第6章 「失意と立志のシーカー」


 ――『不屈』とは折れたことが無いということではない。折れてなお立ち上がることをいうのだ。

 自分のした『そそう』の跡を片付け終えた俺は、洗面所へ行き鏡の前に立った。
(ひどい顔だ……)
 泣き腫らして目は赤く、滑稽なクマが出来ている。断食をしているわけでもないのに、頬はこけているような気がした。
 何より、顔に力が入らない。というより、全身から力が失せているようだった。
 強風が吹いたら、踏ん張るよりも倒れる方を選んでしまいそうな気すらしてきた。
 顔を洗いもせず、俺は洗面所を出た。ソファに倒れ込む。
 もういいや、どうでも。
 俺はぼんやりと虚空を見つめながら、過ぎる時間の流れに身を任せた。

 そうして、抜け殻のような状態が続いた。
 起きて、飯を食い、排泄して、寝る。ただ息をしているだけ。知性を獲得した生物とは思えない、実に中身の無い生活を送った。
 俺の心は死んだのか。
 そんな生活を続けて一週間経ったある日の昼。俺の携帯電話が鳴った。
 緩慢な動きでそれを取り出し、着信相手を見るとミロットさんだった。電話に出ようと、ボタンを押そうとしたが着信音が消えてしまった。
 バッテリーが切れたのだ。いくら省電力設計でも、流石に一週間も充電しなければ限界だったか。
 いつもなら折り返し連絡を入れるのだが、もうその気力も無かった。
 ああ、もうダメだ。そんな簡単なことをする意思すら消えかけている。俺のバッテリーはいつ切れるのか。
 俺は目を閉じた。

 どれくらい経っただろうか。
 研究所の入口の方でドタバタと足音が聞こえる。それがだんだん、近づいてくる。
 研究室の扉が開かれた。
 黒いつば広のとんがり帽子が揺れ、美しい黒髪がはためく。その身にまとう同色のロープの下では、二つの山が上下している。
 額に汗を浮かべ、息を切らして現れたのはミロットさんだった。
「なんて有様なの……!」
 ソファで横たわる俺の姿を見て、彼女は表情を歪ませた。
「あ……ミロットさん? なんでココに……?」
 起き上がることも出来ずに、かすれた声で問いかける。
 ミロットさんは俺の肩を両の手で掴んで引っ張り起こした。
「……ここ二、三日店に来るベルの様子が変だったから問いただしたのよ。一体どうなってるの?」
 彼女にしてみれば、俺は既に都市を出たものと思っていたに違いない。だから、今まで俺への連絡は意図的に行わなかったのだろう。都市を離れてからの着信 履歴を調べられたら、俺とのつながりが分かってしまう。それは俺の望むところではない。それを理解してくれていたからこそ、ほとぼりが冷めるまではつなが りを断とうとしてくれていたと推測出来た。
 それがどうだろう。俺はベレンを自由にするどころか都市に舞い戻り、腐って死体になりつつある。
 ああ、ショックを受けただろうな。失望させてしまったのだろうな。
 でも仕方ない。俺の人生からは色彩が失われてしまった。もう取り戻す方法は無いのだから。
 だから、もう何もかもどうでもいいんだ。
 どうせ、彼女もこんな俺なんて、愛想をつかせて帰るに違いない。
 身勝手な思いが自らをどんどん追い詰め、泥沼に沈めていく。
「……俺は結局何も出来なかったんですよ。……彼女をぬか喜びさせただけだ」
 ミロットさんに詳細を問われ、答える言葉にもあきらめが満ちる。
「……俺は頑張ったんですよ。でも、結果がこの体たらくです。無意味だ……」
 そう言った直後、俺はソファから転げ落ちていた。一瞬、何が起きたのか解らなかった。
 わずかに間があって、左頬に走った熱がぼやけていた思考を揺さぶった。
 身体を起こし、視線をさまよわせる。ミロットさんを捉えると、肩で息をして下を向いている。俺は彼女の右手が握りこめられていることを発見し、ようやく殴られたのだと理解した。
「今……これが『結果』だって言ったの?」
 震える声に苛烈なまでの怒りがにじんでいた。俺はこの時初めて、彼女が激昂するのを見た。
「ふざけるんじゃないわよ! もう一度言ってみなさい……もう一発殴るわよ」
「ふざけてませんよ……。これが純然たる『結果』じゃ――」
 言い終わらないうちに、俺の身体は再び床に沈んだ。本当にもう一発殴られ、目の前に火花が散った。
「……だって、仕方ないじゃないですか。現実、俺は彼女を救えなかった……」
 身を起そうともせず、吐き捨てるように自分の口からマイナス思念を垂れ流す。視線だけを動かし、ミロットさんを視界に捉えなおした時だった。
 ミロットさんは肩をいからせ、プルプルと震えていた。俺を殴った拳が更に強く握りしめられ、わななきが手の先端まで広がっているのが分かった。うつむいているため、表情がうまく見えない。
 様子がおかしい。
 そう思った瞬間、彼女が床を蹴った。大声を上げながら、倒れたままの俺に向かって、猛然と、覆いかぶさるように、飛びかかって、きたのだ。ドスンと落ちてきた彼女の身体が、失意に溺れていた俺を今度は驚きと恐怖へと引っ張り上げた。
「バカあぁぁっ! だったら私は何のために手を貸したのよぉっ! 私の方こそ無意味じゃない!」
 このヒステリックな叫びを発端に、俺の顔面へと無数の打撃が始まった。馬乗りになったミロットさんが、凄まじい勢いで拳打を浴びせてきたのだ。
「がっ、はっ、や、やめ……」
「立てえっ! 立ちなさいよぉっ! こんなところで呆けてる場合かぁっ!」
 右に、左に俺の頭が往復する。
 俺はわけがわからなかった。どうしてミロットさんが普段とはかけ離れたこんな行動を取るのか。美しい黒髪をバラバラに乱れさせ、穏やかだったタレ目を力の限り吊り上げ、大きな胸が何か別の生き物を隠しているのではないかと思うほどに暴れさせている、その理由が。
 俺のためなのか。だとしても、今の俺にそんな価値など無い。彼女が自らの心を削ってまで、俺を助ける必然など無いのだ。
 そんな考えのせいで、顔を守ろうともせず無抵抗に猛ラッシュを受け続けていると、やがてミロットさんの腕が動きを止めた。
「お願いよぉ……。立って……。立ってよぉ……」
 ここで俺は目を見張った。
 力なく肩を落とし、かすれた声で懇願し始めたのだ。大粒の涙をぽろぽろとこぼしながらも、それをぬぐう気力も失ったように見受けられた。ミロットさんがまるで幼い少女のようだった。
 俺の中に形容しがたい動揺が広がる。年上の彼女に対して、俺は姉や母親に近いイメージを抱いていた。それがこの瞬間の彼女からは一切失われていたからだ。
 こんな姿をさらす彼女など、あり得なかった。
「どうしてです……? どうして俺にそうまでして……?」
 間の抜けた声で尋ねると、手を床につき力なく彼女が答えた。
「あの時は……君が私を……助けてくれたじゃないの」
 あの時、とはいつか。俺がゆっくりと記憶の糸を辿り始めると、彼女が更に一言付け加えた。
「ほら……私が君と仕事で知り合ったばかりの頃よ……」
 仕事で知り合ったばかり。彼女を助けた。その二つのキーワードを頼りに、やっと回転し始めた頭に発破をかけた。
 すると、まもなくひとつの記憶につき当った。
 俺はそれを深く思い出そうと、更に強く意識の引き出しを覗き込んだ。

 二年前、俺が彼女と取引を始めて間もない頃のことだった。
 俺が彼女の店に依頼されていた品物を納めに行ったある日、彼女がタチの悪い客に絡まれていたのだ。その客は店の商品に難癖をつけて延々と不満をぶつけていた。明らかにクレーマーだった。
 見かねた俺は彼女の間に割って入り、身代わりを引き受けた。その商品の仕入れ元は自分だと言って、矛先を俺へと変えさせたのだ。
 この時は、いや、『この時も』というべきか。俺は自分の人の良さを少々呪った。
 クレーマーの垂れ流す罵詈雑言に一時間近く付き合わされるハメになったからだ。
 この惑星の知的生命体には色々なヤツがいるが、とりわけ人間というヤツは輪をかけて多様である。他種族と比較しても、自らの精神的な優越感や快楽のために周囲を害する者の数が圧倒的に多い。俺自身、知能が発達した故の欠陥だと思っている。
 この時のクレーマーも例に漏れず、ちょっとした不満や些細なミスを粗探しして、相手から絞り取ろうという浅ましさをその口からぶちまけていた。
 俺はひたすら頭を下げて平謝りし、チャンスを待った。このまま言いたい放題言って気が済めばそれでいいのだが、相手はどうにかして利益を得ようと頑張っていた。だから、反撃の機会をうかがう必要があった。しかるべき報いをくらわせるために。
 やがて、謝る以外に態度を変えない俺に痺れを切らしたのか、クレーマーは思わず俺の肩をどついてしまった。俺はこれを逃さず、派手によろけて、商品の陳列棚にわざと突っ込んだ。
 それを境に形勢は完全に逆転した。俺はよろめきながらも起き上がり一言告げたのだ。
 ――『防犯カメラ』の存在を。
 相手が危害を加えた形になるのは明らかである。
 それを聞いたクレーマーからは、先程まではみじんも感じなかった焦りが吹き出し始めた。きょろきょろと周りを見回したかと思うと、捨て台詞も残さずに大慌てて店から飛び出して行った。
 ルージェス魔法店は由緒正しい、言い換えれば古風な店である。監視カメラは設置されていないと思っていたようだ。事実、都市内の店は多種多様で地区や家柄などでムラがあるのだが、ここは運よく導入されていたのだ。
 厄介が去った後、ミロットさんは俺に心底申し訳なさそうに礼を言った。
 防犯カメラの映像は都市の守備隊に提出し、捜査をしてもらった。ほどなくクレーマーは発見され、俺の治療費と店内の修繕費を支払うことになった。欲張り過ぎたせいで、しなくてもいい損をしたのだ。まさに因果応報だと言えよう。
 それから、カシュオーン研究所とルージェス魔法店の間における取引が若干増加したのである。

 そういえばあの事件の後から、ミロットさんがやたらと俺に良くしてくれた気がする。
「……あの時、君を見て思ったの。『ああ、この人は他人のために自分を燃え上がらせる人なんだ』って。でも、そうやって誰かのために自分を燃やし続けたら、いつかは真っ白になって燃え尽きてしまいそうな気がしたの……。だから、せめて油を注ぎ足すのは私でありたかった」
 そうは言っても、俺自身の勝手な善意が俺を滅ぼしたとて、それは彼女に何のデメリットも無いハズだ。
「なぜ、貴女が……?」
 愚かにもまだ彼女の心が理解出来ていなかった俺は、再び聞き返してしまった。
「……好きだからに……決まってるじゃない。結局、君は私に言わせるのね……」
 想像だにしなかった答えが、俺の脳髄を貫いた。
 好きだから、ってどういうことだ? つまりは恋心か? 女として俺に好意を寄せているということか? ミロットさんが? 俺に?
 俺はただの親切心でやったことだが、彼女がそこまで想いを寄せてくれていたとは、全く察知出来ていなかった。
「そ、そんな、ミロットさん! でも、俺は……」
 すっかり取り乱してしまった俺だが、なんとか昨日知ったばかりの自分の心を伝えようとした。すると、ミロットさんは自嘲的に笑い、かぶりを振った。
「分かっているわ……。君の中にいるのは私じゃない……。ベレンちゃんだもの……」
 なんてことだ。この女性は俺の心などずっと早くに見抜いていたのだ。なのに、自分の想いを封印し、俺を第一にと優先してくれた。報われぬことが分かっていながら、自らを抑えつけてまで俺に尽くしてくれた。
 本心は絶対に見返りが欲しいハズだ。ミロットさんは恐らくそのことを俺に伝える気は無かっただろう。俺がふがいないばかりに、彼女は内に秘め、耐え続けようとしていた感情をせき止められず決壊させてしまったのだ。
 ベレンを愛するがゆえに、彼女が一番望むモノを与えられない俺が出来ることは何か。答えは分かり切っている。俺は幸福でなければならないのだ。
 ここまでしてもらって、途中で投げ出してしまったら正真正銘のクズだ。ベレンのためだけではない。自分のためだけでもない。ミロットさんのために、いつまでも倒れたままではいられないのだ、絶対に。
 心に血が通う。枯れかけていた意志が再び、成長しようと根を張り始めた。全身に獣のような闘志が湧き上がってくる。
 確かにベレンは俺から離れるしか無かった。それは俺の思慮不足であり、実力不足であり、準備不足であったことは事実だ。だが、だから何だと言うのか。俺 はまだ、生きている。自らと他人の幸福を願う、このお人よしの心は全く無くしてはいない。祖父から受け継いだ立ち向かう意志は微塵も失ってはいない。立ち 上がれ。何度でも。
 俺は起き上がった。がっちりとミロットさんの肩を掴み、まっすぐに彼女を見据える。
「ありがとう、ミロットさん。もう大丈夫です。俺は危うくらしくもない言い訳をしたままくじけてしまうところだった。まだ……! まだ何も終わってないッ!」
 力を取り戻した俺を見て、ミロットさんがいつもの微笑みをくれた。
「それでいいのよ。それでこそ、私が好きになったエギル君だわ……」
 温かい言葉が胸に染みいる。感謝の極みだった。
「今程、俺は自分が二人いたらと思ったことはありませんよ」
 俺が半ば本気でそう言うと、最後のげんこつが飛んできた。それはコツン、と小さな音も立たない程優しいものだった。
「バカね。君は君一人だけだからいいのよ」
 笑みを返し、周囲を一瞥した。すると、荒れ放題になっている室内が確認出来た。
 今までこの有様を見ても何も感じなかったことがまず異常だったのだ。俺の精神は今の今まで、この部屋と同様だった。
「まずはここからだな……!」
 最初に行動を起こすべき事柄に照準を定め、俺は立ち上がった。

 消えかけていた松明は再び燃え上がった。
 自身が焼かれても構わぬ、という一人の女性の大きな愛が、暗闇を穿ち、天まで焦がす爆炎を立ち上らせたのだ。

 部屋の片づけを一通り終えた俺とミロットさんは、これからの行動をどうするかを考えた。
 最終到達目標は『ベレンと太陽の下で歩むこと』で、さしあたって必要な条件は『ベレンを過激派組織から切り離すこと』だ。
 楽観出来る状況ではないが、落ち着いて考えればまだ失意に沈むには早過ぎる。彼女が事情聴取を受けるであろう期間は恐らく数日程度、長くても妖魔側が告 げたリミットまでには交渉のために動きがあるハズだ。一度、妖魔側に身柄が移れば人間側からの手は回しにくくなる。最悪、彼女が組織に戻ってから助け出し ても何ら問題はない。問題になるのはその方法と後始末だけだ。むしろ、都市ηを巻き込まずに済む可能性が高くなった分、都市を脱出しようとした時よりも精 神的に楽ですらある。
 とはいえ、組織相手に個人で戦ったのでは話にならない。現状では正面からぶつかるのはもってのほかで、裏から手を回す人手すらないのだ。こちらも徒党を組み、策を練らねばならない。
 ならば、まずは俺の声に応じてくれるつながりを頼るしかあるまい。
 ミロットさんは既に協力してくれる形になったからいいとして、それでも個人と個人で二人だ。ゾウの群れにアリが二匹戦いを挑んでもやはり話にはならない。
 ベルはどうだ。彼女は傭兵団『狼の爪団』の団長の娘である。高い戦闘力を持った集団の一員であり、組織に対抗するには最も大きな力と考えていい。しか し、『狼の爪団』は現在、都市ηに雇われている。個人的に買収するには金も人脈も足りない。彼女に無礼を働いてしまったこともあるし、依頼するとなると少 々準備とかなりの覚悟が要るだろう。
 シュトロームの力を借りられないか。しかし、彼の場合も即手助けしてもらうわけにはいかないことに気付いた。ネット上では親密にやり取りしていたとはい え、俺は彼に直接会ったことが無い。天才的な能力を持っていることは推測出来るが、協力を仰ぐならばやはり直接会わねばならない。でなければ、何も知らせ ずに大事に巻き込む形になってしまうし、それ以前に彼が人間でない可能性もある。素性が分かってからでないと、俺にとっても彼にとってもまずい。
 となると真っ先に頼れるのはやはりフェルンをおいて他にはない。おやっさんは見た目からは想像し難いが、様々な人脈を持っており、情報屋としての側面もあることは今まで世話になったことからも明らかだ。何か活路を見出すきっかけがあるかも知れない。決まりだ。
 ゆえに、シュトロームに向けては、後で専用のチャットルームで相談したいことがある、とメッセージを残し、ヴァンダーへミロットさんと共に向かうことにした。

「おや、どうした二人して?」
 訪ねて行くとフェルンは目を丸くした。
「前回は実質的に貸し借りなしになりましたからね。おやっさんに改めて頼みがあるんですが……」
 いきさつを話すと彼はうーん、とうなり声を上げた。
「……やっぱりお前はあきらめてなかったか。集団を相手にするならこっちも集団、ってわけか」
「ええ。俺個人の限界なんてたかが知れてますし」
「妖魔を相手にするならいい団体がひとつある。『吸血被害者の会』っていうんだが、これは……」
 そう言いかけておやっさんは言葉を濁した。
「……俺が入るのは無理ですね」
「……どうやら、完全に頭が冷えたようだな。安心したぞ」
 冷静さを取り戻した俺の様子を見て、おやっさんはそう返答した。
 俺がその団体に与することは不可能だ。なぜならば、『吸血被害者の会』は妖魔族から被害を受けた人間の集団だ。助ける対象が妖魔の俺など論外である。
 ここでも、また種族の壁の厚さが恨めしい。
「他に頼れそうなところはないんですか?」
 ミロットさんが尋ねると、おやっさんは頭をひねりだした。
「うーん……。正直難しいな。この都市で妖魔を助けたいなんて人間、それも集団となるとなあ……」
 暗礁に乗り上げたかに思えたその時、フェルンが待てよ、と呟き身体をグルグルと横回転させ始めた。
「組織としての力が欲しいなら、いっそ市長に直接掛け合ってみるか?」
「それこそ無理じゃないの?」
 ミロットさんは即座に難色を示したが、俺は少し考えた。
「いや……! ありかも知れない……!」
 都市を脱出しようとしていた時とは状況が違う。ベレンを強奪されたとはいえ、シングのお陰で俺はお尋ね者にならずに済んでいる。ベレンもニュースでの様 子を見る限り、俺が不利になるような証言はしていないハズだ。いくらなんでも、俺が市庁舎に顔を出しただけで取り押さえられるようなことにはなるまい。
 当然、都市ηとしての方針を変えるのは不可能だろう。身柄を拘束されてしまっている以上、返還前に彼女を助け出そうとすれば犯罪になってしまう。ベレン を妖魔側に返還し、平和的に解決する以外の選択肢はあり得まい。だが、市長に話を聞いてもらえれば、返還後どうするかを考える指標にはなる。時間がかかっ ても彼女を檻の外にさえ出せればいいのだから。
 やってみる価値はある。
「ミロットさん、行くだけ行ってみましょう。市長とは以前顔を合わせたことがあります。話だけでも聞いてもらえば何か変わるかも知れない」
「……何もしないよりはその方がいいわね。じゃあ、そうしましょうか」
 俺達二人が次の行動を決めると、おやっさんは回転を止めて声を弾ませた。
「よし、市長には俺から連絡をしておいてやる。エギル、後はお前次第だ」
 礼を言って、俺達は店を後にした。

 都市の中央を目指すと、次第に人通りが増えて活気が満ちて来る。更に歩みを進めるとやがて市庁舎が見えてきた。その施設は十階建ての高層ビルで、見上げ れば昼過ぎの日差しを遮っている。この時間体ならば、俺の研究所がある都市の東側へと、日時計のように影を落としているハズだ。
 ガラス製の自動ドアの前に辿り着くと少し身体が強張った。だが、俺は罪人となってここに来たわけではない。それに、一度だが実際に話してみて市長の人柄はある程度知っている。何も気遅れすることはない。
 意を決して踏み込むと、ロビーの椅子にはメルダ市長の姿があった。
「フェルンから連絡があったから、お待ちしていたわ。さあ、こちらへどうぞ」
 俺達は立ち上がり歩き出した彼女についていく。エレベーターに乗り、最上階まで行くと市長室へと通された。
「失礼します」
 彼女に続いて入ると室内は広く、部屋の手前側には来客用の机と椅子があるのが見えた。机を挟んで二対二で座る形だ。一方、奥側には市長用の大きなデスクと豪勢な椅子が配置されている。更にその背後はガラス張りで、都市を一望できるパノラマが広がっていた。
「どうぞ、かけてちょうだい」
 手で示され、俺はミロットさんと並んで座った。
「で、今日はどんな要件かしら?」
 手を組んでその上に顎を乗せたメルダ市長は、こちらを覗きこむようにして尋ねた。
「実は……」
 俺はベレンが隠しているであろう、彼女を助けた人物が俺であることを明かした。勿論、彼女をこの都市から逃がそうとしていたことは伏せて説明したが。
「そう……。君だったのね」
 すると、メルダはにっこりと笑った。あまりいい顔をされるとは思っていなかったので、正直意外だった。
「でも、そう言われてみれば納得出来る気もするわ」
 そう言って、彼女はベレンの取り調べ状況を教えてくれた。やはり、彼女は俺のことに関しては何も話していなかった。とある人間のもとでしばらく療養した後、その人間が連れてきたシングに身柄を保護してもらった、という話をしたらしい。俺は心の中でベレンに礼を言った。
「そのベレンちゃんのことなんですが……」
 胸をなでおろしていた俺に代わって、ミロットさんが質問を続けた。
「彼女はやはり強制送還という形になるのでしょうか?」
「……そうね。現状ではそうせざるを得ないわ」
 貴方達としては助けたいのが本音なんでしょうけど、と付け加えて市長は笑みを崩さず眉だけをへの字に曲げてみせた。
 しかし、市長は次にこう告げたのだ。
「でも、妖魔側に彼女を返還してしまった後は、我々都市ηは感知しないわ。たとえ、ベレンがブルートローゼに戻った後で、何者か、に強奪されたとしても、ね」
 俺の目をじっと見据えて、メルダは不敵な笑みを見せた。その言葉に俺も思わず、引きつった笑みを返していた。
 彼女はつまり、こう言っているのだ。ベレンが一度組織に戻った後ならば、水面下で俺に手を貸してやる、と。
「協力していただけるんですか?」
 ミロットさんも意味を理解していたようで、身を乗り出して聞き返していた。
「立場上、表立っては何も出来ないけれど。でも、私が個人的に動かせるつながりはいくつかあるわ。それを貸してあげる」
「ありがとうございます! 願っても無いことです!」
 渡りに船とはこのことか。俺はすっかり浮かれていた。
「……ちょっと待って」
 そんな俺がいる一方で、というよりそんな俺を見たからだろうか、ミロットさんは冷静に一歩引いていた。
「どうしてそこまでしてくれるんですか?」
 俺がミロットさんに尋ねた言葉が、今度は彼女の口から放たれた。言葉こそ同じだが、彼女の口調からは少し警戒が感じられた。
「……私は幼いころ、両親やそれを取り巻く人のせいでとても辛い思いをしたの。一人ぼっちで悲しいのに、誰も助けてくれなくてね。だから、家族がその子供 を不幸にするような環境なら、助けてあげたいのよ。勿論、貴方達が私を直接訪ねて来てくれなければ、ここまでしようとは考えなかったでしょうけれど」
 沈んだ声で語る彼女の表情には深い影が差していた。フェルンの店であった時にもそんな話をしていた。やはり、彼女は手を差し伸べられる人間なのだ。
 そうですか、と言ったものの完全に疑念を晴らさないミロットさんに対して、市長はとんでもない殺し文句を口にした。
「そうだ。せっかく来てくれたのだから、ちょっとだけ、ベレンに会わせてあげようかしら?」
 予想外の申し出に、俺とミロットさんは思わず顔を見合わせたが、即座に向き直ると同時に答えた。
「「是非!」」

 市長の計らいで俺達はベレンと面会させてもらえることになった。
 言われるがまま彼女の後についていくと、市庁舎を出てそのすぐ隣にある施設に移動することになった。そこは守備隊の施設であり、都市の防衛や都市内での犯罪を取り締まる隊員達が勤務している。ここの真下に地下牢があり、ベレンはそこにいるというのだ。
 以前、俺が都市を出ようとした時のように、施設の入口には隊員が二人いぶかしげな顔で立っていた。しかし、市長が近づくと一礼し、手早く道を開けた。
 施設内に入ると、市長は脇にある受付で隊員に説明を始めた。
(やはり、権力の座にいるというのは便利なものなんだな)
 地下へのエレベーターの中で俺はそう思った。
 どんな形であれ、力というものは自分のわがままを通す際には必要なのだ。
 ところが、社会的地位も身体的能力も持たない今の俺には、特定の分野にちょっとばかり秀でた知識があるだけだ。
 いかん、また同じ轍を踏むところだった。どうも、敗北を経験したことでしみったれた発想が出てきやすくなっている。仮にも知識ある者を気取るなら、この敗北から学ばねば。
 そうやって、自分の思考と格闘しているうちに地下牢に到着したエレベーターは停止し、口を開けた。
 天井と通路脇の等間隔に照明が配置されていた地下牢は思っていたよりも明るく、想像していたほど圧迫感は無かった。しかし、ここはあくまでも牢である。 以前何かの番組で見たが、施設の壁は内部に分厚いアダマントが挟まれているとのことで、いかに身体能力が高くとも脱獄は容易ではあるまい。
 いくつか、扉を通り過ぎある扉の前にさしかかった時、市長の足が止まった。
「ここよ」
 中に入ると通路の左右に更に扉が並んでいた。なるほど、このひとつひとつが独房になっているのだ。一番近い扉に歩み身寄り、ついている小窓から中を覗き込んでみると思わずぎょっとした。
 中にいたのは、俺を襲ったあの男だったのだ。部屋の隅にうずくまり、うつろな目で地面を見つめていた。
「メルダ市長……! この男は……!」
 わななきわななき尋ねると、市長はそっちじゃないわよ、と目をパチクリさせた。俺がこの男に襲われたことを説明すると、彼女は溜め息をついた。
「そう……こっちも相手が君だったのね。不祥事に巻き込んで申し訳なかったわね」
 そう謝罪し、彼女はこの男について話してくれた。昏倒していた彼は、誤作動を起こしたと思われるゲートのエレメントレーダーを調査しにきた別の隊員に よって発見された。助け出された彼は、記憶が混乱していてなぜ自分が倒れていたのか思い出せず、責任を感じて自ら辞任したらしい。だが、問題なのはこの後 である。仕事を辞めた後、俺を襲撃してベルに撃退され、独房で目覚めるまでの記憶が一切無いというのだ。確かに正気を失っていたが、全く記憶が残っていな いというのは不可思議だ。マンドラゴラには催眠作用の他に幻覚作用もあるが、俺が作ったカプセルに詰めたのは催眠作用を持つ成分がほとんどだ。少しは幻覚 作用を持つ成分も混じってしまったかも知れないが、機械で抽出したのだから俺が取り違えていない限り、そこまで強く記憶障害を起こすとは考えにくい。
「でも、キチンと取り調べを行ってから罪を償わせるわ。さあ、君の本来の目的はこっちよ」
 少々気になったが、促され反対側の独房に近づいた。
 中を覗き込めば、俺は心が昂った。腰までかかる美しい黒髪。透き通るような白い肌。とがった耳に、口元に覗く牙、どこか幼さを残した顔立ち。ボンテージで包んだ線の細い体に整った胸。そんな少女が一人、牢の隅に座って天井を仰いでいる。
 間違い無かった。
「ベレン!」
 俺は彼女の名を叫ぶ。ベレンはゆっくりとこちらに視線を落としたが、俺の姿に気付くと弾かれるように立ち上がり、扉に飛びついてきた。
「エギル!」
 彼女も俺の名を呼んだ。その瞳には輝きが戻り、喜びの涙がうっすらとにじんでいた。
「ちょっと待ってね。今、開けてあげるわ」
 メルダ市長がカードキーらしきものを扉の端末にかざすと、カチッと音を立て扉が開いた。
 扉を開けるなり、俺はベレンを抱きしめた。
「無事でよかった……!」
「エギルも……! まさかまた会えるなんて……!」
 ベレンも俺の背中に手をまわして応じてくれた。
「うらやましいわ。もう私が入る余地なんてないわね……」
 後ろで残念そうに呟いたミロットさんの声で、ベレンは面会に来たのが俺だけでないと気付いたらしい。赤面して俺から離れた。
 彼女に見せつけるような形になってしまったのは気が咎めたが、しかたあるまい。俺はやはりベレンが好きなのだ。
「あっ、でも、どうやってここに?」
 慌てて取り繕うベレンに市長が歩み出てわけを話した。すると、彼女の表情に次第に活力が満ちていくのが分かった。
 時間にして三十分くらいだっただろうか。この後にもまだ取り調べがあるため、あまり長時間は面会出来ないとのことだったが、十分だ。ベレンがここから解放されるまでに、心が冷えてしまうようなことはないだろう。
 別れ際、俺はベレンにこう告げた。
「……ベレン。次に会った時はきっと助ける。時間は少々かかるかも知れないが、待っていてくれ」
 するとベレンは首を伸ばして、俺の頬に口づけをした。虚を突かれて、思わず頬に手を当ててしまった。
「待ってます。ちゃんと助けてくれたら『続き』しますからね」
 半目になってうっすらと微笑んだ彼女は色っぽく指を口元に当てた。
「……それは実に夢のある話だな」
 頬に当てたままの手が感じる熱量が一気に増していくのが感じ取れる。
 全く、妖魔族の女性というのは元からこうやって男をその気にさせるのがうまいのだろうか。俺はとんでもない小悪魔に惚れてしまったらしい。
 助けるさ。必ず助ける。
「……エギル君。そろそろ、行くわよ?」
 調子づいていた背中にミロットさんの声が突き刺さった。口調こそ平坦だったが、それがかえって怨念めいた嫉妬を感じさせるのに一役買っていた。
 半ば強制的に引きはがされた俺達の姿を横で見ていたメルダ市長の笑い声が、ケラケラと地下に響き渡った。

 地上の施設まで戻ってきた俺達はここで解散することにした。すると、市長は俺に手を差し出した。
「そうだ、君の携帯電話、ちょっと貸してくれる?」
 要求された通り、携帯を手渡すと彼女は手早くボタンを打ち込み始めた。一分と経たないうちに携帯は俺の手元に返された。
「これでいいわ。私の電話番号とメールアドレスを入れといたから。何かあったら連絡して。もっとも、忙しいからそう頻繁には返事出来ないでしょうけど」
「いえ、何から何まですいません」
 ここまでの協力が得られるとは思っていなかったので、十分以上の成果だった。
 そうして、礼を言って分かれようとした時だった。何者かが入口の警備を振り切って飛び込んで来た。
 即座に中で待機していた隊員数人に取り押さえられたが、その人物は気になることを叫んだのだ。
「何かの間違いだ! 先輩が人を襲うなんて! あの人は二十年務めた仕事に誇りを持っていたんだ! 頼む! もう一度ちゃんと調べてくれえッ!」
 俺がその人物を覗き込むと、先程の言葉の意味が分かった。床に組み伏せられていた人物は、俺が都市を出ようとした時に門の警備に当たっていたもう片方の男だったのだ。
 驚き戸惑う俺達を尻目に、市長は取り押さえられた男に近づくとしばらく言葉を交わした。すると、やがて説得に応じたらしく暴れるのをやめた。
 市長はこちらに戻ってくると、煩わしそうに顔をしかめていた。
「悪いんだけど、これでお引き取り願えないかしら。余計な仕事が増えてしまったみたいだから……」
「ええ。でも、大丈夫なんですか……?」
 俺がその男のことが気になって尋ねると、ミロットさんが肩に手を置いて引きとめた。
「行きましょう、エギル君。メルダ市長、お忙しいところありがとうございました」
「わ、分かりました。では失礼します」
 足早に施設の入口から出た彼女に慌てて駆け寄る。もしかして、さっきベレンといちゃついていたことを怒っているのか。
「……どうしたんです?」
 恐る恐る尋ねると、彼女は周囲を気にするように小声で言った。
「……何だか見張られてるような気がしたのよ。私の気のせいかも知れないけど……」
 ベレンと会えて完全に警戒心が緩んでいた俺は気にも留めていなかった。
「そりゃ、特別に種族間の問題になっている人物に会わせてくれるって言うんですから、警備が目を光らせるのは当然では?」
「まあ、それはそうなんだけど……」
 ミロットさんは一度声を詰まらせたが、呟くような声でこう続けた。
「なんか変な感じなのよね……。ごめん……うまく言えない」
 彼女は魔女だ。普通の人間が感じ取れないものを察知している可能性はある。しかし、納得できる説明が出来ない以上、それは単なる予測でしかない。ミロットさんの警戒し過ぎではないのか。
 午後の日差しが降り注ぐ中、俺達は施設を後にした。

 ミロットさんと別れて研究所へと戻る途中で、シュトロームからの返信があった。
 帰り道を急ぐと、太陽が傾き始める前には戻ることが出来た。すぐさま、パソコンに飛びつく。
 チャットルームにて待機している、とのことだったので、いよいよ直接会いたいとの旨を伝えることにした。
 彼には現在大きな問題に直面しており、今までのように匿名で助けてもらうのが難しいことを話した。そして、どこかで直接会って、俺の話を聞いてから改めて手を貸してもらえるか決めてほしいと告げた。
 十五分程度か。普段色々対話する場合は即座に返事をくれる彼にしては長い沈黙があった。
 俺がそれとなく返事を催促しようとした時、シュトロームの書き込みが掲示板に表示された。

――君とは知り合ってから長く付き合ってきた。ネガティブな話もしたが、君は最後まで聞いてくれたな。君に組め
  ないデータは役立っただろうか。相談を受けてからは急いで作ったつもりだったが。えーと、何と言うべきか。
  うーん、ムリに取り繕うのも不自然だった。まだ色々と議論したいことはあるが、だからこそダメらしい。僕の
  正体に触れないほうがいい。それが君のためでもある。世の中には知らない方がいいこともある。やはり、そん
  な突然何を言うのかと思うかもしれない。でも未練がないわけじゃない。すがすがしくさよならを言う方法なん
  て無いだろうな。いつかまた連絡を取れる時を待っていてくれ。それまでは……さらばだ。我が親友エギルよ。

  追伸:きっとまたあえる きみがのぞむなら

(なんだこれは……)
 見た瞬間、俺は思わず顎に手を当ててしまった。
 明らかにおかしい。
 一見、俺には会えない、という内容の文章なのだが、ところどころ無理のある書き方をした感がある。それに、改行の仕方も不自然だ。いつもなら、もっと読みやすく文字を配置するハズだ。
 しかしながら、これが暗号だとするならどうやって解読すればいいのか皆目見当がつかなかった。
 頭を抱えたまま時間が経過していく。
 無駄を承知で掲示板に質問をしてみたが、彼が応じることは無かった。

 日がほとんど沈み、夜になり始めた頃だった。研究所のインターホンが鳴った。
「……誰だ?」
 半ば解読をあきらめかけていた俺は夕飯の支度をしようと、冷蔵庫を開けようとしていた。
「どちら様ですか?」
 研究室の端にあるインターホンで問いかける。
「エギルってのはいるかイ? 渡すモンがあんだヨ」
 嫌に明るい男の声が聞こえた。いつも配達に来る郵便局員だったら、同じ明るいでももっと声が落ち着いている。どこかチャラチャラした軽いヤツの印象を受けた。玄関まで行くべきか迷っていると、それを察知したのか相手がもう一言付け加えた。
「この封筒、急いで渡してくれって頼まれたんだヨ。早く受け取ってくんねーカ?」
「……分かりました。今出ます」
 ちょっと困ったような声を出したので、仕方なく扉を開けた。
 すると、立っていたのは獣人族の男だった。頭は流れるようなロン毛で、その上には狐のような耳がある。目は細めの上に口角が上がっていたため、終始笑っ ているような顔立ちだった。上半身に着た皮のジャケットは前が開いており、引き締まった胸の筋肉が見えた。下半身は着古したジーンズで右足側が破れて無く なり膝から下が露出している。腕と脚は先端に近くなるにつれて体毛が濃くなっていた。ベルと比べると少なかったが、それでも戦う者だと悟るには十分な傷跡 が身体のあちこちに見受けられた。ベルと比べたのは獣人であることは勿論だが、その右腕に彼女と同じスカーフが巻かれていたからだ。
「ホラ、これだヨ。確かに渡したゼ」
 突き出された封筒を押しつけると男はさっさと帰ろうとした。
「ちょっと待ってくれ! アンタ傭兵か? 誰の依頼だ?」
 慌てて呼び止めると、男は歩みを止めずに身体をひねり、顔だけをこちらに向けた。
「俺はただエギルに渡してくれって言われただけだぜイ! 渡したヤツは渡せば分かるって言ってたからとりあえず中見てみなヨ!」
 言いつつどんどん遠ざかっていく。
「これで50万Nダ! ボロい仕事だったゼ! ヒャッホーイ!」
 俺の視界から完全に彼が消えると、歓喜の声が空に響いた。
 首をかしげつつも、とにかく封筒を見てみることにした。透かしてみると真新しい封筒の中には紙が一枚入っているようだった。しかし、差出人の名前は無い。肝心の内容も文字までは透けて見えず、開けてみないと分からないようになっていた。
 やむを得ず開けてみると、以下のようなものだった。

  ■GD■■■■■■■■F■■■■■@K■■■■き■■■■H■■O■■■そ■■■■■■■■■■■の■■
  ■■■■■■■■■■■N■■■う■■■A■■■■■こ■■■■■■■C■■■■IJ■■■き■■■■■■
  みまB■ぞ■■■■■■■■■■■い■■■■■■■■■■っ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
  ■■■■■■■■■■■■■■■■■あた■■■■■■け■■■■さ■し■■■■■■■■■■■E■■■■■
  ■■■■L■■■■■■■■■と■■■■M■■■■く■■■■■■■■が■■■■■■■■■■■■■■■■
  る■■■■■■■■■むえ■■■■お■■■■か■■■■■■■■■■す■■せ■■■■■■■■■な■■■ら

  η

 俺はこれを見て即座に差出人が誰かを理解した。一番最後に『η』の記号が使われている。この記号を意識して使うのは彼だけだ。そして、その意図を理解出来るのは俺だけである。そう、専用の掲示板に来て欲しい、という意図を、だ。
 シュトロームがどうやって俺の住所を特定したのかは定かではない。だが、今それを考えている余裕はなさそうだ。わざわざ、暗号を二つに分けた意図も後で考えればいい。急ぎで渡してくれ、とあの獣人に依頼したことの方が重要だ。
(すぐに解読してやるぞ!)
 間違いなくこの封筒に入っていた紙は解読キーだ。俺はスリープ状態にしていたパソコンをすぐさま叩き起こした。
 彼の投げかけた暗号と格闘すること十数分、俺はその真のメッセージを把握した。
「……シュトローム。これが君が伝えたかったことか……!」

 復活を果たした俺の前に、更なる運命がその正体を現そうとしていた。
 だが、俺はもう臆することはない。支えてくれた者には感謝と敬意で応じ、助けるべき者をはっきりと見据えた。俺が周囲へ与えてきた善意は、決して空虚な自己満足などではなかった。
 だから、俺は未知なる道へと歩みを進める。たとえ、この先苦難へ向かうことが確定していたとしても。
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