第1章 「邂逅のヴァンパイア」


 ――別れに理由はあろうとも、出会いに理由など存在しない。要は、自分と相手がそれに何を見出すかだ。

 惑星生物『アイスター』。それが、俺達が生きている星の名前だ。驚いたことに、この星は星自体が巨大なひとつの生命体であり、意志を持ち、広大な宇宙の一角でとある恒星を中心に自転と公転をしつつ、生きている。
 これだけ聞かせると、宇宙を舞台にした壮大なサーガが幕を開けそうだが、残念ながら今回の物語はこの星で住まう俺達の物語だ。
 話を元に戻そう。この星は長い年月をかけて様々な生命を育んだ。紆余曲折を経て、現在は五つの種族が知性を獲得し、繁栄の時を謳歌している。また、それらの種族は、エレメントと呼ばれる能力を進化の過程で獲得しており、これが発展を支える基礎となった。
 そのうちのひとつが人間である。人間は他の種族と比べると、身体能力や環境適応能力など肉体的な力は大きく劣っている。その上、他種族と違いほぼ全てがエレメントを操れるわけではない。全人口の約二割程度の幸運な者がエレメントを操作できる能力を持っているに過ぎない。
 ここで、なぜ淘汰されずに生き残れたか、不思議に思われるかも知れない。理由としては、人間には一点だけ他の種族をはるかに凌駕している点があることが挙げられる。
 それは『知恵』だ。
 身体能力の低い人間は、それを補うために思考能力を進化させる道を選んだ。今では驚異的な科学力を誇り、他の種族には形成不可能な大都市を築いている。不治と言われたいくつもの病にも治療法を確立し、人工的にエレメントを操作できる技術まで編み出したのだ。
 この俺、エギル・トーチライトもまた人間である。エレメント能力も全く持たない、正真正銘ただの人間だ。だからこそ、俺は知恵の象徴するような存在である、科学者に惹かれたのかも知れない。

「いいわよ、そんなに下げなくても」
「いえ、不手際があったのはこっちですし、俺は150Nでも構わないんですが……」
 そんなただの人間が只今交渉している人物は、数少ないエレメント能力を持つ者である。人間の間では、エレメント能力は『魔法』と呼んでも通用する。それらを操る者達は文字通り『魔法使い』や『魔女』というわけだ。
「よく買う客がいるから大丈夫。どうせ売値は変えないから、どのみち私はもうかるんだし」
 ミロット・ルージェス。彼女は『魔女』なわけだが、見た目も実に魔女らしい格好をしている。魔法使いがよくかぶる、つばの広いの三角帽子から美しい黒髪 が肩まで伸びている。表情は柔和で、若干タレ目気味なのもそれを強化しているように思える。身体にまとった漆黒のロープからは豊満な二つの山が地味な服装 に抵抗し、激しく自己主張をしている。
 誰かが言った、黒は女を美しく見せるというのは嘘ではなかったか。
「しかし、全くおとがめ無しっていうのもなんか悪いような気がするんですよねえ」
 俺が言葉を濁すと、彼女は仕方ないわね、とでも言いたげに小さく笑った。
「分かったわ。170Nで手を打ちましょう。さ、交渉はこれでおしまい。お茶でも出すからゆっくりしていって」
 こうして半ば強引に話を打ち切ると、座っていた席を立って応接間を出て行ってしまった。
 また、だ。
 彼女は俺に優し過ぎる。甘いと言い換えてもいい。彼女の魔法屋は個人経営とはいえ、固定客も多く安定している。俺のような半人前の研究者を手厚く守ったところで、仕入れ元としての見返りは少ない。
 それでも、彼女のその厚意のおかげで俺は自分の研究所を維持できている。感謝こそすれ、不信を抱くことなどあり得ない。寄りかかるような真似をするわけにはいかないが、気持ちは素直に受けるべきだなと思うことにした。
 そんな考えを巡らせてしばらく待ったが、彼女がなかなか戻って来ない。お茶を淹れるだけにしてはずいぶん遅い。
 不審に思い、応接間を出て店内に向かった。
「ずいぶん買い込んでいくのねえ。まあ、その方がうちとしてはありがたいんだけど」
「にひひ、こういう薬品の類はアタシ達は自分で作れないからね」
 そこにはミロットさんの他にもう一人、見慣れない少女がいた。
 いや、正確にはそれは人間ではない。ボサボサのショートカットの上には狼のような耳が確認出来る。目も同様に瞳が細い針のようになっており、しゃべって いる口元からは牙がのぞいた。頬には爪痕のようなペイントがある。服装はタンクトップにスパッツとラフな格好だが、露出した肌部分には無数の細かい傷が 残っており、右腕に巻いた黄色のスカーフ以外に数ヵ所包帯が巻かれている。残念ながら、露出が多い割には胸はペタンコである。腰にある小刀の他、背中に数 本の槍や手斧を革製のベルトでくくりつけて背負っている。獣人族だと一目で分かった。
 獣人族。獣の特徴を身体に持つ、自然と共に生きる種族である。自分の生まれた土地を軸にテントのような移動式の住居に住み、狩りを中心とした生活をして いる。目の前の少女は比較的人間に近い外見をしているが、どの獣の特徴を遺伝子に持つかによって見た目は多種多様である。中にはチーターマンと呼んでも差 し支えないような『そのまんま』な獣人もいれば、人魚のような半人半獣のような者もいる。基本的に身体能力が高く、身軽である。また、半数以上の獣人族が 感覚的にエレメントを操れるため、戦いに関してはかなり高い技量を持っている。間違っても、文明の利器無しで喧嘩などしたくない相手である。
「あれ、お客さんですか?」
 俺の声に、ミロットさんはいけない、と声を上げた。
「ごめんなさい! 看板をひっくり返しておくの忘れてたの。この子、お得意様だから入れちゃったんだけど、ずいぶん買うものだから……」
「ああ、もしかして、彼女があの藻をよく買ってくれる常連さん?」
「そうなのよ」
 やれやれ、とでも言いたげな顔で彼女はうなづいた。
 やはりそういうことか。あのシュルトケスナーという藻は古代から存在している植物だが、服用すると精神が高揚して恐怖を抑制し、闘争心を掻き立てる効果 があるという。ただし、成分が強いため大量に摂取すると、体組織を破壊してしまうため注意が必要だ。人間が常用するような代物ではないが、獣人ならば摂取 限度が人間よりもはるかに上なので愛用するのもうなずける。
「なんだあ。ミロット、アタシはお邪魔だったのかー」
 獣人の少女は俺を見るなり、ニヤニヤし始めた。何やらいらぬ勘違いをしているようだ。
「何やら誤解しているようだが、俺はこの店に商品の相談に来ただけなのだが……」
「アレ? じゃあ、仕入れ元の業者さん? ふーん?」
 俺とミロットさんの顔を交互にチラチラと見ている。ミロットさんが少し困ったような顔で黙っているので、俺が話の流れを変えることにした。
「まあ、そんなところだ。エギル・トーチライトという。本職は研究者なんだがな。で、君は?」
 そう言うと、彼女は無い胸を張って自己紹介をした。
「アタシは、ベル。ベル・バイター。獣人族の戦士だよ!」
「その格好を見れば予想はつく。しかし、見たところ俺より若いようだが……」
 俺がベルをまじまじと見つめると、彼女は口元の牙を見せてニッ、と笑った。
「おにーさん、歳いくつ?」
「22だが」
「アタシ、16!」
「若いな。」
「おにーさん、それ年寄りみたいに聞こえるよ」
「失敬な」
「ごめんごめん。この中で一番年食ってるのは28のミロットだったね」
 良くも悪くも思ったことをはっきり言う性格のようだ。今回はそれが災いしたが。
「……ベル。私に売る気があるうちに買い物を済ませてもらえるかしら」
 ミロットさんがにらみを利かせると、彼女は慌てて棚から商品をかき集め始めたのだった。

「……遅くなっちまったな」
 ベルが帰った後、お茶をいただいたのだが、世間話に花が咲いてしまってずいぶん長居してしまった。もう、夕日が沈みかけている。
 夕食を取ってから研究所に戻ろう。幸いにも、研究所から数分で着く近くに『ヴァンダー』という名前のカフェテリアがある。この店は俺の行きつけで、店主とも親しい。
 そう思って岐路を急いでいると、何か黒い物が前方に落ちているのを見つけた。一瞬ゴミかと思ったが、対象に近づくにつれてそれは誤りであることに気付いた。
 それは落ちているのではない。倒れているのだ。近づいてみると黒いロープをまとっているのが分かる。かなり厚手のもので、頭まですっぽりと覆われている。
「……! おい! 大丈夫か!?」
 駆け寄り声をかけるが反応が無い。
 まさか死んでいるのか。
 まずい。まずい。まずい。このままではまずい。
 この道は日が沈んでしまうと人通りがほとんどなくなる。周囲を見回すが、助けを求められる人間はいなかった。
 俺が、どうにかするしか、ないらしい、な。
 慌てそうになる心を押さえつける。しっかりしろ。今、ここには俺しかいない。この場所からなら、ミロットさんの店に戻るより、カフェテリアを目指した方が早い。
 震える手で恐る恐る抱き起こすと、ロープの隙間から顔が覗いた。そこで行き倒れていた人物が少女であることが分かった。が、ここで俺は更に困惑せざるを得なかった。
 透き通るような白い肌。口元に覗く牙。先端がとがった耳。この少女、妖魔族だ。
 妖魔族。夜を支配する闇と共に生きる種族だ。貴族を中心とした階層社会を形成している。なぜか、男性の出生率が極端に低く、妖魔族人口の多くを女性が占 めている。そのため、一夫多妻制であり、女性陣は男を奪い合って日々策を巡らせていると聞く。身体能力は獣人族程ではないが、優れた代謝能力を持ち、傷の 治りが非常に早い。さらに、他の生物から血液などの体液を奪うことで、瞬時に効率良く自身の栄養素に変えることが出来る。エレメントを操作する能力も非常 に高く、特に力の強い者は別次元に干渉し、並行世界から未知の生物を呼び出す召喚魔法までも操れる程だ。だが、不死身でもないし、弱点が無いわけではな い。むしろ、妖魔は他種族に比べ弱点が明確で、しかも三つある。一つ目は、代謝が優れている代わりに消耗が早く、多くの養分を必要とすることである。吸血 を行うのはこれが主な理由だ。二つ目は、日光に弱いという点だ。夜の闇の中では無敵の力を発揮するが、日の光を浴びると皮膚が焼けただれていき、しまいに は塵と化して死ぬ。最後の三つ目は、銀製の武器に弱いということだ。銀製品は妖魔の体細胞と激しい化学反応を起こし、壊死させてしまう。自慢の再生能力も 働かず、特にミスリル銀製の武器で傷を負ったものなら、急所でなくても致命傷になりかねない。そんな種族だ。
 問題なのは、今現在、妖魔族は人間族との関係が悪いということなのだ。通常は広大な土地を確保し、大量の家畜を飼育することで食生活を維持しているが、中には人間の血を好き好んで狙うタチの悪い連中が少なからず存在している。
 この都市でも、かつてはそういった連中が時折侵入し、夜の闇に紛れて人を襲うケースがあったと聞く。無論、都市の警備隊が彼らを始末した回数も数えきれない。
 餌としか自分達を見ていない者達と共存など出来るはずがない。たとえ少数でも、そういう者が存在していること自体が恐怖の対象になる。ゆえに、表だって 戦争にこそ発展していないが、交流が断絶して冷戦のような状態に陥ってしまっている。人間の都市への来訪が禁止されていないのが不思議な状態である。他種 族を差別することを避けるため、というのが一般的には言われているが、全体を敵と見なすことで冷戦から灼熱の戦争に変わってしまうことを恐れているのだ。
 俺が住むこの都市η(エータ)でも、妖魔が生活するには非常に世知辛い雰囲気が漂っている。白い目で見られ、迫害の対象となるのは必至だ。
(……ええい、迷ってる場合か!)
 ここで彼女を捨て置くことは簡単だ。厄介ごとに巻き込まれるのが嫌なら、まず関わらぬことが鉄則だ。しかし、俺はすでに関わってしまった。一度触れてし まったことを忘れるのは容易ではない。それに見て見ぬふりをすることの不快さを、俺はよく知っている。ここで見殺しにしたら、明日の寝ざめがよろしくない ではないか。
 ぐい、と彼女の腕を引き自分の肩に回す。思っていたよりも軽い。体力に自信がある方ではないが、何とかこのまま歩けそうだ。
(よし。とにかく、カフェでおやっさんに助けを乞おう。)
 そう思い、歩を進めたのだが、意識を失い脱力した者の体重を支え続けるのはなかなかにくたびれる。カフェに辿りつく頃には完全に日が暮れてしまった。途中で誰にも出会わず済んだのは幸か不幸か。
「……おやっさん! 手を貸してくれ!」
 店の扉を開けるなり叫ぶ。
 この店『ヴァンダー』は建物が木造で、カウンターに五、六人が座れるだけの小さな店だ。カフェテリアというよりも、むしろバーのような造りだ。ここでも幸い、客はいなかった。
「ああ? その声、エギルか。ちょっと待て」
 カウンターの奥にある扉から、面倒そうな声が聞こえた。ほどなく声の主が姿を現した。その姿は四つの金属板が目玉を中心にくっついた四角形の板の形状を していた。それが細かい金属粒子をまといながら宙に浮遊している。俺がよく知る人物、それは人の形をしていないのだ。なぜならその者は物質生命体と呼ばれ る種族だからだ。
 物質生命体族。空間に存在する元素が生命を持った不思議な生物だ。炎の塊のような者、スライムのような液状のような者など、多種多様な外観を持つが、決 まった形を持たず形状を自由に変化させることが出来る。もっとも、本人が一番安定している形というのはあるらしい。積極的に他の種族とは関わらず、独自の 体系を築いている。この種族は非常に特殊で、他の生物のように脳や心臓など器官を一切持たない。にも関わらず、生命活動を行い、知性を獲得している。一説 によると、身体を構築している元素そのものが他の生物で言う器官の役割を全て果たしているという説もあるが、現在の人間の科学力を以ってしても生物として 定義していいのか不明である。どうやって誕生しているのかも不明で、本人たちに尋ねてみても、気付いたら生きていた、という答えしか得られていない。死ぬ 時は、身体を構成した物質の化学反応が完全に終了してしまうと、消滅するようなのだが。また、雄雌の概念を持たないが、どうも性格的に男寄り、女寄り、と いうのはあるらしい。
 ここの店主は性格が完璧におっさんである。だから、便宜上ここでは二人称を『彼』と呼ぶことにしておく。
「……何だいこりゃ」
 この店の主、フェルン・ゼーアが俺の担いだ少女を見て府抜けた声を上げた。
「意識を失い衰弱していた。……御覧の通り、医者に診せるのは避けたい」
 そう言って、ロープのフード部分を外して見せた。
「……! 店の奥に運べ。そこで見てみよう」
 フェルンは瞬時に状況を理解してくれたようで、身体にまとった粒子を一か所に集め、カウンターの奥にある扉を押し開けてくれた。
 厨房を通り抜け、更に奥に進むと彼の生活スペースがあった。その部屋の端にあるソファに少女を寝かせた。
 物質生命体なのだから、ソファなど必要無いハズなのだが、彼は人間かぶれしていて、人間が作るインテリアを集めたりしている。それが今回は幸いした。
 治療のため、ロープを脱がせると彼女の全身があらわになった。
 まず、何より驚いたのはその服装である。厚手のロープの下はとんでもなく薄着だった。肌色面積が多い。黒色をしたエナメル製のボンテージファッション で、上半身も下半身も必要最低限の部分しか隠していなかった。左右を結んだ紐の隙間に覗く胸元、バンドでつながれたパンツのV字部分が扇情的だ。
 髪は黒髪のロングヘアーで、腰にかかるくらいまである。白い肌とは対照的でとてもよく映える。
 顔は担いだ時にも見たのだが、良く見ると割と童顔だ。細い眉。やや長いまつ毛。小さい鼻。うっすらピンク色をした唇。
 身体は線が細く、すらっとしている。俗に言うスレンダーというヤツだ。だが、胸だけは標準サイズ以上だ。決して巨乳ではないが、身体が細いせいか大きめに見える。
「……特に目立った外傷はないようだな。単純に栄養不足かも知れん。こいつを打ってみるか」
 戸惑う俺を尻目に、フェルンは冷静に分析し、持ってきた栄養剤の注射を三本ほど続けて彼女の腕に打った。
 ほどなくして、彼女は意識を取り戻した。種族の特徴は知っていたが、目の前で見たのは初めてだったので、これほどすぐに効果が出たのには大いに驚いた。
「……ここは?」
 起き上がると小さく呟き、少女は周囲を見回している。俺は彼女の横にしゃがみ込むと、警戒させないようにゆっくりと喋った。
「……目が覚めたか。君は道で倒れていた。俺が運んだんだ。ここは安全だ」
 そう告げると彼女は、ありがとう、と一言だけ言ってうつむいてしまった。
「……俺はエギル。エギル・トーチライトだ。こっちの四角いおっさんはフェルン・ゼーア。この店の店主だ。君は何という?」
「……ベレン・ヘーナ」
 その名を聞いてフェルンがない首をかしげた。
「……? ヘーナ? どっかで聞いたことあるような……?」
「う……!」
 ベレンが露骨におびえた表情をした。
「おやっさん。今は彼女の身の上を詮索するのはよしましょう。目が覚めたばかりなんだ。少し休ませてやりましょう」
「おう、そうだな。いけねえいけねえ」
 そう言った時、彼女のお腹がきゅーっ、と音をたてた。
「……」
「……」
「……」
 沈黙によって妙な間が生じた。
「……っ!」
 ベレンが真っ赤な顔をして下を向いてしまう。恥ずかしそうに震える姿がとてもかわいい。と、そう思った矢先、今度は俺の腹がぐるる、と音を上げた。
 そうだ。俺は本来ここに食事に来るハズだったのだ。緊張ですっかり忘れていたが、彼女が目覚めて気が緩んだことで、身体が本来のバイオリズムを取り戻したらしい。
「ウワーッハッハッ! 二人とも仲良く空腹か! いいだろう! ここは飯屋だ! 好きなモン食ってけ!」
 フェルンが大笑いしながら言った。
「でも……私、お金が……」
 ベレンが今にも消え入りそうな声で告げる。
「大丈夫だ、問題無い。金はこいつの財布から出る」
「お前は何を言っているんだ」
 とっさにフェルンに真顔で突っ込んだ。
「お前だって飯食いに来たんだろう」
「それはそうだが」
「だったら、お人よしのお前が連れの分まで面倒を見るだろうと判断した」
「どんな判断だ! 金をドブに捨てるとは言わないが、一人分くらいあんたがおごる気は無いのか!」
 チッチッチッ、と彼はありもしない舌を打って見せる。何だこのおっさん。
「俺はこれでも経営者だぜ。金はしっかりいただく」
「この守銭人がッ!」
「何とでも言え。だが、この娘さんはお前に期待しているようだぞ」
 見れば、ベレンは困った眼をしてこちらを凝視している。だが、俺は見逃さなかった。彼女が口元にあふれてきたよだれをぺろっと舐めとったのを。
「……くそっ! 俺が寛大だったことに感謝しろよ!」
「ありがとう、ございますっ」
 一気に彼女の表情が明るくなった。初めての笑顔。俺は妖魔族と直接話したのはこれが初めてだったが、笑った顔は人間と何も変わらない。そう思って、俺も表情が緩んだ。
「うんうん。一番いけないのはお腹が空いていることと一人でいることだからな」
 一方、この図形はなんとふてぶてしいことか。
「さっさと準備に取り掛かってくれませんか」
 はき捨てるように言うと、彼はまた面倒そうな視線をこちらに向けた。いや、言いだしっぺはあんただろ。
「分かってるがな。すぐに用意してやるから、カウンターに座ってろ」
 フェルンが厨房へと浮遊していく。
「行こう。立てるか?」
 手を差し伸べると、彼女がおずおずと手を握った。
「はい」
 その手はとても柔らかかった。

 食事を終え、俺は自分の研究所に戻った。ただし、俺一人ではない。ベレン、彼女も一緒だ。
 しかしながら、思いのほか彼女はよく食べた。料理は俺が注文したパスタ料理と同じものを頼んだのだが、三人前をペロリと平らげてくれた。大食いだろうと いうことは知ってはいたのだが、目の前で見てその実態を把握出来た。それと引き換えに、財布は手痛いダメージを受けてしまったのだが。
 ところで、どうして彼女を連れてくるハメになったかというと、食事の際に訊いたのだが、どうやら行くアテがないらしい。理由は話したがらなかったので、 無理に聞き出そうとはしなかったが、どうも家出してきたようだ。自宅に戻るわけにはいかず、かといって他に頼れる者がいるわけでもなく、さまよいあぐねて ついには倒れてしまったというわけだ。
 そこで、見かねた俺は提案をした。俺の研究施設で研究員として雇ってやろうか、と。泊まり込みで施設の監視を行い、異常があったら報告する。他にも、必要に応じて作業を手伝ってもらう。そう言えば表面上はれっきとした仕事だが、実質居候だ。
 そんな提案をしたら、フェルンはひとつしかない目を白黒させた。
「それはマズいだろ、常識的に考えて。男女が一つ屋根の下って、事と次第によっては……」
 お前は何を言っているんだ。再び心の中で突っ込む。しかし、直後にベレンが返した返答は俺を更に狼狽させた。
「……いえ、私はそれでも構いません。ここまでしていただいて、私が対価として差し出せるのはそのくらいですし」
「なん……だと……」
 俺は思わず呻いてしまった。腹の音を聞かれた時は恥じらいがあったのに、なんで今のは至極冷静なのだ。肝が据わっているというか、覚悟してきてる人だと感じた。
「あー、君にそういう覚悟があるならいいか。本当にマズいのは、その気がないのにやらかしちゃって後でもめることだからな。そういう場合は大抵男の方が立場が弱くなる。でも、女の子側からそういう証言を得られたならいいべ」
 彼女の態度にフェルンまでクールダウンしている。
「ちょっと待て! なんで俺がやらかすこと前提なのだ!」
「だって、女の子がこんなカッコでしばらく自分の城にいるんだぞ。何もしない方がおかしいだろ」
 なんでこのおっさんは人間族に生まれてこなかったのか。下手な人間の男より男らしいぞ。
 揉め始めた様を見て、ベレンはふふっと笑った。
「大丈夫ですよ。エギルのこと、信用してますから」
 それで、その場はお開きになり、今に至るわけだ。
 ベレンは疲れていたのだろう、俺が研究所裏の倉庫から引っ張り出したソファの上で寝息を立てている。しばらく使っていなかったので、ホコリっぽかったが仕方ない。表面だけ払って我慢してもらった。
 しかし、ボンテージ姿で横になっている様は何とも艶めかしい。妙な気を起こさぬよう、毛布をそっとかぶせておいた。
 さて、俺も明日に備えて寝るか。だが、その前に確認しておきたいことがある。休止状態からノートパソコンを復帰させてネットワークに接続、とある掲示板 のページを開いた。昨夜、寝落ちするまで参加していた科学関連の掲示板で、科学関連の話題に興味のある連中が集まっている。前日書き込んだ内容に対するリ アクションを確認しておきたかった。
(……! 来たか『シュトローム』よ! 君の見解が聞きたかった!)
 『シュトローム』とは俺がよくチャットで会話をする親しい相手のハンドルだ。ある議論をした際に妙にウマが合い、それ以来暇があれば話をしている。実際 に顔を見たことのない相手だが、男であること、彼自身も科学者であること、エレメントに関連した物理学を研究している人物だということだけは分かってい る。彼が語る理論はいつも予測の範疇を上回り、一見荒唐無稽なのだが、どこか実現可能と思わせてくれる説得力がある。本当に実現出来れば、技術的には十数 年は先取り可能と思える程だ。だから、この男と言葉を交わすのは面白いのだ。ちなみに、俺自身は研究所から名前を取って『カシュオーン』というハンドルを 名乗っている。
(……俺にだけ話があるということか。)
 書き込まれていた内容は、前日の返事に関しては三行程で簡素にまとめられており、文の最後に『η』のマークが付けられていた。これは俺達が他人に察知さ れずに掲示板を抜けて一対一でチャットしたい時に使う暗号だ。ηなのは、俺が都市ηに住んでいると明かした時に彼の提案で決めたものだ。
 すぐにチャットルームにアクセスすると、彼はすでに待機していた。
 俺は、彼が書き込んだ最初の一行に驚くことになった。

――都市ηに調停者が派遣されるという話を聞いた。

 調停者。世界の安定を目指す者達。五つの種族の中の最後のひとつ、竜人族達が作り上げた組織だ。なんでも、アイスターで起こる災害などの大規模な問題に対して、全ての種族が協力する体系を作り上げたいらしい。
 太古の昔、五つの種族はバラバラだった。人間、獣人、妖魔は争い、戦乱に明け暮れていたという。物質生命体は静観を決め込み何もしなかった。しかし、竜人族だけはその現状に対して唯一異を唱えたのだ。
 当時の竜人族の長老、古代竜オズマには二人の息子がいた。宿命竜ウロボロス。覇王竜アルゴサクス。彼ら二人は、戦いを終わらせるためにこの星を半分破壊 してから再生したと云われている。あくまで口伝であるため、星を砕く程の力というのはいささか誇張されているものがあるかも知れない。ただ、圧倒的な力の 前に多くの者が戦いの無意味さを悟り、終結へと向かったことは確かだ。
 だが、今現在五つの種族はそれでもまとまっているとは言い難い。俺の目から見ても、人間は獣人とは比較的交流があるが、前述したとおり妖魔とはすこぶる 仲が悪い。物質生命体は他種族に干渉しないし、されたくないという世捨て人のようなスタンスだ。竜人だけが、奔走したところで容易に溝は埋められない。
 それでも、竜人達があきらめずに活動を続けているのは、なぜなのだろう。単純に信念が強固なだけではないような気がする。それに彼らはその目的の為に種 族が一丸となっている。人間でさえ、一枚岩にはなれていないというのに。彼らの思惑は定かではないが、何らかの確信があって行動しているのは間違いない。 でなければ、あれほど危機感を持ってまとまることは不可能だ。
 しかし、今までは種族同士の関わり自体を避けていた物質生命体達に強く働きかけを行っていたハズだ。なぜ、今突然この人間の都市に派遣が決まったのだろう。
 俺の中で小さな違和感が成長していく。どうやら、今夜はこのシュトロームともう少し話をする必要がありそうだ。
 ベレンが寝ているソファの横をそっと通り過ぎ、部屋の隅にある冷蔵庫から缶コーヒーを取り出す。
 デスクに座って携帯を充電器につないでから、俺はノートパソコンに向かってメッセージを打ちこみ始めた。
「いいだろう。とことん語らおうじゃないか!」

 まだ、この時点でも俺はこの後の展開など知る由もない。しかし、仮に知っていたとしたらどうだろうか。
 いや、もしもの話はやめておこう。もしもが無かったから、俺は彼女に出会えたのだ。たとえ、この先苦難に向かうことが確定していたとしても。
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