人の心に闇ありき
著:NKI

 ダークナイト、すなわち暗黒騎士。パラディン、すなわち聖騎士。対となる二者は善と悪の象徴の如く語られている。
 だが、そのふたつは本当に相容れぬものなのだろうか?
 真実を知る者はあまりにも少ない…。

 ―――俺はその日、ひとりの暗黒騎士に出会った。

 日が暮れた頃。つまり、この国「エペンダード」で働く男達の仕事が終わる頃。
 宿屋「ヨウロウ」の酒場はいつも通り賑わっていた。城に仕える騎士達や、技師達、町の職人達でほぼ全てのテーブルが埋まっている。
「おい、ねーちゃん!こっちにも酒だー!!」
 騎士達の一人が料理を運ぶ娘を呼んだ。
「はいはーい!すぐ行くよー!!」
 様々な話し声が飛び交う店内でよく通る声が響き渡る。
 答えた娘の歳は十七、八といったところだろうか。ルビーのように赤い目と栗色の髪をしており、その毛を後ろで縛ったポニーテールという髪型をしている。眉と目つきが若干つり上がり気味で、気の強そうな印象を与える少女だ。
 そんな彼女が注文された酒を運んでいくと、呼んだ客とは別の、ヒゲ面の男がうっとりとした表情で言った。
「んん〜…。やっぱりライカちゃんは可愛いなあ〜…。」
 結構酔いが回っているようだ。とろけそうな目で娘を見た。
「注文が無いんなら別のテーブルに行くよ…。」
 それにライカと呼ばれた少女は呆れた目で応じた。
「そのとんがってるところがまた〜…。」
「はいはい、調子に乗らない。酒も程々にするんだね。」
 男の額にビシッ、と音が立つほどのデコピンを食らわせる。男はうめき声を上げて頭を押さえ、机に倒れ伏した。が、再び頭を上げようとはせず、寝息を立て始めた。
 やれやれ、と肩をすくめ、騒がしい中で次の客の声を待つ。
 周りを見回してみると、そんな中でたった一つだけ、たった一人だけしか座っていないテーブルがある。四人がけであるにも関わらず、座っているのは一人だけ。
 たまたま、空いているわけではない。皆が意図して避けているのだ。
(ま、避けたくなる気持ちも分かるがね…。)
 この宿屋の一人娘、ライカ・ヨウロウは内心そう思った。なぜなら、そこに座っているのは暗黒騎士だったからだ。漆黒の鎧で身を固め、闇色が踊る刀身の剣を背負っている。
 歳は二十五、六くらいか。ボサボサになった黒髪は目にかかるところギリギリまで伸びており、その瞳は漆黒色だ。
 全身黒一色で、それだけ見ればいかにもな感じなのだが、不思議な事に彼からは暗黒騎士特有の陰気さを感じなかった。暗黒騎士というのは、人間の負の感情より生じる力を操る剣士だ。だから、普通この職業を選ぶ者からは強い悲しみや憎しみを感じるものなのだが。
 反して、やや面長の顔をした彼の目はとても静かだ。眉は下がり気味で、どちらかというと気弱そうな印象を受ける。そして、椅子に座ったままじっと何かを待っているのである。それがかえって不気味であった。
「参ったなあ…。ライカ、さっさと注文とれ。早く用を済ませて出ていくなり、泊まるなりしてもらえ。ここに長く居座られちゃ、客が減る。」
 ライカのそばに一人の大男が歩み寄ってきて言った。岩を削りだしたように荒々しい顔つき。頭にバンダナを巻き、立派なあごヒゲを蓄えている。この宿屋の主であり、ライカの父であるドウシだ。
「しゃーないねぇ…。」
 しぶしぶ、暗黒騎士の座るテーブルに向かう。
「お客さん、注文があるんだったら早く俺を呼んでくれよ。」
 少しいらだった感じで言うと、青年は意外な返事をした。
「え…?あ、忙しそうだったからいつ呼ぶか考えていたんですが…。」
 バカ丁寧な口調に高ぶりかけていた感情が一気に醒めてしまった。見た目と中身で随分ギャップのある男だ。
「…。とにかく、何にするの!?」
「あ、はい。」
 彼が注文したのはパンとシチューだった。
「…酒は?」
「いえ、結構です。僕、お酒ダメなんで…。」
 やっぱり意外だ。世の中にはこういうヤツもたまにいるものだ。
 彼が食事を終えると、食器を回収に向かった。他のテーブルも回っていたので、両手は皿でいっぱいになっていた。
「あの…。」
 皿を持って行こうとしたすると、暗黒騎士が小さな声で呼び止めた。
「泊まりたいんですが、どこで受け付けてもらえますか?」
「…泊まりなら、あそこのカウンターでしてくれ。」
 あごで酒場の入り口近くにある受付を示した。自分の親父がどっかりと座っており、その横には二階への階段がある。
「どうも。」
 彼は礼を言うと、受付でドウシから部屋の鍵を受け取り、二階へと上がっていった。
 この国の人間ではないようだが、変わった男だ。ライカの思考にそんな事がよぎった。しかし、深く考える前に客の呼び声が上がり、彼の事は思考の片隅に追いやられていった。

 翌朝、父に大きな声を浴びせられて目を覚ました。いや、覚まさせられた。
 宿屋とは食事処でもある。日中は常に営業中。日が上がる前に仕込みを済ませておかねばならない。
 眠い目をこすりながら鏡の前に歩みを進める。顔を洗い、寝ている間に乱れた髪を後ろで結んで適当に整える。うーん、と伸びをしてから服を着替えると、寝室を出るべく扉へ向かう。扉を出れば、一階の階段横の廊下に出る。この宿は一階が食堂になっており、その入り口に二階への階段と受付がある。二階が宿泊客用の部屋になっていて、ライカ達の寝室は一階の階段横の廊下から入るのである。
 しかし、最近の技術の進歩はすごいと思う。父が子供の頃は井戸からくみ上げた水や、水源まで出かけて汲んだものを使っていたらしいが、今では蛇口をひねれば水が出る。エペンダードでは水道がほぼ全ての世帯に供給されている。他国と比べても技術は二段程上を行っている。
 技術の発展に支えられ、エペンダードは他に類を見ない大国となった。特に飛行機械の開発は軍事の面でも画期的だった。空を飛ぶという、人類のひとつの夢であった事を成しえたのは、今のところこの国だけだ。
 しかし、その技術を獲得した経緯については謎が多い。十数年前、城お抱えの技師ラウド・エルドスが浮力とその原理を発見した事が発端と言われているが、当時、彼だけの知識と城からの予算ではそれを実現するための力は無かったと証言する技師仲間もいたと云われている。単なるひがみとも取れるが、現在でも詳しい事は分かっていない。何せ、自身が開発した飛行機によってラウドは既に亡き者になっているのだから。
「うわっ!」
「わっ!」
 はっきりとしない頭でそんな事を考えていると、横合いから出てきた誰かとぶつかった。思い切り尻もちをついてしまった。
「ごめんなさい!大丈夫?」
 差し出された手は見覚えのある細く白い手。それが誰なのか、ライカにはすぐ分かった。この宿の料理人として働いてくれているリィン・プラナスだ。店に並ぶ料理はほぼ全て彼女が作っている。
 ライカは幼くして病で母を失った。それ以来、父に男手ひとつで育てられた。それゆえ、世間からは男勝りと呼ばれる性格に育った。
 リィンはライカが物心ついた頃からここで働いてくれている。自分にとって母代わりとも呼べる女性だ。
「あ、リィンさん…。」
 眠気がまだ醒めずに、尻もちをついた姿勢のままリィンをぼんやり眺めていると、彼女はクスッと笑った。
「昨日は大繁盛でしたから、お疲れですか?」
「だ、大丈夫だよ。」
 頭を左右に振り、睡魔を飛ばす。立ち上がり、彼女と共に炊事場に行くと、父が既に準備を始めていた。
「ようやっと来たか。早く手伝え!」
 ドウシに催促され、二人も作業に加わった。何とか、日が上がる前に下準備は済ませる事が出来た。

 昼過ぎ。
 ライカはリィンにお使いを頼まれた。切れた食材の買出しだ。何の事は無い、いつもの仕事だ。しかし、ひとつ気になる事があった。
 ライカは宿を出ようとした時、受付にいる父が鍵をスボンのポケットから出して確認しているのを見た。宿の部屋の鍵は全て、今そこに座っている父が管理している。客は泊まる時にこの受付で父から鍵を受け取り、代金を渡すのだ。ただし、再び宿に戻る予定がある場合は一時的に父に返却する。
 つまるところ、誰かが出かけた事になるが、それが誰かは分かっている。昨日、宿泊した客はあの暗黒騎士ひとりだけだ。
 彼はこの町で何をするつもりなのだろうか。今まで見てきたどの暗黒騎士とも違う彼の雰囲気がそうさせるのだろうか、どこか気になった。
(別にアタシには関係無い…。)
 気になっても特別関わりのある人間では無いし、関わる必要も無い。とりあえず早く買出しを済ませてしまわねば。お金を服のポケットに突っ込むと、炊事場の裏口から外へ繰り出した。
 昨日は忙しさで彼の存在を頭の片隅に送ったが、今日はそうではなかった。自らそう思おうとしていたのだ。
 石が敷き詰められた道を小走りに駆けて行く。周りにはレンガ造りだったり、木造だったり、大小さまざまな家が連なっている。技術が発展しているとは言っても、城下の町まで急速にそれが浸透してはいない。旧来の古風な街の景観は今でもかなり残っている。
 目指しているのは香辛料の専門店で、この道の先の広場にある。料理の味付けには欠かせないものであるだけに、他の食材同様に常にそろえておく必要があるのだ。
「おっ、久しぶりだね。」
 店先に並ぶ品を吟味していると、店の親父が顔を出した。
「おっちゃん、ハーブとナツメグ、あとニンニクそれぞれ一箱ずつもらえる?」
 足りなくなったものを注文すると、店員が手際良く箱詰めしてくれた。代金を渡す。
「毎度あり!」
 威勢の良い声に送られて、元来た道を戻り始める。
 朝早く起きて仕込みを済ませ、月がはっきり見える時刻まで料理を運ぶ。足りなくなった食材があれば買いに出る。自分の人生は毎日その繰り返しだが、それでもライカはこの生き方は嫌いではなかった。いや、正確には毎日は決して繰り返してはいない。似たような状況である事は確かだが、全く同じ事などありえない。同じように見える事でも変化はある。そんな細やかな変化が、世界を変えていく。宿屋とは様々な人が入れ替わり立ち代わりやって来る所だ。そんな人々達の変化を見ているだけでも、人生は退屈ではない。そう思える自分は幸せなのだろう。
 しかし、そんな事を考えていた矢先、同じ事の繰り返しを最もかき乱される事になった。
 広場を出て、元の古い町並みに戻った辺りの事だ。横にある白い壁の家の向こうから金属同士がぶつかり合う音が聞こえた。刀鍛冶である可能性も考えたが、十中八九そうではないだろう。なぜなら、その音は鍛冶のかなづちが響かせるあの小気味の良い、規則正しい音楽ではない。闘志を持った二つのものがぶつかり合う、不規則な不協和音だ。しかも、その空間に張り詰めた空気がある。遊び半分ではない。生命を賭けた死闘だ。
(誰かが戦っている…!)
 すぐにそう悟る。
(…アタシが関わる必要は無い!)
 そう、自分が余計なとばっちりを食らう必要は無いのだし、自分が出て行く事で状況が変えられるとも限らない。
(だけど…ッ。)
 このまま、戦いが続けばどちらかが負ける。そして、敗北した者には死が待っている。出来る事なら争わぬに越した事は無いはずだ。だが…。
 どうするべきか、迷っているうちに金属音が途切れ、その代わりに嫌な鈍い音が聞こえた。恐らく、生の肉が裂ける音だ。最悪の事態が起こってしまったのかも知れない。
 逃げた方がいい。心はそう思っていたはずだが、怖いもの見たさというのだろうか、興味という別の感情が恐怖を押さえつけ、混在させるという状態を作り出していた。持っていた箱をそっと地面に下ろす。震える足を手でぎゅっと押さえながら、そろそろと家の横に回りこんだ。壁を背に覗き込む。
「…あッ!!!」
 思わず声を上げてしまった。そこには血のついた黒い剣を握る、あの暗黒騎士が立っていたのだ。斬ったと思われる相手が地に倒れ伏している。白いシャツを着た一般市民であった者が、胴を二つに割られて絶命していた。
「君は…。」
 暗黒騎士がこちらに気付いた。
 やはりそうだ。彼も他の暗黒騎士と同じだ。どうやって負の気を隠したかは知らないが、ここで見てしまった。
「…ひ、人殺し!!」
 そう叫んで一目散に逃げ出す…つもりだった。が、身体が動かない。ギ、ギ、ギ、と何とか首を動かすと、後ろで暗黒騎士がこちらに手をかざしている。彼の指先からは闇色をした無数の細い糸が伸びており、それがこちらの身体を縛っていた。
 《暗黒界力》(あんこくかいりき)。負の感情より生じる暗黒力によって対象を拘束する、暗黒騎士の技のひとつだ。糸のように見えるのは凝縮されたダークオーラで、強力なものになると相手を意のままに操る事すら出来る。
(アタシも消される…!!)
 そう確信して恐怖に目を見開いた時、手をかざしたまま暗黒騎士が言った。
「待ってくださいよ。僕が人殺しかどうかは殺した生き物を見てから言っても遅くはないですよ。」
 驚くほど優しい声だった。恐る恐る視線を倒れている人の方に向けてみる。そこで自分の認識の誤りに気付く。先程、人であった者は人ではなかったのだ。彼が付けたと思われる傷の周辺が歪み、緑色のうろこが現れ始めていた。魔物が人間に擬態していたらしい。
「あ…リザードマン…?」
 名の通り、その魔物はトカゲ男であった。
「ね?」
 ダークナイトの青年が笑いかける。彼の表情は穏やかだった。否、穏やか過ぎた。口元も目元も緩んだ、とても魔物を殺した直後とは思えない笑顔であった。

 その暗黒騎士はエギル・トーチライトと名乗った。
「…魔物が人間に擬態していた、という話は現在でも聞いた事があると思う。」
 宿に戻った二人は彼が宿泊している部屋にいた。窓からはまだ陽光がキラキラと差し込んで来る。備え付けの小さなの机と椅子、そしてベッドがあるだけの一人部屋であった。
「ああ、少し前にもどこか別の国の重役が魔物とすり替わってたって話を聞いた事があったっけ。」
 ライカは椅子に寄りかかって言った。既に落ち着きを取り戻している。
「クラヴィス王国の事だね。魔物が軍の参謀になっていた。そいつが嘘の情報を流したせいで一部の将校がクーデターを起こしかけてたそうだが…。まあ、その前に見つかって良かったよ。参謀本人は既に殺されていたそうだけど。」
 魔物の中には人語を解し、高度な魔法を操るモノもいるのだ。
 魔法については多種多様で、火炎を発生させるもの、冷気によって相手を凍結させるものなど語り尽くす事は難しい。ベッドに座った暗黒騎士は解説付きで応じた。
「アンタはそういう魔物を退治して回ってるってわけか。」
「違う。」
 即答だった。ライカの立てた予想は強く否定された。
「退治なんて、そんな生易しいモノじゃあない…。」
 一転して深刻な表情になった。それはダークナイト特有の強い邪気を伴っていた。負の感情を抱いているのだ。怒り・悲しみ・憎悪…全て、人が持つ負の感情である。ダークナイトはその力を操る能力に長けているため、ことさら表面に出やすいのだ。
「僕は魔を根絶やしにするために旅をしている。」
 静かな声だったが、とても強い意志を宿した声だった。その闘志に、戦士ではないライカでも鳥肌が立ちそうになった。
「ど、どういう事なのさ…?」
「君は僕があのリザードマンを始末したところを見たはずだ。アレがどこから紛れ込んだと思う?」
 言われてみれば、確かに妙だ。最近になって入ってきたのなら、門兵が気付かないはずが無い。仮に町に入る前から擬態していたとしても、門兵と共に配置されている魔導師達が見破るはずだ。
(まさか…。)
 ちょっと待て、だとしたらなぜ気付かない?
 ライカは思いついた事を認める気にはなれなかった。いくらなんでも飛躍しすぎている。
 その時だった。
「ライカ!こんな所で何してる!?」
 バシン、と叩きつけられるようにして部屋の扉が開いた。
「親父…。」
 少々面食らって、座ったまま父の顔を眺めていると罵声が飛んだ。
「バカ者!客をもてなすはずの人間が客の部屋でくつろいでどうする!!」
「バカ者はお前だろ…?」
 エギルがすくっ、と立ち上がった。壁に立てかけてあった暗黒剣を取る。父に向けられた視線は突き刺さる矢のように鋭く、彼の雰囲気は先程とガラリと変わった。
「いつから人の皮を被っていやがる…!?」
 まるで別人の声のようだった。地の底から響いてくるような、低く、重く、暗い、激しい怒りのこもった声だ。
「アンタ…一体何を言って…。」
「僕には判るんだよ…。お前の中には人の生命を感じない!」
 ドウシの言葉を遮り、刃が顔に向けられた。
「ええっ…?」
 エギルを見て、ドウシを見て、もう一度エギルに目を向けた時、後ろでわっはっは、と笑う声がした。再び父にも視線を当てると、頭を上に向けて大笑いしている。
「はははっ!…確かに俺は人の生命など持っちゃいねーよ!!」
 笑い終わるや否や、父はいきなり暗黒騎士に飛び掛った。とっさに剣を振ろうとしたが、間に合わずに押し出され、窓を突き破り下へと落下していってしまった。
「あ…あっ?」
 すぐに状況が飲み込めず、座ったまま目をパチパチさせていると、外からは岩が砕けるような音が耳に入ってくる。
(親父ッ…!!)
 飛び上がるようにして椅子から立ち上がると、砕けたガラスの破片に気をつけながら窓に近寄る。下を見下ろすと、そこには暗黒騎士エギルと先程まで父の姿をした魔物の戦闘が始まっていた。
 その魔物はオーガ。邪悪な巨人で、食人鬼としてもよく知られているモンスターだ。全身の筋肉が異様に発達しており、その剛腕から繰り出されるパンチは岩をも砕くほどだ。普通の人間の身体など、飴のように曲げられてしまう。
 今度こそ、ライカは逃げたかった。しかし、二者の戦いから目を外す事は出来なかった。頭では逃げろ、と叫んでいるのに、足が動かない。リザードマンの時は足が動いたのに。
 オーガは大きく振りかぶって殴りかかった。が、エギルは軸をずらして難なく避けると、横にある腕に暗黒剣を振り下ろした。オーガの右腕が切断された。
「グオオオオオォォォッ!!」
 オーガは絶叫を上げたが、その間にももう片方の腕をはねて攻撃能力を低下させる。更に続けて胴に蹴りを入れ、宿の向かいの壁に叩きつける。
「ら…ライカッ!!」
 オーガが窓際にいるこちらに叫んだ。しかし、その顔は父ドウシのものであった。戦いを見つめていたライカの身体はビクリと硬直した。
「た、助けてくれ!父を見殺しにするのか…?」
 目を見開き、凝視したが間違いなく父の顔だ。だが、それはもはや魔物だ。そう思い、そう思おうとする。呼吸が早くなり、胸が苦しくなる。
「…俺はお前の父親なのだ!昔の記憶もちゃんとある!!俺はお前を愛している父ドウシだ!!助けてくれっ!」
 頭が混乱しそうになる。もはや、父は生きてはいまい。唯一生きているとしたら、あの魔物の中にある父の記憶だろう。
「ら、ライカ…覚えているだろ?お前は十歳の頃、石段から落ちて背中に大きな傷を作ったっけなあ!」
 思考が真っ白になっていく。いっそ、気絶してしまいたかったが、それすら許されなかった。
(俺は…どうしたら…?)
 動揺する目に入ってきたのは、暗黒騎士エギルの視線だった。何か言いたそうな、しかし何も言わない、目で語りかけられているような不思議な視線だった。厳密に彼が何を想っていたかは解らない。しかし、この時のライカには、このままでいいのか、という問いかけを受けているように感じられた。
 そうだ、父はもういない。今ここにいる父は記憶のみを写し取っただけの魔物、偽りの存在だ。
 窓のふちをギリッ、と握る。割れたガラスの破片が指の腹に食い込んだが、構わず握り締める。細い血の筋が、窓枠を伝って壁へと流れていく。
 そして、ライカは叫んでいた。
「頼む!そいつを殺してくれぇっ…!!」
 と…。
 エギルは全てを察した様子で、小さくうなずいた。
 ――――シャキン!
 彼が構えると、周囲に甲高い金属音が響き渡った。暗黒剣の刀身が顔の横に水平に並んでいる。
「ら、ライ…!!」
「本当にお前が父親なら、娘を悲しませるその口をつぐめッ!!」
 切断された腕の断面をライカの方に向けようとしたオーガの声を遮り、叫ぶエギルの剣からは闇が放たれた。
 《暗黒波》(あんこくは)。暗黒騎士が使う中でも最もオーソドックスな、しかし強力な技だ。負の力より生じる暗黒力は大きな力をもたらすが、代償も大きい。魔導師のように精神力を消費して力を呼び起こすのではない。生命力を削って奥義を発動するのだ。
 暗黒界力の場合は発した暗黒の糸を自身に再吸収させるので、消費はほとんど無い。しかし、こちらは相手に向かって一気に放出する。自身の生命を賭けた必殺剣なのだ。
 闇の波動がオーガの全身を覆い尽くす。全身が邪気に喰い破られ、骨すら残さず塵となって消えていった。
 ライカはがっくりと膝をついた。一瞬の間、全身を支える骨と筋肉が抜き取られてしまったような気がした。
 しかし、下が再び騒がしくなった。よろよろと立ち上がり、再び下を見やると、家の壁を突き破って無数の魔物が姿を現し始めていた。騒ぎを聞きつけて集まってしまったようだ。
 エギルは眉を吊り上げ、剣を握りしめると現れた魔物を次々となぎ倒していった。

 門番が気付かないのも無理は無かった。いや、正確には気付かないふりをしているのだ。なにせ、人間に化けた魔物を魔物が検閲しているのだから。
 不幸にも、ライカの予想は外れてはいなかったのだ。そして、それはエギルが知るところと同じなのだろう…。

「ありがとう。」
 エギルはポーションをがぶ飲みしながら礼を言った。流石に消耗したようで、持ってきたビンが五、六本空にされた。
 《ポーション》。魔導師が作る一般的な回復薬のひとつで即効性がある。傷に直接塗っても効果があるし、経口摂取でも体内から癒してくれる。
 少し崩れかけた宿の食堂の椅子で二人は会話を再開した。
「…もう解ったと思うけど、この国は魔の巣窟なんだ。ほとんどの人間が魔物に取って替えられている。」
 うつむきがちになる身体と心を何とか抑えてつけて聞く。
「君のお父上は…恐らくここ数日のうちに入れ替わったのだろう。高等な魔術を用いて、姿かたちだけでなく、記憶さえ切り取って本人に成り代わる…。そして、友人、知人、隣近所から仲間に替えていく。それが今の奴らのやり方なんだ。」
 気付く事が出来なかった。魔の侵略がそこまで進んでいたとは。
「つまり、もうこの町で人間が歓迎される事はない。…君は早くこの町を出るんだ。」
 彼の言葉にはっとして顔を上げる。憂いを含んだ暗黒騎士の顔が見える。
「アンタは…?」
「僕にはまだこの町でやるべき事がある。」
 ライカの問いに答えたエギルの声は力強かった。
「この町全ての魔物を殺すつもりか…?アンタだけで出来るのか、そんな事…?」
「無理だよ。僕一人では無理に決まってるだろ。」
 だが、と彼は言葉を続けた。
「この町の魔物を統率している王がいるはずだ。恐らく、そいつが高等魔術を用いて長い時間をかけてこの町を支配していったんだろう。そいつを倒せば人に化ける術も解けて、残りは烏合の衆と化すだろう。この手の術は術者を倒すと解けるものが多いからね。」
「この町を一軒一軒探すのか?いくらアンタが強くたって…。」
 いや、と彼はライカの言葉を制止した。
「もう、王の目星はついてる。君は人間の国の場合、王はどこにいると思う?」
 僅かに思案したが、すぐに解った。
「ハハッ…。アハハハッ…!結局、無茶なのは変わらないじゃないか…!」
 苦笑いするしかなかった。城に一人で乗り込んでいくつもりなのだ。そして、この“国”の王を殺すのだ。
「それでも行かなければ。」
 彼の真面目な表情に、無理に笑ったライカはきまりが悪くなった。彼が戦う理由など、ライカには解らない。ただ、彼の心にある強い意志がそうさせている。それだけは解る。
「行きなよ…。アタシも隙を見て逃げるさ。」
 言葉では語りつくせない事がある。彼の想いを汲み、見送る事にした。黙ってうなずくと、エギルは宿から出て行った。
 ―――カチャリ。
 扉が閉まった。
(この町から逃げなきゃ…。)
 どうしてなんだろう。解っているのに、解りたくない。今日は頭で思っている事と同じように身体が動かない。何かが…何かが足りない。この町を出る?それとも…。どっちにしろ、このままじゃいけない。それは解っているのに。
 父ドウシはもういない。誰もいなくなった食堂でそれをはっきり自覚した。突然、涙がせきを切ったように流れ出した。
「くう…ううううっ…!」
 ライカは声を殺して泣く事しか出来なかった。

 どれだけ泣いていただろうか。
 ようやく立ち上がって外を見ると、太陽はまだ光を地上に振りまいている。しかし、先程より少し下がっているように見えた。
(行かなくちゃ…。)
 親父は死んだ。だが、自分はまだ生きている。まだ、自分に出来る事がある。もう、涙は乾いている。
 うちに残っていたポーションをありったけかき集めると、手提げのかごに詰め込んだ。
 エギル・トーチライト…。彼は暗黒騎士だった。生命力を消費して戦う彼の戦闘スタイルでは回復手段が必須となる。
 ―――間に合いさえすれば、絶対に役に立てる。
 確信を持って、外へ飛び出す。先程、彼が戦っていたせいで、あたりは崩れた瓦礫や魔物の死骸、血の跡などで以前の町並みなどすっかり消えていたが、城の方向は解る。
 この国エペンダードは城を中心に北に向けて城下町が広がっている。つまり、南が城の方角だ。
 南を見れば、荒廃した町並みの向こうに大きな城が見える。
 ライカはそこに向かうべく、全速力で走り出した。
 城への道には、彼が倒したと思しき異形の者達が転がっていた。そのため、道が解らなくなる事はなかった。
 古い住宅地を抜け、広場を突っ切り、美しい石段を駆け上がって門にたどり着いた。門番は既に打ち倒され、砕かれた門と共に転がっている。
 息を切らせて城内に駆け込むと、剣戟の音が聞こえる。金属と金属がぶつかる、あの戦いの音だ。
 血に染まったカーペットの上を走って行くと、音が近くなる。上だ!階段を急いで駆け上る。長い廊下を一直線に行くと、玉座の間にたどり着いた。
 ―――ガキィン!
 ライカが飛び込んだのは、暗黒騎士の剣と魔物の王の刃ががっちりと拮抗しているところだった。
 エギルは戦い続けていたため、あちこちが傷だらけになっていた。しかし、闘志は失われていない。刃の向こうに映る敵に憎悪にも似た視線を送り続けている。
(何だ!?アイツは…!)
 一方、魔物の王は今までに見た事も無い魔物だった。姿は人型だったが、頭部には悪意に満ちた一つ目が見開かれ、全身は気持ちの悪い紫色だった。両腕の付け根から刃が生えており、それが暗黒剣を押しとどめていた。
「エギルーッ!!」
 ライカが声を張り上げると、二者とも、一瞬彼女の方を見た。が、戦いに戻るのが彼女を知っていたエギルの方が僅かに早かった。
「もらったーッ!!」
 組み合っていた両腕がはね上げられ、大きく体勢が崩れた。隙だらけになった腹を暗黒剣でぶち抜いた。
『グギャアアアーッ!!!!』
 この世ならぬ叫びを上げながらも、王は両腕を振り下ろす。
 ―――ガァン!
 片方の刃が腕をかすめ、装備していた黒い籠手が吹き飛ばされる。だが、エギルは臆することなく、籠手の無くなった拳で一つ目を殴りつけた。目玉が潰され、どろどろとした体液があふれ出す。目を押さえもだえる王に、エギルは容赦の無い追撃をかけた。
 ―――ズブッ!ザスッ!ズバシュ!!
 暗黒界力で突き刺さったままの剣を操作し、腹をえぐる。悶絶する敵に構わず、エギルは剣を腹から引き抜き、自分の手元へと呼び戻した。
 トドメだ。
 ―――シャキン!
 顔の横に剣を構えると、敵に向かって一直線に黒い渦が伸びていく。相手に到達したダークオーラは相手の身体を拘束し、僅かに浮かせた。
「シャドーストリィーム!!」
 渦巻く闇の道の中を突進していく。道の終点にいる敵を討つために。
「消えてなくなれぇーッ!!」
 邪気に満ちた刃を叩きつける。敵の身体が一刀両断され、続いて拘束していた暗黒闘気が集約していく。
『…!!!!』
 声無き断末魔が響いた。次の瞬間、闇が敵を飲み込んで大爆発を起こした。全生命力を奪われた王は塵と化し、文字通り消えてなくなった。
 大技を放ったエギルはよろめいたが、剣を突き立てて踏ん張った。
「エギルッ!!」
 ライカは駆け寄り、持ってきた薬品を差し出す。
「どうして、ここに?」
 疲弊しているようだ。ぜいぜい息をついている。
「この町で出来る事はもう、これしかなかったから…。」
「そうか。でも助かったよ。」
 ぐいーっ、と一気飲みする。疲れ果てていた彼の顔に元気が戻ってきた。
「手持ちを使わずに済んだしね。」
 鎧の中に忍ばせていた薬草の束を取り出して見せた。
「あっ!?」
 ライカは大いに驚いた。よく考えれば、暗黒騎士である彼が自分の回復手段を持たずに戦っている事の方がおかしかったのだ。
 大口を開けているこっちの表情を見て笑った彼の顔は気持ち悪いくらい明るかった。
「も、もーっ!!」
 急に恥ずかしくなるのと同時に、心配して損をしたような気持ちにさせられた。
 とりあえず、彼の頬を一発ひっぱたいた。

 戦いは終わり、この国はこの星の上から消えた。
 二人は三度宿屋に戻った。食堂のテーブルに腰を下ろし、エギルの手当てをしてやった。
「僕はもう行かねば。いつ、他の国が魔に狙われるか解らないからね。」
 手当てが済むと、暗黒騎士は椅子から立ち上がった。
「何でそこまでするのさ?」
 ライカが尋ねると、彼は穏やかな、しかし、しっかりとした声で言った。
「知ってしまったからね、本当の事を。そして、そのための力も授かってしまった。」
 彼は何を知っているのだろう。詳細を語らないところを見ると、あまり他人に知られたくない事なのだろう。ライカは深く追求せず、質問を変えた。
「ふぅん。それじゃ、もうひとつ教えてよ。どうして、暗黒騎士なのさ?人のために戦っているなら、アンタには聖騎士の方がよっぽど似合うのに。」
 会った時から気になっていた。こちらはぜひ知りたかった。
「人の心ってさ、単純に善や悪でくくれるものじゃないと思うんだ。正しいとか、悪いとかはそれを見ている人が感じるものだろ?怒り、悲しみ、憎悪…みんな、人間なら誰もが持っている感情だ。そういった負の感情も生きている証。生きていくために必要なものさ。たとえ憎しみによって心を支えてるとしても、それがその人が生きるために必要なものなら、それでいいんだ。それが、また他の人の心とぶつかる時は仕方ないけどね。」
 こちらの質問にはよく喋った。彼も自分のなりについては解って欲しかったところがあるのだろう。
「自分が悪党の代名詞になってる暗黒騎士をやってると、何が他の人にとって良い事なのか、よく解るんだよ。暗い闇夜の方が、星の輝きは良く見えるものだろ?」
 詩人だねぇ、と言うと彼は照れて頭をかいた。
「それにさ、この姿の僕を待ってくれている人がいる。」
 なるほど。待ち人あり、か。その言葉にへえー、とにやけて言うと、更に照れて赤くなった。
「よく解ったよ。あんまり引き止めてもいけないから、もう行きなよ。俺は独りになっちまったけど、何とか生き延びて見せるよ。」
 独り?とエギルが首をかしげた。
「そんなはずは無いよ。この僕でさえ、独りではないのに君が独りなわけないだろ?」
 最初、彼は慰めで言ったのだと思った。
「感じる…。誰かがここへ向かってきているよ。それも一直線に。」
 彼は宿の扉の方を向いた。ライカも扉を見つめていると、やがてバタン、と扉が開いた。
「…ああッ!!」
 ライカは凄まじい速度で立ち上がった。全身が震えた。この時ほど、座った椅子から早く立ち上がれた事は今までには無かっただろう。
「…よかった!無事だったのね!!」
 何と、入ってきたのはリィンだったのだ。彼女は駆け寄るとライカをしっかりと抱きしめた。
「リィンさんも…!」
 自然と涙が溢れてきた。父の時とは違う温かい涙だ。
 事情を聴けば、リィンはライカが買出しに出た後、人々が次々と魔物に姿を変えていくのを見て、身を隠していたらしい。恐らく、エギルがリザードマンを倒した直後だ。周囲は魔物だらけだったのだから、目撃している者がいたのかも知れない。彼のような存在に対する警戒が発令されたのだろう。
 でも、どうして彼女が生きていた事が解ったのだろうか。父の時も彼は見抜いていた。それを尋ねると、エギルは微笑んで言った。
「言っただろ?僕は力を授かった、と。僕には生命が持つ波動が判るのさ。」
 自身の生命を削って戦う暗黒騎士は生きる事に関して執着が強い。エギルは通常の暗黒騎士を遥かに超えたダークオーラを放出していた。力を得た彼だから判別出来るのだろう。
「アンタは一体…?」
 彼は何者なのだろうか。突然、そんな疑問がわいてきた。圧倒的な戦闘力を持ち、魔を狩り、生命の波動すら見抜く…。只者ではない。
「僕も人間だよ。君達と同じだけど違う人間の一人さ。」
 きっと、彼は大きなものを背負っている。それも、とてつもなく大きな何かを。それを受け入れ、未だ明ける事の無い暗黒の道を歩いている。自分には特別な力は無いが、彼の物言いから、何となくそんな気がした。
「じゃあ、僕は行くね。」
 ニコリ、と笑ってリィンが開けっ放しにした扉へ歩いていく。彼が外に出て扉を閉めようとした時、ライカは叫んだ。
「今度あったら、アンタが知った『本当の事』ってヤツ、教えてくれよ!」
 すると、半分だけ顔を覗かせていたエギルの顔がニヤリ、と奇怪な笑いをして見せた。一変した表情にぞくっ、とした。
「それは君次第だな。」
 扉が閉まった。ライカはしばらく固まっていたが、リィンに促されてここを離れる準備を始めた。
 なぜ、エギルが急にあんな顔をしたのか、すぐには解らなかった。しかし、荷物を準備しているうちにこんな風に考えるようになった。
 恐らく、彼が歩んでいる道は誰もが歩める道ではない。知らない方が幸せな事もある。知ったところでライカに出来る事は極めて少ない。多分、話を聞いたライカが協力を申し出るかも知れないと思っていたのかも知れない。彼は思いとどめさせかったのだろう。同情などで自分と肩を並べて歩いて欲しくなかったのだろう。
(彼なりの、優しさなのかな…。)
 暗黒騎士として、闇の道を歩み、生命を削って戦う彼の生き方を、ライカにはとやかく言う事は出来ない。ただ、彼の無事を祈る事のみが、これからの自分が彼にしてやれる唯一の事なのだろう。
 さて、そのためにはまず生き延びねばなるまい。日が沈む頃、荷物を背負ってリィンと二人、崩壊した町を脱出した。
 やがて、夜が来た。流石に近くの町まではたどり着けず、野にテントを張った。野宿をする事になったが、エギルと会ったせいか、不思議と闇夜は怖くなかった。
 それに、ライカは独りではなかったのだから。

 人は光の明るさにばかり惹かれ、闇の持つ暗さを忘れているのかも知れない。
 昼が与える活気だけを求め、夜がくれる安らぎを捨てているのかも知れない。
 人間は光と闇、善と悪、生と死、ふたつを両方持っているコインの表と裏のような存在なのだ。二者は単独では存在する事は出来ない。
 決して、交わらない存在などではない。ふたつでひとつなのだ。
 それを本当に理解している人間が果たしてどれだけいるのだろうか。

 真実を知る者はあまりにも少ない…。
TOPへ
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送