誰もが息を呑んだ。
 最初は感心していたリネルダもまずいと思ったらしく、何か呟くと鳥の背に乗って逃げようとした。
 そして、それは起きた。
「邪魔だ…ディアロトス!」
 レイムが言った直後、膨大な魔力がレイムの左腕を包んだ。背筋に寒気が走る程の強大な魔力がレイムの腕を包み、形を変えて現れた。龍の口を思わせるそれを飛翔したリネルダへと向け、レイムが口を開く。
「ブラスト・レイ!」
 瞬間、空気を裂くような音と共に凄まじい突風が周囲に吹きつけ、膨大な魔力が一筋の閃光となってレイムの左腕から放たれた。
 周囲の人間達は絶句し、シェラルもまたそれを信じられない思いで見ていた。
 リネルダは鳥を犠牲にして何とか逃走したようだったが、レイムはそれを無表情で見つめた後、左腕を戻した。
 ディアロトスという名前と、前日に龍族と契約したという事を聞いていたシェラルには、それが召喚というものなのだと、ぼんやりだが理解する事が出来た。
 同時に、彼が昨夜、シェラルの提案を断った理由も、実感出来ていた。
 次にレイムに視線を向けた時、そこに彼の姿はなかった。

 *

 人通りの多い大通りを避け、レイムは裏手の細道を歩いていた。
 と、前方に人影が見えた。建物の影に背を預けるようにして男が佇んでいた。
「……来たか」
 閉じていた目を開け、男がレイムの前に立ち塞がる。
「――アンスール!」
 その男は紛れも無くアンスール・ライグナーであった。
 赤銅色の虹彩、適当に伸ばされた赤髪に、足までを覆う、レイムのものに近い長い外套。鋭く細められた視線はそれほどキツい印象はなく、品の良い顔立ちをしている。
「お前は……ペインではないな…?」
 アンスールが眉を顰め、呟いた。
 それは、明らかに人違いの反応であった。
「俺がペインの一人、ヴィルダだが?」
 レイムが何かを言うよりも前に、その背後からヴィルダが進み出た。
「……なら、お前は…」
 アンスールが視線をレイムへと向ける。レイムの事を知らないといった様子だ。
「…レイム・ファング。忘れたとは言わせない」
「――! そうか、お前は、あの時の…」
 ファングという名に、アンスールは反応した。
 それもそのはず、彼がレイムの街を襲った理由は、ファングという名を持つ家系に用があったためだ。
「……アンスール・ライグナー、貴様は何を企んでいる?」
 レイムとアンスールの会話を遮るように、ヴィルダが問いを発した。
 その問いはレイムも知りたかったものであるため、気分を害する事もなかった。
「――世界の解放だ」
「何だと? どういう意味だ?」
 ヴィルダが眉を顰め、訊き返す。
「お前等はこの世界が異常だとは思わないのか?」
 アンスールは、ヴィルダに対して逆に質問をぶつけた。
「……俺はこの世界を開放するための手段を探してきた。ようやく、その方法が解った時に邪魔をされたくはない」
「開放だと……?」
 アンスールの言葉にヴィルダは一歩近付くようにして問う。
「……司器、ハイペリオンは手に入れた。後は神殿の場所さえ分かれば良い段階だ。ペインならば知っているはずだ」
「……!」
 ヴィルダが息を呑んだ。
 司器、それは高純度の魔結晶によって造られた武器の事を指す。それは、ただ高純度なのではない。世界に存在するどの魔結晶をも遙かに凌ぐ魔力を秘め、その魔力の強大さ故に持ち主を選ぶ、究極の武器だ。その魔力を扱うに足りぬ者が持てば、その魔力を制御し切れず、武器を構える事も出来ないと言われている。遙か昔に造られたというそれは、その高い危険性から隠されていたのだ。
 そして、神殿。これは世界各地に七つ存在するもので、龍族最高位、神龍とも呼ばれる龍が世界を司っている、いわゆる聖地の事だ。
 その場所を知る者は世界でも一握りしかいない。理由は簡単、それらを破壊された場合、世界が崩壊すると言われているからだ。高位の龍族か、政府の頂点付近の者達ぐらいしか知らないのだ。
 レイムはディアロトスから、それらの事は聞かされていた。ただ、ディアロトスはディーティ・クラスの龍族ではないため、細かい部分は知らないようだったが。
「……神殿の場所を教えてくれ。街中での戦闘は避けたい」
 アンスールがヴィルダに告げる。
「……断ったら?」
「そちらの行動次第だな。邪魔をしないのであれば、戦う必要もないだろう」
 数瞬考え、ヴィルダが確認するかのように尋ね、アンスールは答えた。
「……教えるわけにはいかない。それに、貴様を逃がすわけにもいかん」
 ヴィルダが身構える。背中の斧に手をかけ、片手でそれを構えていた。刃の部分が大きく、持ち手の部分にまで刃が来る程のものだ。
「……やむを得んな」
 アンスールはそのヴィルダに対して、暫し黙考した後、呟いた。
「街中での戦闘を避けたいのではないのか?」
 アンスールに対し、ヴィルダが問う。
 先程アンスールが言った言葉を、彼自身が覆した事がヴィルダの癇に障ったようだ。ペインにはかなりの権限が与えられており、その中には、対象駆除の際の被害を問わないという部分もあるのだ。
「この世界に準じている者達など、巻き込んでも問題はない」
 アンスールが答える。
 途端、ヴィルダから凄まじいまでの魔力が周囲に発された。突風が周囲に巻き起こる。
 ペインの人間は誰もが常人を遙かに凌ぐ魔力と魔操技術、戦闘技術を持っているため、魔力による存在感はかなりのものとなる。だが、ペインは表立って行動する組織ではなく、むしろ裏で事を終わらせるのが目的の部隊なのだ。常人を超える能力によってその存在感さえも制御し、一般人に紛れ込んで情報などを集め、仕事を進める。その、一般人として紛れ込むために抑制していた全魔力を解放したのだ。それが本来のヴィルダの力なのだ。
「レイム、これは俺のペインとしての戦いだ。手を出さないでくれ」
「……いいだろう」
 ヴィルダの言葉に、レイムは少し間を置いて答え、一歩後退した。
 視線をレイムへと向けないヴィルダの目付きは、今までのそれとは明らかに違った。誰とでも打ち解けそうな人懐っこさのある目ではなく、狩人の目付きだった。
『いいのか、レイム?』
 ディアロトスがレイムにのみ通ずる声で問うてくるのに、心で頷き、応じた。
 レイムはアンスールを討つために生きてきたのだ。そのアンスールを目の前にして、レイムは戦いたいはずなのだ。それを察して、ディアロトスが声をかけたのだろう。だが、レイムもただ単に頷いたわけではないのだ。それを理解したらしく、ディアロトスも何も言わなかった。
「二人で来ても構わんのだがな…?」
「ペインを舐めるなよ……」
 アンスールの挑発に、レイムは動かなかった。
 ヴィルダが地を蹴り、レイムにも達する程の速度でアンスールまでの距離を詰め、戦斧を振り上げる。
「……良い腕だな」
 アンスールは呟き、さっと身を翻した。
 その動作で外套を脱ぎ捨て、ヴィルダの視界を覆うように投げ付けると、後方に跳躍し、距離を取った。
 ヴィルダは片手をかざし、前方の外套目掛けて掌から白銀の閃光が放たれ、布を引き裂いた。そのまま突き抜ける閃光をアンスールは立ち位置をずらして交わし、手甲のついた掌を手の甲を前に向けるようにして上空へとかざした。
「――司器・火総戦槍ハイペリオン、召喚!」
 その瞬間、手甲が弾け飛び、その下に刻まれた深紅の紋章が光を放った。深紅の、炎を思わせるその紋章が、アンスールの周囲に熱風を巻き起こした。
 その掌の部分から深紅に輝く棒が左右へと伸び、一方にだけ大きな刃が形成される。魔圧縮の解除による、武器の再形成だ。
 深紅に塗られた棒は輝きを失い、武器の柄となり、アンスールの手がそれを掴み、握り締める。
 棒の先にある刃は菱形のような刃だ。ただ、その刃は異常なまでに紅く、どの龍族をも上回る膨大な魔力を発していた。それはディアロトスさえも超えうるものだ。その膨大な魔力を秘めた刃は、その力故に熱気を帯び、周囲の空間を揺らめかせている。
 ヴィルダはそれに一瞬驚きながらも、戦斧を握りなおし、刃に魔力を帯びさせると再び地を蹴った。
 アンスールが頭上にかざしていた刃を正面に構え、左手を添えた。そうして、後方に引くと、向かってきたヴィルダの振り下ろす斧へと横合いから叩き付けた。その槍が、炎を帯びる。
 刹那、凄まじいまでの衝撃が周囲の大気を震わせた。魔力同士のぶつかり合う、独特の音が路地裏に響き渡る。
 吹き飛ばされた斧に引っ張られるようにして自らも吹き飛ぶ事で力を受け流し、空中で身体を捻って体勢を整え、着地したヴィルダがアンスールを睨みつける。
「……成る程、軽く振っただけでこれだけの威力が出るか」
 アンスールが呟く。
 そして、槍を勢い良く振り、右脇に柄の後方を挟むようにして構えた。
「……一度確認しておこう、退く気はあるか?」
「ないな」
 アンスールの問いに、ヴィルダは答えた。
 恐らくは、本気で戦うという意思表示なのだろう。レイムは更に数歩後退した。軽く振っただけであれだけの威力のある槍だ。全力で振り回した場合、周囲にも被害が出るだろう。
 ヴィルダは斧に傷がない事を確認すると、再度その斧に魔力を帯びさせ、強度と威力を上昇させた。だが、それは気休めにしかならないのはヴィルダ自信も解っているだろう。
 アンスールが槍を横合いから薙いだ。瞬間、炎を帯びた刃がヴィルダへと向けて放たれ、それを横に跳んで回避したヴィルダが左手から白銀の光弾を撃ち出した。その魔力の塊を槍で切り裂き、打ち消したアンスールが跳躍した。ヴィルダと同じか、それ以上の素早さで接近し、すれ違いざまに炎の槍を一閃。それを身を投げ出して回避したヴィルダが着地と同時に光弾を放ち、再度駆け出した。
 斧で攻撃しないのは、その一撃をカウンターとして使おうとしているのだろう。槍によって斧の攻撃を防がれれば、斧の方が破壊されてしまうだろうからだ。そのため、槍・ハイペリオンの攻撃を凌ぎ、武器を振り切って反撃にそれを使えない状態の時に斧での一撃を見舞うつもりなのだ。
「せいっ!」
 気合と共にアンスールが槍を振り上げ、縦に叩き付けた。その刃から生じた炎が刃を延長するかのように伸び、振り下ろされ、一直線に爆炎が巻き起こった。
 それを横に転がって回避したヴィルダが持っていた斧を思い切り投げ付けた。それを後方に跳んで回避したアンスールへとヴィルダが両掌をかざした。膨大な魔力がその手の間の空間に集約する。
「セイクリド・ブラスト!」
 呪文と共に、集約した強大な魔力が魔操術として練り上げられる。膨大な魔力が周囲の大気を引き寄せ、ヴィルダに向けて風が巻き起こった。
 白銀色を帯びた魔力が渦巻き、周囲に突風を巻き起こし、一直線にアンスールへと向かう。その凄まじい速度は着地直後のアンスールに回避する暇はない。
「はぁっ!」
 アンスールが強引に槍を横に振るった。深紅の刃が陽炎を軌跡として残し、横薙ぎに閃く。
 白銀の魔力が刃の魔力によって切り裂かれ、上下に分かれ、一方は地面に穴を穿ち、一方は空へと突き抜けて四散した。地面に穿たれた穴は、その見た目に反して深いものだった。
「……成る程、これは厄介だな。ハイペリオンが馴染んでいない今は脅威になり得る」
「……奥の手があるってか、させねぇ!」
 アンスールが呟いたのを聞き逃さず、ヴィルダが地を蹴った。
「時間をかけるのも惜しい、使わせてもらおう」
 アンスールが槍を逆手に持ち替え、刃を地面に突きたてた。瞬間、アンスールを守るかのように周囲に炎が吹き上がった。その赤髪が生じた風圧に逆立つ。凄まじい熱気と、生じた風がヴィルダの足を止めさせた。
「……ラグニード・召喚……!」
『――ラグニードだとっ……?』
 アンスールの言葉に、ディアロトスが動揺を隠し切れない様子で呻いた。勿論、レイムにしか聞こえない声で、だ。
「……まさか…!」
 レイムは呟いた。
 アンスールの周囲に新たな魔力が湧き上がり、アンスールを包み込む。服が吹き飛び、アンスールの全身が光に包まれ、その形を変えていった。全身を鎧のように光が包み、背中から光が伸びて二対の翼を形作る。
 燐光が収まった時、丁度炎も消えた。
 足先から頭頂部までをを覆うのは龍族の生体鎧。背中にある二対の龍の翼に、頭部は龍の頭を思わせる兜に包まれ、顔だけが肌の露出している部分だった。
「…召喚契約者だと……!」
 ヴィルダが息を呑んだ。
(完全召喚……)
 レイムは更に一歩後退した。その背中を汗が伝っていた。
 凄まじい魔力が渦巻いていた。ディアロトスに匹敵するか、もしくはそれ以上の魔力を感じ取る事が出来た。
 加えて、司器・ハイペリオンの魔力と、アンスール自身の魔力がそれを引き立て、混ざり合い、驚異的な魔力を発していた。
 完全召喚は最も効率の良い召喚方法と言えるが、これには主に二種類のタイプがある。
 龍族はその能力が高くなるに連れ、二種類に区分されている。一つは身体が大きく成長し、攻撃・防御能力と魔力の上昇する一般的な龍タイプだ。そして、もう一方は身体は小柄な人型に近くなり、素早さと魔力に秀でる龍人タイプだ。無論、素早さが秀でているから攻撃能力が劣っているわけではなく、個人差がある。
 そして、そのタイプ分けは完全召喚の時に大きく左右される。
 前者、龍型では完全召喚は契約相手の龍そのものが現れ、契約者である人間は、その龍と共に戦うか、または龍の身体の中に取り込まれる形で守られるのだ。後者、龍人型では契約相手の身体が生体鎧として全身を多い、契約者の人間の鎧となり、身体能力を飛躍的に上昇させると同時に、龍によっては翼を与え、飛行が可能となるものさえいる。
 アンスールが契約したラグニードという龍族は恐らく龍人型なのだろう。
『……ふふ、俺を召喚するに足る人間がいたか』
 その場にいる者に、空間に存在する魔力を通して声が届いた。
『……ラグニード…』
 ディアロトスが歯噛みするのがレイムには解った。声を周囲に放たなかったのは、レイムの意思が伝わっていたからだろう。
(確か、お前が追っている相手だったな…)
 レイムはアンスールへと視線を向けたまま、ディアロトスにだけ聞こえるように心の内で呟いた。
 苛立つディアロトスをそのままに、レイムはアンスールに注意を戻した。
「行くぞ」
 静かに、アンスールが告げた。
 刹那、ヴィルダの背後にアンスールが移動し、灼熱の炎を刃に纏った槍を突き立てた。
「――っ…!」
 間一髪のところでかわしたヴィルダは、振り返りざまに、手に魔力を集めて生成した白銀の剣を叩きつけた。かわしたとは言え、左肩が、掠めた槍によって焦がされていた。
 アンスールは左手でその剣を受け止めると、いとも簡単に握りつぶした。白銀の魔力は柄の部分を残して周囲に散ってしまい、ヴィルダが愕然とした。
 そこに回し蹴りが見舞われたが、これもヴィルダはなんとか回避していた。しかし、その直後にヴィルダの腹部に一筋の切り傷が走り、服が裂け、その下の肌に赤い血が滲んだ。早すぎた蹴りの風圧で切れたのだ。
 それに気を配る暇もなく、アンスールが槍を振るった。切っ先がヴィルダの服を刻み、浅い傷を増やしていった。
 明らかにヴィルダが遅れ出していた。逆に、アンスールは少しずつ攻撃の速度を速めている。
『久々の召喚だからな、これで感覚を取り戻しとけよ』
 わざと周囲に伝わるように声を飛ばしたラグニードに、ディアロトスの意思が震えた。
(……動くな、ディアロトス…!)
 レイムは強い意思でそれを制し、ヴィルダとアンスールとの戦闘を見つめていた。
 一方的な攻撃ではあったが、ヴィルダは懸命に足掻いていた。少しでも戦闘を引き伸ばし、勝機に繋がる隙を窺っていたのだ。だが、その隙を見い出す事は出来なかった。龍族の力を得たアンスールは凄まじい速度でヴィルダに攻撃を仕掛け、今まで掠り傷に止めていたダメージも、深い傷を負うようになっていた。
「――がふっ…!」
 そして、遂に勝敗が決した。
 ヴィルダの腹部をハイペリオンが貫いていた。アンスールはそれを無表情なまま横に振り、ヴィルダの脇腹を引き裂いて槍を手元へと引き戻した。膝を着き、倒れたヴィルダの傷口付近は焼け焦げ、出血はないが、それが体内にかなりのダメージを与えているのだろう。
「……神殿はどこだ、ペイン」
 アンスールが槍の切っ先をヴィルダの眉間に突きつけた。
 それを倒れた姿勢から見上げるヴィルダの瞳には答える意思はないように見えた。
「そうか、ならば――」
 槍を振り上げたアンスールは、しかしそれを振り下ろさずに動きを止めた。
「――アンスール……っ!」
 人影がレイムの脇を擦り抜け、アンスールに突撃して行った。その呟きはレイムに聞き取る事が出来た。
(あいつは……!)
 レイムは絶句した。
 その人影は昨夜助けた女性だった。彼女は手に握り締めた魔装銃をアンスールへ向け、引き金を絞った。その女性へとアンスールの視線が向けられた。
 レイムは舌打ちすると駆け出した。

 *

 シェラルはレイムが脇道に入るのを偶然見つけ、後をつけた。運が良かったと言えた。
 恐らく、レイムに気付かれれば一緒に行こうとするのを拒否されるだろう。自分が大した戦力にもならない事は、昨夜の一件で思い知ったはずだ。
 昨夜出遭った龍族の魔生体、しかも、レイムの契約相手であるディアロトスはあれだけの強さの龍族を低級龍と呼んだ。レイムはあっさりとそれを打ち倒し、彼だけでなくシェラルの追っている相手でもあるアンスールも、低級龍を楽に倒せると言う。そして、先程のリネルダと名乗った女との戦闘で使ったディアロトスの力。
 腕は立つと言っても、シェラルは所詮普通の人間なのだ。死線を越えてきたとはいえ、レイムの越えてきたそれとはレベルが違うのだろう。
 足手まといになるのは明確だった。
 それでも、シェラルは手を引く気はなかった。せめて、彼を追いかけてアンスールが死ぬ瞬間だけでも自分の目で確認したいと思った。
「おい、姉ちゃん」
 背後からかけられた声に、シェラルははっとして振り返った。
「何?」
「人をつけ回すの良くないぜ?」
「偶然よ」
 その男は大柄で、クークのギルドで会った男だった。
 あの時は良く見ていなかったが、彼の身体には無数の傷がついており、巨大な斧を背中に備えていた。厳つさのある顔なのに、どこか愛嬌を感じる男だった。
 シェラルは素っ気なく答え、身を翻してレイムの入って行った路地へと歩き出した。
 と、その男がシェラルを追い越して路地へと入って行った。
(あいつのがつけまわしてない…?)
 ふと、シェラルは先程の男の言葉を思い返して首を傾げた。
 誰かを追いかけている事によく気付いたものだ。もしかしたら、彼もレイムを追いかけていたのかもしれない。
(でも、何で?)
 そう考え、シェラルは自問した。
 彼がレイムを注目していなければ、それを見つけて追いかけようとしたシェラルには気付かなかったはずだ。せいぜい、路地に入る人間ぐらいにしか思えないはずである。
 そうして、曲がり角を曲がろうとしたところで、進行方向から声が聞こえてきた。
「俺がペインの一人、ヴィルダだが?」
 シェラルを追い抜いていった男が、レイムの隣に歩み出て、向かい側にいる男に告げた。
(――!)
 そして、その向かい側にいる男に視線を向け、シェラルは息を呑んだ。
 捜し求めた賞金首、アンスール・ライグナーだった。何度もギルド前の掲示板で見た、あの顔だった。それとレイムが対峙していた。丁度、レイムの表情は見れない位置だった。
 そして、シェラルは三人の遣り取りの一部始終を聞き、ヴィルダがアンスールと戦っているのを、建物の影から見つめていた。
 アンスールは絶望的なまでに強かった。司器・火総戦槍ハイペリオンなる強力な槍を操り、自身の身体能力も凄まじかった。発される魔力に、シェラルは背筋に悪寒が走るのを感じた。しかも、アンスールは契約者だった。龍族を二対の翼を持つ生体鎧として全身に纏い、その戦闘能力・魔力はさらに上昇し、シェラルは唖然としていた。
 対するヴィルダも相当な強さだったが、召喚を機に敗北した。
 彼に突きつけられたはずの槍が、自分にも向けられているような錯覚を、シェラルは覚えた。身体が震えた。
「……退けない、ティール……」
 かつて思いを寄せていた幼馴染の名を呟き、シェラルは魔装銃を構えて飛び出した。
「――アンスール……っ!」
 レイムの脇を通り抜け、確実に命中させられる距離まで接近すると、引き金にかけた指に力を込めた。
 その場に侵入してきたシェラルの気配に気付いたのだろう、動きを止めたアンスールがこちらを向いた。ゆっくりと左掌がシェラルへと向けられ、その掌に膨大な魔力が集中するのが感じられ、シェラルは絶句した。
 それでも、引き金は引けた。
「――嘘……?」
 だが、魔装銃から放たれた閃光は、狙った場所へとかざされた左掌に集約した魔力の塊で防がれてしまった。しかも、そうして溜まった魔力を、アンスールが押し出した。
 シェラルは逃げようとして、足が動かなかった。
 愕然としたシェラルだが、いきなり横から突き飛ばされ、避ける事が出来た。
「レイム…!」
 地面に倒れ、見上げたシェラルの瞳に映ったのは、レイムが右手に逆手で握り締めた黒色の短剣を魔力の塊へと斬り付ける瞬間だった。
 レイムは、自らの魔力を込めた黒い刃を魔力の球体の下部に滑らせ、瞬時に向きを逸らして捌いた。
「ほう……あれを退けるとは」
 アンスールが感心したような声を漏らした。
「……」
 レイムは無言でアンスールへと視線を向けた。
 アンスールはレイムからヴィルダ、ヴィルダからシェラルへと視線を変えた。ヴィルダはまだ戦意の残っている瞳で立ち上がっていた。腹部に受けた傷に手を当てているものの、まだ戦えるとばかりに、近くに転がっていた斧を拾い上げ、片手に握り締めていた。凄まじい精神力だった。レイムは右手に握り締めた短剣を自分の胸辺りに水平に上げ、アンスールに半身になるようにして身構えている。そして、シェラルは地面に倒れていながらも、魔装銃の銃口をアンスールへと向けていた。
 視線が向けられ、その魔力の大きさに身体が振るえそうになるのを、なんとか堪え、銃口がブレるのを堪えていた。
『どうする、アンスール…?』
 アンスールの契約相手であるラグニードの声が響いた。
「……ここは退こうか、場所が分かっていない今の状態では下手をすると神殿にまで被害を出し兼ねない。この真下にある可能性もあるからな」
 そう言うと、二対の翼が淡い緑の燐光を帯びて羽ばたき、アンスールが空に舞い上がった。
 風属性の魔力を帯びさせた翼の羽ばたきは周囲に大きく風を巻き起こし、シェラル達の行動を制限するとともに、アンスールを素早く上空へと昇らせた。そしてそのまま周囲に魔力で霧を作ると、位置を撹乱して逃走した。
 アンスールの目は赤銅色で、風属性の魔力は扱えないはずだ。恐らくは召喚による龍族の力なのだ。
 龍族は大抵、全ての魔力を扱える。得手不得手は個人差であり、勿論使えない魔力を持つ龍もいるが、大抵はどんなに微弱でも全ての魔力を使えるのだ。
「…逃げられた」
 シェラルは銃を下ろして呟いた。
「助けられたな、姉ちゃん」
 水属性魔操術で傷を癒しながら、ヴィルダが声をかけてきた。
「だが、レイム、あんたも凄いな。その短剣、ダークエッジだろ?」
「ダークエッジって、あの?」
 ヴィルダの言葉に、シェラルは起き上がりながら呟いた。
 邪属性のダークエッジと、聖属性のライトエッジからなる、双剣ダブルハート。それぞれ刃に高純度の魔結晶が五割も使用され、他の魔結晶を用いて造られた上物武器を遙かに上回る強度と魔力増幅力を誇る、鍛冶師ヴェスタによる傑作武器。幻の一品とさえ言われる極上の武器として有名だ。
「どこで手に入れたんだ?」
 レイムがその短剣をしまう際に捲れた外套の下に、ライトエッジも確認出来た。
 ヴィルダが問うのも無理はなかった。
「……本人から譲り受けたものだ」
「成る程、知り合いって事か」
 苦笑を浮かべるヴィルダの足がふらついた。
「大丈夫? 治癒魔操術は私の方が強力なはずよ」
 そう言ってシェラルは傷口に手をかざし、魔力を練って組織を活性化し、傷口を縫合した。瞳の色から、ヴィルダよりもシェラルの方が水属性が強い事が分かったための処置だ。流石にシェラルには放っておけなかった。
「悪いな、ありがとよ。それにしても、レイム、お前、あいつに勝てる見込みはあるのか?」
 シェラルに礼を言い、ヴィルダはレイムに問う。
「……五分、だな」
 レイムはそう答えた。
 つまり、ヴィルダよりはアンスールと戦えるだけの手があると言うのだ。
「確かに、召喚契約は強力だからな。だが、ダブルハートでハイペリオンを受け止められるか?」
「無理だな」
「なら、召喚に頼るしかないか」
 ヴィルダが溜め息とともに呟いた。
「……どうするつもりだ、ペインだろう?」
 今度はレイムが問うた。
 ペインの事は、シェラルも知っていた。その情報を得られるだけの腕を持っていたつもりだったが、アンスールには通用しなかった。シェラルは密かに唇を噛んだ。
「お前をペインに勧誘したいところだが……?」
「……考えておく、だが、今は断る」
「だろうな、そこでだ」
 ヴィルダはレイムの返答を聞き、一度言葉を区切ってから告げた。
「政府として、お前を雇い、アンスールを始末して貰いたい」
「それならばいいだろう」
 もとよりアンスールを倒すつもりだったのだ。
 レイムにとっては、アンスールを倒した後の資金が政府に直接雇われた事で増える結果になり、得である。だが、元々アンスールを狙っていたレイムを雇うと言ったのは、政府が協力するという事なのだ。意味がないわけではない。
「それで、姉ちゃんだけど」
「シェラル。シェラル・ラズ」
 ヴィルダとレイムにシェラルは名乗った。今まで名前を告げていなかったのだ。
「シェラル、あんたは手を引け。今ので解ったと思うが、あいつの力はあんた一人には強大過ぎる。協力するにはレイムと戦力が離れ過ぎている」
「知ってるわ。でも、退かないわよ」
「……だそうだ」
 困ったような表情でヴィルダがレイムへと視線を向けた。
 決定権は政府直属のヴィルダから依頼を受けたレイムにあるのだ。レイムは暫し黙考した後、口を開いて一言だけ告げた。
「好きにしろ」
 それは、ついて来ても良いが、命の保障はしない、という事だ。
 シェラルは口元に笑みが浮かぶのが自分でも理解出来ていた。そして、頷いていた。

 *

 レイムはシェラルと共にヴィルダが借りた宿の中にいた。バスルームのついた高級な宿だったが、レイムはそれを使うつもりはなく、シェラルだけが今、シャワーを浴びていた。
 部屋の中にはシャワーの音を背景にレイムとヴィルダが向かい合っていた。レイムは外套を脱いだ状態でベッドに、ヴィルダは備え付けの椅子に腰を下ろしている。
 備え付けられているベッドは二つしかなく、ヴィルダは一人用の個室を借りていたらしい。
『……奴がアンスールについていたとはな…』
 シャワールーム内にも聞こえるようにディアロトスが呻いた。
「奴、ラグニードとかいう契約相手か……」
 ヴィルダが先を促すように言った。既にディアロトスの名前は明かしている。
『そういえば、レイムにはこの話はしてあったな』
「ああ、ニルヴァーナだったな」
「ニルヴァーナ?」
 レイムがディアロトスの問いに答えた時、丁度シャワールームからシェラルが出てきた。
 タンクトップに黒のズボンを身に着け、まだ身体が仄かに火照っているようだった。ヴィルダが口笛を吹くのを、レイムは無視。
「龍族の階級だ」
 レイムが言うと、後をディアロトスが引き継いだ。
『通常、世界を動き回って、人間の前に現れる者達はヒエラルキー・クラスと呼ばれ、七階級が存在している。だが、それとは別に更に上の階級がある。それはディーティ・クラスと呼ばれ、世界に十二体しか存在しない。ディーティ・クラスにはイクシードと呼ばれ、各地の神殿で世界を司っている六体の龍と、次期イクシードとなる、その片腕的なニルヴァーナという階級があるのだ』
「一つ、訊いていいか?」
 ヴィルダの問いに、レイムは無言で見返す事で先を促した。
「ディアロトスの階級は何だ?」
『……ヒエラルキー・クラス、ランク・セラフィム』
 その返答にヴィルダが息を呑んだ。
 第一位セラフィム(熾天使)。それはヒエラルキー・クラスの最強であり、次期ニルヴァーナを意味している。龍族の階級制度は上の階級にいる者が、下の階級にいる者の中から相応しい者を選定し、欠員が出来た場合にその者を格上げする方式を取っているのだ。
『話を戻すが、奴、ラグニードはニルヴァーナでありながら、イクシードを一体、殺した。我はその時にラグニードを追い詰めたが、後一歩のところで相打ちになり、逃がしてしまったのだ』
 ディアロトスは語った。

 およそ三十年ほど前、当時のディアロトスはランク・セラフィムとしてはニルヴァーナやイクシードに匹敵するほどの力を持っていた。ラグニードがイクシードを殺害したと、連絡を受けたディアロトスはその場へ急行した。最も近くにいたためだ。
 ディアロトスが辿り着いた時、そこには血塗れで立つラグニードと、イクシードの死体があった。ラグニードは龍人型であり、ディアロトスと殺されたイクシードは龍型であった。
「ラグニード、貴様、何故そんな事をした?」
 ディアロトスはラグニードの上空から問いを発した。
「……気付いたんだ」
 ラグニードはぽつりと呟いた。
 イクシードの返り血を拭う事もせずに、ラグニードはディアロトスを見上げた。
「俺には力が足りないらしい」
「何を言っている?」
 問うと、ラグニードはディアロトスと同じ高さまで飛翔した。二対の翼で軽やかに空中に滞空していた。
「俺にはイクシードを殺せても、あれを破壊出来るだけの力はなかった」
「だから、何を…?」
 瞬間、ラグニードが視線をディアロトスへと向けた。
「先に一つ問う。お前はこの世界を、イクシードの存在をどう思う?」
「何だと?」
「世界を司るとは言っても、何故、司る必要がある?」
 ディアロトスは怪訝な顔をした。
 世界を司る。他とは明らかに異質な場所に、それがあった。それを最初に見つけたのは龍族だった。圧倒的な、絶対的な魔力がそこには存在していたのだ。龍族はその場所を神殿と呼んだ。
 かつて、龍族はそれを傷付けた。途端、世界で異変が起きたのだ。
 各地で魔生体が大量に発生し、人間達だけでなく龍族までもが、この世界そのものが危機に見舞われたのだ。
 龍族は悟った。それは世界の根本を成すものなのだと。
 それを傷付けてしまった龍族達は知恵を絞り、何とかその傷を塞ぐ事に成功し、世界の危機は何とか救われた。
 以後、龍族は力と知恵と正しい心を持つ龍族がそれを見張る任に就くようにし、階級を定めてそれをやりやすくしたのだ。
「そうしなければ世界が崩壊するのだろう?」
 龍族はそれを伝え続けているのだ。種族として。
「だが、その存在は明らかに異質なものだ」
 ラグニードはそう言った。
「何をするつもりだ、貴様」
「あれを破壊する方法を探し出し、壊す」
「過去の過ちを忘れたか!」
 ディアロトスは叫んだ。
「その向こうに本来の姿があるはずだ!」
 ラグニードは言った。
 二体の龍族は互いに熾烈な戦いを繰り広げた。
 ディアロトスはラグニードの腕を吹き飛ばし、ラグニードはディアロトスの翼を切り落とした。満身創痍の状態でも一歩も譲らず、互いに攻撃をし続け、最後は二体共同時に気を失った。
 後から駆けつけた応援に、ディアロトスは助けられ、身体の傷を復元して貰った。応援が来た時にはラグニードの姿はなかった。
 そして、失われたイクシードの座への進級を断り、ディアロトスはラグニードを追う旅を始めたのだ。

 三人共それを黙って聞いていた。
「結局、それとは?」
「中核結晶、だったか」
 ヴィルダの問いにレイムは答えた。
『ああ、それについてはディーティ・クラスに進級せねば教えては貰えないのだが、そう言った重要なものがあるという事は我には教えられていた』
「調べてみよう。政府の保持する過去の文献ならば何か判るかもしれん」
 ヴィルダが頷いた。
「それで、次はアンスールだが」
『恐らく、目的が同じなのだろう。中核結晶を破壊するのには司器が必要なのかもしれん。神殿の場所はそこを担当するディーティ・クラスにならなければ教えられないのだ。場所が判らないのはそのためだ』
「だが、ラグニードは一箇所、知っているはずだろう?」
 ヴィルダが不審げな表情を浮かべる。
 そう、ラグニードはニルヴァーナであり、自分が担当していた神殿の場所は知っているはずなのである。そして、司器も手に入れたというのに、その神殿へ行く気配はなさそうだった。
『確かに、その部分も不明だ。だが、それが出来ない現状はチャンスでもある』
「そうだな、それも調べる必要があるな」
 ディアロトスの言葉を聞き、ヴィルダが言うのを、ディアロトスの代わりにレイムが頷いた。
「よし、調べる事は決まった。俺は行かせて貰う」
「解った」
 ヴィルダが椅子から立ち上がり、部屋を出て行った。
 シェラルがもう一方のベッドに腰を下ろし、溜め息をついた。
「何だか、凄い事になってるわね……」
『まぁ、そうだな』
 苦笑気味にディアロトスがシェラルに言葉を返した。
 それを聞き流しながら、レイムは右手を見つめていた。黒い指無しの手甲がそこにあり、続いて左腕へと視線を向けた。袖なしの上に何もつけていない、肩から指先まで地肌が見えている左腕。普通に見れば左右非対称でバランスが悪い格好だ。
「……ねぇ、シャワー浴びないの?」
「ああ」
 ベッドに倒れ、上下逆さまにレイムを見上げるシェラルに、一言だけ応じた。
 水属性の魔操術が操れれば、身体や服を洗うのはそう難しくなく出来る。服ごと自分自身の汚れなどを数秒で洗う事だって出来るのだ。わざわざシャワーなどを浴びる必要もないと言えばない。勿論、歯の手入れ等も同様だ。
「何だか勿体ない気がするわね……」
 小さく呟いたシェラルを無視し、レイムは腰の後ろの双剣を取り外し、袖無しのジャケット、続いて関節部の強化装甲を取り外し、ナイトテーブルの上に置いた。黒いスーツだけの状態になり、レイムは両手を組み、頭の下に置くようにしてベッドに寝転んだ。
「……ねぇ、さっき、何でヴィルダを助けなかったの?」
「手出しするなと言ったのはヴィルダだ」
「そうじゃなくて、ヴィルダが負けたと分かった後よ。あなたも召喚契約者なんでしょ?」
 レイムの返答にシェラルは不満そうに言い返した。
『戦力差を見極めるため、だな?』
 ディアロトスがそれに答えた。
「それもある」
 レイムは一言だけ答えた。
 アンスールの持つ全戦闘能力と、レイム自身の持つ全戦闘能力にどれだけの差があるのか、それを見極めるためにはアンスールの攻撃を見る必要がある。アンスールの様子ではまだ余力が残っているような口振りであったため、正確な戦力差は分からない状況だ。
『やはり、手の内を晒すのを避けたのだな』
 ディアロトスの言葉に、レイムは無言。それは肯定を示していた。
 相手の戦力差が、先程見たもの以上である事は明白だった。それでもある程度アンスールとは遣り合えるだろうとレイムは確信していた。そうであれば、レイムが戦闘をせず、戦力を含めレイムの持つ力を隠しておく事で、戦略的に有利になる事が出来る。不意打ちで隠していた力を使えば勝機を見い出す事が出来るかもしれないのだ。
「……それで、勝てそうなの?」
「勝つ」
 レイムは顔を向ける事もせずに答えた。
 勝てる確立や見込みではなく、それはレイムの意思だった。何が何でも勝つ。アンスールの力を知り、目的を知り、追いかけ、見つけた今、戦う時には必ず勝つとレイムは決めていた。
『五分ではあるが、戦力を隠している分、有利ではあるかもしれんな』
 ディアロトスが呟いた。
 ニルヴァーナやイクシードにも匹敵するだけの力を持つ、ヒエラルキー・クラス最強の龍族。ラグニードと相打ちしたのであれば、力は互角と考えて良い。そうなると、それを操って戦うレイムとアンスールの力量で勝負は決まる。
 そこまで話して、会話は止まった。元々レイムは会話をするつもりはないようで、シェラルはというと、そんなレイムの雰囲気に話しかけ辛いようだった。話しかけても返答は返ってくるが、素っ気ないものばかりで、会話が続かないのだ。
「そう言えば、ディアロトスとレイムはどうして契約を交わしてるの?」
 沈黙に耐え切れなくなったのか、シェラルが口を開いた。
 レイムが視線を向けてやると、シェラルは付け加えるように言う。
「ディアロトスはラグニードを追っていたんでしょう? それでレイムはアンスールを追ってるし、接点がないじゃない」
『ふ、まぁ、そうだな』
 それにはディアロトスが応じた。
『だが、教えても良いが、ただではないぞ?』
「……え?」
『お前はレイムを初めに見た時、ティールと呼んだだろう、変わりにそれについて聞かせて貰うというのはどうかな?』
 ディアロトスが交換条件を出した。
 シェラルの要求した事はディアロトス本人の過去だけではなく、レイムの過去でもあるのだ。それを話すに当たっての、ディアロトスのレイムへの配慮なのだろう。
「……ええ、いいわよ」
 その遣り取りを、レイムは何も言わずに聞いていた。
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