第五章 「追走」


 都市の一画は壊滅的な状態だった。建物の多くは瓦礫と化し、そうでないものも被害を受けていた。
 もっとも、魔生体の規模を考えれば、それは少ない方だと言えた。恐らく、通常の賞金稼ぎではあの三体の龍の魔生体を倒す事は出来なかっただろう。
 だが、それはレイムが戦わなかった場合だ。リネルダはレイムを狙って攻撃を仕掛けて来た。それは、レイムがいなければフィアイルに被害は出なかったという事だ。
「……派手にやったな」
 掛けられた声はヴィルダのものだった。
「……マシな方だろう」
 レイムは視線を向け、答えた。
「まぁな。正直、これだけで済んだのは幸いだ。住民の避難も出来たしな」
「いつ、着いたの?」
 ヴィルダの言葉に、シェラルが口を挟んだ。
 住民の避難が出来たというのは、レイムやシェラルには予想出来ても、完全に確認する事は出来ないのだ。断言出来るというのは、ヴィルダがその場に居合わせたという事になる。
「魔生体が来る直前だ。戦いを見させて貰った」
 ヴィルダが答えた。
「――希望が持てそうだ。あれでもまだ全力じゃないんだろ?」
「……それで、情報は?」
 ヴィルダの問いを無視し、レイムは尋ねた。
「政府上層部から神殿の場所を聞き出してきた」
 返答を無視したレイムに、ヴィルダは答えた。
 どうやら無視される事はある程度予想していたようだ。
「場所を移そう、一応重要機密だからな」
 ヴィルダが言い、歩き出した。
 レイムとシェラルはそれを追って昨晩泊まった宿へと引き返した。
 この場で政府の最重要機密に触れる事を話すのは流石にまずいだろう。住民が避難したとはいえ、既に戦闘は終了したのだ。龍の魔生体が消えた事で、住人達は事態の確認のために集まって来るはずだ。もしかしたら、既に近くに人が来ているかもしれない。
 宿に戻ったレイム達は、得た情報の交換を行った。
 レイムは壁際に背を預けて立ち、シェラルはベッドに、ヴィルダは備え付けの椅子に腰を下ろした状態で話し合いが始まった。
「……よく調べられたな」
 図書館で得た中核結晶についての説明を行ったシェラルに、ヴィルダが驚いた表情で答えた。
 それは、その情報が正しかった事の肯定だ。
「神殿の位置は分からなかったけど……」
「そりゃあ、流石に政府は手を回してるからな」
 シェラルの言葉にヴィルダが苦笑する。
 それだけ神殿の存在に何かしらの重要性を政府が感じているという事だ。図書館という、誰もが利用出来る場所で調べられてしまうようでは、政府の実力すら疑われてしまうだろう。
『……神殿の位置は判っていたのか?』
「ここの神殿は運良く判っているうちの一つだったようだ」
 ディアロトスの問い掛けに、ヴィルダがレイムへと視線を移す。
 ディアロトスによれば、神殿の存在を知るためには最低でもヒエラルキー・クラスの第三位以上でなければならないという事だ。そして、その第三位以上の階級の龍族は人間との接触がほとんどないのだ。神殿を拠点としているであろうディーティ・クラスはそこから動くという事を全くと言っても良いほどにしないだろうし、単体での活動範囲が狭い人間には神殿の場所を知るという事はほとんど不可能な状態だ。
 その中で判っているというのは、何らかの要因でその上級龍族と政府関係者が接触出来たという事なのだろう。政府としては、世界を治める立場として、様々な危険性を孕んでいる神殿の場所を把握し、そこに変化があった場合に対処出来なくてはならない。そのために世界政府は神殿の場所を調査している。もっとも、その危険性のために調査している事自体も公表出来ない状況にあるのだ。政府の上層部直属の調査チームか、エージェントとして動いている者がいるのだろう。
「ただ、神殿は俺も見た事がない。それに一般には誰もその存在を知る者がいない事からも解ると思うが、神殿は地下施設らしい」
 ヴィルダが言う。
 もし、神殿が地上に見えるような場所に存在していれば、既に誰かが発見しているはずだ。それに、政府としての調査も既に終わっているだろう。だが、そうでなく、神殿の情報が政府ですら完全に掴めていないのだ。それは、地上で確認出来る場所にその存在が確認出来なかったという事だ。つまり、地下に隠されているような形で存在しているという事になる。
「アンスールの推測は正しかった訳だな」
 レイムの言葉に、ヴィルダが小さく頷いた。
「ああ。あいつはそれだけの思考力を持っている」
 アンスールが逃走する時に言い残した、真下にある可能性もある、という言葉は、神殿が地下に存在する可能性を考慮していなければ言えない台詞だろう。
 中核結晶を壊そうとしているのに、神殿に被害が出る事を危惧するというのはおかしな気もするが、アンスールの考えはレイムには読めない。推測を重ねても無意味だ。
「政府からその神殿のディーティ・クラスに連絡を送ったが、恐らく着いてはいないだろう」
「何でそんな事が判るの?」
 ヴィルダの言葉に、シェラルが首を傾げる。
「さっきの魔生体のうちの一つが、そいつだ」
 一度間を置いて、ヴィルダが告げた。
「龍人型のランク・スローネスを送ったが、リネルダに魔生体にされていた。遠くからでも判った」
『それで、スローネスがいたのか…』
 ヴィルダの言葉に、ディアロトスが呟いた。
 通常、第三位以上の階級は人間との接触がほとんどない。だが、世界政府の上層部にはそういった高位の龍族とも連絡を取る方法があるのだろう。世界を治める機関として、同じ知的生命体である龍族との交流もしているのかもしれない。
「最悪の状況を考えれば、アンスールは連絡に送ったその龍族の向かっていた方角から神殿の位置を割り出しているかもしれん」
『結局、リネルダがアンスールと接触したのかは判らなかったからな』
 ディアロトスがヴィルダの言葉を継いだ。
「接触してない事を祈ろう」
 溜め息をつき、ヴィルダは言った。
「で、神殿の場所だが……」
 言い、ヴィルダは懐から一枚の地図を取り出した。
 フィアイル地方の詳細な地図だった。フィアイルを中心に、火属性の魔力の強い地方の地図が描かれている。どこの地方でも似たように、その地方の中心都市を中央に据えた地図が売っている。また、それとは別に世界地図も存在するが、それもどこでも買う事が出来る。
「ここから南西に進んだ、この地点にあるという事だ」
 ヴィルダは地図の一点を指差した。
 そこは、フィアイル地方のほぼ中央に位置する場所だった。フィアイルは地方としてほぼ中央に存在しているが、都市を造るに当たっての立地条件から、ややずれた場所に位置しているのだ。
 ヴィルダが示した地点の付近には、火山が存在しており、それを意識してか火山とは離れた場所に都市が存在していた。
「一般人に発見されていない事を考えると、見た目だけでは判らないように隠蔽されている可能性もある」
 そう言ってヴィルダは地図をしまった。
「それと、問題はアンスールの動きだ。奴が神殿の場所に気付いていない場合、俺達はアンスールを探さねばならない」
 ヴィルダが困ったような表情を浮かべて言う。
 仮にアンスールが神殿に一足先に辿り着いてしまっていたら、レイム達はアンスールを追って神殿に入れば良い。しかし、アンスールが神殿に辿り着いていない場合、レイム達はアンスールを探さなければならなくなるのだ。
 アンスールが神殿の場所に見当を付けて動いているのであれば、レイム達は神殿の周辺で待ち伏せをすれば良いが、そうでない場合は、レイム達から動かねばならない。現時点ではアンスールは火属性の中核結晶を狙っているようだが、いつそれが他の中核結晶に狙いが変わるか判らないのだ。出来る限り迅速にアンスールを倒さねばならない。
「とりあえず今から向かおうと思うが、準備出来てるか?」
 ヴィルダの言葉に、レイムはシェラルに視線を向けた。
「私は大丈夫よ。弾倉もまだ予備があるから」
 頷き、シェラルは答えた。
「なら行くか、車を用意してある」
 席を立つヴィルダを見て、シェラルが腰を上げた。
 レイムは壁から背を離し、傍のドアを開けて部屋を出る。それに続いてヴィルダとシェラルが部屋を出て、レイムに続くようにして宿から出た。
 受付でヴィルダが宿に戻らない事を伝え、引き払った。
 先程の戦闘で壊滅した区画の傍を通り抜けて、レイム達は都市から出た。ヴィルダがペインの権限を使って検問でのチェックをなくし、レイム達はそのまま外へと出た。
 検問でのチェックには多少の時間がかかるが、それでも待てない程という訳ではない。それでもチェックをせずに通過したのは、それだけ急いだ方がいいからだ。
 アンスールの動きが掴めない以上、レイム達が素早く動く以外に手はない。
 ヴィルダに誘導され、外壁に沿って少し進んだところに、一台の車があった。主に雷属性の魔力による電気によって動く移動用機械だ。ヴィルダが用意していたのは、四輪駆動型の車、ジープだった。
 通常、車を持っている者は少ない。それは原動力となる雷属性の魔結晶を用意し、消耗したら取り替えなければならない事で、維持費がかなりかかるからだ。最も、移動に関しての利便性はかなり高いが、それでも普通に暮らしている者達にはあまり必要がないものだ。都市内では使う機会はほとんどないと言える。
「こいつを使えば明日の昼には神殿のある位置に到着出来る」
 ヴィルダは言い、運転席に座った。それに続いてシェラルが助手席に乗り込み、レイムは後ろに乗った。
 エンジンを始動させ、ジープが動き出した。粗い操縦ではあったが、それ程悪いと言う訳でもなかった。
「なぁ、中核結晶が破壊されたらどうなると思う?」
 暫くして、ヴィルダが口を開いた。
「……魔力の源って言われてるものよね、だとしたら、その属性の魔力がそれ以降なくなる、とか……」
 シェラルが答えた。
 現時点では魔力の源であると、考えられる中核結晶の一つが破壊されたとしたら、その魔力が失われてしまうという可能性はあるだろう。すぐには失くなる事はないかもしれないが、その属性の魔力が徐々に減っていき、最終的にその存在が消滅するという事も考えられる。
 もし、そうなった場合、世界に出る影響は想像も出来ない。世界は魔力で成り立っていると断言出来る程に密接に関係しているのだ。その魔力が失われるという事は、その属性の魔力によって成り立っている物質が成り立たなくなる、つまり、崩壊するという可能性を示している。魔力を扱える人間や龍族に関しては、その存在自体がほぼ全ての魔力の存在によって成り立っているとも言われているのだ。影響が出る可能性は高い。
『それだけ魔力のバランスが崩れれば魔生体が激増するだろうな』
 ディアロトスが口を挟んだ。
 中核結晶が破壊されれば、魔力のバランスが崩れるのは明白だ。
 魔力のバランスが崩れた事で生じる魔力の歪みは、魔生体を発生させる。中核結晶が失われるという、世界的にも大規模な魔力のバランスが崩れるであろうと予測される事態が起きれば、魔力の歪みもそれ相応に生じるであろう。そうなれば魔生体が激増するはずだ。
『かつて、龍族が中核結晶に傷を付けたという話を聞いた事がある』
 ディアロトスが言う。
 かつて、龍族が神殿を発見し、その中にあった中核結晶に傷を付けた事があったらしい。恐らく、それには司器が使われたのだろう。そうでなければ中核結晶には傷を付ける事は出来ないはずだ。
『その時点では司器は神殿の中にあったのかもしれん。だが、中核結晶に傷を付けた事で、魔生体が大量発生したのだ』
 調べた結果から、推測を加えてディアロトスが語った。
 魔生体が大量発生したというのは、人間の歴史にも存在している事実だ。その頃の人間達は魔生体によって存在を脅かされ、かなり人口が減ってしまったとされている。恐らくは、仲間だったはずの人間の中にも魔生体となった者もいたはずだ。龍族も同様に、危機に瀕したのだろう。
 その危機を起こした龍族達が中核結晶の傷をなんとかして塞ぎ、その危機を救ったという話は、前にも聞いた。
 仮に、当初、司器が神殿内にあったとすれば、それは中核結晶に傷を付けた龍族達が、司器が危険なものだと判断して世界各地に隠したという事だろう。
『だが、だとすると何故司器が神殿内にあったのかが解らんが……』
「まぁ、司器がそこに隠されていたって事もあるんじゃないか?」
 ディアロトスの疑問に、ヴィルダが答えた。
 大昔に司器を造った者がそこに隠したという事も考えられる。何せ、現在に至っても、世界政府ですら全ての神殿を発見した訳ではないのだ。その場所を知った者が、司器をそこに隠していたのかもしれない。
 長寿で活動能力が人間に比べて格段に高い龍族でなければ、神殿の発見は困難だ。神殿と中核結晶にまつわる龍族の話からも推測されるように、かつてそれだけの事態を引き起こす事となった龍族は以後、同じ龍族同士でも神殿や中核結晶に関しての知識は機密とされ、ディーティ・クラスと接点が出てくる可能性のある龍族のみに知らされているのだ。
『……なるほど、その可能性は高いな』
 大昔に過ぎ去った事の事実は、それを語り継ぐ者でもいない限り解らないだろう。
 現在出来る事は推測を重ね、それで納得する事だけだ。
「まぁ、中核結晶が破壊されたらヤバイって事は判るが、問題はそれを何故アンスールがするか、だ……。奴は元々政府にいた人間だ。それに頭も良い」
 ヴィルダが言う。
 中核結晶の破壊が世界を滅亡させる危険性がある事はアンスールにも解っているはずなのだ。ましてや、世界政府にいた人間であるアンスールには、態度からしても世界征服等という目的もないのだ。
「そんな事をして、何のメリットがあるんだ……?」
 ヴィルダが呻くように呟いた。
 アンスール本人にでも聞かなければ解らない事だが、疑問を持つ事は不自然ではない。もっとも、アンスールにとってはそれに対してメリットがあるのかもしれないが。
『……ラグニードは本来の姿があると言っていたがな』
 ディアロトスが呟いた。
 かつてディアロトスがラグニードと戦った時に聞いた、中核結晶を破壊する理由に最も関わっているであろう言葉だ。それの意味は、やはり実際に聞き出さなければ解らないだろう。
「全く、厄介な相手だ……」
 溜め息をついて、ヴィルダが呟いた。

 日が傾き、夜になってから、ヴィルダは車を停めた。視界の悪い夜間の移動を避けるというためだけでなく、体力の回復も兼ねていた。アンスールと戦うには万全の状態でいた方が良いからだ。
 ジープに積んであったテントの中で夜を明かす事となっていた。携帯食を食べた三人は焚き火の炎を消し、テント内に入って横になっていた。
 シェラルが眠ったのを確認し、レイムは身を起こした。
『……行くのか、レイム?』
 ディアロトスの意識がレイムのみに語り掛けた。
 肯定の意思を送り、レイムは横になっているヴィルダを踏まぬように越え、テントから出た。
「――やっぱ、行く気だったか……」
 テントを出て、靴を履いた直後、背後から声がした。
「……いや、止める気はないがな」
 苦笑混じりの声に、レイムはゆっくりと振り返った。
 ヴィルダが起きているであろう事は予測出来た。ペインともなれば、周囲の動きには敏感になる。都市の外であれば、それはなおさらだ。魔生体に襲われる危険性の高い外界では、周囲の動きに敏感でなければ生き残る事は難しい。
 シェラルもそれなりに腕は立つようだが、どうやらヴィルダとレイムがいる事で戦闘に関しては安心しているようだ。
「……車、使うか?」
「いや、いい」
 ヴィルダの申し出を、レイムは断った。
「ディアロトスの力を使うのか?」
「ああ」
「……まぁ、実際問題シェラルを巻き込む訳にもいかないか」
 ヴィルダが溜め息をついた。
 元から、ヴィルダはレイムを一人で行かせようと考えていたようだった。そうでもなければ、検問をペインの権限でスルーしたはずの三人が夜になって動きを止める必要はないのだ。
 一度戦った事のあるヴィルダも、アンスールには歯が立たないのだ。まともに戦えるのがレイムしかいない状況では、アンスールに傷一つ付けられない二人は戦闘になれば足手まといでしかない。その足手まといを無くすために、ヴィルダは夜に休息を取ると言い、レイムを先行させようとしているのだ。
『司器が振り回される戦闘ともなれば、周囲の安全は保障出来ないからな……』
 ディアロトスがレイムとヴィルダの二人だけに告げる。
「……ま、怒るだろうけどな」
 ヴィルダが肩を竦めて言った。
「俺も知らなかったって事にして、何とかしとくさ」
「……色々とすまないな」
 ヴィルダの言葉にレイムは応えた。
 恐らく、シェラルぐらいになればその程度の嘘は見抜けるだろう。自分が今回の戦闘に関しては無力だと気付いているだろうからだ。それは、シェラルがレイムやヴィルダに守られているであろう事を彼女に自覚させる。そうなれば、シェラルを戦闘に巻き込むまいと先行するレイムの考えもある程度は予測出来る。
「いや、謝る必要はないだろう。車がなくてもこいつは追おうとするだろうしな」
 テントの中を振り返り、ヴィルダが言う。
「――それよりも、アンスールは仕留めてくれよ?」
 真面目な表情に戻り、ヴィルダが言った。
「……ああ」
 その視線を真っ直ぐ見返し、レイムは頷いた。
 身を翻し、レイムは歩き出した。
 少し歩き、テントから離れたところでレイムはディアロトスに呼び掛けた。
 左腕を膨大な魔力が包み込み、ディアロトスを召喚する。翼が手首の辺りから形成され、レイムの身長を軽く越す程の巨大な翼が左右に展開した。
『行くぞ、レイム』
 ディアロトスの意思と同時に翼がはためき、風属性の魔力が周囲に生じた。それがレイム自身に浮力を与え、羽ばたきがその身体を持ち上げる。
 余程急いでいない限り、レイムはディアロトスの飛行能力を使う事はない。それは、飛行する事が目立つためでもある。
 ディアロトスがレイムを運び、目的地へと高速で向かって行く。車にも匹敵する程の速度だが、ディアロトスが発生させる魔力の障壁が移動によって生じる風の抵抗を軽減させていた。
『レイム、奴に勝てると思うか?』
(……さぁな)
 そう答えつつも、その真意には勝とうと思う意思があった。
 ディアロトスにもそれは伝わっているはずだ。
 まだレイム自身に何が足りないのか、判然としてはいない。それでも、以前よりもアンスールに対して勝ちたいと思う意識が高まっていた。勝てるのではないか、とレイムは思う。
 アンスールとの戦力差はほぼ互角と考えて良いだろう。ラグニードとディアロトスの力はほぼ同等と考えられるのだ。純粋にレイムとアンスールの戦闘になるだろう。そうなった時、注意しなければならないのは司器だ。
『神殿の奥で戦闘となれば、イクシードやニルヴァーナが味方となってくれるはずだ』
 ディアロトスが言う。
 中核結晶を守護する立場にあるディーティ・クラスの二体は、当然アンスールを敵と見做すはずだ。そうなればディアロトスのいるレイムと共に戦ってくれるだろう。
 その立場にある二体の龍族であれば、戦力として数えられるだろう。単体でアンスールには負けるとしても、レイムが中心となって戦う時にディーティ・クラスの龍族の援護があれば戦闘がやり易くなるはずだ。
(……問題は、奴が神殿にどこまで近付いているか、だ)
 仮に、既に神殿に到達していれば、支援は絶望的だ。
 単体でイクシードを越える戦闘能力を持つ、元ニルヴァーナの龍族を仲間としているアンスールならば、ディーティ・クラス二体を倒す事は可能なのだ。
 アンスールは恐らく、神殿の場所を察知すれば夜も探索に費やしているだろう。ペインやレイムに追われているアンスールは一刻も早く神殿の場所を突き止めたいはずだからだ。
 そのため、夜に休息を取るというのは非効率なのだ。本来ならば夜も車を走らせて、翌朝には神殿に着いているべきなのだ。
 夜明けが近付いて来た頃、前方に火山が見えた。それが徐々に近付いて来るのを視界に捉えながら、レイムは下降するようにディアロトスに促した。
 レイムの意思に応じて、ディアロトスが高度を落として行く。火山の麓の辺りが、ヴィルダが神殿のあると示した場所だ。その付近にレイムは着地した。ディアロトスの召喚を解除し、周囲を見回しながら歩き出した。
『……周囲に気配はないな』
 ディアロトスが告げる。
 周囲に人の気配はない。アンスールともなれば魔力の制御によって気配をほとんど感じなくさせる事も可能だが、こんな場所でそれをするのは無駄と言って良い。現在のアンスールは最強とも言えるだけの戦闘能力を持っているのだ。気配を隠すのは、都市内等を移動する時だけで十分なのだ。
(……あれは…)
 レイムは視界に入った小さな崖のような場所に目を向けた。
 その一画が崩れたようになって、洞窟のような穴が存在していた。
『まさか、アンスールは……!』
 ディアロトスが言い終えるよりも先に、レイムは駆け出していた。
 明らかに、その一画は削り取られたようになっていた。地面には切り崩されたであろう岩石が無数に転がり、周囲の土とは明らかに異質な壁がその奥に覗いていた。
 恐らく、その壁は砂や岩等で塞がれていたのだろう。龍族はある程度近付けば、召喚契約者との会話のように意思の遣り取りが出来るが、それにも可能な距離があるのだ。つまり、出入りする必要はないために、塞がれていたのだろう。生存のために必要な養分は中核結晶を制御するイクシードともなれば、魔力から作り出せるとも考えられるからだ。
「……行くぞ」
 ディアロトスの意識がレイムに応じた。
 レイムは双剣を両手に逆手に握り、神殿の通路へと踏み込んだ。

 *

 不意にシェラルは目を覚ました。
「……?」
 違和感を感じて起き上がったシェラルはテント内にレイムがいない事に気付いた。
「レイムは…!」
「ん、目が覚めたか?」
 シェラルの声に答えたのはヴィルダだった。
「ヴィルダ、レイムが!」
「判ってるって、まぁ、落ち着け」
 ヴィルダが困ったような表情を浮かべ、言う。
「あいつは俺達が寝ている間に先に行ったみたいだ」
 ヴィルダがテントの隙間から外を覗きから言った。
 外はまだ薄暗く、夜が明けていない事を示していた。
「早く追いましょう!」
「……仕方ないな」
 シェラルの言葉に、ヴィルダは溜め息をついて立ち上がった。
 テントを片付け、ジープに乗り込み、ヴィルダが車を発進させた。
 恐らく、レイムはシェラルやヴィルダが戦闘の邪魔にならないよう、先に出発したのだ。
「シェラル、言っちゃ悪いが、レイムはあんたのために先に行ったんだぜ?」
「判ってるわよ、そのぐらい」
 ヴィルダの言葉に、シェラルは答えた。
 シェラルを戦場に入れたくないがために、レイムは先行したのだろう。アンスールとレイムが全力でぶつかりあえば、周囲への影響はかなりのものになるはずだ。
「なら、どうしてそこまで拘る? 過去に色々あったってのも判るが、もう気付いているだろ? あんたじゃアンスールには歯が立たないんだぞ?」
 ヴィルダの問いにシェラルは答えなかった。
 シェラルにアンスールが倒せない事は、シェラル自身自覚している事だ。恐らく、ヴィルダはそれに気付いているだろう。だからこそ、言ったのだ。
 それでも、シェラルには納得出来ない部分があった。
 今までそれだけを目標に生きて来たせいもあるかもしれない。アンスールを倒せると思っていたシェラルには、ここ数日での出来事に対しての気持ちの整理が出来ていない部分は少なからずあるだろう。
「重荷になっている事ぐらい、解ってんだろ?」
 冷たく、ヴィルダは言い放った。
「……」
「賞金稼ぎとしてはそこそこ強いんだろうけど、俺達に比べりゃあんたは弱い。たとえレイムが戦うからと言っても、その戦闘を見に行くってのは無謀だ」
 言い返せずにいるシェラルにヴィルダは追い討ちを掛けるように言った。
「下手すりゃあ、あんたが来たためにレイムが負けたって事にもなり兼ねないんだぞ?」
 一瞬だが、ヴィルダの視線がシェラルに向けられた。
 いつもの穏やかなヴィルダの目つきは、そこにはなかった。ペインとしてのヴィルダがそこにはいた。鋭い視線がシェラルに向けられた。
「……そんな事言っても、引き返す気はないわよ?」
 シェラルは視線を見返して、答えた。
 恐らく、それはヴィルダなりの説得だったのだろう。上手くシェラルを突き放せれば、その場で引き返す事が出来るだろうからだ。そうすれば、シェラルを危険な場所へ向かわせる事はないのだ。
「あなた、最初からこのつもりだったんじゃない?」
「……流石に通じないか」
 ヴィルダは苦笑し、シェラルの問いに答えた。
 それは肯定だった。ヴィルダは初めからシェラルを危険から遠ざけるために、レイムを全力で戦わせるために先に行かせたのだ。
「まぁ、本心ではあるがな」
 ヴィルダが言う。
 平然と答えたつもりのシェラルにも、心に突き刺さる言葉はあった。自分で感じていた事でも、改めて他人から聞かされるとショックを受ける。
「それなら、あなただってレイムと共に動く必要はないじゃない。最初からレイム一人に行動させた方が良かったんじゃないの?」
 シェラルの言葉に、ヴィルダは困ったような表情を浮かべた。
 レイムにアンスールの抹殺を依頼した主であるヴィルダがレイムの動きを補佐する必要はないと言える。大抵の依頼主は、依頼した賞金稼ぎに方法やら何やらは全て任せてしまうのだ。ある程度の支援はしてくれるが、一度アンスールに敗北したヴィルダがレイムの戦力にはならない事は彼自身も知っているはずだ。
「俺は最後まで見たいのさ。アンスールの抹殺は元々俺の目的でもあった訳だし、ペインという立場としても、奴が死ぬ瞬間は見ておきたいんだ」
 暫く考えた末に、ヴィルダはそう答えた。
「私だってそうよ。自分の関わった事の最後が見たい」
「そうだろうと思ってた」
 シェラルの言葉に、ヴィルダは苦笑を深めた。
 ヴィルダはシェラルの考えを理解しているのだ。だからこそ、強制的に引き返すような事はせず、レイムを追いかけてくれている。ヴィルダほどの戦闘能力があれば、シェラルを気絶させて仕事を進める事も出来るからだ。それをしないのは、ヴィルダの性格なのだろう。
「まぁ、同じ考えの奴を止める事は出来ねぇさ」
 ヴィルダが言う。
 シェラルはそんなヴィルダに内心感謝しながら、魔装銃をチェックした。銃本体に異常はなく、主に使用している風属性の弾倉はまだ三分の一程魔力が残っている。風属性の魔力弾は、その属性故に視認し辛く、弾速が非常に早い。そのため、射撃には適していると言えた。
 その弾倉を魔装銃に戻し、セーフティを掛けて腰の後ろにしまった。
(……レイム…)
 暗い空に瞬く星を見上げ、シェラルは目を細めた。
 あの夜、レイムが言った言葉がまだ忘れられない。何がレイムに足りないのだろうか。今は、それを手に入れる事は出来たのだろうか。
 月明かりに照らされたレイムの横顔がシェラルの脳裏を過ぎった。あの時のレイムの表情には、様々な感情が窺えて、逆に何を考えているのか解らなかった。その時だけは、レイムの存在が稀薄に見えた。
「……とりあえず、一発殴ろうかしら…」
「――え?」
 シェラルの呟きに、ヴィルダが反応した。
 シェラルが戦力外で足手まといである事を自覚しているのは、レイムも知っているはずだ。それでも尚、アンスールとの戦いに参加するという事は、シェラルが自分の身は自分の責任で守ると考えているからだ。レイムには全力で戦ってもらわなければならないのだ。シェラルの事を気にしなくても良いから、シェラルもその戦いを最後まで見させてもらおうと思っていた。
 レイムが先に行ったというのは、明らかにシェラルのその気持ちを裏切った事になる。
 ヴィルダが驚いた表情でシェラルに視線を向けていたが、シェラルはそれを無視した。

 *

 レイムは異質な通路を走っていた。
 壁や床、天井を構成する物質は、都市等でも全く見られない材質に感じられる。その通路がどこまで続いているのかは判らないが、かなり奥まで一直線に続いている事は確かだった。
 魔力は通路内に入ってからほとんど一定で、火山という火属性の魔力が高いはずの場所にいる事を忘れてしまうほどだった。まるでそう整えられているかのように全ての魔力の属性は一定に感じられた。
 それだけではない。通路には明かりと呼べるものが見当たらないにも関わらず、十分な明るさを持っているのだ。壁の一部が光を発している事に気付くのにも時間がかかる程に、自然な照明だった。
 左腕のディアロトスからは翼が消えていた。あれだけの大きな翼は、神殿内部のような狭い場所では邪魔になるからだ。
(……ディアロトス)
 意思を送ると、ディアロトスの形状が緩やかに変化を遂げた。
 龍の頭部のようだった左腕は、龍族の皮膚のような鎧に包まれたように変化した。そうする事で空いた左手に、レイムは左手用の双剣、ライトエッジを握らせた。右手には既にダークエッジが握られている。
 変化したディアロトスは、肩の付け根から、更にその生体鎧を引き伸ばし、レイムの着ている服の上に覆い被さるようにして鎧としての形状を整えて行った。
 召喚には、身体の一部分が直に龍族と接している必要があるが、その条件さえ満たしていれば、服の上に覆いかぶさるように召喚する事も出来るのだ。多少の時間はかかるものの、双剣を扱うレイムには鎧という状態は戦い易い。
『む、この気配は……』
 ディアロトスの意思が魔力を感じ、召喚しているレイムにもそれが伝わって来た。
 前方に魔力の動きが感じられた。戦闘が起きているのだ。
 ディアロトスに急かされるまでもなく、レイムは歩調を速めていた。召喚により身体能力の向上したレイムが、一直線の通路を駆け抜けて行く。
 通路が終わり、巨大な空間がそこにあった。かなり広大な空間で、龍族が戦闘をするにも十分な広さがあった。
 そこに、一体の龍族が横たわっていた。
『ニルヴァーナか!』
 ディアロトスの声に、レイムは血溜まりの中に倒れている龍族へ駆け寄った。
「……その声…ディアロトス、お前か……?」
 弱々しい声で、ランク・ニルヴァーナの龍は答えた。
 普段ならば感じられるであろう、ディーティ・クラスの龍族からは、存在感が薄れつつあった。それは、その龍族の生命力が残り僅かな事を示している。致命傷を受けているのだ。
『ラグニードが来たんだな?』
「……ああ、間違いない……奴だ……」
 ディアロトスの意思が大きく震えた。
「…気を、つけろ……奴等は……司器を……」
「解っている。あいつは、必ず仕留める」
 血を口から吐き出しながらも、息も絶え絶えに喋ろうとする龍に、レイムは答えた。
「……頼…む……」
 その言葉を最後に、ニルヴァーナは息を引き取った。
 生命力の失せた、死体と化したニルヴァーナにそれ以上構わず、レイムは先へと進んだ。
 恐らく、その部屋はニルヴァーナが守護する防衛ラインだったのだろう。そこが突破されたという事は、アンスールはこの先にいるという事だ。だが、ニルヴァーナが倒されてからまだ時間はそれほど経っていないようだ。それは、アンスールに追いつける可能性があるという事になる。
 また通路に入ると、今度は直線ではなかった。右に一度曲がり、更に右に曲がる。その後で左へと曲がり、直線が続いた先に、再度大きな部屋があった。
 そこには大きな三つの大きな気配があった。
『間に合ったか!』
 ディアロトスが呟いた直後、レイムはその部屋の中に突入していた。
 そこには、一体の巨大な赤い龍と、その龍に匹敵する程の大きさの魔結晶、そして、アンスールがいた。
 恐らく、龍はイクシードだ。今までに見た事もない程の巨大な魔結晶は、中核結晶だろう。
 アンスールは、ラグニードを完全召喚し、全身に生体鎧を纏った状態でそこに立っていた。その手には、司器・ハイペリオンが握られていた。
「お前は……」
 アンスールがレイムの存在に気付き、視線を向けた瞬間、イクシードが動いた。
 強大な魔力がそこに集められ、一点に集中して放たれる。そのイクシードの魔力は一直線にアンスールへと向けられていた。
 ディアロトスのそれを超える程の莫大な魔力が集約し、凄まじい熱気を周囲に撒き散らしながらアンスールへと直進する。その魔力は、今までに一度も感じた事のないものだった。
「――!」
 アンスールは司器を振り上げ、切っ先を魔力球へと突き刺した。そのまま空いていた左手を柄に添え、刃を押し込むように突き出す。
 直後、魔力球が刃によって貫かれ、その突きの衝撃波で魔力球が弾け跳んだ。貫かれた道筋から周囲に爆発するように魔力を発散し、魔力球は消失した。
 その魔力を浴びぬよう、レイムは後方に跳躍し、回避行動を取った。
 恐らく、これからイクシードとアンスールが戦うはずだ。今の状況では、イクシードにレイムの援護を頼むわけにはいかない。アンスールとイクシードが戦っている時には、レイムは援護が出来ないのだ。イクシードほどの龍になれば、その攻撃は細かい攻撃でもかなりの破壊力を持ち、更にはそれを連続で放つ事も出来る。そのイクシードとアンスールが中心に戦っているところには、レイムが割り込む余地はない。
 イクシードが吼え、アンスールが地を蹴った。
 瞬間的に魔力を圧縮し、先程と同じ威力の火球を連射するイクシードに、アンスールはその尽くを司器で打ち払い、突き進んでいた。
 中核結晶を司ると言われているイクシードは、恐らく中核結晶の力を用いて瞬間的な魔力の圧縮を行っているのだ。莫大な魔力を秘めた中核結晶の増幅力ならば、それも不可能とは言い切れない。
 イクシードの腕が横合いからアンスールへと叩き付けられた。その速度は凄まじく、魔力を込めているために腕の表面が赤熱していた。陽炎が腕の軌道を描き出し、アンスールと交差した。
 だが、アンスールはそれを避けた。完全召喚したラグニードの持つ、二対の翼を用いて後方へと回避していたのだ。そして、避けた時には既に突撃の体勢になっていた。
「――ラグニードぉっ!」
 イクシードが吼え、その尻尾を振るった。
 凄まじい速度で横合いから迫るその尾は、アンスールを捉えていた。尻尾が赤熱し、発火した。尾の表面に付加された火属性の魔力の密度が濃いために、起きた現象だ。だが、恐らくイクシードにはそのダメージはないだろう。
 元々火属性の魔力が高いのか、それとも中核結晶の影響なのかははっきりとは判らないが、そのイクシードは炎に関しては相当な耐性があるのだ。
 振るわれた尾が、アンスールに直撃する瞬間、アンスールは司器を水平に向け、迫る尾へと突き刺していた。
 深紅の刃は尾に深々と突き刺さった。その刃の持つ膨大な熱量が傷口を焼く。
 イクシードが絶叫した。
 アンスールは槍を強引に振り回し、尾を引き裂いた。引き裂かれた傷口は、深紅の刃に焼かれ、出血はしない。だが、焼かれた事での内部へのダメージはかなりのものだ。
 火属性の魔力が高いであろう、イクシードの身体を焼く程の熱量を持っているのだ。そのダメージは凄まじいはずである。
 尾を途中で切り落とされたイクシードは、それでも尚アンスールへと敵意を向けていた。
 その全身が発熱し、赤い皮膚が淡い光を放ち始める。淡い光はやがて陽炎へと変わり、その直後には炎を吹き上げていた。不死鳥のように全身を炎に包み、イクシードが咆哮を上げた。
 床を蹴り、アンスールが再度イクシードの懐へと飛び込んで行く。
 イクシードが腕を振るった。その腕の表面が小さな爆発を起こしたかのように炎が破裂し、腕を加速させていた。先の攻撃時の速度を圧倒的に上回る速度で振るわれた腕を、しかしアンスールは司器で防いだ。
 槍先の深紅の刃が龍の腕を切断した。寸前で切断された腕は慣性に従ってそのまま動き、腕の先だけがアンスールの後方を通り過ぎた。
 アンスールにダメージを与える事は出来なかったが、それでも失速させる事は出来ていた。イクシードが全身の炎を爆発させ、その攻撃エネルギーの全てをアンスールへと向けた。
 迫り来る炎に対し、アンスールは司器の刃を前方へ突き出すように構えた。そして、炎が直撃する直前に槍を横薙ぎに振り払う。その直後、深紅の刃が炎を切り裂いていた。同じ属性の魔結晶が、放たれた攻撃を引き付けた事で炎が分断されたのだ。イクシードの放った魔力は凄まじく、魔結晶を用いて分断するのは極めて困難だ。魔力を引き付けて分断するのに最適なタイミングを見切る事も、至難の業なのだ。だが、アンスールはそれをやってみせた。
 身体を沈め、分断した隙間に飛び込むようにしてアンスールは跳躍した。その先には無論、イクシードがいる。
 その、龍の頭部を思わせる生体鎧の兜から覗いているアンスールの目付きが、細められた。鋭く細められたその視線に、今まで以上の殺気が込めらたのを、レイムは感じた。それと同時に、莫大な魔力が司器の刃に集中する。
「――焔閃…!」
 刹那、深紅の刃が閃いた。
 深紅の陽炎の残影を残し、その軌道がはっきりと空中に刻まれていた。その残影は一直線にイクシードの首を切り裂いていた。
 イクシードの後方にアンスールが着地した直後、イクシードの首が落ちた。切断面は焼け爛れ、血の一滴も流れていない。それにも関わらず、切断面から上下への、身体の内部へと浸透した熱量はその内側を焼き尽くしている。
 炎に包まれていたイクシードの身体を、司器はその魔力を上回る炎で焼いたのだ。
 アンスールがゆっくりと振り返り、レイムへと視線を向けた。
「……レイム、だったな」
 その言葉に、レイムは一歩、歩み出た。
 左右の手に一度力を込め、そこに双剣の手ごたえがある事を確認する。
『召喚契約者か……?』
 ラグニードの声が響いた。
『――久しいな、ラグニード……』
『……その声、ディアロトスか』
 ディアロトスの意思が、ラグニードへと向けられた。
『何故、中核結晶を破壊する必要がある?』
『……お前はこの世界に疑問を持った事がないのか?』
 溜め息混じりのラグニードの返答に、ディアロトスは返答に窮したようだった。
「疑問、だと…?」
 ディアロトスの代わりに、レイムが問う。
「そうだ。おかしいんだ、この世界は」
 アンスールが口を開いた。
 その口調や視線には、先程イクシードを殺した時のような気迫や殺気はなく、穏やかなものだった。
「魔力は何故存在している? 龍族とは何だ?」
『この世界全てを構成している魔力という要素とは一体何だ? 何故、その世界を構成するはずの魔力が使役出来る?』
 アンスールの言葉を継いで、ラグニードが言う。
 魔力というものの存在は、この世界そのものの定義とも言える。それに対して疑問を持つ者など、ほとんどいないだろう。たとえ疑問を持っても、その答えに辿り着く事は出来ないのだ。一種の哲学とさえ言える。
『魔力が使役出来る事や龍族の存在は、環境による対応として良いとしても、だ。何故、魔力は枯渇しないんだ? これだけ人間の生活に使用されていて、それで魔力のバランスが崩れる事はほとんどない』
 魔力という存在のある環境を生きて来たために、その力を操る事が出来る者が現れたというのは、不自然ではない。それが出来る者が生き残って来たという事なのだ。
 それは龍族においても言える。魔力というものの存在によって影響されて生きて来たが故に、そういった進化を遂げたという仮説には信憑性がある。進化の可能性は無限大とまで言われているのだ。現在の状況が不自然とは言い切れないだろう。
「それだけではない。魔力の歪み、魔生体とは何だ?」
 ラグニードの言葉を、今度はアンスールが継いだ。
「何故、魔力の歪みが生じる? 本来、使役しても崩れない魔力のバランスが、何故崩れる事がある? どうして地方で魔力に偏りが生じている?」
 アンスールは穏やかに、それでもはっきりと疑問を投げ掛けて来る。
 それに対する答えは、レイムもディアロトスも持ち合わせてはいない。
 魔力に歪みが生じるのは事実で、人間や龍族が使役しても歪みが生じる事はない。魔生体を作り出す秘術は本来の魔操術とは別に存在しているほどだ。
「歪んだ魔力に侵された魔生体とは、何だ? 何故、そんなものが発生する?」
『俺達は、それに対して一つの答えを出した』
 アンスールの疑問の後、ラグニードが静かに告げる。
『この世界は、誰かに造られた世界だ』
『何だと……?』
 ラグニードの言葉に、ディアロトスが口を開いた。
「中核結晶の存在が何よりの証拠だ。この、魔力を制御する結晶がこの世界をこの世界として存在させている」
 アンスールが言葉を継ぎ、言う。
『魔力というもので、この世界は制御されているのだ。そう考えれば全ての説明がつく』
「魔力が枯渇しないのも、この世界をこの世界のままで保つために中核結晶にそう仕組まれているからだ。魔力の歪みは、恐らく定期的に生じるように設定されているんだ。この世界に生きる者達に対する何かしらの干渉なんだ」
『世界を形作った者は、今もこの世界を覗いているはずだ。この世界は実験場なのではないのか…?』
 ラグニードとアンスールが交互に、自らの推測を繋げて行く。
 それは、確かに筋が通っているようにも聞こえた。
 魔力というものが、それ単体で存在しているのならばともかく、中核結晶と言う存在が魔力の源とすると、世界の成り立ちの仮定が出来ないのだ。魔力という要素によって、世界が構築されたとする仮説も、中核結晶が何故出来上がったのか、という部分で詰まってしまう。中核結晶から魔力は滲み出しているのだ。中核結晶という形に集約したとするのならば、魔力は周囲に滲み出るという事はないだろう。中核結晶が魔力の源だとすると、世界が成り立つには中核結晶の存在について説明しなければならない。中核結晶が一つであるならば、それを中心にするという考えも出来たが、中核結晶は七つあるのだ。研究者達はその議論で行き詰まっていると聞いた事がある。
 だが、その存在が仕組まれたものだとすれば、全てに納得が行く仮定が出来るのだ。中核結晶と言う制御装置を作り、それを七つ設置して魔力のバランスを作り出し、そうする事で世界を安定させる。
 この仮定では、図書館で調べて生じた疑問も解決出来てしまうのだ。神殿という明らかに異質な存在も、等間隔に存在しているという中核結晶も、その成り立ちも、全てそう仕組まれているという仮定で説明出来てしまう。異質なのは、世界を造り出した者の技術と考えれば、異質である事は頷けるし、等間隔に存在しているのは、その配置が魔力のバランスを安定させるのに丁度良いからと考えれば良い。
「何者かが、この世界を管理しているのならば、それをする必要性は、実験ぐらいだろう」
 アンスールの表情は歪んでいた。
 世界を作り出す事で、その存在に何が得られるのかは解らない。だが、その世界を作り出すという事は、何かしらそれに意味があるのだと、アンスールとラグニードは考えたのだろう。
「俺達は、その管理者からこの世界を俺達自身のものにするために中核結晶を壊す!」
『それで魔力のバランスが崩れれば世界が崩壊するかもしれんのだぞ!』
 アンスールの結論に、ディアロトスが言った。
 たとえ、世界を解放するためだといっても、世界が崩壊してしまえば元も子もない。
『やってみなければ判らんだろう。それに、このまま管理され続けては俺達に未来はない!』
 ラグニードが反論する。
 管理される事で、この世界に住む者達の運命が定められていると考えているのだ。そこから、定められていない未来を得るために、ラグニードとアンスールは中核結晶を破壊し、この世界をこの世界として存在させている鎖を断ち切ろうと言うのだ。
『過去の過ちを忘れたか!』
『その先に開かれる未来があるのだ!』
 ディアロトスとラグニードの意思が激しくぶつかりあう。
「レイム、お前は、どう思っている?」
 アンスールが口を挟み、ディアロトスもラグニードも意識をレイムへと向けた。
「……正直、どうでも良い話だな」
 一瞬目を閉じ、レイムは告げた。
「ただ、俺はディアロトスに約束した。ラグニード、お前の息の根を止める事を」
 真っ直ぐにアンスールを見据え、レイムは言う。
 レイムには、世界がどうなろうと、構わなかった。今はアンスールとラグニードを倒さなければならない時だ。説明が終わったのならば、早いうちに決着をつけたかった。
 そうしなければ、シェラルやヴィルダに先行して来た意味がない。
『アンスール、油断するなよ』
「ああ」
 ラグニードに答え、アンスールが司器を構えた。
『……ラグニード、決着をつけるぞ』
 ディアロトスの言葉に、レイムも身構えた。
 互いに床を蹴り、動き出したのは同時だった。
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