第三章 「消えない過去、消せない想い」


 そこは街であった。都市ほどの規模はなく、外壁はあるものの、都市のそれよりも脆いものだ。
 レイムはその日、家の裏手で剣術の訓練をしていた。
 父親は政府直属の最高精鋭部隊ペインの一人であり、彼はレイムに剣術を教えていた。
 都市ほどの強度を持たない街の外壁は、高レベルの魔生体には破壊されてしまう事がある。決して多い事ではないが、油断出来ない問題だ。そういった場合には街の中にいる警備兵、場所によっては自警団などが対応し、魔生体を倒している。
 レイムは護身用にも、これからの生活にも役立つだろうと考え、大人しく剣術を教わっていた。事実、警備兵と共に魔生体と戦った事もあった。この歳で魔生体と戦えるものはまずいないだろう。それだけレイムは鍛えられていた。
「なかなか様になってきたな」
 やや満足げに顎をさすり、レイムの父ペルフェクトが呟いた。
 彼にレイムが教わった剣術は、双剣術・片手剣術・両手剣術の三つの基礎と、その三つの複合剣術だった。どんな剣にも対応出来るように鍛えられていたのだ。
「じゃあ、ちょいと試合でもしてみるか」
「え?」
 レイムは素振りを止め、背の高い父を見上げた。
 適当な長さの黒髪に、暗く、黒に近い赤色の虹彩。体付きはそれほどがっしりしているわけではないが、日々の訓練により引き締まっている。今現在の服装は薄手の対魔ジャケットにシャツという軽装だ。
「心配するなって、適度に手加減してやるから」
 苦笑しながら、ペルフェクトは木を彫って造った二振りの剣をレイムの前に差し出した。長さは通常の剣、騎士剣と同じだ。
「これで出来る好きな剣術を使え」
 頷き、レイムは受け取った二振りの剣を逆手にして構えた。
「騎士剣の双剣術か…弱点は解ってるな?」
「握りが弱くなる事」
 双剣術は大抵が短剣の二刀流であり、軽い短剣故に素早さと鋭さを併せ持つ攻撃を連撃として繰り出す事が出来るのが強みだ。ただ、鋭さはあるものの、重い一撃を繰り出す事が難しく、決定打に欠けるのが弱点となっている。
 レイムは、教わった複合剣術の中から、片手剣術に主に使用する一般的な大きさの剣による双剣術を選んだのだ。通常の剣は盾との併用や、両手持ち等の対応力に優れ、バランスの良い剣である。無論、それの二刀流もあるが、双剣術は剣を逆手に構えるのがほとんどなのだ。逆手にする事で後方への対応力が増すという事なのだろう。
 騎士剣の逆手双剣術では、持つ剣が短剣でない事がネックとなる。通常、片手剣術は完全に片手で扱うものではなく、状況に応じて、もう一方の手を添える事もあるのだ。しかし、ほとんどの双剣術では、完全に片手、しかも逆手で剣を振り回すため、握り手部分が比較的甘くなってしまうのだ。そのため、鍔迫り合いの時に剣を弾かれ易い。
「正解」
 ペルフェクトは片手剣術を使うつもりらしく、黒い指無しの手甲を付けた右手に一振りの木彫りの剣を握っていた。
「俺に一撃浴びせられればお前の勝ちだ。魔操術は使うなよ。さぁ、来い」
 口元に笑みを浮かべ、ペルフェクトが告げた。
 レイムは一度息を吸うと、地を蹴った。逆手に握り締めた剣を両方共後方へと構え、ペルフェクト目掛けて両側から一撃を繰り出した。
「身体の前面ががら空きだ。一対一の時は相手の攻撃を常に警戒しろと言ったはずだぞ」
 後方に跳んで攻撃を交わしたペルフェクトがレイムに注意した。反撃出来る隙を指摘するだけで実際に反撃をしないのは、手加減しているという事なのだろう。
 構えというものは、大抵相手の攻撃に対してすぐに防御体勢に移れるようになっている。それを解くというのは相手の攻撃に対して防御反応が遅れるという事だ。
 片方の剣を後方に、片方を前方に回して構え、レイムは速度を緩めずにペルフェクトに接近した。後方の剣を横合いから振り抜き、それに伴って後ろへと回されたもう一方の剣でニ撃目を繰り出す。
「そう、それでいい。双剣術の利点は二つの剣を同時に操る事だ。即ち、攻撃と防御を同時に行える」
 ペルフェクトは褒めつつも、右手の剣を左右に振るようにしてレイムの繰り出した左右のコンビネーションを打ち払った。
「くそっ…」
 いとも簡単に打ち払われた事に毒づき、後方に跳んでレイムは距離を取った。
 右手の剣を後方に引き、それを投げ付けると同時に駆け出し、左手の剣を両手で握り締めた。
「ほぉ……」
 感嘆の声をペルフェクトが漏らした。
 投げ付けられた剣を、右手の剣で弾き飛ばしたところへ跳躍したレイムが斬りかかった。
「――っ!」
 瞬間、レイムの視界からペルフェクトが消えた。
 着地と同時に左足を滑らせるようにして前に出し、身体を沈めると同時に背後へと剣を振り抜いた。木彫りの剣同士のぶつかり合う小気味良い音が響いた。
「……惜しい」
 口元に笑みを浮かべたペルフェクトがレイムを見下ろしていた。
 その手に握られた剣は、レイムが背後へと振った剣を受け止めていた。いや、レイムが受け止めた側だった。
「やっぱり、まだまだだな……」
 笑みを浮かべ、ペルフェクトが剣を引いた。
 そうしてレイムの手を取って引き起こすと、先程弾き飛ばした剣を回収した。
「そりゃあ、親父のが訓練も積んでるんだから」
 レイムも苦笑して応じた。
「そうでもないさ。お前は筋が良い。きっと十年ぐらい経てば追いついてくるだろうさ」
 そうかな、とレイムは頬を掻いた。
「さぁ、昼飯にしよう」
 ペルフェクトの後を追い、レイムは家へと入った。
(十年、か……)
 レイムは父の背中を見上げ、小さく息を吐いた。
 家の中では母、フゥルが食事を用意していた。既にテーブルの上に並べられており、二人が帰って来るのを待っていたようだった。
 二人を見て、フゥルが笑みを向けた。青色の長髪の下、鮮やかな青色の目が優しげに細められている。優しい母だった。
 レイムとペルフェクトが椅子に座り、食事が始まった。
「どう? レイムの調子は?」
 レイムがパンを齧っていると、フゥルがペルフェクトに尋ねていた。
「ああ、こいつはきっと俺よりも強くなるな」
 ペルフェクトは得意気な笑みを浮かべ、答える。
 二人の優しげな笑みが向けられたレイムは気恥ずかしくなって顔を逸らした。
「そういえば、ユーグ君達と待ち合わせしてるんじゃなかったかしら?」
「いけね! 忘れてた!」
 母がぽつりと呟き、レイムは前々から友達と約束していた事を思い出した。
 それは、魔力を持たせた装備、魔装具を買いに行く、というものだった。レイムと同い年で、近所に住んでいるユーグは彼なりに身体を鍛えており、その妹のネーファも魔操術を練習している。その三人で、魔装具を買いに行く約束をしていたのだ。その待ち合わせの時間が迫っていた。
 慌てて昼飯を平らげ、レイムは自分の財布を持って家を飛び出した。
 街にある魔装具店。その店の前にユーグとネーファは立っていた。
「お、来た来た」
 ユーグがレイムを見て言う。
 元々レイムは時間的にルーズではなく、今回たまたま忘れていただけだったた。もっとも、時間には間に合ったようで、二人ともレイムが約束の事を忘れていた事には気付いていないだろう。
「じゃ、入ろうよ」
 ネーファが言い、三人で店内に入った。
 種類別に区分けされた商品が店内に並べられている。一番手前にあるのは通常武装の類で、奥の方に魔装具が置かれていた。魔結晶を用いていない通常武装も需要がないわけではない。魔結晶を用いて造られた魔装具は高価なため、駆け出しの賞金稼ぎ等には買えるような代物ではないのだ。
「二人とも何買うか決めてあるのか?」
「私は銃系統がいいな」
 レイムの問いにネーファが答える。
「ん〜、そうだなぁ…やっぱ槍かなぁ」
 遅れてユーグが答えた。
 結局、レイムは剣、ユーグは槍、ネーファが拳銃を購入する事に決めた。どれも通常武装で、無名のものだ。通常武装でも魔装具でも、上物な装備には名が与えられるのが普通だ。
 三人が魔装具の代金を支払った直後、街が揺れた。
「――地震……?」
 ユーグが眉を顰め、レイム達は店の外へと足を向けた。
 口にしておきながら、三人共それが地震とは思えなかった。地震とは微妙に揺れ方が違うのが感覚的に解っただけではない。
 凄まじいまでの魔力が渦巻いていたからだ。街の中央を魔力の塊が移動していくのが、まだ魔操術に関して未熟な三人にもはっきりと感じ取れた。
 三人がその魔力の強大さに絶句したのも束の間、街中をその魔力が荒れ狂った。誰かがその魔力に攻撃を試みたのだろうと、三人は漠然と考えた。街を薙ぎ払う魔力はその反撃なのだろう。
 周囲に凄まじい突風が吹き荒れ、街を構成する建物がいとも簡単に吹き飛んだ。レイム達三人は体勢を低くし、両腕で顔を覆ってそれをやりすごした。比較的街の外周側にいたためだろう、吹き飛ばされる事はなかったが、中心部分ではそうはいかなかっただろう。
 その突風に続いたのは熱風だった。街の中央、凄まじい魔力の塊が存在している場所を中心に、周囲に炎が吹き荒れているのだ。
「街中で魔操術だとっ…!」
 異常さに気付いたのだろう、外へと出てきた店の主人が呆然と呟いた。
 街の中心を進む魔力の塊、それの進む方角を逸早く察知したのはレイムだった。
「……俺の家に向かってる…!」
 購入したばかりの剣の柄に手を乗せながら、レイムは駆け出す。後から二人がついて来るだろう事は判っていた。
 暴風と炎で街は酷い有様だった。吹き飛ばされ、崩れた建物は瓦礫と化し、辛うじて残った建物には炎が燃え移り、街を赤く染めている。空は火災による黒煙で黒く染まり、未だに周囲に吹き荒れる風は嵐を連想させた。ものの焼け焦げた臭いが鼻についた。
 悪寒を背筋に覚えながらも、レイムは家へと走り続けた。やがて見えてきた家に、レイムは更に足を速めた。
「――!」
 息を切らしながら、辿り着いた場所でレイムは言葉を失った。
 両親が、この嵐の主と対峙していた。今までレイムの見たことのない表情で、ペルフェクトとフゥルが一人の青年を睨み付けている。
 その青年は深紅の炎を周囲に纏い、赤銅色の目をペルフェクトへと向けていた。使い古された外套に身を包み、一振りの剣を携えていた。
「…何者だ?」
「…アンスール・ライグナー」
 ペルフェクトの問いに、青年は答えた。
 見た目は二十歳ぐらいにしか見えないというのに、彼の放つ魔力は通常の人間を遙かに超えていた。それ故か、対するペルフェクト達の表情も険しい。
「アンスール…天才魔操術者と言われたお前が、何故ここにいる?」
 ペルフェクトの言葉に、レイムは思い出す。
 アンスール・ライグナー。当時、人間としては異常なほどの魔力を持ち、天才とまで言われた魔操術能力を持つ人物だ。能力だけでなく、彼は知力にも長けていた。それ故に十代半ばで政府で、戦闘と研究を同時に受け持つ人物となっていた。それほどの人物が何故、このような街で力を振るっているのだろうか。
「……司器が、必要なんだ」
 瞬間、ペルフェクトの表情が強張った。
「……出来ない相談だな」
 ペルフェクトが身構え、告げる。その手に、魔圧縮によってペルフェクトが常に携帯している剣が再構成されて現れる。
「なら、力ずくで奪う!」
 アンスールは叫び、地を蹴った。
 右手に携えた剣を振り上げ、その刃に炎を絡ませて振り下ろす。その攻撃の鋭さはペルフェクトを超えているように見えた。
 ペルフェクトはアンスールの剣を横に払うように剣を叩き付けた。金属音が響き、アンスールが弾かれて着地する。
「ブルー・シュート!」
 着地したアンスールへとフゥルが魔操術を放った。
 圧縮された、青い、水属性を持つ魔力の塊が高速でアンスールへと突撃する。
「焔陣っ!」
 短い言葉と共に、アンスールの周囲に凄まじい炎が吹き上がった。その炎に阻まれ、フゥルの放った魔操術が掻き消される。その直後、炎は周囲に解き放たれ、フゥルとペルフェクトへと押し寄せた。
 その炎をフゥルが大量の水を放つ事で相殺し、ペルフェクトが剣を構えて踏み込んだ。炎の中から現れたアンスールが大きく振りかぶった剣をペルフェクトへと振り下ろす。その剣が深紅に染まっているのに気付いたのだろうペルフェクトは剣を捨てるようにして後退した。その手から離れた剣が、アンスールが魔力を込めたのであろう深紅に染まった剣で叩き折られた。
「ちっ…仕方がないか……!」
 ペルフェクトは呻くように呟き、右手を覆う黒い手甲を取り去った上で、それを地面にかざした。
 その手の甲に漆黒の紋章が刻まれていた。その紋章が漆黒の光を浮かび上がらせるのと同時、その右手に凄まじいまでの魔力が集約し始めた。邪属性の、漆黒の魔力が大剣を形作り、その柄をペルフェクトが握り締める。
 レイムには見た事のない光景だった。ペルフェクトが漆黒の大剣を魔圧縮によって携帯している事はおろか、右手の甲に紋章が刻まれている事すら知らなかったのだ。それに、フゥルが戦っているところさえも見た事はない。
 ペルフェクトが漆黒の大剣を生成する僅かな隙を、フゥルが補っていた。
「ブルー・レイ!」
 フゥルの周囲に発生した水の槍がアンスールへと目掛けて放たれる。
 鋭く、凄まじい速度で飛来する水の槍を身体の周囲に纏わせた炎で打ち消し、アンスールはその炎をフゥルへと放った。
「くっ、ブルー・ウォール!」
「突焔撃!」
 フゥルが作り出した水の壁に炎の奔流がぶつかり、凄まじい水蒸気爆発を起こした。
 壁を前面に作り出していたフゥルは爆発を間近で受け、吹き飛ばされた。
「フゥルっ!」
 漆黒の長剣を手にしたペルフェクトが叫ぶ。しかし、アンスールに対する警戒は解かず、フゥルの元へ駆け出す事はしない。それが隙になってしまうと気付いているからだ。
 ペルフェクトが地を蹴った。その手に握られた漆黒の大剣を、重さを感じていないかのように軽々と振り上げ、力任せとも見える勢いで振り下ろした。
 その切っ先が地面に触れた刹那、大地が裂けた。自然では有り得ない程の強大な魔力を帯びた剣は、まるで遠心力に乗せて魔力を放出するかのように漆黒の刃を形作り、一直線に全て引き裂いた。
 横へと転がるように避けたアンスールが紅蓮の炎をペルフェクトへと放つ。それに対して漆黒の剣を叩きつけるかのようにペルフェクトは腕を薙いだ。漆黒の剣はいとも簡単に炎を両断し、生じた剣圧が後から続く炎までも掻き消していた。
「どうなってるんだ……俺の家がないぞ……?」
 息を切らした声がレイムの脇から聞こえた。ユーグだった。ネーファと共に追いついてきたようだ。
「…三人共、ここから離れなさい……」
 その三人の前にフゥルが立ち、告げた。
 フゥルは満身創痍の様子で、呼吸も乱れていた。着ている服は至るところで破れ、その下の肌も傷付き、出血している部分も見て取れた。その一言だけを告げたフゥルは、傷付いた身体を無視するように戦場へと戻って行く。
 レイムは動けないでいた。
 アンスールがその莫大な魔力を炎へと転じ、ペルフェクトへと解き放とうとしていた。そこへ横合いから高速で水の槍が撃ち込まれ、アンスールは炎を周囲に撒き散らして防ぎ、ペルフェクトはその炎を切り裂いてアンスールへと突撃する。しかし、その炎の中にアンスールの姿はなく、ペルフェクトが背後へと振り向くと、そこに深紅に染まった剣を振りかざすアンスールがいた。その剣が振り下ろされる瞬間、ペルフェクトを押し退けるようにしてフゥルが割り込み、アンスールの剣を受けた。
 高熱を帯びた剣はフゥルの肌を焼き、傷口から身体の内側を焼いた。押し殺した苦悶の声がフゥルの口から漏れ、押し退けられたペルフェクトが妻の名を叫ぶ。
 アンスールはフゥルを斬り捨て、フゥルへと手を伸ばすペルフェクトへと深紅の剣を振り上げた。それを振り下ろす瞬間、ペルフェクトは怒りの形相で下段から漆黒の剣を振り上げる。その剣がアンスールの身体に触れる事はなく、身に纏う炎の一部を爆発させるようにして突風を生み出し、それによってペルフェクトの攻撃を辛うじて避けた。予想していたのだろうと思わせる動きだった。着地と同時に姿勢を低く、それでいて深く踏み込んだアンスールが、その剣でペルフェクトの腹を貫いた。剣を振り切っていたペルフェクトには防ぐ術は残されていなかった。
 そのまま剣が突き出され、ペルフェクトが吹き飛ばされ、レイム達の目の前に転がった。
「…逃げ…ろ……!」
 腹を押さえ、ペルフェクトがレイムを見つめ、告げる。
 レイムは頷きかけ、左右の風の動きにそれを止めた。
「手前ぇーっ!」
 ユーグは叫び、槍を手に飛び出していた。その顔が涙に濡れているのを、レイムは辛うじて見る事が出来た。ネーファも、同様に、銃を構えて飛び出している。
 勝ち目がないにも関わらず、二人は飛び出していた。ふと、視線を向けた先に、崩れたユーグの家があった。その瓦礫の間から覗いていたのは、血に塗れて動かない人の手だった。二人とも怒りの感情を抑え切れなかったのだ。
 無論、レイムもその中に加わりたかった。しかし、ペルフェクトに鍛えられたレイムはその怒りに身を任せる事は出来なかった。戦闘中に頭に血を上らせてはいけないと、父に厳しく教えられていたからだ。だが、レイムにはユーグとネーファを止める事は出来なかった。自分自身を抑えるだけで精一杯だったのだ。
「あなたのせいでーっ!」
 泣き叫び、ネーファが引き金を引く。ユーグが咆え、槍を振り回す。
 アンスールはそれに一瞬、表情を歪めたものの、二人を即座に斬り捨てた。口から血の泡を吹いて二人が地面に転がった。あまりにも呆気ない親友達の最期だった。
「き、貴様……っ!」
 買ったばかりの剣の柄を握っていたレイムの拳が震えた。今まで抑えつけてきた感情が暴れ出し、レイムは剣を引き抜いた。鞘を放り出し、柄を両手で握り締め、レイムの方へ歩み寄って来るアンスールを睨みつける。恐らく、アンスールはペルフェクトに歩み寄っているつもりだったのだろう。しかし、レイムには自分の方へと歩み寄って来るように見えた。
「うぁああああっ!」
 咆え、レイムは地を蹴った。
 父には遠く及ばないながらも、その瞬発力はユーグ達のそれを超え、アンスールを一瞬だが驚かせた。レイムが下段右方向から左上へと振り抜いた剣をアンスールは避け、真下から反撃を繰り出す。避けられる体勢でも、速度でもなかった。真っ直ぐに下から切り上げられる剣に、レイムの思考が停止した。
「――!」
 だが、アンスールの剣がレイムを両断するという瞬間、レイムは左足首を掴まれ、強引に後方へと放り投げられた。
「――ぁっ!」
 辛うじて命を落とす事はなかったが、無傷というわけではなかった。顔の右側、丁度右目を縦に切り裂かれていた。左足を引っ張られたために、レイムの右半身がその場に長く留まってしまったのだ。
 背中から叩きつけられ、苦悶の呻きを上げながらも、レイムは自分の左足を引っ張った存在を見た。右目からは鮮血が溢れ、眼球も傷を受けたのか、視界が半分失われていた。右目を押さえ、左目の視界で、レイムは見た。
 アンスールがペルフェクトを袈裟懸けに斬り付けていた。ペルフェクトの口から血が溢れ、仰向けに倒れ、動かなくなる。
 声が出なかった。アンスールの目が、赤銅色の目が、レイムへと向けられる。
 そこで、ようやくレイムは自分の手に剣が握られていない事に気付いた。ペルフェクトに助けられた時、剣が手から離れてしまったのだ。
 だが、目の前には一つの長大な剣があった。漆黒の、自然界のバランスを崩してしまいそうな程の、莫大な魔力を秘めた、長剣が。ペルフェクトの手から、落ちたものだ。
「……」
 レイムはそれに手を伸ばした。迷う事無く、柄を握り締めた。
 刹那、右手に鈍い痛みが走った。まるで、柄から魔力が掌へと強引に流れ込んでくるかのようだった。その痛みは掌から右手の甲へと突き抜け、その手を漆黒の光が包む。
 レイムはその痛みを感じていないかのように、ゆっくりと立ち上がる。痛みを感じていないわけではない。その痛みなどどうでも良かったのだ、レイムには。その時のレイムには、アンスールを斬る事しか考えられなかった。
 アンスールが何事が呟いたように見えたのも、レイムの耳には届かない。
 剣の持つ膨大な魔力をレイムは片手では抑える事が出来ず、暴れそうになる剣に左手を添え、強く握り締めた。
 何を叫んだのかも、レイムには判らなかった。自らの意思を全て敵にぶつけるかのように、大声で咆哮し、振り上げた剣をアンスールへと叩き付けた。漆黒の剣は大地を切り裂いていた。
 アンスールが回避したのを見て、レイムは振り下ろしたばかりの長剣を強引に横に薙ぎ払う。距離が少し離れているというのに周囲の建物がそれで切り裂かれ、アンスールは跳躍してそれを遣り過ごした。
 大振りなレイムの動きはアンスールには見切り易かったに違いない。
 距離を取ったアンスールは即座に斬り込んで来る。正面から迫るアンスールへとレイムは漆黒の剣を叩きつけるように薙ぎ、擦れ違った。
「……?」
 両手で握っていた漆黒の剣の魔力に耐え切れず、レイムはそれを取り落とした。
 拾おうとして右手を伸ばした瞬間、レイムは身体のバランスを崩し、倒れた。何故か、自分の身体のバランスが取れなくなっていた。
 手で身体を支えようとして、レイムは失敗した。初めてそこでレイムは自分の受けた傷を知った。
「――ぁ……」
 左腕が失われていた。
 そんな感覚は全くなかった。左腕の感覚は、少し熱を帯びてはいたが、感じられていたのだ。夥しく出血しているのを、レイムはただ呆然と見つめていた。
 土を踏みしめる足音に、レイムはゆっくりと視線を向けた。アンスールが、レイムの取り落とした漆黒の剣に手を伸ばしていた。
 全てが遠くに感じられた。自分の身体の感覚も、意識も。
 アンスールは剣の柄に手を触れた瞬間、顔を歪め、すぐに手を離した。
「……俺には持てない……?」
 辛うじて聞こえたのが、その言葉だった。小さく、悔しげな声だった。
 レイムの視界が霞み、アンスールがぼやけて見え始めていた。アンスールの赤銅色の瞳がレイムを見たのだけは理解出来た。
 そして、アンスールが剣を振り上げた瞬間――

 ――一陣の風が吹いた。

 アンスールは息を呑み、その風上へと視線を向け、表情を強張らせる。音がしそうなほどに強く奥歯を噛み、アンスールは身を翻した。そのままアンスールは去って行った。
 失血のためだろう、レイムの意識も視界もぼやけていた。その視界の中に、大きな影が射した。

 *

 五年ほど経った今となっても、はっきりと覚えている記憶を、レイムは目を閉じて呼び起こしていた。
「え……でも、レイムにはちゃんと左腕があるじゃない」
 無論、最後に現れた影はディアロトスだ。ディアロトスはその莫大な魔力でレイムの左腕を復元し、数回言葉を交わした後、契約を結んだ。
 ディアロトスの説明に、シェラルは首を傾げる。
「じゃあ、右目は?」
『……ちょっと、事情があってな…』
 苦笑、といった感情を乗せた声でディアロトスは答えた。
(……今の俺は、奴に勝てるのか…?)
 あの頃の数倍は強くなっているという確信がレイムにはある。しかし、アンスールも身体を鍛え続けていたのだろう、先刻出会った時の雰囲気は、かつてレイムが戦った時とは違っていた。無論、油断するつもりなどは全くない。
 ふと、ディアロトスがレイムの心を突付いた。レイムの心情を察してではない事はすぐに解った。心情ならばレイムが過去を回想していた時点でその全てがディアロトスに伝わっているからだ。
 シェラルが話す番になったという事を教えるためのものだ。
 レイムは目を閉じたまま、シェラルの話に耳を傾ける事にした。

 *

 そこは開けた土地だった。草原と言った方が適切なぐらいの、短い草が地面を覆っており良く日が当たるために、名も知らない小さい花がところどころに咲いている。
 そして、そこには少年と少女がいた。
「……賞金稼ぎになるの?」
 少女、シェラルは傍らで立ち上がった少年を見上げて、尋ねた。
「…ん」
「……危ないよ?」
 頷く少年に、シェラルは言う。
 水属性の強い地方では珍しい紫色の虹彩に、黒っぽい青色の髪。どこか大人びた印象を抱かせるこの少年がシェラルの幼馴染、ティール・ハンサーだった。
 そよ風を正面に受けて、髪が微かに揺れている。
「……本当に?」
「本当だよ」
 不安げに見上げていたシェラルを、ティールは見返した。
 どこか諭すような、優しい口調だった。
 シェラルは心のどこかで、いつかこうなるのではないかと思っていた。
 元々、ティールはシェラルと同じ街で生まれた人間ではない。まだ赤ん坊だった頃に、街の外で捨てられていたティールを、シェラルの両親が拾って来たのである。そうして、ティールはシェラルの家で育った。
 最初は兄妹のような感じで見ていたシェラルだったが、いつの頃からか、そう見れなくなっていた。
 ティールとシェラルは名字が違う。それは、ティールに既に名が付けられていたためだ。捨てられていたティールと一緒に名前と思われる文字の書かれた紙が入っていたのだ。
 シェラルの両親は、その名を変えなかった。何かしら理由があったのだろうと考え、彼自身の名前でティールを育てた。
 それが良い事だったのか、それとも悪い事だったのかは判らない。しかし、彼の髪と目の色も相まって、ティール自身もいつの頃からか、シェラルの家族とは違うという事を自覚していたようだった。
 恐らく、シェラルがティールを意識し始めたのと同じ頃だろう。丁度、人間としての人格が出来上がる頃からだろうから。
「……俺には他の事は向いてないと思うんだ」
 ティールは苦笑混じりに言った。
 事実、彼は家事や農作業等をするようには見えないし、得意でもない。ましてや、研究者などにもなるつもりはないようだった。ただ、その洞察力は鋭く、頭脳は明晰な方だと言えたが。
 シェラルはそれに頷いてしまいそうになるのを堪えた。
 見た目よりも、ティールは強かった。身体は物心ついた頃から密かに鍛えていたらしく、その身体能力は同年代の子供とは比較にはならない。シェラルもそれに倣って多少身体を鍛えたりしていたが、ティールには追いつかなかった。
「でも……」
 シェラルも賞金稼ぎになろうと思った事が無い事もなかった。
 誰でも一度は考えるだろう事だ。魔生体はいつ現れるか判らないし、それがどのぐらい強いのかも、現れた時それぞれで大分異なっている。それに、賞金稼ぎという家業は予想よりも遙かに難しいのだ。装備を揃えるには資金が必要であり、レベルの高い魔生体を相手にするにはそれに対応出来るだけの上質な装備が必要になり、更に資金が必要になる。また、それだけでない死とも隣り合わせなのだ。賞金稼ぎの駆除対象は魔生体だけではなく、凶悪な犯罪者も多く、そういった者達は賞金稼ぎを狙って来る事もある。魔生体だけでなく、そういった、賞金稼ぎを疎ましく思う者達からも命を狙われ兼ねない危険な職業なのだ。
「もう、決めたんだ」
 ティールはシェラルから目線を外して、空を見上げた。
「……準備が整い次第、街を出ようと思ってる」
「そんな……」
「急な事で悪いとは思ってる。血の繋がっていない俺を育ててくれた両親には感謝もしてる」
 背伸びをしながら、ティールはシェラルに言う。
 その態度から、どうあっても説得出来ない事をシェラルは悟った。
「本当の両親を探したいって気持ちがないわけじゃないけど、それが目的ってわけじゃない」
 探してどうこうするつもりもないんだけど、とも付け加えて、ティールは苦笑する。
 いつの事だったかは忘れてしまったが、ティールはシェラルに、捨てられた事を怨んだ事はないと言った事があった。その理由は、捨てられていなければ今のティールが存在していないから、だと告げた。どうして捨てられていたのかは判らないし、本当はどこで生まれたのかも判らない。しかし、確実に言える事は、捨てられていた事で、ティールはシェラルの両親に今まで育てられたという事だ。その事にむしろ感謝しているかもしれない、とティールは言ったものだ。
「……俺は、外の世界を見たいのかもしれない」
 男の子なんだな、とシェラルはその時思った。
「――でもさ、本当は、理由なんて俺自身もよく解らないんだ」
 曖昧な笑みを浮かべて、ティールはシェラルの方へ顔を向けて告げた。
「……ただ、他に考えられなかったんだ」
 少し寂しげに、ティールは言った。
「ティール……」
 何と言って良いのか判らず、シェラルはただ名前だけを口にした。
 それを聞いてか、ティールはシェラルと向き合うように立ち位置を変えた。心なしか深呼吸をしたようにも見えた。
「……シェラル、俺と、一緒に行かないか?」
 そう告げられた時、シェラルは目をぱちくりさせた。
 今まで正面から受けていた風を、今度は背に受けて、ティールの髪と服が揺れた。
「……でも、私は――」
 ――ティール程強くない。
 彼と一緒にいたいとは思った。しかし、それはシェラルも賞金稼ぎになる、という事ではないのだろうか。だとしたら、シェラルにはティールと共にやっていける自信がなかった。足手まといになってしまうのではないか、と、彼の強さを一番身近で見ていたシェラルだからこそ、そう思った。
「無理に、とは言わないし、賞金稼ぎにならなくても良いよ」
 ティールが言った言葉を、シェラルは心の中で否定した。
 賞金稼ぎにならずともティールと共に旅をする事は出来る。それぐらいはシェラルにも考える事は出来た。しかし、それではシェラル自身が、恐らく耐えられなくなってしまうだろう。賞金稼ぎにならずに共に旅をすれば、その負担は全てティールが負う事になってしまうのだ。それに、仮について行ったとしても、ティールが賞金稼ぎとして働いている間、シェラルは彼の身を案じるしか出来ないのだ。もし、彼が死んでしまった時、シェラルはそれを知らずに待ち続けてしまうかもしれない。それはシェラル自身が耐えられない。負担を負わせたままついて行くのも、命がけのティールを待つ事も。
「……やっぱり、無理、かな……?」
 その答えを予想していたのだろう、ティールは苦笑を浮かべた。
「――!」
 だが、その苦笑は一瞬で消え、ティールの全身に緊張感が満ちたのが、シェラルには判った。
 周囲を見回し、ティールはズボンのポケットからナイフを取り出した。鞘から刃を引き抜き、その鞘は再びポケットの中へとしまう。護身用だと言って、彼が常に携帯しているものだった。
「ど、どうしたの?」
 ただならぬ雰囲気のティールにシェラルはやや怯えたように問うた。
「魔生体が――!」
 言い終わらぬうちに、黒い影がティールに飛び掛かってきた。
 犬や狼に近い動物が歪んだ魔力に当てられたのだろう、身体の変形した四足歩行型の動物がティールに攻撃を仕掛けてきたのだ。
 ティールは寸前で身を投げ出すように横へ跳び、何とか前足の一撃をかわしていた。
 筋肉が異様なまでに膨れ上がった狼が、再度ティールに飛び掛かる。その目は血走り、白目を剥いている。その狼に対し、ティールは身を屈めて右手のナイフを突き出した。鋭い前足の一撃がティールの髪を掠める。対するティールの刃は狼の脇腹を浅く切り裂き、血飛沫を散らした。無理な体勢からの一撃に、ティールはそのまま前転するようにして体勢を整えた。
「くそっ、何でこんな時に!」
 毒づきつつも、ティールは警戒を解かずに狼に対して身構える。致命傷になっていない事に気付いているのだ。
 狼が跳躍するのと同時に、ティールは左腕を突き出し、その掌を狼に向けた。掌に集約した黒色の魔力が放たれ、魔生体を撃った。
 無論、強いとはいえ、ティールはまだまだ未熟だ。簡単な攻撃魔操術ぐらいは使えるが、それ一撃で魔生体を倒せる程の魔操技術はまだ体得していない。牽制にしかならなかっただろう。
 黒色の小球を身体に浴び、空中でバランスを崩した狼が落下してくるのを、ティールはナイフを構えて迎え撃った。ナイフにありったけの魔力を帯びさせて、狼の首を切り裂いた。
 魔結晶の使われていないナイフでは、魔力の付帯効率は悪い。しかし、しないよりは幾分か、攻撃範囲も威力も上昇する。
 返り血を服と顔の一部に浴びる事も構わずに、ティールは落下してもがく狼の首にもう一度ナイフで切りつけ、完全に息の根を止める。
「はぁ…はぁ……」
 荒くなった呼吸を整えながら、ティールがシェラルの方へと顔を向けた。
「だ、大丈夫……?」
「……何とか」
 顔に付いた返り血を手の甲で拭いながら、ティールはシェラルに答えた。
「……まだ、鍛え足りないかな…」
 ぼそりと、ティールは呟いた。
「……ティールは十分強いよ」
 シェラルはそんなティールに声をかける。
 装備が整っていれば、もっと楽に勝てるかもしれなかった。ただのナイフと、普段着では、魔生体を相手にするような装備ではない。魔装具の中には、風属性などの魔結晶を用いて造られているが故に、素早さが上がる装備もあるのだ。それに、シェラルにとっては魔生体と戦えるだけでも凄い事に思えた。
 先程戦った魔生体が比較的弱いものである事は判っていた。それでも、人間には戦うのに油断は出来ない。賞金稼ぎはそれらを毎日のように相手にしなければならないのだ。
「――っ!」
「きゃっ!」
 ティールの表情が凍り付くと同時、彼はシェラルを押し倒すようにして横に跳んで倒れた。
「な、何…?」
 問いつつも、顔を上げたシェラルは息を呑んだ。
 別の魔生体がシェラルに攻撃を仕掛けていたからだった。もし、ティールが動いてくれなければ、シェラルは無防備なところへ魔生体の攻撃を喰らう事になっていただろう。
「すぐに片付ける」
 ティールはそういって立ち上がり、ナイフに魔力を付帯させて構えた。
 狼が飛び掛かるのと同時にティールはナイフを投げた。その後で掌に魔力を集約させ、出来る限り威力を上昇させたものを二発、追撃として放った。狼の胸にナイフは突き立ち、一瞬、動きが止まった。そこに二発の魔力球が命中し、首と脇腹に穴を穿った。
 そうして、目の前に落下してきた魔生体にシェラルは再度息を呑んだ。そこに突き立ったナイフを引き抜き、ティールはその刃から血を拭うと、鞘に納めてポケットに入れた。
「……それにしても、ここに魔生体が現れるなんて…」
 ティールは不思議そうに呟いた。その場所は魔生体が全くと言って良い程現れない、安全とさえ言える場所だったのだ。
 魔生体は魔力の歪みが生じた時に現れるものだ。移動してきたと考えても、近くで魔力の歪みが生じたという事になる。
「街の方にレベルの高い魔生体が現れてなければ良いけど……」
 ティールは呟きシェラルの方へ向き直った。
「とりあえず、俺はこのまま街に戻ろうと思う。シェラルはどうする?」
「……私は、もう少しここにいるわ。ちょっと、色々考えたいから……」
 シェラルはそう答えた。
 実際に魔生体と戦っている場面を見たのは初めてではない。ティールはこれまでにも何度か、街の警備兵と共に魔生体と戦った事がある。しかし、一人で魔生体と戦ったのを見るのは、初めてだった。結果、ティールは一人で魔生体を倒せた。少なくとも、賞金稼ぎとして最低限のラインは超えているのだ。
 シェラルは、ティールが本気なのだと、改めて認識した。そして、自分もどうするのかはっきりしなければならないと感じた。
 意味を汲み取ったのだろう、ティールは頷いてくれた。
「魔生体がまだ近くにいるかもしれない。十分気を付けて」
 街の様子が気がかりなのだろう、ティールはそう言い残して街の方へと駆け出した。シェラルの事を気遣って、一人にしてくれたのかもしれない。
 それを見送ったシェラルは、魔生体がその身体を保てなくなり、崩れて行くのを見届けた。
「……私は、どうしよう…」
 一人になって、シェラルは呟いた。
 ティールが賞金稼ぎになるかもしれない事は、前にも考えた事があった。その時、シェラル自身も賞金稼ぎになってついて行くのか、という事も考えた。だが、結局、そうなった時に考える事にしていた。そうやって後回しにしているうちに、とうとう実際にその事を決断しなければならない時になってしまった。
 賞金稼ぎとしてやってゆける自信は、正直、シェラルにはなかった。無論、ティールと肩を並べて戦うなんて出来ないと思っていた。
「……ティールは、どう思ってるんだろう……?」
 ティールはシェラルの事をどう思っていて、誘ったのだろうか。
 もしかしたら、断られると思っているかもしれない。
 そこまで考えて、シェラルは頭を左右に振った。
「いけない、私が決めなきゃ」
 これは自分の意思で決めなければ、必ず後悔する事になるだろうと思った。
 誰かの言葉に従う事は容易いが、それが元で生じる不満は誰にぶつける事も出来ない。自分の責任だからだ。それならば最初から自分で選んで、納得した上で動いた方が良い。
「やっぱり、私は行けない……」
 悩んだ末にシェラルが出した結論はそれだった。
 家族の事もあるし、何より、ティールについていける自信がなかったのが、その結論を出させたのだろう。
 ここで、恐らくシェラルとティールは別の道を歩み始める事になるだろう。
 そう漠然と思いながら、シェラルは街へと向けて歩き出した。
 周囲にまだ魔生体が潜んでいるかもしれないとティールは言ったが、魔生体に襲われる事なく街まで戻る事が出来た。だが、街に辿り着いたシェラルは言葉を失った。
「……え……う、嘘……」
 そこは廃墟のような有様になっていた。
 外壁は打ち砕かれ、内部は嵐が荒れ狂ったかのようになっていた。建物は炎に焼かれたようで、それでいて暴風によって崩されたようにも見えた。ほとんどの家屋が倒壊し、焼け焦げた臭いと煙を周囲に充満させていた。
「な…何が……?」
 シェラルは震える身体を両腕で抱くようにして押さえ、街の中に踏み込んだ。
 瓦礫の隙間から血塗れの手が見えた。恐らく、建物が倒壊した時に潰されてしまったのだ。他にも、道端で焼け焦げているものや、引き裂かれているものもあった。もう、誰だか判らなくなってしまっているものばかりだった。
 死体はそのほとんどが炎の影響を受けているようで、切り裂かれているものの多くは出血しているものがほとんどなかった。血溜まりが出来ているものは、瓦礫に潰されているものばかりだ。
 ただ呆然と、その惨状を眺めていたシェラルは、ようやく一つの事を思い出した。
(――母さん、父さん、それにティール……!)
 三人の事を思い出し、シェラルは駆け出した。
 道端に転がっていた、真っ二つに両断された人間の成れの果てを間近で見てしまい、シェラルは吐き気を覚えた。込み上げるものを何とか堪え、何とかシェラルは自らの家の前へと辿り着いた。
「――そ、そんな……」
 家は崩れ落ちていた。ほとんどの家が倒壊している事からも予想出来ていたが、実際に目の当たりにしたショックは大きかった。
 瓦礫の中、一部に赤いもののこびり付いた部分が見えた。その時には既に固まっていたが、シェラルにはそれが何を意味するのかは理解出来た。無論、認めたくはなかった。
 耐え切れず、シェラルはその場に力なくへたり込んだ。
「……シェ…ラ……」
 瓦礫の一部がずれる音と、か細い声がシェラルの耳に届いたのは、そう時間が経った頃ではなかった。
 その声にはっとして振り向いたシェラルは、倒壊した家から何とか上半身を這い出させた中年の男を見つけた。近所に住む、気の良いおじさんだった。
「おじさん!」
 慌てて駆け寄ったシェラルを見て、前進傷だらけの彼は力なく微笑んだ。シェラルが無事だった事への安堵だったのだろう。
 額は割れ、左腕が不自然な方向に曲がっていた。右腕だけで這い出せたのは、比較的外側にいたためなのだろう。恐らく、奥さんはもう生きてはいない。
「……ティー……ルが……ア…ンスール…に……」
 途切れ途切れで、苦しげに、それでも必死に告げられた言葉を、シェラルはそれでもしっかりと聞きとめた。
(ティールが、アンスールに……)
 シェラルがそれに何も言えずにいる間に、彼は事切れた。
「……アンスール……」
 名前だけは聞いた事があった。魔操術の天才と言われた少年だ。
 呆然と、ただ何も考えられなかった頭は、やがて時間が経つと共にその働きを取り戻していった。そこで、シェラルは自分の頬を伝うものがある事に気付いた。状況を理解したのだろう、遅れてから涙が溢れてきたのだ。
 そうして、全てを失った悲しみは、やがてアンスールに対する怨みへと形を変えた。そのままその場に立ち尽くし、怒りと悲しみに涙した後、シェラルは一つの決意を固めた。
(仇を討とう…)
 その街に残っても生きて行けない事を理解した後、シェラルは仇討ちを決意した。それは、賞金稼ぎとなってアンスールを追う事を意味していた。 

 *

 あれからシェラルは賞金稼ぎとして生きて来た。
 無論、死にそうになった事は一度や二度ではない。魔生体に殺されかけた事だけでなく、賞金首に狙われた事もある。だが、誰かに助けられ、誰かを助け、自力で、その度に切り抜けてきた。今では危険度がAとされる賞金首とも渡り合えるだけの力は持っている。
 しかし、シェラルは部屋にもう一つあるベッドに身体を横たえている青年に視線を向けた。
 無言で目を閉じ、起きているのか眠っているのか判らない、レイム。彼はシェラルの潜り抜けてきた死線よりも数段以上も上の道を歩いて来たのだろう。彼の強さは尋常ではない。
 右目は敢えて治さなかったのだろうか、ともシェラルは思う。
 復讐を誓った際、仇から受けた傷を残し、自らへの戒めとする者は少なくない。失った身体を復元するだけの魔力を持つ龍であれば、眼球を復元するのは容易なはずなのだ。身体を構成する物質を、それの元となる魔力を使って再構成し、腕というもの全ての構造を再現するだけの魔力と魔操技術は人間には持つ事は出来ない。膨大な魔力を持つ上位の龍族であればこそ出来る芸当と言えるのだろう。
 だが、アンスールと戦うのに隻眼で不利になるのではないだろうかとも思った。少なくとも、両目の方が視界は広くなるはずだ。しかし、それを訊くのは憚られた。一度はぐらかされてもいる事でもあっただめだ。
「その、アンスールに殺されたティールに、レイムは似ていたの」
 シェラルはそれで締め括った。
 どこか、幼馴染に似て見えるレイムは、それでも確かに違う人物だった。
 彼の過去の話から解った事は、彼の父親がペインの一人だった事と、アンスールに戦いを挑んで生き延びた事だけだ。助けたのはディアロトスだが、恐らく、アンスールが司器を探しているという言葉からディアロトスはレイムと行動を共にして来たのだろう。
 その過去は、シェラルの知っている少年とは明らかに違う事実だ。
『……そうか』
 その人物に似ている他者を重ねて見てしまうのは、相手にも、重ねられた人物にも失礼な事だとは、シェラルも十分に承知していた。だが、それでも面影を拭い去る事が出来ないのだ。
 身を起こし、シェラルは窓の外を眺めた。
 既に日は沈み、月が暗い空に浮かんで見える。それを数十秒眺めたシェラルはベッドに再度寝転んだ。

 次にシェラルが気が付いた時、外は真っ暗になっていた。いつもよりも早く眠りについたせいだろうと思いつつ、シェラルは周囲を見回して気付く。
「……?」
 レイムがいなかった。もう一つのベッドで眠っているだろうはずの、レイムの姿はそこにはなかった。
 不意に気になって、シェラルは部屋から出て、建物の外へと出て行った。
 果たして、そこにはレイムの姿があった。ただ一人、人気のない通りに佇む彼は、護身用のためか双剣だけを身に着け、道の真ん中から空を見上げていた。
 微かに見えた、レイムの横顔はどこか儚げで、様々な感情を混ぜ込んだ表情で暗闇を見つめていた。暗い闇に浮かぶ仄かに白い月明かりがレイムの顔に陰影を落とし、シェラルはその場を動く事が出来ずにしばし見蕩れていた。
 その様は形容しがたい程に近寄り難く、それでいて、微かに魅力的でもあった。
「……どうした?」
 すっと、レイムが動いた。全くの自然な動きで、シェラルへと振り返る。
 その仕草にレイムの黒髪が緩やかに揺れた。
「……あ、レイムがいなかったから…」
 僅かにシェラルの反応は遅れた。
「…あ、あれ、ディアロトス……は?」
 咄嗟にシェラルはそんな疑問を口走っていた。何故そんなに動揺しているのかシェラル自身も解らなかった。
「今は寝ている」
「……眠る、の?」
 契約者である人間が起きていれば、その契約相手の龍族も目覚めているものだと思っていたシェラルには意外だった。てっきり、レイムの周囲の警戒もしていると思っていたからだ。
「街中では警戒の必要性は少ないからな。話し相手が眠ってしまう、というのもあるんだろう」
 レイムは答えた。
 何を考えているのだろうかと、シェラルはその時思った。契約者として行動と共にしているレイムとディアロトスはその意識をほとんど共有していると言っても良い状態にあるようだ。恐らく、レイムの考えている事は全てディアロトスに筒抜けになっている。そうなれば、ディアロトスが眠っている間というのは、レイムが自分一人だけで何かを考える事の出来る時間となるはずだ。
「……何、してたの?」
 問うつもりのない言葉が、シェラルの口から漏れた。
「……少し、考えていた」
「何を…?」
「俺は、どうするつもりなんだろうか、と」
 レイムは再び空へと視線を向けた。
「アンスールを殺しても、何も得られない事ぐらい解っているんだ。だが、少なくともラグニードがいる事で、対峙する必要はあるが」
 契約者であるレイムはディアロトスと共にアンスールとラグニードと接触する必要があった。
「……私は……」
 シェラルは何か言おうとして、出来なかった。何も言う言葉が無かったのだと、自分自身が驚いていた。
 レイムはアンスールへの復讐に執着していない。いや、執着心が消えてしまったのだろう。五年という歳月の間に、彼がどんな体験をしてきたのかは解らないが、その五年間の中で、彼は復讐に価値が無いと感じてしまったのだ。
 だが、シェラルはまだアンスールに対する敵意がある。見つければその場に殺してしまおうと思って今まで賞金稼ぎを生業として生きて来たのだ。しかし、それがシェラル自身には無理な事だと知り、今はレイムがアンスールを殺せる唯一の可能性になっているというのに。
「……私は……許せない……」
 やっと搾り出した言葉に、シェラルは俯いた。レイムの顔が見れなかった。
「許した訳じゃない、敵意はある。ただ――」
 レイムの声は数瞬前よりも近くに感じられた。気配が近付いてくるのに、シェラルは顔を上げた。
 その瞬間、レイムはシェラルの真横を通り過ぎた。
「――俺はこのままでは、奴には勝てない」
「――!」
 シェラルは擦れ違った瞬間の、その言葉に硬直した。
 何とか振り返った時には、レイムの姿はそこになく、シェラルは暫し呆然とした後、部屋へと駆け戻った。
 そこにはレイムがベッドの上で目を閉じて、眠っていた。
 何も考えられなかった。何を考えていいのかすらも、判らない。擦れ違いざまにレイムの漏らした最後の言葉、それがシェラルの心を乱していた。彼が何故そんな事を言ったのか、どうして勝てないと思うのか、何を考えているのか、それら全ての疑問がシェラルを取り巻いていた。それがシェラルには答えの出せない疑問である事は判っているというのに、考えずにはいられなかった。
 やがて、シェラルが寝付くまで、その心は不安感に苛まれた。
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