第10章 「激情のコンフリクト」


 ――ついにこの時が来た。【最適】と【最強】が対峙する、その瞬間が。

 水の月三十日。午後三時。
 都市θにある『マティウス』の地下闘技場にて。
「……『レッドソウル』システム起動完了。ファースト・フェイズ、スタンバイ。これより戦闘態勢に入る」
 物の輪郭がかろうじて見えるくらいの明かりの中、地下施設にいるレイの声が耳の中に響き渡る。
 同時に、人の手で造られた怪物『レッドソウル』がうめき声、もとい起動音を上げる。俺の守護獣たる、その機械は白衣の上から身体にかみつくかのように装着されている。右肩、左肩、右腕、左腕、腰、背中の計六ケ所にあるアブソーバーがかすかな熱を帯び始めた。
「……了解」
 俺は汗ばんだ掌を白衣の裾でぬぐいながら応じた。
「……来たぞ」
 この一言に俺の全身には緊張が走った。
 薄明かりの中、一人の人影がこちらにゆっくりと歩み寄って来るのが見えた。
「……待っていたよ」
 俺のセリフの直後、天井の照明がついた。
「……調停者!」
 影の主の姿が照らし出される。
 二メートルを超える巨躯。トカゲのような頭部。後頭部の二本角。燃えるような深紅の髪。細く鋭い眼光。鼻先の傷跡。ワニのように裂けた口に鋭利な牙。発達した筋肉は丸太のような太さ。そして、その身にまとうは輝く白銀の鎧。
 調停者、シング・バランサイトの登場だ。
「……誘い出された、というわけか」
 少し不愉快そうに、彼は呟いた。
「貴方のことだ。誘い出されてくれたんだろう?」
 拭いたばかりの手に再びじっとりした感覚を覚えつつも、平静を装って返答する。
「……どうやらまだ話は通じるようだな。単刀直入に言う。ベレンを解放してもらえるか?」
 いきなりその話題に入ったとなると、彼も余裕が無いようだ。それと同時に、ベレンがメルダ市長の手元にいることも知らないらしい。
「……それは出来ない。しないんじゃない。出来ないんだ」
「何……?」
 目を細め、厳しい表情のシングに、俺は説得を試みた。レイの組織に関しては伏せて話すしかなかったが、映像は捏造されたものであること、ベレンは俺の手元にはいないこと、全てはメルダ市長が仕組んだことだと、出来るだけ真摯に説明した。
「……俺はハメられたんだ。そして、貴方も……」
「……もういい」
 シングもハメられつつある。そう言いかけた俺の言葉をシングの声が遮った。
 小さな声だった。彼から発せられたとは思えない、ぞっとするほど小さな声だった。
「失望したぞ……! エギル・トーチライト!」
 次の瞬間、地鳴りのような大声が闘技場の天井まで響き渡った。
「この期に及んでまだそのような偽りを言うのか!」
 咆哮の如き怒号が、俺に正面からぶち当たった。気を抜いたらそのまま吹き飛ばされてしまいそうな印象すら受ける、激情のこもった声だった。
「……信じてもらえないのか?」
 両の拳を握りしめ、肩をいからせている彼を前にして、俺は苦々しい思いだった。あの時、シングに挑みかかったことがここまで尾を引くとは。
 完全にあの時とは立場が逆転していた。問題なのは、力関係まで逆転しているかどうかがはっきりしない点だ。
「悪いが、私の説得に耳を貸さなかった君を信じることは出来ん! 不本意だが、今回ばかりは私も力ずくでいかせてもらう!」
 右手に粒子が集まり、剣が形を成していく。
 ダメか。
「……エギル、こうなってはもう戦うしかないぞ」
 レイが耳元で心苦しそうに囁く。
「分かってる……。レイ、やるぞ……!」
 覚悟を決める時が来た。しかし、それは何かを切り捨てることではない。何かを守り抜くための、覚悟だ。
 説得出来るならば、それが最も理想的だったが、どうやらそれは今回も叶わないらしい。
 だから俺は、シングに関してベストを目指すのは見切りをつけることにした。かつて、強引にベストを求めて失敗した前例がある。
 狙うはベター。戦いつつも、双方が生き残れる道を模索するのだ。甘いと言われようと、愚かと罵られようと、誰かを始めから切り捨ててゆく道など、むなしいだけだ。
 希望は捨てない。そのためには――。
 俺は大きく息を吸い――。
「フハハハハハハ!」
 わざとらしく大笑いをして見せた。
 身構えていたシングが目を見開き、あっけにとられた。
「……悲しい程に権威がものを言うのだな。権力ある者に踊らされる。地位のある者に盲目的に従う。調停者が聞いてあきれる。バランスブレイカーもいいとこだ!」
「なん……だと……!」
 早口でまくしたてる俺に、シングはわなわなと震えだした。
「それでいい……! もっと怒らせろ、奴を……!」
 レイの後押しを受けて、俺は彼の自尊心に追い打ちを受けた。
「アンタを見てりゃ竜人族のモラルも、底が知れるぜ! 薄汚いトカゲと変わらねえよ!」
「黙れッ!」
 シングの怒りが爆発した。地を蹴り、左手で掴みかかるようにして俺に飛びかかってきた。
 だが、その手が俺に届く直前、横合いから飛び出してきた二つの影が、シングの身体を吹き飛ばした。闘技場の壁まで一直線に飛んでいき、叩きつけられたシングの周囲には粉塵が舞い、瓦礫が散った。
「我々の出番のようだな」
「おにーさん、報酬分きっちりやらせてもらうよ!」
 二つの影が俺に活力あふれる声で語りかける。
 頼もしい想いで頷く俺の脳裏には、三日前の出来事がよみがえっていた。

 二十七日の早朝、俺とレイは地下施設を出て、ある場所へ向かっていた。戦闘用のアブソーバーを装備し、風のエレメントを利用した高速移動で時間の短縮を図りつつ、だ。
 その場所とは、都市ηの近くで臨戦態勢を取っている『狼の爪団』のキャンプである。
 無論、目的は『狼の爪団』を味方につけることにある。うまくいけば、敵の戦力を大幅に削ぐことが出来る上、味方の増強も同時に行える。
「……今まで味方だと思っていた傭兵部隊に、敵の襲撃と同時に後ろから首を絞められるんだ。いくら守備隊でも、これはしんどいと思うぜ」
 喜々として語るレイに、俺は苦笑いを浮かべながら言った。
「……おいおい、恐ろしいな。まるで悪役の発想だぞ」
 対竜人族用の戦術が構築出来たためだろうか、珍しく彼は興奮しているようだった。シメオンのように鼻を鳴らし、不敵な笑みを浮かべた。
「いつから僕が善人だと錯覚していた? 僕はとっくに悪人さ」
 この少年は自らの罪をきちんと自覚している。いつか、自らが裁かれる時が来るであろうことも受け入れている。だが、あがけてそれが通じているうちは、まだその時ではない。
 俺はそれ以上、レイの生き方には口出しせず、足を速めた。
 都市ηの守備隊の監視が及んでいない抜け道がある、と一人の獣人族が手引きしてくれた。
 その獣人族の名はキュウタロウ・アマカワ。俺にレイの手紙を届け、竜人族への対抗策を見出した日に地下施設に姿を現した、あの狐のような男である。なんとこの男は『狼の爪団』の傭兵でありつつも、レイの組織のスパイとしても活動しているという。
「……外部の者を組織に入れても大丈夫なのか?」
 俺が警戒して声をひそめたのに、レイはわざわざキュウタロウに聞こえるよう、横で走る彼の方を向いて言った。
「問題無い。この男は物事を善悪ではなく、プラスかマイナスかで判断している。僕と同じだ。性格はともかく、取引相手としては信用出来る。獣人族の中ではかなり頭がキレる男だしね」
「ヒャハハ、言うねェ! それでこそレイってもんだゼ!」
 せせら笑うキュウタロウは足取り軽やかに俺達の先導をする。やがて、傭兵団が詰めているテントに通された。
「団長に話は通してあるゾ。後はお前ら次第だゼ」
 入口の布を引き上げ、俺達を招き入れる。
 持ってきたトランク片手に中へ入ると、そこには大勢の獣人達がひしめき合っていた。豹のような頭をした剣士や背中に翼を持つ鳥のような女戦士、イッカクのような角の生えた少年など、様々な様相の獣人達の視線が一斉に俺達に集まった。
 獣人達は素早く左右に退き、一直線に道が作られる。舐めるような視線の中、慎重に歩みを進める。流石に統率がとれている。荒くれ者達の集団をイメージしていたが、うまくまとめ上げている強力なおかしらがいるようだ。
 道の先には、二人の獣人が木組みの粗末な椅子に座して待っていた。
「あ……おにーさん」
 片方の獣人が椅子から立ち上がった。傭兵の少女ベルだ。
「あ……ええと」
 俺がいることを知らなかったのか、彼女は気まずそうに視線をそらし口ごもった。
「……すまなかった」
 まず、俺は深く頭を下げた。俺のせいで交渉がうまくいかなくなるようなことがあってはならない。遺恨は早急に断っておかねば、と思ったのだ。
「あの時は俺がどうかしていた。だが、今は違う。君の言っていた、別のところにある『強さ』を見つけるために、力を貸してくれ」
 頭を上げ、ベルを見つめる。視線が交錯した。
 しばしの間、沈黙が漂う。
「……もう、大丈夫みたいだね。話、聞くよ」
 ベルの顔がほころんだ。
「……ベル、この男は信用出来るんだな?」
 隣でどっしりと構えていた獣人の男がベルに尋ねた。思ったよりも若い声だった。
 ベル同様、顔は人間に近い作りだったが、針のような瞳、口元に覗く牙、ボサボサの髪の上に見える狼のような耳は紛れも無く獣人族のものだ。親父と呼ぶに はまだ少し若い感じ顔で、精悍な顔つきをしている。逆三角形体型とも呼べる、筋骨隆々とした身体は上半身裸で、黒い簡素なズボンをはいていた。肉体につい た無数の傷は歴戦の勇士を想わせる。
 ベル同様、右腕には黄色のスカーフが巻かれている。周囲を見てみると、ここの傭兵は全員このスカーフを付けているようだ。どうやら、この傭兵団共通のシンボルのようなものらしい。
 眼光鋭く、獅子のような力強い雰囲気をまとっている。
 彼が『狼の爪団』団長にしてベルの父、ガロン・バイターか。
「うん。ホラ、あの藻を格安で売ってくれた人なの」
 ベルの返答に、なるほどな、と腕組みをしたガロンは俺達二人を改めて値踏みするように見た。
「……俺達が都市ηの市長に雇われていることは知っているな?」
「ええ」
 ここからはレイが応対した。
「元の雇い主を裏切ってお前らにつけというんだ。それなりの対価は用意しているんだろうな?」
「その雇い主に使い捨てにされるということが分かっていても、金次第なのか……」
 キュウタロウを通して、この交渉の概要は伝えられているハズだ。にもかかわらず、拝金主義者のような態度の彼に、思わず俺はそう呟いてしまった。
 レイが俺の前を手で制して、歩み出た。
 ベルが申し訳なさそうな顔をしていた。
「報酬や待遇次第で仕事を引き受け、特定の都市や思想に属することはない……。貴方達のやり方は理解しているつもりだ」
 そう言って、レイが俺とガロンの中間あたりまで進み出る。手に提げていたトランクを地面に置いて開くと、少し後退した。
 ベルがトランクの中をあらためる。一枚の紙切れを取りだして、首をかしげた。
「それは小切手だ。金融機関に渡せば、そこに書かれている額が手に入る」
 レイが促すと、ベルがじっとその紙を見つめた。
「……ちょっと、十億Nって……都市ηが出すって言った額の倍以上じゃない!」
「前金だ。僕達の作戦が成功したら、更に十億N上乗せする。うまくやりとりすれば、貴方達の傭兵団が五年は暮らせる額だ」
 ベルはあまりの大金に愕然としていた。ガロンも本気なのか、と呻きを上げた。
「貴方達が大金を必要としている理由……少し調べさせてもらった。これまで貴方達が受けた依頼の報酬、いずれもこの傭兵団の団員を養うだけならば十分な量だ。ガロン団長、貴方は外に金を放出している。自分達以外の獣人達の生活を守るために……」
「そこまで調べたのか……。隠しごとは出来ん、ということか」
 団長が苦々しい口調で語り始めた。
「その通りだ。都市の設置自体は今現在の二十四以上には行われていないが、人間達の開発は進み、俺達が暮らしていける自然環境は少なくなりつつある。獣人 が人間と関わらず生きていくのは難しくなっているんだ。多くの者はお前らの社会で仕事を得て生活しているが、中にはそれが出来ない連中だっている……」
 この傭兵団にそんな背景があったとは。だから金が必要だったのか。
「……そこでだ、ガロン団長。我々は貴方達に提案がある」
 レイの提案とは、傭兵団に対して仕事を斡旋するサービスを行うというものだった。組織のエージェントが依頼を受け、それに見合った実力を持つ戦士を派遣するのだ。そう、傭兵派遣会社と言ってもいいだろう。
「これならば、貴方達全員が直接動き回ることはない。傭兵として戦いに専念出来る。考えてもらえないか?」
「……そんなやり方は俺達にとっては前例がない。うまくいくのか?」
 難色を示すガロンに、レイは静かに、しかし強い意志を込めて語りかける。
「だからこそ、我々で前例を作りたい。今のように決まった拠点も持たずに、舞い込む依頼を片っ端からこなしていくよりは効率良く金を手に入れられるハズだ」
「……気に入らんな」
 ガロンが顔をしかめて腕組みをする。
「一体、何が?」
 すんなり話に乗ってくれなかったことに苛立ったのか、レイも顔をしかめた。
「……報酬に関しては文句は無い。だが、何だか口車に乗せられているように思えてな」
 ということはレイの提案に魅力は感じているらしい。だが、あまりにもおいしい話が逆に警戒心を刺激してしまったようだ。
 レイは理詰めで説得するのは得意なのだろうが、彼らのように理屈の通用しないタイプに対しては分が悪い。かつて、正論を振りかざすあまり、肉親を見殺しにしてしまった彼には、ガロンを説き伏せるのは難しいだろう。
 やはり、眉間にしわを寄せて押し黙ってしまった。
 ここは俺が何か言わなくてはなるまい。何か、相手の心をほぐせる言葉はないか。
「……気に入らないのは、俺達も同じだ」
 俺は余計なことは考えず、正面からぶつかることにした。下手な小細工をしたり、その場しのぎの言い訳に聞こえるような言葉ではダメだ。感情をストレートに表してみよう。
「貴方達を口車に乗せなければならない状態に陥っている俺達が、何より気に入らない。本来ならば、誰の手助けも借りず自分達だけでどうにかしたかった。当 たり前のことだ。だが、それが出来ない状況にある。ここで手を組まねば、俺達の組織は危機にさらされ、この傭兵団もいずれ都市ηの庇護を失う。貴方は気に 入らないというだけで自分の仲間に向かって、この後一緒に路頭に迷えと命令するのか?」
 一時、ガロンの額に青筋が浮かんだように見えた。しかし、ガロンは激昂したりせず、目を閉じ大きく息を吐いた。
「……気に入らないのは互いに同じ、か」
 確かにそうだな、と呟くと、かすかに笑みをこぼした。
「ベルがお前を信用した理由が分かった気がするぜ。お前の言うことは筋が通っている。それに、互いに気に入らんなら条件は対等だ。……いいだろう」
「……では?」
「その依頼、受けようじゃないか。見事、都市ηの守備隊を抑えて見せよう」
 何とか、欲しい言葉を引き出せた。だが、ガロンは真面目な顔つきに戻り、更に言葉を紡いだ。
「だが、ひとつ確認したい。俺達がやろうとしていることはほとんど革命だ。極力、犠牲が出ないように配慮するつもりだが、こういうのは『間違い』がツキモノだ。いかに不意打ちとはいえ、死傷者がゼロで済むとは考えんでもらいたい」
「分かっている。我々とて、そこまで都合良くいくとは思っていない」
「貴方達の腕を信じる。頼むぜ……!」
 俺達はガロンの告げた、戦場の真理に応じる。
 こうして、俺達と『狼の爪団』の間に契約が結ばれたのである。

 巻き上がる粉塵を引き裂いて、シングが姿を現す。やはり、ほとんどダメージは無いようだ。人間が生身でくらえば到底立ち上がれないであろう一撃に平然と立ち上がる。それが竜人族が【最強】たる所以か。
「お前達……どういうつもりだ……!」
 シングの声は怒りよりも動揺の割合が多かった。
 無理もない。俺がいる場所への道案内をした二人の傭兵が、自分に攻撃を加えたのだから。
 ガロンと契約を結んだ後、俺達は今後の計画について話し合った。都市η攻略に当たって、一番の問題になるのは傭兵団にとっても調停者の存在だった。本来 なら傭兵団総出でかからねばならない相手だが、こちらには例の『対抗策』がある。それを説明した上で、布陣を練ることにした。
 話を聞くにガロン、ベル、キュウタロウらがかつて、三人がかりで竜人族を撤退にまで追い込んだという実績の持ち主であった。なので、ガロンとベルをシン グにぶつけ、一番頭のキレるキュウタロウを都市η攻略の司令塔に残すことにした。いかに腕が立つとはいえ、シングと戦えば生き残れても三日後まともに動け るかは分からないからだ。
 それゆえ、ガロンとベルの二名には俺のいる場所を見つけたとシングにだけ情報をリークしたのだ。そうして、この地下闘技場まで誘い出してもらって今に至るというわけだ。
「どういうつもりもなにも、アタシらはこっち側だから」
 ベルが後ろで控えている俺を親指で示す。
「バカな……。お前達は状況が見えていないのか? このままでは都市ηとブルートローゼは全面戦争になるぞ!」
「状況が見えていないのはお前さんの方じゃないのかね? 都市ηは……いや市長の目的が初めからそれだとは考えなかったのか?」
 取り乱すシングに対し、ガロンは冷静に語りかける。
 しかし。
「それこそ、ありえん! 上に立つ者が狂人ならば、都市を維持することなど不可能だ! 平穏を拒むというのなら、私はお前達を排除するしかない!」
 全身に力をみなぎらせ、戦闘態勢を取るシングに対しベルはやれやれと肩をすくめた。
「あちゃー、一番タチ悪い怒り方してるなあ……」
「やるぞ、ベル! 始めから全力でいく!」
 ガロンの一喝に、ベルが隣に並ぶ。
「ぬん!」
「はっ!」
 親子は裂帛の気合と共に天へと手をかざす。すると、頭上の空間が歪み始めた。丸めこまれていた紙が引き伸ばされるように広がっていき、その中から次々と 金属のパーツが現れる。それは、なんと小手や肩あてなどの装備であった。宙を舞い、次々とガロンとベルの身体に装着されていく。ガロンは全身に金色の鎧を まとった姿になり、ベルは右腕から肩にかけてと、肩から胸をたすき掛けにする形で装甲を身に着けていた。最後に、ガロンは落ちて地面に突き刺さった剣を軽 々と引き抜くと身構える。ベルは降ってきた半月斧をキャッチすると、重心を落とし同じく構えを取った。
 あれは闇のエレメントだ。強大な重力によって空間を圧縮することで、その中に物質を格納してあったのだ。原理が理解出来ているかどうかは定かではないが、よほどの才能が無ければ不可能な芸当だ。竜人族と戦ったという事実にも納得がいった。
「限無志現斬一刀流(ゲンムシゲンザンイットウリュウ)、ガロン・バイター、参る!」
 名乗りを上げ、ガロンが最初に地を蹴った。みるみるうちに距離を詰めると、崩れた壁際に立つシングに向かって両手で剣を振りおろした。
 シングは右手の剣を上げ、二つの剣同士がぶつかりあった。剣戟の音が響いた瞬間、シングの後ろの壁が突風を叩きつけられたかのように瓦礫を飛び散らせ た。風のエレメントで加速した剣圧が背後まで伝わったのだ。ただでさえ崩れていた壁は、更なる負荷がかかったことで、基礎の部分が露出してしまっていた。
「限無志現斬一刀流……かつて竜人族をも斬り伏せた人間族の剣士が開いたとされる流派だな。まさか、獣人族にもそれを学んだ者がいたとはな!」
 一方、衝撃を受けたハズのシングは剣を受けた姿勢のまま、拮抗している。彼の持つ膂力自体も驚異的だが、それ以上にエレメントを操る能力が凄まじい。強化されたパワーは、ガロンの渾身の初撃を完全に相殺してしまっていた。
「正式な立ち会いではないが、剣士相手にはこちらも名乗らねば失礼だな! ドラゴンズロアー、シング・バランサイト、応じよう!」
 言うや否や、シングの左手側にも剣が形成された。下からかち上げられ、拮抗していた剣が大きく弾かれる。まずい、胴がガラ空きだ。いかに鎧で固めているとはいえ、まともにくらえば危険なのは言うまでも無い。
「はッ!」
 横から胴を狙い、剣がなぎ払われる。が、ガロンは剣を弾かれた勢いに逆らわず、後ろに倒れこむようにして回避した。
 そして、父の身体を飛び越える形でベルが突撃をかける。
「やあーッ!」
 半月斧、ポールアックスとも呼ばれる武器が鋭い掛け声と共に振り下ろされる。剣をクロスし、斧を受け止めるシング。
 一撃目が失敗と見なすと即座にベルは武器を手放し、懐に飛び込んだ。そのまま下からシングの顎めがけ、思い切り蹴り上げる。鈍い音がして、斧が宙に弾き出された。
「あ、あれ……?」
 ベルが引きつった笑みで固まった。
 いや、違う。固まったのではない、押しとどめられているのだ。ベルの膝は的確にシングを顎に突き刺さっていたが、シングは体勢を崩すどころか、少しも後退していない。
「天井までぶっ飛ばすつもりで蹴り上げたんだけどなあ……」
「見事な蹴りだ。だが、まだ若いなッ!」
 左手に握っていた剣をぐるん、と半回転させると、その柄がベルの胴に叩き込まれた。ゴムを弾いたかのように小さな体が反対側の壁まで飛んでいく。距離が あったことと、ベルがエレメントを作用させ続けてこらえたことで、派手に壁を崩すことは無かったが、それでも叩きつけられた身体は決して小さくないダメー ジを受けているようだった。
「……か、かはッ! 効くッ……! 前戦った竜人族の倍は強いや……」
 口元の血を拭い、咳きこみながらも立ち上がるベル。
「くッ!」
 起き上がったガロンがすぐさま斬りつけるが、シングは左の剣で防ぐ。落下してきたポールアックスを掴んで叩きつけようとするも、リーチの長さが災いし、勢いに乗る前に右の剣が阻んでしまう。
「親父ッ!」
 ベルが急いで駆け寄る。
「ベル、合わせろ!」
 彼女の接近に合わせて、ガロンが力任せに武器をかち上げた。流石のシングも大きく剣を弾かれてバランスを崩した。
 ガロンがポールアックスを宙に放り投げると、ベルが跳躍しそれを受け取る。落下の加速を利用し、シングめがけて振り下ろす。半身をずらしてかわすと地面にめり込んだ斧からビリビリと振動が伝わった。
 反撃の猶予を与えず、ガロンがそこへ更に追撃をかける。剣を十字に組んで受け止めたところに、ベルがすぐさま引き抜いた斧を突き込んでいく。
 ここからは親子二人が猛ラッシュをかけた。ガロンの斬撃と突きが荒れ狂い、ベルが振りまわす半月斧が暴れ回った。
(……いけるか?)
 俺がそう思ったのは、シングが押されているように見えたからだ。ここで二人がシングを倒せるなら、ベレン奪回のための余力を大幅に残せる。俺の出番は無くなるが、戦闘回数が少ないに越したことは無い。
 連続攻撃を捌ききれず、シングは飛び退き間合いを取った。
「決めるぞ!」
「うんッ!」
 好機と見たか。
 ガロンがそう発すると同時に、纏っていた鎧に電光が走り始めた。電光は剣先にまで伝わり、バチバチと音を立てる。
 ベルの身体にも以前俺を助けた時のように、稲妻が閃いた。
 二人の電光は空気を裂き、一瞬だけ開く花のように広大な地下空間を照らし出す。電流の余波を受けたのか、地下を照らしていた照明のいくつかがパン、パン、と音を立てて破裂した。
 二人は同時に顎を引き、ぐっ、と力を込めると足元を踏み砕かんばかりの勢いで大技を繰り出した。
「「電刃雷舞!」」
 剣と半月斧から強大な電気の塊が放たれ、シングに迫る。
「……光波――」
 眼前に迫る脅威に対し、シングは回避動作を取る気配が無い。それどころか、左の剣を分解すると右の剣を両手で握り、迎撃の構えを取ったのだ。
「――爆砕ッ!」
 咆哮と共に、剣が横薙ぎに降り抜かれた。
 一閃。
 光のラインが走り、電気の塊が真っ二つに裂けた。やや遅れて衝撃波が放たれ、地面が一斉に掘り起こされたかのように砂埃を巻き上げた。
 強化した知覚を以ってしても、見えなかった。腕を構えた姿と振り抜いた姿の二つだけが、連続写真のように目に飛び込んできた。そう、剣が振るわれている最中の絵が全く認識出来なかったのだ。
「……とんでもない技だ。風のエレメントと光のエレメントを同時に使っている。人間が生身で放てば、自分の方が先にバラバラになる威力だ」
 レイが分析するに、風のエレメントを腕に集中してマッハに近い速度を生み出す。そして、剣から放たれる斬撃波に光のエレメントの特性を乗せる。破壊力のある衝撃波に光の特性が加わり、目にもとまらぬ一撃となるのだ。
「あれでも、まだ全力じゃあないんだな……」
「ああ……」
 レイの受け答えに、俺の頬を冷や汗が伝った。
 俺達がシングに勝利する条件を満たすためには、彼に本気を引き出させる必要がある。危険な綱渡りだが、現状ではそれが唯一の可能性なのだ。
「もう充分だ。お前達では私には勝てない」
 シングの勝利宣言に、ハッとしてガロンとベルの方に視線を移す。晴れていく砂埃の中に浮かび上がる親子の姿に、俺は思わず奥歯を噛みしめた。
 ガロンは持っていた剣が中間辺りで折れた上、纏っていた鎧の腹から上が砕け吹き飛んでいた。頭部や胸部から出血し、周囲に赤い染みが無数に生まれていく。
 ベルも装甲部分は破壊され、着ていた服もズタズタに裂けてしまっている。後一歩であられもない姿になってしまいそうだ。だが、あちこちに痛々しい傷が口 を開き、たとえあられもない姿になったとしても正視に堪えない状態だった。持っていた半月斧が地面に転がっていたが、斧部分が砕けており、もはや武器とし ては機能しないだろう。
 二人とも立ってこそいたが、既に敗色濃厚であった。
「お前達は強い。手加減もこのあたりが限界だ。これ以上向かってくるならば、生命の保証は出来んぞ」
 剣を向けるシングに対し、ガロンは横目でこちらを見た。その視線を受けて、俺はレイとシメオンに尋ねた。
「……勝算はどの程度だ?」
「……誤差の範囲に留まるかすかな希望、といったところか」
「……だけど、ゼロじゃない」
 俺はそれを聞いて笑みを浮かべた。ならば、十分だ。ゼロでないなら、勝てる。勝つしかない。そして、俺自身は元より、ベレンもシングも守りきって見せよう。
「ガロン団長、ベル、ありがとう。この場を離脱し、キュウタロウと合流してくれ」
 それを聞いたガロンは口角を上げ、折れた剣を投げ捨てた。
 緊張が解けたのだろう、ベルはへたり込んでしまった。
「少しばかり無茶をし過ぎた。……後で治療費も請求させてもらうぞ」
 俺に向かってそう言い残すとベルを抱きかかえ、ガロンが地下闘技場の出口へ歩いて行く。
「ベレンを解放する気になったか……」
 ようやく厄介事が片付いたと言わんばかりに溜め息をつくシングに向かって、俺はこう言い放った。
「いいや、今度は俺が相手になろう」
 空気が凍りついた。一瞬の、しかし永劫とも思える沈黙がその場を包み込んだ。
 しかし、凍結した雰囲気が灼熱に変わるのはまもなくのことだった。
「おぉ……お前は何を言ってるんだァァァーッ!」
 狼狽に始まった言葉は最後は叫び声になっていた。
 シングが今まで見せたことの無い慌てぶりに、俺はへらへらと笑って見せた。
「……三度目は言わすなよ。俺がアンタと戦うと言ったんだ」
 内心、戦々恐々だが、可能な限り彼の判断力を奪わねばならない。幸いにも、彼はその強さゆえ、格下の相手にここまでコケにされたことは無かったのだろう。煽るには持ってこいの真面目さであった。
「……こういう言い方はしたくなかったのだが」
 ミシミシと音が出るほど噛みしめられた歯の隙間から押し出すように、シングが言った。
「私に勝てると思っているのか!」
 完全に三下のセリフじゃあないか。思わず噴き出しそうになるのをこらえながら、更に煽る。
「……アンタこそ、自分が負けないとでも思っているのか? 今のアンタは視野が狭窄している。俺の脅威には成り得ない」
「一度の敗北では何も学べぬか……! よかろう! その思い上がり、今一度打ち砕いてくれる!」
「ゴタクはいい。さっさとかかってこい、トカゲ野郎」
 おちょくるような態度を崩さない俺に、業を煮やしたシングは剣を握り直すとずんずん近づいて来た。
 俺は微動だにせず、怒りの炎が燃えるシングの眼を正面から睨みつけた。
 やがて、シングが俺の眼前にまで接近した。
「どうした? 逃げないのか?」
 尊大な態度を保とうとしているシングに、俺は人差し指でちょいちょいと挑発した。
 間髪入れず、剣が俺に迫った。
 どうやらシングは前回同様、俺の装備を破壊して戦意喪失させようとしていたらしい。剣先が狙っていたのは左腕に着けた部位のアブソーバーだった。
 しかし、彼の剣がアブソーバーを貫くことは無かった。俺の左腕を守るように展開したエネルギーの膜が、剣の到達を拒んでいたのだ。
 『レッドソウル』が持つ、第一の特殊機能『遮断防壁』である。
 『エレメントアブソーバー』は以前述べた通り、装着者の周囲の空間を情報として捉え、『エナジークレスト』から取り込んだエレメントパワーをプログラム の通りに発現させるツールだ。この道具は周囲の空間を情報として捉える際、装着者を中心とした一定距離の空間を《書き換え可能な支配下》に置くという特徴 がある。
 俺の反射神経と運動能力ではいかに強化したとて、シングの攻撃を回避するのは困難だが、アブソーバーが展開した支配空間の中ならば、即座にプログラムが 対応してくれるので、避ける必要はないのだ。これは、俺が相手の攻撃を避けられないことが分かっているからこその戦術だと言える。
「こっ……これはッ……!」
 攻撃を防がれたシングはうわずった声を上げた。剣を引き、数歩後ずさる。
 最初、俺は予想外の防御力に驚愕したのだと思ったのだが、何だか様子がおかしい。
「その力、どうやって手に入れたッ!」
 怒号だった。それも、今までのような悪人に対する怒りではない。何だか、仇に相対した時のような、殺意のこもった怒りのように感じられたのだ。
「……アンタに対抗するために、人類の英知を結集して造り上げたのさ。何をそんなに動揺している?」
「人間の力だけで生み出したというのか……。いや、それとも……? まさか、しかし……!」
 俺の返答にぶつぶつと口ごもるシングに異様なモノを感じたが、質問をする前に彼は再び戦闘態勢を取った。
「……どちらにせよ、その力は危険だ。ココで破壊する!」
 言うや否や、ガロンとベルを追い込んだ一閃が放たれた。
 しかし、『遮断防壁』はそれでも破られなかった。衝撃波は俺を中心に真っ二つに裂け、遥か背後にある壁に二ヶ所傷が刻まれただけで終わった。
「悪あがきは無駄ではなかったようだね」
 シメオンが通信を介して言った。この瞬間までに彼も力を尽くしてくれていたのだ。
 実は、ガロンとベルを先に戦わせたのは、シングの力を削ぐこと以外に戦闘能力を計るという意図があった。シングが現れた時から『レッドソウル』を起動し ていたのはそのためだ。支配した空間内で戦う彼の戦闘データを分析し、現場で最適な戦術を構築する。分析したデータを元にリアルタイムでプログラムを組み 直してくれたのが、他でもないシメオンだったのだ。
 データを元に、シメオンが手を加えたプログラムは『遮断防壁』をより強固なものに変えた。トレーニングルームで利用した時には、攻撃に対して壁を出現さ せる形で展開していたが、今回の戦闘では攻撃が来た位置にのみ局所的にエネルギーを発生させることで、防御力の向上とエネルギー消費の抑制を同時にやって のけたのだ。
 パイルが相談に来た、パワー重視かスタミナ重視か、どちらのプランにするかという話は、結局どっちも取ることにした。パイルにとっては面倒な作業だった ようだが、文句をたれながらも何とか間に合わせた。ワンタッチで回路を切り替えられるようにし、攻撃時にはパワー重視、防御時にはスタミナ重視が即座に切 り替わるようにしたのだ。
「流石だよ、シメオン! そこいらの天才とはレベルが違うぜ!」
「今の威力が彼の平均なら、百発撃ち込まれても出力は低下しない。行け、エギル!」
 いよいよシングの表情に焦りが浮かび始めた。何をそんなに取り乱しているのかは知らないが、これはチャンスだ。シメオンに後押しされ、こちらも攻撃を仕掛けることにした。
 氷のエレメントを使い、シングの頭上に氷塊を出現させる。低温の塊が落下し、彼を襲った。
「ふん!」
 剣を突き上げ、氷が砕かれる。
 まだだ。
 砕かれた氷が細かく分かれ、霧状になってシングの身体に張り付く。パキパキと音を立て、次第に全身が凍結していく。
「……そうはいくかッ!」
 完全に凍結しきる前に、冷気が霧散した。火のエレメントで体表に熱を発生させ、蒸発させたのだ。
「なるほど、低温に活路を見出したか。確かに我々は種族的特徴ゆえ、冷気には弱い。だが……!」
 熱量が彼を中心に広がり、地下空間はサウナのような温度になっていく。これでは水のエレメントを作用させても、氷が出来る前に水になってしまう。
「これならば、冷気は生成出来まい。その防御、何としても破らせてもらうぞ!」
 熱量を発散させたまま、シングは両手を天へとかざす。すると、空気中の粒子が渦巻き、無数の剣が生み出されていく。自分が創造し得る最強の物質で構築し た武器を創り出す。神が授けた驚異的な『マテリアライズ』の力。おびただしい数だ。地下空間に浮かぶ剣の数、千本はあるだろうか。その切っ先が、一斉にこ ちらを向いていた。
「レイ、シメオン、頼む!」
 額から滴る汗をぬぐいもせず、俺は叫ぶ。
「了解! 『構成阻害』、作動!」
 俺の呼びかけに、『レッドソウル』は秘めていた第二の特殊機能を発動させた。
「千刃閃斬!」
 掛け声と同時に、四方八方から剣が射出された。
 今までのように、『点の攻撃』ではない。こちらの守りを崩すための、『面の攻撃』だ。
 前述したように、『遮断防壁』は攻撃を受けた個所にエネルギーを集中することで、大幅に持久力が伸びた。だが、これほど多数の攻撃を周囲から浴びせられ れば、俺の周囲全体を包む形での護りを余儀なくされる。そうなれば、エネルギーの節約は望むべくもなくなり、一気に出力が低下してしまうだろう。
 第二の特殊機能、『構成阻害』はそういう事態に対処するための機能だ。
 刃は俺を護る盾を砕かんと迫り、まもなく防御面に到達する。数多の突きが防壁に到達した時、その光景にシングは絶句していた。
 ぶつかった剣の方が砕けたのだ。
「……出力93パーセントまで低下。予想より消耗したが、この程度なら大丈夫だ、問題無い!」
 レイの分析に俺はニヤリとした。
 『構成阻害』は展開した空間内で、エレメントによる現象を新たに発生させにくくする機能だ。例えば、相手が風のエレメントで突風を起こそうとしたら、突 風の起こる向きとは真逆に力を作用させる。当然、発生する現象は弱体化し、こちらの力の方が強ければ現象そのものが発生しなくなる。
 『遮断防壁』は自身の防御力を引き上げるが、『構成阻害』は相手の攻撃力を低下させる機能と言えば分かりやすい。
 シングが創造した剣は、この機能によって強度が著しく低下していたのだ。
 いつのまにか、周囲の温度も本来の温度に戻っている。
「人間が、これほどの力を持ったというのか……」
「どうした、調停者? これで終わりじゃなかろう? それとも、俺の話を信じてくれる気になったのか?」
 汗をぬぐい、今度は俺から近づこうと一歩踏み出すと、シングは反射的に距離を取った。そして、呟くように言った。
 ――本気にさせたな、と。
 シングの周囲の空気がうなりを上げた。小さな竜巻のように渦を巻き、シングを中心に集まっていく。その渦の中には電光が走る。かと思えば、炎と氷がシン グの周囲を回転し、水蒸気になって彼の身体に吸い込まれていく。明暗をいじったかのように、シングが明るく見えたり、影の中にいるように見えたりし始め た。
 六属性のエレメントを集束しているのだ。来る。竜人族、最大の攻撃のひとつが。
 ――これを、待っていた!
 俺が終始シングを挑発し続けていたのは、この技を出させるためだったのだ。希望が、誤差の範囲内に捉えられた。
「エギル!」
「分かってる!」
 レイの声とほぼ同時か。俺は『レッドソウル』に、解除信号を送った。リミッターが外れ、怪物は真の姿をさらけ出す。
「「セカンド・フェイズ、スタンバイ!」」
 レイとシメオンが同時に叫び、俺の身体の各部に装着されていたパーツが次々と変形する。アブソーバーの外周部分が展開し、冷却用の機関が露出した。そし て、それぞれが熱を持っていく。火傷するほどではなかったが、起動時と比べると明らかに何かが作動したと思える熱量になっていた。
「出力56パーセントまで低下。エギル、決めろ!」
 起動しただけで出力が著しく低下した。
「テラバースト!」
 シングの咆哮と共に、突き出した右手から膨大なエネルギーが一直線に放たれた。
 テラバースト。竜人族の戦士に伝わる奥義のひとつだ。六属性あるエレメント全てを体内で圧縮し、純粋な破壊力に転換、対象に向けて一直線に撃ち出す必殺技。まともに受ければ跡形も残らない。『遮断防壁』で受けても、エネルギーの総量を省みれば突き破られてしまうだろう。
 だから、俺は『レッドソウル』に仕込まれた第三にして最後の機能を発動させた。
「『時間停滞』作動!」
 眼前に迫った破壊エネルギーは俺を前にしてピタリと止まった。それどころか、シングも発射姿勢のまま固まっている。
 『時間停滞』。『レッドソウル』の持つ最大にして最後の特殊機能だ。
 重力は強くなればなるほど、時間の経過が遅くなるという特徴を持つ。『時間停滞』はこの特徴だけを闇のエレメントを用いて取り出し、支配した空間に適用 する。そのため、時が止まったような現象を引き起こせるのだ。ただし、装着者だけは静止した時の中を移動出来るようにしてある。そうしなければ全く意味が 無いので、開発時にレイもプログラムをねじ伏せるのに相当苦労したようだった。
 とはいえ、時間を止めていられるのはほんの十三秒程度だ。莫大なエネルギーが費やされる上、連続使用も不可能、加えて再使用出来るようになるまで使用した時間の倍は必要になってしまう。貴重な時間を浪費するわけにいかない。
(これで決着をつける!)
 俺は回り込むようにしてテラバーストの横を走り、固まったシングの右側面に向かう。
 ここでいよいよ、例の『対抗策』がお披露目となる。ただし、彼の目にとまることはない。右腕を振ると、白衣の下に隠されていた刃が姿を現した。
 開発コード『ドラゴンキラー』。碧色をした美しい刀身の剣。苦心の末開発にこぎつけた【最適】の武装。『ジェイドメタル』を用い、対竜人族に特化した振動剣だ。
 始めからこれを使わなかったのは理由がある。たとえ『時間停滞』を使って動きを止めたとしても、この剣でダメージを与えられる条件はそろわない。竜人族 は戦闘時に、身体の表面をエレメントによる防護膜のようなものでコーティングしている。それがある状態で斬りつけたとしても、刀身が耐えられない。だか ら、必殺技で纏ってるエレメントを放出し、防護膜が消失する瞬間を狙わなければならなかったのだ。
 俺はシングのそばまで距離を詰めると、顎、腕、脇腹、膝など、鎧の防御が無い部分を振動する剣でなでるように斬りつけた。殺すことが目的ではないので、急所は外す。時間が止まっているため、まだダメージは表面化しない。
 もうあと、二、三秒で効果が切れる。俺は見切りをつけると、シングの背中を踏み台にして距離を取り、剣を袖の中に引っ込める。
 ――解除。
 効果時間が切れた途端、俺が斬りつけた部位から鮮血が舞い、シングは前につんのめった。
「がっ、はっ、なっ……?」
 何が起きたのかわけが分からない様子だった。当然と言えば当然の反応だ。相手に向かって必殺技を放ったかと思ったら、その相手は瞬時に後ろに回り込んでいて、いきなり全身をメッタ切りにされているのだ。
 一方、テラバーストは奥の壁を貫通し、まるでシールドマシンでトンネルを掘ったかのように遥かかなたまで大穴を開けていた。やはり、直接受ければ護りは破られていただろう。
「人間に傷を負わされたのは初めてか、調停者?」
 シングは動揺していたのか、すぐに起き上がれない様子だった。
「……い、今のは何だ? こ、この傷は……出血が、止まらん……ッ」
 見れば、細かくシングの身体が震えている。いや、震えているのは傷そのものだ。
 俺達は『ドラゴンキラー』に風のエレメントで竜人族の肉体が共振する固有振動数を発生させたが、更にプログラムを加え、振動が相手の傷口に残るようにした。驚異的な回復力を持つ竜人族でも、傷口が震え続けるため、即座に再生させることは難しくなるのだ。
「出力32パーセントに低下。エギル、『時間停滞』はもう一回分が限界だ」
「シング、もうこれまでだ。話を聞いてくれ」
 俺はもう一度、シングに説得を試みる。ここでうまくやらねば、こちらも後がない。
 けれども。
 シングは立ち上がってしまった。
「ガアアアアーッ!」
 雄たけびと共に、全身の傷口からブスブスと煙が立ち上り始めた。生き物が燃える、嫌な臭いがした。
 ――まさか、傷口を焼いている?
 傷口を火傷に変え、出血と振動を止めさせたのだ。
 なんという、執念か。
 彼がそこまでして戦う理由とは、竜人族の使命とは一体なんなのか。
「私は、ここで、引くわけにはいかぬ。全面戦争だけはッ、食い止めねばッ」
 途切れ途切れながらも、瞳に宿る意志の炎は全く衰えていない。それどころか、更に勢いを増しているような気がした。
 どうする。
 あと数秒で『時間停止』は使用可能になる。これが最後のチャンスだ。これで次にダメージを負わせても、シングが立ち上がるなら俺達の負けだ。だが、これで急所を狙って彼を殺してしまっても、理想の道は閉ざされてしまう。
 失う覚悟を決めねばならないのか。どっちかを決めきれないまま、チャージが完了し、シングが足を踏み出した。
 その時だった。
「バカヤロォ! お前ら、ヤメロォ!」
 聞きなれた声が、半壊しつつある地下闘技場に響いた。
 幾度となく耳にした声。たわいもない会話を交わしたあの声。
 俺もシングも、声がした入口の方に釘付けになった。
「おやっさん!」
 呆然とするシングを後ろに、俺は駆け出した。隙だらけになっていたが、この時はシングも動けなかったようだ。
 四つの金属板が目玉を中心にくっついた異形の形状。間違いない、カフェテリア『ヴァンダー』の店主、フェルン・ゼーアだ。
 しかし、近づいていくにつれておやっさんの様子がおかしいことに気付いた。浮遊しつつ、近づいて来る彼の身体は安定せずフラフラとしていて、人間で例えるなら足を引きずっているような感じに思えた。俺の接近を待たずして、彼の身体は地面に落下してしまった。
「大丈夫か!」
 駆け寄って引っ張り起こすと、彼の身体には何本も亀裂が入り、ヒビだらけになっていた。
「……スマン、エギル、俺としたことが迂闊だった。全て、メルダ市長の企てだった……」
 フェルンは相当痛めつけられているようだった。彼が発する声には、古いラジオをつけた時のようなノイズ音が混じっていた。
 話を聞くに、ニュースで放送された内容が信じられなかった彼は、メルダ市長を問い詰めたのだそうだ。しつこく食い下がるフェルンに彼女はついに本性を現 し、喜々として真実を語った後、彼を拘束し俺に関して吐かせようと拷問したらしい。門番の隙をついて、かろうじて逃げ出し、ここまで来たのだという。
「急げ……エギル、彼女は計画の決行を早めた。二日に『ブルートローゼ』の連中を都市ηに招くと打診していた。そこで妖魔も、人間も何もかも皆殺しにするつもりだ……」
 予定は三日だったハズ。一日繰り上げたのか。これはまずいことになった。
 これを後ろで聞いていたシングは崩れ落ちるように膝をついた。
「……なんということだ……! 私は……守るべき者を憎み、戦って……!」
 今にも泣き出しそうな声だった。誇り高い彼のことだ。かなりのショックを受けたに違いない。
 しかし、これでようやく彼の誤解を解き、敵意を消すことが出来た。
「……だが、おやっさん。どうして、ここが分かった?」
 フェルンは俺がどういう足取りを辿ったかは知らないハズだ。なぜ、ここに都合良く現れたのだろう。
「……はは、神様が教えてくれたのさ。残り少ない生命で何を成すか好きにしろ、ってな」
 冗談には聞こえなかった。俺は初めて神に感謝した。
 待て。今『残り少ない生命』と言ったか?
「おやっさん、アンタ……!」
 慌てて尋ねようとした時には、フェルンの身体は端から粒子に分解し始めていた。
「俺はここまでだ……。エギル、お前は生きろ……。生きてあの娘を……」
 最後まで言い切らないうちに、彼の身体は光の粒に変わり、俺の掌に吸い込まれるように消えてしまった。
「あ……ああ……」
 震えた。俺の全身がガクガクと震えた。止めることが出来なかった。
「……おやっさーーーーーん!」
 戦いの傷痕だらけになってしまった地下闘技場で、俺の叫びはむなしくこだまするだけだった。

 大いなる犠牲の果てに、ついに障壁は遥か後方へと霞んで消えた。

 平穏を取り戻すため。
 愛する者を救うため。

 ――最後の戦いが、始まる。
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