第2章 「変更不可のパーソナリティ」


 ――知識は行動に変えてこそ、初めて活きた財産となる。知っているだけでは本当の知恵とは呼べない。直面した事実、この目で見た真実こそが己の道を決めるカギとなるのだ。

 ……まるで学習していない。
 これでは悪循環だ。話を早めに切り上げてさっさと寝るべきだった。
 おのれ、『シュトローム』め。お前のおかげで時すでに太陽は真上ではないか。
 そう言えば、ベレンはどうしただろうか。見れば、昨夜寝ていたソファには姿が無い。
「……ベレン?」
「はい?」
 呼びかけにあまりにもすぐに答えたので、思わず驚いてしまった。
「うおっ! そこにいたのか……。って、何をしてるのだ?」
 よく見れば、彼女は冷蔵庫の前でハムやら卵やらを取りだしていた。
「……すいません。お腹……減っちゃったので。何か作ろうと思って……」
 彼女はバツが悪そうに胸の前で食材を抱えた。彼女が先に起きていたとしたら、朝飯を抜いていることになる。いや、妖魔にしてみれば、本来は夜が起きてい る時間帯だから今がディナー扱いになるのか。どちらにせよ、律儀に俺が起きるのを待っていたとしたら、相当空腹のハズだ。
「ああ、そうか。悪かったな。君は料理が出来るのか?」
「はい。大したものは出来ませんけど」
「じゃあ、頼めるか? 俺が作るより君の方がうまそうだ」
 そう言うと、ベレンは目を輝かせてキッチンへ向かった。食事関連は本当にいい表情をする。まあ、食べることは生きることでもある。それは人間だろうと妖 魔だろうと同じことなのだ。種族が違うとはいえ、共通項と呼べるものは確かに存在する。もし、何もかもが違うのならば、言葉を交わすこともなく、どちらか がどちらかを滅ぼしているハズだ。今は二つの種族の関係はよろしくないが、歩み寄る余地は全くないというわけではないように思える。人間を意図的に食料に する連中もいるが、彼女を見る限り、それが全てではないだろう。
 そんなことを考えている間に、ベレンは手際よく調理を済ませてデスクへ皿を運んできた。一旦、上に乗っていた本や書類やらをどかした。あまりデスクは大きくないので、二人で向かい合って座るのがやっとだった。
 それよりも問題なのは、運ばれてきた料理の量が多過ぎることだった。メニューはトーストとハムエッグ。昼だというのに朝のようなメニューだ。まあ、冷蔵 庫の中に他の食材が無かったのだからこれは別にいい。だが、トーストは八枚切りにして使うパンの塊を二人で真っ二つにして半分ずつ。ハムエッグの方も、卵 は10個入りで1ケースのパックを全て使い、5つの目玉が俺を見つめている。ハムも付け合わせるより、ステーキにでもした方がいいと思える量がのっかって いる。
「……俺はこんなに食えないぞ」
 呻くように呟くと、ベレンは目をパチクリさせた。
「昨日も見ていて思ったけど、小食なんですね」
「人間は大体そうだ」
 一部例外的にザルのように食える人間もいるが、俺はそういった人種ではない。
 だめだ。毎食この調子ではやはり研究所の財政が持たない。
「……何か対策を考えないとな」
 頬杖をついた俺の目の前では、ベレンがモリモリと料理を口に運んでいくのであった。

 考えた俺は生物学的観点からある結論に至った。食べずに過ごすことは生きている以上、避けては通れない。だから、量を減らす。量を減らしても大丈夫なように一時的に体質を変えるのだ。
 妖魔族はその基礎代謝の良さから大量の養分を必要とする。ゆえに、基礎代謝を人間並みに落としてやれば食生活に関する問題は解決できる。
 代謝を低下させる酵素を含んだ植物を人類はすでに発見している。そこから作られた薬品があればいいだけだ。
「ベレン、君の食生活を守るためについて来て欲しい場所がある」
 薬なら普通に医師の処方を受けてもいいのだが、妖魔だということでいい加減に診察される可能性が高いし、同じ物がルージェス魔法店にもある。それに、あそこなら安く済む。
「……え? は、はい」
 食事を終えた彼女はソファに座ってボーっとしていたのだが、俺が突然話しかけたのでやや驚いたらしい。
 この時、俺は焦っていたのだろう。ほおっておけばかさむであろう食費のことで頭がいっぱいだったに違いない。でなければ、この直後のミスは起こらなかったハズだ。
「行こう、今すぐにだ」
 俺は驚く彼女を無視して、左手を取り立ち上がらせた。そして、そのまま手を引いて研究所の出口まで来てしまった。立ったまま靴に足を突っ込み、ドアを開けた。
「あ! エギル、ちょっと待ってください!」
「時間が惜しい。帰ってきてからにして……」
 そう言って、彼女の手を強く引いた瞬間だった。ベレンの白い腕が開いたドアから差し込んだ光に当たった。刹那、光に触れた部分がパッと燃え上がった。
「……あァッ!!」
 ベレンが耳を刺す叫び声を上げ、強引に手を振り払った。いきなり強い力、それも俺以上の腕力で振りほどかれたので、つかんでいた掌がしびれた。
「ううッ……!」
 ベレンは苦悶の表情で燃え上がった左腕を右手で押さえて、火を消した。
「だ、大丈夫か!」
 狼狽する俺を、ベレンは涙を浮かべた目でにらんだ。
「だから待ってって、言ったじゃないですか……!」
「すまない……」
 俺はそれしか言えなかった。
 なぜ、気付かなかった。なぜ、忘れていた。
 知っていたハズなのに。妖魔にとって日光は最大の危険であることを。俺は知っていたハズなのに。
 そうだ。俺は、ただ、『知っていただけ』だったのだ。知識として知っていただけだったのだ。
 今の今まで妖魔と直接話したことは無かった。触れ合ったことも無かった。
 だから、人と同じ基準でしか思考を巡らせられなかった。俺の無思慮な行動で導き出される結果を予想出来なかった。しようとすらしなかった。
 俺達、人間は当然の如く太陽の恵みを享受している。
 だが、彼女達妖魔は違う。本来であれば恩恵を受けられるハズの太陽に怯え、暗闇の中で暮らしてきた。
 どれだけの苦労を味わったのだろう。どれだけ他の種族が羨ましかったのだろう。どれだけ自分達の体質を煩わしく思ったのだろう。
 俺には計り知れない。俺には想像もつかない。俺には分かってやることは出来ない。
 俺は妖魔じゃない。人間だから。
 それでも、俺は今、事実を目の当たりにして知った。真の意味で知った。理解した。
 たとえ、分かってやることは出来なくても、分かってやろうとすることは出来る。
 知らなかったことを知った以上、見ないふりはもう出来ない。するつもりもない。してはいけない。
 見て見ぬふりをする醜さを俺はよく知っている。
 俺は研究者として、やるべき目的をこの時見出したのだ。

 ―――ベレンを光の下で歩けるようにする!

 ミロットさんの店に向かう途中、あの黒いロープを被った彼女にそう告げると今度は驚愕の表情を向けた。
「エギル、赤の他人である私に、どうしてそこまでしてくれるんです?」
「俺達はもう他人じゃない。知り合ってしまったぞ」
 俺が笑って言うと、彼女は困惑の色を見せた。
「それにしたって、人間のあなたには何のメリットもないんですよ」
「……メリットならあるさ。君の……いや、君達妖魔のことが分かる。研究者ってのは未知を既知にする為なら、この世で最も偏見をしない人種なんだぜ?」
 そう切り返すと、ベレンは困惑の色を濃くしてしまう。
「でも私、役に立つどころか、食事代ばかり増やしてしまって……。さっきも迷惑だったでしょう?」
「では、今からでも君を放り出すか?」
 ついに俺から視線を外し、押し黙ってしまった。
 どうも、ベレンは俺に世話になりっぱなしなことに負い目を感じているようだ。それが鼻についたので、我ながら意地の悪い言い方をしてしまった。無論、彼女を放り出す気など更々無い。
「……見捨てるなら初めから助けたりしないさ。少なくとも、俺は、真実を知ってなお、見て見ぬふりをするような薄情者には、なりたくないだけだ」
 俺の語気は少し強くなっていた。脳裏にかつての出来事がちらついていたからだ。俺の過去にある最も醜い人間の記憶であり、俺が今の俺である忘れてはならない記憶だ。
「……少し、昔話をしようか」
 俺はベレンを助けた行動理念を支えるきっかけとなった、かつての出来事を話して聞かせることにした。

 思春期の出来事とは、たとえそれが些細なことであっても、後の生き方に大きな影響を与えてしまうことが多々ある。
 それは、8年前までさかのぼる。
 14歳の時、俺が通っていた学校でひとつ問題が起きていた。生物学、科学の進学校だったその学校は運営面で窮地に立たされていた。資金難だったのだ。
 そんな中、奔走した教育委員会によってチャンスが与えられた。他校と学術研究の発表を行い、一定の成果を修められれば資金を出すという知識人が現れたのだ。
 だが、問題はその後だった。代表者が決まらなかったのだ。参加を表明した他校というのが、いずれもこの学校以上の進学校であり、皆が尻込みしてしまっていた。クラスルームでその議題が出るたび、皆が困った顔をした。
「……俺がやりましょう」
 決して、俺は自ら積極的に人の輪の中に参加していくタイプではなかった。しかし、この時ばかりはこの空気が延々と続くことが耐えがたく、自分が手を挙げることで解決出来るならと意を決した。
 周囲の者達は大いに俺を鼓舞し、先生も協力を惜しまぬと言ってくれた。俺は、発表のために全力を尽くした。
 けれども、いざ発表になってみると、やはり他校の出してきたモノの方がレベルが高く、俺の全力は太刀打ち出来なかった。
 結局、参加したことで一定の成果を出したとは見なされ、運営資金は得ることが出来た。それを聞いた俺は結果はともかく、俺が参加した価値はあったと自分を納得させようとした。
 だが、周囲の反応がそれを許さなかった。
「あれじゃあ、自爆だよな」
「ああ、背伸びするといいことないな」
「私、手を上げなくて良かったわ」
 あれほど俺を鼓舞してくれた連中の反応が180度変わっていた。俺の努力は無かったことにされた。俺の意志は無駄だと見なされた。俺の結果に結び付かない過程は無意味だとなじられた。
「……なぜだ」
 なぜなんだ。なぜ、自分達が関わったことを無かったことにしようとするんだ。都合が悪くなるとひっこめるのか、勇気を。
「……クズめ。クズ共め!」
 何もかもが気に食わなかった。人間全てが憎かった。この惑星が爆発してしまえばいいとさえ思った。
 このままいけば、俺は間違いなく心の歪んだ人間になっていただろう。もしかしたら、しがない研究者ではなく、復讐に取りつかれたマッドサイエンティストになっていたかも知れない。
 そうならなかったのは、祖父のおかげだった。祖父の名はユコバック・トーチライト。生物学の分野で様々な発見をし、人間族の中でもそこそこ名の知られる人物であった。
 俺の遺伝元だと思われるボサボサの髪は白髪で、真っ白の眉と髭をしていた祖父。しわの多い目元をしていたが、その眼力は決して衰えていなかった祖父。白衣の下に腹巻きをしているいかにも年寄りな格好をしていた祖父。
 そんな男が、憎しみに震える俺に、珍しく面と向かって熱心に語りかけた。
「……エギル、お前のしたことは間違いではない。お前は直面した事実に臆することなく、立ち向かったのだ。周囲の反応など、それこそどうでもいいではない か。そもそも、周りの連中は学校の危機を知ったにも関わらず、目をそむけたのだ。そんな哀れな連中を憎んでどうする。お前が抱くべき感情は憎しみではない ハズだ。お前の努力はわしが知っている。だから、憎悪で心を曇らせるな。お前は真実に直面した時、目をそらさず戦える人間だ。誰が認めぬとしても、このわ しが認めよう。お前は立派だった」
 涙が止まらなかった。自分がいかにつまらぬことに腹を立てていたかを思い知った。俺が挑戦したことを知っている人がいる。そして、俺は正しかったとこんなにも声を大にして言ってくれる人がいるではないか。
 祖父の言葉によって俺の心は憑き物が落ちたかのように晴れやかだった。誰が何と言っても、もう気にならなかった。やがて、陰口を叩く者もいなくなった。
 それから、数か月して祖父は亡くなった。実験中の事故が原因だった。あまりにも唐突で、祖父はあまりにも平然と過ごしていたので、聞いた直後は実感が湧かなかった。
 しかし、遺されていた遺言状からは何を研究していたかまでは分からなかった。自分の研究内容に関する記述が一切無かったのだ。研究を託された身としては不自然だという思いがしたものだ。
 それでも、確固たる意志を持って研究に打ち込んでいた祖父は間違いなく、『立ち向かう者』であったと確信している。
 今でも、遺言状の俺に宛てた部分が忘れられない。

 ――真実を知るということは必ずしも幸福なことではない。だが、もし知ることが出来たならあの時のように立ち向かえ。真っ向から対峙して、自分なりの選 択をし、自分だけの答えを出してゆけ。人生とはその繰り返しだ。お前が歩む過程と導き出す結果をこれ以上そばで見てやれないのが至極残念ではあるが、挑も うとする意志は確かに見せてもらった。その意志を信じて、カシュオーン研究所および、研究所内の設備、研究資料全てを我が孫エギル・トーチライトに分配す る。エギル、託したぞ。

 ずいぶん後になって知ったことだが、資金を提供すると言った知識人とは祖父であったそうだ。

「……フェルンさんが貴方をお人よしって言った理由が分かった気がします。エギル、貴方は『いい人』なんですね」
 話を聞き終わったベレンが笑顔を見せてそう言った。
「そのせいで、損をすることの方が多いがな」
 皮肉混じりの言葉で照れ隠しをするも、俺は彼女に笑顔が戻ってほっとしていた。我ながらとんだお人よしだ。
「だから、せいぜいうまく俺を利用することだ。俺も君を利用するわけだからな」
 光の下で彼女を歩けるようにするには、まず彼女の身体を調べて原因を特定しなければ始まらない。そのことを告げると、彼女は頬を染めて再び困り顔に戻ってしまった。
「……そう、ですよね。私の身体、調べなきゃ……ですよね」
「おいおい、ちょっと待て! 何か激しく勘違いしているようだが、変な真似はしないぞ! 調べると言っても、体細胞から遺伝子を調べることが出来ればいいんだから、皮膚を少し採取すれば十分だ!」
 慌てて説明をした。全く、どうしてそっち方面の意味合いで言葉を受け取るのか。ハーレムを築く妖魔族の文化がそうさせるのかも知れないが、この辺りの意識のズレは簡単に埋まりそうもない。
 だんだん自信が無くなってきた。もし、本気で彼女に迫られたら、果たして俺は自分を抑えられるのか。なるたけ、そういったシチュエーションを避けなければならないし、どこかでガス抜きをしなければ難しいだろう。
 そんなことを考えている時すでに、ベレンを見つけたあの道はとっくに通り過ぎ、ルージェス魔法店に近づきつつあった。

 ミロットさんにベレンを対面させると、彼女は当初大いに動揺していたように見えた。だが、すぐに魔女本来の顔に戻り、薬を処方してくれた。
 その代謝を落とす薬は、一粒飲めば三日程効果が持続するという。ただし、代謝が落ちる分、身体能力やエレメントを操作する力も同様に低下してしまう。まあ、人間の都市で生活するのだから、その方が丁度いいだろう。
 薬を受け取ると、ミロットさんはいつものようにお茶を用意してくれた。ベレンも混じって一服いただいたのだが、途中から俺そっちのけで、女子二人はガー ルズトークを始めてしまい、完全においてけぼりをくらった。会話の内容は俺の理解可能な範疇を超えていて、何を話していたのかほとんど分からなかった。
 太陽が傾き始めた頃、ベレンの腹の虫がようやく会話を中断させた。
 帰る間際、扉を開けて外に出ようとした俺に、ミロットさんがそっと耳打ちした。
「……いい娘じゃない。ちゃんと守ってあげなよ?」
「分かっていますよ」
 ガールズトークの長さに少々疲れていた俺は、返事も中くらいにして店を出た。

 その後、俺はベレンに途中で軽食を買って与えると、研究所の留守番を頼んで、近くの商店街に向かった。
 スーパーで食材を買っておかねば、今朝の一食で冷蔵庫は空っぽのままだ。それに、衣類も必要だ。目立たないようにするのは勿論だが、俺自身も目のやり場に困るからだ。
 ベレンをあまり連れまわすわけにはいかない。ロープを着ているとはいえ、全く影響を受けないわけではない。それに、そんな目立つ格好をして歩いていれば、妖魔だということがすぐに分かってしまう。
 一人が二人になっただけなのに、生活が大きく変わりつつある。妙に所帯じみたものだ。なんだかもやもやした心持ちだった。
 とりあえず、トースト用のパンやハム、卵に惣菜コーナーのサラダなど、一通り主菜と副菜が揃うようにした。飲料は牛乳の他、缶コーヒーを入れるのが常となっている。食べる量が減ることで彼女の楽しみが減らないように、プリン等のちょっとしたデザート類も入れておいた。
 着る物は極力地味に見えるように、紺色のセーターと同色のスラックスを選んだ。
(……生きるというのは金がかかるな。)
 食材と衣類の入ったビニール袋を両手にぶら下げ、当たり前のことを改めてしみじみと思った。
 一度研究所に戻り、冷蔵庫の中に食材を入れて服を渡すと、引き続きベレンに留守番を頼んだ。
 カフェテリア『ヴァンダー』に向かうためだ。
 どうも彼女の名前を聞いた時、おやっさんは何か心当たりがあるようだった。直接ベレンから聞き出すのはまだ難しいだろうからというのもあるのだが、赤の他人でないのなら素性くらいは知っておきたい。
 ついでに、夕食も取っておきたい。そう思って、店の前まで来てみれば困ったことに店が閉まっている。扉を見れば、『本日貸切』と張り紙があった。
 おかしい。今までこんなことは無かった。店は五、六人で席が埋まってしまう造りなのだから団体客は入れられないし、そもそも団体客はこんな店を好き好んで選ぶハズが無い。
「……入らせてもらおう。」
 裏口へ回って、ベレンを介抱した部屋から入り込み、店内に抜ける。すると、そこにはフェルンの他に見慣れない影がひとつあった。
「何だよ、入って来ちまったのかよ。」
 フェルンはやれやれと言いたげな様子でぼやいたが、今回俺がそれに反論することはなかった。なぜなら、見慣れない影に視線が釘付けになっていたからだ。
 その影は人間ではないという点においては、フェルンと同様だった。だが、物質生命体でもない。昨夜、掲示板で話をしていた存在が眼前のカウンターに座し、食事を取っているらしかった。
「調停者……!」
 思わず口をついて出た言葉に、その影がここでようやく反応した。首を俺の方に向け、視線がぶつかった。
 トカゲのような頭部。その後頭部には皮膚と地続きでつながった角が二本生えている。後ろ頭の髪の色は深紅で、肩までかかる程伸びている。細く鋭い目。突 き出た鼻先のやや上の方には、古そうな傷跡が斜めについているのが見えた。口はワニのように大きく裂け、とがった牙が並んでいる。首のつながった胴には白 銀の鎧を纏っており、肩あてから伸びて見える両腕には発達した筋肉が見受けられる。その筋肉を緑色の鱗がコーティングしているのだ。掌は俺の頭をわしづか みできそうな程巨大だったが、鋭利な爪が光る指先で器用にスプーンをつまんでいた。椅子に座った腰からは尻尾が床に向かって垂れている。
 全身を見てみて思ったが、かなりの巨体だ。身長は恐らく二メートル半を超えているだろう。
 竜人族。この惑星における最強の生物だ。高山地帯や、砂漠などの過酷な環境に集落を築き、生活している。多くの者は誇り高い性格で義理堅く、秩序を重ん じる。規模の大きな反乱や戦争は彼らが介入することで早期に終結してきたと伝えられている。他種族を凌駕する身体能力と環境適応能力を持ち、エレメントを 操る能力も抜きん出て高い。特筆すべき点は、エレメントの特殊な使い方にある。彼らは無から有を生み出すことが出来る。自由に物質を創造する。それは『マ テリアライズ』と呼ばれ、自分自身が思い描いた最強の武装を纏うことが可能なのだ。ゆえに、どの種族も一対一では絶対に竜人族には勝てないとまで言われて いる。弱点と呼べる弱点が無い竜人族だが、種族全体としてみると長命ゆえか個体数が少なく、繁殖力は高くない。また、余談だが、竜人族は雄と雌とで外見が かなり違う。雄は見ての通り、頭部がトカゲのようだが、雌はヒトに近い顔をしている。これは雄の方が進化の過程で戦闘に特化していった為と云われている が、真偽は定かではない。
「……驚いたな。人間の都市ではもう私の情報が伝わっているのか」
 言葉とは裏腹に、その声の持ち主は落ち着き払った様子だった。低音だが、相手を威圧するでもなく、身構えてもいないごく自然な印象を受けた。
「おやっさん、これはどういうことです?」
 俺の問いに、フェルンは少し渋りつつも答えた。
「……彼はこの都市で任務があってな。そこで静かに食事を取れる場所を探していると言われてな。俺が一肌脱いだってわけだ」
 彼には脱ぐ肌も無いわけだが、そう言うからにはフェルンは竜人族と面識があったということになる。俺はおやっさんとは親しいつもりだったが、まだまだ知らないことはあるのだ。
「我々竜人族は世界的には、平和維持軍のように見られているからな。私ひとりとて、動けば大事に受け取られる。活動前くらいは静かに食事を取りたいと思ったのだ」
 調停者はフェルンの言葉を引き継いで答えた。
「だったら、俺は邪魔なようだ。今日は帰るとするよ」
 俺が裏口に引き返そうとすると、調停者が呼び止めた。
「待て。私は構わない。君はミスター・フェルンとは親しい仲なのだろう? 世話になる者の友人を追い返してまで、私は静けさを求めてはいない。それに……人間と話がしてみたいとも思っていたのだ」
 俺は少し考えた。彼について知ることで俺の周囲に危険が及ばないか、それが気がかりだ。先ほど彼自身の口から出たように、竜人族が動くということは大き な問題の発生を意味する。だが、事前に知っておけば対策が立てられるかも知れない。それに、直接竜人族と話をするのはこれが初めての機会だ。彼らについて 知りたいという研究者としての好奇心もある。
「……ありがとう。では同席させてもらう。俺はエギル。エギル・トーチライトという。この店の近くでしがない研究者をやってる。貴方は?」
 自己紹介しつつ、隣に腰掛ける。
「私の名はシング・バランサイト。調停者の一員だ。さて、どんな話をしようか」
 スプーンをスープ皿に戻し、シングは腕組みをした。
 早速、最大の疑問について尋ねようと口を開きかけると、俺の顔の前に人差し指が一本突き出された。
「おっと、私がこの都市に来た理由についてはNGだ。君を疑うわけではないが、人間同士の間の情報伝達は、我々のそれよりもはるかに早い。動きづらくなるのは避けたいのでな」
 先手を打たれてしまった。俺は苦笑しつつ、何を聞こうか改めて考えた。ならば、もっと以前から感じていた疑問をぶつけてみよう。昨夜、『シュトローム』と議論した時にも感じたことだ。
「シング、貴方は……いや、貴方に限らず、竜人族はなぜ全ての種族を統一しようとしているのだ?」
 シングはコップの水を一口飲むと、静かに微笑んで言った。
「君には全ての種族が共存する平和な世界は退屈か?」
「そうではないが……」
 俺はどう切り返すべきか思考を巡らせた。下手な言い方でははぐらかされてしまうだろう。それ以上に、彼に警戒されるような言い方を避けなければならない。
「……そうだな。何というか、俺には竜人族が焦っているように見えるんだ。共存自体には異論はないが、それを明日にでも成し遂げようとする程性急という か、そんな印象を受けるんだ。別の目的があって共存しようとしているのか、共存することで目的を達成しようとしているのかは分からないがな。」
「お前にはまだ早い!」
 出来るだけ言葉を着飾って慎重に会話を進めようとしていた矢先、そう茶々を入れてきたのはフェルンだった。そして、俺の前には平皿いっぱいに入った豆のスープが差し出された。
「何だこれは? というか、早いとはどういう意味だ」
「……今回は特別だ。俺がおごってやる」
 フェルンは一方の質問にだけ答え、スプーンを投げつけてきた。
 あり得ない。経営者を自称するこのせこい親父が俺に料理をおごってまで、話をはぐらかそうとするなんて。
 何だ。何を知っている。フェルンは一体何を知っているのだ。落ち着いて話すべきだと思っていた俺の頭に一気に血が上って行った。
「おい、質問に答えろ!」
「よせ。話をするのは私とだったハズだ」
 フェルンに食ってかかった俺を止めたのはシングだった。思わず立ち上がっていた俺の肩に、静かに手が置かれている。彼を見れば、変わらず穏やかな目をしており、俺はその諭すような視線に息をのんだ。
「知ることは必ずしも、幸福なことではないのだ。それに今知ったところで、どうにか出来るものでもない」
 まさか、ここで祖父と同じ言葉を聞くことになろうとは。俺はなおのこと知りたくなってしまった。
「だが、貴方は知ったんだろう? 知った上で、立ち向かっている。違うか?」
 むう、とシングがうなり声を上げた。
「俺はもし、知ることが出来るのならば、逃げずに立ち向かいたい。それが俺の信じる生き方だからだ。それに、知って初めて取るべき道を見出せるのではないのか?」
 俺はあえて正面から意見をぶつけてみることにした。未知の表層に触れようとすることが新たな機会なのか、新たな危険なのか。それを判断するのは相手の方だからだ。
「……しかし、人間全てが君と同じ考え方とは限らない。これは知るということ自体が、恐るべき危険を孕んでいるケースなのだ。種族間はおろか、種族内でさえ共存が出来ていない君達にはまだ知る資格は無い」
 口調は穏やかだったが、非常に厳しい物言いだ。調停者は俺の言葉を危険と捉えたようだ。そう言われてしまうと、これ以上は追及出来なかった。
 苦々しい思いで腰を下ろし、スープに手を付けた。味は悪くなかったが、どうも食が進まなかった。
 沈黙がその場を支配し、俺とシングは黙って食事を口に運んでいた。
「……これはたとえ話だが、君は『神』という存在が目の前に現れたら、どうする?」
 半分程食べ終わったところで、シングが先に口を開いた。
「……俺は科学者なんでね。『神』の存在を信じたことは無い」
 どうにも意図を図りかねる聞き方だ。俺は思ったままの返答をした。
「……だろうな。『彼』自身も、『神』というものを嫌っていた。いや、正確には『神』という概念自体を否定していたな」
「何の話をしている?」
「……先に断っておくぞ」
 シングは再び俺の目の前に人差し指を突き出した。
「君は見込みがありそうだ。だから、今話せる範囲で情報を与えよう。それをどう感じ、どう行動するかは君次第だ」
 俺はうなづいた。良かった。俺の意志が多少なりとも彼の心に届いたらしい。熱を帯びた言葉は必ず誰かの心に響く。全て知ることは叶わなくても、分かっている範囲で行動を起こそう。
「では、もうひとつ訊こう。君はこの世界が正しいと思うか?」
 またしても、どんな返答を求めているのか見当のつかない問いだ。
「……世界の在り方に善や悪があるのか?」
「質問を質問で返されても困るな。君がどう思っているのかを私は訊きたいのだ」
 俺は少し思案してから言った。
「……俺は今生きているこの世を間違ったものだとは思いたくない」
「そうか。では、それを踏まえた上で訊こう。おかしいとは思わないのか? 惑星自体が意志を持つひとつの生物であり、人間、獣人、妖魔、竜人、物質生命 体……あまりにも多種多様な……ともすれば極端すぎる生命体が同時に存在している。こんなデタラメな世界が自然に存在するハズが無い」
 俺は面食らった。世界を守る者から、世界を否定しかねない言葉が出たのだから。
「何者かが、この世界を創り上げた。この世界は実験室のフラスコだ。そして、今も実験は行われているのだ」
「……それが、『神』か」
 にわかには信じがたいが、この世界には創造主がいるらしい。
「そうだ。ここでは、一応『彼』と呼んでおこう。『彼』は我々竜人族にこの世界の真実を教えてくれた。『彼』は元々、自分の望みを叶える為にこの世界を創 造したと言っていた。目的の世界を完成させた『彼』は常々悩んでいたらしい。己の手で創り上げたものでありながらも、不安定さを孕んだ世界をこのまま存続 させるべきかどうかを、な」
 そう言うと次に彼の告げた言葉は怒気を含んでいた。
「我々にとって問題なのはその、世界の成否を計る方法だった。だが……」
 次の言葉を待ったが、シングは首を横に振った。
「……その内容は……言わないんじゃなく、言えないということか?」
 シングは静かにうなづき、拳を握りしめた。話せないのがもどかしい様子だった。きっと、話したくないわけではない。先程、知ること自体が危険だと言っていた。
「少なくとも、元々フラスコの中にいた者同士で揉めてる今の状況がまずいことは俺にも分かったよ」
 無理に聞き出そうとしても、調停者の口からは聞き出せそうにない。ここは俺の方が折れることにした。
「……ああ。今の話でそこまで理解してくれていれば十分だ。君のような人間が少しでも早く増えることを願っている」
 種族全てをまとめ上げるのはとてつもなく時間がかかりそうだ。だが、それを知ってなお活動を続ける竜人族の意志がちょっとだけ理解出来た気がした。少なくとも、何もしなければこの世界は失敗になるということだけは確証が持てた。
「最後にひとつ訊いてもいいか?」
「何だ?」
「貴方はどうして『彼』を創造者だと信用したんだ?」
 ふっ、とシングは笑い、驚くべき内容を語った。
「……何もないところで、いとも簡単に生命を生み出したり、消してみせたからだ。我々の目の前でな。それだけではない。君達が最強と呼ぶ『マテリアライ ズ』の力も『彼』から授かったのだ。どうやら、事象を操ることも『彼』にとっては、白紙のページに文字を書き込む程度のものでしかないようなのだよ」

 『ヴァンダー』からの帰り道、俺は興奮が収まらなかった。
 とんでもない事実を知ってしまった。確かに、今の俺ひとりがいきがったところでどうにかなる問題ではない。
 だが、それでも知ったことで俺のこれからの行動はいくばくか変化するだろう。それが、良き未来につながると信じるしかない。
 まずは、目の前の問題をひとつずつ潰していくことだ。
 そう思いながら、研究所に戻ってきた俺は、ひとり帰りを待っていた少女の顔を見て、あることをすっかり忘れていたことに気付いた。
(しまった……。ベレンの素性について、おやっさんに訊くのを忘れた……)
 硬直する俺を、きょとんとした無垢な顔が見つめていた。

 思えば、分岐点はここだったのかも知れない。良かれと思って始めたことが自分の首を絞める。そういうケースは、世の中いくらでもあるのだ。
 もしかしたら、『彼』とやらもそうだったのだろうか。
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