第四章 「足りないもの」


 レイムは宿で朝食を済ませると外へと出ていた。それにはシェラルも同行している。
 二人が向かっているのはフィアイルの中央図書館だ。ヴィルダも政府の本部でアンスールの目的を調べているはずなのだが、地方の都市にある図書館にしかない情報というのも少なからずあると考えての事だった。
 フィアイルの中央部にあるかなり大きな建物がフィアイル中央図書館だ。各地方には、その中心となる大都市に地方の中央図書館が設けられており、その地方に関する文献や情報等を優先的に保持している。
「……ここね」
 辿り着いた建物を見て、シェラルが呟いた。
『もう一度確認しておくぞ。奴等も神殿の場所を知らないため、最悪この中で出くわす事になるかもしれん。見つけた場合は戦闘せず、追跡に移行する事。そして、今我等が調べる対象は神殿の場所だ』
 ディアロトスがレイムとシェラルへ向けて言う。
 アンスールよりも早く神殿の場所が分かれば、待ち伏せする事が出来るはずだ。また、アンスールが先に知ったとしても、場所が分からなければ追う事が出来ないのだ。
 レイム達には神殿の場所を知る必要があった。
 中央図書館の内部は書物の保存に最適な温度に保たれており、掃除も行き届いている。静かな図書館内部には、設置された机で調べものをしている者や、読書をしている人も見受けられる。
「あの、神殿というものについて調べたいのですが……」
 受付でシェラルが尋ね、その類の本の大まかな場所を教えてもらった。
 そこで教わった階まで上り、神殿等の情報があると思われる区画へと向かう。建物内に並べられている本棚は、大人ならば最上段の本も取れるような高さになっていた。利用しやすいように考慮されているのだ。
「じゃあ、ここから手分けして探すのね」
「ああ」
 シェラルの言葉に頷き、レイムは手近な本棚に向かった。
 本の背表紙を一瞥し、目当ての情報が無さそうな本は飛ばして、次の背表紙を見る。それを繰り返して本棚を一つ読み飛ばして行った。
 目当ての情報がありそうな本を見つければ、それを手にとって開き、目次から情報を探した。
『――それはどうだ?』
 ディアロトスの意識が指し示した本にレイムは手を伸ばした。

 ――各地方に必ず存在する神殿の存在は一般にはあまり知られていない。しかし、それに関しての情報は完全に秘匿されているわけではなく、本誌のように掲載されている書物も存在する。何故神殿の存在が知られていないのかと訊かれれば、それは一般が学ぶ学問の過程にその存在の名前すら出ていないからである。これに関して、世界政府の見解は現在も調査中で未知な部分のある神殿に関しての情報を一般に公表する事で、起こり得る非常事態を未然に防ぐ為、との事だ。
 つまりは、神殿内部には未知な部分、危険性の含まれるものがあるという事になる。
 現時点では、神殿内部には中核結晶と呼ばれる魔結晶の存在が確認されており、更に龍族がそれを守護しているという事も判っている。
 魔結晶についての解説はここでは割合するとして、この中核結晶というものは、その存在自体が世界に影響を及ぼしている。世界に溢れ、世界というものを構成している元となっている魔力の源がこの中核結晶であると言われているが、それはまず間違いではないと言っていいだろう。中核結晶の持つ魔力は、今までに発見されているどの高純度魔結晶をも凌駕するほどの純度を持ち、その属性も純粋なもので、中核結晶はそれが存在する空間に属性効果を放出しているのだ。
 また、面白い事に中核結晶の存在する神殿は、球体であるこの世界に等間隔に存在している。そして、その神殿を中心に属性の偏った各地方が存在しているのだ。様々な科学者達の見解も参考にしてみても、ここから推測される事は、中核結晶は世界の魔力バランスを保っているという考えだ。
 そして、ここで重要なのが中核結晶を守護する龍族の存在である。
 龍族には階級があり、その魔力容量の大きさや、戦闘能力、知識等で分けられている。その中で、中核結晶を守護しているのは最高位であるディーティ・クラスのランク・イクシードというものだ。更には、そのランク・イクシードを補佐する立場として同じくディーティ・クラスであるランク・ニルヴァーナの龍族が一体ずつ存在している。無論、これらのクラスの龍族は凄まじい戦闘能力を持つ。驚くべき事に、ディーティ・クラスはこの二つのクラスしかなく、中核結晶を守護するためだけに存在しているようにすら感じられる。
 厳重に守護されている中核結晶だが、存在しているだけで世界規模の魔力に影響する程の純度のため、それ自体にも凄まじいまでの強度がある。つまり、普通の武器では中核結晶には傷を付ける事も出来ないという事だ。
 無論、それに傷が付いた時、世界にどんな影響が出るかは解らない。下手をすれば魔力バランスの崩壊という事態も考えられるのだ。
 しかし、その中核結晶に傷を付ける程の高純度の魔結晶で造られた魔装具の存在が確認された。司器と呼ばれるその魔装具に用いられている、魔結晶の純度は中核結晶の純度の九十パーセントであり、最強の魔装具と言える。何せ、現時点で発見された魔結晶のうち、最も高純度なものでも司器に用いられている魔結晶の純度の三十パーセントしかないのだ。
 その司器は中核結晶と同じだけ存在し、その純度も全て中核結晶と対になっていると考えられている。まだ全ての神殿と司器が発見された訳ではないのだ。
 これらの事からも、神殿の存在の重要性は窺えるだろう。
 しかし、ここで疑問が生じた。
 中核結晶はどのようにして出現したのか。明らかに何者かが造った、神殿と呼ばれる遺跡の存在。司器という特殊な魔装具。ディーティ・クラスに守られているという異質な状況。
 この世界が誕生するに当たって、漠然と存在していた魔力が自然に中核結晶という形で集まり、魔力の属性バランスが形成されて世界が出来たと言われている。
 中核結晶の攻撃的な部分が司器として形成されたという考えもある。
 龍族は世界を司ると言われているが、それが真実で、中核結晶の守護者として、中核結晶が生み出したものだという考えもある。
 しかし、これだけ推測がある中で一つだけ推測出来ないものがあった。
 神殿である。現在の我々には、神殿を造る事は出来ないのだ。神殿内部の魔力バランスは自然では有り得ない程に完全な均一を保っているのだ。中核結晶という存在があるにも関わらず、中核結晶の影響が出るのは、中核結晶の存在する空間と、神殿外部のみで、神殿内部のほとんどには中核結晶の膨大な魔力の影響が一つもないというのだ。
 現在、政府は場所の判っている神殿のイクシードから事情調査等をしているらしいが、それによって何が解るのだろうか。そして、それはいつ、解るのだろうか。
 世界の真理は未だ解明されていない――

「……当たりだな」
 レイムは呟いた。
『シェラル、情報を見つけた』
 ディアロトスがシェラルに思念を飛ばし、少し間を置いてからシェラルが現れた。
「ここだ」
 そのシェラルにレイムは開いたままの本をそのまま手渡した。
 シェラルがそれを読み終えるまで、レイムはディアロトスと共に他に情報のありそうな本を探していた。ディアロトスの視線はレイムの視界外である背後も含まれているため、こういった場所での探索にはかなり役に立っていた。
 本の記述からは、中核結晶が世界の魔力バランスを保っているという事と、司器にはそれに傷を付けられるだけの攻撃能力が備わっているという事だ。
 魔結晶の純度は、攻撃能力の差に大きく影響している。同じ属性の魔結晶で考えた時、傷を付ける事の出来る魔結晶の純度はプラスマイナス十五パーセント以内なのだ。つまり、かなり純度の近い魔結晶同士でなければダメージを与える事が出来ないのである。例えば、敵が鎧として身につけている魔装具を貫通してダメージを与えたい場合、最低でもその鎧に使われている魔結晶の八十五パーセントの純度の魔結晶が用いられた魔装具が必要になるのだ。また、攻撃を受ける側としては、敵が攻撃に用いた魔装具に使われている魔結晶の百十五パーセント以内の純度では、攻撃で鎧が削られてしまうのだ。
 それだけではない。単純に魔結晶の純度が高くとも、魔装具に使われている魔結晶の割合も影響してくるのだ。高純度の魔結晶そのものを刃としている司器でなければ、最高純度の魔結晶である中核結晶に傷を付ける事出来ない。
 そして、それらを踏まえると、記述から、司器に傷を負わせる事の出来る魔装具は存在しないという事になる。高位の龍族の魔力を全て魔結晶の形にでもしない限り、司器と対等にぶつかり合える魔装具は出来ないだろう。
「……つまり、アンスールは中核結晶を壊そうとしているのね?」
『恐らくはそうだろう。ラグニードが反乱を起こした時の目的も同じだと考えて良いだろうな』
 シェラルの言葉にディアロトスが答えた。
 ラグニードは中核結晶を破壊しようとして、イクシードを殺したは良いが、中核結晶の純度の高さに歯が立たなかったのだ。そのため、中核結晶を破壊出来るだけの力を持つ司器を探す事にしたのだろう。
 そして、その途中で目的を同じとするアンスールと出会った。
「そのために、司器を探していたのね」
『恐らくな。そして、司器が手に入ったから、今度は中核結晶の存在する神殿を探す事にしたのだろう』
 シェラルの推測をディアロトスが肯定する。
 レイム達の推測があながち間違っていない事がこれではっきりした。
 ただ、神殿の場所を既に一箇所知っているラグニードが何故そこへ向かわないのかは解らなかった。
 相反の関係にある魔力同士をぶつければ、双方が打ち消し合うという事が起きる。それは、水と炎を瞬間的にぶつける事で水蒸気爆発が起きる事と似たようなものだ。つまり、相反する属性の魔装具での攻撃は、場合によってはその効果の倍の攻撃能力を持つ事があるのだ。
 もっとも、中核結晶をそれに近い純度の魔結晶が用いられた司器を使って破壊するとなると、下手に相反する属性を使うのはまずいだろう。魔力が大きければ大きい程に、相反する属性の効果は強くなり、打ち消しあう時のエネルギーは大きくなる。
 巻き込まれる心配のないよう、同じ属性のものを使うのかもしれない。そう考えるのが自然だろう。
『ところで、そっちに情報はあったか?』
「こっちにはないわ。やっぱり、こういう場所では神殿の場所は公開されていないのかもしれないわね」
 ディアロトスの問いにシェラルは肩を竦めて答えた。
 公表する危険性を考えて、一般に公開されている場所で神殿の場所が明かされないように取り計らってあるのだ。そうでなければ、もっと多くの人間が神殿の場所を知っているだろうし、地図等にも記されているだろう。
 世界政府はどこまでの情報を持っているのだろうか。
 かつての世界は、現在のように平和とは言えなかった。無論、犯罪が多発し、どこに行っても賞金稼ぎを見かけるような今も平和と言えるかどうかは疑問だが、それでも、今よりも混沌としていた時期があったのだ。
 今でも人間と龍族の交流が少ないのは、その時期のせいだと言える。何故ならば、かつての世界は人間と龍族が争っていた時期があったからだ。それを治め、龍族を敵としての認識から解き放ったのは、今の世界政府の前衛組織だったのだ。
 その時期の伝説等は世界各地に存在し、それに関する書物は多数存在しているのだ。
『――む…?』
 ディアロトスが何かを察知したように、意思をレイムに伝えた。
 遅れて、レイムもそれを感じた。禍々しく歪んだ魔力の流れが、かなり遠くから迫ってくるのを感じた。
「どうしたの?」
 シェラルの言葉に、レイムは無言で本を棚に戻し、歩き始めた。
 出口へと向かって行くレイムを、シェラルが追い掛ける。
「……何、この感じ…?」
 再度問い掛けようとして、シェラルも魔力を感じたようだった。
『何かが来る……厄介だぞ、こいつは……』
 ディアロトスの意思が粟立つ。
 数は恐らく、三つ。フィアイルの南から強烈な魔力の歪みが近付いてくるのを感じた。魔力の歪みが強いために、どれ程の大きさのものかははっきりと判らない。それでもかなりの戦闘能力を持つ事が予測された。
『あと数十秒で壁に到達するな、どうするつもりだ?』
 図書館の外に出て、ディアロトスがレイムに尋ねた。
「……叩く」
 そのディアロトスの問いに、レイムは告げた。
 魔生体が共同で動くという事はまずないと言っていい。群れを成して行動する動物が複数魔生体と化して襲って来ても、それに協調性は全くない。それぞれが勝手に狙いを定め、襲って来るだけなのだ。
 協調性は全くないが、襲われる側が少数であれば、必然的にその魔生体達に協調性を感じてしまう。それは人間の心理が状況を解り易く解釈しようとした結果に過ぎず、事実とは異なっているのだ。
 だが、今回の魔生体には、明らかに作為的なものを感じた。魔生体が三体、並走して都市に接近した例は、自然には有り得ない。そのどれにも必ず魔生体使いの存在があった。
「……出来るの?」
「やれる。でなければアンスールには勝てない」
 シェラルに即答し、レイムは勢い良く地を蹴った。
 鍛えられ、魔装具の装備によって補助された身体能力がレイムを家の屋根まで跳躍させた。そのまま屋根伝いに走り出し、都市の南へと向かう。
 恐らく、相手はリネルダと名乗った女だ。
 通常の魔生体ではレイムを倒せないと解り、強力な生物を魔生体にしたのだ。そうでもなければ、説明がつかない。彼女がアンスールを愛しているという言葉を信じれば、アンスールを殺そうとし、それだけの力を持っている可能性のあるレイムは邪魔な存在のはずだ。そのレイムを葬るため、という仮定が妥当だろう。
 外套に隠れて双剣を引き抜き、逆手に、腕に沿わせるようにして握る。前方に見えた都市の外壁と、魔生体の気配との位置が直線である事を再確認し、レイムは屋根から跳んだ。
『……来るぞ!』
 ディアロトスの思念と同時、外壁が吹き飛び、巨大な龍族が三体現れた。
 一体目が壁を打ち壊し、その上を二体目が飛び越えて都市内に突入し、三体目が空中に滞空して都市を見下ろしていた。その三体目の龍人型龍族の肩に、リネルダの姿がある事をレイムは見逃さなかった。
 破壊された外壁の破片が前方から迫り、レイムはそれを双剣で切り裂き、弾いた。足元に跳んで来た破片を蹴飛ばして跳躍し、一体目の龍族の鼻先を足掛かりにさらに高く跳んだ。
『……こいつら、ランク・ドミネイションか!』
 ディアロトスが魔力の大きさを感じ取り、呻いた。
 第四位ドミネイション(主天使)、それは第三位以上の階級に存在する龍族の数の制限があるのに対し、その制限のない階級の最上位だ。一般に姿を見せる龍族の中で最強と呼ばれている部類に入る。魔力と戦闘能力が非常に高く、第三位以上の龍族に匹敵する龍族もいる。第三位以上の階級には、一般に知識と言われるような能力が高くなくてはならない。つまりは、様々な事に関しての知識や、客観視する能力、臨機応変さといった様々な龍族としての性格が重要となってくるのだ。
 その龍族を魔生体に出来るだけの技術を持つリネルダという魔生体使いは、かなりの技術力を持っている事になる。だが、一方で魔生体を生み出す秘術は攻撃能力を持たない。対象を魔生体にする、という意味では攻撃能力に成り得ると言えなくもないが、それでも、通常の魔操術に比べて集中が必要であり、魔力の歪みを生じさせるには時間がかかると言われている。つまりは、普通に戦えば魔生体を生み出す秘術は実際の攻撃には役に立たないのだ。
 魔生体を倒せれば、レイムの勝利が確実のものになる。
 三体目、リネルダへと一直線に向かうレイムの前に、二体目の大型龍族が割り込んだ。
「――!」
 その手の爪が大きく横合いから振られ、レイムはそれを空中で受け流した。
 爪が接触する瞬間に、その爪に双剣を立て、その箇所を軸に身体を持ち上げる。そうする事で、横合いからの力は爪を乗り越える力に変換され、腕を軸に身体を回転させて受け流す事が出来るのだ。
 瞬間的に反転した身体を強引に捻り、レイムは身体を上空へと向ける。受け流したとはいえ、衝撃を百パーセント受け流せたわけではない。無傷で済んだというだけで、実際には重い衝撃を受けているのだ。それでも、傷がない事は戦闘では重要な事だ。
 左手に握っていた双剣を口に咥え、レイムは左手を上空へ突き出した。
 ――ディアロトスっ!
 内心の叫びに呼応して、左手に凄まじい魔力が集約する。周囲に存在していた魔力が集まり、一つの物質を生成するような魔力の集約感。レイムの左腕に纏わり付いた魔力がその形を変化させ、龍の頭の形へと変化して行く。腕の途中には大きな翼が生じ、さながら鳥のように、龍の首から先が生じた。
 レイムの意識がディアロトスに伝わり、左手の先に莫大な魔力が集約する。それは丁度、龍の口の中に生じていた。翼が左右に大きく展開し、照準のブレを止めると同時に落下速度も若干緩める。その中で、口腔内に生じた集約された魔力が、その開かれた口から一筋の閃光となって放たれた。
 放たれた閃光が割り込んだ二体目の龍族の左の翼の付け根を貫いた。その翼が身体から離れ、バランスを崩した魔生体が落下して行く。そこへ近寄るように、左腕の翼に意思を送り、魔生体の間近まで移動した。龍族の目がレイムへ向けられるよりも早く、レイムはその魔生体に右手に握り締めていた双剣を突き刺し、そこを支点に魔生体の身体に足を付けた。双剣を引き抜くと同時に跳躍し、リネルダに視線を向ける。
 流石にリネルダも驚いた表情を見せていた。
 レイムが最初からリネルダを狙っていた事は、相手も気付いているだろう。しかし、上空に滞空しているリネルダを狙うとは思っていなかったはずだ。
 ディアロトスの魔力によって、レイムの身体能力は向上している。召喚契約者の利点の一つだ。
 その向上する身体能力は、契約相手の魔力の大きさによって変化する。ディアロトスはトップレベルの魔力を持っているため、その上昇値はかなりのものだ。跳躍力、瞬発力もその一つだ。召喚していない時でも、能力向上は行われているが、やはり、召喚していた時の能力向上とは比べ物にはならない。
 双剣に魔力を込め、横合いから振った。刃の届く距離ではないが、魔力を飛ばすのには十分な距離にまで届いていた。
 漆黒の刃から、その魔結晶によって増幅された魔力だけが打ち出された。それをリネルダを肩に乗せた龍の魔生体が避ける。
 三体目の人型の龍族は、それでも三メートル程の大きさを持っていた。元々の身体が大きい龍族は、体格の落差は大きい。人型だからと言って、人間と同じサイズであるとは限らないのだ。
 リネルダの表情が歪む。レイムの力を過小評価していたのだ。
 かなりの高さから落下して行くレイムは下方へと視線を向けた。先程足掛かりにした龍が街の一画に墜落していた。
 建物を二つ程背中で押し潰し、衝撃波が周囲の建物にも被害を出していた。その付近に人影がないのは、避難した、という事だろう。
 一体目の龍がレイムへ向けて口を開いていた。その口腔内に凝縮された魔力が、周囲に圧倒的な攻撃力を悟らせる。レイムは右手の双剣に魔力を込めた。落下時の衝撃を和らげるため、左手の翼は展開して減速に使っており、攻撃には間に合わない。
 龍の口から放たれたのは、魔力の塊だった。恐らく、歪んだ魔力にあてられ過ぎて、炎等の純粋な魔力を用いた攻撃が出来なくなっているのだ。禍々しいまでの殺気を帯びた、歪んだ魔力の塊は球形でありながら、脈打つように歪みを生じ、レイムへと高速で飛来する。
「――ふっ!」
 呼気を吐き出し、レイムは右手の刃を振るう。内側から外側へと払うように。
 刃に込められた邪属性の魔力が、魔結晶により増幅され、剣の刃を拡張する。そして、それに触れた魔力球の攻撃能力を削り取り、外側へと力の向きを逸らして行く。一瞬、レイムと魔力球とが停止し、その直後、魔力球は凄まじい速度で脇へと逸れた。
 風圧に髪が乱れる。外套に風を受け、それも使って落下速度を打ち消し、レイムは外壁の間近まで接近した。その外壁に右手の刃を突き刺し、減速に使う。
 何とか着地したレイムに、二体の龍族が魔力を吐き出した。一体は正面から、もう一体は左脇側の上空からだ。
 凝縮せずに吐き出す、拡散型の魔力。一般的に言う、ブレスだ。歪んだ炎属性の魔力が、細かい粒子状に吐き出される。歪んでいるが故に、炎という形を取る事はない。しかし、逆に、歪んでいるために、別属性の魔力がそこには存在する。そのため、単なる炎のブレスより、時としては脅威となる事があった。
「……ちっ」
 小さく舌打ちし、レイムは外套を投げ捨て、それを盾にして道を確保し、ブレスの効果範囲を脱出した。外套は溶けるようにして、消滅した。
 半壊した建物の裏に周り、それと外壁の間を蹴って、屋根の上に上る。傾いた屋根を駆け、レイムは片方の翼を失った龍の背中へと跳んだ。着地と同時に右手の剣を突き刺し、そこを支点にして身体を持ち上げ、残っている翼の付け根に足を掛ける。
 刃を突き立てられ、龍が身体を震わせ、レイムを引き剥がそうとする。残っている翼に剣を突き刺し、振り落とされぬようにして、レイムはディアロトスに意識を飛ばした。
「……フレイム・ソード」
 呟き、左手の龍の口に、炎属性の魔力を凝縮させる。
 それを剣の形に引き伸ばし、レイムは振り上げた。
 ディアロトスを媒介にした魔力は、ディアロトスの意思に応じて魔力が追加される。龍族の魔力を、召喚している時のみ扱う事が出来るのだ。しかし、それは誰でもそうとはいかない。召喚契約は一方的に解約出来るため、契約相手の龍が自らの魔力を委ねるに相応しいと判断しなければ、信頼していなければ龍族の魔力を完全に扱う事は出来ないのだ。
 灼熱の炎が左手の、龍の口から剣状に伸びる。凝縮された炎の魔力はそれだけで周囲に熱気を放ち、剣自体も燃え上がっていた。
 それを振り下ろし、翼を一つ失った龍の後頭部に減り込ませる。肉の焼ける臭いと、絶叫が響き渡り、龍が縦に溶断されて行った。
 その翼の付け根から足を離し、後方へと飛び退く。左腕を突き出し、溶断されて苦しむ魔生体へと剣の切っ先を向けた。
「ブレス!」
 振り下ろした刃を拡散させ、溶断された龍族に浴びせた。
 歪んでいないがために、その魔力は龍族を燃やした。炎が身体に燃え広がり、魔生体が絶叫を上げる。
 もう一方の龍が建物を破壊してレイムへと突撃して来た。
 身体の大きい龍族同士は、あまり近付いて戦う事をしない。互いに攻撃の範囲に入ってしまう事を怖れるからだ。人間と違い、単体で高い戦闘能力を持つ龍族は、その攻撃を互いに受けるのを避けようとする。そのため、龍族には協調性という意識がほとんどない。
 身体が大きく、単体での戦闘能力が高いが故のその欠点は、かつて人間との戦いでも突かれていた。協力し、魔装具を用いて、連携攻撃を行う人間の戦法に、龍族は苦戦したのだ。無論、人間達も龍族の奇襲に苦戦を強いられたが。
 第三位以降の階級の龍族であれば、それだけの知識を持ち、行動する事が可能だ。共同しての攻撃を避けるという本能とも言える意識を捨てて、攻撃が可能なのだ。
 魔生体と化して、意識がほとんど無くなったであろう状態でも、その意識だけは残っていたのだろう。龍の背中に飛び乗り、攻撃を加えるレイムに、もう一体の龍は攻撃をして来なかった。
 無論、ディアロトスというもう一つの目があるレイムには、その攻撃を避ける事が出来ただろう。
『大丈夫か、レイム?』
(……当たり前だ)
 ディアロトスの意識に、レイムは答える。
 流石に、落下した時の衝撃は身体に残っていた。かなりの高さから落下したのだ。減速したとはいえ、その衝撃を全て受け流す事は出来なかった。もっとも、十分に動けるだけの衝撃によるダメージは、暫く休めばすぐに回復するだろう。
 上空への攻撃は、リネルダ自身が攻撃して来るように仕向ける挑発の意味合いも含まれていたが、今のところその様子は無い。しかし、残り一体となればそうも行かなくなるはずだ。
 恐らく、この三体の魔生体でレイムを倒せなければ、レイムを止める事は出来ないと考えるだろう。普通に人前に姿を見せる龍族の最高位の魔生体で倒せなければ、レイムを止める手段はリネルダには残されていないだろうからだ。
 一度息を吐き出し、レイムは正面から突撃して来る龍族の攻撃範囲から逃れるため、地を蹴った。

 *

 シェラルは外壁が崩れるのを見た。そこへ向かう通りから逃げて来る人々の間を流れるようにやり過ごして進んでいた。
「……何、あれ……?」
 思わず声が漏れた。
 崩された外壁から一体、それを飛び越えてもう一体の龍が都市内部に侵入して来ていた。
「レイムは…?」
 シェラルは周囲を見回した。
 住人が見えなくなってからシェラルは呟いた。レイムの姿が見えなかった。
 と、突然空中にいた龍が更に上空へと向かって行った。それを追って視線を向けた先に、レイムはいた。それと、三体目の魔生体も。
 羽の生えた大きな人型のシルエットから、それが龍人型の龍族である事が解る。その肩に、リネルダがいた。レイムはリネルダに視線を向けていた。最初から指揮官を倒そうというのだ。
 その間に割り込む龍族の爪での攻撃を、レイムは凌いでいた。
 距離があるために、シェラルには何をしたのか判らなかったが、身体を横に回転させて爪を避けたように見えた。そして、そこから落下する最中、レイムが左腕を突き出した。
 膨大な魔力がそこに集約し、レイムの左腕を覆う。そして、それは龍の頭の形へと変化した。しかし、前に見た時と明らかに違う部分があった。
 龍の首の後ろから、翼が生えていた。左右に伸びた翼が落下速度を僅かに緩めたのが、シェラルには解った。その翼は大きく、片方だけでもレイムの身長と同じぐらいはあった。
 その龍の口から凝縮された魔力が放たれるが、リネルダを乗せた龍人はそれをかわした。しかし、間に割り込んだ龍の翼の付け根に命中し、一方の翼が身体から離れた。
 龍族が落下し、レイムも翼を広げて滑空するように落下して行く。その下方から地上にいた龍が口を開け、魔力球を放った。
 それを右手に握った双剣で弾き飛ばし、レイムは外壁に剣を刺して減速し、着地した。
「……凄い」
 ぽつりと、シェラルは呟いた。
 かなり上級の魔装具を装備しているせいもあるのだろうと思う。それでも、レイムの戦闘能力は常人を遙かに超えていた。召喚契約したディアロトスの力かもしれないとも思った。
 レイムの能力が、シェラルには遠く感じられた。フィアイルへ来る前の夜、龍族を倒しただけではない。リネルダと一度戦っておきながら、それは全力ではなかった。恐らく、この戦いでも、レイムは全力を見せないのだろう。本当の窮地に陥っていなければ、相手がそれだけ強くなければ、レイムは全力を出さない。
 確証はないが、それでもそう感じていた。
 足が止まっている。そこから先へ進む事を、躊躇っていた。
 ――アンスールを倒せないかもしれない。
 レイムはそう言った。それは、レイムが自分の全力を知っているから言える台詞だ。そして、それだけの強さを持つとレイムが確信したアンスール。
 勝てる見込みは五分だと言ったアンスールは、確かに強かった。
 政府の精鋭であるはずのペイン、ヴィルダを圧倒したのだ。最高位に属し、同様に戦闘能力の高いディアロトスと引き分けた龍族、ラグニードと召喚契約をしている。更には、究極の魔装具である司器を持っているのだ。
 まともに考えて、そんな状況にあるアンスールに勝てる者がいるだろうか。
 シェラルには無理だ。既に、自身の無意識がそう告げていた。
 いくら、今までに死線を越えて来たとはいえ、それはレイムにとっての死線ではないのだ。レイムの辿った道は、恐らくシェラルでは越える事が出来なかっただろう。無論、ディアロトスとの契約によって越えられた部分もあるはずだ。それでも、レイムは越えて来たのだ。
 シェラルにも、龍族と戦った経験はある。
 だが、その時のシェラルには仲間がいた。一人で勝てた訳ではないのだ。そして、その龍族は恐らく、今レイムが戦っている龍よりも戦闘能力は低い。
 今まで、アンスールは強いと思っていた。しかし、その考えは間違っていた。
 シェラルは、アンスールに勝てると思っていたのだ。だが、現実はシェラルよりも遙かに強いのだ。
 龍族は一人の人間には倒せないと、シェラルは思っていた。仲間と共に戦い、勝てたのはその仲間と自分がそれだけの力を身に付けていたからだ。確かに、シェラルは並の賞金稼ぎよりは強い場所にいる。しかし、それでも龍族を一人では倒せない。
 そんな自分の限界から、アンスールの限界を導き出していたのだ。間違った答えを。
 数人の仲間がいれば龍族に勝てるシェラルならば、アンスールにも勝てるだろうと、そう思っていた。アンスールと同レベルの強さは身に付けていると、過信していた。
 だが、事実は違った。
 ペインという、明らかにシェラル以上の戦闘能力を持つ人間が、アンスールに負けたのだ。
 様々な要因があるとしても、それはアンスールの強さなのだ。アンスール自身が手に入れた力なのだ。
 召喚契約もしていない、司器も持っていないシェラルには、アンスールには勝ち目がない。全ての能力で劣っているはずだ。
 ――怖い。
 そう感じた。恐らく、シェラルがアンスールと戦えば、確実に殺されてしまうだろう。それだけの力を、アンスールは持っているのだ。
 そして、恐らくは、レイムも。
 だが、それは普通ではない。無論、シェラルが今まで生きて来た道のりも普通ではないはずだ。それでも、レイムやアンスールには、シェラルの経験は全て普通と感じられるぐらいに過酷な道を通って来たのだ。そうでなければ、それだけの力を手に入れる事は出来ない。
(何を躊躇っているの……?)
 足は動かない。前に進もうと思っているのに、足が、無意識がシェラルを躊躇わせている。
 この場所から先へ踏み出せば、二度と戻る事は出来ない。そう感じた。
(私は……!)
 シェラルは前方へと視線を向けた。
 レイムが、一方の翼を失った龍を切り裂いていた。左手から莫大な炎属性の魔力が吐き出され、それが魔生体を包む。
(アンスールを超えたい……!)
 歯を食い縛り、シェラルは前へと進んだ。
 たとえ戦闘能力で敵わなくとも、精神的な面だけでも、アンスールを超えたいと、そう思った。
 足が地面に着く。もう一方の足で地面を蹴った時、シェラルは駆け出していた。
 だが、その足が途中で止まった。
「あなた……」
「あら、まだこんなところに人がいたの?」
 シェラルの前に、リネルダが立っていた。
 横道から出て来たところに出くわしたのだ。龍族を三体も魔生体に変えておきながら、疲労感を感じさせない足取りだった。
「危ないわよ、早く逃げなさい」
 リネルダが言う。
 彼女は、シェラルを知らないのだ。
「あなたこそ、どこへ行くつもり?」
「私も逃げるのよ」
「……負けそうだから?」
「――!」
 シェラルの一言に、リネルダの表情が一瞬だが、変わった。
 その言葉で理解したのだ。シェラルがリネルダには敵であると。

 *

 建物を破壊し、龍が突撃して来る。レイムはそれを横へと跳んでかわした。
 左腕、ディアロトスで反撃するには、距離が近過ぎた。魔力を凝縮している最中に、龍の攻撃がレイムに到達してしまうのだ。無論、凝縮せずに攻撃する事も可能だが、ランク・ドミネイションの龍に致命傷を与えるにはそれなりの威力が必要になるのだ。
『リネルダはどうする?』
(逃がす気はない)
 ディアロトスに応じ、レイムは建物の間を駆け抜ける。
 龍がブレスを周囲に撒き散らし、建物が強い魔力に歪み、溶けるようにして崩壊して行く。その効果範囲から逃れ、龍に攻撃するために丁度良い場所へと向かっていた。
 半壊した家の、崩れた壁に足を駆け、向かい側の家へと跳躍する。その建物の壁を蹴り、最初に足を掛けた家の屋根へと着地した。
 脆くなっていた屋根が、レイムの着地の衝撃によって崩れ落ちた。足場が消える寸前にその足場を蹴飛ばし、新たな足場へと移動し、レイムは龍へと視線を向ける。
「ディアロトス」
 呼び掛け、レイムは左腕を龍へと向けた。
 莫大な魔力が口腔内に凝縮される。その魔力を感じ取ってか、龍がレイムの位置を捕捉した。口を開き、魔力球を形成しようとするが、遅い。
 左腕の龍の口から圧縮された魔力が閃光となって放たれる。それは魔生体が開けた口の中へと吸い込まれるように命中した。
 喉を突き破り、閃光は魔生体の口を貫いた。威力の高さが風圧となって、遅れて周囲に伝わり、半壊した建物を更に崩して行った。
『――来るぞ、残りの一体!』
 ディアロトスの声に、レイムは上空へと視線を向けた。
 頭からレイムへと突撃するように、龍人型の魔生体が滑空して来ていた。
 その肩にリネルダがいない事から、彼女が一時的に避難した事を悟る。だが、下手に放って置けば逃げてしまうはずだ。
『ランク・スローネスだと……!』
 第三位スローネス(座天使)、戦闘能力においては言うまでも無く高く、人前に姿を現すという事が極端に少ない階級だ。第三位以上の階級は数えるほどしかおらず、その階級から上は、定員が決まっている。必ず総数になるよう、欠員が出た場合は下の階級から格上げし、補充しているのだ。それだけの階級を魔生体にするには、余程の技量が必要になる。
 どうやってリネルダがこれだけの戦力を魔生体に変える事が出来たのかは判らない。だが、今はそれを考える時ではない。
 魔生体が掌から魔力球を放つ。禍々しく歪んだ魔力が複数打ち出され、レイムへと飛来した。
「――っ!」
 直撃軌道にあるものを右手の剣ダークエッジで、弾き、レイムは後方へ跳躍した。無論、足場がない事は承知の上だ。
 魔生体がレイムのいた建物にそのまま突撃し、屋根を貫いて半壊していた建物を破壊する。
 屋根の上から地面へと着地したレイムは建物へとディアロトスを向けた。その口腔から圧縮していない炎を連続で放ち、建物を崩壊させた。炎が建物に燃え移り、熱気を周囲に放つ。
 瓦礫と化し、崩れ行く建物の中から魔生体が飛び出して来た。その爪での攻撃を寸前で右手の剣で受け止め、ディアロトスを向けるが、魔生体は強引にレイムを弾き飛ばした。
 背後にあった建物の壁を突き破り、レイムが地面に背中を打ち付けた。建物が半壊していたため、壁が脆くなっていたのが幸いだった。受けたダメージは少ない。
 直後、魔生体が鋭い爪で突きを放って来た。咳き込む事もなく、レイムはそれを横へ転がって回避し、そのまま立ち上がりざまに右手の剣を振るった。
 左肩を浅く切り裂く事は出来たが、それは致命傷ですらない。魔生体が下方から振り上げた爪の反撃を横に跳んで避け、ダークエッジを水平に薙ぐ。手首の辺りを切り裂いたが、魔生体にはそれも致命傷にはならない。出血し、身体の細胞が壊死しようが、魔力で強制的に身体を動かしている状態の魔生体にはそれで動きを封じる事も出来ないのだ。
 近距離においては翼を展開したディアロトスを召喚した左腕は使い勝手が悪い。そのため、近距離では必然的に右手のダークエッジに頼る事になる。その代わり、遠距離ではディアロトスが力を発揮する。勿論、先程戦った時のように左腕で剣を作り出す事は出来る。しかし、それをするためには先に魔力を凝縮しておかなければならないのだ。今の状況では、それは難しい。
 魔生体のハイキックを屈んで避け、その大腿部の裏側にダークエッジを滑らせる。鮮血が噴き出すが、それを無視して魔生体は爪でレイムに攻撃を仕掛けた。それを逆手に握ったままのダークエッジで受け止め、力の向きを逸らして凌いだ。
 足払いを掛け、魔生体の体勢を崩し、レイムは下方からダークエッジを切り上げた。
 身体の感覚を無視して戦う魔生体でも、体勢が崩れれば動きが止まる。身体を動き易い状態にしようとする働きは残っているのだ。
 振り上げられたダークエッジが魔生体を縦に切り裂くが、それでもまだ、致命傷にはなっていなかった。だが、魔生体が仰け反り、一瞬動きが止まる。
「ディアロトス!」
 その一瞬だけで十分だった。
 左腕を魔生体に突き付け、今までの格闘戦中に凝縮させていた魔力を、拡散させて解き放つ。魔力を全身に浴び、魔生体は建物をいくつか突き破って吹き飛ばされた。
 魔生体が吹き飛んだ方向へとレイムは駆け出した。まだ、魔生体の気配は消えていないのだ。それが消えるまでは油断してはならない。 左腕に魔力を凝縮させ、建物の中を通り抜け、起き上がった直後の魔生体へと左腕を叩き付けるようにして凝縮させた魔力をぶつけた。衝撃がレイム達のいる建物に伝わり、崩壊させる。魔生体の胸部が吹き飛び、気配が薄くなったのを確認し、レイムはダークエッジで降り注ぐ破片を弾きながら建物の外へと出た。
 首が離れ、身体を失えば魔生体はその存在を保てなくなり、消滅する。魔生体の気配が確実に消えた事を確認し、レイムは息をついた。
『後はリネルダだけか……』
 ディアロトスの言葉に、レイムは周囲へと視線を走らせ、感覚を向けた。付近に存在する気配を探るために。

 *

 リネルダが動くよりも先に、シェラルは腰の後ろに携帯していた魔装銃を引き抜いた。同時に安全装置を外し、銃口をリネルダへと向ける。その動作は既に慣れたものだ。隙も無駄な時間もほとんどない。もっとも、それはシェラルと同じレベルの人間として見た場合だが。
「あなた、何者?」
「賞金稼ぎよ」
 リネルダの問いに、シェラルは答えた。
 その態度から、シェラルは自分の戦闘能力がリネルダと同等程度である事を確認した。
 リネルダは明らかにシェラルを警戒している。それは、リネルダにとってシェラルは油断できない相手である、という事だからだ。
(……撃つべき……?)
 表情を変えず、シェラルは考えた。
 この場で引き金を引けば、リネルダを射殺する事が出来る。もし外れても、戦闘が開始されるだろう。
 だが、それで良いのだろうか。ここでリネルダを殺してしまっても良いのだろうか。シェラルには判断が難しいところだった。仮にここでリネルダを倒してしまっても、政府にとっては危険な存在だった賞金首の魔生体使いが一人始末されるだけだ。
 アンスールの居場所を知っているのであれば、それを聞き出した方が良いのかもしれない。だが、下手に相手に喋る時間を与えてしまえば、魔力を集め、反撃するだけの力を蓄えられてしまう可能性もあるのだ。
「アンスールはどこ?」
 シェラルは訊いた。
 シェラルにとっての倒すべき敵はリネルダではない。アンスールのはずだ。それを思い出したからこそ、シェラルは尋ねた。
「……あなたが勝てると思っているの?」
 リネルダが冷ややかに告げるか、シェラルは答えなかった。
 勝てないのは知っている。シェラルが戦っても、アンスールを倒す事は出来ないだろう。
 知りたいのは、どこにいるのか、だ。
「アンスールには誰も勝てない」
「……いいえ、勝てるわ」
 リネルダの言葉にシェラルは言い返した。
 その言葉に、リネルダの表情が動く。
「あなたは、それを怖れているんじゃないの?」
「……」
 シェラルの言葉は、リネルダを沈黙させた。
 それが図星だったのだ。
 しかし、その言葉を突きつけたシェラル自身も戸惑っていた。
 シェラルは、レイムがアンスールに勝てると、そう言ったのだ。自分の力でアンスールを倒す事を目標にしていたはずなのに、いつの間にか、レイムがアンスールに勝つ事を考えていた。
「……させないわよ」
 リネルダが口を開いた。
 瞬間、魔力がその掌に集約する。
「――っ!」
 引き金を引くが、リネルダは顔を魔力に包まれた手で庇い、魔力の弾丸を防いだ。その防御に使った魔力がそのままシェラルへと放たれ、横へ転がるようにして、シェラルはリネルダの反撃を避けた。
 起き上がりざまに銃を連射し、防がれたのを見てすぐに回避行動に移る。近くの建物の影に転がり込み、そこからリネルダへと射撃を行った。
 普通の銃火器と違い、魔装銃の弾は強い魔力の防壁で防がれてしまう事がある。通常の銃弾でも強力な魔力によって防がれてしまう場合があるが、弾丸でなく魔力を撃ち出す魔装銃の場合は、魔力による防壁が防御手段となっているのだ。逆に、魔装銃は物質的な防壁に対しての貫通力が高い。
(……私に、勝てる?)
 壁に背を預け、シェラルは息を呑んだ。
 シェラルの予想以上に、リネルダの戦闘能力は高かった。だが、今のところは逃げなければならないほどでもない。魔生体と共に攻撃されたら敵わなかっただろうが、リネルダと一対一の状況ならば、シェラルでも同等には戦えそうだった。
(――勝たなきゃ……)
 気を引き締め直し、思う。
 ここでシェラルがリネルダを逃がしてしまっては、元も子もない。最低でもレイムがリネルダに気付くまで戦闘を長引かせられなければ、この戦いは無駄なものになってしまう。
 建物の影から飛び出し、走りながらシェラルはリネルダへと魔装銃の引き金を引いた。そのシェラルの攻撃を全て魔力の防壁で防ぎ、リネルダが掌をかざす。
 魔操技術はリネルダの方が圧倒的に上だ。魔力による戦闘ではシェラルに勝ち目はないといえるだろう。だが、運動能力ではシェラルの方に利があるようだ。
 直線的な動きにならないように注意しながらリネルダに対して回り込むように走り、シェラルは攻撃を続けた。
「一つ教えてあげるわ。魔操術は使い方によっては、本来使えない魔力も扱えるのよ」
 リネルダが告げた直後、はっきりとした魔力の属性が現れた。
 今まで、シェラルにはその魔力の属性が判別出来なかった。それはリネルダが複数の魔力を操っていたためだ。
 圧縮された風の塊が放たれ、シェラルは横へ跳び、寸前でそれをかわした。風圧で砂埃が舞い上がり、崩れかけていた建物が破壊される。その直後、シェラルの脇にあった建物に炎が燃え広がり、生じた熱気にシェラルは反対側へと跳んだ。
 リネルダとの距離を確認し、シェラルは地を蹴った。思い切り駆け出し、加速してリネルダとの距離を詰める。
 銃口をリネルダの頭へと向け、引き金を引く。放たれた魔力を、リネルダは寸前でかわした。その頬を風属性の魔力の弾丸が掠め、浅く皮膚を裂いた。
 リネルダはそれを無視して掌に集約させた魔力をシェラルへと放った。
「――っ!」
 圧縮された風属性の魔力が衝撃波となってシェラルを吹き飛ばした。
 背中から半壊した建物に激突し、それでも止まらずに壁を突き抜ける。衝撃で建物が崩れ、シェラルに瓦礫が降り注いだ。
 咄嗟に風属性の魔力で自分自身を守り、瓦礫の直撃による大怪我を防いだが、それによって起きた風によって砂埃が舞い上がり、視界を塞いだ。
 咳き込みながら、身体を起こそうとした時、正面から魔力を感じた。
「くっ……!」
 横から物体を叩き付けられたかのような衝撃に、シェラルの身体が弾き飛ばされ、転がる。
 重い衝撃がシェラルの動きを鈍らせ、更にそこに追撃が掛けられ、シェラルの身体が吹き飛ばされた。瓦礫に背中が叩きつけられ、その鈍痛に小さく呻く。
「……一つ、良い手が思い付いたのよ」
 何度も受けた衝撃と、打ち付けた事による鈍痛がシェラルの動きを止めていた。
「あなたを魔生体にしたら、彼、困るでしょうね?」
 砂埃が治まり、リネルダが言う。その口元に浮かんだ笑みに邪悪さはない。
「……どうかしら」
 シェラルは自嘲的な笑みを浮かべ、答えた。
 恐らく、そうなったらレイムはシェラルを斬るだろう。それが最も手っ取り早く事態を治める方法だからだ。
 シェラルは僅かに右手に力を入れた。そこに確かな手応えがある事に、腕を動かす事は出来ると判断する。そして、掌にある魔装銃のグリップを、密かに握り締めた。
 反撃のチャンスは一度しかないだろう。下手にシェラルが動けば、リネルダは防御出来てしまうのだ。リネルダにダメージを与えるには、リネルダが攻撃を行う寸前に銃を撃ち込まなければならない。リネルダの攻撃をシェラルが受ける事になるが、それでもリネルダに致命傷を与える事は出来るだろう。
「……まぁ、いいわ。それで時間が稼げれば」
 リネルダが告げ、掌を持ち上げた。
 ゆっくりとした動作だが、掌を向けられたシェラルは悪寒を感じた。
 魔力が集められていた。しかし、それは普通の魔力ではない。
 通常、人間は魔力を四つ以上同時に操る事は出来ない。人間が同時に扱える魔力は、その人が扱える魔力三種類以内なのだ。そして、その魔力は合成して使う事は出来ない。炎と水を織り交ぜて使う事は出来るが、それは炎と水を構成する魔力を別々に集め、それを細かく織り交ぜているだけなのだ。魔力という要素の段階で合成して使う事は普通には出来ない。
 しかし、リネルダはそれをしていた。虹彩や髪の色から判るその人物の扱える魔力ではない魔力を扱っていた。三つ以上の魔力を、魔力という要素の段階で合成した魔力を生じさせていたのだ。それは、自然界のバランスを明らかに崩している。
 そこから魔力の歪みが生じるのだと、シェラルは理解した。
 通常では出来ない手法で魔力を操り、自然界の法則を崩す事で、そこに魔力の歪みを生じさせるのだ。そこに引き込む事で、対象を魔生体化させる事が出来るのだろう。
「……これで終わり」
 リネルダが告げた瞬間、シェラルは右手を跳ね上げた。
「――っ!」
 瞬間的に右腕に走った痛みに、手がぶれた。
 一瞬、焦ったような表情を浮かべたリネルダだったが、その口元に勝利を確信した笑みが浮かんだ。シェラルは奥歯を噛んだ。
 リネルダがシェラルの周囲に魔力を生じさせた瞬間、風を感じた。それと、人の気配を。
『――そこまでにして貰おうか』
 ディアロトスの声が響き、リネルダの背後にレイムが着地した。
 リネルダが振り返るよりも早く、レイムはその軸足を払い体勢を崩して首に腕を回し、漆黒の剣の切っ先を首筋にあてがった。
「……アンスールはどこだ?」
 凄みも何も感じない口調で、レイムが尋ねた。それは余計にリネルダの恐怖心を煽っただろう。
 だが、リネルダはレイムの周囲に魔力を生じさせた。その状況から反撃しようというのだ。
 一瞬目を伏せ、溜め息をついたレイムは、その切っ先をリネルダの首に突き刺し、引いた。そのまま腕を放し、回し蹴りを放って吹き飛ばし、リネルダの身体が地面に着く前ディアロトスを向けた。
 翼が左右に展開したディアロトスの口から、細い閃光が放たれ、リネルダの左胸、心臓の辺りを貫いた。
「……無事か?」
「え? ええ、これぐらいのダメージなら直ぐに回復出来るわ」
 レイムの言葉に、シェラルは答えた。
 ディアロトスの声でなく、レイム自身の声だった事に、シェラルは一瞬だが動揺していた。
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